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[8月10日・男子200m決勝]
1位 グリエフ 20秒09
2位 バンニーキルク 20秒11
3位 リチャーズ 20秒11
4位 ミッチェルブレイク 20秒24
5位 ウェブ 20秒26
6位 マクワラ 20秒44
7位 アブデルハキーム 20秒63
8位 ヤング 20秒64

 男子200mは大混戦となりました。
 記録的にはやや物足りない決勝となりましたが、見所の多いレースであったと感じます。

① トルコのグリエフ選手が優勝

 200mという走路全体を、最も「バランス良く」走り切ったグリエフ選手が勝ちました。
 スタートから、とても滑らかなコーナリング。もう少し加速できそうに見えましたが、後半の走りにエネルギーを残したのでしょうか、8分の力で走っているようでした。
 結果として力みの無い走りとなったのです。

 グリエフ選手は直線に入ってもバランスを崩す事無く、ゴールまでそのランニングを継続しました。

 ゴールでは、バンニーキルク選手、リチャーズ選手と接戦となりましたが、すくっと立ったグリエフ選手のフォームが印象的でした。

② 走り過ぎであったかバンニーキルク選手

 400mと200mの2冠を目指すランナーにとっては「宿命」なのでしょうが、6日連続のレースとなったバンニーキルク選手は、僅かに及びませんでした。

 究極の「無酸素運動」と言われる400mを3本走り、200mも3本走るのですから、その疲労度は大きなものでしょう。

 予選や準決勝でエネルギーを温存するためのレースを行うという点では、バンニーキルク選手はとても上手なのですけれども、それでも今大会では勝ち切れませんでした。
 全体のレベルが確実に上がっているのでしょう。

③ トルコ、南アフリカ、トリニダート・トバゴ

 今大会のメダリストの出身国名です。

 アメリカの名前が無い上に、所謂陸上大国の名前もありません。
 世界の陸上競技地図は、大きく変わっているのでしょう。

④ サニブラウン・アブデルハキーム選手の健闘

 久しぶりに日本のランナーが決勝に進みました。

 準決勝では、リラックスした走りで堂々の2位通過でした。

 決勝は、サニブラウン選手の特徴である4コーナーから直線に出る20mの走りに、いつもの加速がありませんでした。
 この大会5本目という疲労蓄積と、ハムストリングスの故障が影響したのでしょうか。

 世界選手権大会の決勝で走ったという経験を、今後の成長の糧にしていただきたいと思います。

 圧倒的な30mの加速では無く、「200mをバランスよく走る」ことで頂点に立ったグリエフ選手の走りは、「短距離競走における技術の重要性」を改めて感じさせてくれるものでした。
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[8月17日・大会9日目第一試合・2回戦]
広陵6-1秀岳館

 強豪同士の対戦は、広陵高校に軍配が上がりました。

 甲子園3大会連続ベスト4の秀岳館高校と「出てくれば強い」広陵高校の対戦でしたが、2回戦で当たるには「もったいない」という戦前評通りの好ゲームとなりました。

 1回表裏から両チームがランナーを二塁に進めるなど、両チームの打線が襲い掛かりましたが、秀岳館の川端、広陵の平本、両先発投手が丁寧な投球を続け、「あと一本」を許さない展開となりました。
 また、2回表の広陵の攻撃、秀岳館の竹輪中堅手の捕殺など、バックの好守も随所に見られました。まさに好ゲームとなったのです。

 4回表に暴投から、広陵が1点を先制しました。この試合では、ところどころでエラーもありましたが、「ギリギリのプレー」から生まれたエラーが多かったと感じます。
 「1点を巡るギリギリのプレー」というのは、昔?の甲子園大会ではよく見られたシーンです。

 5回裏、秀岳館の8番打者、幸地選手がレフトスタンドに本塁打を放ち、試合は1-1の同点となりました。
 これは、本塁打が珍しいものでは無くなった?現代の甲子園大会のシーンとも取れますが、こうした同点ホームランは、かつての甲子園大会でも時折眼にしたものです。

 忘れもしない1979年夏の甲子園、簑島VS星稜の試合、延長18回の末、簑島高校が勝利した試合。球史に残る激戦でした。
 この時、既に社会人だった私は、仕事を終えて、友人と共に職場近くの喫茶店に入りました。テレビが設置されていて、甲子園大会を観戦できるお店です。

 丁度9回を終えて延長戦に入るところでした。簑島と星稜の試合はその日の第4試合だったのです。
 まさか、それから、1杯のアイスコーヒーで、9イニングを観戦することになろうとは、想像もしませんでした。

 この試合で、延長に入ってから、先攻の星稜は2度リードし、その裏後攻の簑島は2度追いつきましたが、これが2度ともソロホームランによるものだったと記憶しています。
 まさに、信じられないような展開だったのです。
 つまり、現在と比べればホームランが少なかった、昔の甲子園大会でも、同点ホームランというのは時折見られたのです。

 従って、今大会この試合の幸地選手の同点ホームランは、甲子園大会の「今でもあり昔でもある」のでしょう。

 1-1の同点の試合は7回表に動きます。

 1死2・3塁から広陵の平元選手(投手)がスクイズを決めたのです。結果として「投手前安打」とはなりましたが、まさにスクイズでした。
 スクイズは、かつての甲子園における常套戦術でした。
 スクイズプレーを巡って、どれほどのドラマが生まれたことでしょう。

 この回広陵は、相手のエラーで2点目も挙げて、3-1とリードしました。

 大接戦の試合は、広陵高校に大きく傾いたのです。

 そして9回表、1死2・3塁チャンスで、広陵の3番・中村選手が3ランホームランを放ちました。試合を決める強烈な一発でした。
 これはもう、間違いなく現代の甲子園大会のシーンでした。
 2試合連続3本目のホームランというのは、かつての甲子園では、まず見られないものでしたが、今大会では複数選手が成し遂げています。
 「ホームランが常態化した高校野球」のシーンなのです。

 広陵高校は、緒戦で中京大中京高校を破り、2回戦で秀岳館高校との接戦を制しました。
 強敵を連破したのです。

 甲子園の名門・広陵高校にとっても、初の夏・全国制覇の絶好のチャンスが訪れたことになります。
[8月11日・女子200m決勝]
1位 シパーズ 22秒05
2位 タルー 22秒08
3位 ミラー 22秒15
4位 アッシャー・スミス 22秒22
5位 スティーブンス 22秒44
6位 ダンカン 22秒59

オランダのダフネ・シパーズ選手が世界選手権2連覇を達成しました。

 179cmと長身のシパーズ選手ですがコーナリングはとても上手く、このレースでも4コーナーで先頭、2番手に約1mのリードを取りました。ライバルと目されていたミラー選手とは2.5m程の差が有ったでしょうか。

 残り50mからタルー選手が追い上げ、残り10mではシパーズ選手を追い越したかに見えましたが、ここでシパーズ選手がもう一度スピードを上げて、ほとんど並んだところがゴールラインでした。大接戦だったのです。
 ミラー選手の追い上げも1m届きませんでした。

 シパーズ選手はこの大会の100mでも3位に入っています。現在の女子スプリント界を代表するランナーなのです。
 特に、「安定感」が持ち味でしょう。調子の上下が小さいタイプであろうと思います。

 安定しているという意味では、銀メダルのマリージョゼ・タルー選手には悔しい大会となりました。
 100mではトリイ・ボウイ選手に僅か1/100秒差で2位、そして200mは3/100秒差で2位だったのです。
 どちらのレースも「タルー選手が勝った」ようにも観える、とても微妙な勝負でした。
 コートジボワールの女性スプリンターとして、今後の世界大会での活躍が期待されるところです。

 3位のショーナ・ミラー選手にとっては、「不完全燃焼」の大会となりました。
 400mのゴール前50mでの突然の失速から、いまひとつ調子が出ない大会となってしまいました。
 いずれにしても伸長著しいバハマ女子スプリント陣の代表格として、今後の活躍が期待されるところです。

 オランダ、コートジボワール、バハマ、このレースでも上位は所謂「陸上短距離強豪国」では無い国のランナーが占める結果となりました。
 アメリカのみならずジャマイカチームもメダルには届きませんでした。

 スプリント界の裾野は、確実に広がっているのでしょう。
 
 8月10日~13日にかけて、アメリカ・ノースカロライナ州シャーロットのクウェイルホローを舞台に行われた、2017年の全米プロ無選手権大会で、松山英樹選手は最終日首位でスタートするなど、優勝争いを演じましたが、サンデーバックナインで失速し、5位タイに終わりました。

 2日目に64打のラウンドを披露して、一気にトップグループに躍り出て、最終日は首位と1打差の2位でスタートし、前半一時トップに立った時には、前週の世界ゴルフ選手権大会優勝の勢いが感じられましたから、今回こそはメジャー大会制覇の夢が広がりましたけれども、惜しくも成らなかったのです。

 最終日のラウンド後のインタビューで、珍しく涙を見せていました。
 余程、悔しかったのでしょう。

 印象的なコメントが有りました。

 (今回の敗戦の経験を次に生かしたい、といった質問に対して)
 「これを経験したからといって克服できるものではないと思うが、場数が増えていけば、それだけチャンスが増えるということだと思う。その1回が(優勝に)当たるように、もっとチャンスを増やしたい」とコメントしたのです。

 何と冷静なコメントでしょう。

 そして、世界のトップで戦い続けているプレーヤーならではの言葉だと感じます。

 メジャートーナメント出場回数を増やしたからといって、勝利を掴めるものでは無いということ、経験の積み上げでは優勝できるものではないと、松山選手は言っています。

 一方で、「トライの回数」=優勝を狙える位置での最終日のラウンドを増やすことで、チャンスは来るとも言っています。

 その通りなのでしょう。

 トライの回数が増えれば、幸運がほほ笑むこともありそうです。

 世界最高水準の心技体を具備したプレーヤーでも、運と実力を総動員しなければ勝てないのが、メジャートーナメントなのでしょう。
 ワールドカップ優勝4回を誇るサッカー大国イタリアにおいても、1934年(第2回大会)と1938年大会(第3回大会)を連覇した時期は、黄金時代でしょう。
 世界のサッカーが「イタリアを中心に回った」時代なのです。

 この頃の、イタリア代表チームのエースストライカーが、ジュゼッペ・メアッツァ選手です。

 1910年にミラノで生まれたジュゼッペ・メアッツァは、17歳でインテルにおいてセリエAにデビューしました。
 インテルでは2度のリーグ優勝、自身は3度のリーグ得点王に輝いています。
 デビュー早々からチームの中心選手だったのです。

 このようなスーパースターは代表デビューも速いものですが、メアッツァ選手も19歳で、アズーリの一員となりました。代表デビュー戦でいきなりゴールを挙げたと伝えられています。

 そして、1934年大会・1938年大会のイタリア連覇の時には、チームのエースストライカーとして活躍しました。
 代表通算53試合で33ゴールという、素晴らしいゴールゲッターだったのです。
 
 1934年、地元開催のワールドカップの準々決勝で、イタリアチームはスペインチームと対戦して、第一戦は延長の末1-1の引分け、この頃はトーナメントの試合での引分けは再試合が行われました。(PK戦という制度が無かった時代)
 この第二戦でメアッツァ選手は前半11分に先制点を挙げて、1-0の勝利に貢献しています。
 この大会でアズーリが最も苦戦した試合でした。

 フランス開催だった1938年大会の準決勝で、イタリア代表はこの頃メキメキと実力を付けて来ていたブラジル代表と激突しました。そして2-1でブラジルを破り、決勝に進出したのです。
 この準決勝で1-1の同点から決勝点を挙げたのがメアッツァ選手でした。PKによる得点でしたが、この局面でPKを任せられるところにメアッツァ選手へのチームの絶対の信頼が感じられます。

 ジュゼッペ・メアッツァ選手は、1924年から1940年までインテルで長く活躍した後、ACミランに移籍し、1942年にはユベントスに移りました。
 第二次世界大戦真っ只中のイタリア・セリエAで、「イタリア3大クラブ」を渡り歩いたのです。

 そもそも、極めてライバル意識が強いチーム同士である、インテル・ACミラン・ユヴェントスの全てでプレーする選手というのも滅多に観られないのですが、それがイタリアサッカー史上最高のプレーヤーのひとりと称されるメアッツァ選手が実現しているのですから、驚きです。

 1979年、メアッツァ氏は68歳で死去しました。

 メアッツァ選手が活躍した時代は、80年程前の遥かなる昔です。
しかし、21世紀となった現在においても、イタリアサッカー界におけるジュゼッペ・メアッツァ選手への敬意はいささかも衰えていない様に感じられます。
 何しろ、現在のインテルとACミランが本拠としている(2チームが共にホームとしています)スタジアムは、「スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ」なのですから。
 
 第一走者の多田選手が落ち着いたスタートから加速、日本チームに勢いを付けました。

 多田選手から第二走者・飯塚選手へのバトンパスはドンピシャ。飯塚選手もとてもリラックスした良い走りを魅せて、他チームと互角のレースを展開しました。

 飯塚選手から第三走者・桐生選手へのバトンパスもタイミングが合いました。バトンの受け渡しを一度失敗しましたが、直ぐに渡すことが出来ましたので、殆どロスはありません。

 桐生選手のコーナリングは秀逸!
 予選・決勝を通じて、全てのチームの第三走者の中で最も速いランナーであった思います。

 第三走者の桐生選手からアンカーの藤光選手へのバトンパスは少し詰まりましたけれども大きなロスとはならず、日本チームはイギリス、アメリカに続いて三番手、ジャマイカチームより少し前の位置で直線に入りました。

 ここでジャマイカチームのアンカー・ボルト選手が故障を発症してストップしましたので、藤光選手は3番手の位置を堅持してゴールインしました。

 日本チームが持てる力を存分に発揮した、見事なレースでした。

 オリンピックではメダルを獲得してきた、日本男子4×100mリレーですが、世界選手権では初のメダル獲得でした。

① 走力の高さ

 リオデジャネイロ・オリンピックの時も書きましたが、日本の4選手の走力が素晴らしい。

 特に、客観的に観て、桐生選手は大会NO.1の走力を具備する第三走者であったと思いますし、第二走者の飯塚選手も加速してからのスピードでは、世界トップクラスのランナーが居並ぶ他チームの第二走者と、全く遜色のない走りを魅せてくれました。

 そうでなければ、9秒台4人を揃えたジャマイカチームや、100m競走の1・2位を擁するアメリカチームと、これだけの戦いを繰り広げることが出来る筈はありません。

② バトンパス

 バトンパスについて観れば、決勝進出8チームの中で最も上手かったのはイギリスチームでしょう。これはもう「絶妙」でした。イギリスチームは予選の時から、極めてハイレベルなバトンパスを魅せていました。

 日本チームは、イギリスチームに続いて、8チーム中の2~3番手の技術であったと感じますが、イギリスチームとの差は相当大きなものでしょう。ランナー1人当たり0.1秒位の差かと思いますので、レース全体としては0.4秒から0.5秒の差があるでしょう。

 日本チームにもまだまだ改善の余地があります。
 今回のチームも37秒台の中盤の記録を出す力はあったのでしょう。

 それにしても、男子4×100mリレーの日本チームは強くなりました。

 世界大会の決勝レースに定着すると共に、「ミスの少ない安定したレース」を実現することが出来ますから、他有力チームのミスやトラブルによっては、表彰台に乗ることが出来るようになったのです。

 男子4×100mリレーは、日本の「お家芸」になりつつあります。
 第99回全国高等学校野球選手権大会も2回戦に入りました。

 連日熱戦が続いていますが、今大会は「両チームによく点が入る試合」が多いと思います。
 そして、ホームランが多い大会になっている印象です。

① ひとりで1試合に2本塁打

 特に、同じプレーヤーが1試合で2本塁打を放つケースが時折観られます。
 8月11日の中京大中京VS広陵のゲームでは、広陵の中村選手が、8月12日の北海VS神戸国際大付のゲームでは、神戸国際大付の谷口選手が、8月13日の大垣日大VS天理の試合では、天理の神野選手が、それぞれ2本塁打を放ちました。
 2打席連続ホームランも観られます。

 もともと甲子園大会では、2打席連続本塁打が最高記録であり、3打席連続は無いのですから、この2打席連続ホームランが複数回数記録される大会と言うのは、珍しいことでしょう。
 
② 打球飛距離が伸びている?

 ホームランが多い印象の大会ですが、その飛距離も伸びている感じがします。
 これまでのように「フェンスをギリギリに超える」という当たりよりも、スタンドの中段近くまで飛ぶ本塁打が多いように観えます。
 また、神戸国際大付の谷口選手の2本目のように、右打者がライトポール際に運ぶといった「反対方向への本塁打」も観られます。

 明らかに飛距離が伸びているのですが、これはプレーヤーの体力・技術の向上によるものなのか、他の要因によるものなのかは分からないところです。

③ 大振りが目立つ。

 バットを長く持っての「目振り」が目立ちます。
 思い切りの良いスイングが続くのですが、局面によってはいかがなものかとも感じます。

 かつては、高校野球・甲子園大会というのは「スモールベースボール」の場でした。
 四球やエラーで出たランナーを、送りバントで進め、時にはスクイズで得点し、その「虎の子の得点」を好投・好守で守り切るという試合が数多く観られたものです。
 徳島の池田高校が登場した頃から、「目振り」の野球が広まり始め、強い打球を打って行く野球が一般的になったのでしょう。
 これは高校野球のひとつの革命的な事象でした。

 確かに、バント・バントで1点ずつ積み重ねても、長打で大量点を挙げられてしまうのでは、なかなか勝利はおぼつきませんし、思い切り振って行く野球の方が、選手も楽しんでやれるという面が有りそうです。

 しかし、一方で今大会では「高目の釣り球」にひっかかり、空振りの三振というシーンも数多く観られます。
 「あんな球を何で振っちゃうの」と愚妻は嘆きます。

 かつてなら、手を出さなかったであろう「頭の高さ位の投球」を目振りしてしまうのです。
 「振ると決めたら振る」といった思い切りが良いというか、荒っぽいプレー、時には「雑に見えるプレー」もあるのです。
 キメ細かな野球からは、遠いところに在る野球になって来ているようです。野球の持つ本来の面白さの、相当部分が失われている可能性も有ります。

 「金属バットの打撃技術・理論」が極まってきているのかもしれません。

 野球というスポーツにとって、良いことなのかどうか、考えてみる時期が来ているように感じます。

 以前も書きましたが、「木製バットに戻す」時期が来ているのではないでしょうか。
 
 「バットの費用」、練習で折れてしまうバットを数多く用意するために高額な費用が掛かることを考慮して、「折れない」金属バットを使用することとした施策は、その歴史的使命を終えたのかもしれません。

 バットは、高校野球連盟から全国の高校に支給することにして(甲子園大会の入場料を少し上げるといった施策も考えられます)、バット費用負担の問題に対応するのです。
 
 「ボールを木製バットで打つ」という「野球本来の形」、日本プロ野球やMLBで行われている形の高校野球を観てみたいと感じます。
[8月9日・男子400mハードル]
1位 ワーホルム 48秒35
2位 コペロ 48秒49
3位 クレメント 48秒52

 ノルウェーの21歳、カールステン・ワーホルム選手が見事な走りを魅せて優勝しました。
 前半から飛ばしたワーホルム選手は、4コーナーを先頭でクリアして最後の直線に入りました。内側のコースから、優勝候補のカーロン・クレメント選手(アメリカ)がひたひたと追ってきますが、その差は3m位あるように観えました。クレメント選手のレース前の予想より、差が大きかったのではないでしょうか。
 それでも、オリンピックチャンピオンの意地にかけて、追い込みを続けたのです。

 ワーホルム選手は9台目のハードルで少しバランスを崩し、後続との差が詰まりました。
 ハードル競技の難しいところです。スピード・体力ともに落ちてきたところでのハードリングの失敗は、ダメージが大きいのです。

 「10台目が上手く飛べるかどうかがカギになる」と見ていましたが、この10台目をワーホルム選手はスムースに飛び越えました。優勝を争っていたランナーの中で最もスムースであったと思います。

 逆にクレメント選手は少しバランスを崩しましたので、追い上げる勢いが削がれました。

 ワーホルム選手の優勝を決定づけたのは「10台目の上手いハードリング」だったと思います。
 いっぱいいっぱいの状況で、ハードルに触れることも無く、ランニングバランスを崩すことも無く、「事も無げ」にクリアしていったのです。
 もちろん、ワーホルム選手の技術と体力の賜物ですけれども、勝利の女神がほほ笑んだようにも感じられます。

 本記事の題名に「よもやの?」といった失礼な表現を用いましたが、ゴール後のワーホルム選手の表情・様子を観るにつけ、最も「意外に感じ」「信じられない様子で」「驚いていた」のが、ワーホルム選手自身に見えたからです。
 ご容赦いただきたいと思います。

 そもそも、ノルウェーのプレーヤーが世界陸上選手権大会で獲得した、初めての金メダルだと報じられました。
 ワーホルム選手は、ノルウェー陸上競技界に新しい歴史を創ったのです。

 ワーホルム選手は、10種競技から400mハードルに転向したと伝えられています。

 世界には、まだまだ強い選手が居るのです。
 陸上競技の2017年世界選手権大会が、ロンドンで開催されています。

 その映像をテレビで観るにつけ、いつも感心させられるのが「満員の観客席」です。

 6万人の大観衆で埋め尽くされた観客席は、立錐の余地も無いように観えます。
 本当の大入り満員なのです。
 そして、大歓声が響き渡ります。

 イギリスという国、ヨーロッパという地域、において陸上競技がとても人気のあるスポーツであることが、よく分かります。

 走り、投げ、跳ぶ、という「最も基本的な動き」で争われるスポーツ。
 人類が最初に行ったかもしれないスポーツ。

 「陸上競技」の人気がとても高いのです。

 一方で、東京オリンピック2020のメイン会場は、オリンピック開催後「球技専用グラウンド」になる方向だと報じられています。
 国際基準のサブグラウンドを近隣に設置することが困難だというのが、主な理由の様です。

 とはいえ、ひょっとすると、我が国では「陸上競技では6万人の観衆を呼ぶことは出来ない」、オリンピック以外の大会では「出来ない」、「陸上競技には6万人以上を収容するスタジアムは過大」、という見方が有るのかもしれません。

 世界陸上2017の会場である、ロンドンスタジアム(旧ロンドン・オリンピックスタジアム)は、大観衆と大歓声に溢れています。
[8月8日・男子400m決勝]
1位 バンニーキルク 43秒98
2位 ガーディナー 44秒41
3位 ハロウン 44秒48
4位 テーベ 44秒66
5位 アレン 44秒88
6位 ゲイ 45秒04
7位 カーリー 45秒23

 バンニーキルク選手の圧勝でした。
 現在のこの種目の第一人者としての実力をしっかりと発揮したのです。

 スタートから第3コーナーまでは、いつものバンニーキルク選手と比べればやや抑えた感じの走りでしたが、第3コーナーから第4コーナーが速かった。目立たない場所ですが、ここでグンと前に出ました。

 バハマのガーディナー選手が2位、カタールのハロウン選手が3位に入りました。
 準決勝までの好調な走りを、決勝でも披露してくれた形です。

 優勝したバンニーキルク選手は南アフリカですから、男子400mは、所謂大国のランナーではなく、短距離王国でもない国のランナーが3位までに入った形になります。

 一方で、陸上競技の歴史において「男子400mの王国」と言われてきたアメリカ勢は、良いところがありませんでした。これは、近時のオリンピックや世界選手権で見られてきた傾向なのですけれども、今大会では際立ちました。

 1968年のメキシコシティオリンピックにおけるリー・エバンス選手の43秒台の驚異的な世界記録樹立や、それを大きく更新したマイケル・ジョンソン選手の快走を見るまでも無く、何時の時代も「男子400m競走の歴史はアメリカ選手の歴史」でした。

 100mや200mで、時折アメリカ以外の国のランナーが時代を築くことはあっても、「400mだけはアメリカのもの」という感じだったのです。
 次から次へと素晴らしい400mランナーが生まれる国、それがアメリカ合衆国という印象でした。

 ところが、2012年以降は、この法則が当てはまらなくなっています。

 このレースでも、アメリカのカーリー選手は7位と、実質的な最下位でした。
 もちろん、世界選手権の決勝に進出するというのは、それだけで大称賛に値することなのですけれども、これがアメリカの男子400m代表となると、決勝進出だけでは満足できず、優勝争いを演じなければならないということになるのでしょう。
 そもそも、男子400m決勝レースに、アメリカの選手がひとりだけということ自体が、過去の歴史から見て違和感?があります。

 アメリカの男子400mに「何が起こっている」のでしょうか。

 アメリカ合衆国の陸上競技界では、男子400mのスプリンターが減っているのでしょうか。
 常に、世界の男子スプリント界を牽引してきたアメリカ短距離陣の選手層が薄くなっているとすれば、陸上競技全体にとっても良いことではありません。

 アメリカ男子400m陣の不振が、単なる「一時的な後退」であり、杞憂であることを祈るばかりです。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

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