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 1993年10月28日、カタールのドーハで行われた、サッカー日本代表対イラク代表のゲーム。結果は2対2の引き分け。この引き分けにより、日本は翌1994年のFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ・アメリカ大会への出場を逃しました。
 筆者も深夜NHK-BS放送のLIVE中継を食い入るように見ていましたが、試合時間が90分を過ぎロスタイムに入った直後にイラクのヘディングシュートが決まった時には、一瞬何が起こったか解らず、しばらくして日本のワールドカップ出場がならなかったことに気づき、呆然とし涙し、しばらくぼんやりと座っていました。日本代表チームにとって「悲劇」と呼ぶに相応しいゲームであり、今後観るであろう沢山のゲームを含めても、筆者の生涯で最も印象的なサッカーゲームとなるものでしょう。大袈裟なようですが、それほど大きなショックでした。

 このゲームの引き分けにより、日本はワールドカップ・アジア地区最終予選で3位となりました。アメリカ大会のアジア地区本戦出場枠は「2か国」でしたので、参加を逃したのです。ところで、1998年のワールドカップ・フランス大会アジア地区最終予選で日本は第3代表決定戦でイランに勝ち、宿願のワールドカップ初出場を果たしました。ジョホールパルの歓喜と呼ばれています。
 もちろん予選実施形式が異なるので一概には言えませんが、どちらの予選も日本はアジア地区3位・3番目なのに、アメリカ大会には出られず、フランス大会には出られました。その理由は、フランス大会のアジア地区本戦出場枠が「3.5か国」だったからです。
 実はフランス大会から、ワールドカップ本戦出場国が8増え32か国になったために、アジア地区の出場枠も2→3.5に増えたのです。

 FIFAワールドカップの出場国は、以下のように推移しています。
・第1回ウルグアイ大会1930年 13か国→第4回ブラジル大会までは、参加国数が大会ごとに異なりました。
・第5回スイス大会1954年から第11回アルゼンチン大会までは16か国。
・第12回スペイン大会1982年から第15回アメリカ大会までは24か国。
・第16回フランス大会1998年から現在までは32か国。

 本戦の参加国数は、このように増加してきたわけです。
この出場国数の増加は、ワールドカップ本戦の戦いにも大きな影響を与えていますが、それは稿を改めるとして、筆者としては日本代表チームに24か国で争うワールドカップに出場して欲しかったと、今でも強く思っています。そして、年々強くなっている日本代表チームは、果してワールドカップの24番目以内に入れる実力を身に着けたのだろうか、と思います。長くサッカーを観てきたものの繰り言のようで恐縮ですが、かつてワールドカップ本戦出場は「夢」だったのです。
 
 来る9月11日、2014年ワールドカップ・ブラジル大会のアジア地区最終予選、日本対イラクのゲームが行われます。日本代表チームは、ここまで順調な戦いを進めていますが、このゲームもしっかりと結果を出していってほしいものです。
 正直に言って「ワールドカップ本戦に日本代表が出場することかあたりまえ」のような空気があることに、筆者は違和感を覚えます。いつの時代もワールドカップ本戦出場は容易なことではなく、ゆめゆめ油断は禁物です。
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 朝青龍が横綱になったのは2003年3月場所、引退したのは2010年1月場所後。
この間、2003年11月場所から2007年5月場所までの21場所は、一人横綱でしたが、この21場所一人横綱は、史上最長記録です。白鵬が横綱になったのは2007年7月場所。これでようやく、朝青龍の一人横綱は終了します。
 
 朝青龍と白鵬の二人横綱時代は、2007年7月場所から2010年1月場所までの16場所。

 白鵬は、2010年3月場所以降一人横綱を続けています。今年の7月場所で14場所となります。

 この10年間、朝青龍と白鵬の二人の横綱は、ものすごく強かったのです。
朝青龍は、2004年11月場所から7場所連続優勝、2005年は年間6場所すべて優勝。いずれも、大相撲の新記録です。年間最多勝も84勝、不滅の記録と言われた北の湖の82勝を更新。2003年~2006年の4年間全24場所中18場所で優勝、優勝確率は75%に上ります。これも、過去に例が無い実績だと思います。

 白鵬は、2010年3月場所から2011年5月場所まで7場所連続優勝(八百長問題で1場所中止)。2007年~2011年の5年間全29場所中20場所で優勝、優勝確率は69%と、こちらも驚異的。年間最多勝も86勝と朝青龍の記録を凌駕。
この二人の記録は、体調管理面、他の力士の努力・研究が重ねられていることを考え合わせても、ずば抜けた成績と言えるでしょう。

 私は、大鵬・柏戸の時代から、約50年間大相撲を観てきましたが、その歴史上でもこの朝青龍・白鵬の10年間が、横綱と大関以下の力の差が最も大きい時代であったと思います。
 
 この二人を10年間観続けてきた私たちは「横綱は負けないもの」といった感覚を身に付けてしまっています。白鵬の連勝が止まった時に「これが負けか」と言ったのは有名ですし、「不敗」は横綱に求められるひとつの要素であろうと思います。
 しかし、横綱は強くあらねばなりませんが、負けてはいけないというのは行き過ぎではないかとも思います。

 個性豊かな横綱が、様々な相撲を見せてくれて、土俵入り・化粧まわしも種々華やかな大相撲も楽しいものです。強い横綱が、時々ぽろっと負けるのも、人間味に溢れていて良い、という見方もあります。
 二人横綱の時代は、いくつもありました。三人横綱も珍しいことではありません。実は、四人横綱の時代も、そう珍しくはなかったのです。近い順に表記します。

① 1999年7月場所~2000年3月場所
  曙、貴乃花、若乃花(三代目)、武蔵丸
② 1990年9月場所~1991年5月場所
  千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士
③ 1979年9月場所~1980年11月場所
  輪島、北の海、若乃花(二代目)、三重ノ海

 これ以前にも、四横綱時代がありましたが、この3例を見ても、華やかな時代であることがお判りいただけると思います。また、例えば①の時代は横綱が四人もいたのに、休場が多かったこともあり、関脇出島や武双山、あるいは幕尻の貴闘力に、5場所中計3場所で優勝を許しています。ふがいないといえば、ふがいないのですが、この時期の大相撲がつまらなかったという感覚を私は持っていません。変化に満ちて、下克上の雰囲気に溢れた、楽しい時代でした。
 ②の時期には、横綱が10勝止まりという場所が沢山ありましたが、晩年を迎えた大横綱千代の富士と伸び盛りの力士たちの取組がとても面白かった。
 大横綱の時期と複数横綱の時期が交互に到来するのが、大相撲であるようにも思います。

 大相撲9月場所は、9月9日から始まります。大関日馬富士の綱取りの場所です。7月場所全勝優勝で、日馬富士は横綱になる力があることを示しました。横綱昇進を期待しています。加えて、残りの大関陣にも稽古を積んで、地力を付けてもらい、来年は久しぶりに三横綱、四横綱の場所が観たいものだと思っています。
 
 本日8月29日のMLB、テキサス・レンジャーズ対タンパベイ・レイズ戦、ダルビッシュ有投手が先発。7回を零封して勝ち投手となりました。110球(内ストライク70球)、被安打6、三振10、四球2の見事な投球内容。実は、ダルビッシュがMLBにて相手打線を零封したのは初めてのこと。リリーフ陣も踏ん張って、テキサスは1対0で勝利しました。ダルビッシュが、MLB仕様の投球手法によって手に入れた、初めての勝利と位置付けて良いように思います。

 MLBは、日本プロ野球NPBとは違うリーグですから、参加している選手、球場、ボール、気候、試合数、スケジュール、ゲームの進め方・・・等々、NPBと異なる点が山積している訳で、同じピッチングが出来るハズがありません。「日本の時より四死球が多い。防御率が悪い。完投できない。」というように、NPBでの投球内容と違うのは当然のことだと思います。どちらかというと、日本と同じような投球ができる方が、気味が悪い。
 ダルビッシュ自身、あるいはシアトル・マリナーズの岩隈投手も「日本とは全く違う」と、事あるごとに言っています。どちらのレベルが高いとかいう話ではなく、NPB野球とMLBベースボールのプレーは、全く別物ということでしょう。「全く違う」のであれば、NPBで身に着けたノウハウをベースに、MLBにおけるプレーを新たに創り上げなければなりません。

 このゲームに臨むまでの12勝9敗のMLBキャリアの中で、ダルビッシュは試行錯誤し、MLBでどのようにやっていったらよいのかを研究してきたのだと思います。少しでも高めに、力の無い球を投げ込めばホームランされてしまうことが、最初の頃の投球で判ったので、コーナーを狙い過ぎて四死球が増えるのは致し方ないことでしょう。ボールが滑るとかボールに慣れていないとかいうことも、多少は影響があったのかもしれませんが、世界最高レベルのプレーヤーなら数試合で慣れること。ダルビッシュが悩んでいたのは「どうやったら打者を打ち取れるか」という一点。NPBと同じやり方では打ち取れないということでしょう。
 逆に、MLB経験のあるピッチャーがNPBに来ても、簡単に通用するわけではないのと同じことです。

 今日のゲームのダルビッシュは「球を長く持っていた」ように見えました。結果として、バッターにより近いところからボールを投げていた形で、フォームの重心もこれまでより低かったと思います。スプリットフィンガーファストボール(高速フォークボール)も、初めて投げました。NPB時代には、使っていなかったボールです。
 これが、ダルビッシュのMLBバージョンなのかどうかは判りませんが、零封という結果が偶然であると考えるのは、無理があると思います。
 今日時点で、ダルビッシュは24試合に登板、154と2/3イニングを投げています。立派な成績です。レギュラーシーズン中にあと7回前後の登板が予想されます。そうすると200イニング登板という、MLBの先発投手の基準となるノルマを達成できるかもしれません。デビュー1年目から200イニングをクリアできれば、ダルビッシュのMLB挑戦は、まずは成功ということになります。
 現在13勝の勝ち星があといくつ積み上がるかは、味方打線の得点との兼ね合いです。ダルビッシュが投げるゲームで味方が何点取ってくれるかによるので、ダルビッシュとしては、登板する各試合でQSクオリティスタート(6回を3失点以内に抑えること)を実現していくだけです。勝ち数ももちろん大切ですが、MLBにおいては登板イニング数が高く評価されるのです。

 余談ですが、今日時点のMLBアメリカンリーグの投手成績を見て、感心したことをひとつ。
シアトル・マリナーズのへルナンデス投手とデトロイト・タイガースのパーランダー投手の成績。両投手とも27試合に登板、既に196イニングを投げています。どちらの項目もアメリカンリーグのトップです。両投手とも、サイ・ヤング賞(NPBなら沢村賞)投手であり、リーグを代表する投手ですが、この成績が現時点でのMLBの先発投手に求められる最高の成績でしょう。ちなみに、勝敗ではヘルナンデスが13勝5敗、パーランダーが12勝7敗と、特に目立っているわけではありません。(現時点の最多勝は16勝)
パーランダーは、今季勝ち星に恵まれていませんが、今年のオールスター戦の先発投手です。MLBにおける投手の評価方法を垣間見ることができます。

 さて、今日はもう一人、シアトルの岩隈投手がミネソタ・ツインズ戦に登板、6イニングを投げて失点1、立派なクオリティスタートで味方打線の援護もあり勝利を収めました。
6イニング、92球を投げストライク49球、ヒット1、四死球5、三振4という内容。ストライクがなかなか取れなかったが、1安打ピッチングという不思議な投球(観ていないのですいません)です。これで、5勝3敗、8月は3連勝。中継ぎ投手としてシアトルに入りましたが、もともとNPBパリーグを代表する先発投手でした。中継ぎで実績を積み、ここにきてシアトルの先発に定着しつつあります。なんとなく、岩隈の方がダルビッシュよりもMLBへの対応が早いように感じます。
 とはいえ、ダルビッシュもMLB未対応にもかかわらず、開幕から先発ローテーションを守ってきたのですから、素晴らしい技術・才能を証明していますし、今日の登板で掴んだものがあるとすれば、今後の活躍が一層楽しみです。
MLB・メジャーリーグベースボールは、アメリカ合衆国で実施されているプロスポーツです。ベースボール発祥の地アメリカには、種々のリーグが存在しますが、その中で最大かつ最高レベルのリーグで、大リーグとも呼ばれます。イチロー、松井秀樹、ダルビッシュなどの日本人選手が活躍しているのも、このリーグで、一般的にアメリカのプロベースボールと言えばMLBを指します。(MLBをご存知の方には、当たり前のことで恐縮です)

筆者がMLBを観るようになったのは、NHKで放送が始まった1990年前後からですが、注目して観始めたのは、やはり野茂秀雄投手がドジャースに移籍し、大活躍を始めた1995年からです。まだ20年も経っていませんが、とても面白いゲームが提供されますので、大変楽しませていただいています。

 MLBについては、日本のプロ野球NPBとの比較も含めて考えさせられることが多いのですが、今回は表題について考えてみます。

 MLBのゲームを観ていると、代打や代走がとても少ない感じがします。野手は先発メンバー(スターター)がゲームセットまでプレーをすることが大原則のように見えます。もちろん、ゲーム後半、代打・代走が送られることもありますが、あまり見かけません。何故でしょう。

 大きな理由は、ベンチ入り選手(ロースターと呼びます)が25人(しかいない)であることだと思います。
25人の内訳を見てみましょう。ここではDH制を採っているアメリカンリーグのチームとします。

 まず打順1~9番で9人、先発投手は中4日でローテーションしますから5人、ブルペン(リリーフ投手陣)はチームによって人数が異なり大体6~8人ですので、ここでは7人とします。これで、9+5+7=21人。残りは4人。ケガをし易い捕手の交替要員は1人必要ですから、これで22人。つまり、内野・外野の交替要員は3人しか居ないことになります。これでは、うかつにゲームの序盤から代打・代走を使うわけにはいかないでしょう。内野・外野の野手でも、守備や打席でケガをする可能性があります。

 加えて、MLBには引き分けがありません。勝負がつくまでゲームを続けるのです。MLB史上最長のイニングを重ねたゲームは、延長26回と意外に短いのですが、延長15回を超えるゲームは珍しいものではありません。先週も延長19回というゲームがありました。
 監督・コーチは常に延長戦に備え、選手を起用していかなければいなければなりません。

 勝負がつかず延長戦が続くと、投手が足りなくなって野手がピッチャーをすることも時々見られます。今年の5月7日ボルチモア・オリオールズとボストン・レッドソックスのゲームは延長17回、ボルチモアが9-6でボストンに勝ちましたが、このゲームは終盤、両チームがブルペン投手を使い切り、野手を登板させました。さすがにMLBでも「両チームともに野手が投手」をするというのは珍しく、87年ぶりとのこと。6時間7分のゲーム、勝ち投手はデービス内野手、負け投手はマクドナルド外野手でした。
 ここで興味深いのは、5人がベンチ入りしている先発投手陣の残りの4人は使わずに、野手を投入するところです。先発投手は、明日、明後日、次のゲーム・・と投げなければならないからです。連戦が続くMLBでは、シーズン中に先発投手をリリーフで使うことは、シーズン終盤の優勝争い時期を除けば、まずありません。今のゲームも大切だが、明日のゲームも大切ということです。

 連戦といえば、MLBでは20連戦(20日間連続してゲームがあること)も珍しいことではありません,これをロースターの25人で戦っていくわけです。(セプテンバーコールアップについては、長くなるので今回は書きません)
従って選手には、高度な技術も求められますが、その前提として、その技術レベルを継続できる体力が求められます。年間162試合、プレーオフに進出すれば最高19試合(地区シリーズ5試合+リーグチャンピオンシップ7試合+ワールドシリーズ7試合)がプラスされて181試合。延長戦やダブルヘッダーを交えた連戦を通じて、高いレベルのプレーを見せ続けることができる選手が、メジャーリーグプレーヤーなのです。

 イチロー選手や松井秀樹選手は、その安打数や勝負強さで高く評価されていますか、何よりも休みなくゲームに出場し続けた点が、素晴らしいことだと思います。MLBプレーヤーもさすがに月に一回位の休みをもらうのですが(監督・コーチが休ませます)、全盛時のイチロー・松井は、チーム内で最も休まないプレーヤーでした。ロースターに入り続けるだけの好成績を残しつつ、毎試合出続ける体力・持久力も備えていたという点が、この二人の最も優れた点であろうと思います。
 彼らに続いてMLBでプレーし、活躍しようとする日本人プレーヤーは、「20連戦・30連戦を戦い、年間181試合を戦い抜ける技術・体力」を身につけなくてはなりません。


 人間と馬との関わりは、農耕用あるいは戦闘用などとして古くからあるので、その馬で行う競走も紀元前から世界各地で行われていたと思うが、これは現在の「競馬」とは異なります。

 平原などで行われていた馬による競走ではなく、後世で言うところの競馬場が初めて建設されたのは1540年イギリスのチェスター競馬場です。(現存する最古の記録とされています)
 この専用の施設を利用し、ルールに基づいて行われた馬の競走も、現在の競馬とは異なります。競走している馬が「サラブレッド」ではないからです。

 さて、サラブレッドはどのように生まれたのでしょう。このテーマだけで、古今東西幾多の著作があり、一生をかけても研究しつくせないテーマですが、ここでは必要最小限の記述をしてみようと思います。
有名な話として、サラブレッドの3大始祖馬が存在します。世界中で走っている、あるいは走ってきた全てのサラブレッドは、その祖先を辿っていくと必ずこの3頭の内の1頭にたどり着くというものです。逆に言うと、この3頭のどれかの子孫でなければ、サラブレッドではない、ということです。

 先ほど記述したように、既に16世紀にイギリスでは馬の競走が盛んに行われていました。そうなるとレースに勝てる強い馬を生産・所有したいというニーズが、主に貴族階層に生まれます。馬主である貴族達は、こぞって中近東地域から速く走れる牡馬を輸入し、地元イギリスの牝馬と掛け合わせ、その仔馬をレースで走らせます。そうしたレースで勝利を重ねる強い牡馬と牝馬を掛け合わせて、その仔馬をレースで走らせる・・・ことを繰り返していくうちに何十頭、何百頭と輸入された牡馬の中で、結果として父系祖先として残った馬が3頭に絞り込まれた形です。そして、この3頭の子孫のみがサラブレッドと呼ばれるのです。その絞り込まれた相当有名な3頭については知っておきたいものです。

① 1689年輸入 馬名バイアリーターク
② 1704年輸入 馬名ダーレーアラビアン
③ 1729年輸入 馬名ゴドルフィンアラビアン の3頭が三大始祖馬です。

 実は、現在世界中にいる全てのサラブレッドの90%以上が②のダーレーアラビアンの子孫です。三大始祖馬の中でもダーレーアラビアン系が圧倒的に優位にあるわけです。

 こうした、ダーレーアラビアン系の絶対的優位を築き上げる原因となったのが、ダーレーアラビアンから数えて四代目に生まれたエクリプスという馬です。エクリプス自身18戦18勝という完璧な競走成績であった上に、その子孫達が素晴らしい成績を残したことから、19世紀の半ば頃から、サラブレッドの大半がエクリプスの子孫という状態となったのです。この馬も覚えておきましょう。

④ 1764年誕生 馬名エクリプス

こうして、馬の競走も一層盛んになり、現在につながるレースも始まりました。

・1779年第1回オークス開催
・1780年第1回ダービー開催

 3歳牝馬だけによる競走であるオークスの方が、3歳牡馬・牝馬のどちらでも出走できるダービーより、1年早く開催されていることなどについては、機会があれば書いてみたいと思いますが、オークスもダービーも、始まった頃は現在のような大レースに位置付けられていたわけではないことが、興味深いところです。(どちらかというと田舎のレースという位置づけでした)その後開催を重ねて、クラシックレースと呼ばれる大レースになっていったのです。

 そして、1791年にイギリスのジェームズ・ウェザビー氏によってジェネラルスタッドブックが創刊され、競走馬の血統が正確に記録されることとなりました。現在に至るまで、その血統記録は続いています。つまり、一頭一頭のサラブレッドは全て、その血統を遡ることができる、というか、遡ることができる馬がサラブレッドなのです。そして、サラブレッド同士のレースが現在の「競馬」なのです。サラは「完璧な」、ブレッドは「育成」、の意味です。生産のみならず、育成も完全に人間の手による馬ということでしょう。

 今回は、ここまでの記述とします。詳しい方には、中途半端な内容かと思いますが、ご容赦ください。

 筆者が競馬を観始めたのは、1964年・昭和39年東京オリンピック開催の年からです。丁度、日本競馬史上2頭目の三冠馬シンザンが三冠を取った年です。それから沢山の馬たちを観てきました。このブログでも、色々書いてみたいと思っていますので、よろしくお願いします。

 センバツにしても、夏の甲子園にしても、甲子園大会は高校球児の憧れです。
出場すること自体が容易なことではなく、センバツなら前年の秋季地区大会の好成績、夏なら各都道府県大会での優勝が必須です。

 この甲子園出場については、監督の力がとても大きな要因となるように思います。
もちろん、プレーをするのは選手ですから、選手が重要なのは言うまでもありませんが、その選手を鍛え、効率的に選手の能力を引出し向上させ、試合で的確な指示を与えていくのも監督の仕事です。

 甲子園の歴史を彩る名監督は沢山います。筆者が甲子園大会を見始めたのは1960年代ですから、それ以降の名監督を高校名・氏名苗字の表記(敬称略)で挙げてみましょう。
簑島・尾藤、銚子商・斉藤、PL学園・中村、池田・蔦、取手二(+常総学院)・木内、智弁和歌山(+智弁学園)・高嶋、横浜・渡辺、済美(+宇和島東)・上甲、帝京・前田、日大三(+関東一)・小倉、他にもいらっしゃると思いますが、すぐに思い出すだけでも錚々たる名前が並びます。

さて、ここでは甲子園大会出場を3つに分けてみます。
1.甲子園大会への出場
2.甲子園大会での勝利
3.甲子園大会優勝    の3項目です。

1の「出場」については、監督の力量が最大の要因であると思います。そう考える理由は

 ①名監督が指揮を採らなくなってから、甲子園に出場できない、或いは出場回数が激減している高校が、多数みられること。例えば和歌山簑島高校は、尾藤監督のもと1960年代から80年代にかけてセンバツ優勝3回・夏優 勝1回の好成績を収めていましたが、最近は甲子園出場もありません。茨城取手二高は、木内監督のもと計6回甲子園に出場し、1984年には夏の全国制覇を達成していますが、木内監督が別の学校に移ってからは1回も出場していません。ちなみに、簑島、取手二ともに公立高校です。他にも、徳島池田高校や沖縄水産高校など、名監督が指揮を採らなくなってから、甲子園出場すらできない例は沢山あります。
現在の監督の指導・指揮がよくないと言っているのではありません。名監督の指導・指揮がとても素晴らしいのでしょう。

 ②長野県上田市に歴史と伝統を誇る上田高校があります。100年を優に超える歴史の中で野球部は甲子園に2回出場しています。その出場について、同市の長老の話が興味深いものです。

 愛知東邦高校で甲子園常連監督であった方が、退職して故郷に戻ってこられたそうです。上田高校関係者は、この方に是非上田高校野球部の指揮を採ってもらいたいと懇願、この方は固辞していましたが、1年間だけという約束で監督に就任しました。当然、進学校の上田高校野球部の部員をそのまま受け入れての指揮でした。それで翌年の夏の甲子園に出場しました。この快挙をみて、県内の腕自慢の球児達は、翌年上田高校にこぞって進学しましたが、この監督は約束通り1年で退任。翌年、上田高校は甲子園に出場していません。

 この話は、細部には勘違いがあるかもしれませんが、大筋では正しい話でしょう。進学校の体力・運動神経には恵まれない生徒達を半年余りの指導により、長野県大会を勝ち抜けるレベルに向上させ、試合では勝つための指揮を採ったことが素晴らしいし、逆に体力・運動神経に優れた生徒が集まった後は、この監督の指導・指揮がなかったために、予選を勝ち抜けなかったというのは、示唆に富んだ話です。

 こうした例は全国に数多あると思いますが、有名なところでは近時の大垣日大高校でしょう。奇しくも、同じ愛知東邦高校で甲子園常連監督(出場24回、優勝1回)であった阪口監督を招へいし、その2年後にはセンバツに初出場・準優勝し、夏もベスト8に進んでいる。着任後、成果が出るまでの期間が短いのも共通しています。

 高校球児を指導する期間は短い。個々の選手についてみれば1年半から2年間でしょう。その間に、選手の長所を伸ばし、短所を抑えて、グッドプレーヤーにしていく。当然、部員は多く、学年毎に対応していく必要がある。高校野球の監督には時間が無いのです。こうした状況下で毎年のように甲子園に出場するチームを創り上げていくためには、全く無駄のない指導・練習実施が不可欠です。名監督は、この極めて困難な課題を実現する能力が備わっているのだと思います。

 名監督には「こうすれば甲子園に行ける」というノウハウや基準が備わっているのてしょう。日々の鍛練はもちろんのこととして、勝つための試合におけるノウハウもたくさん身に着けているのでしょう。他の監督は、名監督のこうしたノウハウを身に着けていかなければ、勝ち抜くことはできません。どのようなノウハウかについては、別の機会に検討してみたいと思います。

 興味深いのは、名監督の下で長年コーチをして、そのノウハウを細部にわたって身に着けたと言われる方が、後をついで監督になっても、名監督のような成績を残せないことです。やはり監督にも個性がある。自らの個性にあったノウハウでなければ本当の力は発揮できないし、自らの個性にあった指導・指揮を行いながら勝ち進んでいける人こそ「名監督」なのだろうと思います。→(続きへ)



 2012年ロンドンオリンピック陸上競技男子100m競走は、ジャマイカのウサイン・ボルトが9秒63のオリンピック新記録で制しました。ボルトは200m、400mリレーも勝って3冠。北京オリンピックから連続3冠の偉業を達成しました。見事な走りでした。

 100m競走の走行スピードの変化を示すと、以下のようになります。

 ①スタートから40m付近まで   加速
 ②40mから50mまで       最高スピード
 ③50mから100m(ゴール)まで  減速

 これは、どの選手でも共通しています。もちろん、加速が早く最高スピードに40mで到達する選手と逆に50mまで到達しない選手がいますが、いずれにしても最高スピードに到達した後は、徐々にスピードが落ちて行きます。
 したがって、後半が強いといわれているランナーが70mを過ぎてラストスパートにより加速し他の選手を追い抜く、ということは無いのです。50mを過ぎたら、すべての選手が減速していく中で、減速がより少ない選手が、他の選手より前に出るということになります。100m競走は、「減速をどれだけ抑えられるか」の勝負です。

 ロンドンオリンピックの決勝メンバーによる仮想レースを、この観点からアナウンスしてみましょう。

 『さて、各選手スタートラインに揃いました。きれいなスタート、フライングはありません。
まず加速が早いのはアサファ・パウエル。体の起こしも他の選手より早いこともあって、ぐんぐん加速します。 続いて加速が早いのはヨハン・ブレーク、パウエルに遅れること50㎝。リチャード・トンプソン、ジャスティン・ガトリン、タイソン・ゲイがブレークに続きます。ウサイン・ボルトは、少し遅れています。静かにスタートした形。
パウエルが40m付近でトップスピードに達しました。依然として50㎝のリード。ブレーク、ガトリン、ゲイ、トンプソンは45m付近でトップスピードへ。ボルトは50m近になってトップスピードに達しました。
40mから減速を始めたパウエルをブレークが60m付近で捕らえました。パウエルは急速に減速しているようで、ガトリン、ゲイにも抜かれました。先頭はブレークで70㎝のリード。しかしブレークも減速が大きくなってきました。減速が少ないボルトが80mでブレークを捕まえました。
80mを過ぎて、減速が一番少ないボルトが前に出ました。そのままゴール。ゴールでは、2着ブレークに1.5mの差がついていました。続いて50㎝差で3着はガトリン、続いて30㎝差で4着はゲイとなりました。
ボルトは、他の選手よりやや遅れて50m付近でトップスピードに到達した後、よくそのスピードを維持しました。減速を最小限に抑えた見事な勝利です。』

 こんな感じでしょうか。なんか迫力に欠けて、つまらないアナウンスでしょうか。

 現在の陸上競技100m競走は、こうした走りが良いとされています。スタートの反応時間は、厳密なフライングの管理により大きな差はつきにくい。トップスピードへの到達距離・時間は、後半の減速とのバランスを見て、選手ごとに決めていく形となります。
競技理論も年々変わり、現在の常識が将来の常識とは限りません。ひょっとすると80m地点でトップスピードに到達する方がタイムが良いという時代が来るかもしれません。選手の筋力、トラックの状態等、要因の変化が今後も続くと思われますので。
 
 第94回全国高校野球選手権大会の決勝戦は、8月23日、大阪桐蔭と青森光星学院の対戦となり、大阪桐蔭が3-0で勝利をおさめ優勝しました。同校は春のセンバツ大会に続く優勝で、春夏連覇を達成、一方の光星学院は昨年の第93回大会、今年のセンバツ大会、そして今大会と3大会連続の決勝戦進出でしたが、今回も準優勝に甘んじ、全国制覇はなりませんでした。
 この試合前には、大阪桐蔭藤浪投手が連投であること、最近の決勝戦は打撃優先の内容であることから、光星学院がやや有利かと思っていただけに、藤浪投手の2安打完封による完勝には、少し驚かされました。

 藤浪投手は、準決勝の明徳義塾戦に続いての連続完封であり、素晴らしい投球内容でした。正直なところ、大阪大会決勝の降板や今大会準々決勝までの投球は物足りないもので、浪速のダルビッシュと呼ぶにはやや寂しいものでしたが、ラスト2ゲームの投球内容は、同時期のダルビッシュに勝るとも劣らないものでした。
 藤浪投手は、自らの調子のピークを準決勝戦に合わせて調整してきたのではないかと思います。大阪桐蔭は、チーム全体としても準決勝戦にピークを持ってきていたように思います。西谷監督以下、見事な対応でした。

 団体競技でも個人競技でも、「調子のピーク」は短いもの。そこで競技者は大会に臨むに当たり、大会のどの時期どのゲームにピークを合わせるかを、大会前に検討し、実行していくこととなります。ここで、実力上位のチームと中位・下位のチームにより、調整が異なってくるのです。
 大会初勝利を目指すチームは、当然初戦にピークを持ってきます。各選手は、各々自らの調子を上げる時期を合わせようとするし、監督・コーチは各選手の調子を上げるていくとともに、チーム全体のバランスを見たり、大会用の戦術を練り上げるでしょう。一方、優勝候補と目されるチームや強豪校は、ベスト8や準決勝にピークを合わせようとすると思います。好成績を残そうとすれば、初戦からピークの状態で戦うのは不得策。これは「そうした方が良い」というのではなく、「そうしなければならない」というテーマだと思います。なにしろ「ピークは短い」のですから。
 甲子園大会で、初戦・2戦目と素晴らしいパフォーマンスを見せたチームが、3戦目にパッとしないゲーム内容で負けることはよくあることですし、逆に強豪校が初戦で、調子が出ないうちに番狂わせで敗れることも、よくあることです。

 筆者も大昔、中学生・高校生の6年間、競技スポーツに身を置きました。その5年目の春、特定の試合に向けて調子を合わせていくことができるようになったと思いました。もちろん、ピークにピタリと合わせるのは容易なことではありませんでしたが、少なくとも調子を上げて試合に臨むことはできるようになったことを、覚えています。
 甲子園大会で決勝を争うチームともなれば、日々の鍛練と沢山の試合の中で、ピーク調整ノウハウを十分に身に着けていることでしょう。

 今大会の大阪桐蔭と光星学院は、どちらも優勝できる力を持っていたと思いますが、この点で大阪桐蔭が少し勝ったのではないでしょうか。準決勝・決勝の大阪桐蔭チーム全体の動きは、冷静・正確なプレーの中で躍動感にあふれていました。精神面・肉体面ともに、素晴らしいチームに仕上がっていたのでしょう。

 そういえば、サッカーのドイツ代表チームですが、2010年のワールドカップ南アフリカ大会、今年2012年の欧州選手権(ユーロ2012)の2つの大きな大会で、いずれも準決勝で敗れています。
 両大会とも優勝候補の一角であったドイツチームは、予選グループリーグから、素晴らしいパフォーマンスを発揮。特に、得点力が高く、ワールドカップの決勝トーナメント、対イングランド戦4-1、対アルゼンチン戦4-0で下したあたりなどは「ドイツ強し」を印象付け、優勝候補筆頭に挙げる人も多かったと思います。ユーロ2012も同様でした。
 ところが、いずれの大会も準決勝戦で失速・敗退。それまでのゲームとは、別のチームのように動きが悪くなったなったのには、種々の要因があると思いますがが、ピークアウトしていたことも、大きな要因でしょう。
 一方、両大会を制したスペインは、両大会とも予選グループリーグでの動きは悪く、よたよたしながら(ワールドカップでは1敗しています)決勝トーナメントに駒を進め、準決勝・決勝と完勝しました。ユーロ2012の決勝などは、対イタリア戦4-0の圧勝。予選グループリーグでは1試合で1点取るのがやっとだったチームが、決勝で4点を取るというのは、やはり調子を上げたと見るべきでしょう。

 なでしこジャパンの大活躍を見るにつけ、男子サッカー日本代表チームへの期待は高まっています。私も、ワールドカップ決勝で大活躍する代表チームを見てみたい。その為には、予選グループリーグ初戦に調子のピークを持って行くのではなく、ベスト8や準決勝にピークを合わせられるチームになっていかなければならないと思います。




 夏の甲子園大会真っ最中ですが、この数年気になることがあります。
 打席の中で、捕手の位置を盗み見るバッターが多いことです。見るやり方は色々ですが、さすがに堂々と見るわけではないので、どのバッターも「チラッと」「こそっと」「素早く」見ます。
 そもそもルール違反ギリギリの行為でしょうが、ここではその点は検討しません。

 なぜ盗み見るのでしょうか。
 おそらく、捕手の位置から次のボールのコースを予想するためだろうと思います。この行為には、打者の成長に対して悪影響を与えるように思います。
「次のボールを予測する力」が育まれない怖れがあります。打者は、投手・捕手との読み比べに勝っていかなければヒットは打てません。甲子園大会のように全国レベルの大会ともなれば尚更でしょう。
 地方大会で、捕手を盗み見て、投球コースを予想し、決め打ちでヒットを打ってきたとしても、当然ながら高レベルの試合では、捕手は盗み見られた後位置を変えるし、球種も多彩でしょうから、「決め打ち」している打者は中々打てません。むしろ、決め打ちすることがマイナスになるでしょう。地方大会で高打率を残しながら、甲子園では全く打てないバッターの要因の一つになっているように思います。

 この行為の発生状況は、チーム・個人により異なります。メンバーの大半が「盗み見る」チームもあれば、1~2人しかやらないチームもありますし、全くやらないチームもあります。中軸打者とそれ以外でも色々です。クリーンアップのバッターでもやっている選手も結構います。
 統計を取っているわけではありませんが、「やっているバッター」の打率は低いように感じますし、特にチャンスでの打率はとても低いように思います。小学校・中学校・高校のキャリアの中で、投手・捕手との読み比べを続けてきた選手と、そうでなかった人には大きな差がついているでしょうし、今後のキャリアにおいても、差が拡大していくことでしょう。

 この行為は別に高校野球に限ったことではないのですが、大学・社会人・プロとレベルが上がるにつれて、減っていきます。
 今日も夏の甲子園を楽しみたいと思いますが、打席の中でのチラ見は、観たくないものです。
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