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 今年も、11月3日午後4時にはテレビの前に居ました。
 NHKの番組「全日本剣道選手権大会」を観ていたのです。
 おそらく20年以上欠かさずの、文化の日のテレビ観戦だと思います。

 放送は準決勝からです。

[準決勝・第一試合]
 地白允広五段と國友錬太朗五段の戦いとなりました。とても静かな試合という印象です。竹刀を振り、相手と打ち合う中で、相手の隙を見つけて打ち込むと言った試合では無く、互いに「一撃必殺」を淡々と狙うのです。

 両選手の動きが止まり、審判が正面に両選手を呼んで、試合を再開するシーンも有りました。他の競技で言えば「指導」が与えられたようなシーンかもしれません。

 試合は互角の様相から10分の試合時間を終えて、延長に入りました。
 そして、地白選手のメンに國友選手がドウで対応し、これが見事に決まりました。

[準決勝・第二試合]
 宮本敬太四段と勝見洋介五段の対戦となりました。第一試合程ではないものの、こちらも静かな立ち上がりでしたが、3分過ぎに宮本選手がメンを決めてから、一気に「動」の試合となりました。

 6分過ぎだったでしょうか、勝見選手がメンを返して1本ずつの同点となり、その直後のプレーが見事でした。
 宮本選手のツキが決まったかに見えた瞬間、勝見選手のメンが完璧に入りました。

 宮本選手のツキも強烈なもので、宮本選手の竹刀が大きく曲がる程のものでしたが、これは一本とはなりませんでした。
 真剣であれば、相手の首を切り裂いたかのように見えたツキでしたが、少し左に寄れたことか、あるいはやや「押し気味」であったために、一本とは認定されなかったのかもしれません。

 敗れたとはいえ、国士舘大学の宮本選手の戦い振り派素晴らしいものであったと感じます。その姿勢の良さ、軸のブレが少ない剣道は、今後の活躍が大いに期待されます。

[決勝]
 2014年大会の準優勝者・國友選手と2015年の準優勝者・勝見選手の対戦となった決勝も、やはり静かな戦いとなりました。

 両選手共に、ムダな動きが殆ど見られす、所謂「剣豪同士の果し合い」の雰囲気が漂いました。

 勝負は、思わぬ形で決まりました。勝見選手のコテが決まったのですが、この時國友選手はメンの動きに行っていた訳では無く、「構え」の形でコテを受けたのです。國友選手が動き出す前の、守備力十分な状況での一本に見えました。

 こうした状況で、全日本の決勝という剣道界最高レベルの試合で、コテが決まるのかと、少し不思議な感じがしましたが、試合後のインタビューで「体が浮いた瞬間」に決められたとの國友選手のコメントが披露されて、合点が行きました。

 私などの眼には「何も起きていない」ように観えた中で、國友選手の重心が浮き、そこを見逃さずに勝見選手が打ち込んだのです。真剣であれば、國友選手の右手手首から先が完全に切り取られていたような、短いが正確で強烈なコテでした。

 2016年の第64回全日本選手権は、「2本勝ち」の多い大会でした。
 準々決勝4試合すべてが2本勝ちというのは、珍しいことでしょう。準決勝でも2-1の試合がありました。
 つまり「1本を取る技術」が高かった大会と言って良いのでしょう。

 加えて、世代交代が一層明確になった大会とも言えるのでしょう。
 準決勝に進出した4選手は五段が3人と四段がひとり。「錬士」や「六段」の進出はありませんでした。

 こうした中で、30歳の勝見選手が優勝したのは、「経験とフィジカル・テクニックのベストマッチング」ということであろうと感じます。
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 原沢選手が攻め続け、テディ・リネール選手が逃げ続けた決勝戦でした。

 「組み合い・攻め合う」試合を指向している筈の世界のJUDOの最も重いクラス、「ザ・キング」を決める試合が、こうした内容になったのは、とても残念でした。
 つまらない試合であったことは、間違いないところでしょう。

 「負けたくない」思いの強いリネール選手が、原沢選手の強さを十分に認識したうえで、「指導の数で上回る」戦術を選択したのでしょうが、2対1という指導の数の差は、「越えられない差」というよりは、「ごく僅かな差」でしょう。
 判定次第では、逆の結果が出ても不思議では無かったと感じます。

 こうした「逃げまくるJUDO」は見苦しいという意見も多いと思います。
 柔道界の若手プレーヤーやこれから柔道を始めようとする、世界中の子供達に対しても良くない影響を与えてしまうでしょうから、こうした戦法で勝利を得るのは、この試合を最後にして欲しいものです。

 世界一を決める試合には、「技の掛け合い」こそ相応しいからです。

 負けたとはいえ、原沢久喜選手の強さが十分に感じられた試合でした。
 女子78kg超級の決勝戦は、フランスのエミリ・アンデオル選手が攻めて、キューバのイダリス・オルティーズ選手が凌ぐ展開となりました。

 ロンドン大会のチャンピオンであり、国際大会の実績十分なオルティーズ選手に対して、若手のアンデオル選手は果敢に攻め続けました。

 オルティーズ選手は、アンデオル選手の「疲れ」を待って、決め技を繰り出す作戦だったのでしょうが、アンデオル選手は疲れを見せませんでした。

 両者ポイント無く、試合は延長に入りました。
 そして、その延長も2分を過ぎて、さすがのアンデオル選手の表情にも疲労が見えてきましたが、それでも攻め続けます。
 オルティーズ選手には「予想外」のアンデオル選手のスタミナであったことでしょう。

 延長2分台も後半に入ったところで、オルティーズ選手が倒れ、アンデオル選手が寝技に入りました。横四方固め。
 既に6分以上を戦ってきたオルティーズ選手には、これを返す力は残っていませんでした。

 延長に入ってからの「必死の表情」が印象的だったアンデオル選手。

 その攻め続ける柔道が、金メダルに輝きました。
 決勝を戦う両選手が紹介された時、ベイカー茉秋選手の表情には、僅かに「浮ついた」感じが有り、心の準備が出来ていないかと思いました。
 準決勝までとは、明らかに違いました。

 決勝の組手が始まってからも、茉秋選手には落ち着きか感じられず、バルラム・リパルテリアニ選手(ジョージア)の攻勢が続きました。

 「やはりオリンピックの重圧」「90㎏級の厚い壁」が立ちはだかるのかと見えた2分過ぎ、ベイカー茉秋選手は一瞬の隙を見逃しませんでした。「大内刈り」で効果を取ったのです。
 押されていた状況下、この集中力は見事でした。

 その後もリパルテリアニ選手の攻勢が続きましたが、茉秋選手はこれを良く凌ぎました。特に残り1分は、凌ぎに凌いだ時間帯でした。

 「指導」を2つ受けながらも、ベイカー茉秋選手が逃げ切り、優勢勝ちで金メダルを獲得しました。

 もともと、日本男子チームにとっては「鬼門」と呼ばれ、これまでオリンピックでは優勝者どころか、なかなか決勝にも進出できない難しい階級での、茉秋選手の金メダルは「見事」の一語です。
 日本男子柔道史上「最強」の90㎏級柔道家が誕生した瞬間でした。

 結果的に観ると、攻められる時間帯位が長かった試合でしたが、「負けない」プレーに徹したのかもしれないとも思います。

 自信を付けたベイカー茉秋選手の、この階級での今後の活躍がとても楽しみです。
 決勝の畳に上がった時の田知本選手の表情は「静か」なものでした。

 集中と気迫のバランスがとても良かったのではないでしょうか。

 対戦が始まると、ジュリ・アブデアル選手が攻勢に出ました。
 田知本選手はじっくりと相手の動きを観ながら、情報を蓄積している感じ。
 田知本選手に「指導」が来ました。
 しかし、全く慌てることなく、田知本選手の「観察・情報収集」が続きました。

 そして開始2分近くになって、アブデアル選手の投げを返して「谷落とし」、まず「技あり」を取り、田知本選手は抑え込みに入りました。
 鍛えに鍛えてきた「横四方固め」から逃れる術は無く、20秒が過ぎて一本勝ちとなりました。

 堂々たる柔道、堂々たる勝利でした。

 前回のロンドン大会でメダルを取れずに敗退した「悔しさ」を糧にして、田知本遥選手は、一回りも二回りも大きくなって、オリンピックの舞台に戻ってきたのです。

 金メダルを決めた瞬間も、落ち着いた様子でしたし、インタビューにも冷静に応えていました。
 「柔道家」としての田知本選手の成長が良く表れていると感じました。

 金メダル以上かもしれない「とても高いレベルの柔道」を魅せていただいたと思います。
 見事な小内狩り、1本勝ちでした。

 技有で決勝戦をリードしていた大野選手でしたが、その後も攻め続けました。
 素晴らしい「柔道」でした。

 そしてもっと感心させられたのは、金メダルを決めた瞬間でも、大野選手の表情に変化が無かったことでしょう。
 戦う前と全く変わらない様子で、深々と礼をし、畳の下に降りてから「笑顔」になり、小さくガッツポーズを魅せました。

 これが日本の武道なのです。

 勝ち負けを超えた所にある「境地」。
 大袈裟に言えば、この境地に達するために「柔道」をやっていると言って良いのでしょう。
 この「境地」を身に付けたと思っていても、オリンピック金メダルを獲得した瞬間には、思わず喜びが溢れてしまいそうなものですが、大野選手は「不動」でした。
 なかなか出来ることでは無いと感じます。

 世界の「JUDO」となり、世界中で、発祥の国・日本より遥かに多くのプレーヤーが日々切磋琢磨している時代。柔道がJUDOに変貌している時代に、大野選手はリオデジャネイロの舞台で堂々と「柔道」を披露してくれたのです。

 この大会、日本柔道チームはここまで「出場した6名の選手が全てメダルを獲得」しています。
 大健闘だと思います。

 大野選手の金メダルが、チームにさらに勢いを付けてくれることでしょう。
 2015年の「書きおさめ」です。

 「オリンピック三連覇」という、個人競技における日本スポーツ史上唯一の記録を保持しているのが、野村忠宏選手です。

 1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネの3大会連続、柔道男子60kg級の金メダリストなのです。

 本2015年8月29日の全日本実業柔道個人選手権大会が引退大会となりました。
 1・2回戦を秒殺1本勝ち、3回戦では1本負けという、「らしい」大会でした。

 この試合後インタビューが行われました。
 「負けるも一本、勝つも一本」とコメントした40歳の野村選手には、37年間に及ぶ柔道キャリアへの満足感が漂っていました。

 野村選手の戦績を観ると、オリンピック三連覇に比して世界選手権では1997年のパリ大会の優勝だけということですから、「オリンピックにおいて圧倒的に強かった」ことが明らかです。
 世界選手権では強いが、オリンピックではなかなか勝てない、という選手とは好対照ということでしょう。
 
 確かに、オリンピックの試合における野村選手の集中力と勝負強さは、何時の大会でも他の選手を圧倒していました。

 「試合前に相手選手の研究をしない」とも伝えられています。
 試合が始まり、襟を掴み合い、相手選手の筋力やスピード、そして重心の動きを肌で感じて、技を繰り出すという、天才肌であり、極めて実戦的な選手だったのでしょう。

 2016年はオリンピックイヤーです。

 リオデジャネイロ・オリンピックに臨む日本選手団に、野村忠宏氏から「金メダルを取る秘訣」をご教授願いたいものです。
 今回の世界柔道においても、100kg超級はテディ・リネール選手(フランス)が優勝しました。

 これで世界選手権の100kg超級は6連覇、2008年の大会では無差別級で優勝していますので、世界選手権での優勝だけを観れば8大会連続の金メダルという、全ての階級において大会史上初である空前の記録を継続中です。

 100kg超級は、階級別で最も重いクラスであり、その王者は「柔道という競技で最強」と観て良いと思いますので、そのクラスで連勝を続けているリネール選手は、柔道界に君臨する「絶対王者」ということになります。

 リネール選手が世界にその名を轟かせたのは、2007年リオデジャネイロの世界選手権大会決勝において、18歳5か月という史上最年少優勝を飾った時でしょう。
 この時、井上康生選手を破りました。

 この後、2010年の世界選手権無差別級で上川大樹選手に敗れる(この大会では100kg超級で優勝)以外には、日本の柔道選手には負けていません。

 「世界最強の柔道家」の名を欲しい儘にしていると言って良いと思います。

 フランスは、我が国より柔道人口が多いとも言われる柔道大国です。
 そのフランスから「世界最強の柔道家」が生まれるのは、自然なことという見方もあるでしょう。

 とはいえ、柔道の母国である日本としても、「世界最強の柔道家」の称号奪回を目指していることも間違いありません。

 世界柔道2015の決勝では、七戸龍選手がリネール選手に挑み、惜しくも敗れました。

 リオデジャネイロ・オリンピックの100kg超級に注目したいと思います。
 カザフスタンのアスタナで開催されていた、2015年の柔道世界選手権大会が8月30日に幕を閉じました。

 男女7階級と団体戦が争われた大会でしたが、男女団体戦のアベック優勝を始めとして、日本代表の選手達は堂々たる戦い振りを魅せてくれたと思います。

[男子の個人戦優勝者]
・73㎏級 大野将平選手
・81㎏級 永瀬貴規選手
・100kg級 羽賀龍之介選手

[女子の優勝者]
・52㎏級 中村美里選手
・57㎏級 松本薫選手
・78㎏級 梅木真美選手

 この中で、永瀬選手と羽賀選手そして梅木選手は、ニューフェイスという感じがします。

 永瀬選手は2度目の世界選手権出場でしたが、かつて日本選手が一度も優勝したことが無い「苦手」の81kg級を制しました。
 決勝で、強豪のピエトリ選手(フランス)を縦四方固めの1本勝ちで破った試合内容は素晴らしいものでした。

 羽賀選手も激戦区である100㎏級を制しました。攻め続けた試合振りは見事、決勝では昨年3位のフレイ選手(ドイツ)を押し捲りました。

 初出場の梅木選手は78㎏級決勝で、ベレンセク選手(スロベニア)を延長の末横四方固めで破りました。
 ブレイクの際にベレンセク選手が起き上がるのが遅かった瞬間を捉えて、綺麗な技が決まりました。体力・持久力面でも勝っていたということでしょう。

 この3選手は、これまで世界大会の実績が少ない選手達でしたが、大きな舞台でしっかりと自分の柔道を展開したのです。

 今大会の日本チームからは、「日本柔道チームの選手層が厚くなってきた」という印象を受けます。
 例えば、男子73㎏級の決勝・大野選手VS中矢選手は「本当に久しぶりの日本選手同士の対戦」となりました。

 柔道は、既に1960年代から国際的なスポーツになっていて、その後も世界中に加速度的に広がりましたから、実のところ世界選手権大会の決勝戦における「日本選手同士の対戦」例は、多くは無いのです。いつの時代も、日本人選手が揃って決勝に勝ち上がるというのは至難の技でした。

 それが今大会実現したというのは、「日本柔道」の地力が向上したことに他ならないと感じます。
 嬉しい限りです。

 来年に迫ったリオデジャネイロ・オリンピックに向かって、一層の強化が期待されるところです。
 第16回世界剣道選手権大会は5月29日から31日にかけて、東京・日本武道館で開催されました。

 男女の個人戦・団体戦の4種目が行われ、日本チームが全ての種目で優勝しました。「宗主国」として当然の結果という見方もあるのでしょうが、国際化が進んでいるスポーツとして、各国のレベル向上が著しいことを勘案すれば、日本チームの大健闘と観るべきでしょう。

 男子の昨年の日本チャンピオンである竹ノ内佑也選手が再三見せた「あっという間の1本」、女子個人戦の決勝に初めて外国人プレーヤーが登場したこと、等々話題の多い大会でしたが、何より「剣道の大会らしくなってきたこと」が印象的でした。

 以前の大会では、チームによっては「剣道らしからぬプレー・行動」が目に付きました。

 1本を取った時に「喜びを露わにする・ガッツポーズめいたことをする」、「敗れた時に礼をしない」といった行動が、時々見られました。

 スポーツが国際化していく過程で、当該スポーツ発祥の地で当然に行われていたことが、次第にないがしろにされていくことは、あることなのでしょう。

 我が国発祥の剣道競技も、同様の道を歩むのではないかという危惧は、以前からありました。
 他のスポーツにも増して「精神面」が重要視される剣道において、「礼」が軽んじられ、勝った時には大はしゃぎし、対戦相手への敬意を忘れる、などということになれば、それは既に「剣道では無い」のかもしれません。

 大袈裟に言えば、そうした形で国際化していくことは「剣道の死」を意味するのでしょう。

 剣道は、試合後勝っても負けても表情ひとつ変えず、丁寧に静かに面を外し、正座して心身を整えるものであり、「試合前後の所作を含めて試合である」と思います。最大の目的は、自己の修練なのでしょう。

 久し振りの日本開催の大会前には、そうした危惧を抱いていました。

 終わってみて、とても良い大会であったと感じました。

 もちろん、私の意見は「日本古来の剣道が、可能な限りそのままの形で国際化することが望ましい」という考え方からのものです。
 今大会は、その視点から相当に高いレベルの大会であったと思います。

 また、各国の審判員の皆様のレベルも相当に向上していると感じました。競技の国際化には、ジャッジの国際化が不可欠なのです。
 おそらく、世界中の審判員の皆様に対する、高いレベルの指導・教育・トレーニングが続けられているのでしょう。素晴らしいことです。

 男子団体準決勝の場内放送も印象的でした。
 「アメリカ合衆国対大韓民国」の対戦と放送されていたのです。

 現在の各種の国際的スポーツ大会・試合において「アメリカ対韓国」と呼ばずに、「アメリカ合衆国対大韓民国」とコールされる競技が、他に在るでしょうか。

 いかにも剣道競技らしいのです。
 オリンピック2大会連続金メダリストであり、日本柔道重量級の黄金期を支えた選手でもあった斉藤仁氏の逝去が、1月20日に報じられました。54歳の若さでした。

 斉藤仁選手と言うとすぐに思い浮かぶのは「強い柔道選手」というイメージです。私は、世界柔道史上、重量級のプレーヤーとしてはベスト3に入る選手であろうと考えています。

① 1988年ソウルオリンピック95kg超級金メダル

 ご記憶の様に、この大会で柔道日本代表チームは思わぬ大苦戦。最終日の95kg超級まで金メダル0という成績でした。決勝に進んだ斉藤選手の相手は韓国代表選手。場内は、韓国選手を応援する声で溢れかえり、異様な雰囲気でした。
 斉藤選手はしかし、こうした状況下でも終始攻めながら冷静な試合運びを見せ、見事に勝利を収めたのです。「力の差はとても大きい」と感じたことを憶えています。

 そもそも、この頃の世界の柔道は、グローバルスポーツ競技として史上最もつまらない時期であったと思います。相当いびつなルールが横行していたのです。

 ソウルオリンピックでも、試合開始早々に「教育的指導」や「効果」を取った選手が残りの試合時間を逃げまくるという有様の試合が続きました。
 「効果」といっても、技をかけてのポイントと言うより、何らかの理由で「膝をついた」だけで審判から宣告されたりしていました。

 一度相手が膝をついて「効果」を取ると、後は逃げまくる。技の「掛け逃げ」もやり放題、背負い投げに行くふりをして自分から手を離して前に倒れ込む姿が頻発するに至っては、およそ「スポーツとは言えない」代物であると感じました。
 スポーツは「お互いに攻め合う」形でなければプレーヤーにとっても観客にとっても、面白く無いものになってしまいます。当然ながら「面白く無いスポーツは衰退する」のです。

 こうした、グローバルスポーツに有るまじき状態に対しても、この時の斉藤選手は挑んでいたと思います。ポイントを挙げて有利に試合を進めながら、決して逃げることなく、「真の柔道」を展開したのです。
 素晴らしい柔道を魅せていただいたと感じます。
 
② 山下泰裕選手との激闘

 全日本柔道選手権大会を9連覇した山下泰裕選手は、日本柔道史上・世界柔道史上の最強選手であろうと思いますが、その山下選手の9連覇の最後の3連覇は、いずれも斉藤選手との決勝対決でした。

 この決勝戦が凄かった。まさに「剣豪同士の対決」といった様相を呈しました。両者ともに「ほとんど技を出せない」のです。技をかけに行った時の「僅かなバランスの崩れ」「僅かなスキ」が命取りになることを、両選手が心底感じていたのであろうと思います。
 互いに細心の注意を払いながら、技をかける機会を狙っているのですが、互いに全く隙を見せることがないために、時間ばかりが進んでいくという試合。達人同士の目に見えない凄まじい攻め合いが続く試合ばかりでした。

 大半の試合で、ゆうゆうと技をかけに行く山下選手が、ほとんど動けない相手というのは、斉藤選手だけであったと思います。山下泰裕選手と斉藤仁選手の力量は、ほぼ互角だったでしょう。
 当時の日本柔道重量級には「世界一の柔道選手が2人」居たのではないでしょうか。

 2人の対戦成績は、8試合で山下選手が8勝しています。あの超接近した試合内容と、この一方的な試合結果に、逆に斉藤選手の強さを感じます。最強の柔道選手である山下選手は、斉藤選手に対してのみ「絶対に負けない柔道を展開した」のでしょう。

③ 人柄・精神面の強さ

 斉藤選手は「表情豊かなプレーヤー」でした。①の金メダル獲得の際には、表彰式で大泣きしていました。愛すべき人柄の選手だったのです。

 1985年の世界選手権大会決勝で、相手選手が反則技をかけて斉藤選手が脱臼してしまったのですが、この試合は「斉藤選手の棄権負け」となりました。反則を犯した相手選手が勝ったという「滅茶苦茶な判定」でしたが、斉藤選手は騒ぐわけでもなく整斉とこの結果を受け入れていたように見えました。

 何でもいいから、どんな手段を使ってもいいから「ただ勝てば良い」といった、「柔道の本質からかけ離れた物の考え方」から、最も遠くに位置しているのが斉藤仁選手だったのでしょう。

 そして、こうした心持ちをベースに、オリンピックや世界選手権の好成績を生んでいきました。ただ優しく正直なだけでは無く、素晴らしい精神力を具備した「本当に強い選手」でなければ、到底出来ないことでしょう。

 強かったというだけでは無く、特に③の点から、斉藤選手には「日本柔道を支える指導者」としての期待がかかりました。そして、代表チームの監督としても好成績を残しましたが、誹謗中傷・妬み嫉み・権力欲といった浅ましい概念から、かけ離れた存在であったためか、長く日本柔道の指導的ポジションに居ることはありませんでした。

 そして2014年、日本柔道界の改革が始まった今、斉藤仁氏の復帰が待望されていた矢先の訃報だったのです。本当に、本当に残念です。

 「柔道に真正面から取り組む」という冷徹な心持ちを選手に課しながら、試合に臨んでは選手に「十二分の闘争心」をも保持させるという、「理想的な指導者」となり得る逸材であったと思います。
 世界を相手に戦って行くあらゆるスポーツ競技・種目において、こうした指導者が望まれるのです。

 斉藤仁氏のご冥福をお祈り申し上げます。
 毎年11月3日に開催される全日本剣道選手権大会は、いつも私に大きな感動をもたらしてくれますが、剣道という競技には、他の競技とは明らかに異なる特徴があると思います。
 全日本選手権大会のルールに則って、見て行きましょう。

1. 試合時間10分、延長戦は無制限

 試合時間は10分間・2本先取です。どちらかの選手が1本取っている状態で10分が終了すれば、当該の1本を取っている選手の勝ちとなります。

 1本対1本、あるいは0本対0本の状態で10分が過ぎれば、延長戦に突入します。この延長戦は「時間無制限・1本勝負」です。

 このルールの明快さが素晴らしいと思うのです。

① 10分間通しは相当長いこと

 他の格闘技に比べて、本戦の10分間通しという試合時間は長いと思います。例えば、ボクシングやレスリングなら3分間の繰り返し、柔道なら5分間が一般的です。
 剣道が、ボクシング・レスリング・柔道などと比べて、「時間当たりの消費エネルギー量が少ない=疲れない」競技だとは考えられませんので、10分間通しのプレーというのは相当負担が重いと見られるでしょう。

 従って、試合時間が5分を過ぎた頃から、さすがの剣士達にも疲れが見え始めます。この辺りから、試合は次のステージに入るのです。
 疲れる前に勝負をつけようとか、疲れが見えてから勝負に入ろうとか、その併用とか、様々な作戦が存在します。

② 時間無制限の延長戦

 本戦の10分間で勝負が決しない時には、「どちらかが1本を取るまで、休むことなく、時間無制限」で試合が行われます。本戦の10分間でも、相当に疲労していますから、延長戦は双方疲れ切った状態での試合が続きます。
 激闘と呼ぶに相応しい戦いとなりますし、スピード・技術・体力に優れた最高のアスリートである剣士同士の戦いですが、そう長い時間がかかることなく勝敗が決するのです。

 「10分間+時間無制限」という、単純明快さは他の競技にはなかなか見られないルールでしょう。

2. 会場に時計=試合時間の経過を示すツール、がないこと

 前項の通り、本戦の試合時間は10分間ですが、その試合時間を示す時計が試合場に無いのです。

 つまり、選手は10分間を「体内時計」で把握しなくてはならないということです。試合における体力の配分や、例えば前半3分間で勝負、ラスト3分間で勝負といった作戦も、自らの時間感覚で対応していかなくてはならないということになります。

 これも素晴らしいことだと思います。

 現在の他の格闘技の多くは、試合場に秒単位で表示される時計が有り、選手はそれを観ながら、残り時間等を把握して戦います。コーチやセコンドが残り時間を大声で知らせることも珍しくありません。しかし、剣道にはそれが一切ありません。試合時間経過を知らせる場内放送・鐘やブザー音も、もちろん無いのです。当然ながら、観客も自らの方法で時間経過を把握しなくてはなりません。

21世紀のスポーツとして、凄いことだと感じます。
 
3. 試合中のコーチ他の指導・情報提供が無いこと

 前項・前々項とも関連しますが、剣道会場においては試合場の横からコーチの大きな声が聞こえることはありませんし、本戦から延長戦に入る時にコーチと相談することも出来ません。

 「戦いは己ひとり」で行うことが、徹底されているのです。武道としての剣道、命のやり取りを行う状況・環境を維持しているのではないかとも思います。
 練習・修練の段階では、先生やコーチの指導も大変大きな意味を持つのでしょうが、試合はひとりで、徹底してひとりで行うものであるという、剣道競技の精神は、とても日本的なものだと感じます。

 観客席からの大声の声援もとても少なく、もちろん、鳴り物による応援などは考えられません。
試合中に良いプレーや惜しい技があると、場内には静かに拍手が沸き起こります。同僚選手も、拍手をしています。「グッドプレーには拍手という競技」なのです。

4. 反則の取り扱い

 例えば、試合中に「竹刀を落す」という反則を犯すと、2回で相手選手に1本が与えられます。とても明快なルールです。

 おそらく、剣道の本質からすると「竹刀を落した時点で1本」としたいところなのではないかと思います。真剣による立合いなら、剣を落とした時点で相手に切られる可能性は相当高いからです。大袈裟に言えば「剣は剣士の命」でしょうから、それを手から離してしまうというのは、あってはならないことなのでしょう。
 ちなみに、剣を落とした時に「走って逃げるという概念」は、日本武道には存在しません。卑怯な行動は、日本文化において最も忌み嫌われることだからです。

 「場外反則」も同様です。真剣による立合いなら、川っ淵に追い込まれたり、壁に押しつけられたりしたら、相当不利な状況になることでしょう。勝敗に大きな影響を与える事象には、大きな制裁が課されるのです。
 従って、剣道の試合で場外際に押し込まれた際、剣士は決して下がりません。メンやコテなどで1本を取られること以上に、「場外」を避けようとしているかのように見えます。

 「反則2回で1本」というルールは、剣道が近代スポーツとなって行く過程で、真剣勝負とスポーツの折衷案として導入されたのではないでしょうか。

 以上の様に、1970年から世界選手権大会が実施され、参加国数も40か国以上になり、相当にメジャーなスポーツに発展した現在でも、剣道競技には武道としての精神が随所に生きていると感じます。

 この日本武道の伝統に裏打ちされた「独特のルール」「競技の在り様」が、スポーツとしての剣道の世界普及の最大の要因となっているというところが、最も素晴らしいことなのでしょう。

 第62回全日本剣道選手権大会は、例年通り11月3日に日本武道館で開催されました。

 「剣士・日本一」を決める大会であり、剣道を志す者にとっての最高峰の大会ですから、毎年素晴らしいプレーの連続が観られますが、今年も例外ではありませんでした。

 今大会の第一印象は「フレッシュな組合せが多かった」ということでしょう。

 ベスト4に進出した剣士の内3名が初進出でしたし、決勝の2名は何と初出場でした。前年優勝者・内村良一選手を始めとして過去10年間の大会を彩ってきた強豪選手が悉く姿を消したという、ある意味では「珍しい」大会であったとも感じます。

 決勝は、筑波大学3年生・21歳の竹ノ内佑也選手と24歳の國友錬太朗選手の対戦となりました。
 共に、20歳台前半の剣士にして四段、全日本初出場、加えて福岡代表でした。

 話は少し逸れますが、剣道というのは九州地域で盛んな武道・スポーツなのでしょうか。今大会の決勝進出者2名を始め、前述の内村選手など、熊本・大分・福岡等に強豪が目白押しの感じがします。

 また、四段同士の決勝戦というのもなかなか見られないものでしょう。この年齢では四段が最高位なのかもしれませんが、五段、錬士六段・錬士七段の決勝戦を見慣れた者にとっては、とても新鮮でした。

 さて、話を戻します。

 竹ノ内選手と國友選手は、共に堂々たる戦績で1回戦から勝ち上がってきたのですが、その試合内容には違いがありました。
 
 竹ノ内選手は、準決勝までの5試合の内3試合が2本を取っての勝ち、一方の國友選手は5試合とも1本勝ちで内4試合が延長戦勝ちでした。
 竹ノ内選手は、試合が始まった直後から自分の形で攻めて、1本を取りに行く剣道を展開し、國友選手はじっくりと構えて、相手剣士の疲労を待ち、試合後半や延長に入ってから、1本を奪って勝ってきたのです。

 従って、決勝戦は「早めに勝負が付けば竹ノ内、長引けば國友ペース」であろうと観ていました。

 試合が始まりました。

 準決勝までは、試合の前半にはじっくりと構えていた國友選手が、開始直後から攻めます。これは意外な展開でしたが、同じ福岡大会からの出場者同士ですから、手の内は良く知っているということでしょう。
 竹ノ内選手も試合開始直後の國友選手の攻めを良く凌ぎました。

 そして、試合時間が6分を過ぎ、竹ノ内選手がコテに行くと見せてのメンを繰り出して、まず1本を先取。6分半過ぎの、國友選手も前に出ようとした瞬間を突いた「綺麗な1本」でした。このレベルになると、カウンターが有効なのでしょう。

 そして、それから30秒も経たないかのタイミングで、再び竹ノ内選手のメンが決まりました。1本を取り返しに行った國友選手の隙を突いたメンでした。おそらく7分くらいの時間帯であったことでしょう。

 これで竹ノ内選手が2本となり、勝利。剣士日本一の栄誉に輝きました。

 21歳5か月での史上最年少優勝、学生の優勝は1971年以来43年振り、四段の優勝は1976年以来38年振り、福岡勢の優勝も1978年以来36年振りという、記録ずくめの優勝でした。

 いつの全日本選手権大会でも「剣道競技」の崇高さ・技術の高さに感動仕切りなのですが、今大会は1つ気になることがありました。
 準々決勝の高橋秀人選手と西村英久選手の試合の審判員です。

 試合時間7分経過辺りでしたか、高橋選手が竹刀を落しました。この試合2度目の竹刀落下でしたので、反則2回となって西村選手に1本が与えられます。ここまではルール通りなのですが、主審が「勝負あり」と叫んだのです。
 当然間違いで、直ぐに訂正されましたが、3分の試合時間を残して「勝負あり」というのは、お粗末なコールでした。

 勝負はこの後、高橋選手が1本を取り返して同点となり、最後は西村選手が1本を取って勝負を決めたのですが、この最後の1本の時、主審は副審二人と違う色の旗を挙げていました。そして、気が付いて旗を変更したのです。3人の審判員の旗の色が異なることは珍しいことでは無く、相打ちにおける一瞬の攻防では「見る角度によって判定が異なるのは有り得ること」でしょう。だから3人で判定しているのです。

 ところが本件は、他の2人の判定を見て、主審が判定を覆しました。おそらく「間違えていた」のでしょう。こうなると話は別で、剣道の達人であり、私達には見えない超高速プレーを見極める眼を持つ筈の全日本大会のベスト8の審判員としては、「珍しい行動」でしょう。
 先の「勝負あり」の間違ったコールから、少し浮足立っていたのかもしれませんが、「何物にも動じない強い精神力の育成」を目的のひとつとする剣道競技の最高峰の大会を裁く審判員としては、残念なことと言えそうです。

 もちろん、審判員も人間ですから間違いはあるものなのですが、こと剣道という競技の全日本選手権ともなると、「間違いは許されない」と感じてしまうことが、不思議なことなのかもしれません。

 さて、「世代交代の色」を感じさせた全国剣道選手権大会2014でしたが、2015年の世界選手権に向けての代表選手選定が難しくなった感じです。
 代表は10名ですが、国際大会の経験が豊富なベテラン勢と、今大会一気に上位に進出した若手の中から、どのような割合で選抜して行くのか、そしてその10名の中から本大会でどの剣士を起用して行くのか、協会や監督には頭の痛いところでしょうが、「贅沢な悩み」とも言えそうです。選ぶ人が居ないよりは、遥かに素晴らしい状態なのですから。

 妻とNHKテレビ放送を観ながら、正確に覚えてはいないが「少なくとも20年以上に渡って11月3日に全日本剣道の放送を観ている」ことを確認し合いました。
 文化の日には外出していないことの証明でもあります。

 何だかそれも少し寂しいので、来年は旅行にでも行こうか、という話になりました。もちろん録画予約はするのですが。
 2014年の柔道世界一を決める大会・世界柔道選手権大会が8月25日~8月31日にかけてロシアで開催されました。

 日本チームは、男子の個人種目で優勝2、2位1、3位1、団体優勝、女子の個人種目で優勝2、2位1、3位2、団体3位という成績でした。好成績だと思います。

 いまや「世界で最もメジャーなスポーツのひとつ」になった「柔道・JUDO」は、競技人口も極めて多く、フランスなどは日本より競技人口が多いことが知られていますから、その世界選手権ともなれば「優勝するのは至難の業」なのです。JUDOは、もはや「日本のお家芸」などという競技ではありません。それ程に、世界中で親しまれるスポーツとなったのです。
 そうした大会で、優勝5というのは見事な成績でしょう。

 特に、ロンドン・オリンピックで金メダル0と散々な成績だった男子チームが、優勝3というのは立派だと感じます。
 66kg級の海老沼選手は、世界選手権3連覇という偉業を達成しましたし、73kg級の中矢選手の優勝も見事。
そして、相当難しいと考えられていた男子団体戦決勝で開催国ロシアを相手に、66kg級・73kg級が連敗した後、81kg級の永瀬選手、90kg級ベイカー茉秋選手が連勝してタイに持ち込み、100㎏超級の七戸選手の一本勝ちで逆転したのです。
 日本男子柔道に勝負強さが戻ってきた印象ですし、最重量級での強さ=七戸選手の強さは頼もしい限りでもあります。

 女子チームは、惜しくも団体戦の連覇を逃したのがとても残念でした。準決勝の大一番・フランスとの対戦を2-3で落としたのです。とはいえ、3位決定戦では開催国ロシアを破っていますから、日本女子柔道チームの安定した強さは今大会でも健在でした。

 さて、頭書した通り「全てのスポーツを通じて屈指のメジャー競技」となった柔道ですから、世界大会において過半数の種目で優勝するというのは、極めて難しい時代となりました。

 一方で柔道宗主国としては、世界大会での優勝0というのは残念至極でしょう。

 今後は、オリンピック・世界選手権クラスの大会で男女とも6~7種目中3階級での優勝、および団体戦の優勝を目指して、強化を進めていただければと感じます。

 日本柔道は「2013年の喧騒」を踏まえて、間違いなく強くなりました。特に、精神面の充実振りが感じられます。
 引き続き、心身両面からの強化を継続していただき、「世界柔道界の範」としての役割を果たして行っていただきたいと思います。

 4月20日、横浜文化体育館で開催された皇后杯全日本女子柔道選手権大会2014は、山部佳苗選手が2年振り2度目の優勝に輝きました。

 決勝は優勝候補同士の対戦。田知本愛選手にとっては初優勝を、山部佳苗選手にとっては2度目の優勝を目指す戦いでしたが、序盤山部選手は2度の指導を受けましたから、やや劣勢でした。しかし、田知本選手としても決め手に欠ける展開。

 3分50秒を過ぎたところで、田知本選手が内股に行きました。これを山部選手はすかして、右足一本で立っている田知本選手の、その右足を強烈に払いました。払い腰一本!
 見事な一本勝ちでした。

 2002年から2010年まで続いた、塚田真希選手の9連覇を継承するプレーヤーを選出する対戦ともいえる決勝戦であったと思いますが、山部選手が勝ち切ったというところでしょうか。

 不思議なことですが、山部選手は国際試合には縁が薄かったのです。2年前2012年もこの大会を制していながら、ロンドン・オリンピック代表には選出されませんでした。「試合による出来不出来が大きい」というのが、不選出の理由であったと思います。

 その山部選手が見事にスキルを磨いたのでしょう。
 2014年に入ってからは、快進撃が続いています。2月のグランドスラム・パリ、続くヨーロッパオープン・ローマと優勝。4月の選抜体重別大会では、田知本選手を破り優勝と、勝負強さを身に着けてきました。

 この大会でも「内股すかし」が目立ちました。「相手選手のバランスを崩して技をかける」ことが、柔道の基本です。日本一、世界一を争う大会では、普通に技をかけて行ってもなかなか決まらないのは当然のこと。相手選手が技をかけてきた瞬間は、相手選手のバランス・防備が手薄になっている瞬間でもありますから、こちらが技をかけるチャンスでもあります。

 もちろん「すかし」は難しい技です。この大会を見る限り、山部選手の「内股すかし」は相当高いレベルに達しているようです。「わかっていても決められてしまう」技になってきているのでしょう。

 山部選手は、今年の世界選手権代表に初めて選出されました。ついに世界一を決める大会デビューの時が来たのです。78kg超級の日本代表として、堂々とした戦いを展開していただきたいと思います。

 また、今回は敗れたとはいえ、田知本選手の安定感は抜群でした。決勝では積極策が裏目に出た形ですが、この積極性はとても大切だと思います。
 今後も、山部選手と共に日本女子柔道、ひいては世界女子柔道を牽引する存在としての活躍が期待されます。
 現在の日本女子柔道は、強力なツインタワーが引っ張っているのです。

 また、3位の市橋寿々華選手・岡本智美選手をも含めて、日本女子チームの「選手層の厚さ」をも感じさせる大会でした。
 
 2013年の大騒動を経て、日本柔道は間違いなく強くなっています。素晴らしいことです。
 4月29日に開催される柔道の全日本選手権大会に、香川大吾選手と田中源大選手の2人の高校2年生が出場することになりました。
 ともに、3月9日の中国地区選手権で好成績を残して、出場権を獲得したのです。見事です。

 2人とも、従来の全日本選手権出場最年少記録を更新しましたが、2人の比較では、松井選手の方が香川選手より誕生日が1日!早いため、今後の最年少記録は香川選手が保持することとなります。それにしても、同じ中国地区大会で競い合い、誕生日が「1日違い」というのも、不思議なものです。

 柔道の全日本選手権大会は、柔道の創設者・嘉納治五郎の精神に最も近い大会のように思います。体重別ではないのです。体重が軽く体格が小さい選手も、長身で細身の選手も、体重が重く大柄な選手も、「天皇杯」を目指して同じ畳の上で戦うということです。
 まさに「柔よく剛を制す」の言葉通りの戦いが展開されるわけです。

 日本古来の格闘技・武術には、「体重別の概念」がありません。
 例えば、相撲競技などは体重200㎏を超えるプレーヤーから、100㎏未満のプレーヤーまで、同じ土俵で戦います。基本的に多くの武術は、武士が戦(いくさ)で使う技術として発達してきたものでしょうから、体重別概念が入り込む余地が無かったのでしょう。

 とはいえ、古来の武術の流れを汲む柔道も、国際的なスポーツとなり、世界中の人達がプレーし、多くの観客を集める時代になると、どうしても「公平・フェア」という観点から「体重別の概念」が導入されることになるのでしょう。止むを得ないところです。

 こうした状況の中で、全日本柔道選手権は、我が国を代表する全ての柔道選手がひとつのタイトルを目指して競うという大会の形を維持してきているのです。最も柔道らしい大会と言えるのかもしれません。

 そして、優勝者に与えられる栄誉は比類無いものです。日本の柔道選手の憧れの的であることは間違いありませんし、ひょっとすると「オリンピック金メダルより、全日本のタイトル」が欲しいと考えている選手も少なくないのかもしれません。

 そうした大会に、高校生選手が2人も出場するというのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 全日本選手権では、1977年から1985年までの山下泰裕選手の9連覇、1989年から1995年の8年間における小川直也選手の7度の優勝など、「圧倒的な実力を持った選手の時代」が続きましたが、20世紀末からの篠原信一選手と井上康生選手の3連覇を経て、直近の3年間は毎年優勝者が変わる「混戦期」に入っています。

 長く低迷が続いていた日本柔道も、昨年大きな改革を実現しました。暗雲がようやく晴れたと言って良いでしょう。
 こうした状況下、若手プレーヤーの中から「日本柔道の救世主」が現れるのか、2人の高校生選手の活躍と共に、2014年大会に注目したいと思います。
 毎年11月3日・文化の日には、剣道の全日本選手権大会が開催されます。このところは会場も日本武道館に定着しています。

 全日本剣道選手権大会は、天皇杯を競うその格式からみて、日本国内の剣士にとって最高の大会です。もちろん剣道競技にも国際大会があり、世界選手権大会も開催されていますが、日本人剣士にとっては、「全日本」が最も優勝したい大会でしょう。
 とても崇高な大会だと感じます。

 警察の正課に取り入れられていますし、学校の課目でもありますから、競技人口が多い中で、各都道府県の予選を勝ち抜かなければなりませんから、出場すること自体が大変難しい大会であることは言うまでもありません。

 予選を勝ち抜いて本大会に出場するのは64名。この64名の猛者がトーナメント方式で争います。そして、6回勝たなければ優勝できません。

 今年の準決勝第一試合は、小谷明徳選手(千葉)と正代正博選手(東京)の対戦。正代(しょうだい)選手がメンで一本先行しましたが、小谷選手はメンを返して、ツキで勝負を決めました。このレベルの試合で、あれだけ見事なツキが決まるというのも凄いことです。試合経過の中で、メンに行く動きを繰り返した小谷選手が、同じ動きからツキを放つことで、正代選手の予想を覆したというところでしょうか。

 準決勝第二試合は、内村良一選手(東京)と安藤翔選手(北海道)の対戦。このところ内村選手が準決勝まで進出している頻度が高いなと思っていましたら、5年連続の進出とのこと。この全日本で5年連続準決勝以上に進出とは、素晴らしいというか信じられない実績です。
 この試合でも、コテとメンで早々に勝負を決めました。特に2本目のメンというかヨコメンのスピード・威力は凄まじいものがあり、好調を印象付けました。

 さて決勝は、小谷選手と内村選手の対戦。両者互角の間合から内村選手のコテが決まり、一本先取。小谷選手が反撃に出るところ、再びコテが決まり、内村選手の優勝と成りました。

 内村選手は、これで通算3度目の全日本制覇となります。3度の優勝というのは歴代2位タイの素晴らしい成績ですが、前述の通り、内村選手は8度の全日本出場で7度のベスト4進出、6度の決勝進出という、信じられないような安定した成績を残しています。現代の剣道競技を代表するプレーヤーです。

 勝負が決まり、面を外し、身づくろいをする動きも、当然ながら剣道の一部です。30年ほど前から、見ることが出来る11月3日には必ずテレビ観戦していますが、試合後に大喜びして満面の笑み、という選手は見たことがありません。
 相手選手への敬意の表れかと思いますが、「剣道とはそういう競技」なのです。この「日本武道そのもの」の精神性の高さが評価され、広く世界中で行われているのでしょう。

 一本を決めた直後に小さくガッツポーズをしたら、一本が取り消しになった試合を見たことがあります。礼儀を重んじ、試合前の所作・試合中の所作・試合後の所作の全てが競技の内なのです。

 では、型・精神面ばかりを重んじるのかと思えば、とんでもない。「一本」は、真剣であったなら相手に致命傷を与える威力を持ったものでなければ、認められません。
 今大会、小谷選手が正代選手に決めたツキは、真剣であれば正代選手の喉を大きく突き抜けていたと思いますし、内村選手の安藤選手へのメンは、安藤選手の頭蓋骨が真っ二つになっていたでしょう。コテ一本は、間違いなく相手の腕を骨ごと切り落とす威力です。
 いずれの一本も、VTRで観ると、竹刀がしなっています。綺麗に当たっていても威力不足ならば一本では無い、その意味では極めて実践的な競技だと思います。

 鳴り物や大声での応援も無い日本武道館、凛とした空気が張り詰める中で、技の応酬は、私などの肉眼では捉えられないスピードです。そして、赤や白の旗がさっと上がります。
 「決まったのか」とVTRを観ると、見事な一本。

 こうした雰囲気を、連綿と守ってきている競技、こうした雰囲気の中で高い競技レベルを維持してきている競技が「剣道」なのでしょう。

 「本当に素晴らしい」と、いつも感じます。
 6月24日、全柔連の会長が辞意を表明したと報道されました。4~5ヵ月後、改革が完了したら、とのことです。この報道を聞いた柔道ファンや柔道関係者の大半が「遅い」と感じたことでしょう。

 おかしな話です。全柔連の数々の問題の原因を作った人物が、改革を行うために、まだ居座るというのですから。明らかに矛盾した話ですし、説得力が無いのも当然です。

 一連の問題の全責任が現会長にあるなどと、言っているのではありません。暴力行為(パワハラ)、お金の不正受給(詐欺・泥棒)、破廉恥行為(セクハラ)といった数々の悪行が続いた組織の長だったのですから、組織構築・運営能力が全く無いことは明白です。つまり「責任能力が無い」のです。

 責任能力が無い人に「全責任が有る」というのも矛盾した話ですから、こういう指摘は無意味です。
 単に、責任能力が無い人に組織の長は務まりませんので、早々に居なくなってもらう必要があるということでしょう。これだけの悪行を生む組織を作り運営した人物ですから、一刻も早く居なくなることが、改革の第一歩だと思います。

 これまでの悪行を観ていると、全柔連の理事や要職にある人達は、いずれも現会長の息がかかったというか、お気に入りというか、現会長にゴマを刷ってそのポストに就いた人ばかりに見えますので、当然ながら会長が居なくなるのと同時に、居なくなってもらう必要があります。

 全柔連自体を解散して、新しい組織を造る形でも良いと思いますが、手続きに時間が掛かるのであれば、人心を一新する形が良いのでしょう。

 アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが、1946年のその著書「菊と刀」において、日本文化は「恥の文化」であるとしたのは、大変有名な話です。「日本人は名誉を重んじ、恥をかくことを極端に嫌う」ことを世界に現したのです。
 現在でも「お金や地位のためには手段を選ばない」といった考え方とは対極にいるのが、大半の日本人だと思います。

 ところが、全日本柔道連盟や日本プロ野球機構には「恥を知らぬ」人物が、数多く居るように見えるのは残念なことです。
 「礼に始まり、礼に終わる」とは、日本古来の武道に共通した理念だと思います。試合における勝敗にのみ拘るのではなく、自らを高めるための修練の場としての武道の精神がそこにあります。
 稽古・トレーニングや試合の場において、礼をして試合場や練習場に入り、相手のプレーヤーを尊重して練習をし、戦い、勝ち負けはともかくとして、試合や練習が終わった後も、この機会を与えていただいたことに感謝し、礼によってその感謝を表す、といった一連の流れは、日本武道の基本と言えます。

 その視点からすると、最近の日本柔道におけるコーチによる暴力問題などは、問題外の低次元な事象と言わざるを得ません。

 取り上げられているのは、日本女子ナショナルチームの園田監督が、ナショナルチームのメンバーの稽古の場において、殴る蹴るの暴力を振るったとか、「死ね」といった暴言を浴びせたということなのですが、頭書の精神とは全く相容れないことで、呆れてものが言えないという感じです。

 そもそも暴力は良くない、などという感情的な考え方ではなく、柔道というスポーツの本質・ルールから、あまりに離れてしまっている事象であることが、残念でならないのです。暴力の有無や、どのような状況下で行われたかについては、私は知る由もありませんが、その事象と柔道の精神が両立するとはとても思えない点が、恥ずかしい限りなのです。

 柔道は、日本古来のいくつかの柔術をミックスし、加納治五郎が創設したことは、本ブログでも採り上げました。そして、警察官の必修科目となり、学校教育の場に取り上げられたことで、一般に普及していったことも述べました。
 さらに、その精神性も相まって、世界に普及しJUDOとなったのです。

 そのJUDO発祥の国である日本の柔道は、世界中のJUDOの範となるべき存在であり、JUDOの歩みに常に光を当て、必要があれば警鐘を鳴らしていく存在でなくてはなりません。現在見られる、前述のような事象は、日本柔道がそうした存在ではなく、極めて低レベルで、柔道のなんたるかを語る資格もない国に成り下がっていることを示しています。

 何故、日本柔道は、柔道本来のあり方から、これほど離れてしまったのでしょうか。国際化してJUDOとなったからだ、などという意見があるとしたら、ピンボケも甚だしいものです。何しろ、この暴力事件は、日本のナショナルチームで発生していることなのですから。

 一方で、剣道という武道があります。剣道も柔道と同じく、警察官の必修科目となり、学校教育の場に取り上げられて、国内で普及しました。そして、いまや世界の剣道となりつつあります。

 この剣道においては、高い精神性が、現在でも維持されているように観えます。剣道最高の大会である日本選手権大会は、毎年素晴らしい試合を私達に提供してくれます。あのスピードと技術は、全てのスポーツの中でも指折りの、高度なものです。

 そして最も素晴らしいことは、全ての剣道プレーヤー最高の目標たる「日本選手権優勝」というタイトルを手にした選手の優勝後の様子を観ると、一切表情も変えず、インタビューにも淡々と答え、自らのプレーで不足している部分について反省していることです。
 試合に勝って、喜びを爆発させてはいけないなどと言っているのではありません。スポーツによっては、そうした行動も何の問題もないと思います。

 それぞれのスポーツが、それぞれのルールを守ることの重要性を述べているのです。剣道というスポーツは、試合での勝ち負けよりも、自らの修練が第一であると標榜しているのであれば、日本最高、世界最高の大会の場において、その剣道のルールが最も明確に示されるべきであり、実際に示されている、という意味です。本当に、素晴らしいことです。

 そして、逆に言えば、その根本ルールをしっかりと継承していることが、日本剣道の強さの源であるとも思います。

 ある高校生の剣道の試合において、一本を取った時に、右手を握りしめ、小さくガッツポーズをとった選手が居ました。その瞬間、審判団の旗は、体の前で交差して振られました。一本が取り消しになったのです。

 私は、これを観たときに「これが剣道なのだ」と思いました。その選手は、トレーニングを重ね、体力と技術を身に付け、試合で一本を取るまでになったのですが、最も根本的な剣道のルールを身に付けてはいなかったということです。そして、そのことを全ての審判が認識していて、全国レベルではない大会でも、きちんと判定されていることは、当たり前のことと言えば当たり前の事なのですが、実行していくのはとても大変なことだと思います。剣道を剣道足らしめるための活動が、日々継続されているということですし、この日々の継続こそが、剣道を変質させないための大切な行動なのだと考えます。

 日本柔道は、何時この努力を放棄したのでしょう。小学校・中学校の段階から、剣道に観られるような地道な活動が続けられていれば、頭書のような見苦しい、「柔道の根本ルールを忘れた」かのような事象は、発生するはずがありません。相手に勝つことを第一に考える、金メダル至上主義などというルール違反が、日本柔道全体に蔓延っていることは、残念至極です。

 この現象を修正していくのは、容易なことではないと思います。日本柔道全体がルール違反を続けている、緩んだ状態になってしまっているのですから、根本的な治療を、長い時間をかけて施していく必要があるのでしょう。

 まずは、本来、柔道の基本ルールを徹底・維持していく総本山であるべき全日本柔道連盟の改革が、最優先事項でしょう。会長以下の現在の首脳陣の総入れ替えは、当然のことです。

 そもそも、今回の園田監督の事件が表面化してからの、全柔連の一連の対応は、最低レベルでした。最初に訴えた、一人の女子選手に対して、園田監督に謝らせて、その場を取り繕ろうとし、園田監督を留任させようと目論み、訴えが15人の選手に広がると、今度は園田監督を辞めさせることにし、話がJOCや国際柔道連盟に広がり、日本中のマスコミが指摘するに至って、強化担当理事や強化担当コーチを更迭するなどという、見苦しい対応を重ねて、会長他の「偉い?人達」に火の粉が及ばないように、少しずつトカゲの尻尾切りを繰り返すという、権力亡者振り。悲しいほど下品です。
 保身しか考えないような人物に、世界に最も普及した日本発のスポーツである、大切な柔道を任せるなど、考えられません。開祖加納治五郎が掲げた柔道の精神・基本ルールである「精力善用」「自他共栄」は、どこに行ってしまったのでしょう。こういう厚顔無恥な人物には「柔道を教える必要がある」と思います。

 日本柔道界全体が、柔道の基本ルールを取り戻すために、地道な活動を開始する時が来ました。10年、20年と長い時間が必要だとは思いますが、今始めなくては「日本柔道は、柔道から離れて行くばかり」だと考えます。

 今年2012年のロンドンオリンピック柔道競技において「日本柔道は惨敗を喫した」「特に男子は史上初の金メダル0に終わった」等々の報道がなされています。このことについて、少し観てみましょう。

 柔道がオリンピック種目になったのは、男子が1964年の東京オリンピックから、女子が1992年のバルセロナオリンピックからです。これまでの、金・銀・銅メダルの獲得状況を見てみます。(参加した大会の内、1984年ロサンゼルス大会は東側諸国が不参加のため除きます)

[男子]
・1964年東京 4階級 金3 銀1 メダル計4
・1972年ミュンヘン 6階級 金3 銅1 メダル計4
・1976年モントリオール 6階級 金3 銀1 銅1 メダル計5
・1988年ソウル 7階級 金1 銅3 メダル計4
・1992年バルセロナ 7階級 金2 銀1 銅2 メダル計5
・1996年アトランタ 7階級 金2 銀2 メダル計4
・2000年シドニー 7階級 金3 銀1 メダル計4
・2004年アテネ 7階級 金3 銀1 メダル計4
・2008年北京 7階級 金2 メダル計2
・2012年ロンドン 7階級 銀2 銅2 メダル計4

[女子]
・1992年バルセロナ 7階級 銀3 銅2 メダル計5
・1996年アトランタ 7階級 金1 銀2 銅1 メダル計4
・2000年シドニー 7階級 金1 銀1 銅2 メダル計4
・2004年アテネ 7階級 金5 銀1 メダル計6
・2008年北京 7階級 金2 銀1 銅2 メダル計5
・2012年ロンドン 7階級 金1 銀1 銅1 メダル計3

 男子では、7階級制に固まった1988年ソウル大会以来
① メダル獲得総数は4~5個 北京大会のみ2個
② 金メダルは最大3個 過半の4個以上の獲得実績は無し
というところです。
・金メダルは、今ロンドン大会で初めて0個になりましたが、メダル獲得数では、前回の北京大会の2個から倍増の4個となっていますので、極端な不振ということにはならないと思います。
・7階級の過半4階級以上で金メダルを取ったことはありませんので、柔道関係者が「金メダル以外はメダルではない」などと発言したと報道されていますが、選手に対する気合注入の意味合いのみでしょうし、本当にそんなことを言ったのか疑問でさえあります。
 いつの時代でも、銀・銅のメダルであっても、獲得するのは素晴らしい成績であることが判ります。

 女子は、正式種目となった1992年のバルセロナ大会から7階級制でした。
① シドニー大会までは金が0か1個・メダル獲得総数5個以下でしたが、アテネ大会で金5個・メダル獲得総数6個の躍進、男女を通じて日本柔道史上最高の好成績を挙げました。日本の女子柔道は、先行するフランス・スペインといった国々を追いかけて、好成績を上げるレベルに追い付いた形です。

② その後、北京、ロンドンと金メダル数、メダル獲得総数とも減少していますが、アテネ大会と北京大会の金2個は、谷本選手と上野選手が2大会連続で獲得したもので、この両選手がずば抜けた能力を有していたと考えると、北京大会とロンドン大会の成績は同水準とも言えます。また、アトランタ大会・シドニー大会の水準に戻ったとも言えます。

 以上から、日本柔道は報道されているほどの凋落ぶりではないように思いますし、選手は十分にその実力を発揮しているように感じます。

 ちなみに、国際柔道連盟による階級別の世界ランキングがあります。2012年10月7日のランキングが最新のようですので、男女各階級の10位以内の日本人選手のランキングのみ掲示します。

[男子]
・△60㎏ 3位 6位
・△66㎏ 5位 10位
・△73㎏ 2位 10位
・△81㎏ 4位 10位
・△90㎏ 1位 8位
・△100㎏ (11位以下)
・+100㎏ (11位以下)

[女子]
・△48㎏ 2位 3位
・△52㎏ 1位 10位
・△57㎏ 1位 2位
・△63㎏ 1位 6位
・△70㎏ 3位 8位
・△78㎏ 4位
・+78㎏ 3位 4位

 このランキングを単純に1位→金メダル、2位→銀メダルといった形で当てはめると
・男子は、金1、銀1、銅1となり、ロンドンオリンピックの成績と大体同じ水準です。
・女子は、金3、銀1、銅3となり、こちらはロンドンオリンピックの成績より、相当良いものになります。こうして観ると、ロンドンオリンピック柔道競技日本チームで実力を発揮しきれなかったのは、女子チームということになるのかもしれません。

 もちろん、世界ランキングとオリンピックの成績が直ちに結びつくものではないと思いますが、他の競技でも、世界ランキングは時々の各チーム・プレーヤーの力量を示す物差しとなっていますので、彼我の実力比較を行う上では十分参考になるものです。

 日本起源のスポーツである「柔道」は、世界中に普及し「JUDO」になりました。柔道が世界に拡大する「普遍的な価値を内包するスポーツ」であったという点が、日本人として誇らしいことです。
 海外で一人歩きを始めて久しい「柔道」が、世界中の様々なスポーツのノウハウを取り込んで「JUDO」に変わって行ったのですから、起源国としても容易に勝つことが出来なくなったのは、止むを得ないことだと思います。
 現在では、競技人口の面からみても、日本国内の競技人口数より、海外の競技人口数の方が多いことは明らかですし、フランスは一国で日本の競技人口を上回るともいわれていますので、世界中で競技力強化活動が推進されている状況では、海外の国々から強い選手が出て来るのは自然なことといえます。

 また、起源国=必ず勝たねばならないということになると、例えばイギリスのテニスやサッカーのプレーヤーは困ってしまうでしょう。

 柔道の日本代表選手は、起源国のプレーヤーとして「強くあらねばならない」と思いますし、他国のプレーヤーの模範となる選手でなければならないとは思いますが、いつも勝たねばならないということはない、とも考えます。
 そして、JUDOを良く研究し、世界の大会で好成績を残していただければ、これ以上嬉しいことはありません。

 1882年・明治15年、嘉納治五郎が東京府下谷の永昌寺の書院12畳を道場として「講道館」を設立しました。この年が、現在の柔道のはじまりとされています。

 武士が生まれ、戦闘のための武芸が行われるようになったのは12世紀頃からといわれていますが、戦国時代が終わって江戸時代に入り、武芸・武術のひとつとして柔術が発達しました。柔術には、種々の流派が生まれ、幕末には百を超えていたといわれています。

 学習院講師だった嘉納治五郎が、天神真楊流柔術や起倒流柔術の技を中心に創り上げた格闘技が「柔道(講道館柔道)」です。
 嘉納は、自らの提唱する格闘技を「柔道」と名付けましたが、当初の講道館は新興柔術のひとつでしたので「嘉納流柔術」と呼ばれることもあったようです。

 さて、講道館柔道が嘉納により創られたとはいえ、数ある柔術の中で後発の講道館柔道が、どうして日本中そして世界中に普及し、人気スポーツとなったのでしょうか。
 以下のような理由が考えられます。

① 警察官の必修科目となったこと
 嘉納治五郎の著書によると、1888年・明治21年頃に行われた警視庁武術大会で、他の柔術流派との対戦に勝利したことを受けて、当時の三島警視総監が日本伝講道館柔道を警視庁の必修科目としたことから、全国の警察にも広がったと言われています。
 警察官の必修科目になったことは、講道館柔道の日本国内への普及にとって、大きな力となったことは間違いないでしょう。現在でも、柔道か剣道が、日本の警察官の必修科目となっています。

② 学校教育の科目に取り入れられたこと
 前述の警察への導入の影響があったのかどうかはわかりませんが、1898年・明治31年に、旧制中学の必修科目として講道館柔道が取り入れられました。
 太平洋戦争後は、1950年・昭和25年に新制中学の選択科目に組み入れられ、1953年・昭和28年の学習指導要領に柔道・剣道・相撲が「格技」として位置付けられ、正課の授業に組み入れられました。こうした、戦後の文部省による取組の影響は大きく、全国の中学校に普及しました。

③こうした警察・学校での普及により、柔道の指導者となりうる人材の数は飛躍的に増えたものと考えられます。この沢山の指導者が、戦後の世界中への普及の力となったことは間違いないでしょう。

④前述のような体制面の対応・確立が、日本国内・世界中への柔道の普及・拡大の大きな要因であったことは確かですが、本ブログでこれまで採り上げてきた他のスポーツと同様に、普及・拡大には、もうひとつの要素が必要です。それは「面白いこと」です。プレーヤーも観客も、両者が面白いと感じ、人気が出なければ、そのスポーツは発展しません。

 では、講道館柔道の何が面白かった、あるいは面白いのでしょう。私の考えでは、「投げ技」と「固め技」のバランスが絶妙である点が、最大のポイントだと思います。講道館柔道は、古来の柔術の中から「投げ技」は起倒流から、「固め技」は天神真楊流から、主に取り入れたとされていますが、特に「投げ技」の導入効果が大きかったと思います。

 現在の柔術の試合を観ていると、技の掛け合いの様子が良く解らないケースがあります。2人のプレーヤーが寝技の掛け合いを行っているシーンなどは、テレビ画面で大写しにしてくれれば、何をしているのか多少は判りますが、会場でやや遠くから観ていると、角度が良くない場合などは全く見えません。一部の専門家やマニアには面白いものでも、一般の人達に理解されない・解りにくいスポーツは、なかなかメジャーにはなりません。

 これに比べれば、講道館柔道は、プレーヤー2人が立った状態で試合が始まり、まずは「投げ技」の応酬となるので、視覚面から観客に判り易いのです。加えて、投げ技が決まった時も判り易い。投げ技から固め技としての「寝技」や「関節技」への移行も、判り易いと思います。
 プレーヤーの立場からも、「投げ技」は爽快感を伴うプレーだと思いますし、普段のトレーニングも面白いものでしょう。

 講道館柔道がその本質として持っている「面白さ」が、普及・拡大の最大の要因であったと思います。

⑤これに加えて、嘉納治五郎が掲げた「精力善用」「自他共栄」の考え方は、日本古来の武術に共通した理念を文字にしたもので、単なる勝利至上主義ではなく、心身の鍛練を目的として掲げていますから、この深い精神性も、特に海外への普及の一助となったものと思います。

⑥さらに、海外での普及の要因として考えられるのが「簡易な用具」です。柔道の用具といえば「道着」と「畳」ですが、各地での普及活動の当初段階であれば、正式なものが必須というわけではありません。用具が簡易というのは大切なポイントです。

 最近国際化が進んでいる剣道の普及スピードが、柔道に比べて遅いのは「剣道には重装備が必要」で、特に開発途上国では費用面で厳しいのでしょう。用具のコスト面を除けば、剣道と柔道の普及のための条件の充足状況は似ていますから、簡易な新素材の防具でも開発されれば、剣道は飛躍的に世界中に広まると思います。
 剣を模した竹刀を持って、対戦相手を切る・突くというスポーツは、世界中のプレーヤーにとっても観客にとっても、とても面白いものであることは間違いありません。


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