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 「この一球は絶対無二の一球なり されば心身を挙げて一打すべし・・・」で始まる有名な「庭球訓」は、第一回全日本テニス選手権大会男子シングルス優勝者、福田雅之助氏の言葉です。

 私がこの言葉に初めて接したのは学生時代。少女漫画「エースをねらえ」でした。
 「エースをねらえ」は、1978年から1980年にかけて「週刊マーガレット」に連載された鈴木鈴美香女史の漫画です。テニスを始めた少女が、学生生活の中で様々な人に出会い、テニスが次第に強くなり、国際大会に挑戦するまでになる、という物語です。
 もちろん、男子の私は少年マガジンや少年サンデーは読んでも、少女漫画を読む趣味はありませんでしたが、友人から「これは面白いから」と紹介され、嵌りました。

 話が完結してから、単行本も宗方コーチ編の10冊を購入し、精読?しました。登場人物も多彩で、主人公の岡ひろみ、竜崎麗香=お蝶夫人(学生の綽名としてはスゴイ)、藤堂先輩、尾崎先輩、緑川蘭子=加賀のお蘭、ゴエモンと書ききれませんが、最近化粧品か何かのCMで「お蝶夫人」そっくりのキャラクターが画面に登場してビックリ。
 「巻き毛」といえば、今でもお蝶夫人なんだなぁと妙に感心しました。

 話を戻します。

 その「エースをねらえ」に何回かこの福田雅之助の庭球訓が出てくるのです。とても素晴らしい言葉だと思います。また、テニスに限らず、様々な分野に応用が効く言葉だとも思います。

 福田雅之助は、1897年生まれ。早稲田大学庭球部が軟式テニスに拘り、硬式テニス(ローンテニス)の導入が遅れたために、ローンテニスを始めたのは早稲田商学部を卒業後の24歳の時(1921年)でした。
 先述のように、1922年に開催された第一回全日本テニス選手権大会男子シングルスに優勝し、その後デビス・カップやウィンブルドン選手権、全米選手権に出場するなど、日本のテニス創成期に活躍しました。

 その福田が1941年に、早稲田大学庭球部の後輩の一人に送ったのが「庭球訓」です。つまり、「庭球訓」は福田が現役バリバリの時に創られたものではなく、指導的立場になってから出来たものということになります。

 日本庭球協会が、国際ローンテニス連盟に加盟したのが1924年ですから、この時代は本当に日本テニスの創成期ということになります。

 世界から色々な技術を学び、一歩一歩階段を上がるように日本テニスのレベルが上がって行った・・・・ように考えがちですが、実際は全く異なり、その時代の日本は既に世界トップレベルの国でした。

 以下、代表的な3人の日本人プレーヤーです。

・熊谷 一弥 1890年生まれ。1918年の全米選手権男子シングルス・ベスト4、1920年アントワープ・オリンピック男子シングルス・ダブルスともに銀メダル。(全てのスポーツ競技において、日本最初のオリンピックのメダル獲得) 世界ランキング5位。

・清水 善三 1891年生まれ。1920年のウィンブルドン選手権チャレンジ・ラウンド決勝進出。(この頃のウィンブルドンは、現在の将棋・囲碁のタイトル戦のように挑戦者を決めて、前年チャンピオンに挑戦する形式。その挑戦者決定戦に進出したもの)
 この決勝戦で、当時の世界NO.1プレーヤー、アメリカのビル・チルデンと対戦、4-6、4-6、11-13で惜敗。翌1921年のウィンブルドンでも、チャレンジ・ラウンド準決勝に進みましたが敗退。世界ランキング4位。

・佐藤 次郎 1908年生まれ。清水善三と同郷の群馬県出身で、清水の指導を受けました。1932年全豪選手権男子シングルス・ベスト4、混合ダブルス準優勝。1931年と1933年の全仏選手権の男子シングルス・ベスト4。1932年と1933年のウィンブルドン選手権の男子シングルス・ベスト4、1933年は混合ダブルス準優勝。世界ランキング3位。

 太平洋戦争前の日本テニス、特に男子テニスプレーヤーの実績は輝かしいものです。硬式テニス(ローンテニス)が導入されてから間もない内に、我らが代表選手は、世界中のナショナル・オープン大会やデビス・カップで大活躍していたのです。

 近時は、沢松和子のウィンブルドン選手権女子ダブルス優勝や、伊達公子の世界ランキング4位など、女子選手の活躍が目立ちますが、男子選手は前述の選手たちに比べて、やや寂しい感じがします。
 
 日本人男子テニスプレーヤーは、ジョン・ニューカムやロッド・レーバー、ジミー・コナーズやビヨルン・ボルグ、ピート・サンプラスやロジャー・フェデラーには歯が立たない。ひょっとするとローンテニスには向いていないのではないか、などという意見を耳にすることがありますが、そんなことは決してありません。

 先達は、世界のトップで戦っていたのです。船で数週間かけて渡航し、イギリス、フランス、アメリカ、オーストラリア等の大会に参加していたことを考えれば、現在より厳しい条件下での戦いでしょう。体格差も、現代より大きかったのではないでしょうか。

 前述の熊谷一弥は、日本人として初めて出場した全米選手権への遠征の際に「アメリカに居た3か月間で約60人とシングルスをプレーしたが、クレーコートでは1セットも落とさなかった。芝のコートは勝手が違い4人に負けた。特にサーブが強いのに閉口した。」と語っていたそうです。熊谷の気概が溢れているコメントです。

 清水善三は、ウィンブルドン選手権のチルデン戦で、チルデンが滑って転倒した際に「やわらかいボール」を返し、チルデンが体勢を立て直し、返球がエースになった時、観衆は総立ちで拍手を送ったそうです。このゲームはチルデンが勝ちましたが、試合後二人がコートを去った後も、拍手が鳴りやまなかったとの逸話も残っています。
 今から90年前、既に日本人プレーヤーは「逸話になる程の活躍」をしていたのです。素晴らしいことだと思います。

 福田雅之助の庭球訓の全文です。
「この一球は絶対無二の一球なり  
 されば心身を挙げて一打すべし  
 この一球一打に技を磨き体力を鍛え  
 精神力を養うべきなり  
 この一打に今の自己を発揮すべし  
 これを庭球する心という」
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