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 温故知新2020陸上競技編その10です。

 今回は110mH競走、いわゆる「110パー」です。
 110mのハードル競走は男子にしかありませんから、わざわざ「男子」と表記する必要が無いのです。そして、かつて陸上界では「110パー」と呼んでいました。(今でも呼んでいるかもしれません)

 とても「精巧・精密」な種目です。

 110mを走る間に、高さ106.7cm・3.5フィートのハードルを10台越えて、ゴールインするタイムを競います。(相当高い障害物です)
 髙いレベルのスプリント力を具備していることを前提として、オリンピックの決勝に進むハードラーならば各レースにおいて、第1ハードルまで(13.72m・45フィート)の1歩1歩の位置は1cmとは違わないでしょうし、各ハードル間(9.14m・30フィート)の足の着地位置も1cmとは違わないでしょうし、最終ハードルからゴールまで(14.02m・46フィート)の1歩1歩の位置も殆ど同じでしょう。
 そうした精緻な走り・プレーが出来ないランナーでは、オリンピック決勝は遠い存在なのです。

 例えば、ハードル間9.14mは、身長190cm前後の長身ランナー(オリンピックにおいては普通のサイズです)にとっては「3歩で走るには短過ぎる」ことから、思い切り走ってしまっては、次のハードルに近付き過ぎてしまい、とても飛び辛いし、「上に飛ぶ」ことになってしまいますから、減速に繋がり易いのです。
 可能な限り「走り抜けるイメージ*」でクリアして行きたい各ハードルを、流れるように熟すには、ハードル間の1歩を短くしていかなくてはならず、3歩の内のどれをどれくらい短くするか、どれとどれを短くするか、といったポイントについては、各ハードラーが自らの体型や筋力の付方等々の要素を十分に考慮した上で、指導者と相談を重ね、一歩一歩の位置を決め、そこに着地するように、練習を重ねて行かなければならないことは、とても基本的なことでしょう。(*高さ106cmを越える障害物を「走り抜けるイメージ」で次々とクリアして行こうとすること自体が、ミラクルな話であることは言うまでも有りません)

 スタートから第1ハードルまでの入り方、「13.72m」の処理は、タイムを上げて行くために最も大切な部分です。どんな熟練のハードラーでも、毎レース、この13.72mにはとても苦労しています。
 力んで突っ込んでもダメ、かといって、あまりにも静かに立ってもダメですから、第1ハードルまでの一歩一歩の位置を、どこに置いたら、レース全体として1/100秒タイムが縮まるかと言った、地道で効果的な検証と実行が不可欠なのでしょう。

 10台目の最終ハードルを越えてからの、残りの14.02mは「順位を決める場所」ですので、10台目を越える前から準備が必要なことは言うまでもありません。
 大切なことは「10台目を越える時の順位では無く」、「10台目を越える時のスピード」なのでしょう。
 たとえ10台目を越える時に30cm遅れていた(30cmは110パーでは大差です)としても、加速しながら越えることが出来れば、残る14m余で逆転することは十分に可能です。(多くのレースでこうした逆転が現出します)

 もちろん、10台目で加速するための準備は、7台目くらいから、あるいはランナーによっては5台目くらいから行われるものだと思います。
 「ハードル間の3歩」の位置が、1台目から2台目と、8台目から9台目では違ってくるのでしょう。「次のハードルに向かう3歩目の位置」によって、ハードルを越える際のスピードが決まって来るからです。
 そうすると、各ハードル間の「3歩」は、ハードル毎に1~2cm位ずつ異なることになります。
 ひとつのレースの全ての一歩一歩の位置、自らにとってベストの位置を決め、それを実行できるレベルになって初めて、オリンピックの決勝という舞台に立つことが出来るのであろうと思います。

 そして、そうした極めて精緻な走りを習得し、国際大会で好成績を残すトップハードラーにして、「ハードルに引っかかったり」「ハードル間で詰まってしまいバランスを崩したり」するのが、オリンピック本番の舞台ということになります。
 世界記録を保持しているハードラーとて、容易なことでは手にすることが出来ないのが「オリンピックチャンピオン」の称号なのです。

 今回もローマ1960から観始めることとしましょう。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 リー・カルホーン選手(アメリカ) 13秒8
・東京1964 ヘイズ・ジョーンズ選手(アメリカ) 13秒6
・メキシコシティ1968 ウィリー・ダベンポート選手(アメリカ) 13秒33
・ミュンヘン1972 ロッド・ミルバーン選手(アメリカ) 13秒24
・モントリオール1976 ギー・ドルー選手(フランス) 13秒30
・モスクワ1980 トーマス・ムンケルト選手(東ドイツ) 13秒39
・ロサンゼルス1984 ロジャー・キングダム選手(アメリカ) 13秒20
・ソウル1988 ロジャー・キングダム選手(アメリカ) 12秒98
・バルセロナ1992 マーク・マッコイ選手(カナダ) 13秒12
・アトランタ1996 アレン・ジョンソン選手(アメリカ) 12秒95
・シドニー2000 アニエル・ガルシア選手(キューバ) 13秒00
・アテネ2004 劉翔選手(中国) 12秒91
・北京2008 ダイロン・ロブレス選手(キューバ) 12秒93
・ロンドン2012 アリエス・メリット選手(アメリカ) 12秒92
・リオデジャネイロ2016 オマール・マクレオド選手(ジャマイカ) 13秒05

 この種目もアメリカ合衆国が強い時期が長く続きました。
 その牙城を破ったのが、モントリオール1976のドルー選手でした。ミュンヘン1972でミルバーン選手に続いて銀メダルを獲得していたドルー選手は、モントリオールで悲願のオリンピックチャンピオンの座に就いたのです。
 ハードルを越えた直後の、ハードル間の「1歩目」のバランスが良く美しい走りのハードラーでした。

 キューバのハードラーも2つの金メダルを獲得しています。実はフランスのドルー選手が優勝した時の銀メダリストが、キューバのアレハンドロ・カサナス選手でした。
 キューバの110パーの歴史・伝統は、シドニー2000において突然登場したものでは無いのでしょう。

 この15大会での連覇は、ロジャー・キングダム選手ひとりです。ロス1984とソウル1988を連覇しました。
 そしてオリンピック決勝で初めて「13秒の壁」を破ってくれたのです。

 男子100m競走の「10秒の壁」に相当する、110mハードルの「13秒の壁」は、その厚さであれば100mを凌ぐでしょう。
 現在でも「13秒の壁」を突破するハードラーはなかなか現れませんし、オリンピックの決勝で12秒台を観るのは、とてもレアなのです。

 頭書のように、極めて精巧・精緻な競技ですから、「最高の舞台でベストプレー」を披露するのは、滅多な事では出来ません。
 大袈裟に言えば「全ての要素が上手く行って初めて」生まれるタイムなのでしょう。

 技術、体力、筋力、精神力、等々の全てを競い合う種目「110パー」は、本当に面白い種目ですし、録画を何度観返しても新しい発見があるスポーツなのです。
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 温故知新2020陸上競技編その9です。

 今回は男子200m競走を観て行きたいと思います。
 男子200mは、1900年の近代オリンピック第2回パリ大会から実施されています。
 第1回アテネ1896から行われている100m競走に続いて、短距離種目として行われるようになったのです。

 100mと200mの違いは、「距離が2倍」であることと「コーナーの走りがある」ことの2点でしょう。
 どちらも、とても大切な要素です。

 今回もローマ1960から始めます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 リビオ・ベルッティ選手(イタリア) 20秒5
・東京1964 ヘンリー・カー選手(アメリカ) 20秒3
・メキシコシティ1968 トミー・スミス選手(アメリカ) 19秒83
・ミュンヘン1972 ワレリー・ボルゾフ選手(ソビエト) 20秒00
・モントリオール1976 ドン・クォーリー選手(ジャマイカ) 20秒22
・モスクワ1980 ピエトロ・メンネア選手(イタリア) 20秒19
・ロサンゼルス1984 カール・ルイス選手(アメリカ) 19秒80
・ソウル1988 ジョー・デローチ選手(アメリカ) 19秒75
・バルセロナ1992 マイク・マーシュ選手(アメリカ) 20秒01
・アトランタ1996 マイケル・ジョンソン選手(アメリカ) 19秒32
・シドニー2000 コンスタンティノス・ケンテリス選手(ギリシャ) 20秒09
・アテネ2004 ショーン・クロフォード選手(アメリカ) 19秒79
・北京2008 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 19秒30
・ロンドン2012 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 19秒32
・リオデジャネイロ2016 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 19秒78

 まず眼につくのは、イタリア人ランナーの活躍でしょうか。
 ベルッティ選手とメンネア選手が金メダルを獲得しています。
 どの種目にも、超強豪選手が居ない「空白の時期」があると言われますが、この2名のイタリア人スプリンターについては、その指摘は当たらないでしょう。
 特にメンネア選手は、当時の世界記録19秒72を保持する、世界最高の200mランナーでした。
 この1979年に叩き出した「19秒72」は、1996年のアトランタオリンピックにおいてマイケル・ジョンソン選手に破られるまで世界記録の地位を守りましたし、「現在でもヨーロッパ記録」として残っています。
 40年以上に渡って欧州一という凄い記録なのです。

 シドニー2000の金メダリスト、ギリシャのケンテリス選手も含めて、アドリア海には「男子200m競走の神」が居るのかもしれません。

 続いて20世紀の後半では、アメリカの強さが際立ちます。
 東京1964のヘンリー・カー選手、メキシコシティ1968のトミー・スミス選手に始まり、ロス1984~アトランタ1996までの4連勝もあります。
 カール・ルイス選手やマイケル・ジョンソン選手といった、「世界陸上史」に燦然と輝くアスリートも並びますが、私が最も素晴らしい200mランナーと感じているのは、メキシコシティ1968のトミー・スミス選手です。

 その走りが素晴らしい。

 前傾姿勢から力強く上がる太腿、軽やかに加速するコーナリングと、スピードが落ちない直線の走りは、これまで観てきたオリンピックの男子200m競走の中で、最も美しいものだと思います。
 大袈裟に言えば「ザ・200m」なのです。

 19秒83という、驚異的な世界新記録での優勝でした。
 このスミス選手の記録を11年振りに破ったのが、前述のメンネア選手なのです。

 さて、アトランタ1996においてマイケル・ジョンソン選手は19秒32という、これまた驚異的な世界新記録を打ち立てました。400mのスペシャリストと見られていたジョンソン選手による超ハイパフォーマンスでした。
 ジョンソン選手は「このラン」で脚を痛め、リレーには出場できませんでした。「時空を超えた記録」は、アスリートの体に想像以上の負担を強いるものなのでしょう。

 この記録は「100年間は破られない」と言われましたが、これが北京2008のウサイン・ボルト選手の19秒30によって更新されるのですから、驚かされるばかりです。
 ボルト選手は、ロンドン2012においても19秒32で優勝しています。

 男子200m競走においては、マイケル・ジョンソン選手とウサイン・ボルト選手の2名だけが、「19秒30台そこそこ」という、他の選手達が未踏の領域、別次元のレベルに到達しているということになります。
 この領域に到達する「3人目のスプリンター」は、誰なのでしょうか。

 温故知新2020の陸上競技編その8です。

 その7・女子円盤投げの稿でも書きましたが、円盤投げは「歴史と伝統」を誇る種目であり、第一回近代オリンピック・アテネ大会1986から正式種目となっています。

 男子の円盤の重さは2kgで女子の倍です。

 今回もローマ1960をスタートとしようと思いましたが、この種目に限って1956年のメルボルン大会から始めます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・メルボルン1956 アル・オーター選手(アメリカ) 56m36cm
・ローマ1960 アル・オーター選手(アメリカ) 59m18cm
・東京1964 アル・オーター選手(アメリカ) 61m00cm
・メキシコシティ1968 アル・オーター選手(アメリカ) 64m78cm
・ミュンヘン1972 ルビドク・ダネク選手(チェコスロバキア) 64m40cm
・モントリオール1976 マック・ウィルキンズ選手(アメリカ) 67m50cm
・モスクワ1980 ビクトル・ラシチュプキン選手(ソビエト) 66m64cm
・ロサンゼルス1984 ロルフ・ダンネベルク選手(西ドイツ) 66m60cm
・ソウル1988 ユルゲン・シュルト選手(東ドイツ) 68m82cm
・バルセロナ1992 ロマス・ウバルタス選手(リトアニア) 65m12cm
・アトランタ1996 ラルス・リーデル選手(ドイツ) 69m40cm
・シドニー2000 ウィルギリウス・アレクナ選手(リトアニア) 69m30cm
・アテネ2004 ウィルギリウス・アレクナ選手(リトアニア) 69m89cm
・北京2008 ゲルド・カンテル選手(エストニア) 68m82cm
・ロンドン2012 ロベルト・ハルティング選手(ドイツ) 68m27cm
・リオデジャネイロ2016 クリストフ・ハルティング選手(ドイツ) 68m37cm

 このシリーズで本稿のみメルボルン1956から始めた理由は、アメリカのアル・オーター選手がメルボルン1956~メキシコシティ1968まで「4連覇」という偉業を成し遂げているからです。
 素晴らしい記録です。

 オリンピックで1度優勝するのも至難の業であることは自明です。
 「連覇」となれば驚異的ですが、それが「4連覇」となると、世界スポーツ史上屈指のアスリートということになります。
 全ての競技・種目を通じてオリンピック4連覇を果たしているのは、アル・オーター選手、陸上男子走り幅跳びのカール・ルイス選手、競泳男子200m個人メドレーのマイケル・フェルプス選手、ヨット男子ファイアフライ級・フィン級のポール・エルブストロム選手、ヨット男子セーリング・レーザー級・フィン級のベン・エインズリー選手、そして女子レスリングの伊調馨選手の6名だけなのです。

 この6名のアスリートが、世界スポーツ史上に輝くスーパープレーヤーであることは間違いありませんし、女子で唯一の伊調馨選手の偉大さを改めて感じます。

 さて、話を戻します。

 アル・オーター選手の4連覇については、その4大会において「記録を伸ばし続けた」ところも、特筆されるべき点でしょう。
 1962年の「史上初の200フィート(60m96cm)越え」を始めとして世界記録を4度更新しています。そのキャリアにおいて、男子円盤投げ界をリードし続けたのです。
 その飽くなき研究心は、アスリートの鑑でしょう。

 また、それぞれの大会前、アル・オーター選手は必ずしも優勝候補では無かったとも伝えられています。どの大会にも、オーター選手以外に有力なプレーヤーが存在したのです。
 ところがオリンピックが終わってみれば、いつもオーター選手が金メダルを獲得したのです。
 その「勝負強さ」「不屈の闘志」は比類無きものなのでしょう。
 メルボルン1956、ローマ1960、東京1964、メキシコシティ1968、それぞれの大会は、気象条件や試合展開など、それぞれの環境の中で戦いが行われた筈ですが、そうした千差万別の流れの中で、アル・オーター選手は戦い抜き、勝利を手にしています。
 
 アル・オーター選手が、オリンピックにおける史上最高の男子円盤投げプレーヤーであることは、間違いなさそうです。

 この種目の世界記録は、1986年にユルゲン・シュルト選手(東ドイツ)がマークした74m08cmです。
 この記録に続く歴代2位の記録を保持しているのが、シドニー2000とアテネ2004を連覇したウィルギリウス・アレクナ選手です。
 アル・オーター選手に続いての「連覇」を成し遂げたアレクナ選手も、やはり素晴らしい選手なのです。

 そして歴代3位の73m38cmの記録を保持しているのが、北京2008の金メダリストであるゲルド・カンテル選手なのです。

 1986年以来、男子円盤投げの30年以上の歴史において、節目である「70m越え」を成し遂げているプレーヤーは他にも10名以上います。
 最近ならば、2019年にダニエル・スタール選手(スウェーデン)が71m86cmを記録しています。

 しかし、オリンピックの舞台においては「70mスロアー」はいまだに現れていません。
 不思議なほどに68mから69m台で決着しているのです。
 極めてデリケートな種目であり、大舞台で自己ベストを叩き出すことが極めて難しいことを示している、事実なのでしょう。

 東京2021においては「70mスロー」を観てみたいものだと思います。

 温故知新2020の陸上競技編その7です。

 円盤投げは、古代オリンピックでも実施されていたと言われている、人類にとって最もベーシックな競技のひとつです。
 古来から「円盤」を投げることが人類において一般的であったのかどうかは分かりませんが、ネアンデルタール人の遺跡においても円盤型の石が残されているとなると、狩りに使用していた可能性もあるのでしょう。

 近代オリンピック女子陸上競技においても、女子の種目として最も早く始められました。
 女子の円盤は1㎏です。

 高校時代に円盤投げを遊びで行っていた経験からすると、投げ出す瞬間の円盤の角度や、体の回転速度といった諸要素がぴったりと合うと、予想以上に飛びます。
 一方で、昨日はあんなに飛んだのに今日は全然上手く行かない、ということもありました。
 素人の遊びのことですが、おそらくは「とてもデリケートな競技」なのでしょう。

 世界トップクラスのプレーヤーとなれば、そうした諸要素も良く管理できているとは思いますが、試合毎に僅かに違う、発射角度が0.5度違うとか、体の回転軸が1度違うとか、回転速度が少し早い・遅いといった違いから、結果が50cm、1m異なるということも、十分に考えられます。

 さて、今回もローマオリンピック1960からスタートします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ニーナ・ポノマリョワ選手(ソビエト) 55m10cm
・東京1964 タマラ・プレス選手(ソビエト) 57m27cm
・メキシコシティ1968 リア・マノリウ選手(ルーマニア) 58m28cm
・ミュンヘン1972 ファイナ・メルニク選手(ソビエト) 66m62cm
・モントリオール1976 エベリン・ヤール選手(東ドイツ) 69m00cm
・モスクワ1980 エベリン・ヤール選手(東ドイツ) 69m96cm
・ロサンゼルス1984 リア・スタルマン選手(オランダ) 65m36cm
・ソウル1988 マルティナ・ヘルマン選手(東ドイツ) 72m30cm
・バルセロナ1992 マリツァ・マルテン選手(キューバ) 70m06cm
・アトランタ1996 イルケ・ヴィルダ選手(ドイツ) 69m66cm
・シドニー2000 エレーナ・ズベレワ選手(ベラルーシ) 68m40cm
・アテネ2004 ナタリア・サドワ選手(ロシア) 67m02cm
・北京2008 ステファニー・ブラウン・トラフトン選手(アメリカ) 64m74cm
・ロンドン2012 サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア) 69m11cm
・リオデジャネイロ2016 サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア) 69m21cm

 投擲種目全般について、東欧諸国が強いのは昔から言われていることですが、特に女子円盤投げについては、その強さが目立ちます。
 色々な要素が考えられますが、直近のオリンピックにおいても強いのですから、やはり「伝統」と観るのが良さそうです。

 この15回の大会において、連覇を果たしている選手が2名います。
 モントリオールとモスクワを制したエベリン・ヤール選手とロンドンとリオを制したサンドラ・ペルコビッチ選手です。
 そして、この両選手の優勝記録は全て69m台なのです。
 もちろん偶然なのでしょうが、高いレベルで安定した投擲を魅せてくれたということになります。
 
 記録の推移を観れば、メキシコシティ1968とミュンヘン1972の比較において、8m以上記録が伸びています。
 そして、ソウル1988で70mを突破しました。
 現在の世界記録も1988年にガブリエレ・ラインシュ選手(東ドイツ)が出した76m80cmですから、この頃、女子円盤投げの記録がひとつのピークを迎えたことになります。

 その後は記録が落ち着き?、21世紀の大会においては、概ね65mから70mの間で、金メダルが争われている形でしょう。

 東京2021大会において「70m越え」の投擲が観られるかどうか、とても楽しみです。

 温故知新2020の陸上競技編その6です。

 今回は男子砲丸投げ種目です。
 男子砲丸投げは、1896年の第1回近代オリンピック・アテネ大会から行われている種目であり、重さ16ポンド(7.260kg-とてつもなく重い)の鉄球を、7フィート(2.135m)の円内から投げた距離を競うという、とてもシンブルな競技です。
 そのシンプルさ、「重いものを遠くに投げる」という人間が競い合いたくなる競技内容に、歴史と伝統を感じますし、この競技を極めることの難易度の高さも感じます。

 今回も1960年のローマオリンピックから観て行きます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ビル・ニーダー選手(アメリカ) 19m68cm
・東京1964 ダラス・ロング選手(アメリカ) 20m33cm
・メキシコシティ1968 ランディ・トマソン選手(アメリカ) 20m54cm
・ミュンヘン1972 ウラディスラフ・コマル選手(ポーランド) 21m18cm
・モントリオール1976 ウド・バイヤー選手(東ドイツ) 21m05cm
・モスクワ1980 ウラジミル・キセリョフ選手(ソビエト) 21m35cm
・ロサンゼルス1984 アレッサンドロ・アンドレイ選手(イタリア) 21m26cm
・ソウル1988 ウルフ・ティンマーマン選手(東ドイツ) 22m47cm
・バルセロナ1992 マイク・スタルス選手(アメリカ) 21m70cm
・アトランタ1996 ランディ・バーンズ選手(アメリカ) 21m62cm
・シドニー2000 アルシ・ハリュ選手(フィンランド) 21m29cm
・アテネ2004 アダム・ネルソン選手(アメリカ) 21m16cm
・北京2008 トマシュ・マエフスキ選手(ポーランド) 21m51cm
・ロンドン2012 トマシュ・マエフスキ選手(ポーランド) 21m89cm
・リオデジャネイロ2016 ライアン・クラウザー選手(アメリカ) 22m52cm

 国別に観ると、アメリカ合衆国が強い種目です。
 第2次世界大戦後のロンドン1948~メキシコシティ1968まで6大会連続でアメリカ選手が優勝していましたから、近時は他国の選手も互角に戦えるようになったと言っても良いかもしれません。

 何しろ、極めてシンプルで歴史と伝統に裏打ちされた種目ですから、記録もおいそれとは伸びません。
 また、腕力で投げる種目では無く、主に下半身のパワーを鉄球に乗せて勝負しますから、とても繊細なバランスが必要な競技ですので、試合毎に各選手には微妙なズレが生じます。結果として、自己ベスト記録の通りに勝敗が決することは、稀です。

 ちなみに、砲丸投げの選手の脚は「とても速い」ことが多いと思います。
 100m走で11秒を切る選手も、珍しくは無いでしょう。
 そうした「俊敏でパワー十分な下半身」が、砲丸投げには不可欠なのです。

 身長2mを越える体躯を備え、精密機械の様なメカニズムをバランスを取りながら動かしていく(現在では主に、回転投法とオブライエン投法の2種類があります)ことが必要な競技ですから、オリンピック連覇は至難の技で、この15回の大会の中でも、トマシュ・マエフスキ選手が唯一達成しています。
 マエフスキ選手は、自己ベストが21m95cmと、ライバル達とは異なって22mを越える投擲をしたことは無いのですが、オリンピックという4年に一度の舞台で、自らの力を最大限発揮する能力に優れていると観るべきなのでしょう。

 21世紀に入ってからは、なかなかオリンピックの舞台で「22m越え」の試技を観ることが出来ませんでしたが、リオ2016でライアン・クラウザー選手がオリンピック新記録の投擲を魅せてくれました。

 東京2021では「23m越え」の投擲を期待されるところです。

 温故知新2020の陸上競技編その5です。

 今回は、女子走り高跳びのオリンピック金メダリストを観て行きましょう。
 女子走り高跳びは1928年アムステルダム大会から実施されています。女子100m競走種目などと共に、女子種目の中で最も早くオリンピックで実施されるようになった「歴史と伝統」を誇る種目なのです。(200m競走がロンドン1948から、400m競走は東京1964から、走り幅跳びはロンドン1948、から開始されています)

 今回もローマ1960から観て行きます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ヨランダ・バラッシュ選手(ルーマニア) 1m85cm
・東京1964 ヨランダ・バラッシュ選手(ルーマニア) 1m90cm
・メキシコシティ1968 ミロスラバ・レスコバ選手(チェコスロバキア) 1m82cm
・ミュンヘン1972 ウルリケ・マイフェルト選手(西ドイツ) 1m92cm
・モントリオール1976 ローズマリー・アッカーマン(東ドイツ) 1m93cm
・モスクワ1980 サラ・シメオニ選手(イタリア) 1m97cm
・ロサンゼルス1984 ウルリケ・マイファルト選手(西ドイツ) 2m02cm
・ソウル1988 ルイス・リッター選手(アメリカ) 2m03cm
・バルセロナ1992 ハイケ・ヘンケル選手(ドイツ) 2m02cm
・アトランタ1996 ステフカ・コスタディノヴァ選手(ブルガリア) 2m05cm
・シドニー2000 エレーナ・エレシナ選手(ロシア) 2m01cm
・アテネ2004 エレーナ・スレサレンコ選手(ロシア) 2m06cm
・北京2008 ティア・エルボー選手(ベルギー) 2m05cm
・ロンドン2012 アンナ・チチェロワ選手(ロシア) 2m05cm
・リオデジャネイロ2016 ルート・ベイティア選手(スペイン) 1m97cm

 男女を問わず、走り高跳びが非常にデリケートな競技であることは、衆目の一致するところです。
 自己ベスト記録がいかに高くとも、オリンピックの決勝の場で、その力を発揮できるかどうかが鍵となるのです。大きなプレッシャーの中で、長時間にわたる競技を続け、跳んだ本数や自身の体調・筋力等を管理して、他の選手の競技結果も十分に考慮しながら、試技を重ね、栄光を手にするのは容易なことではありません。

 従って、「連覇」の難しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
 この15回の大会で連覇を成し遂げているのは、ローマ1960と東京1964を制したヨランダ・バラッシュ選手唯一人です。
 バラッシュ選手は、おそらくは「史上最強の女性ジャンパー」でしょう。

 まだ、背面飛びの無い時代に、正面飛びで1957年から1967年にかけて「150連勝」を記録し、175cmから195cmまで14回、世界記録を更新しています。
 デリケートな種目における安定した強さは、比類無きものでしょう。
 1961年に樹立した1m91cmの世界記録は、10年間の長寿を誇りました。
 理論的に優れている、新しい跳躍方法が生み出されてくる時期のことですから、驚異的な10年間でしょう。

 もうひとり、オリンピックを2度制覇したジャンパーが居ます。
 ミュンヘン1972とロサンゼルス1984を制したウルリケ・マイフェルト選手です。
 16歳でミュンヘンのチャンピオンになったことも驚きですが、12年後の28歳の時ロス1984で再び王座に就いた、しかも10cmも記録を伸ばして。マイフェルト選手の選手寿命の長さと勝負強さを示しています。

 このマイフェルト選手の最年長優勝記録を破ったのは、アトランタ1996のコスタディノヴァ選手でした。31歳での金メダル獲得でした。
 コスタディノヴァ選手も1980年代から90年代にかけて、女子走り高跳び界を席巻したジャンパーですが、こうして観てくると、女性トップジャンパーは選手寿命が長い傾向がありそうです。
 極めてデリケート、克服しなければならない要素が沢山ある競技ならではの傾向なのかもしれません。

 「2mジャンパー」は、いつの時代も女子走り高跳び選手にとっての尊称です。

 21世紀になり、2mを越えなければ国際大会での優勝は難しい時代となりましたけれども、リオ2016の優勝記録を観ても、まだまだ「2mの壁」は厚いのです。

 温故知新2020の陸上競技編その4です。

 男子走り幅跳びは、1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会から実施されています。
 「最も遠くに飛ぶ」という、人間の本能が求めている能力を試す種目なのでしょう。

 これまでの記事と同様に1960年ローマ大会から観て行こうと思います。
 金メダリスト、記録の順です。

・ローマ1960 ラルフ・ボストン選手(アメリカ) 8m12cm
・東京1964 リン・デービス選手(イギリス) 8m7cm
・メキシコシティ1968 ボブ・ビーモン選手(アメリカ) 8m90cm
・ミュンヘン1972 ランディ・ウィリアムズ選手(アメリカ) 8m24cm
・モントリオール1976 アーニー・ロビンソン選手(アメリカ) 8m35cm
・モスクワ1980 ルッツ・ドンブロウスキー選手(東ドイツ) 8m54cm
・ロサンゼルス1984 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m54cm
・ソウル1988 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m72cm
・バルセロナ1992 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m67cm
・アトランタ1996 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m50cm
・シドニー2000 イバン・ペドロソ選手(キューバ) 8m55cm
・アテネ2004 ドワイト・フィリップス選手(アメリカ) 8m59cm
・北京2008 イルビング・サラディノ選手(パナマ) 8m34cm
・ロンドン2012 グレッグ・ラザフォード選手(イギリス) 8m31cm
・リオデジャネイロ2016 ジェフ・ヘンダーソン選手(アメリカ) 8m38cm

 ひと目見て、アメリカ合衆国が強いことが分かります。
 アメリカにとって、伝統の種目ということです。

 続いては、ロス1984~アトランタ1996のカール・ルイス選手の4連覇が凄い。
 ルイス選手といえば、100m競走でも連覇を達成していますが、やはり走り幅跳びが「本職」なのでしょう。
 連覇さえ至難の技であるオリンピックにおいて、「4連覇」というのは信じられないような大記録です。
 こうした記録を示現するためには、世界最高水準の競技能力を長く維持することが必要なことは勿論として、個々の試合における「試合運びの上手さ」が肝要でしょう。
 予選と決勝で各3度・計6度の試技を行う訳ですが、自らの体調や筋肉の様子を都度把握しながら、疲労の蓄積度合いを調整して行くとともに、踏切を合わせて行ったり、他の選手の記録を観ながら「勝負をかける跳躍」を決めて挑んだり、自らの試技時間中に可能な限り「追風」のタイミングを図る、等々、沢山の要素を十分に把握しコントロールする力が求められます。
 こうしたクレバーな試合運びを4大会に渡り継続し、勝利に結びつけるというのは、まさに「ミスター・ロングジャンプ」と称するに相応しいアスリートなのです。
 ここまでのオリンピック史上「最高のロングジャンパー」であることは、言うまでもないことです。
 
 私は、カール・ルイス選手のメカニカルな跳躍がとても好きです。
 素晴らしい加速の助走(世界一のスプリンターですから当然のことですが)から、踏切手前の3歩で沈み込みます。何とも言えない味のある沈み込みで、5cm位は重心を落としているのではないかと思います。
 踏み切りは、決して上方向では無く、走り抜ける形に近いでしょう。
 低い飛びが始まり、両手両足を大きく動かします。長い手足がバランス良く、おおらかに、しかし全く無駄なく動くのです。
 そして、ギリギリのタイミングで着地します。
 完成度の高いシザースジャンプ。
 空中を最速で走り抜けるようなはさみ飛びですが、だからと言って多くのジャンパーが真似できるというものでもありません。圧倒的な走力とバネをキッチリと纏め上げることは、ルイス選手にしか出来ないものなのでしょう。

 さらには、種目全体として記録がやや落ち気味であると感じます。
 男子走り幅跳びにおいては「8mジャンパー」が、いつの時代も尊称です。
 ローマ1960、東京1964の頃は、8mを越えればメダル争いが出来ました。

 そしてメキシコシティ1968に伝説のジャンプが生まれました。ビーモン選手の8m90cmというミラクルなジャンプ。もちろん驚異的な世界新記録でしたが、メキシコシティの空気が薄かったことが一因などと、言われ続けました。(私は、この要因はあまり関係が無いと考えています。そうした要因で数10cmも記録が伸びるとは思われないからです)
 この大会で2位だったクラウス・ビヤー選手(東ドイツ)が8m19cmだったことを考え合わせても、ビーモン選手の跳躍は、すべての要素がマッチした、凄まじいものだったのです。
 砂場の横に居た係員の頭の上を飛ぶ映像が残されています。とても高さのあるジャンプでした。
 この記録が長く世界記録として残ったことは、自然なことでしょう。

 この超絶記録の後も、「8m30cm」というひとつの目安を巡っての金メダル争いが続き、モスクワ1980においてドンブロウスキー選手が8m50cm越えを記録した頃から、「8m50cm」が金メダル争いの指標となりました。
 カール・ルイス選手の4連覇の時代には、8m50cmが金メダルの条件となったのです。

 特にバルセロナ1988においては、ルイス選手とマイク・パウエル選手の激しいライバル対決が観られ、ルイス選手が8m67cm、パウエル選手が8m64cmの3cm差決着という、8m50cmを大きく超えるレベルでの戦いが繰り広げられました。(パウエル選手は、世界選手権・東京1991において8m95cmという世界新記録、ビーモン選手の超絶記録を塗り替える跳躍を魅せてくれました)

 カール・ルイス選手を中心とした「8m50cm」を越えるレベルでの金メダル争いは、アテネ2004まで続きましたが、その後は「8m30cm」を巡る戦いに戻ってしまいました。
 この「20cm下降」の原因は、私には分かりませんけれども、必ず要因がある筈です。
 世界中のトップアスリートが努力を続けている中で、同一種目の記録が大きく下がったまま、というのは、有り得ないことだと考えています。

 いずれにしても、オリンピックにおける男子走り幅跳びは「8m30cm」、1970年代の記録水準になっているように観えます。
 東京2021において、どのような記録が叩き出されるのか、とても注目されるところでしょう。

 温故知新2020の陸上競技編その3です。

 今回は長距離種目、男子10,000m競走です。
 トラック種目最長の種目ですが、オリンピックにおいては1912年のストックホルム大会から、5000m種目と共に実施されるようになりました。

 本稿においては、その1・2と同様に、1960年ローマ大会から観て行くことにします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ピョートル・ボロト二コフ選手(ソビエト) 28分32秒2
・東京1964 ビリー・ミルズ選手(アメリカ) 28分24秒4
・メキシコシティ1968 ナフタリ・テル選手(ケニア) 29分27秒4
・ミュンヘン1972 ラッセ・ビレン選手(フィンランド) 27分32秒40
・モントリオール1976 ラッセ・ビレン選手(フィンランド) 27分40秒38
・モスクワ1980 ミルツ・イフター選手(エチオピア) 27分42秒69
・ロサンゼルス1984 アルベルト・コバ選手(イタリア) 27分47秒54
・ソウル1988 ブラヒム・ブタイブ選手(モロッコ) 27分21秒46
・バルセロナ1992 ハリド・スカー選手(モロッコ) 27分46秒70
・アトランタ1996 ハイレ・ゲブレセラシエ選手(エチオピア) 27分07秒34
・シドニー2000 ハイレ・ゲブレセラシエ選手(エチオピア) 27分18秒20
・アテネ2004 ケネニサ・ベケレ選手(エチオピア) 27分05秒10
・北京2008 ケネニサ・ベケレ選手(エチオピア) 27分01秒17
・ロンドン2012 モハメド・ファラー選手(イギリス) 27分32秒42
・リオデジャネイロ2016 モハメド・ファラー選手(イギリス) 27分05秒17

 男子10,000m競走は、前稿の1,500m競走と同じように「駆け引き」があります。
 従って、オリンピックの決勝において必ずしも好タイムが出るものでは無いのですが、1,500m競走と比べれば、良いタイムが出ています。

 ミュンヘン1972のビレン選手は、当時の世界新記録を樹立して優勝していますし、ゲブレセラシエ選手やベケレ選手も大会新記録で金メダルを獲得しています。
 これは「駆け引き」をしていても、高いレベルでの競り合いが続くレース展開となることが多く、結果として好記録が出るという形なのでしょう。

 また、他の種目と比べて「連覇が多い」ことも、目立ちます。
 この15大会において、ビレン選手、ゲブレセラシエ選手、ベケレ選手、ファラー選手の4名のランナーが連覇を達成しています。
 更に、エミール・ザトペック選手(チェコスロバキア)がロンドン1948とヘルシンキ1952を連覇していますから、史上に5名の「連覇プレーヤー」が存在することになります。
 男子10,000m種目の特徴のひとつでしょう。

 ひとりの強力なランナーが登場すると「5~6年は非常に強い」と考えられます。
 これは、スピードと共に勝負強さをも兼ね備えた強さということになるのです。

 オリンピックの男子10,000m競走について観れば、「次の連覇ランナーは誰か?」ということになるのかもしれません。

 温故知新2020の陸上競技編その2です。

 今回は、ヨーロッパで人気がある種目・男子1,500m競走のオリンピック金メダリストの記録を観て行こうと思います。

 100mの時と同様に、ローマオリンピック1960からスタートします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ハーブ・エリオット選手(オーストラリア) 3分35秒6
・東京1964 ピーター・スネル選手(ニュージーランド) 3分38秒1
・メキシコシティ1968 キプチョゲ・ケイノ選手(ケニア) 3分34秒91
・ミュンヘン1972 ペッカ・バサラ選手(フィンランド) 3分36秒3
・モントリオール1976 ジョン・ウォーカー選手(ニュージーランド) 3分39秒17
・モスクワ1980 セバスチャン・コー選手(イギリス) 3分38秒40
・ロサンゼルス1984 セバスチャン・コー選手(イギリス) 3分32秒53
・ソウル1988 ピーター・ロノ選手(ケニア) 3分35秒96
・バルセロナ1992 フェルミン・カチョ選手(スペイン) 3分40秒12
・アトランタ1996 ヌールディン・モルセリ選手(アルジェリア) 3分35秒78
・シドニー2000 ノア・ヌゲニ選手(ケニア) 3分32秒07
・アテネ2004 ヒシャム・エルゲルージ選手(モロッコ) 3分34秒18
・北京2008 アスベル・キプロプ選手(ケニア) 3分33秒11
・ロンドン2012 タウフィク・マフロフィ選手(アルジェリア) 3分34秒08
・リオデジャネイロ2016 マシュー・セントロウィッツ・ジュニア(アメリカ) 3分50秒00

 直近のリオ大会のタイムが、この15回の大会の中で最も遅くなっています。
 その1の100m競走とは異なり、1,500mは時代を追って必ずしもタイムが良くなっているわけでは無い(もちろん世界記録は向上していますが)、レース毎の駆け引きや「格闘技」と呼ばれる競り合いなどの関係で、オリンピックの決勝レースにおいても、大会ごとに千差万別のタイムとなるのです。
 それが「1,500m競走の魅力」のひとつなのでしょう。
 1,500mレースにおいては、タイムはまさに「結果」なのです。

 どんな競技・種目においても「オリンピック連覇」は至難の業ですが、男子1,500mにおいても同様で、この間の連覇は、モスクワとロサンゼルス両大会におけるセバスチャン・コー選手(現、国際陸上競技連盟IAAF会長)しか居ません。
 最速タイムもロス1984でのコー選手の3分32秒53です。
 この間の「最も偉大な中距離ランナー」と言って良いでしょう。

 コー選手の展開に合わせた巧みなレース運びと、ゴール前の粘り強い走りは、どのレースにおいても際立っていました。

 メキシコシティ大会の王者は、キプチョゲ・ケイノ選手ですが、21世紀になって中長距離種目でよく聞くケニアの名前ですけれども、ケニア人ランナーの活躍は決して21世紀になってからのものでは無いことが分かります。ケイノ選手は、現在の中長距離界におけるアフリカ選手の礎となったランナーなのです。
 
 国別では、ローマ1960~モントリオール1976にかけてのニュージーランドとオーストラリアのランナーの活躍が目立ちます。英連邦の国々ですから1,500m種目に対する国内の人気が高いことは分かりますけれども、当時は世界を牽引する存在だったのです。

 また、フィンランドのペッカ・バサラ選手がミュンヘン1972を制していますが、この大会の男子中長距離種目ではフィンランドチームが強さを魅せていて、5,000mと10,000mではラッセ・ビレン選手が優勝しています。もともと長距離種目の伝統を誇るフィンランドに、中距離の名ランナーも現れたという形でしょう。

 オリンピックの各競技・各種目において強さを魅せるアメリカ代表ですが、この期間のこの種目では、リオ2016においてようやくマシュー・セントロウィッツ・ジュニア選手が金メダルを獲得しました。(ちなみにこのレースの2着はタウフィク・マフロティ選手=ロンドン2012の金メダリストでした。マフロティ選手は惜しくも「連覇」を逃したのです)

 スポーツ大国アメリカにとっての苦手種目であった陸上競技中距離においても、強化が進んでいるのでしょう。

 温故知新2020の陸上競技編です。

 今回は、男子100m競走のオリンピック金メダリストの記録を観て行きましょう。

 私の記憶にある最初の大会、ローマオリンピック1960をスタートにします。
 記載は、金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 アルミン・ハリー選手(東西統一ドイツ) 10秒2
・東京1964 ボブ・ヘイズ選手(アメリカ) 10秒0
・メキシコシティ1968 ジム・ハインズ選手(アメリカ) 9秒95
・ミュンヘン1972 ワレリー・ボルゾフ選手(ソビエト) 10秒14
・モントリオール1976 ヘイズリー・クロフォード選手(トリニダードトバゴ) 10秒06
・モスクワ1980 アラン・ウェルズ選手(イギリス) 10秒25
・ロサンゼルス1984 カール・ルイス選手(アメリカ) 9秒99
・ソウル1988 カール・ルイス選手(アメリカ) 9秒92
・バルセロナ1992 リンフォード・クリスティ選手(イギリス) 9秒96
・アトランタ1996 ドノバン・ベイリー選手(カナダ) 9秒84
・シドニー2000 モーリス・グリーン選手(アメリカ) 9秒87
・アテネ2004 ジャスティン・ガトリン選手(アメリカ) 9秒85
・北京2008 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒69
・ロンドン2012 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒63
・リオデジャネイロ2016 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒81

 改めて過去15大会の男子100mを観ると、興味深いものです。

 「10秒0の壁」を強く叩いたアルミン・ハリー選手とボブ・ヘイズ選手が並び、メキシコシティ1968大会でハインズ選手が初めてこの壁を破りましたが、この後もしばらくの間は、「10秒00の壁」が健在であったことが分かります。
 各地の大会などでは時々9秒台が出てきた時期ですが、オリンピック決勝という世界最高の舞台においては、なかなかこの壁を破ることが出来なかったことが、良く分かるのです。

 こうした「壁」を破るためには「天才」が必要であることも事実で、オリンピック決勝において次に9秒台が観られるのは、ロサンゼルス1984のカール・ルイス選手の登場を待たなければなりませんでした。
 この決勝レースのゴール直後、テレビ放送のアナウンサーが「9秒99、9秒99」と連呼していたのは自然なことなのでしょう。ジム・ハインズ選手の記録は「半分手動」であったとも伝えられていますから、このカール・ルイス選手の走りが、私達が史上初めて眼にした、オリンピック決勝レースにおける、電動掲示による9秒台と言って良いのかもしれません。

 「天才」はオリンピックを連覇します。
 カール・ルイス選手は、ソウル1988でも9秒台で金メダルを獲得したのです。

 世界中の、相当多くの人々が「100m競走」を行ったことが有ると思います。
 全てのスポーツ競技・種目の中で、100m競走は「プレーしたことが有る人の数」という点で屈指のものでしょう。
 陸上競技の中でも、最もメジャーな種目でしょうし、「世界で一番速い」というフレーズは、プレーヤーの気持ちを揺さぶるものです。
 結果として、世界中の「いだてん」が強化に取り組み、日々研鑽を続けていることになりますから、その種目でオリンピックの連続金メダルというのは、尋常なプレーヤーでは実現できないと感じます。

 やはり天才、いや大天才にしか出来ないことなのでしょう。

 その快挙を、オリンピック史上初めて成し遂げたのがカール・ルイス選手なのです。
 大袈裟に言えば、「男子100m競走の歴史を変えた」といっても良いのでしょう。

 カール・ルイス選手後、オリンピック決勝においても9秒台が当たり前となり、逆に言えば「9秒台を出さなければメダルは取れない」時代となりました。

 アトランタ1996大会からアテネ2004大会までは、9秒8台で走れるスプリンターの中で、オリンピック決勝にピークを持ってくることが出来た選手が金メダルを獲得していたのでしょう。

 そして2人目の大天才が登場するのです。
 北京2008からロンドン2012を経てリオデジャネイロ2016までの3大会で金メダルを獲得した、ウサイン・ボルト選手です。
 ボルト選手は頭抜けた存在でした。
 ひとりだけ「9秒6の世界」に突入したのです。
 リオ大会における優勝タイム9秒81を観ると、世界トップクラスの水準が、いまだ9秒8前後であることが分かります。
 そうした中で、ボルト選手のみが9秒6前後の世界を知ることが出来たのです。
 本当に素晴らしいことだと感じます。
 「9秒6前後で走った時の体を包み込む感覚」、空間が圧縮される感じや筋肉の動き方、といった事柄を真に知っているのは、いまでも世界中でウサイン・ボルト氏だけなのでしょう。

 今回は、オリンピック男子100m競走の金メダリストを観てきました。
 国別に観ると、アメリカやジャマイカの強さとともに、イギリスが2つの金メダルを獲得しているのが目立ちます。アラン・ウェルズ選手とリンフォード・クリスティ選手ですが、「陸上競技大国」の面目躍如でしょう。

 さて、東京オリンピック2021においては、どのようなシーンが観られるのでしょうか。

 2月16日、神戸市・六甲アイランド・甲南大学周辺コースを舞台に行われた、第103回日本陸上競技選手権大会・20km競歩競技は、東京オリンピック2020代表選考も兼ねた、激しい戦いとなりました。

[男子20km競歩・結果]
1位 山西利和選手 1時間17分36秒
2位 池田向希選手 1時間19分07秒
3位 高橋英輝選手 1時間19分53秒

 この大会5連覇中の高橋選手と、2019年の世界選手権で優勝し、既に東京オリンピック2020の代表に内定している山西選手の争いが予想されたレースでしたが、山西選手が快勝した形です。

 一方で、このレースで審判チームの不手際が有り、高橋選手に不利な形の「誤表示」が行われていたことが判明したのです。

 ご承知のように、競歩競技では、「歩型違反」を3度行うと「2分間のペナルティー(一時待機)」という重い罰則が課せられます。世界トップクラスのレースであれば、この2分間は致命的なものです。

 高橋選手に対しては、4km地点で1枚目の警告、8km付近で2枚目の警告、そして16km付近で3枚目の警告を受けたとホワイトボード(警告表示板)に表記されたのです。
 ところが、一時待機を実施する担当審判は「警告が3枚になったという連絡は受けていない」ということで、一時待機は行いませんでした。
 この段階=16km付近で、「誤表示」が判明したのです。
 審判チームが、慌てて、高橋選手の警告表示を1枚剥がしたと報じられています。

 「8km付近での警告が存在しなかった」のです。

 いったい誰が「8km付近の警告表示=赤いラベル」を貼ったのかは、分かっていません。
 審判チームからは、「伝達ミスや、他の選手の反則を誤って高橋選手の欄に表示したのではない」との報告があるとも伝えられています。
 そうなると、何故このような間違いが生じたのか、これが本当に「誤」表示なのか、「偽」表示では無いのか、といった疑念も生まれてしまいます。

 競歩競技においては、「2枚目の警告を受けると消極的になる」と言われます。
 それは当然のことでしょう。3枚目を貰えば重い罰則が待っているのですから。

 加えて、競技中の選手は「ホワイトボードにより自分が何枚警告を受けているのかを把握する」のです。それ以外に、公式の表示はありません。

 そうなると、高橋選手は8km付近から16km付近まで、約8kmに渡って「警告2枚」という状況下でプレーしたということになります。
 全20kmの内の8kmであることをも考慮すれば、相当に不利な状況でプレーしたと言えそうです。

 「高橋選手を陥れようとした輩」が居るとは考えたくはありませんが、単純なミスであったとすれば、「あってはならないミス」でしょう。
 代表選考レースにおいて、とんでもない話なのです。

 今大会のレギュレーションは、「東京オリンピック2020仕様」で行われたと報じられています。
 そして今大会の審判員9名の内5名が、本番でも審判を務めるとも報じられています。

 選手が「代表内定」を勝ち取ることは、どの競技・種目においても大変なことで、選手の皆さんは「人生を賭けた努力」を積み重ねています。
 そうであれば、各種目の審判員候補の皆さんにも、「審判員人生を賭けた姿勢での取組」をお願い申し上げます。


 世界陸上・ドーハは、2019年秋のビッグイベントでした。
 酷暑の下での女子マラソンの在り様は、東京オリンピック2020にも大きな影響を及ぼしてしまったのです。

 そして、短距離種目にはひとつの「革新」が登場しました。

 MGC2019においては、ピンク色のシューズが話題となりましたが、今大会では「黄色のスパイク」が話題となったのです。

 これは、男子100m競走に出場した桐生祥秀選手が使用したスパイクです。

 何が話題かというと、このスパイクには「ピンが無い」のです。
 それでは、そもそも「スパイク」シューズでは無い、ということにもなりかねませんが、トラックの短距離種目に使用されるシューズをスパイクと呼ぶことにして、ピンの無いスパイクについて考えて行きたいと思います。

 今から50年ほど前は、陸上競技のトラックは、シンダーやアンツーカ、つまり「土」のサーフェイスでしたから、短距離種目では18mmや15mmの金属製の長いピンが付いたスパイクシューズを使用していました。

 滑ることなく、脚の強い力を少しでも多く地面に伝え、前進力に変えるための仕組みだったのです。

 この長いピンは、とても尖っていて、大工道具の錐のような形状でしたから、肌に刺そうものならスーッと深く入ってしまうものでした。その頃の陸上競技場では時折、「スパイクのピンが刺さって」出血しているランナーを見かけたものです。
 従って、使用しない時には、ピンにはカバーをかけていました。

 さらに昔には、革製のスパイクに「ピンが据え付けられていた」のですが、使用すればするほど「ピンが削れて短くなってしまい」ますので、「ピン交換式のスパイク」が開発されて、長い間使用されていたと記憶しています。
 大会の前夜などには、真新しいピンをスパイクシューズの靴底面にスクリュー式に捻じ込んで、準備していたのです。ピンがとても輝いていたことを思い出します。

 ところが、1968年のオリンピック・メキシコシティ大会において、タータントラックと呼ばれるポリウレタン製のトラック(全天候型トラックとも呼ばれました)が登場してから、スパイクも劇的に変化し始めました。

 トラックが「土」から「ポリウレタン」に変わりましたから、長く刺さり易いピンでは、トラックにピンが刺さり抜け難く、ランニングに不向きなことは明らかでした。
 一方で、ポリウレタンのサーフェイスに脚のパワーを無駄なく伝える必要がありましたから、短い金属製のピン、形状も錐のようなものでは無く、ずんぐりとしたピンが付けられました。

 ピンの位置や数も変化しました。
 「土」用の短距離種目スパイクは、4本か6本のケースが多かったと思いますし、それは2列に2本ずつあるいは3本ずつ、脚の裏の左右に並んで配置されていました。
 「ポリウレタン」用は、本数がより多くなり、足裏の淵に近い部分まで、ピンが配置されました。

 そして、このトラックのサーフェイスとスパイクシューズの変化は、当然ながら、ランナーの「走り方」も変えたのです。
 道具の変化に合わせて、プレー内容が変化するのは、全てのスポーツに共通したことですが、陸上競技・短距離種目における変化も、とても大きなものだったのです。

 「土」の時代には、短距離走は大きく脚を跳ね上げて、なるべく「爪先だけを使って走るもの・踵を着けてはならない」とされていたものが、なるべく「歩くのに近い」フォームが良いとされたり、20世紀の後半から21世紀にかけて様々なトライが為されてきました。

 加えて、「より速いトラック」を求めて、全天候型トラックにも様々な変更が為され、ゴムを材質に加えたり、ポリウレタンとの混合や、サーフェイスの「形状・凸凹具合」にも工夫がなされましたから、シューズの形状も、それぞれの舞台、オリンピックや世界選手権の会場にマッチしたスパイクシューズが次々と作られていったと思います。

 そして、ついに、というか、世界選手権2019ドーハ大会に「ピン無し」スパイクが登場したのです。

 桐生選手が使用したスパイクは、アシックス社製の「次世代スプリントシューズ」と報じられていて、桐生選手以外にも、男子400m競走に出場したウォルシュ・ジュリアン選手も使用したとのこと。
 
 靴裏にピンが無く、カーボンファイバー素材のフジツボの様な形状の突起が、複雑に立体的に配置・構成されているシューズなのだそうです。
 
 桐生選手は「地面(全天候型トラック)からの反発を感じやすい」と本年8月から履き始め、今大会まで使用しているとのことです。

 このタイプのスパイクシューズが、短距離種目において今後広がっていくのかどうか注目されるところですが、東京オリンピック2020を前にして、マラソン用シューズと100m用シューズの両方が進化を続けているというのは、とても興味深いことだと感じます。

 少し前の話題ですが、世界陸上2019関連をもうひとつ。

[9月30日・男子円盤投げ決勝]
1位 スタール選手(スウェーデン) 67m59cm
2位 ダクレス選手(ジャマイカ) 66m94cm
3位 ワイズハイデンガー選手(オーストリア) 66m82cm
4位 フィアフィリカ選手(ルーマニア) 66m46cm
5位 パレリス選手(キプロス) 66m32cm
6位 デニー選手(オーストラリア) 65m43cm
7位 ハダディ選手(イラン) 65m16cm
8位 ウィーリグ選手(ドイツ) 64m98cm

 9月30日に行われた男子円盤投げ決勝は、2位から5位までの4選手が1m以内に犇めくなど、大接戦となりました。

 円盤投げに限らず、投擲種目に共通している要素に、微妙なフォームやタイミングの違いにより記録が大きく上下する、ことがあります。
 このレベルのプレーヤー達であれば、いずれも「僅かな違いにより記録が1m以上違ってくる」と観られますので、別の大会であれば、今大会の1~8位の順位が大変動する可能性が有ります。

 東京オリンピック2020を控えて、男子円盤投げ種目は「大混戦」という様相なのでしょう。

 加えて、男子円盤投げの世界記録は、東ドイツのユルゲン・シュルト選手が1986年に樹立した74m08cmです。
 30年以上経った現在でも、この記録が残っていて、陸上競技男子全種目を通じて最古の記録となっているのです。
 74mを超えるこの記録のレベルの高さを示す事象なのでしょうけれども、東京オリンピック2020では、是非、世界新記録を観てみたいものだと思います。

[10月5日・男子マラソン決勝]
1位 デシサ選手(エチオピア) 2時間10分40秒
2位 ゲレメウ選手(エチオピア) 2時間10分44秒
3位 キプルト選手(ケニア) 2時間10分51秒
4位 ホーキンス選手(イギリス) 2時間10分57秒
5位 モコカ選手(南アフリカ) 2時間11分09秒
6位 タデッセ選手(エリトリア) 2時間11分29秒

 とても良いレースでした。
 現在の世界一を争う大会における、男子マラソンのレースを魅せていただいたと思います。

 レースは、モコカ選手、タデッセ選手、キプルト選手、デシサ選手、ゲレメウ選手がトップグループを形成し、淡々と、しかし、微妙なペースの上げ下げといった駆け引きも十分に展開されながら進みました。

 高温多湿のドーハですから、この日も気温は高かったのですけれども、先日の女子のレースの時とは相当に異なり、その時よりは気温も低く、湿度も低いと報じられましたから、これは「実力通りの結果」になると思いました。
 気象条件が、一般的なレースの範疇に入ってくれば、地力の無いランナーでは全く歯が立たないのが、世界大会なのです。

 タデッセ選手やモコカ選手が時折仕掛けたりしながらレースは進みました。
 一般的に言えば、自らのエネルギーを消費する「無駄な動き」にも観える仕掛けが多数見られましたけれども、このレベルのランナーにとっては、そうした動きも「織り込み済み」であったことでしょう。それ位の余計な動きで動揺するようでは、このクラスのレースで戦う資格が無いのだと感じます。

 39km辺りで、後方からホーキンス選手が追い上げてきました。
 そして40kmを過ぎてホーキンス選手は先頭グループに追い付き、一時は先頭に立ちました。これは見事な頑張りでした。

 とはいえ、これも優勝を争う選手達にとっては「想定の範囲内」であったと思います。
 自分達のペースが遅くなった段階で、ひょっとすると後方ランナーの追い上げが有るかもしれないと考えていたことでしょう。
 もちろん、そうした追い上げがあったところで、自分達のレースプラン、優勝争いの形には大きな影響が無いことも認識していたものと思われます。

 41km・概ね残り1km辺りで、デシサ選手が加速し、キプルト選手、ゲレメウ選手がこれを追いました。
 このラストスパート戦が、優勝を争う3選手が想定していた形だったのでしょう。

 この争いからキプルト選手が遅れ、必死に追いすがったゲレメウ選手も、ついに置いて行かれました。
 このレースはデシサ選手が勝利したのです。

 この3選手は、ラストスパート合戦になることを35km付近から予想していたと思いますし、互いの余力を探り合っていたのでしょう。それ以外の様々な動きは、レースの本質ではないと考えていたと思います。

 現在の世界大会では、自ら勝ちに行かないとメダル獲得は覚束ないことを、明示してくれたレースでした。

 4位に入ったホーキンス選手は健闘でしたが、こうした後方からの追い上げの形では、入賞は出来てもメダルには届かないのが、現在の世界大会のマラソンなのでしょう。

[10月5日・男子400mリレー決勝]
1位 アメリカ 37秒10
2位 イギリス 37秒36
3位 日本 37秒43

 素晴らしい走りでした。

 1走の多田修平選手は、静かなスタートから残り20mで加速しました。
 多田選手から2走の白石黄良々選手へのバトンパスは、ほぼ完璧に観えました。

 白石選手も良く走り、他チームのランナーと互角。
 白石選手から3走の桐生祥秀選手へのバトンパスは、80点くらいに観えました。

 桐生選手は持ち前のコーナリング(私は男子400mリレーにおける世界NO.1の3走だと思っています)で見事に走り切りました。
 桐生選手からアンカーのサニブラウン・アブデルハキーム選手へのバトンパスは、60点くらいに観えました。(予選よりは相当上手く行きました)

 過去に、オリンピックでのメダルもあった日本チームですから、世界選手権の銅メダル自体は珍しいことではない(日本男子リレーチームも強くなりました)のでしょうが、その内容が素晴らしい。
 他チームにバトンミスやオーバーゾーンによる失格等が無い状況下で、日本新記録・アジア新記録という快走を魅せて、堂々と3位に入ったのです。

 変な言い方で恐縮ですか、「実力で世界3位以内」に入ったレースたったのです。
 凄いことだと感じます。

 日本男子400mリレーチームは、まさに世界トップクラスなのです。

[9月28日・男子競歩50km決勝]
1位 鈴木雄介選手 4時間4分20秒
2位 ビエラ選手(ポルトガル) 4時間4分59秒
3位 ダンフィー選手(カナダ) 4時間5分2秒

[10月4日・男子競歩20km決勝]
1位 山西利和選手 1時間26分34秒
2位 ミズノフ選手(ANA) 1時間26分49秒
3位 カルストローム選手(スウェーデン) 1時間27分00秒

 素晴らしい活躍でした。

 大会開始早々の50km種目で、鈴木選手が日本の陸上競技世界選手権競歩史上初の金メダルを獲得しました。まさに「快挙」でした。

 その興奮も冷めやらぬ10月4日、今度は山西選手が20kmで金メダルを獲得したのです。信じられないような大活躍です。

 鈴木選手の優勝は、世界陸上における日本チーム通算5個目の金メダルであり、山西選手の優勝は6個目の金メダルでした。
 長い世界陸上の歴史の中で、日本チームは通算6個しか金メダルを獲得していないのですが、そのことだけでも「世界選手権の金メダルの価値」がよく分かる事実ですが、その内の2個、1/3を競歩チームが獲得しているのですから、今大会の男子競歩チームの凄さが良く分かります。
 とてもミラクルな活躍なのです。

 鈴木選手、山西選手のプレーにおいては、その「冷静な対応」が際立ちました。
 例えば山西選手ならば、13kmから16km辺りで、カルストローム選手がスパートして、先頭を行く山西選手を捕まえようとしたのですが、コースの折返し地点でその様子を冷静に観た山西選手は、自身もスパートしてカルストローム選手との差を維持・拡大しました。
 いくら頑張っても差が詰まらなかったカルストローム選手は終盤に失速し、ミズノフ選手にも抜かれてしまいました。

 もちろん、山西選手に高い基礎能力が無ければ出来ない対応ですけれども、精神面の充実を示すプレー振りでしょう。

 記録は出すけれども、「大舞台ではなかなか力を発揮できない」と言われていた日本チームに、何があったのかと言いたくなるほどの進化です。

 東京オリンピック2020に向けて、日本男子競歩チームのますますの活躍が期待されます。

[9月28日・男子100m決勝]
1位 コールマン選手(アメリカ) 9秒76
2位 ガトリン選手(アメリカ) 9秒89
3位 ドグラス選手(カナダ 9秒90
4位 シンビネ選手(南アフリカ) 9秒93
5位 ブレイク選手(ジャマイカ) 9秒97
6位 ヒューズ選手(イギリス) 10秒03

 ウサイン・ボルト選手が引退し、新しい「男子100mの勢力図」を測るレースとして注目されたレースは、クリスチャン・コールマン選手(23歳)の圧勝でした。

 揃った綺麗なスタートから、コールマン選手は30mから60mへの抜群の加速を魅せ、ゴールでは1.5m位の大差を付けて、世界選手権を制しました。素晴らしい走りであったと思います。

 腕振りは、近時のスプリンターとしては小さめで、顔の前まで持ってきたタイミングでは、既に「力が入っていない」ように観えました。コールマン選手にマッチした腕振りなのでしょう。

 ストライドとピッチのバランスは抜群で、身長175cmのランナーとしてはとても大きなストライドでしょう。これが「世界一の加速」の原動力だと思います。

 そして何より素晴らしかったのは「9秒76」。
 好タイムです。
 
 2位に入ったガトリン選手の走りも見事でした。
 37歳の大ベテランですが、2005年の世界選手権ヘルシンキ大会の100m(9秒88)・200m制覇から、2017年世界選手権ロンドン大会100m優勝(9秒92)、そして今大会の2位と、ボルト選手らと激戦を続けながら、本当に息の長いキャリアを積み上げています。
 これだけ長期間にわたって、世界トップクラスに居続けるスプリンターも珍しいのではないでしょうか。
 
 世界選手権2019ドーハ・男子100mでは「9秒76」が出ました。
 さすがに、オリンピック前年なのです。
 東京オリンピック2020では、9秒70前後のハイレベルな戦いが繰り広げられることでしょう。
 MGC2019のスタートラインに男子出場30選手が並んだ時、ピンクのシューズが目立ちました。
 ほとんどの選手が同じピンク色のシューズを履いていたように観えました。

 レース後の報道では、30選手中16選手が同じシューズを使用していたのだそうです。

 もっと使用比率が高いように観えました。80%位のランナーがピンク色のシューズを履いていたように観えましたが、それは勘違いだったのですが、「それ程に目立つ靴」だったことも間違いないのでしょう。

 そのシューズは、ナイキ社製の厚底ランニングシューズ「ズームX ヴェイパーフライNEXT%」なのだそうです。
 大迫傑選手が2018年に現在の日本記録を叩きだした時に履いていたシューズの改良版とのことで、史上最速のランニングシューズと呼ばれているそうです。

 「厚底」がランナーの脚の負担を軽減する効果が有るのでしょう。東京オリンピック2020に向けて、ナイキ社を始めとして、アディダス社、プーマ社、ミズノ社、アシックス社等々のメーカーによる、「より速いシューズ」の開発競争も激化の一途を辿ることでしょう。

 それにしても、数年前までは「なるべく薄い底で裸足に近い感覚」のシューズが求められていたように記憶していますから、この変化は急速なものでしょう。
 もちろん、この変化は「走り方の変化」にも繋がっていくことでしょう。

 スポーツ競技における「道具の変化・進化」は止まることが無いように観えます。

 テニスにおいて、木製ラケットからグラスファイバーラケットやスチールラケット、そして「厚ラケ」が登場した時には、テニスのプレー自体が大きく変化しました。
 現在でも、ラケットの進化は続いています。

 ゴルフ競技でも、クラブやボールの進化は続いています。かつては、身長190cm位のサイズが無いとビッグトーナメントでは好成績を残せない時期が有ったように思います。大きなプレーヤーは「スイングアークも大きい」ので、距離が出るのは道理です。圧倒的な飛距離がゴルフにとってとても大きなアドバンテージであることも、自明でしょう。
 ところが現在では、身長175cm前後のプレーヤーでも、平均飛距離で300ヤードを超えるビッグショットを具備するプレーヤーが続出しています。高性能のクラブが、こうしたことを可能にしているのでしょう。

 ランニングシューズの進化は、まだ始まったばかりに観えます。
 東京オリンピック2020に向けて、大進歩することは間違いないでしょうし、これまでの常識・定説を大きく変える「革新的な発見」が生れる可能性も十分にあると考えています。

 また、こうした「革新」が是非生まれて欲しいとも思っているのです。
 8月23日、陸上競技・男子100mの世界トップクラスのランナー、クリスチャン・コールマン選手(アメリカ、23歳)が2年間の資格停止処分を受けたと、AP通信が報じました。

 本当だとすると、コールマン選手は、今秋のドーハの世界選手権大会はもとより、東京オリンピック2020にも出場できないことになります。

 コールマン選手は、2017年のロンドン世界選手権大会(ウサイン・ボルト選手のラストランとなった大会)男子100mで、ジャスティン・ガトリン選手に続いて2位に入ったスプリンターです。
 そして、2018年8月のダイヤモンドリーグ大会(ベルギー・ブラッセル)では、9秒79という世界歴代7位に当たる好記録で優勝していますから、ドーハ世界選手権、東京オリンピック2020の男子100m競走における優勝候補なのです。

 コールマン選手が資格停止となった理由は、「ドーピング検査のための居場所情報の明示を1年間で3回怠った」というものです。
 ドーピング検査の厳格化が進み、抜き打ちでも行われる時代においては、トップアスリートは「自らの居場所」を明示する義務が有るのでしょう。

 そして、居場所の明示を怠ると、トーピング検査で陽性が出た時と同様の処罰が下されるということになります。

 コールマン選手が何故、報告を怠ったのかは分かりませんけれども、大きな大会を前にして、こうした厳しい取扱いが、どの競技・どの種目でも行われることになるのでしょうし、巧妙化する一方のドーピング技術を踏まえれば、不正を許さないために「止むを得ない」ことであろうと思います。

 快走でした。

 IAAFタイヤモンドリーグ・ロンドンの男子100m決勝において、世界トップクラスのランナーを相手に、80mまでは先頭に居たように観えました。
 その後急速にスピードを落した小池選手に比べて、アカニ・シンビネ選手を始めとするライバル選手達は、減速を極力抑え込んでスピードを維持し、激しいトップ争いを繰り広げました。
 小池選手が僅差の4位に下がったところがゴールラインでした。

[7月21日・100m決勝(追い風0.5m)]
1位 アカニ・シンビネ選手(南アフリカ) 9秒93
2位 ザーネル・ヒューズ選手(英国) 9秒95
3位 ヨハン・ブレイク選手(ジャマイカ) 9秒97
4位 小池祐貴選手 9秒98
5位 アンドレ・ドグラス選手(カナダ) 9秒99
6位 アダム・ジェミリ選手(英国) 10秒04
7位 桐生祥秀選手 10秒13

 4位というのは残念な結果かもしれませんが、これだけ高いフィールドで互角の戦いを演じたというのは、「日本男子100m史上に残る快走」のように感じられます。

 1位となったアカネ・シンビネ選手は、2016年リオデジャネイロ・オリンピック100mの5位であり、9秒89のベスト記録保持者。
 3位となったヨハン・ブレイク選手は、このメンバーの中で最も有名なランナーですが、9秒69の世界歴代2位のベストタイムを誇り、あのウサイン・ボルト選手に次ぐジャマイカ勢の2番手プレーヤーとして、ロンドン・オリンピック2012の金メダルや大邱世界選手権2011の金メダルなど、世界トップクラスの大会で優勝を争って来た強豪です。
 5位のアンドレ・ドグラス選手はリオデジャネイロ・オリンピックの銅メダリストです。

 こうしたランナー達と、少なくとも80mまでは互角の戦を演じた小池選手の走りの価値は、極めて高いものでしょう。
 「凄いパフォーマンス」でした。

 小池祐貴選手は、桐生祥秀選手、サニブラウン・アブデルハキーム選手に続いて、日本人として3人目の「9秒台ランナー」となりましたが、その記録を叩き出したフィールドとしては最もハイレベルな舞台であったのかもしれません。
 「オリンピックの決勝」に近いメンバーによるレースだったと思います。

 さらに言えば、小池選手は前日の予選時から「今大会は調子が良い。いつもの大会より1・2割方調子が良い」とコメントしていました。自らの好調を実感しながら、その好調を記録に結び付けることが出来るというのは、素晴らしいことです。なかなかできることでは無いのです。

 小池選手は「完全に10秒の壁を打ち破った」のでしょう。
 東京オリンピック2020に向けて、何と頼もしいことでしょうか。
 
 桐生選手も決勝に進み、7位と健闘しました。
 どんなレースでも、その時点の実力を発揮できるというのは、強いスプリンターの照明でしょう。

 日本男子100m陣の「世界への挑戦」は、これからも続きます。
[6月28日・男子100m決勝(向風0.3m)]
1位 サニブラウン・アブデルハキーム選手 10秒02 大会新記録
2位 桐生祥秀選手 10秒16
3位 小池祐貴選手 10秒19

[6月30日・男子200m決勝(向風1.3m)]
1位 サニブラウン・アブデルハキーム選手 20秒35
2位 小池祐貴選手 20秒48
3位 桐生祥秀選手 20秒54

 第103回日本選手権で、サニブラウン選手は短距離2冠を達成しました。
 ありそうでなかった「日本選手権・男子短距離2冠」は40年振りの快挙と報じられています。
 
 100mは「圧勝」でした。
 スタートで桐生選手が先行したのですが、サニブラウン選手との差は僅か(20~30cm位に観えました)でしたから、サニブラウン選手も相応に良いスタートを切ったのです。
 そして50mまでには先頭に立ち、50~60m付近でトップスピードに乗り、80m付近までは「減速を最小限に抑えて」、2位以下のランナーとの差を広げました。

 100m競走は「減速との戦い」ですから(本ブログ2012年8月26日の記事「[陸上競技] 100m競走は「減速」との戦い」をご参照ください)、スピード維持能力がとても高かったのです。
 ゴール前では、サニブラウン選手もさすがに急激に減速しましたが、90mまでの貯金が物を言って、圧勝となりました。

 向風0.3mの環境下での10秒02は、とても良い記録だと思います。
 自己ベストが9秒98の桐生選手が10秒16かかった環境下での10秒02は、無風から追風の環境であれば、安定して9秒台を出せる力を示したのでしょう。
 素晴らしいランニングでした。

 一方で、大会最終日の200mは、サニブラウン選手としては満足がいかないレースだったのではないでしょうか。
 4レーンのサニブラウン選手は、前を走る5レーンの小池選手を追って、コーナーで加速しました。これが「飛ばし過ぎ」に観えました。本来なら、もう少し「静かに」走るべきコーナーで、力みが観られたのです。
 結果として、4コーナーを回り切ったところでは既に先頭に立っていましたけれども、200m競走におけるコーナーでの「力の使い過ぎ」は直線路で必ず悪影響を生みます。
 残り50m以降は、苦しいランニングであったと感じます。

 このコーナーでの力みの原因は分かりません。
 アメリカでの大会、9秒97を叩き出した大会、からの連戦の疲労で、コンディションが万全でなかったために、「コーナーで一気にケリをつけよう」と小池選手を抜きにかかったのか、日本新記録としての19秒台を狙って行ったためか、要因はいくつか考えられますけれども、結果としては不満足なレースになってしまったように観えました。(ひょっとすると、実力をアップしてきている小池選手を相手にして、現状の不十分なコンディションを考慮した、「勝ちに徹した」意図的な走りであったのかもしれませんが・・・)

 サニブラウン選手のレース前の映像が何度もテレビ画面に登場していましたが、「入念なマッサージ」のシーンがとても多かったと思います。桐生選手や小池選手とは対照的でした。
 やはり、疲労が蓄積していたことは間違いなさそうです。
 そうした中での「2冠達成」は見事なプレーなのでしょう。

 それにしても、今大会の、というか久し振りに詳細に観させていただいた、サニブラウン選手の走りにおいては、「腕振り」がとても印象的でした。
 広げた手が「顔の前まで振られる」のです。本当に大きく力強い腕振りであり、サニブラウン選手のスピードの源という感じです。

 カール・ルイス選手は指間を締めて、大きく腕を振りました。
 ウサイン・ボルト選手は、手を軽く握り、肩でぐりぐり引っ張るように腕を振りました。
 
 サニブラウン選手は指間を大きく開けて、顔の前まで腕を振るのです。
 
 リラックスして素早く腕を振るために、スプリンターは「自らに合った腕振り」を実行するのでしょう。

 サニブラウン選手の腕振りは、本当に印象的でした。

 この走りを、9月のドーハ世界選手権大会・男子100m・200m決勝で、是非観てみたいものです。

[6月29日・男子400mハードル決勝]
1位 安部孝駿選手 48秒80
2位 豊田将樹選手 49秒05
3位 松下祐樹選手 49秒47
4位 野澤啓佑選手 49秒51
5位 小田将矢選手 49秒60
6位 真野悠太郎選手 50秒07

 8レーンを走った安部選手が、素晴らしいスピードでリードし、最終ハードル後も粘りの走りを魅せて、優勝しました。48秒台という好記録でした。

 かつて為末大選手が、48秒を切る日本記録を樹立し、世界大会でもメダルを獲得するという、日本短距離界を代表する活躍を魅せてくれた種目であり、その後も相当高いレベルのランナーが続けて登場していた男子400mハードルですが、東京オリンピック2020を前にして、とても楽しみなランナーが登場したのです。

 スタートからスムースな加速でした。
 向う正面は、力みの無い走りが印象的でした。
 6台目までの走りは「完璧」という感じです。
 
 7台目以降、ハードル間の歩数が13歩から14歩に増えたかと思いますが、蹴り足を上手く切り替えて対応していました。
 さすがに10台目では少しバランスを崩しましたけれども、豊田選手の追い上げを振り切ってゴールしました。
 積極的であり、かつ、全体としてバランスの良いレースでした。

 「会心」のレースだったのでしょう、ゴール直後、安部選手は「吠え」ました。

 安部選手は、世界選手権2019の参加標準記録49秒30はもちろんとして、東京オリンピック2020の標準記録48秒9も一気にクリアしました。とても良い記録であったことが明白です。

 2位に入った豊田選手も、良い走りでした。
 こちらは前半抑え気味で入り、7台目から加速しました。
 ラスト30mの走りは素晴らしいものであったと思います。
 世界選手権2019の参加標準記録を大きく上回る、自己最高記録でした。

 さらに、このレースでは、5位までのランナーが50秒を切りました。
 5位の小田選手でも49秒60です。
 高いレベルのレースだったのです。
 東京オリンピック2020を前にして、日本男子400mハードル陣の選手層は、とても厚くなっていることを証明する結果でしょう。

 レース後のインタビューで安部選手は「秋までまだ時間がある。世界選手権のファイナリストを目指したい」と応えました。
 何と力強いコメントでしょうか。

[6月30日・男子110mハードル決勝]
1位 高山峻野選手 13秒36 日本タイ記録
2位 泉谷駿介選手 13秒36 日本タイ記録
3位 石川周平選手 13秒67

 1/1000秒単位の勝負でした。

 スタートから泉谷選手が先行し、3台目辺りから高山選手が少しずつ差を詰めて7台目辺りでリードしましたが、泉谷選手が巻き返して10台目ではほぼ並んで、ゴール前のスプリント勝負となりました。
 
 2人の勝敗を分けたのは「最後の一歩」であったと思います。
 泉谷選手の走りがわずかに浮いたのです。上に蹴ってしまったという感じでしょうか。
 重心位置を維持したまま走り抜けた高山選手が、おそらくは数㎝前だったのでしょう。

 速報タイムは13秒34でした。
 「日本新記録か」と色めき立ちましたが、惜しくも日本タイ記録でした。

 両者ともに上体を前に倒してのゴール姿勢でしたから、機械としては頭が入ったところで速報掲示し、体の中心がゴールラインを越えた時点での修正が行われて、2/100秒遅くなったということでしょう。

 それにしても、素晴らしいレースでした。
 現在の日本110mハードル陣の層の厚さ、レベルの高さを如実に示したものでしょう。
 降りしきる雨の中のレースにおける「二人同時の日本タイ記録」なのですから・・・。

 残念ながら準決勝で敗退した、金井大旺選手も含めて、110mH種目は日本記録保持者が3名となりました。

 東京オリンピック2020に向けて、本当に楽しみな種目です。

[6月28日・女子1,500m決勝]
1位 卜部蘭選手 4分15秒79
2位 田中希実選手 4分16秒23
3位 萩谷楓選手 4分16秒45

[6月30日・女子800m決勝]
1位 卜部蘭選手 2分02秒74
2位 川田朱夏選手 2分03秒35
3位 塩見綾乃選手 2分03秒87

 800mのレースを観ていて「伸び盛り」を感じました。
 24歳の卜部選手が「日本選手権の中距離2冠」を成し遂げたのです。
 1996年大会の早狩実紀選手以来、23年振りの快挙でした。
 
 21世紀に入って19年を過ぎ、どの競技・種目でも「専門化」が進んでいます。
 当然のことながら、800mと1,500mは走り方が異なる種目なのです。
 それも、最もハードと言われる2つの種目ですから、これだけ専門化が進んだ時代に在っては「2冠」は至難の技なのです。
 21世紀に入って初の偉業であることが、それを明示しています。

 もちろん、その記録を観ると世界選手権2019や東京オリンピック2020の参加標準記録には及ばないのですけれども、「伸び盛り」なのです。

 こういう大舞台で800mの自己ベストを2秒縮めていることに、大きな可能性を感じます。


[6月28日・女子やり投げ決勝]
1位 北口榛花選手 63m68
2位 森友佳選手 62m88
3位 山内愛選手 56m67

 先日、日本新記録を樹立した北口選手が、安定した投擲、6投中2投で60m越えという安定した投擲を魅せて優勝しました。
 日本女子やり投げを代表するプレーヤーとして、堂々たるプレー振りであったと感じます。(本ブログの2019年5月7日付記事「[陸上・木南道隆記念2019女子やり投げ] 北口榛花選手 素晴らしい日本新記録」をご参照ください)

 そして、この決勝でもうひとつ特筆すべきは、森選手の62m88を投げての2位でしょう。
 6投目の素晴らしい試技でした。

 この決勝では、1投目に北口選手が62m68の大会新記録でトップに立ちました。
 103回の歴史を誇る日本選手権陸上競技大会における「大会記録」ですから、これは快記録であり、「この一投で決まり」と観るのが自然です。
 これまでの大会なら、この一投で、北口選手ひとりが60m越え、2位の選手は57m前後という結果になることが多かったように思います。

 ところが今大会は、森選手が6投目に62m88という、大会前の大会記録を更新するハイレベルなプレーを披露したのです。
 自己新記録であり、世界選手権2019の参加標準記録61m50を一気にクリアしました。
 
 北口選手は4投目に優勝投擲を魅せたのですが、1投目の投擲では森選手の6投目に抜かれていたのです。
 とても高いレベルの戦いでした。

 森選手の62m台の投擲が「突然変異」的なものでは無いことは、この日の他の投擲を観れば分かります。森選手は、1投目に58m39、3投目に59m34を投げています。60mまであと少しのプレーを連発した後、見事に超えて魅せました。

 東京オリンピック2020の前年に、日本女子やり投げ陣には2人の素晴らしい選手が登場したのです。

[6月30日・男子1,500m決勝]
1位 戸田雅稀選手 3分39秒44 自己新記録
2位 松枝博輝選手 3分40秒93 自己新記録
3位 荒井七海選手 3分41秒57 自己新記録
4位 的野遼大選手 3分42秒76 自己新記録
5位 清水鐘平選手 3分42秒91 自己新記録
6位 秦将吾選手 3分43秒25

 大接戦となった男子1,500mですが、戸田選手が競り勝ちました。
 3分40秒を切る好記録でした。

 そして、1位から5位までの5選手がいずれも自己ベストを出したのです。
 今大会、第103回日本選手権陸上競技大会は、各種目において自己新記録を樹立する選手が目立つ大会でしたが、それを象徴するレースであったと思います。

 世界選手権2019の参加標準記録3分36秒00、東京オリンピック2020の同3分35秒00には、まだまだ及ばないのですけれども、日本選手権という大舞台で「自己新」を出せるランナーが目白押しというのは、本当に楽しみです。

 日本男子中距離陣の大いなる飛躍が期待されます。
[2015年3月28日・アメリカ合衆国テキサス州オースティン]
・桐生祥秀選手 9秒87(追風3.3m)

[2019年6月5日・アメリカ合衆国テキサス州オースティン]
・サニブラウン・アブデル・ハキーム選手 9秒96(追風2.4m)

 テキサス州オースティンで開催されている、全米大学選手権大会2019の男子100m準決勝で、サニブラウン・ハキーム選手が9秒96を記録しました。全体2位で決勝にも進出しています。
 追風2.0mを僅かに超えてしまいましたから、未公認・追い風参考記録となりますけれども、先日の公認記録9秒99を3/100秒も上回る見事な記録です。
 
 この準決勝のレースについてご本人は「スタートが良くなかった。相当遅れたのではないか。しかし後半は良かった」とコメントしています。
 6月7日の決勝レースがとても楽しみです。
 サニブラウン・ハキーム選手にも十分にチャンスが有ります。
 記録ももちろんですが、「日本人ランナーによる全米学生男子100m優勝」というのも、凄い記録となります。

 さて、この知らせを聞いて、2015年19歳の時の桐生選手の追い風参考9秒台を思い出しました。
 ところは同じテキサス州オースティン、記録は何と9秒87でした。
 もう4年以上も前になりますが、当時桐生選手の公認最高記録は10秒01でした。その桐生選手が「9秒87」を叩き出したのです。
 追風3.3mを2.0mに引き直してタイム換算すると、9秒96に相当すると報じられました。

 桐生選手は、その後「故障がち」のシーズンをしばらく送りましたが、コンディションを戻して、2017年に9秒98(公認)をマークしたことは、皆さんご承知の通りです。

 追風が2.0mを越えて、未公認になったとしても、9秒台で走ることの意義はとても大きいと感じます。
 まず何より、「そのランナーのボディが9秒台のランに耐えられること」が証明されるからです。
 例えば桐生選手を例に取れば、3.3m-2.0m=1.3mの風に相当する「自分の体を前に押す力」を体得すれば、公認される9秒87を出す可能性が有ります。

 ふたつ目の利点は「9秒台のスピードを体感できる」ことです。
 陸上競技・短距離種目の経験がある方なら、自分のベストタイムの時の走りを良く憶えていると思います。走っている時に「速い」と感じるのです。とても「良い気持ち」で走れている場合も多いようです。

 「9秒台の体感」は、本当に限られたスプリンターにしか得ることができないものであることは間違いありませんが、追風の力を借りて体感することができれば、追風2.0m以下の環境で、新記録を出す際のとても大きな参考・目標(その体感実現が目標となるでしょう)となるでしょう。
 何しろ「9秒台の体感」ばかりは、どんなに素晴らしい指導者でも、プレーヤーに教えることは出来ないものなのですから。

 「追い風参考なら、いつでも9秒台」というのは、やや言い過ぎなのでしょうが、桐生選手とハキーム選手はそれに近いレベルに到達しているように観えます。

 日本人ランナーにとって、9秒台が「既知の領域」に入ってきたのでしょう。

[5月19日・男子200m・向風0.4m]
1位 マイケル・ノーマン選手(アメリカ) 19秒84 今季世界2位の記録
2位 ヤン・チョン・ハン選手(台湾) 20秒50
3位 クリストファー・ベルチャー(アメリカ) 20秒57

 圧巻の走りでした。
 シーズン始めのこの時期に、「眼の覚めるような」ランだったのです。

 19秒84!

 リオデジャネイロ・オリンピック2016に当て嵌めてみても、金メダルのウサイン・ボルト選手・19秒78には僅かに及びませんが、2位・銀メダリストの20秒02は大きく上回っています。
 凄い記録なのです。

 静かな良いスタートから、6レーンのノーマン選手は上手く加速して、直線に出たところで既に大きなリードを持っていましたが、凄かったのは残り80mからでした。
 素晴らしいスピードを維持して180m辺りまでスムースに走ったのです。
 2位グループとの差は、ひらく一方でした。

 久しぶりに「世界トップクラスの200m走」を魅せていただいたと感じました。

 オリンピックや世界選手権以外の大会では、滅多に観ることができないレベルの走りでしょう。

 さて、21歳のノーマン選手のお母さんは日本人です。
 お母さんも一流のスプリンターで、1989年に女子100mの当時の日本中学生記録を樹立していたと報じられました。

 ノーマン選手は今回初めて日本で走ったのだそうです。「母の母国で走る」というのは、どんな気持ちだったのでしょうか。

 また、ノーマン選手は200mも強いのですが、400mはもっと強いのです。43秒45という世界歴代4位の記録を保持しています。
400mで43秒台の前半というのは、桁違いの記録です。

 東京オリンピック2020における、マイケル・ノーマン選手の200m・400m二冠の可能性も十分にありそうです。

 オリンピック陸上競技の見所が、またひとつ増えました。

[5月19日・男子110mハードル・追風2.9m]
1位 泉谷 駿介選手 13秒26
2位 グレッグマー・スイフト選手(バルバドス) 13秒45
3位 金井 大旺選手 13秒47
4位 高山 峻野選手 13秒51
5位 石川 周平選手 13秒63
6位 ライアン・フォンテノー選手(アメリカ) 13秒70

 泉谷選手の素晴らしいトライでした。
 追風2.9mでしたから、公認されないのですけれども、現在の日本記録13秒36を大きく超えるタイムを叩き出してくれたのです。

 現日本記録保持者・金井選手の先行で始まったレースでしたが、8台目辺りで泉谷選手が並び、9台目から突き放しての勝利でした。10台目をクリアして以降の泉谷選手の加速は見事でした。

 110mハードルは、日本人ランナーが苦手とする種目です。
 こうした国際大会でも海外ランナーの後塵を拝することが多いのですが、この大会は違いました。日本人ランナーがレースを構成し、仕上げも行ったのです。
 タイムもとても良いものでしたし、高山選手、石川選手も健闘しました。

 順天堂大学3年の泉谷選手は、2018年7月のU-20世界選手権大会の110mハードルで3位に食い込みました。13秒38(追風0.3m)という、日本記録に迫る好記録での快走でした。
 伸び盛りのプレーヤーですから、走れば好記録という感じでもあります。
 今後の日本110mHをリードして行く人材であることは、間違いないでしょう。

 東京オリンピック2020に向けての活躍が、本当に楽しみです。

 5月19日にヤンマースタジアム長居にて開催された、2019年セイコーゴールデングランプリ陸上ですが、いくつかの種目で、素晴らしいパフォーマンスが示されました。

 まずは、男子100m競走。
 世界チャンピオンのジャスティン・ガトリン選手(アメリカ)を迎えてのレースでしたが、迎え撃った桐生祥秀選手を始めとする日本勢が互角の走りを魅せてくれたのです。

[男子100m・追風1.7m]
1位 ジャスティン・ガトリン選手 10秒00
2位 桐生 祥秀選手 10秒01
3位 ラムムハンマド・ゾフリ選手 10秒03
4位 小池 祐貴選手 10秒04
5位 山縣 亮太選手 10秒11
6位 多田 修平選手 10秒12

 ゴールデングランプリ陸上というと、海外の一流選手が圧勝する、それ程タイムは良くないものの圧勝する、というプレーをこれまで数多く観てきましたが、このレースはまさに接戦、ガチンコ勝負でした。
 加えて、タイムもこの時期としてはとても良いもので、ドーハの世界選手権派遣標準記録10秒10を、桐生、小池の両選手がクリアしたのです。

 桐生選手は60m付近から、ガトリン選手を相手に一歩も引かぬ走りを披露してくれました。ゴールでの差は10cm内外だったと思います。
 桐生選手の今季の好調さを如実に示した走りでした。

 一番内側のコースを走った小池選手の後半の追い上げも見事でした。
 小池選手は「スピードを落とさない走り」が身に付いてきているのでしょう。

 それにしても、日本チームの桐生・小池・山縣・多田・ケンブリッジ飛鳥の5選手を含む9名のスプリンターが並んだレースは壮観、迫力満点でした。
 こんなに重量感のあるレースを国内で観られるようになったこと自体が、現在の日本男子短距離陣の充実ぶりを示しているのでしょう。
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