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 3月31日、フィンランド・ヘルシンキで開催されたフィギュアスケートの世界選手権大会の男子シングル・フリーが行われ、羽生結弦選手が223.20点の世界歴代最高得点を叩き出して、ショートプログラムSP5位からの逆転優勝を飾りました。
 
 鬼気迫る演技でした。

 最初の4回転トゥループの成功を皮切りに、全てのジャンプを成功させ、ステップ、スピンなどの演目も含めて、「全ての演目において出来栄え点がプラス」という、驚くべき演技を完成させたのです。

 フィニッシュを決めた羽生選手の表情は、強いまなざしで前方を見つめ、「世界一は自分だ」と叫んでいるようでした。

 大会の最終グループにおける最初の演技でしたから、続く5名のプレーヤーには、大きな衝撃を与えたことでしょう。強烈なパンチだったのです。
 2番目の演技者であり、先般の四大陸選手権のフリー演技で5度の四回転ジャンプを成功させて羽生選手を破った、ネイサン・チェン選手もこの波を受けたのか、失敗ジャンプが出てしまいました。「6度の四回転ジャンプ」を盛り込んだ意欲的なプログラムでしたが、残念ながら実りませんでした。

 そして、SPで羽生選手に10点以上の差を付けてトップに立っていたハビエル・フェルナンデス選手も本来の演技とは程遠い内容に終わりました。世界選手権3連覇の夢は潰えたのです。

 この羽生選手から投じられた衝撃に、最も良く耐えたのが宇野昌磨選手でした。
 ところどころで小さなミスも有りましたが、全体としては良く我慢した演技でしたので、SPにおいて確保した「羽生選手との6点差」を生かして、大接戦に持ち込むことが出来ると感じられるフリー演技を展開したのです。
 
 「どちらが勝っているのか分からない」と感じ、宇野選手の得点を注目しましたが、僅か2点差で羽生選手が押し切りました。
 常に羽生選手の高得点の源である「演技構成点」の差が、勝負を分けました。
 羽生選手の演技を包み込む「独特の空気感」のベースとなる、高度な演技構成が勝利のベースとなった形です。

 別の見方をすれば、宇野選手がわずかに失敗したジャンプを1本でも完璧なものにしていたら、宇野選手の優勝でしたし、羽生選手が1本でもジャンプをミスしていたら、それが僅かなミスであっても宇野選手が優勝していた訳で、2人の勝負は極めて僅差のものでした。
 「たら」はスポーツの世界では禁句とはいえ、「たら」のレベルを超える?僅差であったと思います。

 平昌オリンピックに向けては、羽生選手はSPでの失敗を回避することが必要でしょうし、宇野選手はフリーの演技構成に磨きをかける必要があるということになります。

 「4回転ジャンプを何回入れるか」が問われることとなった、大きく変貌を続ける男子フィギュアスケートを象徴する大会となった世界選手権2017ですが、今後の世界規模の大会の在り様が良く分かる大会ともなりました。

① 大差の勝負にはなり難いこと

 演目の難易度により与えられた点を着々と積み上げていくしかない採点方法であり、世界トップクラスの選手の全てが失敗する確率は極めて低い(全てのスポーツに共通しています)ことを勘案すれば、大差の優勝は難しいことになります。

② 4回転ジャンプの数と質が勝負を決めること

 羽生選手、宇野選手はもちろんとして、3位となった金博洋選手も、多くの4回転を演目に加え、相応の成功を続けましたから、300点越えの得点を挙げることが出来たのです。

 今後の世界大会でも、4回転ジャンプを何回成功させることが出来たかがポイントとなることは明白でしょう。

 フリー演技の4回転組込数が少ない、フェルナンデス選手にとつては難しい時代となったという気がします。

 以上から、現時点で平昌オリンピック金メダル争いを予想するとすれば、羽生選手、宇野選手、ネイサン・チェン選手、金選手の4人の争いと観ます。
 中でも、4回転を1つの演技に6本入れることが出来るチェン選手が最有力ということになりそうです。
 
 それにしても、世界選手権2017の羽生選手のフリー演技は、本当に素晴らしいものでした。
 観終わった瞬間に、テレビの前で「凄い」と叫び、いつまでも拍手を送りました。
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 2年に一度開催され、ノルディックスキーの世界一を決める大会である世界ノルディック選手権2017が幕を閉じました。
 フィンランドのラハティを会場として行われた2017年大会でしたが、距離スキー種目においては、王国ノルウェー選手団の成績が目を引く結果となりました。

 男子チームと女子チームの成績に、大きな差が生じたのです。

 女子チームは「全種目金メダル」を達成しました。
 圧倒的な強さを魅せてくれたのです。

 大エースのマリット・ビョルゲン選手が、10kmクラシカル、15kmスキーアスロン、30kmフリースタイルの3種目を制し、4×5kmリレーでもアンカーとして優勝して、今大会4つの金メダルに輝きました。
 そして、スプリントとチームスプリント種目もノルウェーチームが制して、6種目完全制覇を成し遂げたのです。

 2015年12月に出産を経験し、36歳にして、その復活が注目されたビョルゲン選手ですが、出産前より強くなった印象です。まさに「女王」と呼ぶに相応しい「他を圧する強さ」を示しました。

 来年の平昌オリンピックの女子距離競技も、ノルウェーチームを中心として展開していくことになりそうです。

 一方の男子チームは、4×10kmリレー1種目の優勝に止まりました。
 そのリレー種目も、ロシアチームとの競り合いが続き、ゴールでは5秒弱の差と、ヒヤヒヤ物の勝利でしたが、この唯一の金メダルが無かったら、王国としては「とんでもない大会」になっていたことでしょう。

 男子の各種目においては、ロシアチームの健闘が目立ちました。
 30kmスキーアスロンでウスティゴフ選手が優勝し、チームスプリントも金メダルに輝き、50kmフリースタイルと4×10kmリレー、スプリントの各種目で銀メダル。金2、銀3という成績は、今大会の男子距離においては国別でトップでした。

 また、イタリアチームもスプリントで金メダル、チームスプリントで銀メダルと活躍を魅せました。

 一方で、これまでの強豪国、スウェーデンとフィンランドは、ノルウェーと共に精彩を欠いたのです。

 平昌オリンピックに向かっての男子距離界は「大混戦」と言えるでしょう。
 特に、50kmフリースタイルという「代表チームの底力」を示す種目で、北欧3か国のチームで3位以内に入ったのが、フィンランドのヘィッキネン選手の銅メダルだけというのが、この混戦を如実に表していると感じます。

 2015年大会までの大エース、ペッテル・ノートグ選手が不調であったノルウェー男子チームには「精神的支柱」が欠けていたのか、それとも世代交代が上手くいっていないのか(沢山の若手が出場していましたが)、いずれにしても、「王国」としては由々しい事態になっていることは間違いありません。

 もともと、世界選手権に比べてオリンピックでは本来の力を発揮できていないと指摘されているノルウェー男子チームにとっては、来年までの短い間にチームを立て直さなければならないという、難しい課題が示されたということでしょう。

 一方で、ロシアチームやイタリアチームの活躍は、ノルディックスキー距離種目が決して「北欧3ヶ国だけのもの」ではないことを示しています。
 平昌オリンピックでの大活躍も、大いに期待できるところなのでしょう。
 3月1日に行われた、男子15kmクラシカルで、フィンランドのイーヴォ・ニスカネン選手が優勝しました。
 開催国フィンランドの距離種目での初の金メダルでした。

 ご承知のように、ノルディックスキーの距離種目は、北欧3国、ノルウェー・スウェーデン・フィンランドが本場であり、常に世界の距離スキーを牽引する存在ですが、近年はノルウェー勢の強さが際立っています。

 今大会でも、男女を通じて各種目でノルウェーチームの活躍が目立っています。
 一方で、開催国フィンランドとしても「優勝」が待望されていたのです。

 男子15kmクラシカルでもスンビュ選手を始めとするノルウェーチームの優位が伝えられていました。ワックスワークにおいても、ノルウェーは好調だったのです。

 ニスカネン選手は、しかし、好調なノルウェー勢を相手に素晴らしいレースを展開しました。
 静かに、力み無くスタートしたニスカネン選手は、2km辺りからギアを上げました。
 「スキーが良く伸びる」走りであったと思います。長身を利した大きなストライドでスピードをキープして、5km、10kmと2位以下との差を広げて行きました。

 そしてゴールイン。
 追いかけてくるスンビュ選手に大きな差を付けてのゴールでした。
 2位はスンビュ選手、3位はディールハウグ選手のノルウェー勢が続きました。

 開催国のフィンランドチームににとっては、溜飲を下げる金メダルであったと感じます。
 世界大会の成功に向けては、地元の活躍が不可欠なのです。

 ニスカネン選手は大きな大会に強く、「好調な日のパフォーマンスは世界トップクラス」というタイプでしょう。
 ソチ・オリンピック2014でも、男子チームスプリントで金メダルを母国に齎しています。

 ノルディックスキー距離種目では、今後もノルウェーチームの優位が続くと思いますが、「好調な日のイーヴォ・ニスカネン選手」は、王国ノルウェーにとっても脅威の存在なのでしょう。
 最近は、サッカーの三浦知良選手(50歳)やスキージャンプの葛西紀明選手(44歳)のように、普通の一流アスリート(変な言い方ですが)であれば引退している年齢でも、第一線で活躍するプレーヤーが増えていますが、ノルディックスキー距離競技においても、凄い選手が居るのです。

 それは、ノルウェー女子のマリット・ビョルゲン選手です。

 3月26日で37歳になるビョルゲン選手ですが、2017年の世界ノルディック選手権大会(フィンランド・ラハティ開催)でも大活躍、既にスキーアスロン(複合)と10kmクラシカルで2つの金メダルを獲得し、世界選手権大会における獲得金メダル数の記録・自己の持つ最高記録を16個に伸ばしました。

 女性に対してはあまり使われない尊称「鉄人」と呼ぶに相応しい力を魅せてくれるビョルゲン選手ですが、前回2015年の世界選手権大会(スウェーデン・ファールン開催)においては金メダル2個に止まり、かつては1大会で5個の金メダルを獲得したことも有りましたから、さすがのビョルゲンにも衰えが見えたかと感じていましたので、今回の復活劇というか活躍には本当に驚かされるばかりです。

① フリーもクラシカルも強い

 ビョルゲン選手は、どちらの滑り方においても「抜群の勝負強さ」を魅せます。
 今回の10kmクラシカルでは、全選手中唯一の25分台を叩き出して圧勝していますから、「第一人者」の地位を譲るつもりは全く無いようです。

② それ程大きくはない。

 これは以前から指摘されているところですが、ビョルゲン選手の身長は168㎝とこの種目を戦う世界のトップスキーヤーの中で際立って大きい方ではなく、現在であればどちらかと言えば小柄の部類に入ると感じますが、並み居る大型選手を後目に圧勝してみせるのです。

③ 1児のママ

 2015年12月に息子さんを出産していますが、その強さにはいささかの陰りもありません。ひょっとすると出産を機に強さを増したのかもしれません。

 ビョルゲン選手の滑りからは「筋力の強さ」と「抜群の瞬発力」、そして「極めて冷静な判断力」を感じます。
 日本選手にとっても、決して手が届かないサイズのプレーヤーではありませんから、ビョルゲン選手のプレー振りから学ぶことが沢山あるのではないでしょうか。

 それにしても、既に金2個ですから、今大会いったいいくつの金メダルを獲得するのでしょうか。 
 素晴らしくも、空恐ろしい選手だと思います。
 リレハンメルで開催された、ワールドカップ第2戦でも高梨選手が優勝し、伊藤選手が2位に入りました。
 開幕2戦連続のワンツーフィニッシュです。日本女子ジャンプ陣が今シーズンとても良いスタートを切ったということになります。

 それにしても、スキージャンプ板メーカーが変わってきたという印象を、改めて受ける大会でした。

 かつてスキージャンプ板と言えば、「FISCHER」が「ATOMIC」「KNESSL」という感じでしたが、この大会では「erivox」「sport2000」「slatnar」「Lofiller(oの上に横棒)」といった名前がプリントされたスキー板を履いた選手が、多数見受けられました。

 世界の上位40名を対象として見れば、使用者数で最も多いのが「erivox」と「FISCHER」、続いて「sport2000」、次に「slatnar」、次に「Lofiller」という感じでしょうか。
 上位10名の試技に入るとFISCHERの使用者比率が上がる感じですが、優勝者の高梨沙羅選手はslatnarでしたので、必ずしも有力選手がFISCHERを履いているわけでもありません。

 それぞれのメーカーが、何処の国に存在し、どのような歴史を持っているのかは、ここでは調べません。私が知らなかっただけで、歴史と伝統を有するメーカーも有るかもしれませんし、ATOMICの後継メーカーもあるのかもしれません。
 スキー板メーカーに関する情報も、追々出て来ることでしょうから。

 少し不思議なのは、決して競技者数が多いとは思えないスキージャンプにおいて、新しいと思われる複数のメーカーが参入しているように見えることです。新規参入するには、難しいマーケットの様に感じられるのですが、ひょっとするとスキージャンプ人口が増えているのかもしれません。

 ワールドカップ戦のような世界トップクラスの大会に出るプレーヤーの道具については、各メーカーが全面的なバックアップを行っているケースが多く、その資金負担は相当大きなものだと思います。
 各ジャンパーが、試技終了後、スキー板を直ぐに外して立て、スキー板メーカーの名前をテレビカメラに明示している動きを観ても、全面的バックアップに対する広告行為であることは、明らかです。
 各メーカーは、ここで投じた資金を、一般ユーザー向けのスキー板販売で取り返し、さらに利益を出して行かなければならない訳で、相当数の販売が見込めなければ、この業界に参入できない筈です。

 FISCHERと並んで使用者数が多かったerivoxは、アメリカのサラ・ヘンドリクソン選手も履いていました。膝の怪我から復帰した今シーズンのヘンドリクソン選手ですが、この大会の1本目ではかつてのジャンプを髣髴とさせる素晴らしいプレーを披露していました。
 徐々に調子を戻してくると思われますので、「二人のサラ」と呼ばれた高梨選手にとって、今シーズンそして次のオリンピックに向かって、強力なライバルであることは間違いないでしょう。

 Sport2000はフランス勢が多く履いていたように観えました。モラ選手を始めとするフランス勢も急速に力を付けてきていますので、今後の活躍が楽しみです。

 そして、伝統の黄色い板・FISCHERはオーストリア勢が履いていました。イラシコ・シュトルツ選手やザイフリースベルガ―選手は、この大会でも日本勢に次ぐ上位の成績を収めていました。
 日本勢の当面のライバルとなることは、間違いありません。

 ちなみに、2戦連続2位の伊藤選手もFISCHERでした。

 高梨選手が履いていたslatnarは「白と青」の配色でした。
 今季の高梨選手はこの板で勝負することになるのでしょうか。

 その高梨選手の、第1戦・第2戦のジャンプは、極めて「完成度の高いもの」でした。
 微動だにしないアプローチから、静かで滑らかなサッツ、あっという間に飛行姿勢に入って、そこからは殆ど動かず飛行を続け、テレマーク姿勢で着地・・・。
 1本目は、少し慎重なジャンプで上位を確保し、2本目で本領を発揮するというパターンで、第1戦では270点、第2戦では268点をマークしての圧勝というのですから、「完璧」と言う言葉が当て嵌まりそうです。

 シーズン初めから、こんなに完璧なプレーを披露して良いのかと、素人の心配をしてしまいます。

 更なる高みを目指す高梨選手のこれからの活躍がとても楽しみです。
 久し振りの日本開催となったアルペンスキー・ワールドカップでしたが、NHKテレビ放送の皆川賢太郎氏の解説は、とても解り易いものだったと感じます。

 どんな競技でも、そのプレーを観ながら解説するというのは容易なことではありませんが、アルペンスキーも同様です。

 プレーヤーの体格や筋力の状況、精神的な特徴といったプレーヤーそのものの特性に、雪面の状況や旗門の配置、気象状況といった要因を加味しながらの解説は、極めて難しいものでしょう。

 結果として、ライン取りが膨らんだり、スキーヤーがバランスを崩したりすると、直ぐに「失敗しました」といった解説をしがちです。
 その直後に、良い通過タイムが計時されたりすることが多いのです。

 本ブログではいつも書いていますが、アルペンスキーは走破タイムを競うスポーツですから、全てのプレーが滑るスピードとのバランスの上に検討されるべきものなのです。

 世界トップクラスのスキーヤーが登場する大会なのですから、「(勝敗に関与できるレベルの)望ましいスピードより少し遅い速度で滑っていれば、いつも「綺麗なスラローム」が実現できるのは、当然のことです。
 従って、滑っている姿が綺麗、バランスが良くバタバタした様子が無い、といった滑りでは、勝ち負けを争うタイムを叩き出すことが困難ということなりそうです。

 滑りの過程で、何回か危ないシーンが観られる位のトライでなければ、到底優勝は望めないのでしょう。世界トップクラスのスキーヤーがタイムを縮める為にギリギリの滑りを展開するのが、ワールドカップであると思います。

 例えば、スラロームを観ていて、今時速50kmで滑っているのか、時速51kmで滑っているのかを見極めることは、とても難しいことだと思いますが、時速51kmならメダルを取れるが、時速50kmでは入賞も出来ない、というのがこうした大会でしょうから、大事なのは「速度」であって、フォームやラインでは無いということになります。

 こうした難しい競技の解説では、ピントの外れたコメントも多いのですが、今回の皆川氏の解説は、解り易いものでした。
 いかにも、「世界のトップクラスで戦ってきた」本物のアスリートならではの視点であったと感じます。

① 滑りの「リズム」

 皆川氏は、各選手がスタートした直後の数秒の滑りを観て「良いリズムで滑っています」とか「少し遅れ気味です」といったコメントを披露しました。皆川氏の感性と経験から発せられているコメントなのでしょう。

 この「滑りのリズム」というのが、とても大切であることを示したのです。

 滑り終えての各選手のタイムは、皆川氏の指摘通りになっていることが多かったと感じます。

 個々のスキーヤーにとって、良いリズムなのか悪いリズムなのかが、優勝を争う上でとても重要であるとの解説でした。

② 「スピードを繋げる」こと

 前述のように、ギリギリの滑りを展開している各選手が、ポイントとなる旗門でバランスを崩すことは間々あることなのですが、皆川氏は「スピードを繋げることが出来ているか否か」に注目していました。

 バランスを崩そうが崩すまいが、「スピードを維持できているかどうか」がポイントであると指摘したのです。
 的を得た指摘だと思います。

 スピードを上げる為に、ギリギリの状態で旗門に飛び込んで行くプレーヤーが、そのスピードを継続して行けるかどうかがポイントなのです。

 途中計時のタイムが良いか悪いか、よりも、スピードが維持されているかどうかに注目することは、とても大切な視点だと思います。
 例えば、途中計時が3か所あるとして、その2か所目のタイムが良いとしても、その場所でスピードを失っていれば、3か所目の計時タイムは「一気に悪化する」ことになります。当たり前のことを書き恐縮ですが、肝心なのは2か所目のタイムでは無く、2か所目を滑っている時のスピードなのです。

③ 体の大きさと「溝」

 ワールドカップでは、その時点のシーズン通算成績上位7名が「神セブン」と称され、上位15名が第一シードとなります。
 回転・大回転種目では、1本目でまず「第一シード」の選手達が滑るのです。

 コースというか雪面の状態がとても良い時に、シード選手達はトライすることが出来ることになります。第二シード以下の選手達は16番目以降のトライになるのです。雪面に相当の「溝」が出来た状態での滑りになるわけです。

 そして2本目は、1本目の成績上位30名のスキーヤー達が、30番目の選手から1番目の選手の順に滑ります。
 つまり、優勝を争う選手達は「後から」滑るのです。結果として、1本目トップ10の選手が滑る頃には、コースには前の選手達が残した「溝」が深く・多く残っていることになります。

 皆川氏は「大きな選手の方が溝に合わせて滑ることについては有利」であるとコメントしました。今大会には身長2mを超える選手も出場していましたが、身長の高い選手の方が、一般的には脚が長く、下半身の可動域が大きいので、溝に脚を合わせ易いということなのでしょう。
 だから有利なのかどうかはともかくとして、「溝」への対応については、体格差が影響することを示したのです。

 こうした解説も、とても大切だと感じました。

 アルペンスキーの魅力をテレビの視聴者に伝えていくために、解説はとても大切な仕事になります。
 私の様な素人には分からない視点からの解説が、より深く楽しむために必要なものなのだと改めて感じさせる、皆川氏の素晴らしい解説でした。
 
 2月10日、ノルウェーのトロンハイムで行われた、2015~16年シーズンのスキージャンプ・ワールドカップ・男子個人第16戦で葛西紀明選手が3位に入り、自身の持つ「最年長表彰台記録」を再び更新し、43歳8か月としました。

 1回目127mで10位と出遅れた葛西選手でしたが、2回目に143mの大ジャンプを披露して順位を上げたのです。
 飛距離143mは、この大会のみならず「ワールドカップ大会史上の最長飛距離記録」ですし、ヒルサイズHS140mのジャンプ台で143mを飛んだのですから、さすがに綺麗なテレマーク姿勢は取れませんでしたが、葛西選手らしい豪快な飛行でした。

 1月31日の第15戦、日本の大倉山シャンツェでの大会でも3位入賞を果たしていますから、このところ好調を維持しているということでしょう。

 そして2月12日の第17戦フライングヒルの大会でも3位に入賞しました。

 ところで、第16戦で優勝したのは、スロベニアのぺテル・プレブツ選手(23歳)でした。
 今季のプレブツ選手は「圧倒的な力」を魅せていて、これで9勝目。女子の高梨沙羅選手と共に、シーズン総合優勝は間違いないと見られています。

 それにしても、43歳の葛西選手と23歳のプレブツ選手、年齢差20歳のジャンパー同士が世界一を競っているというのですから、凄いことです。

 「レジェンドはどんどん厚みを増している」のです。
 前日の大回転種目に続いて、2月14日湯沢苗場スキー場を舞台に開催された男子回転の第8戦も、見所満載でした。

 スタート地点の気温は6℃、ゴール地点が8℃と、前日に続いて暖かい気象条件が続きました。加えて、スタート直前と2本目の途中からは降雨にも見舞われましたから、とても難しいコンディションであったと思います。

 オーストリアのヒルシャー選手が1本目のスタート直後にコースアウトしたのを始めとして、多くの選手が滑り切ることが出来なかったのも、ハードなコンディションの影響でしょうか。

[1本目]

 最初に滑ったドファー選手(ドイツ)の滑りは、とても滑らかで、上半身の無駄な動きが無く、下半身の左右への軽快な動きから最後までスピードが落ちませんでしたから、相当良い順位であろうと感じましたが、結局、最後までトップを譲りませんでした。
 ドファー選手は、前日の大回転に続いて、2戦連続の「1回目トップ」でした。

 続く選手の中では、スウェーデン勢が安定した滑りを展開して、2・3位を占めました。この種目で今季優勝を重ねているクリストファーセン選手は8位と、まずまずの成績でしたけれども、本人が思ったよりはタイムが出なかったという印象でした。

[2本目]
 
 1本目開始時には晴れ間がのぞきましたが、途中から曇天となり、2本目には雨と共に、コース上部地域には霧も出ました。刻一刻と変わるコンディションの中での競技となったのです。

 2本目前半はオーストリアチームの好調な滑りが際立ちました。
 マット選手、フェラー選手が1・2位という中でシュワルツ選手がトップに立ち、ディグルーバー選手も続いて、一時は1~3位を独占しました。
 エース・ヒルシャー選手を欠くオーストリアチームの2本目でしたが、次世代を支える若手選手が頑張ったのです。

 この状況のまま、レースはトップ10のトライに突入しました。そして、1本目8位のクリストファーセン選手も4位に留まりましたから、このままオーストリア勢の独占が続くかと思われました。

 しかし、さすがにワールドカップはそう簡単に問屋は卸さないのです。

 世界トップクラスの選手が集う大会では、当然ながら選手層が極めて厚く、極僅差の戦いが続くのです。全てのスポーツに共通したことでもあります。

 1本目5位のノイロイター選手(ドイツ)がスタート。見事なスラロームを展開しました。多くの選手が失敗した2か所の難しい旗門も綺麗にクリアして、トップタイムでゴール。
 過去ワールドカップ10勝という実績を誇るノイロイター選手ですが、近時は好成績を挙げることが出来ませんでしたので、久し振りの満足できる滑りと言うことになります。

 続いてスウェーデンのミューラール選手が2位に食い込む滑りを魅せました。
 3位には、オーストリアのシュワルツ選手が粘りました。

 最終滑走者となった、1本目トップのドファー選手も意欲的な滑りを展開しましたが、1本目に比べて上半身がバタバタしてしまい、ゴール前の緩斜面でスピードが落ちて4位に留まりました。

 逆転を狙って意欲的に突っ込む選手、落ち着いて入り難しい旗門をクリアした後のスピードアップに賭ける選手、1本目の貯金の使い方も含めて、トップ10の選手達の様々な戦略構築と情報収集・挑戦が、とても印象的な大会でした。

 やはり、FISアルペンスキー・ワールドカップは、とても面白いのです。
 「本物のアルペンスキー」を、眼前で日本のプレーヤーに観て感じてもらうために、高速系種目も含めて、これからも日本で開催していただきたいと思います。

 今季回転種目の第8戦は、父親がクリスチャン・ノイロイター、母親がロジ・ミッターマイヤーという、世界的なスキーヤーであった両親を持つ生粋のスラローマー、フェリックス・ノイロイター選手の復活の舞台となりました。

 今後のノイロイター選手の活躍が注目されるところです。
 まず、10年振りの日本開催という事実に驚きました。

 世界最高峰のアルペンスキーの大会が、10年間も日本で開催されていなかったのです。冬のオリンピックを2度開催し、世界有数のウインタースポーツ国である我が国で、長期間に渡ってワールドカップが開催されていなかったというのは、とても不思議なことだと思います。

 世界のトップスラローマ―が、苗場の雪と戦う姿は、やはり素晴らしいものでした。

① 全体としてスピードが出ていない。

 世界トップクラスの選手達が揃った大会でしたが、「スキーが滑っていない」という印象でした。エッジングの都度、重そうな雪が飛び散ります。

 スタート地点・標高1375mの気温が4℃、ゴール地点・標高925mが8℃と、気温が高い気象状況でしたので、水を多く含んだ雪面となり、3月頃のスキー場で良く見られる「ザラメ雪」状の雪面でした。。
 難しいコンディションと言って良いと思います。

 こうした雪面では、エッジングに大きな力が必要になりますから、1本目・2本目とも、ゴールした選手達には相当の疲労が感じられました。

 久し振りの日本開催大会は、選手達に忘れていた「日本の雪」を思い出させてくれたことでしょう。

② 各国チームの戦い

 勝負を決める2本目、まずイタリアチームが先行しました。一時期は1~3位を占めたのです。イタリアチームの選手達の調子が良いことは勿論として、「ワックスが合っている」印象でした。

 そこに、スイスチームが割り込みました。
 イタリアチームの上位独占を崩したのです。
 上位には、イタリアとスイスのスキーヤーの名前がずらりと並んびました。

 そして、トップ10のトライが始まり、フランスチームが素晴らしいパフォーマンスを示しました。「重いザラメ雪」を相手に、滑らかなスラロームを披露してくれたのです。

 優勝はフランスのパンチェロー選手、2位もフランスのフェーブル選手、3位にはイタリアのブラルドネ選手が入りました。

③ オーストリアチームの不振

 現在、世界のアルペン界をリードしているオーストリアチームは、このレースでは力を発揮できませんでした。ワールドカップ総合5連覇を狙うヒルシャー選手も6位に終りました。

 オーストリアチームのどの選手も、後半の緩斜面でスピードが出なかった感じがします。

 おそらく、ワックスの面でフランスチームやイタリアチームと差が出たのでしょう。
 世界最高のワックスマンが揃うオーストリアチームをもってしても、今回の苗場の雪面は難しいものだったということになります。

 今から40年以上前、1973年にアルペンスキー・ワールドカップ大会が日本にやってきました。会場は今回と同じ苗場スキー場でした。
 ワクワクしながらテレビに噛り付きました。

 ステンマルク選手を始めとする、本当に素晴らしい選手達の滑りに、心が躍ったものです。
 そして、日本には「空前のスキーブーム」がやってきたのです。

 1980年代のスキー場は、どこもかしこも超満員でした。リフト待ちの列が長々と続いたものです。
 バレンタインデイをスキー場で祝った若者が、とても多かったことでしょう。

 しかし、様々な理由が考えられますが、21世紀に入って日本のスキー人気は下火になりました。
 スキー場には、スノーボーダーの姿が目立つようになったのです。

 こうした、日本におけるスキー人気の低迷が、FISワールドカップ開催の障害となってきたとすれば、とても残念なことです。
 
 今回の、久し振りのワールドカップ日本開催が、我が国のアルペンスキー人気復活の起爆剤となってくれれば、嬉しいことなのですが。
 スキージャンプ女子のワールドカップ第7戦が蔵王で行われ、高梨沙羅選手が1回目94.5m、2回目には最長不倒の100mのジャンプを魅せて優勝しました。
 これで高梨選手は今季ワールドカップ5連勝、通算7戦6勝(2位1回)としました。

 このところの高梨選手のプレー振りを観ると、その飛越は極めて安定していて、風や天候の状態に拘わらず圧倒的な強さを見せています。

 特に、下半身の動きがとてもスムーズだと感じます。

 サッツのスピードと強さは相変わらずですが、その角度を含めた安定感が増しています。
 空中飛形では、踵から脚にかけての形がとても良く、スキー板を前に前に運んでいるように観えます。

 若き天才ジャンパーとして14歳で世界デビューした高梨選手も19歳になりました。

 世界トップジャンパーとしての高梨沙羅選手の活躍は、これからも続くことでしょう。
 「白い恋人たち」といっても、北海道の有名なお土産ではありません。

 1968年グルノーブル・オリンピック記録映画の主題曲です。

 この大会の記録映画は好評を博し、「白い恋人たち」はヒット曲となりました。あの素晴らしい音楽を背景に、「大会の旗を折りたたむ関係者の姿が映し出されるシーン」は今でも思い出されます。
 「オリンピック公式記録映画」という、どうしても堅苦しくなりがちな映画を、ここまで「お洒落なもの」にしてしまうという、フランスという国の文化・感性に感心した記憶があります。

 さて、このグルノーブルで開催された冬季オリンピックで、地元フランスの期待を一身に背負って「三冠」を成し遂げたのが、ジャン・クロード・キリー選手でした。

 1943年生まれのキリー選手はこの時24歳。
 当時は、「アルペン王国の覇権」はオーストリアとフランスが争っていました。そして、1956年のコルチナダンペッツォ大会でオーストリアのトニー・ザイラー選手が「三冠」を達成し、この大会でフランスのキリー選手が「三冠」となったのです。

 アルペン大国、オーストリアとフランスを象徴する2選手であったと思います。

 キリー選手の「三冠」は、しかし、3種目の「回転」でひと騒動有りました。
 種目が終わった直後には、オーストリアのカール・シュランツ選手の優勝が報じられたからです。シュランツ選手はこの頃のオーストリアチームのエースであり、キリー選手と世界のトップを争っていたスキーヤーでした。

 そのシュランツ選手が大喜びで手を挙げ、向かって左側に居たキリー選手が残念そうな様子で写っている写真が、翌日の新聞各紙を飾っていました。

 この写真が撮られた後、シュランツ選手の「旗門不通過」が宣せられて失格となり、2位に居たキリー選手の優勝→三冠が決まったのです。

 この旗門不通過裁定は二転三転していたと思います。
 旗門不通過の指摘がなされた後、旗門不通過はコースを係員が横切ったためというシュワンツ選手側の主張があり、再レースを実施してシュランツ選手が再び最高タイムを記録した後、最初の滑走においてシュランツ選手が旗門不通過したのは、係員が横切った地点より手前の旗門であったとの指摘がなされて、再び失格となったと記憶していますが、いずれにしても、少し後味の悪い形でした。キリー選手の地元、フランスにおける大会であったことも影響したのでは、との評もありました。

 とはいえ、記録上は間違いなく「キリー選手の三冠」となったのです。

 世界アルペン史上、僅かに2人しか居ない栄誉はキリー選手の上に輝きました。

 グルノーブル・オリンピックの年1968年に現役を引退したキリー選手は、この後タレントとして活躍し、映画にも出演し、現役時代のシーズンオフにトライしていたカーレースにも挑戦しました。あのル・マン24時間耐久レースにも参加しています。
 トニー・ザイラー選手同様に、キリー選手も二枚目だったのです。

 その後1977年に国際スキー連盟(FIS)の委員となったキリーは、フランス・アルベールビルのオリンピック開催に尽力し、1992年アルベールビル・オリンピックの開催を実現しました。
 1987年にアルベールビル・オリンピック組織委員長に就任するなど、「スポーツ官僚」としての活躍を続けました。
1995年にはIOC(国際オリンピック委員会)の委員に就任し、1998年長野オリンピックの調整委員、2006年トリノ・オリンピック組織委員長などを歴任しました。

 そして、ジャン・クロード・キリーが「スポーツ官僚」を辞めたのは、2014年ソチ・オリンピック閉幕後でした。
 つい最近まで、キリーは冬季オリンピックと共に在ったのです。

 「トニー・ザイラーとジャン・クロード・キリー」、時代を代表する2人の偉大な「三冠スキーヤー」であったと思います。

 2015年のノルディックスキー世界選手権大会の男女の最終種目である女子30kmクラシカルと男子50kmクラシカルは、それぞれ2月28日・3月1日に行われました。

 30kmは女子種目最長距離、50kmは男子種目最長距離の種目であり、ノルディックスキーの世界大会で昔から行われている「歴史と伝統」を誇る種目でもあります。また、今大会は「クラシカル走法」の番ですが、30km・50kmといえばやはりクラシカル走法がマッチしているように感じます。

 真っ白な林間コースを黙々と滑って行くシーンは、「まさにノルディックスキー」という雰囲気で、今後も世界大会を代表する種目として継続実施されていくものと思います。

 昔は「30秒間隔でひとりずつスタートする」といった形で行われることが多かったのですが、最近はマススタート方式(一斉スタート方式)が普通になりました。レースのドラマ性を高める、観客にとって分かり易い、といった目的を持って行われているマススタートかと思いますが、この変更はレース展開にも大きな影響を与えました。

 さて、今大会の女子30kmと男子50.kmは、そのレース展開・内容が対照的なものとなりました。

 まず、女子30kmクラシカル。
 有力選手が先頭集団を形成する形でレースは進みました。そして6.2km付近でノルウェーのテレーセ・ヨハウグ選手が飛び出しました。

 24km近くの距離を残してのスパートですから、他の有力選手達は自重して付いて行くことはせず、第2集団を形成しました。まさか、ここからゴールまでヨハウグ選手が突っ走るとは考えなかったのでしょうし、「1回目の揺さ振り」というくらいに捉えていたのかもしれません。

 ヨハウグ選手は淡々と、しかし着実にスピードを上げて、後続との差を広げ続けました。

 これ以上差を付けられては追い付けないと判断したビョルンゲン選手が、第2集団から抜け出し追走を始めましたが、ヨハウグ選手との差はなかなか縮まりません。

 25kmを過ぎた所では、ヨハウグ選手→ビョルンゲン選手の差が1分、ビョルンゲン選手→第3位集団の差が1分といった展開となりました。

 ビョルンゲン選手は懸命に追い上げます。3位集団も懸命に追い上げます。

 しかし、ヨハウグ選手の滑りは衰えることなくゴールイン。52.3秒差でビョルンゲン選手が2位、3位にはスウェーデンのカラー選手が入りました。

 好調さを背景にしたヨハウグ選手の大逃げが見事に功を奏したレースでした。途中から徐々に差を広げて押し切るというレース展開は、長距離競走ならではのものでしょう。伝統的な作戦でもあり、私は大好きです。

 かつての「30秒間隔スタート」のレースでは、選手は自分の途中順位が分かり難かったので、長距離競走は「自分との戦い」という様相でした。もちろん、レースですから他の選手との競り合いを展開しているのですけれども、先攻しているのか遅れているのかも分かり難い(コース途中で時々コーチから聞くしかない)ので、選手は自分が立てた作戦に則りペースを守り、黙々と滑り続けたのです。

 今回のヨハウグ選手の滑りは、こうしたかつてのレースを髣髴とさせるものでした。続く選手達に1分以上の差を付けてしまえば、アップダウンが多い林間コースでは他の選手達は見えません。まさに「自分一人で滑っている」形なのです。ペースが速いのか遅いのかも、自分で判断しなければなりません。

 こうした状況下、自分のエネルギーを余すことなく30kmを滑り切らなくてはならないのです。高度な技術と、豊富な経験、そして何といっても実力が無くては出来ないことでしょう。

 26歳のテレーセ・ヨハウグ選手は、チームの大黒柱34歳のマリット・ビョルンゲン選手を破りました。過去10年以上に渡って世界の女子ノルディックスキー界を牽引してきたビョルンゲン選手の後継者に名乗りを上げたと言っても良いでしょう。

 ひょっとすると、このレースは「新旧女王交替のレース」であったのかもしれません。

 続いては男子50kmクラシカル。
 こちらは「The マススタート・レース」と呼んでよい展開のレースでした。

 優勝したペッテル・ノートグ選手(ノルウェー)は50kmのレースを500mのレースに組み替えて、勝利を捥ぎ取りました。

 15kmを過ぎた辺りから、先頭集団は20名位に絞り込まれました。次々と先頭が入れ替わる展開の中で、ノートグ選手は常に集団の後方に位置し、13~14位の位置をキープし続けました。先頭とのタイム差は9~10秒であり、平均的な先頭との差は50~100mでした。先頭集団に居るとはいえ、相当の差が有ったのです。

 ラストスパートで勝負することが多いノートグ選手としては「いつもの形」であろうとは思いましたが、ポジションがいつもより後寄りであったことと、中々前に進出していけないこと、そして雪質が極めて柔らかく滑り難い=ぐしゃぐしゃ=スピードアップが難しい、状態でしたから、さすがのノートグ選手でもこのレースは難しいかなと思いました。

 レースも45kmを過ぎて終盤に入りましたが、ノートグ選手のポジションは変わりませんでした。ここまでに先頭集団から数人が振るい落とされましたので、ノートグ選手は先頭集団の最後方になりました。時々、前の選手から離されかけますので、やっと付いて行っている感じも漂いました。

 残り1kmになって、ようやくノートグ選手は前進を始めました。しかし、なかなか差が縮まりません。とはいえ、登り斜面を滑るノートグ選手の動きにはキレが有りました。

 残り500m。先頭との差は7秒まで縮まりました。
 ゴールまで残りの登りは1か所。ここでノートグ選手は猛然と前進します。一気に前方の選手数人を抜き去り、下り斜面にかかるところでは4位まで上がりました。

 とはいえ先頭争いをしているバウアー選手(チェコ)やオルソン選手(スウェーデン)との差はまだまだ大きかったので、「追込みは不発か」と思われました。

 下り斜面で加速したノートグ選手は、ゴール前の直線走路に3位で入りました。そして競り合う2人の選手の間、スキー走路が掘っていない場所で懸命にストックを使います。一掻き毎に差を縮め、残り100m地点で並び、抜き去りました。

 凄まじいラストスパートでした。

 優勝したノートグ選手と2位のバウアー選手との差は1.7秒、3位のオルソン選手とは2.0秒、6位のコログナ選手(スイス)までが10秒以内という激戦でした。

 ペッテル・ノートグ選手はこの優勝で、今大会4個目の金メダル、世界選手権大会通算13個目の金メダル獲得となりました。この驚異的な記録は、これからも積み上がって行くことでしょう。

 このレースはノートグ選手のレース戦略とラストスパート力が如何なく発揮されたレースでしたが、「まさにマススタート・レースそのもの」という感じで、かつての50kmとは全く異なる様相でした。

 1972年の札幌オリンピックで優勝したポール・ティルダム選手(ノルウェー)が、西岡の林の中を鼻水を凍らせながら黙々と滑っていた光景が思い出されます。かつての男子50kmは「自分との戦い」であり「孤独なレース」だったのです。

 現在の50kmは「他選手との駆け引き」であり「競り合いそのもの」となっています。

 もちろん、どちらの展開であっても、世界一になることの難しさには何の違いも無いことでしょう。

 スウェーデンのファレンを会場に行われた、2015年ノルディックスキー世界選手権大会の最終種目、歴史と伝統の30km・50kmは、ともにノルウェーの選手が金メダルを獲得しました。

 ノルディック王国ノルウェーの強さは、これからも続くことでしょう。
 ひとつの冬季オリンピック・アルペンスキー競技で「滑降」「大回転」「回転」の3種目で金メダル=当時参加可能な全ての種目で金メダル、を獲得したプレーヤーは、史上2人しか居ません。

 1956年のコルチナダンペッツォ大会(イタリア)で三冠王となったトニー・ザイラー選手(オーストリア)と1968年のグルノーブル大会(フランス)で三冠王となったジャン・クロード・キリー選手です。
 少し不思議なことに、女子で三冠を達成した選手は居ません。

 2人の時代には、アルペンスキー競技には「滑降」「大回転」「回転」の3種目しかありませんでしたから(現在の「スーパー大回転」「アルペン複合」といった種目は1988年のカルガリー大会から登場)、トニー・ザイラーとジャン・クロード・キリーは全ての種目を制したことになります。

 今風に言えば、高速系種目である滑降と技術系種目である大回転・回転を制覇したのですから、2人のスキーヤーの地力は他を圧していたということになります。

 今回は、1956年大会の三冠王、トニー・ザイラー選手について書いてみたいと思います。

 ザイラー選手は1935年にオーストリアのチロル州で生まれました。「雪国生まれ」(そういう言葉がオーストリアや欧州に存在するのか分かりませんが)でしたから、当然の様に幼少期からスキーに親しんでいたのでしょう。1952年、ザイラー16歳の時にスキーの国際大会にデビューしています。

 もともとアルペンスキー大国であるオーストリアですから、アルペンスキーのレベルは高い、というか世界最高水準であったと思われますので、そうした環境下16歳で国の代表としてデビューしているのですから、才能の大きさが感じられます。

 練習中の骨折で1952年~53年シーズンを棒に振ったザイラー選手が、その実力を如何無く発揮して見せたのが1956年(昭和31年)のコルチナダンペッツォ・オリンピックでした。「滑降」「大回転」「回転」の3種目全てにおいて金メダルを獲得したのです。20歳のシーズンでした。

 冬季オリンピック史上初の快挙であり、前年の世界選手権大会に続いて2シーズン連続の「三冠達成」でもありました。この頃のザイラー選手の力は、一頭抜きん出ていたのです。

 尚、この大会の回転種目は「極めて霧が深いコース」で実施されたと伝えられていますが、この難しいコンディションの中でザイラー選手に次ぐ銀メダルを獲得したのが、日本の猪谷千春選手でした。日本人初の冬季オリンピックメダリストが誕生した大会でもあったのです。

 世界アルペン史上初の快挙を成し遂げたトニー・ザイラー選手でしたが、とても「二枚目」でもありました。「天は二物を与えず」という言葉が有りますが、実際には、二物を与えられたプレーヤーは沢山居るように感じます。トニー・ザイラーもその一人だったのです。

 世界初の人物であり二枚目で社交性も十分となれば、銀幕(現在ならテレビかインターネット)が放って置く筈が無く、トニー・ザイラーはオリンピックの翌年1957年に映画に出演しました。
 そして「アマチュア資格問題」に発展してしまい、1958年のシーズンが終了し時トニー・ザイラーは引退したのです。まだ22歳の若さでした。

 引退後のトニー・ザイラーは俳優業と歌手業に注力しました。日本の映画にも数多く出演しています。1966年の「アルプスの若大将」では加山雄三(スキーで国体出場経験あり)との共演も実現しました。

 一方でアルペンスキーの指導者としても活躍し、1972年~1976年にかけてオーストリア・ナショナルチームの監督を務め、もともと強かったオーストリアチームを、他の追随を許さない「アルペン王国」に高めたと言われています。
 また、国際オリンピック委員会(IOC)を始めとするスポーツ国際機関における発言力は極めて高かったと伝えられています。高度な技術論と厚い人望を備える人物だったのでしょう。

 若干22歳で現役引退に追い込まれながら、その後の世界のアルペンスキー界に大きな足跡を残してきたトニー・ザイラー。
 もし22歳以降10年間前後の現役生活が続いていたとしたら、どれ程の記録を残したのでしょうか。
 2月27日に行われた男子40kmリレー(10km×4人)は、ノルウェーチームがスウェーデンチームとの競り合いを制して優勝しました。

 このレースにおけるノルウェーのアンカー・第4走者のペッテル・ノートグ選手の滑り・戦法は、とても興味深いものでした。

1. 意識的に3番手の位置を取ったこと

 ノルウェーチームは第3走までの選手が頑張りを見せて、アンカーのノートグ選手とのタッチの時点では、2位チームに10秒近い差を付けていました。

 ところがノートグ選手は、タッチを受けた直後から「スピードを落として」、2位・3位のスウェーデン・フランスに抜かれました。「抜かせました」と表現する方が正しいのでしょう。
 ライバルチームを前に置いて、レースを進める形を選択したのです。

 現在の男子距離スキー界において、世界最強のプレーヤーとも呼ばれる選手が、意識的に後ろの選手に抜かれたのです。

 相応の差を付けてトップ出来たポジションをそのまま維持するような滑りを実行することも、ノートグ選手の実力をもってすれば十分に出来たと思われるのですが、競り合っている相手がソチ・オリンピック2014のこの種目の金メダル・銀メダルのチーム、つまり相当に強い相手でしたので、「勝利の可能性がより高い戦法」を選択したのでしょう。
 
 先頭で逃げるより、2番手・3番手で追いかける方が「体力を温存」することが出来、ゴール前の競り合いでのスピードを確保できるとの判断であったのだと思います。

 第3走までに、ノルウェーがスウェーデン・フランスの前に居ようが後ろに居ようが、大差でトップ出来た場合を除いて、こういう形で走るとレース前から決めていたのかもしれません。
 
2. 下りで離される滑り方

 このレースでのノートグ選手は、残り1km以前は常に、下り斜面になると前の選手から10m位離されました。(下りにかかった時に自然に開く差以上の差が付いていたと思います)
 
 当然ながら、下り斜面はスキーが滑りますのでスピードが出ます。ストックで漕ぐことで加速することが出来るわけですが、登り斜面から下り斜面に切り替わる瞬間に、ノートグ選手は「強く漕ぐ動き」を取りませんでした。相手チームの選手は、強く漕ぎましたので差を広げられていたのです。

 下り斜面になる都度、ノートグ選手は大きく離されます。

 これは「前に居る選手との衝突」を避けていたのであろうと思います。スピードが出ている状態で前の選手とぶつかれば、転倒、あるいは「スキー板が折れる」リスクが有ります。

 ノートグ選手は、スキー板が折れて滑れなくなってしまい、代わりのスキー板が到着するまでの間に大差を付けられてしまうことを、回避していたのだと思います。

 ゴール前の競り合いに持ち込むまでに、大差を付けられてしまうリスクを最小限に抑える、細心のレースを展開していたのでしょう。

3. 登り斜面で追いつく滑り方

 前述の通り、下り斜面で10m位の差を付けられるのですが、登り斜面にかかると一気に追い上げ、前の選手の直後に位置するのです。

 残り1kmまでのノートグ選手は、「下り斜面で離され、登り斜面で追いつく」という動きを、根気強く続けていました。

 全てはゴール前の競り合いに持ち込むための努力であったと思います。

4. ゴール前の直線走路手前のコーナーで前に出たこと

 さて、ゴールまで1kmを切りました。ここからは項目2・3の滑りは止めて、スウェーデン・フランスの選手との競り合いに移りました。

 実力差も有り、残り500mからは予想通りノルウェーとスウェーデンの争いとなりました。スウェーデンチームのアンカーも強豪選手ですから、ノートグ選手といえども、ゴール前のスプリント競争で必ず勝てるという保証はありません。

 より勝利の確率を高めるためには、「ゴール前200mの直線走路に先頭で入る方が有利」との考え方から、ノートグ選手は直線走路に入る直前の右回りコーナーで勝負を賭けました。
 一気にスウェーデンのアンカーを抜き去ったのです。

 最後の直線走路では、相手選手も素晴らしいスピードを見せました。地元開催の大会でもあり、大歓声が後押しします。
 
 ノートグ選手も「世界一」と評されるスプリントを繰り出しますが、その差は広がりも縮まりもしませんでした。「互角のスプリント合戦」が展開されたのです。

 ゴールした時の1位と2位の差は、直線走路に入った時の差と同じでした。つまり、「直線走路にトップで入ったチーム」が優勝したのです。

 ゴール前のスプリントに絶対の自信を持ち、世界中から最速のスプリントと評価されているノートグ選手が、1~9kmの間「体力を温存」していたにも拘わらず、ゴール前のスプリントで引き離すことが出来なかったという事実は、「直線手前のコーナーで勝負するという判断の正しさ」を証明しています。
 
 このレースにおけるペッテル・ノートグ選手の10kmの滑りは、まさに「勝利のために最善を尽くした滑り」でした。

 現在世界最強の男子距離スキーヤーと言われるノートグ選手が、全力を尽くし細心の注意を払い、「勝つために出来る全てのことを実行」したのです。

 それでも2位との差は2~3mでした。世界一を争う大会で優勝することの難しさを改めて感じると共に、ペッテル・ノートグというプレーヤーが世界一と呼ばれる理由を魅せていただいた気がします。
 2月26日、スウェーデンのファルンで開催されているノルディックスキー世界選手権2015の女子20km(5km×4)リレー種目でノルウェーチームが優勝しました。

 そして、アンカー・第4走者として優勝に貢献したマリット・ビョルンゲン選手にとって、オリンピック・世界選手権通算20個目の金メダル獲得となりました。何という実績でしょうか。
 当然ながら、金メダル1つでも素晴らしい実績であり、当該スポーツの歴史に輝かしい足跡を残すアスリートであることは間違いありません。出身国にとっては「英雄」なのです。そうした中で「20個目の金メダル」というのですから、驚きを通り越して、呆れてしまうほどの金字塔です。

 1980年3月にノルウェーのトロンハイムに生まれたビョルンゲン選手は、現在34歳、もうすぐ35歳になるベテランです。その「選手生命の長さ」にも括目させられます。
 そしてその活躍は、30歳を過ぎてから一層輝きを増したのです。

 ビョルンゲン選手がオリンピックで初めてメダルを獲得したのは、2002年のソルトレークシティ大会の20kmリレーにおける銀メダルでした。
 世界選手権大会で初めてメダルを獲得したのは、2003年のバルディフィエメ大会の個人スプリントにおける金メダルでした。
 この22~23歳頃のビョルンゲン選手は、もちろん世界の一流選手ではあったのでしょうが、「世界トップクラスの距離スキーヤーのひとり」でした。まだ、「本格化」前だったのです。

 それが2005年のオーベストドルフ世界選手権大で一気に3個の金メダルを獲得し、2010年のバンクーバー・オリンピックでも3個の金メダルを獲得するに至って、「世界最高のプレーヤー」に躍り出ました。圧倒的な力を示し「雪原の女王」と呼ばれるようになります。

 ここまでの実績=オリンピック金メダル3個・世界選手権金メダル4個でも、女子世界ノルディックスキー史上に残るスーパープレーヤーなのですが、「雪原の女王」の活躍は続くのです。

 30歳を過ぎた2011年のオスロ世界選手権で4種目に優勝し、2013年のバルディフィエメ世界選手権でも4種目に優勝、昨年2014年のソチ・オリンピックでも3個の金メダルを獲得したのです。この3大会だけで、金メダルを11個獲得するという離れ業。驚くべき強さとしか言いようがありません。

 そして、現在行われているファレン世界選手権でも、ここまで個人スプリントと20kmリレーで優勝しています。
 2002年に世界大会で初めてメダルを取ってから13年間、世界のトップに君臨し続けているのです。

 特筆すべきは

① それ程体格に恵まれているわけではないこと
② ほとんどの種目に出場してくる体力・体力回復力

 の2点であろうと思います。

 ビョルンゲン選手の身長は168cmと公表されていますが、実際にはもう少し低いのではないか、165cm位に見えます。これは、170cmを優に超える大柄な選手が多い北欧の選手の中では小柄な部類に入ります。実際、ノルウェーチームの中でも身長の小さいプレーヤーのひとりでしょう。

 距離スキー競技においては長身の方が有利と言われます。履くスキーの長さが長いからです。
 いつも書くことで恐縮ですが、距離スキーは「スキー板の滑走面で雪面を押す圧力で雪が解け、雪面とスキー板滑走面の間に水膜が出来ることで摩擦が小さくなり、足腰他の筋力で前進する競技」ですから、他のスキー種目と同様に「雪面とスキー板滑走面の接する面積が大きい方が有利」なのです。
 つまり、スキー板は長い方が有利と言うことになります。

 もちろん、足腰他の筋力が足りなければスキー板の長さを活かし切れないことにもなるのですが、「雪面を押す力が同水準であればスキー板が長い方が有利」ということになります。

 他の選手に比べて身長が低い=スキー板が短い、ビョルンゲン選手が世界のトップに立つことは容易なことではない筈なのです。
 身長には恵まれていないケースが多い日本人距離スキーヤーにとっても、ビョルンゲン選手の活躍は勇気を与えてくれるものでしょうし、ビョルンゲン選手の走法・トレーニング方法から多くのものを学べるのではないかと思います。

 また、ビョルンゲン選手はどの大会においても、多くの種目に出場して来ます。2日に1度は走っている感じです。
 これは、相当の体力・体力回復力が無ければ実行不可能なことです。

 世界大会で世界中の強豪選手達と優勝を争う以上、決勝レースにおいて体力を温存する走りなど出来る筈がありません。いかにビョルンゲン選手といえども、各種目共に全力でトライしていることは間違いないでしょう。実際、各種目が終わる度に「疲労困憊の様子」なのです。

 ところが、2日後にはまたスタートエリアにビョルンゲン選手の「元気一杯」の姿が見られます。
 35歳を間近に控えた今大会でも同じであるところが、素晴らしいところでしょう。どうしてそんなことが出来るのか、不思議でさえあります。

 昨2014年のソチが「雪原の女王」にとっての最後のオリンピックであろうと、世界各国のメディアが報じました。
 しかし、今大会の活躍を観ると、「雪原の女王」伝説はまだまだ続くように感じられるのです。
 スウェーデンのファルンを会場として行われているノルディックスキー世界選手権2015も佳境に入りました。

 距離スキーの各種目では、やはり「王国」ノルウェーチームの活躍が続いていましたが、2月24日に行われた女子10km個人フリーと25日に行われた男子15kmフリーでは、地元スウェーデンチームが優勝を飾りました。
 北欧のノルディックスキー強豪国の一角として、さらに開催国としての意地を見せたのです。

 まずは女子10km。
 ハロッテ・カラー選手が2位のジェシカ・ディギンズ選手(アメリカ)に41.0秒の大差を付けて圧勝しました。
 カラー選手はスタート直後から波に乗り、前半で勝負を決めました。最後の2kmではさすがに疲れが見えて差を縮められましたが、悠々と逃げ切りました。

 続いて男子15km。
 ヨハン・オルソン選手が2位のマニフィカ選手に17.8秒の差を付けて快勝しました。ベテランであり、大きな大会での強さに定評があるオルソン選手は前半から快調な滑りを見せ、7.5km地点ではマニフィカ選手に僅かに遅れたものの、さすがのペース配分を魅せて後半逆転しました。
 スウェーデンのエースとして、堂々たる優勝であったと感じます。
 オルソン選手は、ノルウェーのぺッテル・ノートグ選手と共に、現在の男子距離スキー界を代表するプレーヤーと言えるでしょう。

 どんな競技・種目においても、世界大会が「大成功」するか「成功」で終わるかの要因のひとつに「地元勢の活躍」が有ることは間違いないでしょう。
 このところ距離スキー競技において、ややノルウェーに押され気味であったスウェーデンですが、男女の個人2種目において金メダルを獲得したというのは、地元ファルン大会のエポックとなったと思います。
 これで、この大会の「大成功」は約束されました。

 また、この女子10km・男子15kmにおけるスウェーデンチームの活躍は、まさに「チームの総合力」の勝利であったとも感じます。

 軟雪のコースコンディションに対するワックスも合っていましたし、カラー選手とオルソン選手のペース配分も絶妙でした。戦前の戦略が功を奏したのでしょう。そして何より、大観衆の応援が力となりました。
 
 一方のノルウェーチームは、ワックスで苦戦を強いられたように観えました。
 特に女子10kmは惨敗でした。

 ノルウェーチームの女子代表選手達は、少々のワックスの失敗を跳ね返す地力を保持していますから、どんな大会でも好成績を残して来ているわけですが、このレースはそうした超一流選手をもってしても「克服できない程の大失敗」であったのでしょう。あのビョルンゲン選手が31位という「自身の世界選手権・オリンピックを通じての最悪の順位」であったという事実が、その失敗の大きさを示しています。

 その点からも、地元ファルンの雪を知り尽くしているスウェーデンチームには、抜かりが有りませんでした。気候・雪質も含めて、まさに「地元の利」を活かし切った勝利なのです。

 会場内には、黄色と青の沢山のスウェーデン国旗が、力強く打ち振られていました。ノルディックスキーは北欧の文化であり、DNAそのものなのでしょう。
 2月19日に行われた男女のスプリント・クラシカル種目では、ノルウェー勢の活躍が目立ちましたが、準々決勝・準決勝におけるチームワークも素晴らしいものでした。

 個人競技でチームワークというのは違和感がある話かもしれませんが、準々決勝と準決勝において、さらに上のレースに進出するための工夫・努力という意味です。

 今大会のスプリント種目では、各レース6名の選手が出場し、2着までの選手は自動的に上のレースに進み、各レースで3着以下の選手たちの中から「走破タイム上位2選手」が「ラッキールーザー(幸運な敗者)」として進出できるルールです。

 一方で、準々決勝は各組6名・計5組の競走があり、準決勝は各組6名・計2組の競走がありますが、それぞれの組の組合せは「くじ引き・抽選」により決まりますから、同じ国・チームのメンバーが同じ組に入ってしまうことが時々有ります。

 ましてやノルディック王国ノルウェーチームの選手達は、いずれも十分な力量を保持していますから、出場選手達の大半が準々決勝に進出しますので、「ブッキングの可能性も高い」のです。
 事実、この日のレースでも、女子では同じ組に3人、男子では同じ組に4人のノルウェー選手が入ってしまいました。

 同組の6名の選手の内3名・4名が同じチームの選手とは、「とても不運な組分け」だと感じますが、ここで「ノルウェーチームのチームワーク」が発揮されたのです。

 例えば、4名が同じ組に入った場合に、4名全員が上のレースに進むためには
① まず、1位と2位をノルウェーの選手で占めること。
② 続いて3位と4位もノルウェーの選手で占めること。つまり1~4位を独占すること。
③ そして、3位と4位の選手の走破タイムが「ラッキールーザー」となるようにレースを進めること。

 という諸条件を満たす必要があります。

 世界トップクラスの他国チームの選手達が6名中2名出場している組で、1~4位を独占することは容易なことではありません。

 加えて、優勝争いが出来る位の力量上位の選手なら、準決勝までのレースで2位に入ることはそれほど難しいことではないと考えられますし、決勝に進出すれば1日に3レースも戦わなければならない厳しい日程ですから、こういう優勝候補の選手にとっては「なるべく体力を温存して勝ち残りたい」と考えるのが普通なのでしょうが、そういう走りをしていては組全体のタイムが遅くなってしまい、その組の3位・4位に入るチームメイトの選手達を「ラッキールーザー」にすることは出来ませんから、相当高いスピードでレースを引っ張る必要があるでしょう。

 つまり、チームメイトの上位レース進出のために、「自分が決勝に進出するために必要なエネルギー以上のエネルギーを消費」しなくてはならないのであろうと思います。「体力を温存する」という、「自分の勝利ための行動」ではなく、チームのための行動を展開することになります。

 そして、ノルウェーチームはこの極めて難しい諸条件を見事にクリアしました。ノルウェーチーム全体の高い実力レベルが無ければ到底できなかったことであろうとも思いますが、4名のチームメイトがそれぞれの役割をキッチリと果たし、見事なチームワークを魅せたのです。

 この日の男子準決勝2組目、1.4kmコース最後の直線手前の上り坂を4名のノルウェーの男子選手達が一心不乱に登って行くシーンが印象的でした。他国チームの2名の選手とは差が付いていましたから、この組の1~4位独占を狙える状況でした。

 あとは「タイムだけ」です。3位と4位になるチームメイトを「ラッキールーザー」にするために、1組目の3・4位の選手達より速い走破タイムが必要なのです。この段階で他国チームの選手に差を付けていても、全力で坂を登らなければならなかったのです。

 結局ノルウェーチームの4名全員が決勝に進出しました。「2着+2」というルールの下で、同じ組に自国選手4名全員が入ってしまった時には、さすがのノルウェーチームも難しい状況に追い込まれたと感じたことでしょうが、決して諦めることなく、全員決勝進出に向けての作戦を練り上げ実行したのでしょう。

 特に、同じ組に入った他国の優勝候補の選手、この選手はゴール前の追い込みの強さに定評がある選手なのですが、この選手が追い込んでくることを想定して、ノルウェーチームも最強の選手(ぺッテル・ノートグ選手)を自国の選手集団の後方に配置して、待ち受けたように観えるのは、驚くべきことでしょう。
 この後の決勝レースで優勝を遂げたペッテル・ノートグ選手は、この準決勝を3着で勝ち上がったのです。自国の大エースを「ラッキールーザー」にすることで、チームメイト4名全員の決勝進出を実現したと見るのは考え過ぎでしょうか。

 もちろん、出来るだけ多くのチームメイトが決勝に進出できれば、決勝レースにおいて「万一エースプレーヤーにトラブルが発生した場合」でも、他のチームメイトが優勝を狙うことができるのでしょうし、「チームとしての多彩な作戦を立案し実行すること」も出来ることになるのでしょうから、結果としては「ノルウェーチームの勝利の確率が高まる」ことに繋がります。
 「全てはノルウェーの栄光の為に」ということなのかもしれません。

 「ノルディック王国」ノルウェーの地位は、こうした不断の努力により維持されているのだと感じます。凄いことです。
 2年に一度のノルディックスキー世界選手権大会が、2月18日にスウェーデンのファルンを会場として開幕しました。アメリカ・ビーバークリークで行われていた「アルペンスキー世界選手権大会」が閉幕して直ぐの開催というスケジュールです。

 恒例により、距離スキーはスプリント種目から始まりました。

 男女とも1.4㎞のコースを使い、準々決勝以降は6名の選手が同時に滑って順位を競う形式です。比較的新しい種目である「スプリント」ですが、北欧勢を中心に世界トップクラスの選手達が繰り広げる競り合いは見応え十分。とても面白いレースが続きました。

 但し、テレビ放送の中で気になるところがありました。

 「上り坂でワックスのグリップが余り効いていないようです」といったコメントが、とても多かったのです。スキー板滑走面の真ん中辺りに塗布されている「グリップワックス」の効果についてのコメントなのでしょうが、レース中に何度も指摘するようなことではないと思います。

 もちろん、ワックスの成否はレースの勝敗に影響を与えることは間違いありません。レース前に各チームのワックスマンを始めとするスタッフは、当日の気温・雪質やコースの高低・形状に合わせて何層にもワックスを塗り、おそらく複数のバージョンのスキー板を用意して、選手と相談の上、当日使用するスキー板を決めているのだと思います。
 当然ながら、選手の体格・体力・滑り方の特質・好みも考慮されるのでしょう。

 こうして用意されたスキー板が、いざ滑ってみると「思ったように上手く行かない」ということも起こることでしょう。自然を相手にするスポーツではままあることです。

 さて、「ワックスが上手く行かなかった」時に、世界トップクラスの選手達は「天を仰いで」悔しがり、レースを諦めるのでしょうか。
 そんなことは無いでしょう。
 その日のワックスの具合によって、レースのやり方を変えて行くのでしょう。
 そうでなければ、世界のトップクラスに長く居続けることなど出来ないからです。

 ワックスのグリップが弱いレースでは、下り坂の滑りが速くなるかもしれません。あるいはターンが良く効くかもしれません。色々なケースが考えられますが、そのレースのワックスの具合により、自身の滑りを変更し、可能な限り対応していくことが出来る選手が、世界トップクラスの選手達なのだと思います。
 もちろん、こうした選手達は「ワックスが的中した時」には、一層素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれるのでしょう。

 レースに臨んで大切なことは「ワックスの具合などで一喜一憂しないこと」なのだと思います。滑り始めて100mもすれば、選手はその日のワックスの具合が分かることでしょう。そして「上手く行っていない」と感じた時に、「ああ、これで今日のレースはダメだ」などと考えるようでは、到底世界で戦っていくことは出来ないと思います。

 自然を相手にするスポーツでは、天候等の要因により「パーフェクトな状態で戦えないこと」がよく発生するのでしょう。その時に、自らの最高のパフォーマンスを100として、90や95のパフォーマンスを維持できるプレーヤーこそが、世界のトッププレーヤーなのでしょう。

 上り坂で「カクッと」なる選手達を見て「ワックスが・・・」などと何度もコメントするのであれば、その選手の下り坂の滑りも分析してみていただきたいと思います。ひょっとすると「スキーが良く滑っている」かもしれません。

 男子スプリント・クラシカルで優勝したペッテル・ノートグ選手も、女子スプリント・クラシカルで優勝したマリット・ビョルンゲン選手(共にノルウェー)も、坂道で何度もスリップしていました。
 そんなことはお構い無しに、この2人の偉大なアスリート・ノルウェーチームの男女のエース、は自らのキャリアに「世界選手権優勝」の記録を積み上げました。

 ノートグ選手は世界選手権通算10個目の金メダル、ビョルンゲン選手は同13個目の金メダルです。
 まさに、世界のトッププレーヤーなのです。
 現在のアルペンスキー競技は、「高速系」と「技術系」の種目で構成されています。別の言い方をすれば「分業が明確化」されているということでしょう。

 冬季オリンピックに「スーパー大回転」種目が登場したのは1988年のカルガリー大会からでした。そして、この大会には「アルペン複合」種目も登場しています。

 1984年のサラエボ・オリンピック以前のアルペン種目は、滑降・大回転・回転の3つでした。
 現在の見方で分類すれば、高速系が滑降の1種目、技術系が大回転と回転の2種目となりますから、高速系種目の方が少ないということになります。

 それでは高速系種目を増やそう、ということになったのかどうかはともかくとして、高速系種目としての「スーパー大回転」が追加されたのです。

 そして、「高速系種目と技術系種目の接点となる種目」として「アルペン複合」種目もプラスされたのかもしれません。

 実は、世界選手権大会においては「アルペン複合」という種目は1930年代から実施されてきています。その点からは、世界選手権とオリンピックの実施種目に違いがあったことになります。

 世界選手権で「複合」種目が始まったころは、単独種目の滑降と回転のタイムを合計して順位付けしたりしていましたが、その後は「複合種目専用に別に滑って比較」したりしていました。高速系の種目が滑降では無くスーパー大回転であった頃もあったのです。
 また、複合種目専用に滑るのも「別々の日」に行っていたりしました。

 「アルペン複合」種目は、様々な見直しの過程の中で現在のような形=単独種目とは別に「滑降」と「回転」を1日の間に滑って合計タイムで競う、になってきたといえるでしょう。

 こうして、男女共に5種目(個人種目)となったアルペン競技は、種目数が奇数であるだけに「高速系の選手対技術系の選手」の対決も見物となって来ています。

 そして、これだけ分業が確立されている時代にあっても「オールラウンドプレーヤー」も存在しますから、見所十分ということになります。

 アメリカ・ビーバークリークで行われた世界選手権大会2015では、例えば男子複合で「技術系のヒルシャー選手が優勝し、高速系のランスルー選手が僅差の2位」となるなど、高速系対技術系の見事な対決が見られましたし、女子ではオールラウンダーであるティナ・マゼ選手の「5種目全て出場」が目立ちました。

 道具の進歩やトレーニング手法の向上が続いている中では、今後もアルペンスキー競技の分業化が伸展して行くことは間違いのない所なのでしょうが、一方でかつてのトニー・ザイラー選手やジャン・クロード・キリー選手の様に「オリンピックの全ての種目(当時は3種目)で金メダル」を獲得する選手の出現(現在の個人種目は5)にも、少し期待してしまうのです。相当難しいことだろうとは思いますけれども。

 2015年アルペン世界選手権の女子最終種目「回転」が2月14日に行われ、アメリカのミカエラ・シフリン選手が優勝しました。

 シフリン選手の1回目・2回目の滑りは共に「完璧」でした。
 アルペンスキー競技における世界一を争う大会でノーミスの滑りというのは、滅多に観られないものです。

 「ギリギリのスピード」を追及する競技なのですから、優勝選手であっても必ずエッジング(タイミング・方向・強さ)やコース取りのミス等々が1回や2回は観られるものなのです。ところが、この日のシフリン選手の滑りには、殆ど無いというか皆無であったように感じました。

 もともと「雪煙が少ない滑り」には定評があるところでしたが、この日は他を圧して少なかったように思います

 スキーは、雪面をスキー板の滑走面で押すことで雪が解け、水の幕がスキー板と雪面の間にできて摩擦が小さくなり、斜面を下りながら引力で加速して行くスポーツですから、

① できるだけスキー板と雪面の接地面積が大きい方が速く滑ることが出来る
② スキー板をできるだけ大きな力で雪面を押し続ける方が速く滑ることが出来る

 競技なのです。(当たり前のことを書き恐縮です)

 従って、滑走に当たっては、なるべくジャンプを短くする、エッジングを出来るだけ小さく短くする、スキー板をバタつかせない、といった点に留意する必要があります。

 特にエッジングは、旗門の都度行う動きですので、その1度当たりの差は小さくとも、コース全体では大きな差となって表れるのです。

 エッジングはスキー板のエッジを雪面に立ててスキーの方向を変える運動ですから、「エッジの角度を立てる程、雪面との接地面積は小さくなり」前述の①に悪影響を与えます。
 なるべく「エッジを立てること無く」エッジングを行う方が、①を実現できることになります。

 また、「エッジングに要する時間が短ければ短い程、スキー板と雪面を水平にして滑る時間が増えます」から、①を実現できます。従って、エッジングは、なるべくエッジを立てることなく、短く行うことで、早く滑れる可能性が高くなることになるのです。

 「スキーのエッジを立てることなく、短く」エッジングを行えば、「雪煙が少なくなる」のは理の当然です。

 ちなみに②を実現するには、選手が自らの重心をスキー板の真上に置く努力が重要なのでしょう。足首の角度や腰の位置・上体の移動方法など多くの要素が関係して来ます。

 何か、今回の記事はファンの方なら良くご存じのことを長々と書いてしまい、申し訳なく思いますが、今大会「他の選手に比べて明らかに雪煙が少ない滑り」を魅せているのは、男子のヒルシャー選手(オーストリア)と女子のシフリン選手(アメリカ)の2人のスキーヤーでしょう。

 これが世界トップクラスのプレーヤーが勢揃いした大会における現象であること、平均斜度が25度前後という急斜面に「世界最難度のポール配置」が施されたコースにおいて観られる現象であること、を考え合わせれば、いかに驚異的なこととであるかが分かるでしょう。

 最高斜度が30度を優に超えるコースを世界最高水準のスピードで滑る時に、エッジをなるべく立てず、短い時間で方向変更を、ミスを最小限に抑えて、連続して行うことが出来る、ヒルシャー選手とシフリン選手というのは超人的なアスリートなのです。

 世界中のスキーチームが2人の滑り・細部の動きを研究し尽くしているにも係らず、同様の滑りを自国のスキーヤーに展開させることが出来ないというのも、現代のような高度情報化社会においては不思議なこととさえ言えそうです。

 さて、本稿の主役・シフリン選手に話を戻します。

 自国開催の世界選手権大会において、実力通りに金メダルを獲得するというのは、体力・技術面の優位はもちろんとして、精神面の強さをも存分に発揮したということになります。

 これも凄いことです。

 「絶対的優勝候補」とされながらプレッシャーに押し潰されてしまうプレーヤーは、残念ながら時折登場します。
 しかし、若干19歳のシフリン選手には「強靭な精神力」も備わっているのです。

 これで、2013年のシュラートミング世界選手権、2014年のソチ・オリンピック、2015年の今大会と、世界一を決める大会の回転種目で「3大会連続優勝」を遂げました。
 17歳で世界選手権を制し、18歳でオリンピックチャンピオンとなり、19歳で世界選手権連覇を成し遂げたのです。

 ミカエラ・シフリンというスキーヤーの「アルペンスキー技術系種目における桁外れの才能の大きさ」を明示する事実であり、本ブログの記事にも書いた通り「世界一の大会に勝つことと経験値の大きさは無関係」であることを如実に示すプレーヤーのひとりでもあります。

 ゴール直後、優勝を決めたシフリン選手が「全身で喜びを表現すること」はありませんでした。「勝って当然」と考えていたというよりは、「勝ててホッとした」様子に観えました。

 19歳にして、スポーツ大国アメリカの期待(今大会女子種目4種目を終えて「金メダル0」)を一身に背負うこととなったスキーヤーが、その期待に応えたのです。

 年齢から見ても、シフリン選手のキャリアはまだ序盤です。これからも長きに渡って女子アルペンスキー技術系種目のアメリカチームのエースとして、そして世界のトップスラローマ―としての道が続いて行くことでしょう。
 早々に世界のトップに躍り出たプレーヤーは、次に「継続力」が試されるのです。
 アメリカ合衆国のコロラド州ビーバークリークで開催されている、2015年アルペン世界選手権大会ですが、地元アメリカチームの不振が目立っていました。

 女子のリンゼイ・ボン選手はスーパー大回転で3位に入っていましたが、高速系種目「スーパー大回転」「滑降」と「アルペン複合」および「国別団体」という4種目を終えても、男女を通して金メダルを獲得できていなかったのです。

 世界一のスポーツ大国であるアメリカ合衆国が、自国で開催する世界大会で「優勝種目」が無いというのは、珍しいことでしょう。たとえ世代交代の狭間で有力選手が居ない場合でも、「新星」が登場して苦境を救うことも多かったのです。
 アメリカとは、そういう国なのでしょう。

 そのアメリカチームが、今大会では相当に追い込まれたという印象でした。
 そして2月13日の男子大回転を迎えました。

 この種目にはアルペン王国オーストリアの大エース、マルセル・ヒルシャー選手が居ます。ワールドカップ3連覇中のヒルシャー選手は、今大会も既にアルペン複合で金メダルを獲得していて、好調な状態であることが証明されていますから、大袈裟な言い方をすれば大回転は「ヒルシャー対他の全選手」という構図ということになると考えていました。

 1回目。
 ヒルシャー選手は「リスクを回避する滑り」を見せました。1回目で後塵を拝しても、2回目で十分逆転できるとの戦略だったのでしょう。「絶対に2回目に進める滑り」を指向し、転倒・コースアウトを回避する安全なスラロームを展開したのです。

 ところが、その「抑えた滑り」でもヒルシャー選手はトップに立ちました。2番目の選手との差は0.18秒と小さなものでしたが、他の選手との「圧倒的な実力の差」を感じさせる結果でした。
 このまま2回目も、攻撃的な滑りを見せるまでも無くヒルシャー選手が優勝する可能性が高いと思いました。

 ところが、1回目でヒルシャー選手に0.24秒差の5番目に付けていた、アメリカのテッド・リゲティ選手が2回目に驚異的な滑りを展開したのです。
 2013年シュラートミングの世界選手権において3種目で金メダルに輝いたリゲティ選手ですから、世界トップクラスのスキーヤーであることは間違いないのですが、それにしても凄まじい滑りでした。

 特にゴール手前200mの緩斜面でのスピードは圧倒的でした。

 リゲティ選手が滑り終えた時点で2番目の選手に「1.28秒という大差」を付けました。
 この大差は、続く選手達に大きなプレッシャーを与えたと思います。それは、絶対王者ヒルシャー選手にとっても同じだったことでしょう。

 ヒルシャー選手にとっては「無理をしなくとも(彼にとって)普通に滑れば勝てる」筈だったレースが、「攻め捲らなければ勝てない」レースに変わったのです。

 そして、ヒルシャー選手もさすがの滑りを展開しました。追い込まれても慌てる素振りも無く見事なプレーを魅せるというのは、超一流プレーヤーの特徴・特権です。

 残り200mまで、リゲティ選手とヒルシャー背選手のタイムはほぼ互角でした。そして、この200mのスピードでリゲティ選手が勝り、0.45秒差で優勝しました。

 今大会は「暖かい気候」が続いていますが、この日もゴール周辺は8℃という、標高3000m前後にセットされたコースとは思えない程の暖かさでした。加えて、ゴール周辺には1回目の競技開始の時から燦々と陽光が降り注いでいました。観客席には半袖姿のファンも目立ったのです。ゴール手前はコース前半のアイスバーンとは異なる、おそらく相当柔らかい雪質だったのではないでしょうか。こうした雪質のコースを速く滑るというのは、とても難しいことです。

 しかし、リゲティ選手とアメリカチームにとっては慣れたコースであり、リゲティ選手は「ビーバークリーク・スキー場で滅法強いスキーヤー」なのです。その相性の良さも存分に発揮した滑りだったのでしょう。

 滑り終えた後、2位に終ったヒルシャー選手はあまり悔しがる素振りを見せませんでした。「あの滑りを見せられては止むを得ない」という心境だったのではないでしょうか。「ヒルシャー選手が負けた」のではなく、「リゲティ選手が勝った」レースであったと思います

 これでテッド・リゲティ選手は「アルペン世界選手権大会・大回転種目3連覇」という偉業を成し遂げました。
 そして何より、自国開催世界大会・優勝0というアメリカチームのピンチを救ったのです。

 スポーツ大国アメリカの底力を感じます。

 1回目のスタートから第1旗門・第2旗門を通過するアナ・フェニンガー選手の滑りは、極めて滑らかで、「絹のよう」でした。
 スキーが雪面から離れることなく、流れるようなターンで、加速して行ったのです。

 フェニンガー選手は1回目を圧倒的なタイムで滑り切りました。2番目の選手に0.90秒という大差です。

 これほどの差があれば2回目は慎重な滑りを見せるかと思いきや、攻めの滑りを続けたことに再び驚かされました。コース後半の斜面では、バランスを崩し転倒してもおかしく無い場面がありましたが、このピンチを難なく乗り切り、2回合計で2位のレーベンスブルグ選手(ドイツ)に1.40秒という大差を付けて優勝しました。

 これでフェニンガー選手は、スーパー大回転種目に続いて今大会2つ目の金メダル獲得となりました。滑降種目の銀メダルと合わせて3つ目のメダルです。オーストリア女子チームのエースとして、さすがの成績です。

 アナ・フェニンガー選手の「2015年2月12日大回転種目のスタート直後50mの滑り」は、世界選手権大会史上に残るスラロームであったと思います。
 2月9日に行われた女子アルペン複合種目では、スロベニアのティナ・マゼ選手が見事なゲーム運びを魅せて、勝ち切りました。

 前半・滑降種目でトップに立っていたマゼ選手は、上位25選手の最終25番目の滑走順番でした。

 そして24名の選手が滑り終えて、オーストリアが1~3位を独占していたのです。
 今大会好調なオーストリア・技術系陣は、この種目でもその実力を発揮して、ホスプ選手、キルヒガッサー選手、フェニンガー選手が上位を占めていたのです。

 アルペン王国オーストリア勢の圧力を前にして、マゼ選手がどのような滑りを見せるのかに注目が集まりました。

 前半の滑降で「0.90秒の貯金」を持っていたマゼ選手は、この貯金を上手く使いました。
 スタート直後から少しずつ貯金を減らして行き、貯金が0.22秒に減ったところがゴールだったのです。

 まさに「計算通りの滑り」であったと感じます。

 マゼ選手の実力をもってすれば、貯金を維持する・広げる滑りも出来たと思いますが、それでは「転倒やコースアウトのリスク」も高くなってしまいます。リスクを最小に抑えながら、ホスプ選手の合計タイムを少しでも上回れば良い、という戦略を立て、実行したのでしょう。

 もちろん、世界最高レベルのスキルが無ければ実行・成功できる戦略ではありません。ましてや、世界選手権大会という大舞台なのです。

 ティナ・マゼ選手のスキルの高さを世界に示した、素晴らしい滑りでした。
 (前の記事からの続きです。)

 「転倒しながらも25位でゴールした」かのように観えたチェコのバンク選手が失格となり、26位以下の選手達がひとつずつ順位を上げました。

 前半の滑降種目を終えて31位と表示されていた、オーストリアのマルセル・ヒルシャー選手の順位も30位に上がったのです。

 31位と30位、この違いはとても大きなものでした。

 この大会の男子アルペン複合種目では、後半の回転種目の滑走順番は、前半の滑降種目で30位だった選手から1位の選手まで滑り、その後31位の選手以降の選手が順番に滑るというルールなのです。
 従って、前半30位の選手は、後半の回転種目で「最初に滑ること」が出来るのです。

 アルペンスキー競技はどの種目でも、早い順番で滑る方が有利です。他の選手のスキーの轍が少ないのですから。特に先頭で滑る選手は、「良く整備された雪面」を滑ることが出来るのです。

 そして、今回その利点を得た選手がヒルシャー選手だったのです。

 マルセル・ヒルシャー選手はオーストリアの25歳、過去3年間ワールドカップ総合優勝を続けている、オーストリアのエースというか、現在の世界男子アルペン競技・技術系の若き絶対王者です。

 このヒルシャー選手が、バンク選手の転倒・失格により1番滑走という絶好のスタート順番を手にしたというのは、何という偶然なのでしょうか。

 ヒルシャー選手はこの幸運を見事に活かしました。
 積極的かつ冷静な、素晴らしい滑りを展開したのです。圧巻のスラロームでした。

 1番滑走ですから、当然ながらトップに立ったのですが、この後前半の滑降種目でヒルシャー選手より上位に居た選手達が次々と回転種目に挑んでも、ヒルシャー選手の合計タイムを超えることが出来ません。

 29名の選手が滑り終えても、ヒルシャー選手はトップに居ました。現在のこうした大会では、ゴールエリアにその時点でトップの選手が待ち受けるという形ですから、ヒルシャー選手は1番滑走でゴールしてから、ずっと待ち続けたのです。

 ついに前半・滑降トップのランスルー選手(ノルウェー)の試技となりました。
 ランスルー選手はヒルシャー選手に対して3.16秒という大きな差を持ってスタートしました。高速系のランスルー選手は回転種目は苦手ですから、「3.16秒の貯金」を活用して、合計タイムでヒルシャー選手を上回ることを目指したのです。
 とても良い滑りに見えました。途中計時も、ヒルシャー選手の合計タイムと互角以上の数値を示していました。

 そしてゴール。

 僅かにヒルシャー選手が上回りました。大逆転優勝でした。

 バンク選手の転倒なかりせば、転倒したとしても「転がりながらのゴール」が認められていれば、ヒルシャー選手は滑降31位となり、ランスルー選手の後に31番目で滑らなければならなかったのです。
 コース・雪面が相当に痛んだ状態で、ヒルシャー選手があれだけのタイムを叩き出せたでしょうか。
 「神様のみぞ知る運命」というか「勝利の女神の気紛れ」が、勝負事には存在することを強く感じさせるレースであったと思います。

 それにしても、マルセル・ヒルシャー選手のスラロームは見事の一語でした。
 エッジングが極めて短く、次のポールに向かう体勢作りに全く無駄が有りませんでした。「惚れ惚れする滑り」です。

 エッジングの短さ・軽さで一世を風靡し、現在に至るまでワールドカップの最多勝利数記録86勝を誇り「史上最強のスラローマ―」の名をほしいままにしているインゲマル・ステンマルク選手(スウェーデン)と比べても、見劣りしないエッジングスピード・技術に観えました。
 比較すれば、ステンマルク選手より「少し力強いエッジング」でしょうか。

 そうなると、力強く豪快なエッジングで回転系種目を席巻したアルベルト・トンバ選手(イタリア)とステンマルク選手を足して2で割ったようなスキーヤーということになるのかもしれません。

 まだ25歳の若さで、世界アルペン競技・技術系種目に君臨するマルセル・ヒルシャー選手。現時点でワールドカップは29勝です。
 オリンピック・世界選手権のメダルの積み上げも含めて、どこまで記録を伸ばしていくのか、とても楽しみです。

 マルセル・ヒルシャーは「新しい歴史にトライすることが出来る選手」なのでしょう。
 男子アルペン複合種目は2月8日に行われましたが、ひとつの転倒が勝敗に大きな影響を与えました。

 複合前半の滑降種目、ノルウェーのヤンスルー選手が滑り終えてトップに立ちました。続く選手達がヤンスルー選手のタイムに挑みますが、追い抜くどころか迫ることも出来ない状況が続きました。

 そして、チェコのバンク選手が登場し、見事な滑りを展開したのです。「スピードを落とさないこと」に注力した滑りでした。
「最も効率的なコース」を取るとか、「クラウチングスタイルを維持して風の抵抗を最小限に抑える」といった、常識的に有効だと考えられる手法を「全く気にすること無く」、常にスピードを上げる・落とさないという点に絞り込んだ、極めてチャレンジングなスキーイングでした。
 世界トップを争う大会に相応しい滑りであったと思います。

 綺麗に滑り、コースを維持し、クラウチングを確保する、ような滑りでは、このレベルでは勝てないのです。スピードが出ていないから、綺麗に、コース通りに、クラウチングの形が取れる、とも言えるのかもしれません。

 バンク選手の滑りを見た時「これは良いタイムが出る」と感じました。トップのランスルー選手と互角のタイムが叩き出せると思いました。
 
 バンク選手は、ゴールまで残り200m辺りに差し掛かりました。後は、プレジャンプをしてゴールに飛び込むだけです。
 ところがここで、前の選手のスキーの轍に躓いたような感じで、バンク選手が大きくバランスを崩して転倒したのです。
 片方のスキーが外れましたが、もう一本のスキーは外れず、バンク選手の足に付いたまま転倒が続きます。
 50m位そのまま転がり続けたでしょうか、ようやく2本目のスキーが外れて、バンク選手はそのまま前に転がり続けました。

 2本目のスキーが外れてから100m以上転がったでしょうか、バンク選手の体がゴールラインを越えました。何とゴールインしたのです。
 ゴールラインから10m位入った辺りで、ようやくバンク選手の体の移動が止まりました。

 200m近くの距離を転がり続けたように見えました。さすがに時速100km以上のスピードが出ている状態での転倒です。怖ろしいばかりの運動エネルギーなのです。
 ようやく止まったバンク選手は、ピクリとも動きません。
 救護班によって、スノーモービールで搬送されました。大きな怪我が無いことを祈るばかりです。

 前半の滑降種目が終わって順位が表示されました。バンク選手は25位でした。
 200m近く転がってゴールしたにもかかわらず25位という順位には、とても驚かされました。

 ところがこの後、バンク選手はコースアウトしていたということで失格となってしまいました。このため、当然のことながら26位以下の選手達の順位がひとつずつ上がったのです。

 そして、このことがこの種目の勝敗に大きな影響を与えたのです。「勝利の女神の存在」を感ぜざるを得ませんでした。(次の記事に続きます)
 2月3日に開幕した、アルペンスキー世界選手権大会男子の最初の種目・スーパー大回転が2月5日に行われました。4日に行われる予定の種目でしたが、悪天候のため1日順延されました。

 優勝はオーストリアのハンネス・ライヘルト選手、2位にカナダのダスティン・クック選手、3位にフランスのアドリアン・トー選手が入りました。

 このメンバーを見ただけで「男子アルペンスキー界は世代交代の時期に来ている」ことが分かります。
 ライヘルト選手は、こうした世界一を決める大会で初めての優勝、クック選手とトー選手は初めての表彰台だったのです。

 特にクック選手は、これまでのワールドカップ大会における最高成績が12位であり、28番スタートでの銀メダルでした。世界のトップを決める大会では、極めて珍しいことです。第1シードに入っていない選手達に、大いなる勇気を与える活躍でしょう。

 クック選手は、スタートから落ち着いたスキーイングを見せて、ゴールまでバランス良く滑り切りました。初の表彰台が、大会回数が多いワールドカップでは無く、2年に一度の世界選手権だったのは、クック選手の今後の活躍を予感させます。

 男子アルペンスキー界は、2015年ビーバークリーク世界選手権が「新しい時代の始まり」となるのかもしれません。
 各種目にどんな「新しい名前」が登場するのか、とても楽しみです。
 2年に一度行われる、アルペンスキーの世界選手権大会ですが、2015年大会が2月3日からアメリカ・コロラド州のビーバークリークで開幕しました。

 開幕を飾る種目は女子スーパー大回転。スピード系のこの種目は、現在の女子アルペンスキー界を支える「3強」の争いとなり、オーストリアのアナ・フェニンガー選手が優勝、2位にスロベニアのティナ・マゼ選手、3位にアメリカのリンゼイ・ボン選手が入りました。

 いかに「3強」とはいっても、1~3位を占めるのは珍しいことです。何か、この大会の女子種目の骨格を示してくれたような開幕種目でした。

 シード選手というか「神セブン」の争いから、まず抜け出したのはリンゼイ・ボン選手でした。ボン選手のマークした記録を抜き去りトップに立ったのがマゼ選手であり、シード選手の最後に滑ったフェニンガー選手が100分の3秒ボン選手を上回り、優勝を手にしたのです。距離にして1m位の僅かな差です。

 さすがに世界のトップに君臨する3選手は、それぞれの持ち味を存分に発揮しました。

 技術系が得意であり、体格的には残りの2選手より小さく体重も少ないフェニンガー選手は、コース前半のターンの多いエリアでタイムを稼ぎ、オールラウンダーのマゼ選手はコース全体をバランス良く滑り、高速系に強いボン選手はゴール前の緩斜面でスキーを上手く滑らせていました。
 フェニンガー選手は、コース序盤で0.3秒ほどマゼ選手より速く、ゴールでは0.03秒凌ぎ切った形です。「アルペンスキー競技の本質」が感じられる素晴らしいレースでした。

 当然のことながら、この3選手位のレベルのスキーヤーにとっては「途中計時タイム」は関係が無く、「自分がどこでタイムを稼ぐか」という戦略通りに滑ることが出来るかどうかがポイントなのでしょう。
 そして、3選手が3選手とも「概ね満足な滑り」を披露したからこそ、1~3位を占めたのであり、結果・順位は「僅かなミスの差」によるものであったと思います。選手が滑るたびに変形していく雪面を考慮すれば、ほとんど「運」と言っても良いことなのかもしれません。

 女子アルペンスキーは世代交代が進んでいません。
 30歳を越えたベテランの2人、あらゆる雪面に柔軟に対応できるマゼ選手と、勝負強さが際立つボン選手に、25歳・アルペン王国オーストリアのエース・フェニンガー選手を交えた「3強」の時代が、しばらくは続くように見えました。
 アルペンスキーのワールドカップ・女子スーパー大回転の第3戦が、1月19日にイタリアのコルチナダンペッツォで行われ、アメリカのリンゼイ・ボン選手(30歳)が優勝しました。

 ボン選手は今シーズンのワールドカップ各種目で4勝目、通算63勝目を挙げて、オーストリアのアンネマリー・モザー・プレル選手の62勝を抜いて、女子アルペンスキー・ワールドカップの最多優勝記録を打ち立てました。

 ボン選手は、2000年に16歳でワールドカップにデビュー、2004年12月滑降種目で初優勝を遂げ、爾来15シーズンをかけての快挙です。
 ボン選手は、2010年のバンクーバー冬季オリンピックでも滑降で金メダル、スーパー大回転で銀メダルを獲得していますし、世界選手権大会でも金2、銀3の成績を残しています。「勝負に行って強い」という印象でしょう。

 それにしても、あのアンネマリー・プレル選手の記録を破る選手が登場するとは、正直に言って思いませんでした。1970年代の女子アルペンスキー界を席巻したプレル選手(この記事ではアンネマリー・モザー・プレル選手を差します)の強さは別格だったのです。
 しかし「記録は破られるために在る」とはよく言ったもので、空前絶後とも思われたプレルの記録も破られる時が来たのです。

 少し不思議なのは、世界トップクラスのアルペンスキーヤーの「選手寿命が延びている」感じがすることでしょう。

 プレル選手は1968年にワールドカップにデビューし、1971年~1975年にかけて総合優勝を続けました。絶頂期でしょう。そして突然1975年に引退を表明しましたが、1976年シーズンに現役に復帰、1980年に本当に引退しました。
 27歳の時でした。

 この頃は、プレル選手のキャリアも他の選手に比べれば長いと感じたものですが、ボン選手は30歳になった現在でも、世界のトップに君臨しています。

 道具やトレーニング方法、体調管理ノウハウの進歩がベースを支えると共に、アルペンスキー競技自体に必要な身体能力の内容が変わってきているのかもしれないと感じます。

 いずれにしても、来月2日からアメリカのヴェイルで開催されるアルペンの世界選手権大会において、リンゼイ・ボン選手にはアメリカ女子チームの中心選手としての大活躍が期待されます。

 ところで、リンゼイ・ボン選手の恋人(2013年3月に交際宣言)としてこのゲームを観戦していた、タイガー・ウッズ選手は偉業達成の喧騒の中で「前歯を失った」と報じられています。
 ボン選手の表彰式に報道陣が殺到し、ビデオカメラがタイガーの口元を直撃して歯が取れたといったことのようです。

 世界ゴルフ界の英雄として、今シーズンの本格的復活が期待されているタイガー・ウッズ選手には「とんだ災難」となったようですが、白く綺麗な歯はタイガーのストロングポイントでしたので、きっちりと治療してPGAに登場していただきたいと思います。

 この「前歯喪失」が、近年のタイガー・ウッズ選手を苦しめている一連のトラブルの延長線上に在るものでは無いことを、祈っているファンも多いことでしょう。
 現在41歳、1992年のアルベールビルからソチまで7大会連続でオリンピック出場を果たしている葛西紀明選手の、長い選手キャリアを可能にしている原動力は何なのでしょうか。

 もちろん、40歳を過ぎても世界トップクラスのパフォーマンスを見せる肉体面の強さが前提となっているのでしょうが、興味深いのは「精神面の持久力」です。肉体面の強さ維持も、精神面の持久力無しには実現できないことは明らかです。

 アスリートは、その選手キャリアの中で、難度も壁にぶち当たり、「心が折れそうになる」のでしょうが、葛西選手はその都度、その壁を乗り越えてきましたし、現在も4年後のオリンピックを目指して意気軒昂です。

 この「心の若さ・強さ」の源として、私は「長野オリンピックの時の悔しさ」があるのではないかと考えます。

 1994年に鎖骨を骨折し、このシーズンを棒に振った葛西選手は、1996年に競技に復帰し、ワールドカップでも表彰台に上がるなど調子を戻していました。1997年から1998年・長野オリンピックのシーズンも好調なプレーを続けていました。
 しかし、1997年12月に左足首を捻挫したことも影響したのか、長野オリンピックのラージヒルと団体メンバーから外されました。この時、ラージヒルでは船木選手が金メダル、原田選手が銅メダルを獲得、団体は金メダルに輝きました。

 この長野オリンピックで代表から外された悔しさを、葛西選手は時々コメントしています。そして、平静なコメントの裏側に、大きなエネルギーの塊としての「長野の悔しさ」が満ちているように感じるのです。

 この「長野の悔しさ」は半端なものではなく、この悔しさを雪ぐまで、葛西選手は選手生活を続けようとしているのではないでしょうか。
 ソチ・オリンピックで個人ラージヒル銀メダル、団体銅メダルを獲得しても、長野の時自分が味わうことが出来なかった個人ラージヒル「金」、団体「金」には及びませんし、何より、まだ「悔しさ」を忘れることが出来ないのですから、選手生活を継続するしかないのでしょう。

 ところで、葛西選手のスキージャンプ界における評価を考えた時、「長野の悔しさ」はどんな意味を持つのでしょう。

 仮に、葛西選手が長野オリンピックでラージヒルと団体に出場し、ともに金メダルを獲得したとします。続く2002年のソルトレイクシティ大会出場(30歳の時)を最後に引退していたかもしれません。
 それでも、オリンピック3大会連続出場でメダルも複数持っているのですから、名選手と呼ばれるでしょうが、「レジェンド」とは呼ばれなかったでしょう。

 つまり、葛西選手は「長野の悔しさ」を晴らすために、日々精進を重ね、技術面やレギュレーションの変更に対応し、世界選手権やトリノ・バンクーバー・ソチのオリンピックに挑戦し続けました。
 気が付けば、7大会連続の冬季オリンピック出場という世界最高記録を打ち立て、また40歳を過ぎてのワールドカップ優勝やオリンピック銀メダルという偉業を成し遂げ続けています。そして、数年前からは、スキージャンプ競技の本場ヨーロッパにおいて「レジェンド」と呼ばれ、最大級の尊敬を集める存在となったのです。

 こう言っては、ご本人に叱られてしまうかもしれませんが、「長野の悔しさ」があったればこそ、葛西選手は「レジェンド」になれたのではないでしょうか。

 あまり意味の無い比較ですが
・ 長野で金メダル2つ、リレハンメルで銀メダル1つ、30歳で引退したジャンパー
・ 1992年のアルベールビルから2014年のソチまで7連続オリンピック出場、リレハンメルで銀メダル1つ、ソチ で銀と銅メダルを1つずつ獲得し現役を続行しているジャンパー

 どちらが、高く評価されるものなのでしょう。

 現在はどちらとも言えない、というのが本当のところではないでしょうか。

 つまり、現在の葛西選手は、「長野の悔しさ」は残り、金メダルはいまだに獲得していないけれど、長野で代表となり金メダルを獲得していた場合と、互角の評価は得ているのです。
 そして、世界的な知名度でいえば、後者の方が遥かに高いものでしょう。「長野の悔しさ」は、葛西選手が「レジェンド」となる原動力となり、世界で最も有名なスキージャンパーのひとりにしたのです。

 「長野の悔しさ」が有った方が良かったのか、無かった方が良かったのかは、いまだに結論が出ていないことでしょう。結論が出ないことなのかもしれません。いや、比較すること自体に意味がないことなのかもしれません。

 いずれにしても、葛西選手が現役を引退(まだまだ先のことですが)し、葛西選手自身がこのことを冷静に受け止め、自身で消化し切ったときに、ひとつの結論、葛西選手自身にとっての結論が出るような気がします。

 その結論を聞いてみたいものです。

 狩野亮選手が好調です。

 滑降座位種目に続いてスーパー大回転座位種目でも、金メダルを獲得しました。しかも、2秒近いタイム差をつける圧倒的な勝利でした。
 テレビ画面で見る限り、その滑走スピードは抜群です。狩野選手のずば抜けたスピードは、どこから生まれているのでしょう。

① 後傾姿勢

 狩野選手のターンを観ると、スキーの先が上がっています。「後傾姿勢」で滑り、ターンしているのです。ですから、どんどん加速されるわけです。
 後傾姿勢は、アルペンスキーにおいては良くないこととされていて、バランスを崩し、スピードが落ちると言われますが、実際の世界トップクラスの滑りでは、ターン毎にスピードを落とさずに、逆に加速していくために、必要な技術であることは、オリンピックのアルペン競技を見ても明らかです。

 後傾姿勢のまま、腰が落ち、転倒してしまっては何にもなりませんが、ターンの際に「転倒しない、ギリギリまで後傾する」ことは、スピードを競う競技においては有効な滑りということになります。

 本ブログのソチ・オリンピックの稿でも「綺麗なバランスの良い滑りではタイムが出ない」ことを書きましたが、当然ながらパラリンピックでも同様です。世界一・金メダルを狙うアスリートは、ギリギリの滑りにトライする必要があるのです。ゆっくりと綺麗なフォームで他のスキーヤーより速く滑れれば良いのですが、世界トップクラスのアスリートが集まる大会においては、「自分だけが綺麗に速く滑る」などということは、到底出来ないのです。

 転倒のリスクは高くなるが、そのリスクを犯さない限り、勝利の女神は微笑まないということでしょう。

② プレジャンプを飛ぶことにしたこと

 滑降やスーパー大回転といった「高速系種目」のコースには、雪面にギャップが用意されていて、プレジャンプをすることが要求されています。

 そして、このプレジャンプは「なるべく短い飛距離で抑え、スキー板と雪面が離れる時間を短縮すること」で、タイムロスを抑えるのが、原則です。

 しかし、今回のスーパー大回転では、狩野選手も銀メダルの森井大輝選手も、プレジャンプを飛んでいました。他国の選手は飛ばないようにして滑っていましたから、「飛ぶこと」は日本チームの作戦だったのでしょう。

 「飛ばない方が速い」とされている種目で、飛ぶことにしたのは、「スピードが出ている状態では、飛ばざるを得ない」からでしょう。

 「飛ばない方が速い」という原則は、「同じスピードで滑ってきたら、プレジャンプは飛ばない方が速い」ということです。

 このレースでは、より遅いスピードで滑ってきた他国の選手は飛ばなかった、より速いスピードで滑ってきた狩野・森井両選手は飛んだ、ということになります。飛んだほうが速い、というか、速いので飛ばざるを得ない滑りだったのでしょう。
 とにかく、速く滑ることが肝要な種目での、正しい選択であったと思います。

③ ブルーラインの外を滑り降りていたこと

 これも、オリンピックの稿で書きましたが、2本のブルーラインで示されているコースの中をずっと滑っているようでは、スピードが出ていないのです。狩野・森井の両選手は、時々ブルーラインの外側に運ばれながら滑り切りました。
 ブルーラインの外側に出されてしまうほどのスピードが出ていた証左です。「ブルーラインの外側を滑らなければならないほどのスピードを出さなければメダルには届かない」ことが、このレースでも良く分かりました。
 「キチンとしたラインをゆっくり・慎重に滑っている」ようでは、勝利は覚束ないのです。

 世界最高レベルの大会で、アルペンスキー「高速系種目」おいて好成績を挙げるための原則をしっかりと実行した狩野選手と森井選手。「攻撃的な気持ち」を前提としたその滑りは、見事でした。

 もちろん、他の選手に勝るスピードを出しながらも、転倒しないでゴールするためには、強靭な上半身と体幹の強さが必要なことは、言うまでもありません。弛まぬトレーニングが生きたのです。
 特に、狩野選手については「滑走中の上半身のブレが少なかった」と感じます。いつも「上半身が真っ直ぐに近い形」で滑っていました。抜群の筋力とバランス感覚が無くては、とても出来ないことでしょう。

 「高速系種目」を制するための秘訣は、オリンピックでもパラリンピックでも共通なのだと思います。
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