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 ダイヤモンドステークスSが創設されたのは1951年・昭和26年です。本ブログで何度も書いていますが、昭和20年代に創設された重賞競走は、中央競馬会の肝煎りのレースです。昨年までに62回の歴史と伝統を誇るレースなのです。

 第1回から第33回・1983年のレースまでは、その名の通り、ダイヤモンドが誕生石である4月に開催されることが多かったレースですが、1984年のグレード制導入、レーススケジュールの見直しの際に、G3に格付けされるとともに1月開催となり、1997年からは2月開催になりました。

 ダイヤモンドSというと、私などは3200mという印象が強いのですが、2004年という、つい最近?から3400mで実施されています。東京競馬場で行われるレースとしては最も長い距離ですし、中央競馬全体を見ても平場のレースとしては、中山競馬場で開催されるステイヤーズステークス3600mに次ぐ、2番目の長さの競走です。
 中距離レース全盛の現代にあっては、大切な長距離重賞競走のひとつということになります。

 また、このレースはハンディキャップ競走です。斤量別定のレースが増えた中で、いまだにハンデ戦を続けていますから、古き良き時代?の競馬の雰囲気を、現代でも感じることができる貴重なレースとも言えると思います。

 重賞レースが少なかった昭和20年代に創設された長距離レースですから、その勝ち馬には、当時の大レース(現在のG1レース)の勝ち馬が名を連ねています。
 1956年のオートキツ(日本ダービー優勝)や1961年のホマレボシ(有馬記念)、1967年コレヒデ(天皇賞(秋)、有馬記念)、1969年スピードシンボリ(有馬記念2連覇)などの大豪馬達です。

 1984年のG3格付け以降は、重賞レースの増加もあって、いわゆる一流ステイヤーの活躍の場となりました。

 本稿で採り上げるのは、1993年の優勝馬マチカネタンホイザです。

 マチカネタンホイザ号、父ノーザンテースト、母クリプシー、母の父アローエクスプレス。生涯成績32戦8勝。

 1991年、2歳の9月に新馬戦でデビューし6馬身差の圧勝。続いて府中3歳ステークス(オープン競走)に勝って、当時の2歳競馬の最高峰・朝日杯3歳ステークスG1に臨みましたが、ミホノブルボンの4着。
 3歳となり、共同通信杯4着、皐月賞7着、日本ダービー4着と、いわゆる3歳クラシックレースの常連馬として活躍するものの、なかなか重賞勝ちには縁がありませんでした。3歳時から、同世代のトップクラスに居ながら、それが為に重賞勝ちに縁がない馬というのは、時々目にしますが、マチカネタンホイザもその一頭だったのです。

 3歳の秋、当然に菊花賞に挑戦します。このレースは、三冠馬を目指すミホノブルボンをライスシャワーが破ったレースとして記憶に残るものですが、2頭の一騎打ちに見えたこのレースの3着に入選したのが、マチカネタンホイザだったのです。あの京都の直線で、ライスシャワーとの追い比べで力尽きたミホノブルボンを、もう少しで抜きそうなところまで追いつめた(アタマ差)馬が居たことを記憶している方も多いと思いますが、あの馬がマチカネタンホイザです。
 三冠レースで最先着したレースが、3000mの菊花賞であったことを見ても、タンホイザが長距離に強い馬であることが判ります。

 明けて1993年、4歳になったタンホイザは、中山金杯で1番人気の8着と敗れました。やはり2000mでは短かったのでしょうか。そして陣営が、次のレースに選んだのがダイヤモンドSでした。
 一番人気(この馬は不思議?と人気があり、1番人気が多かったと思います)で臨んだこのレースで、直線楽に抜け出し2着のアスカクラウンに3と1/2差を付けて圧勝、重賞初制覇とともに、3200mのJRAレコード3分16秒8を樹立しました。
 続く、古馬の伝統レースG2目黒記念2500mでも1番人気に支持され、あのライスシャワーに影さえ踏ませず(2と1/2差)快勝。強い時は、とことん強い馬だと感じたものです。おそらく、この頃がマチカネタンホイザの全盛期であったと思います。

 マチカネタンホイザは、重賞2勝馬という実績を引っ提げて、天皇賞(春)に挑戦しました。天皇賞(春)の連覇を狙うメジロマックイーン(1番人気)と当代随一のステイヤー・ライスシャワー(2番人気)の対決となった有名なレースですが、このレースの3番人気はマチカネタンホイザでした。
 レースは、京都の直線でライスシャワーがマックイーンを退け快勝、3着がメジロパーマー、大豪馬が並ぶ上位入着馬の中で、タンホイザも4着と健闘しています。この頃の中央競馬の歴史に残る大レースを彩った馬であったことは、間違いないと思います。

 この後マチカネタンホイザ号は、AJC杯と高松宮杯という二つのG2レースを勝って、1995年に引退しました。

 結局G1レースには勝てませんでしたが、重賞を4勝し、故障も少なく2歳から6歳までの5年間を走り切ったのは、素晴らしいことです。また、気性の激しさでも有名で、490㎏を超える堂々たる栗毛の馬体とともに、この馬の人気の源泉であったと思います。

 この気性の激しさは、母の母の父モンタヴァルの血であろうと、私は考えています。有名なモンタヴァル一族の悲劇に付いては長くなりますので、またの機会に譲ります。

 一方、母の母の母は、あのスターロッチです。下総御料牧場の名種牡馬・月友(つきとも)の血を引くスターロッチは、戦後の名牝系の祖です。名牝系と気性の激しさで有名なモンタヴァルの血を引くマチカネタンホイザは、戦後日本競馬の良血馬と言えると、私は思います。

 加えて、我が国を代表するノーザンダンサー系種牡馬であるノーザンテーストの産駒で、最も賞金を稼いだ馬は、マチカネタンホイザでした。(5億1千万円余り)その点からは、ノーザンテーストの代表産駒とも言えるのです。

 現役を引退したマチカネタンホイザは種牡馬となりましたが、肌馬にも恵まれず、産駒は走りませんでした。中距離全盛の時代が到来したとはいえ、こうした我が国の競馬史を彩ってきた血統が、全く受け継がれていないのは、とても残念なことだと思います。

 山梨県清里の牧場で、マチカネタンホイザは、弟分のマチカネフクキタルとともに、功労馬として元気に過ごしているそうです。このことは、なによりです。

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