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 2013年4月25日~28日に兵庫県山の原ゴルフクラブで開催された、つるやオープン大会で、松山英樹選手が初優勝しました。

 「初優勝」というのは、今季21歳でプロ入りを表明した松山選手が、プロ入り後2戦目で優勝したということ=プロ入り後初優勝という意味です。
 日本プロゴルフツアーの大会ということならば、松山選手はアマチュア時代の2011年に三井住友VISAマスターズ大会で既に優勝していますから、2勝目ということになります。

 プロ入り後2戦目での優勝は、日本プロゴルフツアー機構がツアーを運営するようになった1999年以降の「最短記録」となります。

 優勝スコアは、4日間通算18アンダーパー。最終日の15番ホールからの4ホールは、先行するアメリカのデビット・オーとの一騎打ちとなり、最終18番ホールをパーとしたオー選手に対して、第二打175ヤードのショットをピン1.5mに付けた松山選手がバーディとし、接戦に決着を付けました。
 結果として、松山選手は15番から18番まで4ホール連続バーディとした訳ですから、圧巻の勝利といえます。素晴らしい優勝でした。

 この勝ち方は「松山英樹のゴルフ」を良く表していると思います。攻撃的なゴルフを展開し、競り合いの中での精神力の強さをも十二分に感じさせるものです。
 さすがに、2011年19歳の時に日本のアマチュアゴルファーとしてマスターズ大会に初めて出場し、ローアマチュア(マスターズ大会のアマチュアNO.1)に輝いたプレーヤーです。

 このマスターズ・ローアマチュアという快挙は、日本ゴルフ史上空前の記録です。そもそも、アマチュアの段階でマスターズ大会の出場資格を得たゴルファーは、日本では初めてであった上に、全米アマチュアチャンピオンなどの世界のトップクラスのアマチュアプレーヤーを相手に、NO.1となったのですから、松山英樹選手が日本ゴルフ史上最強のアマチュアゴルファーであったことは、異論の無いところでしょう。
 海外のトーナメントでも、その実力を存分に発揮できるタイプのプレーヤーです。

 その松山選手が、当然ながら鳴り物入りでプロデビューし、史上最速でツアー優勝を飾ったのですから、その実力は本物です。この数年、ひとりで日本ゴルフツアーを引っ張ってきた感のある石川遼選手と同じ21歳のライバルとして、共に日本ゴルフ界を牽引していく存在になっていただきたいと思いますし、松山選手ならそれができると感じます。

 この大会は、初日に尾崎将司選手が日本ゴルフツアー史上初のエージシュートを達成し、最終日に上がり4ホール連続バーディという劇的な内容で松山英樹選手が優勝するという、絵に描いたような展開になりました。

 尾崎将司選手は、2日目からスコアが伸びず、結局2アンダーパーの51位で大会を終えました。やはり、4日間を通して好スコアを維持することは、いかにジャンボ尾崎でも66歳のプレーヤーには難しいことなのでしょう。

 しかし、ジャンボ尾崎の頑張りが新しいヒーローを呼んだように感じます。「2013年のつるやオープン」は、尾崎将司から松山英樹に日本ゴルフツアーの主役の座が動いた大会として、永遠に語り継がれる大会になるのかもしれません。
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 MLBアメリカン・リーグALの2013年レギュラーシーズンも、4月27日現在で各チーム20~25ゲームを消化しました。先発ローテーション投手も5~6試合の登板を済ませました。各投手の今季の調子が判明してきています。

 ダルビッシュ・黒田・岩隈の日本人3投手も、各々5ゲームに先発しています。
 そもそも、3人共ここまで先発ローテーションを守っているということは、故障もなく、自らの実力を発揮していることの証左なのですが、それ以上に好調な投球が続いているように思います。

 テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有ですが、極めて好調な滑り出しを見せました。ここまで、32イニング余りを投げ、4勝1敗、WHIP(1イニング当たりに許した走者数)も0.8とMLB-AL投手成績上位20傑の中で最小・最優秀の成績です。2012年シーズン通算の1.28に比べても大幅に改善しています。また、防御率は1.65と同3.90に対して大幅に改善しています。
 今季の好調さが良く分かる数値です。

 ニューヨーク・ヤンキースの黒田博樹は、ここまで29イニングを投げて3勝1敗、WHIPは1.03と優秀、昨季の1.17に比べても向上、防御率も2.79と昨季3.32比改善と、相変わらず安定した「黒田の投球」を継続しています。今季のヤンキースは、AL東地区で3位と、必ずしも良いスタートを切っているわけではないのですが、チーム状況に左右されることなく、淡々と自らの投球を続ける黒田投手には、本物のメジャーリーガーの凄味が感じられます。

 シアトル・マリナーズの岩隈久志は、ここまで31イニング余を投げて2勝1敗。WHIPは0.73と超優秀。AL投手成績上位30傑中No.1です。防御率も1.99と2点を切っていますから、期待通りのスタートを切ったことになります。
 AL西地区の4位と調子が出ていないチーム状況もあって、勝ち星こそ上がっていませんが、岩隈投手のことですから、今後も僚友フェリックス・ヘルナンデス投手と共にシアトルを支える投球を展開してくれると思います。

 このように日本人の3投手は、2013年レギュラーシーズンで絶好のスタートを切ったわけですが、もうひとつ驚かされるのは、これだけの好成績を残しているにもかかわらず、AL投手成績のトップに日本人投手が居るわけではないということ、つまりMLBの選手層の厚さです。

 4月27日現在のAL勝ち星トップは、タンパベイのマット・ムーア投手とボストンのクレイ・ブチホールズ投手の5勝0敗です。5試合登板すれば、全勝の投手が二人も居るのです。この両投手は、防御率も1.13と1.19という極めて良い数値を叩き出しています。
 そして、デトロイトのジャスティン・バーランダー投手やヤンキースのCCサバシアといったリーグを代表するベテラン投手達も、それぞれキッチリと成績を残しています。シーズンが深まるにつれて成績を上げて来るのは、間違いありません。

 これが「メジャー・リーグ」なのでしょう。世界中から、最高の能力を保持したプレーヤーが集まり、日々最高のプレーを展開しています。
そのリーグで最高の成績を残すというのは並大抵のことではありません。5回先発して全勝でも、トップに立てるとは限らないレベル、それがMLBです。たった1球のミスで、あっという間に他の投手に抜かれてしまうのです。

 これは、ゴルフのPGAツアーに似ています。PGAツアーのトーナメントでは1打の差に複数のプレーヤーが犇めきます。1打1打の重さが違うのです。PGAがゴルフにおけるメジャーツアーであることは異論のないところでしょう。

 最高レベルの技量を持ったプレーヤーが自ら絶好調と感じるプレーを展開しても、同じ位の成績を残すプレーヤーが複数存在するのが「メジャー」という世界なのかもしれません。

 そういう「メジャー」なリーグに所属し、きっちりとした成績を挙げているダルビッシュ、黒田、岩隈の3投手に、日本人として拍手を送りたいと思います。そして、その中で49奪三振と、この項目でトップを走るダルビッシュ投手の素晴らしさをも感じています。
 2周目の坂にかかるところで、既にゴールドシップは苦しいと思いました。3コーナーを回って、内田騎手は押しまくり、鞭を入れ続けました。ゴールドシップの動きが悪かったのでしょう。いつものような手応えが無かったのでしょう。

 一方フェノーメノは、4角先頭から良い脚を長く使い、ゴールでは1と1/4の差を付けて快勝しました。蛯名騎手の冷静な騎乗ぶりが印象的でした。

 スタートから前半の1000mは60秒と、天皇賞(春)としては速いペースでした。サトノシュレンが速いペースで逃げますから、縦に長い展開となりました。この速いペースも、ゴールドシップには向かなかったのでしょう。

 ゴールドシップの敗因は「良過ぎた馬場」ということになります。3角からの長い脚を武器とするゴールドシップにとっては、超良馬場で全体のペースが速くなったうえに、残り1000mになっても各馬のペースが落ちなかったので、追っても追っても追いつかないという状況になってしまい、逆に自身の末脚を無くしたという形です。コンディションは、良かったように観えました。
 常に後方からの捲りのレースしかできず、自在な脚を持たないタイプの競走馬の弱点が出たのでしょう。これほど強い馬でも、馬場状態と展開によっては完敗してしまうところが、競馬の怖いところです。

 勝ったフェノーメノにとっては、展開も味方しました。ペースに緩みがありませんでしたから、1周目の直線で「上り3ハロンは36秒を超える」と観ていましたが、36秒3でした。全ての出走馬が脚を相当に使ってから臨んだ最後の直線は、速くもなく遅くもないペースになったわけで、ややジリ脚気味の同馬にとっては理想的でした。常に4角で先頭グループに付いていける脚質が活きたレースでもありました。

 3着に来たレッドカドーは、さすがでした。世界を股にかけて戦う一流馬の力を魅せてくれました。
 そして、6着のジャガーメイル、7着のマイネルキッツも、天皇賞(春)の優勝経験馬というところを見せました。9歳、10歳の両馬の健闘に、心から拍手を送りたいと思います。

 フェノーメノ、ゴールドシップ、サトノシュレン、3頭のステイゴールド産駒による天皇賞(春)でした。
 2013年の日本プロゴルフツアー男子の第二戦つるやオープン大会は、4月25日から、兵庫県山の原ゴルフクラブで開催されています。

 この大会初日に、ジャンボ尾崎選手が快記録を達成しました。66歳のジャンボ尾崎=尾崎将司選手ですが、この日パー71のコースを62打でラウンドし、日本プロゴルフツアー史上初の「エージシュート」(プレーヤーの年齢以下の打数で1ラウンドすること)を成し遂げたのです。
 ラウンドの内容は、1イーグル、9バーディ、2ボギーというもので、前半30打、後半32打のコースレコードタイ記録でした。

 そもそも66歳にして、日本プロゴルフツアー(レギュラーツアー)に参戦していること自体が凄いことなのですが、そこでのエージシュート達成とは、さすがジャンボと思わせる記録です。

 加えて、いかにも尾崎将司らしいのは、66打でもエージシュートなのに、62打という「年齢を4打も下回るスコア」を叩き出しているところです。

 尾崎将司選手は、日本プロゴルフツアー史上最強のプレーヤーであり、ツアー通算94勝や賞金王12回を始めとする数々の記録は、他の選手の追随を全く許さない桁違いのものですが、エージシュートの達成においても桁違いの内容であったということです。

 日本のプロゴルファーは、50歳を過ぎればシニアツアーにも参加できるのですが、ジャンボ尾崎は頑なにレギュラーツアー出場に拘り続けてきました。このことが、日本プロゴルフのシニアツアー発展の阻害要因であったという見方もありますし、一方では、実力からして、出場してくればいつもジャンボ尾崎が優勝するシニアツアーとなってしまい、つまらないのではないかという意見もありました
 いずれにしても、本人がレギュラーツアーに徹底して拘っているのです。

 尾崎将司選手は、2002年以来12年振りのレギュラーツアー優勝を狙っています。この数年のプレーを、テレビ放送などで断片的に観た限りでは、プレー内容は決して悪いものではありませんでした。ショットは、時折全盛時を思わせる素晴らしいものがありましたが、一方で「4日間を戦い抜く、心身両面の持久力の衰え」は隠せない感じでしたし、特にパットが入らなくなったという印象でした。

 60歳代も半ばともなれば、止むを得ないのかなと感じていましたが、さすがに桁外れの男・尾崎将司です。ショットとパットのバランスが良くなれば、62打位のスコアを出せることを証明したのです。

 ライバルと呼ばれ、こちらは欧米を始めとする世界中のゴルフツアーで活躍する日本人プレーヤーの草分け的存在である青木功選手は、尾崎将司選手のエージシュートについて「レギュラーツアーで達成することは大変なこと。日々努力を重ねていないとできない」とコメントしました。

 そして、青木選手の昔のコメントが思い出されます。「自分で使うクラブを自分でメンテナンスする、グリップやシャフトの交換も含めて全部自分でやっているのは、俺とジャンボくらいだよ」と。練習後にクラブの整備に飽きることが無いという、この二人のスーパープレーヤーに共通しているのは「とてつもなくゴルフが好きだ」という点でしょう。

 日本プロゴルフツアー史上空前の才能を備えた尾崎将司選手が、日々の努力を惜しまず、道具の研究・メンテナンスも怠らないのですから、強い筈です。

 ジャンボ尾崎のレギュラーツアーにおけるエージシュートは、NHKを始めとするテレビ各局、一般紙を含めた新聞各紙に大きく採り上げられました。ひとつのトーナメントの初日の出来事が、テレビ各局のスポーツ番組のトップ項目となり、スポーツ新聞各紙の一面を飾りました。
 このことは、今なおジャンボ尾崎が大スターであることの証ですし、尾崎将司選手に代わるスタープレーヤーが登場していない日本プロゴルフ界の現状を如実に示す事象でもありました。
 
 2013年4月28日京都競馬場芝外回り3200mコースで行われる、第147回天皇賞(春)競走G1の注目馬です。

 我が国で最大の古馬重賞レースであり、現在では最も長い距離を争うG1レースです。勝ち馬には、我が国の競馬史を飾る名馬が並んでいますが、一方で最近10年を観ると、ディープインパクト以外に1番人気で優賞した馬は居ません。それどころか、7番人気以下の優勝馬が過半という、難しいレースになっています。

 大豪馬が出走してきている場合を除くと、長距離に適性のある馬の中で、展開に恵まれた馬が勝っているという形です。今年も、実績馬、中堅馬、上り馬、入り乱れての18頭、フルゲートとなりました。現在の日本3強の一角ゴールドシップが出走してきているにもかかわらずのフルゲートですから、各陣営は十分に勝負になると考えているのでしょう。

 注目馬の一番手は、4枠8番のゴールドシップ。「格」からいって、この馬は外せません。私は、ゴールドシップはステイヤーではないと考えています。圧倒的な地力で、長距離レースも押し切ってしまうタイプだと思っています。
 その点では、同じ葦毛馬でいえばメジロマックィーンのタイプでしょう。昨年のG1菊花賞3000mもキッチリと勝利していますから、この天皇賞(春)に生粋のステイヤーが出走していなければ(メジロマックイーンを破ったライスシャワーの様な)、ゴールドシップが勝つと思います。
 そして、他の出走馬の現在までの競走成績を観ると、生粋のステイヤーといえばマイネルキッツかと思いますが、さすがに10歳馬には荷が重いでしょう。

 注目馬の二番手は、3枠6番のフェノーメノ。ややジリ脚タイプで勝ち味が遅いところがありますが、着実に力を付けていると思います。前走G2日経賞は、ようやく本格化を感じさせるレース内容でした。
 ゴールドシップと同じステイゴールド産駒。このレースを制するようなことがあれば、名ステイヤーの仲間入りです。

 注目馬の三番手は、4枠7番のアドマイアラクティ。こちらも、本格派ステイヤー候補です。格では見劣りしますが、長距離レースで底を見せていないところに注目します。ハーツクライ産駒の意外性も、不気味です。

 今回は、以上の3頭に注目します。ゴールドシップに、キッチリ勝ってもらいたいところですが、将来「あの馬は、名ステイヤーだった」と言われるような、あっと驚かされる馬が登場する可能性もあると思います。
 2013年4月9日、中日ドラゴンズとヤクルトスワローズのゲームに先発した、中日の山本昌投手は、6回を投げ被安打1、失点0と好投、チームの5対0の勝利に貢献し、今季初勝利を挙げました。
 この時、山本昌は47歳7か月でしたから、自身の日本プロ野球NPB最年長先発登板記録とセントラル・リーグの最年長登板・最年長勝利投手記録を更新しました。

 そもそも山本昌投手は、野手も含めて、現時点の日本プロ野球全選手の中で最年長です。今季今後の登板で活躍する度に、新記録が生まれることになります。
 
 山本昌投手は、1965年8月東京都大田区生まれ。186㎝、87㎏の左投げ左打ち、日大藤沢高校から1983年にドラフト5位で中日に入団、現在に至るまで中日ドラゴンズ一筋のプレーヤーです。
 持ち球は、ストレート、カーブそしてスクリューボール。特に、外角低めに沈めるスクリューは威力十分です。1993年、94年、97年には、リーグ最多勝のタイトルを獲得していますし、特に1994年には最高の投手に与えられる沢村賞も手にしました。まさに、1990年台には、セントラル・リーグを代表する投手だったのです。
 2012年シーズン終了時点の成績は、213勝162敗です。

 ところで、アメリカのメジャーリーグにも、山本昌投手と同じように投手の最年長先発記録を更新し続けているピッチャーが居ます。それが、ジェイミー・モイアー投手です。
 山本昌投手とジェイミー・モイアー投手には、いくつかの共通点があります。興味深いところです。

 モイアー投手は、アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィア出身、184㎝、84㎏の左投げ左打ち。聖ヨゼフ大学から1984年にドラフト6順目でシカゴ・カブスから指名を受け入団、こちらは、その後7つの球団を渡り歩き、2012年にはコロラド・ロッキーズに所属していました。
 そして、2012年4月17日の対サンディエゴ・パドレス戦に先発し勝ち投手となりました。この時、49歳151日でした。これも、自身のMLB最年長勝利投手記録を更新したのです。

 持ち球は、ストレートとカットボール。特に、外角低めにコントロールされたカットボールの威力は十分で、これで打者を翻弄します。
 MLBのナショナルリーグ・アメリカンリーグ両リーグの計8球団に所属していたこともあって、MLB30球団全てから勝ち星を挙げています。(MLB史上6人目の記録です。30球団すべてから勝ち星を挙げるという、凄い記録の保持者が6人もいるというのも凄いことで、MLBのプレーヤーの多くが、移籍を繰り返す選手生活を送ることを示していると思います)

 モイアーの2012年時点の成績は、269勝209敗です。今シーズンは50歳になっている筈ですが、引退したという話は聞きませんので、使ってくれる球団を探しているのだと思います。これまた、凄いことです。

 山本昌とジェイミー・モイアーの共通点を観てみると

① 左投げ左打ちであること。偶然とは思えませんので、左ピッチャーの方が、選手寿命が長いということなのかもしれません。

② ドラフト上位指名ではないこと。NPBとMLBでは、ドラフトにおいて指名される選手の数が異なる(MLBの方が遥かに多い)ので、一概には比較できませんが、山本昌が5位、モイアーが6順目ですから、ともに当該世代のトップクラスのプレーヤーとして注目される存在では無かったことになるのでしょう。

③ 外角低めの投球が生命線であること。球種は、山本昌がスクリュー、モイアーがカットボールと異なりますが、テレビ映像で見る限り、とてもよく似た球筋だと思います。とても打つのは難しいボールに観えるのですが、不思議と打者が手を出して凡退します。球に威力がある上に、配球が上手なのだろうと思いますが、逆に言えば「こうした決め球を持っている」からこそ、40代の後半になっても、先発・勝利投手になれるのでしょう。

④ 故障・怪我が少なかったこと。これは、鶏と卵の話の様ではありますが、厳しい自己管理を継続していることと、無理な投げ方をしていないと想定される点で、評価できるものと考えます。

 加えて、体格がほぼ同じという点もありますが、山本昌の身長186㎝というのは同世代のNPBの投手の中では大柄な方になるのに対して、モイアーの184㎝は同世代のMLBの投手としては標準的、あるいはやや小柄な方に属すると思いますので、これは共通点とはしませんでした。

 NPBとMLBという太平洋を挟んだプロリーグに、山本昌投手が1983年、ジェイミー・モイアー投手が1984年と、ほぼ同時期にプレーヤーとなり、現在まで現役を続行しているというのは、不思議な一致であり、驚くべきことでもあると思います。

 山本昌投手には是非、モイアー投手に負けない最年長記録(おそらく世界記録)を樹立していただきたいと思いますし、先日の零封投球を観ると、あながち不可能なことではないとも感じるのです。
 天皇賞(春)を2連勝しているテイエムオペラオー号は、我が国の競馬史上屈指の強さを誇るサラブレッドです。その生涯獲得賞金額18億3500万円余が、日本は勿論、世界競馬史上の歴代NO.1であることだけでも、この馬が世界屈指の競走馬であることを示しています。
 にもかかわらず、競馬史を語る時、例えば「史上最強馬」を語る時、この名前が出て来ることは余りありませんし、現役時代においても、ブームになることもなく、圧倒的な人気があったようにも思われません。

 その競走成績と人気の大きなギャップの原因は何なのでしょう。

 まず、その競走成績を観てみましょう。素晴らしいものです。
① 3歳時(1999年)
 皐月賞優勝、日本ダービー3着、菊花賞2着とクラシック3冠レースで好成績を収めました。この年の有馬記念にも挑戦、グラスワンダー、スペシャルウィークの大豪古馬2頭とゴール前凄絶な競り合いを演じ、ハナ・クビ差の3着と大健闘しました。1着2着馬の強さを考え合わせると、3歳馬としてのオペラオーの強さを感じますし、4歳馬になってからの活躍を予感させるものでした。

② 4歳時(2000年)
 2月のG2京都記念を皮切りに、3月のG2阪神大賞典、4月のG1天皇賞(春)、6月のG1宝塚記念、10月のG2京都大賞典、10月のG1天皇賞(秋)、11月のG1ジャパンカップ、12月のG1有馬記念、のこの年走った全レース・G2以上の8つの重賞を全勝。内G1レースを5勝しています。年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬にも選ばれましたが、当然の成績です。
 この年のテイエムオペラオーの活躍は「空前絶後」、間違いなく日本競馬史上最高の成績です。今後も、これ以上の成績を挙げる馬が現れるとは考えにくいと思います。

③ 5歳時(2001年)
 4月のG1天皇賞(春)と10月のG2京都大賞典に優勝。宝塚記念と天皇賞(秋)、ジャパンカップの3つのG1で2着。G2産経大阪杯で4着、G1有馬記念で5着。有馬記念を最後に現役引退しました。秋の成績が上がらなかったので引退したと言われましたが、とても不調というような成績ではありませんので、2000年の成績が良すぎたということでしょう。

④ 現役時代を通じて
・通算26戦14勝、2着6回、3着3回、4着2回、5着1回。6着以下は一度もありません。G1レースの連対11度も日本記録です。
・2000年~2001年にかけて、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、天皇賞(春)と天皇賞を3連覇していますが、テイエムオペラオーだけが成し遂げている記録です。
・史上初めて、中央競馬主要4競馬場(東京・中山・京都・阪神)でG1レースに優勝しました。(オルフェーヴルが2頭目に達成しています)

 これに、世界最高獲得賞金額記録などなど、テイエムオペラオーの記録を挙げて行くとキリがありませんし、その内容も王道を行くものばかり。JRAの顕彰馬に選出されているのも、当然のことと言えます。

 もちろん、テイエムオペラオーにもファンが居ますが、その数はこの空前の成績に見合うものとはとても思えないのは、何故でしょうか。
 
 この点については、当然競馬関係者の間でも不思議なこととされていて、いくつかの理由も挙げられました。
 最も良く見られる意見は「オペラオーが勝ったレースの2・3着馬がいつも同じで、面白さに欠けた」というものです。特にメイショウドトウは、オペラオーの7つのG1勝利の内、5レースで2着となっています。
 また、毛色が地味なせいだという意見もあります。

 私は、成績の割に人気が無い理由は「レースっぷりに派手さが不足」していた為ではないかと考えています。
 具体的には、2着馬との着差が小さいのです。皐月賞がクビ差、天皇賞(春)が3/4差と1/2差、宝塚記念がクビ差、ジャパンカップがクビ差、有馬記念がハナ差と6つのG1レースをいずれも僅差で制しています。G1レースの最大着差が残る天皇賞(秋)の2と1/2差です。 
 この天皇賞(秋)の着差は、このレースとしては大きい方ですが、G1勝ち鞍の中で最大着差のレースが、最も距離が短いレースというのは皮肉なことです。

 おそらく、テイエムオペラオーは頭が良く、器用な馬であったので、ゴール前でキッチリと勝つことができる馬だったのですが、逆に「ファンの脳裏に残る強烈な印象のレース」を生まなかったのではないかと考えているのです。
 加えて、メイショウドトウやオースミブライト、ナリタトップロードといった、オペラオーに惜敗し続けた馬達のファンから「もう少しで勝てたのに」という感情を残してしまったのかもしれません。

 いろいろと書きましたが、テイエムオペラオー号が、日本競馬史上に燦然と輝く名馬であることは、間違いないことです。2000年という20世紀最後の年に、素晴らしい走りを魅せてくれました。
テイエムオペラオーは「ミレニアム・スーパーホース」だったのです。
 
 少し前の話ですが、2013年3月30日にUAEのメイダン競馬場で開催された、G1ドバイ・シーマ・クラシックSC競走で、ジェンティルドンナが2着となりました。優勝できなかったことは残念でしたが、私は好走だったと考えています。

 ドバイSCは、春に開催される国際レースの中でも屈指の規模とレベルを誇るレースです。ドバイ国際競走の中のひとつのレースであり、左回り芝2410mのコースで争われます。この大レースで、ジェンティルドンナは1番人気となり、レースではアイルランドのセントニコラスアビーに先着を許したものの、堂々と2着で入線したのです。

 確かに、ジェンティルドンナは、昨2012年のG1ジャパンカップ競走で、我が国のサラブレッド牡馬を代表するオルフェーヴルを、一騎打ちの形で破って優勝していましたから、日本トップクラスの競走馬として、優勝を期待されてドバイSCに挑戦したのです。

 しかし、レベルの高い国際レースですから「絶対」は無い訳で、勝ったセントニコラスアビー*も、世界を股にかけて活躍する実力馬ですから、コンディションや展開によっては、当然ジェンティルドンナと互角の競走をする能力があることは、予想されていたことです。
(*セントニコラスアビー、6歳牡馬。父モンジュー、母リーピングウオーター。カルティエ賞最優秀2歳牡馬=欧州最優秀2歳牡馬。このレースを勝って、通算17戦8勝、内G1を5勝、主な勝ち鞍G1コロネーションカップ2勝、G1ブリーダーズカップ・ターフ、G1ドバイCS。米国、欧州、アジアと世界中のG1に勝利している現役最強古馬の1頭。父モンジューは、エルコンドルパサーと凱旋門賞で死闘を演じ、優勝した名馬です)

 私が素晴らしいと考えるのは、ジェンティルドンナが「世界に通用する力があると見做され、その力を存分に発揮した」ことです。国内のレースでも、本命とされながら3着以下に沈む競走馬は沢山います。「実力があるからといって、何時も勝てる・好走できるとは限らないのが競馬」であるという、当たり前のことを認識したうえで、この大レースで2着に好走したことの素晴らしさを言いたいのです。
 「日本馬は、本当に強くなった」と感じます。

 このレースは、ジェンティルドンナにとって初めての海外遠征のレースでしたから、コンディション調整も難しかったろうと思います。彼女にとっても不慣れなことが続いたことでしょう。加えて、レースでは終始外々を回る不利な展開となってしまいました。
 こうした中では、常に世界中を旅しながら戦い続けている強者セントニコラスアビーに惜敗するのも、残念ながら仕方がないというところです。

 昨年10月のG1凱旋門賞競走で、オルフェーヴルが2着に惜敗し、12月のG1香港スプリント競走でロードカナロアが圧勝し、このドバイSCでジェンティルドンナが2着と、この半年間の世界トップクラスのG1レースで、日本の代表馬・強豪馬は連を外しませんでした。日本のサラブレッドのレベルが、世界トップクラスになったことを如実に示している事象だと思います。

 1998年のシーキングザパール、タイキシャトルに始まる、日本馬による海外G1レース制覇ですが、その後も多くの場合には大敗を喫し、時々勝ったり好走したりするという時期が続いていました。
 それが「この半年間は常に好走している」のです。素晴らしいことです。

 普段慣れ親しんだ、東京・中山・京都・阪神・中京といった競馬場で観ているサラブレッド達が、世界トップクラスの実力を身に付けていること=私達日本の競馬ファンが目の当たりにしているレースは、世界最高水準のレースであるということの「幸せ」を、あらためて認識したいと思います。

 そして、日本の近代競馬発祥以来150年にわたって、欧米競馬に追い付け・追い越せと努力を続けてきた関係者の皆さんに、心からお礼を申し上げたいと思いますし、日本競馬の一層の発展に向けて、私達ファンも色々な形で協力していきたいとも考えるのです。

 2013年4月19日、シアトル・マリナーズとテキサス・レンジャーズのゲームに、ダルビッシュ投手が先発しました。

 そして、7イニングを投げ111球、3被安打、10奪三振、3四球、失点0という投球内容でした。チームは7対0で勝利し、ダルビッシュは今シーズン3勝目(1敗)となりました。
 数字だけを見ても良い投球ですが、その細部を観ると素晴らしい投球であったと思います。今シーズンスタート時点から、昨年とは相当に違う、良くなった投球を魅せていましたが、このゲームを観て「ダルビッシュ有投手のMLB向け投球仕様の構築が完了」したと確信しました。

① このゲームでダルビッシュは10個の三振を取りましたが、その内の6個が1・2回でした。つまり、1・2回のアウトは全て三振だった訳です。ダルビッシュは「三振を取りにいった」のでしょう。そして、取れたのです。あまり強力な打線とはいえないシアトルですが、それでも狙って三振が取れる投球力・投球術を身に付けたのです。
 一方で、いつも書くことで恐縮ですが「三振を取りに行くと投球数が多くなる」のです。1回、2回とも、21球を要しました。このままでは、長いイニングを投球することはできません。

② 3回からは、変化球を交えた投球に変えました。スライダー主体でしたが、何か力を抜いて投球しているかのような様子。しかし、シアトル打線は凡打を積み重ねます。このスライダーは、ダルビッシュの強力な武器として完成した感じです。

③ そして、投球数から見て最後のイニングになると思われた7回、ダルビッシュは再び、三振を取りに行きました。2つの三振で2アウト、さすがに3アウト目はレフトフライでしたが、100球を超えてから150㎞台後半のストレートを連投する姿には「まだまだ投げられる」ことをアピールしているかのような迫力がありました。

 このゲームのダルビッシュ投手は、シアトル打線を手の内に入れ、余裕十分の投球を展開しました。「見下ろした投球」ともいえるもので、日本プロ野球時代を髣髴とさせる様子でした。

 ストレート、変化球の威力・キレともに素晴らしく、スタミナも十分、そして精神面も安定しました。素晴らしい充実ぶりです。

 もちろん、ゲーム毎にコンディションの良し悪しがあるので、全部勝つことはできないと思いますが、今季のダルビッシュには相当の好成績(例えば230イニング以上を投げ20勝以上する)が期待できると思います。

 今後の活躍が、本当に楽しみです。
 2013年4月10日~14日にかけて開催された第89回日本選手権水泳大会で、東洋大学の18歳、萩野公介選手が5種目に優勝しました。長い歴史を誇る日本選手権大会で初めての快挙でした。

 萩野選手が優勝したのは、200m自由形、400m自由形、100m背泳ぎ、200m個人メドレー、400m個人メドレーの5種目です。それ以外に、200m背泳ぎで入江陵介選手についで2位となっています。加えて、200mと400mの個人メドレー種目は、日本新記録でした。

 昨年のロンドン・オリンピックの400m個人メドレーで、17歳の高校生で銅メダルを獲得していましたから、萩野選手は当然に注目されてこの大会に臨んだわけですが、期待以上の大活躍でした。
 「ついに、こういう選手が我が国にも出てきたな」と感じました。「複数の競技でトップの成績を収めるスイマーが登場する国は、水泳競技に強い国」という意味です。日本水泳界全体のレベル向上を如実に示す事象です。

 過去のオリンピックにおいて、ひとりで多くの金メダルを獲得した男子選手を挙げてみます。私のオリンピックの記憶は、1964年の東京オリンピックからですから、それ以前の大会はご容赦ください。

① ドン・ショランダー選手(アメリカ)
 1964年の東京オリンピックで4つの金メダルを獲得しました。種目は、100m自由形、400m自由形、4×100mフリーリレー、4×200mフリーリレーの4つです。この内3種目が世界新記録でした。
 ショランダーは、この大会のヒーローでした。ただし、自由形のみという点が、後述のスイマーとは異なるところです。

② マーク・スピッツ選手(アメリカ)
 1972年のミュンヘン・オリンピックで7つの金メダルを獲得しました。種目は、100m自由形、200m自由形、100mバタフライ、200mバタフライ、4×100mフリーリレー、4×200mフリーリレー、4×100mメドレーリレーです。この7種目全てが世界新記録でしたから「泳げば全て世界新!」と形容されました。パーフェクトという点では、いまだに破られていない快記録で、その後現在に至るまで、世界中のスーパースイマーの目標となっている選手です。
 また、クロールとバタフライという複数の泳法で世界NO.1のスイマーとなるという形では、草分け的な存在でもありました。

③ イアン・ソープ選手(オーストラリア)
 2000年のシドニー・オリンピックで、3つの金メダルと2つの銀メダルを獲得しました。種目は、400m自由形、4×100mフリーリレー、4×200mフリーリレーで金メダル。200m自由形と4×100mメドレーリレーが銀メダルでした。

 この成績も素晴らしいものですが、ソープ選手についていえば、2001年の世界選手権水泳福岡大会がピークだったのでしょう。前述の5種目に800m自由形を加えた6種目で優勝しました。
 196㎝の長身で、足のサイズが35㎝という大型スイマーでした。

④ マイケル・フェルプス選手(アメリカ)
 2008年の北京オリンピックで8つの金メダルを獲得しました。種目は、200m自由形、100mバタフライ、200mバタフライ、200m個人メドレー、400m個人メドレー、4×100mフリーリレー、4×200mフリーリレー、4×100mメドレーリレーです。この8種目の内7種目が世界新記録でした。

 フェルプスは、一つのオリンピック大会での金メダル数で、ついにマーク・スピッツを超えましたが、世界新記録数ではタイ記録でした。
 フェルプス選手も、身長193㎝の大型スイマーです。

 フェルプス選手は、2004年のアテネ・オリンピックでも4つの金メダルと2つの銅メダルを獲得していますし、2012年のロンドン・オリンピックでも金4、銀2の成績を挙げています。オリンピックの金メダル獲得数が、現時点でも計16個という、恐るべき実績を誇るスイマーです。史上最強と言って間違いないでしょう。

 また、個人メドレー種目を得意としていますから、萩野公介選手の目標とするスイマーでもあります。

 私の記憶に残る、沢山の金メダルを獲得した男子スイマーを挙げてみました。この4人のスイマーに共通しているのは、母国が水泳王国である点です。アメリカとオーストラリアは、何時の時代も世界の水泳を牽引し続ける国なのです。そして、そういう国だからこそ、こうしたスーパースイマーが登場してくるのでしょう。
 選手層の絶対的な厚さが、スーパースイマー登場のベースになっていることは、間違いないと考えます。

 我が国でも、ミュンヘン・オリンピック100m平泳ぎの田口信孝選手や女子100mバタフライの青木まゆみ選手、1988年ソウル・オリンピックの100m背泳ぎの鈴木大地選手、1992年のバルセロナ・オリンピックの女子200m平泳ぎの岩崎恭子選手、の金メダル獲得の頃は、特定の天才スイマーによる、特定の種目での金メダルというイメージがありました。(本当は、幅広い選手層から生み出された金メダルであったのでしょうけれども)

 21世紀に入り、北島康介選手のオリンピック2大会連続2冠や、松田丈志選手の自由形・バタフライを股にかけた大活躍などを観て、我が国の水泳界のレベルが相当に高くなったことを実感しました。
 「日本にも、マーク・スピッツやマイケル・フェルプスのような選手が現れるのではないか」と秘かに期待していたのです。

 そして、今年の日本選手権大会に萩野公介選手が登場したのです。萩野選手は、身長175㎝とソープ選手やフェルプス選手の様な大型スイマーではありませんが、素晴らしい泳ぎを魅せてくれます。そのフォームと技術は、世界トップクラスのものだと思います。
 加えて、萩野選手がフェルプス選手を目指すために、心強い点がもう一つあります。強力なライバルの存在です。

 フェルプス選手には、同じアメリカにライアン・ロクテ選手というライバルが居ます。ロクテ選手も2012年のロンドン・オリンピックで金メダル2、銀メダル1の好成績を残している個人メドレー種目を得意とするスイマーです。

 萩野選手にとってのロクテに当たるのが、瀬戸大也選手でしょう。今回の日本選手権の200m個人メドレー競技において、萩野選手は前の競技から40分後にレースに臨み、1分55秒74という、それまでの記録を1秒以上縮め、世界歴代6位に相当する驚異的な日本新記録で優勝したのですが、その時の2着が瀬戸選手でした。そして、瀬戸選手も、前の200mバタフライ決勝で松田選手を抑えて2着でゴールしてから30分後に、このレースに臨んでいたのです。

 共に、素晴らしい能力と回復力を持つ同世代のライバルです。萩野選手だけが突出して凄いのではなく、複数の泳法をマスターしている高いレベルのスイマーが、同世代に二人居るというのが、現在の日本水泳のレベルの高さを明確に示していますし、頼もしい限りなのです。
 切磋琢磨することで、是非、日本のフェルプスとロクテになって欲しいと思います。

 それにしても、北島康介、入江陵介、萩野公介と続くと、強い日本人スイマーには「介」の文字が入った名前が多いことになります。これから、お子さんを世界的な水泳選手にしたいと思っている親御さんは、命名の際に十分に考慮する価値がありそうです。
 今シーズンの欧州サッカークラブチームNO.1を決める、UEFAチャンピオンズ・リーグCLのベスト8の戦いが行われ、バイエルン・ミュンヘンとボルシア・ドルトムントのドイツ勢2チーム、レアル・マドリードとFCバルセロナのスペイン勢2チームの計4チームが勝ち残りました。

 本ブログでは、ベスト8の戦いの中でも最も注目すべきカードとして、パリ・サンジェルマンPSG対FCバルセロナを挙げましたが、予想に違わぬ激戦が展開されました。
 まず、4月3日にPSGのホームで行われた第一戦は、2対2の引き分け。第二戦、バルセロナのホームで行われたゲームも、1対1の引き分けと両チーム譲らず、アゥエイゲームでのゴール数で勝ったバルセロナがベスト4進出となりました。昨シーズンに続いてのベスト4です。

 今季、豊富な資金を背景に、イブラヒモビッチ他のスター選手を獲得し、急速に力を付けた新興勢力の代表PSGと、過去7年以上に渡って世界のサッカーをリードしているFCバルセロナの戦いは、ゲームの勝敗という意味では引き分けでした。大魚を逸した形のパリ・サンジェルマンですが、これから当分の間、欧州そして世界のサッカー界を席巻するクラブとなるような気がします。

 一方、さすがにバルセロナです。チームとして絶好調とは言えない状態だったと思いますが、負けずに駒を進めました。ある意味では「勝ち慣れているチーム」ですから、今後コンディションを上げて来ると思います。

 その他のカードです。

 レアル・マドリードとトルコのガラタサライは、レアルがホームで3対0と完勝し、アゥエイゲームを2対3で落としたものの、形としては余力を残して勝ち上がりました。これも、昨シーズンに続いてのベスト4です。

 バイエルン・ミュンヘンとイタリアのユベントスのカードは、現在両国リーグの首位を走るチーム同士の対決となりました。最近やや元気がないイタリア・セリエAですが、現在のイタリアサッカーの顔ともいえるピルロ選手を擁するユベントスですから、好ゲームが期待されました。

 しかし、結果はバイエルンの完勝。ホーム・アゥエイの2試合とも2対0と圧倒しました。バイエルンサッカーの特徴である豊富な運動量に物を言わせて、前線からの執拗なプレスの継続で、ユーベそしてピルロ選手に攻撃の形を作らせませんでした。

 加えて、ゴールキーパーのブフォン選手を始めとして、現在のイタリア代表ディフェンス陣そのものといえるユーベの守りを、完全に突き崩したバイエルンの攻撃力は素晴らしいものでした。

 バイエルン・ミュンヘンも、昨年に続いてのベスト4進出。地元のブンデスリーガでも、史上最速で優勝を決めるなど、昨年以上の強さが感じられるチームとなっています。

 ベスト8最後のカードは、ボルシア・ドルトムントとスペインの3チーム目マラガです。ドルトムントは、アゥエイゲームを0対0の引き分けで凌ぎ、ホームゲームで3対2とマラガを振り切り、ベスト4に進出しました。

 この勝ち上がった4チームを観ると

① FCバルセロナ、レアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘンの3チームは、2季連続のベスト4進出です。もちろん偶然では無く、この3チームは、現在欧州を代表する実力を備えた3チームであることは間違いありません。毎週行われる自国リーグのゲームと、自国のカップ戦のゲームと、そしてUEFA-CLのゲームという、過酷なスケジュールの中、番狂わせも多いサッカーという競技において、毎シーズン好成績を挙げ続けるというのは大変なことです。
 選手層の厚さはもちろんとして、コーチングスタッフの能力も相当に高いものと思います。

② スペイン・リーガエスバニョーラから2チーム(ベスト8までならマラガを含めた3チーム)、ドイツ・ブンデスリーガから2チームが、ベスト4に進出したのも、偶々ではないと思います。
 やはり、本ブログでも何度か書いていますが、現在の欧州主要リーグを比較すれば、最もレベルが高いのがスペイン・リーガエスバニョーラ、次にレベルが高いのがドイツ・ブンデスリーガであることを、如実に示している事象だと思います。

 さて、ベスト4のカードは、バイエルン・ミュンヘン対FCバルセロナ、レアル・マドリード対ボルシア・ドルトムントとなりました。

 勝敗予想は、とても難しいのですが、まず、レアル対ドルトムントについていえば、6分4分でレアルが優位にあると思います。今CLの1次リーグでも、この両チームは同じ組でした。そして、その時はドルトムントが1勝1分けでレアルを上回りましたが、当時のレアルは故障者も多く、メンバーが揃っていませんでした。好調なエース、クリスティアーノ・ロナウド選手を始めとして、メンバーが揃った現在、地力ではレアルが上回っていると観ます。

 但し、ドルトムントというチームは、言葉は悪いのですが「乱暴な攻撃」を得意としていて、ゲッツェ選手やレバントフスキ選手を主体として、ピッチを大きく使い、スピード十分な攻めを展開します。相手チームからすると「まさかこんな形では来ないだろう」と思わせるという意味では「意外性十分な攻撃力」を備えているのです。
若い選手も多いので、ゲーム序盤で得点するようなことがあると、レアルといえども苦戦は免れません。

 もうひとつのカード、FCバルセロナ対バイエルン・ミュンヘンは、これは「真に互角」でしょう。スピード豊かな波状攻撃・カウンター攻撃を得意とするバイエルンと、華麗なパス回しから相手チームの隙を付いたラストパスを繰り出すバルセロナという、タイプは全く異なる両チームです。
 世界最高水準の素晴らしいゲームが展開されることと思いますが、少し気になるのは、バルセロナのプレーヤーにベテランが多くなってきている点です。さすがに、7年以上に渡って世界トップレベルを維持してきた中心選手達にも、やや疲れが見える感じがします。

 ベスト4の戦いは4月24日から、ホーム&アゥエイ方式で行われます。

 そして、決勝戦はワンマッチ方式です。今季の決勝戦会場であるサッカーの聖地ロンドン・ウェンブリースタジアムのピッチに、5月25日に立っているのは、どの2チームなのでしょうか。
 2013年4月21日京都競馬場芝外回り1600mコースで行われる、第44回読売マイラーズカップ競走G2の注目馬です。

 春のマイル王決定戦G1安田記念に向けて、古馬一線級が顔をそろえるレースです。今年も実績馬・上り馬18頭が挑んできました。
 前走で突然ダートG1フェブラリーSに挑み大敗したカレンブラックヒルの取捨選択が、レース検討のポイントとなります。

 注目馬の一番手は、6枠12番のダノンシャーク。昨年のこのレースの2着馬です。前走G3京都金杯の末脚は見事でした。走破タイム・上り3ハロンのタイムも優秀。少しレース間隔を空けた方が良いタイプだと思いますので、3か月振りのスケジュールもピッタリだと考えます。Cルメールの手綱さばきにも注目です。

 注目馬の二番手は、1枠2番のクラレント。2歳時のG2デイリー杯優勝以来、やや本格化に手間取った感じですが、前走G3東京新聞杯で名立たるマイラー達を退けたレース振りを観ると、ようやく馬がパンとしてきた感じです。粘り強い末脚が持ち味ですので、このレースでもゴール前の競り合いで力を発揮してくれるでしょう。

 注目馬の三番手は、4枠7番のファイナルフォーム。前々走のG1マイルCSはさすがに力負けでしたが、前走G2阪神カップでは脚を余らせてゴールした感じで、1400mでは少し短かったのかもしれません。このところ好調の美浦調教馬、デムーロの兄弟丼の可能性も感じさせます。ゴール前20mで突っ込んでくるのは、この馬かもしれません。

 間違いなく大混戦のレースですが、以上の3頭に注目したいと思います。

 カレンブラックヒルは、前走の精神的疲労からの立ち直りに1~2レース必要な感じがします。
 2013年4月21日東京競馬場芝2000mコースで行われる、第48回サンスポ賞フローラステークス競走G2の注目馬です。

 牝馬のクラシックレース第二弾G1オークス出走を目指す馬達の、最後のトライアルレースです。例年「遅れてきた馬」が活躍する波乱含みのレースですが、今年も実績馬と上がり馬18頭のフルゲートとなりました。

 注目馬の一番手は、1枠2番のスイートサルサ。これまで1600mのレース経験しかない点が気になりますが、デュランダルの産駒で2011年のオークスを制したエリンコートとイメージが重なります。このレースで本格化と行きたいところです。

 注目馬の二番手は、6枠12番のデニムアンドルビー。ようやく使える体になってきた感じでしょうか。3歳牝馬界でのディープインパクト産駒の活躍が続いています。430㎏前後と小柄ですが、ディープ産駒牝馬の特徴が良く出ていると思います。

 注目馬の三番手は、8枠18番のテンシンランマン。馬名が気に入っています。大外枠は不利ですが、気にせず走ってくれるでしょう。ハーツクライ+サクラユタカオーの血統に期待します。

 例年、意外な馬が突っ込んでくるレースですが、今年はこの3頭に注目します。残り100mまでは、横一線のレースになりそうです。
 NHK「テレビが映したスポーツ60年」という番組がありました。BS1の番組でした。これまで、テレビで放送されたスポーツの名シーンを集めたものです。初めて見るシーンは、ほとんど在りませんでしたが、思い出を確認するには十分な内容でした。

 3部構成でしたが、第2部の「野球・野球・野球」が特に面白かったと思います。日本プロ野球の黄金時代が映し出されていました。

 江夏豊投手とONの対決。シーズン最多奪三振記録354個目の三振を奪う機会は、江夏の公言していた通り王貞治選手との対戦となりました。三振を取った球は、高めのおそらくボール球でしょう。あの球を、あの王選手が振ってしまうのです。全盛時の江夏投手の球の凄さを感じさせる映像です。
 一方の長嶋茂雄選手ですが、江夏との対戦での三振のシーンは、全くタイミングが合っていませんでした。誰に言わせても天才と呼ばれる長嶋が、当てることさえできない江夏のボール。驚異的というか、凄まじいとしか言いようのないものです。

 ゲストは張本功氏でした。良いコメントが、数多く述べられました。さすがに、本物の技術を持ち、日本プロ野球の最多安打3085本の大記録保持者です。
 「金田さんのボールはね、途中で止まって見える。錯覚ですよ。そこから捕手のミットまでのスピードが凄いんですよ」と。なるほど、それは打てない、本物のスピードボールとは、そういうものなのだろうと思いました。グラウンドで、生で観てみたかったものです。

 張本氏は、当時のプロ野球人気に付いて「昭和30年代、40年代は、野球と相撲しかなかったから」とコメントしました。なるほど、そこから「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が生まれたのでしょう。しかし、私はそれだけではなかったと考えます。
 「素晴らしいプレーが多かった」のです。お金を払っても見たいと思わせるプレーが多かったのです。

 現在の日本プロ野球のプレーが詰まらないと言っているのではありません。その時代その時代の価値観の違いにマッチした価値在るプレー、観客に感動していただけるプレーという意味です。あの時代の長嶋や王や金田や野村や江夏や福本や張本のプレーは、あの時代の日本人の琴線に触れるものだったのでしょう。

 これまで何度も映し出された長嶋選手引退のシーンも映し出されました。有名な「巨人軍は永久に不滅です」という言葉の後に「長い間、皆さん本当にありがとうございました」と締めくくっています。あの大スター、ミスタープロ野球、日本プロ野球史上最高のプレーヤーが、丁寧な言葉でファンへの感謝を述べたのです。

 長嶋選手が日々感じていたことなのでしょう。プレーヤーと観衆、お互いが感謝の気持ちと敬意を持って交流する。プロスポーツの原点がここにあります。
 ゴール前の競り合いを制したのはロゴタイプでした。ミルコ・デムーロ騎手の冷静な騎乗振りが目立ったレースだったと思います。

 2013年4月14日、中山競馬場で行われた第73回皐月賞では、二つの記録が達成されました。

 ひとつ目は、レースレコード1分58秒0です。好タイムです。昨年までの72回のレースで、1分59秒を切っているのは、2002年のノーリーズンの1分58秒5と2004年のダイワメジャーの1分58秒6の2回だけです。
 走破タイムは馬場状態にも影響を受けるのですが、皐月賞に関しては「展開」がポイントです。ゴール前の末脚勝負に賭けようとする馬が多い年は、どうしても前半の1000mが60秒を超えてしまい、結果として2分前後のタイムになりやすいのです。2011年のオルフェーヴルでも2分00秒6かかっています。

 この第73回のレースは、前半の1000mが58秒前後と、近年としてはとても速いタイムで通過しました。緩みのないペースでしたから、「上がり3ハロン・600mは36秒前後の勝負になる」と思いました。結果として、上がり3ハロンは35秒9でした。「4角からよーいドン」のレースではなく、道中も脚を使わなければならない展開ですから、現時点の各馬の地力通りの結果になりやすいレースとなった訳です。

 そして、ふたつ目の記録が生まれました。それは、1~4着が、1~4番人気の順番通りとなったという点です。これは、非常に珍しい記録だと思います。特に、クラシックレースにおいて、4着まで人気順通りの結果というのは、記憶にありません。

 それも、単勝人気で10倍を切っていたのが、1着ロゴタイプ、2着エピファネイア、3着コディーノ、4着カミノタサハラの4頭だけだったのですから、ファンの皆さんの慧眼に感服いたします。

 さて、ロゴタイプが1冠目を制しました。2歳時最高のレースG1朝日杯FSを制して、3歳クラシックレース初戦の皐月賞を制したのですから、この実力は本物と言わざるを得ません。その自在の脚質、騎手の指示通りに走る素直さを勘案すれば、日本ダービーも、この馬が中心となるでしょう。

 そして、レースを通してかかり気味であったエピファネイア、直線入り口で前が詰まる不利があったコディーノ、エンジンのかかりが遅かったカミノタサハラの、今後の巻き返しも十二分に期待出来ます。
 
 多士彩々の日本ダービーが、今からとても楽しみです。
 2013年4月12日、ニューヨーク・ヤンキースとボルチモア・オリオールズのゲームが、ヤンキースタジアムで行われました。

 この試合の観客席の寂しいことに驚きました。1/3も入っていないでしょう。熱狂的なファンが多く、地域性が強いMLBにおいて、全米中にファンが居る数少ないチームのひとつであり、メジャーリーグを代表するチームであるヤンキースの、レギュラーシーズン開幕間もないゲームです。
 そのゲームの観衆が、驚くほど少ないというのは、信じられないような光景です。

 前の稿にも書きましたが、ファンは現在のヤンキースに全く満足していない、認めていないことの証左だと思います。
危機的な状況だと思います。

 試合は、5対2でヤンキースが勝ちましたが、見所と言えば8回のトリプルプレー位。決勝点は、考えられないようなボルチモアのセンターフィールダー名手ジョーンズのエラーでした。

 7番で先発したイチロー選手は、今日もヒットが出ず、打率も0.161と冴えませんが、私は、イチローの調子は悪くないと観ています。バットがグランドと水平に出てきていますので、少しバットヘッドが回り道をして出ているように観える点が修正されれば、固め打ちも出始めることでしょう。

 何か寂しいゲームでしたが、ボルチモアのベンチにショーウォルター監督を観ることができたのは、良かったと思います。

 バック・ショーウォルター監督、1956年生まれの56歳。1977年のドラフトでヤンキースから5順目に指名を受け、7年間ヤンキース傘下のマイナー球団でプレーしましたが、ついにメジャーデビューは出来ませんでした。
 その後、指導者の道に入り、1985年から1989年までマイナー球団の監督を務め、1990年から1991年にかけてヤンキースのコーチを経験した後、1991年10月に、ヤンキースの監督に就任しました。

 1995年シーズンには、ヤンキースをワイルドカードプレーオフに導きました。実は、この時ヤンキースがプレーオフに進出したのは1981年以来の事でした。名門・常勝と言われるヤンキースにも、14年間に及ぶ長い低迷期があったのです。そして、その低迷期からヤンキースを復活させたのが、ショーウォルター監督ということになります。

 その後、1998年から2000年にはアリゾナ・ダイヤモンドバックス、2003年から2006年はテキサス・レンジャーズ、そして、2010年からはボルチモア・オリオールズの監督に就任しています。
 
 これは、とりもなおさず、ショーウォルター氏がMLBの監督としてのレベルを維持し続けている、つまり「MLBの監督」であることを示しています。当たり前のことを書くようで恐縮ですが、MLBにおいては、MLBのレベルにあるプレーヤーと監督が、ゲームを展開しています。複数の球団を転々としながらプレーを続ける選手、そして監督が数多く存在します。ひとつの球団で、現役生活を全うするプレーヤーの方が、遥かに少ないのです。

 そういう意味では、MLBのプレーヤーや監督は、世界最高水準の舞台で活躍する名優ということができると思います。個性豊かな実力者俳優陣が集う世界が、MLBなのでしょう。俳優といっても、華やかな主役が得意な人も居れば、渋い脇役で力を発揮する人も居ます。共通しているのは、それぞれの得意分野での実力が極めて高いという一点でしょう。

 バック・ショーウォルター監督が過去に指揮した、ヤンキース、ダイヤモンドバックス、レンジャーズの3チームは、いずれも次の監督の時代になってから、ワールドシリーズに進出しています。そういう意味では、ショーウォルター監督は用兵や試合の進め方というよりは、「チーム造りが上手く、チームを再建する能力が極めて高い」監督といえるのでしょう。
 名監督と呼ばれる所以ですし、まだまだMLBという舞台での活躍の場は、これからも沢山あるのだと思います。
 2013年4月12日のテキサス・レンジャーズとシアトル・マリナーズの試合は、ダルビッシュ有投手と岩隈久志投手の両日本人投手が先発しました。そして、二人とも好投を魅せました。

 ダルビッシュは、初回のみ不出来な投球でした。死球でランナーを出し、ボールを置きに行ったところをヒットされるという悪循環。いきなり3失点してしまったのです。
 前の試合から「右手薬指の怪我」が指摘されていましたから、この試合でも右手に違和感があり、微妙なコントロールに難があるのかもしれないと思わせました。

 ダルビッシュは、2回の投球でも先頭打者に死球、続く打者にも四球を与えて、無死1・2塁の大ピンチを迎えてしまいます。
 しかし、ここからの投球は圧巻でした。2連続三振を奪い、この回を0点で抑え込むと、以降6回まで、1本の安打も1つの四球も許しませんでした。スライダーが効いていたと思います。
結局6イニングを投げて108球、3被安打、四球1、死球2、三振8の内容。3失点を喫しましたが、負け投手の投球内容ではなかったと思います。

 昨年、デビュー年のダルビッシュは、四球でランナーをためて痛打を浴びるというパターンで自滅することが多かったのですが、さすがに今シーズンは変わりました。メジャー球にも慣れ、自らの投球技術に磨きをかけ、何よりも精神的に安定した感じがします。自信を持って投球しているのでしょう。簡単には、大崩れしないのです。
 素晴らしいことだと思います。もともと、基礎的な能力は極めて高いプレーヤーですから、今シーズンの大活躍が期待できます。1年間という時間をかけて、MLBプレーヤーになったという感じでしょうか。

 一方の岩隈投手は、昨シーズン後半に身に付けたMLB仕様の投球術に安定感が増した感じです。6と2/3イニングを投げて90球、3被安打、四球1の内容。ホームランで1失点しましたが、ストレートとスプリッターを低めに集める見事な投球でした。1四球に表れているように、コントロールもとても良かったと思います。

 岩隈投手の課題は、シーズンが進んでいった時の体力面でしょう。これは、現時点では観えないところですが、プレシーズンに十分なトレーニングを積んでいるものと思いますので、こちらも大活躍が期待できます。

 試合は、3対1でシアトルが勝ち、岩熊が勝ち投手となりました。これで岩隈投手が2勝0敗、ダルビッシュ投手が2勝1敗です。
 そして、MLBにおける通算10度目の日本人投手対決は、32歳のバースデイを岩隈投手が自らお祝いした形になりました。

 二人の日本人投手が、共に良い投球、昨シーズンから一段と成長した姿を魅せてくれたことは素晴らしいことです。今シーズンのMLBが、一層楽しみになりました。
 2013年4月10日から4月14日にかけて、新潟県長岡市で第89回日本選手権水泳競技大会が開催されました。
 今夏の第15回世界水泳選手権大会(スペイン・バルセロナ)への代表選考会を兼ねた大会でしたが、この大会の会場内の雰囲気、競技内容等から、現在の日本水泳界の充実振りが存分に感じられました。

 最初に、(公財)日本水泳連盟を始めとする、日本の水泳競技の発展・強化に携わっている全ての皆さんに敬意を表したいと思います。私は、その体制の詳細は知らないのですが、この大会を観させていただき、素晴らしい体制が組まれ、稼働していると確信しました。そして、今の日本水泳は間違いなく世界トップ水準にあると思います。

 それぞれの種目で、見事な競技が展開されましたが、典型的なレースとして4月13日に行われた男子200mバタフライを採り上げます。

 この種目には、昨年のロンドンオリンピックの同種目銅メダリストの松田丈志選手(28歳)が大本命でした。松田選手は、2008年から現時点まで、男子バタフライ競技において我が国を代表するスイマーとして君臨して来ました。そして、これまでの日本水泳界であれば、オリンピックメダリストは当然に日本選手権大会で楽勝するものなのです。

 とはいえ、自身のコンディションや他の大会で何か感じるものがあったのでしょうか、松田選手は予選を5位で通過しました。体力を温存した感じです。決勝は2コースでした。

 一方、若手・伸び盛りの選手たちは、日本の大エース松田選手に挑戦する立場ですから、予選からキッチリと泳ぎ、好タイムをマークして決勝に進むものです。千葉の平井選手が4コース、愛知の安江選手が5コースを泳ぐこととなりました。松田選手への挑戦者一番手、二番手という形です。

 レースが始まりました。世界大会では、マイケル・フェルプスらを相手に後半勝負に持ち込む松田選手が、このレースでは先行しました。150mを1分25秒01でクリアし、二番手スイマーに0.3秒近い差を付けました。
 ラスト50mの強さに定評がある松田選手ですから、これで快勝というところですが、私には、その泳ぎに全く余裕が感じられませんでした。

 「抜かれるかもしれないな」と思った瞬間、1コースの小堀勇氣選手(19歳、千葉)がグイっと出ました。そして、6コースの瀬戸大也選手(18歳、埼玉)も追い上げます。
 小堀選手が1分55秒51でゴールして1着、2着は瀬戸選手、松田選手は3着でした。

 私が、このレースを凄いと感じた理由は

① 実力十分のベテランと伸び盛りの若手が、同じレースで激戦を繰り広げたこと。両者には10歳前後の年齢差がありましたが、両者とも堂々と互角の勝負を展開しました。各世代における強化策が見事に実っています。

② 若い小堀・瀬戸の両スイマーも、決勝に向けて体力を温存したのか、1と6レーンという「良くはないコース」を泳いでいます。この若さにして、試合経験十分という感じがします。ちなみに、瀬戸選手には、このレースの30分後に、200m個人メドレーの決勝が控えていました。

③ 小堀選手は千葉、瀬戸選手は埼玉の所属です。特定の学校・スイミングクラブの選手だけが強いのではなく、日本中様々な地域・組織で、着々と強化が進められていることを感じさせました。

 いかに、オリンピックの翌年で松田選手のコンディションが今一つだったとしても、二人の若手選手が、世界トップクラスのベテランスイマーに完勝したことは、日本競泳界のこの種目のレベルの高さ、層の厚さを如実に示しています。松田選手も、このまま引き下がるとは到底思えませんので、ベテラン・若手が切磋琢磨して、一層の底上げが図られることでしょう。
 凄いことです。

 21世紀に入ってからの日本水泳の強さには、目を見張るものがあり、昨年のロンドンオリンピックでも沢山のメダルを獲得しました。それも、北島浩介のような特定のエースに頼っての成績では無く、広範な種目で好成績を連発したのです。こうした、日本水泳の要因は、何なのでしょうか。

 「5~6歳くらいの時から、沢山の子供が水泳に親しんでいるからなのか」と、ある水泳競技経験者に尋ねたことがあります。すると彼は「いや、少なくとも1970年頃、今から40年位前から、スイミングスクールは子供で一杯だったよ」とコメントしました。

 そうすると、日本水泳全体がメキメキと力を付け、世界に伍して戦えるようになったのは21世紀に入ってからですから、必ずしも競技人口の増加・底辺の広がりのみが、この活況の要因ではないことになります。

 おそらく、学制に沿っていえば、小学生未満、小学生低学年、小学生高学年、中学生、高校生、大学生といった各世代で、それぞれに効果的なトレーニングが施され、各世代の指導者間の情報交換も積極的に行われ、そのことが全国展開されている、ということなのだろうと考えています。

 そして、前述のような体制を創ることは、容易なことでは無く、一朝一夕にはいかないものだとも思います。このことを実現し、年々充実させてきた日本水泳関係者の皆さんは、本当に素晴らしいと思いますし、私達にこのように素晴らしい競技会を提供していただけることに、心から感謝申し上げる次第です。

 レース前の選手紹介で名前を呼ばれた時の各選手のにこやかで真剣な眼差し、競技終了後の態度(勝って大騒ぎするわけでもなく、負けて大嘆き?するわけでもない)、競技会場の観客席で、先輩・後輩と思しき若手スイマーが競技を観ながら熱心に語り合う姿、同僚に対する明るく懸命な応援、などなど、新潟・長岡の大会会場で見られる様々な光景が、日本水泳界の隆盛の雰囲気を醸し出しています。

 この日本水泳界の運営体制・取組方法は、我が国における、各競技スポーツ、ひいては健康増進や趣味としてのスポーツをも含めた全体としての各スポーツの展開・運営・強化の、ひとつの手本とすべきものだろうと思います。
 マスターズ・トーナメント3日目の朝、タイガーにマスターズ委員会から電話がかかりました。「あまり良い電話ではないだろう」とタイガーは感じたそうです。

 前日2日目の15番ホール・パー5、タイガーの第三打はピンを直撃し、弾かれて池に落ちました。タイガーはボールをドロップし、打ち直し(第5打)て、このホールをボギーに収めました。
 そして、2日目のプレーを終えて、2日間トータル3アンダーとしたのです。

 しかし、マスターズ委員会との協議の結果「2日目15番ホールのドロップの仕方に問題があり、2打罰とする」旨の裁定が行われ、タイガーのスコアは1アンダーに訂正されたのです。

 こうしたペナルティーの取り扱いは、トーナメントにおいて時々起ることなのですが、その処置に「翌日までかかる」というのは、珍しいことだと思います。なにしろ、2日目の当該ホールにもオフィシャルの担当者が居た筈で、この対応を見て問題ありと判断すれば、その場で指摘することができたと思うからです。この居た筈のオフィシャルの責任は、どうなったのでしょう。

 3日目のラウンドを2アンダー、トータル3アンダーで終えたプレー後のインタビューで、この事態が3日目のプレーに影響があったかという問いに答えて「最初の頃は、ありました。短いパッティングを2~3回外してしまいました」と答えていました。

 この2013年4月12日のマスターズ・トーナメント、15番ホールのタイガー・ウッズのプレーは、ややツキが無かった、そしてスコアには大きなマイナスとなりました。

① アプローチショットの第三打は完璧なショットでした。テレビ解説プロの中島常幸の「完璧なショットでした。ボールがピンの1㎝横を通っていれば、ベタピンだったでしょう」というコメントからも解るように、本来ならこのホールはバーディ、4打でホールアウトするはずだったのです。

② ところが、ピンを直撃し弾かれて池に落ちてしまいました。1打罰で5打目を寄せて、何とかボギー、6打でホールアウトしたのです。この事態が、このままで完了したとしても、タイガーは2打を失ったことになります。


③ ところが、ところが、2日目は、この処置で良しとされていたものが、3日目の朝になって、池に落とした後のドロップに問題があるので2打罰が付され、このホールは8打・トリプルボギーとなりました。

④ 以上をまとめると、本来4打・バーディーであったものが、8打・トリプルボギーとなったわけですから、スコアを4打悪化させる影響があったことになります。

 タイガーは3日目を3アンダーで終えたわけですから、この4打を考慮すれば7アンダー、つまり現在トップのブラント・スネデカー、アンヘル・カブレラと同じスコアということになります。

 当たり前のことですが、タイガーが3日目のプレーを1アンダーでは無く、3アンダーでスタートしていた場合に、必ずしも7アンダーで3日目をプレーを完了できたかどうかは分かりません。10アンダーの単独トップだったかもしれませんし、イーブンパーであったかもしれません。

 いずれにしても、2日目のプレーを3アンダーで終えたプレーヤーが、3日目のプレーをイメージしながら、ラウンド後の練習を行い、就寝前には3アンダーであることを前提に、上位の選手をどのように追いかけて行くかをイメージしていた筈です。

 ところが、翌朝「あなたは、1アンダーです。」と言われたのですから、前日の練習・イメージトレーニングは白紙に戻されたわけです。どんなプレーヤーでも多大な影響を受けるであろうと思います。

 私には、タイガーは3日目のプレーの後半には、気持ちを立て直したように観えました。15番ホールを、イーグル逃しのバーディーとし、トータル3安打とした後の、16番、17番、18番の各ホールではピンチがありましたが、良く凌ぎました。特に、18番ホールのパーセーブは、強い精神力が無くでは出来ないことであったと考えます。

 何か「タイガー・ウッズにとって初めての、メジャートーナメント逆転勝ち」の可能性を感じさせるものでした。
 有名なことですが、これまでのタイガーのメジャー14勝は、いずれも最終日単独トップか、トップタイでスタートしたものでした。逆転勝ちは1度も無いのです。

 そして、メジャートーナメントというのは、実は3日目にトップか、トップから2打差以内の上位の選手が優勝する可能性が、極めて高いのです。
 これは当然のことです。何故なら、とても難しいセッティングのコースに対して、世界最高水準の複数のプレーヤーが束になって挑むのですから、ひとりだけとても良いスコアを出して大逆転するなどということが、ちょくちょく起こる筈がないのです。
 前にも書きましたが「メジャートーナメントの大逆転は、『単独で』大きなリードを持って最終日をスタートしたプレーヤーが、自滅しスコアを大きく崩した時」にのみ、起こり得ることなのです。

 今大会も、7アンダー、6アンダー、5アンダーの選手が沢山いますから、3アンダーの選手が逆転することは、不可能に近いことです。優勝は、7~5アンダーの選手の間で争われることでしょう。

 しかし、今回のタイガー・ウッズの3日目上がり3ホールのプレーからは「奇跡の空気」を感じるのです。
 タイガー・ウッズの新しい伝説の創造に、期待しています。
 2013年の第77回マスターズ・トーナメントも美しい舞台で激戦が展開されています。今年は、ラフがやや長いセッティングになっています。こうしたセッティングの年は、グリーン周りの斜面の芝が刈り込まれていませんから、通常なら池に転がり落ちてしまうようなミスショットでも、ラフに救われる場合が出てきます。
 
 マスターズ・トーナメントでは、ラフが長い年の方がスコアが伸びることがあります。通常のトーナメントとは反対の傾向です。最終日の勝負どころで、12番のパー3の池や13番パー5のクリークなどで、いつもなら落ちてしまうボールがギリギリ止まるといったシーンが見られそうな気がします。

 マスターズでは、これまでも様々な素晴らしいゲームが繰り広げられてきました。挙げて行くとキリが無い程ですが、本稿では1987年の大会を見てみたいと思います。

 この年は、全体にスコアが伸びず、72ホールをプレーし終わって、セベ・バレステロス、グレグ・ノーマン、ラリー・マイズの3選手が3アンダーで並び、プレーオフに突入しました。プレーオフは10番ホールからのサドンデスプレーです。

 セべ・バレステロス、グレグ・ノーマン、ラリー・マイズの3選手を比較すれば、この当時であれば、実績ではセベが優勢。この年までに、既にメジャートーナメントに4勝(マスターズ2勝、全英オープン2勝)していましたから、この頃の世界最強プレーヤーであったと思います。思い切りの良いショットが特徴で、トラブルからのリカバリーなどは、信じられないようなテクニックを度々魅せていました。
 スペイン生まれの陽気なプレーヤーで、ショット前後の仕草にも躍動感が溢れていましたし、親日家で日本オープンでも2勝していますから、日本のファンにも馴染の深いプレーヤーでした。
 残念ながら腰を痛めたために、本来ならば全盛時を迎える30代半ば位から、急速にトーナメントに勝てなくなってしまいました。

 19歳で欧州賞金王となり、22歳で全英オープンに優勝、そして当時の最年少記録であった23歳でマスターズ・トーナメントを制したときには、「天才」の名を欲しいままにしたプレーヤーでした。
 故障なかりせば、史上最強プレーヤーの一角を占める実績を残せたものと考えています。

 また、オーストラリアのグレグ・ノーマンは、前年1986年の全英オープンでメジャー初優勝を飾り、全盛時を迎えていました。こちらは豪快なスイングとアグレッシブなプレーが特徴でした。
 4大メジャートーナメントには不思議と縁が薄く(2位が8回もあります)、全英オープンに2度優勝しているだけですが、PGAツアー18勝、欧州ツアー20勝を始めとして、世界中のトーナメントで活躍、世界ランク1位を331週間に渡って維持(タイガー・ウッズに次いで史上2位の記録)するなど、「ホワイト・シャーク」の愛称で、トッププレーヤーとして長く君臨しました。
 日本ツアーでも、中日クラウンズと三井住友VISA太平洋マスターズの二つのビッグトーナメントで優勝しています。

 前述の2人に比べると、3人目のプレーオフ進出者、アメリカのラリー・マイズは、実績・人気共に見劣りする点は、止むを得ないところでした。プレー振りも、前述の2人に比べれば冷静・沈着、別の言い方をすれば「地味」なプレーヤーでした。
 マイズに有利な点があるとすれば、出身がアメリカ・ジョージア州オーガスタという、地元中の地元「ザ・ホームの大会」ということぐらいでした。

 従って、プレーオフに入った時には、多くのパトロンやテレビを見ていた(私の様な)世界中の視聴者は、セベとノーマンの争いだろうと観ていたと思います。

 しかし、最初の10番ホールでセベ・バレステロスはボギーを叩き、あっさりと脱落しました。

 続く、11番ホールは有名な「アーメン・コーナー」の最初のホールです。ティーインググランド方向から見て、グリーンに被さるように左側に大きな池があり、グリーンが池に向かって相当な角度で傾斜しています。従って、プレーヤー達は第二打をグリーンの右端に向かって打っていきます。池には絶対に入らないようにするのです。当時は、グリーンの右側に少し外すショットでも、十分に許容範囲内というホールでした。

 さて、ノーマンとマイズによるプレーオフが続きます。

 マイズのセカンドショットは、グリーンの右奥に大きく外れました。距離が合わなかったというか、やや大きめに打っていくことで、絶対に池に入れまいというショットだったかと思いますが、それにしても大きすぎた感じで、ピンまでは40ヤード前後はあったと思います。

 ノーマンのセカンドショットは、当時のプレーとしては最高のショットに近いもので、グリーン右サイドをヒット、ピン真横15ヤード位のグッドショットでした。ノーマンが圧倒的に有利な状況です。

 マイズのアプローチショットは、とても難しいショットになりました。何しろ、ピンに向かって打っていくということ=池に向かって打っていくことなのです。加えて、グリーンは池に向かって、相当な角度で傾斜しています。アナウンサーと解説者は「絶対に寄らないショット」「少しでも強ければ池まで行ってしまうショット」と再三コメント。絶望的と言わんばかりです。
 
 この頃のTBS東京放送のマスターズ・トーナメント中継のゲスト解説プロは、陳清波(ちん せいは)プロでした。1931年生まれの台湾出身のプレーヤーで、1959年の日本オープンチャンピオン、日本ツアー通算13勝の名選手です。そして、世界への挑戦という意味ではアジア人プロゴルファーの草分け的な存在でもあり、マスターズ・トーナメントに6回も出場しているのです。
 当時のアメリカゴルフ界から見れば、アジア人としては最高のゴルファーという位置付けであったと思います。その頃の台湾のプロゴルフは、日本は勿論として、アジアのゴルフ界をリードする存在だったのです。

 本稿のマスターズ大会が開催された1987年頃は、尾崎・青木・中島といった我が国を代表するプレーヤー達は現役バリバリの頃でしたから、「マスターズ・トーナメントの出場経験が豊富で、解説を行える立場にある日本人プロ」は存在しなかったのでしょう。毎年、陳プロが解説を行っていました。また、「花ある、木ある」といった軽妙な語り口も、味わい深いものでした。
 
 その陳清波プロは「こういう時は、思い切って行くと良い結果が得られます」とコメントしました。グリーンの角度や速さばかりを考えていた時に「思い切って行くと良い」とは、禅問答みたいな話だと感じたことを憶えています。

 プレーオフも2ホール目でしたから、だいぶ暗くなっていた記憶しています。

 ラリー・マイズが、アプローチショットを打ちました。グリーン手前で2バウンドして、グリーンに乗り、ボールは転がります。ピンに向かって真っすぐに転がって行きます。グリーンが池に向かって傾斜していますから、ボールは中々スピードダウンしません。どちらかというと加速しているような感じです。「大きい」と思いましたし「相当ピンをオーバーする、ひょっとすると池まで届いてしまうかもしれない」とも思いました。

 ボールは、そのまま、相当のスピードで、ピンに向かって真っすぐに転がり、ピンを直撃、カップインしました。チップインバーディ!
あれ程のスピードでもピンに弾かれなかったのですから「ピンの芯を食った」のでしょう。まさにミラクルショットでした。

 その瞬間、オーガスタの森には大歓声が響き渡り、ラリー・マイズは両手を握りしめて、何度もジャンプし、喜びを全身で表現しました。普段、物静かなプレー、冷静・沈着をモットーとするマイズとしては、珍しいパフォーマンスでした。生涯唯一のパフォーマンスだったのかもしれません。

 陳プロは「ね、思い切って行くと良いことがあるでしょう」とコメントしています。
 ところが、アナウンサーと解説者は、陳プロの言葉に反応しようともせず、「今のショットは強すぎましたよね」「入らなければ、池まで行っていたでしょう」などと、まるでミスショットであったようなコメントです。

 見事なチップインバーディを目の当たりにしながら「強すぎた」などと、言い訳がましい説明を必死に繰り返している様子は、言葉は悪いのですが、見苦しい限りで、所詮は素人のアナウンサー・解説者であることを、まざまざと見せつけました。みっともないから喋るのをやめてもらいたいと感じたものです。

 おそらく、マスターズ大会史上屈指のスーパーショットであり、「まさにそのショットで優勝が決まった」という意味では、史上最高にスリリングなショットであったわけですから、まずはラリー・マイズのプレーを大絶賛し、陳プロのコメントに敬意を表し、そのコメントを深堀りして行けば、ゴルフの神髄に迫る素晴らしい放送になったと思います。
 テレビ放送史上に残る名放送を展開するチャンスであったにもかかわらず、その機を逃してしまったのです。それどころか、残念な放送として、多くの視聴者の記憶に残ってしまっている可能性があります。

 一方、陳清波プロは、さすがでした。世界の第一線で戦ってきたトッププロの本物のコメントを聞かせていただいたと思いました。「こういう時は、思い切って行くと良い」という心持こそ、最高技術を身に付けたプレーヤーならではの「踏ん切り」なのでしょう。本当の意味は、その高みに立ったことがある人にしか解らない、単純な、しかし味わい深いコメントでした。

 スーパーショットを見せつけられてしまったグレグ・ノーマンは、難しい15ヤード位の大きなフックラインのパッティングに挑みましたが、残念ながら入りませんでした。カップ横を通り過ぎたあと3~4.m池に向かって転がっていました。グリーンが、池に向かって相当に傾斜していることを示していました。

 これで、ラリー・マイズの優勝が決まったのです。

 マスターズ・トーナメントでは、沢山のスーパーショットが生まれてきました。どれもこれも信じられないようなショットばかりですし、本当に素晴らしいショットばかりです。
 しかし、その中でも最も信じられないようなショットが、このラリー・マイズの11番ホール・40ヤードのアプローチであったと思います。

 オーガスタ生まれのプレーヤーに、オーガスタの神がほほ笑んだ「奇跡のショット」でした。
 2013年4月14日、中山競馬場芝2000mコースで開催される、第73回皐月賞競走G1の注目馬です。

 クラシックレースの第二弾。今年も牝馬の出走はありませんが、3歳の牡馬若駒18頭が集いました。フルゲートです。前哨戦各レースの内容を観ると、スバ抜けた力量を示している馬は居ませんので、混戦の雰囲気ですが、大レース程、混戦模様の時には意外に本命サイドで決まることも多いので、レース予想の際には留意したいものです。

 さて、第一の注目馬ですが、6枠12番のコディーノです。ここまでのレース振りを観ると、この世代で最も潜在能力が高いと思います。前走G2弥生賞、前々走のG1朝日杯FSともに、勝ったと思わせたレース展開から、伸びきれなかった感じですが、本来瞬発力が強みの馬ですから、コンディションがいまひとつであったと観ています。
 本番の皐月賞ですから、陣営もキッチリ仕上げてきているでしょう。現時点で世代NO.1であろう実力を発揮してくれるものと思います。

 第二の注目馬は、4枠7番のロゴタイプ。前走G2スプリングS、前々走G1朝日杯FSを見事に制しています。実績ではNO.1です。器用なレースをする馬で、ゴール前の勝負強さが際立っています。レース展開に左右されないタイプですから、安定感は随一でしょう。2着以内に来る確率は高いと思います。

 私は、この2頭の地力が、実は抜けていると考えています。この2頭で決まると思っていますが、もう一頭上げるとすれば、7枠15番のカミノタサハラです。

 ディープインパクト産駒としては珍しい、500㎏を超える大型馬です。ここまで4戦3勝、前走のG2弥生賞もゴール前5頭による大激戦を制しました。飛びが大きく、動きにもキレは無いのですが、じりじりと加速する走りは迫力十分です。
 これまでのディープ産駒とは異なる脚質の馬ですが「底を見せていない」のが魅力です。成長著しい3歳の春です。この1か月間で、大成長を遂げ、体がパンとしてきているようなら、勝負になると思います。

 皐月賞は、以上の3頭に期待しています。混戦の世代と言われていますが、個性豊かで将来性十分な馬が多いように感じています。スピード感溢れるゴール前の叩き合いが、とても楽しみです。
 何か、ゲームソフトのような題名になってしまいました。

 マスターズ・トーナメントが開始されたのは1934年です。全英オープン大会の開始は1860年、全米オープン大会は1895年、全米プロ選手権大会は1916年ですから、マスターズ・トーナメントは、ゴルフの4大メジャートーナメントの中で最も新しい大会です。

 マスターズ・トーナメントの創設者が「球聖と呼ばれたゴルファー」ホビー・ジョーンズであることは有名ですが、実はジョーンズとその友人の実業家クリフォード・ロバーツが二人で企画し、創設した大会でした。
 1934年の第一回大会は「オーガスタ・ナショナル招待選手権大会」という名称でした。そして、1939年の大会から「マスターズ」という名前に変わったのです。大会創設当初、パートナーのロバーツから「マスターズ」の名称使用を提案されていたボビー・ジョーンズは、その名を嫌い、抵抗していたと言われていますが、ついに1939年の大会から現在の大会名になったのです。

 ホビー・ジョーンズは、1902年にアメリカのジョージア州アトランタに生まれました。右利きのゴルファーとして、数々の大会に優勝しましたが、弁護士を職業として生涯アマチュアを貫きました。1930年、ジョーンズが28歳の年、全米アマチュア、全英アマチュア、全米オープン、全英オープンの当時の世界4大大会を、その年の内に全て優勝しました。
 この偉業は「グランドスラム」と尊称されました。現在では、様々なスポーツで「4」にかかわる難しい記録がグランドスラムと呼ばれます(例えば、テニスの4大タイトル優勝やベースボールの満塁ホームランなどなど)が、あらゆるスポーツの中で最初に「グランドスラム」という言葉が使われたのが、このボビー・ジョーンズの偉業だったのです。

 ボビー・ジョーンズは、このグランドスラムの達成を最後に、その1930年にプレーヤーを引退しました。なんと潔いことでしょう。
 しかし、現役引退後も、弁護士業の傍らでゴルフには関係を持ち続けました。自らの故郷であるジョージア州アトランタ郊外のオーガスタ・ナショナル・ゴルフコースの設計、そして、そのコースを使う頭書のマスターズ・トーナメントの創設などです。

 この潔さを観るとき、ボビー・ジョーンズが「マスターズ(名人達)」などという、大袈裟な名称を、自らが主宰する大会に付けることには違和感がありましたが、友人の実業家の強い希望であったということであれば、納得できます。

 このことからも解るように、マスターズ・トーナメント(以下、マスターズ、マスターズ大会とも表記)は、毎年オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブという、同一のゴルフコースで開催されます。他の3つのメジャー大会が、毎年開催コースを変えて行くのとは異なる、マスターズ大会の特徴のひとつとなっています。(とはいえ、他の3大会も、いくつかの選ばれたコースの持ち回り開催ではありますし、オーガスタ・ナショナル。ゴルフクラブのコースも毎年改造が繰り返されてはいますが)

 この「同一コース開催」以外にも、マスターズ大会には、他のメジャートーナメントには無い特徴があります。いくつか挙げてみましょう。

① ラフが無いこと
 「オーガスタにはラフが無い」と言ったのは、1978年にアメリカ人以外のプレーヤーで初めてこの大会に優勝した、南アフリカの名手ゲーリー・プレーヤー選手ですが、フェアウェイとラフの境目は分かりますが、他のメジャートーナメントのように高さ10㎝を超えるような(あるいは全英オープンの様なブッシュ)深いラフは、マスターズ大会が開催されるコース、オーガスタ・ナショナルには存在しません。

 近年、優勝スコアが伸びすぎるのを防ぐという目的からか、開催年によっては多少ラフを伸ばしていることもありますが、それもボールが見えなくなるほどの長さではありませんし、翌年には再び「ほとんどラフが無い状態」に戻されたりします。
 
 近年のマスターズ大会主催者側の好スコア防止策は「コースの長さを伸ばすこと」に力点が置かれているようですから(以前7100ヤード程度だったコースヤーデージが、昨年の2012年には7435ヤードになりました。300ヤード以上、距離が長くなったのです)、「オーガスタにはラフが無い」状態は、今後も続くと思います。そして、このラフの不在こそが、得も言われぬコースの美しさを醸成している要因のひとつだと思います。

② 右ドッグレッグのホールが、ひとつしかないこと
 ボビー・ジョーンズ自身が右利きだったせいでしょうか、それとも当時の道具では正確なドローボールを打つことが難しかったせいでしょうか、オーガスタ・ナショナルには右利きのドローヒッターに有利な「左ドッグレッグ」のホールか、真っ直ぐなホールがホール・バイ・ホール続きます。唯一の右ドッグレッグのホールは、最終の18番ホールだけです。

 このためか、マスターズ大会では長い間レフティー=左打ちの選手は優勝できませんでしたし、右打ちでも、リー・トレビノのような「フェード球」を得意とするプレーヤーは優勝できませんでした。「レフティーには不利な大会」と言われてきたのです。

 2003年のカナダ人プレーヤー、マイク・ウィアが初めてのレフティー優勝者でした。大会が創設されて約70年の間、レフティーはマスターズで勝てなかったのです。

 しかし、面白いもので、マイク・ウィアが壁を破ってからは、翌2004年と2006年・2010年にフィル・ミケルソン、昨年2012年にバッバ・ワトソンと、最近10年間についていえば、レフティーのプレーヤーが半分の5勝しています。マスターズ大会に参加しているゴルファーの右打ち左打ちの比率が、圧倒的に右打ちプレーヤーが多いことをも考慮すれば「レフティーに有利な大会」とさえいえる状況です。

 ボールやクラブの進歩のせいなのか、レフティープレーヤーの技術向上のせいなのか、コースヤーデージの大幅な延長のせいなのか、この急激な変化の理由は分かりませんし、ある意味では不思議なことでもありますが、「マスターズに勝つには、レフティーの方が有利」という時代が到来しているのかもしれません。

③ グリーンの起伏が尋常ではないこと
 前述の通り、ラフが無いコースで、コースヤーデージも長くなったとはいえ、現代の他の難コースに比べれば、飛び抜けて長い訳ではないのですが、多くのマスター達が苦労しながらのプレーを余儀なくされる最大の理由は「グリーンの起伏」であると思います。

 オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブは、マスターズ大会開催前の半年間は、芝の養生やコースセッティングのためにクローズされるそうですが、大会終了後の一定期間は、クラブのメンバーや招待などを受ければ一般の人もプレーすることができます。(メンバーには、歴代のアメリカ合衆国大統領や、マスターズ大会の優勝者が名を連ねていると言われます)

 私の知人(一般の人です)が、15年ほど前にオーガスタ・ナショナルでプレーする機会を得ました。その方は、日本でのプレーでは、平均スコアが1ラウンド80打を少し切る位の腕前でした。
 彼のラウンド後の感想です。
 「コースは、箱庭的で、距離もそれほど長くは無いので、パーオンすることもあり、少なくともパー4なら2打目、パー5なら3打目で、グリーンの傍まで打って行くのは、難しくなかった」「しかし、グリーンオンしてから、パッティングをしようとすると、途方に暮れるホールばかりだった」「ポテトチップスのようなグリーンで、高低差が自分の身長以上、2m位あるグリーンばかりだった。3パットはあたりまえ、4パットも何回かあった」と。

 彼が、プレーした時期は、当然ながらグリーン上の芝は、トーナメントの時の様には刈り込んでいないので、球が転がるスピードは、トーナメントの時より遥かに遅いのですが、それでも、転がり始めたボールはなかなか止まらなかったそうです。

 私達が、マスターズ大会のテレビ放送を観ていると、マスター達がパッティングしたボールが、グリーンの外に出てしまう光景を度々目にしますが、ポテトチップス状で、高低差が2m前後、スティンプメーターで12フィート位に刈り込まれたグリーンであれば、さもありなん、ということになります。テレビの映像は、グリーンの凄まじい起伏を表現しきれないということになります。

 「オーガスタにはラフは無い」のですが、「凄まじいグリーンがある」のです。

 今年も、ハナミズキを始めとする花々が咲き乱れ、素晴らしく綺麗に刈り込まれたフェアウェイと真っ白な砂のバンカーが配された、美しいとしか形容しようのないオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを舞台に、世界のマスター達の戦いが始まりました。

 復活してきたタイガー・ウッズや、欧州の代表ロリー・マキロイ、過去10年で3度の優勝を誇るフィル・ミケルソンといった、世界のゴルフ界をリードしているプレーヤー達の豪打・美技が展開されることでしょう。
 例年のことですが、睡眠不足ウィークが始まりました。
 大種牡馬サンデーサイレンスの時代を開いたレースが、1995年の第55回皐月賞、ジェニュイン号が優勝した皐月賞であったと思います。

 1989年のアメリカ競馬において、ケンタッキーダービーとプリークネスステークスの二冠を制し、加えてブリーダーズカップ・クラシックをも優勝、この年3歳にしてG1を5勝、アメリカの年度代表馬に選ばれたのがサンデーサイレンス号です。父ヘイロー、母ウィッシング・ウェル。生涯成績も、14戦9勝・2着5回という完璧なものでしたから、現役引退後も種牡馬として大活躍が期待されました。

 しかし、ヘイロー系の競走馬の成績が、アメリカでは今一つであったことやファミリーラインの評価も低かったこと、現役時代の薬物使用疑惑、そしてあまりの気性の激しさもあったのでしょうか、種牡馬としての人気は低く、種付け申し込みが僅か2頭にとどまるなど、サンデーサイレンスの種牡馬としての将来には、暗雲が立ち込めたのです。

 この時、日本の社台グループの総帥であった吉田善哉氏がサンデーサイレンスの購入を打診、負債の返済に腐心していた前オーナーとの交渉が成立し、サンデーサイレンスが日本に渡ることとなったのです。以前のダンシングブレイブの稿にも書きましたが、欧米の名馬が日本に来るためには、やはり相応の理由があるのです。

 そのサンデーサイレンス産駒の一期生がデビューしたのが1994年です。その代表格は、フジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシの3頭だったと思います。

 まず、フジキセキが世に出ました。2歳時G1の朝日杯3歳ステークス他に優勝し、その年の最優秀2歳牡馬に選出されました。惚れ惚れするような馬体(現在までの全ての産駒を含めても、最も父サンデーサイレンスに似た馬体であると言われます)であったフジキセキ号は、明けて3歳の緒戦G2弥生賞も圧勝し4戦4勝。皐月賞の大本命は当然として、この段階で早くも「三冠有力」と評する競馬関係者が現れる始末。それ程に強いオーラを持ったサラブレッドでした。
 私もその当時は、皐月賞と日本ダービーまでは、この馬で仕方がないと思いました。

 しかし好事魔多し。フジキセキは屈腱炎を発症し、クラシックレースに臨むことなく引退したのです。

 フジキセキの戦線離脱により大混戦となった1995年の皐月賞でしたが、同期のサンデーサイレンス産駒の2頭、ジェニュインとタヤスツヨシのレースとなりました。ゴール前の競り合いを制して、クビ差で優勝したのがジェニュインでした。何とこれが、ジェニュインの初重賞制覇でした。

 「ゴール前100mで良い脚を使ったな」というのが、私の印象でした。ジェニュイン号、父サンデーサイレンス、母クールピアレディ、生涯成績21戦5勝。
 皐月賞の後、ジェニュインは日本ダービーでタヤスツヨシの2着、そして1996年のG1マイルチャンピオンシップで優勝した以外は、目立った成績を上げることはできませんでした。

 サンデーサイレンス初年度産駒三羽烏の最後の1頭タヤスツヨシ号は、フジキセキ、ジェニュインのG1勝利を横目で見ながら、我が国のサラブレッド最高の栄誉である日本ダービー優勝馬と成りました。
 このレースでは、東京競馬場の長い直線の最後の200mで良い脚を使い、ジェニュインを振り切って優勝したのです。タヤスツヨシの生涯成績は13戦4勝ですが、この日本ダービーが、彼の最後の勝利となりました。

 サンデーサイレンスの初年度産駒は、三羽烏以外の馬達も勝ち上がりが早く、新種牡馬として早々に高い評価を受けたと記憶していますが、やはりフジキセキが先頭に立って、「サンデーサイレンスここにあり」と示し、ジェニュインが早速クラシックホースと成って、タヤスツヨシが日本ダービーを制することにより、その地歩を固めたという感じでした。

 その産駒の特徴は「どんなレースでも、必ず100~200mは良い脚を使う」ということだと思います。それは、新馬戦でも、条件戦でも、特別レースでも、重賞競走でも、G1レースでも、共通しています。それぞれのレベルの産駒が、それぞれのクラスのレースで、100~200mは良い脚を使うのです。

 ジェニュインの皐月賞は、中山競馬場直線の坂を上がった後の100mの足が素晴らしいスピードでしたし、タヤスツヨシの日本ダービーは、東京競馬場ゴール前の200mの加速が際立っていました。

 サンデーサイレンス系列の産駒の良いところは、ディープインパクトやオルフェーヴルといった、極めて能力が高い馬はもちろんとして、地力がそれほど高くない産駒でも、それぞれのレベルで「この脚」が使えるので、多くの産駒が勝ち鞍を上げることができる上に、相応の地力を保持していれば、レース展開や騎乗の巧拙次第では、重賞レースで生涯1度の快走が観られることがある点です。

 例えば、アドマイヤベガの日本ダービーやダイワエルシエーロのオークスなどが、それにあたると思います。他にも、勝率は高くなく、普段それ程強いレースを見せるわけではないのですが「あのレースだけは、とても強かった」という、サンデー産駒は数多く居ます。
 孫の代にもその傾向は受け継がれていて、例えばリアルインパクト(安田記念優勝)などは、その典型でしょう。

 1994年、ナリタブライアン号が圧倒的な強さで三冠馬となった時には、その父ブライアンズタイムの時代が到来すると感じたものです。ブライアンズタイム産駒の特徴は「長く良い脚を使える」ことです。ナリタブライアンの三冠レース全てに見られる、三角からの500m~600m近い強烈な捲りがその典型です。

 そして、この「長く良い脚が使える」という点は、サンデー産駒の特徴の正反対に位置しているのです。ただし、ブライアンズタイムの場合には、この長所が個々の産駒に表れる確率が、サンデーサイレンスの場合より低かったのであろうと思っています。(ブライアンズタイムも他の種牡馬よりは高い確率で産駒に受け継がれるので、名種牡馬なのですが、サンデーサイレンスの遺伝力がスバ抜けて高かったということでしょう)

 1994年ナリタブライアンが三冠馬となり中央競馬の大主役を張っていた時、同時にフジキセキを始めとするサンデーサイレンス産駒が、2歳戦線で勝利を続けていたのです。
 ブライアンズタイムの種牡馬としての天下は、あっという間に終わりました。

 世界的には、それほど素晴らしい成績を残しているわけではない「ヘイロー系」のサンテーサイレンスが種牡馬として、我が国において、圧倒的な実績を上げて来ていることは、少し不思議です。

 しかし、とにもかくにも「100m~200mは良い脚を使う」サンデーサイレンス産駒の特徴を見事に発揮し、その産駒として初めてクラシックレース・皐月賞の優勝馬となって「サンデーサイレンス時代の幕を開けた」のが、ジェニュインだったのです。
 1着馬と2着馬に、大きな差が付きにくいことが、皐月賞の特徴だと思います。

 1939年に、我が国のクラシックレースとして最後に創立されたのが「皐月賞」であることは、以前の稿にも書きました。
 範としたのは、サラブレッドの故郷イギリスの2000ギニー競走です。当初は、横浜農林省賞典4歳呼馬(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)という名称でした。このレースが創設されたことで、東京優駿(日本ダービー)、阪神優駿牝馬(オークス)、京都農林省賞典4歳呼馬(菊花賞)、中山4歳牝馬特別(桜花賞)とともに、5大クラシックレース体系が完成したのです。

 第一回は、横浜の根岸競馬場芝1850mコースで行われました。5大クラシックレースの内、オークス、桜花賞とこの皐月賞は、開催競馬場が移り変わっています。
 1943年には、根岸競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800mコースで実施されるようになりました。
戦後1949年・昭和24年から中山競馬場の芝1950mで行われるようになり、名称も「皐月賞」に変更されました。そして、1950年・昭和25年に施行距離が2000mとなりました。現在の皐月賞のスペックになったのです。

 桜花賞の稿にも書きましたが、皐月賞・日本ダービー・菊花賞は、牡馬・牝馬の両方が出走可能です。そして、日本ダービーではクリフジやウオッカといった牝馬が優勝していますし、菊花賞でもクリフジが優勝しています。しかし、この皐月賞だけは、牝馬が出走可能であるにもかかわらず、牝馬の優勝馬が出ていません。牝馬の出走自体も、1991年の第51回のダンスダンスダンス号(5着)以来ありません。皐月賞は、クラシックレースの中で最も「男の世界」ということになります。

 今年で73回目を迎える、歴史と伝統と格式を誇る皐月賞競走において、私が不思議に思っていることがあります。

① 施行距離
 皐月賞は2000mコースで行われます。範としたイギリスの2000ギニー競走は1マイル(約1600m)です。5大クラシック競走の中で、皐月賞だけが本家イギリスのレースと明らかに異なる距離で行われているのです。何故なのでしょうか。
 これは、第一回の根岸競馬場でのレースから1850mでしたから、最初からマイル戦ではなかったということになります。何が何でもイギリスのクラシックレースに準拠する必要はないと思いますが、イギリスの2000ギニー約1600m、ダービー約2400m、セントレジャー約2920mという体系は、マイラー、オールラウンダー、ステイヤーそれぞれの活躍の場を提供しているという点で、バランスが取れていると思います。
 また、その全てに優勝するという意味から、三冠馬の偉大さを示す原因ともなると思います。

 翻って、我が国の体系は、皐月賞2000m、日本ダービー2400m、菊花賞3000mですから、スプリンターやマイラーが活躍する場が無いことになります。
 特に、現在の様に1400mから1800mを主戦場とするマイラー全盛の時代には、最初からマイル路線を歩もうとする強豪馬が、クラシックレースには出走しない可能性があるのです。

 「皐月賞は2000m」ということで、ずっとやってきたのだから、過去との比較の面からも今更変更できない、という意見もあると思いますが、天皇賞(秋)を3200mから2000mに変更した例もあります。
 より多様なサラブレッドが挑戦できるレースを目指すという点や、皐月賞自体のレベルを上げて行く=クラシックレースの権威を維持・向上させるという点から、今からでも1600mに変更する手はあると思います。もちろん、競馬場の形状や設定されたコースによる制約があると思いますので、容易なことでないことは認識しているつもりです。

② 1着馬と2着馬に、大きな差が付きにくいレースであること。
 頭書した通りです。皐月賞は、不思議と1・2着馬の差が小さい、つまり圧勝しにくいレースなのです。歴史を紐解けば、1954年・昭和29年の第14回レースで、ダイナナホウシュウ号が8馬身差で勝ったのが、最大着差ですし、この8馬身は大きな差だと思います。しかし、過去50年間で観れば、5馬身以上の差が付いたレースはありません。

 直線が300m強しかない中山競馬場だから、差が付きにくいという見方もあるのでしょうが、朝日杯3歳ステークスのマルゼンスキー号による大差勝ちに見られるように、コースのせいばかりでは無いことになります。

 「圧勝」という印象が残っている皐月賞を観ても、例えばディープインパクト優勝の時が2と1/2差、ナリタブライアンが3と1/2差です。ナリタブライアンのレースなどは、強烈な捲りからどれほど千切ったのかと思っていましたが、3と1/2馬身差です。そして、これが過去半世紀の最大着差なのです。(トウショウボーイは5馬身差で勝っていますが、この年はストライキの影響で東京競馬場開催でしたので、ここでは比較に加えていません)
 シンボリルドルフも1と1/4差、ミスターシービーも3/4差と、後に三冠馬になるような名馬達でも、中々圧勝できないレースです。

 「皐月賞の不思議」のラストは、4月に開催されるのに何故「皐月」なのか、という点です。太陰暦と太陽暦の関係に詳しくはありませんが、皐月=5月でしょう。確かに、皐月賞と名付けられた頃には、5月に開催されていたのですが、過去50年間で観ると5月にレースが行われたのは5回しかありません。とはいえ、これを不思議というのは、無理無理という感じで恐縮です。

 多様な日本の四季を表現するものとして「皐月賞」は素晴らしいネーミングだと思います。
 若葉・緑が芽吹く季節の、若駒同士の僅差の激しいレース、それが皐月賞なのです。

 手は多くのスポーツで重要な役割を果たします。様々なスポーツの、様々な道具を持つのも手と手の指です。野球のバットやグローブ、テニスや卓球のラケット、アイスホッケーのスティック、剣道の竹刀、アーチェリーや弓道の弓、砲丸投げの砲丸、やり投げの槍、円盤投げの円盤、ゴルフのクラブ、などなど挙げて行けばキリがありません。手と手の指は、スポーツにおけるテクニック・技術と観点から、極めて大きな役割を果たしています。

 では、「足の指」はどうなのでしょうか。色々な見方があると思いますが、私は足の指も、手の指と同じ位、重要な役割を果たしていると考えています。

 私に、足の指(以下「足指」)の重要性を感じさせてくれたアスリートは、大相撲の横綱朝青龍関でした。大相撲は、裸足で行う数少ないスポーツのひとつですので、足指の動きが良く分かります。
 朝青龍以前の大相撲でも、土俵際の粘りのシーンなどで、足指がどんな動き・役割を果たしているのかを見ることが出来ました。しかし、朝青龍が凄いと思ったのは、土俵の真ん中でも足指が良く動き、次の動きに大きな影響を与えていたからです。

 例えば、土俵中央でがっぷり四つの体制になったとします。朝青龍の両足の指は土俵表面をがっちり掴みます。足指の間から、土俵の砂が溢れ出て来るほどに掴むのです。そして、よく動きます。相手力士はというと、全くそうした動き・様子はありません。1960年台から、沢山の力士を観てきましたが、がっぷり四つの体制でこれほど足指を使う力士は、初めてでした。

 朝青龍関は、大相撲史上最も動きが速く、動きにキレがある力士、常に自身の重心を移動させながら、相手力士のバランスが崩れる瞬間を捉えて勝負する力士であったと思いますが、そのスピード・キレの一因は、足指にあったと考えています。

 朝青龍が土俵を去った今、大相撲界にこれほど足指を自在に使う力士は存在しません。朝青龍以前であれば、横綱千代の富士が相当活用していたと思いますが、この点だけでいえば朝青龍の方が上であったと思います。

 仕切りが続き、時間一杯となった時、塩を取りに行った朝青龍が土俵に振り返った瞬間の姿は、いつも印象的でした。やや前に重心がかかり、爪先立ちとまっすぐ立っている状態の中間位の姿で、膝を少し曲げて、力みなく立っているのです。「いつでも前方に圧力をかけることができる姿勢」です。この姿だけでも、超一流アスリートを感じることができますし、プロスポーツプレーヤーとしての素晴らしさを感じます。

 踵をべったりと土俵に付け、膝を伸ばして堂々と立つ、例えば稀勢の里関のような形も、重厚な感じで良いのですが、受け身というか、前に出る力をあまり感じさせないものです。

 どちらの姿勢も「あり」なのでしょうが、朝青龍の「前掛かりの姿勢」は独特のもので、何とも言えない迫力を感じさせるものでした。この前掛かりの基本姿勢と、足指の自在活用により、朝青龍関の史上最強レベルの相撲が出来上がっていたと考えています。

 他の競技でも、足指活用の話を聞くことがあります。日本プロゴルフ黎明期の名プレーヤー中村寅吉選手が「調子が悪くなると、裸足で練習ラウンドをする」とコメントしていました。「フェアウェイもバンカーも裸足でプレーすることで、足指が地面を掴む感覚を取り戻すことができる」「シューズを履いた後も、裸足の時の様に足指を使います。地面をしっかりと掴むのです」と。

 ゴルフ競技において、スイングの際に、体をしっかりと維持することが重要なことは明らかです。その感覚を、中村寅吉プロは裸足のプレーで確認していたことになります。現在でも、有効なトレーニング方法なのではないでしょうか。

 もうひとつゴルフの話ですが、往年のアメリカの名選手ウォルター・ヘーゲン*の「足がデカイやつを連れてこい。おれが世界一のプレーヤーに育ててやる」という言葉が有名です。ゴルフが上手くなるにはどうしたらよいか、という問いに対する答えだったと記憶していますが、ヘーゲンにとっては「足が大きいこと」が最重要ポイントだったのでしょう。地面をしっかりと掴み、バランスを維持することが、ゴルフ競技にとって大切なことなのです。
(*ウォルター・ヘーゲン選手。球聖ボビー・ジョーンズと同世代の名プレーヤー。まだマスターズトーナメントが始まっていなかった時代に、全米オープン2回・全英オープン4回・全米プロ5回のメジャー計11勝と、ジャック・ニクラス18勝、タイガー・ウッズ14勝に次ぐ歴代3位の記録保持者。現在より試合数が少なかった時代のPGAツアーで通算45勝という、ゴルフ史上最強プレーヤーのひとり)

 また、サッカー競技はシューズを履いてプレーするために、プレーの際に足と足指がどのように動いているのかを見ることができません。とても残念なことです。信じられないようなプレーを魅せる選手たちの、シューズの中の足の動きを観てみたいものです。

 1970年前後に活躍した、西ドイツのミッドフィールダーMFにギュンター・ネッツァーという名手が居ました。同時代の西ドイツには、皇帝と呼ばれたMFフランツ・ベッケンバウアーが居ましたから、この頃の西ドイツ代表チームは、二人の世界的なMFが交互に試合に出場し活躍していたと記憶しています。(この頃の西ドイツ代表チームが、世界最強と呼ばれていたのも、頷ける話です)

 このネッツァー選手のパスが、信じられない程曲がるのです。そしてネッツァーのシューズはとても大きかった=足がとても大きかったのです。あの大きな足と足指を、足首や膝、腰との連動した動きの中で、自在に使うことで、ネッツァーは考えられないようなプレーを展開したのでしょう。観ていてワクワクするプレーヤーでした。
 今風に言えば、ファンタジスタということなのでしょうが、逆に言えば、ネッツァー選手レベルのプレーを展開できないプレーヤーを、ファンタジスタなどと呼ぶべきではありません。

 この他でも、例えばMFならフランスのジネディーヌ・ジダン選手やフォワードFWなら現役のアルゼンチンのリケルメ・メッシ選手のプレーを透明なシューズで観てみたかったし、観てみたいと思います。おそらく、足と足指は凄い動きを魅せてくれていると思います。

 そして、ラグビー競技。私は、ラグビーこそ、この足指の力の違いが、我が国と世界のトッププレーヤーの、最も大きな差ではないかと考えています。

 例えば、真っ直ぐ押す力であれば、大型化してきた日本人プレーヤーでも十分に海外のプレーヤーに対抗できるようになってきたと思うのですが、これが左右の動きが伴うと、なかなか対抗するのが難しいように観えます。
 スクラムやラック・モールといったプレーや、スクラメイジ局面で、どうしてもパワーの差が生じて、結果として大差に繋がる。そのパワー差の最大の要因が「足の大きさと足指の力」であると思うのです。

 ニュージーランドや南アフリカ、オーストラリア、イングランド、フランスといった、世界のラグビーをリードする国々のプレーヤーは、おそらく足が大きく、足幅がとても広く、足指が長くて太いのでしょう。こうしたトッププレーヤーが、足裏と足指でしっかりと地面をホールドしながら、上下左右に重心を移動させつつ前進してくるのです。こうしたプレーヤーを止めたり、コントロールすることは、極めて困難なのだろうと想像します。

 足指は、全てのスポーツ競技において極めて重要な役割を果たしていると思います。我が国の各競技のプレーヤーの足を急に大きくすることはできませんが、ライバル国の足指を存分に活用したよるプレーの特徴を研究し、各々のプレーにおける重心位置を味方有利に動かしていくことで、世界に通用する日本独特のプレーを創造していくことは、十分に可能なことだと考えます。

一番 センター  B.ガードナー
二番 セカンド  R.カノー
三番 サード   K.ユーキリス
四番 DH   T.ハフナー
五番 ライト   B.ボッシュ
六番 ショート  E.ヌニェス
七番 レフト   S.イチロー
八番 ファースト L.オーバーベイ
九番 キャッチャーC.スチュワート
投手       I.ノバ

 2013年4月5日開幕早々の、あるMLBのチームの先発メンバーです。事前の情報無しに、チーム名を当てるのはとても難しいと思います。

 2番がロビンソン・カノーのようだから、ニューヨーク・ヤンキースかな、でもカノーもトレードで移籍したのかもしれない。三番はケビン・ユーキリスのようなのでボストン・レッドソックスかな、でも四番はハフナーだから、クリーブランド・インディアンスのようでもあるし、七番のイチローは昨年からヤンキースだが、また移籍話があったかな。
 そういえば一番のガードナーも昨年時々ヤンキースで出ていたから、トレードが無かったとすると、昨年ヤンキースでプレーしていた人が少し多い。ひょっとするとニューヨーク・ヤンキースのスターティング・ラインナップかもしれない。

 検討の過程は、そんな感じかもしれません。正解は、ニューヨーク・ヤンキースでした。

 ヤンキースだとすると、キャプテンのデレク・ジータや現役プレーヤーで最多本塁打を誇るアレックス・ロドリゲス、強打のタシャエラなどは、どうして出ていないのか?と疑問を持つのが当然です。いずれも、故障なのだそうです。

 それにしても、酷いメンバーです。酷いと言っては、上記メンバーに失礼ですが、そうとしか言いようがない。およそ、アメリカのメジャーリーグベースボールを代表し、サッカーなどを含めた全てのプロスポーツチームの中でも、屈指のメジャーチームと呼ばれるヤンキースのスターターとは思えない代物です。

 いったい、どうしたのでしょう。スタインブレナーオーナーは、何をしているのでしょう。

 ジータが居ない、Aロッドが居ない、タシァエラが居ない、という問題ではなく、ユーキリスやハフナーやボッシュが力不足であると言っているわけでもありません。後者3名は、いずれも昨年所属していたチームの中心選手であり、堂々たるメジャーリーガーです。

 私が言いたいのは、華が無いということ、プロスポーツチームとして最も大切な、ファンに訴えかけるオーラが無いということです。そして、ヤンキースというチームは、優勝しようがしまいが、金に物を言わせてプレーヤーを無理やり集めていると批判されようが、常にMLBの話題の中心に存在しなければならないチームなのです。

 スモールベースボールとか、少しでも勝率が高い作戦を選ぶとか、勝つために大切な手法を無視するわけではないですけれども、ヤンキースにはヤンキースの試合のやり方が在り、ファンもそれを望んでいるチームなのでしょう。

 1990年代の半ばから、バーニー・ウィリアムズやジータ、フォルヘ・ポサーダ、マリアノ・リベラといった、当時の若手プレーヤーを擁して、毎年のようにプレーオフに進出し、時々はワールドシリーズにも優勝してきたのが、この20年間のヤンキースでした。そして、MLBの人気回復の中心チームとして、重要な役割を演じてきたのです。

 スタープレーヤーで固めていますから、若手が育ちにくいといわれ、バーニーなどが年を取って引退していくと、ゲーリー・シェフィールドやジェイソン・ジオンビ、松井秀喜、Aロッド、タシァエラといった、完成されたプレーヤーをトレードで集めて「ヤンキースを維持してきた」のです。

 さすがに、ジータもリベラもAロッドも、年齢には勝てず、衰え、故障がちになりました。これは、致し方の無いことで、予想できることです。

 頭書の悲惨?なラインナップの責任は、従って、フロントにあると言えます。ベテランになったスーパースター達は、毎試合出場することは難しいのですから、それが分かっていた数年前から、着実に補強を進める必要がありました。
 その補強に見事に失敗し、この悲惨な状況に追い込まれたのです。

 ジラルディ監督は大変でしょう。イチローも、優勝するためにヤンキースに来たのに、こんなメンバーでは、元のマリナーズの方が実力的に上位かもしれません。何のための移籍か分からない感じです。黒田も、この味方打線では、昨年並みの成績を上げることは無理だと思います。

 このチームでは、チーム力の点からも、チームワークの点からも、相当に見劣りします。高い勝率を上げることは至難の技でしょう。今後、ジータやAロッドが故障から回復し、レギュラーシーズンの途中から参戦するかもしれません。
 しかし、そのジータやAロッドは、MLBファンやヤンキースファンが、ヤンキースに求める水準のプレーヤーでは、もはや無いのです。ジータ自身が、一番よく解っていることでしょう。

 ヤンキースは、必ず勝たねばならないチームではありません。プロ中のプロであり、アマチュアではないのですから、勝利至上主義から最も遠くに存在するチームでしょう。
 とはいえ、アメリカ合衆国の象徴であり、MLBを代表する威厳を備えるチームであり続けることは、必要なことでしょう。

 頭書のチームは、戦力的にもこの日の対戦相手のデトロイト・タイガースの足元にも及びませんが、そんなことより、厳しい書き方で恐縮ですが「ヤンキースでは無い」ことが大問題なのです。
 今年も、メジャーリーグ・ベースボールMLBが開幕しました。「ベースボール イズ アメリカ」とも称される、アメリカを代表するメジャープロスポーツが始まったのです。各チームにとって、162試合に及ぶ長い長い、そして激しいレギュラーシーズンがスタートしました。
 今シーズンも、沢山の素晴らしいゲーム・プレーを魅せていただけるものと思います。

 そのレギュラーシーズン開始早々の、テキサス・レンジャーズにとっての2試合目である対ヒューストン・アストロズ戦に、ダルビッシュ有投手が今季初先発しました。昨年、鳴り物入りでMLBデビューを果たし、シーズン16勝9敗という、ある意味ではなかなかの、別の意味では物足りない、成績を残したダルビッシュの2年目の開幕ゲームです。

 そして、このゲームでダルビッシュは、とても良い投球を展開しました。8回と2/3イニングを投げ、111球、14奪三振という、1年目には観られなかった高度な投球内容でした。

① 8回と2/3イニングは、ダルビッシュのキャリアで最長の投球であったこと。あと一人を打ち取れば完投でした。ダルビッシュは昨シーズン、1試合も完投していませんので、このゲームが自身最長ということです。

② 無四球。これが、最も素晴らしい。昨シーズンは、1試合平均3.07個の四球がありました。長いイニングを投げていない試合を含めての成績ですから、イニングに直すと2.14イニングに1個、大体2イニングで1個のフォアボールを与えていたのです。コントロールに難がある投手だったと言えます。このペースを、この試合に当てはめると4~5個の四球を出すことになるのですが、この試合は無四球でした。
 ダルビッシュは大きく進化したと感じますし、今年のダルビッシュの大活躍を予感させる事象です。

③ 14奪三振。昨シーズンの最多は、1試合11奪三振でした。これも自身の新記録です。長いイニングを投げたのだから当然との見方もできると思いますが、2シームを始めとする変化球の切れは素晴らしいものでした。長足の進化が、ここにも観られます。

 このゲームは、「あとひとり打ち取れれば完全試合」でしたので、その点はとても残念でしたけれども、前述の3つのポイントから見ると、素晴らしいピッチングでしたから、私は完全試合こそ出来なかったけれども、何の問題もない、素晴らしい投球内容であったと思います。

 「MLBにおいて、初めてダルビッシュ有らしい投球を見せてくれた」と、私は感じています。ダルビッシュでも、MLBのベースボールを身に付けるのに、まる1年の期間が必要だったのです。

 9回のダルビッシュの投球は、7回位から観られた「疲労」が色濃く出ていましたので、完投できないかもしれないと考えながら観ていました。その何よりの証左は、9回の一人目・二人目のバッターに、バットに当てられていたのです。それまで14もの三振を奪っていたわけですから、バットに当てられるようになっていたというのは「ボールのキレが悪くなっていた」ことを示しています。そして、三人目のバッターにセンター前に運ばれたのです。

 111球目をヒットされたのですが、シーズン開幕当初の投球であり、ダルビッシュもバテていたのす。これは、仕方がないことです。いくら練習しても、試合でしか身に付かないものがあります。真の持久力も、その一つだと思います。そうした状況でも、ツキがあれば完全試合を達成できたと思いますが、それは五分五分の勝負でした。 今回は、この点ではツキが無かったということでしょうし、さすがにMLBのレベルは高く、球威が落ちれば打たれる、ということだと思います。

 ヒットを打ったプレーヤーのコメント「9回の前の二人打者の初球がストレートだったので、狙っていた」と。打席に入る前から、打者が読み勝っていたということであり、この段階で相手の読み通りにストレートから入ってしまった、変化球から入ることが出来なかったというのは、ダルビッシュの心身の疲労が原因だったのでしょう。

 この試合で、もうひとつ印象的だったのはテキサス・レンジャーズのワシントン監督でした。
① 初ヒットを打たれたダルビッシュを、即座に交代したこと。あとひとり打ち取れば、自身MLB初の完封勝ちだったのですが、ダルビッシュの投球に限界が来ていることを見切っていたことと、続投させて失点するようなことがあっては、せっかくの良い投球イメージが消えてしまうことを怖れての交代であったと思いますが、さすがにメジャーリーグの監督だと思いました。
 勝負に徹する(この試合は、もちろんとしてシーズンを通じての)厳しさと合理的な考え方が徹底されていると感じました。

② 試合後のコメント「彼(ダルビッシュ)は、私が期待していた通りのピッチングをしてくれた」と。MLBの監督として最も大切な「プレーヤーへの敬意」が溢れていました。
 「完全試合が出来なくて、残念だった」などという、素人のような陳腐なコメントは全くありませんでした。ワシントン監督にとっては、当たり前のことなのですが、当たり前のことが分かっていない監督は、沢山居ます。

 試合後、ダルビッシュは「自分はまだ、過去にMLBで完全試合を成し遂げた投手達と比べて、一歩足りないのだと思いました。しかし、いい思い出にはなりました」とコメントしました。
 コメントも、MLBレベルになったと感じました。
 2013年4月7日、阪神競馬場芝外回り1600mコースで行われる、第73回桜花賞競走G1の注目馬です。

 今シーズンのクラシックレース第一弾「桜花賞」です。今年も、3歳の乙女18頭が揃いました。近年にしては珍しく、前哨戦の勝ち馬が猫の目の様に変わる混戦模様です。体調変化が激しい、この時期の牝馬と言うこともあって、難解なレースになりました。

 第一の注目馬は、7枠13番のクロフネサプライズ。昨年9月のG3小倉2歳ステークスでは9着と大敗していますが、その後のレース振りを見ると体が出来てきた感じです。前走のチューリップステークスG3の走りは圧巻。4角先頭から、ゴール前で突き離し3と1/2差で勝ちました。このレースを見る限りは、このレースに出ていた馬とは勝負付けが済んでいると思います。
 G1阪神JF2着からの成長度合いが、同世代中最も大きいと観ます。

 第二の注目馬は、2枠3番のクラウンロゼ。まだ3戦の上がり馬ですが、前走アネモネステークスの勝ちタイムが優秀。1600m1分34秒7は、直近2か月間の同世代馬の中で最速です。3戦3勝ですから、桜花賞を勝つようなら、一躍同世代NO.1に躍り出ます。
 父ロサードは、サンデーサイレンス産駒とはいえ46戦6勝の目立たなかった馬。遅れてきたサンデー産駒の種牡馬です。ここまで目立った産駒は出していませんが、突然血統が花開くこともありますので、注目です。

 第三の注目馬は、8枠18番のメイショウマンボ。1600mは、この馬には少し長いのかもしれませんが、前走G2フィリーズレビューの勝ちっぷりは立派なもの。ゴール前の叩き合いになれば、一瞬の脚が生きるかもしれません。

 今年の桜花賞は、以上の3頭に期待します。ローブディサージュが、レース感覚を想い出してくれれば、一層面白いと思います。
 2013年のセンバツ高校野球選手権大会決勝は、4月3日浦和学院(埼玉)と済美(愛媛)の両校が対戦し、浦和学院が17対1で勝ち、春の甲子園大会初優勝を飾りました。

 本ブログで、本大会の大本命と位置づけていた浦和学院の優勝は、埼玉県勢としても1968年・昭和43年の大宮工業以来45年振り2度目のものでした。
 
 以前も書いたのですが、埼玉県勢は甲子園大会での優勝に不思議な程に縁がありませんでした。埼玉県の高校野球のレベルが低いということは考えられないことです。

① 十分な人口を擁する地域であり、高校数も多いこと
② 1年中野球を屋外で行うことができる点で、気候にも恵まれていること
③ 他のスポーツで、全国トップクラスの競技も多く、高校生のスポーツセンスが周辺地域に比べて、劣っているとは思えないこと
④ 関東地域は、全国でも屈指の野球どころであり、周辺の都県は毎回甲子園大会の優勝を争っています。そうした、強豪校との練習試合の機会にも恵まれていること

 こうして、埼玉県の高校野球を取り巻く環境を上げて行くと、弱い筈がないという結論に達します。
 そして、今年のセンバツ大会に出場した浦和学院は、秋の関東大会3連覇という、驚異的な実績を残してきたのです。甲子園大会で優勝校を多数輩出している神奈川県勢や千葉県勢などを相手に、秋の関東大会で3年間不敗なのです。関東地域の高校野球レベルの高さを勘案すれば、毎年甲子園大会の本命になっても、何の不思議もない学校なのです。

 しかし、甲子園大会のファンの方であればご存じのことでしょうが、埼玉県勢は2012年までの85回のセンバツ甲子園大会で、前述の大宮工業が一回優勝しただけでしたし、夏の甲子園大会に至っては、95回の歴史の中で1度も優勝していないのです。
 「夏の甲子園大会、最大の謎」と言っても良いと思います。

 ちなみに、関東地域の他の都県は全て、夏の大会の優勝校を輩出しています。多すぎて、全てを挙げることはできませんが、例えば、神奈川県なら東海大相模・桐蔭学園・横浜、千葉県なら習志野・銚子商業、茨城県なら取手二、栃木県なら作新学院、群馬県なら桐生第一、東東京なら帝京、西東京なら桜美林・日大三・早稲田実業などなどです。

 こうした強豪校と、関東大会では互角以上の戦いを展開するのですが、甲子園大会となると何故か勝てないのが、埼玉県勢でした。

 私も全く理由が解らず、いつも不思議に思っていましたが、ついに勝つべき学校がセンバツ大会で優勝したのです。これで、埼玉県勢の甲子園の呪縛は解けたと思います。今後は、夏の大会でも存分に本来の力を発揮していただけるものと思います。

 優勝投手となった、浦和学院の小島(おじま)投手の決勝戦完投勝利後のインタビューが印象的でした。
 「小さな頃から、甲子園大会に出ることが夢でした。優勝できるなんて、本当に信じられません」と。この謙虚さが、埼玉県勢の特徴なのかもしれません。秋の関東大会3連覇の学校であれば、もっと堂々として、インタビューにも強気に応じることができるように思いますし、最近はそうした強気の発言を繰り返すプレーヤーも多かったように感じていましたが、とても高校生らしいというか「爽やかな印象」を受けました。

 この10年間位の甲子園大会は「自分たちは強い。実力がある。絶対に優勝できる」「甲子園に出場するのは当然のこと」と考え、大会に臨んだ高校が優勝してきたように思いますし、穿った見方をすれば、精神的に半分プロのような選手が増えてきたように感じていました。

 一方、浦和学院の小島投手は「甲子園に出場すること」の喜びを、まず口にしたのです。私は、4000校前後の全国の高校球児の代表として、夢の甲子園で戦える幸せなプレーヤーとして、望ましい感覚を身に付けているように感じました。

 こうした心持で優勝した浦和学院は、本当に強いチームなのではないかと感じています。

 桜花賞と優駿牝馬(オークス)、2つの牝馬限定クラシック競走における歴代最強の馬と言えば、テスコガビーをおいて他には居ないと思います。テスコガビーは、桜花賞を大差勝ち、オークスを8馬身差で圧勝したのです。両方とも逃げ切り勝ちでしたから、全く他を寄せ付けない強さを魅せました。

 テスコガビー号、父テスコボーイ、母キタノリュウ、母の父モンタヴァル、生涯成績10戦7勝、2着1回、3着1回。

 1974年・昭和49年9月のデビューを7馬身差で圧勝したテスコガビーは、次走も快勝、初重賞の京成杯3歳ステークスにもレコード勝ちし3連勝。この年の最優秀3歳牝馬(現2歳)に選出されました。

 明けて3歳、1月の京成杯で有力牡馬達に競り勝って4連勝、東京4歳ステークスに臨みました。このレースには、後に皐月賞と日本ダービーに優勝する二冠馬カブラヤオーも出走して来ました。この年の3歳牡馬・牝馬の最強馬の対決となったのです。両馬とも、圧倒的なスピードを誇る逃げ馬でしたから、どちらが逃げるのかも話題となりました。

 レースは、カブラヤオーがハナを取り、テスコガビーは2番手に控えました。直線に入り、テスコガビーが追い上げ、長い東京競馬場での叩き合いとなりました。カブラヤオーが、テスコガビーをクビ差押さえてゴール板を通過しました。
 初の敗戦を喫したテスコガビーでしたが、牡馬の世代最強馬とクビ差の勝負を展開したことから、その評価は一層高まりました。続く、桜花賞トライアルレース阪神4歳牝馬特別をレコードタイムで逃げ切って、圧倒的な1番人気(単勝1.1倍)で桜花賞に臨みました。

 本番の桜花賞でも、悠々と先頭に立ち4コーナーを回りました。そして、この直線の走りが凄まじいものでした。女馬としては大柄な490㎏近い馬体が躍動し、内ラチ一杯のコースを真っ直ぐにひたすら加速します。屋根の菅原騎手も手綱を緩めませんでしたから、その豪快なフットワークはゴールまで続き、2着馬に1.9秒差の大差勝ち。「後ろからは何にも来ない。後ろからは何にも来ない」という、関西テレビ・杉本アナウンサーの放送が有名です。

 大差というのは、10馬身以上の着差を言うのですが、このレースの大差は11馬身や12馬身差ではなく、もっと大きな差であったと思います。もちろん桜花賞史上の最大着差でしたし、走破タイムの1分34秒9はレコードでした。

 「凄いものを見せてもらった」というのが私の印象でした。

 このレースの激走が祟ったのか、続くオークストライアル4歳牝馬特別では、1着のトウホーパールから0.7秒離されての3着に敗れましたので、オークスは1番人気とはいっても単勝人気は2倍を越えていました。トライアルレースの内容もあったでしょうが、父テスコボーイの産駒には中距離馬が多かったので、2400mのオークスが長いと考えたファンも多かったのでしょう。

 そして、オークス本番。やはり逃げるテスコガビーですが、桜花賞のような鬼気迫る逃げでは無く、ゆったりと走ります。4コーナーから直線に向いて、桜花賞とは異なり、馬場の真ん中を進みました。この頃の東京競馬場の芝は、現在とは異なり高麗芝でしたし、薄く荒れて剥げていることも多かったのですが、この1975年5月18日の馬場は素晴らしいものでした。一面濃い緑色でふかふかの綺麗なターフが広がる東京競馬場直線のど真ん中を、テスコガビーは悠然と進みます。その絵の美しいこと。東京競馬場の旧の芝が史上最も美しいクラシックレースだったと思います。

 2番手の馬との差はゆっくりと確実に広がり、2着のソシアルトウショウとの差が8馬身になったところがゴールでした。4コーナーでテスコガビーが「みんな、ついておいで」と呼びかけたようなレースであったと思います。

 桜花賞の着差を仮に13馬身であったとして、オークスの8馬身と合計すると、2つのクラシックレースの着差計が20馬身を超えるという、圧倒的な強さ。
 前駆・トモともに雄大で、青毛も相俟って、牝馬とは思えない大きなシルエット・馬体を誇るテスコガビーでした。東京4歳ステークスでの牡馬代表カブラヤオーと比較しても、どちらが牡馬か分からないという感じを受けたことを憶えています。

 このことは、同世代のアメリカの名牝ラフィアンと重なります。ラフィアンは、アメリカのニューヨーク牝馬三冠を達成し、同世代牡馬のケンタッキーダービー馬フーリッシュプレジャーとのマッチレースを演じましたが、馬体ではラフィアンが圧倒していました。
 同じ1975年に日米で、テスコガビーとラフィアンという雄大な馬体を誇る2頭の女傑が生まれたのは、不思議なことです。

 テスコガビーは、その後故障治療中の1976年、心臓麻痺で急死しました。1975年に、件のマッチレースで骨折し、安楽死処分となったラフィアンを追いかけるように逝ってしまったのです。

 テスコガビーの後、メジロラモーヌ、ヒシアマゾン、エアグルーブ、ダイワスカーレット、ウオッカ、ブエナビスタ、そしてジェンティルドンナといった名牝達が中央競馬の歴史を飾ってきました。

 史上最強牝馬は?という問いには、いくつもの答えがあると思いますが、桜花賞とオークスのレース内容を観る限り、テスコガビー最強説が消えることはないでしょう。
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