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 11月4日、ATP(世界男子プロテニス協会)ツアーのロレックス・パリ・マスターズ大会・男子シングルス2回戦が行われ、ラファエル・ナダル選手(スペイン)が、フェリシアーノ・ロペス選手(スペイン)をセットカウント2-1の逆転で破り、3回戦に進出しました。

 この試合での勝利が、ナダル選手にとってのツアー通算1,000勝(201敗)の節目の勝利となったのです。

 「通算1,000勝」というのは、男子プロテニスプレーヤーにとっての『金字塔』です。

 こうした大記録が達成されると、過去の名プレーヤーにスポットライトが当たるのは、スポーツ界の特質と言うか常道ですが、今回も同様です。
 「温故知新」なのです。

 ナダル選手は、史上4人目の1,000勝プレーヤーです。

 史上1位は、ジミー・コナーズ選手(アメリカ)の1,274勝283敗(勝率81.8%)、2位はロジャー・フェデラー選手(スイス、現役)の1,242勝271敗(勝率82.1%)、3位はイワン・レンドル選手(チェコスロバキア、アメリカ)の1,068勝242敗(勝率81.5%)と伝えられています。

 その他の有名選手を見ると、ジョン・マッケンロー選手が881勝、アンドレ・アガシ選手が870勝、イリ・ナスターゼ選手が846勝、ステファン・エドバーグ選手が801勝、ピート・サンプラス選手が762勝、ボリス・ベッカー選手が713勝、アーサー・アッシュ選手が699勝、ビョルン・ボルグ選手が639勝、となっています。

 さて、ナダル選手の1,000勝201敗は、勝率83.3%ですから、1,000勝を超える実績を残す4名のプレーヤーは、いずれも「勝率8割越え」を示現していることになります。
 世界最高峰の舞台で勝率8割と言うのは、さすがに素晴らしいものです。

 逆に言えば、勝率8割を超えるようなプレーヤーでなければ1,000勝は到底到達できない、ということなのでしょう。
 
 そもそも、ATPツアーにおいて「1,000を遥かに超える試合に出場する」ためには、1回戦から準決勝、決勝までの多くの試合を、毎大会のように勝ち進んで行かなければならないのですから・・・。
 ナダル選手は「クレーの王者」と称されますが、ハードコートや芝コートにおいても相当ハイレベルな成績を残さなければ、「1,000勝の高峰」に辿り着く筈が無いのは、自明でしょう。

 ナダル選手とフェデラー選手は現役プレーヤーであり、現在も「世界3強」を占めるプレーヤーですから、これからも記録を伸ばして行ってくれるのです。(ちなみに、3強の一角ノバク・ジョコビッチ選手は現在930勝を超えていますので、1,000勝を目指してのキャリアが続くのです)

 それにしても、「ジミー・コナーズ選手の1,274勝」は凄い。
 こうした記録が達成されるたびに、その凄さに感服させられるのです。

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 全仏オープンテニス2020の男子シングルスは、10月11日決勝が行われ、ラファエル・ナダル選手がノバク・ジョコビッチ選手をセットカウント3-0で破り、優勝しました。
 ナダル選手は13度目!の全仏シングルス制覇となりました。

 「ほとんど負けない」ジョコビッチ選手を3-0のストレートで破るというナダル選手の強さ、クレーコートにおける強さは、「驚異的」と言う他はありません。
 
 ナダル選手の勝ち上がりを観てみましょう。

・1回戦 ナダル選手3-0ゲラシモフ選手
・2回戦 ナダル選手3-0マクドナルド選手
・3回戦 ナダル選手3-0トラバグリア選手
・4回戦 ナダル選手3-0コルダ選手
・準々決勝 ナダル選手3-0シンネル選手
・準決勝 ナダル選手3-0シュワルツマン選手
・決勝 ナダル選手3-0ジョコビッチ選手

 何だか、凄い勝ち上がり。
 ナダル選手は1セットも落とすことなく優勝を飾りました。

 四大大会ですから、当然、世界トップクラスのプレーヤーが凌ぎを削る舞台です。
 例えば、ジョコビッチ選手は準決勝でチチパス選手とフルセットの接戦を繰り広げて決勝に進出しています。
 にもかかわらず、このナダル選手の強さはどうでしょう。
 まさに「クレーの王者」なのです。

 この優勝により、ナダル選手の4大大会シングルスの優勝回数は20回に達しました。
 ロジャー・フェデラー選手と並んでの歴代1位タイとなったのです。
 内訳は、全仏13回、全米4回、全英2回、全豪1回となっていて、やはり全仏での強さが際立っているのです。(もちろん、どの大会でも1度でも優勝すれば、それはテニスの歴史に名を刻むことになるのが四大大会なのですが・・・)

 新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、観客数を「1日・1,000人」に制限した、ある意味では歴史的な大会となった全仏オープン2020でしたが、王者がその強さをまざまざと見せつける大会となりました。

 34歳となったナダル選手ですが、その強さ、特にクレーコートにおける強さには、いささかの揺るぎもないのでしょう。

 全米オープン2020女子シングルスは、大坂なおみ選手の2度目の優勝で幕を閉じましたが、優勝に関する報道が多数なされる中で、「チームなおみ」にも注目が集まっています。

 大坂選手といえば、2019年頭に全豪オープン・女子シングルスを制し、四大大会2度目の優勝を成し遂げた後、当時のサーシャ・バインコーチを突如解任し、その後もしばらくの間、実質的なコーチ不在の状況が続きました。
 この頃は、各種大会における成績もいまひとつという状況でした。

 そして2019年12月、ウィム・フィテッセ氏をコーチに招聘し、フィジカルトレーナーに中村豊氏を迎えたのです。

 この新コーチ、新トレーナーの就任が、その後の大坂選手の成長に大きく資するものであったことは、今回の全米制覇が証明しています。

 さらに、この大成功を支える要素のひとつとして、チームなおみに注目が集まったのは、自然なことなのでしょう。

 「チームなおみ」は、フィテッセコーチ、中村フィジカルトレーナー、茂木アスレティックトレーナー、そしてヒッティングパートナー(名前はまだ存じ上げません)、によって構成されています。

 また、厳密にはチーム外の人なのでしょうが、実質的なチームなおみのメンバーとして、ボーイフレンドのYBNコーデー氏(アメリカの有名ラッパー)も、「大坂なおみを支えるメンバー」として、とても重要な役割を果たしているように感じられます。

 「無観客」のスタンドにあって、コーデー氏はスタンドの前列に陣取り、試合中の大坂選手と視線を交わしていました。

 同じテニスプレーヤーの錦織圭選手や、ゴルフの松山英樹選手も、「チーム」を組成し、アメリカや世界中で戦っていると報じられています。

 1980年代、東海道新幹線・新大阪駅構内を、シュティフィ・グラフ選手が大きな鞄を肩にかけて、凄いスピードで歩く姿、その5m位後方をグラフ選手のお母様と思われる女性が、一生懸命付いていく姿を、眼にしたことが有ります。
 「世界NO.1プレーヤーにしても、世界中を転戦して行くことは大変なことだ」と感じたものです。

 21世紀は、個人スポーツの世界においても、世界一を狙っていくためには、「チーム」の存在が不可欠な時代なのでしょう。

 9月13日朝、素晴らしいニュースが飛び込んできました。

 大坂なおみ選手が、全米オープン2020女子シングルスを制したのです。
 2018年に続いての、2度目の優勝でした。

[9月12日・ビリージーンキングナショナルテニスセンター(ニューヨーク州)]
大坂なおみ2-1ビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)
(ゲームカウント 1-6、6-3、6-3)

第1セットは、アザレンカ選手が圧倒しました。
 この試合最初のゲーム、大坂選手のサービスゲームをブレイクすると、第5ゲーム、第7ゲームもブレイクし、6-1で奪取しました。

 第2セットも、アザレンカ選手が良い立ち上りを魅せました。
 第2ゲームでブレイクして、ゲームカウント2-0とリードしたのです。第1セットを圧勝し、第2セットも最初にブレイクしたのですから、試合は完全にアザレンカ選手のペースでした。
 このまま、アザレンカ選手が押し切ってしまうのか、と感じられましたが、ここからが、今大会の大坂選手だったのです。

 直後の第3ゲームでブレイクバックを魅せたのです。
 アザレンカ選手にとっては、返す返すも惜しまれるゲームですが、大坂選手は粘り強いプレーでデュースに持込み、一気にこのゲームを奪いました。
 試合の流れをしっかりと引き戻したのです。

 その試合の最初のブレイクに成功すると、一気に試合の流れを自分に持ってくるのが、全米オープン2020における大坂選手の試合振りでしょう。
 サービスキープが続いた後の第7ゲームで、アザレンカ選手のサービスゲームを再びブレイクし、第9ゲームもブレイクして、第2セットを6-3でものにしました。
 「アザレンカ選手のサービスをブレイクする方法」を具備したかのようなプレーでした。

 第3セットは、第2セットの勢いそのままに、大坂選手のセットとなりました。
 第4ゲームをブレイクし、第7ゲームでブレイクバックを許したものの、直後の第8ゲームをブレイクし、第9ゲームをキープして、この試合の勝利=全米オープン・女子シングルスのタイトルをゲットしました。
 見事な勝利でした。

① 「動きの中に存在する軸」

2020年3月から本格化した新型コロナウイルス禍の中で、8月までの間、通常のトレーニングが出来ない状況下、大坂選手は「動きの中に存在する軸」を強化するトレーニングに努めて来たと報じられています。
都度都度のプレーにおいて、バランスをキープし、ショットの威力を保持するための「軸」を身に付けるための練習、相当高度なトレーニングなのでしょう。

そのトレーニングが実を結んでいることは、本大会における大坂選手のプレーのスピードと正確さに、良く現れていると思います。

難しい体制からの素晴らしいパッシングショットを、私達は何度目にしたことでしょう。また、ここぞという場面での凄まじいファーストサービスも見事なものでした。

大坂選手のプレーは、基本的には「パワーテニス」なのでしょうけれども、今大会はスピードと俊敏性がプラスされたようにも観えるのです。

「鬼に金棒」なのてしょう。

② 安定した「心持ち」

試合中の感情の起伏、それを動きに示すところは相変わらずの大坂選手です。
決勝の第1セットでも、ラケットを放り投げていました。

しかし、その「動き」がプレーに悪影響を与えていたように見えるシーンは、今大会ではとても少なかったと感じます。

精神面の充実と言われる状態なのでしょうが、どちらかというと、大坂選手は自身の気持ちをコントロールすることが上手になったように感じられます。

とても良い「心持ち」を具備することが出来たのかもしれません。

 この「心持ち」は、「メジャー大会を制覇するための心持ち」と呼んでも良いのでしょう。

 大坂なおみ選手の、これからの四大大会における活躍が本当に楽しみです。
 
 9月10日、アメリカ合衆国ニューヨークのビリー・ジーン・キング・ナショナルテニスセンターで行われた、全米オープン・女子シングルス準決勝で、大坂なおみ選手がジェニファー・ブラディ選手にセットカウント2-1で競り勝ち、決勝進出を決めました。

 本当に、素晴らしいことです。

[9月10日・準決勝]
大坂なおみ2-1ジェニファー・ブラディ
(ゲームカウント7-6、3-6、6-3)

[9月10日・準決勝]
ビクトリア・アザレンカ2-1セリーナ・ウィリアムズ
(ゲームカウント1-6、6-3、6-3)

 大坂選手は、ブラディ選手の強打に苦しみ、第3セット・第4ゲームまでブラディ選手のサービスゲームをブレイクできないという展開となりました。
 それでも、第1セットをタイブレークで取り、第2セットを落としたものの、第3セットの初のブレイクの後、一気に試合を決めたところに、今大会での勝負強さが感じられました。

 やはり、「ここぞ」という場面でのファーストサービスの威力が、最後は物を言ったのではないでしょうか。

 初めて全米オープン・シングルスを制した、別の言い方をすれば、4大大会シングルスを制した、2018年全米オープン以来の、全米オープン・シングルス2度目の決勝進出は、「快挙」という以外はありません。

 決勝の相手は、大豪セリーナ・ウィリアムズ選手を倒した、アザレンカ選手(ベラルーシ)です。
 全豪オープンのシングルスを2度制覇している強豪ですから、相手に不足はありません。

 準決勝まで、毎日のように試合を戦ってきましたが、決勝は9月13日の日曜日です。
 少し休息期間が与えられるのです。

 リフレッシュした大坂なおみ選手の、伸び伸びとしたプレーに期待しましょう。
 新型コロナウイルス禍の下で開催されている、テニスのメジャー大会・全米オープン2020女子シングルスで、大坂なおみ選手が順調に勝ち進んでいます。

[8月31日・1回戦]
大阪なおみ選手2-1土井美咲選手

[9月2日・2回戦]
大坂なおみ選手2-0カミラ・ジョルジ選手(イタリア)

[9月4日・3回戦]
大坂なおみ選手2-1マルタ・コスチュク選手(ウクライナ)

[9月6日・4回戦](試合前)
大坂なおみ選手VSアネット・コンタベイト選手(エストニア)

 人種問題や左脚太腿の故障で、今大会でのプレーが心配された大坂選手ですが、試合を重ねるにつれて調子が上がってきているように観えます。

 特に、「肝心なところ」で得意の強烈なサービスが威力を発揮しています。

 思うようなプレーが出来なかった時に、ラケットを放り投げる仕草は相変わらずですけれども、「試合を放り投げる」ような様子はありません。
 地力を発揮できる「心持ち」なのでしょう。

 4回戦の相手コンタベイト選手は、今大会の2・3回戦を2-0で制して上がってきました。
 もちろん強敵ですが、大坂選手が自らのプレーを展開できれば、十分に戦える相手でしょう。

 大坂なおみ選手の勝ち上がりが期待されます。
 温故知新2020女子テニス編その6です。

 ユーゴスラビア出身のモニカ・セレシュ選手は、1989年にデビューし2008年に引退しています。

 1988年に年間グランドスラムという「偉業」を達成したシュテフィ・グラフ選手の「一強」時代が続くかに思われた女子テニス界でしたが、セレシュ選手が彗星のように現れ、次第にグラフ選手の牙城を脅かすようになりました。
 グラフ選手が「強烈なストローク」をもって、女子シングルスにおけるマルチナ・ナブラチロバ選手とクリス・エバート選手の時代に終止符を打ったように観えましたが、セレシュ選手は、グラフ選手の強打をも凌ぐ「豪打」を持って、グラフ選手に対抗したのです。

 セレシュ選手の主な成績は、以下の通りです。

① 4大大会シングルス優勝9回(全豪4、全仏3、全米2)
② WTAツアー53勝(歴代10位)
③ WTAランキング1位178週(歴代6位)

 モニカ・セレシュ選手はシングルスに強かったプレーヤーです。
 4大大会のダブルスでの優勝歴はありません。

 とはいえ、全盛時(~1992年)のシングルスの強さは格別でした。
 特に、デビュー翌年1990年全仏オープン決勝でグラフ選手をストレートで下し、全仏および4大大会の初優勝を決めた時は、まだ16歳3ヵ月*でした。
 何しろ、全仏に絶対の強さを魅せていたグラフ選手を、16歳の少女が倒したのですから、衝撃的でした。(*現在でも、全仏女子シングルスの最年少優勝記録です)

 こうして女子シングルスにおいて、世界一の座に上り詰めて行くセレシュ選手を悲劇が襲いました。女子テニス界というか、スポーツ界全体にとっても「空前」の悲劇でした。

 1993年4月、ドイツ・ハンブルグにおける「シチズン・カップ」の準々決勝で、マグダネラ・マレーバ選手と戦っていたセレシュ選手が、コートの中・ゲームとゲームの間にベンチに座って休んでいる・考えている時に、背後から背中を刺されたのです。
 ドイツ人青年の犯行であったと記憶していますが、高品位な「映像」が世界を駆け巡りました。
 「とんでもないこと」が起こってしまったのです。
 この青年は「熱狂的なシュテフィ・グラフ選手のファン」であり、「セレシュ選手が居なくなれば、グラフ選手が再び世界一に返り咲くことが出来るから、犯行に及んだ」とコメントした、とも伝えられました。
 公衆の面前における犯行は、極めてショッキングなものでしたし、この後、トーナメントにおける警護・セキュリティ体制が格段に強化されたことは、言うまでもありません。

 この事件の後、セレシュ選手は後遺症(現在ならPTSDと診断されるものかもしれません)に悩まさされ、2年以上も試合から遠ざかりました。
 そして、1995年8月にWTAツアーに復帰しましたけれども、かつての輝きを取り戻すことは出来ませんでした。

 観客席からコートに入り、刃物で背後から切りつける、あるいは、刃物を背中に刺す、という蛮行は、しかし、観客席と選手の距離を短くしようとすればするほどに、容易な犯行となってしまいます。
 この事件の時も、犯人は別に大きな動きを見せた訳では無く、立ちあがって、前に出て、刺した、という感じでした。

 この事件が無かったならば、モニカ・セレシュ選手の優勝回数は、どこまで伸びて行ったことでしょうか。
 温故知新2020女子テニス編その5です。

 1960年代から70年代のマーガレット・コート選手とビリー・ジーン・キング選手を継いだ、クリス・エバート選手とマルチナ・ナブラチロバ選手が1970年代から80年代の世界の女子テニス界をリードしました。

 そして、この「ナブラチロバとエバートの時代」を継いだのが、シュテフィ・グラフ選手でしょう。

 ドイツ(当時は西ドイツ)出身のグラフ選手は、1982年にデビューし1999年に引退しています。

 1969年生まれのグラフ選手ですから、デビューした1982年はまだ13歳ですが、この頃から「神童」として注目されていました。
 そして1986年までは、ナブラチロバ選手やエバート選手に挑戦し、惜しくも敗れるという試合が多かったのです。1986年でも、まだ17歳なのですから、驚かされるばかり。

 そのグラフ選手は、1987年についに「2強の壁」を打ち抜きました。
 この年11の大会で優勝し、4大大会のひとつである全仏オープン・シングルスで優勝しています。初の4大大会制覇でした。
 この年のウィンブルドン大会と全米オープン大会ではナブラチロバ選手に敗れましたが、グラフ選手は初めて世界ランキング1位となっています。

 1987年が、ナブラチロバ・エバート時代からグラフ時代への移行年であったのでしょう。

 翌1988年は、シュテフィ・グラフ選手のキャリアにおける「絶頂期」となりました。
 「年間グランドスラム」という偉業を達成したのです。
 同一年に、4大大会シングルスの全てを制覇するという偉業でした。
 
 かつて、1970年にマーガレット・コート選手が達成していた「年間グランドスラム」をグラフ選手も成し遂げた形ですが、グラフ選手はこの後、コート選手のシングルスの記録更新を目指して、戦い続けることとなりました。

① 1988年「年間グランドスラム」達成
② 4大大会シングルス通算22回優勝(全豪4、全仏6、全英7、全米5。歴代第3位。24勝のマーガレット・コート選手が1位、23勝のセリーナ・ウィリアムズ選手が2位)
③ WTAシングルス世界ランキング1位・377週(歴代1位。2位はマルチナ・ナブラチロバ選手の332週)
④ WTAツアー大会勝利数107(歴代3位。167勝のナブラチロバ選手が1位、157勝のクリス・エバート選手が2位)

 まさにシュテフィ・グラフ選手は、シングルスにおいてコート選手やナブラチロバ選手、セリーナ・ウィリアムズ選手と並ぶ好成績を残しました。

 1990年前後の試合を観ると、その強烈なフォアハンド、フラットなフォアハンドショットの威力・スピードは共に抜群で、第1ゲームを観るだけで「この試合はグラフ選手の勝ち」と感じさせるに十分なものでした。

 一方でグラフ選手は、ダブルスにおいては、その強さを魅せることが出来ませんでした。
 4大大会での優勝は、1988年のウィンブルドン1勝です。
 これは丁度、4大大会ダブルスで2勝のクリス・エバート選手や、男子ですが、4大大会ダブルスでは優勝が無いピート・サンプラス選手に近い感じがします。

 ナブラチロバ・エバート時代を継いで、自身の時代を構築したグラフ選手が、「どこまで記録を伸ばしていくのか」と言われました。
 コート夫人も「もう1・2回は年間グランドスラムを達成するのではないか」とコメントしたと伝えられています。
 最盛期のグラフ選手の強さは、それ程に他を圧していたのです。

 しかし、そのグラフ選手の牙城にも、モニカ・セレシュ選手が迫り、マルチナ・ヒンギス選手が追いかけてきました。
 世界女子テニス界の裾野は、想像以上に広いのでしょう。

 温故知新2020男子テニス編その6です。

 ジミー・コナーズ選手やジョン・マッケンロー選手の活躍により、アメリカ合衆国の男子テニスが世界をリードする時代が訪れましたが、その流れを継続したのがピート・サンプラス選手でしょう。

 1988年にデビューし2003年に引退したサンプラス選手は、その圧倒的なプレー振りと実績により、男子テニス界の20世紀から21世紀の橋渡しをしたと言っても良さそうです。

 史上最高のオールラウンダーと呼ばれるサンプラス選手は、強烈なサーブ、俊敏・多彩なボレー、素晴らしいストロークと、どの技を観ても世界最高水準のプレーヤーでした。

 21世紀を代表するロジャー・フェデラー選手と共に、男子テニス史を飾るオールラウンダーです。
 本稿では「初代のザ・オールラウンダー」と呼びます。

① 4大大会シングルス優勝14回(全豪2、全英7、全米5。当時の歴代1位、現在歴代4位)
② ATPランキング世界1位・286週(歴代2位。1位はロジャー・フェデラー選手の310週)
③ ATPツアー通算64勝(歴代7位タイ)

 とても攻撃的かつ合理的なプレーで、ウィンブルドン大会のシングルスでは7回の優勝(歴代2位タイ)を誇ります。
 一方で、球足が遅く、ショットが拾われてしまう確率が高いクレーコートの全仏大会では、ベスト4が最高成績です。
 とてもハッキリとした、4大大会の成績なのです。

 ATPランキング世界1位の期間がとても長く、ロジャー・フェデラー選手に抜かれるまでは、歴代1位でしたが、これが年間ランキング最終順位となると、サンプラス選手の6年連続が、現在でも歴代1位なのです。
 極めて「安定した強さ」を魅せてくれたことは、間違いありません。
 「ピート・サンプラス=世界1」という式が、私には刻み込まれています。

 ピート・サンプラス選手のプレー振りは「感情を表に出すことなく冷静そのもの」という印象ですが、ポイントを取られようと、トリプルブレイクポイントを迎えようと、セットポイントとなろうと、マッチポイントに追い込まれようと、何もないかのようにプレーし、時には強烈なサービスエースを、時には素晴らしいパッシングショットを、時にはしなやかなボレーを、何度も決めて魅せてくれました。

 本当に「彩り豊か」なテニスだったのです。

 温故知新2020女子テニス編その4です。

 コート・キング時代の後継者としてクリス・エバート選手が、ビッグトーナメントを勝ち始めようとしていた時期に、そのライバルとなるマルチナ・ナブラチロバ選手が1973年にデビューしたのです。
 ナブラチロバ選手は、シングルスは1994年に、ダブルスは2006年に引退しました。
 21世紀にも及ぶ、とても長いキャリアを誇ったナブラチロバ選手が、女子テニス界にひとつの時代を創り上げたことは、ご承知の通りです。

 ナブラチロバ選手とエバート選手は、様々な大会で凌ぎを削りましたが、ナブラチロバ選手がデビューした頃にはエバート選手が強かったものが、次第にナブラチロバ選手の勝率が上がりました。
 
 「アイス・ドール」と称され、アメリカ合衆国を代表するプレーヤーであったエバート選手(身長168cm)と、チェコスロバキア出身で「男勝りのネットプレー」を得意としたナブラチロバ選手(身長173cm)のライバル関係において、ナブラチロバ選手が「敵役」になってしまったことが多かったのは、仕方がないことだったのでしょうか。

 ナブラチロバ選手の戦績は、世界女子テニス史上屈指のもの、「史上最強」との評も数多くあります。

① 4大大会シングルス18回優勝(全豪3、全仏2、全英9、全米4。クリス・エバート選手と同回数。歴代4位タイ)
② WTAツアー・シングルス167勝(歴代最多。2位はエバート選手の154勝)
③ ウィンブルドン大会シングルス9回優勝(歴代最多)
④ 4大大会ダブルス31回優勝(全豪8、全仏7、全英7、全米9。史上最多)
キャリア初期にはビリー・ジーン・キング選手とのペアがあり、最も優勝を重ねたのはバム・シュライバー選手とのペアで、4大大会20回の優勝を誇ります。
⑤ 4大大会シングルスを「1セットも落とさず」に優勝6回(全英4、全米2。史上最多)

 ストロークも強烈であったナブラチロバ選手が、比類なき「ネットプレー」を具備していたのですから、鬼に金棒。
 特に芝コート、ウィンブルドン大会では1982年から87年までの6連覇を含む9回の優勝を誇ります。歴代最多であり、この記録が今後破られることは無いのではないかと感じます。

 混合ダブルス種目でも4大大会で10回の優勝を誇るナブラチロバ選手ですが、2006年の全米オープン大会において、ボブ・ブライアン選手とのペアで混合ダブルス10回目の優勝を飾りました。
 1956年生まれのマルチナ・ナブラチロバ選手が50歳の2006年、最後の4大大会優勝を飾ったのです。

 本当に凄いプレーヤーです。

 温故知新2020の男子テニス編その5です。

 第二次世界大戦前、ビル・チルデン選手を中心として、世界の男子テニスをリードしたアメリカ合衆国ですが、戦後は、フランク・パーカー選手やジャック・クレーマー選手、パンチョ・ゴンザレス選手の活躍はあったものの、1956年のケン・ローズウォール選手から1962年のロッド・レーバー選手まで7年連続で全米オープン・シングルスの優勝をオーストラリア勢に奪われるなど、1967年までアメリカ選手が優勝できないといった、劣勢の時期を迎えてしまいました。

 こうした流れの中で、1968年の所謂「オープン化」後に、男子テニス界における「強いアメリカ」を取り戻したのが、ジミー・コナーズ選手であろうと考えています。

 コナーズ選手は1972年にデビューし1996年に引退していますが、そのキャリア中の「安定した強さ」は抜きん出ていました。
 4大大会の成績ももちろん良いのですが、一般のATPツアーにおける強さが際立っていて、世界ランキング1位の地位を長く保持したのです。

① 4大大会シングルス8回優勝(全豪1、全英2、全米5)
② ATP(男子テニス協会)ツアー・シングルス優勝数109(歴代1位。2位は103勝のロジャー・フェデラー選手)
③ ATPツアー・シングルス勝利試合数1,274(歴代1位。2位は1,242勝のロジャー・フェデラー選手)
④ ATPツアー世界ランキング1位通算268週(歴代5位。ライバルであったジョン・マッケンロー選手の170週、ビョルン・ボルグ選手の109週を大きく凌いでいます)

 コナーズ選手は、1974年に全豪・ウィンブルドン・全米のシングルスを制覇しました。
 そして同年7月に、初めて世界ランキング1位となったのです。圧倒的な強さを示した年でした。
 ところが、翌1975年、同じ全豪・全英・全米のシングルスで決勝に進出しましたが、いずれも敗れ準優勝に終わりました。

 そして、その後、コナーズ選手は「4大大会に出場したりしなかったり」するようになりました。これだけ強い選手、男子テニス界を「牽引」していたプレーヤーとしては、とても珍しいビヘイビアであったと感じます。
 コナーズ選手の全豪出場は、1975年が最後となりました。
 1976年、1977年は、全英と全米にしか出場しませんでした。

 一方で、4大大会以外の大会でのコナーズ選手の強さは別格でした。
 ジミー・コナーズという「稀代」のテニスプレーヤーの、ある意味では「不思議な」出場試合選択であったと思います。

 コナーズ選手のプレーの特徴と言えば、「フラットな強打」でしょう。
 華麗なスライスショットが主流であったテニス競技に、強烈なフラットショットを持込み、その荒々しいプレーが「時代を魅了」したのです。
 そして「バックハンドの両手打ち」も新時代を開くものだったのでしょう。
 これは、ライバルのビョルン・ボルグ選手と共に為されたもので、女子のプレーであった「バックハンド両手打ち」を男子テニス界に持ち込んだパイオニアであったことは、間違いないと思います。

 「野獣」とも称された元気いっぱいのプレーは、とても人気が高く、特にアメリカのテニスファンの絶大な支持を得ていたと感じます。

 ビョルン・ボルグ選手(スウェーデン)、ジョン・マッケンロー選手(アメリカ)と共に、男子テニス界のひとつの全盛期を築いたジミー・コナーズ選手のプレーには、いつも「ワクワク」させられました。

 温故知新2020の女子テニス編その3です。

 共に1960年にデビューし、60年代から70年代初めにかけて世界の女子テニス界を牽引した、マーガレット・コート選手とビリー・ジーン・キング選手の後を継いだ選手といえば、クリス・エバート選手(アメリカ)でしょう。
 結婚後は、クリス・エバート・ロイド選手と名乗りましたが、本稿ではクリス・エバート選手と表記します。

 エバート選手は1970年にデビューし1989年に引退しました。
 
 1974年の全仏オープンで4大大会初優勝を果たし、同年のウィンブルドン大会も制しましたが、この頃のエバート選手のプレーには衝撃を受けました。
 ベースラインからのパッシングショットの正確性と威力は、女子テニス競技を変えたのではないかと考えています。

 そして、後に彼女の代名詞となる「アイス・ドール」にも現れている、極めて冷静沈着なプレー振りも、強みのひとつなのでしょう。

 コート、キング両夫人の後継者に相応しく、その通算成績も素晴らしいものです。

① 4大大会シングルス18回優勝(全豪2、全仏7、全英3、全米4。歴代4位)
② 全仏オープン史上最多7回優勝
 冷静無比なストロークプレーにより、クレーコートの全仏では絶対の強さを魅せました。
 クレーコート125連勝という、驚異的な記録も保持しています。
③ WTA(女子テニス協会)ツアー・シングルス通算154勝(マルチナ・ナブラチロバ選手に次いで歴代2位)
 正確で強烈なストロークプレーは、一般のトーナメントにおいても抜群の威力を発揮しました。
④ 4大トーナメントシングルス決勝進出34回(歴代1位。18勝16敗でした)

 もうひとつのエバート選手の特徴は、シングルスと比較してダブルスの成績が良くは無いという点でしょうか。(4大大会で3回優勝していますから、普通の強豪選手(変な言い方で恐縮です)であれば決して成績が悪いとは言えないのですけれども、シングルスの成績が凄すぎるのでしょう)
 正確なストロークプレーをベースとしたクレバーなプレーで、シングルスにおいて抜群の強さを魅せたエバート選手ですが、こうしたプレーをダブルスで活かすのは難しかったのかもしれません。

 コート・キング時代を継いだクリス・エバート選手ですが、数年の後に強力なライバルが登場します。
 そのライバル、マルチナ・ナブラチロバ選手とクリス・エバート選手は、1970~80年代の女子テニス界を華麗に力強く彩って行ったのです。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 今回は、男子テニスその4です。

 4大大会シングルスにおいて、男子黒人プレーヤーとして史上初めて優勝したのが、アメリカのアーサー・アッシュ選手です。

 アッシュ選手は、1968年の全米、1970年の全豪、1975年の全英の3回、4大大会のシングルスを制しました。

 1968年の所謂「オープン化」、テニス界史上最大の地殻変動と呼ばれる転換期、4大大会にプロ選手も出場できるようになったその年の全米オープンにおいて、当時陸軍中尉として兵役についていた「アマチュア」のアッシュ選手が、プロ選手を倒して優勝したのです。
 大変革期の歴史的な快挙でした。

 そして、アーサー・アッシュ選手について、私が最も良く憶えているのは、1975年の全英・ウィンブルドン制覇でしょう。
 登り竜のように男子テニス界を席巻しつつあった若きジミー・コナーズ選手とベテランの域に達していた32歳のアーサー・アッシュ選手が、決勝でまみえました。
 
 この試合は、日本でもテレビ放送されました。(この頃から、4大大会特にウィンブルドン大会の本格的なテレビ放送中継が始まったのではないかと思います)
 試合前の予想では、「当たるところ敵なし」のコナーズ選手が圧倒的に有利、であったと記憶していますが、試合が始まると、コナーズ選手の強打をアッシュ選手がひらりひらりと交わすイメージのプレーが展開され、セットカウント3-1(6-1、6-1、5-7、6-4)でアッシュ選手が快勝しました。
 最初の2セットがゲームカウント6-1であることからも分かるように、この試合では、さしものコナーズ選手も全く力を発揮できなかった印象です。
 
 「テニスはショットの威力だけで勝敗が決まるものでは無い」という、至極当たり前のことを認識させてくれた、アッシュ選手の変幻自在のプレーでした。

 身長188cmと、当時のテニスプレーヤーとしては長身のアッシュ選手でしたが、その柔らかく巧みなプレー、ラケット面の多彩な動きは、まさに独特のものだと思います。

 1997年、全米オープン大会の会場、ニューヨーク・フラッシングメドウのナショナル・テニス・センター内に、世界最大のコートが新設されました。
 収容人員25,000人を誇る新コートは、アーサー・アッシュ・スタジアムと命名されました。
 アメリカテニス界における、アーサー・アッシュ選手の高い位置付けが、如実に示されているのです。

 温故知新2020女子テニス編その2です。

 今回採り上げるのは、ビリー・ジーン・キング選手。
 我が国ではキング夫人と呼ばれることが多い選手ですが、オーストラリアのコート夫人共々、この頃は既婚の女子プレーヤーを「夫人」と呼んでいたのかもしれません。

 アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のキング選手は、1960年にデビューし1983年に引退しています。
 デビュー年は、前稿のマーガレット・コート選手と一緒です。
 共に素晴らしいプレーヤーだった2人が「好ライバル」となったのは、自然な成り行きなのでしょう。

 キング選手は、4大大会のシングルスで計12回優勝(全豪1、全仏1、全英6、全米4)し、ダブルスでも16回優勝(全仏1、全英10、全米5)、混合ダブルスでも11回優勝(全豪1、全仏2、全英4、全米4)、計39回優勝という、素晴らしい成績を収めています。
 全体の優勝回数ならば、マーガレット・コート選手に及びませんが、全英・ウィンブルドンのシングルスとダブルスの成績が出色です。
 
 ウィンブルドンにおける活躍が際立つビリー・ジーン・キング選手ですが、特に有名なのは1979年のダブルスでしょう。
 あのマルチナ・ナブラチロバ選手とのペアで優勝しているのです。
 35歳のキング選手が23歳伸び盛りのナブラチロバ選手と組んでの優勝は、ナブラチロバ選手がその後の女子テニス界の「覇権」を握ったことを思うと、まさに世代交代の象徴、「時空を超えたペアリング」という感じがします。

 ビリー・ジーン・キング氏は引退後、フェドカップやオリンピックのアメリカ代表チームの監督を務めるなど、まさにアメリカテニス界を牽引し続けました。

 2006年の全米オープン大会において、ニューヨーク・フラッシングメドウにある大会会場は「USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンター」と名付けられました。
 
 ビリー・ジーン・キングの偉大な功績は、永遠に語り継がれることとなったのです。

 温故知新2020の女子テニス編です。

 最初に採り上げるのは、マーガレット・コート選手。
 マーガレット・スミス・コート選手と表記されることも多く、我が国ではコート夫人と呼ばれることが最も多いと思いますが、本ブログでは掲題のようにしたいと思います。(私が当初そのように憶えてしまったためです)

 オーストラリア出身のコート選手は、1960年にデビューし1975年に引退しています。
 その16年間、女子テニス史上空前の成績を残しました。(「絶後」と言ってもよいと感じます)

① 1970年にシングルス年間グランドスラム(4大大会を当該1年の内に制覇)を達成しました。
② 4大大会シングルス通算24回制覇(全豪11、全仏5、全英3、全米5)
→史上2位は、セリーナ・ウィリアムズ選手の23回、史上3位はシュティフィ・グラフ選手の22回です。
③ 4大大会ダブルス通算19回制覇(全豪8、全仏4、全英2、全米5)
④ 4大大会混合ダブルス通算21回制覇(全豪4、全仏4、全英5、全米8)

 なんとも凄まじい実績です。
 「ひとつでも優勝すれば・・・」という4大大会において、計64回チャンピオン*に輝いているのです。(*史上2位は、マルチナ・ナブラチロバ選手の計59回-シングルス18、ダブルス31、混合ダブルス10、です)
 記録は破られるためにある、と言われますが、今後このコート選手の優勝回数記録を破るプレーヤーが登場するのでしょうか。

 1968年の所謂「オープン化」の前後は、オーストラリアのテニス界、プレーヤー達が、男女ともに世界のテニス界をリードしていたのですが、前稿で男子テニス「史上最強」と書いたロッド・レーバー選手とダブルスに強かったジョン・ニューカム選手の2人の実績を合わせても、マーガレット・コート選手の実績に及ばないのですから、何と言って良いのか、表現が出来ない程のプレーヤーなのです。

 2000年の全豪オープン大会開幕セレモニーにおいて、メルボルンのナショナルテニスセンターのセンターコートには「ロッド・レーバー・アリーナ」の名前が付けられ、隣接するNO.1コートは「マーガレット・コート・アリーナ」と名付けられました。
 「オープン化」後の第1回全豪オープン大会におけるシングルス優勝者の功績をたたえての命名でした。
 
 マーガレット・コート選手の名は、女子テニスの歴史に、いつまでも燦然と輝き続けることでしょう。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 今回は、男子テニスその3です。

 前稿でロッド・レーバー選手を採り上げましたが、このレーバー選手と共にオーストラリア男子テニスの黄金時代を創り上げたのが、ジョン・ニューカム選手です。

 1960年(昭和35年)にデビューし、1981年(昭和56年)に引退したニューカム選手は、シングルスにおいて4大大会で7回の優勝を重ねました。全豪2、全英3、全米2の7回です。クレーコートが苦手であったニューカム選手は、全仏だけは優勝できませんでした。

 4大大会シングルスで7回優勝と言う実績だけでも、当然ながら、世界テニス史上屈指のプレーヤーなのですが、ニューカム選手には男子ダブルスにおいても素晴らしい実績があるのです。
 4大大会で計17回優勝しています。
 全豪5、全仏3、全英6、全米3の計17回です。
 素晴らしい記録でしょう。

 この17回の内12回は、トニー・ローチ選手とのペアでした。
 オーストラリア出身のローチ選手はシングルスでも、全仏大会に優勝し、全英・全米で準優勝と言う成績を残していますが、やはりニューマン選手とのペアによるグランドスラムを主体とした、4大大会13回の優勝が燦然と輝きます。

 興味深いのは、右利きで芝コートに強くクレーコートを苦手としたニューマン選手と、左利きでクレーコートに滅法強かったローチ選手のペアという、「絵にかいたような組合せ」から、最強ペアが生まれたという点でしょう。
 外部的な要素という面でとても良く補完し合うプレーヤー同士がペアを組んで、大成功するという例は、実はとても少ないのではないかと考えていますが、ジョン・ニューカム選手とトニー・ローチ選手はペアを組むことで、ニューカム選手は4大大会シングルスで唯一勝てなかった全仏大会を制し、ローチ選手は唯一決勝に進出できなかった全豪大会を制覇しているのです。

 「ジョン・ニューカム+トニー・ローチ」こそが、「ザ・ペア」なのでしょう。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 男子テニス界において、史上最強のシングルスプレーヤーはという問いには、様々な意見があると思いますが、私はロッド・レーバー選手であろうと思います。

 「最強」とは、「その時代時代において他の強豪選手との比較、相対的な強さが頭抜けている存在」という意味、「頭抜け度合い」の比較といっても良いのかもしれません。
 例えば、1960年代のプレーヤーと2010年代のプレーヤーが試合をした結果を予想するのは、使用している道具、テニス競技ならば、木製ラケットとグラスファイバーラケットの違いや、コートのサーフェイスの違い、が大きく、相当難しいと思います。

 その視点からロッド・レーバー選手が史上最強であると、私は考えているのです。

 オーストラリア出身、1956年(昭和31年)にデビューし1978年(昭和53年)に引退したレーバー選手は、1962年と1969年の2シーズンに「年間グランドスラム」を達成しています。
 全豪、全仏、全英、全米の4大大会を制覇することをグランドスラムと呼びますが、これを1年間=1シーズンで達成することを「年間グランドスラム」と呼びます。

 1年間の4大大会シングルスをすべて制することが「至難」の業、ミラクルな成績であることは、レーバー選手が2度目に達成した1969年の翌年1970年以降にこれを達成した男子プレーヤーが皆無であることから、明らかです。
 
 レーバー選手は、4大大会で11勝(全豪3、全仏2、全英4、全米2)を挙げています。
 また、ATPツアーでも通算52勝を挙げて、歴代12位となっています。
 現在より大会数が少なかった時代に、レーバー選手はこれだけの優勝を重ねているのです。

 当時、ロッド・レーバー選手の映像は、ニュースの中の短い時間しか放送されませんでしたが、その短い映像でも、左利きのレーバー選手のとても美しいショットにはいつも「ほれぼれ」させられました。
 木製ラケットを使用し、本当に美しいフォームから、とてもしなやかなショットが生まれていたのです。

 レーバー選手が世界中のテニスプレーヤー、特にアマチュアプレーヤーの「憧れの的」であったことは、自然なことでしょう。
 アディダス社が1970年代に「ロッド・レーバー」モデルのスニーカーを発売したことも、この時代のレーバー人気を如実に表しています。

 私がテニスを始めた時、最初に手にしたラケットはフタバヤのウイニングショットでした。2本目はフタバヤのゴールデンショットでした。共に木製です。
 キチンとしたフォームを作ることが出来なければ、強いボールを打つことが出来なかったラケットですが、キチンとしたフォームが出来た時の「打感」、振り抜きの良さは、木製ラケットならではのものでした。
 私の様なズブの素人でも、良く分かったのです。

 そして、手本となったのが「ロッド・レーバー選手のフォーム」であったことは、言うまでもありません。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 今回は、1980年代の男子プロテニス界を席巻した、イワン・レンドル選手です。

 チェコスロバキア出身のレンドル選手は、ジミー・コナーズ選手、ビョルン・ボルグ選手、ジョン・マッケンロー選手といった、男子プロテニス史にその名を刻む素晴らしいプレーヤーが大活躍していた時代に、当時の共産主義国家から彗星のように現れ、圧倒的な強さを魅せました。

 1981年の全仏オープン大会決勝(レンドル選手自身の初のグランドスラム決勝進出でした)において、ビョルン・ボルグ選手と戦い、フルセットの末敗れました。
 当時、クレーコートの全仏で圧倒的な強さを魅せていたボルグ選手(この大会を制して「大会4連覇」を達成しています)をあと一歩まで追い詰めたプレー振りは、世界中のテニスファンに強い印象を残しました。

 その後の活躍は凄まじいもので、ATPツアーのシングルス優勝回数94は歴代4位、同シングルスマッチ勝利数1,071は歴代3位と報じられています。
 全盛時には「ほとんど負けなかった」印象が有ります。(1985~87年は、3年連続勝率90%越えというミラクルな成績を残しています)

 もちろんグランドスラムのシングルスにおいても、全米オープン3回、全仏オープン3回、全豪オープン2回の計8回の優勝を誇っています。
 しかし、不思議なことに全英・ウィンブルドンだけは準優勝2回に止まったのです。
 1980年代終盤、「レンドルは全英に勝てないのか」というテーマが話題になったほどです。

 実は、そのATPツアーにおける圧倒的な強さの一方で、グランドスラム大会決勝での勝率の低さ(8勝11敗)から、精神面の弱さが指摘されていたのです。
 これが事実かどうかについては、私には分かりません。個人的な意見ならば、そんなことはなかったのではないかと感じています。

 レンドル選手が登場した時、そのフラットなショット、強烈なストロークが強烈でした。トップスピン球質が全盛を迎えようとしていた時代に、とても新鮮な印象さえ与えたのです。(もちろんレンドル選手もトップスピンを打ちました)
 そして、「片手打ちのバックハンド」も素晴らしい威力でした。「両手打ち」の選手が多かった時代に、フォアもバックも片手で打ち、その威力は両手打ちのプレーヤーに勝るとも劣らなかったのです。
 更には、そのサーブも超弩級でした。

 力みの無い美しいフォームから、あらゆるショットを世界最高レベルで繰り出すことが出来たイワン・レンドル選手が、長く世界NO.1を占めていたのは当然のことなのでしょう。

 11年連続グランドスラム決勝進出、8年連続全米オープン決勝進出といった数々の記録は、レンドル選手の強さと極めて高いレベルでの安定感を如実に示しています。

 男子プロテニス界の巨星イワン・レンドル選手のキャリアに唯一欠けているのは、「ウィンブルドン・男子シングルス優勝」なのです。
 テニスの全豪オープン男子シングルスは2月2日決勝を迎え、ノバク・ジョコビッチ選手(セルビア)がドミニク・ティエム選手(オーストリア)をセットカウント3-2で破り、8度目の優勝を飾りました。

 ティエム選手がセットカウント2-1とリードした時には、このまま初の四大大会制覇かに観えましたが、第4・第5セットをジョコビッチ選手が連取して、2年連続、全豪男子シングルス史上最多の8度目の制覇を成し遂げたのです。

 いつものこと?ながら、驚くべき強さと言って良いでしょう。

 第5シードで大会に臨んだティエム選手は、準々決勝で「3強」の一角ラファエル・ナダル選手を3-1(奪った3セットともタイブレークをものにしました)で破り、勢いに乗っていました。
 準決勝でも、第7シードのアレクサンダー・ズベレフ選手(ドイツ)を3-1で下して決勝に駒を進めたのですが、ジョコビッチ選手に今一歩及びませんでした。

 一方のジョコビッチ選手は、1回戦で1セットを落としたものの、その後は「3-0」の勝ち上がりを続け、準決勝の「3強対決」でも、ロジャー・フェデラー選手をストレートで下して、決勝に進出しました。

 そして決勝では、逆転でティエム選手を撃破したのです。

 強烈なサービスを用い、クレーコートを得意とするティエム選手は、「粘り」ならば誰にも負けないタイプ(事実、今大会でもナダル選手を相手に7-6のセットを3つ重ねて勝利しています)なのですが、そのティエム選手の「粘り」を持ってしても、ジョコビッチ選手を倒すことが出来なかったのです。

 男子シングルス界は、まだまだ「3強」の時代が続くのでしょう。

 そろそろ、2019年を振り返る時期となりました。

 2019年年頭のエポックは、やはり、大坂なおみ選手の全豪オープン・シングルス制覇でしょう。
 2018年の全米オープンに続いての、4大タイトル連覇でした。
 日本のテニスファンに対する、本当に素晴らしい贈り物でした。

 ところが、快挙の後にコーチの問題が続いてしまったのです。

 9月13日、大坂なおみ選手がコーチであるジャーメイン・ジェンキンス氏との契約を解消したことが報じられました。

 2019年2月にサーシャ・バイン氏とのコーチ契約を突然解消し、世界中を驚かせましたが、その後コーチとなったジェンキンス氏との契約も約半年で解消することとなりました。
 当面は、父親であるレオナルド・フランソワ氏がコーチを務め、来シーズンに向けて新しいコーチを探す方針と、報じられています。

 世界トップクラスのアスリートとコーチの関係というのは、常人では窺い知れない物であろうと感じます。

 こうしたケースであれば、「ジェンキンスコーチの何が、大坂選手にとって気に入らなかったのか」ということになるのでしょうが、その「気に入らなかったところ」については、様々な要素が絡み合って複雑な状況である可能性もありますし、ある日のひとつの出来事で「関係が破綻」した可能性もありますし、大坂選手の周囲の関係者、例えば家族との関係が上手く行かなかった可能性もあります。
 本当のところが公表されることは無いのでしょう。

 トップアスリートとコーチの関係は、個々のケース毎に異なるのでしょう。

 コーチに求めるものが、当該スポーツの技術的な面だけというプレーヤーも居れば、精神面も含めた指導が求められることもあるでしょうし、「応援団」としての要素が大きく期待される場合もありそうです。

 コーチとプレーヤーの契約期間についても、個々のケース毎に様々なのでしょう。
 5年10年に渡って「同じメンバー・チーム」で戦い続けるプレーヤーもいれば、頻繁に交替するプレーヤーもいるのでしょう。

 とはいえ、世界のトップアスリートについて見れば、「比較的高頻度にコーチ等を交替する」方が、一般的であるように感じます。

 今年9月の全米オープン大会、4回戦で敗れた大坂選手は試合後のインタビューで「成長できたと思っている」とコメントしました。精神面の成長を強調したのです。
 その「成長」は、外部からは、ジェンキンスコーチと共に成し遂げてきたことのように観えますが、そのコーチを数日の後に解任するのですから、事態の把握はとても難しい状況です。

 もちろん、大坂選手としては「次のステップ」に上がっていくために、「体制・環境」を変革しようとしていることは間違いないのでしょう。

 2020年の復活に向けて、この「変革」の成功が、期待されるところです。

 11月25日、ATP(男子プロテニス協会)は最新の世界ランキングを発表しました。
 シングルスランキングでは、ナダル選手(スペイン)が1位、ノバク・ジョコビッチ選手(セルビア)が2位、ロジャー・フェデラー選手(スイス)が3位となりました。
 ちなみに日本人選手では、錦織圭選手が13位、西岡良仁選手が73位、内山靖崇選手が81位でした。(100位以内)

 全米オープン2019を制覇して、11月4日にランキングトップに立ったナダル選手は、今回の1位獲得で「通算200週目の1位」という金字塔を打ち立てました。
 この記録が、いかに凄いものであるかは、歴代の200週クリアプレーヤーを見れば一目瞭然です。

 歴代の「1位に居た週数ランキング」は以下の通りです。

1位 ロジャー・フェデラー選手 310週
2位 ピート・サンプラス選手(アメリカ) 286週
3位 ノバク・ジョコビッチ選手 275週
4位 イワン・レンドル選手(チェコ→アメリカ) 270週
5位 ジミー・コナーズ選手(アメリカ) 268週
6位 ラファエル・ナダル選手 200週

 史上6名しか居ない大記録なのです。

 サンプラス選手、レンドル選手、コナーズ選手は、皆さんご承知の通り、世界の男子テニス史上に燦然と輝く「巨星」です。
 長きに渡って「安定した成績」を残したプレーヤー達でもあります。

 その3選手の記録に割って入り、不滅と言われたサンプラス選手の286週をも上回っているのが、「21世紀の3強」なのですから、その「3強」の強さを改めて感じさせる結果となっています。

 何しろ「3強」は、まだ現役なのですから、これらの記録はまだまだ伸びる可能性があるのです。
 
 「3強」のドライブは、世界男子テニス史を塗り替え続けているのでしょう。


[9月8日・決勝]
ラファエル・ナダル選手3-2ダニル・メドベージェフ選手

 ナダル選手が2セットを連取し、メドベージェフ選手が2セットを取り返して、最終セットに縺れ込んだ試合は、ナダル選手がゲームカウント6-4で押し切り、全米オープン4度目の制覇を成し遂げました。
 試合時間4時間50分という、史上2番目に長い決勝でした。

 9月1日の4回戦で、ノバク・ジョコビッチ選手が棄権し、9月3日の準々決勝でロジャー・フェデラー選手がグリゴル・ディミトロフ選手にフルセットの末敗れた時には、さしもの「3強」の優勝も途切れたかに観えましたが、3強最後の砦・ナダル選手は、やはり強かったのです。

 ナダル選手は今回の優勝で、4大大会シングルスの優勝が19度目となり、史上最多のフェデラー選手の「20」にあとひとつと迫りました。3強同士のシングルス最多優勝争いは、熾烈を極めているのです。

 本ブログでは、何度も「3強の強さ」を書いてきましたが、フェデラー選手・38歳、ナダル選手・33歳、ジョコビッチ選手・32歳と「年齢を重ねるにつれて」、3強の強さは増しているようにさえ観えます。
 過去3年間の4大大会男子シングルスの計12個のタイトルは、全て3強で分け合っているのですから・・・。
 本当に、凄いことです。

 「いつまで3強の時代が続くのか」、このフレーズも何度書いたか、分からなくなりました。

 私達は、素晴らしい3プレーヤーが競い合う、世界男子テニス史上空前の時代に遭遇しているのです。

[7月14日・決勝]
望月慎太郎選手2-0カルロス・ヒメノバレロ選手(スペイン)

 「快挙」です。

 望月慎太郎選手(16歳)がウィンブルドンジュニアを制したのです。

 四大大会のジュニア部門制覇は、日本人男子プレーヤーとして「史上初」の快挙でした。

 神奈川県出身の望月選手は、12歳の時にアメリカ合衆国フロリダ州のIMGアカデミーに渡り、テニスの腕を磨いてきました。
 そして2019年の全仏オープンシュニアでベスト4に進出しました。
 これが、望月選手の「世界へのデビュー」と言って良いと思います。

 6月3日が誕生日の望月選手にとっては、全仏オープンジュニア・ベスト4は、16歳になりたての好成績であったと思われますが、今大会の優勝も含めて、望月選手にとっての「16歳」は、本当に節目の年ということになるのでしょう。

 ウィンブルドンジュニア制覇、ローランギャロスジュニア4強は、あの錦織圭選手でさえ成し遂げていない成績ですから、今後の望月選手の活躍が大いに期待されます。

 望月選手は、身長175cm・体重64㎏と報じられていますから、身長178cm・体重74㎏と報じられている錦織選手より、小柄で細身です。
 そのプレースタイルは、強力なバックハンドのパッシングショットをベースとし、「ボレー主体」の攻撃的なものです。そして「上にも強い」感じがします。スマッシュがとても上手なのです。これはとても大切なことです。
 テニスプレーヤーにとっての「上のボールへの対処の上手さ」は「天性のもの」と言われています。練習で上達するものではないのです。これが上手い、極限の状況で「上のボールを捌ける」というのは、今後の望月選手の世界で戦いにおいて強力な武器となることでしょう。

 ちなみに、日本人プレーヤーで四大大会のジュニアを初めて制したのは、沢松和子選手でした。
 沢松選手は18歳の時、1969年のローランギャロスとウィンブルドンのジュニアを制しています。素晴らしい活躍を魅せてくれたのです。
 沢松選手は、その後、1975年のウィンブルドン女子ダブルスで優勝しています。
 ウィンブルドンチャンピオンなのです。
 改めて、沢松和子選手の強さを思い出させていただきました。

 望月選手の今大会の優勝は、沢松和子選手に次いで、四大大会における日本人プレーヤー2人目の快挙なのです。

 望月選手は「ロジャー・フェデラー選手のプレーを観るのが好き」であると伝えられています。

 私達はこれから、望月選手の素晴らしいネットプレーに、何度も何度も大きな拍手を送ることになるのでしょう。

[7月14日・決勝]
ノバク・ジョコビッチ選手3-2ロジャー・フェデラー選手

 文字通りの「激闘」でした。
 それも、両選手の気迫がぶつかっての激闘と言うよりは、両選手の「技」の競り合いと言う意味での激闘だったのです。

 この両選手の技術が「芝コート」において世界最高水準であることに、異論を差し挟む人は居ないでしょう。
 四大タイトルのシングルス、優勝20回のフェデラー選手と同15回のジョコビッチ選手の対戦、ウィンブルドンに絞っても、優勝8回のフェデラー選手と同4回のジョコビッチ選手の対戦なのですから。

 その両雄が4時間57分の決勝戦(決勝戦として史上最長)を披露してくれたのです。
 本当に凄い試合でした。
 ウィンブルドン男子シングルス決勝の歴史の中でも、そのプレーの「質の高さ」という面では、史上最高であったのかもしれません。

 そのスコアは、ジョコビッチ選手から見て、第1セット7-6、第2セット1-6、第3セット7-6、第4セット4-6、最終セット13-12という、凄まじい競り合いです。

 今大会から史上初めて導入された「最終セットのタイブレーク」を初めてコート上で魅せてくれた試合ともなりました。それも凄いことでしょう。

 「凄い」の連発で恐縮ですが、それ程にハイレベルな試合だったのです。
 フェデラー選手のドロップショットも凄いが、ジョコビッチ選手のクロスのパッシングショットの角度も、常識を遥かに超えているものでした。
 「あんな角度に打てるものだろうか」と感じますが、「あんな角度に打たなければポイントが取れない」というのが、本当に怖ろしい?レベルなのでしょう。

 現代のプロテニス界で「クレーの鬼」といえばラファエル・ナダル選手ですが、「芝の王者」といえばロジャー・フェデラー選手と言うことになります。これは、テニスファンなら誰でもご承知のことでしょう。

 ところが、ジョコビッチ選手は芝のサーフェイスでフェデラー選手を圧倒しているのです。
 両選手がウィンブルドンで初めて対戦したのは2012年の準決勝でした。
 この試合はフェデラー選手が3-1で制しています。

 2度目の対戦は2014年の決勝で、これは3-2でジョコビッチ選手が制しました。
 3度目の対戦は2015年の決勝で、これは3-1でジョコビッチ選手の勝利でした。
 そして4度目の対戦2019年の決勝でも、3-2でジョコビッチ選手が勝ちました。

 両選手の芝コートでの対戦成績は、ジョコビッチ選手の3勝1敗、ウィンブルドンの決勝では3戦3勝なのです。

 ちなみに、両選手の全通算対戦成績は、48回の対戦で、ジョコビッチ選手の26勝22敗ですから、ジョコビッチ選手にとってはオールウェザーコートも含めたフェデラー選手との対戦成績よりも、芝コートにおける対戦成績の方が勝率が良いことになります。
 ジョコビッチ選手が「芝コートでフェデラー選手に強い」ことは明白でしょう。

 それにしても、何度も書いて恐縮ですが、この「3強」の強さはずば抜けています。

 再び何度も書いて恐縮ですが、男子テニス界への「新星の登場」が待望されるところなのでしょう。

[7月10日・男子シングルス準々決勝・センターコート]
ロジャー・フェデラー3-1錦織圭

 今大会、4回戦までの試合を順調に勝ち上がった錦織選手でした。
 プレー内容もとても良く、「グランドスラムで、これだけ順調に勝ち上がるのは珍しい」という本人のコメントからも、コンディションの良さが感じられました。

 そして「芝の王者」フェデラー選手と激突したのです。
 
 4回戦までの戦い振りや、疲労度合を観ると、「十分に戦える」と感じていましたが、第1セットはまさに、今大会の錦織選手のプレーが披露されました。
 素晴らしいストロークと躍動感溢れるプレーで、フェデラー選手と互角以上に打ち合い、第1ゲームをブレイクしてそのまま押し切りました。
 ウィンブルドンのセンターコートで、フェデラー選手を相手に見事なプレーを披露したのです。
 これなら行ける、と思いました。

 しかし、さすがに「芝の王者」は強かった、半端無く強かったのです。
 
 第2セットに入り、フェデラー選手は積極的に「前に出」ました。
 ボレーを多用して、早い勝負に出たのです。
 これが見事に当たりました。
 
 第1セットで目立ったファーストサービスのミスもしっかりと修正し、完全に流れを自分のものとして、6-1のワンサイドで第2セットをものにしました。

 「天王山」たる第3セット、錦織選手もサービスゲームをキープして一進一退の戦いが続きましたが、第2セットで流れを掴んだフェデラー選手は、とても落ち着いていました。
 「ここ(ウィンブルドン)は私がプレーする所」だよ、と言わんばかりのプレーを続け、第7ゲームをブレイクして、フェデラー選手が6-4で第3セットを取りました。

 第4セットも一進一退の攻防が続き、錦織選手としては何とか試合の流れを奪い取ろうと色々なプレーを展開するのですけれども、フェデラー選手は「微動だにせず」ゲームを重ねて行きました。
 そして、第9ゲームをブレイクして、このセットも6-4でフェデラー選手が奪い、試合は終了しました。

 結果としては、ウィンブルドン男子シングルス優勝8度を誇る「芝の王者」ロジャー・フェデラー選手が、その強さを見せつけた試合でしたが、錦織圭選手の「進化」も感じられました。

 再び結果として、とても面白い、見所満載の試合であったと思います。

 世界最高峰のテニスマッチを観ることができたと感じます。

 我らが錦織圭選手は「もっともっと強くなる」ことを確信させてくれた、良い試合でした。

[6月4日・準々決勝]
ロジャー・フェデラー3-1スタン・ワウリンカ

[6月4日・準々決勝]
ラファエル・ナダル3-0錦織圭

[6月6日・準々決勝]
ノバク・ジョコビッチ3-0アレキサンダー・ズベレフ

[6月6日・準々決勝]
ドミニク・ティエム3-0カレン・カチャノフ

 準々決勝の4試合を終えて、準決勝進出選手が決まりました。
 第1シードのジョコビッチ選手、第2シードのナダル選手、第3シードのフェデラー選手、第4シードのティエム選手です。

 メジャー大会で、第1~4シードが順当に勝ち上がった形。その「順当さ」に少し驚きますが、何より、第1~3シードの「3強」、21世紀の「3強」の強さには、ただただ驚かされるばかりです。

 32歳のジョコビッチ選手は、22歳のズベレフ選手を一蹴しました。ストレート勝ちですが、何とこの大会でジョコビッチ選手は「1セットも落としていない」のです。

 33歳のナダル選手は、錦織選手に3セットで5ゲームしか与えず完勝しました。さすがに「クレーの鬼」です。

 37歳のフェデラー選手は、全豪・全仏・全米の優勝経験があるワウリンカ選手に勝利。第1セットと第3セットはタイブレークの末勝ち切りました。得意なサーフェスとはいえない全仏で、しかし、この「いざという時」の勝負強さは、信じられないレベルでしょう。

 印象ならば、これまでの「21世紀の男子プロテニス界」は、この「3強」が支配しているように感じられますが、それももう「19年」に及ぶのです。
 どう見ても「男子プロテニス史上最強の3強」でしょう。
 10年以上に渡る期間、世界中から若くて才能豊かな男子テニスプレーヤーが数多くデビューしたことは間違いないでしょうし、その中には「3強」を凌ぐ大才能も含まれていたことも間違いない筈(確率的にも間違いない筈)ですが、結局のところ「3強」を脅かす存在は現れていないように観えます。ここは「3強」の継続した強さと弛まぬ努力に、拍手を送るしかないのでしょう。
 50年後・100年後に語り継がれる事実であろうとも思います。

 準決勝の組合せは、フェデラーVSナダル、ジョコビッチVSティエムとなっています。
 この稿が掲載される頃には、準決勝2試合の結果が出ているかもしれませんが・・・。

 いったい「何時まで3強が圧倒的に強い時代が続くのか」、そして「3強を凌駕する若手の登場」はまだなのか・・・。

 もちろん、「3強」にはこれからも伝説を継続していただきたいのですが、男子テニス界の将来を考えれば、若手の台頭も不可欠であろうと思います。

[1月26日・決勝・メルボルン・ロッドレーバーアリーナ]
大坂なおみ2-1ペトラ・クビトバ

 見事な勝利でした。

 大接戦となった試合ですが、セットカウント1-1からの第3セット・第3ゲーム、クビトバ選手のサービスゲームをブレイクした大坂選手が、その後の自らのサービスゲームを取り続けて押し切りました。
 四大大会の決勝で「自らのサービスゲームをキープし続けることの難しさ」は誰もが知っていることでしょうが、大坂選手はこれを見事に実現したのです。

 これで、2018年9月の全米オープン大会に続いて、「四大大会を連勝」したことになります。「5ヵ月間でグランドスラムを2つ勝つ」というのは、これはもう世界一のプレーヤーにしか出来ないことであることは、自明でしょう。

① 第1セットを取れば・・・。

 第1セットを取った時の大坂選手の勝率が非常に高い、というか「過去2年間無敗」であることは知られていましたので、この試合でも第1セットに注目が集まりました。
 タイブレークの末、第1セットを7-6でものにした時、大坂選手の優勝が現実のものとなったのでしょう。

 ビッグサーブを主体としたクビトバ選手のプレーの質の高さは、さすがにファイナリストと感じさせるものでした。実際、第2セットに大坂選手がクビトバ選手のサービスゲームを40-0とリードし、トリプルマッチポイント=3チャンピオンシップポイントを掴んだ時には、このまま大坂選手が押し切ると思われました。
 しかしクビトバ選手はここからポイントを連取し、このゲームを確保するどころが、その勢いで第2セットを奪ってみせたのです。もの凄い「反発力」でした。

 とはいえ、「第1セットをものにしている」大坂選手の優位は不変で、このクビトバ選手の大反撃をもってしても、セットカウントで追い付いたに過ぎなかったとも言えるのでしょう。

 大坂選手が終始この試合をリードしていたということになります。

② クビトバ選手のフォアサイドへのパッシングショット

 この試合においては、肝となるポイントで、大坂選手のバックからのクロスのショット、レフティーのクビトバ選手にとってはフォアサイドへのショットとなりますが、が良く決まりました。
 大坂なおみ選手に「全豪のタイトル」を齎したショットでしょう。

 この試合を通じて、全体として正確なショットを繰り出していたクビトバ選手でしたが、唯一、フォアのストロークショットにはミスが多かったと感じます。

③ 世界ランキング制度1位は結果に過ぎない。

 かつて、日本男子最高の世界ランキング4位となった錦織圭選手が「世界ランキングは気にしていない」とコメントした(本ブログの2015年3月1日付記事「[メキシコオープン2015]ランキングは気にしていない錦織圭選手」をご参照ください)ように、世界ランキングは結果に過ぎないのでしょう。

 この試合とて、優勝すれば2000ポイントP、準優勝なら1300Pが付加されると報じられていましたが、何故「2000P:1000P」ではないのか、あるいは「2000P:1500P」ではないのか、といった「恣意性」がどうしても存在します。

 これに比べて、「四大大会優勝の価値」は厳然たるものです。
 歴史と伝統に彩られ、何時の時代もウイナーは絶賛されるのです。

 大坂選手は、「四大大会覇者」「全豪オープンチャンピオン」「四大大会2勝目」「四大大会連勝プレーヤー」として評価されるのが良いと感じます。

 大坂なおみ選手は、「日本テニス界の夢」を次々と実現しています。

 「精神面の年齢は4歳児位」と、ご本人が謙遜(グランドスラマーの精神年齢が4歳児位というのは、他の選手の立場を考えると、あまりにも謙遜が過ぎるようにも観えますが)するように、まだまだ技術面も含めて、大坂選手は成長途上なのでしょう。

 「伸びしろ十分」な大坂選手に、全仏オープン、全英オープン(ウインブルドン)の優勝、ひいては「年間グランドスラム」を期待してしまうのは、行き過ぎでしょうか。
 2019年のATP(男子プロテニス協会)ツアー・ブリスベン国際大会(オーストラリア・ブリスベン)の男子シングルス決勝は1月6日に行われ、第2シード・世界ランキング9位の錦織圭選手(29歳)が、第4シード・世界ランキング16位のダニエル・メドベージェフ選手(22歳)を、セットカウント2-1で破り、大会初優勝を飾りました。

 錦織選手は、2016年2月のメンフィス・オープン大会(アメリカ)以来3年振りの優勝でした。

 故障によりランキングを落とした錦織選手が、着々とランキングを上げてきたこの1年間でしたが、なかなかツアー「優勝」を飾ることが出来ませんでした。

 この大会での錦織選手は、動きがとても良く、全盛時に近いプレーを魅せるとともに、ベースラインの打ち合いでのショットの威力が増しているようにも見えました。「新生」錦織のプレーを披露してくれたのではないでしょうか。

 アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNが「ケイ・ニシコリは52の大会出場で9度の決勝敗退を含む約3年に及んだ無冠の状態をついに止めた」と報じました。

 決勝で対戦したメドベージェフ選手は、現在売出し中のプレーヤーであり、それこそ「負ける気がしない」勢いで、アンディ・マレー選手やラオニッチ選手、ツォンガ選手を次々と下して決勝に進んできたわけですが、そのメドベージェフ選手を決勝で錦織選手が破ったのですから、その復活も「本物」であろうと感じます。

 錦織圭選手が久々のツアー優勝です。私達が待ちに待った優勝です。
 20代の内にグランドスラムを勝ちたいと言っている錦織選手にとって、とても大事な2019年シーズンが始まったのです。
 10月1日、中国オープン大会の1回戦に勝利した大坂なおみ選手が、「BNPパリバWTAファイナルズ・シンガポール大会(10月21日~28日)」への出場を決めたと報じられました。

 そのシーズンのツアーにおける獲得ポイント上位8名=世界トップ8、のみが出場できる大会に名乗りを上げたのです。

 今年3月のインディアンウェルズ大会でツアー初優勝を挙げた大阪選手が、一気に「ファイナルズ」に進出したことは、素晴らしいことですし、直近の8か月間の大坂選手の成長と勢いは驚異的であったことを、如実に示す事実でしょう。

 大坂選手は「8名の内3番目に進出を確定した」とも伝えられました。

 最初に進出を決めたのは、今季の全仏オープン覇者のシモナ・ハレプ選手(ルーマニア)、2番目に決めたのは、今季のウィンブルドン・チャンピオンのアンジェリック・ケルバー選手(ドイツ)でした。
 言うまでも無く、大坂選手は「8名の中でも上位での進出」となったのです。

 1972年開始の「ファイナルズ」には、これまで伊達公子選手が3回、杉山愛選手が1回出場しています。大坂選手は、日本人プレーヤーとして3人目の出場者となったのです。

 ホテルでの待遇やポルシェ専用車による送迎など、豪華絢爛な処遇も話題となる大会ですが、大坂選手には「日本人プレーヤー初の決勝進出→優勝」を期待してしまいます。
[9月8日・決勝]
大坂なおみ2-0セリーナ・フィリアムズ
(第1セット6-2、第2セット6-4)

 ビッグニュースでした。

 1世紀を超える日本テニス史上、初めての四大大会におけるシングルス優勝が実現したのです。

 第1セット、大坂選手は「丁度良い緊張感」で試合に入ったと感じます。
 「いつものように」プレーを始めたのです。
 こうした大試合は、リラックスして勝てるものではないと考えています。

 大坂選手とセリーナ選手は、共に「パワー型」のプレーヤーですから、自らのショットの威力で相手プレーヤーのリズムを崩していくプレーなのですが、この「パワー」においては、両選手「互角」であったと思います。

 そして「スピード」で大坂選手が明確に勝りました。
 結果として、大坂選手のショットにより、僅かに左右に振られることで、セリーナ選手は正確なショットが打てなくなり、次第にミスショットが増えて行ったのです。

 第1セットは、大坂選手がセリーナ選手のサービスゲームを2つブレイクし、6-2で完勝しました。
 第1セットのプレーにおいて、大坂選手がセリーナ選手を上回ったことは間違いないでしょう。

 第2セットは、とても荒れた展開となりました。
 セリーナ選手が試合中にコーチングを受けた、ラケットを打ち壊した、主審に猛抗議し暴言を吐いた、といったプレー以外の異常な事象が続き、第6ゲームで1ポイントが大坂選手に与えられ、第8ゲームはペナルティとして大坂選手に与えられました。
 こうした大きな大会の決勝ではまず観られない、相当大きなペナルティでしたが、結果として大坂選手は6-4で第2セットも制して、ストレートで優勝を決めたのです。

 試合で上手くプレー出来ないセリーナ選手に苛立ちが募り、最初の方の「不適切な行為」が生じたのでしょうが、主審としても後半の暴言については、セリーナ選手への対応について、他の選択肢があったかもしれません。

 いずれにしても、こうした「騒動」は、大坂選手とは無関係なところで展開されていたことです。
 この騒動が、大坂選手の勝利に、いささかの影も落とすものでは無いと思います。

 試合後、大坂選手は観客に向かって「セリーナが勝つところ(24度目の四大大会シングルス優勝)を観に来たと思うけれども、そうならなくてごめんなさい」とコメントしました。
 完全アウェイの中で、必死に戦った心情を吐露したのです。

 「勝って謝る」というのは、とても可哀そうなことだと感じましたが、こうした心持ちと行動は、「日本人ならでは」とも感じました。
 謝ったことの良し悪しは分かりませんけれども、ビッグトーナメントで優勝して、観客に謝るというのは、世界中で日本人プレーヤーしか居ないのではないでしょうか。(最近は日本人の中にも、こうした心持ちには程遠い=自分の利益の事しか考えることが出来ず、見苦しい言動・行動を取る人達が増えているようにも見えますが・・・)

 さて、20歳にして全米オープンで優勝した大坂選手は、今後の四大大会を含む大きな大会のシングルスで、常に優勝候補に挙げられる存在となりました。
 今後も優勝を重ねる実力が備わっていることは、明確に証明されたのです。

 グランドスラム大会などで優勝を重ね、「優勝しても謝らなくても良い雰囲気」を創り続けて行ってほしいものだと思います。

 大坂なおみ選手、全米オープン2018女子シングルスの優勝、本当におめでとうございます。
 
 私個人としては、「(男女を通じて)一生観られないのではないか」と感じていた、まさに「偉業」です。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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