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 G1レース(平場)に注目して、2013年の中央競馬を振り返ってみます。

[2013年G1レース勝ち馬](○/○は日付、後ろカッコは父)
・ 2/17 フェブラリーS グレープブランデー(マンハッタンカフェ)
・ 3/24 高松宮記念 ロードカナロア(キングカメハメハ)
・ 4/7 桜花賞 アユサン(ディープインパクト)
・ 4/14 皐月賞 ロゴタイプ(ローエングリン)
・ 4/28 天皇賞(春) フェノーメノ(ステイゴールド)
・ 5/5 NHKマイルC マイネルホウオウ(スズカフェニックス)
・ 5/12 ヴィクトリアマイル ヴィルシーナ(ディープインパクト)
・ 5/19 オークス メイショウマンボ(スズカマンボ)
・ 5/26 日本ダービー キズナ(ディープインパクト)
・ 6/2 安田記念 ロードカナロア(キングカメハメハ)
・ 6/23 宝塚記念 ゴールドシップ(ハーツクライ)
・ 9/29 スプリンターズS ロードカナロア(キングカメハメハ)
・ 10/13 秋華賞 メイショウマンボ(スズカマンボ)
・ 10/20 菊花賞 エピファネイア(シンボリクリスエス)
・ 10/27 天皇賞(秋) ジャスタウェイ(ハーツクライ)
・ 11/10 エリザベス女王杯 メイショウマンボ(スズカマンボ)
・ 11/17 マイルCS トーセンラー(ディープインパクト)
・ 11.24 ジャパンカップ ジェンティルドンナ(ディープインパクト)
・ 12/1 ジャパンカップダート ベルシャザール(キングカメハメハ)
・ 12/8 阪神JF レッドリヴェール(ステイゴールド)
・ 12/15 朝日杯FS アジアエクスプレス(ヘニーヒューズ)
・ 12/22 有馬記念 オルフェ―ヴル(ステイゴールド)

全部で22レース。多いと見るか、少ないと見るか、意見が分かれるところでしょうが、2013年も素晴らしいレースが多かったと感じます。

 特に印象に残っているレースは、菊花賞と天皇賞(秋)、そして有馬記念でしょうか。不良馬場の淀を圧勝したエピファネイアと最後の200mでぐんぐん差を広げ続けたジャスタウェイ、ワープしたかのようなコーナリングを魅せたオルフェーヴル、3頭の強さは際立っていました。

 勝ち馬で目に付くのは、G1レース3勝のロードカナロアとメイショウマンボでしょう。ロードカナロアは、これに香港スプリントの勝鞍が加わります。見事な1年でした。
 メイショウマンボは、桜花賞10着、ローズS4着と、2000m未満のレースでは、少し足りないところがあるようですが、オークスや秋華賞、エリザベス女王杯は圧勝でした。父スズカマンボは天皇賞(春)の勝ち馬。牝馬としては珍しいステイヤータイプなのかもしれません。2014年の天皇賞(春)やジャパンカップでの活躍が楽しみです。

 種牡馬で見ると、ディープインパクトが5勝、キングカメハメハが4勝、スズカマンボとステイゴールドが3勝、ハーツクライが2勝です。

 一時の勢いに陰りが見られるといわれるディープですが、G1レース5勝は見事です。アユサン、ヴィルシーナ、ジェンティルドンナと相変わらず牝馬に強いところを見せていますが、今年はキズナで日本ダービーを取り、トーセンラーでマイルチャンピオンシップも制しました。性別・距離に関係なく強い産駒を出しているところが素晴らしいと思います。

 キングカメハメハは、ロードカナロアの3勝が大きいのですが、ベルシャザールでジャパンカップダートと渋いところを取りました。数年前に種付けが殺到したキングカメハメハですので、これから数年は産駒から眼が離せません。

 スズカマンボは、メイショウマンボの3勝ですが、同じスズカ仲間・スズカフェニックス産駒マイネルホウオウがNHKマイルを制しました。スズカ勢?産駒としてはG1レース4勝となります。マンボ、フェニックスともにサンデーサイレンス産駒であり、現役時代はともにG1をひとつ(天皇賞(春)と高松宮記念)ずつ勝っています。
 スズカ勢?はサンデーの血の残し方が上手くいっている印象ですから、今後ともマンボの仔は2000m以上のレースで、フェニックスの仔は1600m以下のレースで、注目していきたいと思います。

 ステイゴールドとハーツクライは、「良い脚を長く使えるタイプの産駒を出す」という意味での、サンデーサイレンスの後継馬を競っている感じです。この両馬自体も、悪く言えば「勝ち味が遅い=ジリ脚」タイプでしたが、産駒にもその特徴が良く受け継がれています。粘り強く走り、頑丈で故障が少ないサラブレッドを、今後も出し続けてくれることでしょう。

 2013年の中央競馬はレース中の故障発生といった悲惨なレースが少なかったように感じます。調教師・厩務員、そして騎手の皆さんのご努力の賜物でしょう。2014年も、サラブレッド達が無事に走り切ってくれることを祈りたいと思います。

 2013年も大晦日となりました。
 今年1年、本ブログをご愛読・ご愛顧いただき、本当にありがとうございました。
 皆様の応援のおかげで、何とか続けることが出来ました。
 来年も様々な素晴らしいスポーツシーンに出会えることでしょう。また、ご一緒に楽しみましょう。

 それでは皆様、良いお年をお迎えください。
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 なかなか勝てない馬でしたが、いつも気になる存在でした。

 2012年天皇賞(秋)。もう10戦以上勝っていないし、最近は3着にも入らない(前走の毎日王冠9着)から、さすがに終わったかなと思っていると、ドーンと突っ込んできます。
 エイシンフラッシュが来た時はいつも「やられたー」という感じでした。

 通算26戦7勝、重賞勝ち鞍・G1日本ダービー、G1天皇賞(秋)、G2毎日王冠、G3京成杯。G1を2勝していますが、その2勝の間には勝てない12のレースがありました。
 6歳の毎日王冠の時も、前走まで追いかけ続け、あきらめたのが毎日王冠の時でした。とても悔しい思いばかりの馬でしたが、憎めない馬でもありました。

 黒に近い黒鹿毛の雄大な馬体と、しなやかな首の動き、そして美男。「サラブレッド」という言葉がピッタリでしょう。
 12月22日のオルフェーヴルの引退式に続いて、12月23日に開催された引退式で、エイシンフラッシュは本場馬から関係者のコメントの様子をじっと眺めていました。「何をしているんだろう」といったところでしょうか。

 そう言えば、頭書2012年10月28日の天皇賞(秋)、久しぶりの天覧レースに勝利した騎手ミルコ・デムーロは正面馬場で下馬し、ロイヤルボックスの天皇・皇后両陛下に最敬礼しました。
 その時、デムーロ騎手は、右手で手綱を持っていましたが、エイシンフラッシュは大人しく、ほとんど微動だにせずに、最敬礼が終わるのを待っていました。賢い馬だと思いました。

 日本ダービー馬に対して失礼なことを申し上げますが、私にとっては「恐怖の一発屋」であり、いつまでも走り続けると勘違い?していたエイシンフラッシュが引退するとなると、相当寂しい感じがします。

 オルフェーヴルとともに社台スタリオンステーションで種牡馬となるそうです。オルフェと仲良くやって欲しいものです。良い仔を待っています。
 「その2」では、まさに12月26日の最終回について見てみます。

 「チェンジアップ」が2013年を持って終稿となることは、事前に報じられていましたから、どんな内容になるのか楽しみにしていましたが、「豊田氏へのインタビュー形式」でした。

 興味深いコメントが続きましたが、私には「メジャーへの選手流出も心配だ。選手はより高いレベルでやりたいのと同時に、あの球場の雰囲気に吸い寄せられている。騒がず、選手の一投一打に集中するスタンド、土のにおいがする天然芝のグランド・・。・・・海を渡ったイチローが、子供のように跳ね回っているのもわかる気がする。一番の老舗である巨人がそうした本式の球場を持っていないところに、日本球界の貧しさがある。」という下りが、とても印象的でした。

 確かに、日本プロ野球NPBの球場とMLBのボールパークには、おおきな違いがあります。まず、NPBの球場の多くは「人工芝」ですが、MLBのボールパークの大半が「天然芝」です。「天然芝より人工芝のほうがメンテナンスコストが少なくて済む」ことが大きな理由でしょうが、加えて「野球が無い日に、他のイベントに貸し出す際にも、人工芝のほうが都合が良い」というのも大きな理由でしょう。例えば、コンサートに来場した多くのファンが踏みしめれば、天然芝は痛んでしまいます。人工芝なら何でも開催できます。

 NPBの球場を保有・運営している企業にとっては「稼働率の向上」が課題ですから、野球以外には使いにくく、使用した後のメンテナンスが大変な天然芝グランドを選択するのは、難しいということになります。

 日本の球場も、昭和の時代と比較すれば、相当に良くなりました。旧後楽園球場が巨人軍のホームスタジアムであったころ、NPBとMLBの球場の差は、とても大きかったと感じます。正直に言って「比較にならない差」がありました。
 その後、東京ドームや福岡ドーム、札幌ドーム、名古屋ドームなどが出来上がりました。「人工芝ですが立派な球場」が次々とオープンしたのです。

 一時期人工芝球場が増えたMLBが、「ベースボールは土と天然芝とお天道様の下でやるもの」との考え方から、次々と「天然芝の屋根無し球場」に立て替えられて行った時代に、NPBでは「人工芝の屋根付き球場」が次々とオープンしたのです。

 「雨が多い気候の日本と晴れが多いアメリカ」「寒い・暑いといった、どんな気象状況でもボールパークに足を運び、雨で試合が中断されても何時間でも再開を待つMLBファン」「延長戦が何回に及ぼうとも、深夜になろうともスタンドで応援し続けるMLBファン」といったファン気質というか、「文化の違い」もありますから、人工芝・天然芝のどちらが良いかについては、一概には言えないと思います。

 ただし、これだけは言えます。「プレーヤーは天然芝でプレーしたい」ということです。これは、MLBに挑戦した日本人プレーヤーのコメントからも良く分かります。セントルイス・カージナルスに所属していた田口壮選手が、何面もの天然芝グランドを保有するカージナルスの練習場から出てきて「この環境でプレーしたら、もう他には行けない」と言っていたことを思い出します。

 ゲームを行うボールパークの素晴らしさはもちろんとして、練習場のクオリティの高さ・景色の良さにも、深く感動していたのです。野球・ベースボールのプレーヤーなら、一度はMLBの球場・ボールパークでプレーしてみたいと考えるのは、至極当然のことだと豊田氏は指摘しています。

 札幌ドームのオープニングセレモニーに出席した長嶋茂雄氏が「日本にも、これだけ立派なボールパークが出来た」とコメントしていたのを思い出します。天然芝のサッカー場にも早変わりする札幌ドームは、日本の球場のひとつの究極形だと思います。とても立派なボールパークです。

 しかし、天然芝に対するプレーヤーの憧れは普遍的なものでしょうし、野球はお天道様の下でやるものだという概念も不変のものでしょう。何しろ、「野」球なのですから。
 日本の気候・文化・社会環境と、天然芝・屋外という野球の本質をどのように融合していくのかが、今後の課題ということでしょうか。

 私は、雨が多い、特に梅雨という季節が有る我が国においては、球場に屋根が有ることが望ましいと考えています。一生に一度、NPBを生で見に来たお客様に「雨天中止」を告げるのは、とても残念なことだからです。また、駐車場が狭く、自動車ではなく電車で球場に来ている観客のことを考慮すれば、「雨が降っていても、球場が使えるようになるまで何時間でも待たせる」というのは、無理があります。交通手段がアメリカとは違うのです。加えて、「アメリカのファンは、どんなに寒くとも屋外で応援し続ける体力・気力が有る」ことを時々眼にしますが、日本ではそうも行かないでしょう。

 これらの違いは、日本とアメリカの違いそのものです。ですから、単純にアメリカのように「天然芝・屋外球場」にすれば良いというものでもないと考えるのです。

 最も望ましい日本の球場の条件を並べます。
① 天然芝であること。野球以外の用途に使用するために、天然芝の上に板を張り詰めることが出来る構造(二重床のような)が必要でしょう。
② 屋根付きであること。ただし、好天の日は降り注ぐ太陽光を楽しめるように、開閉式が良いと思います。

 建設には相当高いコストがかかりそうですので、実現可能性には疑問も残りますが、豊田氏の言う「(選手が)あの球場の雰囲気に吸い寄せられている」のであれば、我が国にも世界トップレベルの野球・ベースボール選手に「プレーしてみたい」と感じさせるような、「この球場でプレーしたら、他には行けない」と思わせるような球場が必要なのでしょう。

 長い間に渡って、色々なことを考えさせてくれた「豊田泰光のチェンジアップ」が最終回を迎えたことは、とても残念です。「週一回のお楽しみ」でした。本当にありがとうございました。
 そして、日本球界は豊田氏が指摘してきた多くの問題点に対して、真摯に取組んでゆく必要が在ると思います。
 日本経済新聞スポーツ欄の名物コーナー「豊田泰光のチェンジアップ」が、2013年12月26日を持って最終回となりました。
 1998年から2013年まで15年間に渡る連載でした。毎号、本当に楽しく読ませていただきました。実際に「日本プロ野球」の場に身を置いた者、本物のプロフェショナルにしか描けないコラムでした。

 最終回に際して、最近感じたことを書きます。

 「その1」は、12月12日号についてです。

 川上哲治氏のお別れ会の記述から入り、熊本のお母さんの「哲、飯ば食わるるうちは絶対死なんばい」という教えが登場します。「食欲がある内は大丈夫、何も心配は要らないというわけだ。」と続きます。

 川上氏は入院中も食欲旺盛で、10月28日に亡くなる直前まですき焼きや鰻を平らげていたそうですが、「当時は食欲はあっても食うものがない時代でもあった」と。「『おまんまを食えるだけでも幸せだよ』といわれて育った。」と。

 「今はコメを食えるのは当たり前で、味がいいとか悪いとか注文をつけている。こんなおごった時代がくるなど、川上さんの世代は考えもしなかっただろう。」「1951年(昭和26年:筆者付記)、川上さんがオールスターの商品としてもらったのが自転車、ぶどう酒、ようかんだった。・・・オールスターの”前身”である『東西対抗戦』の商品は子ブタだった。」と続きます。

 これは、もはやスポーツコラムを超えています。文化・文明論あるいは風俗史の領域でしょう。豊田氏は、スポーツ、特にプロスポーツは時代を映す鏡である、時代と共に在る、ことを描いています。全くその通りだと思います。

 そして「250円で立派な弁当が食える。それはありがたいのだが卵1個、おにぎり1個に飢えていた私などはこの値段で食べていいのか、後ろめたくなる。」とコメントします。これは、ある意味不思議なコメントです。
 現在の250円が、昭和30年前後のいくらぐらいだったのか、正確に調べてみてはいませんが、少なくとも10分の1位ではあったでしょう。(もっとインフレが進んだようにも思いますが)
 つまり、昭和30年頃の25円で立派な弁当を食べることが出来たかどうか、ということになりますが、貨幣価値の比較というより、そもそも「立派な弁当に入れる食材が無かった・不足していた」ということを述べているようです。

 子ブタがプロ野球のオールスター戦の商品であった時代から50年以上の月日が経ち、我が国は豊かになりましたが、「豊かになる方向」が正しいものだったのか、という問題提起のようにも見えます。
 250円の弁当、ただ安ければ良いという訳ではなく、相応の価値があるもの、立派なものを提供するあたりは、さすがに日本人・日本社会の特性が現れていて素晴らしいところだと思いますが、豊田氏はそれでも「後ろめたくなる」のです。

 昭和30年代を知っている私も、豊田氏に指摘されてみると「確かに」と感じるものがあります。スポーツのプレーとは、直接関係が無いものでしたが、とても考えさせられる稿でした。

 豊田氏は「『飯ば食わるるうちは・・・』。ときどき思い返してみたい言葉だ。」と締めくくります。
 再び「確かに」と思います。
 2013年~2014年シーズンのラグビー大学選手権大会のベスト4チームが決まりました。
 準決勝は、1月2日に「早稲田vs筑波」「帝京vs慶応」の組合せで行われます。

 毎年のように実施方法が変更される大学選手権ですが、本年も見直しが行われました。セカンドステージのリーグ戦において細かな勝ち点制を導入し、各組1位同士に順位を付け、準決勝以降の組合せがなるべく抽選にならないような工夫が施されました。

 実際のところ、12月22日の各組最終戦を終え、セカンドステージが完了した段階で、各組1位チームの勝ち点は、帝京21、早稲田20、筑波18、慶応13となりましたので、勝ち点1位-4位、2位-3位と組合せが、抽選無しで決まりました。大会主催者の狙い通りということです。

 4チームずつ4組で行われたセカンドステージの概要を見てみます。

[A組 帝京、大東、関西学院、朝日]
 A組は帝京の圧勝でした。朝日から102点、関西学院から78点、大東から76点と大量得点を奪い大勝しています。A組2位は大東、3位は関西学院、4位は朝日でしたから、帝京の得点順です。ラグビーにおいても得点と失点は、実力を正確に表しているのかもしれません。

[B組 筑波、流通経済、同志社、日本]
 筑波が関東リーグ戦優勝の流通経済を36-11のスコアで下し、B組1位となりました。実力が拮抗したチームが揃った組かと思いましたが、結果的には筑波の3勝ですから、筑波の力が少し抜けていたことになります。

[C組 慶応、明治、立命、東海]
 C組は激戦でした。2試合を終えて、2勝の明治が有利に見えましたが、第3戦で立命に10-12で敗れてしまいました。明治としてはよもやの敗戦でしたが、第1戦27-26・第2戦20-19と1点差勝ち、第3戦が2点差負けですから、点差を広げていくだけの力が不足していたということでしょう。
 勝ち点差で、同じ2勝1敗の慶応が勝ち上がりました。C組は各試合がいずれも僅差でした。どこが勝ち上がってもおかしくない、拮抗した4チームでした。

[D組 早稲田、京都産業、中央、大阪体育]
 早稲田が順当に勝ち上がりました。3試合の得点は、46点、43点、57点とまずまずの攻撃力を示した形です。中央との直接対決を29-28の1点差で凌いだ京産大が2位となりました。

 A組の帝京とD組の早稲田は、順当な勝ち上がりでした。B組とC組は、どこが出てきてもおかしくない組合せでしたが、結果を見ると、地力に勝る筑波と慶応が勝ち上がった形です。
 また、6年振りに関東大学対抗戦グループの4校がベスト4を占めました。我が国の大学ラグビーを牽引してきた対抗戦グループが、再び力を増してきているのでしょうか。

 準決勝の早稲田-筑波のゲームは接戦が予想されます。試合巧者の早稲田が少しだけ有利な感じですが、早稲田は近年組織的なプレーに難がありますので、個々の突破が封じられ、劣勢に立つとずるずると負ける傾向があります。筑波にも、チャンス十分ということです。

 同じく、帝京-慶応のゲームは、これは帝京が相当有利です。圧倒的な攻撃力で前半からトライを重ねるようであれば、帝京の大勝でしょう。慶応としては、伝統の強い当たりで堅守を継続し「ロースコアゲーム」に持ち込み、後半30分過ぎまで1トライ1ゴール差以内のゲーム展開が出来た時にだけ、チャンスがあると思います。残り5分を切ってから、インターセプトなどのターンオーバーから独走逆転トライというのが、慶応にとっての勝機でしょう。

 予想として、2014年1月12日の決勝戦は帝京と早稲田の対戦になる可能性が高いと思います。現在、史上最多4連覇中の帝京の5連覇を、早稲田が止められるかというところです。
 冷静に見ると、力の差は大きいと思います。加えて、帝京も早稲田も得点方法が似ている、つまり「個の力で突破しトライする」形なので、同型のチーム同士であれば力が上のチームが勝つのは自然な流れです。

 早稲田には、20世紀の社会人相手の試合や2000年代前半の全盛期の関東学院との戦いで魅せたような、当該ゲームのみを対象とするスペシャルプレー・奇襲やトリックプレーを展開してもらいたいと思います。
 「フォワードから遠いところでボールを扱う」という早稲田大学の伝統を最大限発揮しない限り、帝京大学の5連覇を阻止することはできないでしょう。

 アメリカのナショナル・フットボール・リーグNFL2013~2014レギュラーシーズン第14週のマンディナイトゲーム/ダラス・カウボーイズ対シカゴ・ベアーズは、12月9日ベアーズのホーム・シカゴのソルジャーフィールドで行われました。

 共にプレーオフ進出に向けて落とせないゲームでしたが、このゲームにはもうひとつの特徴が有りました。シカゴに寒波が到来し、試合開始時点の気温が摂氏マイナス11度、試合が始まってからマイナス12度に下がりました。加えて、この日は風が強く約10mの風が吹き続けましたから、「体感温度氷点下22℃のゲーム」となったのです。

 もとより、秋から冬にかけて行われるNFLですから、内陸部北部のフィールドで行われるゲームは、氷点下のゲームとなることがあります。
 この時期のグリーンベイ・パッカーズやミネソタ・バイキングス、シカゴ・ベアーズのホームゲームでは、氷点下・屋外でのゲームになることが多いのです。

 それにしても、体感温度氷点下22℃というのは、滅多に見られない寒い寒いゲームです。南国ダラスのカウボーイズにとっては、試合開始時点のマイナス11℃はチーム史上最寒ゲーム・タイ記録であると放送されていました。1960年創設のチームの半世紀にわたる歴史の中で、最も寒い環境下のゲームだったのです。
 おそらく、アメリカンフットボール以外に、これだけ寒い屋外でゲームを行う球技は無いでしょう。

①まず驚かされるのは、大観衆の存在です。体感温度氷点下22℃の下、60,000人をゆうに超える観衆でソルジャーフィールドは満員でした。観客は皆、完璧な寒さ対策を講じて応援し続けています。
 氷点下22℃の下で4時間前後外気に晒されたら「健康面がとても心配」ですが、映し出される映像は、楽しそうな顔・顔・顔です。「これ位は当たり前だ」と言わんばかりのベアーズファン。日本では、考えにくいシーンでしょう。

②次に驚くのは、多くのプレーヤーが半袖なのです。特にディフェンスDFプレーヤーは半分以上が半袖です。「太い二の腕」が剥きだしになっています。多くのスポーツでは、気温10℃を切ってくると長袖を着用します。しかし、NFLの氷点下の試合では「半袖の大男達」が目立つのです。
 アメリカンフットボールは「痛さを我慢するスポーツ」「相手に決して弱みを見せないスポーツ」と言われますが、寒さも我慢しているのでしょうか。

③さらに驚かされるのは、故障者が少ないことです。あらゆるスポーツを通じて最も激しいコンタクトスポーツのひとつであるアメリカンフットボールですから、これだけ寒い中でプレーすると、怪我人続出となりそうですが、不思議と普段のゲームより怪我人が少ないように観えます。
 確かに、普段よりは激しい当たりも少ないように観えますが、それにしても故障者が少ないのは、不思議な感じがします。テーピング他のノウハウが蓄積されているのでしょうか。

④興味深い光景も数多く見られます。
・熱風が出る機械の前に大男達が集まります。焚き火のような感じです。半袖でも、やはり寒いのです。
・スポーツドリンクのボトルの飲み口が凍ってしまい、選手達は熱風機の前で溶かして飲んでいます。
・スクリメイジラインを挟んだ両チームのラインメンの口から、蒸気機関車のように白く長い息が吐き出されます。白い息だらけのスクリメイジライン上に、クオーターバックの「ハット、ハット、ハット」といった声が響き渡ります。
・そもそも、芝に元気がありません。寒さに強いはずの芝生ですが、さすがにこの寒さになると凍り付いているのでしょう。緑ではなく、黄色っぽく観えます。
・加えて、ダラス・カウボーイズのスカイブルーのユニフォームは、こうした環境には不向きです。とてもとても、寒そうに見えてしまいます。

 このゲームは45-28のスコアで、ベアーズが快勝しました。
 極寒のソルジャーフィールドで応援し続けたファンの思いが通じた感じです。

 NFLでは毎シーズン、こうしたゲームがいくつかあります。そして、とてもNFLらしいゲームだと感じてしまいます。
 氷点下の屋外ゲームは、NFLの象徴なのかもしれません。
 12月23日にかけて開催された、全日本選手権2013の結果を踏まえて、最終23日の競技終了後、恒例のオリンピック代表選手発表が行われました。

 男子シングルは羽生結弦、町田樹、高橋大輔の3選手、女子シングルは鈴木明子、浅田真央、村上佳菜子の3選手でした。

 この発表を聞いて、男子代表の3人目が焦点となったのだろうと、誰もが思ったことでしょう。
 全日本選手権2013・男子シングルの3位は小塚崇彦選手だったのですが、同5位の高橋選手が選出されたからです。

 もともと、全日本選手権の結果のみで選出するわけではなく、世界ランキングやグランプリシリーズの内容も加味するということでしたから、この選定は妥当なものなのだろうと思います。

 一方で、「不透明な感じ」がすることも事実でしょう。マラソンや他の競技でも見られることですが、スポーツの世界大会代表が密室で決まることへの不信感は、拭えないものです。

 選出する側は「オリンピックで好成績が期待できる選手を選出する」と、必ず言うのですが、選ばれなかった選手は出場していないので、どちらの選手が好成績を残せたかということは、常に分からないことなのです。「好成績が期待できる」という言葉には、あまり意味がありません。

 「①いくつかの要素・いくつかの大会の成績を加味して選出する」という方法と、「②ひとつの大会の成績で選出する」という方法は、何時の時代も優劣が付けにくいものなのです。

 アメリカの陸上競技他の選出方法のように、全米選手権というひとつの大会の上位3位までを代表とするという形は、とても分かりやすく、選手の納得性も高いものでしょう。その大会に向けての調整能力も反映されますし、本番での強さも醸成されます。

 一方で、実力十分な選手がたまたまの不調や故障のために、代表に選ばれないというのも残念な気がします。

 また、②の方法を選ぶことが出来る国は「選手層が厚く、世界トップレベルの選手が数多く居る国」であり、①の方法を選ぶ国は「世界トップクラスの選手が少数しか居ない国」であると言うことも出来そうです。

 例えば、代表枠が3人で、有力選手が5人居るような場合には、ひとつの大会の上位3人という選出方法が適しているのでしょう。本番に向けての精神面の強弱を測るには、②の方が優れていると思われます。

 そうすると、現在世界最高の選手層を誇る日本男子シングルの代表選出方法として、②を採用する時期が来ているのかもしれません。

 いずれにしても、高橋大輔選手はソチで自らの実力を必ず発揮しなければならないことになりました。少しでも緩んだ演技を見せれば「代表選出方法に問題があった」と言われかねないからです。高橋選手にとって大きな負担となるのでしょうが、高橋選手にはこのプレッシャーを是非跳ね返していただきたいと思います。

 男女共、史上最強・最高のメンバーが揃った、シングル日本代表の6選手。男女共に、複数のメダルが期待されます。

 2013年のフィギュアスケート全日本選手権大会・女子シングル種目は、12月22日・23日の両日に渡って、埼玉スーパーアリーナで行われました。

 ソチオリンピック代表選考会を兼ねた大会でしたので、戦前から激戦が予想されましたが、予想を超える極めてハイレベルな大会になったと思います。

 まず、上位を争った選手の中で、少なくとも3人のスケーターのフリー演技は、当該選手のキャリア中最高の演技であったと思います。

・ 鈴木明子選手
・ 村上佳菜子選手
・ 今井遥選手 の3選手です。

 特に、鈴木明子選手のフリー演技は、日本のみならず、世界女子フィギュアスケートの歴史上でも、最高の演技のひとつだったでしょう。演技最初の2つのコンビネーションジャンプを成功させると、完全に流れに乗りました。その後のジャンプにも殆どミスがなく、ステップ・スパイラルのシークエンスも高品質、そして全体の構成もキッチリとしていて、鈴木明子ワールドを見事に現出しました。フリー144.99という超高得点も納得というところです。
 ショートプログラムSPの70.19との合計215.18は、日本人女子フィギュア選手の歴代最高点でしょう。鈴木選手は、私達に「この種目に於ける日本人最高の演技」を魅せてくれたのです。鬼気溢れる乾坤一擲の演技でした。

 村上佳菜子選手のフリー演技も見事なものでした。目に見えるミスといえば、最後のジャンプ・ダブルアクセルでバランスを崩したくらいのもので、他のシークエンスはノーミス。力強さを前面に押し出した演技構成も秀逸でした。135.10という高得点も当然でしょう。SPとの合計202.52は、例年なら圧勝できる得点でした。鈴木明子選手の演技が、良過ぎた?のです。
 これだけの演技が出来るスケーターが、今季グランプリシリーズで、あのような不甲斐ない演技を見せたというのは、不思議な気がします。この競技の難しいところでしょうか。

 今井遥選手のフリー演技も、完璧なものでした。盛り込んである要素の難度の違いと、繋ぎを含めた演技構成の違いから125.53という得点でしたが、現時点の今井選手にできる最高の演技だったと思います。やや壁にぶつかっていたかに見えた今井選手ですが、この壁を見事に粉砕した感じがします。来シーズン以降の一層の飛躍が期待されます。

 この3選手の演技で共通して素晴らしかったのは「4分間乱れなく滑り切ったこと」でしょう。女子選手にとって過酷な4分間のフリー演技では、多くの場合、ラスト30秒で脚に来て、演技が乱れることが多いのです。
 ましてや、全日本選手権という大舞台、18,000人という「世界フィギュアスケート史上最多観衆」が見守るリンクでの演技においては、「前半飛ばし過ぎて後半乱れる」演技の多発が予想されましたが、3選手は「何事も無いかのように」滑り抜きました。日頃の鍛錬とコンディショニングの賜物でしょう。

 そもそも、22日のSPからミスの少ない演技が続きました。「3回転+3回転の成功は当たり前」といった雰囲気が漂い、各選手が次々と成功させます。この大会に賭ける各選手の気迫溢れる演技の連続であったと思います。

 こうしたハイレベル・高品質な演技が続く中で、ひとり蚊帳の外という感じだったのは、浅田真央選手でした。SPでもトリプルアクセルが不十分でした。SPでは、トリプルアクセル後の演技を無難に纏めトップに立ちましたが、フリーではそうも行きませんでした。

 2度のトリプルアクセルをいずれも失敗しましたが、特に2度目を1回転半しか回れなかったことは影響が大きく、「トリプルアクセルのミス」ではなく「シングルアクセル」と評価されてしまったことで、大きく基礎点を失いました。
 その後の滑りも精彩を欠き、ダブルアクセル+3回転のコンビネーションジャンプでは、後半の3回転が回転不足、3回転+2回転+2回転のコンビネーションは3回転+2回転になってしまうなど、明らかなミスが連続しましたので、126.49点も止むを得ないところでした。スピンやスパイラル、ステップといった技で3位を死守出来て良かったというところかもしれません。

 浅田真央選手ほどの実力を誇る経験豊かなスケーターでも、演技前に「演技全体がバラバラになってしまう怖れがある」と感じさせる展開の大会だったのです。
 鈴木、今井、村上の各選手の極めて高いレベルの演技の連発と高得点は、どんなプレーヤーにとっても大きなプレッシャーとなったのでしょう。

 加えて、他の選手達は「全日本にピークを持ってきた」のに対して、ソチ当確の浅田選手は、「オリンピックへの道標のひとつとして全日本を考えていた」感じです。今季の鈴木選手や村上選手の調子から見て、「全日本は70%の出来でも勝てる」と浅田選手が考えたのも、無理はないと思います。何しろ、グランプリファイナル出場の6人に残った日本選手は、浅田選手だけだったのですから。

 この大会での立場は異なりますが、安藤美姫選手も浅田選手と同じような「違和感」を感じてリンクに出たように思います。
 最終組の前の組で宮原知子選手が、合計191.58点を叩き出しました。この得点は、例年なら十分に優勝できる水準です。
 続いて、最終組の自分の前で演技した鈴木選手が215点を超える日本歴代1位の得点を叩き出します。これは、安藤選手でも出したことが無い高得点でした。「全日本の優勝以外にソチへの道は無い」と考えてきた安藤選手に、大きな衝撃を与えたことでしょう。

 安藤選手は、最初のコンビネーションジャンプを成功させた後、次の3回転ジャンプだけでは得点が足りないと考え、トリプルサルコウからのコンビネーションジャンプに演技を変更しました。鈴木選手の高得点が、安藤選手の演技構成を変更させたのです。
 しかし、この変更は上手く行きませんでした。得意のトリプルサルコウが1回転となってしまったのです。このひとつのミスで、鈴木選手を抜いての全日本優勝が消えました=ソチへの道は閉ざされました。鈴木選手を上回るには「より難しい演目を、より完璧に滑る」必要があったわけですから。

 「凄まじい大会」でした。今季不調だった選手たちが、次々と今季最高・自身最高の演技を見せるという事象が発生したのです。これは「大きな波」でした。そして、その大波に、安藤選手と浅田選手という、全日本を何度も制し、世界選手権チャンピオン経験者でもある、日本を代表する2人のスター選手が飲み込まれました。結果以上に大波乱の大会でした。

 一方で、「浅田・鈴木以降の日本女子シングル」を支える若い選手たちが、その力を示した大会ともなりました。
 宮原知子、今井遥、本郷理華といった選手達は、来季以降の全日本タイトルを争うことになるでしょう。各選手は、ジャンプも上手いのですが、何より個性的で自分の滑りを保持している点が素晴らしいと思います。ベテラン勢の砦・村上佳菜子選手も全く油断できないでしょう。
 日本女子フィギュア・シングル種目の選手層は、本当に厚くなりました。

 近時は2~3人の日本選手が出場するのが当然だったグランプリファイナル女子シングルに、今季は浅田選手1人しか進出できなかったのを見ていましたから、全日本2013の戦前には、男子と違い女子は浅田選手の一人舞台であろうし、3人の代表が出たとしても、ソチオリンピックでメダルを狙えるのは浅田選手だけであろう、と考えていました。
 私も日本女子フィギュア陣を過小評価していたのです。

 全日本2013は、ソチオリンピックにおけるメダルの期待を一層大きくしてくれました。そして、浅田選手にとってもとても良い経験になったと思います。もともと世界トップクラスの技術を身につけている浅田選手の精神面が、大きく成長した大会になったのではないでしょうか。
 ソチでどの選手が、どんなに高得点をマークしようとも、自分の滑りに徹するためには、良い経験でした。とても負けず嫌いなエース・浅田真央選手への期待は、一層高くなったのではないでしょうか。

 語り継がれるであろう史上最高レベルの全日本選手権2013の女子シングルを観ることが出来て、本当に良かったと感じています。
 今回は、団体戦・団体競技を考えてみましょう。

 団体戦というのは、個人戦が原則である競技において、複数の選手がチームを作って戦う種目のように見えます。
 まず、柔道や剣道、スキージャンプ、フェンシング、アーチェリーなどの団体戦を見てみましょう。

 これらの「団体戦」は、基本的には「個人戦の積み上げ」です。もちろん、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将といった呼称で呼ばれる、出場の順番で役割が異なるという見方があり、実際に多少は役割が違うとは思いますが、とはいえ「個の力を向上させること」が、こうした競技の団体戦で勝つために最も有効な方法であることは、間違いありません。

 したがって、こうした競技における団体戦は、「チームプレーという色彩が薄い」と言えるのではないでしょうか。
 もちろん、最初に登場するA選手が勝つことで、続くB選手に精神的な余裕を与えるという側面はありますが、それは個人戦にも見られる効果ですから、団体戦に限ったことではありません。
 例えば、スキージャンプ競技の個人戦で「他の日本代表選手が良いジャンプをしていたので、気楽に飛べました」といったコメントは、時々耳にします。

 続いて、いわゆる「リレー種目」を見てみましょう。
 リレー種目は、陸上競技や水泳、距離スキーといった競技で行われています。

 これらの種目も団体戦ではありますが、基本的には個人戦の積み上げと言えるでしょう。水泳のフリーリレー、メドレーリレーや距離スキーのリレーは、同じコースを泳ぎ・走りますので、順番と言う要素は加わりますが、まさに個の積み上げです。
 
 陸上競技のリレーは、水泳や距離スキーとは少し違うのかもしれません。1600mリレーなら、第1走者はセパレートコースを走り、第2走者は100m地点まではセパレートコースを走ります。したがって、4人のランナーの役割期待が異なります。400mリレーとなると、各走者の走るコースが異なり、第1・第3走者はコーナーを走りますから、「直線を走るのが得意か、コーナーを走るのが得意か」によってチーム構成を考えなければなりませんし、第4走者・アンカーは、バトンパスの関係もあって100m以上の距離を走ることが多いので、アンカーには「直線を走るのが速く、チームで最も早く走れる=タイムを稼げるランナー」を配置することになります。
 この点からは、陸上競技のリレー種目は、水泳や距離スキーのリレー種目より、少しだけ「チームプレーの要素」が強いのかもしれません。

 三番目として「ダブルス」を見てみましょう。
 「ダブルス」種目は、テニスや卓球、バドミントンといった競技で行われます。例えば、テニスを見てみると、コートのどのスペースをカバーするかといったことや、前衛・後衛といった役割分担をすることがありますから、相当チームプレーの色彩が強くなります。パッシングショットが得意なプレーヤーとボレーが得意なプレーヤーを組合せるなど、チーム組成にもいくつかの要素を考慮しなければなりません。

 また、シングルではあまり良い成績は残せないが、ダブルスになると無類の力を発揮するプレーヤーも居ます。逆に言えば、シングルで強い選手2人を組合せたからといって、必ず強いダブルスチームが出来上がるわけではない点が、ダブルスの奥深さを感じさせます。

 テニスや卓球の団体戦では、シングル戦とダブルス戦の両方が組み込まれています。この団体戦は、基本的には一番目で検討した団体戦と同じように「個の積み上げ」ですが、「ダブルス」のみが例外ということになります。
 テニスや卓球の団体戦におけるダブルス戦の役割は、とても大きいもののように見えます。テニスのデビスカップ大会やオリンピックの卓球競技で、ダブルス戦から試合全体の流れが変わった例は、数多くあります。「ダブルス」は、単独の種目としても面白いものであり、団体戦を構成するゲームとしても、とても面白いということになります。

 四番目として「チームパシュート型種目」を見てみましょう。
 「チームパシュート型種目」は、自転車競技やスピードスケート競技で行われている団体競技です。
 例えば自転車競技なら「チームスプリント」という種目名で、もちろんオリンピックでも行われています。(2000年のシドニー五輪から)
 トラックを3人の選手で3周するもので、3人目の選手の後輪がゴールラインを通過した時をゴールとします。
 多くのチームで、1周毎に先頭を走る選手が交代します。先頭で残りの2人を引っ張るのが最も苦しいというか負担が大きいので、先頭を交代するわけです。

 チームスプリントは、相当難しい種目です。3人の力量がほとんど同じというチームは、まず存在しませんから、1周目の先頭は「スタートダッシュが速い選手」、3周目の先頭は「2周を走った後でも、十分なスピードを出せる選手」といった役割が、明確に決められている上に、その日の調子次第では、先頭の選手のスピードが不足し、後ろを走る選手が追い付き過ぎてしまい、力を発揮しきれない=タイムロスする、可能性も十分在りますし、3周目の先頭を走る選手が速過ぎて、後ろの選手を千切ってしまう怖れもあるのです。

 実際のレースを観ていると、3人は縦一列で走っていることが多いのですが、3周目の最終コーナーを立ち上がると、個々の選手がバラバラにゴールを目指すことがあります。要は「3人目の自転車の後輪がゴールラインを越える」のを、少しでも早くしたいということです。

 スピードスケートでは「チームパシュート」という種目名で、こちらは2006年のトリノ五輪から行われています。
 やはり1チーム3人です。男子は400mリンクを8周(3,200m)、女子は6周(2,400m)で競います。3人目のスケート靴ブレードの一番後ろがゴールラインを通過した時が、ゴールインです。
 こちらも、先頭でチームを引っ張るスケーターの負担が大きいので、先頭を交代しながら走るのです。やはり3人が縦一列で走っていることが多いのですが、3人の特性・力量差を考慮して、頻繁に先頭交代が行われることもあります。

 「チームパシュート型種目」は、オリンピックにおいては比較的新しい団体種目ですが、自転車競技では「イタリアンチームレース」という種目で、相当昔から行われていました。
 4人1チームで行う「イタリアンチームレース」は、現在の「チームスプリント」種目の原型であり、日本では1969年から1998年までの間インターハイ(高校総体)で実施されていました。1999年からは、インターハイも「チームスプリント」に変更されています。

 「チームパシュート型種目」が、近時オリンピック種目に取り入れられた理由は、まず「やっていて・見ていて、とても面白い」ということと、「参加国の国としての競技レベルを計るのに適している=国別対抗戦に向いている」ことだと思います。
 
 そして、「チームパシュート型種目」は、一番目に取り上げた「団体戦」や二番目の「リレー」に比べると、チームスポーツという色彩が相当に強い種目でしょう。「個の積み上げ」というより、良い成績を収めるためには3人のプレーヤーの相互扶助・協力が重要ですし、チームマネジメントにより、結果が大きく異なる種目だとも思います。もちろん、個々のプレーヤーの走力が基本であることは、言うまでも無いことですが。

 最後・五番目として「分業を伴う団体競技」を見てみましょう。
 相当数の選手で1つのチームを構成する競技、多くの球技がこれに当たります。

 野球、サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、アメリカンフットボール、ホッケー、アイスホッケー、ハンドボール等々、最も一般的な団体競技といえます。

 これらの競技に共通しているのは、当該スポーツにおける様々な役割を、個々のプレーヤーが別々に請け負う、「分業」が明確化されていることでしょう。

 野球では、投手・捕手・内野手・外野手といった守備面と1番打者・2番打者・3番打者・4番打者といった攻撃面の両面から、個々のプレーヤーへの役割期待が異なります。さらに、「投手」といっても、先発・中継ぎ・クローザーと役割が異なりますから、相当に分業化が進んだ競技であるといえます。

 サッカーでは、ゴールキーパー、ディフェンダー、ミッドフィルダー、フォワードといった分業化が行われています。全員攻撃・全員守備という近代サッカーにおいても、左右・センターも含めて、ポジションは明確に存在します。

 ラグビー(15人制)でもフォワード、ハーフ、バックス等の区別があり、フォワード8人にも第一列、ロック、フランカー、ナンバーエイトと役割が決められていて、第一列も1番2番3番で明確に役割が異なりますし、ロック・フランカーも右左があります。
 ハーフプレーヤーもスクラムハーフ、スタンドオフに分業され、バックスもウイングやセンター・フルバックと分業されています。

 バスケットボールも、5人のプレーヤーが、ガード・フォワード・センターという異なる役割を果たします。ガードはポイントガードとシューティングガードに区分され、フォワードもスモールフォワードとパワーフォワードに区分されています。

 アメリカンフットボールでは、1つのチームにオフェンスチーム(攻撃チーム)とディフェンスチーム(守備チーム)が別々に存在します。

 オフェンスチームは、ラインとバックスに分かれ、ラインにもセンター・ガード・タックル・エンドと分業されていますし、バックスの方はクオーターバック・ランニングバック・ワイドレシーバー・タイトエンドといった分業が行われます。

 ディフェンスチームも、オフェンスと同様に細かな分業が成されています。ライン、ラインバッカー、バックに分業され、ラインはタックルとエンド、ラインバッカーはインサイドとアウトサイド、バックはコーナーバックとセイフティに分かれ、セイフティはフリーセイフティとストロングセイフティに分かれます。

 加えて、アメフトには、これ以外にもスペシャルチームと呼ばれるチームが存在します。キッカー、パンター、ロングスナッパー、ホルダー、リターナーなどが該当しますが、キックをする時に、ロングスナッパーから投げられたボールを、キッカーが蹴り易いようにフィールドに設置することが「仕事」の「ホルダー」という役割まで独立しているのを見ると、「究極の分業型スポーツ」という感じがします。

 これらの「分業型競技」は、チームメンバー無しでは競技を行うこと自体が不可能ですから、まさに団体競技といえますし、チーム全員の協働無しには好成績を収めることはできませんから、「チームワーク」が大切な競技でもあります。

 こうした分業型競技の中でも、アメリカンフットボールは他の競技とは異なる性質を持っているように観えます。それは「自己犠牲型コンタクトプレー」が多いということです。

 「自己犠牲型プレー」というと、野球における「犠牲バント」が思い浮かびます。バントプレーにより、味方のランナーを先の塁に進めようとするプレーですが、犠牲バントにおいては原則として接触プレーがありません。
 また、サッカーにおいてもパスを受けるフリをして、相手のディフェンダーを自分に引き付けて、味方プレーヤーがプレーし易いようにするといった自己犠牲型プレーがありますが、これも原則として接触は伴わないプレーです。

 一方で、アメフトのプレーでは「自己犠牲型コンタクトプレー」が多く観られるというか、過半のプレーがそうであるように観えます。

 例えば、攻撃における普通のランプレーでも、オフェンスラインの2人のプレーヤーが、相手チームディフェンスラインの2人のプレーヤーを左右に押し開け、ランニングバックの走路を作ります。この走路が、上手く出来た時に「ランが出る」のです。ランニングバックプレーヤーの個人の走る速度やボディバランス・馬力もランプレーにおいて重要ですが、最も重要なのは「走路を作るプレー」です。オフェンスライン他のプレーヤーは、ランニングバックプレーヤーが走って前進するために、走路作りに専念するのです。

 パスプレーでも、多くの自己犠牲型コンタクトプレーが観られます。スクリーンパスや短めのパスがクオーターバックから、タイトエンドやワイドレシーバーに投げられた時、その周囲に2~3人の味方プレーヤーが配置されているプレーをよく見かけます。パスを受けたプレーヤーと周囲の2~3人のプレーヤーは一緒に前進を始めます。
 相手チームのプレーヤーがボールを持っているプレーヤーを倒そうと襲ってきますが、まわりを取り囲んでいる味方プレーヤーが相手チームのプレーヤーを弾き飛ばして、更に進むのです。「ブロックプレー」と呼ばれたりもしますが、ボールを保持した味方プレーヤーを守るために、周囲のプレーヤーが犠牲になっているのです。

 アメフトにおいて、こうした「自己犠牲型コンタクトプレー」が多用されるのは、こうしたプレーが「ルール上、許されている」からです。

 サッカー競技において、ボールを持っているプレーヤーに相手チームがタックルしようとするのを別のプレーヤーが妨害・邪魔すれば反則ですし、ラグビー競技において相手チームのプレーを邪魔すれば「オブストラクション」という反則を取られます。アメフトにおけるリードブロックのようなプレーをラグビーで行えば、アクシデンタルオフサイドの反則となるでしょう。
 サッカーでもラグビーでも、「邪魔をするプレーは反則」なのです。
これは野球でも同様で、守備妨害、打撃妨害、走塁妨害といった反則があります。これらの競技においては、至極当然のことです。

 しかし、アメリカンフットボールでは、邪魔する・妨害するプレーが許されている上に、見事なブロックプレーは賞賛の対象となります。ランプレーによりロングゲインした時に、きれいなリードブロックが決まっていれば、ボールを持って走ったプレーヤーと同等に、リードブロッカーも高く評価されるのです。

 分業化が進み、チームプレー・チームワークが尊重される、これらの団体競技の中でも、ルールとの関係から「自己犠牲型コンタクトプレー」が数多く登場するアメリカンフットボールは、自己の成績に数字として現れにくいプレーが最も多く見られるスポーツなのかもしれません。

 今回は「団体戦・団体競技」について考えてきました。

 個人戦が基本である、柔道・剣道・スキージャンプやフェンシングにおいては「団体戦」という形で、陸上競技や水泳・距離スキーにおいては「リレー」という形で、複数のプレーヤーによるゲームを可能にし、観る者に一層面白いプレーを提供すると共に、個人に限らず、学校や企業・国家同士のゲームを可能とする種目が行われてきたのです。

 また、主に球技においては、本質的な団体競技といえる「分業型競技」が数多く発展していて、チームプレー・チームワークの重要性そして面白さを提供してきました。

 更に、四番目の「チームパシュート」には、「団体競技の将来性・発展性」を感じます。既に成熟してしまった感のある「団体戦・団体競技」ですが、チームパシュートのように「新しいメジャー種目」が生まれてくる可能性が、まだまだ有ると思います。

 今回も、スポーツの可能性の大きさを感じました。
 素晴らしい走りでした。

 12月22日に行われた第58回有馬記念競走で、オルフェーヴルは2着のウィンバリアシオンに8馬身差を付けて快勝しました。

 珍しく後方待機の形となりましたが、2周目3コーナーからの追い上げは凄まじいもので、一番外を走りながら、内側の馬が止まって見えると言われた、アメリカのセクレタリアトを観るようでした。どこまで追い上げたのだろうと思っていたら4角先頭。中央競馬史上最速のコーナリングだったでしょう。

 アメリカ競馬史上最強馬と呼び声高いセクレタリアトを彷彿とさせたオルフェーヴル。我が国にも、こんなに凄い脚を持つサラブレッドが生まれたのだと思いました。

 ラストランで自身最強の、そして語り継がれるであろうレースを魅せてくれたオルフェーヴル。本当にありがとう!
 スピードスケート競技における男子500mは、我が国の得意種目です。過去の冬季オリンピックで9個のメダルを獲得しています。ひとつの種目で9個のメダルを獲得している競技は、あまり多くないと思います。

 日本人として最初に世界のトップクラスに立った選手は、鈴木恵一選手でしょう。
 1942年生まれの鈴木選手は、1964年23歳の時にインスブルック五輪に出場し、男子500mで5位入賞を果たしました。
 そして、1968年のドイツ・インツェルの競技会で39秒3の世界新記録を樹立し、同年のグルノーブル五輪に出場しました。世界記録保持者ですから、当然金メダルの最有力候補でしたが、3コーナー辺りでスケートの動きが一瞬止まり、右足が浮いたまま少しの間滑り、コーナリング動作を再開しました。この一瞬の間が、タイムロスに繋がり、鈴木選手は8位に終わりました。

 私は、優勝を期待して見ていましたので、本当に残念でした。何しろ、オリンピックスピードスケート競技の全ての種目で、日本人スケーターがメダルを獲得したことが一度も無かった時代のことですから、国民の期待がとても大きかったのです。

 テレビ放送では「バランスを崩した」とコメントされていましたが、後に「レース直前に小石を踏み、ブレードが欠けていた」ことが原因であったと伝えられました。

 「世界一のコーナリング」と言われた鈴木恵一選手はオリンピックで好成績を残すことは出来ませんでしたが、世界記録を2度更新し「日本人スケーターでも男子500mなら世界と戦える」ことを示し、この競技の先駆者となりました。その功績は、報じられている以上のものであったと思います。

 1972年の札幌五輪でも、日本選手はスピードスケートでメダルを獲得することが出来ませんでした。

 そして、1984年のサラエボ五輪を迎えます。
 前年1983年の世界スプリント選手権大会で、日本人として初めて優勝した黒岩彰選手に期待が集まりました。
 この大会の男子500m種目は、天候不良(雪が降り続いた)のため競技開始が5時間ほど遅れました。この影響があったのか、黒岩選手は全く実力を発揮することができず10位と大敗しました。

 この頃は、他のスポーツ競技・種目においても「日本人選手の本番での弱さ」が妙に強調されていた時期でもありました(私は根拠の無いことだと考えています)から、「黒岩もだめだったか」といった空気が漂いました。
 しかし、ここに伏兵が居たのです。北沢欣浩(きたざわ よしひろ)選手でした。前年から急速に実力をつけていた北沢選手は思い切った滑りを展開し、見事に銀メダルを獲得しました。日本スピードスケート史上、というより日本スケート史上、初のオリンピックでのメダル獲得という快挙でした。

 続く1988年のカルガリー五輪では、黒岩彰選手がサラエボの悔しさをバネに、慎重な滑りを見せて、銅メダルを獲得しました。

 さらに1992年のアルベールビル五輪では、黒岩敏幸選手が銀メダル、井上純一選手が銅メダルと、男子500mで2つのメダルを獲得しました。

 そして1994年のリレハンメル五輪では、堀井学選手が銅メダルを獲得しました。

 これで、4大会連続のメダル獲得となりましたので、男子500mは日本の得意種目となったのです。
 一方で、これだけメダル獲得が続くと、「まだ取ったことが無い金メダル」への期待は否応無く高まります。

 1998年の長野五輪は、日本開催ということもあり、また前年までの同種目の世界大会他における日本人選手の活躍も相俟って、日本男子スプリント陣への期待は最高潮でした。
 こうした地元開催のオリンピックにおける過剰な期待は、選手にとって大きなプレッシャー・精神的重圧となるものですが、清水宏保選手はこれを見事に跳ね除け、金メダルを獲得しました。2本揃えた、素晴らしいすべりであったと思います。

 2002年のソルトレイクシティ五輪でも、清水選手は銀メダルを獲得しました。これで、冬季オリンピック6大会連続のメダル獲得となりました。本当に素晴らしいことだと感じます。

 2006年のトリノ五輪は、日本選手団全体が絶不調で、大会終盤に荒川静香選手が女子フィギュアスケートで金メダルを獲得しましたが、大会を通じて日本選手団のメダルはこれひとつでした。男子500mの連続メダル獲得も潰えてしまいました。
 ソルトレイクまでの実績から、他の競技・種目も含めて、当然のように冬季五輪のメダルを獲得できるという雰囲気が日本選手団に存在したのでしょう。「緩み」は、知らない内にチーム全体に蔓延するものかもしれません。

 トリノの失敗を踏まえて、再度キメ細かな強化を図り、選手層の底上げを図った結果として、2010年バンクーバー五輪男子500mでは、長島圭一郎選手が銀メダル、加藤条治選手が銅メダルを獲得、この種目の日本の伝統を示しました。

 ここまで、スピードスケート男子500m種目の日本人スケーターの実績を、駆け足で見てきました。世代交代も含めて、連続した強化策が実っています。これだけの結果を継続して残せるのは、ジュニア世代からの強化体制が構築・維持されていることを示しています。日本中のスケートが出来る地域に、レベルの高い指導者が相当数存在していて、切磋琢磨が続けられているということでしょう。
 そのことが、最も素晴らしいと感じます。

 さて、近時の報道を見ると、ソチ五輪は長島選手と加藤選手を中心として500mに臨むことになりそうです。
 長島選手は31歳、加藤選手は28歳、共に2006年のトリノ五輪から出場していますから、3回目のオリンピックということになります。相当ベテランの域に達していますが、今シーズンは当初から35秒前後のタイムを連発しています。好調に観えます。ソチでは、「天才」長島圭一郎と「元世界記録保持者」加藤条治の集大成の滑りを魅せてくれることでしょう。

 1968年のグルノーブル五輪の頃、鈴木恵一選手は、白い毛糸の帽子、グレーのセーターで競技に臨んでいたと記憶しています。現在のような、肉体に張付くボディスーツとは全く違う装備です。もちろん、スラップスケート靴でもありませんでした。そうした中で、1970年には38秒50の世界新記録を樹立しました。

 その後、日本人スプリンターは、エアハルト・ケラー選手(ドイツ)、エリク・ハイデン選手(アメリカ)、ウーべ・イエンス・マイ選手(ドイツ)、ジェレミー・ウォーザースプーン選手(カナダ)、ケーシー・フィッツランドルフ選手(アメリカ)といった世界の強豪達と、互角の戦いを演じてきました。

 「肉体と精神の瞬発力が試される男子500」は、日本の得意種目なのです。
 ニューヨーク・ヤンキース不動の2塁手にして、不動の中心打者であったロビンソン・カノー選手のシアトル・マリナーズへの移籍が、12月6日に報じられました。

 今年10月31日にフリーエージェントFAとなっていたカノー選手がヤンキースに残留するのか、他の球団に入団するのかは、今オフシーズンの注目点のひとつでしたが、シアトルとの交渉が進んでいることが早々に報じられていました。

 10年契約・総額2億4000万ドル(約240億円、1ドル=100円として)という、MLB全体でも屈指の大型契約です。
 2013年の年棒が1500万ドル(約15億円)でしたから、遥かに大きな契約となりました。現在31歳のカノー選手は、40歳までのプレーが可能になったわけですし、シアトルとしては何歳くらいにピークアウトするか不確定なプレーヤーに大金を注ぎ込むわけですから、カノー選手への期待の大きさが分かります。

 それにしても、これで「コア4」の内の3人(フォルへ・ポサダ、マリアノ・リベラ、アンディ・ペティット)がチームを去り、さらに2005年から9年間ヤンキース一筋であったロビンソン・カノーもチームを去るのですから、ヤンキースは「抜本的な変革」が必要になりました。

 デレク・ジータ選手の故障からの回復状況が不透明であり、アレックス・ロドリゲス選手の薬物疑惑の行方が見通せない情況ですから、大袈裟に言えば、投手以外のポジションで固まっているプレーヤーはひとりも居ないという形でしょう。

 MLB最大のクラブであり、世界中の全てのプロスポーツを含めても屈指のビッグクラブであり「超一流ブランド」でもあるニューヨーク・ヤンキースが、2014年に向けてどのようなチーム造りを見せるのか、大注目です。

 ピンストライプのユニホームに身を固めたロビンソン・カノーのプレーは、とても印象的でした。ヤンキースでの通算打率.309、1649安打、ゴールドグラブ賞2回、オールスターゲーム出場5回(2010年からは4年連続)。2007年以降の7年間は、毎シーズン160試合前後に出場しています。まさにヤンキースの顔だったのです。
ライナー性の鋭い打球と、華麗な守備。特に、メジャー昇格直後はミスも目立った守備が、どんどん上手くなっていくのは素晴らしいと思いました。
 
 セカンド・カノー、ショート・ジータ、サード・Aロッド、という「ヤンキースらしい内野陣」は、もう観ることが出来ないのです。
 12月22日に中山競馬場芝2500mコースで行われる、第58回有馬記念競走G1の注目馬です。

 2013年の中央競馬を締めくくる大レースですが、今年は三冠馬オルフェーヴル号の引退レースともなりました。何にしても、オルフェーヴルの取捨選択が鍵となります。

 凱旋門賞2013で2着となり、帰国以降は調整に努めてきました。調教タイムや関係者のコメントから、万全とは言えない状態のようです。一方で、ジェンティルドンナやエピファネイア、メイショウマンボといった実力馬が出走してきませんから、メンバーには恵まれた感じもします。

 第一の注目馬は、3枠6番のオルフェーヴル。他の馬に「一世一代の脚」を使われた時には敗れる可能性があると思いますが、この馬の安定感は他の出走馬を圧倒しています。軸馬はやはりオルフェでしょう。
 飛び跳ねるのではなく、前駆で掻き込みながら、速いピッチで前進するのがオルフェの走りです。したがって爆発的なスピードが出ないために、ジャパンカップ2012でジェンティルドンナに破れたレースのような展開が有り得ます。
しかし、凱旋門賞2年連続2着の実力は世界でも屈指のものでしょう。ラストランである今回の有馬では、直線早めに先頭に立ち、2~3馬身差でゆうゆうと勝つのではないでしょうか。

 第二の注目馬は、2枠4番のウィンバリアシオン。現5歳世代のクラシック路線におけるオルフェ最大のライバル。2011年の日本ダービーでは、オルフェーヴルを1と3/4馬身まで追い詰めました。残り200mからゴールまで、オルフェとの差は開きもせず詰まりもせず、全く互角の叩き合い。通常の年なら日本ダービーを取っていたでしょう。
 その後も勝ち星には恵まれていませんが、オルフェのラストランとなれば、やはり対抗は、この馬が相応しいと思います。

 第三の注目馬は、7枠14番のゴールドシップ。前走G1ジャパンカップ15着の大敗で、すっかり評価を落としてしまいました。もともと速い脚がないのですから、まくりでも、先行でも、ヨーイドンのレースで苦しいことは判っていたことです。
 関東には、12月19日に久しぶりにまとまった雨が降りました。カチカチだった馬場も、少し柔らかくなり「力の要る馬場」になったことでしょう。皐月賞の時のように、4角でインを付いて、するすると先頭争いに加われれば、勝ち負けの勝負になりそうです。ライアン・ムーア騎手の手綱に注目です。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 オルフェーヴルとゴールドシップの父はステイゴールド、ウィンバリアシオンの父はハーツクライ。このレースは、サンデーサイレンスの後継種牡馬争い・ステイゴールド対ハーツクライのレースなのかも知れません。
 日本が誇る2人の大ベテランジャンパーが好調です。

 1970年生まれの43歳・岡部孝信選手は、12月14日に行われた国内ジャンプ競技の開幕戦・名寄ピヤシリ大会で、92m・99.5mと2本のジャンプを揃えて優勝しました。

 1972年生まれの41歳・葛西紀明選手は、12月15日にドイツ・ティティゼーノイシュタッドで行われた、ジャンプのW杯で3位となり、W杯の最年長表彰台記録を更新しました。

 両選手共に、1994年のリレハンメルオリンピックから出場しているというのですから、20年以上に渡って、日本男子スキージャンプ競技を引っ張ってきたということになります。気の遠くなるようなキャリアです。

 岡部選手には、リレハンメル五輪の団体銀メダル、長野五輪の団体金メダル、世界選手権団体の3つの銅メダルといった数々の実績があります。
 葛西選手にも、リレハンメル五輪の団体銀メダル、世界選手権の2つの団体銀メダル、2つの個人銅メダル、W杯の2回の個人総合3位といった数々の実績があります。

 2人とも、日本男子スキージャンプ陣の中心選手として活躍を続けてきたのですが、この2人は競技人生において「厚い壁」にぶつかり、それを克服してきたところが、最も素晴らしい点だと思うのです。

 岡部選手について有名なのは、レギュレーションの変更です。身長165cmと小柄な岡部選手の長野五輪の活躍を踏まえてなのかどうかはともかくとして、1988年の長野五輪直後に、スキージャンプのレギュレーション(規格)が大幅に変更されてしまいました。いわゆる「146%ルール」と呼ばれるもので、使うスキーの長さが最大「身長×146%」に制限されるというもので、身長が比較的低い日本人ジャンパーに圧倒的に不利な変更といわれました。

 スキー板で風を捉え、より遠くに落下することを競うジャンプ競技では、風に当たる「スキー板の面積」が大きい方が有利ですので、スキー板は長いほうが良いのです。

 この変更は、岡部選手に大きな影響を与え、2002年のソルトレークシティ五輪の代表からも外れました。既に30歳を越えていた岡部選手は、引退するのではとも囁かれました。

 しかし、2005年~2006年シーズンに岡部選手は見事に復活しました。当時35歳の岡部の復活は、特に海外から「奇跡」と賞賛されました。ジャンプ王国オーストリアの専門誌で岡部特集が組まれたと報じられました。
 ジャンプスタイルの根本的な見直しという、30歳を過ぎたトップアスリートにとっては、極めて難しいことに挑戦し、見事に完遂したという事実は、日本の誇りといえるでしょう。

 2009年には、W杯で優勝し、自身の持つW杯最年長優勝記録を38歳4ヶ月に伸ばしました。そして、頭書の通り2013年~2014年シーズンの国内初戦で優勝したのです。
 岡部選手はソチオリンピック代表を狙っていると思います。スキージャンプ競技における43歳のオリンピック代表!何と素晴らしいことでしょうか。

 葛西選手の方は「ジャンプフォームの変遷」に悩まされてきた20年間であったと思います。V字フォームが当たり前になった頃、ジャンパーは前に突っ込むほど良いと言われる時代が続きました。
 その時代、葛西選手の飛行フォームでは体の前傾が凄まじく、「ほとんどスキーと一直線」のフォームを実現し、飛距離を延ばしたのです。高い飛行線と言うよりは、前に前にと体を投げ出す低い飛行線が葛西選手の特徴となりました。とても美しいと思いました。

 ところがその後、飛行スーツの変更のためか、スキー板の改良のためか、原因は分かりませんが、「あまり突っ込まないほうが良い」という時代がやってきました。このあたりの「スキージャンプ理論」の変遷は、私には分かりませんが、ジャンプ競技には時々、前の理論が正しかったのか疑問に感じられる変更が起こります。

 とにもかくにも、葛西選手は時代時代の理論に則って、飛行フォームを変更し続けてきました。現在の葛西選手は、あまり突っ込み過ぎず、お腹の辺りに丸い空気の球が存在するようなフォームです。こうやってフォームを変更し続けながら、常に世界・日本のトップジャンパーの地位を維持し続けてきたのです。もの凄いことだと思います。

 頭書の成績で分かるように、葛西選手は今季もW杯に出場し続けています。これは、現時点の日本ジャンプ陣シード選手であることの証拠です。ソチオリンピックの代表有力候補といえるでしょう。
 もし、ソチ五輪に出場できれば7大会連続「7度目のオリンピック出場」となります。何か想像を絶する、途方も無い記録ですが、これは冬季オリンピックにおける世界最高記録になるようです。

 岡部選手も葛西選手も
① 絶対筋力の維持
② 肉体的持久力の維持
③ 競技技術の維持・向上
④ 精神面の充実

 という、とても難しい課題を懸命にそして見事にクリアし続けています。

 我が国に、岡部選手や葛西選手に引退を決意させるような若手の台頭が無い点には、一抹の寂しさもありますが、私はどちらかといえば「若手の台頭を凌ぐ、強力なベテランが居る」と考えます。

 ソチの空に、我が国が世界に誇る2人のアラフォージャンパーが、大きな飛行線を描く姿を、是非是非観てみたいものです。
 有馬記念競走を2勝している馬は、史上5頭居ます。

 古い順に記載します。
・ 1969年1970年 スピードシンボリ号(連覇)
・ 1984年1985年 シンボリルドルフ号(連覇)
・ 1988年1990年 オグリキャップ号
・ 1998年1999年 グラスワンダー号(連覇)
・ 2002年2003年 シンボリクリスエス号(連覇)

 いずれも、中央競馬史上に輝く優駿です。いくつか特徴がありますので、順不同で記載します。

① 馬名に「シンボリ」が付いている馬が多いこと。5頭中3頭ともなると、「シンボリ」の馬(和田共弘氏・シンボリ牧場の馬)は、有馬記念に強いということでしょう。

② 意外にも、三冠馬で2勝している馬は少ないこと。シンボリルドルフ1頭です。もちろん、シンザン・ナリタブライアン・ディープインパクトは有馬記念に勝っていますが、2勝はしていません。早めに種牡馬になっているのかもしれませんが、ナリタブライアンやディープインパクトは、有馬記念に2度挑戦していますから、やはり有馬2勝の難しさを示しているように思います。

③ 「連覇」が多いこと。オグリキャップを除く4頭は「連覇」です。他世代をも巻き込んだ「日本一決定戦」ですから、自らが最強時期の1年間で2勝してしまう必要があるのでしょう。

 さて、2013年の有馬記念には、2011年の勝ち馬オルフェーヴルと2012年の勝ち馬ゴールドシップの2頭の有馬記念優勝経験馬が出走を予定しています。
 どちらが勝っても、6頭目の有馬2勝馬となります。

 前述の傾向から観ると「連覇」を目指すゴールドシップの方に分がありそうですが、オグリキャップはラストランの有馬で2勝目を挙げていますから、オルフェーヴルにも十分チャンスがありそうです。

 有馬記念2勝馬が誕生するのか、他の馬達が阻止するのか、2013年中央競馬のフィナーレが近づいています。
 サッカー界で「オランダトリオ」というと、特定の3人のプレーヤーを指します。「オランダトリオ」という言葉が、固有名詞になっているところが凄いところです。

 その3人とは、ルート・フリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトです。

 イタリア首相として名高いシルヴィオ・ベルルスコーニ氏がACミランのオーナーとなったのは1986年。セリエAは、ユーべことユベントスの時代が長く続いていた頃でした。
 ベルルスコーニ氏は、その財力に物を言わせて、世界中の有力プレーヤーを集めました。1987年にはオランダからファンバステン選手とフリット選手を、1988年にはライカールト選手を移籍させます。
 この頃は、まだEU統合前ですから、セリエAでも欧州他国のプレーヤーも外国人枠の対象となり、3人しかプレーできませんでしたので、世界中から選手を集めたものの、結局このオランダ人3プレーヤーがゲームに出場することとなりました。

 そして、この3プレーヤー=後に「オランダトリオ」と呼ばれる3プレーヤーは、ACミランの黄金時代を築き上げたのです。
 1987~88年・90~91年・91~92年・92~93年の4度のスクデット獲得(セリエAリーグ優勝)。1988~89年・1989~90年のUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)連覇など、ACミランはイタリア・セリエAと欧州サッカーを席巻したのです。

 ルート・フリット選手、身長186cm体重83㎏、がっしりとした体躯からゴール前での華麗なプレーを得意とするプレーヤーでした。フォワードFWでもミッドフィールダーMFでも活躍しました。1987年にバロンドールを受賞しています。

 マルコ・ファンバステン選手、身長188cm体重80㎏、細身の体躯から強烈なシュートを放つFW。1988~89年のUEFAチャンピオンズカップでは10得点を挙げて得点王となりました。1988年1989年1992年とバロンドールに3回輝きました。尚、2010年に旧バロンドールがFIFAバロンドールに統合される以前、3回のバロンドール獲得はヨハン・クライフ、ミッシェル・プラティニと並ぶ史上最多タイ記録です。

 フランク・ライカールト選手、身長190cm体重80㎏、細身のMFです。前線のフリットやファンバステンに活きたボールを供給すると共に、時には自らシュートを打っていくプレーヤーでした。
 ライカールとは、前述の2人と違いバロンドールを受賞していませんが、その投票で2回3位になっています。ちなみに、1988年のバロンドール投票は1位がファンバステン、2位がフリット、3位がライカールトとオランダトリオが上位を独占しました。

 オランダトリオが居た時のACミランは、時には「史上最強のクラブチーム」とも呼ばれましたが、当然ながらオランダ代表チームも強い時代でした。
 オランダトリオは、1988年のUEFA欧州選手権でのオランダ初優勝の立役者でもあったのです。

 我が国に世界のサッカー、とりわけ欧州サッカーが質・両共に十分に報じられるようになったのが1990年前後でした。それまで、ダイジェスト版や録画でしか見ることが出来なかった欧州サッカーをたっぷりと見ることが出来るようになった時代に、日本のテレビ画面を席巻していたのがACミランだったのです。

 「赤と黒の縦縞ユニホームは、強いチームの象徴」でした。日本のサッカーファンは、一気にACミランのファンになったのです。
 赤黒のユニホームを身に付けたルート・フリットが突進、ファンバステンが強烈なシュートを放ち、ライカールトが玄人受けするプレーを連発する「極めて攻撃的なチーム」ACミランの人気が、日本で爆発したのも当然のことなのでしょう。

 現在でも「ACミランチャンネル」というテレビ放送枠が続いています。低迷期に入って久しいミランですが、日本にはまだまだ沢山のミラニスタ(熱狂的なACミランファン)が存在するのです。

 ACミランの黄金時代を支え、我が国に欧州サッカーの香りを運んでくれた「オランダトリオ」。あの大きなシルエットが躍動する「華やかなプレー振り」は、その後の様々なクラブチームを含めても、他に類を観ないものであったと思います。
 
 過去の本ブログでも、史上最高の男子フィギュアスケーターとしてプルシェンコ選手(ロシア)を紹介してきましたが、これはプルシェンコ選手のオリンピック・世界選手権や欧州選手権の優勝回数・実績だけを評価して、書いていることではありません。

 プルシェンコ選手の全盛期以降、多くの世界的スケーターが登場しましたが、演技の技術面・構成面でプルシェンコを超えたスケーターがいまだに現れていないのです。

 プルシェンコ選手は、2000年の東京・代々木で開催されたグランプリファイナルのフリー演技で、4回転+3回転と4回転+3回転+2回転の2回のコンビネーションジャンプを成功させていますが、以降4回転ジャンプを絡めたコンビネーションジャンプを1度の演技の中で2回成功させた選手は居ません。

 プルシェンコ選手は、2002年から2003年にかけていくつかの大会で、4回転+3回転+3回転のコンビネーションジャンプを成功させています。以降、このコンビネーションジャンプを成功させた選手は居ません。

 プルシェンコ選手の全盛期は、おそらく2000年から2004年頃であったと推測されますが、それから10年の月日が流れても、ジャンプシークエンスにおいてプルシェンコを超えるどころが、並ぶ演技が出来るスケーターも出現していないのです。
 現在のスケーターを批判するつもりは毛頭ありません。プルシェンコが「時代を超えたスケーター」であることを如実に示している事実を言っているのです。

 とはいえ、さすがのプルシェンコも今では31歳となり、1998年から世界の舞台で戦い続けていることから来る故障も、腰・背中と複数箇所に及び、現在では人口椎間板も入れていると伝えられています。
 それでも、ソチオリンピック出場に向けて調整中というのですから、驚くばかりです。

 私は、何気なく3回転・4回転ジャンプを成功させ、これでもか・これでもかと難しいジャンプを連発するプルシェンコ選手の演技が、アスリートスポーツとして大好きですし、その高度な技術・フィジカルの強さは比類なきものであると思います。

 一方で、もう15年間も世界のトップで戦ってきたのだから、そろそろ体を休ませてはどうかとも思います。プルシェンコは、間違いなく世界の宝なのですから。

 12月8日に行われた香港国際競走の香港スプリント競走G1で、日本のロードカナロアが2着馬に5馬身差で圧勝しました。
 これで、カナロアは香港スプリント競走で2年連続の優勝となりました。日本馬が、海外G1レースで連覇したのは史上初めての快挙です。

 それにしても、強い勝ち方でした。昨年のこのレースでも他馬を寄せ付けず3馬身位の差で圧勝しました。ゴール前での競り合いが当然の1200mレースで、千切って勝ったのです。私は、2012年の香港スプリント競走こそが、ロードカナロア最強のレースだと思っていました。

 12月8日のテレビ放送の中で「ロードカナロア連覇」の報に接した時は、やったーと思うと共に、今年は接戦を制したのだろうと考えました。
 ところが、JRAホームページでレースの様子を観ると、昨年以上の圧勝です。恐れ入りました・・。

 好位から4角で先頭に並びかけ、しばらく手綱を絞ったまま走り、残り300mから追い始めると、誰も付いて来られません。差は開く一方で、5馬身差と伝えられていますが、私には6~7馬身差に見えました。香港・シャティン競馬場とも余程相性が良いのでしょう。本当に強い競馬でした。ラストランで最も強いレースを魅せるというのも、見事の一言です。

 これで、4歳~5歳にかけて日本のG1スプリンターズステークスとG1香港スプリントを連覇し、その間にG1高松宮記念とG1安田記念をも制して、G1レース6勝です。素晴らしいというのも不十分なほどの活躍といえるでしょう。2013年に6戦して重賞5勝、G1を4勝し、香港スプリントを連覇したのですから、今年の年度代表馬の最有力候補でしょう。

 「実力があれば、輸送・検疫といったハンディキャップをも克服して、海外の一流レースでも勝てる」という、当たり前の、しかし当たり前ではないことを証明してくれたロードカナロア号。本当にありがとうございました。

 そして、今度は貴君の子供達が日本・世界で活躍してくれることを、楽しみに待ちたいと思います。
 イングランド・プレミアリーグのリバプールに所属しているルイス・スアレス(ウルグアイ)が、得点王争いのトップを快走しています。

 今シーズンは最初の5試合を欠場し、12月10日までの出場10試合で14得点というのですから、驚くべきペースです。1試合に平均1点を取れればフォワードFWプレーヤーとして十二分に合格(ほとんど見たことがないペース)なのですが、世界屈指のリーグであるプレミアで1試合平均1.4点を挙げているのですから。
 現在得点ランキング2位にはセルヒオ・アグエロ選手(アルゼンチン)が居て、こちらも14試合で12点と素晴らしい成績なのですが、スアレス選手相手では分が悪いというところでしょうか。

 特に12月5日の対ノリッチ戦では、前半16分・29分・35分に立て続けにゴールを挙げ、前半だけでハットトリックを達成した上に、後半29分にもこの日4ゴール目を奪いました。この試合はリバプールが5-1でノリッチに圧勝したのですが、おまけを言えばリバプールの5点目も、スアレス選手のアシストでした。

 ルイス・アルベルト・スアレス選手、1987年1月ウルグアイ・サルト生まれの26歳。身長181cm体重80kgのがっしりとした体型です。万能型FWプレーヤーとしては大型の部類でしょうか。

 スアレス選手は、もともと世界屈指のFWでした。2010年の南アフリカワールドカップWCでも、フォルラン選手と共にチームの中心選手として活躍し、ウルグアイチームのベスト4進出に貢献しました。

 そのプレー振りは「万能型フォワード」と呼ぶのが良いと思います。例えば、パウロ・ロッシ(イタリア)やゲーリー・リネカー(イングランド)のように「ポジショニングの上手さ」で得点するタイプとは異なりますし、クリスティアーノ・ロナウドのように「強烈なドリブルから強烈なシュートを決める」タイプとも異なります。
 スアレスは、ドリブルで持ち込んでのシュートも出来ますし、ゴール前で待ち受けてのゴールも有ります。そして、そのどちらが得意という差も無いのです。フィジカルの強さが、あらゆるゴールシーンを可能にしているとも言えるでしょう。

 強いて言えば、リケルメ・メッシに近いプレーなのかもしれませんが、メッシの方が理詰めのゴールが多いのに対して、スアレスは「予想を遥かに超えたゴール」が多いのです。

 例えば、前述のノリッチ戦の1点目は、センターラインを越えた所でボールを受けたスアレスが40ヤード位のロングシュートをゴール向かって右隅に決めたものなのです。
 ゴールまで40ヤード以上の距離が有っても、キーパーの位置と自らのキック力を勘案して、瞬時にキーパーがギリギリ取れない高さの弓なり型シュートを放ち、これを決めてしまうのはスアレス選手の真骨頂です。

 この「ゴール感覚」は他に類を観ない、スアレス選手ならではのもので、現在の世界サッカー界において、得点感覚・得点できると感じるレンジの広さが最も優れた選手だと思います。大天才でしょう。
 南米にはピューマというネコ科の野獣が生息していますが、ルイス・スアレスは「ウルグアイのピューマ」と呼ぶに相応しいプレーヤーではないでしょうか。ゴールを眼にした瞬間「打てる」と感じれば打っていくプレー振りは、天性の点取屋と呼ぶに相応しいと思います。ゴール前でスアレスがボールを持った瞬間、相手チームのゴールキーパーやディフェンダーは、いつもゾッとすることでしょう。どの角度から、どんなシュートが放たれるのか、全く予想出来ないからです。

 このスアレス選手とフォルラン選手を擁するウルグアイが、WC2014の南米予選で苦戦し、大陸間プレーオフに回ったというのも不思議なもので、サッカー競技の難しさを感じさせますが、当然ながらこのプレーオフを難なく突破して本戦出場を果たしました。

 WC2010では準決勝でオランダに敗れたとはいえ2-3の大接戦でした。今大会のウルグアイチームからも眼が離せません。特に、26歳と全盛期を迎えたスアレス選手の活躍は、WC2014ブラジル大会のひとつの注目ポイントになると思います。

 我らがザックジャパンが1次リーグC組を勝ち上がると、D組の勝ち上がりチームとの対戦が待っています。D組はウルグアイ・イタリア・イングランド・コスタリカが犇く死の組ですから、日本が決勝トーナメント初戦でウルグアイと当たる可能性は十分なのです。とても楽しみですし、対戦するとすればとても厚い壁でもあります。
 2013年~2014年のスキー・ノルディック複合競技で、渡部暁斗(わたべ あきと)選手が好調なシーズンを送っています。

 例年通りワールドカップWCに参戦しているのですが、12月7日の第2戦で個人総合2位、8日の第3戦で3位と連続して表彰台に上っているのです。オリンピックシーズンの序盤としては、とても良いスタートが切れたと思います。

 ノルディック複合競技といえば、私達は1990年代の荻原健司選手を中心とする黄金時代を思い浮かべます。
 1992年のアルベールビル、1994年のリレハンメルと団体で金メダルを獲得し、1993年と1995年の世界選手権でも団体優勝、荻原健司選手個人では1993年と1997年の世界選手権で優勝し、ワールドカップの個人総合では1992年から1995年まで3シーズン連続で1位という、素晴らしい成績を残し「複合日本」の名を欲しいままにしました。

 この時代の後、日本のノルディック複合競技は少し低迷期に入りました。21世紀に入り、2000年代の前半は、高橋大斗選手を中心として戦いました。そして、世界選手権やオリンピック大会では入賞はするが、メダルには届かないという時期が続きました。雌伏10年と言いますが、私はこの2000年から2006年頃までの日本ノルディック複合界の頑張りは見事なものであったと考えています。
 スター選手が去った後、その競技は想像以上の影響を受けるものでしょう。上り坂での試練は、なんとか乗り切れるが、下り坂での試練は厳しいものです。しかし、高橋選手を先頭にして「複合日本」の灯は消さなかったのです。素晴らしい活躍でした。

 そして、2009年に10年以上に渡って続けられてきた強化策が実を結びました。チェコのリベレツで行われた世界選手権の団体競技で優勝したのです。「複合日本」の復活であり、渡部暁斗選手の登場でもありました。

 渡部選手は、2011/12シーズンのワールドカップ個人通算2位、2012/13シーズンでは3位と、世界トップクラスのプレーヤーに成長しました。

 1990年代の黄金期における日本複合陣の戦い方は「ジャンプ競技でリードし、距離競技で凌ぐ」形でした。ジャンプで得た貯金を使って、距離での他国の追い上げを凌ぐ形です。この頃の日本複合陣のジャンプ能力は素晴らしいものでしたので、このモデルで常勝軍団を創り上げたのです。
 しかし、ジャンプ競技には不確定な要素も多いために、成績は必ずしも安定しません。1990年代前半、圧倒的な力を誇った荻原健司選手が、オリンピック個人総合のメダルに縁が無かったのも、これが理由でしょう。あの頃は、ジャンプで大きくリードしなければ勝てなかった、距離競技では常にノルウェーやオーストリア、ドイツといった国々のリードを許していたのです。

 2009年の世界選手権優勝を契機とした新生日本複合陣は、1990年代の日本複合の弱点を克服してきているように観えます。後半の距離競技の力量が相対的に向上し、ノルウェー他の距離王国と互角に近い戦いができるようになったのです。

 今季の渡部選手によるワールドカップ連続表彰台のゲームも、渡部選手はジャンプ競技の成績を距離競技で向上させています。距離スキーで海外有力選手を凌ぐパフォーマンスを示しているのです。もともとジャンプ競技は、日本の得意種目です。これに、安定した距離競技が加わったのですから、日本複合陣の実力は安定してきたといえます。
 
 2014年2月、ソチの空に日本ノルディック複合の旗がはためく可能性は十分に在ると思います。
 12月15日、中山競馬場芝1600mコースで行われる、第65回朝日杯フューチュリティステークスG1の注目馬です。

 中山競馬場で開催される最後の「朝日杯」となりました。朝日杯3歳ステークスの頃から、幾多の名馬を輩出してきたレースですので、開催馬場が変更になるのは少し寂しい気もします。

 今年も16頭がエントリーして来ました。多士彩々ですが、今年の2歳馬にはここまで強力な実績馬が不在です。牝馬の挑戦もありますから、難解なレースとなりました。

 第一の注目馬は、3枠6番のアジアエクスプレス。ここまでダートで2戦2勝、5馬身差・7馬身差と圧勝してきています。ダートと芝では違うという見方もあるでしょうが、ダートを圧勝してきたハイセイコーが皐月賞に優勝したという例もあります。抜けた馬が居ない現状ですので、ハイセイコー2世の誕生に期待します。

 第二の注目馬は、8枠16番のショウナンワダチ。やはりここまで2戦2勝。前走ベゴニア賞の上り3ハロン33秒6の脚はなかなかのものでした。「朝日杯」が中山を去る原因となった「中山の1600m戦は外枠が圧倒的に不利」という過去の実績がありますが、得てしてそういう話が出てきたときには、逆が有るもの。2着以内に突っ込んで来て欲しいものです。

 第三の注目馬は、2枠3番のアトム。前走G2デイリー杯2歳ステークスは、ホウライアキコのレコード勝ちに僅差の2着でしたが、ゴール前の脚は出色でした。中山の坂を上がってからの追い込みに期待します。

 今回は以上の3頭に注目です。スピードも大事ですが、意外に力が必要なのが「中山の朝日杯」です。1600m戦に慣れている馬が来ると思います。
 サッカー日本代表プレーヤー本田圭佑選手のイタリア・セリエAのACミラン入団が、12月11日に報じられました。
 来年1月3日から背番号10を付けて、ACミランの一員となるのです。

 現在所属しているCASKモスクワとの契約が2013年12月末で切れることを前提とした入団ですから、移籍ではなく、フリーになった本田がACミランと契約し入団するという形でしょう。

 本ブログでは、以前から本田選手には早くロシアを出て欲しいと書いてきました。もちろん、ロシアが嫌いで書いているのではなく、サッカーをする環境としてロシアは寒すぎるため、本田選手にもいくつかの故障が発生していることを踏まえて、もう少し暖かい地域でのプレーが望ましいと考えたのです。

 この報道には、CASKモスクワでの最後のゲームで、本田がアシストを決める映像も流されましたが、人工芝のグランドに雪が舞っている絵でした。この環境は、プレーヤーにとっては極めて苛酷です。特に「人工芝グランド」は、スパイクで崩れることがありませんから、膝や腰・足首に大きな負担となります。事実、本田選手の膝の故障は中々完治しないのです。このまま、もう一回大きな故障を発症してしまっては、選手生命にもかかわると危惧していました。

 新しく所属するクラブとして、ACミランは本田選手の希望を考慮しても、ほぼ理想的なチームだと思います。

 本田がいつも言っている「僕はビッグクラブに相応しい」という点で見ても、ACミランはイタリア・セリエA屈指の実績と人気を誇り、UEFAチャンピオンズリーグ7度制覇に象徴されるように、国際試合に滅法強いという意味で欧州や世界中で大きな実績を残している、まさにビッグクラブです。

 加えて、1990年前後の黄金時代から低迷期を経て、現在建て直し中のクラブですので、少なくとも入団後しばらくは先発メンバーとして出場できるでしょうから、レギュラーメンバーのポジションを獲得するチャンスも大いにあると思われます。

 さらに、カカやロビーニョといったブラジル代表選手、バロテッリやエル・シャーラウィといったイタリア代表選手と共に、背番号10というエースナンバーを背負って戦うことは、本田選手のスキルアップにとっても、大きな意味があると思います。

 良い入団であったと思います。

 1994年にキング・カズこと三浦知良選手のジェノア入団に始まった、日本人プレーヤーによるセリエA挑戦は、1998年の中田英寿選手のペルージャ入団に引き継がれ、2002年の中村俊輔選手のレッジーナ入団、2010年の長友佑都選手のチェゼーナ入団に繋がります。続く、長友選手の2011年インテル移籍は、セリエA屈指のビッグクラブへの日本人プレーヤー初の入団でした。

 そして、満を持して本田選手がACミランの赤と黒の縦縞ユニフォームを身に纏うのです。ACミランは、いくつかの理由から、我が国で最も人気があるセリエAのチームです。セリエAの3強、ユベントス、インテル、ACミランの中でも、ACミランの日本における人気は飛び抜けています。その理由は別稿に譲るとして、そのミランの中心選手として日本人プレーヤー・本田圭佑がピッチに立つのです。
 私などは「日本サッカーもここまで来たか」という感慨を禁じ得ません。

 本田選手、本当におめでとうございます。
 今年10月31日にニューヨーク?ヤンキースNYYからフリーエージェントFAとなり、去就が注目されていた黒田博樹投手が、12月6日NYYと契約を結んだと報じられました。

 当然ながらFAとなった以上、10月31日以降黒田投手はどの球団にも所属していないわけですから、「ヤンキースに残留したのではなく、ヤンキースと新たに契約した」のです。2014年にプレーするチームが、2013年にプレーしたチームと同じであったということです。

 年棒は1600万ドル、1ドル=100円で換算すれば16億円、これに「シーズン190イニング投球達成で25万ドル」、「210イニング投球達成でさらに25万ドル」の出来高払いが加わる契約とのことです。
 いかにもメジャーリーグらしい契約です。先発投手に求められる役割期待は「多くのイニングを投げること」であることがよく分かります。

 黒田投手は、1997年から2007年までの11年間、日本プロ野球NPBの広島東洋カープに所属しました。この間通算103勝89敗の成績を残しましたが、NPB終盤の2005年に15勝、2006年に13勝、2007年に12勝とセントラルリーグを代表する投手としての実績を残して、2007年からMLBロサンゼルス・ドジャースLADに移籍しました。

 2008年は9勝10敗、2009年は8勝7敗、2010年は11勝13敗、2011年は13勝16敗と、勝ち数と負け数が同じ位という成績が続きましたが、その投球内容は大きく進歩していたと思います。特に投球イニング数は、2010年に196イニングを超え、2011年には202イニングという、MLBの先発投手に求められるシーズン200イニング投球を達成しました。
 ここが、NYYスカウト陣の眼に留まったのだと思います。

 LADの最初の契約は3年契約でしたから、2011年のLAD最期のシーズンは1年契約でした。そして、NYY移籍以降も1年契約を続けていますから、これで4シーズン連続1年契約ということになります。

 この「1年契約の継続、1年契約への拘り」が、まさに黒田博樹投手だと感じます。

 1年のシーズンに全力を投入し、結果を求めて戦い、その内容を評価してもらって、必要としてくれるチームがあれば、翌シーズンも1年契約でプレーする、という「本物のプロベースボールプレーヤーの姿」がそこに見えると思うのです。黒田投手は考えてもいないことでしょうが「この1年で選手生命が尽きても悔いはない」という姿勢も、結果として醸成されているのではないでしょうか。

 そして、2011年1200万ドル、2012年1500万ドル、2013年1500万ドル、2014年1600万ドルと年棒も上がってきています。現在38歳という大ベテランの部類に入る黒田投手が、着実に年棒を積み上げていることは、凄いことだと思います。35歳を越えて、年棒を上げ続けるメジャーリーガーというのは、滅多にいないのではないでしょうか。

 加えて、黒田投手には「何とも言えない安定感」があります。物静かに、ひたむきに仕事に取り組み、大袈裟な喜び・悲しみの表現も無く、ボールパーク外でも問題を起こす可能性は低い、という安定感です。
 これが、黒田投手が西海岸のドジャースと東海岸のヤンキースという、MLBを代表するビッグクラブのレギュラープレーヤーとなっている大きな要素であろうと考えます。多くのビッグクラブは「紳士であること」をプレーヤーに求めるのでしょう。

 どの登板においても、内外角の低めにシンカーやスプリッターを投じ、クオリティスタート(6イニングを3失点以内で投げ切る)を目指してイニングを重ねる黒田博樹投手には、「完成されたプロプレーヤー」を感じます。
 「その3」に登場する2人は、ワールドカップWCの1つのゲームにおける1本のシュートで伝説となった2人です。(敬称略)

 まずは、イングランドのフォワードFWジェフ・ハースト。イングランドが優勝した1966年のWCイングランド大会決勝戦でハットトリックを達成し、4-2で西ドイツを破る原動力となった選手です。
 ちなみに、WC決勝戦におけるハットトリックは、現在に至るまでハースト選手しか実現していません。

 ハースト選手を伝説のプレーヤーにしたゴールは、イングランドの3点目・自身の2点目でした。
スコア1-1の同点から延長戦に入り、2-2の同点からハーストが放った3点目のゴール=決勝ゴールが、WC史上最も有名なゴールのひとつになったのです。

 ハーストが放った強烈なシュートは、西ドイツゴール向かって右上の水平ポストに当たり、真下に落ち、地面で大きく跳ねてペナルティエリア側に出ました。これが、ゴールと認定されたのです。
 私もリアルタイムには観ていませんでしたが、その後の録画放送やダイジェスト版放送で再三このゴールを観ました。スローモーションでも何度も再生されました。ポールを叩いたボールは真下に落ちます。間違いなくゴールライン上には落下しています。しかし、「ボールが完全にゴールラインより内側に入ること」とされているゴール要件を満たしているかどうかは、相当に疑問が残ります。

 このゴールは、ワールドカップの行方を決めたという意味で大きなゴールでしたが、同時に「疑惑のゴール」として、現在も物議を醸しています。

 前回の2010年南アフリカWCにおけるドイツ対イングランド戦で、イングランド1-2の劣勢からランパード選手が放ったシュートは、完全にゴールインしていましたが、審判がゴールと認めず「幻のゴール」となりました。この「幻のゴール」は、1966年の「疑惑のゴール」の「お返し」だったという話も出ていました。
 「お返し」にしては、重みが違いすぎるとドイツのファンは言うことでしょう。

 いずれにしても、1966年のWCで、エースストライカーのジミー・グリーブスの故障により、準々決勝から急遽出場したジェフ・ハーストは、このゴールによりイングランドの英雄になりました。

 歴代のイングランドサッカーを代表するプレーヤーといえば、やはり1966年のWC優勝時の中心選手であったMFボビー・チャールトンであろうと思いますが、チャールトンも「ペレの後で抽選会のボールを運ぶ役割」は遠慮したのでしょう。
 一方でチャールトンはペレのことを、史上最高のサッカー選手と公言しています。私には、「あのボビー・チャールトンがペレを世界一と言っている」ことが、ペレの世界一評価の大きな原動力になっていると感じられます。

 続いては、ウルグアイのアルシデス・ギジャ。
 1950年WCブラジル大会の実質的な決勝戦(当時は決勝リーグ制)であった、ウルグアイ対ブラジルの試合で、1-1の同点から決勝の2点目を叩き出した、ウルグアイの名FWプレーヤーです。
 サッカー大国ウルグアイですから、「もっと若い立会人」も居るのでしょうが、同国が最後に優勝した1950年の大会に出場したプレーヤーとして、現在86歳のギジャが出てきたのでしょう。

 それにしても、「マラカナンの悲劇」を生んだ張本人を抽選会の立会人として登場させるのは、ブラジルサッカー協会としては勇気が要ることだったと思います。ギジャを指名したのは、FIFAなのかブラジルサッカー協会なのかウルグアイサッカー協会なのか、興味深いところですが、当のギジャは杖を突きながら楽しそうに抽選ボールを運ぶ役割を果たしていました。

 あのギジャのゴール=マラカナンの悲劇以降、ブラジルサッカー界はその実力向上に尽力し、WC優勝5回、それも自国優勝無しで、という世界に冠たるサッカー王国を造り上げたのですから、ある意味では「ギジャはブラジルサッカーの恩人」なのかもしれません。

 さて、「ペレと8人の英雄」と題して、3稿を書いてきました。残りは、スペインのイエロとフランスのジダン、ブラジルのカフーですが、この3人については、別に書く機会があると思いますので、今回の連続稿は8人中5人を取り上げることで完結としたいと思います。

 観ていて、本当に楽しい「抽選会」でした。
 そして、サッカー競技の歴史と大きさを存分に感じさせる式典でもありました。
 12月6日にブラジルで行われたワールドカップWC2014・1次リーグ抽選会のペレと8人の抽選人に付いての「その2」です。(敬称略)

 アルゼンチンからはマリオ・ケンペス。1978年のアルゼンチンWCにおいて、母国アルゼンチンにワールドカップ初優勝を齎したスーパースターです。
アルゼンチンは、ブラジルと共に南米を代表するサッカー大国と呼ばれますが、WCにおける成績はいまひとつで、初優勝も1978年という比較的新しい時期です。

 ブラジルがマラカナンの悲劇を味わい、その後ペレを中心に3度のWC制覇を果たしていた時期に、アルゼンチンは優勝経験無しの国だったのです。
 従って、1978年の自国開催大会には、国民の期待が集中しました。一方、アルゼンチン代表チームメンバーの中で、海外クラブでプレーしていたのはケンペス唯一人でしたから、この頃のアルゼンチンサッカープレーヤーは、少なくとも欧州での評価が高くなかったことは間違いありません。

 アルゼンチン国内でプレーしている選手ばかりの代表チームにおいて、ケンペスは大活躍しました。特に、決勝トーナメント(当時は2次リーグ)における活躍は見事の一言で、ここぞという時に得点できるフォワードFWプレーヤーとして、大会を象徴する存在でした。182cmの長身とがっしりした体躯から「猛牛」と呼ばれたゴール前での突破力は、リパープレートスタジアムの紙吹雪と共に、とても印象的でした。「1978年のアルゼンチンWCはマリオ・ケンペスの大会」であったと思います。

 知将ルイス・メノッティ監督と共に、アルゼンチンサッカーを世界の舞台に引き上げた功労者であることは間違いありませんので、今回の抽選人選出も妥当なところでしょう。

 歴代のアルゼンチンサッカーを代表するプレーヤーを選出するとすれば、多くの方がディエゴ・マラドーナを選ぶでしょう。確かにマラドーナは、アルゼンチンサッカーを代表するプレーヤーのひとりですが、ペレとの不仲(というか、マラドーナにはペレを意識した発言が多い)も囁かれていますから、「ペレの後で抽選会のボールを運ぶ役割」は回避したのでしょう。

 続いて、イタリアからはファビオ・カンナバーロ。イタリア代表チームの守備の要として4度のWC出場、2006年ドイツ大会ではキャプテンとしてイタリアチームを優勝に導きました。

 身長176cmという、近代サッカーにおけるディフェンダーDF特にセンターバックとしては「とても小柄なプレーヤー」でしたが、その「予測力・判断力の高さ」とフィジカルの強さで、2006年のバロンドールにも輝いています。特に「高い予測能力を背景とした的確なポジショニング」はカンナバーロならではのものでした。純粋なDFとしては世界初のバロンドール受賞プレーヤーだと思います。
 カンナバーロ引退後、伝統のイタリアチームの堅守はやや影を潜めていますから、「最後のカテナチオ」プレーヤーとも言えるかもしれません。

 歴代のイタリアサッカーを代表するプレーヤーを選ぶのも至難の業でしょうが、イタリアのWC優勝が1934年1938年1982年2006年と間を置いて達成されていることを考慮し、最新優勝時の中心選手であり、イタリアサッカーの特徴である「堅守」を現すに相応しいDFということからすれば、ファビオ・カンナバーロがピッタリと言えそうです。

 抽選会の司会者の「ありがとうファビオ!」という声が場内に響きます。そして、笑顔のカンナバーロがボールを運びます。南イタリア・ナポリ出身のカンナバーロには、笑顔が似合います。

 (→その3に続きます)
 12月6日にブラジルで行われたワールドカップWC2014の1次リーグ抽選会は、悲喜交交の結果となりましたが、この抽選会自体の内容も大変興味深いものでした。

 抽選のみを行えば、あっという間に終了してしまいますから、近時の抽選会は歌・踊り等の様々なエンターテイメントが提供されます。抽選会が行われる国=開催国にとっては、自国を世界にアピールできる最初の直接的な舞台ということになります。

 今回も、ブラジルを代表するアーティストが何組か登場しました。これはこれで、とても面白かったのですが、やはり「ブラジルといったら忘れてはならない人物」の紹介がありました。(以下、敬称略)

 ペレです。

 数々のエンターテイメントも終了し、抽選会が始まる直前にアナウンサーが「世界一のプレーヤーはブラジル人だといわれています」とコメントし、会場に来ていたペレが紹介されました。ペレが開場に居ることは、それ以前にブラジル大統領から紹介されていましたが、ここでペレが舞台に上がったのです。

 アナウンサーからの「ブラジルに優勝して欲しいですか」という質問を受けて、「もちろん優勝して欲しい。1950年のブラジル大会で、当時はテレビなど無くて、ラジオで試合を聞いていたが、ブラジルが敗れたことを知って父親らがとても悲しんでいた。少年だった私も悲しかった。私は、ブラジルの子供たちに悲しみを与えたくない」と答えました。

 「マラカナンの悲劇」を引き合いに出して、ブラジルの優勝を強くアピールしたのです。笑顔に溢れた堂々たる「サッカーの王様ペレ」の姿でした。
 
 開催国を代表するプレーヤーを持ち上げての「世界一のプレーヤー」という呼称ではなく、事実世界一のプレーヤーである点が、そしてそのことを特に強調するまでも無く、世界中のサッカー関係者誰もが認めていることが素晴らしいことです。
 ペレがサッカー史上最高のプレーヤーであることには、異論が無いというか当然のことなのです。そして「世界のサッカープレーヤーの秩序というか序列は、ペレの存在により安定している」とも言えます。

 他のスポーツにおいて、サッカーにおけるペレ程絶対的な存在は居ないとも思います。

 さて、続いて抽選会自体が始まりました。抽選会の抽選立会人として8人の世界的プレーヤーが登場しました。「ワールドカップ優勝の8カ国」から選ばれた8人。
 カフー(ブラジル)、カンナバーロ(イタリア)、ジダン(フランス)、マテウス(ドイツ)、ハースト(イングランド)、イエロ(スペイン)、ケンペス(アルゼンチン)、ギジャ(ウルグアイ)です。

 いずれ劣らぬ、世界サッカー史上に輝く名選手ばかりです。久しぶりに見る顔もあり、懐かしいというか素晴らしいメンバーでした。

 マテウス、ローター・マテウスは1980年から2000年まで20年以上の長きに渡ってドイツ代表を務め、長くドイツチームのキャプテンでした。長い間「ドイツチームの顔」だったのです。代表戦出場150試合、ワールドカップに5度!出場し、優勝1回(1990年イタリア大会)、準優勝2回の好成績を残しています。
 身長173cmとドイツ代表プレーヤーとしては小柄な部類に入るミッドフィールダーMFでしたが、時折見せる攻撃参加は効果的であり、何より「気迫溢れるプレー振りはチームを鼓舞する」に十分な迫力がありました。「劣勢の時に力を発揮するプレーヤー」であったと思います。

 歴代のドイツサッカーを代表するプレーヤーを選ぶのは中々大変ですが、多くの人は「皇帝フランツ・ベッケンバウアー」を選択したいと言うでしょう。しかし、ベッケンバウアーは「ペレの後で抽選会のボールを運ぶ役割」は遠慮したのかもしれません。

 舞台の8人が動くたびに、画面には華やかな雰囲気が漂います。

(→その2に続きます)
 ミホノブルボンの姿・形は、あのミルリーフに似ていると思います。お父さんのマグニテュードはミルリーフ産駒ですから、似ていても不思議は無いのですが、発達した前駆・がっしりとしたトモ、そしてクビを低くして走るフォーム、がミルリーフを彷彿とさせます。

 血のスポーツと言われる競馬において、姿・形が似ていることは大事なことだと思います。

 そのミホノブルボンは、1991年のG1朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティーステークス)の勝ち馬です。2歳時、デビュー戦・2戦目をキッチリと勝ちあがったミホノブルボンは、朝日杯に駒を進めます。
 単勝1.5倍という圧倒的な一番人気に応えて、このレースを僅差ながら勝ち切り3連勝。翌年のクラシックロードの中心馬に躍り出ました。

 3歳の緒戦フジテレビ賞スプリングステークスは、一番人気こそノーザンコンダクトに譲りましたが、レースでは初めて逃げて圧勝。2着のマーメイドタバンに7馬身差でした。ミホノブルボンが一番人気にならなかったのは、現役生活でこのレースだけでした。

 スプリングSの圧勝劇を見せられては、皐月賞の一番人気は当然でした。レースも、ゴール手前で鞍上の小島貞博騎手が追うのを止めるほどの完勝。但し、追うのを止めてもブルボンはゴールまで一生懸命走りました。「どのレースもスタートからゴールまで全力投球」というのも、ブルボンの特徴のひとつだと思います。

 そして1992年5月・第59回日本ダービーを迎えます。5連勝での皐月賞制覇ですから、ここでもブルボンは一番人気。スプリングSから導入した「逃げ」を展開します。2着のライスシャワーに影を踏ませることも無く4馬身差で快勝しました。
 レースは終始、ブルボンが逃げライスシャワーが2番手を追走する展開でしたが、ライスシャワーが追っても追ってもブルボンには追い付かず、逆に離されてしまいました。
 ミホノブルボンの栗毛の馬体が府中の直線で躍動したのです。

 相当のスピードで長い距離を押していける脚質(祖父ミルリーフの脚質に近い)ですから、気持ち良く走れば無類の強さを発揮します。無敗・6連勝での日本ダービー制覇でした。
 短距離脚質ではと疑っていた人達も、2400mにおけるこの強さを見せ付けられては「夏を無事に乗り切れば三冠は固い」と感じたことでしょう。

 3歳の秋緒戦はG2京都新聞杯でした。当時菊花賞へのステップレースであったこのレースを、2着ライスシャワーに1と1/4馬身差で快勝しました。2200m日本レコードタイムのおまけ付でした。

 夏も無事に乗り切った様子でしたから、菊花賞も間違いないと思いました。

 しかしその菊花賞では、ライスシャワーの2着に敗れました。よもやの敗戦。敗因は色々と囁かれました。

① 父マグニテュードの産駒はスプリンターが多かったので、ブルボンも基本的には短距離血統であったとする「距離限界説」
② 戦前から逃げ宣言をしていたキョウエイボーガンが逃げ、ブルボンは2番手追走の展開となったことから、気持ち良く走ることが出来なかったとする「展開影響説」
③ 京都新聞杯の馬体重が、前走の日本ダービー比+14㎏で、本番の菊花賞ではさらに+4㎏ということから「太目残り説」

 しかし、ブルボンの走破タイム3000m3分5秒2が、従来のレースレコードを上回るものであったことを考慮すれば「勝った馬が強かった」ということでしょう。同期に、稀代のステイヤー・ライスシャワーが存在したために惜しくも三冠馬になれなかったと観るのが良いと思います。

 中央競馬史上二冠馬は数多く居ますが、その中でも「最も三冠馬に近いサラブレッド」であったのではないでしょうか。ある意味では、少し不運であったと感じます。

 菊花賞の後、ジャパンカップに向けて調整中に脚部不安を発症、その後長い期間治療を行いましたが、ついに復活することなく競走馬を引退しました。

 ミホノブルボン号、父マグニテュード、母カツミエコー。父の父はミルリーフ、その父ネバーベンド、その父ナスルーラからネアルコに繋がる良血。生涯成績8戦7勝2着1回。
 実は、2歳時G1レースを勝って無敗のまま三冠を取った競走馬は、史上一頭も居ません。(ナリタブライアンは新馬戦他で負けていますし、ディープインパクトは朝日杯に出走していません)
 もしミホノブルボンが菊花賞を制していれば、史上唯一の例となっていたのです。スポーツに「もし」は無いのですけれども。

 ほぼ完璧な競走成績を誇るミホノブルボンが、7勝の中で最も苦戦したのが朝日杯3歳ステークスでした。ヤマニンミラクルとの叩き合いをハナ差制したのです。
 いつも逃げて、大きな差で勝っていた印象がありますが、菊花賞でのマチカネタンホイザの追走をアタマ差凌いでの2着死守を観ても、実は「競っても強い馬」だったのではないかと思います。
 フィギュアスケートのグランプリファイナル2013大会の女子シングル・フリー演技が、12月7日福岡市マリンメッセ福岡で行われ、浅田真央選手(23歳)がショートプログラムとの合計204.02点で優勝しました。
 これで、浅田選手はグランプリファイナル4回目の優勝となり、ロシアのイリーナ・スルツカヤ選手と並んで史上最多優勝回数となりました。

 6分間練習の前の様子、リンクでの靴ひもを締めなおす様子、演技直前のコーチとの打ち合わせの様子等々の時、浅田選手の表情はとても厳しいものでした。緊張しているというよりは、少しイライラした感じを受けました。
 ロシアの4選手、とくにリプニツカヤ選手が良い演技を披露し192.07という、十分に優勝に値するスコアを叩き出していたことが気になったのか、久しぶりにトリプルアクセルジャンプ2回に挑むことへの気負いなのか、準備段階で何か上手く行かないことがあったのか、理由は分かりませんが、今シーズンの浅田選手としては初めて見せた表情・雰囲気であったと思います。

 演技では、最初のトリプルアクセルで転倒し、2度目で両足着氷となりました。トリプルアクセルを2度共失敗したのです。相当不安な滑り出しでしたが、この後の演技は無事に乗り切りました。
 特に、残りのジャンプを全て無難に(一部に回転不足等がありましたが)熟した点が素晴らしいと思いました。ここでもう一度転倒するなり、3回転が1回転になるなりしていたら、演技がバラバラになってしまう可能性があったと思います。

 ライバル選手達が次々と「3回転+3回転」を成功させる中で、自身の切り札であるトリプルアクセルには失敗したのですから、採点が気になりましたが、フリー演技でも唯一人130点越えを果たし、ショートプログラム・フリー共に1位となりました。

① 演技全体のスケーティングレベル、個々のジャンプ・スピン・スパイラル・ステップといった技のベースとなる技術自体が、他の5選手より1段上であり、そこから生まれる演技を包み込む空気感が異なったということでしょうか。

② 4分間という女子にとって過酷な演技時間のラスト30秒、他の5選手には明らかに疲労の色が濃く、体が動かなくなっていましたが、浅田選手は最後まで緩むことなく滑り切りました。この体力面の優位も大きかったのでしょう。

 それにしても、2度のトリプルアクセルに挑み、肉体的・精神的なリソースを集中し、結果失敗したというのは、相当心身に堪える・疲労が残るものかと思いますが、その状態でもキッチリと滑り切ったという点が、今大会における浅田真央選手最大の収穫なのかもしれません。

 グランプリファイナルを制した浅田真央選手は、男子優勝者・羽生結弦選手と共に、ソチオリンピック代表の座に相当近づきました。全日本選手権の結果を待つとはいえ、まず間違いなく代表となることでしょう。

 羽生選手・浅田選手の滑りには、何か「孤高の演技」という感じが漂いました。他の選手との比較より、自らが納得する演技がしたいという強い気持ちが感じられました。

 今後の全日本選手権やソチオリンピックにおいて、羽生選手にはフリー演技の最初の4.回転サルコウの成功、浅田選手には2度のトリプルアクセルの成功が期待されます。これらを失敗してもグランプリファイナル優勝という世界一の称号を手にしたお二人が、これらを成功した時、私達はどんな演技を観ることが出来るのでしょう。
 2014年6月に開催されるFIFAワールドカップWCブラジル大会の1次リーグ組合せ抽選会が、12月6日ブラジル・コスタドサウイベで開催され、全32チームの組み分けが決まりました。

 毎回、世界中の注目が集まる抽選会ですが、今回も悲喜交交の結果となりました。
 我らが日本代表・ザックジャパンはC組に入りました。「悪くない組」に入ったと思います。

組分けは以下の通りです。(カッコ内の数字は世界ランク)

[A組]
ブラジル(10)
クロアチア(16)
メキシコ(20)
カメルーン(51)

[B組]
スペイン(1)
オランダ(9)
チリ(15)
オーストラリア(59)

[C組]
コロンビア(4)
ギリシャ(12)
コートジボワール(17)
日本(48)

[D組]
ウルグアイ(6)
イタリア(7)
イングランド(13)
コスタリカ(31)

[E組]
スイス(8)
フランス(19)
エクアドル(23)
ホンジュラス(41)

[F組]
アルゼンチン(3)
ボスニア・ヘルツェゴビナ(21)
ナイジェリア(36)
イラン(45)

[G組]
ドイツ(2)
ポルトガル(5)
アメリカ(14)
ガーナ(24)

[H組]
ベルギー(11)
ロシア(22)
アルジェリア(26)
韓国(54)

 毎回話題になる「死の組」ですが、今大会最大の「死の組」はD組でしょう。

 D組は、ウルグアイ、イタリア、イングランド、コスタリカの4チームですが、まずコスタリカにとっては、突破がとても難しい組に入ってしまいました。FIFAランク31位と日本の48位より遥かに上のチームですが、さすがに相手が強すぎる感じです。
 残るウルグアイ、イタリア、イングランドの3チーム=ワールドカップ決勝トーナメント常連の3チーム、の内1チームが1次リーグ敗退ということになります。

 南米開催であることと、今大会でも屈指の攻撃力を誇るウルグアイが最も有力ですから、イタリアとイングランドの残留争いになるでしょう。最近の国際試合を見る限り、ややイタリアが有利でしょうか。イングランドの健闘が期待されます。

 続く「死の組」は、G組でしょうか。
 ドイツ、ポルトガル、アメリカ、ガーナの4チームが入ったG組ですが、順当に行けばドイツとポルトガルが突破することになりそうです。そうするとFIFAランク14位のアメリカと24位のガーナが落ちることになります。両チームとも実力十分であり、ランクも高いのですが、相手が悪かったということでしょうか。
 ザックジャパンが、この組に入っていなくて良かったと思います。

 日本チームは、コロンビア、ギリシャ、コートジボワールと同組のC組です。FIFAランクからみると日本より遥かに上のチームばかりであり、近時の国際試合の実績も十分の国々ですから、当然のことながら突破は容易なことではありません。
 20位以内に入っている3チームから見れば、48位の日本は「絶対に負けてはならない相手」であり「1勝が計算できる相手」でもあります。
 しかし、「この3チームはいずれもワールドカップで好成績を収めた実績が無い」のです。

 ブラジル、イタリア、ドイツ、アルゼンチン、ウルグアイといったワールドカップ上位常連国との対戦では「格の違い」を痛感する日本も、この3か国であれば「ワールドカップでの実績なら引けを取らない」気持ちで試合に臨むことが出来るという意味で「悪くない組」に入ったと頭書したのです。

 とはいえ、コロンビア、ギリシャ、コートジボワールを相手にして、日本が「計算できる相手」はもちろん1チームもありません。普通に戦えば3戦全敗でしょう。どのチームに対しても、しっかりとした事前準備をしなければなりませんが、最も注意しなくてはならないのはコートジボワールだと思います。

 コートジボワール(昔は象牙海岸という国名でした)は、現在のアフリカNO.1チームです。有名なサッカー選手も数多く輩出していますが、2007年から2010年までFCバルセロナに所属し、現在マンチェスター・シティに所属しているヤヤ・トゥーレ選手が特に有名でしょうか。身長190㎝を越える長身、圧倒的な身体能力を誇るミッドフィールダーです。

 ゲーム序盤で調子に乗せてしまうと、圧倒的な攻撃力が爆発してしまいますから、日本はコートジボワールの攻撃を抑え込みながら試合を進めなければなりません。日本にとっての初戦の相手でもありますから、ここは悪くとも引き分けておかなければならないのです。2014年6月14日のコートジボワール戦が、ザックジャパンの成否を占う大事な試合になることでしょう。

 さて、WCブラジル2014の1次リーグ組み合わせが決まりました。いつものことですが、本当にワクワクします。
 フィギュアスケートのグランプリファイナル2013大会の男子シングル・フリー演技が、12月6日福岡市マリンメッセ福岡で行われ、羽生結弦選手(18歳)がショートプログラムとの合計293.25点の高得点で優勝しました。
 日本男子の優勝は、昨年の高橋大輔選手に続いて2年連続2人目です。

 国際スケート連盟ISUの公式戦であるグランプリシリーズのファイナルには、間違いなく時々の世界トップクラスのスケーターが出場しますから、ここでの優勝は極めて価値が高いことです。羽生選手は、名実共に世界トップの男子フィギュアスケーターの仲間入りを果たしました。

 2011年からシニアの世界に登場した羽生選手ですが、2012年には既に日本男子フィギュアスケート界の中心選手に成長しました。特に、ショートプログラムには滅法強く、世界最高得点を連発しました。
 一方でフリー演技では力を発揮できないことも多かったように思います。

 その羽生選手が、2013年シーズンに入ってからメキメキと力を付けてきました。そして、世界一の称号を手にしたのです。

① ラスト30秒を滑り切る体力が身についてきたこと。
 羽生選手はフリーに弱いという印象がありました。あの細身の体格を見ると、フリー演技の「4分30秒という長い時間」を滑り切れるのか、いつも不安でした。しかし、今大会の演技は見事でした。
 4分30秒は、どんな選手にとってもキツイ長さです。特に、採点方法が「積み上げ式」になってからは、選手は次々と技を繰り出していかなければ絶対に高得点を獲得することが出来なくなりましたし、後半のジャンプの方が前半のジャンプより1.1倍の得点が得られるルールですから、下半身に疲労が溜まってきた段階で難しいジャンプを連発し、連続成功させない限り、世界大会での好成績は望むべくもありません。
 
 今大会でも、どの選手もラスト30秒はフラフラになりながら滑っていました。羽生選手も相当苦しそうでしたが、カナダのパトリック・チャン選手を始めとするライバル選手と比較すれば、スピード・演技の精度共に羽生選手が上回っていました。この持久力向上は、羽生選手にとって大きな武器になります。

② 失敗が後に響かないこと。
 今大会のフリー演技でも、羽生選手は最初の4回転ジャンプを失敗し転倒しました。前の演技者パトリック・チャン選手が相当の演技を行いましたので、ショートプログラムで12点の得点差があるとはいえ、その後の演技次第では逆転されてしまうと思わせる滑り出しでした。

 しかし、転倒後の演技は滑り出しの失敗を全く感じさせない見事なものでした。現在の採点方法では4回転で転倒しても、回ってさえいれば3回転の演技が行われたことになりますから、転倒によるマイナス1点が加算されるだけで、致命的なミスにはならないのです。怖いのは、転倒による精神的な動揺から、その後の演技がバラバラになることですが、羽生選手はこれを見事にクリアしました。

 そういえば、3位に入った織田信成選手もショート・フリー共に最初の4回転で転倒しましたが「転倒して目が覚めた」と両方の演技後コメントしていました。日本選手の精神面の強さが感じられる大会でもありました。

③ ショート・フリー共に1位であったこと。
 羽生選手のショートプログラムの演技はほぼ完璧で、99.84点という史上最高得点。「ショートの羽生」の面目躍如たるところでした。これで、パトリック・チャン選手に約12点の差を付けました。「この差をフリーで詰められて逃げ切る」形では、ショートで高得点を取れなければ、羽生選手はチャン選手に勝てないということになってしまいますから、今後の大会における精神面に影響が残るところだったと思います。

 チャン選手、羽生選手ともにミスがあったフリー演技でしたが、ともに不満足な演技の中でも羽生選手がチャン選手を上回る得点を得たことは、今後の戦い、例えばソチ・オリンピックに向けて大きな自信につながったと感じます。

 現在の男子シングル界では、実力・安定感共にパトリック・チャン選手がNO.1であることは、誰もが認めるところでしょう。しかし、羽生選手はそのチャン選手にも自らの調子が良ければ勝てること、別の言い方をすれば3回の大会があれば1回は勝てることを示したのです。

 一方のチャン選手にとっても、本大会は大きな経験になったと思います。本番のソチでこの状態にならなかったことは、チャン選手にとって幸運であったとも思います。フリー演技後インタビューで「リンクに出るのが怖かった」とコメントしていました。世界選手権を何度も制しているパトリック・チャン程のプレーヤーでも、失敗するはずがない技をやり損ねると大きな動揺に繋がることが分かったのです。
 当然、コーチを始めとするスタッフと協働し、こうした事態への対処法を構築し実行するでしょうから、ソチでは一層強さを増してくることでしょう。

 また、2002年ソルトレイクで銀メダル、2006年のトリノで金メダル、2010年のバンクーバーで銀メダルとオリンピック3大会連続メダリストであり、世界選手権優勝3回、欧州選手権優勝7回、グランプリファイナル優勝4回等々、あらゆる世界大会を席巻してきた、世界男子フィギュア史上最高のプレーヤーであり「生きる伝説」でもある、エフゲニー・プルシェンコ選手が4回目のオリンピック出場に向け、ロシアの代表選考会に登場したとの情報もあります。

 あの大天才プルシェンコが目標としているのであれば、必ずソチの舞台に登場するでしょうし、日本代表選手やパトリック・チャン選手の最大のライバルになることは間違いありません。

 史上最も充実するであろう日本男子フィギュア陣とプルシェンコ、チャンといったスケーターが顔を揃えるソチ・オリンピックフィギュアスケート・男子シングルは、空前のスケールになることでしょう。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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