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 関東大学ラグビー対抗戦グループの早稲田大学と明治大学の試合「早明戦」が、今年も12月の第一日曜日である1日に行われます。
 今年の早明戦は、現在の国立競技場で行われる最後の早明戦ということもあって、当日歌手のユーミンが国立競技場でヒット曲「ノーサイド」を歌うことなどから、一層注目されています。

 単に早明戦と言えば、本来どの競技のものか分からないはずなのですが、大半のスポーツファンは、関東大学ラグビー対抗戦の早明戦=「早明戦」、と認識しています。
 単に「早慶戦」と言えば、東京六大学野球の早稲田と慶応義塾の試合を指すのと、良く似ているというか、同じレベルで特定されている感じがします。

 私の感覚では、対抗戦における試合を「早明戦」と呼ぶのであって、大学選手権のトーナメントの中で早稲田と明治が対戦する試合は、「早明戦」では無いように思います。

 その「早明戦」は1923年に始まり、途中太平洋戦争における中断があって、昨年までに83試合を重ねてきました。20世紀半ばには、戦術的に好対照のチーム同士であり、好試合も多かったことから、「早明戦」は大学ラグビー、ひいては日本ラグビーの看板カードになりました。
 1973年からは、それ以前の秩父宮ラグビー場から会場が国立競技場に移りました。秩父宮では観客が入りきらないというのが、大きな要因だったと思います。

 1981年の試合は、67,000人近くの観客で国立競技場が埋め尽くされました。立ち見は当然として、階段や通路にも観客が座りました。もちろん、国立競技場の定員を大幅に上回る観客数でしたから、消防法に違反し、試合後厳しい叱責が当局からラグビー協会に向けられました。
 この試合は、私も見に行きましたが確かに大入り満員でした。とはいえ、この頃1980年前後の「早明戦」は、いつも国立が一杯でしたから、ことさら1981年が満杯であったという印象は残っていません。

 1970年代から1990年代までは、12月第一日曜日の最大のイベントは「早明戦」でした。風物詩と呼べるレベルであったと思います。マスコミも「早明戦」の週になると、特集記事・番組を数多く組んでいたように思います。

 長い「早明戦」の歴史の中で、引分けは2試合しかありません。1975年と1990年の試合です。どちらの試合も、明治がリードし、試合終了直前に早稲田が追い付いた形です。

 1975年の試合は、いまにも降り出しそうな曇天の下、試合終了直前に早稲田のウイング藤原選手が、自陣からサイドライン際を走ります。明治のタックルを交わし続け、ついにトライ。まさに藤原選手の個人技によるトライでした。

 この試合、私は競技場に居たのですが、私の記憶では秩父宮ラグビー場での試合です。今、資料を見ると1973年から国立競技場と記されていますので、1975年の試合も国立だったはずですが、私の記憶の「目線が非常に低い」のです。確かに最前列での観戦でしたが、国立ではあれ程低くはならないと思うのですが。
 もうひとつ、記憶と記録の違いがあります。私の記憶では、この試合は8-8の引分けなのですが、記録は10-10の引分けとなっています。スコアは、もちろん記録のほうが正しいに決まっていますが。

 1990年の試合も、こちらは間違い無く国立競技場で観戦していました。好天でした。
確か、残り5分を切って明治が24-12とリード。この頃はトライが4点、トライ後のゴールが2点でしたから、2トライ・2ゴール差でした。これは大差ですし、残り時間も3分ほどになりましたから、「明治の勝ち」かと思いました。
 しかし、ここからの早稲田の追い上げは驚異的で、確かウイングの郷田選手のトライおよびゴールで24-18とした時にはノーサイド寸前であったと思います。

 トライ後のキックオフがラストプレーだろうと観ていました。早稲田陣中央でフルバックの今泉選手がボールを受け取り走り出しました。明治ディフェンスの追走を振り切って左隅にトライ。60~70m位の走りだったと思います。これで24-22。もう時間が無いと思っていたら、スタンドオフの守屋選手が慌ててボールをセットし、さっと蹴りました。左隅の難しい角度からのゴールキックが、見事に決まったところでノーサイド。

 明治の選手は、狐に抓まれたようなゲームだったと思います。残り2~3分で2トライ・2ゴールを挙げたという、その意外性は1975年のゲーム以上でした。

 この2試合以外にも「早明戦」は、好ゲームが目白押しです。試合前の予想が劣勢な方のチームが、意外に頑張るというのも「早明戦」の特徴でしょう。

 人気絶頂の、日本ラグビーフットボール協会のドル箱カードであった「早明戦」も21世紀に入ってからから、その人気は下降しました。
 人気下降の原因は色々あるのでしょうが、第一には明治ラグビーの低迷でしょう。

 明治大学チームが最後に全国大学ラグビー選手権大会に優勝したのは1996年、今から17年も前のことになりますし、同大会の決勝に進出したのも1998年が最後です。21世紀になってから、明治は大学選手権の決勝に出ていません。
 一方の早稲田は、21世紀になってから2008年を最後に5回優勝し、2010年を最後に4回準優勝しています。つまり、2001年から2010年までの10年間の大学選手権は「早稲田とどのチームが戦うか」という大会だったのです。そして、その挑戦者は関東学院であり、慶応であり、帝京だったのです。

 やはり「早明戦」といえば、大学ラグビーの最高峰の試合であり、我が国の大学ラグビーを支える両雄の戦いであるべきでしょうから、一方の雄が長期間低迷すれば、人気に影響が出るのでしょう。

 理由の第二は、両校のプレーの特徴というか持ち味が似てきたことが上げられるでしょう。「早明戦」最盛期の1970年代~90年代は、「フォワードの明治、バックスの早稲田」であり、「縦に突破する明治、横に展開する早稲田」という、明確な違いがありました。
 早稲田陣ゴール前で、大柄な明治プレーヤーが押し込み・飛び込み、小柄な早稲田プレーヤーが残り50cmで凌ぐというシーンが延々と続く試合も、珍しくありませんでした。両チームのファンにとって、手に汗握る展開だったのです。

 スクラムは常に「明治が押し、早稲田が耐える」図式でした。そもそもフォワード8人の平均体重は常に明治が10㎏以上重かったのです。
 前述の67000人を集めた1981年の試合、早稲田ボールのスクラムで、スクラムハーフがボールを入れた瞬間に、明治が4~5m押し、明治のNO.8の後方にボールが残っていたシーンを目の当たりにして、あまりのフォワードの力の差に慄然とした覚えがあります。試合前の予想も明治圧倒的有利でしたし、これだけフォワードの力に差があるのでは勝負にならないと思いましたが、試合は21-15で早稲田が勝ちました。「吉野の横っ走り」と呼ばれた吉野選手を始めとするバックス陣が、縦横に走り捲くった試合でした。

 こういう試合ばかりを見るにつけ、「いくらなんでもフォワードが小さ過ぎる」と早稲田首脳陣が考えたのかどうか分かりませんが、1990年代から早稲田フォワードの大型化が進み、21世紀に入ると平均体重で明治と互角、年によっては早稲田フォワードの方が重いこともあるようになりました。

 もちろん、フォワードの体格が互角になったといっても、縦の明治・横の早稲田という本質は変わっていないのですが、そもそも試合の景色が変わってしまったのです。第一の理由と相俟って、「早明戦」の人気に影響を与えたと思います。

 ラグビーは野球と違って、応援席が分かれていません。明治と早稲田の応援団が前後に居たり、隣り合っていたりすることも珍しくなく、スタンドでは白と紫紺の旗とエンジの旗が交錯して振られています。
 トライが決まれば、飛び上がって喜ぶ観客の隣に天を仰ぐ観客も居るのです。そして、大入り満員の頃の早明戦は、敵同士?が肩肘をぶつけながら応援したのです。

 「今年は勝たせてやるよ」と捨て台詞を残して去っていく観客の横で、勝利校の「白雲なびく駿河台・・・」「紺碧の空、仰ぐ日輪・・・」といった歌が流れます。

 あの頃の「早明戦」は、選手だけではなく観客も熱く燃えていました。
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 ヨハン・クライフは1947年オランダ生まれのサッカー選手であり監督です。
 クライフはオランダリーグ(エールディヴィジ)の名門アヤックスで活躍し、オランダ代表チームの中心選手として世界的に有名なプレーヤーでした。

 FIFAワールドカップWCにおけるクライフ選手の活躍は、主に1974年西ドイツ大会に限られます。この大会で、クライフ率いるオランダチームは準優勝しています。これ自体も、素晴らしい実績なのですが、世界サッカー史上におけるヨハン・クライフに対する評価は、「WC準優勝1回」のプレーヤーに与えられるものより遥かに高いものです。
 サッカープレーヤーの世界ランキングにおいて常に上位にランクインしていますし、私も間違いなく世界サッカー史上ベスト3に入るプレーヤーだと思います。

 この実績と評価の段差の原因は、何なのでしょう。色々な要因があるのでしょうが、やはり「現代のサッカープレーの礎を築いた功績」が高く評価されているのだと思います。

 1974年西ドイツWC時のオランダチームのサッカーは見事なものでした。フォワード・ミッドフィールダー・ディフェンスの各ポジションのプレーヤーが有機的な繋がりを維持しながら自在に動き回ります。「ポジションが流動的」とか「全員攻撃・全員守備」とか「トータルフットボール」とか呼ばれましたが、豊富な運動量に裏打ちされた縦・横の動きとチームとしての展開は、それまでの「攻撃はフォワードの仕事」「守備はディフェンダーの仕事」という固定概念を覆すものでした。

 こうしたプレー・戦略は、現在では当たり前のことなのですが、初めて眼にした時の衝撃はとても大きなものでした。
 このトータルフットボールの中心に居たのがヨハン・クライフ選手だったのです。

 当然ながらクライフ自身も、素晴らしい運動能力を保持していました。特に、そのドリブルと相手選手を交わしていく動きは「クライフターン」と呼ばれ、クライフの前進を止めるのは容易なことではありませんでした。
 また、そのシュート能力も凄まじく、通常であれば打てない形でも、クライフはシュートし得点していました。それはもう、惚れ惚れするプレーの連続でした。
 身長175cmと決して大きくは無いクライフですが、プレーする姿はいつもとても大きく見えました。細身のシルエットと自在な動きから、クライフがピッチ上どこに居ても直ぐに分かりました。(この点は、超一流プレーヤーに共通することですけれども)

 このWCで、クライフとオランダ代表チームが優勝できなかった(決勝戦1-2で西ドイツに敗れた)のは、ある意味では不運であったとも思います。

① 決勝戦の相手が、フランツ・ベッケンバウアー率いる西ドイツチームであったこと。1972年から1974年にかけての西ドイツチームは、サッカー史上最強チームの候補に挙げられるチームでした。加えて、地元だったのです。極めて強力なチームが、地元で戦う利まで得ていたのです。

② 決勝戦の開始早々、ペナルティーエリア内でクライフが倒され、オランダチームはPKを得ます。これを決めて、あっという間に先取得点を挙げました。この試合開始1分の1得点が、逆にオランダチームの動きを悪くしてしまったのだろうと思います。
 WC優勝経験が無いオランダチームでしたから「このまま守り切れば勝てる」という気持ちが、各プレーヤーの深層心理の中に芽生えたのではないでしょうか。準決勝まで観られていた「トータルフットボール」が影を潜め、オランダチームのディフェンダー・ミッドフィルダーは、自らのポジションを維持し、全体として守備的になったのです。

 このPKの1点が無ければ、オランダチームはもっと多くの得点を上げ、最強の西ドイツチームを破っていたかもしれません。
 クライフ選手自身も、西ドイツのディフェンダーであるベルティ・フォクツ選手の徹底したマークに合い、良いプレーが出来ませんでしたが、これも「トータルフットボール」が機能していれば、球離れを速くするなどして解消できていた筈ですので、このゲームは全体としてオランダチームの動きが悪かったということでしょう。

 一方、ゲームを通じて一瞬のスキも無くクライフに纏わり付き続けたフォクツの働きは、ディフェンダーの鏡とも言えるものでした。もともと良いディフェンダーでしたが、このゲームを経てベルティ・フォクツの名は不動のものとなったのです。

 それにしても、ヨハン・クライフを中心として、ヨハン・ニースケンス、ロブ・レンセンブルグ、ルート・クロル、アリー・ハーン、ロニー・レップ、ウィレム・ハネヘル、ビム・ヤンセンらのプレーヤーを擁するオランダチームと、フランツ・ベッケンバウアーを中心として、ゲルト・ミュラー、パウル・ブライトナー、ヴォルフガング・オフェラート、ベルティ・フォクツ、ゼップ・マイアーらのプレーヤーを擁する西ドイツチームが激突した、1974年WC決勝戦はサッカー史に残る好勝負でした。

 プレーヤーとして、アヤックスにおいて240試合に出場し190得点、オランダ代表チームでは48試合に出場し33得点を挙げたクライフは、その後スペインのFCバルセロナでのプレーを経て、アメリカプロサッカーの創世期に参画し、1984年に現役を引退しました。終盤の数年は、やや付け足しの感じで、プレーヤーとしては1977年の代表チーム引退が節目であったと思います。

 現役を引退したクライフは、1985年にアヤックスの監督に就任、そして1988年から1996年までの8年間をFCバルセロナの監督として過ごしました。このFCバルセロナの監督時代が、ヨハン・クライフのセカンド・ステージであったと思います。

 国内リーグ戦で3年連続優勝から遠ざかり、1987~88年シーズンは内紛もあって6位という不本意な成績であったFCバルセロナの再建を託され、1990年からの4連覇という偉業を達成しました。
 レアル・マドリードに押され気味であったFCバルセロナの「中興の祖」だったのです。

 伝統的に守備的なチームであったFCバルセロナ(今では想像も出来ませんが)を攻撃的なチームに変えたのです。現在の「バルセロナのパスサッカー」の基礎を造ったのが、クライフ監督でした。

 クライフ率いるFCバルセロナは「エル・ドリーム・チーム」と呼ばれました。現在では4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を誇るFCバルセロナですが、このエル・ドリーム・チームの1991~1992年シーズンにおける制覇が初めででした。クライフ監督は、FCバルセロナを「スペインの強豪チームから世界の強豪チームに引き上げた」のです。

 ちなみに2008~2012年にFCバルセロナの黄金時代を築いたジョゼップ・グアルディオラ監督は、このエル・ドリーム・チームの一員としてプレーしていました。クライフの攻撃サッカーの伝統が受け継がれてきたのでしょう。

 プレーヤーとして世界のサッカーを変革し、監督としてFCバルセロナのサッカーを変革した、ヨハン・クライフ。
 「フライング・ダッチマン(空飛ぶオランダ人)」とも呼ばれましたが、元々「フライング・ダッチマン」という言葉は「さまよえるオランダ人」の意で、アフリカの喜望峰周辺に出没する幽霊船の船長をイギリスの船乗りが怖がって名付けたものだったのです。ワーグナーのオペラや映画パイレーツ・オブ・カリビアンでも幽霊船関連で登場しています。

 不吉な呼び名だったものが、アメリカにおいて「空飛ぶオランダ人」と意訳され、クライフ選手の天翔るプレーを観て、尊称とされました。クライフ以降、各界で活躍するオランダ人を褒め称える言葉としても「フライング・ダッチマン」は使われています。

 ヨハン・クライフは「言葉の意味」さえ変えてしまいました。

 世界サッカー史上に燦然と輝く巨星です。
 日本プロ野球NPBの2013年度最優秀新人選手が11月25日に発表されました。
 セントラル・リーグは東京ヤクルトの小川泰弘投手、パシフィック・リーグは東北楽天の則本昂大投手でした。

 両リーグの最優秀選手(バレンティン選手、田中将大投手)と最優秀新人の所属球団が同じというのは、珍しいことでしょう。

 最優秀新人もMVPと同様に、順当な選出であったと思います。

 小川投手は、26試合に先発登板し178イニングを投げ16勝4敗・防御率2.93、最多勝と最高勝率.800をマークしました。新人はもちろんとして、セ・リーグ全投手を通じてもトップクラスの成績ですから、堂々たる新人賞でしょう。

 則本投手は、27試合に登板・25試合に先発登板し170イニングを投げて15勝8敗・防御率3.34。田中将大投手に続く、東北楽天先発投手陣の2番手として、チーム初の優勝・日本一に大貢献しました。堂々たるプレート捌きが印象的です。

 この2人の新人王投手に共通しているのは、あまり身長が高くないという点でしょうか。MLBはもちろんとして、NPBでも「投手は長身」という時代が来ているようにも感じますが、170cm台の2人の投手がルーキーイヤーから堂々たるピッチングを披露したことは、素晴らしいことだと思います。そして、小川・則本両投手の工夫に満ちた投球術は、他の投手の範となるものだとも感じます。

 2人の新人王投手以外にも、今季はルーキーの好投手が多かったと思います。セ・リーグなら読売の菅野智之投手や阪神の藤浪晋太郎投手、パ・リーグならオリックスの佐藤達也投手や大谷翔平投手・野手です。
 最優秀新人の投票でも、この4プレーヤーは得票していました。

 菅野投手や藤浪投手は、例年なら新人王になっても不思議は無い成績を残しましたし、何よりチームの主軸投手として、大事な試合の先発を任されていた点が素晴らしいと思います。

 佐藤投手は、中継ぎとして40ホールドという見事な働きでした。現代野球に不可欠のセットアッパーという役割における貢献が、ルーキーイヤーから評価されることは、とても素晴らしいことだと思います。
大谷投手・野手は、二刀流を続けました。投手としても野手としても活躍しまし、ファンを楽しませてくれましたが、来季はどちらかに決めていく時期なのかも知れません。

 投手のルーキーが活躍した2013年度でした。本当に不思議なことですが、活躍するルーキーのポジションがシーズン毎に偏る傾向は、様々なスポーツに見られる現象です。
 来シーズンのNPB新人王は、野手の年になるかもしれません。
 日本プロ野球NPBの2013年度最優秀選手MVPが11月26日に発表されました。
 パシフィック・リーグは東北楽天の田中将大投手、セントラル・リーグは東京ヤクルトのウラジミール・バレンティン選手でした。

 とても順当です。今季の両プレーヤーの活躍は、文句無く両リーグのNO.1であったということでしょう。

 田中投手については24勝0敗1セーブの成績が、全てを物語っています。間違いなく「伝説のシーズン」となった活躍でした。この成績は、本人の能力が極めて高いからといって、達成できる類の成績ではありません。田中投手の2013年は「野球の神に愛された1年」だったのでしょう。

 一方バレンティン選手については、チームが最下位であったという点が唯一の欠点ですが、長い間NPBの「犯してはならない?記録」であったシーズン55本塁打を更新した功績は、極めて大きなものです。60本という「切りの良い数字」とした点も、今後の目標として分かりやすい結果でした。

 加えて、シーズン中から注目していたOPS(長打率+出塁率)も1.234という高率でした。NPB記録である1974年王貞治選手の1.293には届かなかったものの、1983年の落合博満選手に次ぐ歴代5位の堂々たる記録であり、特に長打率0.779はNPB歴代トップでした。これまでのNPBにおけるOPSが高いプレーヤーに共通していた、出塁率の高さ(=四球が多い)による高OPSとは異なり、長打率の高さでOPSを1.2以上に持ってきた点が評価されるのではないでしょうか。

 ペナントレース終了後、出身地のオランダ領アンティルのキュラソー島に帰ったバレンティン選手が、地元で大歓迎を受けたと報じられました。
 キュラソー島は、MLBにも多数のプレーヤーを送り込んでいる「ベースボールどころ」です。その島で、NPBで活躍したバレンティン選手が大歓迎を受けたということは、NPBもキュラソー島において相応に評価されているということでしょう。

 NPBファンとしても嬉しいニュースでした。
 2013年11月21日、2014年のFIFAワールドカップWCブラジル大会の予選が全て終了し、出場32カ国が決定しました。我らが日本代表も名を連ねています。

 最後に出場を決めたのはウルグアイでした。南米予選で5位となり、大陸間プレーオフに臨み、アジア予選5番目のヨルダンと対戦、ホーム&アウェイ方式2ゲームで5-0として、勝ち上がりました。
 大陸間プレーオフは、もう1マッチありました。こちらは、北中米予選で4位のメキシコが、オセアニア代表のニュージーランドを同9-3で下して、本大会に進みました。

 2つの大陸間プレーオフは、結果から見て片方のチームが圧勝しました。およそ、WC出場権を争うギリギリの勝負にはなっていない感じでした。

 こうなると、WCの大陸別の出場枠数配分が適正なのかと考えてしまいます。

 2014年ブラジル大会の配分は、ヨーロッパ13、南米4.5+1(開催国ブラジル)、北中米3.5、アフリカ5、アジア4.5、オセアニア0.5の計32となっています。
 この内、0.5枠がある大陸同士で大陸間プレーオフが行われるのです。

 ワールドカップが、世界最強の国(および地域)代表チームを決めるものだとして、出場する32カ国も「実力上位32カ国」であるべきだという考え方を取るとすれば、この大陸間プレーオフの結果を見る限り、予選方法等を見直す必要があるということになります。

 アジア5番目の国ヨルダンより、南米5位のウルグアイの方が、実力的に相当上位にあるのですから、例えば、南米枠を4.5から5.5あるいは6.5に増やし、アジア枠を4.5から3.5あるいは2.5に減らすといった調整が必要ということになります。

 そもそも、大陸毎に出場枠を振り分けるという方法自体を見直すことも考えられます。
 予選の段階から、世界中の参加国を31のグループにくじ引き等の方法でグループ分けして、それぞれのグループで1位の国31チームと前回優勝国の32チームで本大会を行う形です。
 くじ引きに付いてはFIFAランキング等を活用して、可能な限り公平に行う形とします。

 しかし、現実にはこうした見直しは容易なことではないでしょう。

 各大陸には当該大陸のサッカー協会が存在していて、自らの大陸の出場枠を1つでも増やそうと努力を続けているからです。その大陸における「サッカー競技振興」や協会の収入増(協会主催ゲームを増やすこと)のためには、WC代表枠は1つでも多い方が良いからです。
 また、FIFAとしても、ヨーロッパと南米以外の地域にサッカー競技を普及させるという大目標があり、「世界中の大陸から代表が集まっている」方が「ワールドカップ」という名に相応しいとも考えるでしょう。

 昔は、ヨーロッパ代表の国々と南米代表(含むメキシコ)の国々が4年に一度集まって「世界一」を決めていたのがFIFAワールドカップでした。
 そして、開催地もヨーロッパと南米が交互でしたし、優勝国も1度の例外(1958年スウェーデン大会のブラジル優勝)を除いては、ヨーロッパ開催の時はヨーロッパの国、南米開催の時には南米の国だったのです。

 その原則が変更されたのは、1994年アメリカ大会からでした。アメリカ大会以降、WCは日韓、南アフリカと、定期的にヨーロッパ・南米以外の地域で開催されるようになり、1998年のフランス大会から出場枠が24から32に増やされ、アジアやアフリカ地域の出場枠が増え続けました。サッカー競技が、真にワールドスポーツとなる過程であったということでしょうか。

 毎度のこととはいえ、今回の欧州予選でもスウェーデン、ウクライナ、デンマーク、オーストリア、アイルランド、ハンガリー、スロベニアといった実力十分のチームが本大会に出場できませんでした。
 真の世界一決定戦構築に向けて、見直すべき点はいくつもありそうです。
 1992年の金鯱賞に優勝したのがイクノディクタスです。この頃は6月に行われていた金鯱賞ですが、5歳になっていたイクノディクタスは、2着のリターンエースに2馬身差をつけて快勝しました。

 「鉄の女」と呼ばれたイクノディクタスは、2歳から6歳までの5年間弱に51戦しています。ほとんど故障も無く、平均して月1回のペースで走り続けました。

 3歳時、桜花賞は優勝したアグネスフローラの11着、オークスはエイシンサニーの9着とクラシックレースでは完敗でしたが、黙々と走り続けたのです。
 エリザベス女王杯はキョウエイタップの4着、京都牝馬特別はダイイチルビーの7着、マイラーズカップはダイタクヘリオスの3着と、健闘しますが中々勝てませんでした。
 そして、4歳の5月京阪杯を制して、ようやく重賞勝ち馬となりました。

 その後もG2・G3の重賞に挑み続けましたが、12戦に渡って勝ち星に恵まれず、5歳の5月オープン競走で久々の勝利。6月の金鯱賞に臨み、頭書の通り快勝したのです。重賞2勝目でした。
 7月の高松宮杯は12着と大敗しますが、8月の小倉記念に勝ち、9月のオールカマーにも勝って、重賞連勝・直近の5戦4勝。彼女の競走成績としてはこの頃がピークだったのかもしれません。

 1992年11月には、G1レースを3回走っています。陣営が、どうしてこんなに過密な出走スケジュールを組んだのかは分かりませんが、「1ヶ月の間にG1レースを3回走った牝馬」というのは、中央競馬史上イクノディクタスだけなのではないでしょうか。
 11月1日の天皇賞(秋)はレッツゴーターキンの9着、11月22日のマイルチャンピオンシップはダイタクヘリオスの9着、11月29日のジャパンカップはトウカイテイオーの9着と、3戦全て9着でしたが、マイルチャンピオンシップとジャパンカップを連闘するというのは、牡馬にも居ないように思います。
 これを特に故障も無く走り切っているのですから、とてつもないサラブレッドでしょう。

 翌12月には有馬記念にも出走し、メジロパーマーの7着でした。2ヶ月の間にG1レースを4戦したのです。そして5歳の年末で、既に41戦。この頃から「鉄の女」と呼ばれるようになったと思います。
 1992年のイクノディクタスは『16戦』して4勝(重賞3勝)と勝率こそ高くは無いのですが、その走りっぷりと年末にかけてのG1レース連続挑戦が評価されて、G1勝ちが無いにもかかわらず、この年の年間最優秀5歳以上牝馬に輝きました。
 私は、正しい表彰だと感じました。

 いつも、休み無く走っていた印象があるイクノディクタスですが、実は「冬期休暇」を必ず取っています。小倉デビューということで、寒いのは苦手だったのでしょうか。
 2歳から3歳にかけては12月11日~3月17日と約3ヶ月、3歳から4歳にかけては11月12日~1月26日と約2ヶ月半、4歳から5歳にかけては9月16日~2月1日と約4ヶ月半、5歳から6歳にかけては12月28日~3月20日と約3ヶ月弱、の期間レースに出ていないのです。

 冬はレースを控え休養+トレーニングに集中し、シーズンに入れば1ヶ月2回3回の出走も厭わず、レースに挑む。これは、アスリートそのものでしょう。鍛えに鍛えた肉体を武器に、時にはキッチリと休息し、時には連戦に挑むというイクノディクタスの競走生活を観ると「アスリート系牝馬」と呼ぶに相応しいと感じます。

 その馬体も見事なものでした。筋肉隆々なのですが、特にトモの大きさと張りが素晴らしい。パドックでの見栄えが良いので、つい高く評価してしまうことが多かったと思います。460kgそこそこの明るい鹿毛の馬体は、いつも大きく見えました。

 さて、冬期休暇を済ませたイクノディクタスは、6歳も走り続けます。この1993年も重賞8レース、オープン競走2レースの計10レースを走りました。
 中でも圧巻は、5月16日の安田記念と6月13日の宝塚記念でしょう。この2つのG1レースで、彼女は2着に入っています。彼女は3歳秋のエリザベス女王杯以降、牝馬限定のG1レースには出走せず、牡馬牝馬共通のG1レースに挑戦し続けてきました。

 この安田記念はヤマニンゼファーに1と1/4馬身差の2着、宝塚記念はメジロマックイーンに1と3/4馬身差の2着でしたが、勝った馬は当時の中央競馬における、それぞれの距離の最強牡馬でした。相手が強すぎたのです。
 私は、イクノディクタスが最も強かったのは、この頃だと思います。

 イクノディクタス号、父ディクタス、母ダイナランディング、母の父ノーザンテースト、生涯成績51戦9勝、重賞4勝。獲得賞金5億3100万円余りは、当時の牝馬の中央競馬史上最高賞金額にして、初の5億円賞金獲得牝馬でした。

 競走馬引退後、イクノディクタスには繁殖牝馬の仕事が待っていましたが、そもそも中々発情しないとも伝えられました。結局、良い仔には恵まれなかったのです。
 筋肉隆々のアスリート系牝馬に、繁殖をも期待するのは酷ではないかと思いましたし、本当はもっと走りたかったのではないかと感じます。

 1992年11月にG1レースを3つ走り、メジロマックイーン・トウカイテイオー・ダイタクヘリオス・ヤマニンゼファーといった超一流牡馬と互角に渡り合ったイクノディクタス。G1勝ちこそ無いものの、その競走内容はヒシアマゾンやエアグルーブに決して劣らないものだと思います。
 そして、史上最高のアスリート系牝馬であろうと思うのです。
 2013年の大相撲11月場所は、11月24日に千秋楽を迎え、横綱・日馬富士関の6回目の優勝で幕を閉じました。熱戦が多かった今場所を振り返ってみます。

1. 日馬富士の優勝
 横綱・日馬富士が14勝1敗で優勝しました。今場所は初日から「低く鋭い立ち合い」が見られました。足首の調子が相当回復していたようです。こうなると、そのスピードは他の力士の追随を許さないものですから、星が上がります。
 千秋楽の横綱・白鵬関との対戦も3秒で勝ちました。鋭い立ち合いから、まず当たって、素早く左上手を取り、そのまま半身で寄り立てて勝負を付けました。白鵬に何もさせなかった圧倒的なスピードは、日馬富士相撲の真骨頂です。いつも書くことで恐縮ですが、体調が万全であれば白鵬と互角の成績を残せることを、再び証明しました。

 これで2013年の6場所は、白鵬が優勝4回、日馬富士が優勝2回と言うことになりました。体調の安定度で白鵬が勝るとはいえ、2人の横綱の力量が抜けていることが、よく分かる1年でした。
 日馬富士には、体調の維持・改善に努めていただき、「幕内最軽量力士でありながら横綱を張る」という、素晴らしい相撲を取り続けてもらいたいと思います。

2. 両横綱を倒した大関・稀勢の里関
 稀勢の里の両横綱との相撲内容は素晴らしいものでした。両横綱を圧倒しました。横綱戦では、前に出る力、引き付け、技の力強さ、いずれも見事なもので、特に体の芯の強さが際立っていました。
 一方で、安美錦戦や豪栄道戦に見られた体幹の力が抜けているような取り口はいただけません。千秋楽の鶴竜戦の内容も良くないものでした。前に出る力が不足していた今場所の鶴竜関ですから逆転できたものの、これが琴奨菊関なら先場所・先々場所同様に押し出されていたことでしょう。

 推測ですが、横綱戦は「負けてもともと」という気合で臨むのですが、大関戦以下の取組では「負けてはいけない」と考えるために、僅かに腰が引けているのではないでしょうか。
 常に、横綱戦と同レベルの前に出る力を維持できれば、取りこぼしは激減すると思います。

3. 関脇以下の幕の内上位力士
 豪栄道関は、先場所とは別人のような相撲内容でした。立合いのスピード、当たりの強さ、ともに不十分で、もっと良くないのは当たった後の前に出る力不足です。
 どの取組も当たった後、相手力士に押し込まれますから、持ち味が活きません。稀勢の里との一番を含めて2番を首投げで勝利しましたが、いずれも「一か八か」の乱暴な相撲。この2番を落としていれば6勝9敗の場所でしたが、今場所の豪栄道の相撲内容は、6勝レベルのものであったと思います。
 9月場所を思い出していただき、常に先手を取る相撲に戻していただきたいと思います。
  
 栃煌山関は、故障が影響していたのか精彩を欠きましたが、千秋楽の豪栄道戦を見ると、「強い時の強さ」は本物です。関脇以下では、現在最も大関に近い力量があると感じていますので、故障の回復を急いでいただきたいと思います。

4. その他の力士
 3人の力士の相撲が大きく進歩したと感じました。3人共10勝以上の星を上げました。

 まずは、玉鷲関。「左からのおっつけ」をものにして、相撲が変わりました。もともと体格面では十分な力士でしたが、バタバタした相撲が多く、前頭を上下していましたが、今場所の相撲なら十分に三役に定着できるでしょう。大関も狙えると思います。
 左のおっつけが強いことを相手力士が気づきましたから、それを避けようとするときに本来の押しが威力を発揮します。ひとつの取り口を身に付けると、取り口の幅が何倍にもなるという好例でしょう。来場所は前頭筆頭か三役になると思いますが、その地位でも十分に戦えると思います。楽しみな力士が出てきました。

 続いて、勢関。右からの攻め一本でしたが、今場所は左からの攻めが加わって、こちらも取り口の幅が大幅に広がりました。バランスが良くなったので、前に出る力も加わり、負けにくい相撲になったと思います。もともと気迫十分の取り口で人気の高い力士でしたが、力も付いてきましたので、今後の活躍が期待されます。

 3人目は、千代大龍関。幕の内に上がってきた頃は、「当たってから引く」相撲が多かったのですが、師匠の元千代の富士・九重親方の指導よろしく、「押し切れる相撲」がようやく実ってきました。もともと押す力+スピードは抜群のものでしたから、この相撲がものになってくれば、上位の力は十分に有ります。
 持病の糖尿病との付き合い方構築も含めて、今後の精進が期待されます。

 11月場所は総じて熱戦が多く、変化に溢れていて見所十分でした。

 来場所は、「稀勢の里の綱取りの場所」となりますが、故障が回復した日馬富士と巻き返しを図る白鵬の両横綱も、当然に優勝を狙ってくることでしょう。
 「優勝が絶対条件」の稀勢の里にとっては、とても厚い壁が存在していることになります。余程の気合と精進が無ければ、15日間の戦い方という点で上位に位置する2横綱を抑えて優勝することは難しいと思います。

 しかし、稀勢の里にはこの厚い壁を突破して、久方ぶりの日本人力士の優勝を実現して欲しいと思います。
 2014年1月2日と3日に行われる、第90回箱根駅伝競走は今回も日本テレビで放送されると思います。放送内容について、お願いしたいことがあります。

 参加しているランナーを、可能な限り全員一度は映し出して欲しいのです。

 順位にかかわらず、参加校の10人に選ばれることは大変な名誉であり、相当の努力なくしては不可能なことですし、当日の体調管理も含めて、ランナーにとっては一生の晴れ舞台でしょう。
 しかし、有力校やレースで上位を走るチームに所属していない限り、なかなかテレビには映りません。

 これでは可哀想だということもありますが、何より「箱根駅伝を目指す力」を一層強くしたい、というのが一番目の理由です。

 高校野球の甲子園大会は、出場選手の大半が一度はテレビに映ります。これは、出場選手なら誰もが必ず打席に立つという、野球というスポーツのルール自体に依存している部分もありますが、放送するテレビ局も漏れが無いようにしている(プレー中に他の画面を流さない)ように思います。
 出場者全員が全国放送のテレビに映るということは、甲子園を目指す全高校球児の大きな動機づけになっていると思いますし、甲子園大会大人気の最大の要因でしょう。

 二番目の理由は、各校のランナーが走っている姿を見たいからです。競り合っている姿なら、より見たい。極端に言えば、それ以外の映像にはあまり興味がありません。第90回の箱根駅伝中継なのですから、その時行われているレースを放送し続けて欲しいのです。
 とても面白いコンテンツだと思います。レースばかり映していると、視聴者が退屈するのではないか、チャンネルを変えられてしまうのではないかと心配する向きがあるのでしたら、心配無用でしょう。
 レース以外のコンテンツの方が、余程チャンネル変えのきっかけになると思います。

 恐縮ながら、「今昔物語」はレース前かレース終了後あるいは特集番組で、流していただきたい。現在レースが行われているのに、何で過去の出来事を見なければならないのかと思います。

 有力ランナー紹介も最小限の時間でお願いしたい。1人15秒もあれば十分でしょう。そのランナーが、どんな思いでレースに臨んでいるか、そのランナーの家族の情報、などを長々と流すのはいかがなものかと思います。「思い」や「事情」は、走っている全てのランナーに等しくあるのです。

 走っている全てのランナーを少なくとも一度映し出すことは、現在の放送技術であればそれほど難しくないように思います。バイクカメラがあるのですから、「全校の襷渡しが完了したところで、最後尾から先頭までバイクカメラで映す」のが良いように思います。
 視聴者にとっても、とても面白い映像でしょう。

 箱根駅伝という、大変多くの人々が関与し、もの凄いエネルギーが集約されているスポーツイベントは、もともと極めて中身が濃いのです。
 そのレースを、可能な限り細部に至るまで忠実に映し出すのが、最も面白い放送になるのではないでしょうか。
 素晴らしい一番でした。「大相撲」でした。

 大相撲11月場所14日目、横綱白鵬と大関稀勢の里の取組です。

 仕切時から緊張感に溢れています。塩を撒いた両力士が土俵中央で仁王立ち、睨み合います。
 どちらが先に蹲踞(そんきょ)するのか。ここは大関が横綱に敬意を表して、稀勢の里が動くかと思いましたが、稀勢の里は横綱白鵬が目線を切るまで動きませんでした。

 仕切りは続きます。再び仁王立ち・睨み合い。今度は稀勢の里が先に蹲踞に入りました。時間前の立ち合いさえありそうな空気でしたが、さすがにそれは無く、時間一杯。

 両力士十分に仕切って、立合い。僅かに白鵬の方が速かった様には観えましたが、ほぼ互角。差し手争いも互角でしたが、稀勢の里の左下手が入りました。勝因は、この左下手でしょう。

 両者がっぷり四つとなれば、体力・体格に勝る稀勢の里が有利ですから、白鵬は右上手を離してスペースを造り、左からの下手投げに出ます。さすがに綺麗な投げでした。足の位置、重心の移動、スペースの大きさ、いずれも完璧でしたので、白鵬は決まったと感じたことでしょう。

 しかし、稀勢の里の前に出るスピードが白鵬の予想を超えていたのだと思います。稀勢の里は引き付けたまま、白鵬の体に自らの体をピタリと寄せ、右から上手投げを打ち返します。
 これが見事に決まりました。

 極めて高い技術と体力の激突。本当に素晴らしい相撲でした。プロフェッショナルスポーツの神髄でした。

 取組後、場内に万歳が起こったことは、いかがなものかとは思いますが、このところ不甲斐ない日本人力士を応援する、お客様の気持ちが自然と湧き起こったものなのでしょう。

 「白鵬対稀勢の里」は、現在の大相撲の看板取組なのです。
 ブラジル・ワールドカップWC2014の欧州地区予選も大詰め。予選リーグ2位チーム同士によるプレーオフが行われました。残り4枠、欧州各国にとっては最後の4枠を巡って、激戦が繰り広げられたのです。

 4つのカードの中でも、強豪同士の対戦として注目されたのがポルトガル対スウェーデンでした。本ブログでは「緒戦の先取点をどちらが取るか」がポイントと観ていました。

 11月15日に行われた、ポルトガルがホームの緒戦は1-0でポルトガルが勝利。0-0の拮抗した展開から、クリスティアーノ・ロナウドが決勝点を叩き込みました。
 ホームで1-0の勝利は、普通なら十分とは言えないものですが、大試合に臨むと固くなりやすいポルトガル代表チームに余裕をもたらしたという点から、もともと総合力に勝るポルトガルが相当有利になったと感じました。

 そして11月19日、スウェーデンがホームの第2戦です。
 前半を0-0で折り返した後半開始早々、縦パスを受けたクリスティアーノ・ロナウドがスウェーデンゴール左サイドに突進。右サイドネットに強烈なシュートを打ち込みました。
 この1点で、ポルトガルでWC2014本大会出場はほぼ決まったと思いました。アウェイの1得点はとても重いのです。

 ホームで負けられないスウェーデンチームも、ズルタン・イブラヒモビッチがヘッドで1点、続いてフリーキックで2点目と立て続けに得点し、2-1と試合をひっくり返します。イブラの得点も強烈なシュートでした。

 しかし、このプレーオフのクリロナは、これまで大試合でいまひとつであったことを忘れさせるような絶好調。イブラに逆転弾を許した5分後に2点目、そこから僅か2分後に3点目を挙げました。
 いずれも縦パスを受け、ドリブルからのシュートでしたから、まさにクリスティアーノ・ロナウド劇場でした。

 このプレーオフ2ゲームのポルトガルチームの4得点は、全てクリロナの得点でした。直線的で強く速いドリブルから、直線的で強く速いシュートを放つという、彼の持ち味が存分に発揮されたのです。彼にしか出来ないプレーでした。
 また、スウェーデンの2得点も全てイブラヒモビッチの得点でした。前評判どおりの、クリロナとイブラの対決だったのです。まさに、世界最高の攻撃サッカーを魅せていただきました。

 現在、クリスティアーノ・ロナウド選手は、スペースを与えてドリブルを許したならば、世界最高の破壊力を持つストライカーでしょう。これはもう、無類の破壊力です。そのため、対戦するチームは「彼にスペースを与えない」ようにプレーすることが多く、クリロナもWCなどの大試合では、いまひとつの成績しか残せなかったのです。

 このプレーオフでは、自らも攻撃的なチームであるスウェーデンが、前掛かりになったところで、ボールを奪ったポルトガルのディフェンダーや中盤から1~2本の長い縦パスでクリロナにボールが渡っていました。
 「ポーン・ポーン・ダー・ドスン(パス・パス・ドリブル・シュート)」と綺麗なカウンター攻撃が決まっていたのです。こうなると、誰も彼を止めることは出来ません。

 イブラヒモビッチ、ベンゼマ、バロテッリ、カバーニといった「パワー系ストライカー」の頂点に君臨するクリスティアーノ・ロナウド選手の、ブラジルWC2014における大爆発に期待しています。
 11月24日東京競馬場芝左回り2400mコースで行われる、第33回ジャパンカップ競走G1の注目馬です。

 今年も、日本が世界に誇る競馬の祭典・ジャパンカップウィークとなりました。外国馬の参戦は3頭と、やや寂しいものですが、迎え撃つ日本馬は一線級が揃い、ジャパンカップに相応しい陣容です。

 軸馬は、やはり過去の実績から見て、ジェンティルドンナかゴールドシップということになります。
 昨年の勝ち馬ジェンティルドンナは、前走のG1天皇賞(秋)ではゴール前失速、ジャスタウェイから4馬身差の2着でした。ゴール前100mの粘り強い脚質が持ち味の同馬としては意外な競り負けでした。連戦の疲労残りが懸念されます。他方、それでも2着を確保したことは評価できます。

 一方のゴールドシップは、G2京都大賞典で5着に敗れました。上がりの競馬となり、速い脚を持たない同馬にとっては、不向きな展開だったのでしょう。この馬には、緩みの無い展開からの追い比べか、重・不良馬場が必要ということになります。

 過去のジャパンカップが道中緩みの無いペースとなっていることと、前走のジェンティルドンナの失速がどうしても気になること、および、完調で無い馬がジャパンカップ2連覇を成し遂げることは難しいのではないか、という観点から、ゴールドカップを上位とします。

 エイシンフラッシュの取捨は難しいところです。6歳となってからG1・G2を4戦して3着を外していないという安定感は評価できます。但し、この馬も勝つためにはゴール前で他の馬が失速するという展開が必要になります。

 アンコイルド、アドマイアラクティ、デニムアンドルビー、ルルーシュは面白いとは思いますが、さすがに前走で1着を取れていないので、ジャパンカップでの勝ち負けのレースは荷が重いでしょう。

 以上から、

 注目馬の第一は、7枠13番のゴールドシップ。
 注目馬の第二は、2枠4番のエイシンフラッシュ。
 注目馬の第三は、4枠7番のジェンティルドンナ。

 とします。人気上位馬ばかりになってしまった感がありますが、ジャパンカップとは実力馬しか勝てないレースだとも思います。
 NFL2013、アメリカンフットボール・カンファレンスAFC西地区の首位争い、デンバー・ブロンコスとカンザスシティ・チーフスの試合は、11月17日、プロンコスのホーム・スポーツオーソリティフィールドで行われ、プロンコスが27-17でチーフスを下しました。

 このゲームは、2つの点から注目されていました。

 ひとつ目は、ここまで9勝0敗・全勝のチーフスと8勝1敗のプロンコスという、AFC西地区のみならず、NFL全体で唯一の全勝チームと、それに続く1敗のチームの激突であったこと。

 ふたつ目は、NFL最小失点(9試合平均12.3失点)のチーフスディフェンスDF陣とNFL最高得点(同41.2得点)のブロンコスオフェンスOF陣の対決という点です。

 試合は、終始ブロンコスがリードする展開でした。

 ブロンコスは、クオーターバックQBペイトン・マニングを守るOF陣の出来が良く、マニングにはパスを投げるために十分な時間が用意されました。こうなると、当代随一と呼ばれる「ペイトン・マニングのパス攻撃」を阻止することは、容易なことではありません。

 チーフスDFのラインバッカーLBやコーナーバックCBは良く守りましたが、さすがに10cm単位で投じられるマニングのパスを全てカットするには至らず、要所要所でブロンコスのパス攻撃が決まりました。
 チーフスOF陣は、QBアレックス・スミスを中心に良く攻めました。17得点は、このチームとしては決して少ない得点ではありません。
 この試合は、ブロンコスOFがチーフスDFに勝ったということでしょう。

 これで両チームは共に9勝1敗となりました。

 チーフスとプロンコスは同地区ですから、1レギュラーシーズンに2度の対戦があります。この試合は「1回戦」でした。
 そして、間を空けず2回戦が12月2日に、今度はチーフスのホーム・アローヘッドスタジアムで行われます。

 おそらくチーフスDF陣は、1回戦では、QBマニングにパスを投げさせてインターセプトを狙う作戦を取ったのでしょう。
 今シーズン、ここまでのDF力なら十分可能だと判断したのだと思います。しかし、しっかりしたポケットを造らせると、マニングは自在に投げることが解りましたので、2回戦では「ポケットを崩す」DF、サックを狙うDFを展開してくると思います。
 ホーム・アローヘッドスタジアムでも、ペイトン・マニングに好きなようにプレーされては、チーフスDFの面目が立ちませんので、ギャンブル的な守りも含めて、より積極的なDFプレーが観られると思います。

 一方のブロンコスは、1回戦を快勝しました。おそらく、ゲームプラン通りの展開であったと思います。前週のチャージャーズ戦から、大量点を取りにいくのではなく比較的堅実な攻撃を旨とするプランに変えてきていたと感じますから、30得点20失点を計算していたのでしょう。
 ブロンコスにとっては、当面のライバルであるチーフスとの2回戦に注力したいところですが、次週11月25日にはニューイングランド・ペイトリオッツ戦が控えています。
 ペイトリオッツのQBトム・ブレイディとペイトン・マニングは、現在のNFL・NO.1QBを争う、大袈裟に言えば「宿命のライバル」です。

 NFL最優秀選手4度を誇るペイトン・マニングですが、プレーオフではトム・ブレイディに再三痛い目にあっています。ブレイディの方はスーパーボール制覇3度という、現役最多記録を誇っています。勝負強さと安定感では、マニングを上回っているでしょう。

 ペイトン・マニングは、チーフスとの2回戦の前週にトム・ブレイディと戦わなくてはならないわけで、デンバー・プロンコスにとっては今レギュラーシーズン最大の山場の3ゲームを迎えているのです。

 逆に言えば、その山場の緒戦を制したことは、とても大きな意味があります。

 11月25日のペイトリオッツ対プロンコス、12月2日のチーフス対ブロンコス。見逃せないゲームが続きます。

 ザックジャパンは「蘇る金狼」ならぬ「蘇る八咫烏(やたがらす)」です。ちなみに八咫烏(やたがらす)は、古代の日本神話に登場する三本足のカラスで、1931年からサッカー男子日本代表チームのシンボルマークとなっています。

 11月19日に行われたベルギーとの国際親善試合で3-2と勝利しました。ベルギー代表チームのホームで、世界ランク5位のチームを撃破したことは、世界中に日本代表チームの復活・躍進をアピールしたことでしょう。

 やはり、11月16日のオランダ戦における大迫選手と本田選手のゴールが効きました。この2ゴールで、ザックジャパンの各プレーヤーは「手応えを感じ、自信を取り戻した」のでしょう。

 ベルギー戦は、開始直後から互角の戦いでした。史上最強の代表と言われ、世界ランク5位に居るチームと、互角にスタートできたことひとつを観ても、日本代表チーム精神面の充実振りが分かります。

 日本チームの1失点目は、このところお決まり?になっている粗末なプレーでした。ゴールキーパー川島選手の飛び出しも、相手プレーヤー・ルカク選手のスピードを見誤ったものでしたが、もっと残念だったのが酒井高徳選手です。ディフェンダーが自陣ゴール前でボールおよび相手プレーヤーの動きを観ていないのは致命的でした。

 しかし、この後の試合展開を観ると、この失点は相手を油断させるためのもの?であったかのようでした。もちろん、そんなことは無いのですが、この不覚の失点をしても、ザックジャパンの動きは悪くなることは無く、引き続き互角の戦いを継続しました。

 そして、次第にザックジャパンのスピードがベルギーを上回り始め、得点が次々と生まれました。柿谷選手の1点目、本田選手の2点目、岡崎選手の3点目は、それぞれ素晴らしいゴールでした。
 特に、1点目を珍しくヘッドで叩き込み、3点目に繋がる絶妙のパスを繰り出した柿谷選手は、オランダ戦での汚名?を雪ぐに十分な活躍であったと思います。

 オランダ戦、ベルギー戦、この2ゲームは、観ていてとても楽しいゲームでした。そして、ザックジャパンが目指す攻撃が出来ていたゲームでした。
 ザックジャパンが年内最後の国際試合で、こうしたパフォーマンスを発揮できたことは、ブラジルワールドカップに向けての大収穫でしょう。これに堅守が加わったら、世界の有力チームと戦えるのではないか、と考えてしまいます。

 来年の本大会が、本当に楽しみです。

 横浜国際女子マラソン大会2013は、11月17日山下公園前をスタートする42.195kmコースで行われました。

 ロシアのマヨロワ選手が2時間25分55秒のタイムで優勝、日本の野尻あずさ選手が2時間28分47秒で2位、ポルトガルのアウグスト選手が2時間29分11秒で3位でした。

 このレースを観ていて、日本女子マラソン陣のレベル低下は事実なのかもしれないと感じました。
 日本女子トップの野尻選手が28分代後半、日本女子2番手の那須川瑞穂選手が30分台の走破タイムというのは、いかにも遅いからです。

 現在の女子マラソン日本最高記録は、野口みずき選手が2005年9月のベルリンマラソンでマークした2時間19分12秒です。
 もちろん、気象条件やレース展開などいくつかの要因がありますから、マラソンの記録は単純比較できないものであるとはいえ、8年前の野口みずき選手の記録に遠く及ばない記録が、日本女子トップの記録というのは、とても残念です。

 横浜国際女子マラソン2013のスタート時点の気温は16℃でした。マラソンにとって理想とされる15℃に近い気温です。風が強かったとか、日差しが気になったとか、あるいはオリンピックの翌年であること等々いくつか要因はあるのでしょうが、それにしても遅い。
 少なくとも2時間23分前後のタイムで争われるべきレースでしょう。

 歴代の日本女子マラソン上位記録を観てみます。日付は当該のレース時期です。
① 2時間19分12秒 野口みずき 2005年9月
② 2時間19分41秒 渋井陽子 2004年9月
③ 2時間19分46秒 高橋尚子 2001年9月
④ 2時間21分45秒 千葉真子 2003年1月
⑤ 2時間21分51秒 坂本直子 2003年1月
⑥ 2時間22分12秒 山口衛里 1999年11月
(歴代50位は有森裕子選手の2時間26分36秒)

 これを見て、すぐに分かることは、これらの記録は全て2005年以前に記録されているということです。2006年以降8年間に渡って、2時間22分を切る記録は出ていません。歴代6位の山口衛里選手の記録は1999年に出ていますから、日本女子マラソン陣は「20世紀のレベルに逆戻りしている」ように見えます。

 この2006年以降の不振は、とても不思議なことのように思います。
 女子の駅伝競技は年々盛んになり、企業対抗、都道府県対抗といったレースが相当数開催されると共に、「中学生区間」といった若手登用の機会も増えています。多くの女子長距離ランナーにとっての活躍の場は、増えることはあっても減ることはないように見えます。
 しかしながら、世界のトップクラスを目指せるランナーは減少の一途を辿っているように観えます。現在は、ほとんど存在しないのかもしれません。

 加えて、とても気になるのは「若手」「マラソン経験が少ない」強豪ランナーの不在です。

 ご存知のように、有森裕子、高橋尚子、野口みずきといった、日本女子マラソンを代表する名ランナーは、マラソンデビュー直後から世界のトップクラスと互角のレースを演じています。

 有森選手は1990年1月に24歳で初マラソン。この初レースで2時間32分51秒の当時の初マラソン日本最高記録を出し、1992年8月のバルセロナ・オリンピックで銀メダルを取ったレースが、自身4レース目でした。

 高橋選手は1997年1月に25歳で初マラソン。2レース目の名古屋国際で当時の日本最高記録をマークし、3レース目の1998年12月バンコク・アジア大会で2時間21分47秒という驚異的な日本最高記録(当時の世界歴代5位)の記録で優勝しています。
 シドニー・オリンピック金メダルのレースが自身6レース目でした。

 野口選手は、2002年3月に24歳で初マラソン。自身3レース目のパリ世界選手権で2時間24分14秒の記録で2位、4レース目の2004年8月のアテネ・オリンピックで金メダルを獲得しています。

 3人のランナーは24~25歳で初マラソンを走り、いずれもデビュー2レース目で「世界で戦える力」を示しています。世界大会で活躍したのは26歳~27際の頃でした。
 端的に言って「女子マラソン競技で日本人ランナーが世界のトップを争うためには、多くのレース経験は不要」であることが分かります。ひょっとすると、沢山のレースを走ると、世界では戦えないのかもしれません。

 有森・高橋・野口の3人は天才ランナーであり特別な存在、といった見方もあるかもしれませんが、「15年間に3人の天才ランナーを生んだ日本」に、どうしてその後、天才が生まれないのでしょうか。

 百も承知の日本陸連強化担当の皆様には恐縮ですが、都道府県女子駅伝大会の何人もの中学生ランナーの素晴らしい走りを毎年眼にするにつけても、その後の強化策や15歳から20歳前後時期の国内レース体系の問題点を、キッチリと検証してみる必要があるのではないかと思います。

 1998年12月のバンコク・アジア大会女子マラソンで、気温30℃を超える高温多湿の気象条件下、高橋尚子選手が2時間21分台を叩き出し独走で圧勝したレースを観て、有森裕子選手は「引退を決意した。21分台は別次元のタイム」とコメントしたと伝えられました。

 今年の横浜国際レースなら、今から20年以上前の有森選手でも十分に日本人トップを狙うことが出来ます。この事実は、有森選手の凄さを改めて示すと共に、日本女子マラソン界の深刻な現状を感じさせるものです。
 読売ジャイアンツの村田修一選手といえば「強打」のイメージです。

 日本人プレーヤーとしては珍しい「筋肉量が多い」タイプのプレーヤーです。身長177㎝・体重92㎏という数値を見ても分かります。
構えは、横浜DeNAのアレックス・ラミレス選手やMLBのマニー・ラミレス選手に似ていて、どっしりとしています。
 こうした打撃フォームを取ることが出来るのは、日本人プレーヤーには珍しいと思います。

 2013年シーズンの7・8月の打撃面での活躍は素晴らしいものがあり、7月は月間打率4割超え、8月は月間46安打というセントラルリーグ新記録を樹立し、2か月連続で月間MVPを獲得しました。

 その村田選手ですが、今季最も印象に残ったのは「守備の上手さと安定感」でした。普通の打球の処理は、大変安定していました。また、3塁ライン際や三遊間寄りの難しい打球に対しても、大変うまく対応し、強い肩でアウトを積み重ねていました。クライマックスシリーズや日本シリーズでは、特に目立っていました。

 「村田って、こんなに守備が上手かったっけ」と友人からも聞かれましたが、横浜時代には2塁手と3塁手を行ったり来たりしていた印象もあり、正直に言って、これ程とは思っていませんでした。

 あのがっしりした体格で、器用にボールを捌きます。キャッチングが上手いのです。そして、軽々と一塁ベースに届く送球を見せるのです。プロを感じさせるプレーで、観ていてとても楽しいものでした。

 村田選手は、今2013年の三井ゴールデングラブ賞も受賞しました。何回目の受賞なのかと思い調べてみました。初受賞でした。
 村田修一→好守と結びつかなかったのも道理で、初めての受賞だったのです。

 そうなると「村田選手は、守備が上達した」ことになります。少し不思議なことです。
 守備力は相当部分天性のセンスによるものだと思っていましたので、1980年12月生まれ、32歳のベテランプレーヤーの守備力が上達したというのは、中々納得できないことなのです。
 何を掴んだのか、村田選手にその秘訣を伺ってみたいものです。

 折り紙つきの打撃は、全体として元気が無かった日本シリーズの巨人打線の中でひとり気を吐いていた感じでした。これに素晴らしい3塁守備がプラスされたのですから、鬼に金棒でしょう。

 読売ジャイアンツのサードは村田修一選手の時代が続きそうです。
 スクリーンヒーローは、2008年11月9日のアルゼンチン共和国杯G2で重賞初勝利を挙げ、11月30日のジャパンカップG1に快勝しました。4歳の11月に重賞を2勝したのですが、スクリーンヒーローの重賞勝ちは、この2レースのみでした。

 2歳時2006年11月のデビューですから遅い方でしょう。続く未勝利戦もものに出来ず、初勝利は2007年1月の未勝利戦でした。
 グラスワンダー産駒ですから、中長距離で十分に戦えると観た陣営は、当然のようにクラシック路線を目指します。2歳重賞に全く無縁であったスクリーンヒーローですから、皐月賞・日本ダービーの出走権を手に入れるためには、急がなければなりません。

 2007年2月の3歳500万下レースに勝って、フジテレビ賞スプリングステークスに挑戦します。このレースでは勝ったフライングアップの5着と健闘しましたが、春のクラシックレースには間に合いませんでした。

 秋の菊花賞を目指して、9月のセントライト記念に挑み大健闘の3着。菊花賞の優先出走権を手にしましたが、レース後に剥離骨折が見つかり断念。結局、クラシックレースには縁がありませんでした。

 明けて4歳・2008年は、長期休養明けの8月始動。私は、この長期療養がスクリーンヒーローにとってとても良かった、この長期療養によって本格化したと観ています。「馬が変わった」のです。
 緒戦・支笏湖特別の馬体重は484kgと前走比+18kg。さすがに太め残りかという体重ですが、後から見ると480~490㎏が彼の適正体重でした。つまり、この長期療養中に「20㎏の筋肉」が付いたのでしょう。

 支笏湖特別に勝って3勝目を挙げると、続く札幌日経オープン、オクトーバーステークスを連続2着と、準オープンクラスなら十分に戦える力を見せました。

 そして頭書の2008年11月を迎えるのです。

 11月9日のアルゼンチン共和国杯G2には、アルナスライン、ジャガーメイル、キングアーサー、ネヴァブションなどの有力馬が顔をそろえました。しかし、重賞未勝利で3勝馬にもかかわらず、スクリーンヒーローは3番人気に支持されています。ファンの見る眼の確かさを感じます。

 レースは、好位を進んだスクリーンヒーローが直線で抜け出し、ジャガーメイル、アルナスラインの両人気馬の追い上げを1と1/2馬身凌ぎ切り優勝しました。ついに、重賞勝ち馬となったのです。

 そして、スクリーンヒーローは中2週でジャパンカップに挑みます。重賞勝ち馬となったとはいえG1レース初挑戦。
ウオッカ、マツリダゴッホ、メイショウサムソン、ディープスカイ、アサクサキングスらの日本タービー、有馬記念といった大レース勝ち馬達を相手にしては、さすがに荷が重いという感じで、9番人気でした。順当な人気でしょう。

 レースはネヴァブションが逃げてコスモバルクが2番手、ウオッカとマツリダゴッホが好位キープ、スクリーンヒーローは中団前目でじっと待ちます。
 さて4コーナーを回って直線、スクリーンヒーローはウオッカ、マツリダを交わし、メイショウを振り切って先頭に立ちます。ディープスカイの追い込みを1/2馬身凌いだところがゴールでした。
 「長く良い脚が使える」スクリーンヒーローの持ち味が活きた、生涯最高のレースでした。486㎏と小さくは無い体ですが、直線を疾駆するスクリーンヒーローは馬体重以上に大きく観えたことが印象に残っています。

 この勝利の後、スクリーンヒーローは有馬記念、天皇賞(春)(秋)、宝塚記念などの6戦に挑み、健闘しましたが勝ち鞍を上げることが出来ず、1年後2009年のジャパンカップ13着を持って競走馬を引退しました。

 スクリーンヒーロー号、父グラスワンダー、母ランニングヒロイン、母の父サンデーサイレンス、通算成績23戦5勝。父から雄大な体を、母から素敵な名前を頂いています。

 ダイワスカーレットとウオッカの牝馬2強や、ディープスカイ・ドリームジャーニーといった強豪牡馬が闊歩する時代に、一陣の風のように駈け抜けたサラブレッドでした。

 2008年11月の主役はスクリーンヒーローであったと思います。そんなに昔のことではないのに、とても懐かしく想い出されます。
 サッカー国際親善試合・日本対オランダの試合は、ベルギー・ゲンクのスタジアムで11月16日に行われ、2-2で引き分けました。

 前半の日本チームの動きは、とても悪いものでした。自ゴール前に、自ら頭でボールを落とし、相手にゴールされた1点目は最悪で、このところの日本チームの不調を端的に表していました。
 そして、オランダのエース・ロッベン選手に得意の形で2点目を取られた時には、何点取られて負けるのかという印象でした。
 体格的に劣るチームが、スピードでも負けているという、手の打ちようがない状態に見えました。重篤な症状でした。

 この病に、最高の良薬となったのが大迫選手のゴールでした。高い位置でボールを奪い、相手ゴール前にドリブルで迫った長谷部選手のプレーは迫力十分。その長谷部選手からのパスを、相手ディフェンダー2人に挟まれながら、ダイレクトでゴール左隅に打ち込んだ、大迫選手のシュートは見事でした。
 ここぞというシュートを決めたことは、大迫選手の大いなる可能性を示すものだと思います。

 この1点で、日本チームは重い病から急回復したのです。

 後半開始時、ザッケローニ監督は遠藤選手と香川選手を投入しました。病から回復した日本チームは、チーム全体のスピードが上がり、次々とオランダゴールに迫ります。
 遠藤選手の精度の高いパスが急所急所に決まり、香川選手のドリブルとボールキープがチャンスの源となります。そして、本田選手と香川選手のコンビネーションも最高の出来でした。観ていて、とても楽しい時間でした。

 後半14分の本田選手のゴールは「ザックジャパンが目指しているゴール」そのものであったと思います。相手ゴール前で、短いパスが4~5本連続して通り、本田選手のダイレクトシュートがゴール右隅に決まりました。本当に美しい得点でした。
 高いレベルのチームを相手にした時には、「球離れの速さ」が必要です。大迫・本田の両選手のゴールがダイレクトシュートであったことは、偶然ではないでしょう。

 その後も日本チームは優勢にゲームを進めましたが、3点目を奪うには至らず、残念ながら2-2の引き分けでした。
 香川選手がドリブルで持ち込み、本田選手が右に開いて相手ディフェンダーを引き付け、香川選手から柿谷選手にパスが通った大チャンスを、柿谷選手が外したのは、最大の逸機でした。これは決めなければならないシュートでした。

 7月以降、チームとして機能していなかったザックジャパンを蘇らせたのは、大迫選手のゴールであったと思います。「シュートを決められるか決められないか」ということは、単に1点取れるか取れないかという違い以上の、大きな差があるのでしょう。

 ザックジャパンとしては、次のベルギー戦で「全快」と行きたいものです。可能性は十分あると思います。
 大相撲11月場所の7日目、東前頭2枚目の旭天鵬は東前頭3枚目の高安を下手投げで下し、今場所2勝目、通算860勝目を上げました。

 通算860勝は、元関脇寺尾・現錣山親方と並んで歴代6位タイです。

 1974年9月生まれの旭天鵬は39歳になりました。幕の内最高齢力士です。
 しかし、その相撲振りは年齢を感じさせないものです。今日の取組でも、高安十分の形から、少しずつ自分が相撲を取れる形にして行き、最後は高安の下手を切って、投げるスペースを造った上で投げ切りました。見事な相撲でした。

 旭天鵬について、最も素晴らしいと感じることは、肌艶が良く綺麗な体をしていること、そしてサポーターやテープが体に巻かれていないことでしょう。
 肉体の美しさは、マワシひとつでお客様の前に登場する力士にとって、とても大切なことです。鍛え上げ、健康管理をキッチリと行っていることの証左が「綺麗な体」なのです。サポーターや包帯が無いことは、大きな故障が無いことを示しています。怪我をしにくい肉体を造り、日々の鍛練と注意を怠らない努力の賜物でしょう。
 稽古十分なのでしょうし、本当に相撲が好きなのではないでしょうか。

 こうした努力と研鑽を、初土俵以来130場所・20年以上に渡って継続している旭天鵬には、ただただ驚くばかりです。

 勝利者インタビューでは笑顔で「いっぱい、いっぱいです」と答えます。謙虚というのもピッタリ来ない程の自然体。達人の境地という雰囲気さえ漂います。

 860勝とした旭天鵬の次の目標は、大鵬の872勝です。大横綱大鵬の通算勝ち星記録を目指して、「達人」旭天鵬は土俵に上がり続けます。
 クレイトン・カーショー投手は、西海岸の名門ロサンゼルス・ドジャースのエースです。そして、2013年MLBレギュラーシーズンで防御率1.83という、MLBで唯一の防御率1点台の投手です。そして、今2013年シーズン、2011年に続いて2度目のサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)に輝きました。MLBを代表する投手ということす。

 そのカーショー投手が、1イニングを投げ切るのに48球を要したのです。

 今年10月18日のナショナルリーグ・チャンピオンシップNLCS第6戦、2勝3敗と追い込まれたドジャースの命運をかけたゲームに、カーショー投手は先発しました。

 2回までは、いつものように鋭いカーブとキレの良い150㎞台半ばのストレートでカーディナルス打線を押さえました。相手のマイケル・ワカ投手も良いピッチングを展開していましたから、このゲームも第2戦と同じく1点を争う息詰まるような投手戦になると思われました。

 しかし3回裏、最初の打者マット・カーペンター選手を迎えて、変調を来したのです。カーペンター選手はファウルで粘りました。
 そもそも、カーショー投手のボールは、当てることも容易ではない筈なのです。しかしカーペンター選手はファウルを打ち続けます。「ボールのキレが落ちている」と感じました。ベース上で球が失速するのです。

 カーペンター選手は11球目をライト前に運びました。ここから、カーショー投手には滅多に観られない投球が始まったのです。
 続く、カルロス・ベルトラン、ヤディア・モリーナ、シェーン・ロビンソンの各選手にヒットを浴び、4点を失いました。
 このイニングだけで打者10人と対し、48球を投げたのです。

 1イニング48球は、キャリアワースト記録とのこと。いつものカーショー投手なら3イニング、あるいは4イニングを投げ切れる球数です。

 テレビ解説の田口壮氏が「失点するのも珍しいのに」とコメントしていました。防御率1点台の投手とは、そういうものなのでしょう。
 そういう投手でも、こんな投球をすることがあるのです。疲れなのか、調子が落ちていたのか、どこか故障しているのか、原因は分かりませんが、ベースボールというのは不思議なものだと改めて思います。
 11月17日京都競馬場芝外回りコースで行われる、第30回マイルチャンピオンシップ競走G1の注目馬です。

 実力伯仲のレースです。G1勝ち馬、G2G3レースの常連馬、上り馬、入り乱れて18頭のフルゲート。展開ひとつでガラリと順位が変動しそうです。

 第一の注目馬は、2枠3番のレッドオーヴァル。混戦で斤量54㎏が活きるでしょう。先週のエリザベス女王杯で、今年の3歳牝馬のレベルが高いことは証明済み。桜花賞(1600m)の2着馬が、充実の秋に大輪を咲かせてくれそうです。

 第二の注目馬は、7枠13番のダノンシャーク。前走G3富士ステークスではゴール前良い脚を使いました。このところの好調を維持していると観ます。マイルの専門家として、勝ち負けの勝負をしてくれるでしょう。

 第三の注目馬は、8枠18番のリアルインパクト。3歳時にG1安田記念を制覇して以来、勝ち切れないレースが続いていましたが、前走の富士ステークスではこの馬らしい粘り強い脚で、2着を確保しました。ゴール前で多くの馬が一杯になるような展開となれば、この馬の地力が活きると思います。

 以上の3頭に期待します。

 大混戦ですが、最後は「マイルのスペシャリスト」の争いになるような気がします。
 ドイツ・ブンデスリーガ1部で、バイエルン・ミュンヘンチームがリーグ戦37戦無敗の新記録を達成したと報じられました。
 11月9日、バイエルンのホーム・アリアンツスタジアムで行われたアウグスブルグ戦を3-0で快勝しての新記録でした。

 バイエルン・ミュンヘンは、ドイツ・ブンデスリーガを代表するチームであり、世界中のクラブチームを見渡してみても、常に屈指の強豪チームで在り続けているチームです。本ブログにも、再三登場しています。

 そのバイエルンは、昨シーズンのブンデスリーガ1部を無敗で制しました。リーグ史上最速の優勝決定でした。これだけでも凄いことなのですが、おまけがありました。優勝決定後のいわゆる「消化試合」でも無敗を継続したのです。これは、中々出来ることではありません。

 そして今シーズンも、11月9日までの12ゲームを10勝2引分として、新記録となったわけです。「本当に強い」としか言いようがありません。

 常に、ブンデスリーガを代表するチームとして、ドイツそして世界を代表するプレーヤーが所属してきたバイエルン・ミュンヘンです。少し挙げてみましょう。

[1970年代] フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ゼップ・マイアー、パウル・ブライトナー、カール・ハインツ・ルンメニゲ、ウリ・へーネス、ハンス・ゲオルグ・シュバルツェンベック

[1980年代] ローター・マテウス、ディーター・へーネス、ライモント・アウマン、クラウス・アウゲンターラ、ユルゲン・コーラ、シュテファン・ロイター、アンドレアス・ブレーメ

[1990年代] クリスティアン・ツィーゲ、トーマス・ヘルマー、アレクサンダー・ツィックラー、ユルゲン・クリンスマン、アリ・ダエイ

[2000年代] オリバー・カーン、フィリップ・ラーム、バスティアン・シュバインシュタイガー、ミヒャエル・バラック、マルク・ファン・ボメル、ルーカス・ポドルスキ、ルシオ、ミロスラフ・クローゼ

[2010年代] マヌエル・マイアー、ジェローム・ボアテング、フランク・リベリ、アリアン・ロッベン、トマス・ミューラー、マリオ・ゴメス、マリオ・マンジュキッチ

 所属プレーヤーの名前を列挙するだけで、何と楽しいことでしょう。世界中のスタープレーヤーの名もありますが、何と言ってもその時代その時代のドイツ代表チームの骨格を成すプレーヤーが、バイエルン・ミュンヘンに所属してきたことが分かります。
 バイエルン・ミュンヘンは「ドイツサッカーそのもの」なのです。

 厳しい年俸制限があるブンデスリーガで、常にこれだけのスタープレーヤーを集め続けることは、凄いことだと思います。相当のビッグクラブでも、時期によっては上手く選手を集められないものですが、このチームは「常に」良い選手を集め続けているのです。

 加えて、今シーズンは新監督としてジョゼップ・グアルディオラを迎えました。2008年から2012年の間、スペイン・リーガエスパにョーラ・FCバルセロナの監督として、FCバルセロナの黄金時代を構築した名将です。

 2012年シーズンに国内リーグ戦(ブンデスリーガ)、国内カップ戦(DFBボカール)、UEFAチャンピオンズリーグの3冠を成し遂げたユップ・ハインケス監督の後を受けるのは、どんな名監督でも難しいものです。しかし、グアルディオラならば大丈夫という印象を与えるのが、凄いところでしょう。

 ハインケス監督の25戦無敗の実績を受けて、今季12戦無敗のシーズンを展開し37戦無敗を成し遂げました。サッカー競技においては、どんなに強いチームでも、過密なスケジュールや複数選手の故障等々により、思わぬ不覚を取ることがあります。
 また、これだけ勝っているチームが1敗したからといって、リーグ戦の成績に甚大な影響があるわけでもないでしょう。シーズン全体を見渡し、主力選手の体調を考慮すれば、「負けても仕方が無いゲーム」があるとしても、何の不思議もありません。

 しかし、おそらくグアルディオラ監督は、昨季に続いて今季も「無敗のシーズン達成」を目指しているのでしょう。

 バイエルン・ミュンヘンの「無敗クルーズ」がどこまで続くのか、まさに見物です。
 2014年ワールドカップWCブラジル大会の欧州予選プレーオフゲームが、11月15日と11月19日にホームアンドアゥエイ方式で行われます。

 10月21日に行われたプレーオフ組合せ抽選には、欧州予選リーグ9グループの2位チームの中の成績上位8チームが登場。FIFAランキング上位の4チーム(ポルトガル、ギリシャ、クロアチア、ウクライナ)とランキング下位の4チーム(フランス、スウェーデン、ルーマニア、アイスランド)が組み分けられて、抽選が行われました。
 当然ながら、とても大切な抽選です。

 結果は
・ ポルトガルvsスウェーデン
・ ウクライナvsフランス
・ ギリシャvsルーマニア
・ アイスランドvsクロアチア

 となりました。(左のチームが緒戦ホーム)

 当たり前のことながら、この抽選により対戦が決まった両チームのどちらかしかWC本大会に出場できないのです。
 どのチームもここで消えるには惜しいのですが、特にポルトガルとスウェーデン、ウクライナとフランスは4チームともWC本大会に出場して欲しいと感じます。そして、この4チームの内2チームが本大会に出られないという事実を見ると、WC欧州予選の厳しさを改めて感じます。

 クリスティアーノ・ロナウドを擁するポルトガルとズルタン・イブラヒモビッチを擁するスウェーデンの組合せは、特にマスコミに注目されています。両チーム、両選手とも世界屈指の攻撃力を保持しているからでしょう。
 私には、この両チームのどちらかのユニフォームが、ブラジルワールドカップのピッチ上で見られないということが、とても残念です。ポルトガルの渋い赤色とスウェーデンの明るい黄色は、ワールドカップの絵には無くてはならない色なのです。

 FIFAランキング14位のポルトガルと25位のスウェーデンの対戦ですから、総合力ではポルトガルが勝っているのでしょうが、従来のポルトガルチームの「ここ一番」での勝負弱さというか得点力不足を考慮すれば、互角の戦いでしょう。ポルトガルがホームの緒戦の先取点をどちらが取るかが、このカードの帰趨を決めるような気がします。

 ウクライナ(同20位)とフランス(同21位)の対戦も、大変厳しいものとなりそうです。このところ、国際大会の成績が振るわないフランスにとっては負けられないカードですが、最近のウクライナの安定感は侮れません。
 こちらは、両チームの守備力の勝負になりそうです。

 ギリシャとルーマニア、クロアチアとアイスランドは、戦力的に見てギリシャとクロアチアが優勢だと思います。ルーマニアとアイスランドは、ホームゲームにおいて2点差以上で勝つことが求められるでしょう。

 それにしても、ポルトガル・スウェーデン・ウクライナ・フランスの内2チームがWCブラジル大会に出られないのです。
 出場を決めている我らがザックジャパンは、本選で無様な試合は絶対に見せられないということです。
 元中日ドラゴンズの名投手であった権藤博(ごんどう ひろし)氏が、上原浩治投手について論評しています。11月5日の日本経済新聞電子版です。

 『お見事、上原シェフの3分クッキング』と題した論評は、名ピッチャーならではの視点が随所に発揮されている、興味深いものでした。

 まず、「上原が今、『制球力の日本投手』の頂点に立っている」と論じます。日本人投手は、黒田投手でもダルビッシュ投手でも制球力が高いが、上原投手はその最高峰であるとの指摘です。その通りだと思います。
 「遊び球もなく、1人の打者に3球で約1分。1イニング3人で3分。・・・上原浩治の打者の料理時間は極端にいえば、そんなところだろう」と3分クッキングと称したのです。

 第二には、「それにしてもあのテンポの良さ、投げっぷりは尋常ではない」「3分クッキングを可能にしているのは並外れた集中力だ。投球をシンプルにしたことで成功したと書いたが、シンプルにしようと思えば思うほど、集中力が必要だ。上原はあの3分間に、持てる精神力の全てをつぎ込んでいる。並みのピッチャーの10分、20分に相当する精神的スタミナをあの短時間で費やしている」と。

 この見解は素晴らしいと思います。超一流の投手でなければ感じることが出来ない領域のコメントでしょう。

 「登板後のインタビューで『疲れました』としか言わない・・・、あれは心底から出ている言葉だ。私にはわかる。・・・その疲れは肉体というより、張り詰め続けていた精神の疲れだった」と追いかけます。
 本当に疲れた様子で「疲れました」を繰り返す上原投手でしたが、謙遜ではなく本当に疲れていたのだと思いました。

 第三には、「私が思うに3球勝負は投手の王道であり、定石だ。昔で言う『ツーナッシング(今ではカウント0-2)は投手にとって一番有利なカウントであり、打者に聞けば100人中100人が『一番嫌なカウント』と答えるはずだ」と、上原投手の無駄球無しの投球を、当然かつ合理的なものと断じます。

 「日本では、追い込んでも1、2球はずして、打者の目をそらせておいてから勝負するのが定石、という思想が長く支配してきた。・・・ツーナッシングから打たれたら罰金というチームは結構あった」と続けます。

 カウント0-2から打たれたら罰金という考え方は、3球目のコントロールミスを懸念してのものでしょう。上原投手や権藤投手のように、コントロールが良い投手であれば、そうした懸念は少ないわけで、「球数を管理する向こうの方式からすると、それはむしろ理想の投球になるはずだ」ということです。

 権藤博氏の論評は、深い洞察力に裏打ちされたものでした。さすがに、本物は本物を知る、というところでしょう。

 権藤博投手、1938年佐賀県生まれ。佐賀県立鳥栖高校から社会人野球ブリジストンタイヤを経て中日ドラゴンズに入団、1961年のプロデビュー年からエースとして活躍。ペナントレース130試合の内69試合に登板(内先発44試合)し429イニング余りを投げ、35勝19敗という驚異的な成績を残します。新人賞と沢村賞の受賞は当然でしょう。
 何より凄いのは、1シーズン429イニング投球です。今2013年の田中将大投手が212イニングですから倍以上。その凄さがよく分かります。

 翌年も362イニング余を投げて30勝17敗、2年連続最多勝でした。まさに信じられないような活躍と言えます。
 しかし、こうした無理は当然に権藤投手の肉体を蝕みました。肩を痛めたのです。3年目は10勝、4年目は6勝と成績が下がり、投手としては5年間しか投げられませんでした。本当に惜しいことをしたものだと思います。

 権藤投手の運動能力は天才的で、野球に限らず、他のスポーツからも引く手数多だったと伝えられています。
 特に、日本人初のオリンピック金メダリスト織田幹雄氏が、ブリジストンタイヤ時代の権藤選手を観て、「何とかこいつを1964年東京オリンピックに(400mハードルの選手として)出せないものか。出れば金メダルは確実」と再三要請したと伝えられています。もの凄い話です。

 前述1961年、毎日のように投げる権藤投手の活躍を見て、その登板ローテーションについて「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」という流行語も生まれました。雨が降り試合が無い日以外は、いつも権藤が投げていたという、球団の投手起用を皮肉り、権藤投手の頑張りを讃えたものだと思います。

 その権藤博氏が、今季の上原投手の活躍を「お見事」と評したのです。上原浩治投手も、投手冥利に尽きるということでしょう。
 MLB2013における上原浩治投手の活躍は「ミラクルなもの」でしたので、各界から様々な論評・コメントが出されています。
 アトランタ・ブレーブス全盛時代の名投手だったジョン・スモルツ氏のコメントが、サンスポ電子板に報じられていましたので、紹介します。

 「・・・今年は、彼の投球を見るのが一番楽しかった」
 「速球の球速は89マイル(約143km)で、他には落ちる球しか投げないのに、なぜ打たれないのか。速い球が投げられるのに成績が悪い投手は、もっと上原の投球から学ぶべきだ」
 「投球フォームは上体が開かず、テークバックが小さい。打者はリリースポイントが非常に見にくいと思う。だから振り遅れてしまうんだ。落ちる球を警戒しないといけないからね。それを待っている打者には、速球は98マイル(約158km)くらいに見えているはずだよ」

 まずもって、あのスモルツ氏から「一番楽しかった」と評されていることが、素晴らしいと思います。スモルツといえばMLB史上に輝く「クレバーな剛腕投手」でしたから。

 そして、落ちる球(スプリッターあるいはフォーク)の種類が多いというのではなく、上原投手のフォームに注目しているところが、このコメントの特徴でしょう。「リリースポイントが見にくい」フォームを、上原投手は何時身につけたのでしょう。
 昔から、と言う人が居るとすると、ではMLBに来て4年間活躍できなかったのに、今年急にブレイクした理由が説明し難くなってしまいますので、昨季から今季にかけて、何らかのチェンジが行われたことは間違いが無いことでしょう。

 それにしても、現役時代のスモルツ投手は、素晴らしい投手でした。
 アメリカ・ミシガン州の出身。1988年にアトランタ・ブレーブスでメジャーデビューし、1990年代にはグレッグ・マダックス投手、トム・グラビン投手と共に「ブレーブス王朝」の三本柱として大活躍、1996年には35試合・253イニング強を投げて24勝8敗の好成績でサイ・ヤング賞に輝きました。
 150km台半ばのストレートと140km代半ばのスライダー・特に縦のスライダーで、打者を手玉に取りました。

 この「ブレーブス王朝」に新人で入団し、10年連続地区優勝を経験したのが、現在東北楽天の不動の4番アンドリュー・ジョーンズ選手です。
 また、グレッグ・マダックスのお兄さんが、テキサス・レンジャーズで投手コーチをしているマイク・マダックスです。ダルビッシュの投球練習シーンで、よく見かけます。

 「ブレーブス王朝」は、日本プロ野球とも関係が深いのです。
 女子アイスホッケー日本代表チーム「スマイルジャパン」の強化試合、ブリジストン・ブリザック・チャレンジが、11月7日~10日にかけて新横浜スケートセンターで開催されました。

 現在世界ランク10位のスマイルジャパンにとって、上位の4チームと計5チームで争う国際大会でした。
 「良い大会・ゲームが組まれた」というのが、大会開催を初めて聞いた時の印象でしたし、大会が進むにつれて、スマイルジャパンにとって極めて有意義な大会であったと改めて感じます。
ソチオリンピックを控えて、日本アイスホッケー連盟の良いマネジメント・施策であったと感じますし、簡単に組成できたとも思えませんので、大会担当者の皆さんのご努力に拍手を送りたいと思います。

 素晴らしい強化策であったと思う理由は、以下の通りです。

 まず、世界ランクの5位~10位のチーム5チームが集まっていることです。5位のスイス、7位のドイツ、8位のスロバキア、9位のチェコ、とスマイルジャパンにとって格上のチームが揃い、それも大きな実力差が無い直上位チームとの対戦であったことは、実力向上を図る上では一番有効でしょう。
 カナダやアメリカ、フィンランドといった世界ランク最上位のチームとの対戦で、自信を失うリスクも回避できます。

 加えて、短期間の間に4試合を行えるというのは、チームフォーメーションの見直しや新施策の展開には絶好であったと思います。

 続いて、スマイルジャパンの試合振りが素晴らしかったことです。
 緒戦のチェコ戦は点の取り合いとなり、日本は先行しましたが第3ピリオドに3失点して逆転負け。守備の重要性と、1対1の対応力が反省点となりました。

 第二試合のスロバキア戦は6対0で快勝しました。スロバキアと日本は、世界ランクも近く、常に僅差で争っているのですが、地元であることと緒戦の反省点に対応したゲーム運びが見事でした。特に、完封したことが何よりでした。
 そして、第三試合は世界ランク5位と今大会最上位の力を保有するスイス戦。これをスマイルジャパンは2対0で破りました。2得点とも、スイス守備陣の虚をついたものでしたし、1対1の守備も良く機能しての快勝でした。チェコ戦第3ピリオドの反省が、最も活きた一戦でした。

 最終戦のドイツとの試合は1対3で敗れました。ドイツの戦略勝ちという感じで、2ピリオドまでに3点を奪われ、そのまま押し切られました。日本チームのボールの出どころをチェックする戦法であったと思いますが、この大会が始まって、相手チームを研究しているのは日本チームだけではないことを感じさせるゲームでした。スイスを零封したチームを、ドイツも十分に研究していたのです。
 この試合は、スマイルジャパンにとってとても良い反省材料を残してくれたと思います。

 ブリジストン・ブリザック・チャレンジ大会のスマイルジャパンは、2勝2敗でした。世界ランク一桁のチームとも、十分に戦えるという手ごたえを感じると共に、少しでも後手を踏めば敗れてしまうことも、改めて確認できた大会でした。

 本ブログでは、早々にソチオリンピック出場を決めたスマイルジャパンを「相当強いチーム」と位置付けてきましたが、今大会を観て、一層その感を強くしました。本番に向けて、整斉と長所を伸ばし、短所を見直して行けば、メダル獲得も夢ではないと考えます。

 そして、最も大切なことは、オリンピックゲームが始まってからの1試合1試合の戦略立案と実行でしょう。ここで先手が取れれば、旋風を巻き起こすことも十分可能だと思います。
 ワールドシリーズWS第5戦でボストン・レッドソックスが勝ち、WS制覇に王手をかけた日・10月29日に、アメリカの全国紙USAトゥデイ誌の電子版および紙面で、「上原を好きにならなければいけない」という特集記事が組まれたと報じられました。

 この記事の概要は
 「レッドソックスには最も素晴らしく、愛すべきクローザが居る」
 「今季のチームの象徴である髭など、レッドソックスのあらゆることが憎くても、コージ・ウエハラは嫌いになれない」
 「レッドソックスのクローザを嫌うことは不可能だ。試してみると良い。上手く行かないから」
 「なぜかというと、彼は素晴らしい投手だから」
 「今季レギュラーシーズンでも、WHIP(1イニングあたりの安打+四球)0.565は、史上最も低い。9イニング換算12.2個の奪三振、1個の四球を出すまでに11.22個の三振を奪うなど、コントロールは抜群。防御率は1.09。これらは途方もない数字。彼はモンスターだ」
 「ピンチを切り抜けベンチに戻って来ると、視界に入ってきた一人一人と激しくハイファイブ(ハイタッチ)するウエハラの姿は、早くから注目されていた。もし、ウエハラとハイファイブしたくなくても気にしなくていい。いずれにしろハイファイブをする羽目になるから」

 等々の記載があったのだそうです。

 この記事から分かることは
① 上原投手は、全米ベースではあまり知られていなかったこと。しかし、2013年レギュラーシーズン、ポストシーズンのWS第5戦を終わったところで、ようやく全国紙記者が認識するところとなり、「途方もない選手で、愛すべき存在」だと特集記事を組まれるに至ったのでしょう。
 この情報面におけるアメリカの広大さの感覚は、いつも私達を戸惑わせるものです。

② レッドソックスは、ボストンでは大変人気のあるチームですが、どうやら全米ベースでは嫌われているチームらしいこと。確かに、レッドソックスのプレーヤーの多くは髭を生やしていて、各プレーヤーの髭の形だけをプリントしたTシャツが売られているなど、他のMLBのチームに比べて、とても特徴あるチームです。
 一方で、原則として髭を許さないニューヨーク・ヤンキースのファンから見ると、嫌な存在なのかもしれません。(レッドソックスで髭を生やしてプレーしていたジョニー・デイモン選手は、ヤンキース移籍後さっぱりと剃り上げていました)
それを「憎くても」と表現するところは、いかにもアメリカらしい感じです。

③ 上原投手の今季の投球内容は、MLB史上に残るものだということ。シーズン50イニング以上を投げた投手の中でWHIPが史上最良だというのは、もの凄いことです。

 アメリカでは数少ない全国紙で特集が組まれたという事実は、今季の上原投手の活躍がいかに素晴らしいものであったかを示しています。
 加えて「好きにならなくては」との呼びかけは、上原投手に「人気者になれる要素が備わっている」とUSAトゥデイ誌が認定したということでしょう。
 
 アメリカ合衆国は広いと改めて感じる事象ですし、その広いアメリカで「上原浩治が真にメジャーなプレーヤーになりつつあること」は、とても嬉しいことです。
 フィギュアスケートグランプリシリーズのNHK杯は東京・代々木競技場で開催されています。11月9日には男女シングルのフリーが行われました。

1. 男子
 高橋大輔選手がショートプログラムSP・フリーともに1位となり優勝、織田信成選手が2位となりました。
 高橋選手のSPは圧巻。4回転を含めてジャンプをほとんど完璧にクリアし、得意のステップの切れも良く、95点を超える世界歴代2位の高得点を叩き出しました。最近の高橋選手はSPの出来が良く、フリーはいまひとつという演技が続いていましたが、今大会はフリーも無難に熟しました。4分半を滑り切るための体力面の不安が払拭された形です。

 織田選手のフリー演技は見事でした。4回転、3回転+3回転を始めとするジャンプは完璧。プログラム全体も良く出来ていて、会場はとても盛り上がりました。久しぶりの笑顔も印象的でした。以前に比べて、競技を楽しんでいる雰囲気が出てきました。パパになって、精神面で一皮むけたのかもしれません。

 ベテランスケーター2人の復活劇でしたが、この結果、ソチオリンピック代表争いは混沌としてきました。昨季の成績から見て、羽生結弦選手・町田樹選手を中心とした若手主体で臨むオリンピックだと観ていましたが、本当に分からなくなりました。

 3つの代表枠を、高橋、小塚、織田、羽生、町田、無良といった地力十分な選手達で争うのですから大変です。日本のフィギュアスケート男子シングル種目の選手層の厚さは、史上最高ということでしょう。フィギュアスケート界にとっては素晴らしいことですが、選手にとっては極めて難しい状況です。
 この熾烈な争いの中から、真の日本代表が選出されることでしょう。そして、極めて厳しい競争を勝ち抜いた代表スケーター達は、本番でも実力を発揮してくれると思います。

2. 女子
 浅田真央選手が207点を超える高得点で圧勝しました。トリプルアクセルジャンプは、SP・フリーとも両足着床でしたが、演技全体のスピード・雰囲気、技の切れ味は、一頭抜けた感じです。
 スケートアメリカ大会でも優勝し、今季グランプリシリーズ2勝目ですが、大会毎に完成度が増しているのが頼もしいところです。
 今大会もトリプルアクセルに加えて、後半のトリプルサルコウも失敗していましたが、その中で自己最高得点を叩き出すのですから、完璧な演技が出来た時には何点になるのか、とても楽しみです。優勝後の「まだまだ上を目指すことが出来る」というコメントも自信に溢れたものだったと感じます。精神面の成長が大きいということでしょうか。

 これまでの試合内容を観ると、浅田選手はオリンピック代表に大きく近づいた感じがします。
 残りの枠は2つ。今大会不本意な演技内容であった鈴木明子選手も、地力から見て有力だと思います。そして3人目は、やはり安藤美姫選手かもしれません。別ルートで代表を目指している安藤選手ですが、世界チャンピオン経験者の実力は、大きな舞台に行くほど発揮されるようにも思います。

 浅田真央選手を軸とした日本女子シングル陣のソチ五輪における大活躍が、とても楽しみです。

 伝統的に高得点が出やすいNHK杯ですから、得点水準については鵜呑みにはできませんが、男女とも日本選手の充実ぶりは素晴らしいものでした。
 ソチでは、バンクーバーの時以上の成績を期待してよいと思います。

 1996年8月16日の巨人対ヤクルトのゲームで、巨人の先発・斎藤雅樹投手は延長12回・179球を投げ切り、自己通算150勝を達成しました。

 斎藤雅樹投手にとってメモリアルなゲームであったのですが、私はこの試合が「斎藤雅樹投手の選手寿命を著しく縮めた、あるいは終わらせた試合」であったと考えています。投げ過ぎにより、肩の限界を超え、「深刻な故障」を発症したと思うのです。

 この頃、斎藤雅樹投手は巨人軍の大エースでした。
 1989年・1990年の2年連続20勝は、日本プロ野球NPB史上最後の「2年連続20勝以上」の記録です。この試合の前年1995年にも18勝を上げていますし、何より完投が16試合もありましたから「ミスター完投」とも呼ばれていました。

 サイドスローから投げ込む、威力のあるストレート、カーブ、シンカーを主要な球種としていました。「ベース上で微妙に変化」するところが、斎藤投手の最大の強みだったと認識しています。130球前後の球数を、同じクオリティで投げ切ることが出来るのは凄いと思いました。

 力みのないフォームであり、ミスター完投と呼ばれる程に多くの球数を投げることを苦にしない投手と見られていたことが、このゲームの179球にも上る投球に結び付いて「しまった」のでしょうが、監督を始めとするベンチスタッフとしては絶対に回避すべき続投でした。

 もちろん本人は、150勝がかかったゲームでもあり、9回裏にヤクルトに追い付かれてしまったことに対する責任感もあるでしょうから、「投げます」と志願するでしょう。また、本人も「まだまだ投げられる」と感じてもいたのでしょう。
 
 しかし、延長に入ってからの投球は、斎藤投手としては珍しく疲労感と力みが目立ちましたし、ベース上でのボールの変化も少なくなっていましたので、「大丈夫なのか。交替すべきだ」と思ったことを憶えています。

 1996年シーズン、この試合後も斎藤雅樹投手は投げ続けました。そして、翌1997年シーズンの開幕直後に右腕故障を発症、この後5年間で21勝しか上げることが出来ずに、2001年に引退したのです。あの投球以降の斎藤投手のボールは、それ以前より球速は上がりましたが、ベース上での変化が少なくなったように観えました。別の投手になってしまったと感じたものです。

 通算180勝96敗、沢村賞3回、年間最多勝5回、最優秀選手賞5回、ベストナイン5回等々、素晴らしい実績を残した投手でしたが、私はあの179球が無ければ、200勝は言うに及ばず、もっと素晴らしい実績を残せたと思っています。

 頭書した「深刻な故障」とは、本人も気が付かず、いくら休養をとっても回復しない、という意味で深刻なのです。休養後、痛みなどの自覚症状は無いのに「以前と同じ球が投げられない」という、やっかいな代物なのだと思います。

 先日の日本シリーズ2013の第6戦、田中将大投手の160球を見た時に、この斎藤投手の179球を思い出しました。

 驚くべきことに、田中投手は翌日第7戦も投げています。第7戦の投球内容やボールの威力がシーズン中のものと掛け離れたものであったことは、誰の目にも明らかだったでしょう。この違いが、前日160球投げた疲労残りによる肩の張り等の要因によるものであり、他の要因によるものではないことを祈るばかりです。素人の杞憂であって欲しいと、心から願っています。

 責任感の強い投手が「投げたい」と申し出ても、投げ過ぎと判断されるのであれば、それを止めるのがベンチスタッフの仕事でしょう。これは根性論とは別次元の問題なのです。球界の宝であり、歴史に残る優秀なアスリートの選手寿命を縮める、あるいは終わらせる権利は誰にもありません。選手本人にも無いと思います。こうしたスーパースターは、多くの人達の夢と希望になっているのですから、既に「公器」であり、「自分が良ければ良いじゃないか」などという単純な存在では無いのでしょう。

 「先発投手の球数は100球目途」というルールが、選手本人や監督・チーム関係者の思いや誘惑、「勝つためには、こいつに投げさせなければならない」といった、選手寿命を無視した身勝手な思い込み、等々を押し留めるためにも存在しているとすれば、歴史に裏打ちされた重要な意味のあることだと思います。
 MLBワールドシリーズWS2013は、ボストン・レッドソックスがセントルイス・カーディナルスを4勝2敗で破り、6年ぶり8回目の世界一に輝きました。歴史と伝統を誇るチーム同士の対戦に相応しい、素晴らしいWSでした。

 このWSは、当然のことながらメジャーリーグ・ベースボールMLBを構成する2つのリーグ、アメリカンリーグALとナショナルリーグNLのチャンピオンチーム同士の対戦です。
 そもそもAL・NLのチャンピオンになること自体、大変なことなのですから、MLBプレーヤーにとってWS出場というのは「特別」です。

 ベースボールを志した者なら、誰しも一度はプレーしてみたいのがWSなのです。

 ボストン・レッドソックスBOSのジェイク・ピービー投手も、「憧れをついに実現した」プレーヤーのひとりです。
 ジェイク・ピービー、1981年アメリカ合衆国アラバマ州出身の32歳。2002年のメジャーデビュー以来、サンディエゴ・パドレスSDで7年余り、シカゴ・ホワイトソックスCWSで4年余り、主軸投手として大活躍してきました。メジャー12年目です。
 切れの良いスライダーと150km前後のストレートを主体に、チェンジアップとカーブを織り交ぜた投球だと思いますが、コントロール特に高めのコントロールが良いと感じます。「空振りが取れる投手」ですので、三振も多い投球スタイルになります。
 
 SD時代の2007年には、34試合223イニング余りを投げ、19勝6敗、240奪三振、防御率2.54という素晴らしいシーズンを過ごし、サイ・ヤング賞とNL最多勝・最多奪三振・最優秀防御率のタイトルに輝きました。
 他にも、オールスターゲーム4回出場、NL2005年の最多奪三振等々のタイトルを持つ、MLBを代表する投手のひとりです。

 このジェイク・ピービー投手も、しかし、WSには縁がありませんでした。
 CWSからBOSに移籍した今季、ついにWS出場のチャンスが巡って来たのです。
 10月26日のWS2013・第3戦の先発を任され、試合前のインタビューに臨んだピービーは「人生最大の登板になる」とコメントしました。
 メジャー12年目のベテランで、MLBの投手に与えられる最高の栄誉であるサイ・ヤング賞も受賞しているピッチャーが「人生最大」と表現したのです。「ワールドシリーズ出場の重み」がよく分かりました。

 セントルイス・カーディナルスSTLにも、この選手がまだ出ていなかったのかと思うプレーヤーが居ました。カルロス・ベルトラン選手です。
 カルロス・ベルトランは、1977年プエルトリコ生まれの36歳、MLBを代表する好手・強打の外野手(主に中堅手)です。

 「21世紀最高の5ツールプレーヤー」と称されるC.ベルトランは、ホームランも打てる勝負強いバッティングと強肩・好守、そして盗塁も積み重ねる快足(これらを総称して5ツールと言います)のプレーヤーです。
 1998年メジャーデビューから16シーズンの間に、カンザスシティ・ロイヤルズKC、ヒューストン・アストロズHOU、ニューヨーク・メッツNYM、サンフランシスコ・ジャイアンツSFとキャリアを重ね、2012年からセントルイス・カーディナルスの一員となって、今季ついにWS出場を果たしたのです。

 通算358本塁打、308盗塁、オールスターゲーム出場7回という、素晴らしい成績を残していますし、何より「ポストシーズンで最も強いプレーヤー」として知られていました。何しろ2012年シーズンまでのポストシーズンOPSが1.173(MLB歴代1位)という、あのベーブルースの記録をも凌ぐこの数値は、アメリカのマスコミが「ばかげている」と評するほどのプレーヤーだったのです。

 C.ベルトランのポストシーズンの強さは知れ渡っていましたから、当然WSにも出ていると思い込んでいたのですが、意外や意外、今回が初出場でした。これまで、ワイルドカードや地区シリーズ、リーグチャンピオンシップでは大活躍を続けていたのですが、WSには出場していなかったのです。これ程のプレーヤーでも、ワールドシリーズは遠かったということでしょう。

 NHK-BS放送・今季WSゲーム中継の解説者であった田口壮氏は、STL時代の2006年にWSシリーズに出場し、ワールドチャピオンに輝いています。「WS優勝決定時にフィールドに居た最初の日本人プレーヤー」の記録は、永遠のものです。

 優勝決定後のチームメンバー全員で撮った写真の中で、田口の向かって右隣には名監督トニー・ラルーサが立っています。そして、右手で田口の肩に手を掛けています。
 「記念撮影の時、遠くに居たラルーサが隣に来てくれた。とても嬉しかった。」とコメントしていました。この写真は、現在もブッシュスタジアムに掲示されています。

 どんなに素晴らしい個人成績を残し、長くMLBのレギュラーを張っていても、ワールドシリーズに出場するためには、チームが強くなければならない、つまり「巡り合わせと運」が必要なのでしょう。

 MLBが存続する限り、MLBプレーヤーにとって最も出場してみたいゲームは、ワールドシリーズなのです。
 2013年シーズンを終えたMLBは、各賞の選考時期に入っています。

 アメリカンリーグALのサイ・ヤング賞(最優秀投手投手賞)の候補者3名も11月5日に発表されました。マックス・シャーザー投手(デトロイト・タイガース)、ダルビッシュ有投手(テキサス・レンジャーズ)、岩隈久志投手(シアトル・マリナーズ)の3プレーヤーです。

 全米ベースボール記者協会が選出するMLBにおける最高権威賞の候補者3名の内2名を日本人プレーヤーが占めるというのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 3プレーヤーの成績を比較してみましょう。

・シャーザー投手 登板32試合214.1イニング 21勝3敗 240奪三振 防御率2.90
・ダルビッシュ投手 登板32試合209.2イニング 13勝9敗 277奪三振 防御率2.83
・岩隈投手 登板33試合219.2イニング 14勝6敗 185奪三振 防御率2.66

 シャーザーは21勝を挙げ、2位のバートロ・コロンの18勝に3勝差の圧倒的最多勝でした。ダルビッシュの277奪三振は、2位のシャーザー240個を抑え圧倒的な最多でした。岩隈の防御率2.66はAL全体の3位でした。

 こうして見ると、3プレーヤーの投球内容は本当に互角で、さすがに最終候補に残るだけのことはあると感じます。
 3投手とも、シーズンを通じてチームのエースとしてマウンドに登り続けたのです。

 全米記者協会もさすがです。勝ち星数で見れば、8位タイの岩隈投手と15位タイのダルビッシュを最終候補に選出したのです。「MLB先発投手に求められる成績は勝ち星数だけでは無い」ことを明確に示しました。この公平・公正な見方・評価こそ、世界最高のベースボールリーグであるMLBの大切な要素でしょう。

 私がサイ・ヤング賞を選ぶとすれば、岩隈久志投手です。シアトル・マリナーズという、戦力的にやや見劣りするチームで、防御率2.66という素晴らしい成績を残していますし、14勝も見事です。

 もちろん、ALサイ・ヤング賞の本命は21勝を挙げたシャーザー投手です。オールスター前の開幕13連勝は、日本の田中将大投手と並んで日米での共演でしたし、連勝が止まった後も負け試合が少なかったことは、デトロイトのポストシーズン進出の原動力でした。「チームに勢いを齎した」功績は、極めて大きいと思います。

 11月13日の全米記者協会会員の投票により、今シーズンの受賞者が決まります。岩隈投手かダルビッシュ投手が選出されれば、もちろん日本人投手として初めての受賞となります。野茂英雄投手でも獲得できなかった賞ですから、文字通りの快挙でしょう。投票結果が、とても楽しみです。

 サイ・ヤング賞の最終候補に残ったことは大変な名誉であり、ダルビッシュ有・岩隈久志両投手にとって、今季の活躍に対する最大のご褒美だったとも感じます。
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