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HOME   »  2013年02月26日
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 3歳牡馬のクラシック戦線を語る上で、欠くことができないレースが「弥生賞」です。

 弥生賞の前身は1960年に開始された「東京記念」競走ですが、このレースは、1961年と62年は安田記念の前哨戦と位置づけられ5月に実施されました。そして、1963年には皐月賞の前哨戦となり3月に実施されました。

 1964年・昭和39年、東京オリンピックの年ですが、この年の中央競馬番組変更に伴い、皐月賞の前哨戦としての役割を弥生賞に譲り、東京記念というレースは廃止されました。僅か4回の開催でした。

 こうしたレースの継承は、他のレースでも見られることですが、不思議なのは「東京記念」という名前を冠するレースが、中央競馬から消えてしまったことです。中山記念や京都記念・目黒記念・鳴尾記念・根岸ステークスといった、競馬場の名前を冠したレースが脈々と受け継がれてきている中で、中央競馬の総本山である東京競馬場を記念するレースが、現在に至るまで存在しないのは、不思議なことだと思います。
 1960年から実施されていた東京記念競走が、東京競馬場の名前から名付けられたものかどうかは、ともかくとして、「東京記念」という名前のレースは、何時でも創設することができた、あるいは、できる筈です。機を逸したということでしょうか。

 話を弥生賞に戻します。

 このような経緯を経て1964年に創設された弥生賞は、最初からクラシックレース・皐月賞の前哨戦と位置づけられ、3歳馬限定のレースでした。第一回は、中山競馬場1600mで行われ、その後、施行距離が度々変わりました。 施行競馬場も、中山と東京を行ったり来たりしています。1970年には、報知新聞社から優勝杯が提供され「報知杯弥生賞」となり、現在に至っています。

 1971年からは、ようやく中山の1800mに落ち着き、先週の稿で書きました「ハイセイコーの弥生賞」は1973年に行われています。レース開設当初から、皐月賞の前哨戦という位置付けは揺らぐことは無かったのですが、正式に皐月賞トライアルレースになったのは1982年で、上位5着までの馬に皐月賞の優先出走権が与えられるようになりました。

 そして、1984年のグレード制導入時にG3に格付けされるとともに、施行距離が2000mになりました。現在の弥生賞のスペックとなったわけです。これは、本番の皐月賞と全く同じスペックですから、これ以上のトライアルレースはありません。

 1987年には、G2に格上げされました。一方で、皐月賞に向けて様々なステップを取る馬が増えてきたためかと思いますが、1991年には優先出走権が付与される頭数が上位5頭から3頭に変更されています。

 弥生賞は、一方で、クラシックレースを目指して東西で別々に開催される2歳・3歳馬の重賞レース体系が一本化される、つまり東西交流の最初のレースということができます。
 競走馬の運搬が現在ほど容易ではなかった時代には、関東の競馬ファンからすれば、関西の噂の強豪馬を初めて見るレースということですし、関西の競馬ファンにすれば、贔屓の馬達を関東に初めて送り出すレースであったのです。

 こうした歴史を持つ弥生賞ですから、その優勝馬達は華やかさに溢れています。このレースを勝って、クラシックレースを制した馬が沢山いて、とても書ききれません。代表的な名馬を挙げれば、1983年のミスターシービー、1984年のシンボリルドルフ、2005年のディープインパクトでしょうか。いずれも三冠馬です。
 二冠馬やG1馬に至っては数知れず、このレースの真の格の高さを、如実に示しています。

 そんな中で、本稿で採り上げる勝ち馬は、1991年・第28回弥生賞の勝ち馬・イブキマイカグラです。

 イブキマイカグラ号、父リアルシャダイ、母ダイナクラシック、母の父ノーザンテースト。生涯成績14戦5勝。
 血統を観ただけで、当時の超良血馬です。母ダイナクラシックの全兄がアンバーシャダイ、全妹がサクラバクシンオーの母であるサクラハゴロモという名牝系。加えて、リアルシャダイの産駒ですからスタミナも十分と考えられますので、生まれた時から、クラシックレース、特に日本ダービーや菊花賞での大活躍が期待されていたことでしょう。

 2歳時(当時の馬齢表示は3歳)に、G1阪神3歳ステークスをレコード勝ち。「関西にイブキマイカグラあり」との評価は、高まる一方でした。

 そして3歳の緒戦が弥生賞でした。G1朝日杯3歳ステークスを制し、前年の最優秀3歳馬に輝いた関東の代表馬リンドシェーバーとの東西王者の激突でしたが、これをクビ差で差し切り優勝。
 栗毛・大流星の良く目立つ馬体が、追い出されると首が低く沈み込むような感じになり、力強く加速します。「好い馬だな」というのが、私の第一印象でした。

 阪神3歳ステークス、弥生賞と連覇すれば、当然その年のクラシック戦線の主役になる筈なのですが、この1991年の3歳馬には、デビューが遅かったトウカイテイオーが居たのです。いまだ、重賞レースには出走さえしておらず、若葉ステークスを勝って4戦4勝でしたが、あの三冠馬シンボリルドルフの初年度産駒ということもあってか、皐月賞の前評判は、トウカイテイオー一色でした。

 イブキマイカグラのキャリアを観ると、同世代やライバルに強豪馬が目立ちます。自身も相当に強いのですが、前後の世代も含めて、周囲には強い馬が揃っていました。生まれた時期が、少し悪かったのかもしれません。

 皐月賞は、直線で前が開かなかった不運もあり、トウカイテイオーの4着に敗れました。しかし、距離が延びるほど良いというマイカグラですから、当然日本ダービーを目指します。当時は、ダービートライアルであったG2NHK杯に出走、圧勝。東京競馬場の直線での切れ味は素晴らしいものでした。
 ところが、このレースで骨折していたのか、日本ダービーは断念することとなりました。

 幸い軽度の骨折でしたから早期に回復し、秋を迎えました。「距離が延びるほど良い」マイカグラは菊花賞を目指します。1番人気で臨んだG2京都新聞杯は、ナイスネイチャの大駆けにあって2着でしたが、調整は順調という感じでした。

 皐月賞・日本ダービーの2冠を制したトウカイテイオーが故障で戦線離脱していましたので、当然の1番人気で菊花賞に臨みました。しかし、道中のスローペースに折り合いを欠いたのが響いたか、いつもの直線の伸び脚が無く、レオダーバンの2着に敗れてしまいます。イブキマイカグラには、時々折り合いを欠くレースがありました。

 明けて4歳春の天皇賞、トウカイテイオー(5着)には先着しましたが、メジロマックイーンの3着と敗れました。今度は、古馬になり本格化した大豪メジロマックイーンが立ちはだかったのです。

 この後5月の安田記念で、ヤマニンゼファーの11着と大敗し、その後屈腱炎を発症したイブキマイカグラは、競走馬を引退しました。何か、次から次に出て来る強敵と戦い続けた競走馬キャリアであったように思います。

 「馬名」は、とても興味深く、奥が深いテーマですが、「イブキマイカグラ」という馬名は、日本風馬名の傑作だと思います。
 「舞い神楽」、本当に綺麗な栗毛で、ターフを舞っていたサラブレッドでした。

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