HOME   »  2013年05月
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 2014年サッカーワールドカップWCブラジル大会アジア地区予選の、日本対オーストリアの試合が6月4日に迫りました。この試合は、埼玉スタジアムで行われます。

 FIFAワールドカップと埼玉スタジアムと来ると、思い出すことがあります。

 2002年WC日韓大会、グループリーグを勝ち抜いた日本代表チームは、決勝トーナメント1回戦(ラウンド16)でトルコ代表チームと対戦しました。
 宮城スタジアムで行われたゲームは、1対0でトルコが勝ちました。日本チームの日韓WCはこのゲームで終わったのです。

 当時の日本代表監督フィリップ・トルシエ氏は、試合後のインタビューで「ホームの歓声が欲しかった」とコメントしました。
 この試合は雨の中で行われました。そして、宮城スタジアムは陸上競技場と併用される競技場で、観客席からグランドまでが遠い上に、観客席の傾斜が緩く、歓声が上に抜けてしまうタイプだったのです。結果として、日本ファンの声援は、とても小さく、選手にもあまり届きませんでしたし、トルコチームへのプレッシャーにもなりませんでした。

 ホームアドバンテージという言葉がありますが、サッカーという競技は特にホームチームが強い競技です。その要因はいくつかあるのですが、観衆の声援も大きなものだと思います。ホームスタジアムでは、味方ファンからの大声援が送られ、ホームチームの選手は奮い立ち、アゥエイチームの選手には大きなプレッシャーとなるのでしょう。

 トルシエ監督が言いたかったのは、このゲームはホームの利を活かせなかった、つまりホームゲームでは無かったということ、そして日本チームがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進んだ時に、ホームの利が活かせるサッカー専用スタジアムでゲームが行えるようにスケジュールを組まなかった主催者に対する、不満も含まれていたと思います。この不満は、もっともなものだと思います。

 観客席とグランドが近く、観客席の傾斜も急で、歓声がまともにピッチに届く、サッカー専用スタジアムを試合会場として設定しなかった、日韓WCの日本側事務局の人の良さには苦笑せざるを得ません。人の良さも、ほどほどにして欲しいというところです。世界のサッカー関係者からすれば、理解に苦しむ対応でしょう。

 また、我が国のサッカー専用スタジアム不足も問題でしょう。大試合に使用可能な、大観衆を収容できる専用スタジアムというと、直ぐに思い浮かぶのは埼玉スタジアムとトヨタスタジアムくらいです。そして、今度の6月4日のオーストラリア戦は、埼玉スタジアムで開催されるのです。ギリギリの状況にあるワールドカップ出場に向けて、勝負をかける会場はサッカー専用スタジアムということです。

 確かに、スタジアム経営の観点からは、色々な競技に使用できる汎用的なスタジアムの方が、空き日が少なくなり使用料収入が増えるので、経営し易いという面はあります。日韓WC決勝が行われた神奈川の日産スタジアムでさえ、陸上競技場との併用型なのですから、我が国ではスタジアムと言えばこのタイプということなのでしょうが、私には、海外の賓客を多数招いたWC決勝で、プレーヤーが遠くにしか見えない会場しか提供できなかったことに対して、少し恥ずかしい気がしたものです。

 例えば、香川選手がドイツ・ブンデスリーガ時代に所属したチーム、ボルシア・ドルトムントのホームスタジアム「ズィグナル・イドゥナ・パルク」は、完全なサッカー専用スタジアムで、収容人数は7万5千人という、東京国立競技場の2倍近い観客を収容できる巨大なスタジアムです。
 陸上競技場よりひとまわり小さいサッカーグランドの周囲に7万人以上を収容する観客席を造ろうとすれば、当然に観客席の傾斜は急になります。そうしないと、後ろの列からグランドが遠くなってしまい、試合を見難いからです。

 そして、ドルトムントのホームゲームは、常に7万5千人を超える(2010年シーズンの1試合平均観客数76,780人)大入り満員です。(ボルシア・ドルトムントは世界屈指の観客動員数を誇るクラブです)
 長谷部選手、清武選手、乾選手を始めとする日本人選手の多くがドイツ・ブンデスリーガに所属していることもあって、時々ドルトムントの試合がテレビ放送されますが、密集状態の観客が溢れて、観客席から落ちてきそうな気がして、怖い感じさえします。こうしたスタジアムでゲームをするアゥエイチームのプレーヤーにとっては、大変なプレッシャーであろうと思います。

 バイエルン・ミュンヘンと比較すれば、資金力では見劣りするボルシア・ドルトムントですが、ブンデスリーガを2011年・2012年と連続優勝しました。このドルトムントの大きな戦力のひとつが、ホームスタジアムであるズィグナル・イドゥナ・パルクと常に大入り満員のファンの声援なのだろうと考えます。
 ドルトムントは、今季のUEFAチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出しました。

 我が国でいまからサッカー専用スタジアムを造っても、現在のJリーグの不人気を考慮すれば、経営が成り立たないという意見もあると思いますが、それは考え方の順番が逆で、サッカー専用スタジアムを造ることが、Jリーグの人気回復の一助となると考えたいものです。

 事実、埼玉スタジアムをホームとする浦和レッズの観客動員数は、常にJリーグのトップクラスに位置しています。

 2002年日韓WCのベスト16、日本対トルコのゲームを埼玉スタジアムで行っていたら、どうだったのでしょう。もちろん、あの時のトルコ代表チームは、最終成績が3位という好成績であったことを観ても大変強いチームでしたから、勝てたかどうかは何とも言えませんが、もっと盛り上がった、ホームゲームらしいホームゲームを展開できたとは思います。

 大事な国際試合に負けた要因のひとつが「スタジアムの構造」というのではあまりにも残念だと考えるのです。
スポンサーサイト
 将来、この5月場所を一言で表すとしたら「大関・稀勢の里の場所」ということになるでしょう。

 しかし結果は、横綱・白鵬が15戦全勝で25回目の優勝を飾りました。自身の全勝優勝記録を10回に伸ばしたのです。

 稀勢の里は強くなりました。前に出る力が増して、中々押されなくなりました。もともと地力は十分ですから、重心位置が少し低く前になっただけで、これ位の成績は残せるのでしょう。
 特に12日目の横綱・日馬富士戦、13日目の大関・鶴竜戦は見事な内容でした。立合いでガシッと受け止め、真っ直ぐに押して行くという取り口。日馬富士も鶴竜も、左右に自在に動ける力士なのですが、稀勢の里の圧力が強かったのか、おっつけが効いていたのか、何もできませんでした。この2番の強さを観れば、稀勢の里が既に横綱でも違和感は無いでしょう。

 それでも優勝が白鵬であったということは、白鵬の力も増していたことになります。共に13連勝で迎えた14日目の対決は、5月場所の愁眉でした。

 立合いで、白鵬は少し交わしました。稀勢の里の圧力をまともに受けることを回避することと、四つになることを狙ったのでしょう。直ぐにがっぷり四つとなり、体を入れ替えて白鵬が寄り立てます。おそらく、この寄り(体を入れ替えた際に、稀勢の里の重心が少し浮いている状態での寄り)が、第一弾の白鵬の攻めだったのです。

 稀勢の里は少し後退しましたが、この寄りを堪えて、逆に強烈な引き付けから寄り立てます。白鵬は、この寄りに対して、両まわしを引いたまま、まず右に稀勢の里を振ります。続いて、左に振り、再び右に振って、そのまま土俵に捻じ伏せました。
 最近、白鵬関が身に付けた、両まわしを引いたままの捻り倒すような投げです。稀勢の里と白鵬は、一緒に土俵に倒れ込みますが、白鵬の体が稀勢の里の上にありました。

 このところ白鵬は、寄り切れないと感じた相手に対して、素早い肩すかしや捻りが効いた投げで料理していますが、稀勢の里に対しても「捻り投げ」で勝負したことになります。白鵬独特の柔らかい上半身を最大限に活用した新しい攻め口、横綱・白鵬の進化の証です。横綱となり、24回の優勝を積み重ねてきた中で、さらに進化を続ける白鵬関に、拍手を送りたいと思います。

 また、白鵬は稀勢の里相手にまともに戦ってはリスクが高いと考えたのでしょう。稀勢の里の腰が落ち着く暇を与えずに、攻め続けました。作戦といい、技のキレ味といい、見事な横綱・白鵬の大相撲であったと思います。

 一方、稀勢の里関は、この取組では白鵬のスピードに付いて行けませんでした。また、がっぷり四つとなってしまい、稀勢の里の最強の武器である「左からのおっつけ」を出すことが出来ませんでした。一気に相手力士を吹っ飛ばす威力をもつ「左のおっつけ」を封じる、白鵬の作戦勝ちでもあったと思います。

 敗れた稀勢の里ですが、この場所は精神面の充実が感じられました。緊張すると盛んに瞬き(まばたき)をするのが特徴だったのですが、今場所はその瞬きが少なく、立合いの手を付いた時に見せる腰の動きもありませんでしたから、冷静沈着かつ安定した姿勢で取組に臨んでいました。
 また、時々何か呟いているシーンが目立ちました。自らを落ち着かせる手法を身に付けたのかもしれません。

 第一人者の大横綱・白鵬に「まともに取ると危ない」と思わせる程に、今場所の稀勢の里は充実していました。千秋楽に大関・琴奨菊の寄りに屈して13勝止まりだったことは、本当に残念ですが、いずれにしても来場所優勝するしかないのですから、同じことだとも言えます。

 今場所の稀勢の里関には、常に大きな拍手・歓声が送られました。大関・魁皇に送られた拍手・歓声に勝るとも劣らないものでした。
 大相撲の明日を支えるスター力士として、ファンは稀勢の里を認めたのだと思います。であれば、ファンの期待に応えるためには、来場所優勝するしかないのです。横綱昇進とは別の次元の話です。

 稀勢の里関は、この期待に応えなくてはなりません。そして、応えて行く実力は十分に備わっていると思います。
 キズナは、4角で最後方グループに居ました。直線の急坂を上りきった残り300m地点から加速し、前を走る14~15頭のライバルたちを一気に交わしてゴールという、見事なレース振りでした。

 日本ダービーには、いくつかの「勝ちパターン」があるのですが、その中で最も難しく希少な勝ち方で優勝したのです。
 この「4角最後方からゴボウ抜き」というパターンで優勝したのは、私の知る限り、ヒカルイマイ、ミスターシービーに続く、3頭目の快挙だと思います。
 そして、キズナの走ったコース、他の馬の配置を考慮すると、ミスターシービーの勝ち方に良く似ていると思いました。

 キズナがこうした難しい勝ち方をすることが出来たのは、前半1000mのタイムが60秒台と平均ペースであり、1000m~1800mの中間走に緩みが無く、上り600mが35.2秒であったことに、理由があると考えます。

 いつも書くことで恐縮ですが、どんなサラブレッドでも上り3ハロン・600mを31秒で走ることは出来ません。競走馬の絶対スピードには限界があるのです。
 日本ダービーのような大レースで、出走馬が強い馬ばかりであれば、道中楽は出来ませんから「33秒台で上がってくれば速い」ということになります。
 そうすると、先行馬が34秒台で上がってしまうと、最後方からでは届かないのです。これは、どんなに強い追い込み馬でも無理です。

 このレースは、道中のペースに緩みがありませんでしたから、先行馬の上がりには35.2秒を要しました。一方で、前半1000mは平均ペースでしたから、上りが36秒・37秒かかるという「先行馬総崩れ」のレースにもならなかったのです。3着に、先行したアポロソニックが残っていることでも解ります。

 こうした微妙なペース上がり下がりの中で、キズナは上がり3ハロン・600mで1.7~1.8秒のタイム差を縮めることが出来、ゴボウ抜きの大逆転レースを実現できたのです。

 レース後の鞍上・武豊騎手のコメントが印象的でした。「この馬のレースをしようと考えて乗った。直線で追い出した時には、届くかどうかは判らなかった。」と。武騎手は、キズナの能力を最大限に引き出すことに努め、全体のレース展開とのバランスの中で、ゴールで先頭に居たということでしょう。

 ミスターシービーのレースと似ていたと頭書しましたが、違う点はといえば、ゴールでの着差です。シービーは1と3/4馬身差、キズナは1/2馬身差です。
 これが、日本ダービー時点での、同世代のライバル達と、この2頭の力の差を示していると考えます。
 ミスターシービーは、追い出しのタイミングや展開が多少変わっても勝てる力の差があったのですが、キズナはこの形・このタイミングしかなかった、ということではないでしょうか。

 エピファネイアは大魚を逸しました。これで、皐月賞・日本ダービーとクラシック2戦連続2着です。菊花賞での巻き返しが期待されます。
 ロゴタイプは、それなりには走りましたが、こうした緩みの無い厳しいレースは、器用さだけでは乗り切れないことを示しました。
 コディーノは、最後の直線でキズナより2馬身前で追い出しましたが、全く伸びませんでした。これが血統のせいなのか、調子落ちのせいなのか、今後のレースを観てみたいと思います。

 そして、キズナ号は10月の凱旋門賞に挑戦するようです。斤量面で3歳馬が圧倒的に有利な凱旋門賞です。あの切れ味を、フランスでも魅せてほしいものです。
 2013年5月18日にかけて、ドイツ・オーベルストドルフで開催されたフィギュアスケートの国際アダルト選手権・マスターズアダルトの部で、伊藤みどり選手(43歳)が優勝しました。

 数々の大会で優勝を重ねた伊藤選手ですが、久しぶりの優勝です。演技内容も素晴らしいもので、ダブルアクセルの成功を始めとして、ダブルループ、ダブルトゥループも決めて、得点は70.74点でした。

 我が国の女子フィギュアスケート史上最高のプレーヤーは誰か。なかなか難しい問いです。伊藤みどり選手や、トリノオリンピック金メダリストの荒川静香選手、国民的アイドル浅田真央選手らが候補に挙がると思いますが、

① 日本の女子フィギュアスケートのレベルを一気に世界トップレベルに引き上げた功績
② 伊藤みどりの演技を観て、フィギュアスケートに憧れプレーヤーとなった選手が大変多いこと
③ ジャンプ主体のアスリート・女子フィギュアスケートの先駆者として、世界の女子フィギュアスケート自体を変革していったということ

 の諸点を考慮すれば、私は伊藤みどり選手がNO.1だと思います。それ程に、伊藤みどり選手の存在・影響力は大きなものでした。

 日本人として、そして、アジア人としての初めての世界選手権優勝や、全日本選手権での8連覇を含む9回の優勝、NHK杯の6回の優勝など、伊藤選手の残した記録は枚挙にいとまがありませんが、その愁眉は何といっても、1992年アルベールビル・オリンピックの銀メダル獲得、特にその時のフリー演技の素晴らしさでした。

 この演技で、伊藤選手は最初のトリプルアクセルで転倒しました。この前年に世界選手権で優勝していたのですが、アルベールビル・オリンピックは調子が上がらず、しばしばジャンプに失敗していたのです。
 しかし、伊藤は敢然と2度目のトリプルアクセルに挑み、これを見事に成功させます。綺麗に着地した後、伊藤選手は右手で小さくガッツポーズをしました。テレビの前で応援していた私達は、一斉に拍手と歓声を送りました。 多くの日本国民が、テレビの前に釘付けとなり、一斉に歓声を上げ拍手したように思います。伊藤みどりとは、そういうプレーヤーだったのです。

 正直に言って、決して容姿に恵まれていたわけでは無く、カタリーナ・ビット選手のような何とも言えない雰囲気を湛えていたわけでもありませんが、スピード十分のスケーティング、全身バネのような動き、そしてジャンプを成功した時の本当に嬉しそうな様子が、とても印象的なスケーターでした。

 伊藤みどりは、アスリート・女子フィギュアスケーターとして、日本はもちろん世界的に観ても史上最高のプレーヤーであったと確信しています。
 素晴らしいゲームでした。

 ロッベンのゲームでした。

 2013年UEFAチャンピオンズ・リーグCL決勝は、5月25日イギリス・ロンドンのウェンブリースタジアムで、バイエルン・ミュンヘンとボルシア・ドルトムントの史上初めてのドイツ勢同士の対戦となりました。

 前半は、ドルトムントのゲームでした。各プレーヤーの動きが良く、攻撃・守備両方の局面局面でバイエルンを上回るパフォーマンスを見せました。決定的なチャンスも何回かありましたが、都度バイエルンのゴールキーパーGKノイアーがファインセーブで防ぎました。さすがに、ドイツ代表GKというところです。

 ドルトムントの攻勢が続き、バイエルンは中々ボールをコントロールできない前半でしたが、ドルトムントがやや「飛ばし過ぎ」ている感じもしました。

 0対0で折り返し、後半が始まりました。

 後半も10分過ぎまでは、ドルトムントが積極的な攻撃・守備を展開しましたが、少し運動量が落ちてきたという印象でした。

 後半15分、バイエルンのロッベンが中央でボールをキープし、左サイドのリベリにパス、リベリからペナルティーエリアへ走り込んだロッベンへパス、ロッベンはゴールラインまでボールを持ちこみ、ゴール前のマンジュキッチにラストパス、完全なフリーであったマンジュキッチはこれを簡単に押し込み、バイエルンが先制しました。
 ゴールしたのはマンジュキッチですが、ロッベンとリベリで創り上げたゴールでした。さすがに、バイエルン・ミュンヘン中盤の2枚看板です。

 これでバイエルンのゲームになるかと思いましたが、ドルトムントの勢いは継続されていました。

 先制点から僅か6分後、ドルトムントのロイスがバイエルンゴール前左サイドに侵入すると、バイエルンのディフェンダーDFダンテが膝蹴りのような形になり反則、ペナルティーキックPK。
 このPKをギュンドアンがゴール右隅に低く強いキックで蹴り込みました。1対1の同点となりました。

 先制されても全く怯むことなく、攻撃を継続したドルトムントイレブンの気迫が、得点に結びついた形でした。ドルトムント恐るべし。

 しかし、ハイペースで飛ばしていたドルトムントの動きが少しずつ落ちてきました。それまで封じられてきたリベリが、次第にフリーになる回数が増えてきたのです。
 両チームとも、ここまでメンバー変更を行っていません。選手たちの疲労が目に見えてきました。

 バイエルンのボール支配率が向上し、チャンスも増えてきました。凄いシュートが何本かドルトムントゴールを襲いましたが、今度はドルトムントのGKバイデンフェラーがファインセーブを連発します。
 特に、バイエルンのアラバ、ダビドのシュートは素晴らしいものでしたが、これをセーブしたバイデンフェラーの動きは見事でした。ギリギリのセーブと感じさせない安定感。
 このゲームがUEFA-CLの決勝戦であることを、改めて感じさせるものでした。

 後半も30分を過ぎました。ドルトムントの運動量は相当に落ち、バイエルン・ミュンヘンの波状攻撃が始まりました。ドルトムントのペナルティーエリアを囲むように、ボールが回され続けます。
 しかし、ドルトムントも良く守り続けましたので、延長戦の雰囲気も漂いました。

 その後半35分、DFからのロングパスをリベリが何気なく足許に収めました。ドルトムントのペナルティーエリアの少し外、ゴール正面の位置です。
 そして、走り込んできたロッベンにヒールパス。ロッベンはGKと一対一となり、バイデンフェラーの動きとは逆の右側にシュート。ロッベン自身も無理な体勢からのシュートでしたから、矢のようなシュートでは無く、ゆっくりとボールはゴールに吸い込まれました。
 バイエルンが2対1とリード。

 リベリのトラップは何気ないものでしたが、高いレベルの技術が発揮されたものでした。走り込んだロッベンの体力というか持久力には頭が下がります。80分間走り続けても、ここぞという時に、ここぞという場所に、ここぞというスピードで動けるロッベンの面目躍如たるものがあります。

 そして、ロッベンとGKの一対一。このシーンを何度目にしたことでしょう。そして、何度外したことでしょう。このゲームの前半にも、ロッベンは1本外しています。
 前回のワールドカップ決勝・スペイン対オランダのゲームでも、ロッベンは2度GKとの一対一でゴールを決めることができませんでした。もし、ロッベンが1本でも決めていれば、オランダの初優勝が見られたかもしれません。
 前回の欧州選手権も含めて、ロッベンの一対一は呪われたように入りませんでした。

 しかし、ついに決めたのです。それもCL決勝の後半35分という、ゲームを決めるゴールです。これまでの呪縛を解く、ロッベンのゴールであったと思います。

 このゴールで2対1とバイエルンがリードしました。ドルトムントは、ゴールを取りに行かなくてはなりませんし、バイエルンは守りに入るために、一気にメンバー交代が行われました。ベンチが勝負に出たのです。

 ロスタイムは3分。
 これをバイエルン・ミュンヘンは守り切り、優勝しました。5度目のチャンピオンズ・リーグ制覇です。現在、欧州最強のクラブであることを明確に示した勝利でした。

 ゲーム全体として、その技術の高さ、運動量の豊富さ共に素晴らしいもので、UEFA-CLの決勝に相応しいものでした。ボルシア・ドルトムントの健闘は見事で、最後は個々のプレーヤーの輪郭の強さというか、名前の大きさに押し切られた感じでしたが、勝つチャンスは十分に有りました。ドイツ・ブンデスリーガのレベルの高さを、存分に披露したゲームとも言えます。

 ロッベンはピッチに膝まづき、両手を空に上げた後、ゆっくりと芝生に頭を落としました。実力は誰もが認めるプレーヤーですが、カップ戦の優勝には縁が薄く、シルバーコレクターなどと揶揄されていたロッベンが、ついに優勝を手にしたのです。

 1点目のアシストと2点目のゴール。ロッベンのゲームでした。

 呪縛から解かれたロッベン選手の今後の一層の活躍が期待されます。
 日本経済新聞のシリーズ物記事「私の履歴書」、5月はプロゴルファーの岡本綾子氏です。「私の履歴書」には、政財界、法曹界、芸能界等々、様々なジャンルの方が登場しますが、スポーツ界の著名人も時々採り上げられます。
 スポーツ選手の「私の履歴書」は、私達が知っている試合やプレーと、その記述内容がリンクすることもあり、臨場感十分なことが多いので、いつも楽しく読ませていただいています。

 今回の岡本綾子氏のものも、その世界に身を置いている方、世界トップクラスの女子ゴルフ界の内情や、岡本選手の心情などの記載が盛り沢山で、とても面白く素晴らしい「私の履歴書」です。

 毎日毎日見所満載ですが、特に感心しているのは

① 勝負の厳しさ
 当たり前のことと言われてしまいそうですが、改めてトップアスリートの戦いの厳しさを実感します。
 日本プロゴルフツアー、アメリカプロゴルフツアーLPGAの両方の予選会で、両方とも1度目の挑戦では失敗し、2度目に成功していることや、1986年のデュモーリエ大会でのパット・ブラッドリー選手とのやり取りなどなど。厳しいトーナメントの細部が生々しく描かれています。
 岡本選手が勝負強いなと観ていたブラッドリー選手が、実はアルコール依存症であったことなど、LPGAで戦うことの精神的プレッシャーの大きさを感じさせます。

 また、『ジャック・ニクラスから「ナンシー(ロペス)もアヤコみたいなスイングをした方がいいよ。素晴らしいリズム・テンポをしているよ」と言われて、とてもうれしかった』という記述などは、世界のスーパースターから褒められて嬉しいという、当然のことのように観えますが、凄まじい戦いの日々の中で言われたので、一層喜びが大きかったのではないかと思います。
 この「うれしかった」という記述に、LPGAの戦いの厳しさを感じるのです。

② 繊細な神経
 岡本綾子選手といえば、LPGAツアーで戦う日本人女子プロゴルファーの草分け的存在で、ソフトボールで鍛えた筋力から生み出される豪打をベースとしたプレーヤーで、攻撃的な図太い神経の持ち主かと思っていましたが、この文章の随所に、どちらかといえば「気が弱い」「受け身」「びびり」な性格が、何度も何度も書かれています。

 LPGA賞金女王を争った試合の最終日の朝『あまりの緊張感で胸が押しつぶされそうだった。クラブハウスのトイレの中で、手が震えていた。1番でティーアップするときも手が震えた。「あーっ、ボールが乗らない」・・・・心臓が口から飛び出しそうな気分を味わった・・・・』と。

 あの堂々たるプレー振りをテレビ画面で観ていた私には、最初はやや意外でしたが、読み進むにつれて、こうでなくてはならないと考えるようになりました。
 岡本選手だけでは無く世界トップレベルのプレーヤー達は皆、常に不安や恐怖と戦っているということ、そして不安や恐怖という感覚が無くては、様々なリスクに対する対応が難しいのではないかと思うのです。このリスク感覚に優れたプレーヤーでなければ良い成績を残せないのではないでしょうか。

 失敗しても、あっけらかんとしているプレーヤーの方がプロ向きのように思いますが、本当は逆なのでしょう。心配で仕方がない、不安で仕様がないから、一生懸命に準備し、日々の生活を律することができるのかもしれません。

③ ゴルフが好きであること
 これだけ厳しい戦いの中に身を置いて、日々神経をすり減らしていた岡本選手ですが、やはりゴルフが大好きでした。
 結婚のチャンスが何度かあったとのことですが『でも、ゴルフは練習すればするほど上達すると感じていたから、デートする暇が惜しい。時間があったら練習していたいとも思った』と。

 この感覚は、本当に凄いと思います。心底ゴルフが好きなのです。好きでなければ、この厳しい世界で戦い続けることは難しいのでしょう。

 毎日毎日、楽しく読ませていただいている岡本氏の「私の履歴書」ですが、5月15日の回だけは極めて不快でした。岡本選手のことが不快だったわけでは無く、LPGAに挑戦することを決めた岡本選手に対する、日本女子プロゴルフ協会や日本マスコミの対応の酷さが不快でした。

 『すでに渡米していた私のもとへ、関係者がやってきて「フニャ、おまえは自分だけでいいと考えている。ゴルフができないようにしてやるぞ」。何という脅し文句。協会もマスコミも信じられず、人間不信に陥った』と。

 他の競技や業界でも、時々耳にするこういう人達=輩(やから)の酷さには、ただ呆れるばかりです。そもそも、岡本選手を始めとするプレーヤーの活躍のお蔭で、生計を立てさせていただいている輩が、感謝する必要はあっても、脅すなどとんでもない話です。
 ファンや観客に、自分では何一つ提供することができない輩が、その業界を支えるプレーヤーに向かって暴力団紛いの言動をするなどというのは、あってはならないことで、有害無益なこうした輩を、排除していくことはできないのでしょうか。

 とはいえ、こうした不快な事実も記述していただけることで、女子プロゴルフ界の暗部についても、知ることができるのは有り難いことなのでしょう。

 20年ほど前に、仕事でアメリカ・アトランタを訪れました。現地の仲間と車で移動している時に「近くに岡本綾子のマンションがあるから見に行こう。彼女のアメリカでの拠点はアトランタなんだ。暖かくて一年中プレーできるし、周辺に良いコースも多いから」と案内されました。

 車を止めて、マンションを見上げました。もちろん、岡本選手に会うことはできませんでしたが、静かなエリアに立っているマンションだと思ったことを憶えています。
 今回の「私の履歴書」を読むにつけ、あそこを拠点に、こんなにも厳しい戦いを展開していたのだと、改めて思うのです。
 2013年5月26日、東京競馬場芝2400mコースで行われる、競馬の祭典・第80回東京優駿(日本ダービー)競走G1の注目馬です。

 今年も18頭のフルゲートとなりました。昔の32頭、28頭の時代程ではないにしても、やはり多頭数ですので、8枠は少し不利です。今年も牝馬の挑戦はありませんでした。ダービーダンディーズの激しい戦いとなるでしょう。

 そして、4月14日の皐月賞の1~3着馬が無事に出てきたことは、とても良かったと思います。(4着のカミノタサハラは残念ですが)やはり、クラシックレースの連続性は重要です。皐月賞上位入着馬に、他の馬が挑戦するのが日本ダービーの醍醐味でしょう。

 注目馬の第一は、1枠2番のコディーノ。G1朝日杯FS2着、G2弥生賞3着、G1皐月賞3着と勝ち切れないレースが続いていますが、良い脚を長く使える脚質は日本ダービー向きだと思います。調子が上向いてきていることを信じて、一番手とします。

 注目馬の第二は、4枠8番のロゴタイプ。朝日杯FSと皐月賞の2つのG1を勝っていますから、ここまでの世代最強馬であることは論を待ちません。どこからでも動ける自在の脚が魅力です。ここでも、勝ち負けの勝負を魅せてくれるでしょう。
 このレースを制するようなら、三冠も夢ではありません。

 注目馬の第三は、7枠13番のマイネルホウオウ。G1NHK杯制覇から中3週のローテーションは、少し厳しいと思いますが、NHK杯のレース内容は大変良かったと思います。また、ここまでマイル路線を使ってきていますが、あのゴール前の脚色を見ると2400mでも十分に勝負できると思います。伸び盛りの予感もします。
 母の母の父はリアルシャダイ、我が国屈指のステイヤー血統です。あっと驚く追い込みが観られるかもしれません。

 第80回日本ダービーは、この3頭に注目します。いつの時代も、日本ダービーは華やかなレースです。
 3強という言葉は、競馬界で時々使われます。その時代その時代の大レースにおいて、3頭の強い馬がレースを構成した時に、使用されるのです。

 もちろん、1番人気から3番人気までの馬を3強と呼ぶわけではありません。

① その3頭が、他の出走馬に比して明らかに上位の実力を保持していること。
② その3頭の力量が接近していること。
③ その3頭が1~3着を占めること。
 この3つの条件をクリアして、初めて3強のレースと呼べるのだと思います。

 日本ダービーにおいて、この3条件をクリアしたのは、1972年のレースだけだと思います。私は、このレースを「ザ・3強」の日本ダービーと呼びます。

 1972年・昭和47年の3歳世代は関西馬が優位でした。最初に名乗りを上げたのは、ヒデハヤテです。2歳時に、当時の関西地域最大の2歳重賞・阪神3歳ステークスを8馬身差で圧勝、1分35秒1という驚異的なレコード勝ちでした。このタイムは、それまでのレコードタイムであったアローエクスプレスの1分36秒2を一気に1秒1短縮する、別次元のタイムでしたから、当然にクラシック路線の最有力馬となりました。

 ヒデハヤテは、明けて3歳となった1972年も連勝を続け、京成杯まで5連勝、しかもいずれも完勝でしたから「皐月賞・日本ダービーまではこの馬で仕方がない」と言われました。私も、3冠馬の可能性も十分と感じました。
 しかし、好事魔多し。ヒデハヤテは脚部不安から、クラシック路線を離れました。

 1972年は、もうひとつ大きな出来事がありました。競走馬のインフルエンザが大流行してしまったのです。特に関東では、冬から春にかけて競馬が開催できない時期が続き、クラシック路線も約2か月後ろ倒しとなりました。

 この間に名乗りを上げたのが、ロングエース、ランドプリンス、タイテエムの関西馬3頭でした。

 ロングエースはデビューが遅れましたが、5連勝で弥生賞を制して、皐月賞の有力馬となりました。
 ランドプリンスは、京成杯でヒデハヤテの2着、弥生賞でロングエースの2着と勝ち切れないレースが続きましたが、世代屈指の実力は高く評価されていました。
 タイテエムは、脚部不安が出たとはいえ世代最強と呼ばれたヒデハヤテを、スプリングステークスで破り、皐月賞に駒を進めました。

 5月28日の「遅い」皐月賞は、ランドプリンスが勝ちました。ロングエースは3着、タイテエムは僅差の7着でした。

 そして1972年7月9日、第39回日本ダービーを迎えます。滅多にない7月上旬のダービーでしたから「七夕ダービー」とも呼ばれました。27頭が出走したこのレースの1番人気はロングエース、2番人気はランドプリンス、3番人気はタイテエムでした。

 レースは、4角を回って直線、まずタイテエムが馬場の中央から抜け出します。そして、外からランドプリンスが、内からロングエースが、並びかけます。3頭並んでの叩き合いはゴールまで続きました。
 3頭並走ですから、真ん中のタイテエムは挟まれてしまい不利です。両サイドのランドプリンスとロングエースが、僅かに前に出て、内のロングエースが首を伸ばし、さらに前に出たところがゴールでした。着差は、クビ、アタマ。走破タイムは、2分28秒6のレコードでした。

 日本ダービーに限らず、ほとんど差も無く3頭が200m以上に渡って並走し、僅かな差で勝敗が決するレースは滅多にありません。
 そして、その3頭は1~3番人気なのです。今後も見られそうもない「ザ・3強」ダービーでした。

 ゴール前、ロングエースの鞍上・武邦彦騎手の長手綱・腰高の騎乗フォームが大変印象に残っています。武豊、武幸四郎、両騎手の父・武邦彦ですが、同じモンキー乗りとはいえ、独特のフォームでした。現在では、ああしたフォームの騎手は見当たりません。

 このレースに近い3強ダービーといえば、1968年・昭和43年の3強、マーチス、タケシバオー、アサカオーのレースが思い出されますが、こちらは3強が牽制し合ったために、タニノハローモアの逃げ切りを許してしまい、2着タケシバオー、3着アサカオー、4着マーチスとなってしまいました。この3頭が1~3番人気であったので残念な結果ですが、画竜点晴を欠きます。
 やはり、1972年が「ザ・3強」の日本ダービーでしょう。

 曇り空で、やや薄暗かった府中・東京競馬場で繰り広げられた3頭の叩き合いは、永遠に語り継がれるレースだと思います。
 今回は九州・宮崎のコースです。20年以上前のラウンドでした。

4.フェニックスカントリークラブ(宮崎)

 当時(現在も)、我が国屈指のツアー大会であったダンロップ・フェニックストーナメントの開催コースでした。友人と一度はプレイしてみたいと話していて、思い切って行ってみました。27ホールのコースですので、2日間に渡ってのプレイでした。

 ティーインググランドに立つと、平らなコースと両側の松林が見えます。というか、それしか見えないのです。各ホールは、密生した松林によってセパレートされていますから、それだけしか見えないのです。トーナメントのテレビ放送では俯瞰で映し出されるので、綺麗なフェアウェイの芝の刈り込んだ模様や、海の様子など、美しい風景が広がりますが、プレーヤーにはそのホールのフェアウェイと、やや低い松林しか見えません。どのホールも同じような景色で変化に乏しく、これは少し意外でした。

 ショットを曲げて松林に打ち込む(よくあることです)と、リカバリーショットが難しい。何しろ、地面は砂で、雑草も生えていませんから、林の中は全てバンカーのようなものです。そこに太い松の根が張り出しています。松の根と松の根の間にボールがあることも。ピッチングウェッジなどでリカバリーショットを試みて、ミスを繰り返していますと、キャディさんが「パター。パターで思い切り出して。50ヤード位は打てるから」。
 なるほど、フェニックスの林の中からの脱出はパターを使うのか・・・。

 ラウンドが進み、池に打ち込むと「大丈夫、セベも落としたわよ」とキャディさん。「セベって誰?」「あのスペインの」「ああ、セベ・バレステロスのこと」「そうそう」。
 バンカーから1回で出ないと「スタドラーも、このバンカー1回で出なかったわよ」と、どうやらグレッグ・スタドラーのことらしい。
 キャディさんたちは皆、ダンロップ・フェニックストーナメントで、海外一流プレーヤー達のキャディを経験しているのです。

 トーナメントでジャンボ尾崎が打ち込んだショートホールの池に、こちらもしっかり打ち込むなど、スコアは散々でしたが、毎ホール世界の一流プレーヤーの話を聞きながらのラウンドは、とても楽しいものでした。

 あのキャディさんたちは、まだ現役なのでしょうか。
 日本ダービーを観るようになってから半世紀が過ぎましたが、勝つことが非常に難しいこのレースで、最も楽勝したのはメリーナイス号だと思います。

 1987年5月31日、快晴の府中・東京競馬場。4角を回って最後の直線、本命馬不在のこの年の日本ダービーを象徴するように、各馬横一線で残り300m。するすると1頭の栗毛馬が、馬場の中ほど少し外側から出てきました。メリーナイスでした。

 激走という感じでは無く、ゆったりと出てきた様子で、そのままライバルたちを引き離す一方。ゴールでは6馬身差でした。明るい日差しの中で、四白流星の明るい栗毛の馬体が踊っているようでした。

 日本ダービーを圧勝した馬といえば、1994年のナリタブライアンと1998年のスペシャルウィーク、2005年のディープインパクトだと思いますが、楽勝した馬といえば、このメリーナイスでしょう。

 メリーナイス号、父コリムスキー、母ツキメリー、生涯成績14戦5勝。G1朝日杯3歳ステークスにも勝っていますから、この世代の強豪馬の一頭であったことは間違いないのですが、勝たれてみるといつも意外な感じがしたことを憶えています。

 日本ダービー馬となって以降は、セントライト記念にこそ勝ちましたが、それ以外の勝ち鞍は無く、現役を引退し種牡馬となりました。
 そして、あまり注目される血統では無かったのですが、種牡馬としても意外?な活躍を見せ、マイネルリマーク(共同通信杯4歳ステークスの勝ち馬)、イイデライナー(京都4歳特別)、エスケイタイガー(黒潮杯、平和賞)の父となりました。

 メリーナイスは、楽しい生涯を送ったような気がします。
 1975年・昭和50年5月25日、府中・東京競馬場、第42回日本ダービーは、カブラヤオーの光速の逃げで始まりました。前半の1000mを58秒6という、有り得ないタイムで通過します。

 「有り得ない」というのは、カブラヤオーが1番人気の本命馬で、このレースを勝たなければならない馬という意味で「有り得ない」のです。いつもの日本ダービーなら61秒前後で通過する1000mを58秒台なのですから。多くのファンの期待を背負っているカブラヤオーが、このようなハイペースで逃げなければならなかったのには、理由があります。

 現在のフルゲートが18頭である日本ダービーですが、この頃は28頭だったのです。日本ダービーに持ち馬を出走させることは、昔も今も馬主にとっては「夢」です。そして、そのレースで一度でも名前を呼ばれたいと考えるのも無理のないことで、この頃の(多頭数の)日本ダービーでは「テレビ馬」と呼ばれる、ペースを無視して無理やり逃げる馬が時々現れました。

 この年も、トップジローがテレビ馬を目指して、スタート直後からハイペースで飛ばしたのです。しかし、カブラヤオーの凄いというか怖ろしいところは、このテレビ馬をも押さえ込んで先頭に立ってしまうところです。そして、2400mの日本ダービーでは「有り得ない」、1000m58秒6というラップを叩き出したのです。

 そもそも、カブラヤオーは中山競馬場2000mの皐月賞でも、1000mを58秒9という短距離戦並みのハイペースで飛ばし、逃げ切って優勝しています。この皐月賞の時も「有り得ない」ペースと言われたのです。それより400m長い、そして最後の直線が中山より200mも長く、逃げ馬には不利といわれる府中で、皐月賞を上回るペースで逃げたのです。

 誰もが「さすがにこれでは持たない」と思いました。私も、こんな酷いペースで逃げるとは、菅原は下手くそな騎手だと思いました。(失礼しました)

 さて4角を先頭で回ったカブラヤオーは、最後の直線で苦しがって、右に左に寄れながら走ります。あのハイペースですから当然です。後ろから、ロングファスト、ハーバーヤングらが追い上げてきます。
 よれよれのカブラヤオーが抜かれるのも時間の問題と観えましたが、2馬身以内に追い付かれてから、カブラヤオーは粘りました。残り100mから、その差は詰まることが無く、逃げ切ったのです。

 驚異的な逃げ切り勝ちとして、後世に語り継がれるカブラヤオーの日本ダービー優勝でした。競馬評論家の井崎修五郎氏は、史上最強馬はという問いに対して「ひとつのレースだけを観れば、日本ダービーの時のカブラヤオー」と再三コメントしています。
 現在に至るまで、これだけの前半ハイペースで日本ダービーを逃げ切った馬は居ません。空前絶後の逃げ切りでした。

 カブラヤオー号、父ファラモンド、母カブラヤ、生涯成績13戦11勝、2着1回(新馬戦)。カブラヤオーは、血統が良いとはいえず、毛艶も悪く見た目も決して良いとはいえない馬でしたから、なかなか買い手が付かず、結局生産者が保有してレースに出ていました。

 春の2冠から、3冠馬を目指してトレーニング中に屈腱炎を発症し、秋の菊花賞には出走できませんでした。屈腱炎の原因として、蹄鉄の打ち損ねが指摘されました。いったい、皐月賞・日本ダービーの2冠馬に対して、蹄鉄の打ち損ねなどということが有り得るのだろうか、「安い馬が3冠馬などになってしまっては、生産者や競馬界全体に悪影響を及ぼす」と考えた競馬関係者が、ワザと打ち損ねて故障させたのではないか、などという風評が起こりました。
 同世代の他の馬達との力の差が圧倒的であり、血統的に観ても、出走してくれば菊花賞も間違いなく優勝できたであろうというファンの思いが、こうした風評を生んだのでしょう。

 「狂気の逃げ馬」などという、有り難くない異名をもつカブラヤオーですが、その表情は、常に優しいものでした。
 日本ダービー史上に燦然と輝くカブラヤオーの走り。いつまでも、語り継がれていくことでしょう。
 東京優駿(日本ダービー)競走は、とても華やかなレースだと思います。

 今から40年ほど前、スマホもタブレット端末も無かった時代、競馬場や場外馬券売り場は「男の世界」でした。あまり綺麗な服装をしているわけでもない?男たちが、新聞などを手にうろうろと動き回り、時折歓声を上げ溜息をついていました。

 そんな頃でも、日本ダービーの日だけは、少し華やかになりました。彼女を連れて、競馬場や馬券売り場に現れる男が多くなるのです。当時「デートに使える唯一のレース」が日本ダービーだったのでしょう。

 日本ダービーには、特別な意匠も凝らされます。競走馬に取り付けられるゼッケンにも、金糸の縁取りが付きます。このレースだけの細やかな意匠です。

 東京優駿(日本ダービー)競走は、勝つことが非常に難しいレースだと思います。

 あのシンザンも、ゴール前でようやくウメノチカラを交わし、シンボリルドルフもスズマッハを交わした時には、脚は残っていませんでした。オルフェーヴルもウィンバリアシオンの追い上げを一杯一杯で残しました。

 後に三冠馬となり、史上最強馬の候補に挙がるような優駿でさえ、東京優駿競走はやっと勝ったのです。
 
 出走すること自体が、その馬の名誉となるレース。我が国で毎年生まれる8000頭のサラブレッドの中から、走ることを許された18頭のダービーダンディーズ。

 東京優駿(日本ダービー)競走は、特別なレースなのです。
 なでしこジャパンのフォワードFWの主力プレーヤーであり、現在ドイツ・ブンデスリーガ女子1部のポツダムチームに所属している大儀見優季(おおぎみ ゆうき、旧姓 永里優季)選手が、今2012年~2013年のシーズンで、18点を挙げ、得点王に輝きました。まさに快挙です。

 男女を通じて、日本人プレーヤーが、世界の主たるサッカーリーグで得点王に輝いたのは初めてのことだと思います。素晴らしいことです。

 大儀見選手は、1987年7月神奈川県生まれの25歳。14歳の時に、なでしこリーグの日テレ・ベレーザのプレーヤーとして、そのサッカーキャリアをスタートしました。そして、2009年までの9年間に110試合に出場し69得点を挙げています。2010年には、ドイツ・ブンデスリーガ1部のトゥルビネ・ポツダムに移籍し、現在に至っているのです。

 大儀見選手は、世界トップクラスのリーグで、その実力を着々と伸ばしています。そして、なでしこの他の選手もそれぞれ海外のチームに所属するようになってきました。間違いなく、日本女子サッカーのレベルアップに結び付く事象だと思います。

 大儀見選手、本当におめでとうございます。お見事です。
 欧州サッカーにおける主要リーグの、2012年~2013年シーズンの優勝チームが決まりました。順不同で記載します。

① ドイツ・ブンデスリーガ バイエルン・ミュンヘン
② スペイン・リーガエスバニョーラ FCバルセロナ
③ イングランド・プレミアリーグ マンチェスター・ユナイテッド
④ イタリア・セリエA ユベントス
⑤ フランス・リーグアン パリ・サンジェルマン
⑥ オランダ・エールディヴィジ アヤックス

 見事に「本命サイド」の結果となりました。各国リーグを代表するチームが、これだけ揃って優勝したシーズンも、あまり記憶にありません。

 ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンは1900年の創設。チームカラーは赤。常にブンデスリーガの中心的なクラブとして存在し、これが23回目のリーグ制覇です。国内最大のカップ戦DFBボカールでも15回の優勝を誇ります。そして、欧州のクラブチームの実力比較を行う場合に、最も良い物差しとなるUEFAチャンピオンズ・リーグCLでも4度の優勝を果たしていますから、まさにドイツを代表するクラブチームです。

 今季は、ゴールキーパーGKのノイアーやフォワードFWのミュラー、ミッドフィールダーMFのジュバインシュタイガー、ディフェンダーDFのボアテング、ラームといった多くのドイツ代表プレーヤーに、MFのリベリ(フランス)、ハビ・マルチネス(スペイン)、マンジュキッチ(フランス)、ロッベン(オランダ)、アラバ(オーストリア)、DFのラフィーニャ(ブラジル)、FWのピサーロ(ペルー)といった世界各国の代表プレーヤーを加えた、圧倒的な布陣で優勝を勝ち取りました。

 分厚い中盤をベースとした得点力が抜群でした。現時点では、ブンデスリーガはもちろんとして、世界最強のクラブチームでもあると思います。

 スペイン・リーガエスバニョーラは、その戦力からしてFCバルセロナとレアル・マドリードの優勝争いとなることは予想されていましたが、バルセロナが制しました。
 FCバルセロナは、1899年の設立。チームカラーはえんじと青。レアル・マドリード、アトレティコ・マドリードとともに、リーガ・エスバニョーラの3強として常にリーグを牽引する存在です。今回の優勝でリーガ・エスバニョーラのプリメーラ・ディビジョン(1部)で22回目の優勝、国内最大のカップ戦コパ・デルレイ(スペイン国王杯)でも26回の優勝を誇ります。そして、UEFA-CLでは4度の優勝を果たしています。

 華麗なパスサッカーが持ち味です。今季も、FWのメッシ(アルゼンチン)、ビジャ、MFのシャビ、イニエスタ、セスク・ファブレガス、ブスケツ、ドス・サントス(メキシコ)、DFのプジョル、アルバ、GKのバルデスといったスタープレーヤーを有して、レアル・マドリードとの競り合いを勝ち抜きました。
 戦力は下降気味と指摘されますが、スペイン代表チームの中核メンバーを主体としたチームですから、まだまだ世界屈指のクラブであると思います。

 イングランド・プレミアリーグは、マンチェスター・ユナイテッドがキッチリと優勝しました。マンチェスター・ユナイテッドは、1878年の設立。チームカラーは赤。イングランド1部リーグ時代から通算してリーグ戦20回目の優勝です。マンUは、イングランド1部リーグ時代よりも、1992年にスタートしたプレミアリーグになってから、加えてアレックス・ファーガソン監督が指揮を執るようになってから、優勝を積み重ねるようになりました。現在では、イングランドを代表するクラブと言ってよいでしょう。
 イングランド最大のカップ戦FAカップの優勝も11回を数えますし、UEFA-CLも3度制しています。

 FWに、ファンペルシ(オランダ)、ルーニー、ウェルベック、エルナンデス(メキシコ)、MFにアシュリー・ヤング、香川(日本)、ナニ(ポルトガル)、スコールズ、ギグス(ウェールズ)、DFにファーディナンド、ダ・シウバ(ブラジル)、エヴラ(フランス)といったプレーヤーを擁して優勝しました。
 アーセナル、チェルシー、リバプールとともにリーグ4強と呼ばれますが、現状の戦力を観ると、プレミアリーグはマンチェスター・ユナイテッド中心の時代が続きそうです。
 
 イタリア・セリエAは、ユベントスが順当に制しました。ユベントスは、トリノに本拠地を置く1897年設立のチームです。チームカラーは白と黒(縦縞)。リーグ優勝は1905年に始まり今回で29回目、リーグ最多優勝回数を誇る、セリエA屈指の名門チームです。(ACミランの優勝回数18回と比較しても、ユベントスの歴史と伝統が解ります)
 イタリア最大のカップ戦コッパイタリアも9回優勝していますし、UEFA-CLも2度制しています。

 ユーロ危機の影響もあってイタリア経済が低迷している為でしょうか、今季のセリエAは観客の入りも極めて悪く、各クラブの経営状態も良くありません。結果として、セリエAから世界各国の一流プレーヤーが放出されてしまっていますが、まだユベントスには良い選手が残っているのです。
 MFのピルロ、マルキジオ、ビダル(チリ)、アサモア(ガーナ)、DFのボヌッチ、バルツアッリ、キェッツリーニ、FWのヴチニッチ(モンテネグロ)、ベントナー(デンマーク)、アネルカ(フランス)、そしてGKのブッフォンといったメンバーです。
 セリエAの他のチームに元気がありませんから、当分の間はユーベにセリエAの威信を守ってもらうことになりそうです。

 フランス・リーグアンを制したパリ・サンジェルマンは、1970年設立と、ここまで書いてきたチームと比べて、とても新しいチームです。チームカラーは紺と赤。今回の優勝で、リーグアン3回目の制覇、国内のカップ戦クープ・ドゥ・フランスは8回優勝しています。UEFA-CLの優勝はありません。

 本ブログでも何回か書いていますが、豊富な資金力を背景に今季一気にチーム力を向上させて、現在ではリーグアンを代表する戦力を擁するクラブとなりました。そして、順当に優勝した形です。
 FWのイブラヒモビッチ(スウェーデン)、ラベッシ(アルゼンチン)、MFのパストーレ(アルゼンチン)、モッタ(イタリア)、ルーカス(ブラジル)、メネス、DFのチアゴ・シウバ(ブラジル)、アレックス(ブラジル)、マクスウェル(ブラジル)といった、外国人プレーヤーが主体のチーム構成になっています。今後地元フランス人プレーヤーを加えて行くと、より良いチームに成るでしょう。

 19年振りのリーグ制覇でしたからファンの喜びも大きく、優勝パレードは発煙筒も沢山炊かれて、大変な騒ぎになったようです。パリっ子サッカーファンにとっては久しぶりの歓喜だったということでしょうが、今後はもっと頻繁にパレードを観ることができるのではないでしょうか。

 最後は、オランダ・エールディヴィジです。ここもオランダリーグを代表する名門チーム・アヤックスが制しました。アヤックスは、アムステルダムを本拠地とする1900年創設のクラブです。チームカラーは赤と白。

 これで、エールディヴィジの優勝は32回目、オランダカップも18回制しています。そして、UEFA-CLも4度制覇しているのです。アヤックスのチャンピオンズ・リーグ優勝回数4度は、バイエルン・ミュンヘンやFCバルセロナと並ぶもので、マンUより多いのです。アヤックスが、欧州を代表するクラブのひとつであることを如実に示しています。

 今季のアヤックスのチーム構成には、大きな特徴があります。まるで「デンマーク代表チーム」の様なのです。
 MFは、シェーネ(デンマーク)、エリクセン(デンマーク)、ボウルセン(デンマーク)、アンデルセン(デンマーク)にデ・ヨング(スイス)を加えた布陣、DFはファン・ライン、モイサンデル(フィンランド)にデンマークのボイルセン、FWはスレイマニ(セルビア)、シグソールソン(アイスランド)、クエンカ(スペイン)といった若い選手達で固めています。

 欧州におけるサッカー王国のひとつオランダですが、その代表的クラブであるアヤックスに、自国の代表クラスの選手が少ないのは意外なところです。

 以上、欧州サッカーの主要6リーグの今季優勝チームを紹介してきました。頭書の通り、今季は本命チームが順当にリーグを制した形となっています。
 6つのチームに共通しているのは、攻撃力に勝るチームであることです。ボールが軽くなり操作しやすくなっていることもあってか、堅い守りで1点を守り抜くというタイプのチームがリーグ戦を勝ち抜くのは、難しい時代になっているのかもしれません。

 それにしてもいつの時代も、欧州各国のサッカーリーグには世界中から素晴らしいプレーヤー達が集結しています。また、この6つの国以外にも各国にリーグがあるのです。
 欧州サッカーの歴史と伝統の深さに、今更ながら感服します。
 4月の本ブログで、ダルビッシュ有、黒田博樹、岩隈久志のMLBでプレーする3人の先発投手が好調であることを書きましたが、その後も素晴らしい投球を続けています。

 シアトルの岩隈投手は、5月18日現在で8試合に先発し58イニング余を投げて5勝1敗。防御率1.84、WHIPが0.78と抜群の投球内容です。低めに球を集めて打たせて取ることを基本としながらも、三振奪取も55個と良く取れています。
 岩隈は、ダルビッシュより早くMLBのベースボールに適応しました。昨シーズンは、体力面で好不調の波があったように思います。おそらく十分なトレーニングを積んできたと思いますので、今後の活躍が一層期待されます。
 NPB時代の終盤より、格段に良い投球を見せている岩隈投手です。第二の全盛期を迎えるのかもしれません。

 ヤンキースの黒田投手は、堂々たるマウンドさばきという言葉がピッタリです。低めに球を集めて、沈めて、凡打の山を築きます。球数をコントロールできる投球ですから、今シーズンも既に完投勝ちがあるところが、黒田投手らしいところです。
 ここまで、9試合に先発し58イニング余を投げて6勝2敗。防御率は、こちらも2点を切り1.99、WHIPは0.95と抜群の投球内容です。岩隈投手と共に、防御率でMIBアメリカンリーグの上位に位置しています。
 故障者が相次ぎ、戦力的には苦しいと観られているヤンキースが、現在地区首位を走っているのは、黒田とマリアノ・リベラの両投手の頑張りが大きいと思います。今後もヤンキースのエースとしての活躍に期待します。

 テキサスのダルビッシュ投手は、ここまで9試合に先発し60イニング余を投げて7勝1敗。防御率は2.97、WHIPは0.92と安定した投球を展開しています。7勝はMLB-ALの勝ち頭ですし、奪三振86は依然としてトップを走っています。
 三振を取りに行く投球内容のため、どうしても球数が多くなり、今季もいまだ完投はありませんが、120球以上を投げながら、中4日のローテーションを堅持するという、凄い投球を展開し続けています。

 先日のデトロイト戦では、現在MLBを代表するジャスティン・バーランダー投手との「エース対決」で、見事に投げ勝ちました。バーランダーと対等の扱いで、アメリカのマスコミから「エース対決」と呼ばれる程の投手になりました。このこと自体が、本当に凄いことです。
 このまま投げ続けていれば、自身MLB初の完投も時間の問題でしょう。シーズン前のダルビッシュの努力に敬意を表します。

 MLB-ALの投球成績で、継続して上位に顔を出す日本人3投手。何度も書いて恐縮ですが、素晴らしいことだと思います。
 5月12日のNHKの番組で、元NFL(アメリカンフットボール)プレーヤーの78%、元NBA(バスケットボール)プレーヤーの68%が、現役引退後自己破産に追い込まれているという報道がありました。アメリカの調査機関の発表だそうですが、ショッキングな内容です。調査対象の範囲などが明確ではありませんでしたが、概ね間違いのない調査結果であろうと思います。

 昔から、時折「あのトッププレーヤーが」といった形で報道されていましたから、相当の比率で自己破産が生じているのではないかと思っていましたが、これほどの高率とは予想もしませんでした。78%といえば、統計学的には「全員」といってもよい数字です。

 番組には、具体的な例として元ボルチモア・レイブンズの中心選手が出ていました。彼は、2001年から10年間に渡って、レイブンズの中心選手として活躍し2010年を最後に引退したのです。そして、遊園地ビジネスに15億円、その他2つの事業に7億円と5億円の計27億円を投資し、全て失敗、自宅も押収されて、弁護士の事務所でインタビューに応じていました。現在は、トラックのセールスに従事しているとのことです。
現役引退後僅か2~3年で自己破産。まだ30歳代半ばの元スタープレーヤーです。

 番組では、若い頃から当該スポーツ一筋に打ち込んできたために、こうした投資についての知識が不足していることを指摘していました。
 私は、こうした事態が生ずる原因は、以下のようなものではないかと考えます。

① プレーヤーを勘違いさせてしまう環境

 アメリカにおいて、アメリカンフットボールやバスケットボールの才能あふれるプレーヤーは、高校生の時から「蝶よ花よ」と育てられてしまいます。高校も大学も、その花形プレーヤーにより高収益を上げることができるからです。

 アメリカの大学フットボールの名門チームは、練習試合でも数万人の観客を集めることができます。もし、全米から注目されるスタープレーヤーがチームに所属していれば、一層多くの観客を集めることができますし、テレビ放送も行われますから、大学に取っては大変な収入源となるのです。従って、スタープレーヤーに対しては、大学も、マスコミも、そのプレーヤーを取り巻く全ての関係者が「褒め捲り」「持ち上げる」のです。

 そしてNFLやNBAのドラフトで上位指名を受ければ、当該プレーヤーは大きな契約金を手にすることができます。10億円以上のビッグマネーも、珍しいことではありません。

 続いて、NFL・NBAのレギュラー選手となれば、当該プレーヤーは巨額の年俸を毎年手にします。

 こうした一連の流れの中で、スタープレーヤーは常に周りから「蝶よ花よ」と褒められ続けますから、プレーヤー本人が「自分は特別な人間だ」と考えるようになるのも、無理のないことの様に思います。加えて、自分に良くしてくれる周りの人間を疑うことなど、全く無くなってしまうのでしょう。

 最終的には、プレーヤー達は「自分のやることは全て上手く行く」と勘違いしてしまうようになるのではないでしょうか。
 この考え方は、現役引退後のビッグマネーを手にした元スタープレーヤー達にとっては、不都合な考え方なのです。有象無象が、近づいてきます。

② ビッグマネーに群がる取り巻きの人達

 数十億円、数百億円といったビッグマネーを持った元スタープレーヤーには、様々な投資話が舞い込んできます。
 現役時代にも、多くの人達が取り巻いていたスタープレーヤーです。中には、そのプレーヤーに惚れ込んで応援していた人達も居たと思いますが、一方で大金持ちにたかっていた人達も居たことでしょう。ところが引退後ともなれば、前者は減少し、大半の取り巻きは後者となります。元スタープレーヤーからお金を毟り取ろうとする輩ばかりが、周囲をウロツクことになるのでしょう。

 現役時代は、その人気と実力から持ち上げられ続け、騙されたことなどなく「自分のやることは全て上手く行く」と勘違いしてしまっている元スタープレーヤーですから、そうした輩の話に簡単に乗ってしまいます。そして、あちらで騙され、こちらで騙されしながら、あっという間に自己破産に追い込まれるのでしょう。

 こうした事象の責任は、最終的には元スタープレーヤー本人にあることは間違いありません。子供ではないのですから、自らのお金は自らの判断で使っていくのです。自己責任です。
 とはいえ一方で、NFLやNBAという世界最高水準のプロスポーツを通じて、現役時代には観客に夢や勇気を提供し続けたプレーヤー達の大半が自己破産していくという社会は、異常だとも言えると思います。

 本稿の趣旨とは少し違いますが、引退後、妻を自宅で殺害した容疑で起訴され、長い裁判の結果無罪を勝ち取ったものの、その膨大な弁護士費用支払いのために経済的破綻に追い込まれてしまった、元NFLを代表するランニングバックRBであったOJシンプソン氏の例も、「自分のすることは何でも通る」という考え方が、ベースにあったようにも感じられますから、根本には共通したものがあるように思います。

 また我が国でも、元プロ野球選手などが不動産投資に失敗したり、怪しげな投資話に乗って大損してしまったというような話が、時々報じられます。

 元プロスポーツ選手の資産をキチンと運用する「公的な信託制度」の設立と、「自分のやることは全て上手く行く」と勘違いしてしまっている元プレーヤー達のメンタル面でのカウンセリング体制の構築が、必要なのかもしれません。
 2013年5月19日、東京競馬場芝2400mコースで行われる、第74回オークス競走G1の注目馬です。

 昨年12月9日のG1阪神ジュベナイルフィリーズ競走から、今年4月28日の最後のトライアル競走スイートピーステークスまで、勝ち馬が毎回のように変わる、今季の3歳牝馬路線です。

 こういう状況=絶対的な軸馬が居ない場合には、直近の大レースで好成績を残した馬に注目するべきだと思います。他のどのレースより格が高いレース、つまり4月7日のG1桜花賞での順位が、同期の馬達の力量を比較する際の、最良の物差しであると考えるからです。

 注目馬の第一は、2枠4番のアユサン。前走桜花賞のレース振りは本物でした。ゴール前の叩き合いで、一度はレッドオーヴァルに半馬身は交わされましたが、これを差し返して勝ちました。たまたま展開に恵まれ、ゴール前で一気に交わしたというようなレース内容ではありませんでしたから、実力最上位であると思います。良い脚を長く使えるのも、オークスでは有利でしょう。
 丸山騎手の経験不足が言われていますが、この馬をここまで強くしたのも丸山騎手だと思いますので、心配ないと考えます。

 注目馬の第二は、1枠1番のレッドオーヴァル。その桜花賞で惜敗しましたが、ゴール前はアユサンとの一騎打ちの様相でした。つまり、他の馬達とは力の差があることを示したのです。
 やや小柄な点が多頭数のレースでは心配ですが、C.デムーロ騎手が裁いてくれるでしょう。オークスでも、アユサンとの好勝負が期待できます。

 注目馬の第三は、6枠12番のフロアクラフト。前走のオープン・スイートピーSは、リラコサージュの2着でしたが、交わされた後のゴール前の脚色はしっかりしていました。粘り強い脚質は、オークス向きだと思います。展開時代では、2着以上の可能性があると思います。

 オークスは、以上の3頭に注目します。人間でいえば、中学生から高校生くらいの若駒の戦いです。東京競馬場直線残り400mでは横一線、そこから何が抜け出してくるのか、楽しみなレースです。
 アメリカ・フロリダ州のTPCソーグラスを会場として、5月9日~12日の4日間に渡って行われた、ザ・プレイヤーズ・チャンピオンシップ・トーナメントは、タイガー・ウッズ選手が通算13アンダーパーの275ストロークで優勝しました。

 このザ・プレイヤーズ・チャンピオンシップは、第5のメジャー大会とも言われるビッグトーナメントです。例えば、この大会の賞金総額は950万ドルですが、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの4大トーナメントの賞金総額は、各々800万ドルですから、ザ・プレイヤーズ・チャンピオンシップの方が遥かに高いことになります。ちなみに、PGAツアーで最も賞金総額が高い大会です。(金額は2012年シーズン)

 こうしたビッグトーナメントを制して、タイガー・ウッズの優勝は今季4勝目、PGAツアー通算78勝目となりました。

 最終日を11アンダーのトップタイでスタートしましたから、タイガーにとっては勝ちパターンでした。トップに立って最終日を迎えると、滅多なことでは負けないのがタイガーなのです。

 この日も、13番ホールまでに2打リードし14アンダーとしましたから、タイガーの楽勝かと思われました。
 ところが、14番ホールのティーショットに失敗し、このホールをダブルボギーとしてスコアを崩し、セルヒオ・ガルシアに12アンダーで並ばれると、15番ホールもセカンドショットがグリーンをヒットせず、2.5mのパーセービングパットを残します。

 私などが観ると、これを外してボギーとしたとしても、ガルシアとは1打差ですから、残り3ホールでの逆転は十分に可能だと思うのですが、タイガーはここで「踏みとどまらなければならない」と考えたそうです。(試合後のインタビュー)

やはり、試合の流れとしては、ダブルボギー→ボギーと2ホールで3打落とすのでは勝てないと考えたのでしょう。易しくは無いパットをキッチリと決め、15番ホールを終えてタイガーとガルシアは12アンダーのまま、16番ホール・パー5を迎えます。

 このホール、タイガーの第2打はグリーン手前のバンカーへ、ガルシアは2オンして長いイーグルパットを残します。
 タイガーのバンカーショットは距離もあり、グリーンも難しいアンジュレーションでしたから易しくは無いと観えましたが、これを40㎝に寄せてバーディ。この難しいグリーンを読み切ってのバンカーショットは、迫力十分でした。
 ガルシアも、イーグルパットは入りませんでしたが、キッチリとバーディとし、両者譲らず13アンダーで17番のパー3です。

 TPCソーグラスの17番パー3は、このコースを代表するホールで、完全なアイランドグリーンですから観客から見てスリリングなことこの上なく、設計者ピート・ダイの思想を良く表しているパー3です。マスコミに採り上げられることも多く、世界的にも有名なホールです。

 完全なアイランドグリーンで、島の淵は垂直に切り立った木に囲まれていますから、ラッキーにオンすることはありません。例えば、手前から水切りショットで乗って行く可能性は限りなく0に近く、一方グリーンヒットしたとしても転がりながら反対側の淵に達すれば、多くの場合池に落ちますから、手前も奥もダメという、少しのミスショットも許されない構造になっています。

 とはいえ救いはあるもので、短いのです。この日も135ヤードでしたから、世界最高水準のプレーヤーにとってはピッチングウェッジPWで狙っていくことができます。このレベルの選手たちにとっては、ショートアイアンそれもPWで打てるのですから、135ヤード先の3mの円に落とすことなど、造作もないことのはずなのです。

 ところが、ビッグトーナメントの緊張からか、遮るもののない大きな池に存在する島ですから、風の影響をまともに受けるためなのか、不思議な程に多くのプレーヤーが池に打ち込みます。
 その点では、マスターズ・トーナメントが開催されるオーガスタ・ナショナルの12番パー3に似ています。
 それでも、オーガスタの場合には、グリーン奥のラフに打ち込んだ場合であればリカバリーショットの可能性が残りますが、TPCソーグラスは手前も奥も池ですから、ミスショットは即スコアダウンに繋がります。

 まず、タイガーが打ちました。最終日のピンは、向かって右端、右の淵から3ヤードの地点に立っていますから、デッドに狙うのは勇気が要る、ハイリスクなショットです。
 タイガーは、グリーンの真ん中に打って行ったように観えました。しかし風の影響があったのか、2ヤード程ショートして、ピンが立っている面とは違う面、下の段に止まりました。距離も10m程残しましたので、タイガーも残念そうでした。

 これを見たガルシアは、ピンに向かって打っていったように観えました。勝負に出たのでしょう。スイングも滑らかでしたから、どこまで寄るかと思いましたが、ボールは失速、グリーン手前1ヤード程の地点に落下しました。ダイレクトで池に落ちたのです。
 気を取り直しての第3打、再びティーグランドからガルシアは打ちました。左側80ヤード地点に設置してある特設ティーを使わなかったのは、特設ティーからだと、ピンの向こうは直ぐに池ですから、突っ込みにくいと考えたのでしょう。
 ティーグランドからの第3打をベタピンに寄せて、このホールをボギーで終わらせ、1打差で18番ホールに臨めば、まだチャンスはあると考えたのでしょう。

 この第3打は、しかし、やはりショートしてグリーン手前の淵をやっと超えましたが、手前にバウンドして、池に落ちてしまいました。これで、セルヒオ・ガルシアの今大会は終わりました。ガルシアは、このホールに7打を要したのです。

 ガルシアが脱落したこともあったのでしょうか、18番パー4のタイガーのティーショットは、滅多に見られない程の完璧なものでした。この18番は、ホールの左側がグリーンまで池になっていて,ペブルビーチ・ゴルフリンクスの18番ホールに似ています。

 少しでも、ドローが掛かりすぎれば池に入りますし、真っ直ぐに打ってしまえば右のラフです。最終日のピンは、池に近いところに立っています。とても難しいホールなのです。タイガーも、このホールに関しては多くの場合右のラフにティーショットを打っていたように記憶していますが、この日のショットは最高でした。完璧なドローボールが、フェアウェイセンターにヒットしました。
 
 そして第二打のアイアンショットも綺麗なドローボールで、ピンに被さるように飛び、ピン奥7m地点をヒット。これを2パットとして、パーでホールアウトしました。
 ガルシアが脱落したとはいえ、新鋭のストリールマンが1打差で追っていましたから、この難しい18番をパーセーブするのは容易なことではありません。これをキッチリと遣り遂げるのがタイガー・ウッズなのです。追っているストリールマンの方が、18番をボギーとしました。

 タイガー・ウッズ選手は、この試合がPGAツアー300試合目の節目の大会でした。そして、優勝しました。300戦78勝、勝率は26%です。4試合に1試合は優勝するという、驚くべき確率です。

 加えて、シーズン4勝目としては、タイガーにとっても最速でした。2000年前後のプライムタイムの時よりも速く4勝目を挙げたわけです。
 試合後のインタビューで「相当良くなっている」と答える今シーズンのタイガー・ウッズには、第二のプライムタイムを実現する可能性が十分にあります。

 エイドリアン・ベルトレイ選手は、現在テキサス・レンジャーズの三塁手であり、打順は4番です。

 とても個性的なプレーヤーですし、シアトル・マリナーズ時代はイチロー選手と、そして現在はダルビッシュ選手の同僚ということもあって、日本のテレビ放送で良く目にするプレーヤーでもあります。

 MLBのレギュラー選手で4番を打っているのですから、プレーヤーとしてスキルがとても高いことはもちろんですが、それ以上にその個性的なプレーがとても楽しい選手です。

① ハーフスイング時の確認の動き
 ベルトレイ選手は、自らがハーフスイングをした時に、1塁塁審を指さし、スイングしているかどうかの確認を行います。この動きは、通常相手チームのキャッチャーが行うものですが、ベルトレイ選手は、そのキャッチャーより速く1塁塁審を指さそうとしているように観えます。これが、とても面白い。

 もし1塁塁審がスイングと判定すれば、打者である自分にとって不利な判定となるので、普通は打者が塁審に確認するようなことではないのです。しかし、ベルトレイは何時もこの動きをします。

 「振っていない」ということを主張する動きなのか、その目的はハッキリしませんが、キャッチャーと競争しているかのように、必死に指さしているように観えるのです。ベルトレイが指さしで確認している時に、キャッチャーがパスボールしていて、3塁ランナーが走り込んでくるシーンもあったりします。こうしたシーンでは、ベルトレイの動きはゲームの流れから完全に浮いています。本当に愛嬌たっぷりのプレーヤーという感じです。

② 守備の際、ランニング送球は行わない。
 ベルトレイ選手は三塁手です。その守備の上手さはMLB屈指で、ゴールドグラブ賞を2度受賞しています。
 その守備の最大の特徴は「ボールを送球する時に必ず止まって行う」ことです。つまり、走りながら送球することが無いのです。これは、肩が相当強くないとできないプレーです。走りながら投げる方が、楽に一塁手まで届く球を投げられる筈で、実際他の多くのMLBの三塁手は、走りながら投げます。
 三遊間のゴロを捕球しに行くときはベルトレイも走ります。しかし、捕球した瞬間、ボールがグラブに入った瞬間、ベルトレイ選手はその場所でストップし、一塁手に送球するのです。これがまた、とても面白い。
 ゴールドグラブ賞を受賞するくらいですから、その送球は正確です。

 ベルトレイ選手のプレーには、この2つの際立った特徴がありますから、観ていてとても楽しめます。調子が悪く、中々ヒットが出ないときでも、この2つのプレーだけで観客を充分に楽しませてくれるプレーヤーなのです。

 エイドリアン・ベルトレイ、1979年4月ドミニカ共和国生まれの34歳。右投げ右打ち。身長180㎝・体重100㎏とMLBの野手としては大きくはないプレーヤーです。
 1994年にプロ入り(15歳。生年を1978年と偽って入団。本当は16歳以降しか入団できません)、マイナーリーグで活躍をつづけ、1998年にロサンゼルス・ドジャーズでメジャーに昇格しました。そして強肩・強打のプレーヤーとして活躍、2004年には48本塁打を放ちナショナルリーグNLのホームラン王となりました。

 2005年には鳴り物入りでシアトル・マリナーズに移籍しました。イチロー選手の同僚となったわけです。この頃のシアトルは打線が弱く、得点力不足を解消することを目的に、前年のホームラン王を獲得した形ですが、シアトルに来たベルトレイは中々打てませんでした。(シアトル在籍5年間の年間本塁打数は最高で26本)

 この時、ベルトレイと共にシアトル打線再生の切り札として獲得したリッチー・セクソン選手も打てませんでしたから、シアトルの補強は大失敗と言われました。私も、この3番ベルトレイ4番セクソンは、メジャーリーグ30チーム中最弱の3・4番ではないかと思ったりしました。
 1番打者のイチローがいくら打っても、チームは中々得点できませんでしたから、その不満の矛先がベルトレイとセクソンに向かっていたのかもしれません。
 2009年まで続くシアトルでの時代は、ベルトレイ選手にとっては満足がいくものではありませんでした。

 そして2010年には、ボストン・レッドソックスで1年間だけプレーしました。この年は打率0321、28本塁打、102打点と活躍しましたので、この好成績をバネとして翌2011年にテキサス・レンジャーズに移籍、中軸打者となったのです。そして、2012年にダルビッシュ有選手がテキサスに入団しました。

 テキサスでのベルトレイは、安定した打撃を展開し3~5番の打順を打つことが多く「強打レンジャーズ」の一角を占めています。2011年には32本塁打、2012年は36本塁打と、思い出したかのように長打力を発揮しているのです。今シーズンは、テキサスの看板プレーヤーであった強打者ジョシュ・ハミルトン選手のエンゼルス移籍に伴い4番を張っています。

 日本におけるMLBテレビ中継は、当然ながら日本人選手を中心に行われます。結果として、イチロー選手・ダルビッシュ投手と同僚のベルトレイ選手が、日本のお茶の間に登場する機会はとても多いのです。

 シアトル時代は「もっと打ってくれ」と思いました。テキサス時代になってからは「頼もしい野手」です。観る方も勝手なものだとは思いますが、シアトル・テキサス時代を通じて、前述の2つの点だけは不変です。ハーフスイングで一塁を指さし、走って捕球しながら、その場に突然止まり一塁に送球する、この2つのプレーでMLBファンをとても楽しませてくれているのです。

 本物のプロフェッショナル・プレーヤーであると思います。
 
 我が国のクラシックレースとは、桜花賞、皐月賞、優駿牝馬(オークス)、東京優駿(ダービー)、菊花賞の5レースです。
 牝馬三冠とは、桜花賞、オークスの2つのクラシックレースに、秋華賞を加えた3つのレースを勝つことです。牝馬も菊花賞に出走することができますから、桜花賞、オークス、菊花賞を勝てば、正統派?の牝馬三冠といえるのですが、長い日本競馬の歴史の中で、この形の三冠馬は存在しません。
 やはり、一般的には牝馬より牡馬の方が強いということなのでしょう。

 皐月賞、日本ダービー、菊花賞の牡馬三冠レースの盛り上がり、人気に比べて、牝馬の3歳路線はどうしても見劣りするということで、桜花賞とオークスにもう一つのレースを加えて3歳牝馬限定の「牝馬三冠」レースを創設しようという動きが起こり、1975年のイギリス・エリザベス女王来日を記念して、翌1976年・昭和51年からエリザベス女王杯(ビクトリアカップを継承する形で)が創設されたのです。京都競馬場2400mのレースでした。

 しかし、いくら中央競馬会や競馬マスコミが呼びかけたところで、クラシックレースという圧倒的な伝統と格式を誇る2レースと、後から我が国独自のレースとして開設したものでは、親和性に乏しく、この3レースを一体のものとして取り扱うことは、中々定着しませんでした。当然のことだと思います。

 そして、エリザベス女王杯が始まってから10年を経過し、1986年を迎えます。
 この年の3歳牝馬路線は、メジロラモーヌ中心でした。途中からダイナアクトレスが参戦して来ますが、やはりラモーヌの軸は動きませんでした。

 桜花賞を快勝し、8戦6勝の成績で臨んだオークスも、メジロラモーヌは東京競馬場の直線半ばで先頭に立ち、2着のユウミロクに2と1/2差を付けて完勝しました。オークス史上稀に見る強さであったと思います。

 そして、牝馬2冠を引っ提げて、エリザベス女王杯に進出したのです。このラモーヌの挑戦を受けて、初めて「牝馬三冠」という制度が一般の競馬ファンに注目されたと思います。メジロラモーヌは、このレースで苦戦しますが、クビ差勝ち切りました。早過ぎたとも言われたスパートで、ゴール前失速し、スーパーショットの急襲を受けましたが、これを凌ぎきったのです。

 マスコミは、史上初の牝馬三冠達成と評しました。そして、ファンも「牝馬三冠」を初めて実感したのです。戦後競馬についていえば、牡馬三冠を初めて達成したシンザンに相当するのが、牝馬ではメジロラモーヌでしょう。

 メジロラモーヌ号、父モガミ、母メジロヒリュウ、母の父ネバービートという、当時の最良血です。生涯成績12戦9勝、3歳時に有馬記念に挑戦し、大きな不利に見舞われて9着に敗れ、競走馬を引退しました。
 そして、素晴らしい競走成績と初の牝馬三冠が評価され、1986年にシンボリルドルフと共にJRA顕彰馬に選定されました。

 エリザベス女王杯は、1995年の第20回まで牝馬三冠の3つ目のレースでしたが、1996年からは秋華賞がこれに代わり、エリザベス女王杯は3歳以上牝馬限定の2200mのレースに変更されました。また秋華賞は2000mですから、2400mだったエリザベス女王杯より短くなりました。牝馬三冠目のレースの距離が短縮されたのです。

 結果として、桜花賞+オークス+エリザベス女王杯の牝馬三冠馬は、メジロラモーヌ唯一頭ということになりました。該当するレースが変更になったのだから当然のこと、という意見もあると思いますが、私にはメジロラモーヌの牝馬三冠の価値の高さを示すもののように感じられます。3歳牝馬にとっては厳しい2400mのG1レースを、2つ勝たなくてはならなかったという意味も含めてです。

 メジロラモーヌのレース振りは、最近の牝馬でいえばジェンティルドンナに似ていると思います。追い込みと先行粘りの両方のレースができるのです。
 そして、その青鹿毛の馬体の美しさも特筆できます。深い黒一色に観える馬体に、形の良い流星、可愛い顔立ち。牝馬特有の細い馬体ですが、細くてしなやかな筋肉が全身を覆っています。本当に、綺麗な馬でした。

 我が国の競馬に「牝馬三冠」という概念を創り上げた名馬が、メジロラモーヌ号なのです。
 日本プロ野球NPBを代表する二人のベテラン野手、中村紀洋選手(横浜DeNA)と谷繁元信選手(中日)が2013年5月、共にNPBにおける2000本安打を成し遂げました。本当に、おめでとうございます。

 中村選手は、1973年7月大阪府生まれの39歳、180㎝・92㎏。大阪府立渋谷高校2年の1990年に夏の甲子園に出場しました。高校通算35本塁打の強打者で、三塁手と投手を兼務しました。
 そして、1991年のドラフトで、近鉄バッファローズから「投手として」4位指名を受けて入団しました。

 野球名門校とはいえない府立高校の中心選手として、全国屈指の激戦地区である大阪大会を勝ち抜いた点が素晴らしいと思いますし、様々な形でチームに貢献する中村選手の特徴を、良く表している事象ように感じます。いかつい?外見とは異なり、人柄が良くコミュニケーション能力が高い選手なのではないでしょうか。

 谷繁選手は、1970年広島県生まれの42歳、身長176㎝・体重76㎏。こちらは野球名門校の島根・江の川高校に進学、夏の甲子園大会に2度出場しています。強打の捕手として活躍し、高校通算42本塁打の記録を引っ下げて、1988年のドラフトで横浜大洋ホエールズから1位指名を受け入団しました。

 この二人のプレーヤーには共通点があります。

① 守備が上手いこと
 捕手の谷繁選手は、もともと守備やリード面の評価が高く、ゴールデングラブ賞を6回受賞していますが、実は?中村選手も守備が非常に上手く、ゴールデングラブ賞を7回も受賞しています。これは3塁手部門のNPB記録です。豪快な打撃が注目される中村紀洋選手ですが、守備も超一流なのです。
 二人とも、長い選手生活を送ってきていますが、「守備の上手さが長い選手生命の秘訣のひとつ」のように思います。

② 故障が少ないこと
 今季は、谷繁選手が25年目、中村選手が22年目となるわけですが、両選手とも故障が少ないことが明らかです。もともと丈夫な体であったこともあるのでしょうが、お二人の日頃の節制、プロプレーヤーとしての意識の高さが感じられます。

 特に、谷繁選手は1996年から2012年まで17年間連続で100試合以上に出場しています。怪我に見舞われやすい捕手として、これは凄い記録だと思います。大きな怪我・故障をしないノウハウが、何かあるのかもしれません。

③ MLBに挑戦するも不本意な結果
 谷繁選手は、横浜ベイスターズ時代の2001年にFAを宣言し、MLBへの移籍を目指しました。シアトルやサンディエゴ、アナハイムのワークアウトに挑みましたが、結局MLB球団から声はかかりませんでした。そして、中日ドラゴンズに移籍したのです。

 一方の中村選手は2004年にMLB挑戦を表明。2005年にはポスティングでロサンゼルス・ドジャーズに入団しました。マイナー契約でした。メジャー昇格は果たしましたが、ドジャーズでの出場は17試合・5安打に留まりましたので、シーズン終了後日本球界への復帰を目指し、オリックスと契約を結びました。

 リードに重きを置くNPBの捕手として高い評価を得ている谷繁選手ですが、どちらかといえばサインは投手主導で決まるMLBでは、少し評価が低かったのでしょうか。捕手・キャッチャーに対するNPBとMLBの価値観が垣間見える事象だと思います。

 中村選手は、タイミングの取り方が独特ですから、NPBでもMLBでも、そのプレーに慣れるのに時間がかかるタイプなのでしょう。慣れてしまえば、大きな力を発揮できるのですが、MLBでは出場機会が少な過ぎたのだろうと思います。

 お二人のMLB挑戦は不調に終わりましたが、おかげさまで?NPBファンは、二人の大選手のプレーを長く見ることができました。
 最もNPBに適応したプレーヤーが、中村紀洋選手と谷繁元信選手であるとも言えるのでしょう。まだまだバリバリの現役です。今後の大活躍も、とても楽しみです。

 今年8月モスクワで開催される、世界選手権陸上大会のマラソン代表選手が、日本陸連から4月25日に発表されました。女子マラソン代表には、2004年アテネ・オリンピック金メダリストの野口みずき選手が選ばれました。

 前述のオリンピック金メダルを始めとして、様々な素晴らしい実績を保持し、現在34歳のベテランとなった野口選手が、久しぶりに日本代表として世界大会に出場するのです。モスクワでの活躍が、とても楽しみです。

 野口みずき選手は、高橋尚子選手と共に、我が国の女子マラソン界を代表するランナーですが、その走りの特徴は

① ストライド走法
 野口選手は身長150㎝・体重40㎏と日本人ランナーの中でも「小柄」ですが、その走法はダイナミックなものです。加速の際には、太腿が地面と水平になるまで引き上げられる程のストライド走法です。長距離ランナーには、ピッチ走法とストライド走法がありますが、「野口選手の走法は超ストライド走法」と呼んでも良いくらいに極端なものでした。
 長距離走では、重心の上下が大きいと足腰の負担が大きくなりますから、スタミナの消費が大きいなどの短所になりやすいのですが、ストライド走法の方がどうしても重心の上下移動が大きくなります。我が国の長距離ランナーにはピッチ走法の方が多いのです。
 一方で、ストライド走法の方がより高い絶対スピードを得やすいものですから、競り合いやラストスパートの点では有利といえるでしょう。
 野口選手は超ストライド走法ですから、重心の上下が相当に大きいのですが、その走りで42.195㎞を走り切ってしまうところが、凄いところです。

② ハーフの女王
 野口選手は、その競技歴の初期である1999年の世界選手権ハーフマラソン大会での2位を始めとして、主にハーフマラソンを得意種目としていました。この頃に、前述の超ストライド走法を身に付けたのでしょう。
 そして、2008年の仙台国際ハーフマラソン大会優勝まで、31回走って20回の優勝という素晴らしい成績ですから「ハーフの女王」と呼ばれているのです。フルマラソンに挑戦するようになった2002年以降も、ハーフマラソンレースに出場し続けていたのですから、野口みずきのマラソンは、ハーフマラソンをベースに組み上げられていると言えます。

 従って、野口選手のフルマラソンはハーフマラソンの延長線上にあると考えられます。フルマラソンよりスピードが必要なハーフマラソンで鍛え上げられた走り方で、42.195㎞を押すのです。とても強い足腰、特に太腿と足首の強さ・筋力が、野口マラソンの神髄だと思います。

 しかし、やはり走法の無理が祟ったのか、積年の疲労の蓄積が原因だったのか、アテネの金メダルの翌年ベルリン・マラソンでの2時間19分12秒の日本最高記録での優勝後、野口選手は故障がちになってしまいます。
 股関節の故障や左脚太腿の肉離れ、左足首の疲労骨折などなど様々な故障が発症しました。2008年の北京オリンピックも、代表に選ばれながら故障のため辞退しました。

 正直に言って、オリンピック金メダリストであり、我が国を代表する長距離ランナーでもある野口みずきが、故障続きで30歳を超えた時には、そろそろ引退するべきではないかと思いました。そもそも、野口選手の精神力が続かないのではないかとも思いました。

 ところが、一向に引退する気配がありません。2012年からは、駅伝などのレースにも積極的に挑戦するようになりました。
 走法が変わりました。以前に比べて、上下動が小さくなり、足首のキックも小さくしたように観えます。体への負担を小さくしたことと、年齢による筋力の減少を考慮した走法なのでしょう。創意工夫に溢れていると感じました。おそらく、新走法を着々と自分のものにしていったのでしょう。

 そして、2013年3月10日の名古屋ウィメンズマラソンに挑戦し3位となって、世界選手権モスクワ大会の代表に選ばれたのです。

 もちろん2時間24分5秒というタイムも、3位という順位も、野口みずきには全く満足がいかないものでしょうし、何より野口選手自身が「自分の走りに満足していない」と思います。世界選手権までの半年弱の期間のブラッシュアップが、とても楽しみです。何しろ、我が国を代表する女子ランナーなのですから。

 モスクワ世界選手権の日本女子マラソン代表陣は、現在の我が国最強の女子マラソンランナー木崎良子選手に、野口みずき選手、福士加代子選手の3人です。5人の枠を使い切らず、加えて、回復途上の野口と、ラスト10㎞の走りを身に付けている最中の福士を選んだというのは、日本陸連も思い切った判断をしたものだと思います。良い判断だと考えます。

 最強ランナーの木崎を中心に、野口、福士の二人の実績十分のベテランランナーの、今後のレベルアップと調整力に期待しての代表人選。モスクワ世界選手権大会は、日本陸連のこうした代表選出の考え方・手法が試される大会でもあるのです。

 イタリア・セリエAのラツィオに所属するフォワードFWプレーヤー、ミロスラフ・クローゼが、2013年5月5日に行われた、対ボローニャとのゲームで5ゴールを上げました。
 1試合5ゴールは、セリエAでは27年振りの快挙。試合は6対0でラツィオが勝ちました。

 2010年南アフリカワールドカップでのドイツ代表FWとしての活躍以来、少し話題に上ることが減っていたクローゼ選手が、久しぶりに爆発した感じです。

 クローゼは、1978年ポーランド生まれの34歳。身長182㎝、体重84㎏と大型プレーヤーが多いドイツ代表チームの中では、大きくは無い方です。
 9歳の時にドイツに移住し、サッカーキャリアをスタートしました。そして、1999年からプロとしての活躍が始まりました。
所属チームは、
・1999年~2004年 カイザースラウテルン(ドイツ・ブンデスリーガ)
・2004年~2007年 ヴぇルダー・ブレーメン(ブンデスリーガ)
・2007年~2011年 バイエルン・ミュンヘン(ブンデスリーガ)
・2011年~ ラツィオ(セリエA) です。

 この間、一貫してドイツ代表チームにも召集され、これまで126試合に出場し67ゴールを上げています。素晴らしい代表成績です。
 FIFAワールドカップWCにも、2002年の日韓大会から、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会と3大会に出場、計14ゴールを上げて、ドイツチームの準優勝・3位・3位という好成績に大きく貢献しました。
 WCでの14ゴールは、歴代2位タイ(1位はブラジル・ロナウドの15ゴール、2位タイにはドイツの大先輩ゲルト・ミュラー、あのペレは12ゴールです)
 このWCの成績を観ると、クローゼが世界サッカー史を飾るFWプレーヤーであることが解ります。

 そのクローゼの武器は「右足と頭」。右足、特に右足甲から爪先にかけての部分を使ったワンタッチプレーとヘディングです。
 2000年代の前半のクローゼは、ヘディングの上手さが際立つプレーヤーでした。飛び抜けて身長が高い選手ではないのですが、2002年の日韓W杯では5ゴール(大会得点記録2位)の全てがヘディング。「クローゼが足でゴールするのを見たい」という声が上がるほどでした。
 このヘディングに、2000年代の後半からは右足のワンタッチゴールが加わりました。
 
 クローゼ選手の凄さは「そのポジショニングの上手さ」と「右足と頭で作る面の正確さ」です。特に「面」の精度の高さは素晴らしく、結果としてシュートの正確さ・成功確率が極めて高いことになります。

 頭書のゲームの5ゴールにも、この特徴が如何なく発揮されました。
・1点目は、味方プレーヤーのシュートを相手キーパーが弾いたボールを右足ワンタッチで決めたもの。
・2点目は、センタリングを右足ワンタッチで決めたもの。
・3点目も、センタリングを右足ワンタッチで決めたもの。
・4.点目は、センタリングをヘディングで決めたもの。
・5点目は、パスを受け右足で決めたもの。

 1試合での大量ゴール記録には、ペナルティーキックPKが含まれることが多いのですが、クローゼは全て流れの中で決めています。この点も、いかにもクローゼ選手らしいところで、そういえばクローゼのPKというのは、あまり記憶にありません。(PK戦におけるPKはありますが)

 現代サッカーを代表する点取り屋といえば、アルゼンチンのメッシ、ポルトガルのクリスティアーノ・ロナウド、スウェーデンのイブラヒモビッチ、フランスのベンゼマなどのプレーヤーが挙げられると思います。これらのプレーヤーも、もちろん素晴らしいのですが、クローゼ選手には彼らには無い「ワールドカップの得点記録」があります。
 世界サッカーを語る時には、WCの成績はとても重要で、絶対的な価値があります。現代を代表する点取り屋プレーヤー達も、WCでの得点実績を積み上げない限り、その評価はクローゼ選手に遠く及ばないと思います。

 2010年のWC南アフリカ大会終了後、クローゼ選手は一度代表からの引退を仄めかしました。世界のサッカーファンをガッカリさせたのです。
 しかし、その後「私はまだ若い」と発言し、代表復帰への意欲を示しています。そして、今回の1ゲーム5ゴールです。クローゼはまだまだいけるという、強い印象を与えました。

 2014年WCブラジル大会の時には35歳になるクローゼですが、「生きる伝説」としての活躍が期待されます。

 2013年5月12日東京競馬場芝1600mコースで行われる、第8回ヴィクトリアマイル競走G1の注目馬です。

 もともと難しい府中のマイル戦ですが、今年も実績馬・上り馬が入り乱れ、18頭のフルゲートとなりました。G1レースを複数制している、いわゆる大豪馬は出走していませんので、間違いなく混戦となります。

 注目馬の第一は、6枠11番のヴィルシーナ。3歳牝馬3冠レースの全てで、ジェンティルドンナの2着という悲運?の馬です。ジェンティルドンナが出ていなかったエリザベス女王杯G1も勝ち切れず、前走の産経大阪杯G2はオルフェーヴルの前に完敗しました。
 これだけのメンバーと戦ってきたのですから、そろそろこの馬に勝ちが回ってきても良いでしょう。前走から1か月半のローテーションも、心身の疲れを取るには良かったと思います。

 注目馬の第二は、5枠10番のイチオクノホシ。前走G2阪神牝馬Sのゴール前の追い込みは迫力十分でした。速い脚が使えますので、展開次第では勝負になります。格下ですが、伸び盛りというところでしょう。

 注目馬の第三は、8枠17番のサウンドオブハート。9戦して6勝という安定感を誇ります。前走もイチオクノホシの追い込みを凌ぎ優勝しました。ゴール前で、もう一度伸びた感じがありましたので、ここでも優勝争いをする力は十分だと思います。

 今回は、以上の3頭に注目します。展開次第では、先週のNHKマイルカップと同じように、ゴール前100mを切ってからガラリと入れ替わる可能性もあります。
 祥鳳は、幕下の力士です。今5月場所の番付は、幕下東4枚目の自己最高位です。

 祥鳳といっても、すぐにはピンとこない方も多いと思いますが、横綱白鵬の付き人で、2011年5月の技量審査場所から弓取式を行っている力士といえば、思い当たる方もあるでしょう。

 祥鳳は1981年生まれの31歳、大阪府門真市の出身です。立命館大学相撲部の出身ですが、大学時代は怪我に泣かされ良い成績を上げることができませんでしたから、アマチュア横綱から幕下付け出しでのデビューといった大学相撲出身者とは異なり、大学を卒業後、22歳11か月という年齢制限ぎりぎりでの新弟子検査挑戦、2004年7月場所での初土俵という、ある意味では異色の大卒力士といえます。

 2004年9月場所で序の口優勝し、2005年5月場所には幕下に昇進します。
そして、2010年9月場所13日目、運命の取組が組まれました。6戦全勝同士、勝った方が幕下優勝という一番です。対戦相手は高安。祥鳳はこの一番で高安に敗れ、左膝靭帯断裂・半月板損傷の大怪我をしてしまいました。
その後の高安関の大活躍を観ると、この一番での祥鳳の怪我は痛恨でした。

 それでも祥鳳はリハビリに努め、2011年5月技量審査場所で土俵に復帰(弓取式も開始)、万全ではない膝の状態で取組を続け、現在に至っているのです。

 頭書の通り、幕下東4枚目は自身の最高位ですし幕下上位ですから、ここで勝ち越せば十両昇進=関取の可能性も十分です。
 もともとデビューが遅かったこともあり、既に31歳と若手とはいえませんが「関取の夢」に手が届くところまで上がってきたのです。

 大怪我を克服し、関取となり、化粧回しを付けた祥鳳「関」の土俵入りを、是非観てみたいと思います。祥鳳、頑張れ!
 ヴィクトリアマイル競走は、2006年に新設された4歳以上(古馬)牝馬限定のG1レースです。

 「強い女馬は早く引退し、良い仔を沢山生んだ方が良い」という考え方が根強い競馬界では、「古馬牝馬限定の大レース」新設に対して、多くの反対がありました。
 一方で3歳牝馬には、桜花賞・オークス・秋華賞・エリザベス女王杯と4つの限定G1レースがありながら、4歳以上牝馬にはエリザベス女王杯(3歳以上牝馬限定)1レースしか用意されていないという、極端なバランスの悪さも指摘されていました。

 加えて、特に欧州の大レース、特に凱旋門賞では牝馬の活躍が目立っていて、我が国でも4歳以上牝馬が活躍できるレース体系の確立が望まれたのです。そして、ヴィクトリアマイルが新設されました。このレースの導入は、とても良かったと私は考えています。理由は、以下の通りです。

① 前述の通り、4歳以上牝馬の活躍の場が増えたこと。

② 古馬牝馬の春のG1レースがヴィクトリアマイル、秋のG1レースがエリザベス女王杯という、施行時期のバランスも良いこと。

③ ヴィクトリアマイルが1600m、エリザベス女王杯が2200mと、血統・脚質面でも様々な古馬牝馬に挑戦の場が与えられたこと。

④ ヴィクトリアマイルから中2週で、牡馬・外国産馬なども含めた春のマイル王決定戦「安田記念」へのローテーションが展望できることとなり、古馬牝馬の大豪馬にとっては活躍の場が広がったこと。

 こうしたレース体系の整備と機を一にして、古馬になってからも長く活躍し、牡馬有力馬と互角以上の戦いを展開する、ウオッカやブエナビスタ、ジェンティルドンナといった強力な牝馬が次々と誕生したのは、偶然ではないでしょう。
 世界競馬の風潮の中で、我が国でも「女が強くなった」のです。

 ヴィクトリアマイルの優勝馬には、2009年の第4回ウオッカ、翌第5回ブエナビスタ、翌第6回アパパネと、クラシックレースで大活躍し、古馬となっても走り続ける牝馬が並んでいます。
 このレースの創設は、大成功であったと考えます。

 しかし、こうした大豪馬が優勝馬に名を連ねているといっても、そこは1600mのマイルレース、ましてや府中・東京競馬場のマイル戦ですから、常に波乱と背中合わせのレースでもあります。2008年第3回のレースで、ウオッカがエイジアンウインズに不覚を取ったのが典型です。予想が難しいレースなのです。

 前半のペースが遅ければ、残り600mから「ヨーイドン」のレースになってしまいますから、33秒前後の脚が使える馬なら、多少格下でも十分に勝機があります。
 逆に、前半がハイペースになった時に、有力馬が先行集団に巻き込まれると、長い府中の直線で一杯となり、ゴール寸前で交わされることも時々起ります。
 展開に相当左右されるレースということです。

 そして、それだけに、とても面白いレースなのです。
 今回は北海道のコースです。北海道でのプレイは夏が多いのですが、さわやかな空気の中でのラウンドは最高です。良いコースも多いと思います。

2.小樽カントリー倶楽部・新コース(北海道)

 ポプラの木の枝が風で揺れて擦れ合う音が、コース内に響きます。意外に大きな音です。まさに夏の北海道という感じ。ティーインググランド、フェアウェイ共に素晴らしい芝付です。そして、その芝が強い感じです。打ち込むとガリッという感触。フェアウェイでも少しボールが沈んだ感じになりますから、アイアンショットが難しいと思います。

 景色として、全体の緑色がとても濃く感じられる、美しいコースだと思います。林間コースで、木々も大きく雄大な印象ですが、グリーン周りには小さなトラップが沢山用意されています。何回ラウンドしても、新しい発見があるコースだと思います。
 私には相性の良いコースで、比較的良いスコアが出ます。とても爽やかなラウンドになるのです。

 このコースも、日本オープンゴルフ大会の開催コースにラインアップされています。

3.小樽カントリー倶楽部・旧コース(北海道)

 9ホールのコースです。これを2度回って18ホールのラウンドとします。知り合いから「日本のコースで、最もセントアンドリュースに似ている」と聞いて、プレイしてみました。

 海沿いのコースで、風が強く、何より高い木がありません。非日常的な景色です。低い灌木とブッシュが、各ホールに散在しています。全英オープンゴルフ大会のテレビ中継で観る「リンクス」そのもの。海とコースの間には道路が走っていて、時々自動車が通ります。まさに全英オープンの様で、一瞬、日本にいることを忘れてしまいます。

 潮風と強風の関係からか、フェアウェイの芝付が悪く、どちらかというと剥げている部分の方が多い感じ。当然フェアウェイが固いので、ティーショットは良く転がります。真ん中に打ったつもりが、ころころと転がって、左側の灌木に入った様子。キャディさんが「ロストボールです」と。「エー、フェアウェイの真ん中に打ったんだよ。ちょっと茂みに入っただけじゃない」と言うと「でも、ロストでーす」。

 行ってみると、確かにボールが見つかりません。ブッシュや灌木に入ったボールは、中々見つからないのです。次のホールからは、ブッシュや灌木を避けてプレイしようとするのですが、風の存在を忘れていて、測ったように?ロストボールエリアにボールが飛んで行きます。何個無くしたでしょうか。

 それでも、とても楽しいラウンドでした。我が国でリンクスコースを味わうには、絶好のコースだと思います。プレイ未済の方には、お勧めです。
 2013年5月3日、第29回静岡国際陸上競技大会の男子200m競走で、飯塚翔太選手が20秒21の好タイムで優勝しました。

 コーナーを回って、残り70mからの走りが素晴らしいものでした。リラックスした腕の振りから、スムーズな加速が生まれました。日本人ランナーとしては珍しく?後半の加速(正確には減速の抑制)に成功しました。

 日本歴代3位となる好記録はもちろんですが、あのラスト70mの走り方に、大きな可能性を感じました。

 1991年6月静岡県生まれの21歳。中央大学在学中、スプリンターとしてはまだまだ若く、伸びしろ十分。185㎝の大型ランナーですから200m走はピッタリです。このレースでも、コーナリングには固さを感じましたので、改良の余地が相当あります。逆に言えば、そうした弱点を克服すれば、記録は更に伸びることが期待されるのです。
 今シーズン中の19秒台突入も、可能性十分だと思います。

 100m走の桐生祥秀選手といい、200m走の飯塚翔太選手といい、日本陸上スプリント界には、良い若手選手が続々と登場しています。桐生選手、飯塚選手のタイムと走り方は、これまでの日本人スプリンターとは異次元のものだと思います。
 そして、この二人以外にも、この二人に迫るランナーが続いているところが心強いところです。日本陸上界の数々の強化策が、ようやく結実してきているようにも感じられるのです。

 100mの9秒台と200mの19秒台、日本人スプリンターによる素晴らしい走りが見られるのも間近という気がします。

 5月12日から東京の両国国技館で開催される、大相撲5月場所の見所です。

 最近1年間は幕内上位力士の充実振りが目立っていますが、今場所もその傾向が続いています。関脇から前頭筆頭までの6力士に実力者が揃いました。成績がなかなか上がらない大関陣に代わって、この6人が土俵を盛り上げてくれるのではないでしょうか。

 さて、注目の力士です。

① 横綱 白鵬
先場所全勝優勝を果たした横綱白鵬が、今場所も優勝争いの中心となります。気がかりなのは、しばらく国技館で優勝していないこと。これは、上位陣の力量差が縮まってきていることが原因だと思いますが、とはいえ優勝争いの本命を選ぶとすれば、安定感の点からも白鵬関でしょう。

 もう一人の横綱日馬富士は、脚の調子次第です。脚の古傷が万全であれば、全勝優勝する実力は十分に備わっています。

② 大関 稀勢の里
大関陣では、やはり稀勢の里が実力上位です。前に出る力が戻れば、優勝争いも可能だと思います。

③ 関脇 豪栄道
難しい地位である関脇で3場所連続勝ち越し、11勝、8勝、10勝と並べてきました。大関候補と呼ばれて久しい力士ですが、ようやく本当の実力を付けてきた感じです。今場所11勝以上を上げて、来場所を大関取りの場所としたいものです。

 もう一人の関脇把瑠都は、このところ何か軽い感じが続いています。到底勝てないと思わせるような強さが際立っていた大関昇格直後に比べて、パワーも減退気味です。足指の故障のせいだとは思いますが、このままでは関脇の地位を維持することも難しいでしょう。一時は、横綱に最も近い力士といわれていた把瑠都関の捲土重来にも期待します。

④ 小結 栃煌山
先場所小結で10勝を上げながら、豪栄道・把瑠都が共に勝ち越したため、関脇に昇格できませんでした。実力面では関脇です。強い時と弱い時の落差が大きな力士でしたが、豪栄道と共に真の実力が付いてきたのでしょう。栃煌山関も長く大関候補と呼ばれてきました。両差しからの攻めという型を持っていますから、好調時の強さは際立っています。今場所12番以上勝てるようなら、来場所は大関取りの場所になります。その力も十分あると思います。

 もう一人の小結隠岐の海は、先場所前頭7枚目で11勝の好成績でしたが、横綱・大関との対戦はありませんでしたので、小結となるとさすがに家賃が高い感じです。とはいえ、元々実力者ですから、上位陣との対戦でも先場所のような速い攻めが出るようなら、好成績も可能でしょう。

⑤ 前頭筆頭 妙義龍
昨年9月場所、11月場所と関脇を2場所経験しましたが、その後星が上がらなくなりました。その技能相撲を憶えられたこともあるでしょうが、どこか故障しているのが主因だと思います。横綱日馬富士の安馬時代の相撲を思わせる「前に出る力」が復活していれば、上位陣の脅威であることは間違いありません。

⑥ 前頭七枚目 常幸龍
史上最短で幕の内に上がりましたが、一度は壁に跳ね返され、再度入幕した先場所は前頭11枚目で9勝6敗。形の無い相撲ですが、ようやく幕内レベルの立ち合いや押し方が身についてきています。地力には定評がありますので、横綱・大関との取組が原則として無いこの地位で、大勝が期待されます。

⑦ 前頭十六枚目 東龍
モンゴル出身の長身力士です。身長は横綱白鵬と同じ192㎝。柔らかい相撲を取りますが、先場所終盤崩れたように、精神面の弱さが心配です。とはいえ、抜群の素質、幕尻での大勝に期待します。

⑧ 前頭十四枚目 魁聖
腰の状態が良くなかったのでしょう、先場所は大きく負け越しました。それでも15日間取りきったのは立派。魁聖関の場合は、腰の良し悪しが外見からは判りません。今場所復調しているようなら、幕の内上位の地力は折り紙つきですから、二桁勝利の可能性十分です。

⑨ 前頭九枚目 旭天鵬
言わずと知れた幕の内最高優勝経験者です。先場所は、さすがに年齢からくる衰えを感じさせる取組がありましたが、そこは不死身の男、角界の常識を次々と打ち破ってきているスーパー力士です。暖かくなってきましたから、もう一花咲かせていただきたいものです。

⑩ 前頭十五枚目 誉富士
28歳にして新入幕を果たした苦労人です。安美錦、若の里、高見盛、舞の海といった名物力士を次々と生み出す相撲王国青森の出身。バランスの良い体格から繰り出される、思い切りの良い相撲に期待します。

 今場所は、以上の10力士に注目します。
 加えて、元々大好きな安美錦関や若の里関の相撲もとても楽しみです。ベテランと若手が集う大相撲5月場所、大熱戦が展開されることでしょう。
 MLBアメリカンリーグAL東地区で、ボストン・レッドソックスが首位を快走しています。5月3日時点で20勝9敗、勝率.690はMLB全体でもトップです。

 このボストンの快走を支えているのが、上原浩司と田澤純一の二人の日本人中継ぎ投手です。

 上原投手は、ここまで13試合に登板し、勝敗は付いていませんが、防御率1.54、WHIP(1イニングに許した走者数)は0.77と抜群です。

 日本プロ野球NPB時代から国際試合には滅法強く、オリンピックなどのゲームで25戦12勝0敗2セーブと無敗を誇っていました。読売ジャイアンツに所属したNPB時代は10年間で112勝62敗、特にデビュー年の1999年には20勝4敗という驚異的な成績を残し、シーズン中の15連勝を始めとする沢山の新人記録を更新、新人賞と沢村賞を同時に受賞するという離れ業を成し遂げました。
 2002年には17勝5敗・204イニング投球の好成績で2度目の沢村賞を受賞しています。もの凄い投手でした。

 もともとメジャー志向が強い選手でした(巨人入りの際にも、最後までアナハイム・エンゼルスとの争奪戦でした)から、2009年にMLBのボルチモア・オリオールズに入団、2011年にはテキサスレンジャーズに移籍、今季2013はボストン・レッドソックスに所属しています。

 NPB時代には先発投手でした。MLBでも最初は先発とリリーフの両方で使われていましたが、次第にリリーフ=中継ぎに定着しました。

 確かに33歳になってからのMLB挑戦ではありましたが、全盛時の投球を知る者にとっては、上原投手のMLBでの投球は物足りないものでした。NPB時代の終盤から「手投げ」のような投球フォームになり、球威が落ちた感じもしました。
 ところが、今シーズンの投球フォームは腕の振りにタメが戻りました。全盛時のフォームに近いものです。

 38歳となった上原投手ですが、188㎝のメジャー級の体格から、4シーム・2シーム・カッターのストレートと必殺のフォークを駆使して、もう一花というか、MLBでの最高のピッチングを魅せてもらいたいものです。現在の調子を観ると、十分に可能だとも思います。

 一方の田澤投手は、ここまで14試合に登板し2勝1敗、防御率2.77、WHIP1.00と好調なシーズンを送っています。

 田澤投手は、2008年の第79回都市対抗野球大会で4勝を挙げチームの優勝に貢献。橋戸賞(大会最優秀選手)を受賞しました。この時の都市対抗のゲームを東京ドームで観戦しました。球の切れが抜群で、良いピッチャーだなと思いましたが、MLBで通用する投手とまでは感じませんでした。

 この優勝の直後に、田澤選手はMLB挑戦を表明し、同時に日本のドラフトにおいて自身を指名しないで欲しいと、NPB12球団に通知したのです。所謂「田澤問題」です。この問題は、日本のドラフトを拒否してMLBに入団した選手は、当該球団を退団した後、大卒・社会人出身なら2年間、高卒なら3年間、NPBの球団と契約できないという「田澤ルール」の設定により決着しました。
 田澤選手は、ボストン・レッドソックスと契約しました。NPBを経由せず、大リーグのマイナー契約を経ることなく直接メジャー契約を結んだ、最初の日本人プレーヤーとなったのです。

 2009年から2012年は、MLBとマイナーリーグを行き来し、2010年は故障・手術のため全休するなど、田澤投手には苦しいシーズンが続きましたが、傷が癒えた2012年の後半戦では相当のパフォーマンスを披露していました。

 そして2013年、26歳になって田澤選手は花開きました。「MLBの田澤」となるために3年間を要したのです。
 テレビ画面で見る限り、体格が一回り大きくなり、ガッシリとしました。都市対抗野球時の田澤選手に、筋肉の鎧を付けた形です。身長180㎝とMLBの投手では小柄な部類に入りますが、体重は90㎏以上ありそうです。サイ・ヤング賞受賞のバートロ・コロン投手のようになって欲しいと思います。

 田澤選手もいくつかの変化球を投げますが、最も素晴らしいのはストレート(4シーム)だと思います。4シームは、日本野球において最も投げられているストレートですが、2シーム・カッターという「微妙に変化するストレート」が一般的なMLBにおいては、真っ直ぐの軌道を描く4シームは、逆に新鮮に観えます。特に田澤投手の、真ん中から外角の高めの4シームは、浮き上がるような印象を与えます。よく言われることですが「速いストレートが一番打ちにくい」のでしょう。
 日本で身に付けた4シームに磨きをかけて、田澤投手はMLBに挑んでいるのです。

 先発陣に、ダルビッシュ、黒田、岩隈の3投手、中継ぎに上原、田澤の2投手と、MLBの日本人投手が大活躍です。どの投手も見事にMLBベースボールに適応しています。その積み上げられた努力の大きさに敬意を表しつつ、一層の大活躍に期待するばかりです。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
「スポーツを考える-KaZ」ブログへ
ようこそ!
我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

最新記事
最新コメント
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Page Top
CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031