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HOME   »  2013年02月19日
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 中山競馬場の名前を冠する中山記念競走は、超名門レースです。このレース程の歴史と伝統を誇る重賞レースは、数える程しかありません。

 始まりが1936年・昭和11年です。我が国のクラシックレース体系が整ったのが1939年、後の皐月賞に相当する横浜農林省賞典4歳呼馬が始まった年ですから、中山記念はそれより古いレースということになります。

 当初は、距離3200mのハンデ戦、そして春と秋・年2回開催のレースでした。戦後の天皇賞のような構成ですので、レースを創設した関係者の強い意気込みが感じられます。
 1938年から、太平洋戦争で中断される1943年春までの間は3400mで行われています。現在ならば長距離レースということになりますが、当時の競馬では典型的な重賞レースだったのでしょう。

 戦後は、施行距離の短縮が続きました。春のレース、秋のレース共に、2600m、2500mでの施行が始まりました。また1951年の秋の第25回のレースを最後に、年一回開催に変更されました。旧中山記念と呼ぶべきレースは、ここで終わったのでしょう。
 そして、1952年・昭和27年からは、距離が2400mになったのです。

 さらに、1957年・昭和32年からは1800mで行われるようになり、1958年からは出走条件も4歳以上に固定されました。現在、私達が見ている中山記念競走のスペックとなったのです。1984年のグレード制導入に伴いG2に格付けされました。

 こうしたレースですから、勝ち馬にも名馬がキラ星の如く並びます。
 1976年のヤマブキオー、1977年アイフル、1994年サクラチトセオー、1996年サクラローレル、1998年サイレンススズカ、1999年キングヘイロー、2001年アメリカンボス、2005年2006年のバランスオブゲームの連覇、2008年2009年のカンパニーの連覇、そして2011年ヴィクトワールピサ。

 思い出深い馬達ばかりですが、私は中山記念というと、まずハイセイコーという名前が浮かびます。ハイセイコーは、ある意味では、日本競馬史上最も有名な馬ですから、本ブログで採り上げるとすれば、何編かに分ける必要がありますので、今回は中山記念との関係を中心に、限定的に採り上げることとします。

 ハイセイコー号、父チャイナロック、母ハイユウ、母の父カリム。生涯成績22戦13勝。

 1972年7月に、大井競馬場でハイセイコーはデビュー。そして、11月の重賞青雲賞を勝つまでの6連勝の着差が、8馬身・大差・7馬身・大差・7馬身・7馬身でしたから、「大井に怪物あり」と、その名は中央にも鳴り響きます。
 マスコミも大きく採り上げるようになり、ハイセイコーが中央競馬にデビューするのは当然こと、と認識されるようになりました。
 1973年3月、クラシック路線の重要レースである中山競馬場の弥生賞で中央デビュー。このレースも1と3/4差で快勝。続くクラシックレース第一弾の皐月賞も、2と1/2差で制して8連勝。当時は、日本ダービーのトライアルレースであったNHK杯も、苦戦したもののアタマ差で勝ち切って9連勝した時には、異様な程の人気がハイセイコーを包み込みました。

 この頃のハイセイコーの人気は、間違いなく日本競馬史上最高のものでした。空前絶後というのはこのことで、これに匹敵するようなブームは、現在までのところ日本競馬には存在していません。オグリキャップやディープインパクトにもブームがあったと言われますが、ハイセイコーの人気とは比較すべくもありません。

 この1973年の日本ダービーで、ハイセイコーは3着に敗れました。13万大観衆の、どよめきと悲鳴の中の敗戦でした。この後、この日本ダービーを制したタケホープとの間で、好勝負が展開されていくことになります。
 秋の菊花賞はタケホープにハナ差敗れて2着。3000mの菊花賞で、稀代のステイヤーといわれるタケホープと僅差の勝負を展開していますので、私は、ハイセイコーは中距離馬ではなく、オールラウンダーであったと考えています。

 翌1974年の緒戦アメリカジョッキークラブ・カップも、タケホープが快勝し、ハイセイコーは9着に敗れました。初めての4着以下、大敗でした。

 こうして「怪物から普通の強豪馬になった」ハイセイコーでしたが、その人気は全く衰えませんでした。そして陣営が次のレースに選択したのが、第48回中山記念競走だったのです。1800mのレースでしたが、タケホープも出走して来ました。

 逃げるトーヨーアサヒにピタリと付けたハイセイコーは、終始1.馬身差の2番手でレースを展開し、4角手前で早くも並びかけました。この日の馬場は、確か「やや重」だったと思いますが、4角を回ったハイセイコーは、馬場の真ん中を進みました。直線に向いて早くも先頭、そして、中山競馬場の短い300mの直線だけで、2着のトーヨーアサヒに大差を付けて優勝しました。坂があることなど全く感じさせない、もの凄い加速。タケホープは3着。
 他の馬が止まって見えるという喩がありますが、このレースの直線は、本当にそんな感じでした。

 このレースを観たとき、私は「ハイセイコーは怪物だったんだ」と呟きました。大井の怪物として中央競馬にデビューしたハイセイコーでしたが、「怪物」に相応しいレースは、それまで見せていなかったことに、改めて気が付いたのです。

 ハイセイコーが、怪物であることを示したレースが中山記念でした。そしてファンが、心から溜飲を下げたレースであったと思います。ハイセイコーのレースキャリアに欠くことができないレース、それが第48回中山記念なのです。

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