サッカーは、全てのスポーツの中でも最もメジャーなスポーツのひとつです。
そのサッカー競技において、「史上最強チームは?」という命題は、常に世界中のサッカーファンの興味の的であり、争点ともなるテーマだと思います。当然ながら「結論の出難いテーマ」であり、「永遠のテーマ」であろうとも思います。
今回の記事は、このテーマを採り上げます。
諸点の比較から、1970年メキシコ・ワールドカップのブラジル代表チームが「世界サッカー史上最強のチーム」だと考えます。
この大会の決勝戦でブラジルチームは4-1でイタリアチームを下して、3度目のワールドカップ制覇を成し遂げました。
この決勝戦を戦う前の段階で、イタリアとブラジルは「最多優勝回数2回」で並んでいました。世界のサッカーを牽引する2チームが激突するゲームとなったのです。
そして、「ワールドカップを3度制覇した国」に、初代のワールドカップ=ジュールリメ杯が贈呈される、つまり取りきりとなるという決め事が有りましたから、この決勝戦で勝ったチームがジュールリメ杯を手にするという、注目の一戦となったのです。
このゲームにおける、ブラジル代表チームの先発メンバーは以下の通りです。
・GK フェリックス
・DF ブリト
ピアッツァ
カルロス・アルベルト(右サイドバック)
エベラルド(左サイドバック)
・MF ジェルソン
クロドアルド
・FW ジャイルジーニョ
トスタン
ペレ
リベリーノ
このチームが「世界サッカー史上最強チーム」であろうと思います。(ポジションに付いては、極めて流動的に動き回り、ポジションチェンジを繰り返すチームでしたから確定とは言えないかもしれません。)
このチームを「最強」と考える理由は、以下の通りです。
1. ペレ選手の存在
プレーヤーとして1200点以上の得点(サッカー一流国のプロプレーヤーの記録として圧倒的な史上最多)を挙げているペレは、「サッカーの王様」と呼ばれていますが、サッカー史上最高のプレーヤーであることに異論を挟む人は少ないでしょう。
ワールドカップにも「4度出場し3度優勝」しています。つまり、ブラジルがジュールリメ杯を取り切る前提となった「3度の優勝」は、いずれもペレが居たチームの優勝なのです。
17歳の時スウェーデン・ワールドカップに初出場し、優勝して以降、ブラジルチームの中心プレーヤーとして活躍してきたペレが29歳という円熟期を迎えた大会が、1970年のメキシコ大会だったのです。
「円熟期を迎えた王様」が大黒柱となっているチームは、それは強いでしょう。
ちなみに、1966年ワールドカップ・イングランド大会で、地元イングランドを初優勝に導いた「イングランドの英雄」ボビー・チャールトン選手の「時々、サッカーというスポーツは彼(ペレ)のために存在しているのではないかと思うことがある。」というコメントが、ペレ選手のサッカープレーヤーとしてのスバ抜けた力量を示しています。(もちろん、ボビー・チャールトン選手も世界サッカー史上屈指のプレーヤーであると評価されています)
2. 他国(メキシコ)開催のワールドカップで優勝していること
他の競技でも同様ですが、サッカーという競技は「特にホームチームが強い」競技です。
従って、例えばUEFA-CLやACLなどの大会や、各国のリーグ戦では、不公平が無い様に「同じカードがホーム・アンド・アウェイで1試合ずつ・計2試合」行われるのです。
ワールドカップにおいても同様です。地元開催でしか優勝したことが無いチームが存在するのも、止むを得ないことです。
前述の1966年イングランド大会のイングランドチームや1998年のフランスチームが相当します。
また、「初優勝が地元」という意味では、1978年のアルゼンチンチームが挙げられるでしょう。
こうした「地元大会で優勝したチーム」は、史上最強チームの選定からは外すのが妥当だと思います。地元においては「実力以上の力が発揮されることがある」のが、サッカー競技なのです。
3. 素晴らしい攻撃陣
上記のチームのMFからFWのプレーヤーは「眩いばかり」のメンバーです。
MFのジェルソン選手は、この大会のブラジルチームのゲームメーカーでした。その左足から繰り出される正確なパスは、当時世界最高と称されるものでした。
当然ながらシュート力も十分で、決勝のイタリア戦でもチームの2点目をゴール左隅に突き刺しています。
FWは誰から挙げるか困ってしまいますが、まずはトスタン選手。
その右足から繰り出される自在なシュートを背景とした得点力では、当時「ペレと互角」と呼ばれたスーパースターでした。
ちなみに「ペレ」や「トスタン」というのは、本名では無く「あだ名」なのですが、サッカー大国ブラジルにおいて「最も初期にあだ名で呼ばれるようになったプレーヤー」のひとりでもあります。
続いてはFWジャイルジーニョ選手。
この大会で6ゲーム連続・7得点を記録しました。この決勝戦でもチームの3点目を挙げています。
ペレとジェルソンの2人がメイクするゲームにおいて、「ゴールゲッター」としての役割をキッチリと果たしたのです。ワールドカップにおける「6ゲーム連続得点」というのは、滅多に見られるものではないでしょう。
続いてはFWリベリーノ選手。
フリーキックの名手として、あまりにも有名です。1974年のワールドカップ・西ドイツ大会の東ドイツとのゲームで見せた、ゴール前のフリーキックの時、相手選手の壁の中に居た味方のジャイルジーニョ選手がしゃがみ込んだ隙間を打ち抜いたシュートは「伝説」として語り継がれています。
強烈なシュートが寸分の狂いも無く僅かなスキ間を突破してゴールに突き刺さりました。相手GKが一歩も動けなかったことも印象的でした。
現在のゲームでも時々、この時のリベリーノとジャイルジーニョのプレーを模したプレーが試みられます。「壁の中の味方プレーヤーが動いた後のスペースを狙うプレー」は、1974年にリベリーノの足から生まれたものなのです。
ちなみに、この1970年大会の決勝戦でのリベリーノは「とても出来が悪かった」と思います。フリーキックのチャンスも何度かあったのですが、悉くボールはゴールの遥か外に飛んで行きました。「吹かし捲っていた」のです。
2200mの高地(メキシコシティ・アステカ競技場)におけるゲームのせいであるという見方もありますが、既にこの大会で多くのゲームに出ていたリベリーノのことですから、気圧が低い状態でもコントロール良く蹴ることが出来ていたと思いますので、このゲームは「出来が悪かった」のであろうと思います。
もしこのゲームで、リベリーノ選手が「普通の調子のプレー」を披露していれば、ブラジルの得点はもう1~2点増えていたのではないでしょうか
最後にペレ選手に付いては前述の通りですが、この決勝戦の1点目をヘディングで決めています。身長170cmあるかないかのペレが、その驚異的なジャンプ力を魅せて決めたゴールでした。こうした大試合では「先制点が極めて大事」であることは言うまでも無いことです。
また、この大会でペレ選手は「背番号10」でした。この大会以降、世界中のサッカーチームで「チームのエースが10番を背負う」こととなったのです。この暗黙のルール?がペレから始まったということは、世界中のサッカープレーヤーがトップクラスから初心者まで、ペレのプレーに憧れていたことを如実に示しています。
丁度、日本野球において長嶋選手の背番号3や王選手の背番号1に皆が憧れて、草野球などで背番号の取り合いになったことに似ています。
4. 変幻自在のポジションチェンジ
この時代(1970年頃)のサッカーは、現在のサッカーと異なり、FWはFWとしてDFはDFとして動いていた、といった見解が示されることがありますが、このゲームのブラジルチームを観れば、「そんなことは無い」ことがよく分かります。
このゲームを通じて、ブラジルチームはポジションチェンジを多用しています。「本当のポジションが何処なのか」、迷ってしまう程の動きです。
例えば、左右のバックスですが、右のカルロス・アルベルト選手は頻繁にオーバーラップしています。どちらかというと、ボールを持ったら必ずドリブルでセンターラインを越えていたように観えます。
このゲームで、イタリアゴール前でボールを受けたペレ選手が「ノールックパス」を右に出したところへ走り込んだカルロス・アルベルト選手が強烈なシュートを決めました。これがチームの4点目でした。
このゴールは、「地上30cmの高さのままゴールネットに突き刺さる」見事なシュートでしたので、「大会ファイネスト・ゴール」に選ばれています。
ペレのパスがノールックであったことから、「ブラジルチームがあらかじめ用意していたプレー」であることは明らかです。つまり「右のサイドバックが相手のペナルティーエリア付近に走り込んでシュートするフォーメーション」が用意されていたのです。
ポジションチェンジを超えているプレーだと感じますし、現在のサッカーにおいても、「サイドバックがゴール前でパスを受けシュートするプレー」というのは中々見られないものだと思います。
これに近いプレーを展開したのは、2014年ブラジル大会におけるドイツチーム位ではないでしょうか。
また、左のサイドバック・エベラルド選手も再三イタリアゴールに迫りました。イタリアゴールポストの向かって左横を走り抜ける姿が、瞼に焼き付いています。
左右のサイドバックが積極的に攻撃参加するという文化・戦法は、その後のカフー選手やロベルト・カルロス選手に受け継がれた「ブラジルチームの得意の形」だと思いますが、それにしても、サイドを抉りセンタリングを上げるのではなく「相手ゴールに突進するプレー」を見せるサイドバックというのは、カルロス・アルベルトとエベラルドが居たこのチーム独特のもののように感じられるのです。
また、ジャイルジーニョ選手やリベリーノ選手は「左右に自在に展開」していました。「好きなように動いている」様に見えたのです。
ペレ選手とトスタン選手が比較的真ん中寄りでプレーして、ジャイルジーニョ選手とリベリーノ選手は、中盤から前線にかけて自在に動くフォーメーションだったのでしょうか。
この時のブラジルチームは、現在の例えばポゼッションサッカーをも苦も無く行うことが出来ると思います。
個々のプレーヤーのテクニックを比較すれば、現在の世界トップチームを凌いでいると思いますし、最新の戦術も容易に取り入れることが出来そうです。
この点が、このチームが1970年頃の世界最強チームではなく、「世界サッカー史上最強チーム」であろうと判断する理由のひとつです。
5. 対戦相手のイタリアチームも強いチームであったこと
このゲームを1-4で敗れてしまったので、このときのイタリア代表チームが弱かったのではないかと見てしまいがちですが、そんなことは全くありません。大変強いチームであったと思います。この時のブラジル代表チームが相手でなかったなら、十分にワールドカップ優勝に値するチームでした。
メンバーも凄いのです。
GKはアルベルトシ選手。あの「伝説的ゴールキーパー」ディノ・ゾフ選手もこの時のイタリアチームのベンチに入っていましたが、まだ控えのキーパーでした。世界最強を誇るイタリア守備陣の要のキーパーとして、アルベルトシ選手が当時の世界屈指のGKであったことは間違いありません。
DFには、あのファケッティ選手が居ました。ファケッティ選手はこのチームのキャプテンでもありました。そういえば、ブラジルチームのキャプテンもDFのカルロス・アルベルト選手でしたから、この時の両チームはともに、ディフェンダーがキャプテンだったことになります。
ファケッティ選手は、この時代の「世界最高のディフェンダー」の名を欲しい儘にしていました。
攻撃陣も素晴らしい。
ベルティニ選手とマッツォーラ選手がゲームメイクし、FWのリーバ選手やボニンセーヤ選手が得点するパターンで、決勝戦まで勝ち上がりました。特に得点力が高く、準決勝の西ドイツ戦は延長の末4-3で勝ち切りました。
特にリーバ選手は、得点感覚に優れたプレーヤーで、このゲームでも再三ブラジルゴールを脅かしました。「ボールを貰えば必ずシュートする」という意味で、極めてFWらしいFWでした。
また、ブラジル選手のヒールパスをカットして得点を挙げたボニンセーヤ選手は、「イタリアチームが強い時には必ずと言って良いほど登場する若手スタープレーヤー」という雰囲気を醸し出していました。
後世になってから、この決勝戦は「ブラジルが攻めてイタリアが守ったゲーム」と評されることが多いのですが、実際には「前半はイタリアが攻め、後半はブラジルが攻めたゲーム」であったと思います。
前半のイタリアの攻撃は、ブラジルゴール前での壁パス多用など、当時の最先端の戦術を展開していました。世界最高水準の攻撃力を具備したチームだったのです。(そうでなければ、準決勝で西ドイツ相手に4得点は出来ません)
この「攻守のバランスに優れた素晴らしいイタリアチーム」を4-1で破ったブラジルチームが大変強いことは、間違いないことでしょう。
6. 素晴らしい攻撃力と堅実な守備力
この大会の一次リーグ3ゲーム・決勝トーナメント3ゲームの計6ゲームで、でブラジルチームは19得点・7失点という得失点でした。
1ゲーム平均3点以上の得点と1点強の失点ということですから、このブラジルチームは平均して「3-1」というスコアで勝ち続けたということになります。
これは、極めて安定した「負け難い」ゲーム展開を魅せたチームと言えるでしょう。
世界サッカー史上に残る強豪チームの中には「得点1で相手チームを零封する=1-0で勝つ」チームがいくつか見られますが、最少得点である1点を守り切る形のゲームでは、不確定要素から常に同点にされるリスクを背負い続けていることになります。
もちろん、例えば「ポゼッションサッカーで相手にボールを渡すことなく、失点のリスクを極小化する」というゲーム展開も存在するのですが、それでも「1得点で勝ち抜く」というのは、リスクが高いゲームでしょう。
世界最高の大会で、毎試合平均3得点以上を挙げたブラジル代表チームの「安定した強さ」「負け難さ」は疑いようがありません。
ここまで、1970年メキシコ・ワールドカップにおけるブラジル代表チームが、世界サッカー史上最強のチームであると考える理由を書いて来ました。
サッカープレーヤーの世界スケールでの交流が現在ほど盛んでは無かった1970年前後は、ブラジル人選手はブラジルのプロチームで、欧州各国のプレーヤーは各々の国のチームで活躍している場合が多かったのです。
そして、ワールドカップという舞台で、各々のサッカーをピッチ上で展開しました。
ブラジルにはブラジルの、イタリアにはイタリアの、西ドイツには西ドイツの、イングランドにはイングランドのサッカーが現在より色濃く存在しました。そうした状況下で、「圧倒的な力の差を見せた」のが、このブラジル代表チームであったと思います。
加えて、この頃のサッカーボールは革製でした。現在のサッカーボーと比べれば、相当重いものでしたし、雨中のゲームともなれば「ボールが水を吸って」一層重くなったのです。この頃のプレーヤー達は、この重いボールを40m以上も正確に蹴っていました。
いわゆるフィジカルという面でも、21世紀のプレーヤーより、この頃のプレーヤーの方が、平均して上であったろうと思料されます。
テクニックの面でも、重いボールを自在に蹴り熟すのは、極めて難しいことであったと思います。現在のような軽いボールを足先で裁くなどということは、当時はとても出来なかったのです。
ペレもトスタンも、ボビー・チャールトンも、フランツ・ベッケンバウアーもゲルト・ミュラーも、超一流のプレーヤーは皆、重いボールを自在に扱いました。凄いプレーヤーが揃っていた時代だったのです。
さて、今回の検討においてライバルとして候補に挙げたチームは以下の通りです。
・1972年欧州選手権優勝の西ドイツ代表チーム
・1986年ワールドカップ優勝のアルゼンチン代表チーム
・2014年ワールドカップ優勝のドイツ代表チーム
この3チームの中で「1970年W杯ブラジル代表チーム」に匹敵するというか、このチームに次ぐ総合力を具備していると感じられるのは「2014年W杯ドイツ代表チーム」でしょうか。
その圧倒的な攻撃力と堅い守備力で、南米開催のワールドカップで初めて優勝した欧州のチームが、世界サッカー史上屈指の強豪チームであることは間違いないでしょう。
この2チームの差は「ペレの存在」だと感じます。
こういう大黒柱は「チームが苦境に立った時にこそ威力を発揮」します。苦しいゲームを勝ち切る、ゲームの悪い流れを一気に変える、といった目的に対する「ペレというプレーヤーの存在」は、比類無きものでしょう。
「ペレという大黒柱」、4度ワールドカップに出場し3度優勝しているというプレーヤーの存在の分だけ、1970年のブラジルチームが2014年のドイツチームを上回っていると思うのです。
今回の考察は、2015年3月時点のものです。
今後、どのような強豪チームが登場してくるのか、とても楽しみです。
そのサッカー競技において、「史上最強チームは?」という命題は、常に世界中のサッカーファンの興味の的であり、争点ともなるテーマだと思います。当然ながら「結論の出難いテーマ」であり、「永遠のテーマ」であろうとも思います。
今回の記事は、このテーマを採り上げます。
諸点の比較から、1970年メキシコ・ワールドカップのブラジル代表チームが「世界サッカー史上最強のチーム」だと考えます。
この大会の決勝戦でブラジルチームは4-1でイタリアチームを下して、3度目のワールドカップ制覇を成し遂げました。
この決勝戦を戦う前の段階で、イタリアとブラジルは「最多優勝回数2回」で並んでいました。世界のサッカーを牽引する2チームが激突するゲームとなったのです。
そして、「ワールドカップを3度制覇した国」に、初代のワールドカップ=ジュールリメ杯が贈呈される、つまり取りきりとなるという決め事が有りましたから、この決勝戦で勝ったチームがジュールリメ杯を手にするという、注目の一戦となったのです。
このゲームにおける、ブラジル代表チームの先発メンバーは以下の通りです。
・GK フェリックス
・DF ブリト
ピアッツァ
カルロス・アルベルト(右サイドバック)
エベラルド(左サイドバック)
・MF ジェルソン
クロドアルド
・FW ジャイルジーニョ
トスタン
ペレ
リベリーノ
このチームが「世界サッカー史上最強チーム」であろうと思います。(ポジションに付いては、極めて流動的に動き回り、ポジションチェンジを繰り返すチームでしたから確定とは言えないかもしれません。)
このチームを「最強」と考える理由は、以下の通りです。
1. ペレ選手の存在
プレーヤーとして1200点以上の得点(サッカー一流国のプロプレーヤーの記録として圧倒的な史上最多)を挙げているペレは、「サッカーの王様」と呼ばれていますが、サッカー史上最高のプレーヤーであることに異論を挟む人は少ないでしょう。
ワールドカップにも「4度出場し3度優勝」しています。つまり、ブラジルがジュールリメ杯を取り切る前提となった「3度の優勝」は、いずれもペレが居たチームの優勝なのです。
17歳の時スウェーデン・ワールドカップに初出場し、優勝して以降、ブラジルチームの中心プレーヤーとして活躍してきたペレが29歳という円熟期を迎えた大会が、1970年のメキシコ大会だったのです。
「円熟期を迎えた王様」が大黒柱となっているチームは、それは強いでしょう。
ちなみに、1966年ワールドカップ・イングランド大会で、地元イングランドを初優勝に導いた「イングランドの英雄」ボビー・チャールトン選手の「時々、サッカーというスポーツは彼(ペレ)のために存在しているのではないかと思うことがある。」というコメントが、ペレ選手のサッカープレーヤーとしてのスバ抜けた力量を示しています。(もちろん、ボビー・チャールトン選手も世界サッカー史上屈指のプレーヤーであると評価されています)
2. 他国(メキシコ)開催のワールドカップで優勝していること
他の競技でも同様ですが、サッカーという競技は「特にホームチームが強い」競技です。
従って、例えばUEFA-CLやACLなどの大会や、各国のリーグ戦では、不公平が無い様に「同じカードがホーム・アンド・アウェイで1試合ずつ・計2試合」行われるのです。
ワールドカップにおいても同様です。地元開催でしか優勝したことが無いチームが存在するのも、止むを得ないことです。
前述の1966年イングランド大会のイングランドチームや1998年のフランスチームが相当します。
また、「初優勝が地元」という意味では、1978年のアルゼンチンチームが挙げられるでしょう。
こうした「地元大会で優勝したチーム」は、史上最強チームの選定からは外すのが妥当だと思います。地元においては「実力以上の力が発揮されることがある」のが、サッカー競技なのです。
3. 素晴らしい攻撃陣
上記のチームのMFからFWのプレーヤーは「眩いばかり」のメンバーです。
MFのジェルソン選手は、この大会のブラジルチームのゲームメーカーでした。その左足から繰り出される正確なパスは、当時世界最高と称されるものでした。
当然ながらシュート力も十分で、決勝のイタリア戦でもチームの2点目をゴール左隅に突き刺しています。
FWは誰から挙げるか困ってしまいますが、まずはトスタン選手。
その右足から繰り出される自在なシュートを背景とした得点力では、当時「ペレと互角」と呼ばれたスーパースターでした。
ちなみに「ペレ」や「トスタン」というのは、本名では無く「あだ名」なのですが、サッカー大国ブラジルにおいて「最も初期にあだ名で呼ばれるようになったプレーヤー」のひとりでもあります。
続いてはFWジャイルジーニョ選手。
この大会で6ゲーム連続・7得点を記録しました。この決勝戦でもチームの3点目を挙げています。
ペレとジェルソンの2人がメイクするゲームにおいて、「ゴールゲッター」としての役割をキッチリと果たしたのです。ワールドカップにおける「6ゲーム連続得点」というのは、滅多に見られるものではないでしょう。
続いてはFWリベリーノ選手。
フリーキックの名手として、あまりにも有名です。1974年のワールドカップ・西ドイツ大会の東ドイツとのゲームで見せた、ゴール前のフリーキックの時、相手選手の壁の中に居た味方のジャイルジーニョ選手がしゃがみ込んだ隙間を打ち抜いたシュートは「伝説」として語り継がれています。
強烈なシュートが寸分の狂いも無く僅かなスキ間を突破してゴールに突き刺さりました。相手GKが一歩も動けなかったことも印象的でした。
現在のゲームでも時々、この時のリベリーノとジャイルジーニョのプレーを模したプレーが試みられます。「壁の中の味方プレーヤーが動いた後のスペースを狙うプレー」は、1974年にリベリーノの足から生まれたものなのです。
ちなみに、この1970年大会の決勝戦でのリベリーノは「とても出来が悪かった」と思います。フリーキックのチャンスも何度かあったのですが、悉くボールはゴールの遥か外に飛んで行きました。「吹かし捲っていた」のです。
2200mの高地(メキシコシティ・アステカ競技場)におけるゲームのせいであるという見方もありますが、既にこの大会で多くのゲームに出ていたリベリーノのことですから、気圧が低い状態でもコントロール良く蹴ることが出来ていたと思いますので、このゲームは「出来が悪かった」のであろうと思います。
もしこのゲームで、リベリーノ選手が「普通の調子のプレー」を披露していれば、ブラジルの得点はもう1~2点増えていたのではないでしょうか
最後にペレ選手に付いては前述の通りですが、この決勝戦の1点目をヘディングで決めています。身長170cmあるかないかのペレが、その驚異的なジャンプ力を魅せて決めたゴールでした。こうした大試合では「先制点が極めて大事」であることは言うまでも無いことです。
また、この大会でペレ選手は「背番号10」でした。この大会以降、世界中のサッカーチームで「チームのエースが10番を背負う」こととなったのです。この暗黙のルール?がペレから始まったということは、世界中のサッカープレーヤーがトップクラスから初心者まで、ペレのプレーに憧れていたことを如実に示しています。
丁度、日本野球において長嶋選手の背番号3や王選手の背番号1に皆が憧れて、草野球などで背番号の取り合いになったことに似ています。
4. 変幻自在のポジションチェンジ
この時代(1970年頃)のサッカーは、現在のサッカーと異なり、FWはFWとしてDFはDFとして動いていた、といった見解が示されることがありますが、このゲームのブラジルチームを観れば、「そんなことは無い」ことがよく分かります。
このゲームを通じて、ブラジルチームはポジションチェンジを多用しています。「本当のポジションが何処なのか」、迷ってしまう程の動きです。
例えば、左右のバックスですが、右のカルロス・アルベルト選手は頻繁にオーバーラップしています。どちらかというと、ボールを持ったら必ずドリブルでセンターラインを越えていたように観えます。
このゲームで、イタリアゴール前でボールを受けたペレ選手が「ノールックパス」を右に出したところへ走り込んだカルロス・アルベルト選手が強烈なシュートを決めました。これがチームの4点目でした。
このゴールは、「地上30cmの高さのままゴールネットに突き刺さる」見事なシュートでしたので、「大会ファイネスト・ゴール」に選ばれています。
ペレのパスがノールックであったことから、「ブラジルチームがあらかじめ用意していたプレー」であることは明らかです。つまり「右のサイドバックが相手のペナルティーエリア付近に走り込んでシュートするフォーメーション」が用意されていたのです。
ポジションチェンジを超えているプレーだと感じますし、現在のサッカーにおいても、「サイドバックがゴール前でパスを受けシュートするプレー」というのは中々見られないものだと思います。
これに近いプレーを展開したのは、2014年ブラジル大会におけるドイツチーム位ではないでしょうか。
また、左のサイドバック・エベラルド選手も再三イタリアゴールに迫りました。イタリアゴールポストの向かって左横を走り抜ける姿が、瞼に焼き付いています。
左右のサイドバックが積極的に攻撃参加するという文化・戦法は、その後のカフー選手やロベルト・カルロス選手に受け継がれた「ブラジルチームの得意の形」だと思いますが、それにしても、サイドを抉りセンタリングを上げるのではなく「相手ゴールに突進するプレー」を見せるサイドバックというのは、カルロス・アルベルトとエベラルドが居たこのチーム独特のもののように感じられるのです。
また、ジャイルジーニョ選手やリベリーノ選手は「左右に自在に展開」していました。「好きなように動いている」様に見えたのです。
ペレ選手とトスタン選手が比較的真ん中寄りでプレーして、ジャイルジーニョ選手とリベリーノ選手は、中盤から前線にかけて自在に動くフォーメーションだったのでしょうか。
この時のブラジルチームは、現在の例えばポゼッションサッカーをも苦も無く行うことが出来ると思います。
個々のプレーヤーのテクニックを比較すれば、現在の世界トップチームを凌いでいると思いますし、最新の戦術も容易に取り入れることが出来そうです。
この点が、このチームが1970年頃の世界最強チームではなく、「世界サッカー史上最強チーム」であろうと判断する理由のひとつです。
5. 対戦相手のイタリアチームも強いチームであったこと
このゲームを1-4で敗れてしまったので、このときのイタリア代表チームが弱かったのではないかと見てしまいがちですが、そんなことは全くありません。大変強いチームであったと思います。この時のブラジル代表チームが相手でなかったなら、十分にワールドカップ優勝に値するチームでした。
メンバーも凄いのです。
GKはアルベルトシ選手。あの「伝説的ゴールキーパー」ディノ・ゾフ選手もこの時のイタリアチームのベンチに入っていましたが、まだ控えのキーパーでした。世界最強を誇るイタリア守備陣の要のキーパーとして、アルベルトシ選手が当時の世界屈指のGKであったことは間違いありません。
DFには、あのファケッティ選手が居ました。ファケッティ選手はこのチームのキャプテンでもありました。そういえば、ブラジルチームのキャプテンもDFのカルロス・アルベルト選手でしたから、この時の両チームはともに、ディフェンダーがキャプテンだったことになります。
ファケッティ選手は、この時代の「世界最高のディフェンダー」の名を欲しい儘にしていました。
攻撃陣も素晴らしい。
ベルティニ選手とマッツォーラ選手がゲームメイクし、FWのリーバ選手やボニンセーヤ選手が得点するパターンで、決勝戦まで勝ち上がりました。特に得点力が高く、準決勝の西ドイツ戦は延長の末4-3で勝ち切りました。
特にリーバ選手は、得点感覚に優れたプレーヤーで、このゲームでも再三ブラジルゴールを脅かしました。「ボールを貰えば必ずシュートする」という意味で、極めてFWらしいFWでした。
また、ブラジル選手のヒールパスをカットして得点を挙げたボニンセーヤ選手は、「イタリアチームが強い時には必ずと言って良いほど登場する若手スタープレーヤー」という雰囲気を醸し出していました。
後世になってから、この決勝戦は「ブラジルが攻めてイタリアが守ったゲーム」と評されることが多いのですが、実際には「前半はイタリアが攻め、後半はブラジルが攻めたゲーム」であったと思います。
前半のイタリアの攻撃は、ブラジルゴール前での壁パス多用など、当時の最先端の戦術を展開していました。世界最高水準の攻撃力を具備したチームだったのです。(そうでなければ、準決勝で西ドイツ相手に4得点は出来ません)
この「攻守のバランスに優れた素晴らしいイタリアチーム」を4-1で破ったブラジルチームが大変強いことは、間違いないことでしょう。
6. 素晴らしい攻撃力と堅実な守備力
この大会の一次リーグ3ゲーム・決勝トーナメント3ゲームの計6ゲームで、でブラジルチームは19得点・7失点という得失点でした。
1ゲーム平均3点以上の得点と1点強の失点ということですから、このブラジルチームは平均して「3-1」というスコアで勝ち続けたということになります。
これは、極めて安定した「負け難い」ゲーム展開を魅せたチームと言えるでしょう。
世界サッカー史上に残る強豪チームの中には「得点1で相手チームを零封する=1-0で勝つ」チームがいくつか見られますが、最少得点である1点を守り切る形のゲームでは、不確定要素から常に同点にされるリスクを背負い続けていることになります。
もちろん、例えば「ポゼッションサッカーで相手にボールを渡すことなく、失点のリスクを極小化する」というゲーム展開も存在するのですが、それでも「1得点で勝ち抜く」というのは、リスクが高いゲームでしょう。
世界最高の大会で、毎試合平均3得点以上を挙げたブラジル代表チームの「安定した強さ」「負け難さ」は疑いようがありません。
ここまで、1970年メキシコ・ワールドカップにおけるブラジル代表チームが、世界サッカー史上最強のチームであると考える理由を書いて来ました。
サッカープレーヤーの世界スケールでの交流が現在ほど盛んでは無かった1970年前後は、ブラジル人選手はブラジルのプロチームで、欧州各国のプレーヤーは各々の国のチームで活躍している場合が多かったのです。
そして、ワールドカップという舞台で、各々のサッカーをピッチ上で展開しました。
ブラジルにはブラジルの、イタリアにはイタリアの、西ドイツには西ドイツの、イングランドにはイングランドのサッカーが現在より色濃く存在しました。そうした状況下で、「圧倒的な力の差を見せた」のが、このブラジル代表チームであったと思います。
加えて、この頃のサッカーボールは革製でした。現在のサッカーボーと比べれば、相当重いものでしたし、雨中のゲームともなれば「ボールが水を吸って」一層重くなったのです。この頃のプレーヤー達は、この重いボールを40m以上も正確に蹴っていました。
いわゆるフィジカルという面でも、21世紀のプレーヤーより、この頃のプレーヤーの方が、平均して上であったろうと思料されます。
テクニックの面でも、重いボールを自在に蹴り熟すのは、極めて難しいことであったと思います。現在のような軽いボールを足先で裁くなどということは、当時はとても出来なかったのです。
ペレもトスタンも、ボビー・チャールトンも、フランツ・ベッケンバウアーもゲルト・ミュラーも、超一流のプレーヤーは皆、重いボールを自在に扱いました。凄いプレーヤーが揃っていた時代だったのです。
さて、今回の検討においてライバルとして候補に挙げたチームは以下の通りです。
・1972年欧州選手権優勝の西ドイツ代表チーム
・1986年ワールドカップ優勝のアルゼンチン代表チーム
・2014年ワールドカップ優勝のドイツ代表チーム
この3チームの中で「1970年W杯ブラジル代表チーム」に匹敵するというか、このチームに次ぐ総合力を具備していると感じられるのは「2014年W杯ドイツ代表チーム」でしょうか。
その圧倒的な攻撃力と堅い守備力で、南米開催のワールドカップで初めて優勝した欧州のチームが、世界サッカー史上屈指の強豪チームであることは間違いないでしょう。
この2チームの差は「ペレの存在」だと感じます。
こういう大黒柱は「チームが苦境に立った時にこそ威力を発揮」します。苦しいゲームを勝ち切る、ゲームの悪い流れを一気に変える、といった目的に対する「ペレというプレーヤーの存在」は、比類無きものでしょう。
「ペレという大黒柱」、4度ワールドカップに出場し3度優勝しているというプレーヤーの存在の分だけ、1970年のブラジルチームが2014年のドイツチームを上回っていると思うのです。
今回の考察は、2015年3月時点のものです。
今後、どのような強豪チームが登場してくるのか、とても楽しみです。
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