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 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げて来ましたが、本稿がこのシリーズの最後となります。

 男子200m競走です。

[10月3日・男子200m決勝]
1位 飯塚翔太選手 20秒75
2位 小池祐貴選手 20秒88
3位 鈴木涼太選手 20秒89
4位 山下潤選手 20秒94
5位 樋口一馬選手 20秒98
6位 安田圭吾選手 21秒06

 大接戦でした。

 2018年のジャカルタ・アジア大会200m優勝者である小池選手ですが、まだどの種目においても日本選手権での優勝を成し遂げてはいませんから、「今度こそ」という意気込みが感じられるコーナリングを披露して、直線に出たところで先頭に立ちました。

 外のコースの飯塚選手を1m弱リードしたのです。

 飯塚選手はここから追い上げを開始して、じりじりと差を詰め、残り30m付近で抜き去りました。
 飯塚選手の「重厚な走り」、私は重戦車のような走りと感じますが、が功を奏した形です。

 小池選手にすれば、コーナーで力を使い過ぎた可能性があるのでしょう。
 200mは、全てを全力で走り切ることは出来ない距離なのです。

 素晴らしい競り合いを魅せていただいた2人のスプリンターに、大きな拍手を送らせていただきます。
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 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げたいと思います。

 今回は、男子110mハードルです。

[10月3日・男子110mH決勝]
1位 金井大旺選手 13秒36
2位 高山峻野選手 13秒47
3位 泉谷駿介選手 13秒48
4位 野下周成選手 13秒55
5位 増野元太選手 13秒61
6位 石田トーマス東選手 13秒67

 このところ、この種目の日本一を競い合っている、金井選手と高山選手の対決に注目が集まりましたが、今回は、金井選手の完勝でした。

 金井選手はスタートから先手を取りました。
 逆に、高山選手は1台目に僅かに触れてしまい、スピードが付きませんでした。
 最終的には、この1台目の処理の違い、とてもスムースに入った金井選手と、ややギクシャクした高山選手の差が、そのままゴールまで続いたレースと言って良いでしょう。

 後半の強さが持ち味の高山選手が懸命に追いますが、やや焦りもあったのでしょうか、8・9・10台目のハードルに接触し続けてしまい、逆に減速して、ゴールでは2位を確保するのがやっとでした。
 新型コロナウイルス禍の中での、練習不足が響いたのかもしれません。

 高山選手の不調も有って、圧勝した金井選手ですが、金井選手のレース全体の出来、そのなめらかなハードリングと見事な加速は、素晴らしいものでした。

 優勝タイム「13秒36」は、この2人のランナーにとっては、可もなく不可もなくという水準でしたが、不思議なことに、日本選手権大会決勝の優勝タイムは「3年連続13秒36」となったのです。
 この日が向風0.1mであったことや、各大会の気温など、不確定要素が数多くある中で、3年連続同タイムというのは、1/100秒計時の競技としては、とても珍しいことでしょう。

 この記録は、もちろん高いレベルです。

 両選手が切磋琢磨して、東京オリンピック2021の決勝レースを目指していただきたいと思います。

 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げたいと思います。

 今回は、女子100mハードルです。

[10月3日・女子100mH決勝]
1位 青木益未選手 13秒02
2位 寺田明日香選手 13秒14
3位 藤森菜那選手 13秒33
4位 田中佑美選手 13秒37
5位 鈴木美帆選手 13秒49
6位 紫村仁美選手 13秒52

 このレースは、復帰した寺田選手と、近年メキメキ力を付けて来た青木選手の争いと観られていました。
 レース前には、寺田選手が少し優位なのではないかとも見られていたのです。

 しかし、青木選手はスタートからリードして、そのまま押し切りました。
 「圧勝」でした。
 そしてタイムも13秒02という、見事なレベルだったのです。(寺田選手の13秒14も、十分に優勝に値する記録なのです)

 何より凄かったのはスタート直後の加速でしょう。
 青木選手は、第1ハードルまでの13mの間に、他のランナーに50cm強の差を付けました。
 日本選手権大会という、我が国最高峰の大会の短距離種目において、スタートからの10m余の間に50cmの差を付けるというのは、驚異的と言う他は無いでしょう。

 第2、第3とハードルをクリアして行く中で、寺田選手も良く追いましたが、青木選手のスピードが衰えることは無く、第8ハードル以降は差が開いたように観えました。
 青木選手にとって「完璧なレース」だったと思います。

 「12秒台」も観えて来ました。

 青木選手、そして寺田選手には、東京オリンピック2021の参加標準記録「12秒84」を、クリアしていただき、是非出場していただきたいと思います。
 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げたいと思います。

 今回は、女子円盤投げです。
 齋藤真希選手が、55m越えのビッグスローを魅せて、圧勝しました。

[10月3日・大会第3日]
1位 齋藤真希選手 55m41cm
2位 辻川美乃利せ選手 51m62cm
3位 藤森夏美背選手 50m46cm
4位 川口紅音選手 49m09cm
5位 山本実果選手 48m65cm
6位 田川浩子選手 46m87cm

 齋藤選手のプレーは、スピード十分の上に、とてもバランスの良いものでした。
 「綺麗な試技」です。
 
 こうした大舞台で、55m越えのスローが出来るところに、大きな将来性を感じます。
 東京オリンピック2021に向けて、57m・58mと記録をどんどん伸ばして行って欲しいものです。

 2位の辻川選手、3位の藤森選手と共に、上位3選手はいずれも、右側に投げていました。
 投擲エリアの「右側」へのスローは、回転系種目にとっては、とても良いプレーだと感じます。
 新型コロナウイルス禍にあって、各選手のトレーニングに対する「ハイレベルな工夫」が実っていたのでしょう。
 
 10月8日、ワールドアスレティックス(世界陸連)のセバスチャン・コー会長が、新国立競技場を視察したと報じられました。
 そぼ降る雨の中、黒いマスクを着用しての視察でした。

 コー会長は、いくつかのコメントを発しましたが、その中で、私が感じ入ったものを列挙します。

① (新国立競技場は)持続可能性の高いスタジアムであり、美しい。

 このコメントには、世界の陸上競技を牽引するワールドアスレティックスの最高責任者としての思いが、込められていると感じます。

 持続可能性=長期間に渡って存在する、スタジアムというのは、実はそう多くは無いのでしょう。
 もちろん、世界トップクラスの国際大会に使用可能な施設として、しっかりとしたメンテナンスが続けられることが不可欠な訳ですが、それは当該スタジアムが存する国の国力が十分でなければなりませんし、メンテナンス技術力も十分でなければなりません。
 さらに、「定期的に使用され続ける」ことも大事なのでしょう。

 加えて、国内紛争や海外諸国等との戦争によって、スタジアムが破壊されてしまうリスクにも対応し続けなければならないのです。

 かつてのオリンピックや世界大会に使用された会場が、破壊されたり、経年劣化によって、現在では使い物にならないものになってしまっている例は、少なくは無いのです。

 前代の国立競技場が「半世紀にわたって世界最高水準のスタジアムとして存在し続けた」事実をも踏まえて、コー会長は、新国立競技場も「持続性可能性の高い施設」として評価し、その美しさにも評価を与えたものと思います。

② トラック、ウォームアップエリアも(オリンピック後も)維持して欲しい。

 これは、世界のトップアスリート達が、大会において最高のパフォーマンスを発揮するための設備の維持を求めたコメントでしょう。

 確かに、こうした「付属設備」は、オリンピック後に廃棄されてしまうことも多いのでしょう。設備の維持費用は、想像を遥かに超える金額なのですから。

 しかし、コー会長は、新国立競技場が「世界の陸上競技プレーヤーにとっての伝説的な存在となるために」こうした「付属設備」についての、今後の我が国の対応について、要望を述べたのであろうと思います。

③ (新型コロナウイルス感染症の)状況が落ち着けば、世界選手権大会を開催したい。

 コー会長は、前国立競技場で開催された1991年の世界陸上を「今までで一番素晴らしい大会」と評するとともに、東京オリンピック2021後、新型コロナウイルス禍が落ち着いた時点で、自らが主管する「陸上競技世界選手権大会」を新国立で開催したいと述べたのです。

 この思いは、コー会長にはとても強いものであると感じられますので、私達はオリンピックの後の世界陸上を楽しみに待ちたいと思います。

 コー会長は、2019年横浜国際総合競技場で開催された「世界リレー大会」(本ブログ2019年5月20日の記事「[世界リレー2019横浜] JAAF セバスチャン・コー会長」をご参照ください)にも触れて、「レガシーを維持し、今後もトップクラスの大会を開催できることが重要」とコメントしたと報じられました。

 コー会長にとっては、ワールドアスレティックスが主催する大会の十分な受け皿として、新国立競技場を、とても高く評価したということになります。

 日本国民にとって、本当に嬉しいことだと思います。
 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げたいと思います。

 今回は、男子走り高跳びです。

 我が国の男子走り高跳び種目は、長年にわたって2名のジャンパーによる「日本一」を巡る戦いが続いてきました。
 それは、日本記録2m35cmを保持する戸邊直人選手と、4度の日本選手権優勝を誇る衛藤昂選手です。この2人の熾烈な争いが続いていたのです。

 しかし、2020年の日本選手権大会には、新星が登場しました。

[10月3日・男子走り高跳び決勝]
1位 真野友博選手 2m30cm
2位 長谷川直人選手 2m20cm
2位 佐藤凌選手 2m20cm
2位 衛藤昂選手 2m20cm
5位 大田和宏選手 2m20cm
6位 赤松諒一選手 2m20cm

 ゲームは早々に動きました。
 戸邊選手が2m20cmを3回失敗したのです。信じられないような光景でした。
 1回目の失敗の時には、タイミングの問題かと思いましたが、2回目を失敗した時には、「合っていない」と感じました。
 新型コロナウイルス禍における練習不足の影響でしょうが、どこかを故障したのでなければ良いがと思います。

 さて、2m20cmは11名の選手がクリアしました。
 次の高さは2m24cm。
 ここまで来ると、容易な高さではありません。
 この高さをクリアすれば優勝争いに参加できる、と感じました。

 各選手の1回目の失敗が続く中で、真野選手の順番となりました。
 リズミカルな助走から見事にクリアしました。

 助走のスピード・リズム、踏切の位置、空中姿勢、全てが上手く行きました。
 とても美しい跳躍でした。

 この真野選手の跳躍の次に跳ぶのが衛藤選手でした。
 これは、精神的にもなかなか難しい試技になったと思いますが、衛藤選手はこの試技を失敗しました。

 そしてこの後、2m24cmをクリアする選手は現れなかったのです。

 真野友博選手の優勝が決まりました。

 戸邊選手、衛藤選手以外の選手が日本選手権を制したのは、何時以来だろうと考えました。(2013年の高張広海選手以来)

 さて、競技は終了しました。そう思いました。

 しかし、真野選手は試技を続けたのです。
 2m27cmへのトライ。

 確かに、走り高跳びの優勝者が「次の高さ」に挑むことは、あることです。
 1回目、2回目と失敗しました。
 張りつめた競技から、自分一人の挑戦となると、精神的にも緩むものでしょうし、肉体的にも、試技を重ねることで疲労が蓄積されていますから、なかなか「次の高さ」を越えるのは難しいのです。

 「3回目も失敗するのだろう。それでも十分だ」と感じていましたが、真野選手はこの3回目の試技(この日7回目の試技)を見事に成功させました。1・2回目と比べて、体が上り、ポール上のフォームもギリギリの素晴らしい精度でした。僅かにポールに触れましたが、ポールは落ちなかったのです。

 優勝記録が2m27cmとなりました。
 凄いプレーヤーだと感じました。
 これで今大会の試技を終えるのであろうとも思いました。

 ところが、真野選手の試技はまだまだ続いたのです。
 ここからが「真野劇場」の神髄だったとは・・・。

 2m30cmへの挑戦も、1回目・2回目と失敗しました。
 スタジアムには夕闇が迫り、気温も下がってきていると思いましたし、何より試技を重ねての疲労蓄積が心配でした。
 故障でも発症したら・・・という心配を他所に、真野選手の2m30cmへのトライが続きました。この日10回目の試技でした。

 「成功」!

 2m27cm成功の時とほとんど同じジャンプに観えました。
 やはりポールに僅かに触れて、ポールが揺れていましたが、落ちる程の揺れではありません。
 ミラクルなプレーヤーだと感じました。

 再び「ところが」、真野選手はさらに試技を続けたのです。
 2m33cm。
 自己ベスト更新へのトライです。
 
 私は心中で「もう。止めてくれ」と叫びました。(いかにも素人の心配とお叱りを受けそうですが)
 日本男子走り高跳び界の至宝が、故障でもされては困りますし、何より「優勝はとっくに決まっているのです」から。
 しかし、真野選手は「淡々」とトライしました。
 その「淡々」とした様子・姿に、何とも言えない凄味を漂わせていました。

 さすがに?、2m33cmへのトライは3回失敗しました。
 日本陸上競技選手権大会・男子走り高跳び種目が、ようやく終了したのです。

 競技を終えて「疲労困憊」かと思いきや、優勝インタビューにおいて真野選手はしっかりと笑顔で応えていました。
 これが「真野のプレー」だとコメントしているようにも観えました。

 この日の真野選手は好調だったのでしょうか。
 そして、好調な日には、自分がやれる限りのプレーを魅せる、のが真野選手なのでしょうか。
 何とも言えない「心身の強さ」を感じます。

 日本男子走り高跳び界は「新時代」に入りました。

 新時代を担う真野友博選手は、とても頼もしいプレーヤーです。

 もちろん、戸邊選手、衛藤選手の反撃も本当に楽しみです。

 東京オリンピック2021に向けて、日本チームの選手層は着実に厚くなっているのでしょう。
 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げたいと思います。
 
 今回は、女子1,500m競走です。

[10月2日・女子1,500m決勝]
1位 田中希美選手 4分10秒21
2位 米澤奈々香選手 4分15秒62
3位 後藤夢選手 4分16秒18
4位 卜部蘭選手 4分16秒33
5位 吉村玲美選手 4分18秒05
6位 清水真帆選手 4分18秒99

 8月23日のセイコー・ゴールデングランプリ大会で、日本新記録を叩き出した田中選手の走りに注目が集まりましたが、期待に違わぬ見事なパフォーマンスを魅せていただきました。

 レースはゆっくりとしたペースで進みました。
 こうしたビッグゲームでは「記録よりも順位」ということで、最後の直線勝負となることが多い種目です。

 このまましばらくは進むかと思われた600m付近で、田中選手がスパートをかけました。
 これがもの凄いスパートで、2位集団との差が見る見る開きます。
 あっという間に15mほどの差になりました。

 2位集団で、このスピードに対抗できるのは卜部選手くらいでしたから、卜部選手が懸命に追いますけれども、差は開く一方。

 残り1周となって、差は20m以上になりました。
 こうした途中からのスパートで逃げ切りを図るレースは、時折は眼にしますが、多くの場合、最後には差を詰められるものです。
 ところが、このレースの田中選手のスピードは最後まで衰えず、ゴールでは2位の米澤選手に「5秒以上の大差」となっていました。
 途中で田中選手を追った卜部選手は4位に敗れています。

 そうすると、田中希美選手は「900m強の距離をスパート時のスピード」で押し切ったことになります。
 凄いレースを魅せてくれたのです。

 田中選手に「長い距離を相当のスピードで押せる」力があることは、このレースから明らかです。

 東京オリンピック2021に向けての、大きな飛躍が期待されます。

 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げたいと思います。

 今回は、女子200m競走です。

[10月3日・女子200m決勝]
1位 鶴田玲美選手 23秒17
2位 児玉芽生選手 23秒44
3位 大石沙也加選手 23秒78
4位 齊藤愛美選手 23秒86
5位 吉田紗弓選手 24秒20
6位 青山聖佳選手 24秒28

 前日の女子100mを快勝した児玉選手が、200mも制するかと思われましたが、結果は鶴田選手(23歳)の圧勝でした。

 鶴田選手は、とてもスムースなコーナリングから、直線に出た直後の加速が素晴らしく、一気に他のランナーに差を付けて、そのまま押し切りました。
 23秒17というタイムも、とても優秀です。

 児玉選手も直線でスピードを良く維持しましたけれども、鶴田選手との差を詰めるには至りませんでした。
 児玉選手は、右のハムストリングスを痛めていたと報じられていますが、万全であったとしても、鶴田選手とは互角の勝負であったであろうと思います。
 それ程に、このレースの鶴田選手の走りは圧巻でした。

 鶴田選手は、このレースで自己ベストを0.7秒更新したとも報じられました。
 日本選手権大会200m競走決勝における「0.7秒」更新は、尋常なことではありません。
 まさに伸び盛りというか、「別のランナー」が走っていると言っても大袈裟すぎることはあるまいと感じます。

 これからの日本女子スプリント界は、日本陸上競技選手権大会2020で100mと200mの優勝を分け合い、共に2位を占めた、児玉選手(21歳)と鶴田選手(23歳)の2ランナーが牽引して行くことになるのでしょう。

 それにしても、NHKテレビ放送のゴール直後の速報タイムは「22秒98」でした。
 思わず歓声を挙げました。
 しかし、23秒17に、直ぐに修正されました。
 もちろん23秒17も好タイムですが、22秒台は別格なのです。

 ちょっとガッカリしました。

 「速報タイム」の大きな間違い(あるいは「違い」)は、勘弁していただきたいものです。

 10月1日~3日、デンカビッグスワンスタジアム(新潟市)を舞台に、観客数を2,000名以内に限定して開催された、第104回・日本陸上競技選手権大会ですが、様々な種目で素晴らしい戦いが繰り広げられました。
 KaZブログでも、いくつかを採り上げたいと思います。

 まずは、女子100m競走です。

[10月2日・女子100m決勝]
1位 児玉芽生選手 11秒36
2位 鶴田玲美選手 11秒53
3位 石川優選手 11秒66
4位 青山華依選手 11秒72
5位 壹岐あいこ選手 11秒77
6位 安達茉鈴選手 11秒80

 先日のインカレで100mと200mを制した児玉選手(21歳)が、日本選手権大会でも見事な走りを魅せました。

 しっかりとしたスタートから、「腰の位置の上下動が少ないフォーム」で大きなストライドを生かした走りで、特に30m~60mの加速が素晴らしいと感じます。

 また。広げた手が顔の前まで上がる「大きな腕振り」も、力強い加速の要因となっているのでしょう。

 11秒36というタイムも、とても立派なものでした。

 児玉選手は、60mまでに2位以下に大きな差を付け、そのまま押し切りましたが、60m以降の走りであれば、2位に入った鶴田選手も見事でした。児玉選手との差を広げられることなくゴールまで走り切りました。

 また、このレースの3位・石川選手、4位・青山選手、6位・安達選手、そして7位の石堂陽奈選手の4名は「高校生」ランナーでした。
 日本選手権の100m決勝に4名の高校生が進出しているのは、この種目に対する日本チームの若手選手層の厚さを示しているのでしょう。

 日本女子スプリント界の新時代到来を感じさせる、良いレースでした。

 9月11日から13日にかけて、新潟県のデンカビッグスワンスタジアムを舞台に開催されている、第89回日本学生陸上競技対抗選手権大会の2日目、女子100m競走において児玉芽生選手が11秒35の大会新記録で優勝しました。
 男子走り幅跳びの橋岡優輝選手に続いての、日本歴代3位の好記録でした。

[9月12日・女子100m決勝]
1位 児玉芽生選手 11秒35 大会新記録
2位 壹岐あいこ選手 11秒65
3位 前川梨花選手 11秒65

 2009年6月に高橋萌木子選手が11秒32を叩き出し、2010年4月福島千里選手が、現在の日本記録である11秒21を記録してから「10年以上の月日」が過ぎました。
 
 大袈裟な言い方をすれば、日本女子100m競走は「10年間足踏み」をしたのかもしれません。

 しかし、インカレ2020の2日目、新星が登場したのです。

 向い風0.2mという状況下、自己記録を0.27秒も更新しての快記録でした。
 持ち味であったパワフルな走りのストライドが、一層大きくなったように感じます。

 今大会、200m競走、400mリレーと合わせて「3冠」に輝いた児玉芽生選手の、これからの活躍が本当に楽しみです。
 9月11日から13日にかけて、新潟県のデンカビッグスワンスタジアムを舞台に開催されている、第89回日本学生陸上競技対抗選手権大会の初日、男子走り幅跳びおいて、素晴らしい記録が生まれました。

[9月11日・男子走り幅跳び決勝]
1位 橋本優輝選手 8m29cm(大会新記録)
2位 外川天寿選手 7m88cm
3位 伊藤陸選手 7m75cm

 新型コロナウイルス禍の中で開催された、歴史と伝統を誇るインカレですが、その初日に見事なジャンプが披露されました。
 「8m29cm」は、本当に素晴らしい記録だと感じます。

 さらに、この記録が「向かい風0.6m」の条件下で生まれたことは、条件が揃えば、橋本選手は8m40cmを優に超える記録を叩き出せる能力があることを示しているようにも思います。

 男子走り幅跳び種目については、2019年8月17日の「Athiete Night Games in FUKUI」大会において、橋本優輝選手が8m32cmの日本新記録を樹立した直後に、城山正太郎選手が8m40cmという驚異的な日本新記録を叩き出しました。
 日本男子走り幅跳びの記録を大幅に更新した大会となりました。
 そして、現在の日本の男子走り幅跳びは、この2人のアスリートがリードしているのです。
 
 8m40cmというのは、オリンピックの決勝で記録することが出来れば、入賞あるいはメダル争いに加わることが出来る水準です。

 「練習もままならない時期」にあって、橋本選手が好記録を叩き出したのは、本当に頼もしい限りでしょう。

 東京オリンピック2021に向けて、楽しみが増えました。
 温故知新2020陸上競技編その14です。

 女子4×100mリレーは、1928年のアムステルダム大会、女子の陸上競技がオリンピックで初めて実施された大会から、正式種目として採用されています。
 十分な歴史を誇る種目なのです。

 リレー種目は様々な競技において、その国の総合力を示すと言われていますので、陸上女子4×100mリレーの結果、メダル獲得チームの記録は、それぞれの国・地域の「女子スプリント界の地力を把握する指標」としての価値があると考えています。

 今回もローマ1960から観て行こうと思います。
 金・銀・銅のメダル獲得チームです。

・ローマ1960 金・アメリカ、銀・東西統一ドイツ、銅・ポーランド
・東京1964 金・ポーランド、銀・アメリカ、銅・イギリス
・メキシコシティ1968 金・アメリカ、銀・キューバ、銅・ソビエト
・ミュンヘン1972 金・西ドイツ、銀・東ドイツ、銅・キューバ
・モントリオール1976 金・東ドイツ、銀・西ドイツ、銅・ソビエト
・モスクワ1980 金・東ドイツ、銀・ソビエト、銅・イギリス
・ロサンゼルス1984 金・アメリカ、銀・カナダ、銅・イギリス
・ソウル1988 金・アメリカ、銀・東ドイツ、銅・ソビエト
・バルセロナ1992 金・アメリカ、銀・ロシアEUN、銅・ナイジェリア
・アトランタ1996 金・アメリカ、銀・バハマ、銅・ジャマイカ
・シドニー2000 金・バハマ、銀・ジャマイカ、銅・アメリカ
・アテネ2004 金・ジャマイカ、銀・ロシア、銅・フランス
・北京2008 金・ベルギー、銀・ナイジェリア、銅・ブラジル
・ロンドン2012 金・アメリカ、銀・ジャマイカ、銅・ウクライナ
・リオデジャネイロ2016 金・アメリカ、銀・ジャマイカ、銅・イギリス

 15の大会を通じては、アメリカチームの強さが目立ちます。最も安定していると言っても良いでしょう。
 そして、20世紀であれば、ポーランドチームや東西ドイツチームが金メダルに輝き、キューバやソビエトチームが2位・3位に食い込んでいる形です。
 さらに21世紀となると、中南米の各チーム、バハマやジャマイカが勢力を増しましたが、ロンドン2012以降は、再びアメリカチームが連覇しているのです。

 頭書の「総合力」という意味では、21世紀においてはジャマイカが世界一を争うところまでポジションを上げているものの、やはり、世界の女子短距離界をリードしているのはアメリカということなのでしょう。

 2008年の北京大会においては、4×100mリレーは波乱の結果となりました。
 女子では、ベルギーチームが優勝し、ナイジェリアチームが銀、ブラジルチームが銅となり、アメリカチームもジャマイカチームもメダルを獲得できなかったのですが、男子もトリニダードトバゴチームが優勝し、日本チームが銀、ブラジルチームが銅と、こちらもジャマイカチームもアメリカチームも居ない結果となっています。
 バトンパス等の難しい要素が含まれる種目ですが、この大会では、「4×100mリレーの神様」のご機嫌が悪かった?のかも知れません。

 また、東京1964のポーランドチームの優勝も印象的です。
 80mハードルで銀メダルを獲得したテレサ・チェプラ選手や、100mで銅メダルを獲得したエワ・クロブコフスカ選手、200mと走り幅跳びで銀メダルを獲得したイレーナ・キルシェンステイン選手(後のイレーナ・シェビンスカ選手)、そしてハリナ・ゴレツカ選手を擁して、43秒6の世界新記録で優勝したのです。
 大会前に世界記録を更新していたポーランドチームの、堂々たるオリンピック制覇でした。

 東京2021においては、3大会連続の「アメリカとジャマイカの対決」となるのか、他のチームの進出が有るのか、興味が尽きないところです。
 新・国立競技場を使用する、初めての日本トップクラスのプレーヤーを集めた大会、セイコーゴールデングランプリ陸上2020が8月23日に行われました。

 「満足に練習も出来ない時期」を経ての、日本陸上競技界のトップアスリートのパフォーマンスが注目された大会でした。
 好記録はあまり期待されなかったことは、自然な話であろうと感じます。

 そうした大会、多くのトップアスリートにとって「久しぶり」の大会において、しかし、日本新記録が生まれました。
 女子1,500mの田中希実選手です。

[8月23日・女子1,500m・国立競技場]
1位 田中希実選手 4分5秒27→日本新記録
2位 卜部蘭選手 4分11秒75
3位 荻谷楓選手 4分13秒14

 田中選手は、2006年に小林祐梨子選手がマークした4分7秒86を2秒以上縮める、見事な日本新記録でした。(小林選手の記録も「14年間」に渡って日本新記録であった立派な記録でした)

 田中選手は、2020年7月のホクレンディスタンスチャレンジにおいて3,000m種目で日本新記録を樹立していますから、今年に入って2種目目の日本記録更新となります。
 新型コロナウイルス禍における活躍は、眼を見張るものなのです。

 20歳の田中選手は、身長153cmと小柄ですが、無駄の無いフォームと、十分なスピードで押していける持久力を備えています。
 今後の日本女子陸上界の中長距離種目を背負っていくプレーヤーであることは、間違いありません。

 それにしても、この大会に向けては、多くのトップアスリートが調整に苦労した様子でした。

 男子100mでは、山縣亮太選手が10秒42で予選落ち。
 男子110mハードルでは、高山峻野選手が13秒74で3位。
 女子やり投げでは、北口榛花選手が優勝しましたが、記録は59m38cmに止まりました。

 それぞれの選手の能力からみれば、明らかに練習不足、調整が出来ていない記録だと思います。

 一方で、田中希実選手や、女子100mハードルを13秒03の好記録で制した寺田明日香選手のように、2019年シーズンを凌ぐパフォーマンスを示したプレーヤーも居るのです。

 こうした「特殊な時期」の大会の難しさなのでしょう。

 セイコーゴールデングランプリ陸上2020は、私達に初めて、新・国立競技場の詳しい様子、トラックやフィールドの有り様を、テレビ画面を通じて示してくれました。

 早く、国立競技場での大会を観に行きたいものです。

 温故知新2020陸上競技編その13です。

 陸上競技の男子トラック競技には3つの障害種目があります。
 110mハードル、400mハードル、3,000m障害、です。

 110mHは1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会から、400mHは1900年の第2回パリ大会から、3,000m障害は1920年のアントワープ大会から、正式種目となっています。
 3,000m障害競走は、110mH・400mHと比べれば新しい種目ということになりますが、それでもとても長い歴史を有する種目なのです。
 オリンピックで実施されるようになった当初、パリ1924~ベルリン1936までの間は、フィンランドチームの選手が4連覇しています。フィンランドのお家芸だったのです。

 3,000m障害は、3,000mを走る間に「28回」障害を越え、「7回」水濠を越えなければなりませんから、約80mに1回障害物か水濠が在ることになります。
 男子の障害物の高さは91.4cmと相当高く、水濠の深さは70cm(男女共通)です。
 障害物は、ハードル種目と違い、ぶつかっても倒れる構造では無いので、激しくぶつかれば、ランナーが転倒します。大きな怪我に繋がる怖れもあります。
 従って、3,000m障害においては、障害物は「ぶつかってはならない物」なのです。
 
 さて、第2次世界大戦前はフィンランドチームが強かった種目ですが、戦後は次第にケニアチームが強さを魅せるようになりました。

 今回も、ローマ1960から観て行きます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ズジスワフ・クジュシェコヴィアク選手(ポーランド) 8分34秒2
・東京1964 ガストン・ローランツ選手(ベルギー) 8分30秒8
・メキシコシティ1968 アモス・ビウォット選手(ケニア) 8分51秒0
・ミュンヘン1972 キプチョゲ・ケイノ選手(ケニア) 8分23秒6
・モントリオール1976 アンデルス・ヤーデルード選手(スウェーデン) 8分08秒02(世界新記録)
・モスクワ1980 ブロニスワフ・マリノフスキ選手(ポーランド) 8分09秒7
・ロサンゼルス1984 ジュリアス・コリル選手(ケニア) 8分11秒80
・ソウル1988 ジュリアス・カリウキ選手(ケニア) 8分05秒51
・バルセロナ1992 マシュー・ビリル選手(ケニア) 8分08秒84
・アトランタ1996 ジョセフ・ケター選手(ケニア) 8分07秒12
・シドニー2000 ルーベン・コスゲイ選手(ケニア) 8分21秒43
・アテネ2004 エゼキエル・ケンボイ選手(ケニア) 8分05秒81
・北京2008 ブライミン=キプロプ・キプルト選手(ケニア) 8分10秒34
・ロンドン2012 エゼキエル・ケンボイ選手(ケニア) 8分18秒56
・リオデジャネイロ2016 コンセスラス・キプルト選手(ケニア) 8分03秒28(オリンピック新記録)

 まずは、「ケニアチームの強さ」に驚きます。
 ロス1984から「オリンピック9連覇」中。
 陸上競技において、21世紀に入ってからを含めて、これほどの連覇は他にありませんし、他の競技を観ても、なかなかお目にかかれない圧倒的強さでしょう。
 継続中であることも、素晴らしいところです。
 バルセロナ1992とアテネ2004では「表彰台独占」も示現していますし、金メダルを含めて2つのメダルを獲得した大会も「6」に及びます。信じられないような強さなのです。

 さらには、少数の強いアスリートによって連勝が続いているわけでは無いところも、凄いところです。この9連覇中に2勝しているのはエゼキエル・ケンボイ選手だけですし、次々に新しいランナーが登場している感があります。
 3,000m障害に対しての国としての強化体制が確立されているとともに、様々なノウハウが蓄積され活かされていることも間違いないでしょう。

 20世紀の終盤から、アフリカ諸国、特に、エチオピアとケニアの選手たちが、国際大会における長距離種目において強さを魅せていることはご承知の通りですが、ことこの種目については、エチオピアチームの影も無く、「ケニア1強」なのです。
 世界中で行われている種目において、これだけ独占的な強さを継続していることは、ある意味では「不思議」なことでしょう。

 ご承知の通り、3,000m障害には、他の中・長距離種目同様に「駆け引き」が存在しますから、オリンピック決勝という大舞台で記録が更新されることは、ほとんどありません。どのランナーも「オリンピックチャンピオン」の称号を目指して、全ての力と知恵を集中するのです。
 そうした中で、モントリオール1976においてヤーデルード選手が世界新記録で優勝したことは、特筆に値します。ヤーデルード選手のパフォーマンスは、3,000m障害の記録を20秒位縮めたようにさえ感じられるのです。

 現在の世界記録は、2004年9月にサイフ・サイード・シャヒーン選手(カタール←ケニア出身)がマークした7分53秒63です。
 既に、15年以上前に叩き出された記録ですから、21世紀のオリンピック決勝において「7分台」が出ても、何の不思議も無いのですけれども、やはり「オリンピックチャンピオンの重み」に向けての「駆け引き」の存在が、とても大きいのでしょう。

 東京2021において、オリンピック史上初の「7分台」が出るのでしょうか。

 温故知新2020陸上競技編その12です。

 三段跳びは、ホップ→ステップ→ジャンプと3回跳んで、その距離を競う競技です。
 1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会から、男子三段跳びは正式種目となっています(現在の三段跳びとは、少し違う競技内容だったようですが)から、「3回跳んで距離を競う」という競技は、相当古くから行われていたと思われます。

 ホップとステップは同じ足(例えば、右足で踏み切った場合にはステップも右足で跳ぶ)使って跳び、ジャンプは別足(前例なら左足)で飛びます。
 3つのジャンプの中で、最も距離を稼げるのは、ホップかジャンプで、これは選手ごとに異なります。
 私の記憶では、ホップが一番距離が出る選手の方が多いと思いますが、これはもちろん「跳躍方法・跳び方」にもよりますので、21世紀に入ってからの傾向は、ジャンプが一番距離が出るようになっているのかもしれません。

 跳躍距離の原動力となっているのは「助走のスピード」、助走により得られる運動エネルギーであることは間違いないでしょう。
 この運動エネルギーと踏切の筋力・角度・スピードのバランスの上で、素晴らしい跳躍が生まれることになります。

 ステップは、ホップとジャンプを上手く繋ぐものであると思います。
 ホップで大きな距離を得て、ジャンプで大きな距離を得る為に、助走のスピードを極力維持し、決してバランスを崩すことなど無いように、ステップを跳ぶ必要があります。

 オリンピックの決勝ともなると、それぞれのジャンパーが個性豊かな跳躍を魅せてくれますし、良い記録が出た試技は、誰が見ても美しく力強いものとなります。
 観ていて、本当に楽しい種目なのです。

 さて、今回も1960年ローマ大会から観て行こうと思います。
 金メダリスト名、記録の順です。
・ローマ1960 ヨゼフ・シュミット選手(ポーランド) 16m81cm
・東京1964 ヨゼフ・シュミット選手(ポーランド) 16m85cm
・メキシコシティ1968 ヴィクトル・サネイエフ選手(ソビエト) 17m39cm
・ミュンヘン1972 ヴィクトル・サネイエフ選手(ソビエト) 17m35cm
・モントリオール1976 ヴィクトル・サネイエフ選手(ソビエト) 17m29cm
・モスクワ1980 ヤチェク・ウドミュー選手(ソビエト) 17m35cm
・ロサンゼルス1984 アル・ジョイナー選手(アメリカ) 17m26cm
・ソウル1988 フリスト・マルコフ選手(ブルガリア) 17m61cm
・バルセロナ1992 マイク・コンリー選手(アメリカ) 17m63cm
・アトランタ1996 ケニー・ハリソン選手(アメリカ) 18m09cm
・シドニー2000 ジョナサン・エドワーズ選手(イギリス) 17m71cm
・アテネ2004 クリスチャン・オルソン選手(スウェーデン) 17m79cm
・北京2008 ネルソン・エボラ選手(ポルトガル) 17m67cm
・ロンドン2012 クリスチャン・テイラー選手(アメリカ) 17m81cm
・リオデジャネイロ2016 クリスチャン・テイラー選手(アメリカ) 17m86cm

 まず、ヴィクトル・サネイエフ選手の3連覇が眼に入ります。
 サネイエフ選手は、モスクワ1980でも銀メダルを獲得していますから、もう少しで4連覇というところまで迫ったのです。
 その安定した実力と長いキャリアは、三段跳び史上に燦然と輝くものでしょう。

 また、これだけデリケートな種目ですから、オリンピックという大舞台で世界新記録を叩き出すことは、容易なことでは無いのですが、サネイエフ選手はメキシコシティ1968において17m39cmという、世界新記録で優勝しています。
 本当に勝負強いアスリートだったのです。

 2連覇のジャンパーは2人居ます。
 ヨゼフ・シュミット選手とクリスチャン・テイラー選手です。
 サネイエフ選手を加えると、3ジャンパーが複数の金メダルを獲得していることになります。やはり、安定した実力を得るためには、相応の時間が必要な種目であり、逆に言えば、一度世界のトップクラスの実力を具備してしまえば、長くトップクラスのジャンパーとして戦って行けるということなのかもしれません。

 記録を観れば、メキシコシティ1968において、サネイエフ選手が17m~17m50cmに記録を引上げ、ロサンゼルス1984までは、その水準で金メダルが争われています。
 そして、ソウル1988において、フリスト・マルコフ選手が「17m50cmの壁」を破り、その後は17m51cmを越える水準で、金メダル争いが繰り広げられています。
 史上唯一の「18m越えの金メダル」は、アメリカのケニー・ハリソン選手が、アトランタ1996で叩き出しています。
 この大会の銀メダリストは、シドニー2000を制するジョナサン・エドワーズ選手でした。
 エドワーズ選手も17m88cmという、シドニー2000の優勝記録を上回る好記録を出したのですが、ハリソン選手には及びませんでした。

 男子三段跳びにおいては「18mジャンパー」というのは、大変な尊称です。
 まだ、世界中で18m(ホップ・ステップ・ジャンプの3跳躍平均6m)を越えたことが有るジャンパーは一桁の人数しか居ません。
 18m29cmの世界記録は、1995年8月のイェーテボリ世界陸上において、ジョナサン・エドワーズ選手がマークしました。それは、本当に美しい跳躍でした。
 その後25年間に渡って、誰もこの記録を越えることが出来ないのです。
 まさに「伝説になりつつあるジャンプ」なのです。

 ところで、男子三段跳びは「陸上競技において日本選手がオリンピック3連覇」している唯一の種目です。

・アムステルダム1928 織田幹雄選手 15m21cm(オリンピックにおける日本選手団初の金メダル)
・ロサンゼルス1932 南部忠平選手 15m72cm
・ベルリン1936 田島直人選手 16m00cm(世界新記録)

 これは、日本陸上界にとって、永遠に語り継がれる3連覇でしょう。
 ロス1932では大島鎌吉選手が銅メダルを、ベルリン1936では原田正夫選手が銀メダルを獲得しています。2大会連続の複数メダル獲得ですから、まさに「お家芸」だったのです。

 この頃、日本選手は5度に渡って世界新記録をマークし、「16mの壁」を破ったのは田島直人選手でした。

 「お家芸」の復活を望むには、現在の世界と日本の差はとても大きいのですけれども、私は三段跳びが日本人向きであることは、これらの記録が証明していると思います。
 いつの日にか、オリンピック決勝の舞台で、日本のジャンパーがメダルを争うシーンを観てみたい、また、その可能性は十分にあるとも考えているのです。
[7月25日・男子800m決勝・駒澤公園陸上競技場]
1位 クレイ・アーロン・竜波選手 1分50秒54(大会新記録)
2位 金子魅玖人選手 1分50秒76
3位 梅谷健太選手 1分51秒73

 2019年の日本選手権大会の男子800m競走を17歳の若さで制したアーロン・竜波(たつなみ)選手が、東京選手権大会2020でも優勝を飾りました。

 アーロン・竜波選手は今秋から、アメリカ合衆国のテキサス農工大学に留学することが決まっていると報じられており、東京選手権2020が留学前の国内での最後の大会でした。

 スタート直後から先頭に立ち、そのまま一度も先頭を譲ることなくゴールインするというレース内容でした。
 残り250m付近でアーロン・竜波選手がロングスパートをかけ、残り200m付近で金子選手が外から追い越しにかかりましたが、アーロン・竜波選手はこれを許さず、1mほどのリードを保ったまま最後の直線にかかりました。

 ここからは、両選手の激しい競り合いが続きましたけれども、結局、アーロン・竜波選手はリードを守り切ったのです。
 ゴールまでほとんど緩むことが無かった金子選手の追い上げも、素晴らしいものであったと思います。

 昨年6月の日本選手権のレースは、第一人者の川元奨選手が先行し、2番手に付けたアーロン・竜波選手が最後の直線で逆転したレースでしたが、どちらのレースにおいても、「先行力」が感じられます。
 アーロン・竜波選手は、自力で勝負するタイプのランナーなのでしょう。
 そして、その点が最も期待されるところなのであろうとも感じます。

 十分な先行力と、しっかりとした最後の直線の走り、がアーロン・竜波選手の持ち味なのです。

 自らのレースを分析して、200mから600mのスピードが不足しているという結論に達したと言われているアーロン・竜波選手は、より高いフィールドを求めて渡米します。
 テキサス農工大は、世界選手権2019の800m競走を制したドナバン・ブレージャー選手らを輩出した大学として知られる存在です。

 「本場」における、クレイ・アーロン・竜波選手の一層の成長が期待されるところですし、東京オリンピック2021の代表となる可能性も十分にあるのでしょう。
 
 新型コロナウイルス禍の中で、陸上競技の大会も再開されるようになってきました。
 もちろん、感染拡大防止に向けて最大限の注意と予防策を講じた上での開催です。

 最大限の注意を払っても、不運であれば、感染の可能性が有るとは思いますが、主催者や選手・関係者に「大丈夫だろう」という気持ちが有る中での緩く甘い対応と比較すれば、リスク量を半減、1/10に減らすことは十分に可能でしょう。

 実態が分からず、その後遺症の影響も分かっていない現時点では、「無症状であっても」、感染後の悪影響が何年・何十年残るのか分かりませんから、可能な限り感染することを防がなければならないのは、当然のことです。
 
 さて、陸上競技トラック競走、それも1,500mから10,000mという中・長距離の種目に絞って行われる、ホクレン・ディスタンスチャレンジ大会は、日本陸上競技連盟の公認大会でもあります。

 この大会に、東京オリンピック2021のマラソン女子代表の前田穂南選手と一山麻緒選手が出場しました。

[7月8日・深川大会・女子10,000m]
1位 前田穂南選手 31分34秒94
2位 一山麻緒選手 32分03秒65
3位 安藤有香選手 32分15秒38

[7月18日・千歳大会・女子5000mA]
1位 一山麻緒選手 15分06秒66

10位 前田穂南選手 15分31秒51

 日本女子マラソン界を代表する2名のランナーに、こうした状況下でしっかりと走っていただいたことが、まずは、とても重要なことであろうと感じます。お二人とも、とても良いパフォーマンスを魅せてくれたと思います。

 10,000m競走では、前田選手が「良いスピードで長く押す」という、いかにもマラソンランナーらしい走りで快勝しました。
 前田選手は、「地力で勝負するマラソンランナー」としての走りを身に付けつつあるのでしょう。
 2019年9月に行われたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の時よりも、一層力強い走りになってきていると感じます。

 一方の一山選手は、「競り合いでの強さ」が際立ちました。
 5,000mAのレースにおいて、終始先頭集団に位置し、ラストスパート勝負で勝利を捥ぎ取りました。
 持ち前のスプリント力を活かしたレース振りですが、本番のレースでもこうした形を目指すことになるのでしょう。
 こうしたレース構成を得意とするランナーは、安定した成績を残せる確率が高いと思います。

 マラソンにおいて、30km付近からのロングスパートで後続を引き離し、独走態勢を築いてゴールを目指す前田選手と、40km付近まで先頭集団に喰らい付き、そこからのラストスパート合戦の中から勝機を見出していく一山選手。
 日本女子チームは、とても良い代表メンバーを得たと感じます。

 鈴木亜由子背選手を加えた、3名の日本代表ランナーの、東京2021における活躍が期待されます。
 温故知新2020陸上競技編その11です。

 陸上競技のトラックを丁度1周する400m競走には、独特の雰囲気があります。
 向風、追い風に関する有利・不利も無く、一方で地点ごとの風向きも考慮してレースを進めなければならない難しさもあります。

 スタート後44秒前後の時間がかかりますから、スタンドの盛り上がりも十分。スタート直後に大歓声が沸き一度静かになって、2コーナーから向う正面の直線では歓声が次第に大きくなり、3コーナーから4コーナーにかけて最高潮に達します。
 最後の直線は、どんな選手でも「最後の力を振り絞っての激走」となりますから、最高潮の歓声が継続し、優勝者がゴールする寸前には、歓声が弱くなっている感じでしょうか。
 疲れ切ったランナー間にはスピードの差が生じやすいので、ゴール寸前まで「大接戦」というレースは、なかなか観られない種目でもあります。

 男子400m競走は、1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会から実施されています。
 短距離競走として、歴史と伝統を誇る種目なのです。

 さて、今回もローマ1960から観て行こうと思います。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 オーティス・デービス選手(アメリカ) 44秒9
・東京1964 マイケル・ララビー選手(アメリカ) 45秒1
・メキシコシティ1968 リー・エバンス選手(アメリカ) 43秒86
・ミュンヘン1972 ヴィンセント・マシューズ選手(アメリカ) 44秒66
・モントリオール1976 アルベルト・ファントレナ選手(キューバ) 44秒26
・モスクワ1980 ビクトル・マルキン選手(ソビエト) 44秒60
・ロサンゼルス1984 アロンゾ・バーバース選手(アメリカ) 44秒27
・ソウル1988 スティーブ・ルイス選手(アメリカ) 43秒87
・バルセロナ1992 クインシー・ワッツ選手(アメリカ) 43秒50
・アトランタ1996 マイケル・ジョンソン選手(アメリカ) 43秒49
・シドニー2000 マイケル・ジョンソン選手(アメリカ) 43秒84
・アテネ2004 ジェレミー・ウォリナー選手(アメリカ) 44秒00
・北京2008 ラショーン・メリット選手(アメリカ) 43秒75
・ロンドン2012 キラニ・ジェームス選手(グレナダ) 43秒94
・リオデジャネイロ2016 ウェイド・バンニーキルク選手(南アフリカ) 43秒03

 まず感じるのは、アメリカ合衆国が強い種目であるということでしょう。
 ロス1984~アテネ2004の6連勝も含めて、圧倒的な強さです。

 続いては、メキシコシティ1968のリー・エバンス選手の43秒86という、「驚異的な記録」が、男子400m競走を1歩も2歩も進化させたという点です。
 もちろん当時の世界新記録でしたが、「夢の43秒台」を示現してくれたのです。

 100m・11秒00×4=44秒00は、400m競走における厚い壁でした。
 エバンス選手が、この壁を破った後も、オリンピックのレースにおける次の43秒台は、20年後、ソウル1988まで待たなければなりませんでした。
 このメキシコシティ1968大会の記録が、いかにハイレベルなものであったかが分かります。

 ところで、メキシコシティ1968の2着だったラリー・ジェームズ選手も43秒97を叩き出しました。(驚異的な世界新記録を生んだレースが、接戦だったことにも驚かされます)この時のアメリカチームには「歴史的な400mランナーが2名」も居たのです。
 男子400mの王国の面目躍如たるものがあります。

 その歴史的な記録に1/100秒まで迫ったのが、ソウル1988のスティーブ・ルイス選手でした。
 この時ルイス選手は19歳でした。ある程度の経験が必要とされる400mにおいては、驚異的な若さでの優勝でした。
 結果として、この記録は、現在でもジュニア世界最高記録として残っています。

 バルセロナ1992では、クインシー・ワッツ選手が、リー・エバンス選手の記録をついに抜いて、43秒50で優勝しました。
 もはや「金メダルは43秒台」で争われる時代となったのです。

 そして、マイケル・ジョンソン選手による、アトランタ1996・シドニー2000の「連覇」が達成されました。史上唯一の連覇です。
 「王国」アメリカのひとつのピークでしょう。

 ロンドン2012からは、「王国に陰り」が観えます。
 アメリカチームは、金メダルどころか、銅メダルを取るのがやっと、それも北京2008の金メダリスト/ラショーン・メリット選手が、リオ2016でも最上位という状況ですから、「変調」と言わざるを得ないでしょう。

 15回の大会を観て、一番の変わり種?は、モントリオール1976のファントレナ選手でしょうか。
 この大会でファントレナ選手は、400mと800mの2冠に輝いています。

 400mランナーが「200mも兼ねる」ケースは、時折観られます。
 マイケル・ジョンソン選手はアトランタ1996において、200m・400mの2冠でした。

 しかし「800mと兼ねる」のは、オリンピック決勝という舞台では滅多に観られませんし、ましてや金メダル獲得となると、これは快挙と言って良いでしょう。
 この大会のアルベルト・ファントレナ選手は絶好調で、400mも800mも圧勝でした。
 長身の体躯から、長い脚で、とても大きなストライドを駆使して、圧倒的なレースを披露してくれたのです。
 ちなみに800mは、1分43秒50の世界新記録でした。
 オリンピックの陸上競技史に残る、素晴らしいパフォーマンスであったと感じます。

 さて、リオ2016ではバンニーキルク選手が43秒03という見事な世界新記録で金メダルを獲得しました。
 「夢の42秒台」に、あと一歩と迫ったのです。

 ウェイド・バンニーキルク選手は、現在の男子400m競走を牽引しています。
 東京2021でも本命視される存在でしょうが、「王国」アメリカ勢の復活にも期待したいところでしょう。
 温故知新2020陸上競技編その10です。

 今回は110mH競走、いわゆる「110パー」です。
 110mのハードル競走は男子にしかありませんから、わざわざ「男子」と表記する必要が無いのです。そして、かつて陸上界では「110パー」と呼んでいました。(今でも呼んでいるかもしれません)

 とても「精巧・精密」な種目です。

 110mを走る間に、高さ106.7cm・3.5フィートのハードルを10台越えて、ゴールインするタイムを競います。(相当高い障害物です)
 髙いレベルのスプリント力を具備していることを前提として、オリンピックの決勝に進むハードラーならば各レースにおいて、第1ハードルまで(13.72m・45フィート)の1歩1歩の位置は1cmとは違わないでしょうし、各ハードル間(9.14m・30フィート)の足の着地位置も1cmとは違わないでしょうし、最終ハードルからゴールまで(14.02m・46フィート)の1歩1歩の位置も殆ど同じでしょう。
 そうした精緻な走り・プレーが出来ないランナーでは、オリンピック決勝は遠い存在なのです。

 例えば、ハードル間9.14mは、身長190cm前後の長身ランナー(オリンピックにおいては普通のサイズです)にとっては「3歩で走るには短過ぎる」ことから、思い切り走ってしまっては、次のハードルに近付き過ぎてしまい、とても飛び辛いし、「上に飛ぶ」ことになってしまいますから、減速に繋がり易いのです。
 可能な限り「走り抜けるイメージ*」でクリアして行きたい各ハードルを、流れるように熟すには、ハードル間の1歩を短くしていかなくてはならず、3歩の内のどれをどれくらい短くするか、どれとどれを短くするか、といったポイントについては、各ハードラーが自らの体型や筋力の付方等々の要素を十分に考慮した上で、指導者と相談を重ね、一歩一歩の位置を決め、そこに着地するように、練習を重ねて行かなければならないことは、とても基本的なことでしょう。(*高さ106cmを越える障害物を「走り抜けるイメージ」で次々とクリアして行こうとすること自体が、ミラクルな話であることは言うまでも有りません)

 スタートから第1ハードルまでの入り方、「13.72m」の処理は、タイムを上げて行くために最も大切な部分です。どんな熟練のハードラーでも、毎レース、この13.72mにはとても苦労しています。
 力んで突っ込んでもダメ、かといって、あまりにも静かに立ってもダメですから、第1ハードルまでの一歩一歩の位置を、どこに置いたら、レース全体として1/100秒タイムが縮まるかと言った、地道で効果的な検証と実行が不可欠なのでしょう。

 10台目の最終ハードルを越えてからの、残りの14.02mは「順位を決める場所」ですので、10台目を越える前から準備が必要なことは言うまでもありません。
 大切なことは「10台目を越える時の順位では無く」、「10台目を越える時のスピード」なのでしょう。
 たとえ10台目を越える時に30cm遅れていた(30cmは110パーでは大差です)としても、加速しながら越えることが出来れば、残る14m余で逆転することは十分に可能です。(多くのレースでこうした逆転が現出します)

 もちろん、10台目で加速するための準備は、7台目くらいから、あるいはランナーによっては5台目くらいから行われるものだと思います。
 「ハードル間の3歩」の位置が、1台目から2台目と、8台目から9台目では違ってくるのでしょう。「次のハードルに向かう3歩目の位置」によって、ハードルを越える際のスピードが決まって来るからです。
 そうすると、各ハードル間の「3歩」は、ハードル毎に1~2cm位ずつ異なることになります。
 ひとつのレースの全ての一歩一歩の位置、自らにとってベストの位置を決め、それを実行できるレベルになって初めて、オリンピックの決勝という舞台に立つことが出来るのであろうと思います。

 そして、そうした極めて精緻な走りを習得し、国際大会で好成績を残すトップハードラーにして、「ハードルに引っかかったり」「ハードル間で詰まってしまいバランスを崩したり」するのが、オリンピック本番の舞台ということになります。
 世界記録を保持しているハードラーとて、容易なことでは手にすることが出来ないのが「オリンピックチャンピオン」の称号なのです。

 今回もローマ1960から観始めることとしましょう。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 リー・カルホーン選手(アメリカ) 13秒8
・東京1964 ヘイズ・ジョーンズ選手(アメリカ) 13秒6
・メキシコシティ1968 ウィリー・ダベンポート選手(アメリカ) 13秒33
・ミュンヘン1972 ロッド・ミルバーン選手(アメリカ) 13秒24
・モントリオール1976 ギー・ドルー選手(フランス) 13秒30
・モスクワ1980 トーマス・ムンケルト選手(東ドイツ) 13秒39
・ロサンゼルス1984 ロジャー・キングダム選手(アメリカ) 13秒20
・ソウル1988 ロジャー・キングダム選手(アメリカ) 12秒98
・バルセロナ1992 マーク・マッコイ選手(カナダ) 13秒12
・アトランタ1996 アレン・ジョンソン選手(アメリカ) 12秒95
・シドニー2000 アニエル・ガルシア選手(キューバ) 13秒00
・アテネ2004 劉翔選手(中国) 12秒91
・北京2008 ダイロン・ロブレス選手(キューバ) 12秒93
・ロンドン2012 アリエス・メリット選手(アメリカ) 12秒92
・リオデジャネイロ2016 オマール・マクレオド選手(ジャマイカ) 13秒05

 この種目もアメリカ合衆国が強い時期が長く続きました。
 その牙城を破ったのが、モントリオール1976のドルー選手でした。ミュンヘン1972でミルバーン選手に続いて銀メダルを獲得していたドルー選手は、モントリオールで悲願のオリンピックチャンピオンの座に就いたのです。
 ハードルを越えた直後の、ハードル間の「1歩目」のバランスが良く美しい走りのハードラーでした。

 キューバのハードラーも2つの金メダルを獲得しています。実はフランスのドルー選手が優勝した時の銀メダリストが、キューバのアレハンドロ・カサナス選手でした。
 キューバの110パーの歴史・伝統は、シドニー2000において突然登場したものでは無いのでしょう。

 この15大会での連覇は、ロジャー・キングダム選手ひとりです。ロス1984とソウル1988を連覇しました。
 そしてオリンピック決勝で初めて「13秒の壁」を破ってくれたのです。

 男子100m競走の「10秒の壁」に相当する、110mハードルの「13秒の壁」は、その厚さであれば100mを凌ぐでしょう。
 現在でも「13秒の壁」を突破するハードラーはなかなか現れませんし、オリンピックの決勝で12秒台を観るのは、とてもレアなのです。

 頭書のように、極めて精巧・精緻な競技ですから、「最高の舞台でベストプレー」を披露するのは、滅多な事では出来ません。
 大袈裟に言えば「全ての要素が上手く行って初めて」生まれるタイムなのでしょう。

 技術、体力、筋力、精神力、等々の全てを競い合う種目「110パー」は、本当に面白い種目ですし、録画を何度観返しても新しい発見があるスポーツなのです。
 温故知新2020陸上競技編その9です。

 今回は男子200m競走を観て行きたいと思います。
 男子200mは、1900年の近代オリンピック第2回パリ大会から実施されています。
 第1回アテネ1896から行われている100m競走に続いて、短距離種目として行われるようになったのです。

 100mと200mの違いは、「距離が2倍」であることと「コーナーの走りがある」ことの2点でしょう。
 どちらも、とても大切な要素です。

 今回もローマ1960から始めます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 リビオ・ベルッティ選手(イタリア) 20秒5
・東京1964 ヘンリー・カー選手(アメリカ) 20秒3
・メキシコシティ1968 トミー・スミス選手(アメリカ) 19秒83
・ミュンヘン1972 ワレリー・ボルゾフ選手(ソビエト) 20秒00
・モントリオール1976 ドン・クォーリー選手(ジャマイカ) 20秒22
・モスクワ1980 ピエトロ・メンネア選手(イタリア) 20秒19
・ロサンゼルス1984 カール・ルイス選手(アメリカ) 19秒80
・ソウル1988 ジョー・デローチ選手(アメリカ) 19秒75
・バルセロナ1992 マイク・マーシュ選手(アメリカ) 20秒01
・アトランタ1996 マイケル・ジョンソン選手(アメリカ) 19秒32
・シドニー2000 コンスタンティノス・ケンテリス選手(ギリシャ) 20秒09
・アテネ2004 ショーン・クロフォード選手(アメリカ) 19秒79
・北京2008 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 19秒30
・ロンドン2012 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 19秒32
・リオデジャネイロ2016 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 19秒78

 まず眼につくのは、イタリア人ランナーの活躍でしょうか。
 ベルッティ選手とメンネア選手が金メダルを獲得しています。
 どの種目にも、超強豪選手が居ない「空白の時期」があると言われますが、この2名のイタリア人スプリンターについては、その指摘は当たらないでしょう。
 特にメンネア選手は、当時の世界記録19秒72を保持する、世界最高の200mランナーでした。
 この1979年に叩き出した「19秒72」は、1996年のアトランタオリンピックにおいてマイケル・ジョンソン選手に破られるまで世界記録の地位を守りましたし、「現在でもヨーロッパ記録」として残っています。
 40年以上に渡って欧州一という凄い記録なのです。

 シドニー2000の金メダリスト、ギリシャのケンテリス選手も含めて、アドリア海には「男子200m競走の神」が居るのかもしれません。

 続いて20世紀の後半では、アメリカの強さが際立ちます。
 東京1964のヘンリー・カー選手、メキシコシティ1968のトミー・スミス選手に始まり、ロス1984~アトランタ1996までの4連勝もあります。
 カール・ルイス選手やマイケル・ジョンソン選手といった、「世界陸上史」に燦然と輝くアスリートも並びますが、私が最も素晴らしい200mランナーと感じているのは、メキシコシティ1968のトミー・スミス選手です。

 その走りが素晴らしい。

 前傾姿勢から力強く上がる太腿、軽やかに加速するコーナリングと、スピードが落ちない直線の走りは、これまで観てきたオリンピックの男子200m競走の中で、最も美しいものだと思います。
 大袈裟に言えば「ザ・200m」なのです。

 19秒83という、驚異的な世界新記録での優勝でした。
 このスミス選手の記録を11年振りに破ったのが、前述のメンネア選手なのです。

 さて、アトランタ1996においてマイケル・ジョンソン選手は19秒32という、これまた驚異的な世界新記録を打ち立てました。400mのスペシャリストと見られていたジョンソン選手による超ハイパフォーマンスでした。
 ジョンソン選手は「このラン」で脚を痛め、リレーには出場できませんでした。「時空を超えた記録」は、アスリートの体に想像以上の負担を強いるものなのでしょう。

 この記録は「100年間は破られない」と言われましたが、これが北京2008のウサイン・ボルト選手の19秒30によって更新されるのですから、驚かされるばかりです。
 ボルト選手は、ロンドン2012においても19秒32で優勝しています。

 男子200m競走においては、マイケル・ジョンソン選手とウサイン・ボルト選手の2名だけが、「19秒30台そこそこ」という、他の選手達が未踏の領域、別次元のレベルに到達しているということになります。
 この領域に到達する「3人目のスプリンター」は、誰なのでしょうか。

 温故知新2020の陸上競技編その8です。

 その7・女子円盤投げの稿でも書きましたが、円盤投げは「歴史と伝統」を誇る種目であり、第一回近代オリンピック・アテネ大会1986から正式種目となっています。

 男子の円盤の重さは2kgで女子の倍です。

 今回もローマ1960をスタートとしようと思いましたが、この種目に限って1956年のメルボルン大会から始めます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・メルボルン1956 アル・オーター選手(アメリカ) 56m36cm
・ローマ1960 アル・オーター選手(アメリカ) 59m18cm
・東京1964 アル・オーター選手(アメリカ) 61m00cm
・メキシコシティ1968 アル・オーター選手(アメリカ) 64m78cm
・ミュンヘン1972 ルビドク・ダネク選手(チェコスロバキア) 64m40cm
・モントリオール1976 マック・ウィルキンズ選手(アメリカ) 67m50cm
・モスクワ1980 ビクトル・ラシチュプキン選手(ソビエト) 66m64cm
・ロサンゼルス1984 ロルフ・ダンネベルク選手(西ドイツ) 66m60cm
・ソウル1988 ユルゲン・シュルト選手(東ドイツ) 68m82cm
・バルセロナ1992 ロマス・ウバルタス選手(リトアニア) 65m12cm
・アトランタ1996 ラルス・リーデル選手(ドイツ) 69m40cm
・シドニー2000 ウィルギリウス・アレクナ選手(リトアニア) 69m30cm
・アテネ2004 ウィルギリウス・アレクナ選手(リトアニア) 69m89cm
・北京2008 ゲルド・カンテル選手(エストニア) 68m82cm
・ロンドン2012 ロベルト・ハルティング選手(ドイツ) 68m27cm
・リオデジャネイロ2016 クリストフ・ハルティング選手(ドイツ) 68m37cm

 このシリーズで本稿のみメルボルン1956から始めた理由は、アメリカのアル・オーター選手がメルボルン1956~メキシコシティ1968まで「4連覇」という偉業を成し遂げているからです。
 素晴らしい記録です。

 オリンピックで1度優勝するのも至難の業であることは自明です。
 「連覇」となれば驚異的ですが、それが「4連覇」となると、世界スポーツ史上屈指のアスリートということになります。
 全ての競技・種目を通じてオリンピック4連覇を果たしているのは、アル・オーター選手、陸上男子走り幅跳びのカール・ルイス選手、競泳男子200m個人メドレーのマイケル・フェルプス選手、ヨット男子ファイアフライ級・フィン級のポール・エルブストロム選手、ヨット男子セーリング・レーザー級・フィン級のベン・エインズリー選手、そして女子レスリングの伊調馨選手の6名だけなのです。

 この6名のアスリートが、世界スポーツ史上に輝くスーパープレーヤーであることは間違いありませんし、女子で唯一の伊調馨選手の偉大さを改めて感じます。

 さて、話を戻します。

 アル・オーター選手の4連覇については、その4大会において「記録を伸ばし続けた」ところも、特筆されるべき点でしょう。
 1962年の「史上初の200フィート(60m96cm)越え」を始めとして世界記録を4度更新しています。そのキャリアにおいて、男子円盤投げ界をリードし続けたのです。
 その飽くなき研究心は、アスリートの鑑でしょう。

 また、それぞれの大会前、アル・オーター選手は必ずしも優勝候補では無かったとも伝えられています。どの大会にも、オーター選手以外に有力なプレーヤーが存在したのです。
 ところがオリンピックが終わってみれば、いつもオーター選手が金メダルを獲得したのです。
 その「勝負強さ」「不屈の闘志」は比類無きものなのでしょう。
 メルボルン1956、ローマ1960、東京1964、メキシコシティ1968、それぞれの大会は、気象条件や試合展開など、それぞれの環境の中で戦いが行われた筈ですが、そうした千差万別の流れの中で、アル・オーター選手は戦い抜き、勝利を手にしています。
 
 アル・オーター選手が、オリンピックにおける史上最高の男子円盤投げプレーヤーであることは、間違いなさそうです。

 この種目の世界記録は、1986年にユルゲン・シュルト選手(東ドイツ)がマークした74m08cmです。
 この記録に続く歴代2位の記録を保持しているのが、シドニー2000とアテネ2004を連覇したウィルギリウス・アレクナ選手です。
 アル・オーター選手に続いての「連覇」を成し遂げたアレクナ選手も、やはり素晴らしい選手なのです。

 そして歴代3位の73m38cmの記録を保持しているのが、北京2008の金メダリストであるゲルド・カンテル選手なのです。

 1986年以来、男子円盤投げの30年以上の歴史において、節目である「70m越え」を成し遂げているプレーヤーは他にも10名以上います。
 最近ならば、2019年にダニエル・スタール選手(スウェーデン)が71m86cmを記録しています。

 しかし、オリンピックの舞台においては「70mスロアー」はいまだに現れていません。
 不思議なほどに68mから69m台で決着しているのです。
 極めてデリケートな種目であり、大舞台で自己ベストを叩き出すことが極めて難しいことを示している、事実なのでしょう。

 東京2021においては「70mスロー」を観てみたいものだと思います。

 温故知新2020の陸上競技編その7です。

 円盤投げは、古代オリンピックでも実施されていたと言われている、人類にとって最もベーシックな競技のひとつです。
 古来から「円盤」を投げることが人類において一般的であったのかどうかは分かりませんが、ネアンデルタール人の遺跡においても円盤型の石が残されているとなると、狩りに使用していた可能性もあるのでしょう。

 近代オリンピック女子陸上競技においても、女子の種目として最も早く始められました。
 女子の円盤は1㎏です。

 高校時代に円盤投げを遊びで行っていた経験からすると、投げ出す瞬間の円盤の角度や、体の回転速度といった諸要素がぴったりと合うと、予想以上に飛びます。
 一方で、昨日はあんなに飛んだのに今日は全然上手く行かない、ということもありました。
 素人の遊びのことですが、おそらくは「とてもデリケートな競技」なのでしょう。

 世界トップクラスのプレーヤーとなれば、そうした諸要素も良く管理できているとは思いますが、試合毎に僅かに違う、発射角度が0.5度違うとか、体の回転軸が1度違うとか、回転速度が少し早い・遅いといった違いから、結果が50cm、1m異なるということも、十分に考えられます。

 さて、今回もローマオリンピック1960からスタートします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ニーナ・ポノマリョワ選手(ソビエト) 55m10cm
・東京1964 タマラ・プレス選手(ソビエト) 57m27cm
・メキシコシティ1968 リア・マノリウ選手(ルーマニア) 58m28cm
・ミュンヘン1972 ファイナ・メルニク選手(ソビエト) 66m62cm
・モントリオール1976 エベリン・ヤール選手(東ドイツ) 69m00cm
・モスクワ1980 エベリン・ヤール選手(東ドイツ) 69m96cm
・ロサンゼルス1984 リア・スタルマン選手(オランダ) 65m36cm
・ソウル1988 マルティナ・ヘルマン選手(東ドイツ) 72m30cm
・バルセロナ1992 マリツァ・マルテン選手(キューバ) 70m06cm
・アトランタ1996 イルケ・ヴィルダ選手(ドイツ) 69m66cm
・シドニー2000 エレーナ・ズベレワ選手(ベラルーシ) 68m40cm
・アテネ2004 ナタリア・サドワ選手(ロシア) 67m02cm
・北京2008 ステファニー・ブラウン・トラフトン選手(アメリカ) 64m74cm
・ロンドン2012 サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア) 69m11cm
・リオデジャネイロ2016 サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア) 69m21cm

 投擲種目全般について、東欧諸国が強いのは昔から言われていることですが、特に女子円盤投げについては、その強さが目立ちます。
 色々な要素が考えられますが、直近のオリンピックにおいても強いのですから、やはり「伝統」と観るのが良さそうです。

 この15回の大会において、連覇を果たしている選手が2名います。
 モントリオールとモスクワを制したエベリン・ヤール選手とロンドンとリオを制したサンドラ・ペルコビッチ選手です。
 そして、この両選手の優勝記録は全て69m台なのです。
 もちろん偶然なのでしょうが、高いレベルで安定した投擲を魅せてくれたということになります。
 
 記録の推移を観れば、メキシコシティ1968とミュンヘン1972の比較において、8m以上記録が伸びています。
 そして、ソウル1988で70mを突破しました。
 現在の世界記録も1988年にガブリエレ・ラインシュ選手(東ドイツ)が出した76m80cmですから、この頃、女子円盤投げの記録がひとつのピークを迎えたことになります。

 その後は記録が落ち着き?、21世紀の大会においては、概ね65mから70mの間で、金メダルが争われている形でしょう。

 東京2021大会において「70m越え」の投擲が観られるかどうか、とても楽しみです。

 温故知新2020の陸上競技編その6です。

 今回は男子砲丸投げ種目です。
 男子砲丸投げは、1896年の第1回近代オリンピック・アテネ大会から行われている種目であり、重さ16ポンド(7.260kg-とてつもなく重い)の鉄球を、7フィート(2.135m)の円内から投げた距離を競うという、とてもシンブルな競技です。
 そのシンプルさ、「重いものを遠くに投げる」という人間が競い合いたくなる競技内容に、歴史と伝統を感じますし、この競技を極めることの難易度の高さも感じます。

 今回も1960年のローマオリンピックから観て行きます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ビル・ニーダー選手(アメリカ) 19m68cm
・東京1964 ダラス・ロング選手(アメリカ) 20m33cm
・メキシコシティ1968 ランディ・トマソン選手(アメリカ) 20m54cm
・ミュンヘン1972 ウラディスラフ・コマル選手(ポーランド) 21m18cm
・モントリオール1976 ウド・バイヤー選手(東ドイツ) 21m05cm
・モスクワ1980 ウラジミル・キセリョフ選手(ソビエト) 21m35cm
・ロサンゼルス1984 アレッサンドロ・アンドレイ選手(イタリア) 21m26cm
・ソウル1988 ウルフ・ティンマーマン選手(東ドイツ) 22m47cm
・バルセロナ1992 マイク・スタルス選手(アメリカ) 21m70cm
・アトランタ1996 ランディ・バーンズ選手(アメリカ) 21m62cm
・シドニー2000 アルシ・ハリュ選手(フィンランド) 21m29cm
・アテネ2004 アダム・ネルソン選手(アメリカ) 21m16cm
・北京2008 トマシュ・マエフスキ選手(ポーランド) 21m51cm
・ロンドン2012 トマシュ・マエフスキ選手(ポーランド) 21m89cm
・リオデジャネイロ2016 ライアン・クラウザー選手(アメリカ) 22m52cm

 国別に観ると、アメリカ合衆国が強い種目です。
 第2次世界大戦後のロンドン1948~メキシコシティ1968まで6大会連続でアメリカ選手が優勝していましたから、近時は他国の選手も互角に戦えるようになったと言っても良いかもしれません。

 何しろ、極めてシンプルで歴史と伝統に裏打ちされた種目ですから、記録もおいそれとは伸びません。
 また、腕力で投げる種目では無く、主に下半身のパワーを鉄球に乗せて勝負しますから、とても繊細なバランスが必要な競技ですので、試合毎に各選手には微妙なズレが生じます。結果として、自己ベスト記録の通りに勝敗が決することは、稀です。

 ちなみに、砲丸投げの選手の脚は「とても速い」ことが多いと思います。
 100m走で11秒を切る選手も、珍しくは無いでしょう。
 そうした「俊敏でパワー十分な下半身」が、砲丸投げには不可欠なのです。

 身長2mを越える体躯を備え、精密機械の様なメカニズムをバランスを取りながら動かしていく(現在では主に、回転投法とオブライエン投法の2種類があります)ことが必要な競技ですから、オリンピック連覇は至難の技で、この15回の大会の中でも、トマシュ・マエフスキ選手が唯一達成しています。
 マエフスキ選手は、自己ベストが21m95cmと、ライバル達とは異なって22mを越える投擲をしたことは無いのですが、オリンピックという4年に一度の舞台で、自らの力を最大限発揮する能力に優れていると観るべきなのでしょう。

 21世紀に入ってからは、なかなかオリンピックの舞台で「22m越え」の試技を観ることが出来ませんでしたが、リオ2016でライアン・クラウザー選手がオリンピック新記録の投擲を魅せてくれました。

 東京2021では「23m越え」の投擲を期待されるところです。

 温故知新2020の陸上競技編その5です。

 今回は、女子走り高跳びのオリンピック金メダリストを観て行きましょう。
 女子走り高跳びは1928年アムステルダム大会から実施されています。女子100m競走種目などと共に、女子種目の中で最も早くオリンピックで実施されるようになった「歴史と伝統」を誇る種目なのです。(200m競走がロンドン1948から、400m競走は東京1964から、走り幅跳びはロンドン1948、から開始されています)

 今回もローマ1960から観て行きます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ヨランダ・バラッシュ選手(ルーマニア) 1m85cm
・東京1964 ヨランダ・バラッシュ選手(ルーマニア) 1m90cm
・メキシコシティ1968 ミロスラバ・レスコバ選手(チェコスロバキア) 1m82cm
・ミュンヘン1972 ウルリケ・マイフェルト選手(西ドイツ) 1m92cm
・モントリオール1976 ローズマリー・アッカーマン(東ドイツ) 1m93cm
・モスクワ1980 サラ・シメオニ選手(イタリア) 1m97cm
・ロサンゼルス1984 ウルリケ・マイファルト選手(西ドイツ) 2m02cm
・ソウル1988 ルイス・リッター選手(アメリカ) 2m03cm
・バルセロナ1992 ハイケ・ヘンケル選手(ドイツ) 2m02cm
・アトランタ1996 ステフカ・コスタディノヴァ選手(ブルガリア) 2m05cm
・シドニー2000 エレーナ・エレシナ選手(ロシア) 2m01cm
・アテネ2004 エレーナ・スレサレンコ選手(ロシア) 2m06cm
・北京2008 ティア・エルボー選手(ベルギー) 2m05cm
・ロンドン2012 アンナ・チチェロワ選手(ロシア) 2m05cm
・リオデジャネイロ2016 ルート・ベイティア選手(スペイン) 1m97cm

 男女を問わず、走り高跳びが非常にデリケートな競技であることは、衆目の一致するところです。
 自己ベスト記録がいかに高くとも、オリンピックの決勝の場で、その力を発揮できるかどうかが鍵となるのです。大きなプレッシャーの中で、長時間にわたる競技を続け、跳んだ本数や自身の体調・筋力等を管理して、他の選手の競技結果も十分に考慮しながら、試技を重ね、栄光を手にするのは容易なことではありません。

 従って、「連覇」の難しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
 この15回の大会で連覇を成し遂げているのは、ローマ1960と東京1964を制したヨランダ・バラッシュ選手唯一人です。
 バラッシュ選手は、おそらくは「史上最強の女性ジャンパー」でしょう。

 まだ、背面飛びの無い時代に、正面飛びで1957年から1967年にかけて「150連勝」を記録し、175cmから195cmまで14回、世界記録を更新しています。
 デリケートな種目における安定した強さは、比類無きものでしょう。
 1961年に樹立した1m91cmの世界記録は、10年間の長寿を誇りました。
 理論的に優れている、新しい跳躍方法が生み出されてくる時期のことですから、驚異的な10年間でしょう。

 もうひとり、オリンピックを2度制覇したジャンパーが居ます。
 ミュンヘン1972とロサンゼルス1984を制したウルリケ・マイフェルト選手です。
 16歳でミュンヘンのチャンピオンになったことも驚きですが、12年後の28歳の時ロス1984で再び王座に就いた、しかも10cmも記録を伸ばして。マイフェルト選手の選手寿命の長さと勝負強さを示しています。

 このマイフェルト選手の最年長優勝記録を破ったのは、アトランタ1996のコスタディノヴァ選手でした。31歳での金メダル獲得でした。
 コスタディノヴァ選手も1980年代から90年代にかけて、女子走り高跳び界を席巻したジャンパーですが、こうして観てくると、女性トップジャンパーは選手寿命が長い傾向がありそうです。
 極めてデリケート、克服しなければならない要素が沢山ある競技ならではの傾向なのかもしれません。

 「2mジャンパー」は、いつの時代も女子走り高跳び選手にとっての尊称です。

 21世紀になり、2mを越えなければ国際大会での優勝は難しい時代となりましたけれども、リオ2016の優勝記録を観ても、まだまだ「2mの壁」は厚いのです。

 温故知新2020の陸上競技編その4です。

 男子走り幅跳びは、1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会から実施されています。
 「最も遠くに飛ぶ」という、人間の本能が求めている能力を試す種目なのでしょう。

 これまでの記事と同様に1960年ローマ大会から観て行こうと思います。
 金メダリスト、記録の順です。

・ローマ1960 ラルフ・ボストン選手(アメリカ) 8m12cm
・東京1964 リン・デービス選手(イギリス) 8m7cm
・メキシコシティ1968 ボブ・ビーモン選手(アメリカ) 8m90cm
・ミュンヘン1972 ランディ・ウィリアムズ選手(アメリカ) 8m24cm
・モントリオール1976 アーニー・ロビンソン選手(アメリカ) 8m35cm
・モスクワ1980 ルッツ・ドンブロウスキー選手(東ドイツ) 8m54cm
・ロサンゼルス1984 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m54cm
・ソウル1988 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m72cm
・バルセロナ1992 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m67cm
・アトランタ1996 カール・ルイス選手(アメリカ) 8m50cm
・シドニー2000 イバン・ペドロソ選手(キューバ) 8m55cm
・アテネ2004 ドワイト・フィリップス選手(アメリカ) 8m59cm
・北京2008 イルビング・サラディノ選手(パナマ) 8m34cm
・ロンドン2012 グレッグ・ラザフォード選手(イギリス) 8m31cm
・リオデジャネイロ2016 ジェフ・ヘンダーソン選手(アメリカ) 8m38cm

 ひと目見て、アメリカ合衆国が強いことが分かります。
 アメリカにとって、伝統の種目ということです。

 続いては、ロス1984~アトランタ1996のカール・ルイス選手の4連覇が凄い。
 ルイス選手といえば、100m競走でも連覇を達成していますが、やはり走り幅跳びが「本職」なのでしょう。
 連覇さえ至難の技であるオリンピックにおいて、「4連覇」というのは信じられないような大記録です。
 こうした記録を示現するためには、世界最高水準の競技能力を長く維持することが必要なことは勿論として、個々の試合における「試合運びの上手さ」が肝要でしょう。
 予選と決勝で各3度・計6度の試技を行う訳ですが、自らの体調や筋肉の様子を都度把握しながら、疲労の蓄積度合いを調整して行くとともに、踏切を合わせて行ったり、他の選手の記録を観ながら「勝負をかける跳躍」を決めて挑んだり、自らの試技時間中に可能な限り「追風」のタイミングを図る、等々、沢山の要素を十分に把握しコントロールする力が求められます。
 こうしたクレバーな試合運びを4大会に渡り継続し、勝利に結びつけるというのは、まさに「ミスター・ロングジャンプ」と称するに相応しいアスリートなのです。
 ここまでのオリンピック史上「最高のロングジャンパー」であることは、言うまでもないことです。
 
 私は、カール・ルイス選手のメカニカルな跳躍がとても好きです。
 素晴らしい加速の助走(世界一のスプリンターですから当然のことですが)から、踏切手前の3歩で沈み込みます。何とも言えない味のある沈み込みで、5cm位は重心を落としているのではないかと思います。
 踏み切りは、決して上方向では無く、走り抜ける形に近いでしょう。
 低い飛びが始まり、両手両足を大きく動かします。長い手足がバランス良く、おおらかに、しかし全く無駄なく動くのです。
 そして、ギリギリのタイミングで着地します。
 完成度の高いシザースジャンプ。
 空中を最速で走り抜けるようなはさみ飛びですが、だからと言って多くのジャンパーが真似できるというものでもありません。圧倒的な走力とバネをキッチリと纏め上げることは、ルイス選手にしか出来ないものなのでしょう。

 さらには、種目全体として記録がやや落ち気味であると感じます。
 男子走り幅跳びにおいては「8mジャンパー」が、いつの時代も尊称です。
 ローマ1960、東京1964の頃は、8mを越えればメダル争いが出来ました。

 そしてメキシコシティ1968に伝説のジャンプが生まれました。ビーモン選手の8m90cmというミラクルなジャンプ。もちろん驚異的な世界新記録でしたが、メキシコシティの空気が薄かったことが一因などと、言われ続けました。(私は、この要因はあまり関係が無いと考えています。そうした要因で数10cmも記録が伸びるとは思われないからです)
 この大会で2位だったクラウス・ビヤー選手(東ドイツ)が8m19cmだったことを考え合わせても、ビーモン選手の跳躍は、すべての要素がマッチした、凄まじいものだったのです。
 砂場の横に居た係員の頭の上を飛ぶ映像が残されています。とても高さのあるジャンプでした。
 この記録が長く世界記録として残ったことは、自然なことでしょう。

 この超絶記録の後も、「8m30cm」というひとつの目安を巡っての金メダル争いが続き、モスクワ1980においてドンブロウスキー選手が8m50cm越えを記録した頃から、「8m50cm」が金メダル争いの指標となりました。
 カール・ルイス選手の4連覇の時代には、8m50cmが金メダルの条件となったのです。

 特にバルセロナ1988においては、ルイス選手とマイク・パウエル選手の激しいライバル対決が観られ、ルイス選手が8m67cm、パウエル選手が8m64cmの3cm差決着という、8m50cmを大きく超えるレベルでの戦いが繰り広げられました。(パウエル選手は、世界選手権・東京1991において8m95cmという世界新記録、ビーモン選手の超絶記録を塗り替える跳躍を魅せてくれました)

 カール・ルイス選手を中心とした「8m50cm」を越えるレベルでの金メダル争いは、アテネ2004まで続きましたが、その後は「8m30cm」を巡る戦いに戻ってしまいました。
 この「20cm下降」の原因は、私には分かりませんけれども、必ず要因がある筈です。
 世界中のトップアスリートが努力を続けている中で、同一種目の記録が大きく下がったまま、というのは、有り得ないことだと考えています。

 いずれにしても、オリンピックにおける男子走り幅跳びは「8m30cm」、1970年代の記録水準になっているように観えます。
 東京2021において、どのような記録が叩き出されるのか、とても注目されるところでしょう。

 温故知新2020の陸上競技編その3です。

 今回は長距離種目、男子10,000m競走です。
 トラック種目最長の種目ですが、オリンピックにおいては1912年のストックホルム大会から、5000m種目と共に実施されるようになりました。

 本稿においては、その1・2と同様に、1960年ローマ大会から観て行くことにします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ピョートル・ボロト二コフ選手(ソビエト) 28分32秒2
・東京1964 ビリー・ミルズ選手(アメリカ) 28分24秒4
・メキシコシティ1968 ナフタリ・テル選手(ケニア) 29分27秒4
・ミュンヘン1972 ラッセ・ビレン選手(フィンランド) 27分32秒40
・モントリオール1976 ラッセ・ビレン選手(フィンランド) 27分40秒38
・モスクワ1980 ミルツ・イフター選手(エチオピア) 27分42秒69
・ロサンゼルス1984 アルベルト・コバ選手(イタリア) 27分47秒54
・ソウル1988 ブラヒム・ブタイブ選手(モロッコ) 27分21秒46
・バルセロナ1992 ハリド・スカー選手(モロッコ) 27分46秒70
・アトランタ1996 ハイレ・ゲブレセラシエ選手(エチオピア) 27分07秒34
・シドニー2000 ハイレ・ゲブレセラシエ選手(エチオピア) 27分18秒20
・アテネ2004 ケネニサ・ベケレ選手(エチオピア) 27分05秒10
・北京2008 ケネニサ・ベケレ選手(エチオピア) 27分01秒17
・ロンドン2012 モハメド・ファラー選手(イギリス) 27分32秒42
・リオデジャネイロ2016 モハメド・ファラー選手(イギリス) 27分05秒17

 男子10,000m競走は、前稿の1,500m競走と同じように「駆け引き」があります。
 従って、オリンピックの決勝において必ずしも好タイムが出るものでは無いのですが、1,500m競走と比べれば、良いタイムが出ています。

 ミュンヘン1972のビレン選手は、当時の世界新記録を樹立して優勝していますし、ゲブレセラシエ選手やベケレ選手も大会新記録で金メダルを獲得しています。
 これは「駆け引き」をしていても、高いレベルでの競り合いが続くレース展開となることが多く、結果として好記録が出るという形なのでしょう。

 また、他の種目と比べて「連覇が多い」ことも、目立ちます。
 この15大会において、ビレン選手、ゲブレセラシエ選手、ベケレ選手、ファラー選手の4名のランナーが連覇を達成しています。
 更に、エミール・ザトペック選手(チェコスロバキア)がロンドン1948とヘルシンキ1952を連覇していますから、史上に5名の「連覇プレーヤー」が存在することになります。
 男子10,000m種目の特徴のひとつでしょう。

 ひとりの強力なランナーが登場すると「5~6年は非常に強い」と考えられます。
 これは、スピードと共に勝負強さをも兼ね備えた強さということになるのです。

 オリンピックの男子10,000m競走について観れば、「次の連覇ランナーは誰か?」ということになるのかもしれません。

 温故知新2020の陸上競技編その2です。

 今回は、ヨーロッパで人気がある種目・男子1,500m競走のオリンピック金メダリストの記録を観て行こうと思います。

 100mの時と同様に、ローマオリンピック1960からスタートします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ハーブ・エリオット選手(オーストラリア) 3分35秒6
・東京1964 ピーター・スネル選手(ニュージーランド) 3分38秒1
・メキシコシティ1968 キプチョゲ・ケイノ選手(ケニア) 3分34秒91
・ミュンヘン1972 ペッカ・バサラ選手(フィンランド) 3分36秒3
・モントリオール1976 ジョン・ウォーカー選手(ニュージーランド) 3分39秒17
・モスクワ1980 セバスチャン・コー選手(イギリス) 3分38秒40
・ロサンゼルス1984 セバスチャン・コー選手(イギリス) 3分32秒53
・ソウル1988 ピーター・ロノ選手(ケニア) 3分35秒96
・バルセロナ1992 フェルミン・カチョ選手(スペイン) 3分40秒12
・アトランタ1996 ヌールディン・モルセリ選手(アルジェリア) 3分35秒78
・シドニー2000 ノア・ヌゲニ選手(ケニア) 3分32秒07
・アテネ2004 ヒシャム・エルゲルージ選手(モロッコ) 3分34秒18
・北京2008 アスベル・キプロプ選手(ケニア) 3分33秒11
・ロンドン2012 タウフィク・マフロフィ選手(アルジェリア) 3分34秒08
・リオデジャネイロ2016 マシュー・セントロウィッツ・ジュニア(アメリカ) 3分50秒00

 直近のリオ大会のタイムが、この15回の大会の中で最も遅くなっています。
 その1の100m競走とは異なり、1,500mは時代を追って必ずしもタイムが良くなっているわけでは無い(もちろん世界記録は向上していますが)、レース毎の駆け引きや「格闘技」と呼ばれる競り合いなどの関係で、オリンピックの決勝レースにおいても、大会ごとに千差万別のタイムとなるのです。
 それが「1,500m競走の魅力」のひとつなのでしょう。
 1,500mレースにおいては、タイムはまさに「結果」なのです。

 どんな競技・種目においても「オリンピック連覇」は至難の業ですが、男子1,500mにおいても同様で、この間の連覇は、モスクワとロサンゼルス両大会におけるセバスチャン・コー選手(現、国際陸上競技連盟IAAF会長)しか居ません。
 最速タイムもロス1984でのコー選手の3分32秒53です。
 この間の「最も偉大な中距離ランナー」と言って良いでしょう。

 コー選手の展開に合わせた巧みなレース運びと、ゴール前の粘り強い走りは、どのレースにおいても際立っていました。

 メキシコシティ大会の王者は、キプチョゲ・ケイノ選手ですが、21世紀になって中長距離種目でよく聞くケニアの名前ですけれども、ケニア人ランナーの活躍は決して21世紀になってからのものでは無いことが分かります。ケイノ選手は、現在の中長距離界におけるアフリカ選手の礎となったランナーなのです。
 
 国別では、ローマ1960~モントリオール1976にかけてのニュージーランドとオーストラリアのランナーの活躍が目立ちます。英連邦の国々ですから1,500m種目に対する国内の人気が高いことは分かりますけれども、当時は世界を牽引する存在だったのです。

 また、フィンランドのペッカ・バサラ選手がミュンヘン1972を制していますが、この大会の男子中長距離種目ではフィンランドチームが強さを魅せていて、5,000mと10,000mではラッセ・ビレン選手が優勝しています。もともと長距離種目の伝統を誇るフィンランドに、中距離の名ランナーも現れたという形でしょう。

 オリンピックの各競技・各種目において強さを魅せるアメリカ代表ですが、この期間のこの種目では、リオ2016においてようやくマシュー・セントロウィッツ・ジュニア選手が金メダルを獲得しました。(ちなみにこのレースの2着はタウフィク・マフロティ選手=ロンドン2012の金メダリストでした。マフロティ選手は惜しくも「連覇」を逃したのです)

 スポーツ大国アメリカにとっての苦手種目であった陸上競技中距離においても、強化が進んでいるのでしょう。

 温故知新2020の陸上競技編です。

 今回は、男子100m競走のオリンピック金メダリストの記録を観て行きましょう。

 私の記憶にある最初の大会、ローマオリンピック1960をスタートにします。
 記載は、金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 アルミン・ハリー選手(東西統一ドイツ) 10秒2
・東京1964 ボブ・ヘイズ選手(アメリカ) 10秒0
・メキシコシティ1968 ジム・ハインズ選手(アメリカ) 9秒95
・ミュンヘン1972 ワレリー・ボルゾフ選手(ソビエト) 10秒14
・モントリオール1976 ヘイズリー・クロフォード選手(トリニダードトバゴ) 10秒06
・モスクワ1980 アラン・ウェルズ選手(イギリス) 10秒25
・ロサンゼルス1984 カール・ルイス選手(アメリカ) 9秒99
・ソウル1988 カール・ルイス選手(アメリカ) 9秒92
・バルセロナ1992 リンフォード・クリスティ選手(イギリス) 9秒96
・アトランタ1996 ドノバン・ベイリー選手(カナダ) 9秒84
・シドニー2000 モーリス・グリーン選手(アメリカ) 9秒87
・アテネ2004 ジャスティン・ガトリン選手(アメリカ) 9秒85
・北京2008 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒69
・ロンドン2012 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒63
・リオデジャネイロ2016 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒81

 改めて過去15大会の男子100mを観ると、興味深いものです。

 「10秒0の壁」を強く叩いたアルミン・ハリー選手とボブ・ヘイズ選手が並び、メキシコシティ1968大会でハインズ選手が初めてこの壁を破りましたが、この後もしばらくの間は、「10秒00の壁」が健在であったことが分かります。
 各地の大会などでは時々9秒台が出てきた時期ですが、オリンピック決勝という世界最高の舞台においては、なかなかこの壁を破ることが出来なかったことが、良く分かるのです。

 こうした「壁」を破るためには「天才」が必要であることも事実で、オリンピック決勝において次に9秒台が観られるのは、ロサンゼルス1984のカール・ルイス選手の登場を待たなければなりませんでした。
 この決勝レースのゴール直後、テレビ放送のアナウンサーが「9秒99、9秒99」と連呼していたのは自然なことなのでしょう。ジム・ハインズ選手の記録は「半分手動」であったとも伝えられていますから、このカール・ルイス選手の走りが、私達が史上初めて眼にした、オリンピック決勝レースにおける、電動掲示による9秒台と言って良いのかもしれません。

 「天才」はオリンピックを連覇します。
 カール・ルイス選手は、ソウル1988でも9秒台で金メダルを獲得したのです。

 世界中の、相当多くの人々が「100m競走」を行ったことが有ると思います。
 全てのスポーツ競技・種目の中で、100m競走は「プレーしたことが有る人の数」という点で屈指のものでしょう。
 陸上競技の中でも、最もメジャーな種目でしょうし、「世界で一番速い」というフレーズは、プレーヤーの気持ちを揺さぶるものです。
 結果として、世界中の「いだてん」が強化に取り組み、日々研鑽を続けていることになりますから、その種目でオリンピックの連続金メダルというのは、尋常なプレーヤーでは実現できないと感じます。

 やはり天才、いや大天才にしか出来ないことなのでしょう。

 その快挙を、オリンピック史上初めて成し遂げたのがカール・ルイス選手なのです。
 大袈裟に言えば、「男子100m競走の歴史を変えた」といっても良いのでしょう。

 カール・ルイス選手後、オリンピック決勝においても9秒台が当たり前となり、逆に言えば「9秒台を出さなければメダルは取れない」時代となりました。

 アトランタ1996大会からアテネ2004大会までは、9秒8台で走れるスプリンターの中で、オリンピック決勝にピークを持ってくることが出来た選手が金メダルを獲得していたのでしょう。

 そして2人目の大天才が登場するのです。
 北京2008からロンドン2012を経てリオデジャネイロ2016までの3大会で金メダルを獲得した、ウサイン・ボルト選手です。
 ボルト選手は頭抜けた存在でした。
 ひとりだけ「9秒6の世界」に突入したのです。
 リオ大会における優勝タイム9秒81を観ると、世界トップクラスの水準が、いまだ9秒8前後であることが分かります。
 そうした中で、ボルト選手のみが9秒6前後の世界を知ることが出来たのです。
 本当に素晴らしいことだと感じます。
 「9秒6前後で走った時の体を包み込む感覚」、空間が圧縮される感じや筋肉の動き方、といった事柄を真に知っているのは、いまでも世界中でウサイン・ボルト氏だけなのでしょう。

 今回は、オリンピック男子100m競走の金メダリストを観てきました。
 国別に観ると、アメリカやジャマイカの強さとともに、イギリスが2つの金メダルを獲得しているのが目立ちます。アラン・ウェルズ選手とリンフォード・クリスティ選手ですが、「陸上競技大国」の面目躍如でしょう。

 さて、東京オリンピック2021においては、どのようなシーンが観られるのでしょうか。

 2月16日、神戸市・六甲アイランド・甲南大学周辺コースを舞台に行われた、第103回日本陸上競技選手権大会・20km競歩競技は、東京オリンピック2020代表選考も兼ねた、激しい戦いとなりました。

[男子20km競歩・結果]
1位 山西利和選手 1時間17分36秒
2位 池田向希選手 1時間19分07秒
3位 高橋英輝選手 1時間19分53秒

 この大会5連覇中の高橋選手と、2019年の世界選手権で優勝し、既に東京オリンピック2020の代表に内定している山西選手の争いが予想されたレースでしたが、山西選手が快勝した形です。

 一方で、このレースで審判チームの不手際が有り、高橋選手に不利な形の「誤表示」が行われていたことが判明したのです。

 ご承知のように、競歩競技では、「歩型違反」を3度行うと「2分間のペナルティー(一時待機)」という重い罰則が課せられます。世界トップクラスのレースであれば、この2分間は致命的なものです。

 高橋選手に対しては、4km地点で1枚目の警告、8km付近で2枚目の警告、そして16km付近で3枚目の警告を受けたとホワイトボード(警告表示板)に表記されたのです。
 ところが、一時待機を実施する担当審判は「警告が3枚になったという連絡は受けていない」ということで、一時待機は行いませんでした。
 この段階=16km付近で、「誤表示」が判明したのです。
 審判チームが、慌てて、高橋選手の警告表示を1枚剥がしたと報じられています。

 「8km付近での警告が存在しなかった」のです。

 いったい誰が「8km付近の警告表示=赤いラベル」を貼ったのかは、分かっていません。
 審判チームからは、「伝達ミスや、他の選手の反則を誤って高橋選手の欄に表示したのではない」との報告があるとも伝えられています。
 そうなると、何故このような間違いが生じたのか、これが本当に「誤」表示なのか、「偽」表示では無いのか、といった疑念も生まれてしまいます。

 競歩競技においては、「2枚目の警告を受けると消極的になる」と言われます。
 それは当然のことでしょう。3枚目を貰えば重い罰則が待っているのですから。

 加えて、競技中の選手は「ホワイトボードにより自分が何枚警告を受けているのかを把握する」のです。それ以外に、公式の表示はありません。

 そうなると、高橋選手は8km付近から16km付近まで、約8kmに渡って「警告2枚」という状況下でプレーしたということになります。
 全20kmの内の8kmであることをも考慮すれば、相当に不利な状況でプレーしたと言えそうです。

 「高橋選手を陥れようとした輩」が居るとは考えたくはありませんが、単純なミスであったとすれば、「あってはならないミス」でしょう。
 代表選考レースにおいて、とんでもない話なのです。

 今大会のレギュレーションは、「東京オリンピック2020仕様」で行われたと報じられています。
 そして今大会の審判員9名の内5名が、本番でも審判を務めるとも報じられています。

 選手が「代表内定」を勝ち取ることは、どの競技・種目においても大変なことで、選手の皆さんは「人生を賭けた努力」を積み重ねています。
 そうであれば、各種目の審判員候補の皆さんにも、「審判員人生を賭けた姿勢での取組」をお願い申し上げます。


 世界陸上・ドーハは、2019年秋のビッグイベントでした。
 酷暑の下での女子マラソンの在り様は、東京オリンピック2020にも大きな影響を及ぼしてしまったのです。

 そして、短距離種目にはひとつの「革新」が登場しました。

 MGC2019においては、ピンク色のシューズが話題となりましたが、今大会では「黄色のスパイク」が話題となったのです。

 これは、男子100m競走に出場した桐生祥秀選手が使用したスパイクです。

 何が話題かというと、このスパイクには「ピンが無い」のです。
 それでは、そもそも「スパイク」シューズでは無い、ということにもなりかねませんが、トラックの短距離種目に使用されるシューズをスパイクと呼ぶことにして、ピンの無いスパイクについて考えて行きたいと思います。

 今から50年ほど前は、陸上競技のトラックは、シンダーやアンツーカ、つまり「土」のサーフェイスでしたから、短距離種目では18mmや15mmの金属製の長いピンが付いたスパイクシューズを使用していました。

 滑ることなく、脚の強い力を少しでも多く地面に伝え、前進力に変えるための仕組みだったのです。

 この長いピンは、とても尖っていて、大工道具の錐のような形状でしたから、肌に刺そうものならスーッと深く入ってしまうものでした。その頃の陸上競技場では時折、「スパイクのピンが刺さって」出血しているランナーを見かけたものです。
 従って、使用しない時には、ピンにはカバーをかけていました。

 さらに昔には、革製のスパイクに「ピンが据え付けられていた」のですが、使用すればするほど「ピンが削れて短くなってしまい」ますので、「ピン交換式のスパイク」が開発されて、長い間使用されていたと記憶しています。
 大会の前夜などには、真新しいピンをスパイクシューズの靴底面にスクリュー式に捻じ込んで、準備していたのです。ピンがとても輝いていたことを思い出します。

 ところが、1968年のオリンピック・メキシコシティ大会において、タータントラックと呼ばれるポリウレタン製のトラック(全天候型トラックとも呼ばれました)が登場してから、スパイクも劇的に変化し始めました。

 トラックが「土」から「ポリウレタン」に変わりましたから、長く刺さり易いピンでは、トラックにピンが刺さり抜け難く、ランニングに不向きなことは明らかでした。
 一方で、ポリウレタンのサーフェイスに脚のパワーを無駄なく伝える必要がありましたから、短い金属製のピン、形状も錐のようなものでは無く、ずんぐりとしたピンが付けられました。

 ピンの位置や数も変化しました。
 「土」用の短距離種目スパイクは、4本か6本のケースが多かったと思いますし、それは2列に2本ずつあるいは3本ずつ、脚の裏の左右に並んで配置されていました。
 「ポリウレタン」用は、本数がより多くなり、足裏の淵に近い部分まで、ピンが配置されました。

 そして、このトラックのサーフェイスとスパイクシューズの変化は、当然ながら、ランナーの「走り方」も変えたのです。
 道具の変化に合わせて、プレー内容が変化するのは、全てのスポーツに共通したことですが、陸上競技・短距離種目における変化も、とても大きなものだったのです。

 「土」の時代には、短距離走は大きく脚を跳ね上げて、なるべく「爪先だけを使って走るもの・踵を着けてはならない」とされていたものが、なるべく「歩くのに近い」フォームが良いとされたり、20世紀の後半から21世紀にかけて様々なトライが為されてきました。

 加えて、「より速いトラック」を求めて、全天候型トラックにも様々な変更が為され、ゴムを材質に加えたり、ポリウレタンとの混合や、サーフェイスの「形状・凸凹具合」にも工夫がなされましたから、シューズの形状も、それぞれの舞台、オリンピックや世界選手権の会場にマッチしたスパイクシューズが次々と作られていったと思います。

 そして、ついに、というか、世界選手権2019ドーハ大会に「ピン無し」スパイクが登場したのです。

 桐生選手が使用したスパイクは、アシックス社製の「次世代スプリントシューズ」と報じられていて、桐生選手以外にも、男子400m競走に出場したウォルシュ・ジュリアン選手も使用したとのこと。
 
 靴裏にピンが無く、カーボンファイバー素材のフジツボの様な形状の突起が、複雑に立体的に配置・構成されているシューズなのだそうです。
 
 桐生選手は「地面(全天候型トラック)からの反発を感じやすい」と本年8月から履き始め、今大会まで使用しているとのことです。

 このタイプのスパイクシューズが、短距離種目において今後広がっていくのかどうか注目されるところですが、東京オリンピック2020を前にして、マラソン用シューズと100m用シューズの両方が進化を続けているというのは、とても興味深いことだと感じます。

プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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