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HOME   »  2013年04月11日
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 大種牡馬サンデーサイレンスの時代を開いたレースが、1995年の第55回皐月賞、ジェニュイン号が優勝した皐月賞であったと思います。

 1989年のアメリカ競馬において、ケンタッキーダービーとプリークネスステークスの二冠を制し、加えてブリーダーズカップ・クラシックをも優勝、この年3歳にしてG1を5勝、アメリカの年度代表馬に選ばれたのがサンデーサイレンス号です。父ヘイロー、母ウィッシング・ウェル。生涯成績も、14戦9勝・2着5回という完璧なものでしたから、現役引退後も種牡馬として大活躍が期待されました。

 しかし、ヘイロー系の競走馬の成績が、アメリカでは今一つであったことやファミリーラインの評価も低かったこと、現役時代の薬物使用疑惑、そしてあまりの気性の激しさもあったのでしょうか、種牡馬としての人気は低く、種付け申し込みが僅か2頭にとどまるなど、サンデーサイレンスの種牡馬としての将来には、暗雲が立ち込めたのです。

 この時、日本の社台グループの総帥であった吉田善哉氏がサンデーサイレンスの購入を打診、負債の返済に腐心していた前オーナーとの交渉が成立し、サンデーサイレンスが日本に渡ることとなったのです。以前のダンシングブレイブの稿にも書きましたが、欧米の名馬が日本に来るためには、やはり相応の理由があるのです。

 そのサンデーサイレンス産駒の一期生がデビューしたのが1994年です。その代表格は、フジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシの3頭だったと思います。

 まず、フジキセキが世に出ました。2歳時G1の朝日杯3歳ステークス他に優勝し、その年の最優秀2歳牡馬に選出されました。惚れ惚れするような馬体(現在までの全ての産駒を含めても、最も父サンデーサイレンスに似た馬体であると言われます)であったフジキセキ号は、明けて3歳の緒戦G2弥生賞も圧勝し4戦4勝。皐月賞の大本命は当然として、この段階で早くも「三冠有力」と評する競馬関係者が現れる始末。それ程に強いオーラを持ったサラブレッドでした。
 私もその当時は、皐月賞と日本ダービーまでは、この馬で仕方がないと思いました。

 しかし好事魔多し。フジキセキは屈腱炎を発症し、クラシックレースに臨むことなく引退したのです。

 フジキセキの戦線離脱により大混戦となった1995年の皐月賞でしたが、同期のサンデーサイレンス産駒の2頭、ジェニュインとタヤスツヨシのレースとなりました。ゴール前の競り合いを制して、クビ差で優勝したのがジェニュインでした。何とこれが、ジェニュインの初重賞制覇でした。

 「ゴール前100mで良い脚を使ったな」というのが、私の印象でした。ジェニュイン号、父サンデーサイレンス、母クールピアレディ、生涯成績21戦5勝。
 皐月賞の後、ジェニュインは日本ダービーでタヤスツヨシの2着、そして1996年のG1マイルチャンピオンシップで優勝した以外は、目立った成績を上げることはできませんでした。

 サンデーサイレンス初年度産駒三羽烏の最後の1頭タヤスツヨシ号は、フジキセキ、ジェニュインのG1勝利を横目で見ながら、我が国のサラブレッド最高の栄誉である日本ダービー優勝馬と成りました。
 このレースでは、東京競馬場の長い直線の最後の200mで良い脚を使い、ジェニュインを振り切って優勝したのです。タヤスツヨシの生涯成績は13戦4勝ですが、この日本ダービーが、彼の最後の勝利となりました。

 サンデーサイレンスの初年度産駒は、三羽烏以外の馬達も勝ち上がりが早く、新種牡馬として早々に高い評価を受けたと記憶していますが、やはりフジキセキが先頭に立って、「サンデーサイレンスここにあり」と示し、ジェニュインが早速クラシックホースと成って、タヤスツヨシが日本ダービーを制することにより、その地歩を固めたという感じでした。

 その産駒の特徴は「どんなレースでも、必ず100~200mは良い脚を使う」ということだと思います。それは、新馬戦でも、条件戦でも、特別レースでも、重賞競走でも、G1レースでも、共通しています。それぞれのレベルの産駒が、それぞれのクラスのレースで、100~200mは良い脚を使うのです。

 ジェニュインの皐月賞は、中山競馬場直線の坂を上がった後の100mの足が素晴らしいスピードでしたし、タヤスツヨシの日本ダービーは、東京競馬場ゴール前の200mの加速が際立っていました。

 サンデーサイレンス系列の産駒の良いところは、ディープインパクトやオルフェーヴルといった、極めて能力が高い馬はもちろんとして、地力がそれほど高くない産駒でも、それぞれのレベルで「この脚」が使えるので、多くの産駒が勝ち鞍を上げることができる上に、相応の地力を保持していれば、レース展開や騎乗の巧拙次第では、重賞レースで生涯1度の快走が観られることがある点です。

 例えば、アドマイヤベガの日本ダービーやダイワエルシエーロのオークスなどが、それにあたると思います。他にも、勝率は高くなく、普段それ程強いレースを見せるわけではないのですが「あのレースだけは、とても強かった」という、サンデー産駒は数多く居ます。
 孫の代にもその傾向は受け継がれていて、例えばリアルインパクト(安田記念優勝)などは、その典型でしょう。

 1994年、ナリタブライアン号が圧倒的な強さで三冠馬となった時には、その父ブライアンズタイムの時代が到来すると感じたものです。ブライアンズタイム産駒の特徴は「長く良い脚を使える」ことです。ナリタブライアンの三冠レース全てに見られる、三角からの500m~600m近い強烈な捲りがその典型です。

 そして、この「長く良い脚が使える」という点は、サンデー産駒の特徴の正反対に位置しているのです。ただし、ブライアンズタイムの場合には、この長所が個々の産駒に表れる確率が、サンデーサイレンスの場合より低かったのであろうと思っています。(ブライアンズタイムも他の種牡馬よりは高い確率で産駒に受け継がれるので、名種牡馬なのですが、サンデーサイレンスの遺伝力がスバ抜けて高かったということでしょう)

 1994年ナリタブライアンが三冠馬となり中央競馬の大主役を張っていた時、同時にフジキセキを始めとするサンデーサイレンス産駒が、2歳戦線で勝利を続けていたのです。
 ブライアンズタイムの種牡馬としての天下は、あっという間に終わりました。

 世界的には、それほど素晴らしい成績を残しているわけではない「ヘイロー系」のサンテーサイレンスが種牡馬として、我が国において、圧倒的な実績を上げて来ていることは、少し不思議です。

 しかし、とにもかくにも「100m~200mは良い脚を使う」サンデーサイレンス産駒の特徴を見事に発揮し、その産駒として初めてクラシックレース・皐月賞の優勝馬となって「サンデーサイレンス時代の幕を開けた」のが、ジェニュインだったのです。
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