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 2013年の日本プロゴルフツアー男子の第二戦つるやオープン大会は、4月25日から、兵庫県山の原ゴルフクラブで開催されています。

 この大会初日に、ジャンボ尾崎選手が快記録を達成しました。66歳のジャンボ尾崎=尾崎将司選手ですが、この日パー71のコースを62打でラウンドし、日本プロゴルフツアー史上初の「エージシュート」(プレーヤーの年齢以下の打数で1ラウンドすること)を成し遂げたのです。
 ラウンドの内容は、1イーグル、9バーディ、2ボギーというもので、前半30打、後半32打のコースレコードタイ記録でした。

 そもそも66歳にして、日本プロゴルフツアー(レギュラーツアー)に参戦していること自体が凄いことなのですが、そこでのエージシュート達成とは、さすがジャンボと思わせる記録です。

 加えて、いかにも尾崎将司らしいのは、66打でもエージシュートなのに、62打という「年齢を4打も下回るスコア」を叩き出しているところです。

 尾崎将司選手は、日本プロゴルフツアー史上最強のプレーヤーであり、ツアー通算94勝や賞金王12回を始めとする数々の記録は、他の選手の追随を全く許さない桁違いのものですが、エージシュートの達成においても桁違いの内容であったということです。

 日本のプロゴルファーは、50歳を過ぎればシニアツアーにも参加できるのですが、ジャンボ尾崎は頑なにレギュラーツアー出場に拘り続けてきました。このことが、日本プロゴルフのシニアツアー発展の阻害要因であったという見方もありますし、一方では、実力からして、出場してくればいつもジャンボ尾崎が優勝するシニアツアーとなってしまい、つまらないのではないかという意見もありました
 いずれにしても、本人がレギュラーツアーに徹底して拘っているのです。

 尾崎将司選手は、2002年以来12年振りのレギュラーツアー優勝を狙っています。この数年のプレーを、テレビ放送などで断片的に観た限りでは、プレー内容は決して悪いものではありませんでした。ショットは、時折全盛時を思わせる素晴らしいものがありましたが、一方で「4日間を戦い抜く、心身両面の持久力の衰え」は隠せない感じでしたし、特にパットが入らなくなったという印象でした。

 60歳代も半ばともなれば、止むを得ないのかなと感じていましたが、さすがに桁外れの男・尾崎将司です。ショットとパットのバランスが良くなれば、62打位のスコアを出せることを証明したのです。

 ライバルと呼ばれ、こちらは欧米を始めとする世界中のゴルフツアーで活躍する日本人プレーヤーの草分け的存在である青木功選手は、尾崎将司選手のエージシュートについて「レギュラーツアーで達成することは大変なこと。日々努力を重ねていないとできない」とコメントしました。

 そして、青木選手の昔のコメントが思い出されます。「自分で使うクラブを自分でメンテナンスする、グリップやシャフトの交換も含めて全部自分でやっているのは、俺とジャンボくらいだよ」と。練習後にクラブの整備に飽きることが無いという、この二人のスーパープレーヤーに共通しているのは「とてつもなくゴルフが好きだ」という点でしょう。

 日本プロゴルフツアー史上空前の才能を備えた尾崎将司選手が、日々の努力を惜しまず、道具の研究・メンテナンスも怠らないのですから、強い筈です。

 ジャンボ尾崎のレギュラーツアーにおけるエージシュートは、NHKを始めとするテレビ各局、一般紙を含めた新聞各紙に大きく採り上げられました。ひとつのトーナメントの初日の出来事が、テレビ各局のスポーツ番組のトップ項目となり、スポーツ新聞各紙の一面を飾りました。
 このことは、今なおジャンボ尾崎が大スターであることの証ですし、尾崎将司選手に代わるスタープレーヤーが登場していない日本プロゴルフ界の現状を如実に示す事象でもありました。
 
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 石川遼選手が、2012年11月8日~11日に行われた三井住友VISA太平洋マスターズトーナメントに優勝しました。2010年の同大会で優勝して以来、約2年振りの勝利です。雨の降りしきる太平洋クラブ御殿場コース18番ホール、最後のバーディパットを慎重に沈めた石川選手は、高々と両手を挙げ、声援に応えました。これで日本ツアー10勝目です。

 アマチュア時代の2007年、マンシングウェアKSBカップを15歳と245日の世界最年少記録(ギネスブック認定)で制した石川遼は、その後の日本プロゴルフツアーの中心選手でした。石川選手が、日本ツアーを牽引してきたのです。その石川が勝てなくなり、2011年を未勝利で終わり、2012年の秋を迎えた時には「石川どうした」「石川は、もう勝てないのではないか」といった声が上がりました。
 私は、このまま石川選手が沈没すると、日本の男子ゴルフ全体も沈没してしまうと怖れていました。その意味では、大袈裟ではなく、この勝利は日本ゴルフ界を救った勝利とも言えると思います。

1. AONの時代(1973年~1998年)
 青木功選手、尾崎将司選手、中島常幸選手の3人のスタープレーヤーが日本ゴルフ界に君臨した時代をAONの時代と呼びます。この3人の実力・実績・人気、特に尾崎将司選手の実績は、スバ抜けたものでした。

 日本プロゴルフツアーがスタートしたのは1973年ですが、それから1998年までの26年間のツアー賞金王を見てみましょう。尾崎が12回、青木が5回、中島が4回と3人で21回賞金王に輝いています。驚くべき実績で、この26年間AON以外で賞金王になったのは、1975年の村上隆選手、1984年の前田新作選手、1987年のデビッド・イシイ選手(アメリカ)、1991年の尾崎直道選手、1993年の飯合肇選手の5人・5回しかないのです。

 特に、1988年~1998年の11年間は、前述の尾崎直道・飯合の2回を除いた9回は、尾崎将司が賞金王になっています。この11年間は、日本男子プロゴルフツアーはジャンボ尾崎の時代だったのです。1947年生まれの尾崎が50歳を迎えようとする頃に、これ程の強さを発揮したことは驚異的です。そして、1998年まで日本男子プロゴルフツアーは発展を続けたように思います。

2. 労働力人口の増加と減少
 総務省統計局は様々な調査を実施し、結果を公開してきています。とても興味深い調査結果が多数ありますので、是非一度、総務省統計局のホームページを覗いて見ていただきたいと思います。
 さて、その調査の中に「労働力調査」があります。我が国の労働力人口についての調査で、継続して行われています。この調査によると、日本の労働力人口は、太平洋戦争後増加を続けました。そして、1997年~1998年に6800万人台のピークを迎え、以降は減少に転じ、今年2012年の9月には6541万人に減っています。
 また、ゴルフ関連を始めとする高額消費行動の中心となる45歳から54歳層の就業者数は、1997年4月に1622万人でピークとなり、今年2012年9月には1305万人にまで減少しました。

 いわゆるバブル経済が崩壊した1992年以降も、物・サービスの販売業の売上は伸び続けました。前述の就業人口が増加し続けたからです。そして、1997年・1998年をピークにして、日本国内の物・サービス販売業の売上は減少に転じ、現在まで減少傾向が続いています。これは、ある意味では当然のことで、仕事をして給料を稼ぐ人の数が減っているのですから、物・サービスを提供する企業の売上は全体としては減少するのです。

 デパートやスーパーマーケットはもちろんとして、近時売り上げが伸びたと言われるコンビニも、たばこ販売方法の変更により客足が伸びたことによる一時的な売り上げ増加に過ぎず、その効果が薄くなった本年に売り上げ減少に転じました。決して、コンビニがスーパーマーケットの顧客を奪ったために、スーパーの売り上げが落ちたのではなく、全体として物の販売業の売上が落ちているのです。

 こうした全体の傾向の中で、ゴルフ関連業種の売上も例外ではなく、1999年から減少を続けているものと思われます。本来、ゴルフに新規参入してくるはずだった30代サラリーマンの所得が最近15年間で激減してしまいましたから、ゴルフにお金をかけてくれる層の平均年齢は上昇の一途を辿り、全体のゴルフ人口は減少の一途を辿っているのです。

3. 1999年~2007年、日本男子プロツアーの暗黒期
 尾崎将司選手が51歳を迎え、最後の賞金王となった1998年は、日本の労働力人口がピークを迎えた年でもありました。全くの偶然ですが、尾崎選手のピークアウトと日本の一般労働者購買力のピークアウトが重なってしまったのです。

 翌1999年から、ツアーのスポンサー企業は減少を続け、日本男子ゴルフツアーは低迷期を迎えました。日本プロゴルフツアーの主催者が、社団法人日本プロゴルフツアー機構に変わったのが1999年であったことも、決して偶然ではありません。全体賞金額が減少する中で、その配分について、選手会を中心にした仕組みが作られたのだろうと思います。

 しかし、日本男子プロゴルフツアー関係者は、この1999年からの数年間にゴルフ需要の掘り起こしに、もっと注力すべきだったかもしれません。ゴルフに対する需要が減少に転じた中で、ゴルフ界を牽引するスーパースターも居なくなるという二重苦に対して、取組が不十分だったのでしょうか。21世紀に入り、男子ツアーはますます影が薄くなり、週末のテレビ放送も減少の一途でした。相当のビッグトーナメントでも1時間のダイジェスト版放送になってしまったのです。
 この時代の賞金王は、片山晋吾選手、伊沢利光選手、谷口徹選手が分け合っていますし、海外のメジャートーナメントでも、相応の活躍を演じているのですが、ゴルフ需要の減少をカバーするには至らず、ツアー人気の低迷は続きました。

4. 石川遼の時代
 そして、2007年のツアー初優勝、2008年1月のプロ転向宣言に始まる石川遼選手の時代が到来しました。その端正なマスクと品行方正な言動、格好良いファッションセンス、そして2010年中日クラウンズ最終日の世界最少スコア58打のラウンドによる大逆転優勝に代表されるアグレッシブなプレー振り、が相俟って「石川遼というブランド」は爆発的な人気となりました。

 若者のゴルフ人口増加にも結び付いたと思いますが、もっと大きなことは、ゴルフをプレーしない人達までも、ゴルフ界に引き付けたのです。これが「スーパースターの条件」です。スーパースターというのは、その競技を知らない人の興味まで惹起するプレーヤーの尊称です。

 試合中に、石川選手がラフに打ってしまったミスショットのボールを拾ってしまう観客や、変なタイミングで嬌声を上げる観客など、ルールやマナーを知らない観客によって、種々のトラブルも発生しましたが、これとて観客がとても少ない状態よりは遥かに良いことで、こうしたゴルフをほとんど知らない観客は、例えば、石川遼のヘッドカバーを10個20個とまとめ買いするのです。もちろん、別の用途に使うのです。
 石川遼は、間違いなく日本男子プロゴルフの救世主でした。

 その石川選手が、2010年11月から突然勝てなくなったのです。プロスポーツ界のスーパースターの条件の第一は「強いこと」です。常勝の必要は無いのですが、時々は優勝しなければなりません。2008年から、石川遼ブランドの展開により、男子ゴルフツアーにもスポンサーが戻り、用具メーカーや報道関係者など、多くの関係者にも恩恵を与えてきたとはいえ、まだ2~3年しか経っていませんので、本格回復にはこれからという時に、肝心な石川遼選手のゴルフプレー自体が不調になってしまったことは、大変な問題です。
 予選ラウンドも通過できないとなると、週末の観客は見ることもできないわけで、このまま不調が続くと、また暗黒の時代に戻ってしまうと心配しました。

 また、昨日はアメリカ・プロゴルフツアーPGAのフォールシリーズ最終戦が終わり、PGAの2012年賞金ランキングも固まりました。石川選手は、108位相当とのことで125位以内のプレーヤーに与えられるPGAツアーシード権も手にしました。本当に素晴らしいことです。

 さて、来年2013年の石川選手はどのようにプレーしていくのでしょうか。PGA中心にプレーして、日本オープン・日本プロといった日本のメジャートーナメントだけ、日本に戻ってきてプレーするのか、その逆なのか、その中間なのか、興味深いところです。

 いずれにしても、日本プロゴルフ界としては、石川遼選手と並ぶ、あるいは石川選手のライバルとなるスターの育成を急がなくてはなりません。池田勇太選手やアマチュアの松山英樹選手などがスター候補になるのでしょうか。

 AONの時代も、3人のスタープレーヤーが切磋琢磨して切り開いたものでした。今後の日本男子プロゴルフを石川選手1人に背負わせるのは、酷というものです。
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Author:カエサルjr
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