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 2013年3月17日、BS-TBSで松井秀喜氏のインタビューが放送されました。収録は3月10日とのことですから、現役引退表明後ということになります。約1時間の番組でしたから、ゆっくりと楽しむことが出来ましたし、とても興味深いコメントもありました。

 ドラフトで巨人軍入団が決まった後の1993年のオープン戦で、松井選手は53打数5安打、打率0割9分4厘と散々の成績でしたから、開幕2軍スタートとなりました。
 長嶋監督は松井に「練習しなきゃ、良い選手になれないぞ」といい、松井を巨人軍の4番打者とするための有名な「1000日計画」が始まりました。

 1000日計画というのは、おそらく1000日で松井選手を巨人軍の4番打者に成長させる計画であったと思いますが、その計画の中心的な取組が「長嶋監督と松井選手のマンツーマンの毎日の素振り」ということになります。

 素振りは、ほとんど毎日行われ、長い時には1時間半に及びました。松井氏「監督が良いと言うまで素振りは終わりません。真剣勝負ですから」「監督から、良く打ったなんて言われたことは一度もありません。良い打球だと言われたことはありますが、それは事実を言っているだけです」と。

 番組の中には、当時の長嶋氏の画像・コメントも挿入されていました。長嶋氏「巨人軍は勿論として、日本プロ野球の4番となるために、日々精進が必要です」と。

 1996年、松井選手は巨人軍の開幕4番を任されました。1000日計画の完遂という形でしょう。しかし、松井選手の成績は上がらず、開幕後1か月で3番に下げられました。
 続いて、1998年にも2度目の開幕4番に挑みましたが、これも失敗し、再び3番でシーズンを戦いました。

 この間も、毎日素振りは続いていたのですから、「二人の素振り」は既に1000日計画を超越した存在になっていたのです。

 そして2000年、3度目の開幕4番に挑戦し、今度は上手く行きました。松井秀喜選手程の才能をもってしても、巨人軍の4番に座るためには1993年から7年間もの月日を要したということになります。当然ながら、「二人の素振り」も7年間続いていたのです。

 2001年、長嶋監督が監督として采配を振るう最後の試合前にも、「二人の素振り」は行われたそうです。松井氏「その日だけは、素振りをしながら涙が出ました。監督と選手としては最後かなと思いましたので」と。
 結果として「二人の素振り」は1993年から2001年まで8年間継続されたことになります。

 2003年に松井選手は、MLBニューヨーク・ヤンキースNYYに移籍することが決まりました。
こうして見ると、松井秀喜選手が、巨人軍の4番打者であった期間は、短かったことが分かります。松井選手の巨人軍での活躍は、3番打者時代の方がずっと長かったのです。

 松井氏は、NYY移籍後も素振りが行われたと語りました。長嶋氏が渡米した折に、ニューヨークのプラザホテルの屋上などで実施したそうです。

 松井氏「ニューヨークで会う時には、空気感が違いました。二人でいる時の緊張感が薄れました」と。
 この番組で最も驚かされたのは、このコメントでした。

 1993年から8年間に渡って行われていた「二人の素振り」において、松井選手と長嶋監督が緊張感を維持し続けたという点です。これは凄いことだと思います。
 そもそも、同じことを8年間続けることだけでも大変なことですが、この取組を通じて二人の偉大なプロスポーツマンは緊張感を維持していたのです。どんな人でも、毎日同じことを続けていれば、次第に「慣れ」てきて、慣れあった関係になり、緩みが生じるものでしょう。「慣れることが無かったこと」に、この二人の大きな才能を感じるのです。

 アメリカで会うようになって初めて「空気感が変わった」と感じた松井選手、そして長嶋氏の関係の凄さ・奥深さに感心するばかりです。

 スーパースターに備わっている資質の深さを感じさせてくれた放送でした。
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