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 3月24日に開催された、2017年~18年スキージャンプ・ワールドカップ女子の第14戦(ドイツ・オーベルストドルフ)で、高梨沙羅選手が1本目100.5m、2本目96.5mを飛んで227.1点を挙げ優勝しました。

 待ちに待った「W杯54勝目」を達成したのです。

 今季絶好調を誇っていたマーレン・ルンビ選手(ノルウェー)は3位でした。

 このところのゲームを見る限り、今シーズンの記録達成は難しいかと感じていましたが、オリンピックの疲れもなんのその、見事な優勝を魅せていただきました。

 高梨選手にとっては2017年2月16日以来1年1ヶ月ぶりの勝利でしたから、この1年1か月の間、高梨選手は、男子のグレゴア・シュリーレンツァウアー選手と共に「ワールドカップ通算53勝」のトップタイに居たわけです。

 当たり前のことを書いて恐縮ですが、これまで世界中の幾多の名ジャンパーが達成できなかった「54勝目」というのは「至高の記録」です。
 
 男子で見れば、シュリーレンツァウアー選手が53勝、2位がマッチ・ニッカネン選手(フィンランド)の46勝、3位がアダム・マリッシュ選手(ポーランド)の39勝となっています。

 女子で見れば、高梨選手が54勝、2位が13勝で3名、ルンビ選手、サラ・ヘンドリクソン選手(アメリカ)、ダニエラ・イラシュコ選手(オーストリア)です。

 こうして見ると、「高梨選手の偉大さ」が良く分かります。
 
 14歳で世界デビューした高梨選手は、既に「空前の記録」を樹立しましたが、まだ21歳です。

 オーベストドルフの2戦目、今シーズンのワールドカップ最終第15戦でも高梨選手は優勝しました。通算55勝目を挙げたのです。
 来シーズンに向けて、とても良い締め括りを魅せてくれました。

 ワールドカップ優勝の一層の記録更新はもちろんとして、オリンピックや世界選手権での大活躍が期待されるところです。
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 3月17日に行われた10kmクラシカル(立位)で、新田佳浩選手が金メダルを獲得しました。
 新田選手にとっては、14日のスプリント・クラシカル(立位)の銀メダルに続いて、今大会2つ目のメダルとなり、今大会日本選手団3つ目の金メダルでもありました。

 3.3kmのコースを3周するレースでしたが、新田選手は2周目まで2番手でした。
 トップの選手とは8秒以上の差が有りました。
 しかし、最後の1周で新田選手は猛然と追い上げ、見事に逆転勝ちを収めたのです。

 新田選手は6大会連続のパラリンピック出場となります。
 日本の距離スキーチームを牽引する存在なのです。

 1998年の長野パラリンピックで初出場し、2002年のソルトレークシティ大会で銅メダルを獲得、2010年のバンクーバー大会では2つの金メダル、2014年のソチ大会ではメダルに手が届かなかったのですが、今大会で見事にリベンジを果たした形です。

 「力強い下半身の滑り」が印象的な新田選手の、ゴール後の雄叫びが会場に響き渡りました。
 村岡選手の勢いが止まりません。
 加速している感じです。

 3月14日に行われた、アルペンスキー女子大回転(座位)で金メダルを獲得しました。
 今大会日本チーム最初の金メダルであり、村岡選手自身にとって「今大会4個目のメダル」でもあります。
 1本目でトップに立ち、2本目はタイム差を意識して「大切に滑った形」で2位となって、金メダルに輝いたのです。

 21歳の村岡桃佳選手(早稲田大学)には、大会前からメダル獲得への期待が有りました。
 とはいえ、「4個」のメダルを獲得すると予想していた人は少ないでしょう。

 まずは3月10日、滑降(座位)で銀メダルに輝きました。これは今大会日本選手団最初のメダルでした。

 続いて3月11日、スーパー大回転(座位)で銅メダルを獲得しました。

 さらに3月13日、スーパー複合(座位)で銅メダルをゲット。

 そして、大回転で金メダルという流れです。

 毎日のようにレースに出場し、毎日のように表彰台に上がるというのは、凄いを通り越して、「何が起きているの?」という感じさえします。

 心身ともに「絶好調」であることを証明しています。
 もともと得意では無かったスーパー複合でも銅メダルに輝き、4種目目の大回転で最高成績の金メダルというのですから、「疲れる」どころか、日に日に調子を上げている印象なのです。素晴らしいの一語でしょう。

 さて、大会最終日3月18日には5種目目の回転が待っています。

 スピード系の村岡選手にとっては、得意種目とは言えないのでしょうが、今大会初めての「休養期間」を経て、またミラクルを魅せていただけるかもしれません。

 村岡選手は、開会式における日本選手団の旗手でもありました。
日本選手団にとって、平昌パラリンピックは「村岡選手の大会」になったと言って良さそうです。
 クロスカントリースキーの伝統的な種目、男子50kmクラシカルが2月24日に行われ、フィンランドのイーボ・ニスカネン選手が快勝しました。

 1周8.3kmのコースを6周するレース。

 1周目は、ニスカネン選手とノルウェーのマルティンヨンスル・スンビ選手が集団を引っ張りました。
 「王国」ノルウェーのリーダー格のスンビ選手は、同僚を引き連れ、大きな第一集団でのレースをしばらく続け、その中で3名のノルウェーチームの力を擁して、勝機を見出そうとする、「伝統のプレー」を指向したのでしょう。

 一方で、チーム力では一歩劣るフィンランドのニスカネン選手は、今大会の30kmでも見せたような「スパートからの独走」に勝機を求めていたように思います。

 20.kmを過ぎた辺りで、ニスカネン選手が少しスピードを上げ、21kmからはスパートに入りました。
 早い段階でのスパートに付いて行ったのは、カザフスタンのアレクセイ・ポルトラーニン選手だけでした。
 ニスカネン選手のスパートが続き、25km付近では、後続の3番手集団とは相当の差が付きました。
 これで、会場付近まで集団→スプリント勝負、という「21世紀型の50km」となる可能性は低くなりました。「持久力・耐久力勝負」の伝統的な50kmクラシカルとなったのです。

 30km辺りに、OARのアレクサンドル・ボルシノフ選手が後方集団から抜け出し、ニスカネン選手・ポルトラーニン選手を追い始めました。
 そして32km辺りでポルトラーニン選手を抜いて2番手に上がりました。ボルシノフ選手の勢いは止まらず、ニスカネン選手との差をどんどん詰めて行きます。

 33km辺りの差は、ニスカネンとボルシノフが13秒、ポルトラーニンが26秒、4番手集団=スンビ選手やダリオ・コログナ選手(スイス)が含まれる集団との差が1分40秒余りとなっていました。
 4番手集団がニスカネン選手を捉えるのは、相当難しい状況になっていたのです。

 ボルシノフ選手の追い上げは続き、37.5km付近でついにニスカネン選手を捕えました。
 見事な追い上げです。

 単独走による自力勝負に出たニスカネン選手は、ノルウェー勢との競り合いを避けることには成功したのですが、とはいえ独走はさせてくれないのがオリンピックです。
 さすがに、世界トップクラスのレースでは、選手の力量は接近しているのです。

 そして38km付近で、ついにボルシノフ選手が先頭に立ちました。
 長い間先頭を走ってきたニスカネン選手は、ついに2番手に下がったのです。
 とはいえ、ニスカネン選手も離されることなく付いて行きます。

 2名の先頭集団は、40kmを1時間42分12秒で通過しました。
 クラシカルのレースとは思えない程に速いタイムです。
 4番手集団との差は2分16秒に開きました。
 金メダル争いは、ニスカネン選手とボルシノフ選手に絞られた感がありました。

 41.7km、最終周回の6周目に入る会場の中で、ニスカネン選手はスキー交換を行いました。ボルシノフ選手との差は広がりますが、最後の8.3kmでの追い上げにかけた、フレッシュなスキー・ワックスにかけたのでしょう。

 ニスカネン選手の追い上げが始まりました。猛然と追い上げます。
 42.5kmでは、その差は7秒まで詰まりました。
 そして44kmで追い付きました。

 しかし、ボルシノフ選手は余裕が有り、ニスカネン選手には「一杯一杯」という雰囲気でしたから、ここから抜き去るのは難しい感じでした。
 ニスカネン選手は、両太ももを自分でマッサージしたり、いかにも苦しそうだったのです。

 ところが、48.5km、その苦しそうなニスカネン選手がスパートしました。
 勝負に出たのです。

 ボルシノフ選手との差をどんどん広げます。
 
 ゴールまで700メートルの地点で、その差は7秒に拡大しました。
 ボルシノフ選手に諦めの表情が浮かびました。

 会場スタンドのフィンランドサポーターに向かって、大きく手を振りながら(この金メダルは今大会のフィンランド男子チーム唯一のメダルでした)、ニスカネン選手はゴールインしました。2時間8分22秒/50kmという、陸上競技のマラソンより遥かに速いタイムでの走破でした。

 ノルウェーチームは、4位にスンビ選手が入りましたが、「伝統の50kmクラシカル」レースでメダルを逃したことは、「王国」に一抹の不安を残したものとなりました。
 今大会でのクロスカントリースキー競技においても、「王国」は沢山のメダルを獲得し、金メダルの国別獲得数はオリンピック史上の新記録であったと報じられていますが、男女ともに、特に男子チームにおいては「選手層の薄さ」が感じられました。
 過去の、メダル獲得が少なかった大会でも、ノルウェーチームには有望な若手が数多居て、その潜在能力の髙さを感じさせてきたものですが、今大会はその逆でしょう。
 王国としても、体勢の建て直しが急務なのではないでしょうか。

 平昌オリンピック・男子50kmクラシカルレースは「ニスカネン選手のレース」でした。
 閉会式会場で大観衆の前で表彰されるニスカネン選手の姿は、本当に晴れやかなものでした。

 勇気溢れる20kmでのスパート、ボルシノフ選手との競り合い、乾坤一擲のスキー交換と、レース前の様々な事態を想定してのフィージビリティスタディに基づいたレースの実行、何より、作戦通りにレースを進めることを可能にした「実力の高さ」に、大きな拍手を送らせていただきます。
 
 2月17日に行われたアルペンスキー女子スーパー大回転は、チェコのレデツカ選手が金メダルを獲得しました。
 2位のアナ・ファイト選手(オーストリア)、というかフェニンガー選手と呼んだ方が分かり易い、に1/100秒差、1分21秒11のタイムでの優勝でした。

 第1シードではなく26番目にスタートしたレデツカ選手は、この種目では余り知られた存在ではありませんでした。
 
 それもそのはずで、レデツカ選手はスノーボード女子パラレル大回転の世界のトッププレーヤーなのです。スノーボードの大回転では、圧倒的な実績を誇り、今大会でも優勝候補の筆頭に挙げられているのですが、その選手がアルペンスキーの種目に登場し、優勝してしまったのですから、凄いの一言でしょう。

 アルペンスキー競技とスノーボード競技、両競技において「スピードを上げる技術」には、共通点も多いのかもしれませんが、事がオリンピックでの戦いとなると「異なる競技」で世界トップクラスのパフォーマンスを示すというのは、信じられない事実でしょう。

 先日も、ショートトラックスケートとスピードスケートの両方をプレーし、今大会のスピードスケートで金メダルを獲得した、オランダのテルモルス選手が話題になりましたけれども、今大会は「二刀流」が目立つ大会なのかもしれません。

 レデツカ選手の「本職」?であるスノーボード女子パラレル大回転の決勝は、2月24日です。ここでも金メダルを獲得するようなら、「二刀流」完結と言うことになります。

 これまで、夏季と冬季のオリンピックの二刀流というのは聞いたことが有りますが、同じ大会での異なる競技における二刀流というのは記憶に在りませんし、もし「二冠」を達成するようなら、史上初の快挙なのではないでしょうか。
 フランスのフールカデ選手が、バイアスロン競技で大活躍を魅せています。

 2月20日までに行われた、バイアスロン5種目の内3種目を制したのです。

 近時はドイツチームが強いバイアスロンですが、その牙城をひとりで脅かしているのが、フールカデ選手といった様相でしょうか。

 2月11日に行われた、男子の最初の種目「10kmスプリント」はドイツのアルント・バイファー選手が制しました。フールカデ選手は22.1秒遅れの8位でした。
 今大会のバイアスロン男子も、ドイツチームのメダルラッシュになるか、という結果だったのです。

 翌12日に行われた「12.5km追い抜き(パシュート)」種目は、10kmスプリント種目の順位・タイムを元にスタートが切られますから、7位までに3名の選手を並べていたドイツチームが有利に観えました。
 しかし、8位=追い抜き種目で8番目のスタートであったフールカデ選手は、前にスタートした選手たちを着々と「追い抜き」、ゴールでは2位のセバスティアン・サムエルソン選手(スウェーデン)に12.0秒の差を付けて快勝したのです。
 ドイツチームは、ベネディクト・ドル選手が3位に入るのが精いっぱいでした。

 フールカデ選手が、今大会ひとつ目の金メダルを獲得しました。

 続く15日の「20km」では、フールカデ選手は5位に終わりました。ちなみに、この種目の優勝はノルウェーのヨハンネスティングネス・ベー選手で、スロベニアのヤコフ・ファク選手との競り合いを制しました。ドイツチームは9位にエリク・レサー選手が入ったのが最高でしたから、今大会のドイツチームはやや調子が上がっていないのかも知りません。

 続いて18日の「15km」。
 フールカデ選手は、ドイツのジモン・シェンプ選手との大接戦を制して優勝しました。
 ふたつ目の金メダルを獲得したのです。

 そして20日の「混合リレー」でも、フランスチームが優勝しました。
 アンカーのフールカデ選手にとっては、今大会三つ目の金メダルとなったのです。
 ちなみに、ドイツチームは4位でした。

 さて残るは23日の「男子30kmリレー」です。

 もしフランスチームが優勝するようなら、おそらくアンカーで登場するであろうフールカデ選手の「四冠」の可能性があるのです。

 平昌オリンピックの最優秀選手に、バイアスロンのプレーヤーが選出されることになるかもしれません。
 オーストリアのヒルシャー選手が、2位に1.27秒の大差を付けて圧勝しました。

 固いバーンで、コースアウトするスキーヤーも続出しましたが、ヒルシャー選手は冷静かつ果敢なプレーを展開しました。
 現在のアルペンスキー技術系種目において「第一人者」と称される実力を、見事に披露してくれたのです。
 2007年に世界デビューし、既にワールドカップ総合優勝6度を誇る、28歳のヒルシャー選手ですが、平昌オリンピックがプライムタイムなのかもしれません。

 それにしても見事な滑りでした。
 短く素早く正確なエッジングは、かつてのインゲマル・ステンマルク選手に似てきたようにさえ感じられます。

 今大会は、アルペン複合種目に続いて2つ目の金メダル獲得です。

 マルセル・ヒルシャー選手が、2月22日に行われる回転種目も制するようなら、トニー・ザイラー選手(オーストリア、1956年オリンピック・コルチナダンペッツオ大会)、ジャン・クロード・キリー選手(フランス、1968年同グルノーブル大会)以来3人目、21世紀に入っては初めての「アルペン競技において3つの金メダル獲得」を達成することになります。

 大注目です。
 2月16日に行われた、男子15kmフリー種目で、スイスのコログナ選手が優勝し、この「15km」種目でのオリンピック3大会連続の金メダルを達成しました。

 クラシカルスキー王国のノルウェー勢を相手にして、10年以上に渡って世界トップクラスの成績を残していることは、コログナ選手の高い実力を如実に示しています。

 前回のソチ大会は「クラシカル」、今大会は「フリー」スタイルで争われた「15km」ですが、コログナ選手はスタートから飛ばしに飛ばしました。

 10km辺りまでに、ノルウェー勢に20秒以上の差を付けたのです。
 
 当然ながら、前半にリソースを多く使ったコログナ選手に対して、10km以降、ノルウェーのクルーガー選手の追い上げが始まりました。
 しかし、前半の差は大きく、クルーガー選手の追い上げは18秒以上続きませんでした。

 コログナ選手の「前半差を付け、後半粘る」という戦略が、見事に功を奏したのです。

 30kmスキーアスロンで表彰台を独占したノルウェー勢は、そのメンバー、クルーガー選手・スンビ選手・ホルン選手で15kmフリーにも臨みましたが、3選手ともスキーアスロンの疲労がまだ残っている感じで、パフォーマンスは上がりませんでした。

 これまでなら「15kmフリーのスペシャリスト」を参加させることもできたノルウェーチームだと思いますので、現在の「王国」はやや選手層が薄いのかもしれません。

 尚、このレースでは、日本の吉田圭伸選手が13位に食い込みました。
 スタートから快調に飛ばし、10km以降も良く粘りました。オリンピック男子クロスカントリースキー種目における日本人選手としては、久し振りの好成績だと感じます。

 男子にとっての最終種目50km、今大会は「クラシカル」で行われます。

 「クロスカントリー50kmクラシカル」という、伝統的な、最もクラシカルスキーらしい種目における、各国プレーヤーの戦いがとても楽しみです。
[2月15日・男子滑降・龍平アルペン競技場]
1位 アクセルルント・スピンダル選手(ノルウェー) 1分40秒25
2位 チェーティル・ヤンスルード選手(ノルウェー) 1分40秒37
3位 ベアト・フォイツ選手(スイス) 1分40秒43

 「安定した滑り・最短距離のコース・なるべく飛ばないジャンプ」といったスキーイングでは、オリンピックの滑降種目で好成績を残すことは出来ません。(これまでの記事にも何度も書き恐縮です)

 コース難度が高く、世界トップクラスの選手が勢揃いする大会ですから、「より高い滑走スピードを実現するため」には、そんな悠長な?ことは言っていられないのです。

 このクラスの選手達は、スピードを少し落とせば、「安定した滑り」を実行できますし、「最短距離のコースを滑ること」が出来ますし、プレジャンプの飛距離も抑えることが出来るのですが、その「スピードを少し落とすこと」がメダル争いの致命傷となるのです。

 バランスを多少崩してもスピードを上げ・維持し、コースが多少膨らんでもスピードを維持し、多少ジャンプで飛び過ぎてしまっても好重心位置を実現して減速を最小限に抑える、といった「リスクを取った滑り」が必須なのです。

 ベテラン、35歳になったスピンドル選手は、「果敢な滑り」を魅せてくれました。
 長期間に渡って、ノルウェーのアルペンスキー陣を牽引してきたスピンドル選手にとっては、オリンピックにおける4つ目のメダルであり、滑降種目では初めての金メダルです。

 惜しかったのは、2位のヤンスルード選手でしょう。前半見事な滑りを魅せ、スピンドル選手をリードしたのですが、後半ややスピードが落ち、最期は0.12秒差で銀メダルでした。
 先に滑ったスピンドル選手からの各種の情報も十分に活かした滑りでしたので、終盤の失速が惜しまれるところでしょう。

 近年のオリンピックにおいては、全てのアルペン種目の先頭を切って行われることが多い「男子滑降」ですが、今大会は天候不良により順延されていました。
 この日は青空にも恵まれ、時速120kmを優に超える、豪快な滑りを存分に楽しむことが出来ました。

 とはいえ、「アルペンの華」と呼ばれる滑降は、やはり大会の最初に観たい種目なのです。
 前半のジャンプが終了した時点で、渡部暁斗選手には、エリック・フレンツェル選手(ドイツ)とルーカス・クラブファー選手(オーストリア)とのメダル争いになることは、分かっていたのではないでしょうか。

 そして、フレンツェル選手が強敵となることも分かっていたのでしょう。

 逆に言えば、フレンツェル選手から見れば、ジャンプ終了時点でクロスカントリーの出走順が5番目で、ライバルの渡部選手との差が「8秒」となったところで、金メダルを確信したことになりそうです。
 
 毎週のように試合を行っている、世界トップクラスのアスリート達にとっては、相対的な自らの強み・弱みが十二分に把握されている筈で、フレンツェル選手はクロスカントリーの能力において渡部暁斗選手に勝っていること、特にゴール前のスプリント勝負となれば、絶対に負けないという自信が有ったと思います。

 ジャンプで3位につけた渡部選手としては、ジャンプ1位・2位の選手よりクロスカントリーの力量が勝っているものの、後ろから「8秒差」で追ってくるフレンツェル選手とは、厳しい戦いになることが予想されていたのでしょう。
 クロスカントリー開始前のインタビューでも、そうしたニュアンスが感じられました。
 渡部選手としては、フレンツェル選手のコンディションが良くないことを祈る形だったのだと感じます。

 しかし、オリンピック2連覇中のフレンツェル選手の、今大会に向けての準備は万全でした。残念ながら、渡部選手はクロスカントリー競技のゴール前の坂で、フレンツェル選手のスパートに付いて行くことが出来ず、僅か4.8秒差の2位となったのです。

 陸上競技の中・長距離でも同断ですが、「スプリント力」の差を埋めることは至難の技です。渡部選手がフレンツェル選手に勝つためには、ゴール前2km辺りからのロングスパートが考えられますが、ロングスパートを行ったところでフレンツェル選手に差を付けることが出来るかは分からないところですし、自身のスタミナを消費するプレーですから、金メダルどころか4位かに落ちるリスクも有るわけです。うかつには採り得ない戦術ですし、何より毎週のように戦っている相手ですから、そのプレーの特質・力量を十分に知っている相手ですから、今回の様な形になるのは止むを得ないことだったのでしょう。

 そういう意味で、前半ジャンプ競技終了時点で、フレンツェル選手の優勝・オリンピック3連覇の確率はとても高かったことになります。

 一方で、渡部暁斗選手の力量の高さ、安定感も特筆されるべきでしょう。
 もし、フレンツェル選手のジャンプが不調で、渡部選手から1分以上後にスタートしていれば、渡部選手が優勝していたのでしょうから。
 フレンツェル選手が僅少差でスタートすることになった今大会iにおいて2位となったということは、「この形なら他の選手には負けない」力があり、その力を存分に発揮したということになるからです。

 この安定感は、素晴らしいの一語でしょう。

 渡部暁斗選手もオリンピック2大会連続銀メダルという、我が国の複合競技史上に輝く活躍を魅せてくれました。

 日本の誇りなのです。
 2月12日に行われた、スキージャンプ女子ノーマルヒルで、高梨沙羅選手が銅メダルに輝きました。
 ソチ大会に「大本命」で臨みながら4位に終わった雪辱を果たしたというところでしょうか。

 優勝したマーレン・ルンビ選手(ノルウェー)が264.6点、2位のカタリナ・アルトハウス選手(ドイツ)が252.6点、3位の高梨選手が243.8点、4位のイリーナ・アブバクモア選手(個人資格・ロシア)が230.7点でしたから、今回の女子ノーマルヒル種目は「10点差」のジャンパーが綺麗に?並びました。

 何か、高梨選手の3位・銅メダルが「必然」だったように見えます。

 まるで「勝負の神様」が、それぞれのメダルを配置した結果のようです。

 ソチ大会前から、世界の女子スキージャンプを牽引してきた高梨選手に「勝負の神様からのご褒美」が贈られたようにも感じるのです。

 2本目のスタート台に座っている高梨選手の表情は、真剣ながら気負いも無く、とても良い姿に見えました。
 そして、アプローチからサッツ、美しく安定した空中姿勢から着地と、とても完成度の高いジャンプでした。
 着地後、ランディングバーンを滑り降りてくる高梨選手はガッツポーズ。
 満足できる試技だったのです。

 試合後のインタビューでも、「最後に、ここ(平昌)に来て一番良いジャンプが出来ました」とコメントしていました。
 現在の実力を存分に発揮したということになります。

 その後、各テレビ局の平昌スタジオでインタビューを受ける度に、「金メダルへの意欲」が増していました。現状では銅メダルの力であり、金メダル目指して、今後も精進する、というコメントが多くなりました。

 確かに、ルンビ選手の飛距離、105.5mと110.0mに対して、高梨選手は103.5mが2本ですから、現状の飛距離の差は明らかです。色々な要素があるとはいえ、やはり「サッツのパワー・スピードと角度」の差が、飛距離に出ていると見るのが常道なのでしょう。
 高梨選手にも、それが分かっているのだと思います。

 高梨選手は既に、ワールドカップ通算53勝という史上最多勝ジャンパー(男子のシュリーレンツァウアー選手と同記録)ですから、世界スキージャンプ史上に燦然と輝く大選手であることは、間違いありません。

 その高梨選手が、オリンピックチャンピオンを目指す道程を継続するのです。

 2022年の北京大会における活躍に期待しましょう。
 2月12日に行われたフリースタイルスキー男子モーグルで、原大智選手が銅メダルを獲得しました。
 この種目で、日本男子が初めて獲得したオリンピックのメダルでした。

 この種目の予選では、日本勢の得点が上がりませんでした。
 滑りもジャンプも良く出来ているように観えるのですが、80点をなかなか超えないのです。
 この大会の「採点競技」では全般に日本チームには厳しい採点が多いように感じていましたので、この種目もか・・・と思いました。

 ところが、準々決勝に入ると、日本勢の得点がみるみる上がってきたのです。

 何か「吹っ切れたような」印象でした。

 もちろん、日本チームの各選手が予選より良い試技を披露したことは間違いないのでしょうが、それにしても「一気に」壁を突破した感じがしました。

 「これは行ける」と思いました。

 決勝進出の6プレーヤーを決める準決勝では、遠藤尚選手、堀島行真選手は共にコースアウト、あるいは転倒してしまい、途中棄権となりましたが、そのダイナミックなチャレンジは本当に迫力満点でした。
 素晴らしいトライ、思う存分、オリンピックチャンピオンを目指す試技を披露してくれたのです。ほんのわずかなミスにより、残念ながら棄権となりましたが、ある意味では納得できるトライだったのではないでしょうか。

 さて、日本勢で唯一決勝に駒を進めた原選手の、ラストチャレンジは、見事なものでした。
 スピード十分に、真っ直ぐ降りてくるのです。

 頭がほとんど動かず、下半身は自在に動きます。
 「無心の滑り」だと感じました。ただ、ゴールを目指して、ひたすら滑るスキーの美しいこと・・・。
 24秒9で滑り切り、82点19、3位でした。

 原選手に笑顔が溢れました。こんなに笑っている日本のメダリストも珍しい、と思いました。

 「とても楽しかった。こんなに楽しかった大会は初めて」とコメントしていましたが、その表情には満足感が滲んでいました。

 そして、この原選手の銅メダルは、大会開始以降、日本選手団を覆っていた「どんよりとした雲」を一気に払ってくれたように感じます。
 
 日本選手団にとっての平昌オリンピックは、「男子モーグルの準々決勝」から始まったのかもしれません。
 2月11日、アルペンシア距離センターで行われた男子30kmレースで、ノルディックの本家、クロスカントリースキーの「王国」ノルウェーチームが、メダルを独占しました。

 前半の15kmをクラシカル走法、後半の15kmをフリー走行(殆どの選手がスケーティング走法)で争われたレースでした。
 
 オリンピックや世界選手権といった大きな国際大会では、30km競走は最後まで先頭集団が形成され、残り1km辺りからのスプリント勝負になることが多いのですが、今回は違いました。

 スタート直後からフィンランドのイーボ・ニスカネン選手が出たのです。
 世界選手権の優勝経験もあるニスカネン選手が早々に独走を目指したのですから、他の選手達も「放っておく」訳には行きません。
 5~6名の選手がこれを追ったのです。相当速いペースに観えました。

 ニスカネン選手としては、常に集団走を展開し、自分達に有利な体制を創り上げることが上手なノルウェーチームに対して、「1対1の力勝負」を目指したのだろうと思います。

 ところが、この日の競技場は「風が強かった」、それも地表の雪が吹き飛ばされる程の強風でした。この環境下での単独走では、体に強風をまともに受けてしまいます。疲労の蓄積が速いのです。

 クラシカルからスケーティングへの切り替えのタイミング以降、ニスカネン選手はズルズルと後退し、最期は19位でした。今回は、ニスカネン選手のトライは成功しなかったのです。

 さて、後半に入って、ノルウェーのマルティンヨンスル・スンビ選手とハンスクリステル・ホルン選手がレースを引っ張りました。ノルウェーチームのお家芸「集団走」を展開したのです。
 そしてここに、シモンヘルスタッド・クルーガー選手が加わり、3名のチーム走になりました。
 当然のことながら、オリンピックチャンピオンを決めるレースにおける「集団走」ですから、個々の選手が世界トップクラスの力を身に付けていることは明らかです。
 やや力が劣る選手達が集まって、力不足を補おうとする集団走とは、全くの別物なのです。

 なお、このレースの開始直後、大集団の中で3名が巻き込まれる転倒がありました。
 その転倒に、クルーガー選手が含まれていたのです。スキーやストックが壊れるレベルの転倒でしたから、レースに戻ったクルーガー選手は、先頭集団から大きく遅れたのです。
 しかし、クルーガー選手は慌てることなく、前半の15kmをかけて先頭集団に追い付いていました。
 世界トップクラスの選手、かつ、「王国」ノルウェーの代表とはいっても、高速レースにおいて大差を取り戻すというのは至難の技の筈です。そういう面からも、この日のクルーガー選手のコンディションは、相当良かったのでしょう。

 さて、先頭集団に追い付いたクルーガー選手は、後半の4周回の3周目の最後の坂で飛び出しました。
 転倒で大きく遅れ、ようやく追いついた選手が、今度は先頭集団から飛び出したのです。
 「凄いレース振りだな」と感じました。
 他の先頭集団の選手達は、様子見といった雰囲気でクルーガー選手のスパートを許容しました。ゴールまでには追い付けると考えたのかもしれません。

 ラスト1周前半、クルーガー選手は逃げました。
 その差を次第に広げ、一時は20秒位まで広げました。
 2番手集団から「見え難い位置」まで離れたのです。

 この状況下、2番手集団から2名の選手が抜け出しました。ノルウェーのスンビ選手とホルン選手でした。
 同僚のクルーガー選手を追い上げ始めたのです。

 この時、スンビ選手とホルン選手が、クルーガー選手に追い付き、追い越そうとしていたかどうかは分かりませんが、少なくとも「メダルを目指す」ためには必要なことだったのでしょう。
 そして27km以上を走ってきて、余力を残していたことが素晴らしいことだと感じます。

 先頭のクルーガー選手とスンビ選手、ホルン選手との差が縮まります。
 その差が、スンビ選手とクルーガー選手との差が8秒まで詰まったところが、クルーガー選手のゴールでした。

 実力が拮抗している(オリンピックですから当たり前のことですが)選手同士の戦いでは、自らのリソースをどこで使うかがポイントとなります。
 クルーガー選手が、あのまま先頭集団に残り、ラストスパート勝負に出た場合と、今回のように残り4kmで抜け出す場合とでは、結果がどのように変わっていたのか、これはとても興味深いところです。まさに、オリンピックチャンピオンを争うレースの醍醐味でしょう。

 結果として、あのタイミングで自身のリソースを使うことにより、クルーガー選手は金メダルを獲得しました。
 ゴール前で、1秒でも前に居るためのスパートが功を奏したのです。

 実力が拮抗しているレースですから、スンビ選手達との差が詰まるのは自然なことなのです。試合というのは、こういうものなのでしょう。

 そして、ノルウェーチームは金・銀・銅メダルを独占しました。
 世界に冠たる「クロスカントリースキー王国」ですから、オリンピックのクロスカントリースキー種目でノルウェーの選手がメダルを取ることは、珍しい風景ではありません。

 しかし、これが「表彰台独占」となれば話が違います。

 「王国」ノルウェーとはいっても、男子チームのオリンピックでの成績は世界選手権程には圧倒的な物では無く、21世紀に入ってからも「どうしたノルウェー男子」と言われるような大会もありました。

 メダル独占も、女子チームでは観られても、男子チームではなかなか無いことであったと思います。

 このレースは、「王国」ノルウェー男子チームにとっても、会心のレースだったのです。

 それにしても、2月10日のスピードスケート女子3000mにおける「王国」オランダチームのメダル独占に続いての、クロスカントリースキーにおけるメダル独占です。

 「王国」の底力を感じます。
 これまでも、スピードスケート競技における「王国」オランダの強さは幾たびと無く眼にしてきましたが、平昌オリンピック・スピードスケートの最初の決勝種目でも、再び「メデル独占」を眼前にすることとなりました。

 2月10日、日本チームの佐藤綾乃選手が自己新記録4分4秒35の好タイムを叩き出した後、オランダチームのトップバッター、カレイン・アクテレークテ選手が登場しました。
 その滑りは、凄まじいものでした。

 とても速い入りから、高速を維持します。
 高速リンクでは無く、氷が緩いと言われるカンヌンオーバルですから、それまでの4組の選手達は、周回を重ねるうちにタイムがどんどん落ちて行ったのです。
 一方、アクテレークテ選手はまるでインツェルで滑っているかのようなパフォーマンスを示しました。
 同組の選手を100m以上離していました。

 3分59秒21というタイムも立派なものでしたが、「タイム以上の迫力」が溢れる滑りでしたから、「金メダルではないか」と感じました。

 その後、チームのエースであるイレイン・ブスト選手が、「アクテレークテ選手の滑り」に果敢に挑みましたが、100分の8秒及ばず、高木美帆選手と同走したアントワネット・デヨング選手も0.81秒届きませんでした。
 やはり、アクテレークテ選手の滑りは「オリンピックチャンピオン」のものだったのです。

 世界ランキングが低く、全12組の前半に登場する選手にして、この高い能力。

 「スケート王国」オランダの懐は、とても深いのです。
 2月10日、ジャンプ男子ノーマルヒルの決勝が行われました。

 寒風吹きすさぶジャンプ台で、競技の中断が相次ぎ、スタート位置も何度も変更されるなど、選手にとっては厳しい環境の試合であり、世界一・オリンピックチャンピオンを決める競技会としては、粗末な会場・運営であったと思いますが、そうした中でも、戦前から有力視されていたチームの安定した強さが光りました。

 1本目はポーランド勢が先行しました。
 ステファン・フラ選手がトップに立ち、カミル・ストッフ選手が2番手に付けました。前回ソチ五輪でも大活躍したストッフ選手を先頭に、ポーランド男子ジャンプ陣が力を付けてきていることを示すものでした。
 3番手にはノルウェーのヨハンアンドレ・フォルファン選手が続き、4番手・5番手にはドイツのリヒャルト・フライタク選手、アンドレアス・ウェリンガー選手が並びましたから、現在の世界の3強の強さが際立ったのです。

 2回目は1回目以上に「猫の目のよう」にコンディションが細かく変動しましたから、これらの有力選手にとっても難しいトライが続きました。特にポーランド勢は恵まれなかったという印象です。

 とはいえ、結局は実力通りになるのは、ジャンプ競技の特徴です。小さな番狂わせは有っても、大きな番狂わせはなかなか起こらないのです。

 最終的には、ドイツの22歳ウェリンガー選手が金メダル、ノルウェーの22歳フォルファン選手が銀メダル、同じくノルウェーの27歳ヨハンソン選手が銅メダルとなりました。
 ソチでノーマルヒル・ラージヒルの二冠だったストック選手は4位でした。

 メダリストは共に身長180cm前後の、ジャンパーとしては大柄なプレーヤーです。
 こうした環境で戦い抜くためには、相応のパワーが必要なのかもしれません。

 いずれにしても、世界の男子ジャンプ界は次々と新しい選手が登場し、トップクラスの力量差は極僅かであることが、改めて明示された試合でした。

 日本勢では、小林陵侑選手が7位に食い込みました。素晴らしいと思います。
 1本目で9位に付け、2本目も7位と、オリンピックで「2本そろえる」ことが出来たのは、とても大きな自信となったことでしょう。
 今大会では、実力比較から見て、日本勢は10位台の後半に入れれば健闘と観ていましたので、入賞は大健闘でしょう。

 8回目のオリンピックに挑む、レジェンド・葛西紀明選手は21位でした。悲願の金メダルを目指す葛西選手にとっては不本意な結果であろうと思いますが、「キチンと飛べていた」ことを糧として、ラージヒルでのミラクルを期待します。

 それにしても、葛西選手を始めとして、シモン・アマン選手や、ヤンネ・アホネン選手、グレゴア・シュリーレンファウアー選手、ペテル・プレブツ選手など、「21世紀の男子ジャンプ界」を牽引してきたプレーヤーが多数出場していました。

 懐かしさを感じると共に、世代交代と時代の流れをまざまざと感じさせるゲームでもありました。
 今シーズンのジャンプワールドカップ第1戦ヴォスワ大会(ポーランド)は11月19日に行われ、小林潤志郎選手(26歳)が初優勝しました。

 1本目124mを飛び2位につけた小林(潤)選手は、2本目に126.5mの大ジャンプを魅せて逆転優勝を飾ったのです。
 小林選手は、ワールドカップで初優勝ですが、10位以内に入ったのも初めてという「大躍進」でした。

 この大会の2位はポーランドのカミル・ストッフ選手(2014年ソチオリンピックのノーマルヒル、ラージヒルの二冠)、3位はオーストリアのシュテファン・クラフト選手(2017年世界選手権のノーマルヒル、ラージヒルの二冠)でした。
 小林選手は、現在の世界スキージャンプ界を牽引するジャンパー二人を抑えての、堂々たる優勝だったのです。
 ストッフ選手もクラフト選手も、小林選手の登場には驚いたのではないでしょうか。

 日本男子ジャンプ界において、小林兄弟(小林潤志郎、小林陵侑)といえば知られた存在でしたが、これまで世界の舞台での活躍実績は余りありませんでした。

 兄の小林潤志郎選手も、ワールドカップに2011年から参戦していましたが、総合順位での最高成績は2014~15年シーズンの44位でしたし、個々の大会での最高順位も10位以内は無かったのです。

 その小林潤志郎選手が、今年11月3日の全日本選手権で初優勝し(2位は弟の小林陵侑選手)、一気に日本男子ジャンプ陣のトップクラスに躍り出て、ワールドカップでも初優勝というのですから、シンデレラボーイというか、「小林潤志郎に何があったのか」という感じすらするほどの大躍進、「大ジャンプ」中であることは間違いないところでしょう。
 2017年夏の国際大会での好成績が伝えられてはいましたが、これほどの力量を身に付けていたと考える人は少なかったと思います。

 日本男子ジャンプ陣は、平昌オリンピックに向けて、素晴らしいプレーヤーを得たのです。

 頭書のヴォスワ大会でのジャンプの映像を観ましたが、「とても上手いジャンプ」という印象で、着地前の対応、なかなかスキーが落ちてこないところが見事でした。
 これ程の技術をどこで培ったのか、2016年から17年にかけて小林兄弟に何が起こったのか、等々の疑問への答えは、今後情報として齎されるものと思います。とても楽しみです。
 
 いずれにしても、日本男子スキージャンプ界に「遅咲きのスーパージャンパー」が登場したのです。
 このところ女子陣の活躍に押され気味だった男子陣としては、頼もしい限りでしょう。

 「レジェンド」葛西選手を始めとする日本代表メンバーと力を合わせての団体戦も含めて、オリンピックに向けた男子陣の活躍から、眼が離せません。
 3月31日、フィンランド・ヘルシンキで開催されたフィギュアスケートの世界選手権大会の男子シングル・フリーが行われ、羽生結弦選手が223.20点の世界歴代最高得点を叩き出して、ショートプログラムSP5位からの逆転優勝を飾りました。
 
 鬼気迫る演技でした。

 最初の4回転トゥループの成功を皮切りに、全てのジャンプを成功させ、ステップ、スピンなどの演目も含めて、「全ての演目において出来栄え点がプラス」という、驚くべき演技を完成させたのです。

 フィニッシュを決めた羽生選手の表情は、強いまなざしで前方を見つめ、「世界一は自分だ」と叫んでいるようでした。

 大会の最終グループにおける最初の演技でしたから、続く5名のプレーヤーには、大きな衝撃を与えたことでしょう。強烈なパンチだったのです。
 2番目の演技者であり、先般の四大陸選手権のフリー演技で5度の四回転ジャンプを成功させて羽生選手を破った、ネイサン・チェン選手もこの波を受けたのか、失敗ジャンプが出てしまいました。「6度の四回転ジャンプ」を盛り込んだ意欲的なプログラムでしたが、残念ながら実りませんでした。

 そして、SPで羽生選手に10点以上の差を付けてトップに立っていたハビエル・フェルナンデス選手も本来の演技とは程遠い内容に終わりました。世界選手権3連覇の夢は潰えたのです。

 この羽生選手から投じられた衝撃に、最も良く耐えたのが宇野昌磨選手でした。
 ところどころで小さなミスも有りましたが、全体としては良く我慢した演技でしたので、SPにおいて確保した「羽生選手との6点差」を生かして、大接戦に持ち込むことが出来ると感じられるフリー演技を展開したのです。
 
 「どちらが勝っているのか分からない」と感じ、宇野選手の得点を注目しましたが、僅か2点差で羽生選手が押し切りました。
 常に羽生選手の高得点の源である「演技構成点」の差が、勝負を分けました。
 羽生選手の演技を包み込む「独特の空気感」のベースとなる、高度な演技構成が勝利のベースとなった形です。

 別の見方をすれば、宇野選手がわずかに失敗したジャンプを1本でも完璧なものにしていたら、宇野選手の優勝でしたし、羽生選手が1本でもジャンプをミスしていたら、それが僅かなミスであっても宇野選手が優勝していた訳で、2人の勝負は極めて僅差のものでした。
 「たら」はスポーツの世界では禁句とはいえ、「たら」のレベルを超える?僅差であったと思います。

 平昌オリンピックに向けては、羽生選手はSPでの失敗を回避することが必要でしょうし、宇野選手はフリーの演技構成に磨きをかける必要があるということになります。

 「4回転ジャンプを何回入れるか」が問われることとなった、大きく変貌を続ける男子フィギュアスケートを象徴する大会となった世界選手権2017ですが、今後の世界規模の大会の在り様が良く分かる大会ともなりました。

① 大差の勝負にはなり難いこと

 演目の難易度により与えられた点を着々と積み上げていくしかない採点方法であり、世界トップクラスの選手の全てが失敗する確率は極めて低い(全てのスポーツに共通しています)ことを勘案すれば、大差の優勝は難しいことになります。

② 4回転ジャンプの数と質が勝負を決めること

 羽生選手、宇野選手はもちろんとして、3位となった金博洋選手も、多くの4回転を演目に加え、相応の成功を続けましたから、300点越えの得点を挙げることが出来たのです。

 今後の世界大会でも、4回転ジャンプを何回成功させることが出来たかがポイントとなることは明白でしょう。

 フリー演技の4回転組込数が少ない、フェルナンデス選手にとつては難しい時代となったという気がします。

 以上から、現時点で平昌オリンピック金メダル争いを予想するとすれば、羽生選手、宇野選手、ネイサン・チェン選手、金選手の4人の争いと観ます。
 中でも、4回転を1つの演技に6本入れることが出来るチェン選手が最有力ということになりそうです。
 
 それにしても、世界選手権2017の羽生選手のフリー演技は、本当に素晴らしいものでした。
 観終わった瞬間に、テレビの前で「凄い」と叫び、いつまでも拍手を送りました。
 2年に一度開催され、ノルディックスキーの世界一を決める大会である世界ノルディック選手権2017が幕を閉じました。
 フィンランドのラハティを会場として行われた2017年大会でしたが、距離スキー種目においては、王国ノルウェー選手団の成績が目を引く結果となりました。

 男子チームと女子チームの成績に、大きな差が生じたのです。

 女子チームは「全種目金メダル」を達成しました。
 圧倒的な強さを魅せてくれたのです。

 大エースのマリット・ビョルゲン選手が、10kmクラシカル、15kmスキーアスロン、30kmフリースタイルの3種目を制し、4×5kmリレーでもアンカーとして優勝して、今大会4つの金メダルに輝きました。
 そして、スプリントとチームスプリント種目もノルウェーチームが制して、6種目完全制覇を成し遂げたのです。

 2015年12月に出産を経験し、36歳にして、その復活が注目されたビョルゲン選手ですが、出産前より強くなった印象です。まさに「女王」と呼ぶに相応しい「他を圧する強さ」を示しました。

 来年の平昌オリンピックの女子距離競技も、ノルウェーチームを中心として展開していくことになりそうです。

 一方の男子チームは、4×10kmリレー1種目の優勝に止まりました。
 そのリレー種目も、ロシアチームとの競り合いが続き、ゴールでは5秒弱の差と、ヒヤヒヤ物の勝利でしたが、この唯一の金メダルが無かったら、王国としては「とんでもない大会」になっていたことでしょう。

 男子の各種目においては、ロシアチームの健闘が目立ちました。
 30kmスキーアスロンでウスティゴフ選手が優勝し、チームスプリントも金メダルに輝き、50kmフリースタイルと4×10kmリレー、スプリントの各種目で銀メダル。金2、銀3という成績は、今大会の男子距離においては国別でトップでした。

 また、イタリアチームもスプリントで金メダル、チームスプリントで銀メダルと活躍を魅せました。

 一方で、これまでの強豪国、スウェーデンとフィンランドは、ノルウェーと共に精彩を欠いたのです。

 平昌オリンピックに向かっての男子距離界は「大混戦」と言えるでしょう。
 特に、50kmフリースタイルという「代表チームの底力」を示す種目で、北欧3か国のチームで3位以内に入ったのが、フィンランドのヘィッキネン選手の銅メダルだけというのが、この混戦を如実に表していると感じます。

 2015年大会までの大エース、ペッテル・ノートグ選手が不調であったノルウェー男子チームには「精神的支柱」が欠けていたのか、それとも世代交代が上手くいっていないのか(沢山の若手が出場していましたが)、いずれにしても、「王国」としては由々しい事態になっていることは間違いありません。

 もともと、世界選手権に比べてオリンピックでは本来の力を発揮できていないと指摘されているノルウェー男子チームにとっては、来年までの短い間にチームを立て直さなければならないという、難しい課題が示されたということでしょう。

 一方で、ロシアチームやイタリアチームの活躍は、ノルディックスキー距離種目が決して「北欧3ヶ国だけのもの」ではないことを示しています。
 平昌オリンピックでの大活躍も、大いに期待できるところなのでしょう。
 3月1日に行われた、男子15kmクラシカルで、フィンランドのイーヴォ・ニスカネン選手が優勝しました。
 開催国フィンランドの距離種目での初の金メダルでした。

 ご承知のように、ノルディックスキーの距離種目は、北欧3国、ノルウェー・スウェーデン・フィンランドが本場であり、常に世界の距離スキーを牽引する存在ですが、近年はノルウェー勢の強さが際立っています。

 今大会でも、男女を通じて各種目でノルウェーチームの活躍が目立っています。
 一方で、開催国フィンランドとしても「優勝」が待望されていたのです。

 男子15kmクラシカルでもスンビュ選手を始めとするノルウェーチームの優位が伝えられていました。ワックスワークにおいても、ノルウェーは好調だったのです。

 ニスカネン選手は、しかし、好調なノルウェー勢を相手に素晴らしいレースを展開しました。
 静かに、力み無くスタートしたニスカネン選手は、2km辺りからギアを上げました。
 「スキーが良く伸びる」走りであったと思います。長身を利した大きなストライドでスピードをキープして、5km、10kmと2位以下との差を広げて行きました。

 そしてゴールイン。
 追いかけてくるスンビュ選手に大きな差を付けてのゴールでした。
 2位はスンビュ選手、3位はディールハウグ選手のノルウェー勢が続きました。

 開催国のフィンランドチームににとっては、溜飲を下げる金メダルであったと感じます。
 世界大会の成功に向けては、地元の活躍が不可欠なのです。

 ニスカネン選手は大きな大会に強く、「好調な日のパフォーマンスは世界トップクラス」というタイプでしょう。
 ソチ・オリンピック2014でも、男子チームスプリントで金メダルを母国に齎しています。

 ノルディックスキー距離種目では、今後もノルウェーチームの優位が続くと思いますが、「好調な日のイーヴォ・ニスカネン選手」は、王国ノルウェーにとっても脅威の存在なのでしょう。
 最近は、サッカーの三浦知良選手(50歳)やスキージャンプの葛西紀明選手(44歳)のように、普通の一流アスリート(変な言い方ですが)であれば引退している年齢でも、第一線で活躍するプレーヤーが増えていますが、ノルディックスキー距離競技においても、凄い選手が居るのです。

 それは、ノルウェー女子のマリット・ビョルゲン選手です。

 3月26日で37歳になるビョルゲン選手ですが、2017年の世界ノルディック選手権大会(フィンランド・ラハティ開催)でも大活躍、既にスキーアスロン(複合)と10kmクラシカルで2つの金メダルを獲得し、世界選手権大会における獲得金メダル数の記録・自己の持つ最高記録を16個に伸ばしました。

 女性に対してはあまり使われない尊称「鉄人」と呼ぶに相応しい力を魅せてくれるビョルゲン選手ですが、前回2015年の世界選手権大会(スウェーデン・ファールン開催)においては金メダル2個に止まり、かつては1大会で5個の金メダルを獲得したことも有りましたから、さすがのビョルゲンにも衰えが見えたかと感じていましたので、今回の復活劇というか活躍には本当に驚かされるばかりです。

① フリーもクラシカルも強い

 ビョルゲン選手は、どちらの滑り方においても「抜群の勝負強さ」を魅せます。
 今回の10kmクラシカルでは、全選手中唯一の25分台を叩き出して圧勝していますから、「第一人者」の地位を譲るつもりは全く無いようです。

② それ程大きくはない。

 これは以前から指摘されているところですが、ビョルゲン選手の身長は168㎝とこの種目を戦う世界のトップスキーヤーの中で際立って大きい方ではなく、現在であればどちらかと言えば小柄の部類に入ると感じますが、並み居る大型選手を後目に圧勝してみせるのです。

③ 1児のママ

 2015年12月に息子さんを出産していますが、その強さにはいささかの陰りもありません。ひょっとすると出産を機に強さを増したのかもしれません。

 ビョルゲン選手の滑りからは「筋力の強さ」と「抜群の瞬発力」、そして「極めて冷静な判断力」を感じます。
 日本選手にとっても、決して手が届かないサイズのプレーヤーではありませんから、ビョルゲン選手のプレー振りから学ぶことが沢山あるのではないでしょうか。

 それにしても、既に金2個ですから、今大会いったいいくつの金メダルを獲得するのでしょうか。 
 素晴らしくも、空恐ろしい選手だと思います。
 リレハンメルで開催された、ワールドカップ第2戦でも高梨選手が優勝し、伊藤選手が2位に入りました。
 開幕2戦連続のワンツーフィニッシュです。日本女子ジャンプ陣が今シーズンとても良いスタートを切ったということになります。

 それにしても、スキージャンプ板メーカーが変わってきたという印象を、改めて受ける大会でした。

 かつてスキージャンプ板と言えば、「FISCHER」が「ATOMIC」「KNESSL」という感じでしたが、この大会では「erivox」「sport2000」「slatnar」「Lofiller(oの上に横棒)」といった名前がプリントされたスキー板を履いた選手が、多数見受けられました。

 世界の上位40名を対象として見れば、使用者数で最も多いのが「erivox」と「FISCHER」、続いて「sport2000」、次に「slatnar」、次に「Lofiller」という感じでしょうか。
 上位10名の試技に入るとFISCHERの使用者比率が上がる感じですが、優勝者の高梨沙羅選手はslatnarでしたので、必ずしも有力選手がFISCHERを履いているわけでもありません。

 それぞれのメーカーが、何処の国に存在し、どのような歴史を持っているのかは、ここでは調べません。私が知らなかっただけで、歴史と伝統を有するメーカーも有るかもしれませんし、ATOMICの後継メーカーもあるのかもしれません。
 スキー板メーカーに関する情報も、追々出て来ることでしょうから。

 少し不思議なのは、決して競技者数が多いとは思えないスキージャンプにおいて、新しいと思われる複数のメーカーが参入しているように見えることです。新規参入するには、難しいマーケットの様に感じられるのですが、ひょっとするとスキージャンプ人口が増えているのかもしれません。

 ワールドカップ戦のような世界トップクラスの大会に出るプレーヤーの道具については、各メーカーが全面的なバックアップを行っているケースが多く、その資金負担は相当大きなものだと思います。
 各ジャンパーが、試技終了後、スキー板を直ぐに外して立て、スキー板メーカーの名前をテレビカメラに明示している動きを観ても、全面的バックアップに対する広告行為であることは、明らかです。
 各メーカーは、ここで投じた資金を、一般ユーザー向けのスキー板販売で取り返し、さらに利益を出して行かなければならない訳で、相当数の販売が見込めなければ、この業界に参入できない筈です。

 FISCHERと並んで使用者数が多かったerivoxは、アメリカのサラ・ヘンドリクソン選手も履いていました。膝の怪我から復帰した今シーズンのヘンドリクソン選手ですが、この大会の1本目ではかつてのジャンプを髣髴とさせる素晴らしいプレーを披露していました。
 徐々に調子を戻してくると思われますので、「二人のサラ」と呼ばれた高梨選手にとって、今シーズンそして次のオリンピックに向かって、強力なライバルであることは間違いないでしょう。

 Sport2000はフランス勢が多く履いていたように観えました。モラ選手を始めとするフランス勢も急速に力を付けてきていますので、今後の活躍が楽しみです。

 そして、伝統の黄色い板・FISCHERはオーストリア勢が履いていました。イラシコ・シュトルツ選手やザイフリースベルガ―選手は、この大会でも日本勢に次ぐ上位の成績を収めていました。
 日本勢の当面のライバルとなることは、間違いありません。

 ちなみに、2戦連続2位の伊藤選手もFISCHERでした。

 高梨選手が履いていたslatnarは「白と青」の配色でした。
 今季の高梨選手はこの板で勝負することになるのでしょうか。

 その高梨選手の、第1戦・第2戦のジャンプは、極めて「完成度の高いもの」でした。
 微動だにしないアプローチから、静かで滑らかなサッツ、あっという間に飛行姿勢に入って、そこからは殆ど動かず飛行を続け、テレマーク姿勢で着地・・・。
 1本目は、少し慎重なジャンプで上位を確保し、2本目で本領を発揮するというパターンで、第1戦では270点、第2戦では268点をマークしての圧勝というのですから、「完璧」と言う言葉が当て嵌まりそうです。

 シーズン初めから、こんなに完璧なプレーを披露して良いのかと、素人の心配をしてしまいます。

 更なる高みを目指す高梨選手のこれからの活躍がとても楽しみです。
 久し振りの日本開催となったアルペンスキー・ワールドカップでしたが、NHKテレビ放送の皆川賢太郎氏の解説は、とても解り易いものだったと感じます。

 どんな競技でも、そのプレーを観ながら解説するというのは容易なことではありませんが、アルペンスキーも同様です。

 プレーヤーの体格や筋力の状況、精神的な特徴といったプレーヤーそのものの特性に、雪面の状況や旗門の配置、気象状況といった要因を加味しながらの解説は、極めて難しいものでしょう。

 結果として、ライン取りが膨らんだり、スキーヤーがバランスを崩したりすると、直ぐに「失敗しました」といった解説をしがちです。
 その直後に、良い通過タイムが計時されたりすることが多いのです。

 本ブログではいつも書いていますが、アルペンスキーは走破タイムを競うスポーツですから、全てのプレーが滑るスピードとのバランスの上に検討されるべきものなのです。

 世界トップクラスのスキーヤーが登場する大会なのですから、「(勝敗に関与できるレベルの)望ましいスピードより少し遅い速度で滑っていれば、いつも「綺麗なスラローム」が実現できるのは、当然のことです。
 従って、滑っている姿が綺麗、バランスが良くバタバタした様子が無い、といった滑りでは、勝ち負けを争うタイムを叩き出すことが困難ということなりそうです。

 滑りの過程で、何回か危ないシーンが観られる位のトライでなければ、到底優勝は望めないのでしょう。世界トップクラスのスキーヤーがタイムを縮める為にギリギリの滑りを展開するのが、ワールドカップであると思います。

 例えば、スラロームを観ていて、今時速50kmで滑っているのか、時速51kmで滑っているのかを見極めることは、とても難しいことだと思いますが、時速51kmならメダルを取れるが、時速50kmでは入賞も出来ない、というのがこうした大会でしょうから、大事なのは「速度」であって、フォームやラインでは無いということになります。

 こうした難しい競技の解説では、ピントの外れたコメントも多いのですが、今回の皆川氏の解説は、解り易いものでした。
 いかにも、「世界のトップクラスで戦ってきた」本物のアスリートならではの視点であったと感じます。

① 滑りの「リズム」

 皆川氏は、各選手がスタートした直後の数秒の滑りを観て「良いリズムで滑っています」とか「少し遅れ気味です」といったコメントを披露しました。皆川氏の感性と経験から発せられているコメントなのでしょう。

 この「滑りのリズム」というのが、とても大切であることを示したのです。

 滑り終えての各選手のタイムは、皆川氏の指摘通りになっていることが多かったと感じます。

 個々のスキーヤーにとって、良いリズムなのか悪いリズムなのかが、優勝を争う上でとても重要であるとの解説でした。

② 「スピードを繋げる」こと

 前述のように、ギリギリの滑りを展開している各選手が、ポイントとなる旗門でバランスを崩すことは間々あることなのですが、皆川氏は「スピードを繋げることが出来ているか否か」に注目していました。

 バランスを崩そうが崩すまいが、「スピードを維持できているかどうか」がポイントであると指摘したのです。
 的を得た指摘だと思います。

 スピードを上げる為に、ギリギリの状態で旗門に飛び込んで行くプレーヤーが、そのスピードを継続して行けるかどうかがポイントなのです。

 途中計時のタイムが良いか悪いか、よりも、スピードが維持されているかどうかに注目することは、とても大切な視点だと思います。
 例えば、途中計時が3か所あるとして、その2か所目のタイムが良いとしても、その場所でスピードを失っていれば、3か所目の計時タイムは「一気に悪化する」ことになります。当たり前のことを書き恐縮ですが、肝心なのは2か所目のタイムでは無く、2か所目を滑っている時のスピードなのです。

③ 体の大きさと「溝」

 ワールドカップでは、その時点のシーズン通算成績上位7名が「神セブン」と称され、上位15名が第一シードとなります。
 回転・大回転種目では、1本目でまず「第一シード」の選手達が滑るのです。

 コースというか雪面の状態がとても良い時に、シード選手達はトライすることが出来ることになります。第二シード以下の選手達は16番目以降のトライになるのです。雪面に相当の「溝」が出来た状態での滑りになるわけです。

 そして2本目は、1本目の成績上位30名のスキーヤー達が、30番目の選手から1番目の選手の順に滑ります。
 つまり、優勝を争う選手達は「後から」滑るのです。結果として、1本目トップ10の選手が滑る頃には、コースには前の選手達が残した「溝」が深く・多く残っていることになります。

 皆川氏は「大きな選手の方が溝に合わせて滑ることについては有利」であるとコメントしました。今大会には身長2mを超える選手も出場していましたが、身長の高い選手の方が、一般的には脚が長く、下半身の可動域が大きいので、溝に脚を合わせ易いということなのでしょう。
 だから有利なのかどうかはともかくとして、「溝」への対応については、体格差が影響することを示したのです。

 こうした解説も、とても大切だと感じました。

 アルペンスキーの魅力をテレビの視聴者に伝えていくために、解説はとても大切な仕事になります。
 私の様な素人には分からない視点からの解説が、より深く楽しむために必要なものなのだと改めて感じさせる、皆川氏の素晴らしい解説でした。
 
 2月10日、ノルウェーのトロンハイムで行われた、2015~16年シーズンのスキージャンプ・ワールドカップ・男子個人第16戦で葛西紀明選手が3位に入り、自身の持つ「最年長表彰台記録」を再び更新し、43歳8か月としました。

 1回目127mで10位と出遅れた葛西選手でしたが、2回目に143mの大ジャンプを披露して順位を上げたのです。
 飛距離143mは、この大会のみならず「ワールドカップ大会史上の最長飛距離記録」ですし、ヒルサイズHS140mのジャンプ台で143mを飛んだのですから、さすがに綺麗なテレマーク姿勢は取れませんでしたが、葛西選手らしい豪快な飛行でした。

 1月31日の第15戦、日本の大倉山シャンツェでの大会でも3位入賞を果たしていますから、このところ好調を維持しているということでしょう。

 そして2月12日の第17戦フライングヒルの大会でも3位に入賞しました。

 ところで、第16戦で優勝したのは、スロベニアのぺテル・プレブツ選手(23歳)でした。
 今季のプレブツ選手は「圧倒的な力」を魅せていて、これで9勝目。女子の高梨沙羅選手と共に、シーズン総合優勝は間違いないと見られています。

 それにしても、43歳の葛西選手と23歳のプレブツ選手、年齢差20歳のジャンパー同士が世界一を競っているというのですから、凄いことです。

 「レジェンドはどんどん厚みを増している」のです。
 前日の大回転種目に続いて、2月14日湯沢苗場スキー場を舞台に開催された男子回転の第8戦も、見所満載でした。

 スタート地点の気温は6℃、ゴール地点が8℃と、前日に続いて暖かい気象条件が続きました。加えて、スタート直前と2本目の途中からは降雨にも見舞われましたから、とても難しいコンディションであったと思います。

 オーストリアのヒルシャー選手が1本目のスタート直後にコースアウトしたのを始めとして、多くの選手が滑り切ることが出来なかったのも、ハードなコンディションの影響でしょうか。

[1本目]

 最初に滑ったドファー選手(ドイツ)の滑りは、とても滑らかで、上半身の無駄な動きが無く、下半身の左右への軽快な動きから最後までスピードが落ちませんでしたから、相当良い順位であろうと感じましたが、結局、最後までトップを譲りませんでした。
 ドファー選手は、前日の大回転に続いて、2戦連続の「1回目トップ」でした。

 続く選手の中では、スウェーデン勢が安定した滑りを展開して、2・3位を占めました。この種目で今季優勝を重ねているクリストファーセン選手は8位と、まずまずの成績でしたけれども、本人が思ったよりはタイムが出なかったという印象でした。

[2本目]
 
 1本目開始時には晴れ間がのぞきましたが、途中から曇天となり、2本目には雨と共に、コース上部地域には霧も出ました。刻一刻と変わるコンディションの中での競技となったのです。

 2本目前半はオーストリアチームの好調な滑りが際立ちました。
 マット選手、フェラー選手が1・2位という中でシュワルツ選手がトップに立ち、ディグルーバー選手も続いて、一時は1~3位を独占しました。
 エース・ヒルシャー選手を欠くオーストリアチームの2本目でしたが、次世代を支える若手選手が頑張ったのです。

 この状況のまま、レースはトップ10のトライに突入しました。そして、1本目8位のクリストファーセン選手も4位に留まりましたから、このままオーストリア勢の独占が続くかと思われました。

 しかし、さすがにワールドカップはそう簡単に問屋は卸さないのです。

 世界トップクラスの選手が集う大会では、当然ながら選手層が極めて厚く、極僅差の戦いが続くのです。全てのスポーツに共通したことでもあります。

 1本目5位のノイロイター選手(ドイツ)がスタート。見事なスラロームを展開しました。多くの選手が失敗した2か所の難しい旗門も綺麗にクリアして、トップタイムでゴール。
 過去ワールドカップ10勝という実績を誇るノイロイター選手ですが、近時は好成績を挙げることが出来ませんでしたので、久し振りの満足できる滑りと言うことになります。

 続いてスウェーデンのミューラール選手が2位に食い込む滑りを魅せました。
 3位には、オーストリアのシュワルツ選手が粘りました。

 最終滑走者となった、1本目トップのドファー選手も意欲的な滑りを展開しましたが、1本目に比べて上半身がバタバタしてしまい、ゴール前の緩斜面でスピードが落ちて4位に留まりました。

 逆転を狙って意欲的に突っ込む選手、落ち着いて入り難しい旗門をクリアした後のスピードアップに賭ける選手、1本目の貯金の使い方も含めて、トップ10の選手達の様々な戦略構築と情報収集・挑戦が、とても印象的な大会でした。

 やはり、FISアルペンスキー・ワールドカップは、とても面白いのです。
 「本物のアルペンスキー」を、眼前で日本のプレーヤーに観て感じてもらうために、高速系種目も含めて、これからも日本で開催していただきたいと思います。

 今季回転種目の第8戦は、父親がクリスチャン・ノイロイター、母親がロジ・ミッターマイヤーという、世界的なスキーヤーであった両親を持つ生粋のスラローマー、フェリックス・ノイロイター選手の復活の舞台となりました。

 今後のノイロイター選手の活躍が注目されるところです。
 まず、10年振りの日本開催という事実に驚きました。

 世界最高峰のアルペンスキーの大会が、10年間も日本で開催されていなかったのです。冬のオリンピックを2度開催し、世界有数のウインタースポーツ国である我が国で、長期間に渡ってワールドカップが開催されていなかったというのは、とても不思議なことだと思います。

 世界のトップスラローマ―が、苗場の雪と戦う姿は、やはり素晴らしいものでした。

① 全体としてスピードが出ていない。

 世界トップクラスの選手達が揃った大会でしたが、「スキーが滑っていない」という印象でした。エッジングの都度、重そうな雪が飛び散ります。

 スタート地点・標高1375mの気温が4℃、ゴール地点・標高925mが8℃と、気温が高い気象状況でしたので、水を多く含んだ雪面となり、3月頃のスキー場で良く見られる「ザラメ雪」状の雪面でした。。
 難しいコンディションと言って良いと思います。

 こうした雪面では、エッジングに大きな力が必要になりますから、1本目・2本目とも、ゴールした選手達には相当の疲労が感じられました。

 久し振りの日本開催大会は、選手達に忘れていた「日本の雪」を思い出させてくれたことでしょう。

② 各国チームの戦い

 勝負を決める2本目、まずイタリアチームが先行しました。一時期は1~3位を占めたのです。イタリアチームの選手達の調子が良いことは勿論として、「ワックスが合っている」印象でした。

 そこに、スイスチームが割り込みました。
 イタリアチームの上位独占を崩したのです。
 上位には、イタリアとスイスのスキーヤーの名前がずらりと並んびました。

 そして、トップ10のトライが始まり、フランスチームが素晴らしいパフォーマンスを示しました。「重いザラメ雪」を相手に、滑らかなスラロームを披露してくれたのです。

 優勝はフランスのパンチェロー選手、2位もフランスのフェーブル選手、3位にはイタリアのブラルドネ選手が入りました。

③ オーストリアチームの不振

 現在、世界のアルペン界をリードしているオーストリアチームは、このレースでは力を発揮できませんでした。ワールドカップ総合5連覇を狙うヒルシャー選手も6位に終りました。

 オーストリアチームのどの選手も、後半の緩斜面でスピードが出なかった感じがします。

 おそらく、ワックスの面でフランスチームやイタリアチームと差が出たのでしょう。
 世界最高のワックスマンが揃うオーストリアチームをもってしても、今回の苗場の雪面は難しいものだったということになります。

 今から40年以上前、1973年にアルペンスキー・ワールドカップ大会が日本にやってきました。会場は今回と同じ苗場スキー場でした。
 ワクワクしながらテレビに噛り付きました。

 ステンマルク選手を始めとする、本当に素晴らしい選手達の滑りに、心が躍ったものです。
 そして、日本には「空前のスキーブーム」がやってきたのです。

 1980年代のスキー場は、どこもかしこも超満員でした。リフト待ちの列が長々と続いたものです。
 バレンタインデイをスキー場で祝った若者が、とても多かったことでしょう。

 しかし、様々な理由が考えられますが、21世紀に入って日本のスキー人気は下火になりました。
 スキー場には、スノーボーダーの姿が目立つようになったのです。

 こうした、日本におけるスキー人気の低迷が、FISワールドカップ開催の障害となってきたとすれば、とても残念なことです。
 
 今回の、久し振りのワールドカップ日本開催が、我が国のアルペンスキー人気復活の起爆剤となってくれれば、嬉しいことなのですが。
 スキージャンプ女子のワールドカップ第7戦が蔵王で行われ、高梨沙羅選手が1回目94.5m、2回目には最長不倒の100mのジャンプを魅せて優勝しました。
 これで高梨選手は今季ワールドカップ5連勝、通算7戦6勝(2位1回)としました。

 このところの高梨選手のプレー振りを観ると、その飛越は極めて安定していて、風や天候の状態に拘わらず圧倒的な強さを見せています。

 特に、下半身の動きがとてもスムーズだと感じます。

 サッツのスピードと強さは相変わらずですが、その角度を含めた安定感が増しています。
 空中飛形では、踵から脚にかけての形がとても良く、スキー板を前に前に運んでいるように観えます。

 若き天才ジャンパーとして14歳で世界デビューした高梨選手も19歳になりました。

 世界トップジャンパーとしての高梨沙羅選手の活躍は、これからも続くことでしょう。
 「白い恋人たち」といっても、北海道の有名なお土産ではありません。

 1968年グルノーブル・オリンピック記録映画の主題曲です。

 この大会の記録映画は好評を博し、「白い恋人たち」はヒット曲となりました。あの素晴らしい音楽を背景に、「大会の旗を折りたたむ関係者の姿が映し出されるシーン」は今でも思い出されます。
 「オリンピック公式記録映画」という、どうしても堅苦しくなりがちな映画を、ここまで「お洒落なもの」にしてしまうという、フランスという国の文化・感性に感心した記憶があります。

 さて、このグルノーブルで開催された冬季オリンピックで、地元フランスの期待を一身に背負って「三冠」を成し遂げたのが、ジャン・クロード・キリー選手でした。

 1943年生まれのキリー選手はこの時24歳。
 当時は、「アルペン王国の覇権」はオーストリアとフランスが争っていました。そして、1956年のコルチナダンペッツォ大会でオーストリアのトニー・ザイラー選手が「三冠」を達成し、この大会でフランスのキリー選手が「三冠」となったのです。

 アルペン大国、オーストリアとフランスを象徴する2選手であったと思います。

 キリー選手の「三冠」は、しかし、3種目の「回転」でひと騒動有りました。
 種目が終わった直後には、オーストリアのカール・シュランツ選手の優勝が報じられたからです。シュランツ選手はこの頃のオーストリアチームのエースであり、キリー選手と世界のトップを争っていたスキーヤーでした。

 そのシュランツ選手が大喜びで手を挙げ、向かって左側に居たキリー選手が残念そうな様子で写っている写真が、翌日の新聞各紙を飾っていました。

 この写真が撮られた後、シュランツ選手の「旗門不通過」が宣せられて失格となり、2位に居たキリー選手の優勝→三冠が決まったのです。

 この旗門不通過裁定は二転三転していたと思います。
 旗門不通過の指摘がなされた後、旗門不通過はコースを係員が横切ったためというシュワンツ選手側の主張があり、再レースを実施してシュランツ選手が再び最高タイムを記録した後、最初の滑走においてシュランツ選手が旗門不通過したのは、係員が横切った地点より手前の旗門であったとの指摘がなされて、再び失格となったと記憶していますが、いずれにしても、少し後味の悪い形でした。キリー選手の地元、フランスにおける大会であったことも影響したのでは、との評もありました。

 とはいえ、記録上は間違いなく「キリー選手の三冠」となったのです。

 世界アルペン史上、僅かに2人しか居ない栄誉はキリー選手の上に輝きました。

 グルノーブル・オリンピックの年1968年に現役を引退したキリー選手は、この後タレントとして活躍し、映画にも出演し、現役時代のシーズンオフにトライしていたカーレースにも挑戦しました。あのル・マン24時間耐久レースにも参加しています。
 トニー・ザイラー選手同様に、キリー選手も二枚目だったのです。

 その後1977年に国際スキー連盟(FIS)の委員となったキリーは、フランス・アルベールビルのオリンピック開催に尽力し、1992年アルベールビル・オリンピックの開催を実現しました。
 1987年にアルベールビル・オリンピック組織委員長に就任するなど、「スポーツ官僚」としての活躍を続けました。
1995年にはIOC(国際オリンピック委員会)の委員に就任し、1998年長野オリンピックの調整委員、2006年トリノ・オリンピック組織委員長などを歴任しました。

 そして、ジャン・クロード・キリーが「スポーツ官僚」を辞めたのは、2014年ソチ・オリンピック閉幕後でした。
 つい最近まで、キリーは冬季オリンピックと共に在ったのです。

 「トニー・ザイラーとジャン・クロード・キリー」、時代を代表する2人の偉大な「三冠スキーヤー」であったと思います。

 2015年のノルディックスキー世界選手権大会の男女の最終種目である女子30kmクラシカルと男子50kmクラシカルは、それぞれ2月28日・3月1日に行われました。

 30kmは女子種目最長距離、50kmは男子種目最長距離の種目であり、ノルディックスキーの世界大会で昔から行われている「歴史と伝統」を誇る種目でもあります。また、今大会は「クラシカル走法」の番ですが、30km・50kmといえばやはりクラシカル走法がマッチしているように感じます。

 真っ白な林間コースを黙々と滑って行くシーンは、「まさにノルディックスキー」という雰囲気で、今後も世界大会を代表する種目として継続実施されていくものと思います。

 昔は「30秒間隔でひとりずつスタートする」といった形で行われることが多かったのですが、最近はマススタート方式(一斉スタート方式)が普通になりました。レースのドラマ性を高める、観客にとって分かり易い、といった目的を持って行われているマススタートかと思いますが、この変更はレース展開にも大きな影響を与えました。

 さて、今大会の女子30kmと男子50.kmは、そのレース展開・内容が対照的なものとなりました。

 まず、女子30kmクラシカル。
 有力選手が先頭集団を形成する形でレースは進みました。そして6.2km付近でノルウェーのテレーセ・ヨハウグ選手が飛び出しました。

 24km近くの距離を残してのスパートですから、他の有力選手達は自重して付いて行くことはせず、第2集団を形成しました。まさか、ここからゴールまでヨハウグ選手が突っ走るとは考えなかったのでしょうし、「1回目の揺さ振り」というくらいに捉えていたのかもしれません。

 ヨハウグ選手は淡々と、しかし着実にスピードを上げて、後続との差を広げ続けました。

 これ以上差を付けられては追い付けないと判断したビョルンゲン選手が、第2集団から抜け出し追走を始めましたが、ヨハウグ選手との差はなかなか縮まりません。

 25kmを過ぎた所では、ヨハウグ選手→ビョルンゲン選手の差が1分、ビョルンゲン選手→第3位集団の差が1分といった展開となりました。

 ビョルンゲン選手は懸命に追い上げます。3位集団も懸命に追い上げます。

 しかし、ヨハウグ選手の滑りは衰えることなくゴールイン。52.3秒差でビョルンゲン選手が2位、3位にはスウェーデンのカラー選手が入りました。

 好調さを背景にしたヨハウグ選手の大逃げが見事に功を奏したレースでした。途中から徐々に差を広げて押し切るというレース展開は、長距離競走ならではのものでしょう。伝統的な作戦でもあり、私は大好きです。

 かつての「30秒間隔スタート」のレースでは、選手は自分の途中順位が分かり難かったので、長距離競走は「自分との戦い」という様相でした。もちろん、レースですから他の選手との競り合いを展開しているのですけれども、先攻しているのか遅れているのかも分かり難い(コース途中で時々コーチから聞くしかない)ので、選手は自分が立てた作戦に則りペースを守り、黙々と滑り続けたのです。

 今回のヨハウグ選手の滑りは、こうしたかつてのレースを髣髴とさせるものでした。続く選手達に1分以上の差を付けてしまえば、アップダウンが多い林間コースでは他の選手達は見えません。まさに「自分一人で滑っている」形なのです。ペースが速いのか遅いのかも、自分で判断しなければなりません。

 こうした状況下、自分のエネルギーを余すことなく30kmを滑り切らなくてはならないのです。高度な技術と、豊富な経験、そして何といっても実力が無くては出来ないことでしょう。

 26歳のテレーセ・ヨハウグ選手は、チームの大黒柱34歳のマリット・ビョルンゲン選手を破りました。過去10年以上に渡って世界の女子ノルディックスキー界を牽引してきたビョルンゲン選手の後継者に名乗りを上げたと言っても良いでしょう。

 ひょっとすると、このレースは「新旧女王交替のレース」であったのかもしれません。

 続いては男子50kmクラシカル。
 こちらは「The マススタート・レース」と呼んでよい展開のレースでした。

 優勝したペッテル・ノートグ選手(ノルウェー)は50kmのレースを500mのレースに組み替えて、勝利を捥ぎ取りました。

 15kmを過ぎた辺りから、先頭集団は20名位に絞り込まれました。次々と先頭が入れ替わる展開の中で、ノートグ選手は常に集団の後方に位置し、13~14位の位置をキープし続けました。先頭とのタイム差は9~10秒であり、平均的な先頭との差は50~100mでした。先頭集団に居るとはいえ、相当の差が有ったのです。

 ラストスパートで勝負することが多いノートグ選手としては「いつもの形」であろうとは思いましたが、ポジションがいつもより後寄りであったことと、中々前に進出していけないこと、そして雪質が極めて柔らかく滑り難い=ぐしゃぐしゃ=スピードアップが難しい、状態でしたから、さすがのノートグ選手でもこのレースは難しいかなと思いました。

 レースも45kmを過ぎて終盤に入りましたが、ノートグ選手のポジションは変わりませんでした。ここまでに先頭集団から数人が振るい落とされましたので、ノートグ選手は先頭集団の最後方になりました。時々、前の選手から離されかけますので、やっと付いて行っている感じも漂いました。

 残り1kmになって、ようやくノートグ選手は前進を始めました。しかし、なかなか差が縮まりません。とはいえ、登り斜面を滑るノートグ選手の動きにはキレが有りました。

 残り500m。先頭との差は7秒まで縮まりました。
 ゴールまで残りの登りは1か所。ここでノートグ選手は猛然と前進します。一気に前方の選手数人を抜き去り、下り斜面にかかるところでは4位まで上がりました。

 とはいえ先頭争いをしているバウアー選手(チェコ)やオルソン選手(スウェーデン)との差はまだまだ大きかったので、「追込みは不発か」と思われました。

 下り斜面で加速したノートグ選手は、ゴール前の直線走路に3位で入りました。そして競り合う2人の選手の間、スキー走路が掘っていない場所で懸命にストックを使います。一掻き毎に差を縮め、残り100m地点で並び、抜き去りました。

 凄まじいラストスパートでした。

 優勝したノートグ選手と2位のバウアー選手との差は1.7秒、3位のオルソン選手とは2.0秒、6位のコログナ選手(スイス)までが10秒以内という激戦でした。

 ペッテル・ノートグ選手はこの優勝で、今大会4個目の金メダル、世界選手権大会通算13個目の金メダル獲得となりました。この驚異的な記録は、これからも積み上がって行くことでしょう。

 このレースはノートグ選手のレース戦略とラストスパート力が如何なく発揮されたレースでしたが、「まさにマススタート・レースそのもの」という感じで、かつての50kmとは全く異なる様相でした。

 1972年の札幌オリンピックで優勝したポール・ティルダム選手(ノルウェー)が、西岡の林の中を鼻水を凍らせながら黙々と滑っていた光景が思い出されます。かつての男子50kmは「自分との戦い」であり「孤独なレース」だったのです。

 現在の50kmは「他選手との駆け引き」であり「競り合いそのもの」となっています。

 もちろん、どちらの展開であっても、世界一になることの難しさには何の違いも無いことでしょう。

 スウェーデンのファレンを会場に行われた、2015年ノルディックスキー世界選手権大会の最終種目、歴史と伝統の30km・50kmは、ともにノルウェーの選手が金メダルを獲得しました。

 ノルディック王国ノルウェーの強さは、これからも続くことでしょう。
 ひとつの冬季オリンピック・アルペンスキー競技で「滑降」「大回転」「回転」の3種目で金メダル=当時参加可能な全ての種目で金メダル、を獲得したプレーヤーは、史上2人しか居ません。

 1956年のコルチナダンペッツォ大会(イタリア)で三冠王となったトニー・ザイラー選手(オーストリア)と1968年のグルノーブル大会(フランス)で三冠王となったジャン・クロード・キリー選手です。
 少し不思議なことに、女子で三冠を達成した選手は居ません。

 2人の時代には、アルペンスキー競技には「滑降」「大回転」「回転」の3種目しかありませんでしたから(現在の「スーパー大回転」「アルペン複合」といった種目は1988年のカルガリー大会から登場)、トニー・ザイラーとジャン・クロード・キリーは全ての種目を制したことになります。

 今風に言えば、高速系種目である滑降と技術系種目である大回転・回転を制覇したのですから、2人のスキーヤーの地力は他を圧していたということになります。

 今回は、1956年大会の三冠王、トニー・ザイラー選手について書いてみたいと思います。

 ザイラー選手は1935年にオーストリアのチロル州で生まれました。「雪国生まれ」(そういう言葉がオーストリアや欧州に存在するのか分かりませんが)でしたから、当然の様に幼少期からスキーに親しんでいたのでしょう。1952年、ザイラー16歳の時にスキーの国際大会にデビューしています。

 もともとアルペンスキー大国であるオーストリアですから、アルペンスキーのレベルは高い、というか世界最高水準であったと思われますので、そうした環境下16歳で国の代表としてデビューしているのですから、才能の大きさが感じられます。

 練習中の骨折で1952年~53年シーズンを棒に振ったザイラー選手が、その実力を如何無く発揮して見せたのが1956年(昭和31年)のコルチナダンペッツォ・オリンピックでした。「滑降」「大回転」「回転」の3種目全てにおいて金メダルを獲得したのです。20歳のシーズンでした。

 冬季オリンピック史上初の快挙であり、前年の世界選手権大会に続いて2シーズン連続の「三冠達成」でもありました。この頃のザイラー選手の力は、一頭抜きん出ていたのです。

 尚、この大会の回転種目は「極めて霧が深いコース」で実施されたと伝えられていますが、この難しいコンディションの中でザイラー選手に次ぐ銀メダルを獲得したのが、日本の猪谷千春選手でした。日本人初の冬季オリンピックメダリストが誕生した大会でもあったのです。

 世界アルペン史上初の快挙を成し遂げたトニー・ザイラー選手でしたが、とても「二枚目」でもありました。「天は二物を与えず」という言葉が有りますが、実際には、二物を与えられたプレーヤーは沢山居るように感じます。トニー・ザイラーもその一人だったのです。

 世界初の人物であり二枚目で社交性も十分となれば、銀幕(現在ならテレビかインターネット)が放って置く筈が無く、トニー・ザイラーはオリンピックの翌年1957年に映画に出演しました。
 そして「アマチュア資格問題」に発展してしまい、1958年のシーズンが終了し時トニー・ザイラーは引退したのです。まだ22歳の若さでした。

 引退後のトニー・ザイラーは俳優業と歌手業に注力しました。日本の映画にも数多く出演しています。1966年の「アルプスの若大将」では加山雄三(スキーで国体出場経験あり)との共演も実現しました。

 一方でアルペンスキーの指導者としても活躍し、1972年~1976年にかけてオーストリア・ナショナルチームの監督を務め、もともと強かったオーストリアチームを、他の追随を許さない「アルペン王国」に高めたと言われています。
 また、国際オリンピック委員会(IOC)を始めとするスポーツ国際機関における発言力は極めて高かったと伝えられています。高度な技術論と厚い人望を備える人物だったのでしょう。

 若干22歳で現役引退に追い込まれながら、その後の世界のアルペンスキー界に大きな足跡を残してきたトニー・ザイラー。
 もし22歳以降10年間前後の現役生活が続いていたとしたら、どれ程の記録を残したのでしょうか。
 2月27日に行われた男子40kmリレー(10km×4人)は、ノルウェーチームがスウェーデンチームとの競り合いを制して優勝しました。

 このレースにおけるノルウェーのアンカー・第4走者のペッテル・ノートグ選手の滑り・戦法は、とても興味深いものでした。

1. 意識的に3番手の位置を取ったこと

 ノルウェーチームは第3走までの選手が頑張りを見せて、アンカーのノートグ選手とのタッチの時点では、2位チームに10秒近い差を付けていました。

 ところがノートグ選手は、タッチを受けた直後から「スピードを落として」、2位・3位のスウェーデン・フランスに抜かれました。「抜かせました」と表現する方が正しいのでしょう。
 ライバルチームを前に置いて、レースを進める形を選択したのです。

 現在の男子距離スキー界において、世界最強のプレーヤーとも呼ばれる選手が、意識的に後ろの選手に抜かれたのです。

 相応の差を付けてトップ出来たポジションをそのまま維持するような滑りを実行することも、ノートグ選手の実力をもってすれば十分に出来たと思われるのですが、競り合っている相手がソチ・オリンピック2014のこの種目の金メダル・銀メダルのチーム、つまり相当に強い相手でしたので、「勝利の可能性がより高い戦法」を選択したのでしょう。
 
 先頭で逃げるより、2番手・3番手で追いかける方が「体力を温存」することが出来、ゴール前の競り合いでのスピードを確保できるとの判断であったのだと思います。

 第3走までに、ノルウェーがスウェーデン・フランスの前に居ようが後ろに居ようが、大差でトップ出来た場合を除いて、こういう形で走るとレース前から決めていたのかもしれません。
 
2. 下りで離される滑り方

 このレースでのノートグ選手は、残り1km以前は常に、下り斜面になると前の選手から10m位離されました。(下りにかかった時に自然に開く差以上の差が付いていたと思います)
 
 当然ながら、下り斜面はスキーが滑りますのでスピードが出ます。ストックで漕ぐことで加速することが出来るわけですが、登り斜面から下り斜面に切り替わる瞬間に、ノートグ選手は「強く漕ぐ動き」を取りませんでした。相手チームの選手は、強く漕ぎましたので差を広げられていたのです。

 下り斜面になる都度、ノートグ選手は大きく離されます。

 これは「前に居る選手との衝突」を避けていたのであろうと思います。スピードが出ている状態で前の選手とぶつかれば、転倒、あるいは「スキー板が折れる」リスクが有ります。

 ノートグ選手は、スキー板が折れて滑れなくなってしまい、代わりのスキー板が到着するまでの間に大差を付けられてしまうことを、回避していたのだと思います。

 ゴール前の競り合いに持ち込むまでに、大差を付けられてしまうリスクを最小限に抑える、細心のレースを展開していたのでしょう。

3. 登り斜面で追いつく滑り方

 前述の通り、下り斜面で10m位の差を付けられるのですが、登り斜面にかかると一気に追い上げ、前の選手の直後に位置するのです。

 残り1kmまでのノートグ選手は、「下り斜面で離され、登り斜面で追いつく」という動きを、根気強く続けていました。

 全てはゴール前の競り合いに持ち込むための努力であったと思います。

4. ゴール前の直線走路手前のコーナーで前に出たこと

 さて、ゴールまで1kmを切りました。ここからは項目2・3の滑りは止めて、スウェーデン・フランスの選手との競り合いに移りました。

 実力差も有り、残り500mからは予想通りノルウェーとスウェーデンの争いとなりました。スウェーデンチームのアンカーも強豪選手ですから、ノートグ選手といえども、ゴール前のスプリント競争で必ず勝てるという保証はありません。

 より勝利の確率を高めるためには、「ゴール前200mの直線走路に先頭で入る方が有利」との考え方から、ノートグ選手は直線走路に入る直前の右回りコーナーで勝負を賭けました。
 一気にスウェーデンのアンカーを抜き去ったのです。

 最後の直線走路では、相手選手も素晴らしいスピードを見せました。地元開催の大会でもあり、大歓声が後押しします。
 
 ノートグ選手も「世界一」と評されるスプリントを繰り出しますが、その差は広がりも縮まりもしませんでした。「互角のスプリント合戦」が展開されたのです。

 ゴールした時の1位と2位の差は、直線走路に入った時の差と同じでした。つまり、「直線走路にトップで入ったチーム」が優勝したのです。

 ゴール前のスプリントに絶対の自信を持ち、世界中から最速のスプリントと評価されているノートグ選手が、1~9kmの間「体力を温存」していたにも拘わらず、ゴール前のスプリントで引き離すことが出来なかったという事実は、「直線手前のコーナーで勝負するという判断の正しさ」を証明しています。
 
 このレースにおけるペッテル・ノートグ選手の10kmの滑りは、まさに「勝利のために最善を尽くした滑り」でした。

 現在世界最強の男子距離スキーヤーと言われるノートグ選手が、全力を尽くし細心の注意を払い、「勝つために出来る全てのことを実行」したのです。

 それでも2位との差は2~3mでした。世界一を争う大会で優勝することの難しさを改めて感じると共に、ペッテル・ノートグというプレーヤーが世界一と呼ばれる理由を魅せていただいた気がします。
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カエサルjr

Author:カエサルjr
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