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[6月12日・第5戦・オラクルアリーナ]
ゴールデンステート・ウォリアーズ129-120クリーブランド・キャバリアーズ

 ウォリアーズ3勝1敗を受けての第5戦は、キャバリアーズとの接戦を制したウォリアーズが勝利し、通算成績4勝1敗でNBAファイナル2017を制しました。
 ウォリアーズにとっては、2年ぶり5度目のNBA王者です。

 第1クオーターQは、キャバリアーズが第4戦を制した勢いに乗って37-33と4点のリードで終えました。

 第4戦から「後手に回る」ことが多かったウォリアーズでしたが、第2Qに奮起して一気に逆転(38-23)し、前半を71-60の11点差で折り返したのです。
 結局この後は、ウォリアーズが終始リードして試合が進みましたから、この試合を決めたのは第2Qの攻防ということになります。

 このシリーズ好調のケビン・デュラント選手が要所要所で活躍を魅せました。
 このゲーム通算39ポイントを挙げ、FG%は70%という高率でした。厳しい競り合いの中で、キャブスが追い上げてくると、デュラント選手のゴールが水を差すと言った試合展開。
 フィジカルの強さもさることながら、デュラント選手の「負けず嫌い」というか精神的な強さが証明されたシリーズであったとも感じます。

 キャバリアーズでは、やはり「大黒柱」レブロン・ジェームズ選手の活躍が目立ちました。
 この試合でも41ポイントと両チームトップ。プレーのスピードと俊敏性、そして「強さ」は目を見張るものがあります。「NBA史上最高のプレーヤー」という評価が、記録面でも記憶面でも固まりつつあると思います。

 第5戦に来て、ウォリアーズではクレイ・トンプソン選手(11ポイント)、キャバリアーズではケビン・ラブ選手(6ポイント)がやや不調でした。この得点力不足をカバーしたのが、ウォリアーズではアンドレ・イグダーラ選手(20ポイント)であり、キャバリアーズではJRスミス選手(25ポイント)だったのでしょう。

 そして勝負を決したのは、ステフィン・カリー選手(34ポイント)とカイリー・アービング選手(26ポイント)の対決だったのかもしれません。

 第3戦までは、ウォリアーズのスイープかと見られていたシリーズでしたが、第4戦をキャバリアーズが地元で捥ぎ取った時、縦横無尽にガンガンと走り回るキャブスのプレーが展開された時には、2017年の再現かという見方も生まれました。

 プレーの判定を巡って、再三に渡って長時間試合が中断するという、滅多に無い位「荒れた試合」の流れの中で、大きなリードを奪われると、ウォリアーズには意外に反発力が無いようにも見えたのです。

 しかし、第4戦から第5戦の間にウォリアーズはチームを立て直し、特に第4戦・第1Q49点、前半86点(いずれもファイナル新記録の驚異的な数値)を喫したディフェンスを、相応に立て直して来ました。
 やはり「通常レベルの攻め合い」となれば、ウォリアーズの方に分があるのでしょう。

 キャバリアーズとしては、ウォリアーズの「16勝0敗のプレーオフ」を阻止したものの、2016年のチャンピオンとして連覇を逃したことは、とても残念なことでしたけれども、3年連続同一カードという、NBAファイナル史上初のシリーズを戦い抜き、過去3年間のNBAは「ウォリアーズとキャバリアーズの両雄の時代」であったことを、しっかりと証明してくれたように感じます。

 恐ろしいスピードの攻守の切り替え、フィジカルの強さと凄まじい俊敏性の併存・・・。
 バスケットボールの「新時代」を感じさせるファイナルでした。
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[6月1日・第1戦]
ウォリアーズ113-91キャバリアーズ

[6月4日・第2戦]
ウォリアーズ132-113キャバリアーズ

 レギュラーシーズンを圧倒的な強さで勝ち続け、プレーオフに入っても、1回戦、準々決勝、準決勝と全ての対戦を4勝0敗(史上初)、つまり12戦全勝でファイナルに勝ち上がった、ゴールデンステート・ウォリアーズの勢いが止まりません。

 2016年のチャンピオンで、連覇を目指すクリーブランド・キャバリアーズを、第1戦、第2戦とも問題なく破り、2勝0敗としました。
 これでプレーオフは14戦14勝。驚くべき強さと言えるでしょう。

 バスケットボールにおいて「20点差」のゲームというのは、「圧倒的な力の差」を明示するものです。
 その「20点差」ゲームが、NBAファイナルにおいて続いているのですから、今季のウォリアーズの強さは「桁違い」ということになります。

 3年連続で同じカードとなったファイナルですが、2015年はウォリアーズが勝ち、2016年はキャブスが勝っていますが、共に接戦でした。
 特に2016年は、ウォリアーズが3勝1敗とリードして「連覇間違い無し」という態勢を築きながら、第6戦、第7戦の第3Q・第4Qに「突然、スプラッシュブラザーズの3ポイントシュートが入らなくなる」という怪奇?現象に見舞われ、レブロン・ジェームズ選手の獅子奮迅の活躍もあって、キャバリアーズが大逆転優勝を遂げたのです。
 ファイナル史上に刻まれる大逆転でした。

 この苦い敗戦を踏まえて、ウォリアーズが取った施策は「更なる攻撃力の向上」でした。
 オクラホマシティ・サンダーからケビン・デュラント選手を獲得したのです。
 これには驚かされました。

 ステフィン・カリー選手とクレイ・トンプソン選手の「スプラッシュブラザーズ」に加えて、ケビン・デュラント選手とは・・・。
 「多彩な得点の形を保持する」デュラント選手が加入して、ウォリアーズの得点力は、万全なものとなったのです。

 NBAファイナル2017の戦前から、「さすがに今季はウォリアーズが圧勝する」という見方が多かったと思います。
 そして、2ゲームを終えて、この予想は現実のものとなりつつあります。

 新戦力のデュラント選手は、第1戦で38ポイント、第2戦で33ポイントを挙げてチームの得点王、加えて第2戦ではリバウンドも13とトップ。

 レブロン・ジェームズ選手の得点を2ゲームとも上回る成績ですから、デュラント選手の成績は、チームにひとり居るかどうかという「大エース」のレベルですが、当然のことながら、ウォリアーズにはカリー選手もトンプソン選手も居て、出場しているのです。

 これでは、得点力に差が付くのも、止むを得ないところでしょう。

 現状では、「ウォリアーズ4連勝・ファイナル制覇」を止めるのは、至難の技に見えます。

 ホームに帰っての第3戦における、クリーブランドの戦い振りに大注目でしょう。

 まずは、ウォリアーズの「16戦全勝・パーフェクトプレーオフ」を阻止することから、始めなければないのです。
 Bリーグ・レバンガ北海道のシューティングガードSG折茂武彦選手が、リーグ日本人初の通算9000得点を達成しました。
 11月28日の千葉ジェッツ戦でした。

 1993年に、当時の日本バスケットボールリーグ・トップリーグのトヨタ自動車(現在のアルバルク東京)でキャリアをスタートし、24年間をかけての大記録達成です。

 こうした記録は、日本バスケットボール界の歴史を象徴するものですし、「Bリーグ」がスタートした年に相応しい出来事だとも感じます。

 アメリカのバスケットボール最高峰=世界最高のバスケットボールリーグであるNBAは、第二次世界大戦が終結した翌年1946年に創設されましたが、1970年代までは、その人気は高くはありませんでした。
 ライバルリーグであるABAが1967年に創設されたことなどが低迷の要因だったのですが、現在のNBAの隆盛からは、想像もできないほどの状態だったのです。

 そうした中で、NBAを支えていたプレーヤーのひとりに、ロサンゼルス・レイカーズのカリーム・アブドル・ジャバー選手が居ます。
 
 1969年、ミルウォーキー・バックスでNBAデビューを果たしたアブドル・ジャバー選手は、1975年にレイカーズに移り1989年までプレーしました。
 6度のNBAチャンピオン、6度のNBAシーズンMVP、2度のNBAファイナルMVPなどなど、数々の輝かしい記録を残していますが、何といっても「通算得点38,387」が圧倒的です。

 もちろん、NBA歴代1位の記録ですし、おそらく破られることのない記録ではないかと思います。
 
 NBA低迷の時代を支え、NBA興隆期にもマジック・ジョンソン選手と共に、レイカーズのひいてはNBAを代表するプレーヤーとして活躍したのです。

 この、NBAにおけるアブドル・ジャバー選手とBリーグにおける折茂武彦選手が
、重なって見えると言ったら、言い過ぎでしょうか。
 日本バスケットボールがアマチュアのみであった時代から活躍をつづけ、2016年9月に創設された「Bリーグ」においても存在感を示し続けている折茂選手。

 「Bリーグの初代レジェンド」としての活躍が続くのです。
 NBAファイナル2016は、クリーブランド・キャバリアーズがゴールデンステイト・ウォリアーズを4勝3敗で下し、優勝しました。
 1勝3敗からの3連勝での優勝という「NBAファイナル史上初の快挙」でした。

 本ブログでも、今ファイナルのキャバリアーズの戦い振りには「二度の驚き」が存在しているという記事(2016年6月15日付)を掲載していましたが、まさに「三度目の驚き」が示現しました。
 キャバリアーズにとっては「奇跡」とも言えるシリーズだったのです。

① 第七戦のスコアは「93-89」

 最終の第七戦はウォリアーズのホーム・オラクルアリーナで行われましたが、本シリーズで初めて「勝ちチームのスコアが100点未満」でした。ロースコアゲームだったと言って良いと思います。

 キャバリアーズとウォリアーズの対戦でロースコアゲームとなれば、キャバリアーズが勝利するのは自然なことでしょう。

 一方で、第七戦は「4点差」という、今シリーズ最高の接戦でしたが、結局キャブスが押し切りました。
 このゲームは「キャブスがキャブスのペースで戦った」のでしょう。

② 3ポイントシュートは決まらない時には決まらない。

 第七戦でも、ウォリアーズの3ポイントシュートはなかなか決まりませんでした。
 「スプラッシュブラザーズ」と称される、ウォリアーズ最強の武器が、これだけ決まらないと、苦しい戦いになるのは必定です。

 第一戦・第二戦では、「面白いように決まった」ウォリアーズのシュートが、それ以降、特に「第五戦の第4クォーターQ以降」決まらなくなったのは、とても不思議なことです。

 もちろんキャバリアーズの守備が機能していたことも有るのでしょうが、カリー選手やトンプソン選手といった、「NBA屈指のシューター」の決定率、世界最高レベルのスキル・テクニックを具備し、大試合でも存分に力を発揮する能力・経験を有している筈のプレーヤー達の決定率が揃って下がるというのは、やはり不思議なことだと言わざるを得ません。

 「ウォリアーズに何が起こったのか」という感じです。

③ ベンチプレーヤーの役割

 第一戦・第二戦をウォリアーズが圧勝した時、ウォリアーズのベンチプレーヤー・セカンドユニットの得点力が、高く評価されました。

 セカンドユニットが1ゲームで40点以上を叩き出していたのです。
 キャバリアーズとの差は、このセカンドユニットの得点力であると分析されていました。

 ところが、戦いを進めるうちに、「ウォリアーズのセカンドユニットの得点力が下がり」ました。

 ゲーム毎に得点力の上下が有るのは無理も無いところでしょうが、「得点力が趨勢的に下がる」というのは、やはり不思議なことでしょう。
 各々のゲーム後に、様々な対応策が立案され、実行されている筈なのですから。

 この点でも「ウォリアーズに何が有ったのか」という感じがします。

④ レブロン・ジェームズ選手の驚異的な活躍

 第五戦・第六戦と41点を挙げたレブロン選手は、第七戦でも27点を挙げ、11アシスト、11リバウンドと合わせて「トリプルダブル」という大活躍でした。

 レブロン・ジェームズ選手は、シーズンの最後の最後まで「動き続けた」のです。

 そのフィジカルの強靭さはもちろんとして、メンタルの強さには驚かされるばかりです。
 「オハイオ州に優勝を」という強い思いが原動力だと言われていますが、それにしても、2015年NBAファイナルで同じウォリアーズ相手に完敗し、2016年の第一戦・第二戦でも歯が立たなかった状況下での大逆転優勝というのですから、凄いことです。

 レブロン・ジェームズ選手に、またひとつ「大きな勲章」が付け加えられたのです。

 MLBのクリーブランド・インディアンズは1948年のワールドシリーズ制覇以来、優勝していません。MLBアメリカンリーグ創設メンバーのひとつという歴史を誇るインディアンズですが、このところ優勝できていなかったのです。

 NFLのクリーブランド・ブラウンズは、「4度のNFLチャンピオン」に輝いています。最新は1964年ですから、第一回東京オリンピックの年です。(この頃はまだスーパーボウルは存在しませんでした)

 クリーブランドの「アメリカ4大スポーツ」のチームが優勝したのは、この1964年のブラウンズが最後でした。
 オハイオ州の州都クリーブランドのメジャースポーツのファンは、半世紀以上に渡って、優勝を味わっていなかったのです。

 そして、ついにキャバリアーズがNBAチャンピオンとなりました。

 クリーブランドに「歓喜の嵐」がやってきたのです。

 「キャバリアーズの奇跡」が、インディアンズやブラウンズの奮起に繋がるような気がします。
 6月16日に、クリーブランド・キャバリアーズCLEのホーム・クイッケンローンズアリーナで行われた、NBAファイナル2016・第6戦は、キャバリアーズがゴールデンステイト・ウォリアーズGSWを115-101で破り、対戦成績を3勝3敗のタイとしました。
 1勝3敗と追い込まれてからの2連勝です。
 
 最終戦となる第7戦は、6月19日にウォリアーズのホーム・オラクルアリーナで行われます。

① 第1クオーターQでの「20点差」

 第6戦の第1Qは、本当に意外な展開となりました。

 開始後しばらくの間、ウォリアーズに得点が入らなかったのです。いつものように素早いパス回しから、外に出して3ポイントシュートを狙いますが、悉く入らない。
 あっという間にキャバリアーズが13-2とリードしました。「11点差」を付けたのです。

 その後も得点差は開く一方。31-9からウォリアーズがシュートを決めて、31-11の「20点差」となったところで、第1Qが終りました。

 ウォリアーズの1Q・11得点は、今シーズンの全てのゲームで「最少」でした。
 圧倒的な得点力を誇るウォリアーズとしては「考えられないような拙攻」となったのです。
 ウォリアーズのシューターの調子が上がらなかったことも有りますが、キャバリアーズの守備が、第5戦・第4Qに引き続いて、良く機能していたのでしょう。

 結局、この「20点差」がゲーム終了まで効いたことは、言うまでも有りません。

② 第2Qでウォリアーズが反撃するも・・・。

 第2Qに入りウォリアーズの反撃が始まりました。

 ようやく決まり始めたシュートで一時は「8点差」まで追い上げたのです。10点差以内となれば、「いつでも逆転できる」イメージのあるウォリアーズですから、大接戦となる予感がしました。

 ところが、ここで再びキャバリアーズの攻撃と守備が機能して、得点差を広げました。

 そして、59-43と「16点差」としたところで第2Qが終りました。

③ ウォリアーズが追い上げた第3Q

 第3Q開始直後は、キャブスの時間帯でした。
 じりじりと差を広げ、一時は65-43と22点差まで差が開きました。
 ウォリアーズはステフィン・カリー選手の3ポイントシュートが決まらず、苦しい時間帯が続きました。

 ところが、第3Qの後半に入り、スプラッシュブラザーズの一角クレイ・トンプソン選手の調子が戻り、3ポイントを始めとするシュートを次々と決めました。
 ついにウォリアーズの反攻が始まったのです。

 80-71と一桁台・9点差まで追い上げて第3Qを終えました。

 「第4Qは互角の戦い」という印象でした。

④ 第4Q・カリー選手のファウルアウト

 第4Q早々に、カリー選手が反則を犯しました。この試合「5つ目の反則」です。
 カリー選手は元来反則の多いプレーヤーではないのですが、この激しいゲームの中で、いつにない反則のペースとなってしまったのでしょう。

 カリー選手は、これ以上反則できない形に成りました。レブロン・ジェームズ選手へのマークから離れることとなったのです。

 ウォリアーズはしかし、トンプソン選手の3ポイントシュートなどで食い下がり、一時は84-76と「8点差」まで詰め寄りました。

 ここから一進一退の攻防が続きました、このゲーム最大の山場でした。

 残り試合時間7分の段階で90-79とキャバリアーズのリードは11点。「10点差」を巡る攻防が続いたのです。

 ウォリアーズは相変わらずシュート決定率は良くないものの、良く守り、懸命に10点差前後を維持しました。

 ここでキャバリアーズのトリスタン・トンプソン選手が素晴らしいプレーを魅せました。レブロン選手とのマッチングで、次々と得点を重ねたのです。

 残り4分32秒で99-86と「13点差」まで突き放しました。

 そして残り4分22秒、カリー選手が反則を犯してしまいました。
 「ファウルアウト」です。

 チームのエースプレーヤーがファウルアウトした、この瞬間、第6戦の勝敗は決したのです。

 ちなみに、カリー選手のファウルアウトは2013年以来でした。

 この後は、両チームともセカンドユニット主体の構成となりました。
 黙々とプレーが続けられ、115-101・14点差となったところで試合が終了しました。

 結局は、キャバリアーズが第1Qで付けた20点差を活かして押し切った試合でした。

 この試合における、ウォリアーズの第1Qのプレーは全く「らしくない」ものでした。
 第7戦でも、このような「入り」をするとすれば、いかにホームとはいえ、苦戦は免れないでしょう。

 一方のキャバリアーズは、第5戦終盤からのディフェンスが良く機能し、レブロン・ジェームズ選手の獅子奮迅の活躍も際立っていますから、この調子で最終戦も戦いたいところです。

 第5戦で41点をマークしたレブロン選手は、第6戦でも41点を挙げました。「ファイナルで2試合連続40点以上」を挙げた、史上5人目のプレーヤーとなったのです。
 ちなみに、レブロン選手の前にこの成績を残したプレーヤーは、「あの」シャキール・オニール選手であり、その前に成し遂げた選手は、「あの」マイケル・ジョーダン選手でした。

 既に、NBA史上屈指の名プレーヤーとしての地位を不動のものにしているレブロン・ジェームズ選手に、またひとつ「大きな勲章」が加わったのです。

 NBAファイナル史上初の「1勝3敗からの逆転優勝」が成るのか。

 6月19日の第7戦は大注目です。
 ゴールデンステート・ウォリアーズGSW3勝1敗を受けての、NBAファイナル2016第5戦は、6月13日にウォリアーズのホーム・オラクルアリーナで行われ、クリーブランド・キャバリアーズCLEが112-97で競り勝ち、対戦成績を2勝3敗としました。

 ホームでの圧倒的な強さから見て、ウォリアーズが第5戦も勝利し、本シリーズを4勝1敗で勝ち切る可能性が高いと思っていました。
 土壇場で魅せたキャブスの強さでした。

① ウォリアーズの圧倒的な強さ

・第一戦 GSW104-89CLE
・第二戦 GSW110-77CLE
・第三戦 CLE120-90GSW
・第四戦 GSW108-97CLE
・第五戦 CLE112-97GSW

 今シリーズでは、第一戦・第二戦でのウォリアーズの強さが目立ちました。
 第二戦などは「33点差」という一方的なゲームとなったのです。

 2015年と同じカードとなった今シリーズは、2015年には「ビッグ3」の内2人を欠きながらも、レブロン・ジェームズ選手の孤軍奮闘の活躍で、第一戦・第二戦と「延長」に縺れ込んだことを勘案しても、キャブスにも十分にチャンスが有ると感じていました。

 ところが、第一戦・第二戦とキャブスはウォリアーズに全く歯が立ちませんでした。

 それ位、ウォリアーズの強さが際立っていたのです。

 このまま「スイープ(4連勝)」でウォリアーズが優勝するのではないかと思われましたが、ホームに戻ったキャバリアーズが第三戦を制しました。それも「30点差」の圧勝でした。

 これが「一度目の驚き」でした。
 キャバリアーズファンの皆さんには失礼な書き方で恐縮ですが、正直な気持ちです。

② 「二度目の驚き」

 しかし、「ポストシーズンゲームにおいてクイッケンローンズ・アリーナ」で絶対的な強さを魅せるキャブスを、第四戦で圧倒したウォリアーズの強さは、やはり本物であろうと感じさせるものでした。

 接戦で第4クオーターQになだれ込んだゲームでしたが、第4Qの開始早々にスプラッシュ・ブラザーズの3ポイントシュートが炸裂し、「あっという間に9点差」を付けたところで勝負あり。
 キャブスはホームであっても「接戦に持ち込むのがやっと」という有様に見えました。

 3勝1敗と王手を掛けてオラクルアリーナに帰ってきたウォリアーズは、第五戦で優勝を決めることが出来ると「確信」していたことでしょう。
 キャバリアーズには、既に戦意が残っていないという人も居ました。

 ところが、第五戦は意外な展開を見せました。
 第2Qまで接戦の展開が続きました。
 第1Qの開始直後、ウォリアーズが8点差を付けた時には、このままウォリアーズが差を広げて圧勝する雰囲気でしたが、キャブスはレブロン選手らの3ポイントシュートで反撃し、一進一退の展開に持ち込みました。

 そして第3Qで32-23と9点差をつけたキャバリアーズがリードして、第4Qに入ったのです。
 
 ホームの大歓声をバックに、ここからスプラッシュ・ブラザーズのショーが始まると、多くの観客は期待していたことと思われますが、ステフィン・カリー選手やクレイ・トンプソン選手のシュートは悉く外れました。

 一方キャブスのカイリー・アービング選手が大爆発!
 「打てば入る」という「神憑りのプレー」を続けました。本当に素晴らしいプレーの連続でした。

 そして、キャバリアーズがウォリアーズを押し切ったのです。

 終わってみれば、レブロン・ジェームズ選手とカイリー・アービング選手が共に「41得点」という、同じゲーム・同じチームに2人の「40点越えプレーヤー」が誕生するという、NBAファイナル新記録を樹立したのです。

 今シリーズ「二度目の驚き」でした。
 追い詰められたキャバリアーズの「底力」が示されたのです。

③ 「1勝3敗」からの逆転優勝成るか。

 長い歴史を誇るNBAファイナルにおいて、「1勝3敗」から逆転優勝したチームは存在しません。NBA最高峰のシリーズにおいては、どんな強豪チームをもってしても1勝3敗からの逆転は不可能だったのです。

 2016年はどうでしょうか。
 第5戦を、ビッグ3の一角アービング選手の八面六臂の大活躍で勝利したキャバリアーズに、大きな期待がかかります。第6戦を、ケビン・ラブ選手の活躍で制することがあれば、最終戦ではビッグ3の総力を挙げた戦いで「クリーブランド市民悲願の優勝」を捥ぎ取る可能性があるでしょう。

 また、第五戦の第「3Q、第4Qで見せたディフェンス」の継続も重要でしょう。
 ウォリアーズの3ポイントシュートを抑え込めれば、ゲームをキャバリアーズのペースに持ち込むことが出来るのです。

 一方のウォリアーズは第五戦を落としました。「よもやの敗戦」であったと思います。
 想像以上に、「ドレイモンド・グリーン選手の出場停止」と「アンドリュー・ボーガット選手の故障退場」の影響が大きかったと言えるのかもしれません。
 第六戦からは、体制を整えて戦って行けるかどうかがポイントになりそうです。

 ウォリアーズにしてみれば、「レギュラーシーズン73勝」というNBA新記録を樹立したシーズンを、NBAファイナル優勝で完結したいと考えていることでしょうし、こうしたミラクルなシーズンに「NBAファイナルの勲章」が無いというのは「臥龍点晴を欠く」という感じでしょう。

 第五戦をキャバリアーズが制したことで、NBAファイナル2016は俄然接戦の様相を呈しました。

 「三度目の驚き」は有るのでしょうか。
 1月18日、読売新聞オンラインにて報じられました。

 秋田県の、東北地方の、そして日本の高校男子バスケットボールをリードしてきた能代工業高校チームが、県の新人大会で優勝を逃し、1961年以降継続してきた連覇記録が「54」で止まったというニュースでした。

 このニュースで驚かされたのは、能代工チームが敗れたことよりも、54連覇してきたという事実でした。
 いったい、メンバーが毎年入れ替わる高校スポーツにおいて、「半世紀を超えて勝ち続ける」ということ自体が奇跡的なことでしょう。

 高校や大学のスポーツにおいて、「素晴らしい指導者を得た学校のチーム」が都道府県規模の大会で連覇を続けるということは、時折見られることです。3連覇・4連覇も珍しいことでは無いでしょう。

 しかし、その連覇も「10」を超えるとなると、なかなか見られなくなります。

 ライバルチームの出現や、指導者の心身両面からの疲労蓄積、学校の教育方針の変更、等々理由は挙げられるのでしょうが、そもそもプレーヤーが代わり続ける状況下、「勝ち続けること自体」が難しいことなのですから無理も無いところです。

 ところが、能代工チームは54年間に渡って優勝し続けたのです。
 指導者の代替わりが続いた中で、連覇を継続したのです。

 1964年・昭和39年の東京オリンピック以前から、平成の世、21世紀の2015年まで「一度も優勝を逃さなかった」というのは、空前と言うか信じられない感じがします。
 どのようなノウハウ・体制・努力によって、こうした「奇跡」が実現してきたのでしょうか。

 秋田県の高校スポーツチームには、他の地域には見られない「粘り強さ」「継続の力」が存在しているように観えます。

 バスケットボールの能代工業チームとラグビーの秋田工業チームの「時代を超えた強さ」は、それ以外には説明が付かないものだと感じられるのです。
 2015年11月29日、コービー・ブライアント選手が今シーズン限りの引退を表明したと報じられました。
 NBAというか、世界のバスケットボール界に衝撃を与えたニュースでした。

 「NBA史上屈指のスコアラー」であり、既に「生きる伝説」であるスーパースターがついに引退するのです。

① ロサンゼルス・レイカーズ一筋の20シーズン

 1996年にNBAデビューしてから20年間、コービーはレイカーズ一筋でした。

 このこと自体=NBAの同一チームプレー期間、がNBAの史上最高記録です。
 そのプレー能力がレイカーズにとって不可欠であったこと、レイカーズファンに愛され続けたこと、大きな故障をしなかったこと、そしてモチベーションを保ち続けることが出来たこと、等々、どれひとつが欠けても「同一チームで20シーズン」という記録は達成できません。

 この点が、最も素晴らしいと感じます。

② 30,000得点、6,000アシスト

 コービーの記録を挙げて行くとキリがありません。
 シューティング・ガードとして、NBA史上屈指のプレーヤーなのです。

 中でも、通算33,000点以上の得点(史上3位)を挙げながら、6,000以上のアシストを記録しているところは「驚異的」でしょう。
 史上屈指のスコアラーでありながら、他の選手を活かすプレーでも記録に残っているというのは凄いことです。

 1999年~2000年シーズンからの「ファイナル3連覇」の時期には、レイカーズの「得点エンジン」としてまず挙げられたのはシャキール・オニール選手でした。その巨体を活かした「豪快な得点シーン」は、NBAを代表するものでした。
 この「シャックとコービーのレイカーズ」はチーム史上屈指のものであったと感じますが、この時期、コービーはゴールし下のシャックにパスを供給し続けました。他の選手を活かすプレーを続けたのです。

 こうしたプレーを続けながら、自身も30,000以上の得点を挙げているのは、空前絶後ではないでしょうか。

③ マイケル・ジョーダンとコービー・ブライアント

 2012年に「神様」マイケル・ジョーダンが「自分が引退した後のプレーヤーの中で、自分と比較されるに相応しいプレーヤーはコービーだけ」と語ったと伝えられました。

 オールラウンドプレーヤーとして、そしてNBAファイナルを何度も制覇した(ジョーダン6度、コービー5度)プレーヤーとして、ジョーダンはコービーを高く評価しているのでしょう。

 二人とも、アメリカスポーツ界で「望ましいサイズ」と呼ばれる「6の6」、身長6フィート・6インチ=198cmのプレーヤーです。NBAの中では決して大きな方ではありませんが、最もバランスのとれた体躯なのかもしれません。

 2003年にマイケル・ジョーダン選手が引退した時、ひとつの時代が終わったと言われましたが、2016年のコービー・ブライアント選手の引退も、NBAの大きな節目であることは間違いないでしょう。

 やはりNBAのプレーヤーであった父親が「神戸牛の美味しさ」に感動して、息子を「Kobe」(英語読みでコービーと発音される)と名付けたと伝えられています。
 
 「コービーの20年間」は、NBA史上に燦然と輝いています。
 中国・武漢で行われていた、女子バスケットボールのアジア選手権大会、9月5日の決勝戦で日本チームが85-50で中国チームに快勝し、この大会の優勝を決めると共に、来年のリオデジャネイロ・オリンピック出場権を獲得しました。

 見事な活躍でした。

 今大会で優勝すればリオへ、ということは大会前から報じられていましたが、「優勝チームのみ」に与えられる権利であり、中国という強いチームが存在し、さらに中国チームの地元で開催される大会ということでしたから、優勝は相当難しいと感じていました。

 ところが、決勝では85-50という圧勝でした。

① リバウンド勝負

 何時の時期も国際大会となると「身長で劣る」日本チームは、中国チームを相手にした時にも、ゴール下のリバウンドボールからの失点が多かったのです。

 このゲームでは、複数のプレーヤーをゴール下に配して、リバウンドプレーで互角以上の戦いを魅せました。味方プレーヤーのポジショニング、相手プレーヤーへの体の寄せ方等、様々な工夫が凝らされた戦術を展開していたと思います。

② 速攻と3ポイントシュート

 前半の日本チームは、前述のリバウンドプレーで獲得したボールを速攻に結び付けました。スピード溢れるドリブルプレーは、日本女子バスケチームの最大の武器です。
 速攻はその得点価値も大きいのですが、プレーの鮮やかさから、相手チームに与える精神的ダメージも大きいのです。NBAでも、そうした効果が指摘されています。

 そして、中国チームが速攻対策を実行し、ゴール下を固めるようになってからは、日本チームの3ポイントシュートが良く決まりました。

 このゲームにおける速攻と3ポイントシュートのコンビネーションが、優勝を齎したものと感じます。

③ 自在のプレー

 15点以上の差が付いてからは、日本チームの自在なプレーが光りました。
 あまり良くない表現をすれば、「やりたい放題」という感じでしょうか。
 カットインからのシュートやパスが面白いように決まったのです。こうしたプレーは、このレベルの大会・ゲームでは、なかなか決まらないものなのですが、精神面の優位がプレーに反映された形でしょう。
 結果として、思わぬ大差のゲームとなりました。

 日本女子バスケットボールチームは、リオデジャネイロ・オリンピックの出場権を獲得しました。2004年のアテネ大会以来3大会ぶりの出場です。

 女子バスケットボールがオリンピック種目に採用されるかどうか議論されていた1970年前後、日本チームは世界トップクラスでした。小柄ながら素早い動きと正確なシュート力で、世界の強豪チームと互角以上の戦いを演じていたのです。
 私は当時の女子チーム競技の中で、バレーボールやソフトボールと並んで最も世界のトップを狙える競技だと感じていました。

 ところが、各国の強化が進み、バスケットボールでは絶対的に優位と言われる「高身長を活かしたプレー」が、女子バスケ界にも広がってくると、日本チームは次第に劣勢となりました。

 加えて、男子バスケ界の国内トップリーグ併存問題に影響されて、対外試合が出来ない時期が続きました。今年8月にゲームが行えるようになって僅か1ヶ月後の今大会では、さすがに力を発揮できないのではないかと観られていたと思います。

 この大会における見事なプレーの連続には驚かされました人が多いのではないでしょうか。

 「雌伏」と言う言葉が有ります。

 「高身長」のチームに押され、かつ国際試合が出来なかった時期も経験しましたが、日本女子バスケ代表チームは自らの力と技を磨き続けていたのです。素晴らしい戦法・戦術も開発し身に付けました。

 「ハヤブサ・ジャパン」の皆様の、不断の努力が結実した優勝であったと思います。
 6月16日にクリーブランド・キャバリアーズのホーム・クイッケンローンズアリーナで行われた、NBAファイナル2015・第6戦は、ウォリアーズが105-97でキャブスを下し、シリーズ成績を4勝2敗として、ファイナル制覇を果たしました。

 今シリーズは、結果として「攻撃力に勝るウォリアーズが押し切った形」となりました。

 キャバリアーズは、レブロン・ジェームズ選手が獅子奮迅の活躍を魅せて、第3戦までを2勝1敗とリードしましたが、レブロン選手及びチーム全体の疲労の蓄積が主因となって、第4戦以降はロースコアゲームを実現することが出来なくなりました。

 レブロン選手の活躍は「凄まじい」の一語に尽きるものでした。
 最終戦となった第6戦も47分42秒という、ほぼフルタイム出場でした。6戦を通しての平均得点も35点を超えました。敗れたりとはいえ、NBAファイナル2015におけるレブロン・ジェームズ選手の活躍は、伝説として語り継がれる価値のあるものだと感じます。

 キャブスに、今シリーズにおける勝機が有ったとすれば、第1戦のラストプレー、第4Q同点からの残り24秒のキャブスの攻撃、レブロンのシュートが外れてしまい、OT(延長戦)に縺れ込んだプレーでしたが、この時キャブスが勝ち切っていれば、「敵地における初戦勝利」という極めて大きな意味を持つものだったことでしょう。

 この初戦OTにおけるウォリアーズとキャバリアーズとのプレーを見れば、両チームの攻撃力の差は明らかでした。惜しまれる第1戦であったと思います。

 本シリーズにおけるウォリアーズのプレーは、見事なものでした。ファイナルの経験不足が指摘されていましたが、特に第4戦からは持ち前の攻撃力を如何なく発揮しました。
 
 ステファン・カリー選手、クレイ・トンプソン選手、ドレイモンド・グリーン選手、ショーン・リビングストン選手、フェスタス・エジーリ選手、ハリソン・バーンズ選手、そしてMVPを獲得したアンドレ・イグダラ選手と、シリーズが進むにつれて、スピード十分で多彩なオフェンスが活きました。

 1975年以来40年振りのファイナル制覇となったウォリアーズですが、このメンバーの中核が来シーズンもチームに残るとすれば、しばらくは黄金時代が続く可能性は十分にあると思います。
 第3Qを終えて73-67とウォリアーズがリードした時には、このゲームはウォリアーズのものだと思いました。

 キャバリアーズは第4Q前半反撃に出て、残り9分の時点で75-75と同点に追いつきました。
 しかし、キャブスの意地はここまででした。

 残り1分58秒の段階でウォリアーズが97-89とリードしたところで、勝負は決まりました。
 ウォリアーズはこの後も、カリー選手が3ポイントシュートを決めるなどして、104-91で悠々とゲームを制しました。

 キャバリアーズは、レブロン・ジェームズ選手が40得点を始めとしてトリプルダブルとするなどの大活躍を魅せましたが、やはり「チーム全体の攻撃力の差」を埋めることは出来ませんでした。

 第1~3戦は、キャバリアーズが巧みなゲーム運びで「ロースコアゲーム」を実現しましたけれども、第4戦からは「100点越え」のウォリアーズのゲームとなっています。キャブスは、戦術・体力の両面からウォリアーズの攻撃を止め切ることが出来なくなっているのです。

 ウォリアーズは「ファイナル制覇まであと1勝」となりました。

 ラブ選手、アービング選手といった主力を故障で欠くキャバリアーズが、このシリーズの流れを変えるのは、至難の業の様に感じます。

 地元クリーブランドで行われる第6戦、キャブスはどんなプレーを見せてくれるのでしょうか。
 第3戦がキャブスの勝利で終わった時に危惧されていたことが、現実のものとなりました。
 45分以上出ずっぱりで、獅子奮迅の活躍を魅せたレブロン・ジェームズ選手の心身の疲れは、2日間では取れなかったのでしょう。

 第3戦に続いてクリーブランドのクイッケンローンズ・アリーナで、6月11日に行われたNBAファイナル2015・第4戦は、ウォリアーズが103-82で快勝しました。

 ゲーム前半は開始直後こそキャバリアーズが走りましたが、その後はウォリアーズのペースでした。
 第2Qを終えて54-42とウォリアーズが12点をリードしました。前半でウォリアーズがリードしたのは、このシリーズ初めてのことでした。

 キャバリアーズはレブロン・ジェームズ選手の動きに精彩がありませんでした。一方のエース、ステファン・カリー選手も3ポイントシュートこそ決めましたが、好調とは言えない出来。
 前半の得点は、レブロンが10点、カリーが8点でした。

 一方でウォリアーズは54得点と、過去3戦と比べて高い得点力を披露していましたから、ウォリアーズ持ち前のスピード十分の攻撃力が展開されていたということになります。

 これまでの3戦とは異なり、第3Qではキャブスが追い上げを見せました。
 第3Q残り5分2秒の時点で65-62と3点差に迫った時には、アリーナは大歓声に包まれました。
 第3Qを終えて76-70でウォリアーズがリードを守りました。

 とはいえ、キャブスの追い上げ基調でしたから、第4Qに注目が集まりました。

 しかし、第4Qのスターターに、レブロンの名前は有りませんでした。キャバリアーズは、レブロン抜きのメンバーで得失点差を維持して、最後の時間帯に賭ける作戦だったのでしょう。

 ところが、ウォリアーズの攻撃をキャブスは防ぐことが出来ませんでした。
 第4Q残り5分22秒、93-77とウォリアーズのリードが16点に広がりました。

 キャブスはレブロン・ジェームズ選手を投入して追い上げを図りますが差は縮まりません。
 レブロンの動きには明らかに疲労の色が濃く、他のメンバーの動きも鈍いものでした。キャバリアーズは「チーム全体が疲れていた」と感じます。

 第4Q残り3分6秒、レブロン選手はベンチに下がりました。
 キャブスは、このゲームを諦めたのです。

 これを見て、ウォリアーズもカリー選手を下げました。

 ゲームは「セカンド・ユニット同士」のものとなりました。残念ながら、時間潰しのゲームとなったのです。

 「レブロン・ジェームズ選手に多大の負担をかけることを前提としたシリーズ」という、キャバリアーズの戦略にほころびが観えたゲームでした。

 ウォリアーズの地元オラクル・アリーナで行われる第5戦までに、レブロン・ジェームズ選手の疲労が取れるのか、第6戦・第7戦を戦い抜いて行くための戦略・戦術を編み出すことが出来るのか、キャバリアーズは相当追い込まれたと観るべきでしょう。

 とはいえ、「レブロン・ジェームズはNBA史上に輝く怪物」です。
 どんな奇跡を魅せてくれるのか、それも楽しみです。
 出場時間は40分を優に超えました。

 レブロン・ジェームズ選手は、試合を通じて殆どコートの上に居たのです。試合が終了した瞬間、レブロン選手は上半身を前向きに折り曲げたまま、しばらく動きませんでした。半端無い疲労感が彼を襲っていたのだと思います。

 「第3Qはキャバリアーズのもの」、そして「第4Qはウォリアーズのもの」というのが、今ファイナルの定理なのでしょうか。

 地元に帰ったキャブスは巧みなゲーム運びを見せました。

 ウォリアーズのエース、カリー選手の得点を「前半3点」に抑え込み、時間を十分に消化しながらロースコアゲームに持ち込み、第3Qを終って72-55と17点のリードを奪った時には、接戦続きというか2試合連続延長戦に縺れ込んだ両チームの対戦も、第3戦はキャブスが相応の点差で押し切るのではないかと思われました。

 第3Qで18点しか取れなかったウォリアーズにとって、17点の差は大きいと感じられたのです。

 ところが、第4Q開始早々から、ウォリアーズの攻撃力が爆発しました。
 10分近くの時間を残して、あっという間に72-63と9点差に追い上げたのです。3ポイントシュートもビシビシ決まりました。

 「これでまた大接戦になる」という雰囲気が漂いました。

 残り2分で84-80と僅か4点差となります。ウォリアーズは、第3Qまでとは別のチームになったかのようでした。一方のキャバリアーズの動きはめっきり悪くなりました。「逆転は時間の問題」という流れでした。

 残り時間1分52秒で、レブロン・ジェームズ選手が3ポイントシュートを決めました。この流れの中で、孤軍奮闘とも言えるシュートでしたが、この3点は大きく、87-80とリードが広がりました。

 そしてこの後、ボールを保持するカリー選手にレブロン選手はアタックしました。ベースボールの滑り込みのような動きで、カリー選手のボールをターンオーバーしたのです。
 気迫溢れるプレーであり、チームを鼓舞するプレーでした。

 残り51秒、88-83となってから、キャブスのデラベドバ選手がフリースロー2本を決めました。この状況でフリースローを2本とも決めるのは簡単なことではありません。
 負傷欠場のアービング選手に代わってのテラベドバ選手の健闘は、このゲームのキャブスにとってとてつもなく大きなものだったでしょう。
 
 残り28秒となって、カリー選手が3ポイントシュートを決めて92-88と、ウォリアーズが追い縋ります。凄まじい粘り。

 既に「ファウルゲーム」に入っていたウォリアーズは、キャブスボールになると直ぐに反則をするのですが、キャブスもレブロン選手にボールを集めていますから、フリースローはレブロン選手が投げることとなります。

 2投とも決めて94-88と再びキャブスが6点差にリードを広げます。

 ところが、残り19秒で再びカリー選手が3ポイントシュートを決めて94-91と追い上げます。
 この辺りのカリー選手の3ポイントシュートは神がかったものでした。絶対に外せないシュートをキッチリと決めるのです。

 ウォリアーズのファウルゲームが続き、再びレブロン・ジェームズ選手にフリースローが与えられました。
 これを2投とも決めました。96-91と再び5点差となったのです。

 カリー選手は、絶対に決めなければならない3ポイントシュートを2本連続で決めましたが、レブロン選手も絶対に決めなければならないフリースローを4本連続で決めたのです。
 NBAを代表する2人のスーパースターの「意地のぶつかり合い」でした。

 ゲームは、96-91でキャバリアーズが勝ちました。

 「レブロン・ジェームズ選手の気迫がキャブスに勝利をもたらしたゲーム」だと思います。

 今シーズンチームを支えてきた「ビッグ3」、レブロン・ジェームズ、ケビン・ラブ、アービングの内2人がコートに居ない、将棋で言えば「飛車角抜き」のキャブスにあって、レブロンは獅子奮迅の働きを魅せたのです。

 NBAのゲームにおいて、ましてやファイナルの舞台において、「ほとんど休み無く出続ける」というのは、超人的でしょう。

 この勝利によりキャバリアーズは2勝1敗とリードしましたが、レブロン・ジェームズ選手が、この後もこれだけの働きをし続けなければならないとしたら、まだまだシリーズの帰趨は分からないということになります。

 しかしそれでも、レブロンはこうした戦い方を続けるのでしょう。

 クリーブランドにタイトルを齎すために。
 ゲームが終了した瞬間、キャブスのレブロン・ジェームズ選手が雄叫びを挙げました。それも、相当長い間吠えていました。喜びを爆発させたのです。

 今シーズンのNBANO.1チームを決める「NBAファイナル」の第2戦は、ゴールデンステイト・ウォリアーズの1勝を受けて、ウォリアーズのホーム・オラクルアリーナで6月8日に行われました。

 そして、この第2戦は第1戦に続いてオーバータイムOT(延長戦)に縺れ込んだのです。

 長いNBAファイナルの歴史上、第1戦・第2戦が共にOTとなったのは初めてのことです。

 第2Qまでは互角の展開でした。

 ウォリアーズはクレイ・トンプソン選手が絶好調、「打てば入る」というプレーを続けました。一方のキャバリアーズは、エースのレブロン・ジェームズ選手が「自ら決めるのではなく周りの選手を活かすプレー」を展開し、一進一退の時間帯が続きました。

 このゲームを特徴づけたのは第3Qでしょう。
 第3Qの得点は、キャブスが15点、ウォリアーズが14点でした。得点がとても少なかったのです。

 特に49-49の同点となってから、両チームのシュートが悉く決まらない、不思議な時間帯を迎えました。

 両チームのディフェンスが良かったということなのでしょうが、それにしてもレブロンやステファン・カリーといった、NBAを代表する=世界を代表する、ポイントゲッターが揃っている中で、得点が全く入らないというのは、とても不思議なことです。

 ようやくキャブスがゴールを決めましたが、ウォリアーズのシュートは入りません。49点から次の点に移るのに、ウォリアーズは3分前後の時間を要したのではないでしょうか。

 結果として「ロースコアゲーム」となりましたから、ゲームはキャバリアーズのペースで進行していたのです。

 62-59とキャブスが3点をリードして迎えた第4Qの前半、キャブスはレブロン・ジェームズ選手を中心に見事なプレーを続けました。
 ひとつの攻撃の持ち時間24秒をギリギリ一杯まで使って、最後にゴールを挙げて攻撃権を相手に渡すという形。センターラインを越えてボールをコントロールするレブロン選手は、残り15秒になるまで何もせず、そこからパスを出して攻撃に移るという戦術を繰り返したのです。

 このパターンを継続し、レブロン選手の3ポイントシュートも決まって「11点差」とした時には、このゲームはキャブスのものという空気が漂いました。
 リバウンドの獲得率も、キャブスが大きく上回っていました。

 ところが残り3分となってから、ウォリアーズは「ファウルゲーム」に移行しました。相手ボールになった直後に「フリースローの確率が低い選手にワザとファウルを行う作戦」です。

 フリースローはプレー時間に含まれませんから、相手チームがフリースローを2本失敗、あるいは1本しか決められない状況下で、自軍が2点あるいは3点を取れば、得点差を詰めることが可能ですし、相手チームに「24秒という長い時間」を消費されないで済むのです。

 あまり気持ちの良い作戦ではありませんが、ルール上可能なプレーですので、ウォリアーズは続けました。また、この作戦展開時にはウォリアーズの「3ポイントシュート」がビシビシ決まりました。
 11点差は、あっという間に5点差に縮まったのです。

 そして、試合残り時間7.2秒で87-87。ついに同点となりました。

 攻撃権を保持していたキャブスは、この7.2秒で1点でもあげれば、第2戦をものにできます。(第1戦は残り24秒でした)
 当然ながらレブロン・ジェームズ選手にボールを預けて勝負に出ました。
 レブロンは、猛然と突進しシュートを放ちましたが、これが決まらず、再びOTに突入したのです。

 OTとなれば、攻撃力に勝るウォリアーズが有利かと思いましたが、第1戦で外からの攻撃を多用して失敗したキャブスの戦術が良く決まり、残り10秒でキャブスが94-93と1点をリードしました。

 この時、いつも表情を変えないカリー選手に、僅かに「落胆した様な様子」が漂いました。カリー選手のシュートは入らず、残り3.4秒で再びファウルゲーム。

 キャブスが1点を加えて95-93。(ここでフリースローを2本とも決めていればキャブスに負けは無かったのですが、1点しか決まらないところが、ファイナルなのかもしれません)

 残り3.4秒に全てを賭けたウォリアーズの攻撃をターンオーバーで止めた瞬間、試合時間が無くなりました。
 レブロン・ジェームズ選手の歓喜の雄叫びが響き渡りました。

 最後の一瞬まで「どちらが勝つか分からない」ギリギリのゲームを、キャバリアーズは押し切り、1勝1敗のタイとしました。

 第1戦を観る限り、攻撃力に勝るウォリアーズに相当分があるシリーズかと思いましたが、第2戦をアービング選手抜きのキャバリアーズが制したことで「互角の様相」となったと感じます。

 第3戦からはキャバリアーズのホーム、オハイオ州クリーブランドのクイッケン・ローンズ・アリーナに会場が移ります。
 2ゲーム連続でOTを戦うという、両チームの地力が明確に拮抗しているシリーズですから、この第3戦が天王山になりそうです。

 それにしても、凄まじいゲームの連続です。さすがはNBAファイナルです。
 クリーブランド・キャバリアーズ(イースタンカンファレンス)とゴールデンステイト・ウォリアーズ(ウエスタンカンファレンス)の対戦となったNBAファイナル2015の第1戦が、ウォリアーズのホーム・オラクルアリーナで6月4日に行われました。

 一進一退の攻防が続き、試合の帰趨は全く予断を許しませんでした。これほど拮抗したゲームも珍しいのではないでしょうか。

 第4Q残り時間24秒、98-98の同点で迎えたキャブスの攻撃、キャブスとしては「時間を使い切って得点し勝ち切る」絶好のチャンスでした。残り時間が10秒を切ってからレブロン・ジェームズ選手がボールを保持して前進し、左サイドからシュートを放つも入らず、リバウンドからのシュートも決まりませんでした。

 NBAファイナル2015は初戦からオーバータイムOT(延長戦)に突入したのです。

 OTに入ってからは、ゲームは一方的なウォリアーズのペースとなりました。不思議な程得点が入らないOTでしたが、ウォリアーズはステファン・カリー選手がフリースロー4投をキッチリと決めてリードしました。
 反則を誘っての、この4点はとても大きなものでした。

 5分間のOTの半分、2分30秒が過ぎてもキャブスには得点が入りませんでした。エースのレブロン・ジェームズ選手を囮にしての攻撃がことごとく失敗したのです。

 一方のウォリアーズは、ハリソン・バーンズ選手の3ポイントシュートが決まって105-98と7点差、残り時間が2分を切りましたから、ウォリアーズの勝利は決定的となりました。

 試合終了間際にレブロン・ジェームズ選手がシュートを決めましたが、OT5分間でキャブス得点はこの2点だけでした。

 108-100、OTに縺れ込んだ接戦はウォリアーズが制したのです。

 OTに入ってからのキャブスのプレーヤーの動きはあまり良くありませんでした。「疲労の色」が濃かったと思います。

 第4Qを終えての98-98というゲームは、攻撃力に勝るウォリアーズの得点を100点未満に抑え込んだことを観ても、キャバリアーズペースたったと思います。

 キャブスとしては、返す返すも第4Q残り24秒からの攻撃が惜しまれます。
 レブロン・ジェームズ選手に「最後のシュートを託す」のは当然としても、周りの選手達のサポートが少なく、ジェームズ選手は難しい体勢・距離からのシュートを打たざるを得ませんでした。

 欠場者が多く、ウォリアーズより2名少ない8名のプレーヤーで戦わなければならなかったキャバリアーズに、疲れがより早く来たということかもしれません。

 レブロン・ジェームズ選手とステファン・カリー選手のエース対決としても注目されている今ファイナルですが、この点は第1戦は「互角」というところでしょうか。

 得点ではレブロンが44点、カリーが26点とレブロンが圧倒しましたが、キャブスはカリーを抑え込むために相当のエネルギーを消費していましたから、最後の疲れに繋がったとも言えるのでしょう。

 OTの終盤に、キャブスのカイリー・アービング選手が痛めていた膝を悪化させてコートを去りました。
 キャブスとしては、レブロンに次ぐエースプレーヤーを失った形です。もし、第2戦以降にも影響が出るとすれば、チームとして大きなダメージとなることでしょう。

 41年振りのファイナル進出という「プレーヤーの経験不足」が指摘されていたウォリアーズにとっては、とても大切な「初戦勝利」でした。自分たちのプレーがファイナルで通用することを実感できたことは、大きな自信に繋がったことでしょう。

 一方のキャバリアーズとしては、レブロン選手が44得点しても勝てなかったこととアービング選手の故障再発が気になるところです。

 NBAファイナル2015は、ウォリアーズ中心に動いて行くこととなりそうです。

 「黄色一色」に染まったオラクルアリーナに、ウォリアーズファンの歓声がいつまでも響いていました。
 NBA2014~2015シーズンも熱戦が続いています。
 アリーナは観客で溢れ、スーパープレーの連続に大歓声が沸き上がります。

 イースタン・カンファレンスでは、トロント・ラプターズやワシントン・ウィザーズが好調なシーズンを展開し、ウェスタン・カンファレンスではゴールデンステイト・ウォリアーズが走り、ヒューストン・ロケッツやポートランド・トレイルブレイザーズが追う展開となっています。

 こうしたNBAの隆盛を観るにつけ、あるチームを思い出します。それは「ザ・ドリームチーム」です。

 世界バスケットボール史上に、そしてスポーツ史上に燦然と輝くのが、「ザ・ドリームチーム」なのです。

 これ程のチームが組成され、実在し、ゲームも行い、オリンピック金メダルを獲得したこと自体が、現在では夢の様に感じられます。

 1992年バルセロナ・オリンピックにおけるこのチームの成功後、何度かドリームチームと銘打たれたチームが、オリンピックのバスケットボール競技やアイスホッケー競技に登場しました。それらも、とても良いチームでしたけれども、この「ザ・ドリームチーム」とは少し次元が違うと感じます。

 「ザ・ドリームチーム」は、ゲームの勝ち負けの上に存在するチームで、「このチームなら勝てる」といった視点で観る対象でもなく、存在そのものが夢のようなチームでした。大袈裟に言えば「形而上学的な存在」だったのでしょう。
 このチームを観ることが出来たことは、多くのスポーツファンにとって素晴らしい経験であったと思います。

 こうしたオールスターチームの発想は、1988年のソウル五輪で、アメリカ代表バスケットボールチームが銅メダルに終わったことが要因となって検討されたものです。
 従って、チーム組成の目的は「オリンピック金メダル獲得」だったのです。

 ところが、というか、一方というか、1990年前後のこの時期に、NBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエイション)には、綺羅星の如くスタープレーヤーが存在したのです。
 この「時期の偶然」が、目的を大きく超える「ザ・ドリームチーム」を生んだ最大の要因でしょう。

 空前絶後のメンバーでした。(数字の後ろはNBAのチーム名)
① ブルズ マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン
② ニックス パトリック・ユーイング
③ スパーズ デビッド・ロビンソン
④ セルティックス ラリー・バード
⑤ ジャズ カール・マローン、ジョン・ストックトン
⑥ トレイルブレイザーズ クライド・ドレクスラー
⑦ ウォリアーズ クリス・マリン
⑧ サンズ チャールズ・バークレー
⑨ レイカーズ マジック・ジョンソン

 この11名のプレーヤーが揃ったこと自体が、奇跡なのでしょう。

 ラリー・バードとマジック・ジョンソンという、NBAを支えてきたスーパースターと、その時点のNBAを代表する選手である「神様」マイケル・ジョーダンが同じチームに居るというのは、驚くべきことですし、パトリック・ユーイングとカール・マローン、チャールズ・バークレーのようなチームの中心選手ばかりがひとつのチームに居ることも、何だかお腹一杯という感じです。
 やはり、言葉で表現することが難しいチームなのです。

 バルセロナ・オリンピックで、「ザ・ドリームチーム」と対戦したのは、アンゴラ・クロアチア・ドイツ・スペイン・ブラジルといった国々の代表チームでしたが、あまりゲームにはなりませんでした。
 勝負にならないとか、得点差が大きいといった意味もありますが、戦う以前に他チームのプレーヤーが憧れの眼で見てしまいますし、一緒に写真を撮ることに熱心になったことでしょう。当然のことです。

 そういう「特別な存在」だったのです。

 そして、ベースボールに例えれば、MLB屈指の強打者ばかりが集まったチームでしたが、そのプレー振りは見事の一語で、大砲ばかりのチームの弊害など微塵も感じさせませんでした。
 世界最高レベルのフィジカルとテクニック、そしてメンタルを具備した、本当の本物のプレーヤーが集まると、こういうチームになるものなのだと感じ入りました。仲違いなどするレベルでは無いのです。

 このチームについての感想を求められたマイケル・ジョーダンは、「練習が凄い。世界一の練習だ。」とコメントしていました。このメンバーによるチーム練習は、想像を絶するものです。おそらく、世界バスケットボール史上でこのチームにしか出来ない練習が行われたのでしょう。
 あのジョーダンが「凄い」と言った練習の映像は、残っているのでしょうか。
 2014年10月中旬以降、男子バスケットボールの日本チームが国際大会に出場できなくなるのではないか、というニュースが報じられ続けています。

 FIBA(国際バスケットボール連盟)が、JBA(日本バスケットボール協会)に命じた(要請であっても、国際試合への出場権という意味では命令と同義でしょう)事項の回答期限が2014年10月末に迫っていて、その命令事項を順守した回答が行える目途が立っていないということのようです。

 その命令事項とは、日本にある2つのバスケットボール・リーグ、NBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)とbjリーグ(日本プロバスケットボール・リーグ)を2年後に統合すること、というもので、両リーグの話し合いが続いているものの、全く目途が立っていない様子です。

 bjリーグは2005年11月に始まったプロバスケのリーグで、22チームが参加しています。
 一方のNBLは2013年9月に始まった(ばかりの)バスケリーグで、12チームが参加していて、内7チームがプロ・5チームが実業団(アマチュア?)という構成になっています。

 そもそも、日本の男子バスケットボールの最高峰リーグ(トップリーグ)は1967年に開始された「日本バスケットボール・リーグ」であり、その流れの延長線上にあるのはNBLの方です。

 ところが、当然ながら当初は全てアマチュアの実業団チームで構成されていて、その後も実業団チームが主体となって運営されてきたトップリーグが、現在のNBL開始に際しては過半がプロチームになっているという点が、話を一層ややこしくしています。
 NBLに参加している実業団チームは、東芝、日立、トヨタ、アイシン、三菱電機のチームであり、「日本のバスケットボールを支えてきた」という実績・自負十分のチームばかりです。

 もともと、NBL創設に際してbjリーグも統合した形でスタートしようとしたにも関わらず、結局現在のような形になってしまったようです。

 さて、この事象は、外野に居る私達にはとても分かり難い話になっています。この混迷の原因は、どこにあるのでしょうか。

① bjリーグがNBLに参加しなかったことが問題
② NBLがbjリーグの意向を汲まなかったことが問題
③ FIBAの命令自体が問題

 等々、色々な意見が出されるのでしょう。

 例えば、③についていえば、「ひとつの国に複数のリーグが存在すること自体が問題」である筈がないでしょう。我が国よりバスケットボールが盛んな国は沢山ありますし、そうした国々には多くのリーグが存在するのでしょうが、そうした国々が国際試合に出られないという話は聞きません。

 また、例えば野球・ベースボールについて見れば、我が国には日本プロ野球NPB以外に多くのプロリーグが全国に存在しますが、野球の日本代表チームが国際試合に出られないという話は、聞いたことがありません。

 FIBAが、何故こんな命令をJBAに行ったのかが、外部には見えてこないのです。頭書のような単純な話である筈がありません。別の難解な理由があるのでしょう。

 bjリーグとNBLの間に確執が存在することは間違いない事のように見えますが、これも相当に複雑骨折している可能性があります。

 「こうした事態が続くとプレーヤーに迷惑がかかる」、「毎日練習に汗を流している選手には罪は無い」、「アスリート・ファースト(選手第一主義)」といった論調も見られますが、これも、それ程単純な話ではないでしょう。
 例えば、選手が引退後、bjリーグやNBLのコーチ・指導者に就いているであろうことは容易に想像できることです。ここは連続性があるのでしょうから、選手間に派閥のようなものが存在する可能性は十分に有りますので、「選手だけが被害者」ということでは無さそうです。

 結局のところ、日本の男子バスケットボール界やトップリーグに、いったい何が起こっているのかが分からない状態が続いているということになります。

 唯一確実そうなのは、「日本の男子バスケットボール界にはリーダーシップが存在しないこと」でしょうか。
 誰が正しくて、誰が間違っているかといった議論以前に、組織を纏めて行く力が不足しているように見えます。

 「組織を纏めて行く力が不足している」のであれば、たとえ本件が何らかの形で決着したとしても、男子バスケットボール界のレベルアップに向けての施策の展開や、東京オリンピック2020に向けての結束など、到底覚束ないことでしょう。
 
 世界屈指の人気を誇るメジャースポーツが、我が国においては発展しないかもしれないというのは、とても残念なことだと思います。

 NBA2013~2014シーズンのプレーオフも佳境を迎えています。

 イースタン・カンファレンスの決勝は、インディアナ・ペイサーズとマイアミ・ヒートの対戦となりました。プレーオフ1回戦でのアトランタ・ホークスの善戦がありましたが、結局第一シードと第二シードの両チーム、昨年と同じカードに落ち着いた形です。

 一方のウエスタン・カンファレンスの決勝は、サンアントニオ・スパーズとオクラホマシティ・サンダーの対戦となりました。イースタンCに比べて接戦の多い1・2回戦でしたが、結局第一シードと第二シードで落ち着いた形です。こちらも、昨年と同じ対戦となりました。

 両カンファレンスでNBAファイナル進出に向けた激しい戦いが繰り広げられるのです。

 さて、1947年・昭和22年、第二次世界大戦が終結してから2年後に始まったNBAファイナルですが、1969年から「ファイナルMVP」という制度が開始されました。このファイナルMVPの推移は、その時代その時代のNBAの姿を良く示してくれています。

① 1969年~1979年 混戦の時代
 両カンファレンスで、ボストン・セルティックスとロサンゼルス・レイカーズが優位にあったとはいえ、全体としては混戦の時期です。ファイナルMVPも毎年のように変わりました。

 1971年のカリーム・アブドルジャバーや1972年のウィルト・チェンバレンは、MBA史上に残る得点・リバウンドの記録を打ち立てたプレーヤーです。この期間に、唯一2度のMVPに輝いたのは、ニューヨーク・ニックスのウィリス・リード。センタープレーヤーとしてニックスの2度の優勝に大貢献しました。

② 1980年~1988年 マジック・ジョンソンとラリー・バードの時代
 この9年間は、ボストン・セルティックスとロサンゼルス・レイカーズの時代でした。1982年を除いて、両チームは交互にNBAファイナルを制しています。

 MVPもレイカーズからマジック・ジョンソンが3度、セルティックスからラリー・バードが2度受賞しています。アブドルジャバーやセドリック・マクスウェルといったプレーヤーも交えて、両チームが凌ぎを削ったのです。

③ 1989年と1990年 バットボーイズとアイザイア・トーマスの時代
 この2シーズンは、セルティックスとレイカーズの時代からシカゴ・ブルズの時代への橋渡しの時期です。
 1988年からファイナルに登場したデトロイト・ピストンズが2連覇し、MVPにはジョー・デュマースとアイザイア・トーマスが選ばれています。2人とも「バッドボーイズ」の一員でした。デュマースの得点力は素晴らしいものでしたが、その後の監督としての活躍などを考慮して、アイザイア・トーマスの時代とします。

④ 1991年~1998年 マイケル・ジョーダンの時代
 この8年間で、シカゴ・ブルズは6度ファイナルを制し(3連覇×2回)、その6度全てにおいてMVPはマイケル・ジョーダンでした。この圧倒的な存在感は、NBA史上他に類を見ません。

 実は、3連覇2回の間をぬって、1994年と1995年にはヒューストン・ロケッツがファイナルを制し、2度ともアキーム・オラジュワンがMVPを受賞しています。「アキーム・オラジュワンの時代」と言えますし、素晴らしい実績なのですが、その前後をブルズとジョーダンに挟まれているために、少し影が薄くなっているのが残念なところです。

⑤ 1999年~2005年 ティム・ダンカンとシャキール・オニールの時代
 この7年間、サンアントニオ・スパーズとロサンゼルス・レイカーズが3度ずつファイナルを制し、MVPはティム・ダンカンとシャキール・オニールでした。身長211cmのダンカンと216cmのシャックは圧倒的な存在感でした。

⑥ 2006年~2008年 過渡期
 ヒート、スパーズ、セルティックスとファイナル制覇したこの時期は、絶対的なチームが存在しない過渡期といえます。
もちろん、セルティックスとスパーズは、21世紀に入ってから常に、相当に高いチーム力を維持してきましたし、ヒートはチーム力を挙げてきていたのですが、いずれのチームも一時代を築くには至りませんでした。

⑦ 2009年と2010年 コービー・ブライアントの時代
 この2年間はロサンゼルス・レイカーズがファイナルを制して、コービーが2度MVPを受賞しました。コービーは、シャックがMVPを受賞し続けた頃からレイカーズの中心選手でしたが、シャックが居る時にはMVPには手が届きませんでした。
 そして、ついにコービー・ブライアントの時代が到来したのですが、年齢的な関係もあってか2年で終わってしまいました。コービーへのご褒美のような2シーズンであったのかもしれません。

⑧ 2011年~ レブロン・ジェームズの時代
 マイアミ・ヒートは2011年から3年連続でファイナルに進出し、2012・2013年に優勝しています。そして2度ともレブロンがMVPを受賞しました。
 レブロン自身は2003年からキャブスで大活躍していたのですが、チーム力が不足していたのでしょうか、ファイナルに進出することは出来ませんでした。

 レブロン・ジェームズは2010年にヒートに移籍し、ついにその力を、マイケル・ジョーダンに匹敵するとも言われている力を、ファイナルの場で示す機会を得たのです。

 こうして見ていくと、次第に「○○の時代のサイクル」が短くなってきています。21世紀に入ってからNBA各チームの力が拮抗してきている証左でしょう。

 NBAプレーオフ2014で、マイアミ・ヒートが「レブロン・ジェームズの時代」を継続することが出来るのか、とても興味深いゲームが続くのです。
 NBA(ナショナル・バスケットボール・アソシェーション)は、1946年・昭和21年の6月に設立された北米のプロバスケットリーグで、30チーム(アメリカ29、カナダ1)により構成されています。世界最高水準のバスケットボールのプレーが展開されているリーグであり、アメリカ4大スポーツのひとつとして隆盛を極めています。(基本情報です)

 そのNBA史上で1試合最高得点記録を持つプレーヤーは誰でしょう。

 NBA歴代最高得点記録38,387点を保持する伝説的ポイントゲッター、カリーム・アブドルジャバーでしょうか。郵便を配達するように得点を量産した「ミスター・ポストマン」カール・マローンでしょうか。ゴール下の暴れん坊シャキール・オニールでしょうか。現役最高のポイントゲッターであるコービー・ブライアントやレブロン・ジェームスでしょうか。それとも「バスケットボールの神様」マイケル・ジョーダンでしょうか。

 (この種の質問の恒例として)いずれのプレーヤーでもなく、ウィルト・チェンバレンというプレーヤーです。1962年のゲームで、1試合に100得点を上げました。これは凄い水準の記録です。
 NBAは、ファンに喜んでもらえるとの考え方からか、その歴史上「得点が入りやすいように」ルールの改正を続けてきていますが、現在でも1試合のチーム総得点は大体100~120点です。NBA発展期の1962年の段階で、1人で100点を上げているのですから、驚くというよりは、呆れてしまいます。

 ウィルト・チェンバレンは、1936年生まれのフィラデルフィア出身。身長216cm、体重125㎏という、当時としては(現在でも)大型プレーヤーです。NBAは、1959年のフィラデルフィア・ウォリアーズを皮切りに4チームでプレーし、1973年のロサンゼルス・レイカーズでのシーズンを最後に引退しています。

 チェンバレンの記録を挙げていくと本当にキリが無い*のですが、特に「得点」と「リバウンド」については、今後破られないであろう「不滅の記録」が数多くあります。前述の1試合100得点もそうですが、1試合55リバウンドの方が、より凄い記録だとも言われています。
 *ごく一部を書きます。1961~62年シーズンは、4029得点2052リバウンド・1試合平均50.4得点25.7リバウンド、この全てがNBA記録です。1シーズン3000得点以上の記録は、チェンバレンとマイケル・ジョーダンのみが記録しています。このように、各シーズンで大記録を作っていますのでキリがありません。

 1試合100得点は1962年3月2日の対ニューヨーク・ニックス戦で達成したのですが、このゲームでチェンバレンが所属したフィラデルフィア・ウォリアーズは負けています。
チェンバレンは、1959年のデビュー年から1964年までのウォリアーズに在籍している間、ほとんどあらゆる得点・リバウンドのNBAシーズン記録を更新し、プレーオフにも進出しましたが、NBAファイナルでは勝てませんでした。そして76ersに移籍し、チェンバレンにとってのNBA8年目・1966~1967年シーズンに、ようやくNBAファイナルを制して優勝しました。しかし、結局、彼の優勝はこの1回でした。

 ここが興味深いところです。例えば「神様」マイケル・ジョーダンの1試合最高得点記録は69点で、これも凄い記録なのですが、この試合もジョーダンが所属したシカゴ・ブルズは敗れています。また、ジョーダンはプレーオフでも1試合63点という驚異的な記録を持っていますが、この試合もブルズはセルティックスに敗れています。

 つまり、1人のプレーヤーが記録に残るような大量得点を上げると、そのチームは勝ちにくいのです。逆に言えば、勝てるチームにするためには、1人のプレーヤーに得点が集中するようなチーム作りを回避しなければならないということになります。

 マイケル・ジョーダンは、1984年からシカゴ・ブルズでのキャリアをスタートしていますが、1989年まではブルズはプレーオフに出場するだけのチームでした。この間ジョーダンはチームNO.1ポイントゲッターでしたが、どうしてもプレーオフを勝ち進むことが出来ませんでした。

 1989年シーズン後、ブルズはヘッドコーチにフィル・ジャクソンを据えて、新しいチーム作りを進めました。そして、翌1990~1991年シーズンにシカゴは初めてNBAファイナルを制して優勝しました。このシーズンのジョーダンの1試合平均得点は31.5点と、過去5年間で最低でした。(それでも得点王でした)

 ジョーダンは、フィル・ジャクソンの「もっと、皆とボールを分かち合うように」との指示を守ったのです。このシーズンからシカゴは最初の3ピート(3シーズン連続NBAファイナル制覇)を成し遂げますが、ジョーダンの1試合平均得点は、2シーズン目が30.1、3シーズン目が32.6と低いまま(これでも十分に高い水準なのですが、ジョーダンとしては低いという意味)でした。

 ひとりのプレーヤーに得点が過度に集中しないチーム作りが、NBAというかバスケットボールのゲームで勝っていくためには、必要なことなのかもしれません。
 とはいえ、チームの勝利のためにはポイントゲッターが相応の得点を上げることも必要ですから、このバランスが難しい。これまでNBAを観てきた感じですが、チームのフォーメーションや作戦に合わせて適正に多くのプレーヤーにボールを回した上で、ポイントゲッターは30~35点を1試合平均で上げていくのが良さそうです。そうすると、大事なことは「高いフィールドゴール成功率」を維持していくことになります。

 先ほどから色々な記録が出てきますので、本稿に関連する代表的なNBAの記録(2012年8月末時点)を以下に記載してみます。(→続きへ) 

 1891年夏、アメリカ・マサチューセッツ州・スプリングフィールドの国際YMCAトレーニングスクールにおいて、体育指導者の講習会が開催されました。当時アメリカでは、屋外スポーツが出来ない冬季の体育プログラムが、体操に偏るため、学生が積極的に参加しようとするプログラムの模索が続けられていましたが、この時もそれがテーマとなりました。

 同年秋、同トレーニングスクールは、既存のスポーツを利用するのではなく、新しいスポーツを創るしかないとの結論に達しました。同トレーニングスクールの体育教官であった、カナダ人のジェームズ・ネイスミスは、アメリカンフットボールやサッカー、ラクロスを屋内競技として取り入れようと試行錯誤しましたがうまく行かず、これらのスポーツの要素を組み合わせて、新しいスポーツを創ろうとしました。

 その時に必要事項としたのは、以下の諸点でした。
① ボールを使うこと
② ボールを持ったまま走ってはいけないこと(タックルの発生によるケガの危険を少なくするための措置)
③ ゴールをプレーヤーの頭上に水平に設置すること(プレーヤー同士の身体接触を抑えるための措置。ネイスミスが少年時代を過ごしたカナダ・オンタリオ州の遊戯をヒントにしたそうです)

 ネイスミスは最初に13のルールを考案し、この新スポーツのルールとしました。現在はルールの数は増えていますが、ゲーム形式は当初のものとほとんど同じだそうです。

 1891年12月21日、国際YMCAトレーニングスクールで初めての試合が行われました。ボールは、サッカーボールが使われました。ネイスミスは当初、45cm四方の箱をゴールにしようと考えていましたが用意出来なかったので、代わりに桃を入れる籠(かご)を体育館のバルコニーに取り付けることとしました。
 この時のゴールの高さ10フィート(3.05m)と籠(後のリング)の内径45cmは、以後変更されることなく、今日に至っています。また、コートの広さは約11m×15mだったそうです。

 この試合は、トスアップから1時間ほどたったところで、初のショットが決まり、点が入ってゲームセットとなりました。1点というか1ショットが入るとゲームセットというのは、原始フットボール(村同士が祭りの際などに行ったゲーム)でも同じですから、「試合時間が決まっている」方が、後発のやり方なのかもしれません。

 このスポーツの名称については、試合開始前にネイスミスと学生フランク・マーンとの間で話題になり、桃の籠を用いたことから「バスケットボール」とされました。こうした事実を踏まえると、バスケットボールのはじまりは、1891年ということになります。

 同トレーニングスクールの広報誌1892年1月15日号に紹介され、正式に「バスケットボール」と開示されました。尚、この時の英語表記は「Basket ball」でしたが、1921年に公式に「Basketball」となったそうです。

 ネイスミスはプレイヤーの数については、両チームが同じ人数であれば何人でもよいと考えていたようで、13のルールにもチームの人数を規定していません。これは、元々のこのスポーツ開発の目的が「冬季の学生の運動不足解消のため」であったことから、コートの大きさや学生数によって弾力的に運営できるようにと考えたものと思われますが、人気が出て、皆がプレーを望むようになるとそうもいきません。
 コーネル大学では50人対50人で試合が行われ、「体育館が破壊されかねない」と言われたとの逸話も残っています。

 そして1チームのプレーヤーの人数は1894年に、コートの大きさによって5人、7人、9人と規定され、1897年にはコートの大きさが決められ、プレーヤー数も5人とされました。この辺の動きは、思ったより速いと思います。

 ゴールについては、当初は当然、シュートが決まる都度、梯子や棒を用いてボールを取り出していましたが、桃の籠は壊れやすく、シュートイン・取り出しの繰り返しですぐに壊れてしまうため、早い段階で金属製の円筒型に代わりました。

 金属製のリングになり、ネットで底が抜けている形になったのは、1912年から1913年頃と言われています。これは、思ったより時間がかかっています。おそらく、内径45cmのゴールにシュートを入れるのは、それほど簡単なことではなく、初期の試合では、現在のようには沢山のゴールが生まれなかったことと、ゴールが決まる都度ボールを取り出すこと自体が、初期バスケットボールのひとつのルーティンとして定着したことが、原因ではないかと思います。

 バスケットボールは、一人の人間によって発明されています。過去のスポーツや遊戯との連続性が皆無とはいいませんが、相当に不連続です。にもかかわらず、あっという間に大人気となり、全米中、世界中に広まりました。一説には、現在世界で最も競技人口が多いスポーツとも言われています。
 気候、屋内・屋外、スペース等の制限を受けにくいスポーツとして、引き続き支持されていくことでしょう。

 1891年の下半期に、ジェームズ・ネイスミスの頭の中で何が起こっていたのでしょう。パッと閃いたのでしょうか。ひょっとすると、今度はあなたが、世界で人気絶頂のスポーツを発明する可能性もあるのかもしれません。



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Author:カエサルjr
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