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 JRAホームページの「日本馬海外遠征の記録」に関連する記事です。

 日本の競走馬による海外重賞挑戦の歴史において、1998年が特別な意味を持つことは、これまでも何度か書いてきました。

 それは、「1998年に日本馬が初めて海外『G1レース』に優勝」したことです。

 前年1997年のホクトベガの悲劇を乗り越えて、日本馬が大輪の花を咲かせてくれたのが、1998年だったのです。

 この年、海外遠征したのは、キョウトシチー、シーキングザパール、タイキシャトル、ロイヤルスズカ、ミッドナイトベットの5頭でした。
 2010年代以降と比べれば、とても少ないのですけれども、その戦いの内容はとても濃かったのです。

 まずシーキングザパールが8月9日、フランスのモーリスドゲスト賞(ドーヴィル競馬場)を勝ちました。鞍上は、武豊騎手でした。
 これが、日本馬による史上初の海外G1制覇でした。
 シーキングザパールの「初の日本馬海外G1制覇」という栄光は未来永劫変わらないのです。(本ブログ2014年11月11日付記事「[競馬コラム127] 日本馬初の欧州G1優勝 シーキングザパール号」、および、2019年4月30日付記事「KaZブログが選ぶ 平成のスポーツ10大ニュース」、をご参照ください)

 続いて翌週の8月16日、タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞G1(ドーヴィル競馬場)を制覇しました。鞍上は、岡部幸雄騎手でした。
 2週連続の、日本馬によるフランスG1制覇でした。(本ブログ2015年11月18日付記事「[競馬コラム156] マイルの鬼 タイキシャトル号」をご参照ください)

 そして12月13日、ミッドナイトベットが香港国際カップG2に優勝しています。
 鞍上は、河内洋騎手でした。
 同レースにおける、1995年のフジヤマケンザン以来2頭目の日本馬の優勝でした。

 1998年に海外遠征を行った5頭の日本馬の内3頭が重賞勝ちを収めたのです。
 内2頭は、日本競馬史にその名を刻むG1勝ちでした。

 残りの2頭はと言えば、キョウトシチーはドバイワールドカップG1で6着、ロイヤルスズカは香港国際ボウルG2で4着と、こちらも健闘しています。

 1998年は、日本馬の海外レース挑戦における「栄光の年」であったと感じます。

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 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はラグビーワールドカップ2011の準々決勝を観ました。

[2011年10月9日・ウエストバックスタジアム(ニュージーランド)]
オーストラリア11-9南アフリカ

 ワールドカップ2007の優勝チームであり、この大会でも、2007年優勝時のメンバーを多数揃えて優勝候補の一角を占めていた南アフリカ・スプリングボクス(当時世界ランキング2位)を、若手主体のオーストラリア・ワラビーズ(同3位)が破った、当時は「番狂わせ」と言われた一戦です。

 いつの時代も「勝負強く」「試合巧者」と呼ばれるスプリングボクスが、よもやの敗戦を喫したゲームを観て行きましょう。

[南アフリカチームの先発メンバー]
1. PRスティアンカンプ選手
2. HOジョン・スミット選手
3. PRヤニー・デュプレッシー選手
4. LOダニー・ロッソウ選手
5. LOマットフィールド選手
6. FLブルソー選手
7. FLバーガー選手
8. NO.8ピエール・スピース選手
9. SHデュプレア選手
10. SOモルネ・ステイン選手
11. WTBハバナ選手
12. CTBデヴィリアス選手
13. CTBジャック・フーリー選手
14. WTBピーターセン選手
15. FBパトリック・ランビー選手

[オーストラリアチーム先発メンバー]
1. PRケプ選手
2. HOモーア選手
3. PRアレグザンダー選手
4. LOヴィッカーマン選手
5. LOホーウィル選手
6. FLエルソム選手
7. FLポーコック選手
8. NO8ランディケ・サモ選手
9. SHウィル・ゲニア選手
10. SOクーパー選手
11. WTBイオアネ選手
12. CTBマッケイブ選手
13. CTBアシュリークーパー選手
14. WTBオコナー選手
15. FBビール選手

 南アチームを見ると、前回大会優勝メンバーが11名居る、豪華なラインナップです。
 SHのデュプレア選手や前回大会得点王のWTBハバナ選手など、世界屈指のプレーヤーがズラリと並びます。
 このチームの全プレーヤーのキャップ数を合計すると「836」であると報じられました。
 そして、ひとつのチームのキャップ数の世界最高記録であるとも報じられました。
 つまり、この時の南アフリカ代表チームが、ラグビー史上最多のキャップ数を誇るチーム、経験量ならばどんなナショナルチームにも負けないチームだったのです。
 凄いとしか言いようのないチームです。

 一方のワラビーズは、特にバックスに若い選手が並びました。
 ハーフ団はSHゲニア選手とSOクーパー選手の23歳コンビ、この大会ここまで5トライのアシュリークーパー選手、WTBオコナー選手、FBビール選手と、若手が並び、これをベテランのLOヴィッカーマン選手やNO.8サモ選手がどのように牽引して行くのかが、注目されたのです。

 ゲームはスプリングボクスペースで始まりました。

 オーストラリアゴール前に迫り、トライを狙います。余裕さえ感じられるほどの攻撃でした。歴戦の勇者の戦い振りなのでしょう。
 しかしオーストラリアチームはこの攻撃を良く凌ぎました。
 ワラビーズの「前に出るディフェンス」に後退を余儀なくされた南アフリカチームには、「おやっ」という空気が漂いました。

 オーストラリアチームが反撃に出て、南アフリカゴール前に迫ります。
 そして、南アのラインアウトからのゴール前の密集。
 そのラックからボールが飛び出し、これをオーストラリアチームが保持して左に回します。
 そしてLOホーウィル選手が左中間にトライ。
 前半11分、キャプテンの見事な突進でした。

 WTBジェームズ・オコナー選手(21歳)のコンバージョンキックは外れましたけれども、オーストラリアチームが5-0とリードしました。

 南アフリカチームとしては、「やるな」という感じであったと思いますし、自分達のプレーが出来ていないという意識も有ったことでしょう。

 さらに、オーストラリアチームの攻撃が続きました。
 FBビール選手の突進で、大きく前進し、反則を誘って、PGを決めたのです。オコナー選手のキックでした。
 オーストラリアが8-0とリードを広げたのです。

 ビール選手の突進は、グラウンドの「ど真ん中」を突いたものでしたが、このゲームでは、ワラビーズの若手による「縦の突進」が大きくエリアを獲得するシーンが観られました。
 ベテラン揃いのスプリングボクスとしては、「いずれ左右に振るであろう」と観て、対応するディフェンスを張っていたのでしょうが、若きワラビーズは「真っ直ぐに走り込んだ」のです。そのスピードとパワーが、「経験」を上回っていた印象です。

 南アフリカチームは反撃に出て、前半20分にオーストラリアゴール前に迫りました。
 波状攻撃が続き、ゴールまで1mを切った密集の中で、オーストラリアチームがターンオーバー、ピンチを凌ぎました。
 密集の中でのボールの動きを観ると、やや反則に近いかなとも思われましたが、レフェリーからは観えなかったのかもしれません。
 いずれにしても、ワラビーズの密集戦でのボール争奪戦におけるパワー・技術は素晴らしいものでした。この後も、何度もターンオーバーを示現しています。
 当然ながら、密集に集まるスピードが、僅かですがスプリングボクスを上回っていたのでしょう。

 時計が進み、前半も残りわずかとなりました。

 私は、この時期2010年前後は、ラグビー競技において「守備技術が攻撃技術を上回っていた時代」であると考えています。例えば、この大会の決勝は8-7でニュージーランドチームがフランスチームを破って優勝しています。
 つまり「8点差」は、とても大きな差なのです。
 南アフリカチームにとっては、「早いうちに得点を返し、差を詰めておかなければならない」状況でした。
 南アフリカのパワフルで巧みな攻撃が続き、オーストラリア陣内でのプレーが増えてきました。
 そして前半38分、SOモルネ・ステイン選手がPGを決めたのです。
 ゲームは8-3となりました。

 当時、世界屈指のキッカーであったモルネ・ステイン選手は、この前にもハーフウェイライン上からの50ヤードを超えるPGに挑んでいました。これは惜しくも右に外しましたけれども、その素晴らしいパフォーマンス、キックの安定感は「さすが」でした。

 ゲームは8-3で折り返しました。

 後半に入り、南アフリカが攻めオーストラリアが守るというシーンが多くなりました。
 世界チャンピオンとしては「負けられない」ゲームなのです。

 しかし、オーストラリアチームの守備はとても頑強でした。南アフリカチームにトライを許さないのです。
 オーストラリア陣内での、一進一退の攻防が続きました。

 そして後半14分、南アフリカはペナルティーを得、PGをモルネ・ステイン選手がしっかりと決めました。
 8-6となったのです。
 これでゲームは、全く分からなくなりました。

 再び、スプリンクボクスが攻めます。
 様々な技を駆使した多彩な攻め。
 これをワラビーズが懸命に凌ぐというプレーが続きました。

 そして、まさにこの時の南アフリカチームらしい得点が観られたのです。
 後半19分、オーストラリアゴール前でモルネ・ステイン選手がドロップゴールDGを決めたのです。
 高い弾道の「綺麗なDG」でした。
 名手モルネ・ステイン選手の面目躍如でしょう。

 ゲームは、南アフリカチームが9-8と逆転しました。トライが取れないならキックで、という、まさに「試合巧者」のプレーなのです。

 後半20分を過ぎても、南アフリカチームは攻め続けました。
 「攻撃は最大の防御」と言わんばかりの攻撃継続でしたが、一方で、選手達にやや疲労が見え始めました。ベテラン主体のチームの、ひとつの弱点でしょう。膝に両手をあてて、呼吸をしている選手が見え始めたのです。

 後半28分を過ぎて、ゴール前に釘付けと言う印象であったオーストラリアチームが、前進を始めました。
 ゲームは、南アフリカ陣内に移動しました。

 そして後半30分、オーストラリアボールのラインアウトにおいて、南アLOロッソウ選手が引き落としの反則、ワラビーズはペナルティーを得て、これをオコナー選手が慎重に蹴り込みました。
 40ヤード位はあったと思いますが、ゲームを左右する場面における、見事なパフォーマンスでした。

 「勝負強く」「試合巧者」であるスプリングボクスを再逆転したのです。
 若きワラビーズの素晴らしい戦いと言って良いでしょう。

 「負ける訳には行かない」南アフリカチームは、再び攻勢に出ます。
 これをオーストラリアチームが必死に守る、最後の10分間が始まりました。
 相変わらず、ボールへの集散は、オーストラリアが勝りました。
 ボールの争奪戦でもオーストラリアが勝っていたと思います。

 後半40分、通算80分の瞬間、ボールはハーフウェイライン上にありました。
 オーストラリアボールのスクラム、これを蹴り出して、ワラビーズの勝利が決まりました。
 若きワラビーズが、熟練のスプリングボクスを破ったのです。

 オーストラリア代表チームは、「縦への素早くパワフルな突進」とボールへの素早い集散、そして守っては「ゲインライン突破を許さない堅い守備」が印象的でした。
 ディフェンディングチャンピオンをノートライに抑え込んだのです。

 パワー、技術共に世界トップクラスの南アフリカチームを相手に、「ゲインを切らせない」というディフェンスは、丁度、ワールドカップ2019日本大会の準決勝、イングランドVSニュージーランド戦において、イングランドチームがオールブラックスを相手に魅せた「鉄壁の守備」と同じレベルのパフォーマンスに観えました。
 若きワラビーズにとっての、最高のディフェンスプレーだったのではないでしょうか。

 南アフリカ代表チームにとっては「まさか」の敗戦であったかもしれません。
 一度逆転していただけに、とても残念な敗戦でしょう。
 「勝つことに慣れたチーム」に、僅かな油断が有ったのかもしれません。
 ワールドカップ2011ニュージーランド大会で、オールブラックスとの雌雄を決するつもりであったろうスプリングボクスの「連覇への野望」が、準々決勝で潰えたのです。
 
 ハーフウェイラインから始まったゲームが、ハーフウェイラインでノーサイドを迎えたのです。

 素晴らしいゲームでした。

 スーパーボウル2020は、カンザスシティ・チーフスの50年振りの優勝で幕を閉じました。
 クオーターバックQBパトリック・マホームズ選手を中心としたチーフスの攻撃陣が、新たな伝説となったのです。

 さて、2016年から20年の過去5回のスーパーボウルを観ると、新進気鋭のQBが登場し、それぞれのゲームの中心的な役割を果たしていることが分かります。
 どんなプロスポーツにおいても、常に繰り返されている世代交代ですが、直近の5年間は、「新旧QBの対決」という色彩がとても強かったように感じます。

[2016年2月7日・第50回スーパーボウル]
デンバー・ブロンコス24-10カロライナ・パンサーズ
(QBペイトン・マニング選手) (QBキャム・ニュートン選手)

[2017年2月5日・第51回スーパーボウル]
ニューイングランド・ペイトリオッツ34-28アトランタ・ファルコンズ
(トム・ブレイディ選手)         (マット・ライアン選手)

[2018年2月4日・第52回スーパーボウル]
フィラデルフィア・イーグルス41-33ニューイングランド・ペイトリオッツ
(ニック・フォールズ選手)     (トム・ブレイディ選手)
(カーソン・ウェンツ選手)

[2019年2月3日・第53回スーパーボウル]
ニューイングランド・ペイトリオッツ13-3ロサンゼルス・ラムズ
(トム・ブレイディ選手) (ジャレッド・ゴフ選手)

[2020年2月2日・第54回スーパーボウル]
カンザスシティ・チーフス31-20サンフランシスコ49ers
(パトリック・マホームズ選手)  (ジミー・ガロポロ選手)

 こうして観てくると、改めてペイトリオッツの強さというか、スーパーボウルへの出場頻度の高さに驚かされますが、今回は「新進気鋭のQB」がテーマですので、話を戻します。

 スーパーボウル2016は、モバイルQBとして売出し中だったキャム・ニュートン選手が、「偉大なる」ペイトン・マニング選手に挑んだゲームでした。
 戦前の予想では、ニュートン選手率いるパンサーズか有利という見方が、多かったと思います。
 しかし、ブロンコスディフェンスがパンサーズを10点に抑え込むことに成功し、ペイトン・マニング選手率いるブロンコスオフェンスが24点を挙げて、快勝しました。

 カンファレンス・チャンピオンシップゲームまで、自由自在の攻めを魅せたQBキャム・ニュートン選手が、初めて「不発」に終わったのです。
 自信満々でスーパーボウルに臨んだニュートン選手にとっては、「苦い」経験となったことでしょう。

 スーパーボウル2017は、新旧対決という意味であれば象徴的なゲームとなりました。
 QBマット・ライアン選手率いるファルコンズは、前半を21-3とリードして折り返し、第3クオーターQ残り8分半の時点では、そのリードを28-3と広げました。この時点での「25点差」はとてつもなく大きなもので、この段階でファルコンズのオーナーは勝利を確信したと報じられています。

 しかし、ここからペイトリオッツの反撃、絶対に諦めないプレーが続きました。
 そして28-28の同点となって、ゲームはオーバータイムOT延長に入ったのです。
 こうなると「勢い」はペイトリオッツのもの。
 OT最初のドライブでタッチダウンを挙げて、勝利しました。
 信じられないような大逆転勝ちでした。

 所謂ハイパーオフェンスで相手チームを圧倒してきたファルコンズとQBマット・ライアン選手でしたが、「よもや」の逆転を喫したのです。

 21世紀のNFLをリードしてきたペイトリオッツと、その中心選手・大ベテランのQBトム・ブレイディ選手対新鋭マット・ライアン選手の対決は、ブレイディ選手に軍配が上がったのです。

 スーパーボウル2018は、過去5回のゲームの中ではやや毛色の違うものでしょう。
 イーグルスQBニック・フォールズ選手も既にベテランの域にありましたし、迎え撃ったのは、やはりペイトリオッツ・QBトム・ブレイディ選手でした。
 
 ゲームは、イーグルスが先行しペイトリオッツが追いかける展開となり、第3Qを終えて29-26でイーグルスがリードしていましたが、こうした展開はペイトリオッツの得意とすねもの(第4Qに逆転し僅差で勝利するパターン)でしたから、最終Qの戦いが注目されました。
 そして、イーグルスはペイトリオッツに逆転を許さず、逆に差を広げて押し切ったのです。
 見事な勝利でした。

 このゲームは、QBの新旧対決というよりは、ニック・フォールズ選手渾身の一戦、生涯最高のゲームと言うべきものでしょうが、イーグルスのスーパーボウル進出に向けては、主戦QBカーソン・ウェンツ選手の活躍を忘れてはならないでしょう。
 レギュラーシーズン終盤に大怪我(膝の怪我でしたが痛々しい限りの怪我でした)をしてしまい、ポストシーズンはニック・フォールズ選手をQBに立てて戦うこととなりましたが、ウェンツ選手は、その後のシーズンでもイーグルスの主戦QBに居るのです。
 カーソン・ウェンツ選手が、このシーズンの新進気鋭のQBと言っても良いのでしょう。

 スーパーボウル2019では、ラムズのQBジャレッド・ゴフ選手が、トム・ブレイディ選手に挑む、新旧対決でした。
 史上最少スコアのゲームとなって、ペイトリオッツが6度目の栄冠に輝きましたが、ゴフ選手はブレイディ選手と堂々と渡り合ったと感じます。

 そしてスーパーボウル2020は、パトリック・マホームズ選手とジミー・ガロポロ選手がQBを務めました。

 さて、2016年から20年のスーパーボウルには、NFLの次代を担うQBが次々と登場した印象が有ります。
 キャム・ニュートン選手は2011年のドラフト全体1位ですし、ジャレット・ゴフ選手は2016年ドラフト全体1位、カーソン・ウェンツ選手は同じ2016年のドラフト全体2位、パトリック・マホームズ選手はドラフト1巡目全体10位となっています。
 NFLデビュー前から、大いに期待される存在だったのです。
 そして、その期待に応えて活躍も魅せてくれています。

 とはいえ、その活躍を継続できているか、「安定した強さ」を示しているかという点になると、やや物足りない感じがします。(パトリック・マホームズ選手は来シーズン以降を観て行かなければなりませんが)
 ポストシーズンへの進出も、ままならないという状況なのです。

 21世紀のNFLは、ペイトン・マニング選手、トム・ブレイディ選手、ドリュー・ブリーズ選手、アーロン・ロジャース選手、ラッセル・ウィルソン選手、イーライ・マニング選手といった名QBのプレーに支えられてきました。
 これらの名手の中には、まだ現役の方も居ますが、さすがに全盛期は過ぎた感が有ります。

 こうした名手達の後継者として、2016年から20年のスーパーボウルで活躍した「新進気鋭のQB」の皆さんには、「フィールドを常に彩る存在」として、大活躍を続けていただきたいのです。

 4月5日、阪神競馬場芝2,000mコースで行われる、第64回大阪杯競走G1の注目馬検討です。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、無観客レースが続いていて残念至極ですけれども、良いメンバーが揃いました。

 大阪杯というと「力の勝負」という印象があります。
 残り200mからの競り合いは、いつも見所満点。
 一気に末脚を伸ばす馬がいれば、一気に失速する馬もいる、という「絵」がよく観られます。
 4角までの走り、いかに余力を残すかがポイントとなるレースなのでしょう。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、8枠12番のクロノジェネシス。
 前走京都記念G2は快勝でした。カレンブーケドールやステイフーリッシュを寄せ付けないレース振りには、桜花賞・オークス3着、秋華賞優勝から、さらに成長した雰囲気があります。

 第二の注目馬は、6枠8番のダノンキングリー。
 前走中山記念G2は快勝でした。皐月賞3着、日本ダービー2着から、一歩成長した、「本格化」を感じさせます。

 第三の注目馬は、4枠4番のワグネリアン。
 第三の注目馬は、迷いに迷いました。
 有馬記念馬ブラストワンピース、エリザベス女王杯馬ラッキーライラックとワグネリアンで迷ったのです。
 日本ダービー2018の優勝から、いまひとつ勝ち切れないレースを続けてきましたが、そろそろ復活の時ではないかと思います。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 ゴール前、一気に抜け出してくるのは、どの馬なのでしょう。

 4月2日、ウインブルドン大会2020の中止が発表されました。

 一時は「秋への延期」も模索されていたようですが、秋には秋の大会が有りますので、「中止」となったのでしょう。
 1945年以来75年振りのことだと報じられています。
 この点について言えば、新型コロナウイルス禍のインパクトは、第2次世界大戦以来のものということになります。

 また、欧州サッカー連盟からは、2019年~20年のチャンピオンズリーグCLとヨーロッパリーグELの「無期限延期」が発表されました。
 終息の目途が立たないどころか、拡大一途の新型コロナウイルス禍ですから、「更なる通知」の目途が立たないのも、やむを得ないところでしょう。

 そして、MLBニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が、帰国したことも報じられました。
 フロリダ州タンパのキャンプ地より、日本の方がより安全との判断であると伝えられています。

 数々のメジャースポーツが追い込まれるという、何ともやりきれない状況ですが、2020年の春から夏に向けて、これだけの大騒動が有ったことを、私達はいつまでも忘れないことでしょう。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はリーガエスパニョーラ2004~5年シーズン第31節、レアル・マドリード対FCバルセロナ、クラシコの一戦を観ました。

[2005年4月10日・サンティアゴ・ベルナベウ]
レアル・マドリード4-2 FCバルセロナ

[レアル・マドリードの先発メンバー]
1. GKカシージャス選手
2. DFサルガド選手
3. ロベルト・カルロス選手
4. エルゲラ選手
5. パボン選手
6. MFジダン選手
7. グラヴェセン選手
8. ベッカム選手
9. FWラウール選手
10. ロナウド選手
11. オーウェン選手

[FCバルセロナの先発メンバー]
1. GKビクトル・バルデス選手
2. DFベレッチ選手
3. プジョル選手
4. ファン・ブロンクホルスト選手
5. オレゲール選手
6. MFマルケス選手
7. シャビ選手
8. イニエスタ選手
9. ジュリ選手
10. エトー選手
11. ロナウジーニョ選手

 1902年5月13日に第1戦が行われ、既に240戦を越える試合を重ねているエル・クラシコは、スペイン・リーガエスバニョーラを代表するカードであり、常に世界中のサッカーファンから注目を集めるゲームです。

 私の録画ライブラリーの中から2004~05年シーズンの第2戦を観ました。
 久しぶりに観ましたが、記憶通りの「華やかな映像」でした。

 20世紀の半ば以降、レアルはいつも豪華なメンバーを揃えていますが、この頃は特に世界中のスーパープレーヤーで固めていた感が有り、「銀河系軍団」とも称されていました。

 先発メンバーを観ても、FWロナウド選手、MFジネディーヌ・ジダン選手やDFロベルト・カルロス選手、MFデビッド・ベッカム選手、GKイケル・カシージャス選手とスターが並びます。そしてベンチには、ルイス・フィーゴ選手も控えているのです。
 もちろん、他のメンバーも十分に世界的なプレーヤーなのですが・・・。

 対するバルセロナも、FWにサミュエル・エトー選手、ロナウジーニョ選手が並んでいますし、売出し中と言うか若手だったシャビ選手とイニエスタ選手という、この後、バルセロナやスペイン代表チームの中核を占めるプレーヤーも居るのです。
 デコ選手が欠場していたことが惜しまれますが、堂々たる布陣でしょう。

 このシーズンのエル・クラシコ第1戦は、バルサが3-0で完勝していましたから、レアルとしては「負けられない試合」でした。

 ホーム・ベルナベウのファンがまず大歓声を挙げたのは、前半6分でした。
 右サイド・ロナウド選手からのセンタリングを、ジダン選手がヘッドで押し込みました。
 ヘディングのジダン選手が、そのままバルセロナゴールポストに頭から激突したことでも知られているゴールですが、ベッカム選手のクロスの高精度が印象的でした。

 そして前半19分、ロナウド選手がヘディングで叩き込み、レアルは2-0とリードを広げました。
 これは、やはり右サイドからのベッカム選手のフリーキックFKをキッチリと決めたものです。このゲームのバルサは、ゴール前向かって右サイドの守備が、少し弱かったのかもしれません。

 なかなかチャンスを作れなかったバルサですが、前半29分、右サイドでエトー選手が粘り、ペナルティエリア付近に居たシャビ選手に当てて、突進。そのままレアル守備陣を一気に突破してシュート。1点を返しました。
 ロベカル選手もついていけなかった、エトー選手のスピード、素晴らしいスピードが際立ったプレーでした。

 この頃のエトー選手は、もちろんバルセロナの「得点エンジン」でしたが、スピードに乗ってしまえば誰にも止められない感じでしたので、レアルサポーターにとっては「恐怖の存在」だったことでしょう。
 このゲームでも、エトー選手がボールを持ち走り出すと、9万人を超えていたであろう大観衆が「固唾を飲む」のがよく分かる=突然スタジアムが静かになる、程でした。

 ゲームは2-1となって、一段と激しさを増しました。
 前半のインジュリータイムに入り、このまま折り返すかに観えた46分。
 右サイドからロナウド選手がドリブルで持ち込みベッカム選手へ、ベッカム選手から中央のジダン選手にロングパス、ジダン選手がロベルト・カルロス選手の上りを待ってパス、ロベカル選手がドリブルで駆け上がり、ペナルティエリア内に進出してセンタリング、これをラウール選手がゴール前でシュート、GKビクトル・バルデス選手が手に当てるも、シュートの威力が勝り、ボールはゴール左サイドに吸い込まれました。
 ピッチを広く使った、レアルの流れるような得点シーンでした。

 レアルが3-1とリードして前半が終わりました。

 反撃したいバルサが攻勢に出た後半ですが、レアルも一歩も引かず、一進一退の攻防が続きました。世界最高レベル、見応え十分な攻防でした。

 そしてバルサが前掛かりになった後半19分、センターライン付近でボールを奪ったベッカム選手から前方にロングパス。
 このパスが、走り込んでいたオーウェン選手にドンピシャ。
 オーウェン選手がこれをゴール正面から、しっかりと決めました。

 ベッカム選手からオーウェン選手という、「イングランドのホットライン」が見事に機能したプレーでした。

 4-1と大きなリードを奪って、ベルナベウは「歓喜の嵐」となりました。
 レアルサポーターにとっての「極上の時間」が流れます。

 とはいえ、残り時間は25分以上有るのです。
 両チームの力とエル・クラシコの歴史を考え合わせれば、何が起こるか分からないと考えるのが自然でしょう。

 そして後半27分、レアルゴール向かって正面やや右サイドからバルサのFK。
 蹴るのはロナウジーニョ。
 このシュートは、レアルの「壁の割れ目」を突いて、レアルゴール右上に突き刺さりました。あのGKカシージャス選手が一歩も動けない、素晴らしいFK。
 やはり、ゲームはまだまだ分からないのです。

 ところが後半31分、エトー選手が交替しました。筋肉系のトラブルでしょう。
 2点目を挙げて、バルサにとっては「さあ、これから」という瞬間の退場でした。

 エトー選手がピッチを去ったことは、バルセロナにとっては痛かった。
 この頃のバルサの中核プレーヤーは、エトー選手とロナウジーニョ選手であったと思います。
 事実この試合でもゴールを挙げているのは、その両輪なのです。
 その内の1枚を失ったのです。

 ゲームは、これで決まったと感じます。

 「恐怖のエトー」が去り、レアルサポーターは安心してゲームを楽しむことが出来るようになったのです。

 後半37分にはフィーゴ選手がピッチに立ちました。オーウェン選手との交替でした。
 湧き上がる大歓声!
 もはや、ここからはレアルサポーターの「お祭り」でしょう。

 フィーゴ選手とロナウド選手の豪華なボール回し、一挙手一投足に大歓声が上がり続けたのです。

 とはいえ、バルサも全く諦めた様子は無く、シャビ選手やロナウジーニョ選手が攻め続けましたが、これ以上得点は生まれませんでした。

 このエル・クラシコはレアル・マドリードの快勝でした。
 このシーズンのもう一試合、カンプノウでのクラシコはFCバルセロナの快勝でしたから、このシーズンは「互角」のクラシコだったのです。

 このゲームで最も印象的だったのは、「全選手の必死のプレー振り」でした。

 ワールドカップ優勝も経験しているプレーヤー達、世界のスーパースターである選手達も含めて、全てのプレーヤーが「血眼」になってボールを追い続けるのです。
 手抜きプレーなど一切ありません。

 エル・クラシコの舞台において、少しでも「力を出し惜しみ」するようなプレーヤーは、レアル・マドリード、FCバルセロナ、のメンバーになる資格は無い、ということなのでしょう。

 3月30日、志村けん氏の逝去が報じられました。70歳でした。

 新型コロナウイルスに感染し、3月21日から入院していたとは報じられていましたが、「まさか」という感じでした。
 これ程に早く、人の命を奪うことが有る、新型コロナウイルス肺炎の恐ろしさを感じます。
 今回の「禍」において、最も衝撃的なニュースのひとつでした。

 2012年12月の18代目・中村勘三郎氏の逝去の際にも感じたことですが、他の病気の手術等で、免疫力が低下している時の「肺炎」の怖さです。
 勘三郎氏は57歳でしたが、50歳を過ぎたら、「肺炎」には十分に注意しなければならないということなのでしょう。

 さて、志村けん氏ですが、東京オリンピック2020の聖火リレー、出身地である東村山市の聖火ランナーに選ばれていて、本年初には、ご本人がそれを本当に楽しみにしていたとも報じられました。

 東村山音頭を引き合いに出すまでも無く、志村氏が東村山出身であることは広く知られていましたし、東村山市出身者として屈指の有名人でしょう。
 その志村氏が、古希を迎えて、聖火ランナーとして出身地を走るシーンは、とても「絵になる」ものであったことでしょう。
 古い言葉で恐縮ですが、とても自然な形で「故郷に錦を飾る」ものであったかもしれません。
 「周囲を明るく笑顔にする」存在としての志村けん氏のパワーは、聖火リレーにおけるひとつの「華」であったはずなのです。

 東京オリンピック2020は2021年に延期となりましたが、志村けん氏の聖火リレーを観ることは出来なくなりました。

 痛恨の極みです。

 志村けん氏の、ご冥福をお祈り申し上げます。

 JRAホームページの「日本馬海外遠征の記録」の2014年の欄、牡6歳のアドマイヤラクティの1行目は、オーストラリア・コーフィールドカップG1・1着とあります。
 見事な豪州G1レースの優勝です。
 そして2行目は、オーストラリア・メルボルンカップG1・22着とあります。
 このレースは最下位でした。
 このレースの直後に「悲劇」が起こったのです。

 10月18日、芝2400mのコーフィールドカップ快勝で勢いに乗ったアドマイヤラクティは、11月4日の芝3200mのメルボルンカップに挑みました。
 長距離に強く、日本国内で唯一の重賞勝ちが2013年のダイヤモンドステークスG3(芝3400m)でしたから、距離が伸びて良いと観られていましたし、前走G1の勝利で、このレースでは一番人気に支持されました。
 しかし、レースでは4角から後退し、最下位の22着に敗れてしまいました。
 意外な負け方でした。

 レース後、滞在している厩舎に帰ったアドマイヤラクティは馬房内で倒れ、そのまま死亡しました。検死の結果、心臓麻痺でした。
 
 レース中に発症していたのではないかと観ています。
 心臓に故障を起こしたアドマイヤラクティは、懸命にゴールまで走ったのでしょう。
 その頑張りには、今でも涙が零れます。

 ハーツクライの仔として2010年にデビューしたアドマイヤラクティは、2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げましたが、その後も500万下や特別レースで健闘するものの、なかなか重賞には縁が有りませんでした。
 重賞初出走も、4歳12月の金鯱賞G2でした。このレースで3着に入着し、その後は重賞レースの常連となりました。
 2013年には前述のダイヤモンドステークスG3の優勝を始め、G2アメリカジョッキークラブカップ3着、天皇賞(春)4着、ジャパンカップ4着、G2アルゼンチン共和国杯と阪神大章典が2着と健闘しましたが、やはり主役にはなり切れなかったと感じます。

 そのアドマイヤラクティが、初めてG1を制したのがオーストラリアでした。
 オーストラリアの競馬が合っていたことは間違いないのでしょう。

 アドマイヤラクティは、大好きであったろう「豪州」の地に埋葬されています。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はユーロ(欧州選手権大会)2000の準々決勝を観ました。

[2000年6月25日・フェイエノールトスタディオン(ロッテルダム・オランダ) ]
オランダ6-1ユーゴスラビア

 このゲームは、パトリック・クライファート選手のゲームでした。
 前半24分、38分、後半9分にゴールを挙げて、ハットトリックを達成しています。
 後半6分のユーゴスラビアチームのオウンゴールも、ゴール右サイドに迫ったクライファート選手と競り合った結果のゴールでした。このオウンゴールが生れた瞬間、そしてしばらくの間は、クライファート選手のゴールとされていましたから、交替を告げられベンチに戻る時には「4ゴール」を挙げた選手として、大観衆から大歓声を受けました。
 信じられないような活躍だったのです。

 このゲームのクライファート選手のプレーは、相手ゴール目前でパスを受け、それをキッチリと叩き込むものでした。
 トラップやシュートの技術の高さが存分に披露されました。
 「オランダトリオ」の流れを汲む、身長188cmと大柄なプレーヤーが、ゴール前で極めて繊細で多様なテクニックを披露するのですから、驚かされるばかりです。

 ユーロ2000準々決勝は、クライファート選手の代表キャリアにおいても「ベストゲーム」であったと思います。

[オランダチームの先発メンバー]
1. GKファン・デル・サール選手
2. スタム選手
3. フランク・デ・ブール選手
4. ゼンデン選手
5. コクー選手
6. ダーヴィッツ選手
7. クライファート選手
8. ベルカンプ選手
9. オフェルマルス選手
10. ボスフェルト選手
11. ニューマン選手

[ユーゴスラビアチーム先発メンバー]
1. GKクラリ選手
2. ジュキッチ選手
3. ユーゴヴィッチ選手
4. ミヤトヴィッチ選手
5. ミロシェヴィッチ選手
6. ストイコヴィッチ選手
7. ミハイロヴィッチ選手
8. コムリエノヴィッチ選手
9. サヴェリッチ選手
10. ゴヴェダリツァ選手
11. ドゥルロヴィッチ選手

 このゲームのオランダチームのメンバーは、さすがに強力です。
 フォワードFWの「アイスマン」デニス・ベルカンプ選手は、長くオランダを代表する点取り屋でしたし、112キャップを誇るディフェンダーDFフランク・デ・ブール選手、「ボロ」と呼ばれたミッドフィールダーMFボウデヴァイン・ゼンデン選手、FWマルク・オーフェルマウス選手、何でもできるフィリップ・コクー選手、MFエドガー・ダーヴィッツ選手と並んだ布陣は、強力そのものです。
 さらにベンチには、あのクラレンス・セードルフ選手も居たのです。(セードルフ選手が何故出場しなかったのかは、今でも不思議です。チーム創りにおいて、素晴らしいプレーヤーが「多過ぎた」のかもしれません)

 「オランダトリオ」の時の代表チームを「第2期黄金時代」と呼びましたが、この大会のオランダ代表チームは「第3期黄金時代」と呼んでも良いレベルなのでしょう。

 一方のユーゴスラビア代表チームも、キャプテンのストイコヴィッチ選手を中心として、高い攻撃力を誇るチームでした。
 しかし、このゲームでは、「絶好調のクライファート選手のプレー」の前に、残念ながら沈黙してしまいました。

 ところが、これ程に強かったオランダチームが、続く準決勝で、イタリアチームに惜敗してしまうのですから、さすがに欧州選手権大会なのです。(準決勝:イタリア0-0オランダ PK戦3-1でイタリア勝利)

 そして、そのイタリア代表チームも決勝で、延長の末フランス代表チームに敗れてしまいます。(決勝:フランス2-1イタリア)

 ユーロ2000のベスト4進出チームは、いずれも、どこが優勝してもおかしくない素晴らしいナショナルチームだったのです。

 フランス代表チームに準決勝で敗れたポルトガル代表チーム(やはり延長で、フランス2-1ポルトガル)も、所謂「黄金世代」を核とした、ポルトガルサッカー史上最強チームのひとつでした。
 メンバーを観ると、フィーゴ選手、パウロ・ソウザ選手、ルイ・コスタ選手、フェルナンド・コウト選手、ジョアン・ピント選手(以上、黄金世代)、ヌーノ・ゴメス選手、セルジオ・コンセイソン選手、ルイ・ジョルジ選手と並びます。
 凄いメンバーです。

 では、オランダ代表チームを破ったイタリア代表チームはというと、マルディーニ選手、アルベルティーニ選手、カンナヴァーロ選手、コンテ選手、インザーギ選手、デル・ピエロ選手、トッティ選手、デルヴェッキオ選手と並びます。
 何と華麗で美しいチームでしょうか。

 そしてフランス代表チームは、ワールドカップ1998を制覇した栄光のチームを主体としているのです。
 メンバーを観ると、ジダン選手、アンリ選手、トレゼゲ選手、ヴィルトール選手、ジョルカエフ選手、デュガリー選手、デシャン選手、ヴィエラ選手、デサイー選手、ブラン選手といった面々が顔を揃えます。
 常にフランスチームの特徴のひとつである「堅守」、1998年ワールドカップ制覇の礎となった「堅守」を支えるDF・MFのスーパープレーヤーがずらりと並び、そこに攻撃の中心であるジダン選手や、若くて売出し中であったアンリ選手が加わっているという、バランスの良いチームです。

 こうした好チームが揃っていたのですから、ユーロ2000が世界中のサッカーファンに、多数の素晴らしいゲームを提供してくれたのは、当然のことです。

 サッカーと言うのは不思議なスポーツで、「同時期にとても強いチームが複数登場する」ものなのですが、ユーロ2000においても、その超常現象が現れたということなのでしょう。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はユーロ(欧州選手権大会)1992の決勝を観ました。

[1992年6月26日・ウッレヴィスタディオン(スウェーデン)]
デンマーク2-0ドイツ

 1990年のワールドカップを制覇した西ドイツチームのメンバーを主体とした、東西ドイツ統合後初の「ドイツチーム」が本命と言われたユーロですが、デンマークチームが「よもや?」の強さを魅せて快勝したゲームです。
 初優勝でした。

 国連からの指摘によって大会直前(開幕2週間前)にユーゴスラビアチームが出場できなくなり、代わりに出場したのがデンマークチームでした。
 ほぼ準備期間無しでの出場でしたから、当然ながら活躍は期待されなかったのですが、あれよあれよという間に決勝トーナメントに進出し、準決勝でオランダ、決勝でドイツを倒して優勝したのですから、間違いなく、とても強いチームだったのです。

[ドイツチームの先発メンバー]
1. GKイルグナー選手
2. ロイター選手
3. ブレーメ選手
4. コーラー選手
5. ブッフバルト選手
6. ヘスラー選手
7. リードレ選手
8. ヘルマー選手
9. ザマー選手
10. エッフェンベルク選手
11. クリンスマン選手

[デンマークチームの先発メンバー]
1. GKシュマイケル選手
2. シヴェルク選手
3. ケント・ニールセン選手
4. オルセン選手
5. クリストフテ選手
6. イェンセン選手
7. ポウルセン選手
8. ブライアン・ラウドルップ選手
9. ピーフニク選手
10. ラーセン選手
11. ヴィルフォート選手

 ドイツチームは頭書の通り、1990年ワールドカップ優勝メンバーが主体でした。フェラー選手とリトバルスキー選手が抜けている位でしょうか。当然ながら完成度の高いチームですし、大会前には、ドイツサッカーの「皇帝」フランツ・ベッケンバウアー氏から「東西ドイツが統一されひとつのチームが出来たのだから、そのチームは『無敵』の筈」とのコメントも有りましたので、ドイツチームには優勝に向けてのプレッシャーもあったかもしれません。
 クリンスマン選手が居て、ザマー選手が居て、ヘルマー選手が居て、日本でもプレーしたブッフバルト選手も居るという、豪華なメンバーです。

 一方のデンマークチームでは、やはりゴールキーパーGKのシュマイケル選手が有名でしょう。1990年代には世界NO.1GKと称されました。この大会、そしてこの試合でも、素晴らしいプレーを披露しています。

 さて、久し振りに録画を観戦した感想です。

① 運動量が多い。
 1970年代、80年代の大試合と比べて、両チームともにプレーヤーの動きが速く、展開も極めてスピーディです。中盤ではドリブルによる持ち上がりが多く、ゴール前では素早いパスからチャンスメイクしています。
  記憶していた印象より、はるかにスピーディなゲームでした。

② GKのレベルが高い。
 デンマークのシュマイケル選手は勿論として、ドイツのイルグナー選手も素晴らしいプレーを魅せています。
 「強いチームには良いGKが居る」ことを、改めて感じました。

③ デンマークチームの素早い攻撃
 戦前の予想通り、ゲームはドイツチームが優勢に進めましたけれども、時折見せるデンマークチームの攻撃は秀逸でした。

 前半18分のイェンセン選手の先制シュート・ゴールは、低く出たボールがホップするように上昇軌道を走り、ドイツゴールに突き刺さりました。凄い威力です。
 そして、同点に向けて前掛かりになったドイツチームに対して、後半33分カウンター攻撃から決めた、ヴィルフォルト選手のゴールも、コース威力とも十分なものでした。
 2点とも、さすがのGKイルグナー選手を持ってしても、どうすることも出来ないハイレベルなシュートだったのです。

 観客席では、「神様」ペレ氏と「皇帝」ベッケンバウアー氏が会話をしている姿が映し出されました。
 お二人とも「とてつもないオーラ」を具備していますから、「絵になるシーン」であることは、言うまでも有りません。

 地元スウェーデンのサッカーファンの多くは、やはり馴染み深い隣国・デンマークチームを応援していました。
 デンマークがリードし、試合時間が残り少なくなるとスタジアムの歓声は一層大きくなり、試合終了のホイッスルが鳴り響くと、お祭りの様な騒ぎとなりました。
 ドイツにとっては、完全なアウェイゲームだったのです。(常に世界のサッカーをリードしているドイツチームは、どの大会でもアウェイになることが多いのです。「強いが故の現象」なのでしょう)

 社会民主主義と呼ばれた政体を取っていて、所謂本物のプロスポーツプレーヤーが居なかったデンマークが、全ての競技を通じて、初めて「世界に力を示した」、ユーロ1992制覇だったのかもしれません。

プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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