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 2015年3月22日に始まった、FIFAワールドカップ2018ロシア大会の、北中米カリブ海予選は、10月10日に最終予選(第5次予選)の最終戦を終えました。

 これにより、北中米カリブ海から本大会に出場する3チームと大陸間プレーオフに進出する1チームが決まりました。

[最終予選順位]
1位 メキシコ 勝ち点21
2位 コスタリカ 同16
3位 パナマ 同13
4位 ホンジュラス 同13
5位 アメリカ 同12
6位 トリニダードトバゴ 同6

 メキシコ、コスタリカ、パナマの3チームが本大会に駒を進めました。
 メキシコチームは安定した戦いを続け、9月1日に、7大会連続16回目のワールドカップ出場を決めました。この地域のサッカーをリードしてきた存在として、さすがの戦い振りでした。

 近時、めきめき力を付けているコスタリカも、大事な試合での勝負強さが光り、2大会連続5回目の出場権を10月7日時点で確保しています。

 混戦となったのは、3位~5位の争いでした。
 3位なら勝ち抜け、4位ならプレーオフ、5位なら予選敗退という、極めて厳しい状況で10月10日の最終戦を迎えたのです。

 この最終戦で、ホンジュラスがメキシコを破りました。
 試合は前半メキシコチームが2-1とリードしました。ところが後半の9分、オチョア選手のオウンゴールでホンジュラスチームが2-2の同点に追いついたのです。
 そして、キオト選手のゴールで3-2とリードし、そのまま押し切りました。
 ホンジュラスチームにとっては「乾坤一擲」の勝利であり、勝ち点を13まで伸ばしたのです。

 パナマチームは前半、コスタリカチームに先制を許しましたが、後半の2ゴールで逆転勝ちを収めました。決勝点は後半43分でした。
 地元の大声援を受けて、パナマイレブンが輝いた瞬間でした。

 そして、「よもや」のこと、当事者から見れば「事件」と呼んでもよい様なことが起きたのです。
 アメリカチームがトリニダードトバゴチームに1-2で敗れたのです。

 今最終予選で、なかなか調子が上がらず、苦しい戦いを続けていたアメリカチームでしたが、さすがに勝ち点を積み上げ、最終戦を勝利すれば本大会に出場できるところまで来ていました。
 最終戦の相手は、最下位のトリニダードトバゴチームでしたから、順当にアメリカが勝つであろうと見ていた方が多かったと思いまする(もちろん、私もそう思っていました)

 いかにアウェイとはいっても、21世紀に入ってのアメリカサッカーの強さは本物と、誰もが感じていたからです。

 前半17分、アメリカのゴンザレス選手がオウンゴールを献上しました。
 結果としては、これが痛恨の失点となり、前半を0-2で折り返すと、後半の反撃も1点止まりで、敗れ去ったのです。

 そして、ホンジュラスがメキシコに勝利し、勝ち点を13に伸ばしていましたので、アメリカはプレーオフへの進出もかなわず、予選敗退となりました。
 ホンジュラスの勝利とアメリカの敗戦に大きな影響を与えたのは、「オウンゴール」でした。

 「自殺点」がこれほどに明暗を分ける要因になった最終予選も、珍しいのではないでしょうか。

 10日の最終戦を前にして、アメリカチームにとっては「まず、有り得ないケース」として認識していたであろう事態が起こりました。
 
 当たり前のことを書いて恐縮ですが、勝負事は何が起こるか分からないのです。

 一方、パナマチームはワールドカップ初出場を決めました。
 世界各地の今回の予選では、アイスランドに続いての「初出場」チームとなります。
 パナマサッカー史に燦然と輝く快挙です。

 ホンジュラスはアジア5位のチーム=オーストラリアとの大陸間プレーオフを戦うこととなりました。
 ケーヒル選手の執念の2ゴールで、辛くもアジア5位の座を確保したオーストラリアチームも死に物狂いの戦いを繰り広げることになるでしょうから、11月6日と14日のホーム&アウェイのプレーオフゲームは「死闘」になりそうです。

 1930年の第1回ワールドカップ・ウルグアイ大会(13チームが参加)で3位であったアメリカチーム、FIFAワールドカップにおいて最も歴史と伝統を誇るチームのひとつであるアメリカ合衆国が、2018年大会の出場を逃しました。

 世界各国のサッカーのレベルが着実に向上していることの、ひとつの証左なのかもしれません。
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 2015年10月に幕を開け、2年あまりに渡って戦いが続いていた、2018年ワールドカップ・ロシア大会の南米予選が、10月10日に最終戦を迎えました。

 今回の南米予選では、1位のブラジル以外の各チームの激しい競り合いが続きました。
 特に注目されたのは、アルゼンチンの戦い振りで、前節・10月5日の第17節を終えて6位と、大陸間プレーオフへの進出さえできないという順位に居たものですから、「アルゼンチンが予選敗退か」と騒がれていたのです。
 当代最高のフォワードのひとりとされるメッシ選手を始めとして、スタープレーヤーが目白押しのアルゼンチンチームが、本大会で見られないかもしれないというのは、世界中のサッカーファンの関心事となったのは、当然のことでしょう。

 加えて、最終戦のエクアドルとの一戦はアウェイであり、高地にあるエクアドル・キトのスタジアムでは、アルゼンチンは勝ったことが無いとの報道が流れて、一層注目が高まりました。

 しかし、さすがはメッシ選手、さすがはアルゼンチンチームです。この「痺れるゲーム」を3-1で勝ち切ったのです。メッシ選手のハットトリックでした。

 この結果、南米予選の上位は、
1位 ブラジル 勝ち点41
2位 ウルグアイ 同31
3位 アルゼンチン 同28
4位 コロンビア 同27
5位 △ペルー 同26
6位 チリ 同26

 となりました。

 1位から4位までが本大会出場を決め、5位のペルーチームが大陸間プレーオフに進出することとなったのです。

 南米選手権を連覇しているチリチームにとっては、「信じられないような結末」であったと思います。最終節でブラジルチームに3-0と完敗して、力尽きた形です。
 非常に完成度の高いチームとして、南米選手権大会を連覇し、コンフェデレーションズカップでもドイツチームと決勝を戦い、準優勝に輝いたチリチームですが、長く戦ってきたペルー史上最強のイレブンからの世代交代が、少し遅れてしまったのかもしれません。

 開始直後のブラジルチームの不調、中盤からのアルゼンチンチームの苦戦と、色々あった今回の南米予選でしたが、結局はブラジル・ウルグアイ・アルゼンチンの南米3強、ワールドカップ優勝経験のある3チームが1~3位を占めて、結果だけを見れば「いたって順当」なものとなりました。

 2018年のロシア大会では、現在の南米サッカーの神髄を、存分に楽しむことが出来そうです。
 2018年のワールドカップ・ロシア大会ヨーロッパ最終予選のグループリーグが、10月10日に最終戦(各チームの第10戦)を終えました。
 これで、A~Iの9グループの1位と2位が確定し、1位の9チームは本大会に進出、2位の9チームの勝ち点上位8チームがプレーオフに進出し、ホーム&アウェイ方式で戦って勝利した4チームが、本大会に出場することとなります。

 さて、各組の上位を見てみましょう。

[A組]
1位 フランス 勝ち点23
2位 スウェーデン 同19
3位 オランダ 同19

[B組]
1位 ポルトガル 同27
2位 スイス 同27

[C組]
1位 ドイツ 同30
2位 北アイルランド 同19

[D組]
1位 セルビア 同21
2位 アイルランド 同19
3位 ウェールズ 同17

[E組]
1位 ポーランド 同25
2位 デンマーク 同20

[F組]
1位 イングランド 同26
2位 ▲スロバキア 同18

[G組]
1位 スペイン 同28
2位 イタリア 同23

[H組]
1位 ベルギー 同28
2位 ギリシャ 同19

[I組]
1位 アイスランド 同22
2位 クロアチア 同20

 各組2位のチームの中で、プレーオフ進出を逃したのは、F組のスロバキア・勝ち点18ですが、勝ち点19で2位のチームが4つ(スウェーデン、北アイルランド、アイルランド、ギリシャ)もあることを考え合わせると、本当に惜しい、という感じがします。
 WC欧州最終予選というのは、何時の時代もまさに大接戦なのです。

 また、GLの前半から勝ち抜きに「黄色信号」といわれていたオランダチームは、A組3位に止まり、残念ながら本大会出場を逃しました。
 最終の第10戦ではスウェーデンチームを2-0で破り地力を示したのですが、如何せん、「本気を出すのが遅かった」といったところでしょうか。

 アイスランドチームはI組の1位となり、見事に「ワールドカップ初出場」を勝ち取りました。組分けに恵まれたという見方もあるのでしょうが、クロアチアやウクライナといった強豪を相手にしての1位通過は、見事という他はありません。

 B組では、ポルトガルとスイスの2チームが熾烈な1位争いを繰り広げました。やはり1位で早々に本大会出場を決めたいというのは、どのチームにとっても最大の目標なのです。勝ち点27で並びましたが、得失点差でポルトガルが1位となりました。

 C組ドイツチームの10戦10勝・勝ち点30というのは、素晴らしい成績でしょう。得点43・失点4というのは、毎試合4点以上を挙げ、2試合で1失点しかしないということになります。現在のドイツチームは「得点の取り方を知り」「失点しない方法も知っている」チームということになります。
 本大会でも、優勝候補の筆頭となりそうです。

 D組はセルビアチームが1位通過を果たしました。ユーロ2016で旋風を巻き起こした、ガレス・ベイル選手率いるウェールズは3位となって、予選敗退が決まったのです。

 さて、プレーオフの抽選は10月17日に行われます。

 これがまた、欧州最終予選のとても怖いところなのです。
 イタリア、スイス、スウェーデン、デンマーク、ギリシャといったワールドカップの常連チームにとっても、どのチームが相手になるのかは分かりません。
 B組で同勝ち点ながら2位となったスイスチームなどは、強豪チームと当たらないことを祈っているのではないでしょうか。
 常連中の常連、ワールドカップ優勝4度を誇るイタリアチームも、必勝の気概でプレーオフに臨むことになりますが、相手次第では「極めて厳しい2ゲーム」になる可能性があるのです。

 プレーオフの組合せを決める上で重要なシードチームの選定は、10月16日に発表されるFIFAランキングにより決まります。
 今回のGLの組分けにも、FIFAランキングは大きな影響を及ぼし、同じ組にフランス、スウェーデン、オランダが入るという「死の組」を創出しました。

 FIFAランキングはとても重要なのです。特に、この時期は。

 我らが日本代表チームも、親善試合とはいえランキングが近く、下位に居るハイチに負けたりしていては、本大会の組合せにも影響が出る可能性があるのです。

 この時期の代表チームにとっては「親善試合も負けられない戦い」であることは、間違いありません。
[10月5日・C組・ベルファスト]
ドイツ3-1北アイルランド

 FIFAワールドカップ2018ロシア大会に向けての、ヨーロッパ地区最終予選も佳境に入りました。
 C組では、ドイツチームがアウェイで北アイルランドチームを破り、最終予選を9戦9勝・勝ち点27として、最終戦を待たずに本大会進出を決めました。17大会連続、19度目の出場という、まさに「常連」としての戦い振りでした。

 9試合で、得点38・失点3という圧倒的な強さを魅せるドイツチームですが、このゲームでも開始早々の前半2分にルディ選手が先制すると、同22分にはバーグナー選手が2点目、後半41分にはキミッヒ選手が3点目を挙げ、ゆうゆうと勝利を収めました。

 インジュリータイムに入っての後半48分に北アイルランドがマゲニス選手のゴールで1点を挙げましたが、これはホームの意地を見せたというところで、C組の2位を決めた北アイルランドチームの「強さ」と充実ぶりを示したものだと思います。
 6勝1敗2引分の勝ち点19で、最終戦を待たずにグループ2位を決めたのですから、今大会の北アイルランドは強いと感じます。プレーオフを制して本大会に出てくるようであれば「台風の目」になるかもしれません。

[10月5日・F組・ロンドン]
イングランド1-0スロベニア

 イングランドチームが後半49分、インジュリータイムのケイン選手のゴールにより1-0で勝利を収め、9試合を終えて7勝2引分・勝ち点23として、最終戦を待たずに本大会進出を決めました。6大会連続、15度目の出場となります。
 0-0で引分けかと思われたゲームを勝ち切ったのは、極めて大きいと思います。

 F組は、イングランド、スコットランド、スロバキア、スロベニアが激しい鍔迫り合いを演じていましたが、10月5日のゲームで、イングランドがスロベニアに勝ち、スコットランドがスロバキアに1-0で勝利を収めましたので、最終戦を待たずに1位イングランド、2位スコットランドが固まりました。
 混戦が予想より早く収束した形でしょう。

 ヨーロッパ地区は、開催国ロシアを除くと、13チーム(最終予選各組1位の9チームと、各組2位チームにより争われるプレーオフに勝利した4チームの、計13チーム)が最終予選を突破して本大会に出場します。

 その13チームの内、9月3日にベルギーが早々にH組の首位を決め、10月5日にドイツとイングランドが各組の首位を決めましたので、3チームが本大会進出を決めた形です。残る枠は「10」ということです。

 各組とも厳しい戦いが続いていますが、やはりA組の動向が気になるところです。
 8試合を終えた段階で、フランスが勝ち点17でトップ、スウェーデンが同16で2番手、オランダが同13で3番手、ブルガリアが同12で4番手となっています。
 
 オランダは9月3日のブルガリア戦を3-1で勝ち、本大会出場に望みをつなぎましたが、当然ながら予断を許さない状況が続いています。

 また、I組は、やはり8試合を終えた段階で、クロアチアとアイスランドが勝ち点16でトップと2番手、トルコとウクライナが勝ち点14で3番手と4番手となっていて、文字通りの大混戦です。残り2試合は死闘となることでしょう。

 それにしても、他の組と比較してA組の組分けを見ると、予選のシードチーム選定に使用される「FIFAランキング」の重要性と抽選のアヤを強く感じるのです。
 1930年代前半、欧州最強のナショナルチームと呼ばれたのがオーストリア代表でした。
 「ヴンダーチーム」(ドイツ語で「奇跡のチーム」という意味)という異名でも呼ばれるほどのチームでした。

 そのヴンダーチームの中心選手が、マティアス・シンデラー選手でした。
 シンデラー選手は、身長179cm・体重63㎏というスリムな体型を活かして、相手ディフェンダーの間を「すり抜けて」ゴールを決めるというプレースタイルから、「紙の男」と呼ばれました。

 「紙の男」という言葉からは、あまり尊敬の念は感じられませんが、驚きの念は強く感じます。当時の関係者の皆さんが、マティアス・シンデラー選手のプレーに対して「信じられない」という印象を強く抱かれたのでしょう。

 1903年生まれのシンデラー選手は、1926年に代表チーム入りして、1931年から34年までの最強のオーストリアチーム=ヴンダーチームのエースとして活躍しました。
 1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会でも優勝候補として準決勝に進出し、地元イタリアとのゲームに臨みました。地元絶対有利の時代でしたから、オーストリアチームは0-1で敗れました。シンデラー選手も危険なタックルに遇って怪我をしたのです。

 シンデラー選手らが出場できなかった3位決定戦でドイツに2-3で敗れてしまいましたが、おそらくはこのチームが、オーストリアサッカー史上最強であったのでしょう。

 オーストリア代表チームは、1938年のワールドカップ・フランス大会も予選を突破し本戦出場を決めていましたが、世界情勢が風雲を告げる中で、オーストリア国自体がナチスドイツに併合されてしまい、国家として消滅してしまいましたから、代表チームも出場できませんでした。(というか、チームも消滅してしまったというのが正しいのかもしれません)

 1939年1月、マティアス・シンデラー選手は自室で死亡しているところを発見されました。
 自殺説、謀略説などが言われてきましたが、いまだに真相は不明です。

 第二次世界大戦直前のヨーロッパにおける最高のサッカープレーヤー・「紙の男」は、35歳で他界したのです。
 ヨーロッパNO.1クラブを決める、UEFAチャンピオンズリーグの2017~18年シーズンのグループリーグが開始されました。
 9月12日にA~Dグループ、13日にE~Hグループの最初の試合が一斉に行われました。

 毎年のこととはいえ、世界最高水準のプレーが満載の、とても「華やかな」大会の幕が切って落とされたのです。

[Aグループ]
・マンチェスター・ユナイテッド3-0FCバーゼル
・CSKAモスクワ2-1ベンフィカ

 マンUが、フェライニ選手、ルカク選手、ラッシュフォード選手の得点で快勝しました。フェライニ選手とラッシュフォード選手は途中交代で入ったプレーヤーですから、今季の選手層の厚さを感じさせるゲームとなりました。この2人と交替したのが、バウル・ボグバ選手とファン・マタ選手なのですから、相当に豪華な布陣です。
 久しぶりに、CLでのマンUの活躍が期待できそうです。

 もうひとつのゲームは、後半5分にベンフィカが先制したものの、同18分と26分の得点でCSKAが逆転勝利を収めました。
 実力が拮抗しているチーム同士の対戦でしたが、CSKAの気迫が勝ったというところでしょうか。

[Bグループ]
・バイエルン・ミュンヘン3-0アンデルレヒト
・パリ・サンジェルマン5-0セルティックス

 CL常連の強豪2チーム、バイエルンとサンジェルマンが順当に勝ちました。

 バイエルンは、レバンドフスキ選手が先制し、アルカンタラ選手が追加点を挙げ、キミヒ選手がダメ押しと、絵に描いたようなゲームを展開しました。得点が、フォワードFW→ミッドフィールダーMF→ディフェンダーDFと順に生まれているところも、いかにもドイツサッカーの中核という感じがします。

 サンジェルマンは、新加入のネイマール選手が先制し、カバーニ選手が2得点を挙げ、オウンゴールも得るなど、アウェイゲームとは思えない一方的な試合を披露しました。
 「自在の攻め」という感じで、セルティックにとっては「手の付けられない状況」だったのかもしれません。
 なかなか「3強の壁」を破ることができなかったサンジェルマンですが、今季は決勝進出を十分に狙えるチームになりました。

[Cグループ]
・チェルシー6-0グラバグ・アグダム
・ASローマ0-0アトレティコ・マドリード

 プレミアリーグの王者チェルシーが、予選ラウンドを勝ち上がり本戦に登場したグラバク・アグダムに圧勝しました。異なる5人のプレーヤーとオウンゴールでの6得点は、なかなか見られないゴールラッシュでしょう。

 ASローマとアトレティコは、双方持ち味を出したゲームでしょう。Cグループ突破に向けて、両チームには負けられないゲームが続きます。

[Dグループ]
・FCバルセロナ3-0ユベントス
・スポルディングCP3-2オリンピアコス・ピラエウス

 緒戦屈指の好カードは、バルセロナが快勝しました。メッシ選手の2得点は、今大会へのバルセロナの気合いを示すに十分でしょう。
 ユーベとしても敵地での引分を狙ったゲームであったと思いますが、前半終了間際のメッシ選手のゴールから試合のペースを失った形です。

 スポルディングは前半の3得点で、アウェイゲームを確実に物にしました。

[Eグループ]
・NKマリボル1-1スパルタク・モスクワ
・リバプール2-2セビージャFC

 Eグループは2ゲーム共に引分でした。
 リバプールとセビージャは、勝ち抜けに向けて慎重な戦いを演じたというところでしょうか。

[Fグループ]
・マンチェスター・シティ4-0フェイエノールト
・シャフタル・ドネツク2-1ナポリ

 シティは、オランダ王者を相手に圧勝しました。前半の3ゴールが強烈なパンチとなったのでしょう。フェイエノールトとしては、グループリーグ突破に向けて大事なゲームでしたが、点を取られ過ぎました。
 グラウディオラ監督としても、今季CLには期するものがあると思いますので、シティの戦い振りは注目です。

 いかに敵地とはいえ、敗戦はナポリにとって痛いところです。ドネツクにとっては、CL本戦での勝ち点獲得に向けて好発進でしょう。

[Gグループ]
・RBライプツィヒ1-1ASモナコ
・ベジタクシュ3-1FCポルト

 このところCLで好成績を残しているASモナコが、アウェイでライプツィヒ相手に引分を捥ぎ取りました。モナコのCLでの好調が続いている感じです。

 ポルトにとってはアウェイとはいえ大敗は痛いところ。ベジタクシュは「台風の目」になる準備万端といったところでしょう。

[Hグループ]
・レアル・マドリード3-0アポエル・ニコシア
・トッテナム・ホットスパー3-1ボルシア・ドルトムント

 「3強」の一角レアルが順当勝ち。クリスティアーノ・ロナウド選手の2発に、セルヒオ・ラモス選手のゴールというのですから、静かに始動しながら迫力十分といったところでしょうか。

 グループリーグ突破を争うトッテナムとドルトムントの対戦は、スパーズがハリー・ケイン選手の2得点などで快勝しました。ライバル相手に、ホームでの2点差を付けての勝利は大きいと思います。

 さて、2017~18年のUEFAチャンピオンズリーグの緒戦をざっと見てきました。

 このところ毎年のように言われる「3強」、レアル・マドリード、FCバルセロナ、バイエルン・ミュンヘンはきっちりと緒戦を物にしています。
 「3強」はCLの戦い方を知っている、のでしょう。

 リーガエスパニョーラの2人のエース、クリスティアーノ・ロナウド選手とリオネル・メッシ選手は共に2ゴールと、上々のスタートを切りました。この2選手の得点王争いも、近年のCLの風物詩?として、注目です。

 このところやや元気のないプレミア勢、チェルシー、マンチェスター・シティ、リバプール、マンチェスター・ユナイテッドの活躍が観られるのか。

 そして何より、大変な移籍金額で話題となった、ネイマール選手が加わったパリ・サンジェルマンの戦い振りは、今大会最大の注目ポイントです。

 「3強」がこのところの慣例?通りに覇権争いを演じるのか、これが「4強」になっていくのか、今年もチャンピオンズリーグから眼が離せません。
 欧州各国の主要なリーグ戦は、8月中旬に開始されました。

 今回は、各リーグの「開幕戦」を見ていきたいと思います。
 ここで言う「開幕戦」とは、開幕日に最初に行われ、前シーズンの優勝チームが登場したゲームを指します。
 今季は、セリエAとブンデスリーガにて、この「開幕戦」が行われました。

[8月18日・ブンデスリーガ]
バイエルン・ミュンヘン3-1バイヤー・レバークーゼン

 ドイツサッカーの常勝軍団・バイエルンが、2017~18年シーズンも順調なスタートを切ったゲームでしょう。
 前半9分にディフェンスDFのズーレ選手のゴールで先制し、同19分にミッドフィールダーMFのトリッソ選手のゴールで追加点、後半8分にフォワードFWレバンドフスキ選手のゴールで3-0とリードして、ゲームを支配しました。

 後半20分にレバークーゼンのFWメーメディ選手のゴールで1点を返されましたけれども、3-1で勝ち切ったのです。

 ブンデスリーガは、今季もバイエルン・ミュンヘンを中心に動いていくのでしょう。

[8月19日・セリエA]
ユベントス3-0カリアリ

 こちらはイタリアサッカーの常勝軍団・ユベントスが、カリアリを圧倒したゲームでした。
 前半12分にFWマンジュキッチ選手が先制ゴールを挙げ、同46分にFWディバラ選手が追加点、後半21分のFWイグアイン選手のゴールで3-0として、ゆうゆうと押し切りました。
 3人のFWがそれぞれ1点ずつを挙げるという、今季を占う開幕戦に相応しいゲーム展開であったと感じます。

 バイエルン・ミュンヘンは5連覇中、ユベントスは6連覇中と、両チームともブンデスリーガ、セリエAにおける「絶対王者」です。

 一方で、「5連覇」「6連覇」というのは、各々のリーグでの最長記録でもありますから、そろそろ「王座を明け渡すタイミング」であることも確かなのでしょう。
 今季のブンデスリーガ、セリエAから眼が離せないのです。
 1921年に生まれ、1995年73歳で死去したグンナー・ノルダールは、イタリア・セリエAにおいて、1950年から1955年まで6シーズンで5度の得点王に輝きました。

 ACミランで大活躍したのです。

 もちろん、スウェーデンのサッカーリーグ1部・アルスヴェンスカンにおいても1945年から48年の間に4度の得点王に輝いています。

 1949年にACミランに移籍する前、ノルダール選手はスウェーデンのクラブチームにおいて、210試合に出場して219ゴールを挙げています。1試合1ゴールを示現していたのです。

 ACミランにおいては、257試合に出場し210ゴールを挙げました。
 これも凄いというか、凄まじい記録でしょう。
 1956年にASローマに移籍して15得点を加え、セリエAでの総得点は225となっています。
 
 これは、シルヴィオ・ピオラ選手(274得点)、フランシスコ・トッティ選手(250得点・現役)に次ぐ記録ですが、ピオラ選手が約30年、トッティ選手が24年をかけての記録であるのに対して、ノルダール選手は9年間での記録ですので、ノルダール選手の各シーズンの得点の多さがよく分かります。

 当時のスウェーデン代表チームは、プロ選手を招集しないというルールであったため、ノルダール選手は代表プレーヤーとしての実績は少ないのですが、それでも1948年のロンドンオリンピックに出場、大会得点王となって、スウェーデンの金メダルに大貢献しています。

 代表プレーヤーとしては30試合で43ゴールを挙げています。1試合1ゴールを大きく超えているのです。

 グンナー・ノルダール選手が、世界の舞台で輝いたのはACミラン時代ですが、この時ACミランには、他にグンナー・グレン選手、ニルス・リードホルム選手の2人のスウェーデン出身プレーヤーが居て、ノルダール選手と共に「グレ・ノ・リ」トリオと称され、チームの屋台骨を支える存在でした。(プロ野球・広島カープの「タナ・キク・マル」のような呼び名です)
 
 後に「オランダトリオ」が中心となって、1990年前後に全盛期を迎えるACミランですから、ACミランというチームは、「海外の有力トリオ」が活躍するクラブなのかもしれません。

 そのキャリアにおいて、クラブと代表チームで、500近いゴールを挙げたグンナー・ノルダール選手は、スウェーデンサッカー史上最高のゴールゲッターだったのです。
 1950年代のフランスサッカーを代表するプレーヤーが、レイモン・コパ選手(レイモン・コパゼフスキー)です。

 フランスのリーグアンでは、主にスタッド・ランスに所属して、550試合以上に出場し114ゴールを挙げて、4度のリーグアン制覇に貢献しました。

 そして1956年にはレアル・マドリードに移籍、当時レアルの「心臓」であったディ・ステファノ選手と共に全盛期を創出しました。
 コパ選手は3シーズンに渡りレアルに所属しましたが、その全てのシーズンでUEFAチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)を制しています。所属した全てのシーズンというところが素晴らしい。
 この間、リーガ・エスパニョーラも2度制覇しました。
 レアルでは101試合に出場して30ゴールを挙げています。

 レイモン・コパ選手のキャリアを見ると、こうしたクラブチームでの大活躍が際立ちますが、FIFAワールドカップでも見事なプレーを魅せているのです。

 1958年のワールドカップ・スウェーデン大会、フランスチームは準決勝で優勝したブラジルチーム(ブラジルのペレ選手がワールドカップにデビューした大会です)に敗れたものの、3位決定戦では西ドイツチームを相手に6-3と快勝して、3位となりました。

 このフランス代表チームの骨格を成していたのが、レイモン・コパ選手とジュスト・フォンテーヌ選手でした。
 コパ→フォンテーヌのホットラインから、次々と得点が生まれました。
 スウェーデン大会の得点王は、13得点のフォンテーヌ選手でしたが、この「1大会13得点」というのは、いまだに破られていない、ワールドカップの最多記録です。
 もちろんコパ選手はアシスト王でした。(自身も3ゴールを挙げています)

 この1958年、ワールドカップでの大活躍が評価されたのでしょう、レイモン・コパ選手はバロンドールを受賞しました。
 2010年には、ディ・ステファノ、ボビー・チャールトン、エウゼビオに続いて4人目となるUEFA会長賞も受けています。レイモン・コパの欧州サッカーにおける位置づけの高さを如実に示す事実でしょう。

 「ナポレオン」レイモン・コパを擁して黄金時代を迎えたフランス代表チームが、再び世界の舞台で脚光を浴びるのは、「将軍」ミッシェル・プラティニの登場を待たなければならなかったのです。
 2017年8月31日に埼玉スタジアムで行われた、ワールドカップ2018アジア最終予選の日本VSオーストラリアの一戦は、まさに「決戦」でした。

 日本代表にとっては、最終節にアウェイのサウジアラビア戦を控えて、「勝たなければならない」ゲームでしたし(何しろ、中東での強豪国との試合で日本代表はなかなか良い結果を出していないのです)、オーストラリア代表にとっては、このゲームを落とすと「自力のワールドカップ出場権獲得」が消滅する、というゲームだったのですから。

 日本代表にとっては「ホームゲーム」というのが唯一の拠り所といっても良い位、追い込まれた状況でした。サッカーを良く知る友人は「絶体絶命」と評しました。
 何しろ、「最終予選のゲームで日本はオーストラリアに過去1度も勝っていなかった」のですから。「上手く行っても引分」と見るのが、冷静な判断だったのでしょう。

 オーストラリア代表にとっては、「日本との相性の良さ」、「日本チームには負けない」という自信が、アウェイゲームでの拠り所だったことでしょう。

 この「決戦」のキックオフのピッチに、「過去10年間に渡って代表チームを支えてきた2人プレーヤー」の姿がありませんでした。
 共に「背番号4」を背負う、本田圭佑選手とティム・ケーヒル選手です。

 どちらかだけならまだしも、2人とも控えに回るという「事態」は想像できませんでした。

 それ程に、この2人のプレーヤーの存在は大きなものだったのです。

 両チームの監督・ベンチは思い切ったことをやる、と感じました。
 そして、「新しい日本代表」「新しい豪州代表」のチームにとっては、前半が上手く行かず、相手にリードを許すなどした場合に、後半の「反撃の切り札」として、この2人のプレーヤーが出てくるのだろうと思いました。

 ゲームは、開始早々から日本代表チームのペースとなりました。
 海外のスポーツメディア風の言い方をすれば、「日本チームがゲームを支配した」のです。
 そして浅野選手のゴールで、日本が先制しました。

 こうした大試合においては、先制点の価値がとても大きいのです。
 試合内容のみならず、得失点という形で日本チームの優勢が明示されましたから、オーストラリアチームは後半25分、ついにケーヒル選手を投入しました。
 オーストラリアの「パワーサッカーの象徴」がピッチに立ったのです。

 交代早々に、日本ゴール前でのプレーが続きました。
 日本チーム守備陣は、何度もプレーを切ろうとしますが、不思議なことに「ボールはケーヒル選手の周辺」から離れません。これはもう、本当に不思議なことで、ケーヒル選手がボールに(見えない)紐を付けて引っ張っているようにさえ見えました。

 これがオーストラリア代表を牽引してきたオーラか、と思いました。

 あと数10cm、ボールがケーヒル選手に近づけば、強烈なシュートが飛んでくるというシーンが何回かありましたが、日本守備陣はこれを懸命に防ぎました。
 このディフェンスも見事なものでした。

 5~10分ほども続いたでしょうか、「ケーヒル選手を核としたオーストラリアの波状攻撃」がついに幕を閉じました。
 そして、これまた不思議なことに、これ以降、「ケーヒルの脅威」は影を潜めたのです。

 まず、ケーヒル選手にボールが集まりませんでした。
 攻撃1人対守備3人、あるいは4人であっても、ケーヒル選手にさえボールを集めれば、「何とかしてくれる」「何かが起こる」存在ですから、オーストラリアチームは縦一本の大きなパスをケーヒル選手に集める戦術を取るものと思いましたが、それは無く、パスサッカーが継続されたのです。
 これはおそらく、この試合の日本代表チームにとっては、少なくとも失点リスクという面では、相当に助かったのではないかと思います。

 一方の本田選手はというと、「ゲームを支配し続ける」日本チームにあっては、出番が有りませんでした。
 交代に向けてのウォーミングアップを行う姿も、全くありませんでした。
 戦前に、日本チームが構築した戦略・戦術が見事に当たっていましたから、無理もないところでしょう。

 本田選手は90以上のキャップ、ケーヒル選手は100以上のキャップを誇ります。

 共に、ナショナルチームの「顔」として、世界中に知られた存在、代表チームの大看板プレーヤーなのです。

 2人共、ピッチ上で「どこに居るか、すぐに分かり」ます。オーラが凄いのです。
 ケーヒル選手の身長が180cmで、182cmの本田選手よりも低く、オーストラリアのプレーヤーの中でも、決して大きな方では無い、と書くと「意外」な感じを持たれる方も多いでしょう。
 ケーヒル選手は、ピッチ上でとても大きく見えるのです。

 身長170cmそこそこであった、ペレ選手やクライフ選手も、とても大きく見えたものです。「良いプレーヤーは大きく見える」のです。「存在感が半端ない」という言い方も出来るのでしょう。

 さて、10年以上に渡って、それぞれの代表チームを支えてきた2人のプレーヤーは、そろそろ「代表引退」の時期を迎えているのでしょうか。

 私は、そのようには全く感じません。
 
 2人の存在感は、まだまだとても大きなものだと感じるからです。

 日本と豪州、この2つの国のサッカーが多様性を増し、色々なプレーヤーが登場して、その在り様の幅が広がってきているのであろうと、思うのです。
 相手チームの特性や試合展開、大会スケジュール等の要素により、ある種のチーム・プレーが必要になった時、本田選手とケーヒル選手はそのチームの主軸としてピッチに立つことでしょう。

 本田圭佑とティム・ケーヒル、2人は今後も、日本とオーストラリアのナショナルチームを代表するプレーヤーなのです。
[8月31日・WC2018アジア最終予選・埼玉スタジアム2002]
日本代表2-0オーストラリア代表

 色々な意味で、とても面白い試合でした。

 ワールドカップ出場権を賭けた「大一番」でしたから、大舞台で実績のあるベテランを先発起用するのではないかと考えていましたので、メンバーを見た時には少なからず驚きました。

 しかし、試合が始まってみると、日本代表チームのこの試合への準備、この試合に向けての戦略・戦術の立案と実行が、ピッチ全体に展開されました。とても楽しい試合でした。

① 前線からのプレス

 試合開始直後からオーストラリア陣内でのプレスが展開されました。

 フォワードFW乾選手が、何度もオーストラリアチームのゴールキーパーGKライアン選手に襲い掛かります。徹底された動きでした。

 日本チームのFW・ミッドフィールダーMFがオーストラリアチームのディフェンスDFに、オーストラリア陣の深いところでアタックを仕掛けます。ボールを取りに行っているのです。

 確かに、敵陣深くでマイボールに出来れば、一気に大チャンスになりますし、GKからDF→MFと丁寧に?パスを繋ぐスタイルに変わったオーストラリアチームの攻撃構築に対しては、早めに「芽を摘む」ことが出来ますので、守備面からも有効な戦術です。

 一方で、このやり方は相当の運動量・体力を必要としますので、90分持つのか心配でしたが、これは杞憂に終わりました。
 ハリルジャパンのメンバーは、90分間、この大変な戦術を完遂したのです。
 素晴らしいプレーでした。

 この戦術の実行は、特に守備面で威力を発揮しました。
 オーストラリア代表チームの得点チャンス数を最小限に抑え込み、見事に零封してみせたのです。

② 走り続けた90分

 前述の①とも関連しますが、日本代表イレブンの動きは90分間維持されました。
 オーストラリアチームも驚いたのではないでしょうか。日本のプレーヤーがこれ程フィジカル面での強さを魅せたのです。

 後半、特に残り15分からの運動量で、劣勢に立つことが多かった日本代表チームの試合ぶりの、大いなる進歩を感じます。

 もちろん、22℃という涼しい気候がプラスに働いたことはあるのでしょうが、これはお互いさまで、30℃を超えるような暑い気候であれば、現在冬の地域から来たオーストラリアチームの方が先にばてるので、日本チームに有利という見方があったことも、忘れてはならないでしょう。

 「90分間走り続けた日本代表」は、高く評価されなければなりません。

③ 決定力

 前半41分の浅野選手の先制点、後半37分の井手口選手の追加点、共に素晴らしいゴールでした。

 長友選手からのパスを受けて、「無人の野に立つ」形を示現した浅野選手は、GKとの1対1から、「冷静に」ゴール右隅に押し込みました。とても高いレベルのプレーであったと思います。
 オーストラリアDFの中から飛び出すタイミングも「抜群」でした。

 もともと「ボールの動きに合わせてプレーする」ことに秀でていた浅野選手ですが、格段に上手くなっていると感じます。
 「大試合」での先制点の価値は、想像以上に大きいのです。

 井手口選手のゴールも見事でした。
 ドリブルで敵陣ペナルティーエリア近くまで進出し、オーストラリアDFが並んでいるところを右に動きながら、DF間の隙間を見つけて、右足を思い切り振り抜きました。
 キッチリと枠の中に飛んだシュートは、相手GKの手を掠めてゴールに突き刺さったのです。
 日本代表のゲームで、日本チームが挙げた、最も美しいゴールのひとつでしょう。

 このプレーの直前に、井手口選手はゴール向かって右サイドから、狙い澄ましたシュートを放ちましたが、相手GKとDFに阻まれ、絶好のチャンスを逸していましたから、この時は「思い切り振りぬいた」のではないかと感じます。
 「予行演習」があったのでしょう。

 2ゴールとも「ワールドクラス」でした。
 「チャンスをゴールに結びつける」という、とても難しい工程を、浅野選手(22歳)と井手口選手(21歳)はキッチリと成し遂げたのですから、凄いものです。
 
 20歳そこそこの若きプレーヤーが、ハリルジャパンの「決定力の高さ」を世界に示したのです。

 後半30分を過ぎてから、乾選手に代わって原口選手が入り、大迫選手に代わって岡崎選手が入り、浅野選手に代わって久保選手が入りましたが、結局、本田選手と香川選手の出番はありませんでした。
 こうした「大試合」の代表チームに、本田・香川の両選手を見なかったというのも、久しぶりだと思います。

 この試合が、日本代表チームの「世代交代」の試合であったかどうかは、評価・意見の分かれるところでしょうけれども、少なくとも、日本代表もAチームとBチームの「実力が拮抗した2つのチーム」を組成出来る程に「選手層が厚くなった」ことは、間違いないのでしょう。

 若手の中においてさえ、柴崎選手や小林選手、酒井高徳選手や三浦選手がベンチの中に居たのです。

 古い言葉で恐縮ですが、「海外での武者修行」(現在では海外クラブでの活躍と言った方が良いのでしょうが)によって、日本サッカー代表チームの選手層は確実に厚くなっていること、そして、チーム力も着実に上がっていることを、実感させてくれるゲームでした。
 リュシアン・ローラン選手はフランス人プレーヤーです。

 1930年の第1回ワールドカップ・ウルグアイ大会の開幕ゲーム、7月13日のフランス対メキシコの試合、前半19分、フランス代表チームのミッドフィールダーMFだったローラン選手が先制点を挙げました。
 このゴールが、記念すべきFIFAワールドカップ最初のゴールとなったのです。

 1907年生まれのローラン選手23歳の時のゴールでした。

 第1回の頃、参加国も少なかったワールドカップが、現在のような世界最大級のスポーツイベントに成長すると考えていた人は多くはなかったと思いますが、とにもかくにも、ここまで巨大になってしまった以上は、「最初のゴールの価値」もとても大きなものとなりました。

 何しろ「永遠に不滅」の記録となったのです。どんなプレーヤーも、この記録を塗り替えることはできません。

 この第1回大会のフランスチームの第2戦、アルゼンチンとのゲームで負傷したローラン選手は、その後も故障がちのキャリアを重ねましたので、フランス代表としての出場は10試合・2ゴールに留まりましたが、その2ゴールの内の1ゴールが、「極めてメモリアルなもの」となった訳です。

 リュシアン・ローラン選手は、プレーヤーとしては「数多くの活躍」を魅せたということにはなりませんでしたが、「さすが」と思わせる後日談があります。

 フランス代表がジダン選手やアンリ選手を擁してワールドカップを制するのは、第1回大会の68年後、1998年大会を待たなければならなかったのですが、この優勝を見届けた「唯一の第1回大会フランスチームメンバー」となったのです。
 ローラン氏が91歳の時でした。

 リュシアン・ローラン氏は、選手としてワールドカップ最初のゴールを挙げ、OBとしてフランス代表チームのワールドカップ初優勝に立ち会ったのです。

 やはり、「凄い人」だったのです。
 国際舞台におけるポーランドサッカーの現時点までのピークといえば、1974年ワールドカップ・西ドイツ大会の3位であろうと思います。

 この時のポーランドチームは、グジェゴシ・ラトー選手やロベルト・ガドハ選手を擁して、まずはグループリーグGL4組でアルゼンチンやイタリアと同組みながら、3戦3勝で1位通過を果たしました。
 アルゼンチンを3-2で下し、イタリアを2-1で下したのです。

 2次リーグに入ってもポーランドチームの勢いは衰えず、スウェーデン、ユーゴスラビアを連破しましたが、開催国西ドイツチームと同じB組だったことが不運だった形で、西ドイツに0-1で敗れ、B組2位となり3位決定戦に回りました。
 3位決定戦では、ブラジルを1-0で破ったのです。

 とても強かったポーランドチームですが、この時「ルバンスキーが健在ならば・・・」と感じていたサッカーファンは多かったことでしょう。

 ワールドカップ西ドイツ大会の得点王であったラトー選手らを含めても、ポーランドサッカー史上最高のプレーヤーと呼ばれているのが、ルバンスキー選手なのです。

 1947年生まれのルバンスキー選手は、1963年16歳の若さでポーランド代表入りを果たし、目覚ましい活躍を魅せました。
 1972年のミュンヘン・オリンピック優勝という大成果を母国に齎したのです。

 そして1974年のワールドカップ・西ドイツ大会の予選を戦っていた1973年6月、対戦相手のプレーヤーの危険なタックルに遇って骨折してしまいました。
 
 2年後、この骨折から帰ってきたルバンスキー選手でしたが、残念ながら往時の輝きを取り戻すことは出来ませんでした。

 ポーランドリーグのグールニク・ザブジェを中心とするクラブチームでは520試合に出場して278得点、代表チームでは75試合に出場して48得点、計595試合で326得点という、素晴らしい記録を残しています。

 この記録も凄いものですが、ルバンスキーを語るとき、多くのサッカーファンはそのプレーの質の高さを絶賛します。
 凄まじいシュートの威力、ゲームマネジメントの巧みさ・・・。それはもう、ほれぼれするようなプレーヤーであったと称賛され続けているのです。

 1974年ワールドカップの優勝チーム・西ドイツは、世界サッカー史上最強のチームのひとつと評価されています。
 その最強チームに、2次リーグで0-1、ゲルト・ミュラー選手の得点で敗れたポーランドチームにルバンスキー選手が居たら、と考えるのは見果てぬ夢なのでしょう。

 ヴォジミエシュ・ルバンスキー選手を思う時、「危険な(悪質な)タックル」というのは絶対に有ってはならないと、いつも感じるのです。
 FIFAワールドカップ優勝4回を誇るサッカー大国ドイツですが、初優勝は1954年のスイス大会でした。
 この頃のドイツは第二次世界大戦敗戦の痛手も大きいうえに、サッカー新興国とも呼ばれていたと伝えられています。ヨーロッパサッカーといえばイタリアと、ワールドカップには出場していないもののサッカー発祥国としてのイングランドが中心の時代だったのです。

 まだまだワールドカップを制するのは難しいと言われていたドイツに、「優勝」を呼び込んだプレーヤーが、マックス・モーロック選手でした。

 1925年5月にニュルンベルクに生を受けたモーロック選手は、1940年に1FCニュルンベルクに入団しプロプレーヤーとしてのキャリアをスタートしました。(弱冠15歳)

 ブンデスリーガ(1963年開始)発足以前のドイツサッカー界において、モーロック選手は約900試合に出場し、約700点を挙げたと伝えられています。ドイツサッカーが地域リーグの集合体であった頃のことですから、正確な記録が無いのでしょうが、それにしても「生涯700ゴール」というのは凄い数字です。

 1FCニュルンベルクは、1948年と1961年にドイツ選手権(各地域リーグの優勝チームによるトーナメント戦。ドイツNO.1チームを決める大会)に優勝していますが、マックス・モーロック選手はこの優勝に大きく貢献したのです。

 そして何より、ドイツ代表チームにおける活躍は特筆に値します。

 1950年に代表デビューを果たし、1954年のワールドカップ・スイス大会にも代表メンバーとして出場しました。

 この大会は、第二次世界大戦で敗戦国となったドイツが、戦後初めて西ドイツとして復帰した大会でもありました。(日本もこの大会からワールドカップに復帰し、予選を戦っています。西ドイツチームは見事に予選を勝ち抜いて本戦に駒を進めたのです)

 グループリーグGLの2組でドイツチームはハンガリーチームに次いで2位となって、決勝トーナメント(8チームによる)進出しました。
 決勝トーナメントの緒戦でユーゴスラビアチームを2-0で破ったドイツチームは、ベスト4・準決勝に進出、オーストリアチームを6-1で撃破して決勝に進出、決勝はハンガリーチームとの対戦となりました。

 この頃のハンガリーチームはハンガリー史上最強の、そして当時世界最強と呼ばれ、「マジックマジャール」と称されたチームでした。(GL2組でハンガリーが1位、ドイツが2位でも何の不思議もないというか、当然だと見られていました)

 ハンガリーチームは、この大会でも優勝候補の筆頭でしたし、「ワールドカップ無敗」を誇っていたウルグアイチーム(第1回大会と第4回大会の優勝チームであり、第2回と第3回は本戦に出場していなかった)との準決勝は事実上の決勝ともいわれました。

 両強豪チームによる準決勝は、延長の末4-2でハンガリーが勝ちました。プスカシュ選手やコチシュ選手を擁するハンガリーチームは、優勝候補として決勝に進出してきたのです。

 このハンガリーチームを、ドイツチームは3-2で下しました。
 前半、ハンガリーに2-0とリードを許した直後の10分、モーロック選手がゴールを挙げて1点差とした西ドイツは、その後ラーン選手の2得点で逆転したのです。

 マックス・モーロック選手はGLや準決勝でも得点しています。
 エースとしての存在感を示したのです。

 マックス・モーロック選手は、戦後のドイツサッカー復活の象徴的存在なのです。
 クラブチームや代表チームのプレーヤーとして、489試合に出場して425ゴールを挙げ、イングランドサッカー史上最多得点を誇るのが、ディキシー・ディーン選手です。

 1907年、バーケンヘッドという港町に生まれ、1923年から1939年までプレーしました。
 そして、1980年に73歳で没しています。

 ディーン選手が活躍した時代は、第2次世界大戦前の時期ですが、特にエヴァートンFCのフォワードFWプレーヤーとして輝きました。
 エヴァートンFCにおいて399試合に出場して349ゴールを挙げ、2度のイングランド1部リーグの優勝に大貢献したのです。

 得意なプレーは「ヘディング」だと伝えられています。
 身長178cmは、当時としてもそれ程長身プレーヤーでは無かったと思いますが、ヘディングシュートの威力、スピードとパワーが際立っていたと言われています。
 試合球よりも「重いボール」を使ってのトレーニングの賜物だったのかもしれません。

 ディーン選手の425得点は、イングランドサッカー史上の圧倒的な記録だと思います。
 
 例えば、現在のイングランドの代表的なFWウェイン・ルーニー選手は現時点で221得点、1990年代を代表するFWアラン・シアラー選手は326得点なのです。
 ちなみに、大好きなミッドフィールダーMF、攻撃的なMFのフランク・ランパード選手は231得点です。MFとしては凄いゴール数だと思いますが、ディーン選手には及びません。

 ディキシー・ディーン選手は、1927年から1928年のイングランド1部リーグで60得点という驚異的な記録を残しました。これは1シーズンのイングランド記録であるとともに、欧州の主要なリーグ全てを含めてもNO.1の記録だと思います。

 また、イングランド代表として16試合に出場し18ゴールを挙げています。
 1試合1ゴール以上の活躍なのです。

 得点力不足が叫ばれて久しいイングランド代表チームにとっては、「ディキシー・ディーンの再来」と呼ばれるプレーヤーの登場が待たれるところなのでしょう。
 ワールドカップ優勝4回を誇るサッカー大国イタリアにおいても、1934年(第2回大会)と1938年大会(第3回大会)を連覇した時期は、黄金時代でしょう。
 世界のサッカーが「イタリアを中心に回った」時代なのです。

 この頃の、イタリア代表チームのエースストライカーが、ジュゼッペ・メアッツァ選手です。

 1910年にミラノで生まれたジュゼッペ・メアッツァは、17歳でインテルにおいてセリエAにデビューしました。
 インテルでは2度のリーグ優勝、自身は3度のリーグ得点王に輝いています。
 デビュー早々からチームの中心選手だったのです。

 このようなスーパースターは代表デビューも速いものですが、メアッツァ選手も19歳で、アズーリの一員となりました。代表デビュー戦でいきなりゴールを挙げたと伝えられています。

 そして、1934年大会・1938年大会のイタリア連覇の時には、チームのエースストライカーとして活躍しました。
 代表通算53試合で33ゴールという、素晴らしいゴールゲッターだったのです。
 
 1934年、地元開催のワールドカップの準々決勝で、イタリアチームはスペインチームと対戦して、第一戦は延長の末1-1の引分け、この頃はトーナメントの試合での引分けは再試合が行われました。(PK戦という制度が無かった時代)
 この第二戦でメアッツァ選手は前半11分に先制点を挙げて、1-0の勝利に貢献しています。
 この大会でアズーリが最も苦戦した試合でした。

 フランス開催だった1938年大会の準決勝で、イタリア代表はこの頃メキメキと実力を付けて来ていたブラジル代表と激突しました。そして2-1でブラジルを破り、決勝に進出したのです。
 この準決勝で1-1の同点から決勝点を挙げたのがメアッツァ選手でした。PKによる得点でしたが、この局面でPKを任せられるところにメアッツァ選手へのチームの絶対の信頼が感じられます。

 ジュゼッペ・メアッツァ選手は、1924年から1940年までインテルで長く活躍した後、ACミランに移籍し、1942年にはユベントスに移りました。
 第二次世界大戦真っ只中のイタリア・セリエAで、「イタリア3大クラブ」を渡り歩いたのです。

 そもそも、極めてライバル意識が強いチーム同士である、インテル・ACミラン・ユヴェントスの全てでプレーする選手というのも滅多に観られないのですが、それがイタリアサッカー史上最高のプレーヤーのひとりと称されるメアッツァ選手が実現しているのですから、驚きです。

 1979年、メアッツァ氏は68歳で死去しました。

 メアッツァ選手が活躍した時代は、80年程前の遥かなる昔です。
しかし、21世紀となった現在においても、イタリアサッカー界におけるジュゼッペ・メアッツァ選手への敬意はいささかも衰えていない様に感じられます。
 何しろ、現在のインテルとACミランが本拠としている(2チームが共にホームとしています)スタジアムは、「スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ」なのですから。
 
 サッカー競技においては、数々の伝説的なプレーヤーが存在します。

 「伝説のプレーヤー」は、いわゆるサッカー強豪国において、ファンの間で、現在も語り継がれている名プレーヤーを採り上げるシリーズです。

 第1回は、ウルグアイの「元帥」、ホセ・ナサシ選手です。

 ワールドカップ優勝2回を誇るサッカー大国・ウルグアイにおいても、史上最高のプレーヤーではないかと思います。

 ホセ・ナサシは1901年に生まれて1968年に67歳で死去しています。

 ポジションはフルバック。20世紀の後半まで、ゴール前の最後の守備の砦となるプレーヤーは「フルバック」と呼ばれていました。
 近時は「センターバック」と呼ばれることが一般的です。フルバックがセンターバックになったのは何時ごろなのか、これも興味深いテーマですが、今回はナサシ選手の記事ですから、話を戻しましょう。

 ホセ・ナサシ選手は、ウルグアイ代表チームのキャプテンとして大活躍しました。
 これはもう「大活躍」と呼ぶしかない程の活躍で、ホセ・ナサシ選手以上に世界的な大会で活躍したプレーヤーを挙げるのは、とても困難でしょう。

① オリンピックで2回優勝

 1924年のパリ・オリンピックと1928年のアムステルダム・オリンピックで、ウルグアイに金メダルを齎しています。
 ウルグアイ代表チームは、間違いなく、この時代の世界最強のナショナルチームだったのです。

② 第1回ワールドカップ優勝

 長いワールドカップの歴史は、1930年に始まります。
 この第1回大会に優勝したのはウルグアイチームでした。
 この大会は自国開催でした。
 自国開催のワールドカップの決勝で、アルゼンチン代表チームを4-2で破り優勝を決めたのです。

 この優勝はもちろん素晴らしいことですけれども、何より「第1回ワールドカップがウルグアイで開催されたこと」が凄いことだと思います。

 文字通り、この頃「ウルグアイは世界サッカーの中心地」だったのです。

③ 南米選手権に4回優勝

 ホセ・ナサシ選手は、1923年、1924年、1926年、1935年と4回の南米選手権大会に優勝しています。
 プレーヤーとして1回優勝することさえ難しい南米選手権に4回も優勝しているのです。

 「元帥」ホセ・ナサシは、ワールドカップ、オリンピック、南米選手権で計7回優勝しています。

 サッカー競技が、現在ほどには世界中に普及していなかった時代とはいえ、これは驚異的なことであり、ワールドカップ、オリンピック、欧州選手権、南米選手権という、世界トップクラスの4つの大会で7回優勝という記録を超えるプレーヤーは、私には思い当りません。

 ホセ・ナサシ選手の身長は182cmと伝えられています。
 当時としては、相当大きなプレーヤーだったことでしょう。

 ウルグアイゴール前に「仁王立ち」するナサシ選手の姿が、眼に浮かびます。
 2016年12月のFIFAクラブワールドカップ決勝で、鹿島アントラーズの一員としてレアル・マドリードを相手に2得点と大活躍を魅せて、その後半年間の契約でリーガエスパニョーラ2部のCDテネリフェに移籍していた柴崎岳選手が、来季からリーガ1部に昇格するヘタフェCFに移籍することが決まったと、7月18日に報じられました。

 もともとテネリフェが1部に昇格した場合には、自動的に契約が更新されることになっていたそうですが、テネリフェは惜しくも1部昇格プレーオフ決勝で敗れてしまいましたので、テネリフェとの契約が切れた柴崎選手としては、リーガ1部のチームへの加入を希望していたのです。

 そして、そのプレーオフ決勝においてテネリフェを3-2で破った相手チーム・ヘタフェに入団することとなったのです。

 ヘタフェの公式HPによれば「4年契約」とのことですので、柴崎選手としては腰を据えて、リーガエスパニョーラでプレーすることとなりました。

 テネリフェに移籍した当初は、スペイン本土から遠く離れたカナリア諸島テネリフェ島での生活や練習に慣れるのに時間がかかったのか、「引きこもり状態」と報じられた時期もありました。
 しかし、その後は実力を発揮して、チームの中心選手として活躍、チームの1部昇格プレーオフ進出に大きく貢献したのです。
 「水の味」ひとつでも、日本とは大きく違うと言われる地域への適応は、想像以上に大変だったことでしょう。

 ヘタフェCFは1923年創設、マドリード州ヘタフェに本拠を置くチームです。
 21世紀になってから1部に定着し、2016~17年シーズンは2部に下がりましたが、1シーズンで1部に返り咲いた形です。

 もともと「海外でプレーするならリーガエスパニョーラ1部」と公言していた柴崎岳選手は、ついに「憧れのステージ」に立つこととなりました。
 レアル・マドリード。FCバルセロナ、アトレティコ・マドリードなどの強豪チームが犇めく、世界屈指のリーグで、柴崎岳のサッカーを存分に披露していただきたいと思います。
[6月19日・クループリーグB組]
ドイツ3-2オーストラリア

 ドイツ代表チームが勝利したゲームでしたが、アジアチャンピオンとして出場したオーストラリア代表チームの強さも感じられました。

 前半開始早々および後半開始早々に得点した、ドイツの試合運びは「いつもの通り」という面持で、相手チームの体制が整わないうちに、ゴールを挙げるというパターンが、この試合でも観られました。これにPKで1点を加えた3得点は、ドイツチームにとっては「予定通り」といったところでしょう。

 一方で「2失点」は、予定外の事だったに違いありません。

 この大会でドイツチームが2点以上失点したのは、このゲームだけなのです。
 伝統の強力な守備陣と、こちらも伝統の世界屈指のゴールキーパーGKという、堅いディフェンスは、常に相手チームの得点を防いできているのです。

 このドイツチーム相手に2得点した、オーストラリアチームの攻撃力は、まさにこのチームの真骨頂でしょう。

 前半41分のロギッチ選手の1点目も、後半13分のユリッチ選手の2点目も、最初のシュートが跳ね返された後の、2度目のシュートでした。
 今大会ブレイクした感のある、ドイツのGKテア・シュテーゲン選手にとっては、とても悔しい2失点でしょう。

 オーストラリアチームは、チリとカメルーンとは引き分け、1敗2引分でB組3位となり、決勝トーナメントには進めませんでしたが、その強さを世界に示したと思います。

 何よりフィジカルが強い。
 ドイツ戦でも「互角」の印象でした。
 ドイツチームを相手に、フィジカルで互角と言うのは凄いことです。
 
 加えて、「得点を取るパターン」が確立されています。
 ユリッチ選手、ロギッチ選手、ムーイ選手のフォワードFW陣に、ミリガン選手、ルオンゴ選手、ベイッチ選手、レッキー選手が絡んで、相手陣を抉る攻撃を展開するのです。
 この攻撃を抑え込むのは、容易なことでは無いでしょう。

 2018年ワールドカップ出場権を賭けた最終予選を戦う日本代表チームにとっても、「大敵」であることは間違いありません。
[7月2日・決勝]
ドイツ1-0チリ

 チリ代表チームが「攻めに攻め」、ドイツ代表チームが「守りに守って」、前半20分に挙げた先取点のリードを守り切りました。
 両チームが死力を尽くしたゲームであったと感じます。

 チリは終始ボールを支配し、ドイツゴールに迫りましたが、ドイツ守備陣は慌てることなく対応し続けました。

 チリチームに「スーパーシュート」が1本でも生まれていれば、試合はどうなっていたか分かりませんでしたが、ついに「スーパーシュート」は生まれませんでした。
 チリの各選手にとっては、本当に悔やまれるゲームとなったことでしょう。

 試合を通じてのボールポゼッションは、チリ:ドイツ=66:34でした。シュート数は、同22本:8本、枠内シュートも同8本:3本でしたから、「チリが攻めて、ドイツが守る」という構図の試合であったことが、スタッツにも明確に表れています。

 しかし、「サッカーには優勢勝ちは無く、ゴール数を競う競技」ですので、ほとんど試合開始後初めてといってよい前半20分のチャンスを、ラース・シュティンドル選手のシュート(チリゴール前で相手ボールを奪い、チリプレーヤーが不在の位置で決めたシュート)でものにした、ドイツの決定力の高さというか、得点を取る形創りの上手さが際立ちました。

 ドイツの先制点の以前も以後も、チリチームは様々な形で攻め続けました。

 しかし、どのシーンでも「シュートを打つチリのプレーヤー」よりも、「守るドイツのプレーヤー」の方に、僅かながら「余裕」が感じられました。
 必死のプレーにおいて、チリチームのシュートは、ドイツのゴールキーパーGKテア・シュテーゲン選手の対応範囲内か、枠の外に飛んだのです。スーパーシュートが望まれた所以です。

 試合の終盤、チリのピッツィ監督は苛立ちを隠しませんでした。
 全ての準備をし、素晴らしいプレーヤーを揃えながら、勝利を手にすることが出来そうもないことに対してのものなのでしょう。

 ブラジルでもアルゼンチンでもウルグアイでもない南米のナショナルチームにとって、FIFA公式世界大会を制覇する、千載一遇のチャンスだったのです。ピッツィ監督の無念さは、心に響きます。

 一方のドイツは、初優勝を成し遂げました。
 「若手主体」というか、ドイツ代表AチームとBチームがあるとすれば、完全なBチーム(Aチームとひとりのプレーヤーもダブらない)で優勝を捥ぎ取ったのです。
 ドイツサッカーの底力を存分に示した優勝でした。

 「コンフェデレーションズカップで優勝したチームは本大会では優勝できない」というジンクスがあります。このジンクスは、2014年ワールドカップ・ブラジル大会まで厳然と存在してきました。

 ドイツチームがこれまでコンフェデレーションズカップで優勝しなかったのは、このジンクスがあるためではないかと訝っていましたが、ついに優勝したのです。

 レーヴ監督率いるドイツ代表チームは、このジンクスさえ破ってしまうかもしれないと感じます。
[6月28日・準決勝]
ドイツ4-1メキシコ

 国際大会で「勝ち慣れている」ドイツ代表チームが、終始安定したプレーを展開して快勝しました。

 チャンスの数では、メキシコ代表チームも互角の戦いを魅せましたが、「ゴールを決めるノウハウ」という点で、ドイツチームが1枚上手だったというところでしょう。

 試合開始早々の前半6分と8分にドイツが連続ゴールを挙げました。共にゴレツカ選手のゴールでした。
 メキシコチームのゴールキーパーGKは、2014年ワールドカップにおいても「堅守」で鳴らしたオチョア選手でしたから、いかに今大会得点力抜群のドイツとは言えども、得点するのは容易では無いとの戦前の予想を裏切り、あっという間に試合を支配したのです。

 両得点とも、GKにはとても守り難いシュートでしたが、特に2点目、相手ディフェンダーの裏に走り込んだゴレツカ選手に完璧なラストパスが渡り、ゴール右側から走り込みながら、GKと1対1の体制を創り上げた瞬間に、ゴール左隅にシュートを放つという「形」は、現在のサッカー競技において最も得点の入りやすい形であり、これをチームとしてキッチリと実行できるところに、ドイツチームの強さが現れています。
 このタイミングでこの角度では、いかにオチョア選手といえども「体勢を作る暇」がありません。「レベルの高いチーム」を相手にして、どのようにゴールを挙げるかを、ドイツチームは熟知していて、実行するスキルが備わっているのです。

 一方、メキシコチームもエルナンデス選手やドスサントス選手を中心にドイツゴールに迫り、再三シュートを放ちますが、試合終盤まで、どの局面においても、ディフェンダーとGKテア・シュテーゲン選手の体制を崩すには至りませんでした。
 メキシコチームは良い攻めを展開し、良いシュートを浴びせるのですが、テア・シュテーゲン選手はいつも「準備万端」で待っていたのです。

 唯一、テア・シュテーゲン選手が意表を突かれたのが、後半44分のマルコ・ファビアン選手のシュートでした。これはミドルシュートというよりロングシュートと呼んだ方がふさわしい、遠方からのシュートであり、ボールが右に大きく変化していました。
 さすがのテア・シュテーゲン選手でも届かない、素晴らしいシュートでした。
 このファビアン選手のシュートは「世界最高水準」のものでしょう。

 ドイツ守備陣の「厚い壁」を破るには、「予想を裏切るタイミング」と高いスキルが必須なのです。

 今回の代表チームに同行している、ミロスラフ・クローゼ氏が代表プレーヤーだった時に再三口にしていた「ドイツはトーナメントチームだよ」というコメントが思い出されます。

 いつの時代もドイツ代表は「トーナメントで勝つためのチーム」だということ。国際大会のトーナメント=一発勝負、で勝利するためには「先制→追加点」が最も有効であることを知り尽くしているのでしょう。

 「最も得点が取れる形をメカニカルに創り上げ続ける」のが、ドイツ代表チームのサッカーなのです。

 現在のというか、21世紀に入ってからのドイツチームの弱点を挙げるとすれば、「どのプレーヤーからも得点が生れる」均一性、これは素晴らしい長所でもあるのですが、結果として「チームの軸となるプレーヤーが不明確」となり、苦しいゲーム、0-0が続くゲームや0-1といった劣勢のゲームにおける、局面打開力・反発力にやや欠ける可能性が有るという点でしょうか。
 早々に先取点を挙げ、優位に試合を進めることが出来なかった時に、意外な脆さを示すことが有るのです。

 「軸となる選手の不在」というポイントは、今大会の様な若いチーム、発展途上のチームには、より明確な傾向となって表れる可能性が有ります。

 こうした「得点力抜群」のドイツ代表チームに、近年強かったのが2010年前後のスペイン代表チーム、最強と呼ばれていた頃のスペインチームでした。
 シャビ選手、イニエスタ選手を中心としたスペインチームは、「ドイツにボールを渡さない」「何もさせない」というプレー(素早いパスプレーの連続)で、ユーロやワールドカップの決勝トーナメントでドイツチームを完封し続けたのです。
 2010年のワールドカップ準決勝で敗れた時、クローゼ選手は「ボールを追いかけ続けて、最後は疲れてしまった。何もできなかった」とコメントしています。

 今大会のドイツチームに勝つためにも、この時期のスペインチームのような「考え方」を、何らかの形でプレーに反映させ、やはり「完封」することが必要なのだろうと思います。
[6月28日・準決勝]
チリ0-0ポルトガル(PK戦3-0でチリの勝利)

 延長後半13分から、試合はチリ代表チームの流れとなりました。

 延長後半13分、ポルトガルゴール前に殺到したチリチームは、ビダル選手がシュート、これがポルトガルゴール右ポストに当たり、跳ね返ってきたボールをロドリゲス選手が再びシュート、これがクロスバーに当たって、惜しくもゴールとはなりませんでしたが、この試合における両チームを通じて最大のチャンス、ポルトガル代表チームにとっては最大のピンチとなったシーンでした。

 この攻防で、ポルトガルチームは「肝を冷やした」ことでしょうが、この「肝を冷やした」心持ちが、PK戦にも反映されたように感じます。

 コイントスの結果、先行としたチリチームの1人目、ビダル選手のPKはゴール左側に「突き刺さり」ました。相当強いキックだったのです。チリチームの「勢い」を感じさせるキック・ゴールでした。

 対して、ポルトガルチームの1人目カレスマ選手のキックは、慎重にコースを狙った印象で、これをチリのゴールキーパーGKブラボ選手がキッチリと止めました。

 この1人目の成否が2人目以降のキッカーにも大きな影響を与えました。
 チリは、2人目のアランギス選手、3人目のサンチェス選手がキッチリと決め、ポルトガルは2人目モウチーニョ選手、3人目のナニ選手が止められて、試合は決まりました。

 このレベル、FIFA公式戦の準決勝という舞台のPK戦で、「ひとりも決められずに敗れる」というのは、滅多に見られないというか、私は初めて観ました。そのことだけでも、「ブラボ選手による歴史的なセーブ」と言って良いのでしょう。

 特に、ポルトガル3人目のナニ選手のゴール右サイドへの狙い澄ましたキックを、完全に予測していたかのように「完璧に止めた」プレーは印象的でした。
 両チームの勢いの差、事前準備の差が、ナニ選手ほどの好プレーヤーにしてベテラン選手をも飲み込んだ形です。
 試合の流れというものは、怖いものだと改めて感じさせるシーンでした。

 このチリに傾いていた流れを押し戻すとすれば、ポルトガルの1人目はクリスティアーノ・ロナウド選手しか無かったのでしょう。ロナウド選手が、ゴールネットを突き破るようなPKを決めていれば、試合の流れは互角だったのかもしれないと思います。

 しかし、ゲームはロナウド選手が登場する前に(5人目に予定されていたのではないかと推定します)、終了してしまいました。

 前後半90分と延長30分の戦いは、とてもハイレベルな素晴らしいものでした。
 さすがに、欧州チャンピオンと南米チャンピオンの戦いだったのです。

 両チームとも「高い位置からのディフェンス」から、相手チームのゴールを脅かしました。
 各々のイーブンボールへの働きかけ・プレーにおいて、これほど「互角」のゲームは珍しいでしょう。
 両チームのプレーヤーは、相手チームの力量の高さを十分に感じながらプレーしていたものと感じます。

 勝敗を分けたものは「勝利への執念」、具体的には試合前の準備量の差という感じがします。(当然ながら、ただ「勝ちたい」と念じているだけでは、勝利は遠いものです。「執念」を具体的な形・施策・プレーに結びつけなければならないのです)

 チリチームはピッツィ監督のもと「絶対に優勝する」との気迫を持って、あらゆるシーンを想定して対応策を準備し、ゲームに臨んでいたように感じます。
 延長後半、試合時間残り3分からの攻撃や、PK戦でのプレーぶりに、その「準備レベルの高さ・対応策の正確さ」が現れていました。

 チリとポルトガルという、コンフェデーレーションズカップ初出場ながら、とても強いチーム同士の戦いとなった準決勝・第1試合は、チリチームの勝利となりました。

 チリ代表チームは、「狙っている優勝」まで、あと1勝に迫ったのです。
[6月22日・グループB]
チリ1-1ドイツ

 グループリーグB組の有力チーム同士の対戦は、1-1の引分けでした。
 緒戦を勝利していたチリ代表チームとしても、「負けられないゲーム」をキッチリと引き分けたというところでしょう。

 2015年の南米選手権(コパ・アメリカ)優勝国として、今大会に出場しているチリチームは、この大会初出場ですが、明らかに優勝を狙っているチームであり、チーム力もとても充実しています。
 チリサッカー史上最強のチームなのではないでしょうか。

 攻撃陣は、エースのサンチェス選手に、ビダル選手とバルガス選手を並べています。得点力抜群の布陣。チリチームのチャンスの多くはサンチェス選手から生まれていますし、ビダル選手とバルガス選手も、得点シーンに顔を出す頻度の高さには驚かされます。

 このゲームでも、前半6分、高い位置のディフェンスからドイツボールを奪い、ビダル選手からサンチェス選手にパスが渡って、サンチェス選手が「爪先」でドイツゴール左のポストに当ててゴールに押し込みました。
 相手は名にし負う堅守のドイツ代表チーム、ゴールキーパーはあのノイアー選手に代わってゴールを守るテア・シュテーゲン選手、その狭い左側の隙間にしっかりと決めて行ったのですから、サンチェス選手の決定力、得点への嗅覚は素晴らしいと思います。

 今回のチリチームは、とても「完成度の高いチーム」です。

 センターバックのハラ選手とメデル選手は、代表キャップ100以上を誇る大ベテランですし、チリのゴールを守る「鉄壁」です。
 サンチェス選手もキャップ70以上を誇る存在だと思いますが、キャップ30以上のプレーヤーが9人も居るという、「長くこのチームで戦ってきた」という、コミュニケーション力が極めて高いチームなのです。

 個々の能力が極めて高く、チームとしてのコミュニケーション力が高い、「今、何をしなければならないか」を常にイレブンが共有できるチームが、とても強いのは自然なことでしょう。

 これ程のチームでなければ、2015年のコパ・アメリカ、2016年のコパ・アメリカ・センテナリオを連覇することが出来る筈はありません。少なくとも、2015~16年にかけては、南米最強のナショナルチームであったこと、ブラジルやアルゼンチン、ウルグアイよりも強いチームであったことは、事実が証明しているのです。

 そのチームが、本気で優勝を狙っているのですから、今大会の優勝候補NO.1であることも、当然のことなのでしょう。

 ピッツィ監督は、チリにコンフェデレーションズカップを持ち帰ろうとしています。
 優勝に向けて、全ての手を打ってきているのです。
[6月22日・グループB]
チリ1-1ドイツ

 グループリーグGL・B組のドイツチームとチリチームのゲームは、1-1の引分けでした。
 B組の有力チーム同士の対戦でしたが、緒戦を勝利している両チームにとっては、決勝トーナメント・準決勝進出に向けて「負けないこと=勝点1を取ること」が最優先の試合だったのでしょう。

 試合内容も素晴らしいものでしたが、何より、ドイツ代表チームのメンバーに驚かされました。

 ドイツチームは、2014年ワールドカップ優勝チームの資格で、この大会に出場しているのですが、「その時のメンバーがひとりもいない」感じなのです。まさに「全とっかえ」というところ。

 ゴールキーパーGKはテア・シュテーゲン選手。
 ディフェンダーDF3バックは、左からズーレ選手、ムスタフィ選手、ギンター選手。
 ミッドフィールダーMFの両サイドはヘクトール選手とキミッヒ選手、中央にはルディ選手とエムレ・ジャン選手。
 フォワードFWは左からドラクスラー選手、スティンドル選手、ゴレツカ選手。

 現在のワールドカップチャンピオンであり、世界中のサッカー関係者から「ドイツサッカー」が注目を浴びている状況下、そのサッカーを創り上げ演じたメンバーがひとりもいないチームで、今大会に臨んでいるのです。(ひょっとするとこのチームのキャプテンのドラクスラー選手が、当時のメンバーに入っていたかもしれませんが、記憶に在りません)

 世界最高のGKと称されるノイアー選手やエジル選手、トーマス・ミュラー選手、トニ・クロース選手、サミ・ケディラ選手、ゲッツェ選手、フンメルス選手、ボアテング選手、フィリップ・ラーム選手、等々の錚々たるメンバーをひとりも連れてきていないチームというのも、凄いものです。

 もちろん、2018年のワールドカップ欧州予選では、前述の若いメンバーで戦っている(現時点で6戦全勝)のでしょうが、あまり見る機会が無かったものですから、私にはコンフェデレーションカップ2017のメンバーが、とても新鮮な「新・ドイツ代表チーム」に観えます。

 これほど大胆な「世代交代」を実施できるのは、ヨアヒム・レーヴ監督の力が大きいのでしょう。2014年にドイツにワールドカップを齎し、2018年大会まで代表チームの舵取りを請け負うことになったレーヴ監督ならではの「全とっかえ」だと感じます。

 もちろん、ドイツサッカーの選手層の厚さ、裾野の広さも見逃せません。

 GKテア・シュテーゲン選手は、FCバルセロナの正キーパーです。
 センターフォワードであり、この試合でも0-1からの同点ゴールを挙げたスティンドル選手は、ボルシア・メンヘングラートバッハのエースであり、前シーズンで11得点を挙げたプレーヤーなのです。
 ブンデスリーガはもちろんとして、世界中のクラブで活躍しているプレーヤーが、数多いるのです。
 思い切った「世代交代」をしても、十分に世界のトップで戦って行けるチームが造れるのでしょう。素晴らしいというか、羨ましい限りです。

 レーヴ監督は「今後10年間戦って行ける代表チーム」の創造を、目指しているのかもしれません。

 常に、目の前の大会・戦いの勝利のみを必死に求めるのではなく、将来を見据えて代表チームを造っていける国、それがワールドカップを4度優勝できる国なのです。
 2018年のワールドカップ・ロシア大会の前哨戦としてのコンフェデレーションズカップ2017が6月17日に幕を開けました。

 出場チーム8か国のラインナップを見ると、とても「新鮮」な印象があります。

[グループリーグ・A組]
・メキシコ
・ポルトガル
・ロシア
・ニュージーランド

[B組]
・チリ
・ドイツ
・オーストラリア
・カメルーン

 直近の世界各地域のチャンピオンチームと、2018年大会の開催国ロシア、2014年大会の優勝国ドイツ、という構成となっています。

 「新鮮」な印象を受ける最大の要因は、ワールドカップ優勝経験国が1か国・ドイツしか出場していないという点でしょう。

 いわゆる「強豪国」、ブラジル、イタリア、ウルグアイ、アルゼンチン、スペイン、イングランド、フランスといった、ワールドカップチャンピオンの姿が無いのです。

 何故「無い」かといえば、当然ながら、各地域の大会で好成績を残していないためです。
 つまり、世界各地域における「勢力地図」に変化が見られるということになるのでしょう。

 チリ代表チームは、2015年のコパ・アメリカ大会優勝チームとして出場しています。チリは、ブラジルやアルゼンチン、ウルグアイを抑えて南米チャンピオンに輝いたのです。

 ポルトガル代表チームは、2016年の欧州選手権大会(ユーロ)の優勝国として出場しています。ポルトガルがユーロで優勝したのは、史上初のことですから、コンフェデ杯にも初出場ですので、「新鮮」な印象なのも頷けるところです。

 オーストラリア代表チームは、アジアカップ2015の優勝チームとして出場しています。
 こちらは4回目の出場ですから「常連」に近いのですけれども、中近東の国々や韓国、日本といったチームが居ないものですから、アジア代表が出場していないように感じる人も居るのでしょう。

 ニュージーランドはOFCネイションズカップ2016の優勝国として、オセアニア地域の代表としての出場となります。こちらも4回目の出場です。
 お隣同士のオーストラリアとニュージーランドが出場していますから、「新鮮」な感じが強くなっているのかもしれません。

 メキシコはCONCACAゴールドカップ2015の優勝チームとして、北中米・カリブ海の代表として出場しています。7回目の出場ですから、まさに「常連」。CONCACAを代表するチームの登場となります。

 そしてカメルーンは、アフリカ・ネーションズカップ2017を制して出場権を獲得しました。最近の大会であり、カメルーンの出場が決まって、コンフェデレーションズカップ2017のメンバーが揃ったのです。本大会には、3回目の出場となります。

 さて、「新鮮」な印象の今大会ですが、既に戦いの火蓋が切られています。

 A組を見れば、やはりメキシコとポルトガルが決勝トーナメントに進出する可能性が高いと思いますし、B組ではチリとドイツが有力でしょう。

 そして、優勝争いはチリ、ポルトガル、ドイツの3チームの争いになりそうです。

 準決勝で、ポルトガルチームがどちらのチームと対戦することになるかがポイントとなります。

 優勝候補は、「堅守速攻」のチリチームであろうと考えています。
 21世紀に入って、サッカー競技におけるディフェンス・守備は「ゾーン・ディフェンス」が主流となりました。

 「スペース管理」という概念が、サッカー戦術において重要性を増したことが理由であろうと思います。
 相手チームの自由な動きを抑制する、相手チームにスペースを与えないという考え方、特にゴール前では、どのエリアにもディフェンダーを一定数配することで、思いもよらぬ「空白エリアの出現」を防止するという狙いもあるのでしょう。

 加えて、ディフェンスからの攻撃参加を行う面からも、局面局面でディフェンダーの位置が概ね定まっている方が、チーム全体の動きとしても合理的であり、戦法の組立も容易である、という側面もありそうです。

 一方で、攻撃側から見れば、狭いエリアであれば比較的自由に動けるメリットがあり、ディフェンス側が決めているエリアに近づくまでは、足許への強烈なアタックも少ないという面がありそうです。
 
 ゾーン・ディフェンスとマンツーマン・ディフェンスについては、別の機会にもう少し詳細に見ていこうと思いますが、今回のテーマは「マンツーマン・ディフェンスのひとつの究極形」としてのマンマーク、それも「歴史に残るマンマークプレー」を見ていきます。

[1974年ワールドカップ決勝・ミュンヘンオリンピアシュタディオン]
西ドイツ2-1オランダ
における、ベルティ・フォクツ選手のヨハン・クライフ選手へのマンマーク。

 とても有名なゲームです。
 「世界サッカー史におけるベストゲーム10選」に常にランクインするゲームでしょう。

 「空飛ぶオランダ人」ヨハン・クライフ選手を擁するオランダチームが、「皇帝」ベッケンバウアー率いる西ドイツチームと激突した戦いでした。

 この大会は西ドイツ開催でしたから、地元としての西ドイツチームとしては負けられない一戦でしたが、一方で、「トータルフットボール」というサッカー競技における「革命的新概念・新戦術」を世に問うたオランダチームの強さは、一頭抜けている印象がありました。

 2次リーグ(この大会は1次リーグ、2次リーグ制)最終戦のオランダVSブラジルのゲームは、決勝進出を賭けた大一番でしたが、オランダチームが2-0で完勝しました。1970年大会の優勝チームであり、その時の主力メンバー(リベリーノ選手やジャイルジーニョ選手)が残っていたブラジルチームは、当然ながら優勝候補の一角を占めていましたが、そのブラジルチームが「手も足も出ない」感じで敗れたのです。

 地元開催での優勝を目指す西ドイツチームとしても、オランダは「容易ならざる敵」でした。
 そのオランダチームのエースというか「核」がクライフ選手であることは、誰の目にも明らかでしたから、西ドイツチームとしては、「クライフに自由に動かれては勝利は覚束ない」と考えたことでしょう。

 そこで西ドイツチームが編み出したというか、決めた戦法が「フォクツによるクライフのマンマーク」でした。
 「ゲームを通してフォクツ選手はクライフ選手に貼りついて離れない、一瞬たりとも離れない」という、フォクツ選手にとっては体力的にとてもしんどい戦法だったのです。

 何しろ、攻撃する側のクライフ選手は、自分が考えた通り、感じた通りに動きます。
 対してフォクツ選手は、クライフ選手の動きに合わせて動かなければなりません。
 
 普通のプレーヤーに対してマンマークを行うことも、相手プレーヤーの動きを「後追い」するのですから、とても難しいことなのですが、相手が世界最高のプレーヤー、予想も出来ない動きをするプレーヤーとなれば、その困難さは筆舌に尽くしがたいものでしょう。
 1試合を通して「張り付く」などというのは、到底不可能なことに見えます。

 しかし、フォクツ選手はこれを実行しました。
 凄まじい忍耐力と驚くべき体力・持久力を発揮したのです。

 この試合の途中から、明らかにクライフ選手がフォクツ選手を嫌がっている様子が観られました。
 気分屋とも言われていたクライフ選手の戦闘意欲が削がれていったことは、間違いないのでしょう。

 西ドイツチームに優勝を齎したマンマークであったと思います。

[1966年ワールドカップ準決勝・ウェンブリースタジアム]
イングランド2-1ポルトガル
における、ノビー・スタイルズ選手のエウゼビオ選手に対するマンマーク

 1966年のワールドカップはイングランド大会でした。
 サッカー競技発祥の地であるイングランドとしては、ワールドカップのタイトルは何としても物にしたいと考えていたでしょうし、この時期のイングランドには好プレーヤーが揃ったのです。

 ボビー・チャールトン選手、ジャッキー・チャールトン選手の兄弟や、世界最高のゴールキーパーGKと呼ばれたゴードン・バンクス選手やディフェンダーでキャプテンのボビー・ムーア選手、等々、イングランド史上最強とも言われるメンバーでしたので、イングランドチームとしては、是が非でも優勝したかったのです。

 ところが、準決勝の相手・ポルトガルチームには、あの「黒豹」エウゼビオ選手が居ました。

 現在、21世紀・2017年時点で、ポルトガルサッカー史上最高のプレーヤーはと聞かれれば、多くのサッカーファンがクリスティアーノ・ロナウド選手と答えるでしょう。
 「21世紀における」という前置詞を付ければ、この答えが妥当だと感じます。

 しかし「20世紀における」という前置詞を付ければ、エウゼビオ選手なのです。
 1960年代から70年代にかけて、エウゼビオ選手はポルトガル、そして世界を代表するフォワードFWでした。

 この時代には、ペレ選手という、サッカー史上最高のプレーヤーが活躍していましたが、場合によっては「ペレと並び称される」存在だったのです。

 個人的には、ペレに匹敵するサッカー選手は存在しませんが、ペレ選手の全盛期に「ペレに次ぐFW」ということであれば、エウゼビオ選手を挙げるかもしれません。それ程、存在感満点のプレーヤーでした。

 少し話がそれますが、エウゼビオ選手は1970年にクラブチーム、ベンフィカ・リスボン*の一員として来日し、全3試合に出場しています。
 全日本チーム等を相手しての3試合であったと記憶していますが、ゲームは3試合ともベンフィカ・リスボンの圧勝で、特に国立競技場で行われた第2戦は4-1でベンフィカが勝ちましたが、4点ともエウゼビオ選手のゴールであったと思います。
(*現在では、日本語でベンフィカあるいはSLベンフィカと書かれるクラブチーム名ですが、当時はベンフィカ・リスボンと表記されていました。海外の一流チームが来日する機会がとても少なかった時代ですので、この時のベンフィカの強さ、UEFAチャンピオンズカップ=現在のチャンピオンズリーグ、を2度制している超一流チームのプレーぶりは、とても強烈な印象を日本のサッカーファンに残しました)

 特に、エウゼビオ選手がドリブルに入ったときのスピードとパワー、その「突進」は迫力満点で、「とても止められない」と感じさせるものでした。身長175cmと決して大柄なプレーヤーではありませんでしたが、走り出した時にはものすごく大きく見えたものです。

 ちなみに、クリスティアーノ・ロナウド選手とエウゼビオ選手の比較を行うとすれば、どういう結果になるでしょうか。この比較だけで、相当の字数を要するので、ここでは詳細を省略しますが、「甲乙つけ難い」というのが、私の感想です。

 2人は、ポルトガルサッカー史に燦然と輝く両雄なのでしょう。

 さて、話を戻します。

 1965年のバロンドール受賞者であり、めきめき力を付けてきていた24歳のエウゼビオ選手は、準々決勝の北朝鮮戦(ベスト16のゲームでイタリアを破り、「ワールドカップ史上最大の番狂わせ」と呼ばれた大会です。ちなみに、このゲームが「ワールドカップ史上最大の番狂わせ」との評価は、現在でも不変でしょう)において、北朝鮮チームに0-3とリードを許しながら、ひとりで4点を挙げて逆転勝ちし、ベスト4に進んできていました。

 このエウゼビオを止めずして、イングランドに勝利→決勝進出は無い、と考えるのは、とても自然なことでしょう。

 イングランドチームは、ノビー・スタイルズ選手をエウゼビオ選手のマークに付けることとしたのです。スタイルズ選手は試合を通じてエウゼビオ選手に「張り付く」ことを命じられました。
 前述のフォクツ選手同様に、とても難しい使命を負ったのです。

 エウゼビオ選手のスピードとパワー、そして切れ味鋭いテクニックに溢れたプレーに対して、1試合を通して「張り付く」などということが出来るのだろうかと感じてしまいますが、スタイルズ選手はこれをやり切りました。

 この試合で、エウゼビオ選手は殆ど自分のプレーをすることが出来なかったのです。

 このゲームの、イングランドの2得点は、いずれもボビー・チャールトン選手のゴールです。さすがに「イングランドサッカー史上最高のプレーヤー」と称されるだけのことはあります。
 一方、ポルトガルの1得点は、エウゼビオ選手のPKでした。本来のプレーが出来なかったとはいっても、意地は魅せたのです。

 それにしても、ノビー・スタイルズ選手のこのゲームでの献身的な働きは、ひょっとするとイングランド優勝の最大の功労者なのではないかと感じてしまいます。

 今回は、ドイツのベルディ・フォクツ選手とイングランドのノビー・スタイルズ選手の「サッカー史に刻まれたマンマーク」を観てきました。

 こうした記憶を思い起こすと、「マンマークの効果・重要性」に辿り着きます。
 現代サッカーにおいても、「徹底したマンマーク」は、相手チームのエースを抑え込む、特に圧倒的な力を誇るエースを抑え込むには、有効な戦法なのではないでしょうか。(もちろん、プレー全般の運動量増加等、サッカーの質の変化は考慮しなければなりませんが)

 この2人のプレーヤーは、共に身長168cmと報じられています。
 当時としても、決して大きくは無いプレーヤーです。

 ベルディ・フォクツとノビー・スタイルズ、「小さな縁の下の力持ち」の2人は、母国に「サッカー界最大の勲章」、ワールドカップを齎す原動力となったのです。
 サッカー・オランダ1部リーグ=エールディヴィジの2016年~17年シーズンは、5月14日に最終の第34節の試合が行われ、フェイエノールトが勝点を82として、同81で追いすがるアヤックスを抑えて優勝しました。

[5月14日・第34節]
フェイエノールト3-1ヘラクレス・アルメロ

[5月14日・第34節]
アヤックス3-1ヴィレムⅡ

 首位を争う両チームは、共に最終戦を3-1で勝ちました。
 アウェイでヴィレムⅡを下したアヤックスもさすがですが、久々の優勝への地元ファンの熱い声援を背に、ディルク・カイト選手のハットトリックで、ホームゲームを勝ち切ったフェイエノールトも、今シーズンの実力を発揮した形です。

 最終的に、フェイエノールトは26勝4敗4引分、アヤックスは25勝3敗6引分と、負け数ではアヤックスがひとつ少なかったのですが、勝ち星でフェイエノールトがひとつ勝り、僅か1点差という接戦となったのです。

 直接対決で1勝1引分と優位だったアヤックスにとっては、シーズン開始直後の2016年8月20日のヴィレムⅡとのゲームと12月11日のFCトゥエンテとのゲームを、共に1点差で落としたことが、大きく響きました。
 もちろん、アヤックスの成績も、十分に優勝に値する水準でしたから、今季はフェイエノールトが「良く勝ち星を積み重ねたシーズン」を送ったということなのでしょう。

 クラブの財政的な理由から、21世紀に入ってフェイエノールトの成績は低迷を続けました。
 エールディヴィジの3強と言われる、アヤックス、PSVアイントホーフェン、フェイエノールトですが、2001年以降フェイエノールトはアヤックスとPSVに大きく水を開けられました。

 2001年から2016年まで、アヤックスは6度の優勝、PSVは8度の優勝を重ね、名門チームとしての実績を積み重ねましたが、フェイエノールトは1度も優勝できませんでした。
 この間に、フェイエノールトは優勝回数で大差を付けられてしまいました。

 そうした「長い低迷」を乗り越えての、今季の優勝は、ようやくフェイエノールトの強化策が実り、財政面も含めたチーム力が復活してきたということでしょう。
 チームの得点王は、21点でニコライ・ユルゲンセン選手(デンマーク)、2位はイェンス・トールンストラ選手、3位はカイト選手と、中盤のプレーヤーが並びます。FWとMFが一体となって攻める「オランダ伝統のサッカー」が、今季の持ち味だったのかもしれません。

 エールディヴィジの歴史を見ると、世界的なプレーヤーの足跡を見ることが出来ます。
 シーズン得点王を少し振り返れば、1966~67年と1971~72年のシーズンには、ヨハン・クライフ選手(アヤックス)が得点王に輝きました。
 1983~87年は4季連続でマルコ・ファンバステン選手(アヤックス)が、1988~91年は3季連続でロマーリオ選手(ブラジル、PSV)が、1994~95年にはロナウド選手(ブラジル、PSV)が得点王となっています。
 所謂、欧州4大リーグではないのですが、エールディヴィジには世界的プレーヤーが活躍してきた、そして活躍している歴史があるのです。

 UEFAチャンピオンズリーグでも、アヤックスが4回、PSVとフェイエノールトが1回ずつ優勝しています。エールディヴィジは、欧州NO.1クラブチームを生み出す力が十分に有るリーグなのです。

 フェイエノールトは、長い低迷から抜け出しました。
 エールディヴィジ2016~17は「名門復活」のシーズンだったのです。
 サッカーのポルトガル1部リーグ→プリメイラリーガは、5月20日・21日に最終の第34節のゲームを行い、今シーズンの戦いを終えました。

 欧州のサッカーリーグというと、スペインのリーガエスパニョーラ、ドイツのブンデスリーガ、イタリアのセリエA、イギリスのプレミアリーグが4大リーグであり、それに続くのがフランスのリーグアンというイメージがありますが、UEFA(欧州サッカー連盟)の国別ランキングでは、2012年からポルトガルのプリメイラリーガが5番手に上がっているのです。

 UEFAランキングの上昇は、ポルトガルサッカーのステータスが上がっていることを示していて、その評価の正しさを示したのが、2016年ユーロでのポルトガルの初優勝でしょう。
 ポルトガル代表チームは、突然強くなったわけではなく、ポルトガルサッカーの地力が上がってきていたのです。急に強くなったチームが優勝できるほど、ユーロが甘い大会ではないことは、言うまでもないことでしょう。

 また、UEFAランキング、FIFAランキングというのは、各国・各チームの国際試合での成績を基に算出されていますから、相当客観的かつ精度の高いものなのです。

 我が国ではあまり馴染みが無いプリメイラリーガですが、大きな特徴があります。

 多くの国の1部リーグと同様に18チームで構成されていて、成績下位チームが下部リーグ上位のチームと入替が行われるところも一緒です。

 ところが、ベンフィカ、FCポルト、スポルディングCPの3チーム以外のチームが優勝することは、滅多に無いのです。この3チームは文字通りの「3強」です。
 1934年のリーグ創設以来、3強以外のチームが優勝したのは、1945~46年シーズンのベレネンセスと2000~01年のボアヴィスタの2チーム・2度しかないのです。
 
 この「3強」の「圧倒的な強さ」、残るチームとの大きな力の差・実績の差は、主要リーグがあるサッカー強豪国の中でも際立っています。
 例えば、リーガエスパニョーラではレアル・マドリード、FCバルセロナ、アトレティコ・マドリードが「3強」ですが、21世紀になってからでもバレンシアが2度優勝していますし、1980~84年の4シーズンはレアル・ソシエダとアスレティック・ビルバオが2度ずつ優勝しているなど、3強以外のチームの優勝も時々見られるのです。

 しかし、プリメイラリーガでは3強が圧倒的に強いのです。
 2016~17年シーズンについても、優勝ベンフィカ、2位FCポルトに続く3位はスポルディングとなっています。3強以外のチームは「3位に入るのも難しい」というのが、プリメイラリーガの現実なのです。(ベンフィカの今季勝点は82、ポルトは76、スポルディングは70、に対して、4位のヴィトリア・ギマランエスは62点と少し差があります)

 「3強の覇権」にも時期による偏りが有り、1940年代から50年代はスポルディングが強く、3連覇・4連覇を魅せていますが、1990年代から2000年代にはポルトが強く、4連覇・5連覇が有ります。ベンフィカは何時の時代も安定した強さを示している印象で、直近は4連覇中ということになります。

 クリスティアーノ・ロナウドという、現代最高のサッカープレーヤーを生んだポルトガルですから、ポルトガルサッカーの裾野は広く、素晴らしいプレーヤーがどんどん出てきていることは間違いないのでしょうが、そうした優秀なプレーヤーは、「3強に入るか、他国のチームに入るか」といった選択をすることが、歴史的には多かったのかもしれません。
 そして近年は、プリメイラリーガでプレーする選手が増えてきている可能性があります。国内リーグが強くなると、代表チームが強くなるものですから。 

 プリメイラリーガからは、1~3位がUEFAチャンピオンズリーグに出場し、4・5位がUEFAヨーロッパリーグに出場できます。
 この出場チーム数は、いわゆる4大リーグに引けを取らないものです。

 様々な国際舞台・年代での、ポルトガル代表チーム、およびポルトガルのクラブチームの今後の活躍から眼が離せません。
[6月3日・決勝・ウェールズカーディフ]
レアル・マドリード4-1ユベントス

 接戦が予想されたゲームでしたが、レアルが圧勝しました。
 ユベントスは、再び決勝で敗れたのです。

 開始早々はユベントスの「フルスロットルの攻撃」が展開されました。こうした大きなゲームでは珍しい程の猛攻でしたが、レアルはゴールキーパーGKナバス選手を中心として、良く守り切りました。ユーベの猛攻は、前半10分前に終了しました。

 その後は、両チームの攻め合いの様相となりました。

① クリスティアーノ・ロナウド選手の先制点

 前半20分、右サイドからのセンタリングをロナウド選手がゴール左隅に蹴り込みました。
 見事なシュートでした。

 「最強」を誇るユベントスの守備陣、その中核を成すボヌッチ選手が懸命に右脚を出しましたが、ロナウド選手のシュートは、その右脚の僅かに先を通過して、GKブフォン選手の手の先に突き刺さりました。

 このゴールでレアルが勝ったと感じました。

 今大会ここまで、僅かに3失点、ベスト16・ベスト8・準決勝の3対戦・6試合で僅かに1失点のユベントス守備陣が、開始僅か20分で失点したのです。

 レアルの攻撃力がユーベの守備力を上回っていることが、明らかになったのですから。

② イスコ選手とモドリッチ選手

 変幻自在のレアルの攻撃でしたが、特に目立ったのはイスコ選手とモドリッチ選手の運動量とスピードです。

 両選手のドリブル、ボールキープは素晴らしいものでした。

 もちろん、マルセロ選手やカゼミーロ選手も見事な働きを魅せてくれていましたので、レアル・マドリードがチーム全体として良く機能していたということなのですが、イスコ選手とモドリッチ選手の緩急十分な動きは、「ゲームのアクセント」となっていて、守備対応がとても難しいものでした。

 「良いチーム」が創り出されていたのです。

③ イグアイン選手への対応

 現在のユベントスの得点エンジンであるゴンサロ・イグアイン選手が、全く目立たないゲームとなりました。

 レアルは、イグアイン選手へのマークを徹底すると共に、イグアイン選手周辺のスペースも消し続けました。
 結果として、ユベントスはマンジュキッチ選手にボールを集める形となり、前半27分にはスーパーゴールが生まれました。

 レアルディフェンダーに完全にマークされていたマンジュキッチ選手が、オーバーヘッドシュートを決めたのです。「ここしか無い」という位置へのミラクルなシュートでした。

 まさに「スーパーゴール」でしたが、これ程「滅多に決まらないシュート」でなければ得点できないとすれば、ユベントスの追加点は相当難しいだろうとも感じました。

④ 後半はレアルのゲーム

 1-1の同点で折り返したゲームでしたが、後半は開始早々からレアルの動きが勝りました。

 イスコ選手、モドリッチ選手、マルセロ選手、カゼミーロ選手らが自在にピッチを走り回り、効果的なボールをユーベゴール前に供給し続けたのです。

 そこに「世界一の決定力を保持するプレーヤー」が待っているのですから、守り切るのはとても難しいことです。

 後半16分、ゴール前の混戦からこぼれ出たボールをカゼミーロ選手がミドルシュート。これがゴール左隅に突き刺さりました。
 レアルの波状攻撃から生まれたゴールでした。

 後半19分のクリスティアーノ・ロナウド選手のゴールは、まさに世界最高水準のものでした。
 モドリッチ→カゼミーロ→モドリッチと繋いで、モドリッチ選手が抉り、ゴール右サイドへラストパス。そこに走り込んだロナウド選手がワンタッチで流し込んだのです。
 角度の無いところからの難しい筈のシュートですが、いとも簡単に決めたように観えました。
 ゴール前に走り込むロナウド選手の動きは、ディフェンダーからは見えていなかったの様でした。「無人の野を行く」ような趣だったのです。この「走り込み」こそが世界最高レベルだったのです。

 世界トップクラスのディフェンダー、GKを相手にしてのクリスティアーノ・ロナウド選手の「別次元」のプレーであったと思います。

 後半38分には、ユーベのクアトラード選手が2枚目のイエローカード→レッドカードを受けて退場しました。「ボールを保持できない」ことへの苛立ちが形となって表れたのです。

 マルセロ選手のドリブル、抉りから、マルコ・アセンシオ選手の4点目が生まれたのは、ゲームの流れでしょう。既に、レアルの勝利は決まっていたのです。

 「今回こそ」はと意気込んで決勝に臨んだユーベ、戦力的にも向上し十分にヨーロッパチャンピオンを狙えるチームに成っていた筈のユーベでしたが、残念ながら完敗でした。
 ユベントス以上に、レアル・マドリードは強く、充実していたのです。

 UEFAチャンピオンズリーグ2016~17大会の決勝は、「クリスティアーノ・ロナウドのレアル・マドリード」が魅せてくれた最強のゲームのひとつでしょう。

 クリスティアーノ・ロナウド選手の先制点が入った時、スタンドの少年が喜ぶ様子がテレビ画面に大きく映し出されました。

 小さな体を、レアルのアウェイユニフォーム・パープルのユニフォームで包み、喜びを爆発させていました。
 このゲームで、レアルイレブンが身に付けるであろうユニフォームを準備しての応援ですから、相当熱心なファンなのです。
 この子は、一生レアルと共に人生を歩んでいくのでしょう。

 人生の節目節目が、レアルの活躍とオーバーラップして行くのです。
 いわゆるビッグクラブには、多くの人々の人生の糧となって行く、「いつの時代も相応の活躍を継続して行く」責任が有るのです。

 サッカーというスポーツの素晴らしさと責任を、改めて感じさせてくれた、素晴らしいゲームでした。
[5月27日・グループステージD組]
日本2-2イタリア

 本当にハラハラさせられるチームですが、グループステージ最終の第3戦でイタリアと2-2、「2点以上を取っての引き分け以上」という難しい条件をクリアした日本代表チームが、グループ3位ながらも決勝トーナメント進出を決めました。

 まさに「薄氷を踏むような決勝トーナメント進出」なのですが、不思議なもので、このチームの戦い振りからは「伸びしろ」というか、「何とも言えない余裕」が感じられるのです。

 このゲームでは、開始早々の前半3分と7分にイタリアチームに得点を許しました。
 ディフェンスの裏を取られる形での連続失点でした。全くディフェンスシステムが機能していない感じ。まるでイタリアチームの攻撃練習を見ているようでした。

 緒戦こそ勝利したものの、第2戦のウルグアイとの戦いでは0-2と完敗。
 そして第3戦の開始10分も経たないうちに0-2とリードを許すに至っては、「決勝トーナメント進出は絶望的」と感じられました。
 何しろ、まだ80分以上も残っているのですから、「何点取られるのだろう」と感じるのが当然で、追い付き追い越すなどというシーンは全く想像も出来なかったのです。
 やはり、国際部隊の経験が浅い世代だけに、肝心なところで精神面の弱さを露呈したかに見えました。

 ところが、まず日本チームのディフェンスが機能し始めたのです。日本選手達の体が動き始めたと言っても良いかもしれません。
 これで、「この後何点取られるか分からない」という懸念は消えました。

 そうすると、後は攻撃です。
 イタリアにもう1点取られることを勘案(勝手に)すれば、日本は3点以上を取って行かなければならないと思いました。

 中盤でボールを取れるようになった日本チームは、前半22分、遠藤選手からのクロスを堂安選手がダイレクトに爪先で押し込み1点を返しました。相手ゴール前での「爪先のシュート」というのは、常にとても効果的です。
 この1点は、チームに大いなる勇気を与えました。

 後半5分には、堂安選手がドリブルで相手陣を突破、4人位を抜いて行ったでしょうか。そのままボールをゴールに流し込みました。
 素晴らしい得点!サッカー競技における「最も理想的なゴール」の1種ではないかと、私は考えます。

 オフサイドのリスクも無く、パスミスのリスクも無く、シュートを吹かしてしまうリスクも無い、「ドリブルをしながら相手ゴールに走り込む」という理想のゴールに近い得点でしょう。
 堂安選手の持ち味、スピードとテクニックに溢れたドリブルプレーが生きたのです。

 日本チームは、その後も攻め続けましたが、決勝トーナメント進出に向けて敗戦は避けたいイタリアチームの懸命の守備が続き、ゲームは2-2のドローで終了しました。
 この懸命の守備に、イタリア伝統の力を感じました。

 こうした形で決勝トーナメント進出を捥ぎ取ったことを見ると、ゲーム開始早々に2失点したことで「2得点以上の引き分け以上」という条件が、日本チームの前に明示されたことが、「幸いした」かのように見えます。
 もし、試合開始早々に日本チームが1点を先制し、これを守りに行ったとしたら、こうした結果、決勝トーナメント進出という結果が得られていたのかどうか・・・。

 今回のU-20ワールドカップ・日本代表チームには、不思議な力が有ると思います。

 5月30日の決勝トーナメント1回戦、ベネズエラとの戦いにおいても、この不思議な力に期待しています。
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