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 AIはプログラム通りに動く、それもとても速く動くので、当該プログラムの性能に左右される、という面は、間違いなくあるのでしょう。

 粗末なプログラムであれば、その「粗末さ」に応じた働きしか出来ないのは自然なことです。

 一方で「学習し成長する」AIも存在しています。
 特に近時は、その「学習し成長する」内容が進歩している(変な言い方ですが)ようです。

 10年ほど前に「ファジー」という概念が流行りましたが、その延長線上の概念の様な気もします。

 こうした「学習し成長する」仕組みも、プログラムの一種、あるいはアプリケーションの一種でしょうから、「成長する方向」が正しいかどうか、というポイントが有りそうですが、いずれにしても、自らの能力を高めていくAIが存在しているのです。

 この成長が、人間の成長(例えば、6歳から18歳までの知的成長)と同じようなものか、異なるものかは分からないのですが、新しい情報に接しながら、着々と成長を重ねるAIもあるのです。

 例えば、サッカー競技において「Eチームの監督の役割を任されているAI」が、試合を重ね、勝ったり負けたりを繰り返しながら、「勝利の要因」「敗戦の原因」についての情報を蓄積し分析しながら、Eチームが勝つためのノウハウを積み上げていくとすれば、それは大きな「成長」ということになります。
 このノウハウの積み上げは、相手チーム別のものもあるでしょうし、Eチームの基礎的な能力アップに関するものもあるのでしょうが、何の先入観も無く成長し続けるとすれば、その成長はバランスが良く、スピーディなものとなる可能性が十分に有りそうです。

 例えば、1970年ワールドカップ・メキシコ大会のブラジル代表チームの監督を任されたAIが、ゲームの途中でトスタン選手とペレ選手とリベリーノ選手を一気に交替させる、といった指示が出される可能性もあるのでしょう。
 こうした交替は、「人間の監督であれば有り得ないもの」ですが、成長したAIなら有るのかもしれません。何しろ、AIには先入観は無いのですから。いかに、「世界最強チームの中核」である、トスタンとペレとリベリーノとはいっても、相手チームの布陣・出来とゲーム展開によっては、試合途中で大変革が必要とAIが判断する可能性はあるのでしょう。

 「学習と成長」の能力を得たAIには、大きな「創造力」が期待できます。
 人間では50年・100年かかる成長を、5年・10年で実現できれば、人間には思いもよらぬ「やり方」を創り出す可能性があるのでしょう。

 この創造力こそが、人間がAIに期待する最大の価値の様な気がします。

 (その10へ)
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 先日友人が「AIはまだまだ単純作業しかできないから、判断業務は人間のものだね」と言っていました。

 そうでもないと思います。

 今や、AIの判断能力は相当に高いと、私は感じています。

 例えば、法人投資家(かつては事業投資家と呼ばれることが多かったと思いますが)の株式投資は、現在概ねAIが実行しているように見えます。
 様々な要素をAIが把握し、プログラムに沿った売買を実行しているのです。

 個別銘柄なら、「○○円まで上がったら売り」「○○円まで下がったら売り」と、利益確定あるいは「損切」の両方の判断も行っています。
 個々の法人投資家のAIは、それぞれの法人の考え方により異なるプログラムを使用していると考えられますが、これが投資全体の流れとなれば、多くの法人投資家のAIは概ね「同じ方向」に動いているように見えます。株式投資に関する「人間の経験」をベースに作られたプログラムは、大同小異なのかもしれません。

 例えば、ダウ式平均株価が急落するようなシーンでは、「損切の為に売り急ぐ」AIが多いように見えます。結果として、2010年以降の株式相場は「急落」が多いのでしょう。
 株式市場に所謂セカンダリーが少ないことから、一度株価が下がり始めると歯止めがきかないという話は、今回のテーマではありませんから深堀はしませんけれども、多くの法人投資家の多くのAIが似たようなプログラムにより同方向に動くことが多いという「現象」は、AIというものを検証していく上では重要なことだと思います。

 多くの銘柄の動きを「瞬時」に把握し、売り買いの判断を「瞬時」に行い、売り買いの指示を「瞬時」に出し売買を実行する、というのは「AIの最も得意とする分野」でしょう。
 例えば「買おう」と判断してから、「数秒の間をおいて注文を出す」のでは、株価が変動しているリスクが有ります。AIなら、そのリスクを概ね最少に抑え込むことが出来ます。(リスクは0にはならないでしょう。例えば、東京所見取引所ならコンピュータで注文を出してから成約まで1秒強の時間がかかると思いますので)

 この「広範で数多くの情報を瞬時に把握・分析」し、「多くのフィージビリティスタディを瞬時に行って」、やらなければならない「次の行動内容を瞬時に構築」するという動きは、別に株式売買だけのものでないことは、誰でも分かることでしょう。

 スポーツの試合においても、全く動揺の判断業務をAIに任せることは、十分に有り得ることだと感じます。

 例えばサッカー競技なら、カメラから刻一刻と入ってくる各種の情報、
① 攻撃において、相手フィールドのどこにスペースが出来やすいか。
② どのような攻撃を仕掛けた時にスペースが出来やすいか。
③ 逆に攻められたときに、自陣のどこにスペースが出来てしまうか。
④ 個々のプレーヤーの運動量や俊敏性の変化、減少度合い。
⑤ 個々のプレーヤーのボールへのタッチ数や重要なプレーへの貢献度合い

 といった、膨大な情報を「漏らすことなく把握」することは、人間のベンチスタッフより正確で速いことは明白でしょう。

 これらの分析から、「次の選手交替の出入りのプレーヤー、交代の時期(例えば今から○分後にMプレーヤーの運動量は□%落ちると予想されるので、交替は△分後)の判断も行ってくれると思います。
 試合中のプレーヤーへの指示、ハーフタイムでの戦法変更の指示等にも、役に立つ情報が得られそうです。

 「AIが試合の映像を対象として考慮する要素数・内容」がベンチスタッフと同様であれば、漏れの無い分析と正確な判断という面では、AIの方が勝っていると考えるのが自然です。人の眼では、全プレーヤーを観ること自体が難しいでしょう。

 何か、以前書いた記事と同じような結論になっているようで恐縮ですが、スポーツにおいてAIの判断力が十分に役に立つことは、間違いがなさそうです。

 (その9へ)
 21世紀に入ってからの「デジタル」データであれば、情報の加工もできますし、利用の利便性が高いのですが、20世紀の「アナログ」データとなると、利用の難易度は格段に増してしまいます。

 一方で、各競技の「歴史的プレーヤー」「伝説的プレーヤー」のプレーや情報となれば、アナログデータで保管されていることが多いと思います。

 例えば、サッカーにおけるヨハン・クライフ選手のプレーの映像を分析したい、世界のサッカーを変えたプレーヤーのプレー細部を調査・分析しようというニーズは大きいでしょう。

 ところが、クライフ選手の映像は、おそらく大半がアナログデータです。
 これをデジタルデータと同じように使用できるようにする技術、比較的簡単に利用できる技術が存在すれば、とても有効ということになります。

 アナログ映像はデジタル映像に比べて「汚い」とか、「はっきりしない」というのは、データ量が圧倒的に少ないので、止むを得ないものですが、一方で、サッカー競技の未来の為に「クライフのデータ」が必要となれば、クライフ選手がトラッププレーの時に「どこを観ているか」とか「どの筋肉を多く使っているか」といった情報が欲しいのは、自然なことです。

 アナログ映像から「どの筋肉が使われているか」を判定して行くのは、相当の難事でしょうし、そもそもその種の情報までは入っていない可能性もありそうですが、いずれにしても、その可否も含めて調査をしなければならない。調査に向けては「デジタル化」が効果的だと思います。

 「デジタル化」に向けては、その作業が比較的簡単で、低価格でできることが大切でしょう。大掛かりな装置と大きな費用が必要となるのでは、世界中での利用促進はなかなか進まないことでしょうから。

 いずれにしても、AIをスポーツに活用するためには、「アナログデータ」の一層の活用を進める必要がありそうです。

(その8へ)
 平昌オリンピックで羽生結弦選手が2大会連続金メダルを獲得し、国民栄誉賞の受賞が取り沙汰されるに至って、1994年生まれのアスリート達の活躍にスポットライトが当たっています。

 この世代は、MLB挑戦中の大谷翔平投手・選手と共に「羽生・大谷世代」とも呼ばれているのだそうです。

 1994年生まれの各競技のプレーヤーを挙げてみましょう。

① 羽生結弦(フィギュアスケート)
② 大谷翔平(野球・ベースボール)
③ 萩野公介(競泳)
④ 瀬戸大也(競泳)
⑤ 高木美帆(スピードスケート)
⑥ 川井梨紗子(レスリング)
⑦ 土性沙羅(レスリング)
⑧ ベイカー茉秋(柔道)
⑨ 鈴木誠也(野球)
⑩ 藤波晋太郎(野球)
⑪ 浅野拓磨(サッカー)

 他にも居るのでしょうが、オリンピックや世界選手権の優勝者や、プロ野球、プロサッカーといったジャンルでの各競技を代表するプレーヤーが並んでいます。
 なるほど「黄金世代」だと感じさせます。

 現在の日本スポーツ界は、1994年世代無くしては成立しないと言っても良いのでしょう。

 そうなると「何故、1994年生まれが強いのか」という話になります。そして「ゆとり世代の真ん中に位置する世代」であり、のびのびと育ったからだ、といった分析がなされているようです。

 一方で、例えば1995年生まれには「9秒98」の桐生祥秀選手が居ますし、必ずしも1994年に素晴らしいアスリートが集中しているわけではない、という見方もあります。

 であれば、「ゆとり世代」のアスリートが優秀だということだろう、という意見もありそうですが、一方で、「20歳台というのは多くのアスリートにとってプライムタイムだよ。ゆとり世代の多くが20歳台に入ってきたということじゃないの」という友人の見解もあります。

 「どのレベルの選手(例えば、オリンピック・世界選手権の優勝者)の数が、他年生まれより何割(例えば、5割以上)多ければ黄金世代」、といった明確な定義が無い(当然でしょうが)ので、どうしても曖昧な話になってしまうのでしょう。

 とはいえ、こうした黄金世代の話題が各所で採り上げられるというのは、「多くのスポーツにおいて日本選手の活躍が目立っている」ことを示しているのは間違いないことですから、嬉しい話なのかもしれません。
 今大会でも、スピードスケートのオランダ、クロスカントリースキーのノルウェーと、それぞれの競技における「王国」がその力を誇示しました。
 こうした「王国」はどのようにして成立して行くのでしょうか。

 スピードスケート王国のオランダを例に取って、考えてみましょう。

1. スケートが出来る場所が周囲に沢山あること

 国土の1/3が標高0m以下の土地であり、水路が縦横に配されているオランダは、気温が低い地域(北海道より遥かに高い緯度です)ですから、冬ともなれば一面が凍りつく=スケートが出来る場所に囲まれる、環境に有ります。

 物心付いたころから、冬になれば、お子さんはスケートを始めるのでしょう。
 これは大人になっても続きます。
 基本的に「競技人口が多い」のは、自然なことです。

 これだけ長い間「氷に乗っていれば」、あらゆるタイプの氷の特性を肌で感じることが出来るのでしょう。
 初冬、その季初めて氷結した氷、氷点下10℃以下の日が続き厳冬の中の氷、暖かくなり始めた頃の初春の氷、等々。
 堅い氷、柔らかい氷、表面は堅いが下は柔らかい氷、その逆、等々。
 こうした種々の氷を肌感覚で知っているスケーターとなるのです。
 まさにネイティブスケーターということになります。

 そうした国民の中から、強い選手が選ばれるのです。

2. 周囲の人たち

 気温が低い地域ですから、冬の話題は勢い「スピードスケート」になるのでしょう。お父さん、お母さん、祖父母、兄弟、親せき、友人の方々から、スケートに関する様々な情報がもたらされます。

 「スピードスケートの英雄」の話も盛り沢山でしょう。

 また、一族の中にスピードスケートの強者が居れば、その方の話を聞き、胸をときめかせる瞬間もありそうです。

 スピードスケートの選手への憧れが、育まれるのです。

3. テレビ他のメディア

 「王国」ですから、他の国より、スピードスケート競技会の番組が放送される機会も多そうです。
 こうした番組を観ながら、お父さんやお母さんから、「どうやって滑れば速く滑れるのか」といった情報も、当たり前のように耳に入ってくるのでしょう。

4. コーチやスタッフ

 世界で戦っている一流プレーヤーが多いということは、当然にハイレベルなコーチやスタッフも多いということになります。

 日本で言えば、小学校・中学校時代から、一流のコーチ・スタッフの指導を受けることが出来るのでしょう。

5. 速く滑ることが第一

 氷に囲まれた環境の中では、「速く滑る」ことが優先というか、「普通のこと」になりそうです。

 私の周辺でも、雪国出身の方に話を聞くと「都会から来た人たちはウェーデルンとかができる。右に左にスキーを動かす。でも私たちは、そういうことは出来ない。まっすぐに速く滑るだけ。」と言います。
 ギャップが有ろうが、新雪エリアに入ろうが、ザラメ行きであろうが、「まっすぐ速く滑る」ことが出来るという訳です。このネイティブスキーヤーの方たちは、曲がるのは、木や穴を避ける場合に限られますので、「何もないところで曲がる」という必要が無いのでしょう。(もちろん、選手になり、回転や大回転といった競技をするとなれば、上手く曲がる術をみにつけていくのでしょうが)

 スケートでも同じなのでしょう。
 氷に囲まれている環境下では、スピンやステップといったニーズが低い、まっすぐ速く滑ることに興味が集中するのかもしれません。

 スピードスケート王国オランダから、有力なフィギュアスケート選手や、強いアイスホッケーチームが生まれない、或いは生まれ難いというのは、こうした事情からかもしれません。

 このようにして「スピードスケート王国オランダ」が形成され、各世代に次から次へと強いスケーターが登場するのでしょう。

 「王国」を創るための環境は一朝一夕にはできないというか、おそらく、現在存在する「王国」以外の国が創ろうとしても、相当難しいことなのだろうと感じます。
 朝の情報番組(テレビ朝日グッドモーニング)を見ていると、クイズコーナー(林修先生のことば検定)で「今日3月6日は、日本最初のスポーツ新聞、『日刊スポーツ』が創刊された日です」との説明がありました。

 太平洋戦争終戦から「わずか半年で・・・」との説明もありました。

 私も「随分、早い創刊」という印象を受けました。
 
 国を挙げての全面戦争で国土は荒廃し、国力も底を突いた状況で、翌年の3月早々にスポーツ新聞を立ち上げた(初代会長は川田源一氏)というのも立派というか、凄いことですが、その初刊、販売された1万5000部が、あっという間に売り切れたというのも、驚くべき話です。

 心身ともに荒廃し、食べる物にも事欠いていた時期に、当然ながら「有料の新聞」が瞬間蒸発?したというのです。
 日本国民の潜在的なパワーが表れていると感じます。
 どんなに苦しい時でも、貧しい時でも、欲しい情報にはお金を使うという行動、おなかも空いていたが、最も渇望していたのは「心の栄養」であったことが、良く分かります。

 スポーツのみならず、歌謡曲を始めとする音楽への渇望も、とても強かった時代なのでしょう。エンターティンメントに対する欲求は、人間にとって本質的なものなのです。

 ちなみに、大相撲は1945年11月に本場所(10日間)を再開しました。
 プロ野球は、1946年4月27日からリーグ戦を開始しました。
 東京六大学野球は、1946年の春季リーグから再開しました。
 国民に人気のあったスポーツは、いずれも終戦後早々に再開されているのです。
 日本民族の逞しさ、スポーツへの強い思い、を感じると言ったら、大袈裟でしょうか。

 この時期、紙も、インキも、記者も、何もかも不足していたであろう時期に、大量の新聞を、焼け野原の東京で刊行したこと、川田会長以下の関係者の方々の意欲の高さ、思いの強さ、スポーツへの深い愛情に、感心させられるばかりです。

 こうした「ハイクオリティな意識」は、何でもある飽食の時代、21世紀のメディア人の皆さんにも、忘れていただきたくないものだと思います。
 スピードスケート女子500mのスタート位置に付いた小平奈緒選手を観た時、「あれっ、いつもと感じが違う」と思い、よく観るとサングラスが違うのです。

 いつもの「2色のサングラス」ではなく、「黒縁の透明のメガネ」だったのです。
 「1000mでの残念な結果を踏まえて、縁起を担いでメガネを替えたのかな」とも思いました。

 ところが、後日報道(結城コーチのコメント)が有り、「(いつも使っている)試合用のサングラスに交換することを忘れていた」とのこと。「それ程に集中していた」と。

 何だか、凄い話です。

 そういえば、スキージャンプ男子ノーマルヒルの時、「レジェンド」葛西紀明選手が胸元のファスナーを開けたまま飛びました。
 こちらは早々に「締め忘れ」と報じられました。

 ジャンプ競技では、身に付けているものによって「プラスの浮力を得ようとする」ことは固く禁じられていますから、この「ファスナーの締め忘れ」で失格になるのでは、「胸に空気を流し込むことによって浮力を得ようとする行為として」?、と心配されましたが、事無きを得ました。

 この「ファスナー締め忘れ」の方も、競技への集中力が高過ぎたことが要因かもしれませんが、この日の気象条件を勘案すると、「あまりに風が強く、あまりに寒かった」ことにより、葛西選手が集中できなかったことが要因かもしれません。

 いずれにしても、大舞台での「装束?の違い」は、長く残ります。

 小平選手の「金メダルレース」の映像は、これからも何度も、そして何十年にも(ひょっとすると数百年にも)渡って、メディアに流され続けるものでしょうが、そのメガネは「黒縁・透明」なのです。
 小平選手をリアルタイムで観ている私達は、「黒縁メガネ」の映像・画像を観た瞬間に、「これは平昌オリンピック500mの時」と直ぐに分かります。相当強力なアイデンティティがあるのです。
 一方で、後世の人々は「小平選手はいつも黒縁・透明メガネで試合に臨んでいた」と認識するのかもしれません。

 歴史的な瞬間の映像・画像の持つ影響力は、想像をはるかに超える程、大きなものなのでしょう。
 2月25日に幕を閉じた平昌オリンピックでは、日本選手団の活躍が目立ちました。

 これまで最多だった長野オリンピックにおける10個を大きく上回る、13個のメダルを獲得したのです。
 金メダル4、銀メダル5、銅メダル4の13個です。

 「17日間の大会で13個のメダル」、開会式と閉会式の日程を考慮すると、何となく「毎日、日本人プレーヤーのメダル」を観ていたような感じさえします。
 なんと楽しい2週間であったことでしょう。

① 日本選手団の大会MVPは原大智選手

 KaZブログが認定(勝手に)する、平昌オリンピックにおける日本選手団のMVPは、フリースタイルスキー・モーグル男子の原大智選手です。
 2月12日に行われた準々決勝から一気に得点を伸ばし、銅メダルに輝きました。

 この原大智選手と男子モーグルチームの活躍は、「日本選手団に勢い」を齎してくれたと思います。

 大会前から「史上最多のメダル獲得」が期待されていた日本選手団ですが、2月9日に開幕以降、2月12日のフリースタイル・モーグル男子種目の予選までは、全然元気が無かったのです。

 期待された、スノーボード・スロープスタイル男子やフィギュアスケート団体、スピードスケート・女子3000mといった種目では、何か「オリンピックの重圧」に押しつぶされているようなプレーが連続しました。採点競技では、日本選手になかなか良い点が出ない印象でした。

 「この大会の日本選手団は持てる力を発揮できずに終わるのではないか」といった雰囲気が漂い始めていました。
 そうした「暗雲」を一気に吹き飛ばしてくれたのが、原大智選手の銅メダルだったのです。

 同じ12日の夜、スピードスケート女子1500mで高木美帆選手が銀メダルをゲットし、「1日で複数のメダルを獲得した」日本選手団は、一気に勢いに乗ったと感じます。

 原大智選手は、文句無しの最優秀選手でしょう。

② 期待通りの活躍

 大会前にメダルに向けた活躍が期待されていたプレーヤーの多くが、メダルを獲得した大会でした。
 当然のことながら、これは凄いことです。

 予想精度が高いと評されている海外メディアから「金メダル最有力」と言われていた、フィギュアスケート男子シングル、スピードスケート女子500m、スピードスケート女子チームパシュートの3種目は、見事に金メダルでした。

 日本選手が、海外メディアから予想されていた種目の全てにおいて、金メダルを獲得したオリンピックというのは、過去に有ったでしょうか。
 各プレーヤーの実力の高さ、本番での強さ、には感服させられます。

 そして、スノーボード男子ハーフパイプ、スピードスケート女子1000m・1500m、スキー複合ノーマルヒル、そしてスキージャンプ女子ノーマルヒルといった、活躍が期待された各種目で、「着々と」銀メダル、銅メダルを獲得しました。
 これも凄いことです。

 これらの種目における日本選手に共通していたのは、「持てる力をオリンピックの舞台で如何無く発揮する能力」でしょう。
 この「大舞台で実力を発揮する能力」の向上が、近時のオリンピックにおける日本選手の活躍に結びついていることは、間違いありません。

 もちろん、世界トップクラスの大会に数多く出場し、世界トップクラスのゲームの雰囲気、ライバル選手たちのプレーぶりを肌で感じ、自らのノウハウとして蓄積してきていることも、「実力を発揮するための要素」として、重要なことです。

 そして、ここが一番大事なこと(当たり前のことでもあります)なのですが、「オリンピックでメダルを争う実力」を身に付けているのです。
 各競技のワールドカップクラスの大会で、時々3位に入るとか、1度だけ3位になったことがある、というのでは、大舞台でメダルを争うには力不足であることは明白でしょう。
 「一発ひっかけてのメダル」というのは、殆ど有り得ないのです。

 今大会でメダルを獲得した日本選手は、いずれも「世界の頂上の実力」を保持している選手ばかりです。
 「メダルの色」は、相手選手の出来や時の運に左右されるのは、スポーツにおいては止むを得ないことです。スポーツの順位は優れて「相対的なもの」なのですから、自分より強い選手、速い選手が居れば、金メダルを逃すこともあるのです。
 しかし、この域に達したプレーヤーは、メダルを逃すことは無いのでしょう。
 本大会の日本選手団に「メダルを逃すことは無いプレーヤーが多数揃っていた」ことになると思います。

③ 神様からの「+α」

 こうしたメダルラッシュの大会では、大抵、勝利の神様からのご褒美というか+αがあります。

 今大会終盤の2月24日、まずスピードスケート女子マススタートで高木菜那選手が金メダルを獲得し、続いてカーリング女子チームが銅メダルを獲得したのは、まさに「+α」でしょう。
 
 マススタートレースの最終周回、最後の直線に入るところで、高木菜那選手の前が一気に開きました。振り返ってみれば「天恵」のような、ワイドオープンでした。
 カーリングの第10エンド、イギリスチームの最終ショットは、イギリスの銅メダルを確定するためのショットでした。
 ところが、NO.1ストーンになったのは黄色でした。信じられないような光景であったことは言うまでも有りません。

 勝利の神様のプレゼントの様な「+α」のメダル。
 もちろん、高木菜那選手や女子カーリングチームが、そのメダルに相応しい実力を具備していたことは間違いありませんが、メダル獲得の過程で「勝利の神様がほほ笑んだ」ことも間違いないことの様に感じるのです。

 平昌オリンピックにおける日本選手団の大活躍は、2月9日から25日までの間、日本国民にこの上ない喜びを齎しました。
 毎日、多くの人々が笑顔で過ごしていたのです。

 スポーツの力を、改めて感じます。
 2月9日から始まる平昌オリンピックに向けて、多方面の準備が進み、選手村への入村も続いています。
 4年に一度の「冬の祭典」ですから、各選手を始めとする関係者の皆さんは「仕上げ」の時期を迎えているのです。

 この平昌五輪ですが、近時「懸念事項」として「寒さ」が喧伝されるようになりました。

① 氷点下20℃以下?

 冬のオリンピックですから「寒いのは当たり前」なのでしょうし、寒いから冬場の競技・種目ができるのですけれども、それにしても相当に寒くなりそうだと報じられています。

 もともと内陸で寒い地域の上に、オリンピック期間中に「大寒波」が来るのだそうです。
 氷点下20℃を越えるのではないかとも言われています。

 これまでの冬のオリンピックで最も寒かったのは、1994年のリレハンメル大会(ノルウェー)で、氷点下11℃を記録したそうですが、もし前述のような寒波が来ると、平昌大会はその記録を大幅に超えることになります。

 前回のソチ大会は、同時期の東京より暖かく、降雪も少なかったという、これはこれで異例の大会でしたが、自然相手のスポーツというのは、いろいろなことが起こるものです。

② 選手・観客・ボランティア

 選手は、冬季競技に携わっているのですから、寒い中でのプレーには慣れている筈ですが、それにしても、開会式やプレーとプレーの合間の過ごし方には工夫が必要かもしれません。
 予選から決勝への過ごし方など、十分な留意・対策が必要でしょう。硬くなった筋肉はなかなか元には戻りません。

 観客は大変です。
 特に開会式は屋外スタジアムで行われますし、夕刻から夜にかけての実施ですから、相当に寒そうです。
 体調を崩す観客が多数出るようでは、オリンピックどころではなくなってしまいます。

 ボランティア、大会運営補助者も相当厳しい状況に置かれていると伝えられています。
 バスを待つ間に「冷え切ってしまった」ということで、2千人を越えるボランティアが離脱したと報じられました。
 「オリンピックの役に立ちたい」と考えているボランティアを、万一にも「粗略に扱う」といったことがあれば、大会の成功はおぼつかないでしょう。(そもそも、ボランティアが離脱するオリンピックは聞いたことが有りません)しっかりとした体制作りが必須です。

 世界最高水準のプレーを披露するためには、世界最高水準の体制が必要なことは、自明の理です。
 
 こうしたトラブルを乗り越えて、平昌オリンピックが成功に向かってほしいものだと願わずにはいられません。
 スポーツに関するビッグデータを収集しようとすると、種々の「権利」との関係が発生しそうです。

 例えば、陸上競技短距離でウサイン・ボルト選手のフィジカル関連情報やプレー関連情報を分析することは、「早く走るためのノウハウ」を得るために、非常に有効だと思います。
 
 我が国のテレビ放送においても、時折、「ウサイン・ボルトの速さの秘密」といった趣旨の番組が流れることが有り、最新の技術を用いて、ボルト選手の走りを分析しています。
 この番組で収集された情報の「権利」は誰にあるのでしょうか。

 ボルト選手本人にあるのか、ボルト選手が所属する組織・団体・会社にあるのか、番組の制作会社にあるのか、放送したテレビ局にあるのか、ケースにより異なるのかもしれませんが、いずれにしても「この番組の情報をデータとして利用するためには」、その権利者の同意が必要になるのかもしれません。

 日本においても、トップアスリートのスキルを分析し公示するテレビ番組は存在します。一見したところでは、現時点では、各プレーヤーも「自分が知りたい」ということもあってか、取材・調査に対して協力的な様子ですし、そこから得られたデータの開示についても前向きな様子です。

 AIをスポーツに活用しようとする人・組織・企業は、「データを収集しやすい時」に出来る限り集めておくという作業を急ぐべきなのかもしれません。

 トップアスリートが自分に関する情報を「出し渋る」というか、安易には他社に与えない時代が来る可能性は、十分に有ります。

 オリンピックや世界選手権大会といった競技の場の映像でも、それをデジタル情報として利用し、他者の利益になるような使い方をするとなれば、「当該情報の権利」が主張されても不思議ではないからです。

 「肖像権」という古典的な権利とは異なる、スポーツのプレーそのもの、スキルそのもの、についてプレーヤーやプレーヤー周辺の方々が「従来以上に権利を主張する時代」がやってくる可能性があります。

 この「権利主張」は、ビッグテータ収集の大きな障害となるかもしれません。

 ひょっとすると、AI発展の最大の妨げとなるのは「権利」という概念かもしれないと感じます。

 (その7へ)
 AIがその威力を発揮するためには、「ビッグデータ」が揃っていることが重要です。

 過去の様々なデータとの比較・分析により、未来・将来を予測するのです。

[定点性・連続性]

 ビッグテータに「定点性」「連続性」が備わっていると、そのデータの活用がとても容易になり、かつAIの判断の正確性が向上することになります。

 例えば、気象予報であれば、過去の気象情報が相当正確に、かつ大量に保管されていますので、その活用により、AIの予報は極めて正確なものとなります。

 ある地点の気温・湿度・雨量・風速・風向き等々のデータは、気象庁や世界中の各機関の継続的な努力により、相当な量と質で蓄積されていますから、現在の気象予報の精度は極めて高いものなのでしょう。

 現在の気象予報・天気予報は、AIが行っていると思いますし、このジャンルはAIが最も得意とするものでしょう。
 AIは必要な情報、膨大な情報を瞬時に集め、分析し、プログラムにより結果を出します。
 その間、数分あるいは数秒かもしれません。

 気象予報士の皆さんは、その個性的なキャラクターにより、このAIが予測した結果を視聴者の皆さんに分かり易く伝えるのが仕事と言うことになりそうです。
 この「伝える作業」についても、AIが直接行う時代も直ぐにやってきそうです。

 人型ロボットとの併用になるのか、漫画等の画面を利用するのかはともかくとして、AIが「言葉を使う」ことに精通しつつあることは、皆さんご承知の通りです。

 さて、スポーツにおけるAIの活用となれば、この「定点性」「連続性」の確保は、気象情報程に容易なことではないでしょう。

 各競技によって程度は様々でしょうが、30年間あるいは40年間以上に渡って、同レベルのデータが保存されている競技は少ないと思います。

 まずは「フィジカル関連情報」ですが、身長・体重を始めとするプレーヤーの基本情報、それに付随する筋力や俊敏性等の情報、そして「プレーの様子」が揃えば、相当に有効なビッグデータとなりそうです。

 この情報を、統計学的に誤差が少なくなるであろう量を確保することが、容易なことでは無いことはお分かり頂けると思います。

 例えば、高校野球の甲子園大会は、相当以前からの映像情報は残っていると思いますので、これに個々のプレーヤーの基本情報を組合せることが出来れば、「高校生時期の日本トップクラスの野球選手」に関するデータとして有効なものとなるでしょう。

 一方で他の競技では、甲子園大会程の映像データ、全国大会の映像データが残っているとは思われませんので、ビックデータとしては不十分と言うことになるのかもしれません。
 高校サッカーや高校ラグビーなら、かなり近いレベルのデータがあるかもしれませんが。

 アメリカの各プロスポーツ、MLBやNFL、NBAといった団体のスポーツなら高いレベルのビッグデータが存在しそうです。
 アメリカは「データ分析」が大好きな国ですし、ベーシックなところで「合理的に考える習慣」も一般化しているように感じられます。

 いずれにしても、AIをスポーツで活用するとすれば、いかにして大量の高品質なビッグデータを収集・蓄積するかがポイントとなるのでしょう。

(その6へ)
 1月18日、スポーツ庁から中学生の部活時間の指針が示されたと報じられました。

 スポーツ庁による「指針」の狙いは、現状極めて忙しく、長時間労働を強いられている教職員の労働実態の改善にあるとも伝えられていますが、スポーツに取組む生徒たちにとっても、とても大きな影響のある「ルール呈示」だと思います。

① 試合に臨む際の「体調」に合わせたトレーニングの実施

 過剰に疲労した状況下で、技術的なトレーニングを行うことは有効ではないと考えます。
 やはり、試合に臨むときの体調で各種のトレーニングを行うことが大切でしょう。
 その「体調」において使える技術やパワーでなければ、意味が無いとも思います。

 長々と練習を行い、フラフラになった状態で技術を身に付けたとしても、実戦で使う機会は殆ど無いでしょうし、正しい技術が身に付く可能性も低いと考えます。

 「試合が長引いた場合」については、「中学生段階の試合が疲労困憊の状態にならないように試合のルールを制定する」方向で対応すべきだと思います。
 
② 体に対する無理な負荷を避けること

 当然のことながら、体が出来あがっていない年齢の「中学生」に、過度な負荷を課することは回避しなくてはなりません。
 故障などを発症してしまっては、元も子もないからです。
 将来、別のスポーツを行おうとするときや、日常生活に、支障のある状況になったりしては、何のための「中学生時代のスポーツ」なのか分からなくなってしまいます。

 この点からも、平日2時間、休日3時間、週休2日という指針は、スタートラインとしては妥当な基準なのでしょう。

③ 「長くやれば良い」というものではないこと

 「練習時間とスキルが比例する」なら、こんなに簡単なことはありません。上手くなるため、強くなるためには、長々と練習をすればよいことになります。世の中に、そんなに簡単な話がある筈がないのです。
 実際には全く無関係であることは明らかです。

 「強くなるための努力」には、高いレベルの合理性が不可欠です。
 指針で決められた時間の中で、自らにとっていかに合理的な練習を行うことが出来るかが、大事なポイントであることは間違いありません。

 今後、今回の指針の「時間」による効果に対して、様々な検証が行われることと思いますが、①や②を実現していくために、「いかに短時間で効果的な練習を行っていくか」がノウハウとして蓄積されていくものと思います。

④ 生徒に対する「目途」の提示

 監督・コーチといった立場の人たちに対すると同時に、生徒に対しても明確な基準として提示できるところが、良いと思います。

 当該スポーツが大好きな生徒の中には、「もっと練習したい」と考えて「やり過ぎる」リスクがあります。ライバルの選手達より「長く、沢山練習すれば、自分の方が上手く強くなる筈」といった勘違いが、生まれる可能性も有るのでしょう。
 こうした生徒が「つぶれてしまう前に」歯止めをかける必要があるのです。

 心身共に成長する過程にある中学生に対して、妙な根性論とか、過度な励まし、そして長々としたトレーニングは回避すべきことであることは、誰もが分かっていることだと思いますが、これを「ルールとして公示」することの意義は、大変大きなものだと感じます。

 様々な点から「合理的な取組」を行う習慣は、若いうちに身に付けることが大事なのでしょう。
 
 スポーツ庁は、今回の指針には「罰則規定」も考えていると報じられています。
 「部活の運営に罰則規定」というのも、何かものものしいですし、寂しい感じもしますが、「合理的なものの考え方をどうしても身に付けることが出来ない人」が存在するのであれば、止むを得ないことなのかもしれません。

 「合理的なものの考え方をどうしても身に付けることが出来ない人」が周囲に害毒をまき散らす存在になりやすいことは、数々の例が証明しているところです。

 我が国のスポーツの将来に対する、今回のスポーツ庁の「指針」の効果が期待されます。
 このところ、様々な競技で「暴力沙汰」が発生しています。

 もとより、「暴力」は一切許されるものでは無く、本ブログでも、「殴る・蹴る」といった行為を併用するトレーニングでは強くなることは出来ない、と書いてきました。

 一方で、「暴力沙汰」に関して、別の種類の情報も明らかになって来ています。

 例えば、大相撲の稽古において、親方から注意を受けると「舌打ち」をする力士がいるのだそうです。この話を聞いた時に、「まさか」そんな力士は居ないだろうと思い(大相撲を職業として選択し、強くなろうとしている人がそんなことはする筈が無いという考え方)、大相撲関係者に確認したところ、そういう力士が居るのだそうです。

 「舌打ち」をしても、絶対に殴られることが無いことが分かっているから、こうした行為を行う、という話でした。

 当該の力士を強くしたいと考えて指導している人の言葉に対して「舌打ち」で応えるというのは、その指導が「嫌」だからでしょう。誰でも、やりたくないトレーニングはあるものだとは思います。
 とはいえ、「自分が嫌なトレーニングはやらない」というのでは、強くなるのは難しいでしょう。弱点を克服するためのトレーニングが、当該プレーヤーにとって「やりたくない種類のもの」であることは、自然な話です。

 加えて、たとえその稽古をやったとしても、こうした「心持ち」=「嫌だな」と思いながらやるのでは、トレーニングの効果も上がり難いものだと思います。

 結果として、こうした「心持ち」のプレーヤーは、上達するのが難しいのでしょう。

 周囲の指導に対して「舌打ち」で応えるのは、そのプレーヤーの自由ですが、そのプレーヤーは強くなることは諦めた方が良さそうです。

 そうしたプレーヤーが引退する時に「自分が強くなれなかったのは、指導者に恵まれなかったからだ」と考えるべきではないでしょう。もともと、「強くなるのが難しい心持ち」のプレーヤーだったのです。大成しなかったのは自分の責任なのでしょうから、他者のせいにするべきではありません。

 また、こうした「心持ち」は、幼少時からの育った環境等によって身に付いているものなのでしょうから、本格的なトレーニングを行う段階から直していくのも、相当難しいことの様に思われます。

 筋力、運動神経、俊敏性、体格といったフィジカルな各ポイント以外に、「スポーツ上達に向いた心持ち」というのも、「天賦の才能」のひとつであろうと思います。

 時折一流のアスリートから聞かれる、「いくらトレーニングをしても飽きることが無かった」という言葉の重さを、改めて感じるのです。
 1月8日に幕を閉じた全国高校サッカー選手権大会は、前橋育英高校チームが優勝しましたが、その試合日程、極めて過密なスケジュールについて、長友佑都選手が警鐘を鳴らしたと報じられました。

 前橋育英チームは、1月2日の緒戦から、3日、5日、6日と試合を行い、8日の決勝戦に臨みました。「1週間で5試合」という極めて厳しいスケジュールだったのです。

 一方、同じく8日に幕を閉じた全国高校ラグビー大会は東海大仰星高校チームが優勝しましたが、こちらのスケジュールも過密でした。
 12月30日の緒戦から、1月1日、3日、5日と戦い、8日の決勝戦に臨んでいます。
 10日間で5試合を戦っていたのです。
 サッカーに比べてラグビーの方が、連日の試合が無いという点や準決勝から決勝まで「中2日」が確保されていますので、少し余裕のある日程と言えるのでしょうが、それでも2日に1試合という、ラグビー競技の性格を考えれば極めて厳しいスケジュールであることは間違いないでしょう。

 冬休みの間に大会を終了したいということから、こうしたスケジュールとなっているのでしょうが、長友選手の「選手がつぶれてからでは遅い」というコメントにも表れているように、「異常な日程」という指摘を受けても仕方が無い様相です。

 共に90回以上の歴史を誇る大会ですから、「昔からこうやってきた」という意見もありそうですが、例えば長友選手が出場した時には「12日間」の大会だったものが、今大会は「10日間」となっているように、以前より一層厳しいスケジュールになってきていることを見逃してはならないと思います。僅か2日の短縮ではありません。この2日があれば、連日の試合を防ぐことが出来るのです。

 年々、プレーヤーの体調管理に対する取組が進んでいる時代において、スケジュールが厳しくなって来ているのは何故なのでしょうか。

 全力でプレーするとすれば「1週間で1試合が適性」と感じられる、「走り続けるスポーツ」としてのサッカーやラグビー競技において、1週間で5ゲームとか、10日間で5ゲームというのでは、各チームがそのパフォーマンスをグラウンドで十分に展開することが出来ない可能性があります。

 さらに、休養十分な時なら100の力を出せるが疲労残りの状態なら30に力が落ちてしまうタイプの選手より、休養十分の時70・疲労残りでも60の力を出せるタイプの選手の方をレギュラーメンバーに選定するということも、ありそうです。

 日本の高校最高レベルの大会で、より高いパフォーマンスを示せる選手より、ベストパフォーマンスは低いが、より「使い減りしない選手」が試合に出場するということが起こるとしたら、世界で戦って行くために最高パフォーマンスを向上させるという面からは、マイナスになっている可能性もあるでしょう。

 対応策としては
① 大会期間を長くすること
② 出場チーム数を減らすこと

 といったやり方が考えられますが、種々の要因から①が難しいとすれば、②を検討する必要があるのかもしれません。

 野球の甲子園大会でも同様ですが、「各都道府県から1校以上の代表チーム」が出場するのでは、過密なスケジュールを回避するのは困難なのです。
 かつてのように、隣県との代表決定戦を行うことも、ひとつの方法でしょう。

 「全国の都道府県から『私達の代表チーム』が檜舞台で戦う」というのは、とても魅力的な大会構成ですし、一度「1都道府県1代表以上」の大会となったなら、いまさら戻せないという意見もあるのでしょうが、こうした過密スケジュールが「当該競技のレベルアップの阻害要因になっている怖れが有る」のであれば、見直しも検討すべきなのでしょう。

 「1週間あるいは10日間に5試合」という「異常な」スケジュールへの対応は、待った無しなのではないでしょうか。
 碓井哲雄氏(76歳)と北の富士勝昭氏(75歳)は、箱根駅伝と大相撲の名解説者です。

 両氏が何時から「解説」を始めたのかは、正確には記憶していませんが、少なくとも21世紀に入った時には、解説をしていただいていたと思います。

 北の富士氏の解説は、軽妙にして洒脱。最近では、向う正面の舞の海氏との「掛け合い」がとても面白いと思います。
 意外?なことですが、「横綱経験者が主たる解説者」になるのは、北の富士氏が初めてなのだそうです。

 碓井氏は、中央大学在学中に「栄光の箱根6連覇」の一員として大活躍。その後、母校中大や本田技研工業チームのコーチや監督を務めました。
 今や、日本テレビの箱根駅伝放送の解説者として、欠かせない存在となっています。

 その解説は、「駅伝競技の本質を思い出させてくれるもの」だと思います。
 2018年大会においても、6・7・8区で大幅なリードを創り出し、2番手チームに大差を付けた青山学院大チームの勝利の色が濃くなった状況で、碓井氏は「9区、10区も長いので、まだ何が起こるか、分かりませんよ」とコメントしました。

 テレビを観ていた私も「ああ、その通りだな」と感じました。

 箱根駅伝の本質である「完走することの難しさ」を、碓井氏はあらためて指摘したのです。
 饒舌ではないが、何と的確なコメントでしょうか。

 結果として、9区10区を観戦する者に「緊張感」を取り戻し、観戦への集中力を上げたことは、言うまでも有りません。そしてこのこと=観戦への興味を盛り上げることが、「解説者の最も大切な仕事」であることは、間違いのないところです。

 一方で、碓井氏も北の富士氏も70歳台も半ば。
 「後継者」の登場が待たれる年齢なのです。
 良い解説者は一朝一夕には生まれないでしょう。視聴者がその解説者の持ち味を肌感覚で理解するには時間がかかりますし、解説者の解説者としての成長にも一定の経験が必要であろうと思います。

 大相撲も箱根駅伝も、北の富士氏、碓井氏に続く後継者の育成を急がなければなりません。
 あけましておめでとうございます。

 2018年もKaZブログを、よろしくお願いいたします。

 さて、今年も書初めはこのテーマにしました。
 
 2018年は、ビッグイベントのある年です。

 まずは、サッカーのFIFAワールドカップ2018ロシア大会です。

 4年に一度の、世界最大のスポーツイベントと呼ばれる大会ですが、2014年のブラジル大会からもう4年が経ったか、という感慨もあります。
 6月14日から7月15日にかけて開催されます。

 次には、こちらも4年に一度の冬のオリンピック・平昌大会(韓国)です。
 2月9日から25日にかけて開催されます。

 2018年は、この2つのビッグイベントを中心として、例年開催されるものもあれば、数年に一度のイベントもあるという、「盛り沢山」な年なのです。

 主なイベントを挙げてみましょう。

[1月]
① 1日 第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝(埼玉スタジアム)
② 2日・3日 第94回東京箱根間往復大学駅伝競走
③ 3日 第71回ライスボウル(アメリカンフットボール、東京ドーム)
④ 8日 カレッジフットボール全米王座決定戦(メルセデスベンツ・スタジアム)
⑤ 28日 アイスホッケーNHLオールスターゲーム(アマリー・アリーナ)

[2月]
① 4日 第52回スーパーボウル(USバンク・スタジアム)
② 9日~25日 平昌冬季オリンピック

[3月]
① 2日~4日 世界室内陸上競技選手権大会(イギリス・バーミンガム)
② 9日~18日 平昌冬季パラリンピック
③ 23日~12日間 第90回選抜高等学校野球大会
→90回記念大会となります。

[4月]
① 6日~9日 ゴルフ マスターズ・トーナメント(アメリカ・オーガスタナショナルゴルフクラブ)

[5月]
① 31日~6月17日 バスケットボールNBAファイナル
② 27日 日本ダービー
③ 27日 インディアナポリス500マイルレース

[6月]
① 14日~7月15日 FIFAワールドカップ・ロシア大会
② 16日・17日 ル・マン24時間耐久レース(フランス・サルトサーキット)

[7月]
① 2日~15日 ウインブルドン選手権(イギリス・ロンドン)
② 7日~29日 ツール・ド・フランス(自転車)

[8月]
① 5日~17日間 第100回全国高等学校野球選手権大会
→100回記念大会となります。
② 18日~9月2日 第18回アジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ他)
→アジアオリンピック評議会(OCA)が4年に一度開催する総合大会。アジアのオリンピックとも呼ばれます。我が国では一般的に「アジア大会」と表記されることが多いと思います。
③ 27日~9月9日 全米オープンテニス(ビリージーンキング・ナショナルテニスセンター)

[9月]
① 国民体育大会(福井県)

[10月]
① 7日 第97回凱旋門賞(競馬、フランス・ロンシャン競馬場)
② 11日~14日 日本オープンゴルフ選手権競技(横浜カントリークラブ)
③ 23日~31日 MLBワールドシリーズ
④ 27日~11月4日 NPB日本シリーズ

[11月]
① ホッケー・ワールドカップ(男子インド、女子イギリス)
→4年に一度、国際ホッケー連盟が開催する、フィールドホッケーのワールドカップです。ホッケーといえば、インドやパキスタンのお家芸だったのは20世紀の話。
21世紀に入ってからは、男子はドイツとオーストラリアが覇を競い、女子はアルゼンチンとオランダが交互に優勝しています。フィールドホッケー最大のナショナルチーム同士の大会として、今年も大激戦が予想されます。

 2018年のスポーツイベントをざっと見てきました。

 この他にも、ゴルフやテニスの四大トーナメントの残りの大会、競馬のクラシックレースやジャパンカップ、天皇賞(春)(秋)、有馬記念、ドバイミーティング、ブリーダーズカップ、大相撲の年6場所、等々枚挙に暇がありません。

 2018年も、超エキサイティングな年になりそうです。

 ご一緒に楽しみましょう。
 20世紀後半、スポーツ界、特に陸上競技や競泳、体操といった競技・種目で驚異的な強さを示した「東側諸国」(ソビエト連邦や東ドイツなどの国々を指しています)の強化策のひとつとして、「スポーツエリート・ステートアマチュアの育成」が指摘されていました。
 若いというか、日本で言えば小学校低学年くらいの時期に、向いている競技・種目を決めて、国ぐるみで育成を行うというものです。

 「西側諸国」においては、個々の人が「自分の好きな競技」「親から言われた競技」「近所にあったスポーツクラブの競技」といった理由から、若い時期に取組むスポーツが決まることと比べて、スポーツエリート方式は、より効果的に強化が出来る、と目されていたのです。

 この「個々の人間に対して、適性のあるスポーツ競技を選択する」という作業において、AIは相当の威力を発揮するように思われます。

 6~7歳になった時に、「自分に向いているスポーツ競技・種目を知りたい」という人が居た時に、あるいは、より多くの場合には、「自分の子供に向いている競技・種目を知りたい」というニーズを受けて、AIが判定を行うのでしょう。

 骨格、体の形、柔軟性などの調査結果をもとに、ビッグデータとの比較を行うことになるのでしょうが、病歴や先祖・ご家族の情報もあれば、より判定しやすいのかもしれません。

 父親がプロ野球選手であったといった情報があったとしても、その子が「野球に向いているとは限らない」のは自然なことです。ひょっとすると、その父親も野球より向いていた競技があったのかもしれないのですから。

 こうした判定は、AIにとってはごく初歩的な機能の様に感じられますが、それだけに精度が高い可能性も有ります。

 とはいえ、こうして考えていくと、その子の将来の一部をAIが決めていくような「違和感」は拭えません。

 AIが「やれること」と「やってよいこと」の区分が必要だという見方もありそうです。
 また、大人になった時に「自分がやっているスポーツはAIが決めた」とご本人が知った時に、不満を感じる方もいるかもしれません。
 その子がやりたいと考える競技と、「やらされている」競技の違い、子供時代の「選択の自由・権利」の問題とも言えるのかもしれません。

 いつの時代もそうなのでしょうが、新しい技術、時代をジャンプするような「不連続な技術革新」が行われるときには、「神の領域」議論が発生するものなのかもしれません。

 「適性診断」については、AIは十分に対応出来そうですが、それ以前の問題があるということなのでしょうか。

 AIの活用と個人の権利の問題は、相当奥が深そうです。

 検討は2018年に続きます。

 (その5へ)
 トレーニングにおいても、AI活用の可能性は大きいと思います。

 今回は陸上競技・短距離を例に取りましょう。

 まずランナーAさんの基本情報を調査します。
 身長・体重、手足の長さといった基本情報から、体各部署の筋力測定、筋肉が動く速度・可動域といった情報を取ることになるのでしょう。

 一方、ビッグデータの中から、Aさんが目指すべきレベルのアスリートの情報を取得し、比較を行い、Aさんの競技能力向上に向けた強化策が導き出されそうです。
 
 個々のアスリート毎の強化策が策定できるとすれば、とても有効です。

 こうした例で見れば、ビッグデータの中にどれくらいの情報が存在するかがポイントになります。
 おそらく、世界最高水準、オリンピック出場選手レベルの情報は、現在でも相当量存在すると思われますが、これが高校生レベル、中学生レベル、それも全国大会レベル、地方大会レベルと区分すると、必ずしも必要・十分な情報は存在しないのかもしれません。

 とはいえ、短距離走という種目に必要なこと、例えば「余計な筋肉は付けてはならない」とか、「体幹の役割」といった、ベーシックな情報は有るでしょうから、少なくとも「間違ったトレーニング」を回避する役には立ちそうです。

 「一定量の個々のランナーの情報」を入力すれば、自動的に「現在必要なトレーニングメニュー」が示されるといった機能は、AIコーチにとってはそれ程難しいことではなさそうに考えられます。

 例えばスタートダッシュに限定して観れば、現状のAさんの体躯を考慮して望ましいスタートのイメージを出力します。
 1・2・3歩目の着地位置や、足を地面に付く角度等が示されますから、その動きを可能にするトレーニング、必要な筋力と敏捷性を具備するためや、足の角度を矯正するための、トレーニングメニューが、AIコーチにより示されることになるのでしょう。

 そして、一定期間(3ヵ月とか6ヵ月)の後、再度検証を行い、当該メニューの効果を測り、必要に応じて見直すことになるのでしょう。
 効果が上がっていれば、より記録を伸ばせるメニューに、効果が上がっていなければ、その原因を推定した後、別のルートで記録向上に挑む、といった形です。
 いずれにしても、AIコーチの指示は「明確な情報をベースに出されて」いますから、次工程の作成も根拠のあるものになると思われます。

 こうした、AIコーチによるトレーニングメニューの構築の、もうひとつのメリットは、そのスピードでしょう。
 AIコーチは「あっという間に」数多くのプレーヤーのメニューを作ってくれます。

 20名~30名のプレーヤーが居る、各学校の陸上競技部の全ての部員に対してメニューを用意するのも、難しいことではなさそうです。

 もちろん、AIコーチのメニューにより全てのプレーヤーの記録が向上するかどうかは、そこは分からないところなのでしょう。
 個々のプレーヤーの各種情報と、ビッグデータから得られる参考情報の精度と、「利用方法のロジック」の完成度によることは間違いありません。
 AIコーチの利用を進めながら、検討に加える要素を取捨選択する等、不断の見直しが重要なことは言うまでもありません。

 今回はトレーニングについて、AI活用の可能性を観てきました。
 そして今回も、良いコーチを創りだしていくことは、人間コーチでもAIコーチでも同じ方法論が適用できるように感じます。

 人間コーチとAIコーチのどちらが優れているかは、今回も分かりませんでしたが、少なくとも「トレーニングメニュー作成スピード」についてはAIコーチの方が勝っていると思います。

 あと5年もすれば、世界中の若手アスリートの為のトレーニングメニューが、AIコーチによって齎される時代が来るのかもしれません。

 (その4へ)
 AIが試合のマネジメントをすることが出来るようになるか、という問いの答えは、「出来るようになる」ということでしょう。
 分かり易く言えば「AIに試合の監督が務まる」ということになります。
 ひょっとすると、現時点でも可能かもしれません。

 サッカー競技を例にとります。

 試合に臨むにあたっては「相手チームの分析」が最初の仕事になります。
 相手チームの予想されるメンバー個々の分析、相手チームの得意とする戦術の分析等を行うことになります。
 これは、ビッグデータを駆使するAIにとっては得意な仕事でしょう。

 続いて、自分のチームのチーム力分析を行うことになります。
 自チームのメンバー個々の分析、自チームの得意とする戦術の分析等を行うのでしょう。

 孫子曰く「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」ですから、この2つの仕事は、最初に行わなければならないものです。

 当然ながら、両方の分析は細部に至ります。
 個々のプレーヤーについては、ポジション、得意なプレーはもちろんとして、1試合平均の運動量、7km走れるのか8km走れるのか、10km以上走れるのか、とか1回の移動距離、30mなのか50mなのか、とか、移動速度とか、検討・分析すべき項目は極めて多岐に及びますが、これはAIにとっては容易な仕事でしょう。

 続いて、「この試合に臨む戦略・戦術の策定」になります。
 これが最も難しいポイントのひとつでしょう。「考え方」が重要になるからです。

 過去の対戦成績、試合内容の分析はもちろんとして、現状の相手チームの戦力・戦術、相手チームの個々のプレーヤーの能力等々を分析した上で、自チームの戦略・戦術を構築していくことになります。自チームのメンバー選定も、この段階で行うことになるのでしょう。
「決定力」といった要素がここでは重要なファクターになります。
 戦術によって「出来るスペースの位置」とか「フリーになるプレーヤー」を把握しながらの検討が進むのでしょう。

 「オールコートプレスで前から仕掛ける」「堅守・速攻でFW2名以外は皆引く」等々の戦略が練られ、フォーメーションも決まっていきます。4-4-2、3-5-2等々。
 もちろん、自チームのプレーヤーの個性・特質・能力と相手チームのプレーヤーのそれとを比較して、どのフォーメーション、どの戦術が良いかを選定して行くことが必要なのは、言うまでもないことです。
 また、リーグ戦やトーナメント戦によっても、検討結果は異なってくるのでしょう。

 加えて、試合中に怪我人が出た時のサポート体制や、相手チームがこちらが予想した戦術とは異なる戦術を取ってきた時の対応策、前半負けていた時の体制、前半勝っていた時の体制、前半同点だった時の体制等々の検討・構築を行わなければなりません。

 こうしたことがAIに出来るかどうかですが、十分に出来そうな感じがします。

 さて、試合が始まりました。

 試合展開を観ながら(入力しながら、かもしれませんが、今なら「観ながら」も可能な気がします)、局面・局面で的確な指示を出さなければならないのは、マネジメントの責任者として当然のことです。

 これも、AIで十分に対応可能な感じです。
 個々のプレーヤーの試合時間ごとのパフォーマンス低下度合いの情報も、自チーム・相手チーム分が把握されているでしょうから、選手交替の予測時間帯も決められていることでしょうし、反則や故障による交替も対応可能です。
 試合をずっと観ているAIですから、プレーヤー個々の動き・運動量を計測して「いつもより疲労度合が大きい」といった判断も出来そうです。

 AIにサッカーチームの監督が務まるかどうか、粗々、ざっと見てきました。

 本記事の検討は、現在人間がやっている監督の仕事をAIに置き換える形で見てきたのですが、ひょっとすると「全く異なるアプローチ」が存在するのかもしれません。
 その「全く異なるアプローチ」については、筆者などでは想像もつきませんので、ご容赦ください。

 さて、ざっと見てきた感じでは、「AIにも十分に監督が務まりそうだ」という結論に成りました。
 試合をマネジメントするための「諸々の膨大な情報」の取扱という面からは、AIの方が優位でしょう。

 一方で、「戦機・試合の流れを観る、感じる感覚」といった面では、これは人間の方が優れているのでしょう。

 トータルで、人間監督とAI監督のどちらが優れているのかは分かりませんけれども、AI監督もありだな、という感じがします。

 (その3へ)
 AI(artificial intelligence、人工知能)は1950年代から研究が始まったとされていますから、既に半世紀以上の歴史を持つ「概念」ですけれども、世の中にAIという言葉が一般化し、それが多くの人の日常生活に大きな影響を与え始めたという意味では、2017年をAI元年と呼んでよいと思います。

 AIはまず、チェスや将棋といったゲームにおいて、その存在が注目されました。
 21世紀に入って、AIによる人間への挑戦が度々行われるようになり、最初の内は人間のプロプレーヤー、チェスや将棋のプロあるいは世界的なプレーヤーにはなかなか勝てなかったものが、次第によい勝負を展開できるようになり、現在では、マス目の数・駒の種類が多く、「成り金」ルールが存在し、相手の駒を取ると、それを自分の駒として使えるといった面から、より複雑とされている将棋においても、そのトッププロと互角以上の戦績を残せるまでに成長してきています。(筆者は将棋も趣味ですので、どうしても将棋を例とすることが多くなることをご容赦ください)

① ビッグデータ活用と演算スピード

 この点が、AIの基本的な長所・強みであることは異論のないところでしょう。

 例えば将棋においては、過去の膨大な「対局実績・棋歴」を全て網羅し、数えきれないほどの詰将棋などもカバーしているのでしょうから、その中から「局面ごとの打ち手」を探してくる能力・スピードにおいては、AIは人間を遥かに凌駕しています。
 「漏れなく検索」するという能力では、人間の及ぶところでは無いのです。

 そういう意味では、「ビッグデータの整備」と「コンピュータの性能向上」が相まって、AIの急速な進歩に結びついたことも確かなことでしょう。

② データを活かす「考え方」の検討

 前述のように、膨大なデータ・情報を検索する能力においては、既にAIは現代の中心的な存在なのですが、これを実務に活かすとなれば、「データを使用する考え方」が大事ということになります。

 例えば、将棋についていえば、かつてのAIでは「駒の軽重」を数値化し、飛車なら10点、角なら9点、金なら5点、銀なら4点、歩なら1点といった形でルールを作り、「相手の駒を取る手」の重さを計量化したりしていました。
 「駒を取る手ではない手」も別の形で数値化していくつかの指し手の重さを比較して、次の指し手を決めていたのです。
 結果として「駒を取る手」の方が選ばれる頻度が高かったように思います。「駒得」は将棋というゲーム、特に高いレベルの将棋においては決定的な威力を持つからです。

 一方で、将棋というゲームは、「ある局面を境にして、駒の獲得競争から、詰みに向かってのスピード競争に変化する」もの、極端に言えば「自分の持ち駒が王将1枚になっても、相手を積ますことが出来れば勝つ」ゲームですから、いつまでも「駒得」を追求するAIでは、なかなかプロ相手では勝てなかったのです。

 しかし、それも昔の話で、現在のAI棋士は「膨大なデータ」を使用する考え方が進歩し、極めて合理的に考えることが出来るようになっていますので、プロが相手でも十分に勝負になるのです。

 加えて「学習能力」をも身に付けています(この学習能力自体も「考え方」に左右されてきたのですが、現在では「学習の方法自体をAIが構築する」までになっています)ので、ある意味では「成長し続けるAI」が実現していますから、記憶量に限界があり、頭の回転スピードも加齢により減少する傾向がある「人間というプレーヤー」では、なかなか太刀打ちできなくなっているのでしょう。

 ここまで成長してきたAIが、人間社会における様々な分野で革命を起こしつつあるのは、自然な流れです。
 誰にも止められない「流れ」であろうと思いますし、「産業革命に匹敵する大変革」と言われているのも、無理のないところだと感じます。
 おそらくは、「人間の想像を遥かに超える変革の時代」がやってくるのです。(何しろ、人間の想像には、知識量や経験量に伴う限界がありますが、ビッグデータを使用するAIの行動範囲・思考範囲は数十億人の人間の知識量・経験量をベースにしているのですから)

 さて、本ブログはスポーツがテーマですから、スポーツに及ぼすAIの影響について、何回かに分けて見ていきたいと思います。

 もちろん、筆者の浅薄な知識と知見、極めて乏しい思考力がベースとなりますから、その考察に大きな限界があることは、ご容赦いただきたいと思います。

 (その2へ)
 2020年8月10日から開催が予定されている、全国高校総合体育大会(高校総体・インターハイ)が開催中止になるかもしれない、と報じられています。

 理由は、2020年8月9日まで開催される東京オリンピック2020の影響とのこと。
 
 例年は8月1日前後に開始・開催されるインターハイですが、2020年は東京オリンピックに配慮して8月10日開始にしたのでしょう。
 しかし、それでも「オリンピックの波」は巨大であり、インターハイを流してしまいそうになっているとの報道です。

 インターハイの開催主体である全国高体連は、2020年大会を分散大会と決めて、開催を目指しています。「分散大会」自体が、インターハイ史上初めてのことです。北関東4県に、愛媛、長崎、青森等での各競技・種目の開催を取り付けてきたのですが、全30競技の中で13競技の開催場所が、まだ未定なのだそうです。

 そして、オリンピックのキャンプ地誘致に注力している地方公共団体が多い状況下では、この13競技の開催地を見つけることは、至難の技なのでしょう。
 開催資金の調達も目途が立っていないとのことですから、事は重大です。

 インターハイは、野球やサッカー以外の競技に取組んでいる高校生アスリートにとっては、最高峰の大会のひとつであり、大目標なのです。

 日本の高校生のスポーツの祭典が、世界最大のスポーツ祭典・オリンピックによって危機に瀕しているというのも、やや皮肉な感じがしますが、ここは思い切った対応が必要なのではないでしょうか。

 例えば、開催時期の大幅な見直し。
 10月上旬から中旬にかけて開催する。

 開催地の見直し。
 東京オリンピック2020の各会場で開催する。

 といった形の大変更は、出来ないものでしょうか。

 1964年・昭和39年の第1回東京オリンピックにおいては、オリンピックが10月10日から開催されたために、こうした影響は大きくは無く、生まれたばかりのインターハイもしっかりと開催されました。(もちろん、オリンピックの多方面への影響力が、当時と現在とでは比較にならない程大きくなっているということも、大きな違いでしょうが)

 2020年は、オリンピックが7月~8月に実施され、インターハイは10月に行うという形で、1964年と開催時期を入れ替えるという考え方。

 もちろん、既に開催場所が決まっている17競技の変更対応や、夏休みでは無い時期の高校生の「公休」問題等々、色々と障害はあるのでしょうが、インターハイ2020の開催確保はもちろんとして、高校生アスリートの皆さんには、より「落ち着いた環境」でプレーに集中していただきたいとも思うのです。

 東京オリンピック2020の大波に呑まれるのではなく、世界最高の各種スポーツの祭典の波を活用して、「波」に乗って、より充実した大会にして行けるのではないでしょうか。
 7月5日の毎日新聞ネットの記事に、興味深いものがありました。

 「<高額年俸>選手のけが、病気に備え…保険で補償、続々契約」という題名。

 高額年俸プレーヤーが怪我や病気で長期離脱した際に、離脱期間の年俸と代替選手の獲得に要した費用をカバーする保険が、我が国のスポーツ界でも広がり始めたという記事です。

 この保険は、今年2月から東京海上日動保険が取り扱い始めた商品だそうです。

 贖われる費用は「年俸の8割」が上限、保険料は年俸の数%程度で、プレーヤーの年齢や過去の負傷歴などを元に算定されるとのこと。

 こうした保険は、スポーツ大国アメリカのMLBやNFL、加えてサッカーのイングランド・プレミアリーグでは一般的なものですが、我が国では最近になって導入されたとのこと。

 我が国のこの保険の契約先は明らかにされていませんが、日本プロ野球とサッカーJリーグの複数のチームが契約しているとのこと。

 「保険でリスクをカバーすれば、失敗を恐れずに積極的な補強ができる」という、球団関係者のコメントも掲載されていました。

 以前から、我が国にもこうした保険は無いのかなと感じていましたが、「ようやく登場した」というのが最初の感想です。

 確かに、過去の大型トレードなどを見ていると、「一か八か」という感じもある補強策の実行に向けては、相当頼もしいバックアップとなることでしょう。

 一方で、保険が有るからと言って「確信の薄いディール」を数多く行うのも、いかがなものかとも感じます。

 「プレーヤーの流動化が飛躍的に増加すること」や「移籍費用の高騰」が、当該競技にとって良いことがどうかも、観ていかなければならないのでしょう。

 この種保険の内容は知る由もありませんが、年俸制のプロスポーツプレーヤーが対象となるとすれば、マーケットは限られます。当初、被保険者となるのは全体で数百人規模でしょう。
 とはいえ、年俸3億円のプレーヤーであれば、保険料率が5%として、年間保険料は1件で1500万円と高額になりますので、保険会社としては当該商品を取り使う部署の規模を小さくすることが出来れば、十分に商売になりそうです。
 結果として、今後数年の間に、取り扱う保険会社も増加し、契約件数も増えて、この種保険の影響範囲・内容が、それぞれの競技で認識されていくのでしょう。

 いずれにしても、保険が有ろうが無かろうが、「プレーヤーを見る眼」「チーム造りの為の方針策定力」の向上は、どの競技、どのチームにとっても必要なものなのであろうと改めて思います。
 ベースボールの塁間距離は約27.4m(90フィート)です。
 これは、1845年頃、ニューヨークに居たアレクサンダー・カートライトという人物が「ベースボールを考案(発明)」した時から、変わっていないと言われています。(諸説はあるようですが)

 凄いことだと思います。

 170年前に決めた「塁間距離」がその後の様々な変化、プレーヤーの資質の変化、道具の進歩、他のルールの変更、等々を経ても、不変なのです。

 ある意味では、とても不思議なことでしょう。

 投手の投球スピードが飛躍的に上がり、走者のランニングスピード・技術も段違いに向上し、内外野の守備力も向上している状況下、同じ塁間距離のままで、ベースボールの持つスリル・面白さが全く損なわれていないのですから。

 打者の技術・スイングスピードが向上し、結果として打球のスピードも上がっている一方で、守備側の技術・送球速度も上がっていることから、クロスプレーの発生頻度・スリリングな様子が維持されているということになるのでしょうが、170年間もの間、数えきれない変更・変化の波に洗われても、「ベースボールの魅力」はいささかも減ずることが無いのです。

 最初にカートライト氏は、どのような「物差し」で塁間距離を決めたのでしょうか。
 ベースボールに似た競技が数多くあった時代のことですから、モデルになった競技もあったこととは思いますが、そうした沢山の競技・ルールを踏まえて、「塁間は90フィート」としたのでしょう。

 この「90フィート」が、ベースボールというスポーツに齎したものは、計り知れないほど大きなもののように感じられます。

 内野ゴロの際の1塁ベース上のクロスプレー、盗塁プレーの際の走者の走る速度とキャッチャーからの送球で生まれる2塁ベース上のクロスプレー、ランナーが本塁に走り込む際の外野手の送球とランナーの走塁から生まれるホームベース上のクロスプレー。
 ベースボールで観られる数限りないクロスプレーは、この「27.4m」の中で生まれているのです。

 長い歴史の中で、長すぎる、短すぎる、という指摘が増えていれば、塁間距離は見直されていたことでしょう。
 しかし、90フィートは不変であったのです。

 例えば「2塁への盗塁プレー」を観てみましょう。
 投手はクイックモーションで本塁へ投球しますし、1塁ランナーへの牽制も行います。牽制技術もどんどん向上しています。
 キャッチャーは、ピッチャーに対してストレート系の投球を要求することも多く、捕球してからの2塁への送球スピードも、日々の練習により向上し続けています。
 そうなると、2塁への盗塁成功は激減しそうなものですが、実際にはそうなってはいない。

 1塁走者側のリードの幅、スタート技術の向上が、守備側の種々の向上と「丁度バランスが取れている」ということなのでしょう。日々進歩を続けながらも、どちらかが圧倒的に優位に立つことが無いのです。

 「栄光のV9」時代に、巨人軍の捕手として活躍し、日本プロ野球史上屈指の好捕手と言われる森選手が、最もスリリングなシーンとして挙げる「2塁ベース上の盗塁時のクロスプレー」の魅力は、何時の時代も全く変わらないものとなっているのです。

 カートライト氏が決めたと言われている「90フィート=約27.4m」は、素晴らしい「偶然」であったように感じられます。
 ベースボールの魅力を、これまでも、これからも維持していく原動力?であろう「90フィート」は、ベースボールの将来をも守っていく「マジック」のような気さえします。

 一方、バスケットボールのゴールの高さは10フィート=305cmですが、こちらも1891年、バスケットボールを考案=発明したジェームズ・ネイスミス氏が最初に決めた高さのまま、120年以上にわたって不変です。

 これも凄いことだと思います。

 バスケットボールが世界屈指の人気スポーツとなり、雪や低気温のため冬には屋外スポーツが出来ない地域でもプレーできるということもあって、競技人口も飛躍的に増えてきた歴史の中で、「305cm」は不変なのです。

 NBAにおいて典型的に観られるように、プレーヤーの大型化が進み、身長2mを超える選手も珍しくない時代となっても、「リングの高さを上げる」ことは行われませんし、そうした提案が本格的に検討されているという話も聞きません。

 ネイスミス氏は考慮していなかったのではないかと思われる「ダンクシュート」が、バスケットボールにおいて最も人気のあるプレーのひとつとなり、現在のNBAやNCAAのプレーヤーの多くが、ゴールの上からボールを叩き込むことが出来るまでに、体格・体力・ジャンプ力が向上した時代になっても、10フィート=305cmは全く揺るぐことが無いのです。

 ボールを保持しながらのジャンプの最高到達点が305cmを大きく超えるプレーヤーが多数出現したために、得点数が増え過ぎてしまい、「点が簡単に取れるスポーツ」になってしまって、バスケットボールの面白さが半減したということも、全く無いのです。

 攻撃側の体力・技術・戦術の向上度合いと、守備側の体力・技術・戦術の向上度合いのバランスが、「305cm」という基準の下で拮抗し続けていることが理由であることは明らかです。
 そして、ゴールを目指す攻撃側・守備側のスリリングなプレーが、変わることなく続いているのです。スポーツとしてのバスケットボールの魅力は、120年以上を経ても全く変わることが無いのです。

 ネイスミス氏が、バスケットボールの最初の試合を行った1981年12月、行われた体育館のバルコニーにゴールを設置したのですが、そのゴールの高さが305cmだったのです。
 もし、バルコニーの高さがもう少し高かったら、低かったら、バスケットボールのゴール(リング)の高さは、異なるものであったのかもしれません。

 もし、ゴールの高さが305cm以外であったら、その高さは変更されていたのでしょうか。
 それとも、バスケットボールというスポーツ自体が、面白さに欠けるということで衰退していたのでしょうか。
 そこは、分からないところです。

 間違いないのは、最初に試合が行われた体育館のバルコニーに設置されたゴールの高さが10フィート=305cmであり、この305cmの高さのゴールが、その後の様々な変化・進歩の中でも、その価値を維持し続けているという事実です。

 ネイスミス氏は、どのような「物差し」で305cmを決めたのでしょうか。
 バスケットボールは、それまであった球技とは全く別の次元で、全く新しく発明されたスポーツ競技ですので、そのルールも相当に検討されたものであろうとは思いますが、さすがにプレーヤーの体格がこれほど大きくなることまでは、ネイスミス氏でも予想できなかったのではないでしょうか。

 やはり、この「305cm」も素晴らしい「偶然」のような気がします。

 もちろん、ベースボールは27.4mを所与のものとして発達し、バスケットボールは305cmを所与のものとして発達してきた、「レギュレーションをベースに進歩してきた」という見方もあるでしょう。
 そうだとしても、数多くの変動要因の下で、27.4mと305cmが変わることなく、2つのスポーツを形作ってきたという事実は厳然たるものです。

 27.4mと305cmは、ベースボールとバスケットボールの魅力をいささかも減ずる要因とはならず、魅力を増大させる基準のひとつとなってきたのです。

 おそらく、他のスポーツにもこうした「素晴らしい偶然」がいくつも存在するのでしょう。

 ベースボールとバスケットボールの人気の高さを思い、世界中の何億人もの人々の人生の糧となっている状況を見るにつけ、スポーツの持つ力を改めて感じるのです。
 
 この「力」のベースとなっている、こうした基準を決めた時には、発明者に「神が舞い降りた」のかもしれません。
 スポーツを観戦する際には、自らの眼でプレーを観て、その状況を判断することが、とても大切だと思います。
 観戦の回数を重ねる過程で、「自らの物差し」を身に付けて行くのです。

 そうすることで、観戦が一層楽しいものになっていくと思います。

 例えば、駅伝をテレビ観戦する際には、各ランナーの走りを自分の眼で判断することが重要です。
 各ランナーのタイム差が開いているのか、縮まっているのかは、自らの眼で判断する。テレビ放送の中で「○○地点での差は襷渡しを受けた時より広がっています。A選手は快調な走りでB選手との差を拡大しているのです」という説明がなされた時に、実際にはB選手が追い上げていることは、よく見られることです。

 「数分、数十分前の情報」で現時点のプレーを観戦するのではなく、今画面に流れている姿で判断する。
 脚の運びや上半身のブレ、上半身と下半身のバランス、何より体全体の動きのスピード、等々の様子から、そのランナーのスピードを感じ取ることが、先入観を排除した観戦にとって大切なことなのです。

 ゴルフ観戦でも同様で、ワンショット・ワンショットの出来不出来を判断して行きたいものです。
 今のショットは上手く打てている、今のショットは少しタイミングが早かった、プレーヤー本人は満足したショットだったがグリーンオーバーしたのは風が強かったのかも知れない、といった「判断」を自ら行うことが、ゴルフ観戦の楽しさを増大させてくれるのではないでしょうか。

 そして、観戦者が素晴らしいと感じたショットの結果は、当然ながら後から分かるものです。
 例えば、プレーヤーが打った瞬間に、「これはグッドショットだ」と観戦者として判断し、その結果、グリーンヒット、ピンハイ3mに止まる、といった時間がスポーツ観戦の醍醐味だと感じます。
 良いプレーか、いまひとつのプレーであるかは、結果を観る前に自ら判断する、感じる、という観戦姿勢が、スポーツを観る目を育ててくれるものだと思いますし、スポーツ観戦を一層楽しいものにしてくれるのでしょう。

 例えば、1992年の全米オープンゴルフに優勝したトム・カイト選手は、フォロースイングの時に左肩が下がり、見た目にはバランスを崩したようなスイングを見せることが時々ありました。
 超一流のプロゴルファーのフォロースイングと言うのは、多くの場合、ぐらつくことは無いのですが、カイト選手は時々肩が動いていたのです。そして、スイングで肩が動いた時に、素晴らしいショットが生れていたように記憶しています。
 逆に、フォロースイングで肩が動かなかった時ミスショットが出ていたと思います。

 20世紀終盤のアメリカプロゴルフ界を代表する名プロレーヤーだったトム・カイト選手の場合には、フォロースイングで肩がぐらぐらした時の方が良いショットだったのです。メジャートーナメントを観て行くうちに、「カイト選手についての物差し」が身に付いていたのでしょう。

 ランナーでもゴルファーでも、その「物差し」はプレーヤー毎に異なることは言うまでも有りません。
 全てのスポーツ競技・種目において、プレーヤー毎に個性が有り、得手不得手があるからです。

 どのスポーツ、どのープレーヤー、どのチームを観戦する際にも、個々のプレーヤーやチームの特徴・個性・持ち味に合わせた「判断のための物差し」を用意することが出来るようになりたいものだと、私はいつも考えています。
 少し前の話で恐縮ですが、2月26日に幕を閉じた冬季アジア大会2017(札幌・帯広)では、日本選手団の健闘が目立ちました。

 今大会で日本チームが獲得した金メダルは27個、銀メダル・銅メダルを合わせたメダル獲得数は74個と、共に冬季アジア大会史上の「日本選手団最多獲得数」となったのです。

 いかに地元開催の大会とはいえ、アジア全体の冬季スポーツのレベルアップや、広がりを勘案すれば、見事な活躍と言って良いでしょう。
 ちなみに、メダル獲得数の国別比較でも3大会ぶりにトップだったのです。
 2018年の平昌オリンピックに向けても、頼もしい限りです。

 先般のユニバーシアード冬季大会2017においても、日本選手団の大活躍が報じられましたが、近時のスポーツ界における「日本チームの強さ」がますます目立っているということでしょう。
 最多メダル獲得と言う事実は、明確な証左です。

 かつては「本番に弱い」とか「オリンピックや世界選手権といった国際大会では実力を発揮できない」というのが、日本人プレーヤーの特徴のように言われていましたが、現在の選手達は全くそんなことは無い、それどころか「本番に強い」印象さえあります。

 もちろん、個々のプレーヤーごとに見れば「過度の緊張」のために、本番で力を発揮できない選手も居るのでしょうが、「比率の問題」です。
 20世紀においても「本番に強い選手」は存在していたのですが、「本番に弱い選手」と「本番に強い選手」の比率が例えば7:3だったものが、2017年においては逆の3:7になっているといったことなのでしょう。

 これは、競技スポーツに係る多方面の皆さんの努力の結晶であることは、間違いありません。
 選手やコーチはもちろんとして、競技団体や地域社会の対応も向上してきたのだと思います。

 鍛え上げた能力を本番で発揮するために、どのようなトレーニングを積んで行ったらよいのか、本番の試合・レースにおいてどのような準備を行い、プレーをして行ったらよいのか、といった諸点について、着実にノウハウが積み上げられ、実行されてきたのです。

 そして、その成果は多くのスポーツの大会結果に如実に表れてきています。
 素晴らしいことです。

 とはいえ、まだまだ「古い体質」の組織が存在していることも事実でしょう。

 2つの団体が存在しているために、国際大会に出場できないなどという、信じられないような「粗末な話」が、いまだに時々聞かれるのです。そうした組織・競技は「時代に乗り遅れていること」を認識しなければならないのです。
 おかしな人物が登場して、せっかく近代化した組織を旧態依然たる状況に貶めることにも注意が必要でしょう。

 もちろん、かつて我が国が世界トップクラスに居た競技・種目の中にも、現在では世界大会入賞も覚束ないという状況に追い込まれているケースも少なくありません。
 対戦相手のレベルは刻一刻と上がっているのですから、「弛まぬ進歩」無くしては、現状維持さえ難しいのは当然のことでしょう。

 多くの選手が伸び伸びとプレーし、その実力を思い切り発揮できる環境作り・体制作りに向けては、「不断の努力」が不可欠なのです。
 ゴルフをするにも絶好の季節となりました。

 友人とのプレーで、A氏と初めて一緒にプレーすることとなりました。友達の友達ということです。

 A氏はとても上手です。
 
 友人は「彼は大学のゴルフ部に居たんだよ」と言い、私は「なるほど」と応えます。
 よく聞く会話でしょう。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。

 「ゴルフ部に居たから、ゴルフが上手い」などということが、ある筈がありません。

 そうであれば、ゴルフを上達するためには、皆ゴルフ部に入れば良いことになります。
 事は、そんなに簡単ではありません。

 A氏は、ゴルフが上手いから、ゴルフが上手いのです。

 A氏が、中学生の頃や高校生の頃にゴルフが好きで、上手で、そのために大学に入ってゴルフ部に加入したのかもしれません。
 そうであれば、A氏はもともとゴルフが上手かったのです。ゴルフ部に入ったから、ゴルフが上手くなったのではないのでしょう。

 もちろん、ゴルフ部に所属して練習を重ねたために、ゴルフが一層上手くなった可能性はありますが、A氏がゴルフが上手い主因は、ゴルフ部に居たためではなさそうです。

 誰にでも分かっていることでしょうが、スポーツで上達することは、非常に難しいことです。

 野球部に入れば野球が上手くなるとか、サッカー部に入ればサッカーが上手くなるとか、柔道部に入れば柔道が強くなるとか、そんな単純なものでは無いことは、誰にでも分かることだと思います。

 どんなスポーツでも、あるプレーヤーがその競技が上手な理由は、その競技が上手だからなのでしょう。それ以外の理由は無いとも思います。

 これは、何もスポーツに限ったことではなさそうです。

 数学や化学、物理、語学といった分野でも、絵画、音楽といった分野でも同様でしょう。

 英語が得意な人は、英語が得意だから得意なのでしょうし、絵が上手い人は、絵が上手いから絵が上手いのでしょうし、歌が上手い人は、歌が上手いから歌が上手いのでしょう。
 決して、ESSに居たから、美術部に居たから、合唱団に居たから、上手い訳ではないのです。

 こうした「ある分野が得意な人」に共通していることは、「その分野が好きであること」であろうと思います。
 好きだから「上達したい」と願い、厳しい練習も続けることができるのでしょうし、上達すれば、より高みを目指すことが出来るのでしょう。

 では、「その分野」を好きになる要因は何なのでしょうか。

 いくつかあるのでしょうが、「子供のころに、その分野をやっていて、周囲の人に褒められた経験」、そして、少し大人になって「他の人と比べて、その分野では、自分の方が勝っている・優れていると認識すること」が、大きな要因の様な気がします。

 今回は、禅問答のような話になってしまいました。

 それにしても、どうすれば私のゴルフは上達するのでしょうか。
 悩みは尽きません。
 アメリカ合衆国で開催されるスポーツのビッグイベントは、我が国では月曜日の朝、ライブでTV放送されることが多いのです。

 ゴルフのマスターズ・トーナメントやNFLスーパーボウルなどが、その典型でしょう。
 アメリカは世界一のスポーツ大国ですから、月曜日午前中に多くのビッグイベントが放送されるのです。

 日本のサラリーマンにとっては、そのライブ観戦はとても難しいということになります。

 「月曜日の有給休暇取得」というのは、なかなか難しいことなのです。

 ましてや、その理由が「スーパーボウルをテレビで見るため」というのでは、休暇の申し出にも、迫力が不足することになります。(もちろん、有給休暇の取得の際にその「理由」を説明する必要は全く無いのですが、迫力?の問題です)

 長くサラリーマンをやっている私としても、「月曜日のアメリカンスポーツ」については、なかなか「テレビのライブ観戦」が出来ずに、残念な思いをしてきました。

 ところが、近年は「ワンセグ放送」が観られるようになりましたので、地上波の放送については、電車の中で観戦できるようになりました。
 2017年マスターズ大会も、携帯電話の小さな画面に見入りました。
 セルヒオ・ガルシア選手とジャスティン・ローズ選手の競り合いを楽しむことが出来たのです。

 とはいえ、プレーオフに入ってからの戦いは見ることが出来ませんでした。
 目的の駅に到着してしまい、職場に向かって歩き出してしまったからです。そして、職場に到着してから、携帯電話でワンセグ放送を見ることが出来なかったのは、自然なことでしょう。
 また、ワンセグではBS放送を観ることは出来ません。
 
 宮仕えをしている内は、アメリカで行われるスポーツの観戦は、どうしても「録画」が主になってしまうのです。
 録画とライブの違い、大きな違いは、言うまでもないことでしょう。

 「小さな夢」で恐縮ですが、私は、サラリーマンを卒業したら、テレビの前に陣取ってスポーツ放送を思い切り観る、特に「月曜日の朝のビッグイベントを思い切り楽しんでやるんだ」、と心に決めているのです。
 札幌市と帯広市で開催されている冬季アジア大会で、2月21日に行われたスピードスケート女子1500メートルで、「3位の記録を出しながら銅メダルが授与されない」という事象が発生しました。

 これは、アジア大会独特のルール「1種目で1か国が獲得できるメダル数は2個まで」が適用されたものです。

 このレースで日本勢は、高木美帆選手が大会新記録で優勝し、押切美沙紀選手が2位、高木菜那選手が3位、佐藤綾乃選手が4位と、1~4位を独占するという見事な成績を残したのです。

 そして特別ルールが適用されて、表彰台には高木美帆選手、押切選手、そして記録的には5位であった張虹選手(中国)が上がったのです。

 このルールは日本人選手の中でも知られていたようで、高木菜那選手は「日本の中で3番手となった自分がダメ。」と明るくコメントしていたそうです。

 アジア大会というか近代オリンピックも共通ですが、「参加することに意義がある」という精神は、国際大会ではとても重要です。
 特に、貧しい国々が多かったアジア地域においては、スポーツ振興の面から特定の国にメダルが集中しない様にと、こうした特別なルールが導入されたのでしょう。

 とはいえ、アジア地域も相当に発展して来ました。現在では、世界の経済成長のエンジンと呼ばれるまでに成ったのです。
 そして、各種の情報がインターネットによって世界中で共有される時代となったのです。
 
 そろそろ「ルール見直し」の時期が来ているのかもしれません。
 カザフスタンのアルトマイで11日間にわたって開催され2月8日に閉幕した、第28回ユニバーシアード冬季大会において、日本選手団は金メダル6、銀メダル12、銅メダル10の計28個のメダルを獲得しました。
 海外で実施されたユニバーシアード冬季大会では、1997年大会の25個を超える過去最高のメダル数であり、今大会の日本チームの大活躍を象徴する結果となったのです。

 金メダル6個の内、ジャンプ陣が4個を獲得しました。
 男子ノーマルヒル個人種目の中村直幹選手、女子ノーマルヒル個人の岩佐明香選手は、アベック優勝(なんだか古い言葉で恐縮です)を成し遂げ、2選手で出場した混合団体でも金メダルでした。
 岩佐選手は、女子団体でも小林諭果選手とのペアで優勝していますから、今大会金メダル3個の大活躍でした。

 この他にもジャンプ陣は、女子ノーマルヒル個人で小林選手が銀メダル、混合団体で古賀極選手・小林選手が銅メダルを獲得しました。
 日本ジャンプ陣の若き力は頼もしい限りです。

 女子アルペン大回転で安藤麻選手が金メダルを獲得したニュースは、とても明るいニュースとして報じられました。日本チームが得意とは言えないアルペン競技での金メダルの価値は、一層重いのでしょう。
 安藤選手はスーパー大回転でも銅メダルに輝いています。
 今後の活躍に期待がかかります。

 スピードスケートの男子マススタートで一戸誠太郎選手が金メダルも見事でした。
 巧みなレース運びが光りました。

 スピードスケート陣は、男女個人8種目と男子チームパシュートで計9個の銀メダルも獲得しています。金には届かなかったものの、多くの種目で世代の世界トップクラスに日本選手が居るというのは、素晴らしいことだと思います。
 女子の1500mと3000mの2種目で銀メダルの高橋菜那選手や、5000mとマススタートの2種目で銀の酒井寧子選手、そして男子5000mとチームパシュート(一戸選手、三輪準也選手、小川翔也選手)で銀の一戸選手は3個目、男子1500mで銅メダルの三輪選手と、複数の種目でのメダル獲得も目立っています。
 女子500mの辻本有沙選手の銀メダルも見事でした。

 また、男子500mの中尾光杜選手と10000mの大林昌仁選手の銀メダルも含めて、最近やや元気のない日本男子スピードスケート界にも、若い力が台頭しているのです。

 フィギュアスケートは、男子(田中刑事選手)、女子(新田谷凛選手)共に銀メダルでした。
 「惜しくも」という感もありますが、やはり世界で勝つというのは容易なことでは無いのでしょう。

 4位以下の入賞も含めれば、こうした競技・種目における日本チームの「層の厚さ」が印象的な大会であったと思います。

 一方で、団体種目であるアイスホッケーにおいては、男女ともに苦労した印象があります。
 今後のレベルアップが期待されるところでしょう。

 今大会は、日本チームの「勢い」が感じられました。

 大袈裟に言えば、多くのスポーツにおける「最近の日本チームの力の底上げ」が、冬の競技にも如実に表れた大会だったと言えるのでしょう。
 1月31日の読売新聞(ヨミドクター)に興味深い記事が有りました。

 「変わる部活、休養日に疲労回復・・・強豪校が積極導入」という題の記事です。

 記事によれば、春の甲子園2017に出場する福岡大大濠高校(福岡)野球部は、週一回・原則月曜日が休養日とのこと。
 試合が多い日曜日の翌日を休みとし、心身のリフレッシュを図ることが目的で、過ごし方は部員各自に任されているそうです。

 春の甲子園2017で3季連続甲子園出場となる秀岳館高校(熊本)野球部にも、週1日の完全休養日と週1日の「ボールを握らない日(ノースローデー)」が設けられているそうです。
 鍛治舎監督は「休養に加え、食事にも気を使うことで部員の体が大きくなり、バットのスイングなどが目に見えて早くなった」とコメントしています。

 ラグビーの東福岡高校(福岡)は、基本的に週1日、試合のない時期は週2日、長期間の大会の後は2週間休養日を取ることもあると。
 藤田監督は「たくさん練習すれば強くなるというわけではない」とコメントしています。

 さすがに、強豪校と呼ばれるチームの指導者は素晴らしいと思います。

 365日、厳しい練習を続けていては、良いプレーを身に着け、試合において良いプレーを披露することは、到底無理であろうと感じていたからです。
 心身ともに疲労の極致にある状態でトレーニングを行ったとしても、正しく合理的なプレーが習得できるとは、とても思えません。怪我・故障のリスクも高まることでしょう。

 さらに素晴らしいのは、鍛治舎監督のコメントにある「部員の体が大きくなり」という部分でしょう。

 現代の少年・青年の体格が、昔より平均して大きくなっていること、特に身長が高くなっていることは、日々の生活で電車などに乗ったりすれば、明らかに分かることです。ダルビッシュ投手や大谷選手のように、身長190㎝を優に超えるプレーヤー出現の素地になっているのでしょう。

 一方で、甲子園大会などの全国大会に出場している選手の平均的体格は、必ずしも昔より大きくなったようには見えない、身長も同じくらいであり、逆に筋肉量が少ないスリムな選手が増えているようにさえ感じていました。

 MLBには、身長190㎝を超える野手が続々登場し、中には2mのプレーヤーも出現していることを見るまでもなく、様々な競技における欧米のアスリート・スポーツ選手の大型化が進んでいる状況下、日本の選手との平均的体格差が拡大し続けている印象なのです。

 この記事の監督さん達のコメントを見ると、多くの日本の中学校、高校のプレーヤーは「練習のし過ぎ」で「体が大きくなる暇がない」のかもしれません。

 キチンと練習して、しっかり休養することは、心身ともに健康なアスリートを育てるために、絶対に必要な「方法」なのだと思います。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

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