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(コラム78からの続きです)

 タマモクロスの先祖を辿ってみます。

 父系を見ると、タマモクロス←シービークロス←フォルティノ←グレイソブリン←ナスルーラ←ネアルコと繋がります。

 競馬をご存じの方なら、ネアルコ、ナスルーラ、グレイソブリンと並ぶと、現在のサラブレッド血統の主流そのものであることがお解りいただけると思います。現在、世界中で走っているサラブレッドの半数以上が、ネアルコの子孫と言われています。
 グレイソブリンとナスルーラは、ネアルコ系血統の承継馬として、ネアルコ系血統の大繁栄に大貢献したのです。ちなみにサンデーサイレンスも、当然のようにネアルコの父系子孫です。

 ネアルコ号は、本ブログにも度々登場しますので一部は繰り返しになりますが、概要を記します。
 1935年生まれのイタリア馬です。イタリアの伝説的名生産者(にして名調教師でもあった)フィデリゴ・テシオ氏の生産馬。1937年6月のデビュー以来負けを知らず、生涯成績は14戦14勝。イタリアダービーを含むクラシック2冠馬にして、イタリア最大のレース・ミラノ大賞典にも優勝し、フランスのパリ大賞典をも制して、イタリア馬の強さを欧州全域に示した名馬です。世界競馬史上最強馬を議論する時に、必ず名前が上がる1頭でもあります。

 競走馬としても超一流であったネアルコですが、種牡馬としての評価は更に上です。
 少しでも細かく表記しようとすれば何ページあっても足りませんから、概要の概要を記しますが、産駒には、イギリスのチャンピオンズステークスを制したナスルーラ、イギリスダービーを制したダンテやニンバスなど数えきれないほどの重賞勝ち馬が居ます。

 そして、それらの馬達から繋がる後継種牡馬が素晴らしい。
 直仔ナスルーラから、さらにその仔グレイソブリン・ボールドルーラー・ネバーベンド他に引き継がれましたし、直仔ニアークティックの産駒には、あのノーザンダンサーが居ます。

 このネアルコの代表産駒の一頭にして、代表後継種牡馬の一頭が前述のナスルーラ号です。
 ネアルコの産駒として1940年イギリスに生まれたナスルーラは、通算成績10戦5勝、イギリス最優秀2歳馬でもありましたが、種牡馬としての成績は、競走成績を遥かに上回りました。

 イギリス・アイルランドのリーディングサイアー1回、北米のリーディングサイアー4回獲得しています。また、欧米の両方でリーディングサイアーになった、史上初めての種牡馬でもあります。そして「ナスルーラ系」と呼ばれるサイアーラインの祖です。

 ナスルーラの生産者は、これまた伝説的生産者にして調教師のアガ・カーン3世です。フィデリゴ・テシオもそうですが、こうした人物からこうしたサラブレッドが生まれ、育つのでしょう。

 そのナスルーラの直仔に1948年イギリス生まれのグレイソブリンが居ます。グレイソブリン号は、競走馬としては通算23戦8勝(重賞3勝)と、ナスルーラ産駒としては目立った活躍を見せたわけではないのですが、後継種牡馬としては素晴らしい成功を収めました。

 特筆すべきは、その産駒の多くが葦毛馬であったことです。近代競馬における「葦毛馬の中興の祖」とも呼ばれています。タマモクロスの葦毛の馬体が見えてきました。

 グレイソブリンは、グレイモナーク、ソブリン・パス、グスタフ、フォルティノ、ゼダーン、ドンなどなど数々の活躍馬を輩出しましたが、ナスルーラと同様に多くの後継種牡馬にも恵まれ、「グレイソブリン系」というサイアーラインの祖となりました。特に、葦毛馬にとっては、忘れてはならない大種牡馬でしょう。

 そのグレイソブリンの直仔であるフォルティノ号は、通算17戦8勝(重賞3勝)の葦毛馬です。競走成績もまずまずですが、父グレイソブリン同様種牡馬としての評価の方が高いと思います。

 このフォルティノが種牡馬として日本に輸出され、ロングファストやシービークロスなどを輩出したのです。

 シービークロス号は、1975年日本生まれの葦毛馬、通算26戦7勝、目黒記念(秋)、毎日王冠、中山金杯の重賞3勝。吉永正人騎手を鞍上に、最後方一気の追い込みを売り物とする人気馬でした。一部に熱狂的なファンがいたと思います。
 そういえば、シービークロスも重賞3勝がいずれも1979年に集中しています。タマモクロス共々「一時期集中的に活躍する」血統なのかもしれません。

 ようやくタマモクロスに辿り着きました。史上初めて天皇賞を2勝した活躍は前稿に譲るとして、1988年の有馬記念競走をラストランとして引退したタマモクロスの種牡馬としての活躍も素晴らしいものでした。

 ホワイトアリーナ(南関東桜花賞、関東オークス)、カネツクロス(鳴尾記念、AJC杯、エプソムカップ)、ドラゴンゼアー(中京3歳ステークス)、タマモイナズマ(ダイヤモンドステークス)、ダンツシリウス(シンザン記念)、マイソールサウンド(阪神大賞典、京都記念、マイラーズカップ他)、ウインジェネラーレ(日経賞)、タマモサポート(ラジオNIKKEI賞、京都金杯)等々の重賞勝ち馬を輩出しています。
 特に、中央・地方の両方で産駒が活躍している点と、1990年から2003年まで毎年重賞勝ち馬を輩出した点が、素晴らしいと思います。

 世界に冠たる葦毛馬の血脈を、日本競馬界に展開してくれたタマモクロスは、2003年4月、19歳で他界しました。北海道新ひだか町に墓碑があるそうです。一度、行ってみようと思っています。
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 オールド競馬ファンにとっては、天皇賞は「勝ち抜け制」のレースでした。

 春であろうが秋であろうが、「天皇賞を1度勝った馬は、続く天皇賞に出走できない」ルールだったのです。
 最高格式であり、かつ「天皇楯」を一度手にした馬が、続く天皇賞レースで無様な走りを見せることが許されなかったのです。天皇賞の格の高さを示す制度でした。

 「勝ち抜け制」自体は、なにも天皇賞に限ったものではなく、例えば毎日王冠競走も1950年の第一回から第五回までは勝ち抜き制で実施されていましたし、中山大障害競走も1950年まで勝ち抜き制でした。しかし、天皇賞ほど長い間勝ち抜き制を維持したレースは、他にはありません。

 ハクリョウ、メイジヒカリ、シンザンといった名馬達も勝ち抜け制により、天皇賞は春か秋のどちらかのレースで1勝しかしていません。

 1937年から続いていた、天皇賞の勝ち抜け制が廃止されたのは1980年でした。

 さて、勝ち抜け制が廃止となったのだから、天皇賞を2度制する馬が直ぐに出現すると考えていましたが、これが中々そうは問屋が卸しませんでした。
 三冠馬シンボリルドルフやミスターシービー、アンバーシャダイやホウヨウボーイといった優駿達が挑みましたが、天皇賞2勝馬は生まれませんでした。1984年から天皇賞(秋)の距離が3200mから2000mに短縮されたことも影響したかもしれません。中距離のスペシャリストも出走してくるようになったためです。

 こうした状況下、1988年についに天皇賞2勝馬が誕生しました。タマモクロスです。タマモクロスは4歳時の天皇賞(春)と天皇賞(秋)を連覇しました。正直に言って、春→春か秋→秋の2勝馬が出るのではないかと考えていましたので、最初の天皇賞2勝馬が3200mと2000mの両レースを制する形であり、同一年に2勝したことは、意外でした。

 タマモクロス号、父シービークロス、母グリーンシャトー、母の父シャトーゲイ、通算成績18戦9勝。

 3歳の春、タマモクロスの成績は良くありませんでした。もともとデビューが3歳の3月と遅れたこともありましたが、新馬戦を勝ちあがることが出来ず、3戦目の未勝利戦でようやく初勝利を上げましたが、その後も5戦連続で勝てず、3歳の10月始めまでの成績は8戦1勝・400万下の条件馬でした。もちろん、クラシックレースとは無縁です。

 この段階で、タマモクロスが翌1988年のJRA年度代表馬になると予想した人は、皆無だったでしょう。
 
 10月後半の400万下条件戦で2勝目を上げてから、タマモクロスの快進撃が始まりました。これはもう、驚くような快進撃でした。
 11月の特別戦を勝ち、12月のG2鳴尾記念に臨みます。タマモクロスは、このレースでゴールドシチーやメジロデュレンといった重賞常連馬を抑え、2着メイショウエイカンに6馬身差をつけて圧勝しました。10月初旬とは別の馬のようでした。

 明けて4歳の1月、G3京都金杯も制して、これで4連勝・重賞2連勝。
 3月のG2阪神大賞典は1番人気に応えて1着(同着)、5連勝・重賞3連勝を引っさげて、1988年4月29日天皇誕生日の天皇賞(春)に駒を進めました。

 この第97回天皇賞(春)でタマモクロスは、メジロデュレン(菊花賞、有馬記念優勝)やメリーナイス(日本ダービー)などの強豪馬を相手に、1番人気になっています。そして、期待に応え優勝しました。2着ランニングフリーに3馬身差の快勝でした。ランニングフリーやメジロデュレンという、当代屈指のステイヤーを相手にしての見事なレースでした。

 6月にはG1宝塚記念2200mに出走します。さすがに、当時のNO.1中距馬ニッポーテイオーに次ぐ2番人気でしたが、レースではそのニッポーテイオーを2と1/2馬身差で破り、またまた快勝。

 3200mの天皇賞(春)で名だたるステイヤーを破り、2200mで中距離の王者ニッポーテイオーを下したレース内容には、本当に驚きました。450kgに満たない馬体の葦毛馬が、中距離から長距離まで対応するのです。そして、展開に恵まれたといったラッキーを感じさせない強い勝ち方なのです。
 同じ葦毛のオグリキャップと共に、葦毛馬の時代を感じさせる大活躍でした。

 これで7連勝、重賞5連勝、G1レース2連勝としたタマモクロスは、天皇賞(秋)に臨みました。
 このレースは、1番人気オグリキャップ、2番人気タマモクロスと葦毛馬が上位人気を占めました。もともと少ない葦毛馬が、拮抗した1・2番人気とは、珍しいレースであったと思います。

 この天皇賞(秋)は、2頭のマッチレースの様相でしたが、タマモクロスが1と1/4差で快勝しました。オグリもよく走り追い上げたのですが、タマモは「絶対抜かせない」という走りを魅せたのです。
 3着レジェンドテイオーは、オグリから3馬身差でした。2000mの天皇賞(秋)での3馬身は大差ですから、葦毛2頭の力がずば抜けていたと言う事でしょう。
 
 続いてタマモクロスは、ジャパンカップG1に挑みました。
 この頃のジャパンカップは、海外馬が強く日本馬は勝負に持ち込むことも困難な時代でしたが、タマモクロスは勝ったペイザバトラーから1/2馬身差の2着。
 東京競馬場直線のペイザバトラーとタマモクロスの叩き合いは見ごたえ十分で、ほぼ互角に見えました。追い始めた時の差が、そのままゴールまで残った感じでしたから、タマモクロスは一歩も引かなかったのです。敗れて尚強しを印象付けたレースでした。

 ラストランは有馬記念。このレースはオグリキャップの2着でした。1番人気で臨んだこのレースのタマモクロスは、精彩に欠けました。私には、ジャパンカップの疲労残りというよりは、ジャパンカップで燃え尽きたように感じられました。

 1988年のタマモクロスは、7戦5勝(重賞5連勝)、G1レース3勝、2着2回(ジャパンカップ、有馬記念)の好成績を残し、年度代表馬に選出されました。文句無しだと思います。

 競走馬を引退し、種牡馬になったタマモクロスには、次の活躍が待っていました。父シービークロスから遡る連綿たる名血を引き継いでいったのです。(次稿「ネアルコ号からタマモクロス号へ」に続きます。)
 NHKアーカイブスという番組で、映画監督山本晋也氏が選んだ番組が放送されています。第一号というか1つ目の放送は「1964年東京オリンピック開会式」でした。昭和39年は、テレビのカラー放送が始まったばかりの頃で、オリンピックOLY開会式がカラー放送されるのも世界史上初めてでしたし、アメリカに衛星放送されるのも初めてでしたから、テレビという映像媒体史上を飾る、画期的な放送だったのです。

 このアーカイブス放送で、久しぶりにあの開会式を、少し長く見せていただきました。子供の頃、噛り付きながら見ていたことを思い出すと共に、まさに日本文化の結晶のような式であったと改めて感じました。

 第一のポイントは、国立競技場のトラックの素晴らしさです。当時の陸上競技場のトラックは「土」です。「土」といっても、アンツーカという特殊な土なのですが、土であることは間違いありませんから、現在のウレタンやゴムのトラックと違い、蹴ったり引っ掛けたりすれば崩れるものです。多くの人が歩けば、当然こなごなに崩れるものです。
 東京OLY1964は、現在ほどではないにしても、94ヶ国5000人近いアスリートが出場しました。コーチ他の関係者を含めれば5000人以上の人達が、開会式のときにトラックを歩いたのでしょう。
 
 しかし、式の後半になってもトラックが荒れている様子は見えませんでした。

 式の最初、選手入場の先頭としてギリシャ選手団が入場してきた時の、アンツーカトラックの美しいこと。真平らで、真っ直ぐなコースラインの白が際立ちます。当然ながら、コースラインも現在のようにウレタンに塗装してあるのではなく、土に石灰で書いてある(消石灰が置いてある)のですから、「真っ直ぐであること自体が奇跡的なこと」です。現在の野球場と同じです。当然沢山の人が歩けば、石灰ラインは散ってしまいます。

 その石灰ラインも、式の後半でも綺麗な状態を保っていました。もちろん、水に溶いた石灰を使うなどの工夫があったのではないかとは思いますが、とにかく素晴らしいクオリティです。

 1964年の、この国立競技場のアンツーカトラックには、日本の「物づくり」の精神・技術が遺憾なく発揮されていたのでしょう。

 アンツーカトラックは海外(フランス語ですから、フランスで開発されたものだと思います*)で生まれたものですが、国立競技場のアンツーカはもちろん国産です。従来のアンツーカに、工夫に工夫を重ねて造り上げられたものです。
 (*ちなみに、高温で焼いたレンガの粉を主体として出来ているアンツーカは、フランスでテニスコート用に開発されました。テニス全仏オープン会場・ローランギャロスの赤いコートが、まさにアンツーカです)

 日本人初のオリンピック金メダリスト(1928年アムステルダムOLY三段跳び)であり、この大会の日本陸上競技選手団の総監督でもあった織田幹雄氏は、1964年東京OLYのトラックについて「固いトラックが欲しい。非情なほどに固いトラックが」と要望したと伝えられています。固いほうが走る際にスピードが出し易いので、競走の記録が伸びますし、走り幅跳びや三段跳び、走り高跳びや棒高跳びなどの跳躍競技の記録も伸びますから、織田氏はそのように要望したのでしょう。 

 ただ固くするだけなら、それ程難しいことではないでしょうが、より細かい粒子の土を締めに締めることにより、固くすればするほど「スパイクの針で崩れやすくなってしまう」でしょうし、雨が降ったときの水捌けや、傷んだトラックを整備する時の所要時間の問題などが発生してしまいます。

 選手の筋力をより多く前進する力に変換し、余り崩れず、水捌けが良く、整備し易い、トラックなどという、過大な期待がトラックメーカーに寄せられたのですが、このテンコ盛りのスペックは見事に充足されました。その上、とても美しいのです。

 この世界最高のアンツーカトラックを創り上げたのは、奥アンツーカ株式会社ですが、我が国の技術の高さを示すものであると共に、「完璧を好み・追求する」といわれる日本人の気質・文化が良く現れている事象だと思います。そしてこの文化は、現在でも全く変わっていないと私は思います。

 第二のポイントは、選手団入場行進の整然とした様子です。
 先頭のギリシャから、最後の日本まで、94ヶ国の選手団は一糸乱れぬ行進をしました。驚くべきことだと思います。
 当たり前のことですが、選手団は世界中から集まっていました。堅苦しいことが苦手な国々の選手団も数多くあったことでしょうが、全体として列の乱れも最小で、選手団と選手団の間隔もキッチリしており、行進の渋滞もほとんど見られません。

 今見ると、「こんなことが可能なのか」と感じます。奇跡的な事象でしょう。

① 秒単位の運営が行われたこと
 これは、当時から伝えられていたことです。各国選手団の入場時刻が事前に秒単位で決められていて、それが実行されたということです。
 この実行に際しては、様々な工夫がなされていたことでしょう。簡単な工夫としては、大選手団の列は多く、小戦手団の列は少なくなっています。いつものように最大の選手団は、この大会でもアメリカ選手団でしたが、そのアメリカ選手団は10列位で行進していました。一方、例えばギリシャ選手団は3列でした。こうした運営により「選手団の長さをなるべく均等」にし、行進の所要時間をなるべく揃えることで、「どの国の選手団が何時何分何秒」に、国立競技場のオリンピックゲートをくぐり、入場すると決めたスケジュールを堅持したのです。ほとんど狂い無く実施されたと伝えられました。

 当然ながら、各国選手全員を集めた予行演習など出来る筈もありませんから、細部に渡る想定の繰り返しの中で本番を迎えて、これを実行してしまうというのは、凄いという他はありません。

 そもそも、選手団の入場行進で、94ヶ国全部に秒単位の入場時刻をスケジューリングすること自体が、やや几帳面に過ぎる感じがしますが、これを組み上げ、そして実行する力は、まさに日本文化そのものです。

 現在でも、日本の鉄道交通網の時間運営の正確さは、海外の皆さんから世界一と評価されていますし、事実世界一というか、スバ抜けて精緻なものでしょう。
 ご承知のように、多くの電車は15秒刻みで運行されています。例えば10時10分発と表記されている電車には、10時10分丁度発と10時10分15秒発と10時10分30秒発と10時10分45秒発があるということです。
 こうした精緻なダイアグラムを、キッチリ運行しようとする気質は、はるか昔から日本人に備わっている気質・文化そのものであり、東京OLY1964の開会式でも如何なく発揮されたということでしょう。そして、その文化は、現在でも全く変わっていないと私は思います。

② 各国選手団が秒単位の運営に協力してくれたこと
 前述のように、キッチリ運営したい日本人スタッフが揃っていても、世界中から集まった選手団・プレーヤーが、言うことを聞いてくれなければ、時間通りの運営は出来ません。
 最も不思議なことは「なぜ、世界中の様々な気質のプレーヤー達が、大人しく?大会関係者の運営に従ってくれたのか」という点でしょう。

 これは難しい問題ですが、私は「この時の国立競技場を包み込む雰囲気」のせいではなかったかと思います。
 本当は、オリンピックに出場できる喜びと、開会式の高揚感で、飛び跳ねてしまいたい気分の選手達を、お行儀良くしなければならないという気分にさせる雰囲気が、競技場全体に漂っていたのではないでしょうか。それも、強制的なものではなく、自然に従わなければならないような雰囲気が。

 この雰囲気を生み出したものは、大会係員の誠意に溢れた熱意なのか、昭和天皇・皇后両陛下の参列なのか、日本に到着し開会式までの数日を過ごす過程で、各選手達が何かを感じ取っていたのか、分かりませんが、色々な要素が渾然一体となって、奇跡的に整然とした開会式が実現したのでしょう。

 第三のポイントは、観客の素晴らしさです。
 若き日の山本晋也監督は、この開会式に観客として参加していたのだそうです。何とも羨ましい話ですが、その監督のコメントです。「歓声は、あまり上がりませんでした。拍手ばかりなのです。日本選手団の入場の時でさえ、拍手が沸きあがっただけでした。そして、どの国の選手団にも暖かい拍手が送られます。日本選手団だからといって、特別に大きな拍手というわけではないのです。」

 75000人の大観衆が、各国選手団に対して分け隔てなく接し、大騒ぎもせず、開会式の重要な要素としての役割を全うしたというのは、何か信じられないような事実ですが、これはまさしく「おもてなし」の文化そのものです。

 1945年の太平洋戦争終戦の時から、国民一人一人が自分達の生活の建て直しに邁進し、ようやく戦前の生活水準に戻り、これを乗り越え一層の経済力伸長を進めていた昭和30年代、日本国が戦後の混乱から復興したことの象徴としての東京オリンピックが開催されることとなったのです。

 首都高速道路や東海道新幹線も、突貫工事で建設が進められ、開会式直前に開通しています。国民が力を合わせて実現したオリンピックだったのです。
 こうしたオリンピックの開会式に臨んでは、観客も大喜びし、大騒ぎしても何の不思議も無いというか、必死に努力してきた10数年の思いを爆発させるのは、当然の行動にも思えるのですが、日本国民はそうはしませんでした。

 日本に来ていただいた、世界中のアスリートの皆さんに「不快な思いをさせたくない」「気持ちよくプレーして欲しい」、そして出来れば「日本は良い国であったという思い出を残して欲しい」という思いからか、大歓声の無い、平等な拍手だけの開会式を実行したのです。

 「真のおもてなし」精神であり、日本文化そのものだと思います。

 そして、この点について私は、現在は少し変わってきていると感じます。
 「おもてなし」などと、声高に言うことではないのです。お客様が「おもてなし」とは気付かない対応が「おもてなし」なのです。

 例えば、茶道で庭を歩いて茶室に至る道すがら、綺麗な紅葉の葉が飛び石の上に散り、水が打ってある、いかにも庭木から落葉したかのように見えますが、当然ながら全て主人が準備しておいたことです。例えば、紅葉の葉の枚数から配置まで、考えに考えて準備してあるのです。
 自然に見えて、良く管理されている状態、お客様に気持ち良く利用していただくための、ワザとらしくない意匠が「おもてなし」の本質でしょう。

 2020年のオリンピック招致活動における東京のプレゼンテーションで「お・も・て・な・し」と表現したのは、日本文化のPRとしては、とても意味のあるものだったと思います。

 しかし一方で、最近は、個別のホテル・旅館や料理店・レストランなどの紹介の際に、「私どもは、おもてなしのひとつとして・・・・」などという説明が成されることが多いのですが、そうした説明をすること自体が、既に「おもてなし」の精神から遠ざかっているように感じます。

 30年ほど前、仕事で地方のビジネスホテルに宿泊しました。小さなバスでシャワーを使い、体を拭きながら、直ぐ隣の洗面所の鏡を見ると、ちょうど顔の位置の一定面積が長方形型に曇っていないのです。曇り止めを塗ってあったのでしょう。
 もちろん、どこにも「鏡に曇り止めが施してあります」とは表示されていません。ホテルの方針なのか、部屋をクリーニングしてくれる人の心配りなのか分かりませんが、大変気持ち良く利用できました。
 現在では、多くのホテルで実行されていることですが、30年前は珍しかったと思います。「おもてなし」とは、こういうことだと思います。

 話を戻します。

 「『おもてなし』と気付かれない『おもてなし』が、競技場全体を包んでいた」のが、東京OLY1964開会式だったのでしょう。事前に、何の打ち合わせも無く、75000人が共通の「おもてなし」を実行できる日本という国。素晴らしいと思います。

 久しぶりに、カットの少ない「開会式」の映像を見て、涙が出ました。
 古関裕而氏作曲のオリンピックマーチ流れる国立競技場。本当に美しい式典であったと思います。

 1937年に開始された天皇賞は「古馬のレース」という印象の強いレースです。

 3歳の若駒にはクラシックレースがあります。桜花賞、皐月賞、オークス、日本ダービー、菊花賞という5つのクラシックレース(3歳馬限定)は、近代競馬の華です。そして、この5大レース制覇は、3歳馬にとって最高の栄誉だと今でも思います。

 一方、古馬には春と秋の天皇賞があります。表彰式において馬主は白手袋を着用し、受取る「天皇楯」は、古馬最高の栄誉でしょう。

 この7つのレースに、3歳馬も古馬も出走できるオールスター戦「中山グランプリ有馬記念」競走を加えた8つのレースが、「八大競走」と呼ばれ、日本競馬最高のレースと位置付けられていた時代が、長く続いたのです。

 しかし、1984年のグレード制導入と同時に、中距離路線レース体系の確立の観点から、それまで3200mだった府中の天皇賞(秋)が、2000mに変更となりました。
 そして、1987年からは、天皇賞(秋)の出走資格が4歳以上から3歳以上に変更されたのです。それまで、古馬限定のレースだったものが、3歳馬にも開放されました。3歳馬にとっても、3000mの距離(菊花賞)を苦手とする馬にとって、挑戦できるG1レースが用意されたということです。
 天皇賞(秋)が古馬限定となった1938年から丁度50年目のことでした。

 これで、古馬限定の天皇賞は、「春の楯」だけになってしまいました。もちろん、ジャパンカップや安田記念、マイルチャンピオンシップや高松宮杯、スプリンターズステークスと、様々な距離に対応するG1レースがラインナップされ、古馬が挑戦するチャンスは十分に用意されてきたのですが、何か寂しい感じがしたものです。

 1987年に3歳馬に開放されたとはいえ、中々3歳の優勝馬は出ませんでした。「やはりサラブレッドは、4歳になってから本格化する」と言われたものです。
 その古馬の壁を初めて破ったのが、1996年のバブルガムフェローでした。

 バブルガムフェロー号、父サンデーサイレンス、母バブルカンパニー、通算成績13戦7勝2着2回、3着3回。

 2歳時、朝日杯3歳ステークスG1を制覇し、3歳初戦のスプリングステークスG2も快勝して、皐月賞・日本ダービーの最有力候補となりましたが、骨折が見つかり回避。
 秋は菊花賞を避けて、中距離路線を目指しました。緒戦の毎日王冠G2を古馬に混じって3着と健闘しましたが、この年の天皇賞(秋)はメンバーがとても強かったので、さすがに3歳馬では荷が重いと思いました。

 何しろ、ここまでG1レース3勝のマヤノトップガン、天皇賞(春)を制していたサクラローレル、翌年の宝塚記念を制するマーベラスサンデーの古馬牡馬G1級3頭が顔を揃えたのです。例年の天皇賞(秋)にも増して強力なメンバーです。迫力十分の大人達に囲まれた高校生という感じがしたものです。

 古馬の強豪3頭が中段で睨み合う中、レースは緩みの無いペースで進みます。先行していたバブルガムフェローは、最後の直線でよく粘りました。差が詰まりそうで詰まらない、これは、本当に驚異的といえる粘りでした。
 2着マヤノトップガン、3着サクラローレル、4着マーベラスサンデーの古馬を引き連れ、1/2馬身差でゴールしたのです。良い脚を長く使えるバブルガムフェローの、生涯最高のレースであったと思います。

 バブルガムフェローが打ち破った古馬の壁ですから、今後は3歳馬の活躍が目立つだろうと見ていたのですが、それ以来現在に至るまで3歳馬で天皇賞(秋)を制しているのは、2002年のシンボリクリスエス号ただ一頭です。
 凱旋門賞の3歳優位の結果と比較すると意外な感じですが、斤量差・天皇賞(秋)2kgと凱旋門賞3.5kgという1.5kgの違いが影響しているのでしょうか。

 秋シーズンの大レースにおける3歳馬と古馬の斤量差は、2kgと3.5kgの真ん中2.75kgが適正なのかもしれません。
 MLBのワールドシリーズWS2013第3戦は、10月26日セントルイスのブッシュスタジアムで行われました。

 例年のことながら、MLBのポストシーズンゲーム、取分けWSゲームでは、様々な意匠が施されます。ゲーム前のアメリカ国歌斉唱もそのひとつ。有名ミュージシャンや、開催地の歌手など、色々な方が趣向を凝らして歌います。

 このゲームの国歌斉唱は、シンガーソングライターのコルビー・キャレイでした。キャレイはグラミー賞も受賞している人気歌手です。

 アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」は、おそらく現在世界で一番知られている国家でしょう。オリンピックの表彰式で再三流れますから。
 また、この歌は荘厳に始まり盛り上がって終わりますから、いかにも「国歌」という雰囲気を湛えています。

 キャレイは静かに、情感を込めて歌い上げました。「ザ・星条旗」とも呼ばれるホイットニー・ヒューストンの、盛り上げ型の極致のような歌い方ももちろん素晴らしいのですが、キャレイの「星条旗」も見事でした。また、こうした情感型の歌い方は、こうしたスポーツイベントでは珍しいとも思いました。
 観客も、この国歌斉唱を満喫していました。

 ボストン・レッドソックスのメンバーとして、グランド上に並んでいた上原投手も感動した様子で、隣の田澤投手に話しかけていました。「良かったな」か「凄いな」のどちらかの言葉であったろうと、想像します。

 そして始球式。まず、ルー・ブロック氏、ボビー・ギブソン氏他4名の、セントルイス・カーディナルスOBが紹介されます。続いて、投げるのはウィリー・マギー氏、受けるのはオジー・スミス氏。カーディナルスを支えた偉大なOBによる始球式でした。
 何より印象的だったのは、OB諸兄の笑顔です。ウィリー・マギーなどは、満面の笑みで投球を楽しんでいました。

 こうしたエンターテイメントの数々を、最も楽しんでいるのは47,000人を超える大観衆でしょう。
 カーディナルスカラーの赤で身を包んだ大観衆は、ひとつひとつのイベントで拍手・歓声を惜しみなく送り、場内には本当に楽しそうな笑顔が溢れています。
 たくさんの10歳にも満たない子供たちも、一緒に楽しんでいます。

 セントルイスのブッシュスタジアムは「ベースボール・イズ・アメリカ」を最も強く感じさせる場所のひとつです。
 このまま読売ジャイアンツが、日本シリーズ2013を制することになれば、シリーズの流れを決めたプレーとなったファインプレーだと思います。
 その意味では、気の早い話で恐縮ですが、MVPは亀井選手ということでしょうか。

 日本シリーズ2013第1戦は、10月26日東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地クリネックススタジアム宮城で行われました。試合開始時の気温が17度、進行に伴い10度台の前半まで気温が下がって行ったように見えました。

 ジャイアンツ2点リードで迎えた8回裏、2死1・2塁のチャンスで打席には松井稼頭央選手。マウンド上は山口鉄也投手。
 松井選手が、レフトに大飛球を放ちます。「ホームランか」と思いましたが、亀井選手がバック。フェンス際でグラブを差し出します。「これは捕れない」と思いました。亀井選手は背中からフェンスにぶつかりました。

 取ったようにも観えませんでした。ボールがどこに行ったかも分かりませんでした。そして、立ち上がった亀井選手は、捕球を示したのです。

 VTRで、ようやく捕球を確認できました。驚異的な守備でした。

 打球はスタンドには届いていませんでしたが、レフトフェンス直撃の長打は間違いないものでした。これが抜けていれば、2死でしたから塁上のランナーは2人ともホームに帰ってきていたでしょうから、2対2の同点になったことは間違いないでしょう。

 「マシソン→山口→西村」という、ジャイアンツが誇る「勝率95%」のリレーは、今シリーズの帰趨を決めるポイントのひとつです。
 第1試合の勝敗に対する影響も大きいものでしたが、この絶対的リリーフ陣を打ち崩すということは、シリーズ全体に大きな影響を残した筈です。
 亀井選手の超美技は、ジャイアンツの絶対的リレーをも救ったのです。

 星野監督の残念そうな様子、原監督の嬉しそうな様子が、このプレーの大きさを如実に表していました。

 寒かったクリネックススタジアム。もう少し暖かければ、松井選手の打球はスタンドに届いていたでしょう。
 気象条件も含め全ての条件が、亀井選手のファインプレーの要因となっていたように感じます。

 「打ちも打ったり、捕りも捕ったり」という有名な言葉がありますが、まさにその通りのプレーでした。日本シリーズの歴史に残る、攻守の応酬だったかもしれません。

 内海・則本両投手の一歩も引かぬ投げ合いや、数々のファインプレー等々。見応え十分の素晴らしい試合でした。
 10月19日の土曜日、第90回東京箱根間往復大学駅伝競走の予選会が、例年のように国営昭和記念公園周辺コースで開催されました。

 第90回大会は、ラウンド開催回の記念大会ですので、例年10校を選ぶことが多い予選会ですが、今回は13校を選出するレースとなりました。

 印象に残った諸点を上げます。

① 実力上位の13校が選ばれたこと
 13位の国士舘大学の合計タイムは10時間16分54秒、14位の亜細亜大学のタイムが10時間21分29秒でしたから、その差は4分35秒。ランナー1人当たり27.5秒の差ですから、大差です。今回は関東インカレ大会の成績も加味されませんでしたから、文字通り実力上位13校が選出されたと感じました。
 当たり前のことのようですが、そうではないでしょう。例年カットラインは僅差のことが多い上に、エースランナーの不調・不出場による番狂わせもあります。今回の如き順当さは「異例のこと」のように思います。

② 「極端な集団走」が見られなかったこと
 一時期予選会では、同じ大学の5~10人位のランナーが、10~15kmまで集団で走る「集団走」が良く見られました。「力が劣るランナーを引っ張っていこう」という狙いであったと思いますが、私はもともと、この方法・戦術に疑問を持っていました。力上位のランナーのタイムをロスするリスクが高いと考えていたのです。遅い人に合わせていると、速いランナーもリズムを崩すことが多いものです。
 今回は、出場権を争うレベルの大学においては、2~3人でまとまって走る例はありましたが、極端な集団走は見られなかったと思います。
 力量が同程度のランナー2~3人が併走するのは、走りのリズムの維持・調整には有効な方法だと思います。

 極端な集団走が減少した最大の理由は、全体のタイムが上がってきていて、各ランナーがキッチリと自分の実力を発揮し、自分の実力どおりのタイムを叩き出しておかないと、チームとして予選会を通れなくなったということでしょう。

③ 慶應義塾大学、東京大学の挑戦が続いていること
 今予選会では、慶応大学は10時間59分19秒で28位、東京大学は11時間11分48秒で33位でした。
 予選会突破に向けては、まだまだ力不足の感は否めませんが、慶応大学に付いては箱根駅伝黎明期の名門校として、東京大学に付いては国立大学の代表として2度目の本大会出場に向け、挑戦が続いている点が素晴らしいと思います。

 今年の箱根駅伝「予選会出場資格」では、10~14名のメンバーを登録し、12名以内が走り、上位10名の記録の合計タイムで競うことになっていますから、少なくとも両校には、20kmを走りきれる10名以上のランナーが居るということになります。
 加えて、「平成24年1月1日から、申込期日前日(今回は平成25年10月2日)までに各校エントリー者全員が5000m16分30秒以内もしくは10000m34分以内の『公認記録』を有していること。ただし、トラックでの記録に限る」という、きっちりとした条件があるのです。

 当然ながら、関東に存在する大学の仲良しクラブでは出場が難しい、逆に言えば、こうした条件が無ければ、予選会に極めて多くのチームが出場してきてしまい、収拾が付かなくなるでしょう。なにしろ、「箱根」は予選会もテレビ放送されるのです。

 本項の話に戻ると、慶應義塾大学にも東京大学にも、一定水準の「公認記録」を保持するランナーが10名以上所属しているということであり、ほとんど毎年予選会に出場してきているということは、そのレベルの競技ランナーを毎年10名以上供給し得る体制・伝統が出来上がっているということに他なりません。容易なことではないでしょう。
 この両校のユニフォームを、お正月の箱根路で再び見られる日もそう遠くは無いのかも知れません。

 最後に、例年の事ながら、関東学生陸上競技連盟の運営振りには感心します。

 箱根駅伝は、正月三が日の一大イベントであり、国民的行事でもあります。当然ながら、テレビ放送の視聴率も大変高いので、多くの企業や団体が当該行事を自らの事業展開に利用しようとするでしょう。資本主義社会の当然の経済活動です。

 こうした「巨大資本」のアプローチを数十年に渡って受けてきたにも拘らず、一貫して「関東地区の大学の駅伝大会」という軸を崩さず、運営も関東大学陸上競技連盟主体と言う方針を曲げることなく、90回を数えるに至りました。
 大変なことであり、素晴らしいことでもあると思います。

 現在では、「箱根駅伝の有力ランナーはスター」です。しかしながら、レースにおいては特別扱いされることはありません。
 スターランナーがコースに登場する時に、音楽が流れドライアイスの霧が噴出したりすることはありません。全てのランナーが、同一の条件の中で、自らの走りを展開しようとするのです。当たり前のことでしょうが、商業ベースに乗ってしまえば、当たり前ではなくなってしまうでしょう。「別の大会」になるのです。

 この点を維持している、つまり「箱根駅伝を箱根駅伝として維持している」のが、関東大学陸上競技連盟なのだと思います。
 もちろん、これだけのビッグイベントに育ってしまった以上、相応の費用が掛かりますから、数社のスポンサー企業が存在するのは「仕方が無い」「当たり前のこと」でしょう。しかし、運営主体はあくまで現役の学生たちであり、質実剛健な大会運営を継続することは、今後も堅持して行っていただきたいものです。
 10月27日、東京競馬場芝2000mコースで行われる、第148回天皇賞(秋)競走G1の注目馬です。

 馬場状態がポイントです。台風27号が接近していますので、土曜日の26日は相応の降雨が予想されますが、台風のコースが週初めの予測より南に偏っていますので、思ったより雨量は少ないと考えます。
 26日の午後には雨が上がり、27日は朝から快晴として、馬場状態は「重」と見ます。

 第一の注目馬は、5枠9番のジェンティルドンナ。十分に調教が積まれていて、良馬場であれば、この馬が勝つ可能性が高いと思います。
 まず調子ですが、出て来る以上は仕上がっていると思いますし、宝塚記念G1から4ヶ月振りというのは、昨年からの大レース続きの疲労回復には良かったとも思います。
 問題は馬場状態ですが、どろどろの不良馬場でなければ、十分に力を発揮できると思います。得意の東京競馬場です。負けられないところでしょう。

 第二の注目馬は、7枠13番のアンコイルド。勝ち切れないレースが続いていますが、重い馬場で、厳しいペースのレースとなれば、父ジャイアンツ・コーズウェイの血が活きると思います。
 力強いギャロップで、ゴールまで緩み無く走り切ってくれるでしょう。

 第三の注目馬は、6枠11番のトウケイヘイロー。力量的にはやや見劣りしますが、前走重馬場のG2札幌記念を6馬身差で制していますので、重馬場に強く調子も良いということで、ここでは勝負になりそうです。

 今回は以上の3頭に注目します。

 エイシンフラッシュは実績十分ですが、近時は自身に連勝が無く、天皇賞(秋)も連覇が難しいレースですので、今回は見送りたいと思います。勝つのがひとつ早かったというところでしょうか。
 日本シリーズ2013の見所のひとつに、「負けを知らない投手」田中将大と巨人軍強力打線の対戦があります。どのような対決になるのでしょう。

① 田中投手が好調な場合
 いかにジャイアンツ打線とはいっても打ち崩すことは出来ないでしょう。現在の田中投手は、そういうレベルのプレーヤーだと思います。1点を取ることも、容易ではない。
 この場合には、ジャイアンツは失点しないことと、なんとか球数を多く投げさせて(これも容易なことではないと思いますが)、田中投手に完投を許さないことが大切でしょう。リリーフ投手と勝負するのです。

② 田中投手の調子が普通であった場合
 この場合でも、通常通りに対処していては田中投手攻略は出来ないと思います。普通の調子でも完投シャットアウトできる投手なのですから。
 この場合、巨人軍が留意すべきは、田中投手を精神的に追い込む工夫だと思います。具体的には、田中投手に「今日は調子が悪いのかな」と感じさせることでしょう。その為には、投球をバットに当てることが必要です。それもフルスイングで。

 今シーズン、田中投手はバットの芯に当てさせない投球が出来ています。その投球が、ファウルとはいってもバットに当てられる、それも連続して、となれば「球が走っていない」と田中投手が考える可能性があります。
 そう考え始めると、一層コーナーを狙うようになりますから、球数が増え、フォアボールも増える可能性があります。そして、微妙に腕が振れなくなってくるのです。

 とはいえ、当然ながら「田中投手の投ずるボールをフルスイングでバットに当てる」のは大変です。
 ここは、各打者が狙い球・狙うコースを絞り込んで、フルスイングしていくしかないように思います。引張りが得意な打者は、真ん中から内角の球を待ち、思い切り振っていく。他のコースの球でストライクを取られ、三振しても止むを得ないと考えるのです。外角のボールを流し打つのが得意な打者は、それだけを狙う。内角のスライダーは捨てるのです。
 球種も、打者によってストレートが得意なプレーヤーも居れば、変化球が得意なプレーヤーも居るでしょうから、各プレーヤーが最も自信がある球種に絞って振っていくのです。

 特に、今シーズンの田中投手の切り札ボールは、外角高めストレートだと思いますので、これを芯に当てることが出来れば、たとえ野手の正面をついてアウトになったとしても、田中投手に「今日は、球が走っていないのかな」と考えさせるきっかけにはなると思います。

 もちろん田中将大投手も強靭な精神力の持ち主ですから、1度や2度の揺さぶりではびくともしないことでしょう。

 日本プロ野球を代表する投手と打線の対決は、本当に見所十分です。ペナントレースを圧勝した両チームが戦う日本シリーズ2013、血湧き肉踊るゲームが展開されることでしょう。
 初戦と第二戦の「ゲーム内容」がポイントになると思います。

 1984年のスワンステークスに優勝したのが、ニホンピロウイナーです。

 1984年は、中央競馬の重賞にグレード制が導入された年です。同時に、それまでの2400m以上の距離のレースを中心にした重賞体系から、中距離路線が明確化され始めた年でもありましたから、ニホンビロウイナーは我が国最初の短中距離のスペシャリストであったとも言えます。

 1400m以下のレースは、10戦して9勝、1敗はレース中に落鉄した阪急杯でした。
 1600m以下のレースなら18戦して14勝2着3回、1600mのG1レースを3勝しています。今風に言えば、ニホンビロウイナーは「マイル戦にも勝てる最強スプリンター」であり、ロードカナロワの大先輩といったところでしょうか。

 このニホンビロウイナーが3歳時の1983年は、まだまだクラシック競走を中心としたレース体系でしたから、ウイナーも当然に皐月賞を目指しました。2歳時をデイリー杯3歳ステークス優勝など4戦3勝。3歳となって、きさらぎ賞にも勝利。続く、2000mのスプリングステークスでは6着に敗れます。
 そして、クラシック第一弾の皐月賞2000mはミスターシービーの20着と大敗。陣営はクラシック路線を諦めて、短中距離路線に切り替えます。この方針転換は見事に当たった訳ですが、短中距離レースに光が当たらない時期でしたから、ニホンビロウイナーの活躍はあまり話題にはなりませんでした。

 そして、ニホンビロウイナー4歳時の1984年にグレード制が導入されたのです。ウイナーもG1のマイルチャンピオンシップを目指すことになりました。
 秋緒戦9月の朝日チャレンジカップを勝って、秋2戦目として臨んだのがスワンステークスでした。このレースでウイナーは、先行したまま2着シャダイソフィアに7馬身差を付けて圧勝しました。

 本番の1600mのマイルチャンピオンシップは、ウイナーには少し長いかなと見ていましたが、ハッピープログレスに1/2馬身差で快勝しました。「G1」マイルCSの最初の優勝馬となったのです。

 明けて5歳、ニホンピロウイナーはマイラーズカップ、京王杯スプリングステークスと1600m以下の重賞を勝ち続け、5月のG1安田記念もスズマッハを3/4馬身差で退け優勝しました。
 秋には、G1天皇賞(秋)2000mこそギャロップダイナ、シンボリルドルフの3着(勝ち馬から僅か1馬身差)と敗れましたが、続くG1マイルチャンピオンシップを連覇したのです。このレースは2着のトウショウペガサスに3馬身差を付ける圧勝でした。

 中距離レース体系が整備され始めた頃とはいえ、短距離路線の整備は遅く、この頃のスプリンターズステークスはG3でした。スプリンターズステークスがG1になるのは1990年を待たなければなりません。この頃G1のスプリント競走があれば、ニホンビロウイナーは、間違いなく何勝かしていたでしょう。

 ニホンビロウイナー号、父スティールハート、母ニホンピロエバート、母の父チャイナロック、通算成績26戦16勝。父スティールハートは、大種牡馬ハビタットの産駒、イギリスで1200mの重賞を4勝した名スプリンターでした。また、母ニホンピロエバートは、あのキタノカチドキの半妹です。

 さらに、種牡馬としてのニホンビロウイナーの活躍も素晴らしいものです。代表産駒は安田記念2勝、天皇賞(秋)の優勝馬であるヤマニンゼファー。他にも、高松宮杯やスプリンターズステークスを制したフラワーパークなど、中央・地方を問わず多数の重賞馬を輩出しました。
 ヤマニンゼファー他何頭かが後継種牡馬となっているのは、頼もしいことです。ウイナーの血脈は続いて行くことでしょう。

 ニホンビロウイナーは2005年に他界しましたが、2012年JRAの安田記念競走CMに『マイルの皇帝』と紹介されていました。この表現は初めて聞きました。死して後、評価が見直されたのでしょう。
 当時、「1600m以下なら、皇帝シンボリルドルフより強い」と言われていたニホンビロウイナー。生まれてくるのが少し早かったのかもしれません。
 MLB2013ポストシーズンのナショナルリーグ・チャンピオンシップNLCSゲーム第6戦は、10月18日にブッシュ・スタジアムで行われ、セントルイス・カーディナルスが9-0でロサンゼルス・ドジャースを破り、通算成績を4勝2敗として、今季のナショナルリーグ・チャンピオンに輝きました。

 この試合に先発し、7イニング・95球を投げて、被安打2、5奪三振でドジャースを封じたマイケル・ワカ投手は、このNLCSで2度の先発、13と2/3イニングを投げて無失点で2勝と完璧な投球を見せ、このNLCS最優秀選手MVPにも輝きました。

 その投球内容の凄いこと。198㎝・95㎏の右腕が投げ下ろすストレートは150㎞台半ば、特に低目の制球が素晴らしいのです。このストレートを主体に、スライダー・カットボール等の変化球が良く決まりますから、打つのは容易なことではありません。
 加えて、そのプレート度胸の良さ。ポストシーズンゲームという、1点を争うゲームにおいて、2試合共ドジャースのクレイトン・カーショーというリーグを代表するピッチャーを相手に、持っている力を存分に発揮し、レギュラーシーズン時を上回る投球を展開したのです。
 観ていて、本当に楽しい投球でした。

 ワカ投手が、今シーズン後半にデビューした22歳のルーキーというのですから、またまた驚きです。2013年レギュラーシーズンの成績=キャリア通算成績が4勝1敗という、デビューしたてのピッチャーなのです。

 このルーキーをNLCSの中心投手に据えた、マイク・マシーニ監督を始めとするカーディナルス・ベンチスタッフの慧眼にも感心します。また、こういうプレーヤーを育て上げるカーディナルス下部組織の育成システムの質の高さも賞賛されるべきものなのでしょう。

 今後、MLBを代表する投手に成長するであろうマイケル・ワカの活躍から、眼が離せません。
 強いレースを見せていただきました。

 降り続く雨で、不良馬場となった第74回菊花賞競走。好天に恵まれることが多いレースだったと思い出していましたが、1957年・昭和32年、ラプソデーが勝って以来の不良馬場と聞いてビックリしました。

 今年のレースは、一番人気のエピファネイア以外の出走馬達の実力が接近していたというか、どんぐりの背比べ状態でしたから、堅い本命と見られていましたが、3000mの不良馬場は大きな不安要素ですので、「波乱もあるかな」と観ていました。

 好スタートを切ったエピファネイアは、そのまま3番手をキープしますが、とても行きたがっている様子。口を割って、顔を左右に振りながら1周目の3コーナーを駆け下ります。「頭の良い馬なんだ。ゴール位置が分かっている」と思いました。
 サラブレッドには、稀にゴール位置を認識していて、自分でレースを造る馬がいます。名馬と呼ばれる馬に多いのですが、中には稀代の癖馬と呼ばれる場合もあります。カブトシローなどが典型です。(私は、カブトシローは頭が良すぎる馬だったと思っています)

 1周目の直線に出て、エピファネイアは相変わらず頭を左右に振っていますが、「もの凄くかかっている」という状態には観えませんでしたから、「ゴール板前を過ぎれば落ち着く」と呟きました。

 はたして、ゴール板を過ぎたところでエピファネイアは首振りを止めました。しかし、相変わらず強い力で、福永祐一騎手をグイグイと引っ張り続けています。「調子が良いのだろう」と感じました。

 2周目の3コーナーの坂を持ったままで駆け下り、4角では逃げるバンデを捕まえて先頭に立ちます。そこから100mは持ったままで走り、残り300mから追われました。2番手グループとの差は見る見る開き、ゴールでは5馬身差でした。
 久しぶりに「強い勝ち方の菊花賞」を観ました。目を見張る強さでした。

 近時なら、1993年のビワハヤヒデの5馬身差、1994年のナリタブライアンの7馬身差に匹敵する勝ちっぷり。内ラチ一杯でどんどん差を広げるビワハヤヒデ、馬場の中ほどを豪快にまくるナリタブライアン、両馬とも大変強い勝ち方でしたが、エピファネイアのレース振りも、これらに勝るとも劣らないものでした。

 この走りを目の当たりにして「今年の凱旋門賞に出ていれば、勝てたのではないか」と思いました。とても柔らかい不良馬場のコースで、ゴールまで脚色が衰えないのですから、今年の凱旋門賞にピッタリのレース振りです。ゴール前、トレヴと叩き合うエピファネイアが眼に浮かびました。しかし、それは未練というもの。

 春から夏のエピファネイアはまだ子供でしたから、自らの競走能力をフルに発揮することはできませんでした。その段階で凱旋門賞挑戦を考える関係者が居なかったのも、当然です。「菊」を走ってみて、馬体も走りも精神面も大人になったエピファネイアを認識することができたのです。
 この点では、巡り合わせというか、タイミングの難しさというか、大袈裟に言えば「運命」をも感じます。

 エピファネイアは、立派なサラブレッドに育ちました。「菊」が最初のG1制覇というのは、前述のビワハヤヒデと同じです。
 今後のジャパンカップや有馬記念、天皇賞(春)などの大レースの中心馬となるでしょう。

 そういえば、ビワハヤヒデも皐月賞と日本ダービーが2着で、神戸新聞杯を勝って菊花賞を圧勝したのです。エピファネイアは、ビワハヤヒデの再来なのかもしれません。
 MLBポストシーズン・アメリカンリーグチャンピオンシップALCSは、ボストン・レッドソックスがデトロイト・タイガースを4勝2敗で下し、ワールドシリーズに進出しました。ボストンは、6年振り13度目のワールドシリーズです。

 このALCSは接戦が予想されましたが、戦力的にはミゲル・カブレラというMLBを代表する打者とジャスティン・バーランダーというMLBを代表する投手を擁し、ALトップのチーム打率を誇り、ALおよびMLB全体の最多勝投手マックス・シャーザーをも擁する、昨季のALチャンピオン・デトロイトの方が、わずかに上かなと考えていました。

 しかし結果は、ボストンが勝ちました。

 ボストンがデトロイトに勝っていた点を考えてみると「気迫量」がポイントであったように思います。
 
 デトロイトのプレー振りは、レギュラーシーズンの時から極めて冷静でした。カブレラ選手やバーランダー投手が、バンザイして大はしゃぎというシーンを見ることは一度も無かったと思います。常に冷静沈着に自らの実力を発揮していけば、勝利は自ずと得られるといった感じです。

 一方のボストンは、毎試合大騒ぎ。上原投手は、セーブを挙げる度にぴょんびょん跳ねながらハイタッチし続けますし、ダスティン・ペドロイア、マイク・ナポリといった選手達も、成功すれば喜びを、失敗すれば悔しそうな様子を、全く隠すことなく表現します。常に気迫を前面に押し出したプレーを展開するのです。

 これは、現在の両チームの文化の違いでしょう。

 その点からは、このALCSの帰趨を分けたのは、デトロイト1勝を受けた第二戦の1-5の劣勢からのオルティーズ選手の同点満塁ホームランだったのでしょう。このゲームを6-5で取り、1勝1敗のタイとして、ボストンは完全に勢いに乗ったのです。

 一方のデトロイトは、主砲カブレラが股関節を故障していてホームランが打てません。そして、カブレラと並ぶ大砲のプリンス・フィルダー選手が絶不調でした。現象面では、AL最強打線の得点力が半減してしまったのですが、こうなると、冷静さは意気消沈の様子に繋がってしまいます。
 デトロイト・タイガースにとって、なんとなく、どうしたことか、常に押されているような雰囲気が漂っていたシリーズでした。

 いつもお祭り騒ぎ?のボストン・レッドソックスは、熱狂的だが厳しいファンに後押しされています。ホームのフェンウェイパークでのゲームは、頼もしいが、失敗は許さないムードが、球場全体に漂っているのです。これは、球場の持つ歴史そのものなのかもしれません。

 さて、ワールドシリーズ2013は、セントルイス・カージナルスとボストン・レッドソックスの対戦となりました。両チームとも、MLBの歴史を支えてきた名門チームですから、格という点では互角でしょう。
 
 チーム状態・戦力という面から観れば、過去5年間常にワールドシリーズ進出を争ってきたセントルイスの方が、少し上かなと思いますが、そのセントルイスを昨季撃破したのが「勢い」のサンフランシスコ・ジャイアンツであったことを思い起こすと、ボストンの勢いがセントルイスに通用するか、ということになります。

 今夏のオールスターゲームでALがNLに勝ったので、今季のワールドシリーズはALチームのホーム=フェンウェイパークから始まります。
 ボストン・レッドソックスにとっては、このホームの第一戦・第二戦がとても大切です。出来れば、ここで2勝して勢いに乗りたいものです。ここで1勝1敗なら、デトロイトが相当有利でしょう。

 ボストンが、当初ホームで2勝挙げるためには、田澤・上原両投手の大車輪の活躍が不可欠です。
 久しぶりに、日本人プレーヤーが中心選手として出場するワールドシリーズが、10月23日(日本時間24日)から始まります。本当に楽しみです。
 MLBポストシーズン、ナショナルリーグ・チャンピオンシップNLCSは、4勝2敗でセントルイス・カーディナルスがロサンゼルス・ドジャースを下し、NLチャンピオンに輝くと共に、ワールドシリーズに進出しました。

 毎年のようにポストシーズンゲームに進出している名門ドジャースですが、今季もワールドシリーズへの進出はなりませんでした。これでドジャースは、四半世紀にわたってワールドシリーズに進出していないことになります。
 地区優勝の常連で、リーグ優勝21回を誇る名門チームですが、中々ワールドシリーズに届かない原因は何なのでしょう。

 今回のNLCSについて言えば、カーディナルスとドジャースの差は「守備力」であったと考えます。
 守備と言っても、投手力は互角でしたから、まさに「守る力」という意味です。

 10月18日の最終第6戦でも、トジャース守備陣にはエラーや、エラーは付かないものの小さなミス、そして守備力自体の比較劣位が目立ちました。一方のカーディナルスは、そうしたプレーがとても少なかったと思います。

 特に目立ったのが、外野手・左翼手と右翼手のプレーでした。
 トジャースの左翼手カール・クロフォード選手は、とにかく弱肩でした。無死・1死ランナー3塁で、浅いレフトフライでも楽々と本塁セーフになりました。カーディナルスのランナーも良く分かっていますから、必ず突っ込みます。1点が重いポストシーズンゲームでは、致命的なことでした。

 右翼手のヤシエル・プイグ選手の方は、強肩なのですがプレーが雑でした。この試合でも、本塁への送球がキャッチャーの身長の2倍以上の高さになったり、ライト前ヒットを後逸したり、それらのプレーが悉く失点に繋がりました。
 今季レギュラーシーズンのドジャースの前半の不振からの大躍進・地区優勝の立役者であったプイグ選手ですが、このNLCSでは打撃面も不振、守備面では大きなブレーキとなりました。

 こうした明らかなミスや差以外にも、外野からの返球ミスも多かったと思います。プイグ選手のランニングスローでの本塁返球は、凄い迫力のプレーだったのですが、実は2塁に返球しておくべきものであったり、ドジャース中堅手の3塁への送球が実は2塁へ送球すべきシチュエーションであったりしました。こうしたプレーは、外野手のみに責任があるわけでは無く、内野手の指示にも問題があるのでしょう。
 両方のケースとも、カーディナルスのランナーは2塁を陥れ、次の得点に繋がりました。

 また、パスボールやワイルドピッチといったバッテリーミスもトジャースに目立ったと思います。一方、カーディナルスのキャッチャーであるヤディア・モリーナ選手のプレーが再三賞賛されていたのも印象的でした。カーディナルスには、代々優秀な捕手が存在します。それは「チームの文化」だと思います。

 こうした「細かいプレーの精度」こそが、カーディナルスベースボールの神髄なのでしょう。

 かつてカーディナルスに在籍し、2006年にワールドチャンピオンも経験している田口壮氏が、テレビ放送の解説者でしたが、カーディナルス時代の練習の特徴として「とにかく、基本練習を繰り返し繰り返し行う」とコメントしていました。世界最高のスキルを身に付けているメジャーリーガーに対して、ひたすら基本練習を要求するチームは、大きなゲームになるほど力を発揮するのだと思います。
 いかにも、野球どころのセントルイス・カーディナルスらしいと感じました。

 1995年に監督に就任し、現在のカーディナルスの基盤を創り上げた名将トニー・ラルーサ、そして2011年のワールドシリーズ制覇を最後に引退したラルーサ監督の後を継いだマイク・マシーニ監督、この2人の監督の指導が徹底しているのでしょう。
 現在のMLBで最も理に叶ったベースボールを展開しているのが、セントルイス・カーディナルスだとも思います。

 ナショナルリーグの大豪チームとして並び立つカーディナルスとドジャースですが、現時点では「精緻さ」という点で、カーディナルスが勝っているということでしょう。

 ベースボールに限らず、全てのスポーツに共通していることだと思いますが、「精緻で丁寧なプレー」は、勝利を手にするための必須要素だと思います。
 2013年のMLBアメリカンリーグ・チャンピオンシップALCSは、ボストン・レッドソックスがデトロイト・タイガースを4勝2敗で下し、ALチャンピオンに輝くと共に、ワールドシリーズに駒を進めました。

 10月19日の第6戦フェンウェイパーク、レッドソックス5-2でリードの9回表のマウンドには、ボストン不動のクローザー上原浩治。

 上原浩治が投じた11球は全てストライク。コントロールが良いことが最大の特徴・武器である上原投手ですが、それにしてもボール球を投げない投球というのは、何とも言えない凄味があります。
 もちろん、ど真ん中に投げているのでは打たれてしまいますから、どの投球もコースギリギリを突いているのです。コントロールが良いというのは、そういう意味です。

 タイガース最後の打者ホセ・イグレシアス選手を三振に切って取った瞬間、マウンドを駆け下り、ジャロッド・サルタラマキア捕手と抱き合い・抱え上げられた上原投手は、指を1本掲げ「NO.1」を示しました。

 それから、ありとあらゆる選手・ベンチスタッフとハグをしまくりました。ジョン・ファレル監督ともハグし、上原を大好きなビッグパピィことデビッド・オルティーズ選手が、上原投手を肩に抱え上げて、喜びを示しました。

 日本の報道機関によるインタビュー「ホットしている。とにかく嬉しい。1-2で負けている状況でも、登板が有り得ると考えていた。気持ちは切らなかった」と。

 続いて、ALCS最優秀選手MVPの発表がありました。上原浩治でした。日本人プレーヤー初のリーグチャンピオンシップMVPです。
 振り返って見れば、このALCSで1勝3セーブの超好成績だったのですから、当然と言えば当然ですが、私もそんなことは忘れていました。

 表彰式の檀上、ファレル監督が「彼が相応しい」とコメントし、上原は「(毎試合マウンドに上がる時に)吐きそうだった」と応えて、ジョークが大好きなアメリカ人ファンから大歓声を受けました。そして、上原のご子息が「興奮した」と応えて、場内の歓声はピークに。

 MVP受賞後の日本プレスからのインタビューに「怖いくらい」と応えました。
 上原浩治投手にとって、MLBに来て以来最も晴れやかなシーンでした。おめでとうございます。

 本ブログでは、ボストン・レッドソックスを支える両輪としての上原浩治投手と田澤純一投手の活躍を追いかけてきました。2人の日本人プレーヤーは、レギュラーシーズン・ポストシーズンと本当に素晴らしい投球を続けてくれました。

 上原投手にはMVP賞が、田澤投手にはこの試合の勝ち星が、ご褒美となったのでしょう。お見事でした。

 そして、ワールドシリーズでの一層の活躍に期待します。
 日本プロ野球NPBのクライマックスシリーズCSもファイナル・ステージに入りました。

 セントラルリーグは、読売ジャイアンツが広島東洋カープを相手に3連勝。早々に日本シリーズ進出を決めました。総合力で勝る巨人が順当に勝ち上がった形ですが、広島・前田健太投手が先発した第二戦を制したことが大きかったと思います。

 その第二戦で前田投手と投げ合った、巨人の菅野智之投手の投球が見事でした。
 9イニング・109球を投げ、被安打3、11奪三振で完投シャットアウト。特にコントロールが素晴らしく、四球は僅かに1つでした。打てそうで芯に当たらないボールを投ずるのが、菅野投手の特徴ですが、この試合では三振を11も取っているのを観てもボールにキレがありました。珍しく?気迫あふれる投球だったのでしょう。
 この完封劇は、セリーグのCS史上初の快挙でした。CSのMVPとなったのも、当然と言えるでしょう。

 ルーキーながら、ペナントレースでも巨人軍の勝ち頭でしたが、CSでもこの大活躍です。菅野投手の成長が続いているということです。ヤクルトのルーキー小川泰弘投手との差は完投・完封数の違いと、前稿で指摘しましたが、失礼しました。

 一方、パシフィックリーグのCSは、東北楽天ゴールデンイーグルスと千葉ロッテマリーンズの激闘が続いています。東北楽天の優位は動かないと思いますが、千葉ロッテの粘り強さは侮れません。特に、千葉ロッテ・伊東勤監督の持つ独特のリズムは、大試合で威力を発揮しています。

 このパリーグのCSでも、見事な完封劇が観られました。第一戦の田中将大投手の投球です。9イニング・120球を投げ、被安打7、9奪三振の完投シャットアウトでした。
 ヒットは打たれるのですが、要所を締めます。おそらく田中投手は絶好調では無かったのでしょうが、「試合に勝つための投球」を魅せるところが、さすがです。
 
 ペナントレースでは、24勝0敗1セーブという、空前絶後の成績を残した田中投手ですが、だからと言ってCSでも好投できるとは限りません。逆に言えば、シーズン中の疲労が残っていることも多く、一度緩めた精神面の建て直しも容易なことではないと考えます。
 こうした状況下、1点も失うことが出来ないゲームで、1点も与えない投球が出来るというのは、凄いことだと思います。改めて「本物」を感じました。
 この投球は、CS未経験だった東北楽天の多くのプレーヤーに、大いなる勇気を与えたと思います。これから苦しい試合があっても、自分達には田中将大が居る、十分戦っていけるという自信も芽生えたことでしょう。

 菅野智之投手と田中将大投手の投げ合いを、日本シリーズという大舞台で観てみたいものです。
 2013年10月20日、京都競馬場芝外回り3000mコースで行われる、第74回菊花賞競走G1の注目馬です。

 2013年最後のクラシック競走です。

 本場イギリスでは、菊花賞のモデルレースであるセントレジャー競走の位置付けが変わっていて、2000ギニーやダービーの勝ち馬が出走しないケースが増えていますし、また出走してきても中々勝てない状況が続いています。(1970年のニジンスキー以来43年間3冠馬は出ていませんし、2冠馬も1987年にダービー、セントレジャーを制したリファレンスポイント以来出ていません)
 やはり、短距離馬・中距離馬という区分が明確になり、競走馬の専門性が高くなってきている現在では、2400mのダービーと2937mのセントレジャーの両方を制するというのは、難しいことだと、競馬関係者が考えているということでしょう。

 一方、我が国では菊花賞の位置付けは、あまり下がっていないと感じます。皐月賞2000mや日本ダービー2400mで好成績を残した馬達も、敢然と挑戦して来ます。「血統を無視しているのではないか」という意見もあると思いますが、私はこうした状況は良いことだと考えています。
 基本に戻れば、距離が異なる3つのレースを制するからこそ「三冠」の価値が高いのです。サラブレッドにとってはキツイことなのでしょうが、騎手・調教師・厩務員等々の関係者の力量が試されるレース体系でもありますから、今後も菊花賞重視の傾向が続いてもらいたいと思っています。

 さて、菊花賞2013の注目馬です。

 第一の注目馬は、2枠3番のエピファネイア。トライアルレースG2神戸新聞杯を快勝しました。ゴール前では、少し遊んでいるような走りっぷりでしたから、他の馬との力量差は大きいと思います。
 皐月賞、日本ダービーと2着が続いていますから、ここは勝ちたいところでしょう。ちゃんと走れば優勝する可能性が高いと思いますが、「先頭に立つと気を抜く癖」が再び出るようだと、まさに皐月賞や日本ダービーのように足許を掬われる可能性があります。

 第二の注目馬は、7枠15番のユールシンギング。エピファネイアを除いた出走馬の実力比較が難しいレースですから、前哨戦の結果を重視したいと思います。前走のG2セントライト記念を競り勝った力を評価します。
 父ジャングルポケット、母の父スペシャルウィークという内国産馬配合は、エピファネイアと同じです。2013年は、この血統が1・2着ということになるかもしれません。

 第三の注目馬は、8枠18番のマジェスティハーツ。ユールシンギングと同様に、前哨戦の結果(神戸新聞杯2着)重視です。ハーツクライ産駒というのも、大駆けの雰囲気が漂います。

 今回は、この3頭に注目します。
 エピファネイアが2着になるようなことがあれば、1958年のカツラシユウホウ以来55年振りの「三冠全て2着」という中央競馬史上2頭目の偉業?を達成することになります。もちろん、関係者の皆さんは望んではいないと思いますが。
 NYYニューヨーク・ヤンキースの1995年メジャーデビューの同期4選手、デレク・ジータ、マリアノ・リベラ、アンディ・ペティット、フォルへ・ポサダを、私は「NYY黄金のカルテット」と呼んでいます。

 この4人のプレーヤーは、1996年・1998年・1999年・2000年・2009年の5度のワールドシリーズ制覇において中心的な役割を果たすなど、ヤンキースの黄金時代を支えました。

 「勝つことを宿命付けられている」と言われるヤンキースですから、チーム戦力向上のために、ゲーリー・シェフィールドやジェイソン・ジオンビ、松井秀喜、アレックス・ロドリゲス等々の数多くのスタープレーヤーをトレードで獲得してきましたが、この4人は「生え抜き」のプレーヤーとして、この時代のヤンキースの骨格を成してきたと思います。

 また、アンディ・ペティットを除く3選手はヤンキース一筋ですし、そのペティットもキャリア17シーズンの内14シーズンをヤンキースで過ごしています。
 加えて、この4人は「長い選手寿命」を誇りました。一時期、ヤンキースに貢献したというのではなく、「ヤンキースの風景になったプレーヤー達」です。”Core Four”と呼ばれるのも、頷けます。

 そのカルテットの中で、2012年1月にフォルへ・ポサダが、まず引退しました。私達には、松井秀喜選手と共にプレーしていた捕手という印象が強く、スイッチヒッターで長打も多く、ここぞという時のホームランも何度も魅せてくれました。
 身長188cm・体重98kg、プエルトリコ出身。メジャー17シーズンで1829試合に出場し、通算案打数1664本、本塁打数275本、打率.273、この時代のヤンキースのホームベースを守り続けた名捕手であったと思います。

 続いて、2013年3月にマリアノ・リベラが2013年シーズン限りの引退を発表しました。そして、アンディ・ペティットも2013年シーズン限りで引退します。(詳しくは、本ブログの前稿をご覧ください)

 こうして「ヤンキースの骨格」であった黄金のカルテットは、デレク・ジータひとりになりました。
 ジータ選手は、ヤンキースのキャプテンとして2014年シーズンでの復帰を目指していますが、故障の回復度合いなど、復活できるかどうかは不透明です。

 黄金のカルテットは、1995年から2013年のニューヨーク・ヤンキースの顔でした。この内3人の顔が見られなくなった今、ヤンキースは真の世代交代を迫られているのです。

 ニューヨーク・ヤンキースの先発投手アンディ・ペティットが、今季限りで引退します。

 1995年のメジャーデビューから18年目、途中2011年に一度引退宣言をしてプレーしませんでしたので、通算17シーズンのメジャーキャリアでした。
 この間、ヤンキースで14シーズン、ヒューストン・アストロズで3シーズンを過ごし、通算245勝142敗という堂々たる成績を残しています。

 特に、ワールドシリーズやリーグチャンピオンシップゲームなどのポストシーズンゲームでの活躍は素晴らしいもので、通算19勝はMLB歴代1位の勝利数です。

 身長196cm・体重102kgのMLBの先発投手としては、すこし大きいくらいの体格の左腕。左ピッチャーは、右ピッチャーより打ち辛いとされますが、ペティットの持ち味は「大きなカーブ」でした。これが、右打者の内角に決まります。
 この球種を基本に、カットボール、チェンジアップを交えた投球で、打たせて取るタイプでした。

 完封は少なく、相手チームを2~3点に抑えて、味方打線の得点を待つ形が多かったように思います。この「2~3点に抑える」というのが、ポストシーズンゲームでは、とても大切なことで、ペティットの活躍は「大量点を許さない」ところから生まれていたように思うのです。

 ヤンキースのポストシーズンゲームのローテーションを守り続け、中3日の登板も物ともせず、悠然たるマウンド捌きから、ゆったりとしたフォームで投げ込み、ピンチの際も全く動じない様子は、「ヤンキースらしい先発投手」であると感じましたし、ペティットが投げる以上は3点以内には抑えてくれるだろう、という安心感がありました。

 ペティットが大ファンであったロジャー・クレメンス投手と共に、2004~2006年シーズンはヒューストンに所属しましたが、2007年にヤンキースに戻ってきました。
 そして、ニューヨーク・ヤンキースでそのキャリアを終えるのです。

 ニューヨーク・ヤンキースのひとつの時代を支えたプレーヤーが、またひとり去って行きます。
 ニューヨークヤンキースのクローザー、マリアノ・リベラ投手が今シーズン限りで引退します。今シーズン開幕前に、リベラ自身が公表していましたから、今シーズンのリベラの投球は、キャリアラストシーズンのプレーとして終始注目されていました。

 現在43歳であるリベラ投手のメジャーデビューは1995年です。25歳の時でした。後に不世出のクローザーとなるプレーヤーですが、決して華々しいデビューではなく、20歳の時にドラフト外でヤンキースに入団し、5年の時を掛けてじっくりと育てられたという印象です。

 高校を卒業して、生まれ故郷のパナマで父親の仕事である漁師を手伝い、イワシ漁やエビ漁に精を出しながらアマチュアベースボールチームでプレーしていたとのことですから、リベラ本人もプロのプレーヤーになるなど夢にも思っていなかったのでしょう。
 
 アマチュア時代のポジションもショートストップ。1988年に自軍の投手が余りに打たれるので、志願してマウンドに立ったのが投手デビューという、とても「天才ピッチャー」の登場とは掛け離れたキャリアです。

 1995年にヤンキースでメジャーデビューした後も、しばらくの間は代名詞であるカットボールを投げていませんでした。成績も並みのピッチャーというものでしたから、トレード候補にも上がっていたそうです。
 そうした中で、クローザーに転向した1997年のシーズン途中で、ストレートを投げると曲がるという現象が起き、これがカットボールとの出会いでした。

 なにか、メジャープレーヤーを目指して必死に頑張り、メジャーの打者を抑えるために懸命に練習して、ついにカットボールを物にした、といった「成功物語」とは程遠いキャリアであると思います。
 敬虔なキリスト教徒であるリベラ投手自身の穏やかな心持・考え方と関係していることでしょうが、これが彼にはぴったりだったように感じます。力みが無く、常に冷静なプレー振りや、18年間に渡り安定した成績を残し続けたことも、「この心持」の賜物なのでしょう。

 1997年にカットボールを物にしてから、クローザーとしてのマリアノ・リベラの快進撃が始まりました。
 以降、引退シーズンである2013年までの16シーズン中14シーズンで30セーブ以上の記録を残し、2012年シーズン以外には、大きな故障による長期離脱もありませんでした。

 通算セーブ数652は、もちろんMLB最高記録ですし、オールスターゲーム選出12回、1999年ワールドシリーズMVP、2013年オールスターゲームMVPなど、記録を上げるとキリがありません。
 記録の中で少し意外なのが、シーズン最多セーブです。これは、1999年(45セーブ)、2001年(50セーブ)、2004年(53セーブ)の3回しかありません。これだけ長い間、MLBを代表するクローザーであった割には少ない感じがします。これも「1位を目指してがつがつしない」リベラ投手の心持の結果のように思います。

 そして、あらゆる記録の中で最も素晴らしいものは、ポストシーズンにおける強さでしょう。ワールドシリーズやリーグチャンピオンシップゲームにおけるマリアノ・リベラの強さは、どんなに賞賛しても賞賛し過ぎることは無いと思います。
 ポストシーズンでは、通算96試合に登板し(これだけでも凄い)、114イニングを投げて、8勝1敗42セーブ、防御率0.70です。なんという成績でしょう。

 ヤンキース絶体絶命のピンチに現れて、何事も無かったようにアウトを取り、ゲームを終わらせるシーンを何度目にしたことでしょう。「絶対」という言葉は、スポーツには有り得ないのですが、マリアノ・リベラに関しては存在したように感じます。
 試合の流れが圧倒的に相手チームにあるシーンでも、リベラ投手は簡単にその流れを呼び戻してしまうように観えました。文字通りの「火消し役」です。
 
 気迫十分、マウンドに仁王立ち、といった形容とは無縁で、いつも静かにプルペンからマウンドに走って来て、物静かな表情で何球か練習投球を行って、インプレーになっても物静かにカットボールを投げ込む、それがマリアノ・リベラでした。

 カットボールとストレートの2球種しか無いのに、相手打者が打てないのも不思議でした。左バッターの内角高めに食い込んで行く球筋が目に焼き付いています。世界最高のMLBの打者が、予測しても打てないボールだったのです。それも16年の長きに渡って「分かっていても打てない状態」が続いたのです。
 もはや、表現方法も無い程のピッチャーであったことが分かります。

 リベラのようなカットボールを投げる投手は、当分現れないでしょう。何しろ16年間現れなかったのですから。ひょっとすると、2度と現れないのかもしれません。

 身長188cm体重88kgという、MLBでは標準的なサイズのリベラでしたが、MLB史上不滅のクローザーとなりました。
 このマリアノ・リベラのプレーを、同時代にリアルタイムに観ることができたのは、とても幸せなことだったと思います。
 マリアノ・リベラ投手、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
 今年も菊花賞の季節がやってきました。京都・淀の京都競馬場3000mコースで行われる、クラシックレース最終戦「菊花賞」は、その名前を聞いただけで、様々なシーンが思い出される素晴らしいレースです。

 中でも1976年・昭和51年の菊花賞競走は、当時の最強世代のレースでもあり、TTG三強が生まれたとされるレースでもありました。

 インターメゾという、イギリスのクラシック競走であり菊花賞のモデルとなったセントレジャー競走を制している名ステイヤーを父に持つ、グリーングラスは、1976年1月・3歳の1月の新馬戦、遅いデビューを果たしましたが4着に敗れました。このレースの1着馬がトウショウボーイなのですから、運命というのは中々洒落たことをします。

 3月の未勝利戦をようやく勝ち上がりましたが、5月のNHK杯で12着と大敗し、春のクラシック路線には間に合いませんでした。
 この年の春のクラシック競走は、皐月賞をトウショウボーイが5馬身差で圧勝し、日本ダービーはクライムカイザーが、鞍上・加賀武見の乾坤一擲の騎乗もあってトウショウボーイを抑えて優勝しました。関西の期待・テンポイントは、皐月賞2着、日本ダービー7着と結果を残せませんでした。

 そして迎えた秋シーズンは、神戸新聞杯・京都新聞杯とトウショウボーイが連勝し、絶好調を伝えられました。一方で、トウショウボーイは父テスコボーイの血統から「中距離馬」ではないかとの見方もあって、日本ダービーでトウショウボーイに勝っているクライムカイザーの人気も高く、菊花賞ではこの2頭が中央競馬会お墨付きの本命馬が受ける「単枠指定馬*」となりました。(*当時は枠番連勝馬券しかなく、馬番馬券が存在しませんでしたので、超人気馬を1枠1頭とする制度)
 つまり、この段階では「トウショウボーイ・クライムカイザーの二強」あるいは「トウショウボーイ一強」の菊花賞と見られていたのです。

 テンポイントは、10月17日の京都大章典で古馬を相手に3着と健闘しましたが、トウショウボーイの大活躍とは比べるべくもありませんでした。

 グリーングラスはというと、7月・10月の特別競走を勝ち切れず、10月24日の鹿島灘特別でようやく1着となって、獲得賞金額で21頭立ての21番目にギリギリ滑り込み、菊花賞に臨むこととなりました。ここまで9戦3勝ながら重賞勝ちも無く、菊花賞で好走するとは到底思えませんでした。

 そして、11月14日の菊花賞本番。

 レースはトウショウボーイとクライムカイザーの単枠指定馬2頭が好位置に付け、最後の直線。馬場の内側でトウショウボーイもクライムカイザーも伸び悩む中、馬場の中央からテンポイントが伸びてきます。

 しかし、この時馬場の内ラチ沿いを1頭の黒鹿毛馬も伸びてきていました。グリーングラスでした。テンポイントとグリーングラスは、残り100mで並んでいましたが、この後グリーングラスが差を広げ、ゴールでは2と1/2馬身差をつけて快勝しました。
 1着グリーングラス、2着テンポイント、そこから2と1/2馬身差で3着トウショウボーイ、5着クライムカイザーという結果でした。

 この菊花賞をTTG三強による最初のレースとする見方がありますが、それは結果論でしょう。前述のように、レース前は三強などという人は皆無でしたし、このレースで1~3着を占めたとはいえ、今後もこの3頭のレースが続くと見た人も、ほとんど居なかったと思います。

 有馬記念や天皇賞(春)、宝塚記念など、この後に続いたレースにおける3頭の戦い振りと他の馬達との力の差を見て、次第にTTG三強という概念が出来上がっていったのです。一般的な三強のように、トライアルレースの成績を踏まえて、大レース前に三強概念が形作られるケースとは異なるでしょう。

 さて、その年の有馬記念は1着トウショウボーイ、2着テンポイントとなり、グリーングラスは出走しませんでした。

 明けて1977年・4歳、グリーングラスは天皇賞(春)を目指してローテーションを組み、挑戦しましたが、テンポイントの4着と完敗。トウショウボーイは出走しませんでした。
 
 そして6月の宝塚記念。このレースは1着トウショウボーイ、2着テンポイント、3着グリーングラス。4着のアイフルとの差が6馬身も付いたので、ようやく三強の形が出来てきました。

 天皇賞(秋)(当時は3200m)で、グリーングラスは再び5着に敗れ、圧倒的1番人気のトウショウボーイは7着に大敗しました。

 迎えて、1977年の有馬記念、テンポイントが優勝し、2着にトウショウボーイ、3着グリーングラスと、私はこの時にTTG三強を認識しました。有馬記念で2年連続同じ馬達が1~3着を占めるのは、とても珍しいことです。

 翌1978年、5歳となったグリーングラスはようやく天皇賞(春)を制しました。トウショウボーイは引退し、テンポイントはレース中の事故で安楽死処分となっていましたから、既に三強の時代は終わっていましたが、晩成のグリーングラスにとっては、これからが活躍の時という感じでした。

 しかし、この後グリーングラスが輝いたのは、翌1979年の有馬記念だけでした。内ラチ一杯を走って逃げ込みを図り、メジロファントムの追い上げをハナ差凌いだのです。この時は、残り100mで完全に交わされると思いましたが、坂を上りきってから良く粘りました。
 6歳の暮れになって、ようやくトウショウボーイ、テンポイントと同じ有馬記念を勝ち、これも同じく年度代表馬に輝きました。
 これで同一世代馬による3度目の有馬制覇となりましたので、この世代が当時の最強世代と認識されるに至り、TTG三強が確立されたのです。

 グリーングラス号、父インターメゾ、母ダーリングヒメ、母の父ニンバス。ニンバスは、あの世界競馬史上最強馬との呼び声も高いネアルコの直仔です。通算成績26戦8勝。勝った重賞5勝は全て2400m以上と、我が国では珍しい?生粋の強いステイヤーの1頭です。

 競走馬を引退したばかりのグリーングラスを、北海道の牧場に訪ねました。どこの牧場に居るのか分からず(1980年当時はインターネットも無く、そうした情報が十分ではありませんでした)、自動車で牧場地帯を走っていましたが、遠くにとても強いオーラを放つ馬が見えました。「ただ者ではない」と車を降り向かいました。グリーングラスでした。
 おそらく引退後1~2年後の夏だったと思いますが、キ高が170cm位あり、黒光りする馬体の雄大で美しいこと。圧倒される迫力でした。

 近づくと「後ろに立たないで」と牧場の人に注意されました。「蹴られたら、足の骨が折れるくらいじゃ済まないよ」と。

 「今でも現役で走れそうだね」と友人と話しました。
 アマチュアボクシングの最高峰のタイトルがオリンピックチャンピオンであれば、プロボクシングの最高峰は世界チャンピオンということになります。

 我が国にも、現在10人の世界チャンピオンが居ます。一時期減少した日本の世界チャンピオン数は増加に転じていて、10人というのは同時期の王者数としては過去最多ではないかと思います。

 では、日本のプロボクシング界が隆盛を極めているかというと、そういう雰囲気もありません。
 1950年代の白井義男(フライ級)、1960年代のファイティング原田(フライ級・バンタム級)、藤猛(スーパーライト級)、小林弘(スーパーフェザー級)、1970年代の大場政夫(フライ級)、輪島功一(スーパーウェルター級)、ガッツ石松(ライト級)、具志堅用高(ライトフライ級)、1990年代の薬師寺保栄(バンタム級)、2000年代の長谷川穂積(バンタム級、フェザー級)といったチャンピオンが活躍していた時代の方が、ボクシング人気は高かったと感じます。

 色々な要因があるのでしょうが、「世界チャンピオンが多過ぎる」ことも、ボクシング人気に影響を与えているのではないでしょうか。

 現在、メジャーな世界タイトル認定機関・団体は4つあるとされています。設立順に並べます。

・ WBA世界ボクシング協会(1921年設立、本部はパナマ)
・ WBC世界ボクシング評議会(1963年、メキシコ)
・ IBF国際ボクシング連盟(1983年、アメリカ)
・ WBO世界ボクシング機構(1988年、プエルトリコ)

 そして、階級はというと、体重が重い方から、ヘビー級・クルーザー級・ライトヘビー級・スーパーミドル級、ミドル級・スーパーウェルター級・ウェルター級・スーパーライト級・ライト級・スーパーフェザー級・フェザー級・スーパーバンタム級・バンタム級・スーパーフライ級・フライ級・ライトフライ級・ミニマム級、の17階級です。

 単純に見れば、最大4選定機関×17階級=68人の世界チャンピオンが存在し得ることになります。もちろん、実際には1人で複数のタイトルを保持しているボクサーが居ますので、チャンピオンの数は68人よりは少ないのですけれども。

 それにしても、もの凄い数です。

 1970年頃までは、WBAとWBCの2つの団体しかなく、階級も8階級くらいだったと思いますから、世界チャンピオンは最大16人だったのです。随分と増えたものだと思います。悪い言い方をすれば「粗製濫造」でしょう。

 興行的に「世界タイトルマッチ」と銘打てば、集客力も高く、テレビ放送の視聴率も稼げるということなのでしょうが、世界タイトル・世界チャンピオンの価値が下がっていることも事実です。
 ファンは、その試合が世界タイトルマッチに相応しいレベルの試合であるか、世界チャンピオンに相応しいボクサーであるかを、直ぐに見抜きます。素晴らしいスピード・技術を擁し、驚くべき闘争心を持って、戦い続けることができるボクサーかどうかを肌感覚で即座に判断するのです。
 そのレベルに達しない「世界タイトルマッチ」を連続して見せられれば、リングから足が遠のいて行くのは道理です。

 こうした問題は当然ながら、ボクシングに限ったことではありません。例えば、ベースボールのMLBやアメリカンフットボールのNFLでも、時代を追うごとにチーム数が増加してきました。イクスパンションなどと呼ばれましたが、その都度議論が巻き起こりました。
 「チーム数を増やすと、プレーのレベルが下がるのではないか」「メジャーリーガーの質が低下する」といった意見が、プレーヤー・ファン・マスコミ・関係者等々から出されたのです。

 より多くのファンを獲得し、より多くの売り上げ・利益を上げようとする動き=チーム数を増やそうとする動きと、プレーの質の維持を図ろうとする動きの、ギリギリの接点でチーム数・選手数が決められていくのでしょう。
 そして、チーム数を決めていく物差し・基準は、詰まるところ「市場原理」、ファンが支持する・満足するレベルのプレーを提供することができるか否かにかかっているのです。

 単純な例ですが、20チームで1チーム平均年間100万人の観客を動員するとすれば、リーグ全体の観客動員数は年間2,000万人。同様に、30チームで1チーム平均60万人とすれば、リーグ全体の動員数は1,800万人となりますから、チーム数を増やさないほうがリーグ全体としての観客動員数が多いことになります。
 
 「あんなレベルのプレーは、つまらない」と感じられるようになるまで、別の言い方をすれば「損益分岐点」を超えてチーム数・プレーヤー数を増やすことは、プロスポーツとしては回避しなくてはならないのでしょう。

 現在のプロボクシングの世界チャンピオン数は、この損益分岐点より多いように感じるのです。

 日本のボクシング界を率いているJBC日本ボクシングコミッション(1952年設立)は、この点では立派な対応を続けてきていると思います。
 JBCは、世界の主要なプロボクシング参加国を代表する組織の中で、IBFとWBOを認定したのが最も遅い組織でしょう。JBCがこうした対応を続けてきたのは「団体の乱立は好ましくない」という姿勢を貫いてきたためです。

 そのJBCも、ついに2011年2月に、世界王座戦に限ってIBFとWBOの試合が行われることを認めました。まだ、「団体」として正式には認めてはいないと認識していますが、JBCが認定しているWBAやWBCの世界チャンピオンとIBFやWBOのチャンピオンが「統一戦」などと銘打って試合を行うことが増えたことと、WBAやWBC自体が階級を増やして、世界チャンピオンの数を増やし続けていることが、JBC方針変更の原因だといわれています。
 歴史と伝統を誇るWBAとWBCも「世界チャンピオン濫造」の流れには、抗し得なかったということでしょうか。

 JBCには「団体の乱立は好ましくない」という素晴らしい理念を堅持していただき、引き続き「世界ボクシング界の良識」としての役割を果たし続けていただきたいと思います。

 前述の我が国におけるプロボクシング全盛期の世界チャンピオンを観ると、1960年代・1970年代に集中しています。1983年のIBF設立、1988年のWBO設立の以前というのは、偶然でしょうか。

 そして、現在の世界タイトルマッチでは「5階級制覇なるか」といった文字が踊ります。団体が4つもあり、これだけ細分化された階級制における「5階級制覇」の価値とは、どれほどのものなのでしょう。

 階級が現在ほど多くなかった時代、ファイティング原田は日本人ボクサーとして初めて2階級、フライ級とバンタム級の世界チャンピオンとなり、3階級目のフェザー級王座をも狙って、1969年にチャンピオンのジョニー・ファメション(オーストラリア)に挑戦しました。

 この試合で原田は、確か2~3度のダウンを奪い、KO勝ちかと思われましたが、レフェリーのカウントがとても遅く(カウントを途中で止めてファメションを立たせていたという見方もあります)、判定へと持ち込まれました。この判定も、原田の圧勝かと思われましたが、なんとレフェリーは判定のポイントを確認することも無く、両選手の腕を挙げました。引き分けとしたのです。不可解というか、レフェリーが買収されていたのか、よほどチャンピオンを勝たせたかったのか、よく分かりませんが、とにかく酷い試合でした。地元オーストラリアのファンも大ブーイングを送っていました。しかし、判定は覆らず、ファイティング原田は抗議することも無くリングを去りました。

 この試合を思い出すと、今でも少し頭にくるので、話が逸れてしまいましたが、このファイティング原田の2階級制覇と、現在叫ばれる3~5階級制覇の価値を比較すれば、階級も少なく、WBAとWBCしかなかった時代に、フライ級→バンタム級→フェザー級という、約6.5kgの体重差に挑み、パンチを繰り出し続けたボクサー・ファイティング原田の偉大さが際立つと思います。
 
 最古の団体WBAは、1998年に「歴史的に議論なきチャンピオン」を各階級で選出しています。

・ ライトフライ級 具志堅用高
・ フライ級 パスカル・ペレス(アルゼンチン)
・ バンタム級 エデル・ジョフレ(ブラジル)
・ フェザー級 エウゼビオ・ペドロサ(パナマ)
・ ライト級 ロベルト・デュラン(パナマ)
・ ウェルター級 シュガー・レイ・ロビンソン(アメリカ)
・ スーパーウェルター級 トーマス・ハーンズ(アメリカ)
・ ミドル級 カルロス・モンソン(アルゼンチン)
・ スーパーミドル級 シュガー・レイ・レナード(アメリカ)
・ ライトヘビー級 バージル・ヒル(アメリカ)
・ ヘビー級 モハメド・アリ(アメリカ)

 といったボクサー達です。名前を聞いただけで、試合のシーンと感動が思い起こされる、素晴らしいボクサー達です。つまり、とても印象に残るファイトを繰り広げることができる=極めて高い技術と体力を持ち、個性的なファイトを魅せることができる、ボクサーが並んでいるのです。

 現在も、素晴らしいボクサーは沢山います。この素晴らしいボクサー達を、変なマッチメイクで汚すことが無いように、そして今後も歴史に残るボクサーが生まれてくるような組織面・興行面の整備が必要な時代が、既に来ていると思います。
 MLBのポストシーズンゲームを観るといつも感じるのですが、1点の重みがレギュラーシーズンとは違います。
 レギュラーシーズンの1点が50㎏だとすると、ポストシーズンの1点は150㎏くらいの感じです。

 さらにこのゲーム、MLB2013のアメリカンリーグ・チャンピオンシップALCSの第一戦、デトロイト・タイガースとボストン・レッドソックスのゲームでは、1点が500㎏位に感じられました。

 ボストンとデトロイトの対戦となった今年のALCSは、「打ち合い」が予想されました。両チームとも、ALいやMLBを代表する強力打線を有していて、今シーズンもその強打を背景に勝ち上がってきたのです。

 上位打線を見ても、ボストンはジャコビー・エルズベリー→シェーン・ビクトリーノ→ジャスティン・ペドロイア→デビッド・オルティーズ、デトロイトはオースティン・ジャクソン→トリイ・ハンター→ミゲル・カブレラ→プリンス・フィルダーと、錚々たる名前が並びます。
 もちろん、地区シリーズを勝ち上がってきた両チームですから投手陣も強力ですが、これだけの打線であれば、勝負は3~4点の取り合いと思われました。

 しかし、両チームとも中々1点が取れません。

 MLBポストシーズンゲームの特徴として、「球際の厳しさ」があります。打撃の時、守備の時、走塁の時、全てのプレーにおいて10㎝いや1㎝が勝敗を分けるのです。
 この試合では、特にピッチングにおいて「球際の厳しさ」が際立ちました。

 強打のデトロイト打線は、先発のレスターを始めとするボストンの繰り出す4投手に9安打を浴びせますが、得点は6回の1点のみ。

 一方のボストン打線は、デトロイトの先発サンチェス→アルバカーキ→べラス→スマイリーの4投手を相手にノーヒット。9回裏1死までノーヒットという状況でした。球団史上ワーストの17三振を喫したのです。
 ホームであるフェンウェイパークでノーヒットノーランとなれば、ボストンファンは許さなかった?ことでしょう。

 試合は、1-0でデトロイトが勝ち切りました。ボストン・レッドソックスがフェンウェイパークにおけるポストシーズンゲームで完封負けを喫したのは1918年のシカゴ・カブス戦以来95年振りなのだそうです。100年間で2回目という滅多に観られないゲームだった訳です。

 一方のナショナルリーグチャンピオンシップNLCSゲームの第二戦も両先発投手の素晴らしい投げ合いとなり、セントルイス・カージナルスがロサンゼルス・ドジャーズを1対0で下しました。
 この日のゲームは、2試合とも1点勝負だったのです。

 MLBポストシーズンゲームの1点は、本当に重いのです。

 ザックジャパンが、10月11日セルビア代表とアウェイで国際親善試合を行い、0-2で完敗しました。

 失点はいずれも、ゴール前のセルビアの球回しに付いて行けず、先先を取られてのものでした。
 日本代表チームの守備陣は人数が揃っているのですが、ボールウォッチャーに観える程、体が動きません。「ただ立っているだけ」と言われても仕様がないでしょう。

 攻撃陣も、時折チャンスは作りますが、セルビア守備陣のスピードが勝り、決定的なものにはなりませんでした。「スピード不足+狙い澄ました」日本の攻撃では、相手チームの想定内ですから、得点を挙げることは難しいでしょう。

 試合前のFIFAランク42位の日本と43位のセルビアのゲームでしたが、この試合を見る限り、セルビアの方が相当強いと感じました。
 ザックジャパンには、とにかくプレーのスピードが足りないのです。世界サッカーの趨勢に取り残されている感じがします。この1年間、世界の代表チームのレベルと日本代表の力量差は、着実に拡大しています。少し前は20位前後だった世界ランクが、42位まで下がっているのか、それを如実に示しています。

 このままでは世界ランクも50位あたりまで下がりそうです。出場32チームのワールドカップ本大会に、世界ランク50位前後のチームが出場するというのは、いかがなものでしょうか。

 一方で、ブラジルワールドカップWC2014に向けての、欧州地区予選は佳境を迎えています。

 10月11日には、ドイツ対アイルランドのゲームが行われ、ドイツが3-0で完勝し、16大会連続のWC本大会出場を決めました。このゲームのドイツ攻撃陣のスピードと、そのピッチ全体を使ったバラエティ豊かな戦術は素晴らしいものでした。独創性と、目を見張るスピード、高い技術に溢れるゲームは、観ていて本当に楽しいものです。

 同じ11日に、クロアチアとベルギーのゲームも行われ、ベルギーが2-1で勝って、3大会ぶり12度目のWC本大会出場を決めました。このゲームでは、2得点を挙げたベルギーのロメル・ルカク選手のプレーが見事でした。相手守備陣の裏に抜けるスピード、相手キーパーと1対1になった時の冷静な対応。とにかく、プレーのスピードが素晴らしいと思います。

 そして、同日スウェーデンとオーストリアのゲームも行われ、2-1でスウェーデンが勝ちました。このゲームのスウェーデンチームの2点目は、前線のズルタン・イブラヒモビッチ選手への1本の縦パスを、イブラがキッチリとトラップして叩きこんだものですが、このスピードも驚異的でした。一連のプレーのスピードが相手守備陣を遥かに上回っていました。

 ベルギーのルカク選手とスウェーデンのイブラヒモビッチ選手の得点は、戦術としてはシンプルなものですが、個々のプレーのスピードで遥かに勝ることで生まれています。
 現在のザックジャパンのプレー振りとは、好対照でしょう。

 「点と点を繋いでゴールを目指す」のも良いと思いますが、スピードで劣っていては話になりません。
 世界トップクラスのチームと比較して、もともと技術と体力で劣るチームが、スピードでも劣るのでは勝負にならないでしょう。

 戦術を根本的に変えるか、選手を替えるしか、対応策は無いのではないでしょうか。
 MLB2013のポストシーズンは地区シリーズが終わり、リーグチャンピオンシップゲームが始まりました。

 MLBファンが毎日ベースボールを楽しめるようにとの配慮だと思いますが、例年ナショナルリーグNLの方が、アメリカンリーグALより1日早くポストシーズンゲームが進みます。

 リーグ王者を決めるシリーズも、ナショナルリーグチャンピオンシップNLCSが本日10月11日(日本時間10月12日)から始まったのです。

 今季のNLCSは、ロサンゼルス・ドジャースLADとセントルイス・カージナルスSTLの対戦となりました。

 私は、ドジャースとカージナルスはNLを代表するチームであると思います。そして、その歴史・実績を踏まえると、この2チームにサンフランシスコ・ジャイアンツを加えた3チームがNLの横綱格のチームだと思うのです。

 ロサンゼルス・ドジャースは、1884年の創設という、MLB屈指の歴史を誇ります。1957年まではニューヨークのブルックリンにホームを置いていましたが、1958年にロサンゼルスに移りました。
 ワールドシリーズ優勝6回、リーグ優勝21回、地区優勝11回という素晴らしい成績を残しています。NPBの読売ジャイアンツが9連覇した時の牧野コーチが、ドジャースでバント攻撃などの戦術を学び「ドジャース戦法」として、巨人の連覇に貢献したことは有名です。
 また、野茂英雄投手がMLBデビューを果たした球団でもあります。

 セントルイス・カージナルスは、1882年の創立という、こちらもMLB屈指の歴史を誇ります。ワールドシリーズ優勝11回は、ALのニューヨーク・ヤンキースに次いでMLB2位、リーグ優勝18回、地区優勝10回という見事な成績です。
 特に、最近の10年間で2回のワールドシリーズ制覇を果たしています。田口壮選手の活躍が思い出されます。

 この横綱格2チームの対決となったNLCS2013は、初戦から凄い試合になりました。ドジャースのグリンキー、カージナルスのケリー、両先発投手がしっかりとした投球を続け、バックも好守で盛り立てます。

 ゲームとしては、ややドジャースが押していましたが、そこはさすがにカージナルスも良く守りました。3回の表裏で両チームが2点ずつを挙げただけ、2対2のままゲームが進みます。横綱同士のがっぷり四つの様相でしたので、ホームスタジアム(ブッシュ・スタジアム)で戦っている分だけ、カージナルスに分があると感じました。
 
 セントルイスは、全米屈指の野球どころですから、スタンドのファンの声援も半端なものではありません。真っ赤に染まった球場に、無数の真っ白なタオルが振られ、大歓声がプレーヤーを包みます。アウェイチームのプレーヤーにとっては、相当のプレッシャーになる筈ですが、そこは同じ横綱格のドジャースのプレーヤー達は何でもないかのように好プレーを続けます。
 
 白が際立つカージナルスのユニフォームとブルーがクールなドジャースのユニフォーム、両チームの120年以上の歴史を刻んできたユニフォームに包まれた選手たちの姿の美しいこと。その絵を見るだけでも「凄い」と感じます。ベースボールの歴史が戦っているのです。

 ゲームは延長13回裏、カルロス・ベルトラン選手のタイムリーヒットで、カージナルスがサヨナラ勝ちしました。3対2のスコアでした。

 ホームのカージナルスは、大声援をバックにし、7人の投手をつぎ込んだこのゲームを落とすわけには行かなかったでしょう。

 第3戦からは、ドジャースのホーム・ドジャースタジアムでのゲームです。今度は凄まじいドジャースファンの応援が繰り広げられるのです。ファンの熱気でも、この両チームはMLB屈指だと思います。その点でも横綱対決なのです。

 また、レフトのフェンスが高さ9mもあったり、ライトスタンドの方がレフトスタンドよりホームに数メートルも近かったり、センターの後方が坂になっていたり、色々な特徴・クセがある球場が多いMLBですが、ブッシュスタジアムとドジャースタジアムは、最もノーマルな球場だと思います。典型的なメジャーの球場の双璧なのです。舞台も整っています。

 リーグチャンピオンシップは、先に4勝した方がワールドシリーズに勝ち上がるのですが、ドジャースとカージナルスはお互いに「この相手から4勝を挙げるのは骨だ」と考えているでしょう。

 初戦から延長13回の激闘となった両横綱の対戦は、いつ果てるともなく続く感じがします。ファンにとっては、本当に面白いゲームが沢山観られるということです。
 10月13日、京都競馬場芝内回り2000mコースで行われる、第18回秋華賞競走G1の注目馬です。

 桜花賞・オークスの春の牝馬クラシックレースと、夏の上り馬の激突となるレースです。今年は、桜花賞馬アユサンは回避しましたが、オークス馬メイショウマンボは参戦して来ました。
 トライアルレースのローズステークスG2とは異なり、直線が300mしかない「内回り」コースというのがポイントです。好位に付けることができる馬が有利ということになります。

 注目馬の第一は、7枠14番のデニムアンドルビー。安定感は世代随一。ここまで6戦して4着以下がありません。前走のローズSも勝ちました。そろそろG1レースを取る頃でしょう。軸馬です。

 注目馬の第二は、1枠2番のシャトーブランシュ。夏の上り馬です。前走のローズSでは、上り3ハロンで良い脚を使いました。このレースでも勝ち負けの勝負をしてくれるでしょう。

 注目馬の第三は、8枠16番のメイショウマンボ。前走ローズSは差の無い4着。何と言ってもオークス馬です。雄大な馬体を活かして、世代牝馬最強を証明したいところです。

 今回は、以上の3頭に注目します。サクラプレジールの大駆けが、少し気になります。
 東京ヤクルト・スワローズのルーキー、小川泰弘投手が2013年シーズンを投げ切りました。

 26度の先発で178イニングを投げ、16勝4敗、防御率2.93、奪三振135、という見事な成績です。
 セントラルリーグの最多勝、最高勝率とルーキーらしからぬ活躍ですが、最も素晴らしいのは3つの完封勝利(リーグ最多タイ)だと思います。プロの世界に飛び込んだばかりの選手が、完投シャットアウトを3度も成し遂げたのです。体力・球数の配分など、ルーキーが身に付ける技術としては相当難しいものであったはずですが、十分に対応しました。
 小川投手の活躍に、大きな拍手を送ります。

 また、本ブログでも採り上げた、小川投手と読売ジャイアンツの菅野智之投手のルーキー対決ですが、両投手とも素晴らしい活躍でした。
 菅野投手も、27度の先発、176イニングを投げ、13勝6敗、防御率3.12、奪三振155。小川投手と互角の投球内容でした。2人の違いは、まさに完投数と完封数で、これは1完投0完封の菅野投手を、4完投3完封の小川投手が上回りました。

 小川投手がリーグ最多勝、菅野投手がチームの勝ち頭と、2人ともシーズンを通してチームを引っ張る存在で有り続けた点が賞賛に値すると思います。

 それにしても、最多勝・最高勝率の投手が居て、日本プロ野球NPB新記録の60本塁打、打率・打点部門2位という三冠王の可能性もあったバレンティン選手という最強の打者も居るヤクルト球団が、リーグ最下位というのはいただけません。

 投手陣を観ると、小川投手以外では、石川雅規投手が6勝9敗、八木亮祐投手が5勝13敗、村中恭平投手が5勝9敗と続くのですから、極端に言えば「今年のヤクルトには小川以外に先発投手は居なかった」ということになります。

 もちろん、小川投手以外の投手が先発した時には、打線の援護が少なかったことも間違いないことでしょうから、野手にも責任の半分があることは明白です。
 そして、こうしたチーム状況を打開することができなかったのですから、監督・コーチ陣の責任も大きいでしょう。東京ヤクルト・スワローズは、今オフに根本的な改革が必要ということになりそうです。

 とはいえ、そうした状況下でも、小川泰弘投手のシーズンを通しての活躍は、ファンを十分に楽しませてくれました。
 150kmには届かないストレート主体に、プロの打者を打ち取り続けたのですから、コントロールが良いことも間違いないでしょう。息の長いプレーヤーになって欲しいものです。

 初めて、あの小柄な体で脚を高く上げる投球フォームを観た時には衝撃的でした。その後のゲームでも、小川投手の投球を観るのが楽しみでした。
 野茂英雄投手ではありませんが、誰が見ても分かるフォームというのは、小川投手の大きな財産であり、お客様を集めることができるプロ向きの選手であることの証明なのです。

 MLB2013ポストシーズン地区シリーズゲーム、2勝2敗のタイで迎えた試合、デトロイト・タイガースとオークランド・アスレティックスの対戦は、10月10日に行われました。

 表題は、このゲームにデトロイトの先発として登板した、ジャスティン・バーランダー投手の試合前のコメントです。なんと不敵な言葉でしょうか。

 バーランダーは、この言葉通り、8イニング・111球を投げ、被安打2、10奪三振でオークランドを完封しました。本当に、見事なピッチングでした。

 ゲームはデトロイトが3-0で勝ち、地区シリーズを3勝2敗で勝ち上がりました。
 10月12日からのアメリカンリーグ・チャンピオンシップゲームをボストン・レッドソックスと戦うことになります。

 被安打2といっても、6回まではノーヒットピッチングでしたから、滅多にないポストシーズンゲームでのノーヒットノーランが実現しそうな雰囲気でした。
 ゲームは、オークランドのホーム・オードットコースタジアムで行われましたから、7回裏にセスペデス選手がチーム初ヒットをセンター前に放った時には、場内は大歓声に包まれました。しかし、バーランダー投手は後続をキッチリと断ちました。

 デトロイト・タイガースとオークランド・アスレティックスは、対照的なチームと言えます。

 デトロイトは、いわば「大人のチーム」。
 投手陣には、今季21勝3敗とMLB最多勝のマックス・シャーザー、今シーズンは13勝12敗と勝ち星こそ伸びませんでしたが、現在のMLBを代表する投手のひとりであるジャスティン・バーランダーの2本柱を擁し、打線は昨季の三冠王にして、今季の首位打者・本塁打打点両部門の2位という、MLB最強打者の呼び声も高いミゲル・カブレラや、ロサンゼルス・エンゼルス時代の松井秀喜の同僚であり、攻守・強打・俊足のトリイ・ハンター、NPB阪神タイガースで活躍したセシル・フィルダーの息子であり、2007年のナショナルリーグホームラン王のプリンス・フィルダーといった、完成された野手陣がズラリと揃っています。「ビッグネームの集団」とも言えます。

 一方のオークランドは、「若いチーム」。
 この試合の先発ソニー・グレイは、今年7月デビューのルーキー、先発捕手のステファン・ヴォウトもルーキーというように、MLBキャリアが浅い選手達で構成されています。

 これでは、デトロイトの圧勝に終わりそうな地区シリーズですが、全く互角と言っても良いゲームを続けました。それも道理で、レギュラーシーズンの成績を観ると、オークランドは96勝していて、93勝のデトロイトより上位なのです。

 ベースボールというのは、本当に難しいものです。

 バーランダー投手とグレイ投手の投げ合いは、この地区シリーズ第2戦と同じ顔合わせでした。第2戦は、両投手譲らず、グレイは8イニングを、バーランダーは7イニングを、ともに無失点で後続にリレー、オークランドが1-0でサヨナラ勝ちを収めています。どちらかと言えば、グレイが押していた投球内容でした。
 「MLBのエース」とさえ呼ばれるバーランダー投手にとっても、決して油断ならない相手なのです。

 しかし、試合前にバーランダーは表題のコメントを示し、見事に実行しました。新人として良く頑張ったグレイ投手ですが、4回にミゲル・カブレラに2ランホームランを浴びました。それでも6回を3失点ですから、立派なクオリティスタートなのですが、この日は相手投手が上だったということでしょう。

 そういえば、第2戦の試合前、グレイ投手は「学生時代、バーランダー投手の投球を見ながら、チームメイトと感心していました。9回になっても100マイルの速球を投げるって。今日は、そのバーランダー投手と投げ合うことが出来る。とても光栄です。」と。
 2005年にメジャーデビューして以来、常にMLBの第一線で投げ続けているジャスティン・バーランダーは、MLBを目指すアメリカの少年・青年の憧れの的なのでしょう。

 この日も、8分の力で投げるストレートが150㎞前後、これに120㎞台のカーブと、130㎞台のチェンジアップを交え、しかもコントロールが良い、という投球を展開しました。そして、ピンチになると155㎞前後のストレートを魅せます。ピンチになると力を入れるのでしょう。

 ジャスティン・バーランダー投手、アメリカ合衆国バージニア州出身の30歳。身長196㎝・体重102㎏、右投げ右打ち。2011年のサイ・ヤング賞投手・リーグMVP。ノーヒットノーラン2度、リーグ最多勝2度。MLB通算8年で124勝65敗。

 底知れぬ力を持つピッチャーです。
 田中将大投手が、2013年シーズンを完遂しました。

 28試合に登板し、212イニングを投げ、24勝0敗 1セーブ、防御率1.273、奪三振183、という素晴らしい投球内容でした。

 10月8日のオリックス戦に先発と聞いた時には、「もう投げなくとも良いのに」と感じました。最後に1敗するのでは、この完璧なシーズンに臥龍点晴を欠くようで心配だったのです。
 杞憂でした。この試合も83球・7イニングを投げて自責点1、打線の援護もあって悠々と24勝目を挙げました。なんとも、素晴らしいことです。

 田中将大投手の2013年は、日本プロ野球NPB史上に燦然と輝くシーズンでした。NPBが存続する限り、永遠に語り継がれる活躍であったと思います。

 20勝以上を挙げての勝率10割は史上初、3年連続防御率1点台は稲尾和久・ダルビッシュ有についで史上3人目、1人で貯金24は1961年の稲生和久以来52年振り、等々、田中投手の記録は「半世紀振り」といったものが多く、先発・中継ぎ・抑えの分業制が確立し、中6日・中1週間という登板間隔が長くなった、現在のNPB野球が確立されて以降のものとしては空前の内容と言えます。

 「最新のNPB野球で、昔の記録を実現した」シーズンだったわけです。

 そして、最も素晴らしいことは、東北楽天ゴールデンイーグルスの初優勝のシーズンであったことでしょう。田中投手の快投は、チームの優勝の原動力だったのです。記録のための記録ではなく、チーム勝利のための記録であったことは、野球本来の、スポーツ本来の在り様ですし、文句の付けようが無い記録といえるでしょう。

 シーズン後半には、「マー君がマウンドに立てば負けない」という雰囲気・オーラがありました。そして、決して大量失点を許さない投球が毎試合展開されました。
 本当に、神の領域のピッチングであったと思います。
 世界中のトッププロゴルファーが「アメリカ選抜チーム」と「世界選抜チーム」に分かれて戦う、プレジデンツカップ2013は、10月3日~6日アメリカ・オハイオ州のミュアフィールドビレッジ・ゴルフクラブGCで開催されました。

 日本からは、松山英樹選手が世界選抜チームに選出され出場しました。

 4日間のプレーを完了して、松山選手の成績は1勝3敗1引分でした。もっと勝ってくれれば、より良かったのでしょうが、私には十分な活躍に観えました。

 松山選手は、世界ランク2位のアダム・スコット選手(オーストラリア)とペアを組んで4試合を戦いました。アメリカ代表の世界ランク1位のタイガー・ウッズ選手とマット・クーチャー選手のペアとの戦いは、最後まで分からない激戦となり、惜しくも1downで敗れましたが、見事な内容でした。

 特に素晴らしいと思ったのは、その「姿」でした。第五のメジャートーナメントの候補にも上がる「メモリアルトーナメント」が毎年開催される、ジャック・二クラス設計のミュアフィールドビレッジGCで、世界のトッププレーヤー達と共に戦ったわけですが、松山選手は、全く引けを取らず、また妙に突出もせず、コースと大会にしっくりと馴染んでいました。
 ショットを打つ姿、フェアウェイを歩く姿、キャディと打ち合わせる姿、パッティングラインを読む姿、どの姿も世界最高峰のゴルフ大会に映えていました。

 これまでの日本人プレーヤーには観られなかった「姿」だったと思います。

 さて、PGAツアー2013~2014が、10月10日から始まります。この初戦は、フライズドットコムオープン大会。会場は、アメリカ・カリフォルニア州のコルデバレーGCです。

 石川遼選手とともに開幕戦に挑む松山英樹選手。日本人両選手の活躍が、とても楽しみです。

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カエサルjr

Author:カエサルjr
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