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 温故知新2020の女子バレーボール編です。

 東京オリンピック1964から正式種目となり、日本代表チームは見事に金メダルを獲得しました。
 ライバルのソビエトチームとの決勝戦は、現在でも時々眼にする、我が国のオリンピック史上「最も有名な映像」のひとつでしょう。

 当時の日本チーム、大松博文獲得のもと、「東洋の魔女」と称された日紡貝塚女子バレーボールチームを主体とした日本チームは、1963年の世界選手権と1964年の東京オリンピックにおいて、まさに圧倒的な強さを示しました。

 各大会のメダル獲得チームを観て行きましょう。

・東京1964 金・日本、銀・ソビエト、銅・ポーランド
・メキシコシティ1968 金・ソビエト、銀・日本、銅・ポーランド
・ミュンヘン1972 金・ソビエト、銀・日本、銅・北朝鮮
・モントリオール1976 金・日本、銀・ソビエト、銅・韓国
・モスクワ1980 金・ソビエト、銀・東ドイツ、銅・ブルガリア
・ロサンゼルス1984 金・中国、銀・アメリカ、銅・日本
・ソウル1988 金・ソビエト、銀・ペルー、銅・日本
・バルセロナ1992 金・キューバ、銀・ロシア(独立国家共同体)、銅・アメリカ
・アトランタ1996 金・キューバ、銀・中国、銅・ブラジル
・シドニー2000 金・キューバ、銀・ロシア、銅・ブラジル
・アテネ2004 金・中国、銀・ロシア、銅・キューバ
・北京2008 金・ブラジル、銀・アメリカ、銅・中国
・ロンドン2012 金・ブラジル、銀・アメリカ、銅・日本
・リオデジャネイロ2016 金・中国、銀・セルビア、銅・アメリカ

 東京1964からモントリオール1976までは、「日本VSソビエト」という構図でした。
 全体としてはソビエトがやや押し気味であったと感じますが、日本チームはオリンピックの舞台で見事な活躍を魅せてくれたのです。
 モントリオール1976の日本チームは、山田重雄監督のもと、セッターの松田紀子選手やアタッカーの白井貴子選手らの活躍でソビエトチームを破り、オリンピックチャンピオンに輝きました。
 「新・東洋の魔女」とも呼ばれました。

 この大会で、とても印象に残っているのは「白井選手の活躍」でした。身長180cmという、当時ならばとても長身だった白井選手は、次々と強烈なスパイクを決めて行ったのです。まさに「金メダルのエンジン」でした。

 さて、日本以外のチームを観て行くと、やはりロシア(旧ソビエト)が安定した力を魅せています。バレーボール競技における「伝統の力」といって良いでしょう。

 続いては、バルセロナ1992からシドニー2000にかけての「キューバチームの3連覇」が目立ちます。史上唯一の3連覇。

 そして21世紀を迎えてからは、ブラジルチームと中国チームが金メダルを争っています。
 キューバチームやアメリカチームも、良く食い下がっているのですが、なかなか2強の壁は抜けないのです。
 日本チームも、ロンドン2012で久しぶりのメダル、ロサンゼルス1984以来の銅メダルに輝きました。
 
 東京1964の決勝「日本VSソビエト」戦の視聴率は「66.8%」でした。
 現在に至るまで、我が国のスポーツ中継における歴代最高の視聴率と言われています。

 この試合のメンバーは、河西昌枝選手、宮本恵美子選手、半田百合子選手、谷田絹子選手、磯部サタ選手、松村好子選手、松村勝美選手、篠崎洋子選手、佐々木節子選手、藤本佑子選手、近藤雅子選手、渋木綾乃選手の12名のヒロインでした。
 この日本女子バレーボールチームは、東京オリンピック1964の全ての日本チームを牽引する存在であり、「大会を象徴する存在」でもあったのでしょう。

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 温故知新の男子バレーボール編です。

 バレーボール競技は、男女ともに1964年の東京オリンピックから正式種目となりました。
 開催国・日本が強い種目であったことも、正式種目への追加に大きな影響があったと思います。
 
 東京1964からリオデジャネイロ2016までの、金・銀・銅メダル獲得チームを観て行きたいと思います。

・東京1964 金・ソビエト、銀・チェコスロバキア、銅・日本
・メキシコシティ1968 金・ソビエト、銀・日本、銅・チェコスロバキア
・ミュンヘン1972 金・日本、銀・東ドイツ、銅・ソビエト
・モントリオール1976 金・ポーランド、銀・ソビエト、銅・キューバ
・モスクワ1980 金・ソビエト、銀・ブルガリア、銅・ルーマニア
・ロサンゼルス1984 金・アメリカ、銀・ブラジル、銅・イタリア
・ソウル1988 金・アメリカ、銀・ソビエト、銅・アルゼンチン
・バルセロナ1992 金・ブラジル、銀・オランダ、銅・アメリカ
・アトランタ1996 金・オランダ、銀・イタリア、銅・ユーゴスラビア
・シドニー2000 金・ユーゴスラビア、銀・ロシア、銅・イタリア
・アテネ2004 金・ブラジル、銀・イタリア、銅・ロシア
・北京2008 金・アメリカ、銀・ブラジル、銅・ロシア
・ロンドン2012 金・ロシア、銀・ブラジル、銅・イタリア
・リオデジャネイロ2016 金・ブラジル、銀・イタリア、銅・アメリカ

 こうして観てくると、伝統的にロシア(旧ソビエト)チームが強いことが分かります。
 東京1964、メキシコシティ1968を連覇した後、常に上位に顔を出し、ロンドン2012において、久し振りにオリンピックチャンピオンとなりました。

 ロス1984からの、ブラジルチームの強さも際立っています。
 この大会で銀メダルを獲得したブラジルチームは、バルセロナ1992で初めて金メダルに輝き、以降もアテネ2004とリオ2016でオリンピックチャンピオンとなっています。
 他の大会でも、着実に「銀」「銅」を獲得していますから、21世紀最強はブラジルチームと言って良さそうです。

 意外なことは、イタリアチームがまだ金メダルを獲得していないことでしょうか。
 常に、スタープレーヤーによる「華やかなバレーボール」を披露してくれるイタリアですが、アトランタ1996、アテネ2004、リオ2016の銀メダルが最高です。
 こうなると「イタリアチームはオリンピック決勝に弱い」と言われてしまいそうです。

 日本チームは、東京1964で「銅」、メキシコシティ1968で「銀」と来て、ミュンヘン1972で悲願の「金」に輝きました。
 当時、「ミュンヘンへの道」というテレビ番組(アニメ)がTBSから毎週放送され、松平康隆監督のもと、猫田勝敏選手、森田淳悟選手、横田忠義選手、大古誠司選手、南将之選手らの成長と活躍が描き出されていました。
 何か「ミュンヘンで金メダルを取ることが既定路線」であるかのような「創り」でした。
 この番組は、とても人気があり、高視聴率を叩き出していたと思いますが、「こうまでして優勝できなかったら、どうするつもりなのだろう」と余計な心配もしていました。

 しかし、それは「杞憂」でした。

 本当に見事な有言実行だったのです。

 準決勝・ブルガリア戦の大逆転、そして決勝・東ドイツ戦の勝利と、日本のファンは深夜に渡る応援を続け、「男子バレー・金メダル」の話題に酔い痴れました。

 このミュンヘンでの快挙以降、日本チームはオリンピックにおいて好成績を残せずに居ます。

 我が国のバレーボール人気は、その水準の高さにおいて世界屈指でしょう。

 そうした環境下、東京2021における「日本男子バレーの復活」が期待されるところなのです。

 バレーボールは、1895年2月9日アメリカのウィリアム・G・モーガンが発明しました。この新スポーツ開発の狙いは、女性や子供といった体力的に成人男性より弱い人達が、気軽に楽しめるスポーツを創ることでした。

 モーガンは、このスポーツを1896年のスプリングフィールドで開催されたYMCA体育指導者会議にて公開しました。「バスケットボールのはじまり」稿で、バスケットボールの発明者ネイスミスも、この会議での協議を皮切りに新スポーツとしてのバスケットボールを1891年に開発しています。その5年後に、モーガンはこの会議でバレーボールを公開したことになります。

 この二つのスポーツ開発の特徴は、開発目的が明確であったということでしょう。
・バスケットボールは「冬季の屋内スポーツの開発」
・バレーボールは「女性や子供が楽しめるスポーツの開発」
 こうした「明確で合理的な狙い」を持った新スポーツの開発は、この1890年前後のアメリカ、特にスプリングフィールドのYMCA国際トレーニングスクールにおいて、強力に推し進められていたということでしょう。

 その頃は、現在まで残っているこの2つのスポーツ以外にも、沢山の新しいスポーツの案が、YMCA国際トレーニングスクールに持ち込まれたり、検討されたりしたのでしょう。このスクールが、新スポーツの開発・発信拠点になっていたというのは、とても興味深いことです。

 「自然発生的なスポーツではない新スポーツ」の核となるアイディアは、一人あるいは数人の人間から生まれるのでしょうが、そのスポーツを様々な視点・観点から検討し、論理的・合理的なものにブラッシュアップして、普及促進にも挑んでいく、ための体制は一朝一夕に出来上がるものではないと思います。この頃のアメリカ・YMCAにこうした体制が構築されていた理由があるはずです。いつか、調べてみたいものです。

 さて、モーガンは当初このスポーツを「ミントネット」と名付けたのですが、後にYMCAトレーニングスクールの教官であったハルステッドの提案を受けて「バレー・ボール(volley ball)」に改めました。その後、1952年に「バレーボール(volleyball)」と一語で表すことになりました。こうした英語表記の変更-一語表記への変更は、バスケットボールでも、1921年に実施されています。(basket ball→basketball)

 バレーボールは、全米各地のYMCAから、全米各地に広がりました。バスケットボールのように大学などの学校を通じて広まったのではない理由は、主たるプレーヤーが「女性・子供」であったことでしょうか。1900年にはカナダに、1906年にはキューバに広がったそうです。

 日本にバレーボールが紹介されたのは1913年頃で、やはりYMCA体育主事のF.H.ブラウンによるものでした。この頃は、細部のルールが固まっていなかったので、日本において独自のルールが作られました。チーム人数が最初は16人、続いて12人、最後に9人となって、日本独特の「9人制バレーボール」の原型が生まれました。

 ヨーロッパにバレーボールがもたらされたのは1920年頃。第一次世界大戦でヨーロッパ戦線に渡ったアメリカ軍兵士が、フランス、イタリア、チェコスロバキア、ポーランド、ソビエトへと伝えました。この頃には、チーム人数も6人に決まっていましたので、これらの国では、始めから6人制バレーボールが普及しました。

 ロシアでは、1925年に共産党によって「100万人のバレーボール」のスローガンが掲げられ、設立されたソビエトバレーボール協会のもと、バレーボールの普及・強化に邁進したそうです。この新スポーツのどの点がソビエト共産党に支持されたのかは判りませんが、バレーボール競技における、ロシアを始めとする旧ソビエト圏諸国の伝統的な強さの源がここにあります。

 先日、福島県の親戚の家を久しぶりに訪れました。居間に入ると、床の間にはカップ・トロフィーか所狭しと置いてあります。見上げると、数えきれないほどの賞状が掲げられています。「叔母さん、何これ?」と尋ねると「ママさんバレーさ。センタープレーヤーでエースなんよ。」と。その部屋が、地元バレーボールチームのクラブハウスなのでした。反省会と銘打った宴会も、よく開催されるのだそうです。
 発明者ウィリアム・G・モーガンやYMCAトレーニングスクールの狙い通りに、女性向けのスポーツとして、バレーボールはしっかりと極東の地にも根付いています。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

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