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 日本陸上競技連盟が新方式の導入を検討していると、3月29日に報じられました。

① 男女ともに2名は陸連が設定する「選考レース」(1発勝負)の上位2名とする。
② 残る1名は、2019年秋から2020年春までの国内指定大会で、陸連の指定する設定記録を突破したランナーの中で、最高タイムを出した選手とする。

 という方式のようです。

 従来の方式と比べて、極めてクリアで、恣意性が入り難い方式となっていますので、とても良いことだと思います。

 2020年大会に限らず、近時の夏のオリンピック大会においては、「暑さに強いこと」が好勝負を繰り広げる上では不可欠な条件ですので、陸連の指定レースも本番に近い環境、気温30℃前後の高温多湿下のレースとなるのでしょう。

 新方式の良いところは
① 「勝負強さ」が測れるところ

 オリンピックのレースは、当然ながら一発勝負ですので、1度の選考レースの上位2名を選定するというのは、とても良いことでしょう。

 「肝心なレース」に対するコンディション調整力、重圧を跳ね返す強い精神力、といった「勝つために不可欠な要素・才能」を図るには、「一発勝負選考」が極めて有効であることは、アメリカの陸上競技代表選考会や、日本の水泳の代表選考を見ても、明らかです。

 たまたま調子が悪かったなどという言い訳は、通用しないのです。
 厳しい方式ですが、平等・公平な条件下で競い合うのは、全体のレベルアップにも結び付くものと思います。

② 基本的な能力の高さも考慮されていること

 「最高タイム基準」は、マラソンに対する地力を評価するものでしょう。

 前述の「選考レース」における上位3名を代表にするという方式との比較となりますが、これは一長一短というところで、こうした「物差し」を加えるという、陸連のチャレンジを見てみたいとも思います。

③ ファン・国民への分かり易さ

 これまで、何かと物議を呼ぶことが多かった「マラソン代表選考の過程・結果」ですが(近時、成績が振るわなかったことも、物議の要因のひとつでしょう)、相当にクリアになりました。

 「オープン&フェア」というのが、全ての物事に対する時代の要請であり、マラソン選考にもその波が及んだということでしょうか。

 とはいえ、この方式も「細部のツメ」が残っています。

A. 選考レースの上位2名の中に、最高タイム保持者が入っていた時の、残り1名の選出方法
B. 陸連の設定記録を突破した選手が一人もいなかった時の、残り1名の選出方法
C. 「補欠選手」の選出方法

 などが、直ぐに思い浮かびますが、詳細に観れば他にも詰めなければならない点が、いくつもある筈です。

 日本陸上競技連盟におかれては、一層検討を深めていただきたいと思います。

 2020年オリンピック東京大会が近付いています。

 もし、2020年大会の気象条件に近い時期に選考レースをやるとすれば、2019年の7~8月ということになりますので、あと2年と少ししかありません。

 選手にとって、残されている時間が少ないということは、関係者にとっても少ない、当然ながら事前に行わなければならない代表選考という面では、「より少ない」のです。

 時間が無いのです。
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 初マラソンの安藤選手(22歳)が、3月12日の名古屋ウィメンズマラソンで素晴らしい走りを魅せてくれました。

 走破タイム2時間21分36秒は、初マラソンの女子日本最高記録でした。

 バーレーンのキルワ選手に、35km付近からじりじりと離されていったとはいえ、安藤選手の走りは安定感十分なものでした。

 「手を下げてのピッチ走法」でスタート直後からトップグループを走り、他のランナーが次々と脱落していく中で、キルワ選手にぴたりとつけ、相当の距離を並走したレース振りは、とても初マラソンとは思えない、堂々たるものです。

 この安藤選手の走りは、1998年12月のアジア大会で、2時間21分47秒という、当時の世界歴代5位のタイムで優勝した、高橋尚子選手の走りに匹敵する衝撃を齎した感じがします。

 この時の高橋選手も、この大会(当時は名古屋国際女子マラソン)を2時間25分48秒(当時の日本最高記録)で優勝し、12月のアジア大会に出場して「世界デビュー」したのです。

 8月の世界選手権大会(ロンドン)における、安藤選手の大活躍に期待したいと思います。
 事前に報じられていたように、ペースメーカーは「世界最高タイムを目指すペース」で走り始めました。

 やや海抜が高いところに在る都庁前からの下りも相俟って、素晴らしいラップが刻まれて行きました。
 15kmは43分33秒で通過、世界最高タイムが出た時の44分10秒を大きく上回るペースです。

 この世界最高のペースを刻む先頭集団に、しかし、日本選手は居ませんでした。
 全くついて行けなかったという形です。

 日本選手の先頭は設楽悠太選手でした。
 一時は先頭集団に50m位まで迫りましたが、設楽選手の健闘もそこまででした。

 レースを終始支配したのは、ゼッケン1番、ケニアのウィリアム・キプサング選手でした。
 2時間3分13秒の自己ベストタイムを誇り、3分台4分台で42.195kmを走り切るレースが多いという、世界トップクラスのランナーですが、このレースでも余裕綽々というか、極めて冷静にレースを進めました。

 20kmを過ぎて、ややペースが落ちたペースメーカー達に「もっとベースアップするように」といった仕草も見せていました。「2時間3分00秒」のペースを体で知っていて、そのペースで走り切る実力が備わっているランナーならではの仕草でした。

 ペースメーカーは「必死に世界最高ペースを刻み続け」ました。30kmでも、まだ世界最高より11秒上回っていたのです。
 
 34.5km付近で、キプサング選手は並走していた、同じケニアのディクソン・チュンバ選手を引き離しにかかりました。そして突き放しました。チュンバ選手としては、食い下がりたかったのでしょうけれども、力が違いました。

 キプサング選手の独走が始まり、ゴールまでその走りが続きました。

 終盤に来て発汗こそ増えましたけれども、その美しいランニングフォームは不変でした。つまりそのストライドも余り小さくならなかったのであろうと思います。そこが素晴らしい。42kmを走っても、そのバネが衰えないというのは、見事という他はありません。

 東京駅前のゴールに走り込んだ時、仲間に迎えられて、キプサング選手は笑顔になりました。清々しい笑顔でした。

 「疲労困憊」とは程遠い、清々しい笑顔。ここにキプサング選手の地力が感じられました。
 肉体は疲れているが、気持ち・精神はまだ大丈夫、余力を残しているのです。
 強いマラソンランナーに必須である要素を魅せていただきました。

 日本選手では、初マラソンにも拘わらず、日本最高記録を大きく上回るペースで先行した設楽悠太選手が、35kmを過ぎて失速し、後方集団に居た井上大仁選手が37km付近でこれを追い抜きました。
 井上選手はこのまま日本選手トップを守り、2時間8分22秒でゴールしました。
 2時間7分という「世界選手権代表内定」への標準記録には、残念ながら遠く及ばないものでした。

 東京マラソン2017も「日本と世界の差を痛感」させられるレースとなりました。

 「全く勝負にならない」のです。厳しい言い方をすれば「競走になっていない」ということでしょう。

 2時間3分58秒と2時間8分22秒、4分以上のタイム差が有りますが、実際のレースの景色は4分差どころの話ではありません。
 次々とゴールする海外ランナーから、日本選手は全く見えないのですから。
 
 この4分間に、オリンピックや世界選手権であれば、何人の選手が入って来るのか、20人か30人か・・・。彼我の力の差は、年々拡大している印象です。

 「当たり前の話」だとお叱りを受けそうですが、キプサング選手は「日本のマラソンコースにおいても3分台が出る」ことを証明してくれました。
 海外のコースなら3分台が出るが、日本のコースでは出ないという「迷信」(そんな迷信は無かったのかもしれませんが)も打ち消してくれたのです。

 日本マラソン苦難の時代は、まだまだ続くのでしょう。
 2月5日に、岡山県笠岡市の小学校で開催されたマラソン大会(距離3km)で、係員が間違った誘導をしてしまい、参加した263人の内262人が失格となり、ダントツ?の最後尾を走っていた生徒だけが、正しいコースを走り切ったというニュースが、2月14日に報じられました。

 最後尾を走っていた生徒が「優勝」となったそうです。

 ほほえましい様な、ほほえましく無い様な事件ですけれども、このニュースでは「間違った誘導」をした係員については、何も触れられていませんでした。

 いつもは「常にビリ」の生徒が優勝したことについては、何か「教訓めいた話」になっているのかもしれませんが、優勝を目指していたであろうランニングが得意な生徒の皆さんにとっては、とんでもない話なのかもしれません。
 この係員の責任は、極めて重いと見るのが妥当でしょう。

 コースを間違えた262人の生徒は、おそらく大人の係員(先生かもしれません)の指示に従って走り、2kmと少ししか走らなかったので「失格」ということで、正規のコースを走り切った生徒が優勝ということになたのでしょうが、262人の生徒達は自分の責任でコースを間違えたわけではありませんし、大人の言うことを子供がきくというのも自然なことですから、「この大会は順位付け無し」といった取扱もあったのではないかと思います。
 
 本ブログでは、これまでもマラソンや駅伝の係員の責任の重さを書いてきました。
 キチンとした大会とするためには、係員の正しく合理的かつ効率的な振る舞いが不可欠なのです。当然のことながら、「重大な責任」を負っています。

 昨年末、12月25日に行われた全国高校駅伝の男子の部でも、係員の粗末な行動・運営が見られました。
 第1区から2区への襷渡しのエリアで、信じられないような光景が見られたのです。

 襷渡しのラインの50mくらい手前でしょうか、係員が1人、道路の真ん中に出て、走ってくる選手たちを向かって左側に、選手にとっては右側に誘導しているのです。旗を振って、左側に走るルートを変更するように指示しています。

 この道路は、当然ながら「競技に使われているコース」ですから、原則として「選手以外の人」が立ち入ることは許されません。当たり前のことです。
 もし、陸上競技場の400mトラックの真ん中に係員が立ちはだかるといったことが発生すれば、大問題となるでしょう。
 この駅伝の係員の行動も、概ね同じレベルだと思います。

 もし、疲労困憊して意識が遠くなり、係員が「コースの真ん中に立ちはだかっていること」に気が付かないランナーが、係員に激突していたら、本当の悲劇が生まれていた可能性も有ります。
 この係員の行動は、様々な点から「極めて危険」なものなのです。

 幸い、この大会ではそうした悲劇は起きませんでした。

 推定ですが、この「謎の行動」の目的は、襷渡しラインにおいて、スムースに襷渡しが実施されるように、100mか200メートル手前の順位に則り、第2区のランナーを襷渡しライン上に左側から並んでもらったのでしょう。
 そして、第1走者を左側に誘導しようとしたのです。

 一言で言えば「浅慮」。

 当然ながら、残り100mを切ってからのラストスパートにより、襷渡しラインの手前で順位は大きく変動します。疲れてフラフラになったランナーと、勢いよく追い上げているランナーが一緒に走ってくるのですから、この100mは「最も順位変動が激しいゾーン」なのです。

 襷渡しライン100m手前で20番手だったチームが、ラインにおいて10番手に上がっていること、あるいは、その逆のことは、頻繁に発生します。

 この「間違った誘導」により、この襷渡しエリアで発生していた事象は、「襷を渡す相手を見つけることが出来ず、並んでいる第2走者の中に分け入り、必死に自チームの第2走者を見つけようとするランナー達の姿でした。並んでいる第2走者の列に分け入って、襷を渡しているシーンもありました。
 大混乱になっていたのです。

 こんなことが次の襷渡しエリアでも行われるのだろうかと、心配しながらテレビを見ていましたが、以降は実施されませんでした。おそらく、最も襷渡しが錯綜するであろう、1区から2区のエリアでのみ実施された方策なのでしょう。

 では、どうしたらよいのでしょうか。

 襷渡しは、選手に任せればよいと思います。

 100m位の距離に近づいてくれば、第2走者は自チームの第1走者を確認することが出来ますし、第1走者も襷渡しエリアの第2走者を見つけることができます。自チームのユニフォームですから、容易なことでしょう。
 もちろん多くのチームが殺到し、錯綜しますから混乱は生じると思いますが、それは「駅伝競技の内の混乱」であり、競技者以外の人により人為的に巻き起こされる混乱とは異なるものでしょう。

 ところが、この時は「係員が邪魔で走ってくる選手が見えにくい」という、本末転倒な事態が起こっていたのです。

 マラソン・駅伝のこと、というか「スポーツを知らない人」を係員にしてしまうことは避けなければならないでしょう。

 競技・プレーは、「可能な限り」選手に任せ、黒子に徹して、プレーヤーがプレーしやすい環境を構築するのが、係員の役割でしょう。
 それ以上でも、それ以下でも、無いと思います。

 例えば駅伝競技なら、選手が間違ったコースに入り込まないように誘導することや、襷渡しエリアで地面に倒れ込んだランナーを素早くコース外に運び出すこと、襷渡しエリアに近づいたチームを、次の走者に教えること、といったことが係員の役割になります。
 係員は、コースとコース外の境目に位置し、決してコース側に入ってはなりません。選手の邪魔になることは、少しでも良いパフォーマンス実現を目指して、練習を重ねてきた選手のことを思えば、あってはならないことでしょう。
 時折、襷渡しエリアで、到着してくるチームを観るためでしょうか、コースにはみ出している係員を目にしますが、絶対にやってはならない行動です。秒速6m前後のスピードで走ってくる選手の邪魔になるからです。衝突でもしたら大変です。

 もちろん、自チームの順位を把握し、襷渡しの準備をするのは、最終的にはランナーの責任です。テレビや自チームのバックアップ要員からの情報をもとに、自分で準備しなければなりません。
 係員からの「到着チーム伝達」にも「漏れがある」可能性があることを認識して、リスク管理をするのは、選手にとって当然のことでしょう。
 たくさんのチームが集団で走ってくるときには、係員がひとつふたつのチーム名を漏らすことは、十分に考えられることなのですから。

 スポーツにおいて、特にアマチュアスポーツにおいては、「プロフェッショナルな係員」を多数揃えることは難しいことなのかもしれません。
 費用の問題もあるのでしょう。

 また、こうしたことに対しては、様々な意見があるとも思います。

 少なくとも、「係員が大会・ゲーム・プレーを管理する」といった、到底不可能な目的実現を目指すことなく、「係員は黒子」であり、プレーは原則として全てプレーヤーに任せる、という考え方・ルールを徹底していくしかないのかもしれません。
 1月15日に行われた、第35回全国都道府県対抗女子駅伝大会は、大接戦のレースとなりましたが、地元の京都チームが競り合いを制して優勝しました。
 3年振り16回目の優勝でした。

 本ブログでは、全国各都道府県の実力差が小さくなって来ていると書いてきましたが、その状況を象徴するような大会となりました。

① 雪中のレース

 今冬一番の寒波が襲来した日本列島でしたが、京都にも雪が降り積もり、大会関係者や地元京都の皆さんの懸命の努力により除雪作業が行われ、レースは予定通りに行われました。(素晴らしいことです)

 特に4区から6区、京都北部を走る区間での降雪は激しいものが有り、テレビ放送の画面でもなかなか後方のランナーが見え難い程でした。

 35回を数える大会ですが、これ程の雪の中で行われたのは初めてでしょう。

② 大接戦

 区間毎に、順位が目まぐるしく変わる展開となりました。

 象徴的だったのは8区・中学生区間。残り1km辺りで「5チームが横一線」に並びました。
 5チームが一団と言うならともかく、「横一線」というのは滅多に観られないシーンでした。

 8区から9区への襷渡しは、千葉チーム→京都チーム→長野チームの順。僅差でした。
 優勝争いは完全なアンカー勝負となりました。

 最長区間10kmの9区の3kmを過ぎて、京都の筒井選手が先頭に立ち、直ぐ後ろに千葉の松崎選手が付いて3位以下のチームを話しましたので、優勝争いは京都と千葉の争いに絞られたように観えました。

 そして4.5km付近で筒井選手が松崎選手を振り切り差を広げ始めました。
 ラストスパートに自信を持つ松崎選手は、トラックまで付いて行ければ勝てるという作戦だったのでしょうが、お腹を押さえていましたので、体調が悪くなったのでしょう。

 さしもの大接戦も決着したかに見えましたが、「大接戦の35回大会」はまだまだ続いたのです。
 後方から追い上げを続けて居た岡山チームのアンカー・小原選手が、7.3km付近で千葉の松崎選手を捉え・追い抜き、京都チームへの追撃を開始しました。

 先頭の筒井選手との差は見る見る詰まりました。

 西京極陸上競技場に入った時には「4秒差」まで詰め寄りました。
 ここで筒井選手もスパートし、小原選手を振り切ろうとしますが、その差はじりじりと詰まり続けました。
 そして筒井選手と小原選手の差が2秒まで詰まったところがゴールでした。
 京都チームは、岡山チームの追い上げを辛くも交わしたのです。
 筒井選手の気迫溢れる走りと小原選手の「諦めることを知らない」見事な追撃が印象的でした。

 都道府県女子駅伝は、実力上位10チーム位に優勝のチャンスが有る時代が来たことを、改めて実感させるレースであったと思います。

 雪が激しかった4区~6区、各選手の額から髪の毛にかけて、雪が降り積もりました。
 まるでティアラのような純白の雪を纏って、各ランナーの懸命の走りが続いたのです。
 本ブログではいつも書いていることですし、当たり前のことで恐縮なのですが、駅伝競技で順位が問題となるのは、最終区間だけでしょう。
 最終区間以外の区間では「他チームとのタイム差」が勝敗を分けるポイントとなるのです。

 2017年元旦に行われた第61回全日本実業団対抗駅伝大会=ニューイヤー駅伝2017の第1区では、先頭の日清食品グループチームと2番手のカネボウチームとの差は1秒、3番手~5番手チームとの差は2秒、6・7番手との差は3秒、8番手チームとの差は6秒、12番手チームとの差は10秒、22番手チームとの差は21秒、30番手チームとの差が31秒でした。
 1区・12.3kmを終えて、残り87kmの段階では、殆どのチームにチャンスが残る形となっていましたから、2017年大会の第1区は「大混戦」であったということになります。
 多くのチームの第1区のランナーが、期待に十分に応える走りを見せてくれたのです。

 一方で、第6区から第7区への襷渡しの際には、先頭の旭化成チームと2番手のトヨタ自動車との差は59秒でした。先頭と2番手の間には、とても大きな差が付いていたのです。
 旭化成の第6区・市田宏選手が2番手チームとの差を30秒以上広げて、チームの優勝に向かって絶対的優位な体制を構築する、素晴らしい走りを魅せたのです。

 箱根駅伝2017の第1区でも、第2区への襷リレーの際にはトップから16番目のチームまでの差が1分以内という僅差でした。多くのランナーが、その役割期待に応えたのです。

 一方で、山梨学院大学チームはトップから3分近くという大きな差をつけられてしまいました。20番手の襷リレーでしたが、この場合問題なのは「20番手」ということではなく「3分差」なのです。
 山梨学院大チームの2区のランナーはニャイロ選手でした。この大会随一の大砲と呼ばれるランナーであり「ゴボウ抜き」が期待されていました。しかし、あまりに差が大き過ぎました。2人を抜いて18番手に順位を上げるのが精一杯だったのです。

 前のチームとの差が大きければ、どんなに速いランナーでも追い抜くことが出来ないのは当然のことです。これが「先頭と1分以内の20番手」であれば、ニャイロ選手は19人を抜いてトップに立っていた可能性は十分でしょう。
 ニャイロ選手は2区を1時間8分以上かかってしまい、区間賞を取ることも出来ませんでした。走れば区間賞という印象が有るニャイロ選手においてさえ、こうした状況に追い込まれることを思えば、「大差」は選手の戦意をも削ぐものなのかもしれません。

 優勝や入賞を狙おうというチームは、最終区間以外は他チームとのタイム差のみに注目してレースを進めなければなりません。

 例えば、最後の1kmまで余力を残し、ラストスパートで順位を上げたとしても、チームの成績には大きな貢献が出来ない、他のチームに10秒以内の差を付けたとしても、直ぐに引っくり返されてしまう可能性が有るのです。

 それよりは、「最初から高いスピードを発揮して、自らの力を出し切り、他チームとのタイム差を大きくして行く努力」が求められるのでしょう。
 こうした走りをすることで、余力が無くなり、ラストスパート勝負で負けたとしても、大きなタイム差は付かない。最終区以外の区間ではあまり大きな影響は無いのは、前述の通りです。

 観戦する私達としても、各区間のスタートからキッチリと自らの力を出して「担当区間を自らのベストタイム」で走り切るランナーを高く評価すべきであろうと思います。
 箱根駅伝2017では、神奈川大チームや法政大チームの様に、予想を上回る?活躍を魅せてくれたチームが存在する一方で、地力を発揮できなかったチームがいくつかあったように思います。

 日々の厳しいトレーニングを積み上げて「本番」に臨んだ選手達にとっては、本当に残念な結果であったことでしょう。

 第一には駒澤大学チームでしょう。
 総合9位でシード権は獲得しましたけれども、2010年大会以降7大会連続で3位以内を確保してきた「箱根上位の常連」チームとしては不本意な結果なのではないでしょうか。

 第1区を6位でスタートし、2区で3位に上がった時には、駒沢大にとっては「定位置」に付いたと思ったことでしょう。
 ところが、3区で5位、4区で9位と順位を落とし、いつもの駒澤らしくないレースとなってしまいました。

 5区では大塚選手の頑張りで、往路を5位で終えました。
 復路での反撃が期待される位置に付いたのです。

 ところが6区で9位に下がってからは、この順位を確保するのが精一杯といった状況となってしまいました。
 「らしくない」レースとなってしまった駒澤ですが、おそらく世代交代の大会だったのでしょう。

 第二には明治大学チーム。
 予選会を上位で突破してきた明治大チームには、シード権争いへの参加が期待されました。十分にその力も保持していたと思います。

 ところが第1区で18位と出遅れてしまい、その後もその位置から上がっていくことが出来ませんでした。総合成績の17位が、この大会の最高順位というのは、不本意な成績でしょう。

 1区の出遅れが大きく響いたということなのでしょうが、各ランナーの走りにも精彩が有りませんでした。コンディショニングも上手く行っていなかったのではないでしょうか。

 第三は山梨学院大学チーム。
 こちらも第1区・20位の出遅れが響いた感じです。トップチームから3分弱の遅れというハンディキャップが大きく響きました。
 
 3区や5区では16位まで順位を上げ、復路の7区で14位に上がってきたときには、ここからシード圏内まで一気に上がっていくのではないかと思われましたが、その後は失速し、最終的には18位に留まりました。
 確かに苦しいレースが続いたのですけれども、決して10位が不可能な状況ではありませんでした。山梨学院大チームらしい「爆発的な走り」が観られなかったことが、とても残念です。

 最後は国士舘大学チーム。
 第1区を19位でスタートした後は、2区以降20位・最下位という位置から抜け出すことが出来ませんでした。そして先頭チームとのタイム差も開く一方。
 本来のチーム力からは程遠いレース内容であったと思います。

 どのランナーも、走り始めてすぐに「苦しい表情」になっていたように観えました。
 コンディショニングを相当失敗したというか、軽い集団食中毒でもあったのではないかと感じてしまう程です。(もちろん、そんなことは無かったと思いますけれども)

 どの大会にも最下位のチームは存在しますから、最終的な順位が問題では無いのです。自分たちが培ってきたものを「大舞台」で存分に発揮すること、溌剌としたプレーを披露することが大事なことなのでしょう。
 その意味から、この大会の国士舘大チームのプレー振りは、持ち味を全く発揮できなかったものだと感じます。

 箱根駅伝2017において「地力を発揮できなかった」のではないかと思われるチームを見てきました。
 この大会で得たノウハウを、次の大会に是非活かしていただき、また素晴らしい走りを見せていただきたいものです。
 箱根駅伝2017における、神奈川大チームと法政大チームの活躍は見事でした。
 神奈川大は総合5位、法政大は総合8位で、次大会のシード権を獲得したのです。

 昨年の予選会5位で本戦出場を果たした神奈川大と同4位で箱根路に挑んだ法政大は、2017年のレースをとても盛り上げていただいたと思います。

 正直に言って、予選会の成績や過去10年の実績を考慮すれば、両チームがこれ程の活躍を見せるとは思いませんでした。

 第1区を6位でスタートした神奈川大は、第2区の鈴木健吾選手の快走によりトップに躍り出ました。そして往路を終えて第6位に付けたのです。
 2区から5区にかけて順位を落としたこと、往路7位から16位までの各チームの差は小さく、「大混戦」の様相を呈していましたから、神奈川大チームがこのまま10位以内・シード権を確保できるかどうかは分からないところでした。
 このところの実績を踏まえれば「シード権獲得は困難」と観る方が一般的だったのかもしれません。

 ところが復路に入っても、神奈川大チームの勢いは止まりませんでした。というより、勢いが増したのです。
 山下りの第6区で順位を5位に上げると、第7区から9区までの3区間は4位で走りました。最終10区で順位をひとつ落としましたけれども、その「安定感十分」のレース振りは、このところ苦戦続きだった神奈川大チームの「復活」を印象付けるものであったと思います。

 2016年シーズンにおいて「神奈川大学チームに何があったのか」といったところでしょう。

 一方の法政大学チームの「粘り強い走り」も印象的でした。
 第1区を9位でスタートした法政大は、第2区で13位まで順位を落としました。10位前後のチームには差が無く、追い上げは十分可能な状況であったとはいえ、このところの法政大チームの状況を考慮すれば、このままずるずると後退する恐れもあったのです。

 ところが法政大チームは、第3区で順位を11位に上げると、第4区では8位、山登りの第5区では12位に後退しましたけれども、同8位の上武大学チームとは1分余の僅差と、大きなタイム差の無いポジションを確保して復路に望みをつないだのです。

 法政大チームは復路でも、本当に「粘り強い戦い」を展開しました。
 特に第6区の1年生・佐藤敏也選手の走りは秀逸でした。58分52秒という区間2位の走りを披露してくれたのです。新しい「山下りのスペシャリスト」の誕生を感じさせるものでした。
 この快走で法政大チームは順位を一気に8位に上げました。
 そしてこの順位を維持し続けたのです。

 箱根駅伝2017の特徴として、第5位から第11位のチームの間で「熾烈な順位争い」が繰り広げられたことが上げられます。
 この熾烈な争いの中で法政大は、6区・7区・8区と8位を堅持し、9区では6位に上げ、10区でも8位を守ったのです。

 ひとつひとつの区間では、順位交替を頻繁に繰り返していながら、結果としては「8位」というポジションを維持した法政大チームの走りには「不思議な安定感」がありました。
 おそらく、チーム内での作戦が徹底されていたのでしょうし、コンディショニングも成功していたのでしょう。
 見事な「レースマネジメント」でした。

 予選会から勝ち上がった神奈川大学チームと法政大学チームの活躍は、「かつての名門チームの復活」という側面も有ります。
 1997年・98年大会を連覇した神奈川大チームとしては、再び「地元のコース」でのレースにおけるシード権を獲得したことになりますし、これまで「77回」という歴代4位(中央大、日本大、早稲田大に続く)の出場回数を誇る法政大学チームとしては、「箱根の常連」としての矜持が有ります。

 鈴木健吾選手や佐藤敏也選手の走りを始めとして、2018年大会における両チームの活躍が、今からとても楽しみです。
 正月三が日最大のスポーツイベント、箱根駅伝2017は優勝候補筆頭であった青山学院大学チームが、2位の東洋大各チームに7分以上の差を付けて圧勝しました。

 青学大は、往路優勝、復路優勝、総合優勝の完全優勝を成し遂げましたし、今シーズンの大学駅伝三冠、そして三連覇と記録ずくめの大会となりました。
 「箱根三連覇+大学駅伝三冠」は史上初の快挙です。

① 3区と8区

 青山学院大チームの強さが良く現れていたのが、第3区の秋山選手と第8区の下田選手の走りでした。

 第2区を終えて混戦となっていた往路、秋山選手の区間賞の快走により青学大は「定位置」に就いたのです。

 早稲田大学チームに1分20秒余りの差に詰め寄られた復路の第7区・8区の襷渡しでしたが、下田選手の「気迫満点」の走り、区間賞の走りにより、青学大チームはその差を一気に5分以上に広げたのです。
 青学大の「独走」が始まった区間でもありました。

 第3区と第8区の重要性が、改めて感じられた大会でもありました。

② 追い縋った早稲田大チーム

 往路を終って33秒差に迫った早稲田大チームの健闘も、特筆されるべきものでしょう。

 個々のランナーの力が少しずつ優位にあると見られていた青学大チームを相手に、怯むことなく挑戦し続けた各選手の走りでした。

 第7区を終えて1分20秒余りの差に詰め寄った時には「勝負はこれから」という感じでしたが、第8区の青学大・下田選手の走りに突き放されてしまいました。

 とはいえ、高校長距離界のスター選手により構成されることが多かった早稲田大チームが、こうした状況=スター選手不在の構成でも優勝争いを演じることができたことは、今後の同チームにとって大きな遺産となったことでしょう。
 来シーズンからの早稲田大学チームの活躍が期待されるところです。

 大会終了後の優勝インタビューで、青学大の原監督は「13年間かけての強化が実った。青学大に選手を預けてくださった、全国の高校の先生方に感謝申し上げる」と述べました。
 三連覇したことを考慮すると、箱根駅伝の実績に乏しかった青山学院大チームが、「優勝」の栄冠を手にするまでに「10年」を要したことらなります。

 10年もかかったという見方も有るのでしょうが、私には「たった10年で」という印象です。
 100年に喃々とする歴史の中で、日々努力を続ける数々の名門チーム・伝統校を相手に、青山学院大チームは僅か10年で「箱根の勢力図を完全に書き換えた」のです。

 新名門・青山学院大学チームの、素晴らしい優勝・三連覇でした。
 素晴らしい走りでした。

 花の2区とも呼ばれる往路最長区間の第2区、いつの時代も大学長距離界のエースが集う区間ですが、2017年の主役は鈴木健吾選手でした。
 23.1kmを1時間7分17秒という区間賞、歴代でも8番目という見事なタイムで走破しました。

 かつては箱根の優勝を争う有力チームの一角を占めていた神奈川大チームですが、最近は存在感が小さくなっていました。今シーズンも、出雲・全日本の駅伝には出場もできませんでした。

 そして、箱根駅伝予選会2016で頑張り、本戦への出場権を得たのです。

 その予選会で、全体3位・日本人ランナートップの成績を収めたのが、鈴木選手でした。

 箱根駅伝2017は大砲が少なく、花の2区にも「大砲」レベルのランナーはなかなか見当らないと、以前にも書きましたが、その混戦の2区において、鈴木選手は自らの実力、日本学生長距離界屈指の力を存分に発揮したのです。

 上半身のブレが殆どなく、キッチリとピッチを刻んで走るフォームは、まさに長距離ランナーのものです。

 鈴木健吾選手はまだ3年生ですから、箱根駅伝2018にも出場していただき、より完成された素晴らしいランニングを魅せていただきたいものです。
 第61回全日本実業団対抗駅伝大会は、旭化成チームが優勝しました。
 名門チームとして、1998年以来の久しぶりの優勝でした。

 第一区・村山絋太選手、第二区・鎧坂哲哉選手、第三区・大六野秀畝選手、第四区・市田孝選手、第五区・村山謙太選手、第六区・市田宏選手、第七区・佐々木悟選手と、日本人ランナー7名の走りで優勝したのです。

 正確なところは分かりませんが、21世紀になって初めての日本人だけで構成されたチームの優勝なのではないでしょうか。

 「日本人至上主義」とは全く関係無く、日本人ランナーの力が世界に通用するようになったという視点から、興味深い優勝であろうと思います。
 長い間「ニューイヤー駅伝においては第二区の大砲・アフリカ系ランナーの快走」を背景としたチームが優勝を続けて来たのです。

 2016年末に日本中を熱狂させた、クラブワールドカップ2016における鹿島アントラーズの活躍に対しても、「日本人イレブンの先発」によりレアル・マドリードと死闘を繰り広げたことに対して、世界中から賞賛の声が聞かれました。
 サッカーのクラブチームであれば、強力な外国人プレーヤーを要所に配して活躍するチームが多く、レアル・マドリードもまさにそうしたチームなのですが、「世界のスタープレーヤーを集めたチーム」に対して「日本人プレーヤーだけで構成された先発陣」の鹿島アントラーズが互角の戦いを演じたことに対しての称賛の声が上がったことに対して、注目する必要があるのでしょう。

 スポーツにおける「育成」の意味、そして、我が国の「育成ノウハウの向上」を感じさせる、鹿島アントラーズと旭化成チームの活躍なのかもしれません。
 2017年の年頭を飾るビッグイベント、第93回東京箱根間往復大学駅伝競走が迫ってきました。

 お正月3が日に欠かすことが出来ない風物詩となっている大会です。

 KaZブログ恒例の順位予想です。
 参考とした大会は、箱根駅伝2016と全日本大学駅伝2016の2つです。

① 青山学院大学 
② 早稲田大学 
③ 駒澤大学 
④ 東洋大学 
⑤ 中央学院大学 
⑥ 山梨学院大学 
⑦ 東海大学 
⑧ 拓殖大学 
⑨ 大東文化大学 
⑩ 明治大学 

[1強状態]
 箱根駅伝2017の優勝候補筆頭は青山学院大チームです。
 これは異存の無いところでしょう。
 箱根駅伝2016に優勝し、全日本2016も制しています。全日本では3区間で、田村選手、小野田選手、森田選手が区間一位でしたし、アンカーの一色選手も区間2位と準大砲と言えるランナーが揃っています。
 「大ブレーキ」となるランナーが出現しない限り、青学チームの優位は動かないでしょう。

[2位候補]
 そもそも箱根駅伝において「2位候補」が存在する年も珍しいと思いますが、2017年大会には存在していると思います。
 それは早稲田大チーム。
 全日本では、武田選手、平選手、鈴木選手、長山選手、新迫選手、藤原選手、太田選手がいずれも区間3位以内という安定感十分のレースを展開してくれました。大砲不在の分だけ青学チームに劣っている感じですから、準優勝候補と呼びたいと思います。
 青学大チームに何かが起これば、逆転の可能性も有ります。

[3位争い]
 3位争いは混戦です。
 駒沢大チーム、東洋大チーム、中央学院大チーム、山梨学院大チーム、東海大チームの5チームは、3番手グループと呼んでも良いのかもしれません。

 このグループの各チームは、レース当日のコンディション等の要因で順位が変動する可能性が高いと思います。

 そうしたことを踏まえて、3位候補には駒澤大学を置きました。全日本では4位で、メンバーの実力が拮抗していて大崩れが無さそうです。「箱根」に対する伝統の強さも、秘めたノウハウの存在という面から見逃せません。

 4位候補は東洋大チーム。
 全日本は6位でしたが、服部選手と山本選手という準大砲の存在が大きいと感じます。1区間当たりの距離が長い箱根では、準大砲が炸裂した時の効果は大きいのです。

 5位候補には中央学院大チーム。
 地味なチームですが、伝統的に箱根には強い。他チームと比べて、個々のランナーの地力は少し見劣りしますが、それを「独自のノウハウ」でカバーして来ました。10人がしっかりと走り切るという「駅伝の原点」を今大会でも披露していただけることでしょう。

 6位候補は山梨学院大チーム。
 今大会唯一と言って良い「大砲」ニャイロ選手を擁しています。全日本ではアンカー・ニャイロ選手の活躍も有って3位に食い込みました。
 一方で今年のチームには、秦選手、永戸選手、佐藤選手、上田選手と好ランナーも揃いましたから、2区で上位あるいはトップに立って勢いに乗れば、順位を大きく上げる可能性も有るでしょう。

 7位候補は東海大チーム。
 全日本では7位でしたが、復活に向けての意気込みが感じられました。館沢選手、国行選手、高田選手、石橋選手が牽引するチームの健闘に期待したいと思います。

[8位~10位の候補]
 8位候補は拓殖大チーム。
全日本では8位でしたが、7位の東海大チームとの差は僅かに21秒でした。力を付けてきているのです。岡田監督時代以来の良いチームが出来上がっている印象ですから、シード権を獲得できるのではないでしょうか。

 9位候補と10位候補には、予選会の上位2チーム、大東文化大チームと明治大チームを配しました。
 大東大チームは全日本では15位、明治大チームは11位と力を発揮できませんでしたが、これはブレーキとなるランナーが出てしまったことが主因でしょう。

 やはり「箱根駅伝予選会」に向けてコンディションを整えてきたチームにとっては、それから間が無い全日本で再び調子を上げるのは、とても難しいことなのです。
 この2チームは、今年1年間をかけて「20kmを速く走るトレーニング」に徹してきたのです。
 その力が、予選会で見事に発揮されて他の出場チームを圧倒するタイムを叩き出しました。
 本番での活躍も十分に期待されるところです。

 以上が、箱根駅伝2017の1位から10位の順位予想です。

 青山学院大チームが頭一つ抜けた存在であり、少しの差を持って早稲田大チームが続き、そこからまた少し差が有って5チームが続くというのが、2017年の力量比較から見たフォーメーションだと考えます。

 4区が長くなり5区が短くなる=かつての箱根駅伝の区割りに近い形に戻った2017年大会における、参加各チームの健闘に大いに期待したいと思います。
 レース前は青学大チームの優位が伝えられていましたが、早稲田大学チームの予想外?の健闘により、優勝争いは緊張感に満ちたものとなりました。

[第1区]
 スタートから、駒澤大学の工藤選手が1区を引っ張りました。
 そして7.4km地点の給水をきっかけとして、東洋大学の服部選手がスパートをかけました。

 昨年の優勝チーム・東洋大が先頭に立ち、駒澤、早稲田、山梨学院が追いかける展開。
 9km地点で駒澤が追い付き、10km地点で早稲田が先頭に立つなど、激しいトップ争いが続きました。

 ラストスパート勝負で東洋が前に出て、早稲田が続き、駒澤が3番手で2区に繋ぎました。東洋と早稲田の差は11秒、駒澤との差は13秒、青学とは30秒差でした。

 この1区で大きく出遅れたのは明治大学チームでした。1分40秒差で2区に繋ぎましたが、結局明治はこの差をどんどん広げられることとなってしまいました。

[第2区]
 1区でやや出遅れた青学チームの田村選手が追い上げを見せました。

 4km地点で駒澤に追い付き
 5km地点で早稲田を捉えました。早稲田の平選手は、田村選手と共に追い上げに加わりました。抜いて行けると考えていたのでしょうか、平選手が後ろに付いた時には、田村選手に「驚き」の表情が浮かびました。
 6.5km付近で、田村選手と平選手が先頭の東洋大に追い付きました。
 7km地点で、追い縋る東洋大チームを青学チームと早稲田チームが引き離しにかかりました。

 ここから、2校の競り合いが始まったのです。

 9.5km付近で早稲田の平選手が田村選手を引き離しトップに出ましたが、3区への襷渡し地点が見えた辺りから、田村選手が再び追い上げを開始して、ゴール前のスプリント力の差で平選手を逆転、青学チームがトップで3区に入りました。

[第3区]
 青学と早稲田の差は1秒、駒澤が3番手で25秒差、日大が31秒差、山梨が37秒差で続く展開となりました。

 早稲田チームと青学チームの競り合いが続いた区間でしたが、4km付近で早稲田の鈴木選手が抜け出し、じりじりと青学との差を広げました。

 早稲田大学チームは、ここから最終第8区までトップを維持し続けたのです。

[第4区]
 トップの早稲田と2番手の青学の差は15秒、山梨との差は36秒、東洋との差は50秒となり、6番手には駒澤が続きました。

 早稲田の永山選手は、とてもバランスの良い走りを魅せました。5km付近から2番手・青学の安藤選手との差を広げました。
 12km地点では、その差を50秒とし、青学大チームの姿が遠くなったのです。

 この区間では、中央学院大チームの頑張りが目立ちました。順位を3番手に上げる快走でした。

[第5区]
 襷渡し時点では、先頭の早稲田と2番手青学の差は1分8秒、3番手の中央学院との差は1分41秒、山梨学院との差は1分53秒となりました。
 
 先頭と2番手の差の方が、2番手と3番手の差より、相当大きい形となりましたから、早稲田大チームが独走態勢に入るかに見えましたが、ここで青学チームが踏ん張りました。

 早稲田の新迫選手もバネの有る走りを見せましたが、青学の小野田選手も追い縋り、結局6秒差を縮めました。
 小野田選手の追い上げは大きなものではありませんでしたが、独走に入りかけた早稲田チームに待ったをかけたという意味で、価値ある走りであったと感じます。

 ここから、早稲田と青学のギリギリの戦いが続くこととなりました。

[第6区] 
 トップの早稲田と2番手青学の差は1分2秒、3番手の中央学院とは2分12秒、4番手駒澤とは2分25秒、5番手東洋とは2分42秒、山梨学院とは2分55秒差で、襷渡しが行われました。

 早稲田の藤原選手は、ピッチ走法でした。一方、青学の森田選手はバネを活かした走法でした。両チームの差は次第に詰まりました。
 一時は20秒近くにまで詰まったと思いますが、区間終盤に再び差が開きました。

[第7区]
 襷渡しの時点で、先頭の早稲田と2番手青学の差は37秒まで詰まりました。
 青学の森田選手が25秒詰めたのです。

 結果的に観れば、この「25秒の追い上げ」が青山学院の総合優勝に結び付いた形でしょう。

 3番手駒澤との差は2分44秒に拡大しましたから、優勝争いは、早稲田と青山学院に絞られました。

 早稲田の大田選手は、1年生とは思えないような堂々たる走り、日本人ランナーには珍しい「重戦車タイプ」の走りを魅せました。
 前半はゆったりと入り、青学中村選手の追い上げを受けましたけれども、5km過ぎから加速して、その差を拡大しました。

[第8区]
 襷渡し時点では、先頭早稲田と2番手青学との差は49秒に開きました。

 アンカーの力量比較では、青学の一色選手が早稲田の安井選手より、19.7kmで1分ほど勝ると見られていましたから、両ランナーのこの日のコンディションやこの日の高い気温などを勘案すれば、優勝争いに向けて両チームの差は「微妙」かつ「ギリギリ」のものとなりました。
 熾烈なアンカー同士の競り合いが予想される展開となったのです。

 ところが、一色選手の気迫は、この予想を大きく超えるものでした。

 前方を走る安井選手の背中をしっかりと見つめた一色選手は、あっという間に差を縮めました。
 5km付近では、その差は7秒となっていましたから、僅か5kmで40秒以上詰めるという「驚異の追い上げ」を魅せてくれたのです。

 そして6km付近で安井選手を掴まえました。
 安井選手も一色選手が追い上げて来ることは計算済みで、追い付かれてからの並走に勝機を見出す作戦であったと思われますが、一色選手の勢いは留まる所を知らず、7km付近では安井選手は付いて行くことが出来なくなりました。
 力の差が有ることは、一目瞭然でした。

 これ以降、青山学院チームと早稲田チームの差は開く一方でした。

 一色選手の走りは、その後も全く乱れることは無く、学生長距離界屈指の実力を存分に発揮して、ゴールに飛び込みました。
 青山学院大学駅伝チームの初優勝が決まった瞬間でした。

 これで青学大チームは、出雲と全日本を制覇して「二冠」となり、お正月の箱根駅伝に「三冠」を賭けることとなりました。
 全日本では、早稲田チームの健闘に会い、ヒヤリとした場面もあったことでしょうが、やはりその実力は一頭抜きん出ている印象です。

 結局2位に甘んじた早稲田大学駅伝チームでしたが、見事な走りであったと思います。
 特に1~3区の4年生と2人の1年生の走りは、「個性豊か」であり、型にはめることなく個々のランナーの強みを伸ばして行くという、新しい早稲田の走りが展開されたと感じます。

 関東の各大学のチームは、もともと「箱根」に照準を絞った調整、20km以上を走りきるための練習、を行ってきていると思いますが、その過程で早稲田チームがこれだけの走りを披露することが出来たのですから、かなりの自信アップに繋がるものと思います。

 今大会の上位チームは、箱根でも十分に戦って行けるものと思いますが、やはり青山学院大チームの力が、今シーズンは相当上位にあることを改めて感じさせられた大会でした。
 2017年1月2・3日に開催される箱根駅伝2017の予選会が10月15日に行われ、以下の10チームが本戦への出場を決めました。

① 大東文化大学 10時間8分7秒
② 明治大学 10時間8分17秒
③ 創価大学 10時間10分9秒
④ 法政大学 10時間10分18秒
⑤ 神奈川大学 10時間11分47秒
⑥ 上武大学 10時間12分12秒
⑦ 拓殖大学 10時間12分36秒
⑧ 国学院大学 10時間14分9秒
⑨ 国士舘大学 10時間14分45秒
⑩ 日本大学 10時間16分17秒

 11位以下は、

⑪ 中央大学 10時間17分1秒
⑫ 城西大学 10時間19分10秒
⑬ 東京農業大学 10時間20分50秒
   ・
   ・
   ・

 この結果を観ると、予選会においては大東文化大学チームと明治大学チームの力が抜けていたという印象です。
 両チームは、本番においても、シード校を脅かす存在となり得るのでしょう。

 史上最多の「連続出場記録87回」を誇る中央大学が、ついに本戦への出場を逃したことも話題となりました。
 10位の日本大学チームとの差は44秒。箱根駅伝で言えば250m位の差となりますので「完敗」と言えるのでしょう。個々のプレーヤーの+αの頑張りでカバーできるような差では無かったというのは、15km通過時点での10位チームとの差と20km・ゴール地点での差が「同じ44秒」であったことからも明らかです。
 残り5kmから、タイムを伸ばしたランナーとタイムを落としたランナーが交錯し、チームとして全く追い上げることが出来なかったのです。

 つねに「粘り強い走り」を魅せてきた中央大学チームに変調が観られたのが、2013年大会であったと思います。
 とても風が強かった第5区で走り切ることが出来ず「棄権」となったのです。

 こうした厳しいコンディションの中でも、他のチームがタイムを落とす状況下、タイムロスを最小限に抑えて順位を上げて行くというのが、中央大学チームの戦い方であったのですが、この大会では早々に脱落してしまいました。
 「中央大学チームに何が起こったのか」と、本ブログでも書きましたけれども、この頃から「伝統の粘り」が無くなってしまったように感じられます。

 もともと、コンディション作りの上手さと、20kmを超える距離に完全に適応した各ランナーの走り、という中央大学チームのチーム作りの伝統・ノウハウが消えてしまったような印象なのです。
 指導法・強化体制に、大きな変化が有ったのかもしれません。その「変化」が間違った方向であることは、結果が明確に示しています。

 中央大学チームの「伝統の走り」を、再び箱根路で観てみたいと思うのは、私だけではないでしょう。建て直しに期待しています。

 さて今季も、「全国の大学長距離ランナーの憧れの的・箱根駅伝」の予選会が終了しました。

 素晴らしいタイムを叩き出した、大東文化大学チームと明治大学チームの、本戦での走りに大注目したいと思います。
 リオデジャネイロ・オリンピック代表選考会を兼ねた、名古屋ウィメンズマラソン2016は3月13日午前9時10分スタートで行われ、バーレーンのキルワ選手が2時間22分40秒の記録で優勝、このレース2連覇を飾りました。

 30kmでペースメーカーが離脱した瞬間スパートして、そのまま押し切るという、実力者ならではのレース振りは、リオのメダル候補と呼ばれるに相応しい内容でした。

 スタート時点で、気温10℃、ほぼ無風という、これ以上は望めないような好コンディションに恵まれたレースでしたが、日本人ランナーの競り合いも見応え十分でした。
 
① 田中智美選手のチャレンジ

 30kmでキルワ選手が飛び出した時には、誰も付いて行けないであろうと思われました。
 1km・3分10秒台前半へのペースアップでした。

 ところが、ひとり食いついて行くランナーが居ます。田中智美選手でした。
 キルワ選手も少し驚いた様子を見せましたが、構わず押します。そして、田中選手も食い下がりました。

 3分10秒台のラップが3~4回続いたでしょうか、ついにじりじりと離され始めましたけれども、田中選手のチャレンジは見事でした。

 勝負強さに定評があり、オリンピックのメダル候補と呼ばれるキルワ選手に付いて行ったのです。「日本人トップ」という選考条件を考慮すれば、まだ12kmも残っているところで、無理なペースに巻き込まれ、終盤失速し大敗を喫するリスクを取るのは、とても勇気が要ることです。

 田中選手は、このリスクに敢然と挑んだのです。

 「先頭グループに付いて行っての2位」の価値は、とても大きいと感じます。

② 小原怜選手の追い上げ

 キルワ選手に食い下がった田中選手と3位グループの日本人ランナーとの差は、あっという間に10秒以上に開きました。
 キルワ選手に離され始めた田中選手ですが、「日本人トップ」の座は確保したかに観えました。

 しかし、ここで小原選手が追い上げを開始したのです。そして37km付近でついに田中選手に追い付きました。

 ここからゴール100m前までの並走を続けました。

 スプリント力の差で、最後は田中選手に軍配が上がりましたけれども、小原選手の走りも見事であったと思います。

③ 日本人若手ランナーの活躍

 レース前は、野口みずき選手や木崎良子選手といったベテランランナーに注目が集まりましたが、レースでは若手ランナーの健闘が目立ちました。

 日本女子マラソン界にとって、収穫の多いレースであったと思います。

 2位となった田中智美選手、3位の小原怜選手を始めとして、4位の清田真央選手、5位の岩出玲亜選手、そして一般参加から6位に食い込んだ桑原彩選手、7位となった竹地志帆選手と、素晴らしいレースを展開してくれました。

 4位以下のランナーの中では、清田選手と桑原選手の走りに大きな将来性を感じました。

 アテネ・オリンピック金メダリストの野口みずき選手にとっては、不本意なレースとなったことでしょうが、ゴール前の表情は清々しいものでした。
 多くの声援が野口選手に送られ続けました。

 高橋尚子選手、野口みずき選手という、オリンピック2大会連続金メダルを獲得した時代、20世紀末から21世紀初頭が、日本女子マラソンのひとつのピークだったのです。
 
 野口選手は、それから2016年に至るまで走り続けました。
 まるで「自らの後継者が登場するまで走り続けた」ような印象を受けます。

 そして、名古屋ウィメンズマラソン2016には多くの若手ランナーが登場したのです。

 「日本女子マラソンの世代交代が実現した大会」であったのかもしれません。
 関東学生陸上競技連盟は2月25日に、2017年の箱根駅伝大会から、第4区と5区の中継所を、2005年以前に使用していた「鈴廣」前に戻すと発表しました。

 2006年以降使用されていた「メガネスーパー」前からの移動ですが、結果として第4区が2.4km長くなり18.5kmから20.9kmに、第5区が2.4km短くなり23.2kmから20.8kmになりました。
 結果として、10区間すべてが20km以上となりました。

① 90回以上の歴史を有する箱根駅伝において、第4区が18.5km・第5区23.2km(含23.4km)の距離であったのは2005年大会から2016年大会までの11回だけですから、今回の中継所の移動は「本来の形に戻った」と言って良いでしょう。

② 往路・復路合計217kmを10区間で走る箱根駅伝ですから、各区間は20.0km以上あることが自然でしょう。極端に短い区間・長い区間が有ることは、望ましい容では無いと思いますので、今回の変更というか復帰は、良いことだろうと感じます。
 各ランナーが20kmの距離を走り、合計タイムで競いあう「予選会」との関連も良いと思います。

③ 新しい「山の神」登場への期待

 第5区が23.2kmと、全10区間中最長区間であった時期には、今井正人選手(順天堂大学)、柏原竜二選手(東洋大学)、神野大地選手(青山学院大学)の3選手が「山の神」と呼ばれる活躍を魅せました。3人のランナーは、その圧倒的なパフォーマンスにより、チーム優勝の原動力となったのです。

 一方で、「第5区を制するチームが往路優勝や総合優勝する」という傾向が強くなり過ぎたことも事実でした。

 今回の中継所変更により、第5区の距離は20.8kmと短くなりました。函嶺洞門が使えなくなっていますから、厳密に言えば、第5区は2005年以前のコースとも異なりますので、「新5区」ということになります。

 距離が短くなったとはいえ、やはり「山登り区間」はランナーの力量差やコンディションの差が、より大きく走破タイムに影響を及ぼす区間です。

 今後も、「新・山の神」誕生が期待されるのでしょう。

④ 選手層の厚さが勝負

 2006年以降の第4区は18.5kmと、他の9区間に比べて短かったものですから、チームにおいて「やや力の劣るランナー」を配置できる区間であったとも言えるのでしょう。

 しかし2017年以降は20.9kmに戻りますから、キッチリと20kmを走り切れるランナーを配置する必要があります。

 今後の箱根駅伝は、2005年以前と同様に「選手層の厚さの差」がより反映される駅伝となるのでしょう。

 今回の小田原中継所の変更により、18.5km時代の第4区の田村和希選手(青山学院大学)、工藤有生選手(駒澤大学)、西村知修選手(帝京大学)の記録や、23.2km(含23.4km)時代の第5区、前述の今井選手・柏原選手・神野選手、ダニエル・キトニー選手(日本大学)、及川佑太選手(中央学院大学)、駒野亮太選手(早稲田大学)、の記録は参考記録となるのでしょうが、だからといって、これらのランナーの活躍が色褪せるものではありません。
 日本一の駅伝競走の歴史に輝く、素晴らしい走りだったのです。

 さて、全10区間が20km以上に戻った箱根駅伝2017が、今から楽しみです。
 世界歴代2位の記録保持者やロンドン・オリンピックの金・銀メダリストが出場してきた東京マラソン2016の男子の部には、日本のトップクラスのランナーも顔を揃えましたので、リオデジャネイロ・オリンピックのレースを占う格好の舞台となりました。

 そして、日本勢は惨敗し、世界との力の差をまざまざと見せつけられるレースとなりました。

 スタート直後から1km・2分50秒前後のハイペースとなったレースは、8km手前から海外招待選手が前に出て、あっという間に日本勢との差を広げました。

 「これで終わりか」と思いましたが、村山謙太選手が2番手グループから飛び出し、10km付近でトップグループに追い付きました。
 それ程無理をしているようには観えませんでしたし、追い付いた後の走りも軽快でしたので、村山選手の走りに期待がかかりました。

 日本勢の有力選手がまとまって走っていた第2グループはペースが上がらず、トップグループとの差は開く一方でしたから、日本勢への期待は村山選手ひとりに集中しました。
 テレビ解説の瀬古俊彦氏が「これだけのメンバーの中に日本人選手が居るというのはワクワクしますね」とコメントしました。

 常に「世界トップクラス」で走っていた瀬古氏にとっては、久し振りの光景に観えたのでしょう。

 ところが、その村山謙太選手が22kmを過ぎた所で遅れ始めてしまいました。表情は変わらない中での失速でしたから、「体が動かなくなった」ことは明らかで、この瞬間に、日本勢による海外トップランナー達への挑戦は終了しました。

 この後レースは、世界トップクラスの7名のランナーにより構成される第1グループの中での、壮絶な駆け引きの連続となりました。

 そして、エチオピアのフェイサ・リレサ選手が、ケニアのバーナード・キピエゴ選手との競り合いを制して優勝しました。タイムは2時間6分56秒でした。
 スタート後気温が上昇しましたので、2時間3分台・4分台のランナーが揃ったレースとしては記録は平凡なものとなりましたが、スタート直後からのハイペースの展開の中でキッチリと走り切ったところは、さすがに世界的ランナーというところでしょう。

 日本勢のトップは、この第1グループの7名のランナーの後、第8位でした。
 
 このレースが、リオデジャネイロ・オリンピックの日本男子代表選手選考会であったことを考え合わせても、とても残念な結果であったと感じます。

 全く勝負にならなかったという事実は、重く受け止めなければならないでしょう。

 少なくとも男子については、日本ランナーと海外勢との差は、広がるばかりという印象です。
 1月31日の大阪国際女子マラソンを好タイムで優勝した福士加代子選手が、3月13日の名古屋ウィメンズマラソンにも「一般参加選手」の資格でエントリーしたというニュースが、話題になっています。

 何故、こんなことになっているのか、とても不思議です。

① 短期間にマラソンを2度も走ることの影響

 僅か1か月半の間に、「オリンピック選考会」を兼ねた「極めて厳しい」マラソンを2度も走るというのは、ランナーにとって良くないことは間違いないでしょう。

 マラソンは、全身の筋肉とともに「心肺や肝臓・腎臓」といった内臓機能が重要な役割を果たす競技ですから、負荷の掛け過ぎによって、万一内臓機能に故障が発症すれば、「休息によって回復できない障害」となってしまい、マラソンランナーとしての寿命が終わってしまう可能性もあります。
 過去にも、そうした形で、マラソン競技から去っていったランナーが数多く居ました。

 今夏のリオデジャネイロ・オリンピックのレースに向けて、コンディションを整えるという面からは、最悪の選択だと思います。

② 何故こんな選択をすることとなったのか。

 大阪国際における福士選手の優勝には、2つの大きな価値があります。

 「国際レースでの優勝」
 「好タイムでの優勝」の2つです。

 マラソンのタイムというのは、レースのコンディションに影響を受けます。好天・微風、高くもなく低くもない気温と湿度、といった要素が揃えば、好タイムが期待されるのです。

 一方で、「国際大会での優勝」というのは、実力がなければ達成できないものです。海外のランナーとの相対的な力関係が客観的に証明されるものですから、この「優勝」という結果は、とても価値が高いものなのです。

 例えば、「2時間20分00秒のタイムでのレース4位」の成績と、「2時間22分00秒でのレース1位」を比較するとすれば、もちろん相手ランナーの力量比較が必要なこととはいえ、選考レースは同程度のレベルのレースだから選考レースに設定されているのだという(当たり前の)前提を考慮すれば、「後者の方」の価値が大きいと考えられるでしょう。

 何しろ、求められているのは「オリンピックでのメダル」であって、好タイムでの4位ではないのですから。

 男女を問わず、近時の日本マラソン界は、国際大会で中々優勝できなくなっています。オリンピックの選考基準自体が「日本人トップ」で「設定されたタイムより速いこと」といった形になっています。
 「優勝」ではなく、「日本人トップ」としなければならないことが、日本マラソンの地盤沈下を如実に示しているのです。

 こうした時代に、「優勝」を成し遂げた福士選手の走りは、見事の一語でしょう。

 大阪国際レース後の「代表決まりだべ」というご本人のコメントを待つまでもなく、「内定」を打つべきだったのです。
 たとえ名古屋のレースで、「複数の日本人ランナー」が2時間20分を切るような好タイムを出したとしても、「優勝できるのは1人だけ」なのですから。

 それを、どこの誰かは知りませんが、選考委員と呼ばれる人達の中から、「まだ決まっていない」などという発言が出るにいたっては、選手の側が不信感を持つのはやむを得ないところです。

 いったい、選考の権利を持っている人達は、選手有っての人達であり、少なくとも選考委員であるという理由で「偉い人達」では無いことは、自明の理です。(「偉い」の意味が不明ですが)
 我が国でプレーする数多くの選手と、数多くのファンのために、日本代表ランナーを選出する「縁の下の力持ち」でしょう。それ以上でも、それ以下でもない存在です。

 オリンピックで、期待を背負って、海外の強豪と戦うのは「選手」です。主役は、選手なのです。その選手に、可能な限り気持ち良く、溌剌と戦っていただく環境を整備するのが、「縁の下の力持ち」の仕事であり「義務」でしょう。

 よもや「選手はただ走っていればよい、代表を決めるのは俺たちだ」などという傲慢・不遜な気持ち・態度で、選考作業に臨んでいるわけでは無いのでしょうが、不自然な発言が有ることも否定できません。

 福士選手が名古屋に出る出ないといった「ドタバタ劇」が生じている段階で、既に「オリンピックに向けての順調な調整」を行うことが出来なくなっている、せっかく好成績が期待できる選手が、思うような調整をすることが出来なくなっていることは、明らかです。
 バカバカしい話です。

③ ひとつのレースで決めればよい。

 マラソンのオリンピック代表選考においては、過去にもこうした事象が起きています。

 このような「国民的関心事」は、可能な限り「恣意性」が入り込まない形を取るべきなのでしょう。

 それは「選考レースをひとつに絞る」ことしかないのではないでしょうか。

 「本当は高い実力を有しているのだが、たまたまこのレースでは調子が悪かった選手」が代表から漏れてしまうこと、を恐れて、「ひとつのレースによる選考」を回避しているのかもしれませんが、そもそも「オリンピックのレース」という「一発勝負」のレースにおける好成績を期待するのですから、「勝負強さ」や決まったレースに照準を合わせる「コンディショニングの巧拙」は重要な要素でしょう。

 「選考会をひとつのレースに限定し、そのレースにおける成績上位3名を代表とする」といった、明快な基準が求められていると思います。

 また、冬から初春の走り易い時期に選考レースを開催する必要もないかもしれません。本番で「暑いマラソン」が予想されるのであれば、オリンピック1年前の暑い時期に、選考レースを行えば良いのではないでしょうか。
 毎年1月に行われる、都道府県対抗「男子」駅伝を観ていて、いつも感じることがあります。
 大学生・社会人ランナーの中で、力を発揮できていないランナーが多いことです。

 全国大会であり、各都道府県を代表するランナー達ですから、我が国の男子長距離競走界を代表するビッグネームがズラリと並ぶのですが、本来の走りがなかなか観られない。

 この理由は明らかでしょう。

 社会人ランナーは元旦に行われるニューイヤー駅伝、大学生ランナーは1月2日・3日に行われる箱根駅伝に出場した後であり、ピークアウトしている場合が多いと思われます。
 
 ニューイヤー駅伝、箱根駅伝、共に日本の男子駅伝を代表するビッグイベントですから、各ランナーはそこにピークを合わせてトレーニングを行います。その集中力は、私達の想像を遥かに超えるものだと思います。

 レース終了後は一気にピークアウトするのです。これは無理も無いことでしょうし、そうしたスケジューリング・コンディショニングが出来ないランナーでは、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝で満足な走りは到底できないとも思います。

 そして、心身ともに疲れ切った状態から、ようやく回復を始めた時期に、都道府県対抗男子駅伝が待ち受けています。
 これでは、いかに一流ランナーでも力を発揮できないということになるのでしょう。

 都道府県対抗駅伝という、我が国最大規模の駅伝大会で、勝負どころのアンカー区間などで、我が国最高レベルの走りが見られないというのは残念な気がしますし、ランナー達にとっても「酷」な感じがします。
 
 難しいことなのでしょうけれども、「男子」については大会開催時期を1か月程度遅らせるのが、良いのではないでしょうか。
 1月31日に行われた大阪国際女子マラソンで、福士加代子選手(33歳)が圧勝し、リオデジャネイロ・オリンピック出場に大きく前進しました。

 日本女子マラソン歴代7位の2時間22分17秒で走り切った福士選手でしたが、何より「自身が満足できるレース」を展開することが出来たことが、嬉しかったのではないでしょうか。

 もともと、5000m競走、10000m競走といった長距離レースでは、その圧倒的なスピードで日本トップクラスに君臨していた福士選手ですが、これまでマラソンでは思ったような走りを魅せることが出来ませんでした。
 特に、30km以降にスタミナ切れに陥ることが多かったのです。

 何度挑戦してもスタミナ切れが続きましたので、「福士はマラソンには向いていない」との声も出ました。

 しかし、このレースで自身も周りの人々も、福士選手がマラソンでも戦えると感じたことでしょう。

 その理由ですが、「バネを使わない走り」に在るように感じます。

 福士選手の5000m・10000mは、天性の豊かなバネから生まれるギアチェンジを活かした走りが強みです。「バネ」は誰にでも備わっているものでは無く、まさに才能のひとつなのですが、このバネを活かした走りでは42.195kmを走り切ることは難しいのでしょう。

 このレースの福士選手は、スタート直後から、このバネを必要最小限しか使いませんでした。重心を低く抑え、腰の上下動を抑えた「省エネランニング」でトップグループに付いて行き、24km付近からじりじりと前に出て、独走に結び付けました。

 それでも、レース後の本人のコメントにもありましたように、「何時(スタミナ切れ)が来るかと不安で仕様が無かった」のですが、ついにゴールまで自らの走りを続けることが出来たのです。
 快心のマラソンだったことでしょう。

 トレーニング方法もレースに向けての戦略・戦術も成功したのです。

 スピードに定評があるランナーが、42.195kmを走り切る術を身に付けたのですから、これは鬼に金棒でしょう。
 インタビューエリアで月桂冠を被りながら、「リオ、決まりだろう」と満面の笑顔で叫ぶ姿は、まさに「強い時の福士加代子」でした。

 リオデジャネイロ・オリンピックにおける活躍が、とても楽しみです。
 1月17日に行われた第34回皇后杯全国都道府県対抗女子駅伝大会は、愛知県チームが初優勝を飾り、2位には兵庫県チーム、3位に群馬県チームが入りました。

 今年も見所一杯のレースでしたが、特に最終第9区・10kmのアンカー同士の競り合いが見事でした。

① 愛知・鈴木亜由子選手の快走

 第8区を終えて、京都府チームが大きなリードを取りました。2番手の兵庫県チーム、3番手の群馬県チームに1分以上の大差を付けたのです。

 過去最多優勝記録を誇る京都チームが余裕を持ったレースを展開していましたので、今年のレースも京都のもの、と多くの人が考えたことでしょう。

 ところが、京都チームのアンカー・奥野有紀子選手のスピードが上がりません。コンディションが良くなかったのでしょうか、自分の走りが出来ないのです。

 そして4番手で襷を受けた愛知チーム・鈴木亜由子選手の快走が始まりました。
 前半から快調に飛ばし、後半もバテることなくスピードを維持しました。

 本当に軽やかなフォームでした。素晴らしいバネと体幹が安定した走りは、世界に通じるものでしょう。

 鈴木選手は第9区10kmを31分30秒という素晴らしいタイムで走破し、襷を受けた時の1分37秒差を逆転、愛知チームに初優勝を齎しました。

 大会史に残る大逆転劇でした。

② 優勝への競り合い

 第9区・アンカーの競り合いは見応え十分でした。
 リオデジャネイロ・オリンピックを目指す、日本トップクラスのランナーのハイレベルな闘いが展開されたのです。

 まず、京都チームを負う兵庫チームと群馬チームの争いが始まりました。3番手で襷を受けた、群馬チームの「絶対エース」西原加純選手が兵庫チームの竹地志帆選手に並びかけました。
 竹地選手も対抗し、しばらくの間並走が続きました。2人で先頭の京都チームを追い上げたのです。

 この競り合いを制したのは竹地選手でした。
 中間点5kmを過ぎた辺りから、次第に西原選手を引き離しました。そして、京都チームに襲い掛かったのです。

 ところが、後ろからもの凄いスピードで迫りくるランナーが居ました。愛知の鈴木選手でした。
 鈴木選手は竹地選手を並ぶ間も無く交わし、続いて一気に京都の奥の選手も追い抜いたのです。

 鈴木選手、竹地選手、西原選手のライバル関係は今後も続くことでしょう。リオ五輪の日本女子長距離陣の激しい出場権争いを感じさせるレースでした。

③ 東京都チームの関根花観選手の区間トップの走り

 前述までの記述を観ると、愛知・鈴木選手が区間1位という感じがしますが、実は東京・関根選手が区間トップの記録を叩き出したのです。

 13位で襷を受けた関根花観選手は、前を行く選手を次々と追い抜き、6位でゴールしました。31分18秒の激走でした。

 本当に見事な走りでした。

 区間3位であった静岡・清田真央選手の快走も含めて、日本女子長距離界の層の厚さを感じさせる最終区であったと思います。

 全国都道府県対抗女子駅伝も第34回を迎えました。
 歴史を積み重ねながら、着実にレベルアップが図られてきたと感じます。

 全国の中学生や高校生ランナーがその力を思い切り発揮できる全国レベルの場としての、この大会開催の意義は大変大きなものだと感じます。今後も我が国の女子長距離競走の発展に、貢献し続けることでしょう。
 箱根駅伝2016において、二人の「秋山」選手が印象的な走りを魅せてくれました。

 一人目は、青山学院大学チームの第三区を走った秋山雄飛選手です。
 とてもリラックスした軽やかな走りでした。

 第二区で東洋大学チームの服部勇馬選手が区間一位の走りを展開し、2番手に順位を上げて追撃態勢を作り、第三区の弟・服部弾馬選手に襷を繋いだ時(首位の青学大に22秒差)には、東洋大が三区でどこまで追い上げるのかと感じられました。

 ここで、秋山雄飛選手の快走が生まれたのです。
 服部弾馬選手も区間3位の走りで気を吐いたのですけれども、秋山雄飛選手はそれを1分以上上回る、区間1位の快走でした。

 第三区を終えて、東洋大に1分35秒の差を付けた青学大は、「独走態勢」を創り上げたのです。

 「青学大チームの完全優勝」に大貢献した走りでした。

 二人目は、日本体育大学チームの第六区を走った秋山清仁選手です。
 力強い走りを魅せてくれました。

 往路を終えて13位と、シード権獲得に向けて苦しい戦いを続けていた日体大チームでした。チームの苦境を打開する「快走」が期待されていたのです。

 秋山清仁選手は芦ノ湖スタート直後から快調に飛ばしました。
 上下動の小さな走りで、山を下ったのです。

 そして58分9秒という「区間新記録」を樹立し、チームを13位から7位に一気に押し上げました。素晴らしい走りであったと思います。

 結果として日本体育大学チームは復路で4位という見事な戦いを展開し、総合でも7位に食い込みシード権を獲得しました。

 昔も今も、箱根駅伝でシード権を獲得するというのは大変なことです。特に、シード外から順位を上げて行くのは、とても難しいことなのです。

 秋山清仁選手の走りは、日体大チームに勢いと勇気を与えたものであったと感じます。

 「二人の秋山選手」は共に3年生です。
 
 箱根駅伝2017における走りにも注目したいと思います。
 青山学院大学と東洋大学の2強対決が注目された箱根駅伝2016は、青山学院大学が1区から先頭の座を譲ることなく圧勝しました。

 「悠然たる勝利」であり、現在の青山学院大学駅伝チームの強さをまざまざと見せつけたレースでした。

① 10区間中6区間で区間1位

 青学チームは、第一区の久保田選手に始まって、第三区の秋山選手、第四区の田村選手、第七区の小椋選手、第八区の下田選手、第十区の渡辺選手の6選手が区間1位でした。

 そして、第五区と第六区で区間2位、第二区で区間3位なのですから、優勝するのも当然という、「圧倒的な強さ」を魅せたのです。

 特に第一区・第二区・第三区の先制パンチが効果的でした。2位以下のチームに大きな差を付け、第四区以降の同僚ランナーの走りに余裕を齎したのです。

 長い箱根駅伝の歴史においても屈指の圧勝劇であったと思いますし、箱根駅伝というイベントが全国的な「お正月の風物詩」となり、日本中の高校長距離ランナーの大目標となった1990年代以降では最上位の圧勝であったと感じます。

 結果として、第九区から第十区への襷リレーにおいて、8チームが繰り上げスタートとなりました。
 近年は、各チームの実力差が小さくなり、繰り上げスタートとなるチーム数も減少傾向にあったと思いますが、2016年のレースにおいては「あまりの青学大チームの強さ」のために、増加してしまいました。

② 第五区(山登り区間)の成績とレース成績がリンクせず。

 このところの箱根駅伝は、第五区で区間賞のチームが優勝する傾向にありましたが、その原則?が当て嵌まらないレースとなりました。

 優勝した青学大チームの神野選手は区間2位の好成績でしたので、この傾向が生きてはいるのですが、区間賞を取ったダニエル選手の日本大学チームは11位になり、シード権を取れませんでした。

 近時の箱根では、「第五区の成績と総合成績がシンクロする」と言われてきましたが、2016年のレースが「この原則」を破るレースとなったのかもしれません。

 走破タイムが、所謂「山の神」と呼ばれるランナーに比べて遅かったことや、他区間での各ランナーの健闘といった要因が考えられます。

③ 目まぐるしく変動した6位~12位

 今年も「シード権争い」は熾烈でした。

 レース全体を通じて、「第6位~12位」のチーム同士の争いは激しく、1区間毎に順位が変わり続けました。

 例えば、最終第十区でも順天堂大学の作田選手が区間2位の力走を魅せて、チームを総合6位に引き上げました。7位・日本大学チームとは8秒差、8位・山梨学院大学チームとは27秒差という「大逆転」でした。

 青山学院大学チームは、その選手層の厚さが再三指摘されていましたから、少なくとも今後2~3年間の箱根は、このチームを軸としたレースが展開されることとなりそうです。

 それにしても、1月2日・3日の各ランナーに降り注ぐ日差しはとても明るく暖かいものでした。
 史上屈指の「暖かい箱根駅伝」でもあったのでしょう。
 2016年1月2日・3日に開催される、箱根駅伝2016のレース展望です。

 箱根駅伝を展望するうえで、重要な参考レースとなるのが全日本大学駅伝です。
 全日本大学駅伝2015では、東洋大学チームが初優勝を飾り、2位が青山学院大学、3位が駒澤大学、4位早稲田大学、5位東海大学、6位明治大学、7位山梨学院大学、8位順天堂大学、9位中央学院大学、10位日本大学となりました。

 レース前の予想では、青学大チームが優勝候補でしたが、レースにおいては東洋大が4つの区間で区間賞を獲得するなど、圧倒的かつ安定したレース運びを見せました。
 青学大も2区間で区間賞を獲得し、区間2位が2つと、力を発揮したのですが、このレースでは東洋大の快走に敗れた形でしょう。

 駒沢大チームも、全8区間の内10位以下であったのは1区間のみでしたから、安定したレースを展開したということになります。
 早稲田大チームは区間賞のランナーは居ませんでしたが、各区間のランナーの成績が2位から7位の範囲に入っているという点では、相当高いレベルの実力を有したランナーが揃っていると言えます。

 以上の結果と予選会の成績、事前に報じられている各チームの情報、等々を勘案して箱根駅伝2016の順位予想(1位~10位)を行ってみようと思います。

第一位 東洋大学
第二位 青山学院大学
第三位 早稲田大学
第四位 駒澤大学
第五位 明治大学
第六位 中央学院大学
第七位 東海大学
第八位 山梨学院大学
第九位 順天堂大学
第十位 日本大学

 優勝争いは、東洋大学と青山学院大学が中心となる可能性が高いと思います。

 4区の距離が短くなり、5区が最長区間となって以降の箱根駅伝は、「5区・山登りの成績が全体の成績を左右する」レースとなっていますから、各チームの5区のランナーの走りが極めて大切ということになります。
 箱根駅伝2015でも、青山学院大学の5区・神野大地選手が圧倒的な走りを魅せて、チームの初優勝に大貢献しました。

 その神野選手が今季も好調であれば、青学大チームの優位は動かないところなのですが、今シーズンは故障に悩まされ本来の走りが見られません。アンカーで走った全日本でも区間8位と本来の力には程遠い成績でした。
 神野選手は11月も走り込みが出来ていないと報じられていますから、2015年の様な走りを期待するのは難しいようです。

 そうなると、全日本を制した東洋大学チームが優位と見るのが妥当でしょう。
 伝統的に「箱根に強い」東洋大チームですから、「近代箱根駅伝レース」についての蓄積されたノウハウが活きるとも考えられます。
 
 「2強」に続くチームとしては、早稲田大学を挙げました。
 予想以上?の走りを見せた全日本でした。もともとスター選手を中心とした構成が多かったチームでしたが、今年のチームは「粒ぞろい」という印象です。早稲田にとっては「新しい伝統」を築いて行く端緒となるチームかもしれません。
 「2強」にトラブルが発生するようなら、優勝の可能性も有ると思います。

 予想4位には、駒沢大チームを挙げました。
 常に「21世紀の大学駅伝界を牽引する」チームですから、その安定感は抜群です。一方で、圧倒的な優勝候補とされていた大会で優勝を逃すことも多く、不思議と相性が悪いのです。
 この相性を勘案して、この順位予想としました。

 予想5位以下では、中央学院大チームに注目します。
 箱根駅伝では伝統的に良い成績を残して来ていますから、「箱根のノウハウ」が蓄積されているものと感じています。上位進出も十分に有り得ます。

 以上、箱根駅伝2016の順位予想でした。

 「大砲が少ない大会」とも言われますが、大学長距離界を代表するランナーの皆さんが、素晴らしいレースを展開してくれることでしょう。
 11月1日に行われた、第47回全日本大学駅伝競走は、東洋大学チームが優勝を飾りました。
 意外にも、東洋大学は初優勝でした。

① 全8区間の内4区間で区間賞

 東洋大学は、第1区・2区・3区・7区の4区間で区間賞(区間1位)の走りを見せると共に、残りの4区間でも2位が2区間、4位と5位が1区間ずつと、極めて安定した走りを展開しました。

 「大学駅伝日本一」を争うハイレベルなレースにおいて、これだけ安定した成績を残したことは、ある意味では驚異的といえるでしょう。

② 各区間のラスト1kmの走り

 東洋大学の各ランナーは、自らの担当区間のラスト1kmで素晴らしい走りを魅せました。

 レース途中で競り合いとなった青山学院大学の各ランナーと熾烈な争いを展開したのですけれども、一度逆転を許しても、ラストの走りで再逆転する走りでした。
 レース前からの作戦であろうとは思いますが、その作戦をしっかりと実現できたところに、今大会のチームの強さが有ります。

③ 初優勝

 東洋大学は初優勝でした。意外なことです。

 「山の神」柏原選手や、設楽兄弟といった強豪選手いわゆる大砲ランナーを擁して、4度も箱根を制してきたチームですから、全日本にも当然勝っていると思っていましたが、過去4年間で2位が3回といった形で、勝ち切れなかったのです。

 そして、「大砲が居ない」チームで初優勝を遂げたのです。

 駅伝競技の難しいところというか、不思議な特性を感ぜざるを得ません。

 箱根駅伝は往路・復路各5人、計10人のランナーで走ります。
 つまり、箱根駅伝を優勝していた時のチームには「10人の強いランナー」が揃っていたのですから、8人で走る全日本大学駅伝向けにもランナーが揃っていた筈なのです。
 10人のランナーが揃い「大砲も居た」チームでは優勝できず、今年は優勝できたというのは、どういうことなのでしょうか。
 今年の優勝タイムも、高い水準のものでしたから、ますます不思議ということになります。

 コンディショニングなのか、各ランナーの距離適性の違い(箱根は長く、全日本は短い)なのか、難しいところでしょう。

④ 青山学院大学チーム2位

 レース前には、箱根駅伝2015を制し、出雲駅伝2015でも快勝した、青山学院大学チームが圧勝するのではないかと予想されていました。

 しかし、1区・2区・3区の連続区間賞で飛び出した東洋大学チームを追いかけるものの、ついに届かず、最後は1分以上の差を付けられて2位に甘んじました。

 「東洋大学の会心の走り」に敗れたという見方もあると思いますが、青山学院大学チームに「僅かな油断」が在った可能性もあるでしょう。

 4区の久保田選手、5区の下田選手の活躍で互角の勝負に持ち込みましたが、6区以降は少しずつ差を広げられてしまいました。
 これは、6区以降の東洋大学の各ランナーの走りが上回ったと見るべきでしょう。

 気になったのは、8区の神野大地選手の走りでした。
 箱根駅伝2015・第5区における驚異の走りで「新・山の神」と呼ばれた神野選手でしたが、この日の走りは本来のものとは程遠いものでした。

 襷を受けた直後から、下半身にバネが感じられず、10kmを過ぎた頃からは全体のバランスも悪くなって、ギクシャクした走りになってしまいました。

 今年2月以降に2度の大きな故障に見舞われ、回復途上にあったとの報道でしたが、何より「体全体に躍動感が感じられなかった」という点で、回復は進んでいないという印象です。
 時間をかけて治していくべきではないかと思います。

 東洋大学チームは、ついに全日本を制しました。
 レース後のインタビューで、酒井監督が声を詰まらせたシーンが印象的でした。
 11月1日に行われる全日本大学駅伝競走2015について、11月30日の朝日新聞朝刊に大変興味深い特集記事が掲載されていました。 

 前々から感じていたことにスポットを当てた記事であったと思います。

 記事では、今回の大会に出場する25大学(2つの選抜チームを除く)の登録選手全325人(各校13人×25)の出身地を分析しています。多い順に並べてみます。

① 兵庫県 26人
② 愛知県 20人
③ 北海道・埼玉県・京都府・鹿児島県 14人
④ 栃木県 13人
⑤ 大阪府 12人

 となっています。

 兵庫県出身者の内訳を見ると、西脇工業高校出身者が10人、市立尼崎高校から4人、報徳学園高校から3人、となっています。
 愛知県では、豊川工業高校から5人、愛知高校から4人、豊川高校から3人となっているのです。
 西脇工業、報徳学園、豊川工業の各校が、全国高校駅伝大会の常連校であり強豪校であることは、ご承知の通りです。

 こうしたリストの中に、全国トップの高校数である東京都の名前が有りません。

 優勝を争うであろう有力大学の登録選手を見てみます。各大学13人の登録です。

[青山学院大学]
 東京都出身ランナーは0人。東京都を除く関東地域出身ランナー(以下同じ)が1人(栃木県)。

[駒澤大学]
 東京都2人、関東地域0人。

[明治大学]
 東京都1人、関東地域1人(埼玉県)。

[東洋大学]
 東京都0人、関東地域4人(埼玉県3人、栃木県1人)

 という結果です。

 今大会の有力チーム=箱根駅伝の有力チームの4大学を見ても、東京都出身のランナーは3人しか居ません。

 高校野球の甲子園大会予選を見ても、東西の地域計で約300校を擁する東京都は全国で最も高校数の多い地域です。
 その、高校生アスリートが最も多いエリアから、長距離ランナーが生まれていないということになるのでしょう。

 また、この傾向は神奈川県・千葉県にも当てはまりそうです。神奈川県や千葉県にも、とても沢山の高校が存在するのですが、前述の4大学には1人のランナーも登録されていません。

 そのことの良し悪しはともかくとして、こうした現象には理由がある筈です。考えられる理由を、順不同で挙げてみます。

① 野球・サッカー等の他の競技にアスリートが取られてしまう。
② 東京都・神奈川県・千葉県の高校生は「駅伝・長距離走」といった地味な競技を好まない。
③ 都会には、長距離走の練習場所が不足している。
④ 指導者が不足している。
⑤ 東京都・神奈川県・千葉県の高校では、駅伝に力を入れていない。

 何れも、関連の有る項目ですが、こういった理由が考えられるのでしょう。

 「あまり自分の高校のPRに役立たない」という見方から、駅伝競技や陸上競技には力を入れない高校が多く、結果として「駅伝・長距離走の指導者を集めること」はせず、結果として「好成績を挙げることができず」、結果として「生徒も興味を持たない」、といった循環が生まれているのかもしれません。

 日本の駅伝競技の草分けである「箱根駅伝」の優勝は、東京都に在る大学チーム間で争われることが多いのですが、そのランナーには東京都・神奈川県・千葉県の高校出身の選手が殆ど居ないという実態が、この記事により明らかになりました。

 「箱根駅伝は大学駅伝の華だから、全国から選手が集まってくるのは当然」という見方もあるでしょうし、一理あるとも思います。

 一方で、「本来ならマラソンや長距離走で日本一・世界一を目指すことが出来る人材」が、東京や神奈川・千葉の高校に行ったために他の競技に取り組んでしまい、時には埋もれてしまうという可能性も有りそうです。

 それは、もったいないことの様な気もします。
 世界陸上2015の女子マラソンのテレビ解説を行っていた、高橋尚子氏がレース中に語った言葉です。

 高橋氏が現役時代、厳しい練習を終えた後に「遊んできます」と言って15~20km走っていたというのです。

 凄い話だと思います。

 まず感じるのは、「高橋尚子氏が走ることがとても好き」だということでしょう。

 どんなに好きなことでも、厳しく自分を追い込む練習は辛くしんどいことなのでしょう。

 本来自分が「好きなこと」において、辛くしんどいと感じた時に、ストレス解消・リラックスのために、「遊んできます」と走りに行ったのではないでしょうか。

 走ることが楽しいことを再確認するランを、「自らへのご褒美」としていたのかもしれません。「好きこそものの上手なれ」そのものです。

 とはいえ、ご褒美が15~20kmのランというのは、やはり驚きですけれども。

 次に感じるのは、「高橋尚子選手の体の強さ」です。

 1日40kmを超えるような大変な練習量を熟した後、15~20kmを楽しんで走れるのですから、間違いなく強い体を保持しているということになります。
 
 この中継でダブル解説をしていた増田明美氏も、その点を指摘していました。

 高橋尚子選手は、その強靭な体躯により、オリンピック金メダルを獲得した訳ですが、その強い体のお蔭で、厳しい練習の中でもマラソン競技を嫌いになることなく、メンタル面のバランスを維持することが出来たのでしょう。
 
 それにしても、オリンピックチャンピオンに成ることができるアスリートの、人並み外れた才能を感じさせるコメントでした。
 レース開始前の気温は24℃・湿度は60%台と報じられましたから、今大会初めてと言って良い比較的「涼しい」気候でしたので、各ランナーの地力が反映される、番狂わせが少ない環境だと感じました。

 スタートは静かなものでした。速すぎるわけでは無く、かといって遅すぎる程でもありませんでしたから、早々に相応の力のランナーが先頭集団を形成しました。
 こうした世界大会にありがちな、遅すぎるペースを要因とした大きな集団にはならなかったのです。

 3km辺りで、先頭集団は18名。
 内訳は、ケニアチームが4名、エチオピアチームが3名、日本チームも3名、バーレーンチームが2名と、4か国で12名を数えました。

 レースは、給水所が迫るとケニア勢とエチオピア勢が前に出るという動きを繰り返す以外は、淡々と進みました。
 給水所はアルファベット順に並んでいましたから、日本の「J」とケニアの「K」が隣接していて、そこに計7名のランナーが1~2秒の間に集中することから、都度接触の危険があり、相当危ないシーンも発生しましたが、幸い大きなトラブルにはなりませんでした。

 7km付近で、日本チームの3名、前田彩里選手・重友梨佐・伊藤舞選手が先頭集団を引っ張る形となりました。
 5km・17分40秒~50秒というペースが少し遅いということもあるのでしょうが、それでも後方に待機するという戦法も有るわけですから、ここで前に出たというのは積極的なレース振りです。

 10kmを過ぎても、日本勢3名が集団を引っ張る形は変わりません。
 先頭に立ち、風を受けるのは不得策との見方もありますが、世界と戦って行く上でこうした「自力の勝負を展開する」ことは有益であろうと思います。

 レースは淡々としたペースで進みます。

 22.8km付近で、重友選手が先頭に立ち少しペースを上げました。相応のスピードで長い距離を押して行くことが出来るという、重友選手の持ち味が出た走りでした。

 25kmになっても重友選手が押します。
 ひとりまたひとりと脱落して行く選手が生じて、先頭集団は13名に減りました。

 26km付近で、ケニア勢の一角・ジェプケショ選手が遅れ始めました。ケニア勢は4人から3人に減り、先頭集団は12名となりました。日本・ケニア・エチオピアが3名ずつという形。

 27kmになっても重友選手が押します。
 ペースは変わりません。

 ここまで来ると、何時ケニア・エチオピア勢のスピードアップが始まるのかがポイントとなってきました。いつまでもこのスローペースでレースが続く筈は無いのです。

 31.5km付近、この平坦な北京大会のマラソンコース中、唯一と言っても良い起伏、大きな橋に差し掛かりました。
 こうしたアップダウンでベースアップが行われることは多く観られますので、いつ誰が飛び出すのかと、固唾を飲んで見守りましたが、何も起こりませんでした。重友選手が先頭の体勢は変わりません。
 
 勝負は35km以降かと思った時、33km付近でケニアの3人が動きました。
 このレースの形を決めるスピードアップでした。

 実力十分のケニアトリオがスピードアップを開始したのですから、力の劣るランナー達は付いて行けません。あっという間に、先頭集団はばらけました。
 日本トリオも、全く付いて行けませんでした。「力の差」そのものでした。

 先頭集団は6人になりました。
 ケニアのキプラガト選手・キプロプ選手・サムゴン選手、エチオピアのディババ選手・トゥファ選手、バーレーンのキルワ選手です。
 いずれ劣らぬ強豪選手です。実力上位の6名が残ったということでしょう。

 36km辺りで、トゥファ選手が遅れ始め、先頭集団は5名になりました。ケニア3、エチオピア1、バーレーン1の構成です。

 38kmを過ぎても5名の先頭集団は動きません。

 39kmを過ぎても5名の先頭集団は不変です。

 そして39.5km付近で、ケニアのキプラガト選手が遅れ始めました。世界選手権大会のマラソン2連覇中のキプラガト選手は、「最も勝負強いランナー」であることが証明されていました。
 このレースも優勝して、男女を通じて初の「世界選手権マラソン3連覇」を目指していたのです。その栄冠は残り3km以内という、手の届くところに在ったのですが、惜しくも土壇場で脚が動かなくなったのです。

 先頭集団は、キプロプ・サムゴンのケニア勢とエチオピアのディババ、バーレーンのキルワの4選手となりました。

 41kmを過ぎても4名の先頭争いが続きました。

 そして、残り1kmを切った41.5km辺りでキルワ選手が仕掛けました。勝負に出たのです。
 しかし、他の3選手は付いて行きました。

 メインスタジアム「鳥の巣」への導入道に差し掛かりました。ゴールまで200mしかありません。ここでも4ランナーの競り合いは続きました。

 ここでディババ選手がスパートしました。残り180m辺りでの渾身のスパートでした。

 このスパートには、キルワ選手とサムゴン選手は付いて行けませんでした。

 スタジアムに入って残り100m、ディババ選手にキプロブ選手が追い縋ります。
 ほとんど並びかけるところまで追い縋りましたが、残り50mを切って、ディババ選手が再びスパートして、勝負を決めました。

 エチオピアのディババ選手の優勝でした。走破タイムは2時間27分35秒。2時間19分台の今季世界最高記録を保持していたディババ選手にとっては、決して速くは無いタイムでしたが、ケニア勢との激しい競り合いを制した見事な勝利でした。

 2位のキプロプ選手は2時間27分36秒と1秒差、3位のキルワ選手は2時間27分39秒と4秒差、4位のサムゴン選手は2時間27分42秒と7秒差という、珍しい程の大接戦でした。

 ケニアと並び称される長距離競走王国であるエチオピアですが、世界選手権女子マラソンの優勝は、今回が初めてでした。
 ディババ選手は、エチオピアマラソン界の誇りを守ったとも言えそうです。

 33kmで振り切られた日本チームの中では、伊藤選手が良く粘りました。
 36km付近で確保した「7番手」のポジションをゴールまで維持したのです。
 そして、来年のリオデジャネイロ・オリンピックの出場権内定を獲得しました。残り6km強の頑張りに対する、大きなご褒美であったと思います。

 また、前田選手が13位、重友選手が14位に入りました。世界トップクラスとの差を見せ付けられたレースではありましたが、世界一を決めるレースで「自力で戦う姿勢」を主張したことには、大きな価値があると感じます。
 この経験を踏まえて「力を付ければ」、リオデジャネイロは自ずと近づいてくることでしょう。

 残り10kmを切った地点でケニアトリオが魅せたスパートは、「世界大会のメダル獲得に向けての強い意欲を示すスパート」でした。

 このスパートに反攻できる体力・技術・気力を養うことなくして、オリンピック・世界選手権のメダル獲得は無いことを、痛感させられたレースでした。
 陸上競技の世界選手権大会が8月22日に、中国・北京で幕を開けました。

 最初の種目は男子マラソンでしたが、このレースは予想を大きく超えるものでした。
 「サプライズに次ぐサプライズ」のレースであったと思います。

① ケニア勢の惨敗

 前回モスクワ大会でメダルはおろか8位入賞さえ逃した「中長距離王国」ケニアは、今大会に最強のメンバーを送り込んできました。

 何しろケニアと言えば、陸上競技の男子中長距離種目において圧倒的な力量を誇る国であり、次から次へと世界トップクラスの選手を送り出してくるという意味=21世紀に入ってから継続して世界一のポジションを維持している「王国」なのです。

 そのケニアが、現在の世界最高記録2時間2分57秒保持者のキメット選手と前世界最高記録2時間3分23秒保持者キプサング選手を送り込んできたのです。

 他を寄せ付けない圧倒的なスピードを誇る2人のランナーが登場する以上、今回はケニアの圧勝であろうと予想されました。
 この時期の北京の暑さを考慮しても、「共倒れ」はあるまい、それを防ぐために2人の最強ランナーを並べたのであろうと思われたのです。

 ところが、キメット選手もキプサング選手もゴールすることすら出来ませんでした。

② 五輪・世界選手権王者のキプロティッチ選手の敗北

 マラソンの自己最高記録は2時間6分33秒と、世界トップクラスを争うには「平凡」な水準ですが、世界一を決めるレースにおける勝負強さでは「他の追随を許さないランナー」である、ウガンダのキプロティッチ選手が、今大会にも出場して来ました。

 2012年のロンドン・オリンピック金メダリストにして、2013年のモスクワ世界選手権大会優勝者のキプロティッチ選手が、北京大会も制するようなら「五輪優勝・世界選手権優勝2回」という、史上初の快挙なのです。

 大レースでの無類の強さを誇るキプロティッチ選手でしたが、このレースでは6位に敗れました。

③ イタリア勢の健闘

 レースはスタートからスローペース、それも5km15分台後半という、このレベルのレースとしては「超スローペース」で進みました。
いくら酷暑のレースとはいえ、これは遅すぎると感じました。

 そして先頭集団が20km付近を過ぎた辺りで、イタリアのペルティーレ選手が飛び出しました。
 これだけのスローペースでは全く自分のレースが出来ないであろう、ケニアのランナーが満を持して一気に加速するであろうと予想していましたが、飛び出したのはイタリアのランナーだったのです。

 ペルティーレ選手の持ちタイムは2時間9分台ですから、世界選手権大会でメダルを獲得するには力不足の水準です。
 一方で「暑いレースで粘り強い走り」を見せるという意味では、数々の実績を誇るイタリア勢ですから、その伝統を信じての勝負にも観えました。

 単独で飛び出したペルティーレ選手に追い付いてきたのも、同じイタリアのメウッチ選手でした。メウッチ選手の持ちタイムは2時間11分台でしたから、そもそもこのレベルのレースでここまで先頭集団に居ること自体が難しい筈なのですが、それが先頭争いを演じているのです。
 メウッチ選手はペルティーレ選手と並走することなく、先頭に立ちました。

 このレースがいかに超スローペースで進んできたかを示す事象でした。

 とはいえ、さすがに世界トップクラスが集う先頭集団は26km付近で2人のイタリア人ランナーを吸収しました。
 先頭集団はここでペースアップかと思われましたが、ペースは一向に上がりませんでした。

 そして、驚くべきことに世界最高記録を持つケニアのキメット選手が、先頭集団から遅れ始めたのです。
 キメット選手にとっては「ジョギングが続いていた」ようなレースでしたが、「酷暑から来る終盤の失速を怖れてペースを遅くし過ぎたために自分の走りが出来なかった」のではないかと思います。

 やはり、強い選手は自分でレースを創っていかなければならないのでしょう。

④ レソト王国のラモネネ選手がトップを独走

 超スローペースが続きましたから、28km付近で再びイタリアのペルティーレ選手が飛び出すなど、不安定なレースが続きました。

 そして、29km付近でラモネネ選手が飛び出しました。

 レソトのラモネネ選手と放送されましたが、正直に言って「レソト」という国名を初めて聴きました。南アフリカ共和国の中に在る、人口200万人程の王国なのです。
 おそらく、世界一を争うスポーツシーンで「レソト」という国名が初めて世界に報じられた瞬間でしょう。

 ラモネネ選手の持ちタイムは2時間16分台ですから、このレベルのレースで30km近くまで先頭集団に居ることは、ふつう考えられないランナーです。このレースがいかにスローペースであるかを改めて証明しているように観えました。

 ラモネネ選手は、本来選手名が記載されたゼッケンを付けるべき「胸」の位置に、番号が付いたゼッケンを付けていましたし、その付け方も、向かって「左側に偏って」いました。世界レベルの大会に不慣れなランナーであろうと感じられました。

 しかし、ラモネネ選手の飛び出しは元気一杯、他のランナーの様子を見るというよりは「勝ちに行った」ものでした。
 ぐんぐん加速して、32km付近では第二グループに23秒差・100m以上の差を付けての「独走」となったのです。

 有力選手が入っている第二グループは、「2時間16分台のランナーだからいずれは失速する」と観て、放置したのでしょうが、このまま残り10kmを押し切る可能性も感じられました。何しろ、相当持ちタイムの低いランナーでも十分付いて行ける「超スローペース」のレースでしたから。

 ところが、34.8kmに設置されていた給水所で、ラモネネ選手は自分のボトルを見つけることに手間取り、止まってしばらく探していました。
 世界選手権のレースで「走るのを止めてボトルを探す姿」というのは、本当に珍しいものです。給水所で自分のボトルを取り損ねて、一般向けに用意されているジェネラルドリンクで代用するという姿は、時々見られますが・・・。

 走るのを止めてしまえば、後続との差が一気に縮まるのは当然のことです。100m以上有った差が20~30mに詰まりました。
 こうなれば、実力差が一気に出てしまいます。ラモネネ選手は、直ぐに捕まりました。そして追い抜かれました。

 ここでレースの主役から落ちてしまったラモネネ選手ですが、14位でゴールしました。2時間17分17秒のシーズンベスト記録でした。有力選手が自己記録に遠く及ばない記録で何とか走り切る、あるいは次々に棄権するという「極めて厳しい環境下」でのレースで、持てる力を存分に発揮した、素晴らしいレース振りであったと思います。

⑤ エリトリアのゲブレセラシェ選手(19歳)が優勝

 36km付近でラモネネ選手をまず抜いたのは、ゲブレセラシェ選手でした。エチオピアの「皇帝」と呼ばれたハイレ・ゲブレセラシェ選手を思い出させる名前ですが、もちろん別人。エリトリアは1991年にエチオピアから独立した国ですから、同様の名前のプレーヤーが居るのでしょう。

 ゲブレセラシェ選手は19歳、持ちタイムは2時間7分台と報じられました。世界トップを狙うには力不足というタイムですが、このレースは「ここからの6km競走」ですから、十分に勝負になります。

 それにしても、このレースの先頭集団には「2時間2分台から2時間16分台まで様々な走力のランナーが混在していた」のです。
 世界選手権大会の先頭集団としては、本当に珍しいと思います。

 37.5km付近で、ゲブレセラシェ選手にエチオピアのツェゲイ選手が追い付きました。

 ツェゲイ選手の持ちタイムは2時間4分台、ケニアに続く陸上競技中長距離種目の強豪国であるエチオピアの代表ランナーであり、20回以上のマラソン経験を持つベテランですから、本来ならゲブレセラシェ選手より優位にあるランナーの筈なのですが、「残り5km」となったこのレースでは、「どちらの余力が大きいか」がポイントでした。

 しばらく2人の並走が続き、38.5km付近でゲブレセラシェ選手が飛び出しました。一気にツェゲイ選手を引き離し、「勝ちに行った」のです。
 ツェゲイ選手に追いかける余力は無く、再三後ろを振り返りました。「2位狙い」に切り替えたのです。

 ようやく「レースの形が決まった」かに観えましたが、まだまだサプライズが待っていました。
 40.5km付近でゲブレセラシェ選手が「コースが分からない」という仕草を見せました。
 こうした大会で「単独で先頭を走る経験」が無かったのでしょう。これまでは、廻りのランナーに付いて行けば良かったのです。

 コースを教えて貰い、ゲブレセラシェ選手はゴールを目指します。

 2時間12分27秒というタイムで、ゲブレセラシェ選手が優勝しました。

 2位はツェゲイ選手、3位はウガンダのムタイ選手でした。

 本当に不思議なレースでした。

 19歳、マラソン3回目、持ちタイム2時間7分台の選手が世界で優勝したものですから、こういう「酷暑のレース」であれば日本人ランナーでも勝負になる、リオデジャネイロも東京も「酷暑のレース」だからチャンスは有る、という見方もあるのでしょう。

 あるいは、「酷暑のマラソン」には「若くてレース経験が少なく、潜在的な肉体疲労が蓄積されていないランナー」の方が力を発揮できる、という考え方も有りそうです。

 しかし、話はそんなに単純ではないでしょう。

 「酷暑のマラソン」においては、世界最高タイム保持者でも走り切ることが出来ず、大レースで強いランナーも力を発揮できないとすれば、「どういう物差し」で代表を選べばよいかは極めて難しいと観るのが妥当でしょう。

 もちろん、「酷暑」の分析も必要でしょう。気温と湿度の関係、レース開始時とゴール時の環境変化、コースのアップダウン・サーフェイスとの関係、等々、分析・判断しなければならない要素は沢山あります。
 気温30℃・湿度50%に向いているランナー、気温25℃・湿度75%に向いているランナー、等々、バリエーションは無限に広がってしまいそうです。

 秋から冬・春にかけて行われることが多い「オリンピック代表選考レース」の成績と、前述の分析・判断を考え合わせて、選考レースでの成績が上位の選手より、「酷暑のマラソン」に強いであろう選手を選出するとすれば、選手等からの抗議や色々な問題が生ずるでしょう。
 キッチリと説明し、選手・コーチ・ファンの皆さん等々に理解・納得してもらうのは、容易なことではなさそうです。一方で、それこそが「オリンピックで好成績を残せる選手を選ばなければならない」という、代表選考メンバーの方々の仕事であることも、間違いありません。

 今回の世界選手権大会・男子マラソンは「ロシアンルーレット」のようでした。

 マラソンという、最長距離の競走種目の難しさを改めて感じさせてくれるレースでもあったと思います。
 オリンピック大会における日本人マラソンランナーの成績を観ると、あまり多くのマラソンレースを走る以前に好成績を残していることが分かります。

 レースのスピード化が進んだ現代マラソンという視点から、1992年バルセロナ・オリンピック以降を観て行きたいと思います。

[1992年バルセロナ・オリンピック]
① 森下広一選手 銀メダル
 森下選手はこのレースがマラソン3回目でした。25歳の時の快挙です。

② 有森裕子選手 銀メダル
 有森選手はこの時、マラソン4回目のレースでした。26歳の時の輝かしい記録です。

[1996年アトランタ・オリンピック]
③ 有森裕子選手 銅メダル
 有森選手は6回目のマラソンでした。30歳の時です。有森選手はバルセロナ以降アトランタ開幕までの4年間に1度しかマラソンを走っていないことが分かります。

[2000年シドニー・オリンピック]
④ 高橋尚子選手 金メダル
 高橋選手は5回目のマラソンでした。28歳の時です。日本陸上競技史上初の女性金メダリストの誕生です。

[2004年アテネ・オリンピック]
⑤ 野口みずき選手 金メダル
 野口選手は4回目のマラソンでした。26歳の時の活躍です。2大会連続の金メダルというのは、日本マラソン史上というより、日本陸上競技史上空前の快挙と言えます。

 野口選手の大活躍以降、日本マラソンはオリンピックでメダルを獲得できなくなりました。

 この事実を踏まえれば、日本人ランナーがオリンピックのレースで3位以内に入るためには、「マラソン経験が6回目以内でなければならない」ということになります。

 当然ながら、42.195kmという超長距離レースですから、1回走る度に内臓や足腰他の筋肉に大きな負担が掛かり、次第に痛んでいくことは想像に難くありません。日本人ランナーにとっては、マラソンは「1回毎に身をすり減らして走る競技」なのでしょう。

 であれば、多くの回数走ることは不得策ということになります。

 逆に言えば、近時の日本の長距離ランナーは「走り過ぎ」「練習のし過ぎ」なのかもしれません。
 箱根駅伝や各種の大会に出場するために、厳しい練習を積む過程で、「自らの肉体的・精神的なリソースを食い潰して」しまい、マラソンに挑戦する段階では「余力が殆ど無い」状態になっている怖れが有ります。

 ちなみに、1992年バルセロナ・オリンピック以降で、マラソン以外の種目で陸上競技において獲得しているメダルは、アテネ大会とロンドン大会におけるハンマー投げの室伏広治選手の金メダルと銅メダル、そして北京大会の男子400メートルリレーの銅メダルの3つだけですから、陸上競技において「マラソンが日本のお家芸」というか「世界に最も通用する種目」であることも明快な事実です。

 このお家芸を復活するに際しては、「走り過ぎを抑えて行く」努力も必要なのではないでしょうか。
 日本人マラソンランナーには「マラソン経験を積み重ねながら強くなる」という方法は向いていないのでしょう。

 「マラソン日本」のメダリスト達は、いずれも、マラソン種目における「新星」なのです。
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カエサルjr

Author:カエサルjr
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