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 年が明けると、アメリカPGAツアーは、直ぐに始まります。
 第一週、1月4~7日のハワイ・プランテーションコースatカパルワのヒュンダイトーナメント・オブ・チャンピオンズを皮切りに、第二週のソニー・オープンまでは、暖かいハワイで実施されます。

 そして、第三週からは場所をカリフォルニア州に移して、まずはヒュマナチャレンジ、そして第四週がファーマーズ・インシュアランスオープンと続くのです。さすがに1月は真冬ですから、全米の中でも、暖かい地域順にトーナメントを開催していくのは、例年のこととはいえ、今年もPGAが始まったなという感じがします。

 そのPGAツアーの、現在の最高の選手であるタイガー・ウッズ選手の、今季緒戦がファーマーズ・インシュアランスオープンでした。
 濃霧のため、月曜日である1月28日にまでずれ込んだ大会でしたが、タイガー・ウッズは、このトーナメントを通算274打14アンダーで快勝しました。2位のスネデカー、ティーターに4打差をつける、タイガーらしい勝利でした。

 様々な事件もあり、2010年~11年のシーズンを棒に振ったタイガーですが、2012年に復活し、シーズン3勝を挙げました。帝王ジャック・ニクラウスの持つ、PGAツアー通算勝利数第2位の73勝を抜き去り、通算74勝として、2012年シーズンを終えたのです。これはこれで、見事な復活だったと思いますし、2012年の調子でも、2013年には久しぶりのメジャートーナメント制覇も観られるのではないかと思いました。
 とはいえ、2000年前後の全盛時のタイガーを知るファンとしては、いまひとつ物足りないという感じがしていたのも事実です。ファンは、シーズン3勝したタイガーに拍手を送りつつも、「こんなものではないだろう」という思いでいたのです。そして、その思いは、タイガー自身に最も強かったのだろうと思います。

 今季緒戦に臨むタイガーの口から「今年はやれると思う」という言葉が、再三聞かれたときには、ファンはついに「タイガー イズ バック」かと感じ、このトーナメントのプレーに注目し、そして結果に大満足したのです。
 一時、2位に8打差を付けたときには、2000年のペブルビーチ・ゴルフリンクスでの全米オープンの様に、2位に10打差以上の大差をつけるのではないかと思わせました。さすがに、14番15番の大叩きで、差は縮まりましたが、悠々と優勝。タイガーの手応えが、本物であることを、世界中に示したのです。

 「ただ勝つこと」だけでも、PGAツアーでは大変なことですが、タイガーは勝ち方も魅せてくれます。特に、200ヤード前後のアイアンショットを1m以内に寄せていく、ショットの迫力・正確性は、タイガー・ウッズならではのものでしょう。
 「お金が取れるゴルフ」、つまりはプロのゴルフを魅せてくれるのが、タイガー・ウッズなのです。

 今シーズンのPGAツアーが、俄然楽しみになってきました。新王者ローリー・マキロイを始めとする、伸び盛りのプレーヤーに、37歳のタイガーがどんなプレーを示していくのか。目が離せません。
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 きさらぎ賞は、いつの時代も関西のクラシック候補を生み出してくれるレースです。

 最近10年でも、このレースの勝ち馬から、2007年の菊花賞馬アサクサキングス、2003年の皐月賞・日本ダービーの二冠馬ネオユニヴァースが出ています。そして、トーセンラーが勝った2011年のレースでは、3着にオルフェーヴル、4着にウィンバリアシオンが入っていますから、クラシック路線を占う上では、見逃せないレースということになります。

 1961年・昭和36年に、中京競馬場の砂コース(ダートコースではありません。ジャパンカップダートの稿をご参照ください)1200mで始まったレースですが、現在のようなクラシック路線のレースとして定着したのは、1970年・昭和45年に、開催場所を京都競馬場芝コースに変更し、距離を1600mにしてからだと思います。距離については、その後も何回か変更がありましたが、1991年以降は、主に1800mで行われています。

 その1970年と71年には、タニノムーティエ、ヒカルイマイと2年連続の日本ダービー馬を輩出しましたし、1998年と1999年には、あのスペシャルウィーク(日本ダービー、天皇賞(春)(秋)、ジャパンカップ)、そしてナリタトップロード(菊花賞)が勝っています。まさに、G1馬の宝庫というべきレースです。

 このレースを叩いた関西有力馬は、この後、弥生賞やスプリングステークスをステップとして、皐月賞に駒を進めるのです。
 ところで、こうして書いていくと、きさらぎ賞は春のクラシック競走、皐月賞や日本ダービーとの関連が深いように思われます。確かに、前述のように春のクラシックホースも沢山輩出しているのですが、意外なのは、菊花賞との関連の深さです。きさらぎ賞を勝ちながら、春のクラシックレースでは苦杯を舐め、捲土重来、秋の菊で花を咲かせている馬も居るのです。

 前述の1999年のナリタトップロードや2007年のアサクサキングスもそうですが、古いところでは1965年のダイコーター、1978年のインターグシケンといった馬達も、きさらぎ賞を勝って、皐月賞・日本ダービーは惜敗・不調に終わりながら、菊花賞を制しています。
 また、皐月賞・菊花賞の二冠馬キタノカチドキも、1974年のこのレースの勝ち馬です。

 どちらかといえば早熟な中距離馬が有利(最近は特にその傾向が強い)と思われる「きさらぎ賞」から、3歳の夏を越えて、大人になった馬が制覇すると言われる菊花賞馬が、数多く出ているというのですから、競馬は難しい。
 強いて言えば、京都の芝外回りコースの経験がある、という一点でしょうか。

 今年のレースには、例年のような前評判抜群の馬は出走してこない様子です。しかし、やはりクラシックレースを占うには、見逃せないレースだと思います。

 1月10日の当ブログで、1月場所で活躍が期待できる力士10名を掲載しました。1月場所の15日間を振り返って、総括したいと思います。

・白鵬 12勝3敗
・稀勢の里 10勝5敗
・豪栄道 8勝7敗
・把瑠都 8勝7敗
・栃煌山 8勝7敗
・高安 12勝3敗 敢闘賞
・栃乃若 8勝7敗
・大道 6勝9敗
・隠岐の海 8勝7敗
・豊ノ島 6勝9敗

 10名中勝ち越しが8名とまずまずでしたが、平均は8.6勝6.4敗と、勝ち星が伸びなかった点が、残念でした。

 優勝は、横綱日馬富士でした。横綱という地位に慣れるまで、もうひと場所必要かと考えましたが、日馬富士は2場所目に完璧に対応し、全勝優勝しました。もともと地力があることは、横綱昇進時の2場所連続全勝優勝で証明されていましたが、横綱2場所目の全勝優勝とは、素晴らしいの一語。朝青龍や白鵬も成しえなかった快挙です。
 取り口は「圧倒的なスピード」と「前に出る強さ」に裏打ちされていました。特に、相手力士が止まって見える程のスピードと動きのキレは圧巻でした。この相撲を極めて行けば、大横綱朝青龍とは、また一味違う「日馬富士のスピード相撲」を完成できるように思います。期待したいと思います。

 大関陣は、相変わらずパッとしない成績でした。稀勢の里も2敗で付いて行きましたが、終盤崩れて5敗とは、情けない限りです。まずは、序盤の取りこぼしを防いで、全勝で11日目を迎える努力が大切でしょう。日本人横綱誕生に、最も近い力士であることは衆目の一致するところです。同部屋の高安が追いかけてきています。まわしを取って、相手を料理する相撲も活用していただきたいものです。

 豪栄道は、二桁勝ち星が期待されましたが、千秋楽にようやく勝ち越しを決めるという内容でした。まだ、関脇で10勝以上を安定して上げるには力不足ということでしょうか。幕内上位から三役にかけて、ベテラン・若手の好力士が目白押しの現在ですから、大勝するのは中々大変だと思います。
 従前から指摘されている脇の甘さの克服と、半身相撲の活用が期待されます。

 把瑠都は二桁勝利を挙げることが出来ず、ひと場所での大関復帰はなりませんでした。エストニアの相撲ファンならずとも、残念な結果でしたが、体調を万全にして、是非優勝を目指してほしいと思います。欧州出身力士として、最も横綱に近いのは、やはり把瑠都関だと思います。

 栃煌山も、何とか勝ち越しましたが、大勝には至りませんでした。大関戦で時折見せる圧倒的な強さには驚かされますが、一方で負ける時の弱さも圧倒的です。とにかく、前に出る力を磨くことが、大化けの条件だと思います。化けてしまえば、相撲センスは抜群ですから、あっという間に大関に上がれると思います。

 高安は、ついに掴んだという感じがします。今場所の取り口を忘れずに、稽古にまい進していただきたいものです。特に、14日目の豪栄道戦。相手十分の形から押されました。いつもの高安なら、ここで押し出されてしまうところですが、これを交わしました。左右の動きを加えた相撲は、高安の勝率を上げるものだと思います。稽古熱心な高安関の、一層の飛躍に期待します。

 10日目まで8勝2敗とした時には、大勝かと思われた栃乃若ですが、失速し、終盤は5連敗でした。大きな体を使って、下から下からあてがいながら前に出る相撲は、威力十分ですが、その取り口だけでは憶えられてしまいます。四つ相撲や突っ張りなども併用した方が、より強さが増すと思います。

 大道は、前半の1勝6敗が堪えました。後半盛り返したものの負け越し。取り口を憶えられてしまった感がありますので、スピードを上げるか、新技を身に着けていく必要があるでしょう。

 隠岐の島は、勝ち越しこそしましたが相撲内容は残念なものでした。幕内上位でも下位でも、8勝7敗というのでは、鈍ら相撲の誹りは免れません。堂々たる体躯、正統派の取り口と、期待の大きな力士ですから、奮起を促したいと思います。

 今場所の豊ノ島は、横綱・大関陣の壁を破れませんでした。このままでは、次の大関レースで後れを取ってしまいそうです。立ち合いを低くできれば、豊ノ島の良さが発揮できると思うのですが。

 2013年の大相撲は、日馬富士の全勝優勝で幕を開けました。白鵬に全盛時の力が見られませんし、日馬富士も安定感という意味では不安が残ります。(脚の故障の様子によって、場所毎に成績がぶれそうです)
 従って、大関から幕内の上位までの、多くの力士に優勝のチャンスがあるのが、2013年の大相撲だと考えます。面白い土俵が期待できます。

 2013年の大阪国際女子マラソンは、1月27日に行われました。ウクライナのガメラシュミルコ選手が2時間23分58秒のタイムで優勝、日本期待の福士選手は2位でした。

 レースは、27㎞付近から福士選手がジリジリと抜け出し、30㎞過ぎでは独走態勢を築きました。表情には余裕があり、走りも快調な様子でしたから、テレビの解説者も「行けると思う」とのコメントでしたが、私は「全く判らない」と感じていました。

 マラソンに挑戦してから、福士選手は1回も走り切っていなかったからです。本ブログでも既に書いていますが、10000mの走りとマラソンの走りは、全く異なるものなので、10000mを極めているランナーが、マラソンで良い成績を残すのは容易なことではないのです。福士選手も例外ではなく、20~35㎞位の地点で「脚が全く動かなくなる状態」に陥り、あとはただ走っているだけ、競走には参加していないレースが続いていました。

 今回の30㎞までの走りを観ると、この課題を克服したのかもしれないという期待を持たせましたが、私は「自在のスピードの上げ下げを得意とする福士選手が、切れの無い同じ速度で走り続けている様子」から、これまでと同じレース振りであり、いつ「脚が動かなくなるのか」を心配しながら観ていました。
 ちなみに、走っているときの表情と脚が動くかどうかは、全く無関係ですので、楽そうな表情で走っているというのは、走る余力の有無とは関係ありません。表情から判るのは「お腹が痛くなった」「脚に痛みが来ている」といった状態です。

 なんとか42㎞の間、福士選手の脚が動き続けてほしいと願いながら観ていましたが、33㎞を過ぎたところで、脚が止まりました。
 あとは、自力での優勝は無くなり、他の選手との力関係に順位を任せる状態になりました。最大150mほどつけた差を、食い潰しながら、ゴールを目指しましたが、ガメラシュミルコ選手に残り970mで追いつかれ、並ぶまもなく追い抜かれました。脚が止まっている状態では、付いて行くことなど不可能です。根性や頑張りで、何とかなるほど、日本トップクラスの競技は、簡単なものではないのです。
 ゴールでは、100m以上の差を付けられていましたから、1000mで100mの差が付くという、全く別次元のスピード差があったということになります。(100m競走で10mの差というのは、選手同士の競走にはなっていません)

 さて、これから福士選手は、どういう対応をしていけばよいのでしょう。
 本人が、一番良く分かっていると思いますが、「あと3㎞を走るスタミナを身に付ければ良い」というものでは、ありません。全く違う走りができるようにならなければ、福士選手にとってのマラソンは、形成されないと思います。

 あと3㎞のスタミナ増強では、脚が止まるタイミングが、今回のレースが33㎞付近、次回が36㎞付近となるだけです。脚が止まってしまえば、あとはスピードの上げ下げが出来なくなり「ただ走っているだけ」になってしまいます。そんなレースは、福士選手が望んでいるレースとは、かけ離れたものでしょうし、世界大会のマラソンレースを考えても、35㎞、40㎞を過ぎてからの駆け引きにより勝敗が決まるのですから「全く通用しない走り」ということになります。

 福士選手には、これまでのレースの延長線上で次のレースを考えるのではなく、全く異なるアプローチで臨んでいただきたいと思います。ご本人も、コーチの方も、百も承知の事かとは思いますが。

 レース終了直後に、福士選手はテレビ放送のスタジオに表れました。高橋尚子氏らからのインタビューに、笑顔で答えていました。こうした明るい対応は、スター選手としての、福士選手の良いところです。
 そして、顔の表情や、話をする体力・精神力の有無と、脚の余力の有無が全く無関係であることの、何よりの証左でした。

 本日2013年1月27日に東京競馬場ダート1400mコースで開催されるG3根岸ステークス競走は、グレード制が導入される以前にオープン特別競走として実施されていたレースが、1987年に重賞に昇格したものです。
 私も、重賞昇格直後には違和感があり、根岸ステークスは特別競走という意識がなかなか抜けませんでしたが、今では貴重なダート重賞競走のひとつとして定着していると思います。この「根岸ステークス」のレース名の由来となったのが、横浜市中区に存在した「根岸競馬場(横浜競馬場とも呼ばれました)」です。

 江戸時代末期の1866年9月、開国後の日本における外国人居留地のひとつであった横浜(現在の中区根岸台)に、外国人の娯楽施設として開設されたのが、根岸競馬場です。我が国初の近代競馬場ですから、現在行われている「日本競馬発祥の地」ということができます。

 1988年からは、日本人にも入会が許され、1905年には明治天皇から御賞典が下賜され、エンペラーズカップ(後の帝室御賞典)が創設され、1939年には横浜農林省賞典四歳呼馬競走(後の皐月賞)が創設されるなど、我が国競馬の黎明期には大きな役割を果たしました。

 太平洋戦争の激化に伴い、横浜競馬は1942年に開催されなくなり、翌1943年に競馬場は海軍に売却されました。
 戦後は、駐留するアメリカ軍の娯楽施設としてゴルフ場が設営されたりしました。日本競馬会や日本中央競馬会は、再三、根岸競馬場の払い下げを申し出、払い下げられることは決まりましたが、アメリカ軍向けのゴルフ場は存続しましたので、結局根岸競馬場が、競馬場として使用されることはありませんでした。
 こうしたやりとりが行われている間、根岸競馬場の周辺は、閑静な住宅地としての開発が進み、実態的にも再度競馬場として使用するのは難しくなっていました。

 現在では、旧根岸競馬場の跡地の大半は「根岸森林公園」となっています。芝の緑にあふれた、素晴らしい公園です。また、その入り口付近には、1977年に「馬の博物館」が開設されました。博物館の入口には、シンザン像が私たちを迎えてくれます。立派な像です。

 根岸森林公園の一角には、旧根岸競馬場の施設の一部が残っています。特に、1929年にアメリカ人建築家J.H.モーガンの手による「一等馬見所跡」の建物は、古き良き根岸競馬場の雰囲気を、現在に伝えています。

 私も、40年ほど前に訪問しましたが(現在、入れるのかどうかは分かりません)、何とも言えない感慨に襲われました。
 また、振り返って見たときに、周辺の住宅地との近さにも驚きました。

 2009年には、経済産業省から日本近代化産業遺産に指定されたと聞きましたが、今後どのような形で保存していくのかは、未定の様です。素晴らしい根岸森林公園とともに、より良い保存方法を検討していく必要があると思います。
 アメリカン・フットボール・カンファレンスの今季カンファレンス・チャンピオンシップ・ゲーム(優勝決定戦)が、2013年1月21日、マサチューセッツ州フォックスボロのジレット・スタジアムで行われました。地元のニューイングランド・ペイトリオッツとボルチモア・レイブンズの対戦です。

 2000年以降、3度のスーパーボールSB制覇を誇るペイトリオッツは、当代屈指のクオーターバックQBトム・ブレイディが健在、加えて、地元でのチャンピオンシップ・ゲームは4連勝中です。
 対するボルチモア・レイブンズは、今季レギュラーシーズンは10勝6敗と苦しみましたが、プレーオフに入って、インディアナポリス・コルツ、デンバー・ブロンコスを連覇。今シーズン限りでの引退を表明した名ラインバッカーLBレイ・ルイスを中心とした守備陣の活躍を中心に、勝ち上がってきました。
 近時の両チームの対戦は、常に7点差(1ポゼッション差)以内の接戦となっていましたから、好ゲームが期待されました。

 ジレット・スタジアムの天候は、珍しいほどの強風でした。それも、方向が一定しません。ゴール・ポストが大きく揺れる程の風でしたから、ボール、特にパスプレーへの影響が心配されました。

 ゲームは、予想通りに、ペイトリオッツのハイパーオフェンスOF対ブロンコスのディフェンスDFの様相を呈しました。ブレイディは、短いパスとランプレーを主体に前進を図ります。
 レイブンズは、自陣30ヤード位までは前進を許しますが、そこからの堅守はさすがで、ペイトリオッツも中々得点できません。加えて、強風のために、通常ならフィールドゴールFGを狙える距離でも、全く届かないために、パントという場面も沢山ありました。

 予想通りの接戦となり、第2クオーターQを終わって、13対7でペイトリオッツがリードして、後半に入りました。
 ここまで、ブレイディは、レイブンズの強力DFに苦しみながらも、主にレイブンズDFレイ・ルイス周辺への短いパスを有効に使って、前進しました。レイ・ルイスも、全盛時に比べて瞬発力は衰えていますから、自らの周辺に速いパスが来ると、反応が遅れるからです。これは、さすがの攻撃だと感じました。
 しかし、第3Q以降、レイ・ルイスを中心としたレイブンズDF陣は、このブレイディ・ペイトリオッツの攻撃を、ほぼ完璧に抑え込みました。広範なカバーとハードタックル。ブレイディのオフェンスが、これ位通用しなかったゲームも珍しいと思います。

 一方、前半抑え込まれていたレイブンズの攻撃ですが、後半は見事に機能しました。QBジョー・フラッコを中心にしたオフェンスです。レギュラーシーズン中は、うまく機能していたとは言えなかったレイブンズオフェンスでしたが、プレーオフに入ってからは、ロングパス・ミドルパスが要所で決まり、得点力が倍増しました。レギュラーシーズンのQBレートが87点台だったフラッコも、プレーオフに入ってからは100を超えてきていて、好調を維持していました。
 
 しかし、強風下のこのゲームでは、なかなかロングパスを決めていくのは難しいと思われましたし、実際、第2Qまでは、ロングパスのプレーコールは成功しませんでした。ブレイディの方は、強風を考えてか、ロングパスのプレーコール自体が少なかったと思います。フラッコの方は果敢にトライしました。

 このトライが功を奏したのです。20ヤード、30ヤードのパスが決まりはじめ、第3Qに1本、第4Qに2本、計3本のタッチダウンTDパスを決めました。
 試合は、28対13で、レイブンズが快勝しました。この両チームの対戦としては、珍しい大差のゲームでしたし、プレーオフで負けるペイトリオッツを滅多に目にしたことが無いジレット・スタジアムの地元ファンは、静かにしているしかありませんでした。

 これでレイブンズは、第一シードのブロンコス、第二シードのペイトリオッツを破って、スーパーボールへの出場を決めました。ペイトン・マニング、トム・ブレイディという、現在のNFLを代表する2人のQBを破った、QBジョー・フラッコのプレー振りは、好調時のニューヨーク・ジャイアンツQBイーライ・マニングに似ていました。
 思い切ったロングパスで、局面を打開していくプレー振りです。

 ブロンコス戦では、50ヤード前後のロングパスが何本も決まりましたし、このゲームでも30ヤード前後のパスを良く通しました。思い切りの良さと、ワイドレシーバーWRに恵まれていることから、今後も大きなゲームには力を発揮しそうに思います。

 一方のブレイディは、2000年代後半からの傾向である、大試合になると得点力が落ちる点が、この試合でも出てしまいました。様々な経験から、どうしても手堅いプレーを優先してしまうのでしょう。ブレイディがデビューしたころのような、思い切ったプレーというか、ハイリスクプレーにも挑戦していって欲しいものです。別の言い方をすると、チームメイトを信頼して、ということにもなるのでしょうか。この試合で、プレーオフゲームにおける通算パス獲得ヤードをNFL歴代一位とした、ブレイディのような大QBに対して、失礼な物言いで恐縮ですけれども。

 残り時間も僅かになり、自軍の攻撃時間にフィールドサイドに座っていたレイ・ルイスが、チームメイトやコーチ陣から祝福されています。時には、うつむいて泣いているようです。本当に嬉しそうです。
 年明けに、今季限りの引退を表明し、以降勝ち続けているルイスです。レイブンズのディフェンス陣をコントロールしている功績はもちろんとして、自身の成績もプレーオフ3ゲームで44タックルという、見事なものです。
 そして、ついに2000年の第35回スーパーボール制覇以来、2度目のスーパーボール出場を実現しました。チーム創設と同時に入団したレイ・ルイスの歴史は、ボルチモア・レイブンズの歴史そのものです。

 テレビ解説者が言います。「ロッカールームで、皆を集めて話をしますが、ヘッドコーチが話しても、聞いていない選手が必ず居ます。しかし、レイ・ルイスが話し始めると、全員が真剣に耳を傾けるそうです。そして、ハーボウ・ベッドコーチも聞き入るそうです。」と。リーダーとは、こういうものです。
 2013年1月21日、アメリカ・ジョージア州アトランタのジョージアドームで、今季のナショナル・フットボール・カンファレンスNFCのチャンピオンシップゲーム(優勝決定戦)が行われました。地元アトランタ・ファルコンズとサンフランシスコ・フォーティナイナーズ49resが対戦、28対24のスコアで49ersが勝利し、スーパーボールに進出しました。5度のスーパーボール制覇を誇る超名門49ersにとっても、久しぶり(18年振り)のスーパーボールです。

 一方のファルコンズは、悲願のスーパーボール進出にあと一歩届きませんでした。地元開催のゲームでもあり、アトランタのファンにとっては、とても残念な結果だったことでしょう。

 このゲームは、ファルコンズが先制し、第3クオーターQまで終始リードを続けましたが、最終の第4Qで49ersが逆転した形です。

 その第2Q、一時17-0とファルコンズがリードし、その後49ersが2つのタッチダウンTDで追い上げて、17-14とファルコンズのリードが3点になった状況でのファルコンズの攻撃。第2Q、残り3分位だったと思います。
 ファルコンズのクオーターバックQBマット・ライアンのパスが決まって、49ers陣30ヤード以内に前進しました。
 NHK-BS1放送のアナウンサーが叫びます。「フィールド・ゴールFGの圏内に入りました」と。
 「ガックリ」しました。なんというピンボケな放送でしょう。興醒めこの上なく、盛り上がった気持ちに、冷水を浴びせられました。

 「間違ったことは言っていない」という意見もあるのかもしれませんが、私は「間違ったコメント」だと思います。
 NFLのゲームで、第2Q残り3分(試合時間は半分以上残っています)、17-14の3点リードの局面で、FGを狙いに行くチームは存在しないからです、ここでは、TDの7点を取りに行く以外の方針は存在しないのです。
 ファルコンズのプレイコール・戦術も、全てTDを取るために組み上げられています。FG狙いとTD狙いでは、全く違うのです。
 そうした状況下で「FG圏内に入りました」と放送されると、視聴者の考え方・気持ち・期待と正反対の放送ですから、間違い放送なのです。

 アナウンサーには、視聴者に正確な情報を伝える義務があるのでしょう。そして、視聴者の気持ちに沿った放送をする責務があるのでしょう。それが出来て初めて、良い放送と言われるのだと思います。先日の本ブログでも採り上げた、ベルリンオリンピックの前畑選手の活躍を伝えたラジオ放送は、良い放送の典型です。

 試合は第3Qに入ります。ファルコンズが24-21と再び3点をリードしている局面で、ファルコンズの攻撃。ここで再び、ファルコンズが49ers陣深くに攻め込みます。ここで再び、アナウンサー「FG圏内に入りました」と。再び、ビックリしました。

 さすがに、間違い放送も二度目はダメということか、解説者が「ここで(FGで)3点取っても、24-21が27-21の6点差になるだけですから、(ひとつのTD7点で逆転されてしまいますので)意味がありません。ファルコンズはTDを狙っています」と、訂正の説明を行いました。視聴者に間違った情報が伝わってはいけないと考えたのでしょう。
 アナウンサーからは、何の返事もありません。

 このようなアナウンサーは、アメリカン・フットボールの放送には不適です。まして、NFLのカンファレンス・チャンピオンシップ・ゲームという、1シーズンに2試合しかない大切な試合の放送を任せるには「アメリカン・フットボールを知らな過ぎる」のです。

 全てのスポーツのそれぞれのプレーには「狙い」があるのです。コーチ陣やプレーヤーは、その「狙い」を実現するためにプレーを展開するのです。ルールには、そのスポーツのプレーのやり方は記載されていますが、そのスポーツの「狙い」は記載されていません。
 そして、当然のことですが「狙い」はプレーにおいて最も大切なことです。それぞれのプレーヤーやチームが、どのような狙いを持って、その時点時点のプレーを展開しているのか、しようとしているのか、を視聴者に判りやすく説明するのが解説者の仕事であり、それを補助していくのがアナウンサーなのでしょう。
 大切な「狙い」を、全く理解できないアナウンサーは、その放送には不向きで有害ということになります。

 たとえ、そのアナウンサーが当該スポーツのルールに詳しいとか経験者であったとしても、本ブログでも何度も書きましたが、間違った見方・考え方で観戦やプレーを長く続けていれば、いつまで経っても正しい見識は身に付きません。それどころか、間違った見方が凝り固まって行きます。こうなってしまうと、なかなか治りませんから、注意しなければなりません。

 また、スポーツに限らず全ての物事に共通していることですが、ルールにはルールが出来上がった理由があります。その理由を考えることなく、ルールのみを記憶しても意味がありません。そのような対応の仕方をすると、特に、応用力に乏しくなり、例外的な事象に対応できにくくなります。

 本稿は、NFLがテーマですので、アメリカン・フットボールを例に取り上げます。アメリカン・フットボールでは、ターンオーバー(ボールの保有権が相手チームに移ってしまうこと)は、致命的なミスとされています。
 パスのインターセプト・プレーも、ターンオーバーのひとつであり、試合に決定的なダメージを与えることも多いプレーです。

 しかし、例えば自陣10ヤードからの攻撃、3rdダウン残り15ヤードのシチュエーションでQBがロングパスを投げてインターセプトされたとしても、ボールを捕った相手プレーヤーを早々に潰せれば、なんら問題の無いプレーです。

 このヘイル・メリーパスのようなロングパスは、万一通れば、大きなゲインあるいは一発TDのプレーですし、一方インターセプトされたとしても、4thダウンでパントしたのと同じです。同じであれば、万一の可能性に賭けるプレーがあっても良いことで、実際NFLのゲームでは時々観られます。
 そして、その都度アナウンサーは「インターセプトです。ビッグプレーが出ました」と絶叫します。すると解説者が「今のはパントと同じ効果のプレーで、問題ありません」と説明します。何度、こうした放送を観てきたことでしょう。同じルール・プレーでも、状況に応じて効果が異なることを、いい加減に憶えてほしいものだと、いつも思います。
 「インターセプト=悪・失敗」という、ワンパターンで硬直化した憶え方をすると、こうした見方しかできなくなるのです。

 試合終了寸前、おそらくアトランタ・ファルコンズのオーナーと思われる人物が、画面に大写しになりました。ガックリと頭を下げた、失意の姿勢です。
 スーパーボール制覇5回を誇る名門サンフランシスコ49ersを、あと一歩のところまで追い詰めながら、またも大魚を逸した悔しさが滲み出ています。
 ファルコンズは、しかし、相当に力を付けてきています。伝統チームの壁を破るのも時間の問題のように思います。

 久しぶりに風邪をひいてしまいました。
 ブログの更新が遅れてしまいますが、ご容赦ください。さて、

 駅伝競技では、中継点で襷渡しが行われ、走者が引き継がれます。各種のリレー競技において、「襷(たすき)」を使用するのは駅伝だけですので、襷(以下、タスキ)は駅伝競技の象徴とも言える存在です。

 さて、自らの担当区間の残りが少なくなり、次区間のランナーへの引き継ぎ、中継地点が迫ってくると、ランナーは身に着けているタスキを体から取り外し、どちらかの掌に握るなどして、中継地点を目指すことになりますが、このタスキを外すタイミングは、各ランナーによって異なります。

 タスキ取り外しのタイミングが早いランナーですと、中継点の600m以上前でタスキを外します。また、多くのランナーは中継点の400m位手前で外します。そして、ランナーによっては、手前200m以内に近づいてからタスキを外す人も居るのです。
 タスキは、いつ外しても良い訳ですし、常識的には掌でタスキを握りしめている状態は、タスキを落とすリスクが高いのですから、なるべく中継点の直前で外した方が良いように思いますが、とても早い段階で外してしまうランナーも居るのです。

 このタスキ外しのタイミングは、各ランナーの趣味とか癖とかいうことではなく、また監督やコーチからの指示によるものでもないように思います。
 これは、その時のランナーの調子、好調か不調かを示しているバロメータであると、私は考えています。

 調子が良いランナーほど、中継点の近くに行ってから、タスキを外すように思います。逆に、調子が悪いランナーは、中継点が遠い段階でタスキを外すのです。
 従って、例えば2人で競り合ってきたランナーが居る場合には「タスキを先に外した方が苦しい」ということになります。

 少し意味は違いますが、長距離競走において、身につけたものを外すということは「変調を来したことのサイン」である場合が多いように思います。
 寒い時期なら手袋やアームウォーマー、日差しが強いあるいは熱い時期ならサングラスや帽子、などを身に付けて、ランナーはレースに臨む訳ですが、これらの装備を外すことは、体調の変化を表しているということです。
 そして多くの場合、これらの装備を外すのは、ランナーの調子が悪くなった時なのです。

 1984年のロスアンゼルスオリンピック男子マラソンに出場した瀬古俊彦選手は、前半トップグループを走っていましたが、中間点手前で帽子を投げ捨てました。私は「これで瀬古の優勝は無い。調子が悪いのだ」と感じました。結局、瀬古選手は14着に敗れました。
 1979年12月から1988年3月までの10年の間、瀬古選手はマラソンを10回走って9回優勝しています。唯一負けた1回が、ロスアンゼルスオリンピックでした。

 1984年の日本の夏は大変暑く、その環境下での練習のやり過ぎ・調整ミスが敗北の原因と言われていますが、その瀬古選手のコンディションの悪さが、早々と帽子を投げ捨てる行為に表れていたと思います。

 長距離競走のランナーが手袋や帽子・サングラスなどを外すタイミング、そして駅伝ランナーがタスキを外すタイミングは、ランナーの調子を測るバロメータなのです。

 少し注意して観ていただくと、面白いと思います。
 昨日、2013年1月場所7日目の幕内取組が始まる直前に、元横綱・大鵬こと、納谷幸喜氏の死去が報道されました。1940年生まれでしたから、72歳の逝去でした。

 本ブログでも、先日、大鵬が所属した二所ノ関部屋が、1月場所後閉鎖される旨の稿を掲載したばかりですが、その二所ノ関部屋閉鎖前に、大鵬は帰らぬ人となりました。

 昭和30年代の有名な「巨人・大鵬・卵焼き」の一角を占める力士でした。プロ野球の長嶋茂雄選手、俳優の石原裕次郎氏、歌手の美空ひばり氏とともに、昭和時代のエンタテイメント界を代表する人物でもあったと思います。

 大相撲歴代最多の32回の優勝や、2度にわたる6場所連続優勝、45連勝など、大横綱としての大鵬の記録を挙げるとキリがありません。187㎝、145㎏という恵まれた体躯から、組んで良し、離れて良しの「型の無い相撲」と言われた、自在の取り口を展開しました。

 大鵬の体格は、当時の幕内力士の中では、大きい方でしたが、現在の幕内力士の平均体重が150㎏を優に超えていることを考えると、力士の大型化というか、体重の増加には、隔世の感があります。

 そして、私が大鵬について最も印象に残っているのは「土俵入りの美しさ」です。全体として、ゆったりとした動きで、両腕を広げて、掌を返す瞬間が、特に美しい。大鵬の土俵入りの華でした。何人もの横綱を見てきましたが、いまでも最も美しい土俵入りだと思っています。

 四股名の由来となった「翼を広げると三千里、ひと飛びで九万里を飛翔する大きな鳥」のように、大鵬は時代を駆け抜けました。
 ひとつの時代が終わったと感じさせる出来事です。
 
 里谷多英選手が現役引退を表明しました。我が国スキー・モーグル競技の男女を通じてのNO.1プレーヤーの引退は、とても残念ですが、私たちに沢山の感動を与えてくれたことに対して、心からお礼を申し上げたいと思います。里谷選手、ありがとうござました。

 里谷選手は、日本女子として初めての冬季オリンピック金メダリストです。そして、現在に至るまで、スキー・モーグル競技の男女を通じての唯一のオリンピックメダリストです。
 加えて、1998年長野オリンピックの金メダルに続いて、2002年のソルトレークオリンピックでも銅メダルを獲得しています。日本女子で、冬季オリンピック2大会連続でメダルを獲得した唯一の選手ですから、冬季オリンピックにおける全競技を通しての日本女子最高の選手であることは、異論の余地がありません。

 札幌に生まれた里谷選手ですが、小学校5年生の時にモーグルを始めたそうです。そして、小学校6年生の時に全日本選手権(ジュニアではありません)に優勝していますから、余程モーグルが向いていた選手だったのでしょうし、天才プレーヤーであったことも間違いありません。
 そして、中学2年生の時から全日本選手権を5連覇しています。1994年のリレハンメルオリンピックに18歳で出場して11位。以降の実績は、頭書の通りです。

 私は「里谷選手は、スキーが上手なプレーヤー」だと思っています。当たり前のことを書くようで恐縮ですが、各種のスキー競技で最も大切なことは、スキーイングが上手であることだと思うのです。(日本語カタカナで、スキーイングという言葉があるのかどうかは分かりませんが、私はそのように呼んでいます)里谷選手は、そのスキーイングがとても上手な選手でした。

 競技に置き換えていえば、あのコブだらけの斜面を滑るのが、とても上手かった=速くて、スキーが雪面に密着して、極めて滑らかであった、ということです。モーグル競技においては、この点が最も大事です。2つのジャンプ台で行う演技も重要ですが、それもスキーイングのスピードと上手さが前提となっています。ゆっくり慎重に滑ってきたら、ジャンプも比較的簡単に良い演技ができます。他の選手より速く滑ってきて、同じ演技を行うことが難しいことなのです。

 私はモーグルを観る時に、スタートから最初のジャンプ台に到達するまでのスキーイングに、最も注目します。そこまで観れば、その選手の力量が判ります。膝と腰、そして脚部の筋力が十分で、トレーニングもキッチリ積まれている選手の滑りは、それだけで、とても美しく、素晴らしいものです。そして、そういう地力十分な選手が、気持ちの面でもアグレッシブに試技に臨んでいるときに、驚異的なプレーを目の当たりにすることができるのです。

 そのレベルの選手は、ゆっくりと滑れば、スキーと雪面が密着したまま、コブだらけの斜面を滑降することができますが、それではタイム面で他の選手に劣ってしまいますから、競技で良い成績を残すためには、ぎりぎりまでスピードを上げていくことになります。スキーと雪面が付かず離れずの限界のスピードで滑って行く姿、僅かに跳ね上がる雪庇、腰部分の驚異的な安定、バネの様な膝の上下運動、など見所が満載です。

 従って、モーグル競技では、男女の競技レベルの差が大きくなります。下半身の筋力の絶対値が、男性の方が圧倒的に高いからです。男子モーグル競技プレーヤーの世界トップクラスの選手は、他の全ての競技のトッププレーヤーに劣らない筋力と運動神経を保持していると思います。
 そして、女子選手の中では、里谷選手の筋力・運動神経は、間違いなく世界のトップレベルでした。あの膝の柔らかさと筋力、そして直線的な滑りは、本当に素晴らしいものだったと思います。

 加えて、里谷が凄いのは、そのメンタル面です。大きな大会になればなるほど、そして予選より決勝で実力を発揮するのです。
 例えば、長野オリンピックでは、予選を11位で通過し、決勝は1位金メダル、ソルトレークシティオリンピックでは、予選6位・決勝3位の銅メダル、最初のオリンピックであったリレハンメル大会でも、予選27位・決勝11位でした。全てのオリンピックで、決勝の成績が、予選より遥かに良い選手というのも、滅多にお目にかかることはできないと思います。「日本選手は、精神面が課題だ」という言葉を良く耳にしますが、里谷選手について言えば、正反対の選手だったということになります。

 ちなみに「日本選手は、精神面が課題だ」という言葉も、いろいろな競技を観れば観る程、根拠に乏しい見方だと思います。精神面というのは、個別の選手の問題であって、「日本選手」と一括りにするのは間違いでしょう。外国選手より、メンタル面で上だなと感じる日本選手は沢山います。それどころか、どちらかというと、日本選手はメンタル面で外国選手より優れていると感じます。一度、全ての競技について比較してみたいと思っています。
 おそらくですが、競技を観る側が、心配しながら観ていて、日本選手が失敗するのを見て「やっぱり」と感じてしまうのではないかと思います。つまり、観る側・報道する側のメンタル面の問題ということでしょう。その競技で、日本選手が失敗したり、負けてしまったりするのは、大半の場合、日本選手の力量が劣っていたのが理由なのです。力量が劣っていて敗れたものを、精神面の問題というのは無理があります。

 特に、スポーツマスコミ関係者の皆さんには、十分な知識・知見を持って、正確・冷静な報道をお願いしたいと思います。間違った報道の連続は、後に続く選手たちに、悪影響を与える可能性があるのですから。

 さて、話を戻します。

 里谷多英選手が、冬季オリンピックの日本女子最初の金メダリストであるとすれば、夏季オリンピックの日本女子最初の金メダリストが、前畑秀子選手です。水泳女子200m平泳ぎ、1936年のベルリンオリンピックの金メダリストでした。

 1914年に和歌山に生まれ、高等小学校2年生の時に環太平洋オリンピック200m平泳ぎで2位となりました。戦前のことですから、前畑選手は高等小学校を卒業したら家業を手伝うために水泳も止めるつもりだったそうですが、その小学校の校長先生の尽力などのお蔭で、名古屋の椙山女学園に進学することができ、競技を続けることになりました。

 日本全体が現在より貧しかったと思われるこの時代には、こうした話を良く聞きます。篤志家というのでしょうか、私財を投げ打って、才能ある子供を支えていくという形が、数多く存在していたように思います。また、援助を受けた子供の方も、その期待に良く応えて、一生懸命頑張り、中には世界的あるいは日本を代表するような人物が生まれています。才能ある子供を、公的に大切なもの「みんなの宝物」として援助するという方式ですが、国力の維持・向上という点から、大切な仕組みの様に思います。
 おそらく現在でも、こうした仕組みはあるのでしょうが、目立たなくなってきているように感じます。

 さて、前畑選手ですが、18歳で初出場した、1932年のロサンゼルスオリンピックで銀メダルを獲得しました。0.1秒差という僅差の2着でした。
 これで、今度こそ引退と考えたそうですが、周囲の期待がそれを許さず、競技生活を続行、1933年には200m平泳ぎの世界新記録を樹立し、1936年のベルリンオリンピックに臨みました。
 このオリンピックは、当時ドイツを支配していた、アドルフ・ヒトラー総統率いるナチス党のPR大会という色合いが強い大会でした。各競技においてドイツ選手の活躍が目立ったわけですが、女子200m平泳ぎにおいても、前畑選手のライバルとなったのは、ドイツのマルタ・ゲンネゲル選手でした。

 この前畑選手とゲンネゲル選手の決勝におけるデッドヒートは、NHK河西アナウンサーの有名なラジオ放送によって、現代の私たちも知ることができます。
 レースは始めから、前畑とゲンネゲルの一騎打ちの様相を呈したのですが、そこからの河西アナの実況は、およそレースの様子を知らせるものではなく、ひたすら前畑を応援するものとなっています。

 「前畑、前畑、前畑ガンバレ!前畑ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、前畑ガンバレ!前畑、前畑危ない、前畑危ない。前畑ガンバレ、前畑ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、前畑ガンバレ、ガンバレ、前畑ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、前畑ガンバレ!・・・・・・・・・勝った、勝った、前畑勝った」と続く、この放送は、スポーツ中継のひとつの大傑作であり、歴史に残る素晴らしい放送だと思います。

 テレビ放送など当然無かった時代、日本時間深夜12時を過ぎてからのレースでしたが、多数の日本国民がラジオの前に集合し、固唾を飲んでレースの開始を待っていたのでしょう。河西アナの第一声は「ラジオを切らないでください」であったと報道されています。競技開始が遅れ、予定時刻であった深夜12時になっても始まっていなかったのです。

 そして、スタートが切られてからは、前述の放送内容です。日本中が、興奮の坩堝と化していたことでしょう。現在であれば、スポーツバーやパブリックビューイング会場で見られるような光景が、各家庭の畳の間で繰り広げられていたに違いありません。
 画像は無いものの、河西アナの声に呼応して、両手を握りしめ振り上げながら、応援していたのかもしれません。いや、当時の日本人はもっと控えめだから、正座して両手を膝の上に乗せ、心の叫びで応援していたのでしょうか。

 この河西アナの放送は、意図していたものかどうかはともかくとして、日本の沢山の聴衆の気持ちに完全にマッチしたものだったのです。聴衆の心を掴む、素晴らしい放送だったのだと思います。メディアというものの意味を考えさせてくれる出来事だとも思います。
 そして、マス・メディアが、聴衆・観衆に感動していただく(「感動させる」などというのは、おこがましい限りです)ための必須要素が、良く分かる放送でした。

 里谷選手と前畑選手は、日本女子スポーツ界にとって、最も先進的な活躍を見せてくれたプレーヤーでした。

 里谷選手については、長野オリンピック優勝直後のシャンパン一気飲みや、その後の六本木での遊行などが問題視されたことがありました。長野オリンピックの時には、抗議が殺到し、当時の八木団長が謝罪会見を開いたように記憶しています。

 「抗議が殺到した」と言われていますが、どのような人達が抗議したのでしょうか。いったい何が悪いというのでしょう。未成年での飲酒は違法行為ですが、里谷選手は22歳でした。世界一を争う世界最大の大会で、素晴らしい成績を残してくれた選手が、そのストレスから解放されて羽目を外すことがあったとしても、違法でないのなら問題はないでしょう。そういう凄まじいストレスのことなど、全く知らない人々が、抗議などするのは、いかがなものでしょう。競技では勝って欲しいし、日常生活も品行方正であれ、というのは虫が良すぎるのではないでしょうか。

 前畑選手は引退後、母校椙山女学園の職員として後進の育成に尽力し1990年に、日本女子スポーツ界初めての文化功労者となりました。

 もう一人の巨星であり、現役引退を表明した里谷選手にも、是非後進の育成に力を貸していただきたいと思っています。金メダリストには、金メダリストにしか知りえない世界があるのですから。世界一になったプレーヤーしか知らない知識・知見・実践力を、多くのプレーヤーに伝えて行ってもらいたいのです。

 2013年1月20日、中山競馬場外回り芝コース2200mで行われる、第54回アメリカジョッキークラブカップG2競走の予想です。

 最近の傾向ですが、今年も1年以内のG1勝ち馬は出走して来ませんでした。G2、G3路線の馬達の熱い戦いに期待しましょう。

 軸馬は、迷うことなく7枠9番のルルーシュにします。昨年のこのレースの勝ち馬です。前走は8着でしたが、何と言ってもG1有馬記念です。このメンバーに入れば、勝ち負けの勝負をしてくれると思います。

 対抗馬の一番手は、4枠4番のアドマイヤラクティ。前走のG2金鯱賞は3着でしたが、このところ着実に力を付けてきています。過去11戦で4着以下無しと、安定感も十分です。
 対抗馬の二番手は、3枠3番のダノンバラード。冬に強い馬です。中山でのレース経験が無いのは気になりますが、ペリー騎手の騎乗に期待します。
 対抗馬の三番手は、8枠11番のネコパンチ。昨年のG2日経賞でウィンバリアシオンを捻じ伏せた脚は印象的でした。休養十分。同じ中山コースで、復活の走りに期待します。

 このレースは、以上の4頭に期待します。ルルーシュの走りを観たいレースです。

 松井秀喜を語るとき、必ず登場するエピソードのひとつが、石川・星稜高校3年の夏、1992年の夏の甲子園大会2回戦、対明徳義塾高校戦の5打席連続敬遠です。

 この試合は、明徳義塾が3対2で星稜に勝ちました。試合に勝つという点では、明徳義塾の作戦は成功しました。試合後のインタビューで松井は「ルールに則った作戦なので、何も言うことはありません」と答えていました。高校3年生のスポーツマンとしては、冷静な対応だと思いましたが、その表情は、さすがに憮然としていました。

 星稜高校の山下監督は、松井選手がメジャーリーグで活躍するようになってから、テレビのインタビューで「大人の対応でした。松井があれほど大人の態度を見せたのには、驚きました」と答えていたと記憶しています。

 私は、この時の松井選手の回答については、良いとも悪いとも感じませんでした。この時、松井選手が声を荒げて怒ったとしても、何ら悪いところはない当然の態度だと思いますし、実際に行われた冷静な対応について、もっと感じたままを話すべきだった、とも思いません。
 高校生の時から、相当に不愉快なことに対して、ああした態度が取れるプレーヤーであったということだろうと思うだけです。良し悪しの問題ではないでしょう。

 もちろん、プロ野球選手になってからの松井選手が、温和・冷静で、決して他人の悪口を言わない選手であったことは、素晴らしいことだと思いますし、NPB・MLBのスタープレーヤーとしての松井秀喜のアイデンティティであったと思います。MLBに関係する多くの人が言うように「松井は真のジェントルマン」なのです。

 私が「松井の5打席連続敬遠」という出来事を観たときに確信したことは「この明徳義塾という高校は、この監督の下では全国制覇できない」ということでした。その監督とは、馬淵史郎監督です。
 念のため述べますが、私は馬淵監督を批判するつもりは毛頭ありませんし、明徳義塾高校という甲子園常連チームを作り上げた馬淵監督の手腕についても、高く評価しています。ただし、こうした作戦を取る考え方では、甲子園大会出場は出来ても、「優勝」は出来ないと強く感じたのです。

 野球に限らず、高校の全国規模の大会で優勝した監督の皆さんのインタビュー・発言として報道される内容に共通しているのは「選手が良く頑張ってくれました」「最後は選手に任せました」ということです。全国大会で優勝するチームの監督は、最後は選手に任せる指揮を執る方が多いと思います。
 チームの勝利の最大要因が「自らの指揮が優れているから」と考えている監督では、全国大会に出場し、多少は勝てても、日本一には成れないのです。より「チームスポーツの本質」を理解する監督のチームには、なかなか勝てないのでしょう。

 「松井の5連続敬遠」の時には、時の明徳義塾の河野投手は監督からの明確な指示により敬遠しました。加えて、捕手を立たせての敬遠ではなく、捕手を座らせたままで外角に大きく外れるボール球を20球も投げさせるという「偽装紛い」と受け取られても仕方がない形を取りました。結果として、公式記録としては「故意四球」ではなく「四球」と記載されていると報道されました。
 何故、捕手を立たせての敬遠にしなかったのでしょうか。これも作戦だというのは、説明としては苦しいでしょう。

 馬淵監督率いる明徳義塾高校は、2002年の夏の甲子園大会で初優勝しました。1992年の松井の5連続敬遠から10年後のことです。私の「確信」は外れました。

 「投手が投げて、打者が打つ」というベースボールの根幹ルールから、最も遠くに存在する戦術が「敬遠」です。
 一方で「ルールに則っているのだから問題無い」という意見もあると思います。

 私としては、真ん中付近に来たボールを見逃した打者に対して「ストライク(打て)」とコールする、ベースボールというスポーツの本質は、十分に理解されるべきだろうと考えます。

 「打球」を巡って行われる様々なプレーが、ベースボールです。プレーヤーも観衆も、とても楽しいスポーツなのです。

 昭和30年代(1955年~)に、国際化を目指す中央競馬において、ビクトリア・カップ(現、エリザベス女王杯)やアルゼンチン・ジョッキークラブ・カップ(現、アルゼンチン共和国杯)といった重賞が、次々と創設されたことは、以前の本ブログにも書きました。
 アメリカ・ジョッキークラブ・カップ(AJC杯)は、その代表的なレースのひとつです。1960年(昭和35年)、ニューヨーク・ジョッキークラブから優勝杯を贈呈され、これを正賞として創設されました。

 第一回は1960年1月5日に行われましたが、爾来1月開催のレースとして定着しています。当初からレースの格も高く、1984年のグレード制導入時にもG2に格付けされました。
 関東地区の年頭を飾る大レースですから、前年の大レース・G1レースに優勝した強豪馬の新年緒戦に選ばれることが多かったのです。1983年以前は2400m~2600mで行われることが多かったので、天皇賞や有馬記念といった長距離が得意な馬の緒戦にも、向いていたのだと思います。
また、1984年以降は2200mでの開催になりましたので、中距離得意の強豪馬も出走してくるレースとなりました。

 歴史と伝統を誇るAJC杯ですので、その優勝馬には強豪馬が目白押しです。
 レース創世期だけを見ても、1962年のタカマガハラ(天皇賞(秋)優勝)、1965年のアサホコ(天皇賞(春))、1967年と1970年のスピードシンボリ(有馬記念2回)、1969年のアサカオー(菊花賞)、1971年アカネテンリュウ(菊花賞)といった、当時の八大競走優勝馬が名を連ねます。

 こうしたレースですが、本稿で採り上げるのは、1996年の優勝馬カネツクロスです。
 カネツクロス号、父タマモクロス、母マウントソブリン、生涯成績28戦9勝。3歳の1994年1月に遅いデビューを果たしたカネツクロスは、3歳時には条件戦を戦い続け、クラシック路線には縁がありませんでした。

 明けて4歳となり、ようやく本格化。1995年1月の900万下特別に勝ち、4月の1500万下レースに勝利してオープン入り、続くオープン特別を勝って、重賞挑戦となるG3エプソムカップに臨み、優勝。3連勝での初重賞制覇でした。
 1995年の夏を乗り切り、秋の緒戦G2毎日王冠は10着に敗れましたが、11月のオープン特別に勝って、12月のG2鳴尾記念に優勝、4歳時は8戦6勝、重賞2勝の好成績を残しました。

 1996年の1月、前年の重賞2勝の実績を引っ提げて、カネツクロスはAJC杯G2に挑戦します。東京競馬場2200mで行われた、この年のレースにも、前年のオークス馬ダンスパートナーが出走して来ましたが、カネツクロスは2馬身差で快勝しました。鍛えに鍛えたのであろう堂々たる鹿毛の馬体が、とても印象的でした。

 もうひとつ驚いたのは、1番人気であったことです。実は、前走のG2鳴尾記念2500mも一番人気でした。鳴尾記念には、マーベラスクラウンとレガシーワールドの2頭のジャパンカップ優勝馬が出走していたのです。こうしたG1ホースが出走しているにもかかわらず、上がり馬であるカネツクロスを1番人気に推す、競馬ファンの目の確かさを感じます。

 カネツクロス号が最も輝いたのが、このG2レース連勝でした。

 次走のG2日経賞も1番人気でしたが、ホッカイルソーにクビ差の2着と惜敗。負けたとはいえ、すっかり大レースの常連になったなと感じたものです。
 重賞3勝馬となっていたカネツクロスは、この後、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念といったG1レースを主体に10戦しましたが、好成績を残せませんでした。1996年のアメリカ・ジョッキークラブ・カップ優勝時が、ピークだったのだろうと思っています。

 翌1997年、6歳で挑戦した有馬記念での大差の最下位(16着)を最後に、カネツクロスは引退しました。良血馬とは呼ばれませんが、祖父シービークロス、父タマモクロス、そしてカネツクロスと続く、重賞三代制覇は、高く評価されるべきだと思います。

 カネツクロスは種牡馬にはなっていませんが、21歳の現在も、生まれ故郷のカネツ牧場で元気に余生を過ごしているそうです。幸せな余生だと思います。

 昔から大相撲には、名物と呼んでも良い好取組が存在しています。

 最も多いのは、横綱同士の対決です。栃錦と若乃花(初代)や、大鵬と柏戸、輪島と北の海、曙と貴乃花、朝青龍と白鵬、といった取組は、優勝の行方が決まった後の対戦であったとしても、血沸き肉躍る、大相撲の看板取組でした。

 そして、この横綱同士の取組以外にも、名物取組が存在します。
 代表的なものは「千代の富士 対 安芸乃島」でしょう。千代の富士は、31回の優勝を誇る大横綱です。大体、大横綱と呼ばれる力士は、苦手を作らない、逆に言えば、苦手な力士が居ないから、大横綱になれるのです。しかし、横綱千代の富士は、安芸乃島だけは苦手でした。

 安芸乃島は、金星16個という大相撲最高記録保持者ですが、この16個の金星の内、4個が、千代の富士からのものです。金星というのは「平幕力士が横綱に勝つ」ことを言います。安芸乃島は三役の常連で、長く大関候補と呼ばれた力士ですが、時には平幕に下がることもありました。その時に、千代の富士との取組が組まれ、そして、その状態(平幕VS横綱)で4回も大横綱に勝っているのです。当然、関脇や小結という三役在位の場所でも、この取組が組まれていた筈ですし、関脇・小結VS横綱の取組でも、安芸乃島が勝利したことがあったと思いますので、本当に千代の富士が安芸乃島を苦手にしていたことが判ります。
 安芸乃島は重心が低く、好調な時には、押しても引いても落ちないタイプでしたから、千代の富士にとっても、やりにくい相手だったのでしょう。

 平幕と横綱の対戦ですから、賜杯の行方とは関係がない場合が多かったと思いますが、それでも「千代の富士 対 安芸乃島」の取組には、注目が集まりました。こうした、番付下位の力士が、上位の力士に相性が良いというのも、頭書のものとは別の意味で名物取組になるのです。

 ちなみに、話は逸れますが「金星(きんぼし)」というのは、文字通り「金星」で、1個に付き2万円、毎月の給金に上乗せされると聞いています。つまり、安芸乃島は、金星の分だけで毎月2万円×16個=32万円が、給金に上乗せされていたことになります。年間で384万円のプラス。現役力士でいる間、継続して上乗せされるのですから、その価値は絶大です。平幕力士が横綱戦に臨む時、大きなインセンティブになるものと思います。

 話を戻します。

 現在の土俵における、名物取組には、どんなものがあるのでしょうか。直ぐに思いつくのは、白鵬VS稀勢の里でしょう。前述の千代の富士と安芸乃島戦ほどではないにしても、盤石の大横綱白鵬に対して、真っ向勝負を挑み、時々勝ち星を挙げる稀勢の里の強さは、大向こうを唸らせるものがあります。白鵬の連勝を63で止めたのも、稀勢の里でした。

 そして、本稿のタイトルである「琴欧洲 対 安美錦」も、現在の大相撲を代表する名物取組のひとつだと思います。

 本日、2013年1月15日、大相撲1月場所3日目、この名物取組が組まれました。対戦成績は、大関琴欧洲16勝、対する安美錦17勝と、既に安美錦の方が1つリードしています。立ち合い、ぶつかった両力士ですが、安美錦が押し込み、そのまま押し切りました。再び、安美錦の勝ち、これで対戦成績は、安美錦の18勝16敗となったわけです。

 安美錦は、技能派力士と呼ばれています。事実、三賞の技能賞も5回受賞していますから、現在の角界を代表する技能派と言えます。
 琴欧洲は、立ち合いに変化があるのではないか、土俵際で逆転されるのではないか、といった心配からか、安美錦戦になると、いつも腰が引けています。
 一方の安美錦は、技能派と言われていますが、実は前に推す力が非常に強いので、何かやるぞと見せながら、一気の寄りで勝ち星を挙げることが、少なくないのです。力量抜群の力士ですから、膝の怪我さえなければ、大関・横綱を目指すことができた力士だと、私は考えています。(まだ現役ですから、これから上がっていくかもしれません。その場合には、早とちりで申し訳ありません。)

 体格にあまり恵まれず、技能派力士と呼ばれながら、実際には前に出る力が強い力士というのは、上位の力士にとっては、やっかいな存在です。相手の出方を見ながら料理することが、難しいからです。見ている内に、押し出されてしまう。

 現在の力士の中で、このタイプの代表格は、横綱日馬富士でしょう。安馬と呼ばれていた時代には、特に際立っていましたが、業師のように見せて、喉輪から一気に押し出す相撲が、よく見られました。この一気の寄りがあるからこそ、別の技も活きて来るのです。野球で言う「ストレートが速いから、変化球が活きて来る」のに似ているかもしれません。

 このタイプの力士としては他に、前述の安美錦、そして妙義龍も挙げられます。妙義龍も、押し出しが決まっている場所は、好成績が期待できます。本日の取組で、横綱白鵬を一気に土俵外に運びました。今場所の妙義龍は、楽しみです。

 琴欧洲に勝った安美錦が、インタビュールームに呼ばれました。

 アナウンサー「関取、今場所の初白星です。おめでとうございます。」
 安美錦「あけまして、おめでとうございます。」と笑顔。

 安美錦関は、プロフェッショナル・プレーヤーです。角界にとって掛替えのない力士です。

 まさか、という感じでした。

 ブロンコスが35対28でリードして迎えた第4クオーター残り31秒。ボールポジションはボルチモア・レイブンズ陣30ヤード。レイブンズの攻撃でしたが、タイムアウトも使い切っていましたので、残り70ヤードを前進し、タッチダウンTDを奪って、試合を同点にするのは絶望的。ブロンコスの勝利は間違いないものと思いました。

 レイブンズのクオーターバックQBジョー・フラッコは、ロング・パスをフィールド右サイドのワイドレシーバーWRジャコビー・ジョーンズ目掛けて投げました。ヘイルメアリーパスのような、山なりの一か八かのパスでした。こんなパスは、なかなか決まらない、ブロンコスはTDさえ許さなければ良いのだから、ディフェンスDF陣がカバーしているだろう、と思いました。

 実際、ブロンコスのDF2人が、ジョーンズに付いていましたが、ジョーンズに振り切られ(というか、ひとりは転倒し)、ジョーンズがこのボールをキャッチ。そのままゴールに走り込んで、タッチダウン。ポイントアフターTDのキックも決まって、35対35の同点。試合は、オーバータイムOTへ。OTでも、両チーム一進一退の攻防が続き、試合時間は4時間を優に超えました。
 最後に、レイブンズのフィールドゴールが決まって、38対35でボルチモア・レイブンズの勝利となりました。デンバー・ブロンコスにとっては、そしてブロンコスのQBペイトン・マニングにとっては、よもやの敗戦という感じでした。

 ペイトン・マニングが首の怪我のためにインディアナポリス・コルツを退団し、今シーズンからブロンコスに移籍したことは、本ブログでも採り上げました。NFL屈指のQBであるペイトン・マニングが、新天地でどのようなプレーを見せるかは、今季NFLの注目点のひとつであることも、記しました。

 レギュラーシーズン開幕当初は苦戦が続き2勝3敗のスタートでした。いかにペイトン・マニングでも、来たばかりのチームで良い成績を残すのは難しい、と思いました。その当時でもQBレートは100を超え、NFL全体の1位でしたから、それでもマニングは素晴らしいと思ったものです。

 そのブロンコスが、2勝3敗から連勝を開始。どこまで勝つのかと思いましたが、これもまさかの11連勝、レギュラーシーズン13勝3敗の成績で、シード1位でプレーオフに進出した時には、このままスーパーボールまで走るのではないかと感じました。

 そして、2013年1月12日、デンバー・ブロンコスにとってのプレーオフ初戦、アメリカン・フットボール・カンファレンスAFCディビジョナルプレーオフの結果が、頭書の内容なのでした。結果として観ると、スリーアンドアウトを重ねた、第3クオーターのブロンコスの攻撃に、僅かながら緩みがあったことが敗因でしょう。もうひとつTDを取っておけば、こんなことには成らなかったのですから。とはいえ、これは詮無いことです。

 これまでも何度も、考えられないような逆転劇を見せてくれていたNFLのゲームです。絶対などということは無いと頭では分かっているつもりなのですが、ライブで見ていると「もう決まりだろう」と考えてしまうのは、ある意味では不思議なものです。再び、NFLの魅力に接した、というところでしょうか。

 ペイトン・マニングは、復帰初年の今シーズン、素晴らしい活躍を魅せてくれました。文句なしの成績です。短期間で、デンバー・ブロンコスを自らの仕様に変革し、チームもまたマニングのハイレベルな要望に見事に応えて、昨シーズンまでとは全く違うチームに変貌しました。マニングの計算されつくした試合運びは、レギュラーシーズンが進むにつれて磨きがかかり、圧倒的な攻撃力と、激しい守備により、AFC第一シードを獲得するまでになったのです。
 ペイトン・マニングのシーズン通算QBレートは105.8で、全体2位。カムバック賞はもちろんとして、今季のNFL最優秀選手の候補に上がるほどです。

 そのペイトン・マニングの今シーズンも、これで終了しました。AFCチャンピオンシップでの、ニューイングランド・ペイトリオッツのQBトム・ブレイディとの対決も、お預けになりました。少し残念ですが、ペイトン・マニングの大活躍に拍手を送りたいと思います。

 これで、本ブログが今シーズンの注目選手とした3人のQB、ペイトン・マニング、アンドリュー・ラック、ロバート・グリフィン・三世のシーズンは完了しました。3人とも、開幕前の予想を遥かに超える大活躍でしたが、3人ともプレーオフ初戦で姿を消しました。良いプレーをし、良いチームに仕上がっていましたが、拮抗したゲームにおける最後の強さ、しぶとさが少し不足していたようです。やはり、本当の激戦を勝ち抜く底力を養っていくには、時間が足りなかったということでしょうか。
 来シーズンの、この3プレーヤーの活躍に、大いに期待したいと思います。

 頭書のゲームが行われた、デンバーのホームスタジアム、スポーツ・オーソリティ・フィールド・アト・アナハイムは、76000人の大観衆で立錐の余地もない超満員でした。そして、このスタジアムは、このゲームで350試合連続ソールド・アウト(チケット売り切れ)の記録を続けています。
 レギュラーシーズンのゲームが16試合しかないNFLで、350試合連続満員というのは、いったい何年かかる記録なのでしょう。驚くべきことです。

 プロスポーツとしてのNFLは、今日も元気です。素晴らしいことです。
 2013年1月14日、中山競馬場2000m芝コースで行われる、第53回京成杯競走G3の予想です。例年のことですが、競走経験の浅い馬も多く、予想が難しいレースです。

 軸馬の検討です。
 軸馬候補の一番手は、2枠2番のノウレッジ。新馬を勝って以降、重賞を3戦して、2着、5着、6着といまひとつの成績ですが、王道を進んでキャリアを重ねています。本番レースが一番のトレーニングでもあります。
 続いての軸馬候補は、3枠のフラムドグロワール。ノウレッジと同じく、王道のキャリアを積んできています。安定した成績も残しています。

 以上から、軸馬はフラムドグロワールとします。このメンバーなら、2着は外さないと思います。

 次に対抗馬の検討です。今回は、直接選びます。
 対抗馬一番手は、6枠7番マイネルマエストロ。前走の4角先頭から押し切ったレース内容は、良かったと思います。良い脚が長く使える馬に、育ってほしいものです。
 対抗馬二番手は、ノウレッジ。やはり、無事に使われてきている実績は大きいと思います。
 対抗馬三番手は、1枠1番のリグヴェーダ。1戦1勝ですが、前走の走りはディープ産駒らしいものでした。勝負になると思います。

 今回は、以上の4頭に期待します。久しぶりに、クラシック競走に繋がるレースが観たいと思います。

 2013年1月13日、第31回全国都道府県対抗女子駅伝が行われ、神奈川県チームが26年振り2回目の優勝を果たしました。走破タイムも、2時間14分55秒の新記録でした。今年のレースの特徴を上げてみます。

1. 全体としてタイムが良かったこと。
 優勝した神奈川県チームを始めとして、2位の兵庫県チーム、3位の大阪府チーム以下、8位の東京都チームまで、上位8チームの全てがチーム記録を更新しました。天候にも恵まれましたが、既に30回以上の歴史がある大会ですので、これまでもこれ位のコンディションのレースが何回もあったと思いますので、各チームが地力を付けてきたことが解ります。明らかに、全国各チームのレベルが上がったのです。

2. 全国各チームのレベルの差が小さくなったこと。
 大会新記録であった神奈川県チームの優勝記録から10分以内に、45チームが入りました。繰り上げスタートもありませんでした。全国のレベル差が小さくなってきている感じです。これは、我が国の女子長距離競走にとって、とても良いことだと思います。

3. 中学生・高校生ランナーの良い走りが目立ったこと。
 1区の鹿児島県チームのランナーを始めとして、中学生・高校生ランナーの快走が目立ちました。社会人や大学生ランナーと一緒の区間でも引けを取らない走りが見られました。このことが、全体の記録向上の最大の要因だと思います。
 特に、ランニングフォームが素晴らしい中高生ランナーが多かったことが特筆ものです。良いバネを具備したランナーが、何人も居ました。前方に歩を進めるためのバネは、残念ながらトレーニングでは身に付きません。高橋尚子選手や野口みずき選手に備わっていたバネに近いバネを保持するランナーが複数居ました。頼もしい限りです。

 1992年のバルセロナ・オリンピック女子マラソンの有森裕子の銀メダル以降、1996年のアトランタ大会の有森による2大会連続メダルとなる銅メダル獲得、2000年シドニー大会の高橋尚子の金メダル、2004年アテネ大会の野口みずきの金メダル獲得と、日本女子マラソンはひとつのピークを迎えました。
 しかし、2008年の北京オリンピック以降、良い成績を残すことができなくなりました。各種駅伝を始めとして、2005年以降の我が国の長距離競走はますます盛んになってきているように見えましたし、競技人口も減少しているようには見えませんでしたが、成績は下がってしまったのです。

 この状況について私は、我が国の女子長距離競走の進歩が止まったのではなく、世界の進歩が日本の進歩を上回っている状態が続いてきたのだろうと、考えています。とはいえ、いつまでも世界に後れを取っているばかりでは残念だとも思っていました。

 そして、今大会です。今大会の、特に、中学生・高校生ランナーの素晴らしい走りには、大きな希望を感じました。
 今大会のレース内容を観ると、都道府県対抗女子駅伝も階段を一段上がったと思います。良いレースでした。
 2013年1月7日、ナショナル・フットボール・カンファレンスNFCワイルドカード、シアトル・シーホークス対ワシントン・レッドスキンズのゲームは、シーホークスが24-14のスコアで勝ち、ディビジョナルプレーオフに進出しました。

 本ブログで、今シーズンの注目選手としたレッドスキンズのクオーターバックQBロバート・グリフィン・三世、略称RGⅢのシーズンも終了しました。

 ドラフト全体2位でNFL入りしたRGⅢは、その機動力が注目されていましたが、一方で、パスなど基本的なプレーについては、NFLのプレーに慣れていくのに時間がかかるのではないかとも見られていました。
 レギュラーシーズンの前半は、その見方の通り、中々チーム成績が上がりませんでした。9試合を消化しての3勝6敗は、新人QBの成績としてはまずまずでしたし、QBレートも90以上を維持していましたので、その能力の片鱗は示していました。私も当時は、来シーズンのRGⅢが楽しみだと思っていました。

 ところが、レッドスキンズは、シーズン後半7連勝を記録、通算10勝6敗。NFC東地区で優勝しました。NFC東地区は、同地区に昨シーズンのスーパーボールチャンピオンのニューヨーク・ジャイアンツや名門ダラス・カウボーイズといった強力なライバルが居るのです。この地区で、ルーキーイヤーに優勝したというのは、素晴らしいことです。
 シーズン通算のQBレートも102.4と堂々の全体3位、新人QBのNFL記録を更新しました。予想以上の大活躍と言えます。

 加えて、RGⅢはシーズン15試合で、120回のラン、815ヤード、7タッチダウンTDを獲得しました。NFLのQBとしては驚異的なラン成績です。その特徴である機動力も、如何無く発揮したことになります。

 ただし、こうした「自ら走れるQB」に懸念される「怪我」からは、RGⅢも逃れることはできず、シーズン後半のゲームで右膝を痛めました。1試合に出場できなかったのも、その怪我のせいですし、復帰後も右膝のサポーターは装着したままでした。

 そして、このプレーオフゲーム終盤でも、再び右膝靭帯を痛めて交替しました。完治していない状態でのプレー続行が、怪我を悪化させた形ですが、直ぐに手術して成功。来シーズンのプレーには問題ないようです。元気な姿で戻ってきてほしいものです。

 私としては、各種のオプションプレーやQBランなど、カレッジフットボールの技を、NFLのプレーで存分に展開してくれたRGⅢに、感謝したいと思います。
 一方で来シーズンに向けては、レッドスキンズのオフェンス・プレーブックの見直しも必要だと考えます。

 
 2013年1月13日、京都競馬場芝2400mコースで行われる、第60回日経新春杯競走の予想です。スバ抜けた実績を持つ馬が出走しない、今年のレースは、例年以上の混戦が予想されます。

 軸馬は、8枠15番のオールザットジャズとします。最近3走はいずれも重賞で、8着、5着、3着と勝ち切れていませんが、好調はキープしています。5歳になって本格化した感じで、このメンバーなら2着は外さないと思います。タニノギムレットとサンデーサイレンスの血統にも期待が持てます。

 対抗馬一番手は、3枠5番のカルドブレッサ。距離が伸びてよくなるタイプと思料します。展開次第のところはありますが、53㎏の斤量を活かした追い込みに期待します。

 対抗馬二番手は、2枠4番のメイショウカンパク。前々走G2京都大賞典を快勝していますから、京都コースには向いています。調子落ちが心配されますが、このメンバーなら、間違いなく格上です。

 対抗馬三番手は、1枠1番のムスカテール。前走G2アルゼンチン共和国杯は、ルルーシュの2着、上がりタイムも優秀でした。明けて5歳になりました。そろそろ重賞優勝馬に成れる頃かもしれません。

 今回は、以上4頭に期待します。圧勝する馬が、出て来るような気もします。
 アメリカのナショナル・フットボール・リーグNFLは、レギュラーシーズンを終了し、プレーオフに突入しています。日本時間2013年1月9日には、アメリカン・フットボール・カンファレンスAFCのワイルドカード、ボルチモア・レイブンズとインディアナポリス・コルツのゲームが、レイブンズの本拠地メリーランド州ボルチモアのM&Tバンクスタジアムで行われ、レイブンズがコルツを24対9で下して、ディビジョナルプレーオフに駒を進めました。

 レギュラーシーズンの前半は好調だったレイブンズですが、中心選手のディフェンスDF・ラインバッカーLBレイ・ルイスの故障・戦線離脱から苦しい戦いが続き、10勝6敗の成績で、何とかプレーオフに進出しました。
 一方のコルツは、昨シーズン2勝14敗と散々な成績でしたので、ドラフト全体1位で、スタンフォード大学から注目のクオーターバックQBアンドリュー・ラックを獲得、他にも効果的な補強が功を奏して、今シーズンは躍進、特にシーズン後半の戦いぶりは素晴らしく、11勝5敗の好成績でプレーオフに進出したのです。

 レイブンズはプレーオフ常連の強豪チームですし、一方のコルツはペイトン・マニング放出後のチーム再建期にありますから、普通に考えればレイブンズ有利に思えますが、逆にシーズン後半の調子・成績を見ると、コルツがレイブンズを圧倒していましたので、大激戦が予想されました。試合のポイントは、ラックを中心としたコルツの攻撃を、レイブンズの強力な守備陣が抑え込めるかどうかに、係っていました。

 本ブログでも、今季NFLの注目選手の一人としてアンドリュー・ラックを挙げましたが、ラックはその期待に見事に応えました。このプレーオフゲームでも、新人QBとしてはNFL記録となる50本のパスを投げるなど、十分にその真価を発揮しました。敗れたりとはいえ、ラックそしてコルツ強しを感じさせるゲームでした。そして、ゲームの主役も、この将来性豊かな新人QBとなる筈だったのです。

 しかし、このゲームの主役はレイブンズのレイ・ルイスでした。シーズン後半に故障したことは前述の通りですが、間に合わないと見られていたルイスが、プレーオフに登場したのです。
 もともとDFが看板のレイブンズとはいえ、そのDF陣の中心選手であり、絶対的な精神的支柱であるルイスが居ると居ないとでは、チームの勢いがまるで違います。ゲーム前の選手紹介の際のいつものダンスでも、場内の盛り上がりは最高潮に達し、ルイス自身の気合も凄まじい感じでした。

 ゲーム中も、さすがにレイ・ルイスというプレーが随所に見られましたし、何よりも13タックルが素晴らしい。派手なサックやインターセプト、ターンオーバーもDFプレーヤーの勲章ですが、1試合10タックル以上というのは、常にDFプレーヤーが誇りにして良い数字です。ルイスは、生涯通算記録でも優にこの数字をクリアしていますし、何よりこうした大試合においてもキッチリと自分の仕事を遂行できるところが、NFLトッププレーヤーであることを示しています。

 このレイ・ルイスが、今年の1月2日に引退を表明したのです。「今シーズン限りで引退する」と。この試合が、勝っても負けてもレイブンズのホームスタジアムで、レイ・ルイスがプレーする、最後のゲームになったのです。プレーオフゲームが、ルイスの引退試合となったのですから、ルイスとしても主役は譲れませんでした。
 
 ボルチモア・レイブンズは、NFLの中でも新しいチームです。もともと、ボルチモアをホームにしていた名門チームコルツが、インディアナポリスに移ってしまったため、スポーツが大変盛んなボルチモアの人達は、新チームの結成を急ぎました。そして、レイブンズが出来たのです。
 1996年にスタートしたレイブンズですが、その1996年にドラフトでマイアミ大学から入団したのが、レイ・ルイスです。つまり、レイブンズの歴史は、ルイスとともにあったのです。

 185㎝・110㎏と、NFLのラインバッカーとしては小柄だったルイスは、やっていけるのかどうか危ぶまれたといいますが、ルーキーイヤーから大活躍。翌1997年には、早くもプロボウルに出場し、以来12回プロボウルに選出されています。また、オールプロにも7回選出されています。
 AFC最優秀守備選手3回、NFL最優秀守備選手2回など、そのキャリアは常に栄光に包まれてきましたが、特に輝いたのが2000年に行われた第35回スーパーボールでした。このゲームで、レイ・ルイスは、LBとして史上初めてMVPとなったのです。そもそもスーパーボールで守備選手がMVPに選ばれること自体が珍しいことなのですが、特にラインバッカーLBという、インターセプトといった派手なプレーには縁がないポジションのプレーヤーが選出されたことは、驚くべきことで、彼のこのゲームでの活躍の素晴らしさを如実に示すものです。

 また、2003年シーズンを前にした、アメリカCBSスポーツの企画「各チームのヘッドコーチに聞く 最も試合を支配しているプレーヤーは誰か」において、圧倒的1位にレイ・ルイスが選ばれたのには、とても驚きました。普通、試合を支配するのは、攻撃陣のそれもクオーターバックQBです。NFLの各ヘッドコーチの投票で、守備陣のLBが試合を最も支配しているとされたことは、ルイス最大の勲章でしょう。

 小柄?な体を活かしたスピードあふれる守備が身上ですが、特に反対サイドのランニングバックRBなどを追いかけながら捕捉するスピードは凄まじく、10~20ヤードをトップスピードで駆け続ける瞬発力は、類を見ないものだと思います。そして、その高いクオリティのプレーを17年間継続してきたことも特筆すべきでしょう。

 加えて、レイ・ルイスは17年間レイブンズ一筋でした。これは、現在NFLの全プレーヤー中、同一チームでプレーしている最長記録です。最近のNFLでは、一流プレーヤーが同一チームでキャリアを終えるというのは、珍しいのです。プレーヤーとしての能力の高さとともに、ボルチモアのファンからとても愛されているということも分かります。

 今回のプレーオフゲームでも、回り込んで捕まえるという得意のプレーが観られました。さすがに全盛時程のスピードはありませんが、ベテランらしい無駄のないコース取りで、RBを止めていました。

 レイブンズ24対9のリードで迎えた、第4クオーター残り40秒、試合終了間近です。レイブンズの攻撃ですが、本来守備プレーヤーであるレイ・ルイスが11人目のプレーヤーとしてフィールドに登場しました。地元ファンへのお別れのための、ヘッドコーチの粋な計らいです。フルバックの位置にセットしたルイスは、QBがボールを地面に叩きつけた瞬間に、いつものダンスを披露しました。
 M&Tバンクスタジアムは、大歓声と笑顔に包まれました。

 2013年1月場所後、大相撲の名門二所ノ関部屋が閉鎖される見通しになりました。現在の親方、元関脇・金剛が昨年10月に脳梗塞により入院し、回復がままならないうえに、後継者が見つからないためだそうです。

 大相撲の相撲部屋(単に「部屋」とも言います)は、現在46を数えます。そして、この46の部屋は、5つのグループに区分されます。
 出羽の海一門(12部屋)、二所ノ関一門(10部屋)、時津風一門(8部屋)、高砂一門(5部屋)、伊勢ヶ濱一門(6部屋)、その他として5部屋がありますが、この6番目のグループは最近、貴乃花グループとも呼ばれています。

 「いずれかの相撲部屋に所属していないと大相撲の土俵に立てない」というルールがありますので、部屋の存在や、部屋を取り仕切る「親方」の権威は絶対的なものです。大相撲に所属する力士の教育・稽古は、全て部屋の責任の下で行われています。
 それどころか、行司や床山、呼び出しといった人達も、必ずいずれかの部屋に所属していますから、日本相撲協会自体が各相撲部屋の集合体と言うことができます。

 話が少し逸れますが、一門は、もともとは地方巡業に行く単位だったのです。前述の通り、大相撲巡業をするための構成員である、力士・行司・呼び出し・床山等は、各相撲部屋に所属しており、その相撲部屋が集まった一門ですから、一門単独で巡業が可能なのです。
 例えば、横綱の人数というのが時々話題になり、ひとり横綱よりは二人、三人が望まれ、多い時には四人以上の横綱が存在していましたが、これも、一門による地方巡業において横綱が居た方が形か付くという側面が大きかったのです。昔は、一門にひとりは横綱が欲しかったのだろうと思います。

 大相撲近代化の流れの中で、地方巡業も協会主導となり、横綱誕生にも横審の答申が必要となるなど、大相撲の歴史から見れば真逆の形式が導入されてきています。大興業としての大相撲を考える時、この歴史・伝統と、現代プロスポーツの融合は、常に大きな問題として提起され続けています。

 さて、そうした相撲部屋の中でも、二所ノ関部屋が一門のリーダー部屋であることが解りますが、その二所ノ関部屋が閉鎖に追い込まれるというのは、大相撲の変化を如実に表す事象です。

 名門二所ノ関部屋ですから、幾多の名力士を輩出しています。特に有名なのは、横綱・大鵬です。幕の内最高優勝、歴代最多32回を誇る大横綱です。

 我が国の戦後復興の時代、昭和30年代に有名だった言葉として「巨人・大鵬・卵焼き」というのがあります。これは、当時の子供達が好きなものを3つ重ねた言葉ですが、昭和30年代に幼年期を過ごした、現在50歳以上の世代にとっては忘れられない言葉です。あまりにも有名なフレーズですので、平成の世になってからも時々テレビ等に登場します。
 戦後1945年以降に沢山登場した「世相を表すフレーズ」の中でも、最も定着したというか、有名なフレーズでしょうし、圧倒的な存在感を示す言葉でもあります。語呂が良く、人々の気持ちを見事に代弁した言葉なのでしょう。

 その横綱・大鵬が現役を引退した時に、二所ノ関部屋を継ぐかどうかで、ひと騒動あったのです。大鵬は、その大横綱としての実績から、当然に一代年寄制度を利用できる(大金を用意して年寄株を購入することなく、親方になれる)立場にあったのですが、一代年寄・大鵬親方・大鵬部屋は、何しろ一代ですから継承できません。従って、大鵬としては名門であり、自身が所属した二所ノ関部屋を継ぐべく、第9代二所の関親方になろうとしたのです。(現在でも、元横綱・千代の富士は一代年寄制度を利用せず、高砂一門の九重部屋・九重親方を継承しています。一方、元横綱・貴乃花は、一代年寄・貴乃花親方となり、貴乃花部屋を起こしました。大横綱も現役引退後の選択は異なります)

 さて、二所ノ関部屋継承問題に戻りますが、私達大相撲ファンも、大鵬が二所ノ関部屋を継ぐものだと思っていました。なにしろ昭和の大横綱ですし、「巨人・大鵬・卵焼き」に代表される、絶大な人気を誇った力士ですし、日本相撲協会の看板力士ですし、大相撲の歴史の中でも最高の力士の一人である大鵬ですから、名門二所ノ関部屋を継承するに相応しいと、誰もが考えていたのです。

 ところが、二所ノ関部屋の部屋付親方であった押尾川親方(元大関・大麒麟)が、二所ノ関部屋継承に名乗りを上げ、大鵬に対抗しました。1年を超える争いになりましたが、嫌気がさした大鵬は、継承争いから降り、一代年寄大鵬を襲名して、大鵬部屋を起こしました。
 これで、二所ノ関部屋は大麒麟が継承するのだと思われましたが、これを8代目二所ノ関親方夫人が拒否、結局部屋所属の力士・金剛を、8代目二所ノ関親方の次女の娘婿とする形で継承させたのです。

 何か、どろどろした継承争いを書きましたが、大相撲の世界では、こうした争い事は珍しいことではなく、部屋の継承争いに限らず、重婚、駆け落ち、などなど、見ていて恥ずかしくなるような醜態が、いつの時代も存在しています。

 私は、こうした醜態について批判するつもりは全くありません。世間一般の物差しで測れるような世界ではないのですし、こうした世界だからこそ、あの大きな肉体が、驚異的なスピードとパワーで動き回る、素晴らしいスポーツを生み出せるのだと考えています。天賦に恵まれた天才の集団が織り成す、様々な好プレーや醜態に対して、我々凡人が、平凡なる人生から得た教訓などを、当て嵌めるべきではないと考えています。また、どこにでもあるような教訓が当て嵌まるような世界では、魅力も半減してしまうのかもしれません。

 土俵の上で、素晴らしい取り組みを魅せてさえいただければ、土俵の外では何をしていただいても良いと思います。もちろん、何をしても良いとは言っても、違法行為・犯罪はだめですけれども。

 この騒動の後、つまり元関脇・金剛が二所ノ関部屋を継いで後、二所ノ関部屋の勢いは急速に衰えました。昭和の時代には、関取を多数輩出し、特に十両における二所ノ関部屋および二所一門の力士が、十両の力士全体に占める割合が極めて高かったのです。

 十両は、現在ではあまり人気がありませんけれども、およそ相撲取りを目指す若者が、まず憧れるのは「関取」になることです。関取になって初めて、日本相撲協会から給金(給料)がもらえるのです。そして、十両力士以上になることが、関取になることなのです。
 従って、幕下から十両に上がって、これから幕内を目指していく、伸び盛りの力士にとっては、幕内経験者が数多く居る十両を突破することが、最大の目標になります。以前は、十両は「鬼の棲家」と呼ばれました。長く幕内を張ってきて、ついに十両に落ちた力士達は皆、自分の型を持っていますし、自分の型になれば、幕内・三役力士にも引けを取らないわけですから、伸び盛りの若手力士にとっても大変な壁です。

 有名なところでは、若ノ花、貴ノ花兄弟が、幕下を突破し十両に上がった時、まだ10代でしたから、この壁を突破できるのかどうかが話題となりました。若貴兄弟は、この「鬼の棲家」を早々に突破、幕内に上がり、ご存じのような大活躍を魅せました。

 一方で、昭和の終盤に多くの関取を擁し、大相撲の一大勢力であった二所ノ関部屋と二所一門の力士には、いわゆる八百長疑惑が常に囁かれていました。特に、幕内下位から十両に居た力士が多かったのですから、こうした疑惑をもたれたのも止むを得ないことでしょう。

 例えば、スター誕生が待たれた相撲界にとって、若貴兄弟が十両で停滞することは許されず、そこで二所一門の力士が大きな役割を果たした(わざと負けた)、などとも報道されていました。真偽のほどは分かりませんが、そうした報道がなされるほど、二所一門の勢力は大きかったということです。

 近時の、多くの十両・幕内力士が廃業に追い込まれた八百長疑惑や、朝青龍騒動を経て、大相撲は変わろうとしています。こうした時期に、名門二所ノ関部屋が閉鎖されるというのは、大相撲にとってのひとつの時代の終焉を象徴している事象なのかもしれません。
 平成25年大相撲1月場所は、13日に初日を迎えます。場所前の恒例として、今場所活躍が期待される力士を10名挙げたいと思います。
 今場所の番付を見ますと、いわゆる実力者が上位を占めています。実力者の番付けが下がった時が狙い目なのですが、今場所は不思議なほどに、上位に集まりました。
 加えて、把瑠都が関脇に下がっていますので、三役の予想も難しくなっています。

 優勝争いの中心は、横綱白鵬です。対抗すべきは、もうひとりの横綱日馬富士ですが、先場所の取り口を観ていますと「横綱としての相撲に慣れていない」感じでした。日馬富士は、そのスピードと、幕内最軽量とは思えない当たりの強さで横綱を張っているのですが、先場所は考え過ぎたのか、スピード面で他の力士に後れを取りましたから、中々勝ち星が上がりませんでした。
 「のど輪」と「押し」で勝てると考えてはいけないように思います。相手力士の体に、自分の体を密着させながら、次々に技を出していく相撲を想い出せば、2場所連続全勝優勝の実績からして、地力は十分なはずです。
 とはいえ、日馬富士が横綱としての自らの相撲を確立するには、もう少し時間がかかるように思いますので、横綱としては、今場所も白鵬を選びます。

 白鵬と優勝を争えるとしたら、やはり大関陣NO.1の地力を持つ、稀勢の里しか居ないでしょう。先場所は、依然として押し込まれると脆い「鳴門部屋相撲」が時折見られましたが、この力士も、経験を積みながら相撲を確立して行くタイプです。大関に昇進して1年が過ぎました。白鵬との対戦成績から見て、自力で優勝できるとすれば、稀勢の里しか居ないと思います。大関陣からは、稀勢の里を選びます。

 さて、残りの8名です。

 三番目には、関脇豪栄道です。先場所の11勝4敗は見事でした。下位力士との取組で取りこぼしが目立つタイプでしたが、先場所は相当改善されました。地力がついてきたと観ます。

 四番目には、関脇把瑠都です。コンディションが整えば、白鵬と互角の力がある力士です。足指の故障の回復度合いは解りませんが、大関返り咲きを目指す強い気持ちがあれば、大勝も夢ではありません。

 五番目には、小結栃煌山です。前に出る力が不足している場所は、大負けすることがありました。しかし、久しぶりに2場所連続の好成績。もろ差しに拘らない、自在の取り口が身についてきているように思いますので、期待できます。

 六番目には、高安です。先場所は、どこか故障したのではないかと思わせる相撲内容でした。今場所は、前頭7枚目まで番付を落としました。反抗の場所です。

 七番目には、栃乃若です。幕の内上位を張っていた力士が、十両陥落寸前まで下がりました。おそらくコンディションが悪かったのでしょう。調子が戻ってからの強さは、十両では際立っていました。地力から見て、この番付けであれば大勝が可能です。

 八番目には、大道です。昨年の7月場所、同じ13枚目で二桁勝利を挙げています。ここまで下がれば、好成績が十分期待できます。

 九番目には、隠岐の海です。先場所休場の原因となった怪我の様子は心配ですが、回復していれば、地力の差を見せつけてくれるでしょう。

 十番目には、豊ノ島です。実力者が上位に集まっている今場所ですので、容易なことではありませんが、勢いに乗れば大勝できるタイプです。大関を狙うとすれば、今年がラストチャンスでしょう。

 今場所は、以上の10力士に期待したいと思います。

 幕内5枚目以上の力士にとっては、本当の意味で「平成25年を占う」場所になりました。大関といえども、全く油断できないメンバーが並びましたので、初日から気の抜けない好取組が続くことと思います。
 また、激しい相撲が多くなると思いますので、怪我には十分気を付けていただきたいものです。
 
 私も例年の1月場所に同じく、国技館に足を運びます。大相撲は、本当に面白い時代を迎えていると思います。

 この題名を記すれば、多くのオールド競馬ファンが「あの悲劇」と判るほどに有名な話です。書き尽くされている感もありますが、やはり日経新春杯と出走したサラブレッドをテーマとするとすれば、外すわけには行きません。

 1954年(昭和29年)に、京都競馬場芝2400m・ハンデ戦の「日本経済新春杯」として始まったレースが、現在の日経新春杯です。本ブログでも何度も書いていますが、昭和20年代に創設された重賞は、中央競馬会肝煎りのレースです。第一回から現在に至るまで、関西地区の新年最初の大レースとしての位置付けが揺らぐことはありませんでした。
 1984年のグレード制導入とともにG2に格付けされました。前年の大レース(現在ならG1競走)に勝利した関西の強豪馬が、新年の緒戦に選択するレースという位置付けです。

 もうひとつ、日経新春杯の特徴として挙げられるのが「ハンデキャップ戦」ということです。例年、関東地区年初のG2レースとなっているアメリカジョッキークラブカップ(AJC杯)が別定戦であるのとは対照的です。このハンデ戦ということが、今回の「悲劇」の大きな理由になっているのです。

 テンポイント号、父コントライト、母ワカクモ、生涯成績18戦11勝。テンポイントの競走成績を観ると、調子が良い時と悪い時の差が大きかったように思います。

 1975年(昭和50年)の8月に函館で10馬身差勝ちでデビュー、12月の阪神3歳ステークスに7馬身差で圧勝し、最優秀2歳牡馬となった頃は絶好調でした。額の流星が描いたかのように美しく、明るい栗毛の馬体でしたから、その強さが一層際立ちました。
 当時は、大レースにおいては関東馬が圧倒的に強く、関西馬は中々クラシックレースを始めとする大レースに勝てませんでしたから、テンポイントは「関西の期待を一身に背負って」東上してきたのです。私も、久々に関西から良い馬が出てきたと思い、そのスピードと美しさに感心したことを憶えています。

 続く東京4歳ステークス、スプリングステークスを連勝して、これで5連勝となりましたが、着差は1/2馬身、クビ差と、どんどん小さくなりました。私は、この時期はテンポイントの調子がピークアウトし、下降期に入った時期だと思っています。

 そしてクラシック初戦の皐月賞に1番人気で臨みました。この年は、厩務員組合のストライキの影響から、皐月賞も延期され、会場も東京競馬場に変更されました。このスケジュール変更もテンポイントにマイナスに働いたと言われていて、私も悪影響があったとは思いますが、スケジュールの変更は全ての出走馬に影響を与えているので、テンポイントの皐月賞2着敗退は、やはり、自身の調子落ちが最大の要因だと考えます。

 この皐月賞は、トウショウボーイが5馬身差で圧勝しました。天馬と呼ばれたトウショウボーイとテンポイントは、この後、ライバルとして名勝負を展開します。この1976年のクラシック競走を争った世代は、この2頭を始めとして多士済々でした。

 東京4歳ステークスで、テンポイントに1/2馬身差に詰め寄っていたクライムカイザーは、日本ダービーで一世一代の走りを見せて、トウショウボーイをも競り落とし優勝しました。日本ダービーのテンポイントは、馬体が細く見え、いかにも調子が悪い感じで、7着と初の着外を記録しています。

 秋のクラシック最終戦菊花賞、テンポイントはトウショウボーイには先着しましたが、上がり馬のグリーングラスに2と1/2馬身差で完敗し2着。この後、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスは、この世代の3強と呼ばれ、1976~1978年の有馬記念を前述の順番で1勝ずつして、世代としての3連勝を達成しています。有馬記念競走は、世代間の力量差を測るには格好のレースなのです。

 さて、3歳時のテンポイントは、結局現在で言うG1レースには勝てませんでしたが、明けて4歳となり、すっかり調子が回復して本格化しました。とても、勝負強くなったのです。4歳時のテンポイントは、トモの張りも素晴らしく、力強い走りが印象的でした。4歳時は、7戦して6勝、天皇賞(春)と有馬記念を制して年度代表馬に輝きました。唯一の2着は、トウショウボーイに敗れた宝塚記念でしたが、このレースでは、最後の直線に入った時にトウショウボーイが先行していて、テンポイントも良く追ったのですが、ついに逃げ切られた形でした。

 このレース結果を踏まえて、テンポイント陣営は、4角でトウショウボーイに先行されると逆転困難と判断し、暮れの有馬記念では逆の形を取りました。4角から直線にかかるところで、テンポイントがトウショウボーイの前にグイと出たのです。結局この差が広がりもせず、詰まりもせず、後方からグリーングラスが、トウショウボーイに1馬身差まで追い上げてきたところがゴールでした。

 同じ脚が長く使えるという、トウショウボーイの走りの特徴が良く出たレースでしたし、テンポイントとトウショウボーイのマッチレースの様相であったレースで、一頭だけこの2頭との差を詰めてきたグリーングラスの走りも見事でした。この3強による、最も見応えのあるレースだったと思います。

 そして、4歳のシーズンを好成績で終えたテンポイント陣営が、5歳シーズンの緒戦に選んだのが、本稿の日経新春杯でした。この1978年の日経新春杯は、テンポイントの欧州遠征壮行会を兼ねたレースでもありました。このレースを勝って、イギリスに遠征する予定だったのです。

 しかし、我が国の年度代表馬になるほどの実績を積み、これからイギリスに遠征しようというサラブレッドが、1年で最も寒く、芝も枯れていて(現在の芝とは違います)固い馬場の季節に、ハンデ戦重賞に挑戦することには、当時も異論がありました。
 私や私の仲間も、そもそも天皇賞(春)や有馬記念に優勝した馬が、長期遠征を前に、約1か月のローテーションでレースに出走する必要があるのか、あるいは、遠征費用を稼ぐために走らされるのではないか、などという口の悪い者も出る始末。

 複数の大レースに優勝しているために、当然獲得賞金額が高いテンポイントのハンデが66.5㎏という酷量と決まってからは、回避すべしとの意見が一層高まりました。私もそう思いました。とても嫌な予感がしていたのです。
 当時のこの季節の芝は薄いので、馬場の起伏や穴が、競走馬の脚に与えるダメージは一層大きくなります。加えて、未経験の酷量です。テンポイントのファンだった人は皆、嫌な感じであったと思います。

 1978年1月22日、レース当日、京都競馬場は冷え込みました。私はテレビ観戦でしたが、テレビの画像が白っぽく観えました。そして、テンポイントはというと、少し細く観えました。ガレているとまでは言いませんが、全体に筋肉が落ちた感じでした。ますます、嫌な予感が強くなり、今からでも回避すべきだと思いました。

 ゲートが開いてスタート。レースは淡々と進みます。テンポイントの走りは、いつもより低く観えました。馬群の中段でレースを進め、3角から4角にかかるころ、ガクンとトモが沈み、見る見る後退しました。
 「やってしまった」と思いました。関西テレビの杉本アナが絶叫しています。何ということだ、何ということでしょう・・・と。

 左後肢の骨が飛び出すほどの大怪我でしたから、直ぐに安楽死処分が検討されましたが、馬主の強い意向で治療が行われることになったと報道されました。
 お腹を大きな布で吊って立たせ、脚への負担を軽減する取組などが施され、その写真が報道されたりしました。

 しかし、治療の甲斐なく、3月5日テンポイントは死亡しました。

 私は、66.5㎏の斤量で出走したことの是非については何も言うことはありません。タケシバオーも同じ位の斤量で重賞競走に勝っています。ただし、コンディションが良くない状態での出走については、陣営の判断が間違っていたと思います。
 3歳馬しか出られないクラシックレースは、多少調子が悪くともファンの期待を背負って、敢えて出走するのは、理解できないわけではありませんが、有馬記念を勝って1か月しか経っていない状況で、不調でありながら走らなければならない理由は、何もありません。レースに出ないで、遠征すれば良かったのです。

 2歳の時は好調でした。3歳の時は不調でした。4歳の時は好調でした。そして5歳の緒戦は、明らかにピークアウトしていたのです。日本の代表となった名馬を、あのトウショウボーイとの激闘であった有馬記念の後、十分な休養も取らせず、66.5㎏の負担重量でレースに挑ませる「感覚」が、本当に残念なのです。

 当時、新聞の文字の大きさが8ポイントでしたので、見出しになるような馬になってほしいとの願いを込めて、名付けられたテンポイント(10ポイント)は、あっという間に逝ってしまいました。
 故障後の1か月半の間、テンポイントの治療や死亡に関する、胸が痛くなるような報道が続きました。10ポイントを遥かに超える大きな文字で、大新聞の一面を占め、NHKテレビのトップニュースとなりました。

 お正月は、天皇杯決勝や高校選手権など、サッカーの全国規模の大会が行われます。お酒などを飲みながら、テレビ放送をゆっくりと楽しむことができる季節です。
 その際にアナウンサーから時々聞かれる言葉があります。「2対0のリードは危ない」とか「2対0とリードした試合は難しい」といった発言です。

 この種の言葉は、以前は頻繁に聞かれましたが、近時は減ってきたと感じていますけれども、この年末年始でも時折耳にしますので、本稿のテーマとします。

 この言葉は、おそらく、2対0とリードすると、油断が生じて守備が甘くなり、1点を返されると2対1の1点差になり、もう1点取られると同点、さらに1点取られると逆転負けする、つまり2対0でリードしていると逆転負けし易い、といった意味で使われているのでしょう。

 この言葉は、1対0とリードしている状況から、2点目を取った時によく使われます。1対0の時は緊張して守備しているが、2対0になると油断するといった意味なのでしょう。まるで、1対0の方が、2対0より良いかのような雰囲気になります。
 
 一方で、我らが日本代表チームが海外の有力チームと試合をする時などに、海外チームのファンへのインタビューが行われることがあります。
 日本の報道機関の聞き手が「この試合は、どちらが勝つと思いますか」と聞きます。そうすると相手チーム○○のファンは「○○が2対0で勝つよ」と答えます。これまで、相当多くのこうしたインタビューを聞いてきましたが、「2対0で勝つ」という回答が、一番多いと思います。
 この回答は「贔屓の○○チームの方が圧倒的に強い」という意味でしょう。「本当は3点でも4点でも取れるのだが、控えめに2対0と答えている」のでしょう。つまり、これらのファンに取っては「圧倒的な力量差」=「2対0」ということになります。
 
 頭書の言葉とは、随分と違う内容になっています。

 私は、海外サッカー一流国のファンの考え方の方が気に入っています。

 1対0のリードよりは、2対0のリードの方が良いと思いますし、3対0のリードの方が、もっと勝利に近くて安心です。
 2対0のリードなら、1点を返されても、まだ勝っていますし、相手チームが逆転勝ちするには、3点以上取らなければなりません。相当の差です。

 「2対0とリードした試合は危ない」といった言葉を聞くと「だったら、贔屓のチームは0対2で負けていた方が良いのかな」などと、お酒に酔った頭で考えてしまいます。

 お正月のサッカー観戦は、いつも楽しいものです。
 全国高等学校ラグビーフットボール大会は、日本の高校ラグビーにおける最高の歴史と伝統を誇る大会です。1917年に開始され、2011年で91回目を数えました。今年というか、2012年末から2013年年頭にかけて行われている第92回大会も、大阪の近鉄花園ラグビー場で、1月3日に準々決勝が行われました。

 ベスト8の激突です。東京第一代表の国学院久我山、茨城代表の茗溪学園、大阪第一代表の常翔学園、奈良代表の御所実業の4高校が勝ち上がりました。この数年、常に優勝候補であった東福岡高校は、茗溪学園に逆転負けを喫しました。例年と同じように、日本高校代表候補が7名所属していた東福岡の敗退は、ラグビーにおけるチームプレーの大切さを示す例なのかもしれません。大学や社会人ラグビーにおいても同様ですが、高い能力の個人プレーに依存したラグビーは、拮抗した試合では足元を掬われることが、間々あるのです。

 さて、本稿で採り上げたいのは、この準々決勝で御所実業に12対17で惜敗した秋田工業高校です。
 ラグビーファンの方なら、よく御存じのことですが、秋田工業は高校ラグビー界最高の実績と伝統を誇る学校です。

 1925年(大正14年)に、ラグビー部の1期生が卒業しています。全国高等学校ラグビーフットボール大会でいえば、第9回大会が行われた年です。それ以来83回開催された大会で、秋田工業は64回の出場を果たしています。
 そして、秋田工業が初優勝したのは1933年(昭和8年)の第16回大会です。以来、15回の全国制覇を重ねています。この優勝回数は圧倒的です。続くのは、8回優勝の同志社中学(全て太平洋戦争終戦以前の優勝です)、7回優勝の啓光学園(現、常翔啓光学園)、6回優勝の天理、5回優勝の国学院久我山と続きます。4回優勝となると、保善、目黒、大阪工大高、伏見工業、東福岡などが挙げられます。
 何れの高校も日本高校ラグビー史に輝かしい実績を残す名門校ですが、その中でも秋田工業高校の実績がスバ抜けていることは明らかです。

 私が、秋田工業高校の実績を高く評価している理由は、

 第一に、公立(県立)高校であることです。私立高校に比べて、有力な選手を全国から集めることが難しい公立校で、この伝統を維持していることは素晴らしいことだと思います。ちなみに、秋田工業が最後に優勝したのは1987年です。1988年以降は、やはり私立高校の壁が厚いのでしょうか、なかなか優勝できなくなっているのです。

 第二に、今大会のベスト8進出もそうですが、優勝できなくなったとはいえ、全国高等学校ラグビーフットボール大会において、毎年のように好成績を収めていることです。全国から有力選手を集めることが困難な公立高校にもかかわらず、毎年のように全国大会の上位に進出する秋田工業高校には、おそらくですが、監督・コーチの素晴らしい指導体制が80年以上に渡って継続されているのでしょう。このことが、最も素晴らしいことだと思います。
 ひとりの優秀な監督の手腕により、20年前後の間全国のトップレベルに君臨する高校チームの例は、各競技に複数存在するのですが、80年以上に渡って伝統を積み上げている学校は、そうあるものではありません。

 秋田工業高校ラグビー部は、地域の皆さんの支援、OBの皆さんの全面的バックアップ、そしてそこから生まれる高度な指導体制が、時代を超えて脈々と継続されている点が、他の高校のラグビー部と最も異なる点だと考えています。

 伝統の紺と白の横縞のユニフォームは、「花園」の風物詩になっています。雪国でありながら、元々スポーツが盛んな土地柄である秋田県から、今後も秋田工業高校のラグビー部が、花園で大活躍し続けることは間違いないことのように思います。
 そして、容易なことではないと思いますが、伝統のタックルからボールを獲得し、トライに結び付けるラグビーで、久しぶりの全国高等学校ラグビーフットボール大会優勝も観てみたいものです。
 2013年1月5日、中山競馬場芝2000mコースで行われる、第62回日刊スポーツ賞中山金杯競走の予想です。2013年競馬の開幕開催を飾る重賞G3競走です。

 元々人気が割れることで有名なレースですが、今年も4歳馬から10歳馬まで多士済々のフルゲート16頭が出走して来ました。ハンデキャップ戦でもあり、混戦が予想されます。

 さて、軸馬の検討です。
 軸馬候補の一番手は、5枠9番のジャスタウェイ。2012年2月の阪神アーリントンカップG3の勝ち馬で、以降はNHKマイル、日本ダービー、天皇賞(秋)のG1を連戦。さすがに相手が強いので、6着・11着・6着と、いまひとつの成績ですが、ここにくれば格は最上位です。
 軸馬候補の二番手は、5枠10番のダイワマッジョーレ。前走金鯱賞G2はオーシャンブルーの2着。そのオーシャンブルーが昨年末の有馬記念G1で2着に好走していますから、期待が持てます。9戦して1着4回、2着2回と、比較的安定した成績であることも好材料です。

 この2頭から軸馬を選びます。格上のジャスタウェイも捨てがたいのですが、今回はダイワマッジョーレにします。斤量差1.5㎏がゴール前で効いてきそうです。

 対抗馬の選定です。中山金杯は、力量が接近した馬が多く、ハンデ戦でもあるというレースの性格上、対抗馬候補が多数に及びますので、ダイレクトに選びます。

 対抗馬一番手は、3枠6番のタッチミーノット。ようやく本格化した7歳馬です。前走の毎日王冠G2は、カレンブラックヒルに僅差の3着。冬に強い馬の一発に期待します。
 対抗馬二番手は、6枠11番のアドマイヤタイシ。前走G3朝日CC、前々走G3福島記念と連続2着。調子の良さを買いたいと思います。
 対抗馬三番手は、前述のジャスタウェイ。格から見て、ここでは好勝負と考えます。

 今回は、以上の4頭に期待します。2013年の中央競馬を占うレースにもなります。好レースを期待しています。

 2013年1月2日と3日に行われた、第89回東京箱根間往復大学駅伝競走は、日本体育大学が30年振り10回目の総合優勝を果たしました。予選会1位から本戦に出場し、2日の往路の5区服部選手の快走でトップに立ち、復路も各ランナーが安定した走りを展開して、2位の東洋大学の姿をほとんど見ることもなく、圧勝しました。日本体育大学の関係者の皆さん、本当におめでとうございます。

 2位の東洋大学、3位駒澤大学、4位帝京大学、5位早稲田大学、6位順天堂大学、7位明治大学、8位青山学院大学、9位法政大学、10位中央学院大学の各校がシード権を獲得しました。これだけ注目されるようになった箱根駅伝で、10位以内に入るというのは大変なことです。好成績、おめでとうございました。

 さて、今大会最も気になったことは、中央大学チームの途中棄権でした。
 本ブログにも書きましたが、中央大学は箱根駅伝NO.1の名門校です。出場回数は87回、89回の大会の内87回に出ているというのは、もの凄いことです。連続出場84回、優勝14回も、史上最高です。そして、近時も28回連続でシード権を確保するという「偉業」を続けていました。本ブログでも「中央大学チームには箱根駅伝に関するノウハウが蓄積されている」旨、記載しました。

 その中央大学駅伝チームが、史上初めて途中棄権したのです。どんな競技でも、どんなプレーヤーでも、不調の時があるとはいえ、87回のレースで1回も棄権したことが無かったチームが、棄権してしまったということは、何かが従来の中央大学チームとは異なっていたということです。

 確かに、今大会の往路は、強風に見舞われました。強風というより、暴風に近い、10mを遥かに超える風が、ランナーを悩ませました。テレビ画面を見ていても、各ランナーが前屈みになり、ようやく歩を進めている状態が、何度も映し出されていました。特に、山登りの5区の最高点874m地点前後の風は強く、元気なランナーでなければクリアしていくのが困難な様子でした。
 こうした中で、中央大学と城西大学のランナーが前に進むことができなくなり、棄権したのです。中央大学の5区野脇選手は、山の上り下りは何とか走破しましたが、芦ノ湖畔のゴールまで1.7㎞のところで力尽きたと報道されています。

 こうしてみると、中央大学野脇選手の棄権も「滅多に見られない箱根の強風」による止むを得ないものかもしれませんが、中央大学が出場した87回の大会の中では、今回の強風と同じ程度の自然の脅威(降雪や低温等)が存在したと思いますし、それらの障害を何とかクリアしてきた中央大学が、今回の障害はクリアできなかったのには、やはり相応の理由があるように考えます。

 箱根駅伝においては常に安定した成績を残してきた中央大学チームですが、今大会の往路では、スタート直後から不安定な様子が観られました。
 1区大須田選手こそ区間9位の成績でしたが、エース区間2区の新庄選手は20チーム中20位とブレーキとなりました。この新庄選手の戸塚中継点手前の失速は、テレビでも放送されました。脱水症状の様子で倒れる寸前、歩くように襷を繋ぎました。箱根駅伝では時々見られる光景ではありますが、中央大学チームでは見たことが無いシーンでした。
 そして、3区のランナーが区間12位、4区のランナーが14位、チームとしては通算18位で山登りに臨み、その5区で棄権という結果です。

 これは明らかにコンディショニングの失敗でしょう。不思議なのは、箱根駅伝における中央大学チームの最大のノウハウが、このコンディショニングであったことは、過去の成績からも明らかなのですが、その中大がコンディショニングに失敗したことです。いったい何があったのでしょうか。
 こうした大会のコンディショニングにおいては、特に直前の2週間の調整が大切だと思います。そして、この直前2週間の調整方法における中央大学チームのノウハウは、他校の追随を許さない、絶対的なものであったと思うのです。

 私は温泉好きで、年末に休みが取れると近隣の温泉地に出かけて行きます。数年前には、千葉の白子海岸に出かけました。確か12月の29日から30日にかけて一泊したと思います。その宿の関係者の方と、ロビーで話をする機会がありました。
 前日まで、箱根駅伝に参加する大学が合宿していたとのこと。その練習もすごいが、食事もすごいとのことでした。食事のメニューは、全て大学チーム側からの指示によるのだそうです。そして、何より驚いたのが「肉類」は一切食べないという点でした。これから、20㎞以上の距離を競走しようとするランナー達が、一切肉類を食べないというのです。

 確かに、ラグビーチームの合宿の練習は食事前に行う(食事をしてから練習すると吐いてしまう)と聞いていましたし、激しいスポーツに臨む際には、食事には細心の注意を払うものだとは思っていましたが、レースの1週間前になっても重要なタンパク源である肉類を一切取らないというのは、とても驚きました。
 もちろんメニューの詳細な内容については知る由もありませんでしたが、有名駅伝チームの出身者である当該大学の監督・コーチが指示したメニューなのですから、肉類を摂取しないというのは、駅伝を行う選手やコーチ陣にとっては「当然のこと」なのだろうと思いました。ひとりひとりのランナー毎に、相応に異なる対応が行われているであろうことも想像に難くありません。

 今回の中央大学チームのコンディショニングの失敗の原因は、残念ながら私には判りません。しかし、前述のような細心の注意を払った上での、僅かなミスの結果であろうことは間違いないと思います。
 それにしても、監督・コーチのみならず、沢山のOBが掛かり切りで現役選手の体調管理、調子をピークに持っていくことに全力を傾注してきた、そして他大学に勝る豊富なノウハウを蓄積してきた中央大学チームにおいて、そうしたミスが起こったことは、やはり不思議なことだと思わずにはいられません。

 復路の中央大学チームは、往路に比べればまずまずの走りでした。もちろん往路とは異なり、勝敗や順位と関係がない、参考記録としての参加という、気楽な?状況での走りということを考慮する必要はありますが、たった1日で、これだけ結果が異なるというのも、駅伝という競技の難しさを示しているように思います。ひょっとすると、大学駅伝屈指の名門校である中央大学のことですから、往路担当と復路担当のコーチ陣が異なるのかもしれません。

 この中央大学チーム程ではありませんでしたが、復路9区、10区の明治大学チームにも、同じようなコンディショニングの失敗と思われる事象が発生しました。9区の松井選手は、10区への中継点手前で歩くのがやっとというような状態になり、10区の北選手も大手町のゴール前では「よくゴールできた」という状態でした。2人のランナー共に、自らの実力を発揮することなくレースを終えたのです。
 往路では安定したレースを展開していたように見えた明治大学チームが、最後の2人のランナーのコンディショニングは、やはり上手くいかなかったということでしょうか。

 第89回箱根駅伝も、素晴らしいレースを魅せてくれました。「あの暴風の箱根駅伝」と、後世まで語り継がれるレースであったと思います。
 一方で、2つのチームが棄権したことは、本当に残念なことでした。駅伝という競技のコンディショニングの難しさを観ることもできました。

 それにしても、駅伝素人の私から観ると、長距離ランナーには、筋力アップ、持久力アップの観点から、豊富なタンパク質を継続して摂取してもらいたいものだと思います。
 加えて、食事を含めた様々な点で、既存のやり方に拘らず、世界中のノウハウを取り入れて、新しい調整法を模索していってほしいものだと考えています。

 元旦の朝、寝ぼけ眼でテレビを見ていましたら、サッカーの三浦知良選手がインタビューを受けています。聞き手は、タレントの加藤浩次氏。どうやら新春番組の一コマのようです。

 三浦知良選手(以下、カズ)が言います。
 「みんな、僕がサッカーのこと何でも知っていると思っているんだよね」加藤氏「そりゃそうでしょう。一番長くやっているんだし、海外の事も知ってるし」
 カズ「それが、知らないんだよね。戦術のことなんか良く分からない。でも、監督なんか、カズはサッカーのことが良く分かっている、なんて言うんだよ」
 加藤氏「分からないことは、どうするんですか」カズ「若手に聞いたりして」加藤氏「エー。そうなんですか」と。

 新年早々、良い物を見させていただきました。真面目な顔?で、上記のようなことを話しているカズは、何ともいえない雰囲気で、さすがに?キング・カズは違うな、と妙に感心しました。

 カズは、サッカーを知らないのでしょうか。例えば、試合の局面局面で、何をすべきかと聞いたら、おそらくカズは何でも答えてくれるでしょう。海外挑戦の注意点を聞いても、何でも答えてくれるでしょう。
 いわゆるサッカーのプロフェッショナルが知っている程度の知識・見識という意味であれば、カズは何でも知っているのだと思います。本人が「知っていること」を意識しているかどうかは、別の事ですが。

 では、謙遜して上記のようなことを言っているのでしょうか。いや、そういう世俗的な感覚は、カズには存在しないように思います。偉くなりたいとか、威張りたいとか、変な謙虚さとか、そういった低レベルな感覚から、最も遠くにいる存在が「キング・カズ」なのでしょう。カズがその気になれば、地位・名誉・富といったものは、簡単に入手できるでしょう。「カズ」のネームバリューは絶大ですし、絶大なネームバリューを利用して金儲けをしようとする、有象無象の輩はごまんと居るのでしょうから。
 しかし、今年2月で46歳になる三浦知良氏は、現役プレーヤーに拘り、今年もプレーを続けるのです。

 そうすると、頭書のカズの発言は、どういうことなのでしょうか。
 私にも本当のところは解りませんが(当たり前のことですが)、サッカーの深さを示している発言なのかもしれません。「知れば知るほど、分からないことが増えてくる」という状態なのかもしれません。

 他のスポーツや学問でも同じことでしょうが、本物と呼ばれる人達の口から「○○については、全て分かった」とか「悟った」などという発言を聞いたことがありません。
 知れば知るほど、知らないこと、分からないことが増えていくということなのではないかと、思います。そうなると、「俺は○○については、何でも知っている」なんて発言する人の知識・見識は、相当に浅薄なものであることになります。

 カズが言っていたことは、禅問答のようでもあり、ギリシャの哲学者ソクラテスの言う「無知の知」に近いものなのかな、と考えたりもします。
 
 とても自然な様子で、インタビューに応じるカズがテレビ画面に映し出されています。それこそ、相当に悟りの境地に入りつつあるようにも見えます。カズの様に成長できる人間は、滅多に居ないことは間違いないなと考えます。
 現在は毎年1~2月にトーナメント形式で行われる、ラグビー日本選手権大会(日本ラグビーフットボール選手権大会)は、1996年度の大会までは社会人代表チームと大学代表チームのワンマッチゲームでした。
 それが、1997年度の大会から参加チームを増やし、2008年度以降は10チームによるトーナメント形式の大会となっています。

 ワンマッチゲームから、多数のチームによるトーナメント形式に変更になった理由は、社会人チームと大学チームのレベル差が拡大し、社会人チームの方が圧倒的に優位になったので、真の日本一を決める大会が社会人1チームと大学1チームのワンマッチゲームというのでは実体を伴わない、といった意見が多くなったためと認識しています。
 社会人の2位・3位や他のチームの方が、大学1位のチームより強いという自負から、こうした意見が出てきたのだろうと思いますが、本稿は、この点を考えてみたいと思います。

 日本選手権大会(以下日本選手権)は、前身のNHK杯に続いて1963年度から始まりました。第一回大会は、実は4チーム(社会人2チーム、学生2チーム)で開催され同志社大学が優勝していますが、本稿の趣旨とは合わないので、ここでは1964年度の第二回大会から、1996年度の第34回大会までの33度の大会(ワンマッチシステムの時代)を対象とします。

 この33度の大会の内、大学チームの優勝が7回、社会人チームの優勝が26回となっています。これだけを見れば、確かに社会人優位です。
 ここで、社会人チーム優勝26回の内訳を見てみます。最も優勝回数が多いのは新日鉄釜石チームの8回(1978年度から1984年度は7連覇)、次に多いのが神戸製鋼所チームの7回(1988年度から1994年度の7連覇)です。この2チームで15回優勝しています。どちらのチームも素晴らしいチームでした。

 この日本ラグビー史上に残る好チーム2つの優勝回数15を、社会人の優勝回数26から引くと、この2チーム以外の社会人チームの優勝回数は、計11回になります。大学チームの7回と大差ない回数です。

 当時の新日鉄釜石と神戸製鋼所は「大学チームに対して圧倒的に強いチーム」でしたが「他の社会人チームに対しても圧倒的に強いチーム」でした。我が国で圧倒的にNO.1のチームだったのです。

 私は、社会人チームと大学チームの力量比較に、この2チームの成績を加えないという考え方があっても良いように思います。新日鉄釜石と神戸製鋼所が優勝した計15回の大会は「この2チーム対他の全てのチーム」という構図だったのであって、社会人チーム対大学チームという構図ではなかったと思います。

 この考え方に則れば、ワンマッチシステム時代の日本選手権は、社会人11勝対大学7勝という、拮抗した成績となっていて、とても面白いゲームが展開されたといってよいのではないでしょうか。

 もちろん、この考え方に異論があることは承知しています。
 加えて、この2チーム以外の社会人チームも、地力の面では大学チームに勝っていたことも十分に認識しています。年齢的に見ても、体力面・戦術の熟練度において、社会人になってからの方が向上することは明らかだからです。
 しかし、ワンマッチシステムの下では、社会人チームの出来が悪かったり、過度に緊張していて思わぬミスをしたり、大学チーム側が乾坤一擲の戦術を用意していたりして、地力に勝る社会人チームが、大学チームに足元を掬われるゲームがあったのです。

 例えば、1985年度の慶応大学とトヨタ自動車のゲームは、試合開始まもなくのトヨタゴール前のスクラムで、トヨタがコラプシングの反則を取られました。フォワードFW戦では圧倒的にトヨタ優位という試合前の予想でしたが、これでトヨタのFWは押せなくなりました。最大の武器を封印したトヨタと慶応は、この後互角の戦いを展開し、慶応が18-13で勝利しました。

 こうして見ると、ワンマッチシステム時代の日本選手権は、日本一を決める大会というよりは、社会人代表チームに大学代表チームが挑戦する試合だったのだろうと思います。実力日本一は、社会人リーグ1位のチームだったのでしょう。しかし、試合結果は必ずしもそうはなりませんでした。そういう意味で、とても面白いゲームでした。

 1997年度からは、日本選手権に複数の社会人チームが登場するようになり、社会人チーム・社会人プレーヤーは「無用の緊張感から解放された」ために、社会人チームが圧倒的に強い大会になりました。
 この年度から、日本選手権は「1996年までとは違う大会」になったのです。サッカーの天皇杯のような、カップ戦(リーグ戦以外で、日本一を争う大会)になったのだろうと思います。

 さらに、21世紀に入ると、社会人チームにニュージーランドや欧州各国のナショナルチームに所属する・していたプレーヤーが、数多く加わるようになりました。
 そして、2019年のワールドカップ日本大会開催が決まった後は、日本代表チーム強化のために、今年も先のワールドカップで活躍した世界のトッププレーヤーが相当数トップリーグ各チームに参加しています。

 こうなってしまっては、高校ラグビーや大学ラグビーを経て社会人チームで活躍する先輩と、学生の後輩が対決するという色合いも薄れました。
 日本選手権を1996年度以前のワンマッチシステムに戻したとしても、社会人チームが圧倒するゲームばかりになることは明らかです。日本選手権のワンマッチシステムは過去の遺物となりました。

 あの時代は、正月元旦にサッカー天皇杯決勝を観て、2日午後はラグビー大学選手権・準決勝2試合を観て、8日頃にラグビー大学選手権決勝を観て、15日頃にラグビー日本選手権を観るという、年始のスポーツ観戦スケジュールが確立?されていました。
 私も、ラグビー日本選手権決勝は何度も国立競技場に足を運びました。好天に恵まれる試合が多かったと思います。

 大学代表チームが早稲田や明治だったときは超満員、他の大学であっても8割方は埋まっている大観衆。現在と違って、冬になると枯れてしまう種類の芝でしたから、黄色くなった国立競技場のグラウンドに大歓声が響き渡りました。

 記憶に残る試合も多いのですが、ベストシーンを選ぶとしたら、1987年度の東芝府中と早稲田大学の試合。早稲田がリードして迎えた前半終了間際の、東芝府中石川選手の突進です。石川選手は味方メンバーにボールの所在を示し、早稲田陣左サイドに突進しました。東芝府中の他のメンバーのフォローも凄まじく、一気に30m以上は押し込んだと思いますが、この突進は本当に迫力満点で鳥肌が立ちました。東芝府中は、このプレーで前半をリードして折り返しました。

 この試合は、後半早稲田大学が逆転し、優勝しました。FW第一列の長田選手・森島選手・屯所選手の健闘が目立ったゲームでした。そして、日本選手権で大学チームが優勝した最後のゲームとなりました。

 あけまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 本年も、沢山の素晴らしいスポーツシーンに出会えるものと思いますし、とても楽しみです。皆様からのコメント・ご意見も、心からお待ちしております。

 さて、昨2012年の中央競馬も、素晴らしいレースが沢山ありました。特に、3歳牡馬のゴールドシップと3歳牝馬のジェンティルドンナ、そして古馬のオルフェーヴルの活躍は、特筆すべきものでした。

 2012年のJRA年度代表馬を考える時にも、この3頭は外せません。フランスの凱旋門賞で九分九厘勝利を手にしながら、惜しくも敗れたオルフェーヴルと牝馬三冠のジェンティルドンナが激突したのが、2012年11月25日のジャパンカップでした。最後の直線での壮絶な叩き合いを制したのは、ジェンティルドンナでした。
 年度代表馬選定という意味では、このレースでジェンティルドンナが勝ち残った形です。

 一方のゴールドシップは、10月の菊花賞を勝ち抜いた後、十分な調整を経て、12月23日の有馬記念を圧勝しました。3角手前最後方から、ゴールまでの800mを追い詰めで差し切ったレース振りは、かつてのヒカルイマイやミスターシービーを想い出させる、見事なものでした。
 普段、競馬を見ない友人が、たまたまこの有馬記念をテレビで見て「凄いね。こんなレースがあるんだ。最後方から全部追い抜くなんて、興奮したよ」とメールして来ました。競馬を知らない人が見ても、凄さが解るレースでした。

 ジェンティルドンナの2012年の成績は、重賞7戦して6勝、内G1が4勝(桜花賞、オークス、秋華賞、ジャパンカップ)、4着1回という、例年であれば文句無く年度代表馬の内容です。

 ゴールドシップの2012年の成績は、重賞6戦して5勝、内G1が3勝(皐月賞、菊花賞、有馬記念)、5着1回(日本ダービー)という、こちらも例年であれば文句無く年度代表馬の内容です。

 これ程の成績を残す馬が、同じ年に2頭生まれたというのは素晴らしいことではありますが、どちらかの馬が年度代表馬の栄冠を逃すことを考えると、複雑な気持ちです。

 本当に甲乙付け難い両馬ですが、どちらが年度代表馬に選ばれるかを予想するのであれば、わずかながらジェンティルドンナが有利なのでしょう。
 最近のJRAの検討を観ると「強い牡馬に勝利した牝馬」に有利な評価が下されることが多いように観えるからです。

 典型的な例が、ウオッカとダイワスカーレットの評価です。
 ダイワスカーレットは、12戦8勝、2着4回という完璧な競走成績を残しています。有馬記念にも勝っています。ウオッカとの直接対決も互角以上の戦績です。
 一方のウオッカは、ドバイでの4戦0勝を除いた、日本での成績を見ると22戦10勝です。もちろんウオッカの競走成績も素晴らしいものですが、ウオッカが顕彰馬に選定されていて、ダイワスカーレットが選定されない理由は、ウオッカの日本ダービー圧勝に尽きると思います。「あのクリフジ以来の牝馬の日本ダービー馬だ」という見方でしょう。
 私も、日本のレースで4着以下が4回あるとはいえ、ウオッカの顕彰馬選定は文句無しです。しかし、そうであればダイワスカーレットも選定されるべきでしょう。
 何か公正・公平を欠いた、「印象」をベースとした見方が、選考委員会に存在するように見えることは、中央競馬会にとっても良くないことだと思います。

 話を戻します。
 前述のような見方があるとすれば、オルフェーヴルとの力勝負で完勝したジャパンカップのレース振りの「印象」から、ジェンティルドンナが年度代表馬に選定される可能性が高いように思うのです。

 私は、この見方には矛盾があるように思います。「牡馬の方が牝馬より強いという定理」を前提に、牡馬に勝った牝馬を高く評価するという考え方なのでしょうが、ゴールドシップは、その強い牡馬とのレースを続け、勝ってきているのです。
 ジェンティルドンナが牡馬に勝ったG1レースはジャパンカップの1レース、ゴールドシップが牡馬に勝ったG1レースは皐月賞・菊花賞・有馬記念の3レースです。上記の定理を基に考えるのであれば、ゴールドシップの方が、ジェンティルドンナより、高レベルのレースで良い成績を残した、ということにならなければなりません。
 もちろん私は、この定理を基に考えるべきでは無いと思っています。この考え方を根本とすると、どうしても牡馬に有利な選定につながるからです。

 どちらを選ぶのも難しいということであれば、2012年はゴールドシップとジェンティルドンナの2頭を年度代表馬とすれば良いのではないでしょうか。本当に2頭共よく走り、いくつもの素晴らしいレースをファンに提供したのですから。

 オルフェーヴルの凱旋門賞再挑戦や、ジェンティルドンナとゴールドシップの対決など、2013年の競馬も沢山の素晴らしいレースが待っていると思います。
 とても楽しみですし、それらのレースで、競走馬たちが怪我無く走り切ってくれることを祈念しています。

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