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 陸上競技の世界大会の男子4×400mリレー決勝レース。
 アンカーが第4コーナーを回って、先頭はアメリカ、2番手にジャマイカ、これはいつもの光景。3番手に日本、えっ凄いね。
 そして、日本チームのアンカー加藤修也選手(早稲田大学)が直線でジャマイカチームのアンカーを抜き去り、2位でゴールイン。これまでの世界大会では、なかなか見られなかった、素晴らしいレースでした。

 レース後のコメントも「1位を取れたレースだった」との反省の弁。確かに、日本チームは2・3走のランナーが、3コーナー過ぎから前のチームを追っていましたから「外側のコース」を走ることとなりましたので、1位のアメリカチームよりかなり長い距離を走り切りました。
 1600mリレーでは「追い抜くのは直線走路」が望ましいのですけれど、やはり目の前にランナーが居ると、抜きたくなるものなのでしょう。

 アメリカ合衆国のオレゴン州ユージンで開催されていた第15回世界ジュニア陸上競技選手権大会で、日本チームは好成績を残しました。
 2014年12月末時点で20歳未満であるプレーヤーを対象とした大会であり、この世代の世界のトップクラスが集う大会ですから、世界との比較を行う上では絶好の大会でした。

 この大会の日本のメダリスト(3位以内入賞者)は、以下の通りです。(日付順)

① 男子100m 3位 桐生祥秀(東洋大学)
② 男子400m 2位 加藤修也(早稲田大学)
③ 男子走り幅跳び 3位 城山正太郎(東海大学・北海道)
④ 男子10000m競歩 1位 松永大介(東洋大学)
⑤ 男子4×100mリレー 2位 日本チーム
⑥ 男子4×400mリレー 2位 日本チーム

 以上、金メダル1、銀メダル3、銅メダル2の計6個のメダルを獲得するという、堂々たる成績でした。

 競歩の松永選手の金メダルは見事です。もともと、我が国には競歩種目の伝統があり、脈々と世界トップクラスの選手を輩出してきたのですが、オリンピックや世界選手権といった大きなゲームでは、優勝という結果を残せませんでした。この大会で、松永選手が優勝したということは「その殻を破った」ことのように感じられます。
 おそらく競歩界には、松永選手以外にも優秀なプレーヤーが複数居ると思いますので、今後の国際大会における日本人プレーヤーの大活躍が観られることでしょう。

 男子400mリレーと1600mリレーの銀メダルも見事です。
 特に、4人の力を合わせ(チームワーク良く)、バトンパスなどの技術面の優位を利してのレース展開という、従来の日本チームの強みに加えて、桐生選手・加藤選手という個人種目でもメダルを獲得している「大砲」を用意していたという点が、一層素晴らしいことだと思います。
 「大砲+チームワーク+高い技術」というのは、日本のリレーチームが常に追い求めてきたスキームでしょうから、それが実現できたというのは、まさに快挙と言えるでしょう。

 城山選手の走り幅跳び銅メダルも、とても素晴らしいと思います。日本初のオリンピック金メダリストである織田幹雄選手や南部忠平選手といった「跳躍ニッポン」の伝統が少し下火になってから、長い月日が経ちました。走り幅跳びや三段跳びは、極めて高い技術を要する種目ですから、本来日本人に向いている筈なのです。
 絶対筋力の強化により、世界3位を獲得した城山選手を中心として、「跳躍ニッポン」の伝統復活を目指してほしいものです。

 2014年にジュニア世代ということは、2020年東京オリンピックの時には24~25歳という「アスリートとして完成される年齢」になる世代です。
 この世代が、ジュニア時代から、世界と互角以上に戦えているというのは、何と頼もしいことでしょう。日本陸上界の一層の飛躍が期待されます。
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 2014年の大相撲7月場所は7月27日に千秋楽を迎えて、十両では栃ノ心が優勝しました。自身2度目の十両優勝ですが、今回の優勝は一段と嬉しいものであったのではないでしょうか。

 ちょうど昨2013年の7月場所で栃ノ心は右膝に大怪我を負ってしまいました。靱帯断裂であったと思いますが、怪我の後しばらくしてから手術(靱帯断裂等の手術は患部の炎症が落ち着いてからになりますので、通常1ヶ月位後になります)、休養、リハビリと期間が過ぎて、栃ノ心は幕下まで番付を下げてしまいました。

 完治まで待っていては、どこまで下がるか分からないということでしょうか、栃ノ心は今年の3月場所から土俵に復帰し、3月場所・5月場所を幕下で連続優勝して十両に上がってきたのが7月場所だったのです。

 もともと幕の内上位・三役の力があった力士ですから、幕下で優勝するのは当然という見方もあるかと思いますが、私は全くそのようには考えません。ご存知の方も多いとは思いますが、幕下には元幕の内力士が相当数居ますし(幕下と言えども強い力士が沢山居るのです)、何より自身の膝が回復途上なのですから、栃ノ心にとっては「慎重な」取組が続いたと考えます。

 そうした中で十両に復帰した7月場所は14日目を終わって12勝2敗の好成績、千秋楽は13勝1敗の逸ノ城関との一番となりました。
 逸ノ城は、2014年1月の角界デビューから僅か4場所目で十両西3枚目に上がるという、日の出の勢いの力士です。身長190cm体重183kgという堂々たる体躯とアマチュア相撲の経験を活かした取り口で、十両に上がったばかりの5月場所も11勝4敗で優勝するなど、今後の角界を支えて行く力士として期待されている大物なのです。

 私は、この逸ノ城と栃ノ心の取組が組まれた時に、十両優勝を決めるには避けては通れない一番だと思う一方、「栃ノ心関は怪我をしないと良いが」と感じました。
 大怪我から一生懸命復帰してきた力士が、再び怪我をしてしまうというのは、残念ながら時折目にするのです。今場所の豊真将関もそうです。

 膝の大怪我は完治に時間がかかりますから、まだまだ栃ノ心関は回復途上でしょう。一方、とても真面目な性格ですからこういうチャンスが到来した以上「勝ちに行く」タイプなのです。

 案の定、取組前のインタビューで「本割・決定戦の連勝を狙う」とのコメントが伝えられました。ますます心配になりました。

 さて本割の一番。立ち合いからがっぷり四つとなって、力比べの感。引き付け合いや寄りの応酬の後、栃ノ心が寄り切りました。栃ノ心の体は何とも無いようです。

 続いて優勝決定戦。これも立ち合いからがっぷり四つとなって、力比べから、栃ノ心が逸ノ城の重心を少しずつ上げることに成功して寄り切りました。

 公言通り「2つ勝った」のです。素晴らしい優勝でした。

 優勝インタビューで「膝はだいぶ良くなってきた。速く幕内に戻りたい。」とコメントしていました。

 この2番を観る限り、栃ノ心は「怪我をする以前より、安定感が増した」ように感じられました。その大きな要因として、左腕上腕部のサポーターが取れていることがあるように思います。
 その腕力・怪力を武器として、一気に幕内上位に進出した栃ノ心は、怪力ゆえの故障「両腕の上腕部の筋肉断裂」に悩まされていると聞きました。2013年の春頃には、かつての怪力が見られなくなっていたのです。

 それが、今回の右膝の大怪我の治療の過程で、腕の怪我も快方に向かっているとしたら、膝の大怪我にも僅かに良いことがあったということかもしれません。まだ右腕の上腕にはサポーターがありましたが、もし両腕とも回復が進んでいるようなら、「膝の大怪我以前より強い栃ノ心」になっている可能性が十分あります。

 栃ノ心関は、まだ26歳。来9月場所に十両の上位で好成績を残していただき、11月場所には幕内に戻って来て欲しいものです。

 そして、2015年は栃ノ心関にとって「失われた1年の倍返しの年」にしていただきたいと思うのです。

 夏の甲子園2014地方予選大会も佳境となった7月26日と27日、各地方大会の決勝戦では「甲子園出場の重み」を感じさせるに十分なゲームが展開されました。

① 石川大会決勝 星稜9-8小松大谷

 9回表まで8-0とリードしていた小松大谷高校の勝利は目前でした。29年振り2回目の甲子園大会出場は確実というより、どうやって9回裏の3アウトを取るかだけの問題でした。
 ところが9回裏星稜高校は打者13人を送り込み、一挙に9点を挙げて逆転勝ちしたのです。ひとつひとつのプレーを観れば「こうしておけばよかった」「ああしておけばよかった」の連続であったと思いますが、それにしてもこれ程の逆転劇の最大の要因は「甲子園出場の重み」でしょう。

② 福島大会決勝 聖光学院7-6日大東北

 9回表まで6-2とリードした日大東北高校、甲子園出場は目前でした。しかし、9回裏聖光学院高校は一気に4点を挙げて同点とし、延長11回裏サヨナラ勝ちを収めました。

 過去7回の夏の甲子園大会出場歴があるとはいえ、近時は「福島といえば聖光学院」と言われるほど、聖光学院が優位にあり、今大会も大本命でした。日大東北は、この聖光学院をあと一歩まで追い詰めたのです。
 9回裏に4点を失うこととなった最大の要因は、やはり「甲子園出場の重み」であったのでしょう。

 どんなスポーツでも同様なのかもしれませんが、「野球競技には特に大逆転勝ちが多い」ような気がします。

 例えば、サッカー競技において、トップクラスのゲームで、スコア0-3の局面、試合時間残り10分での逆転劇は滅多に観られないでしょう。一方で、野球では9回裏を残して0-8で負けているゲームでも9点取っての逆転があるのです。

 もちろん、これは「野球競技が3アウトを取られるまでは、打者何人でも時間無制限で攻撃を続けることが出来る上に、得点制限が無い」という、サッカー競技やラグビー競技、ゴルフ競技等との根本的な違いから、生じているものであることは明らかですが、それにしても「実力接近の試合でも時折大逆転が起こる」のが、不思議なところです。

 星稜vs小松大谷戦などは、小説にも書けないような内容・結果です。
 フィクションでも書けそうもないことが、実際の試合で起こってしまうことが、野球、特に高校野球、さらに言えば「甲子園大会」の怖いところであり、魅力でもあるのでしょう。

 7月27日千秋楽のテレビ放送が始まると早々に、「豪栄道が、本日の琴奨菊戦に勝ったら、大関昇進の理事会が招集される」旨のアナウンスがありました。

 千秋楽は、横綱・白鵬と大関・琴奨菊を中心とした優勝争いが最大の見所だったのですが、そこに「豪栄道の大関取り」が加わったのです。見所てんこ盛りの一日となりました。

 琴奨菊が「日本出身力士8年半振りの優勝」を成し遂げるには、豪栄道戦に勝利することが大きな条件となります。このニュースを聞くまでは、正直に言って琴奨菊の勝利を期待していました。
 ところが、豪栄道がこの一番に勝てば大関昇進となると、「優勝」と「大関昇進」とが相反する要素になってしまいましたから、「どっちも頑張れ」という心情になりました。

 さて件の一番です。
 琴奨菊は、今場所の武器である「蘇った立ち合いの当たり」を見せますが、豪栄道はこれをガッチリと受け止めて一歩も引きません。そして、体を入れ替えて、琴奨菊の横から寄り立てます。これには堪らず、琴奨菊が土俵を割りました。

 豪栄道豪太郎関。大阪府寝屋川市出身の28歳。身長183cm・体重156kg。
 埼玉栄高校時代に、高校横綱・世界ジュニア相撲選手権無差別級優勝など、あらゆるタイトルを取り、高校卒業前の2005年1月場所で初土俵。幕下優勝などの好成績を重ねて2007年9月場所新入幕。素晴らしいスピード出世でした。
そして、2012年5月場所から今場所まで14場所連続で関脇を務めています。2年以上に渡って関脇を守ったのは、大相撲史上1位の記録です。

 取り口の特徴は、以下の2点だと思います。
・立ち合いからの圧倒的なスピード
・前捌きの上手さ

 一方で、立ち合いのスピードが不足していたり、前に出る力が不十分な場所では、脇の甘さという欠点がクローズアップされてしまい、「押し込まれては首投げ」といった取り口ばかりが目立つこととなって、「3場所連続で好成績を残すこと」が出来ませんでした。

 実に5月場所も8勝7敗という物足りない成績でしたから、7月場所前に豪栄道関の大関取りが話題に上ることはありませんでした。

 今場所も前半戦は,初日嘉風関に敗れ、6日目に勢関に不覚を取り2敗としましたから、優勝争いも含めて、豪栄道関が話題となることは、やはりありませんでした。

 それが、10日目に横綱・鶴竜を倒し、11日目に横綱・白鵬を破ったころから、豪栄道強しの声が上がり始めました。しかし、12日目に横綱・日馬富士に惜敗して優勝争いから後退しましたから、やはり「豪栄道の大関取り」は14日目まで、マスコミ等では全く話題とはならなかったのです。
 そういう意味では「不思議な場所」でした。

 14日目を終わって、豪栄道の成績を冷静に観ると、白鵬・鶴竜の2横綱に勝ち、大関・稀勢の里にも完勝しての11勝3敗。先場所の8勝、先々場所の12勝と合計すると31勝となり、大関昇進の目安である32勝まであと星ひとつ。
 そして、先場所8勝止まりといえども、横綱・白鵬を破っての殊勲賞受賞と「相撲内容の良さ」も評価されたのでしょう。

 突然、降って湧いたかのように、千秋楽の朝「大関取りが現実化した」のだと思います。

 豪栄道関は、この千載一遇のチャンスを見事にものにしました。素晴らしい勝負強さでした。「この一番」となった時には肝が据わるタイプなのかもしれません。横綱・白鵬に対する強さにも観られます。

 大相撲の歴史には、これまでも「長く関脇の地位に居て、実力も十分ながら、ついに大関になれなかった力士」が存在します。私には、特に以下の2力士が思い出されます。

① 長谷川関(長谷川勝敏)
 1965年1月場所入幕、1976年5月場所引退。関脇在位21場所(史上2位)、幕内最高優勝1回(1972年3月場所・東の関脇)、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞2回、金星9個。

 堂々たる成績と、見事な取り口で「いつでも大関になれる」と言われていましたが、相当に不運なことが重なり、ついに昇進できませんでした。特に、1972年1月場所で10勝5敗の優勝次点、続く3月場所で優勝した時には、当然大関かと思いましたが、その頃は4大関体制であり、その4大関がそろって不振を囲っていたため「ファンの大関に対する眼が厳しかったこと」から見送られたのです。本当に残念なことでした。

② 若の里関(若の里忍)
 1998年5月場所新入幕、現役。関脇在位17場所、殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞2回、金星2個。生涯通算879勝は史上6位(7位は大鵬関)。

 こちらも、堂々たる成績です。特に、2003年3月場所からの5場所連続関脇や2004年3月場所からの6場所連続関脇の時には「いつでも大関に」と言われましたが、2桁白星が続いた後の3場所目で、7勝止まり・6勝止まりと、惜しくも昇進基準をクリアできませんでした。

 長谷川関も若の里関も、十分に大関を張れる地力があったと思いますが、色々な要素が相俟って残念ながら大関にはなれませんでした。(若の里関には、まだ可能性が残されていますが)
 もちろん、長谷川関、若の里関の大相撲界に残した功績は、大関力士と全く遜色ないものだと思います。

 さて、ついに大関をものにした豪栄道には「素晴らしいスピードと技能を活かした、前に出る相撲」という自らの持ち味に一層磨きをかけていただき、優勝を目指してもらうとともに、その「スピード」で一気にもう一段駆け上がっていただきたいと期待します。
 現在の3横綱と互角の戦いを繰り広げているのですから、十分にその力はあると思います。

 ワールドカップ2014ブラジル大会で優勝したドイツチームは、グループリーグから決勝トーナメントにかけての通算7ゲームに連続で先制点を挙げました。このチームの特質を良く示している事実だと思います。

① 無得点のゲームが無いこと

 世界最高レベルの大会で7ゲームを戦えば、無得点のゲームが有っても何の不思議も無いというか、相当に攻撃力が強いチームでも、通常は得点0のゲームがあるものでしょう。

 同様に7ゲームを戦った、準優勝のアルゼンチンチームでも2ゲーム、3位のオランダチームも2ゲーム、4位のブラジルチームも2ゲームが無得点でした。

 そうした中で、ドイツチームが「7ゲーム全てに得点している」ことが、最も素晴らしいことだと思います。
 
② 全てのゲームで先制していること

 ドイツも、相手チームによって戦法を変えていましたが、どのゲームでも先取点を挙げています。攻撃的に入ったゲームでも、守備的に入ったゲームでも、常に点を取る意識とシステムを堅持していたことを示す事実でしょう。

 いつの時代も、ワールドカップのゲーム内容は、その時代その時代の「世界最先端のサッカー」を体現しているものでしょうし、次の大会までの4年間は世界中のサッカー強豪国が、その戦法・戦術を研究し、自らの強化に活かそうとするものだと思います。

 今大会のドイツチームのプレーは「得点を挙げる仕組みをシステマティックに構築し実行した」という点で、やはり世界の範となるものだったのでしょう。

 おそらく、ドイツの攻撃は十通り位の基本パターンと、そこからの応用形の組合せで構成されていたと推定されますが、その構築に際して「得点確率を上げる」ことに重点を置いていたのではないでしょうか。
多くの得点シーンで、シュートできる体制から必ず反対側のプレーヤーにパスを出し、パスコースを確保するとともに、シューターをフリーにする工夫が有りました。

 守備側のプレーヤーに競られることなくフリーでシュートできれば、「特別な決定力を持つプレーヤー」でなくとも、枠を捕えてゴールキーパーが取り難いシュートを放つ確率が高くなるということでしょう。

 世界最高レベルのフィジカルとスピード・技術を具備しているプレーヤー達に、余裕を持ってシュートが打てる形が提供されれば、チームの得点力は上がります。それがこの大会のドイツチームであり、その成果が「7ゲーム連続先制点」であったのだろうと思います。

 ワールドカップ2014ブラジル大会のドイツチームは、世界中のサッカー強豪国・強豪チームの研究対象となっているのです。
 ニューヨーク・ヤンキースの黒田博樹投手が、7月25日のトロント・ブルージェイズ戦に先発し、5と2/3イニング・94球を投げて、被安打8、失点4、奪三振3と粘りの投球を展開して勝ち投手となりました。
 今シーズン7勝目(6敗)となった先発登板は、メジャー通算200度目の節目の登板でもありました。そして、このゲームの3回裏にはイチロー選手の逆転3ランホームランも飛び出しました。祝砲の様でした。

 ロサンゼルス・ドジャーズで4シーズン、そしてヤンキースで3シーズン目の7月を迎えている黒田投手。200先発登板というのは、素晴らしい実績だと思います。何より200度も先発を任されること自体が大変な栄誉でしょう。

 「必ずゲームを作ってくれる」という監督からの信頼が無ければ、7シーズン目途中で200先発という、1シーズン30登板以上のペースでマウンドに登ることは出来ません。
 大きな故障も無いことが分かります。自身のコンディショニングに細心の注意を払ってきているのでしょう。まさにプロフェッショナルです。

 日本人投手としては、野茂英雄投手の318先発登板(MLB12シーズン)に次ぐ記録。

 「いつも、これが最後の登板だと思ってマウンドに上がる」とコメントしている黒田投手の、これまでのキャリアに大きな拍手を送ると共に、今後の活躍にも大いに期待したいと思います。
 7月25日のニューヨーク・ヤンキース対トロント・ブルージェイズの一戦、トロントの川崎宗則選手は2番・サードで先発しました。

 ゲーム前の川崎選手へのインタビューが放送されました。

① コンディションはどうですか?

 良いですよ。いつも良いんです。デビュー以来、いつも良い。去年と違うことと言ったら33歳になったことぐらいかな。

② メジャーで初めてのサードの守備ですが?

 どこでも守りますよ。言われればキャッチャーでもやります。マイナーに居た時に、1塁コーチもやりました。コーチも出来るようになったんです。

③ ヤンキース黒田投手がメジャー200登板ですが?

 ゲーム前から一発やられた感じですね。凄いと思います。
 こちらとしては、胸を借りるとかいうのではなく、必死こいてやります。必死こいてね。

 インタビューに応える表情の明るいこと、力強いこと、素晴らしいと感じました。

 ゲーム前の打撃練習の時、大好きな?イチロー選手に挨拶に行って、何か話していました。イチロー選手も笑顔で応えます。
 イチロー選手の打撃練習の時には、バッティングゲージの後ろで「正座して」観ていることもあります。

 全てにおいて元気一杯のムネリン。最高です。
 大相撲7月場所は13日目を終えて、2敗で白鵬関、琴奨菊関、高安関が並び、3敗で鶴竜関、豪栄道関が追うという、久し振りの大混戦となりました。5力士に優勝の可能性があるのです。

 そして、5力士が3つの取組に連続して登場しました。今場所最大の見せ場が訪れたのです。

① 豪栄道vs照ノ富士
 怪力と強引ともいえる取り口でメキメキ力を付けてきている照ノ富士との取組でしたが、豪栄道は落ち着いた取り口で勝ち切りました。照ノ富士の投げにも冷静に対応し押し出した相撲内容は「強くなった」という印象を与えました。

 千秋楽は琴奨菊との取組です。「優勝とか大関とかは後から付いてくるもの」との本人のコメント通りの素晴らしい相撲を期待しています。

② 琴奨菊vs高安
 2敗同士の取組ですから、賜杯の行方を大きく左右する大一番。一度「待った」が有りました。高安が突っかけたものですが、これで琴奨菊が少し有利になったと感じました。
 果たして、琴奨菊は素晴らしい立ち合いから一気に高安を押し出しました。

 テレビ解説の八角親方(元、横綱北勝海)が「1場所に一回、2場所に一回有るか無いかの最高の立ち合い」だったとコメントしました。

 琴奨菊には、角番からの優勝に向けて、千秋楽でも冷静な相撲を見せて欲しいものだと思います。

③ 白鵬vs鶴竜

 横綱同士の対戦。立合いから鶴竜が押し込みました。そして、鶴竜がもろ差しとなり、白鵬は外四つの苦しい体勢。ここで鶴竜が押して出ようとしたタイミングで白鵬が上手く巻き替え、鶴竜の上手を切って寄り切りました。

 さすがに横綱同士の取組みだけあって、両力士が秘術を尽くしての戦いでした。特に「巻き替え」が上手い両力士ですから、目まぐるしいタイミングで巻き替えの応酬が繰り返されます。

 そうした状況下、白鵬の気迫が勝ったというところでしょう。

 右肘を痛めているであろう状況で、しかし決して諦めない姿が「大横綱・白鵬」そのものでしょう。見事です。

 さて、2敗で白鵬と琴奨菊が並び、3敗で豪栄道と高安が追う展開で千秋楽を迎えることとなりました。
 経験十分な白鵬が有利だとは思いますが、今場所は何が起こるか分かりません。千秋楽が楽しみです。
 大会ベストイレブンについては、FIFAからも発表されていますし、色々なご意見があろうかと思いますが、本ブログもなるべく独断と偏見とならぬよう留意の上、選定したいと思います。

 では、早速

① GK マヌエル・ノイアー(ドイツ)
② DF マルティンス・インディ(オランダ)
③ DF ステファン・デフライ(オランダ)
④ DF マッツ・フメルス(ドイツ)
⑤ DF ジェローム・ボアテング(ドイツ)
⑥ MF アンヘル・ディマリア(アルゼンチン)
⑦ MF ハメス・ロドリゲス(コロンビア)
⑧ MF メスト・エジル(ドイツ)
⑨ MF トニー・クロース(ドイツ)
⑩ FW アリエン・ロッベン(オランダ)
⑪ FW トマス・ミュラー(ドイツ)

 スーパープレーヤーが犇めく大会ですから、イレブンの選定は極めて難しいのですけれど、以下が選定理由です。

 GKについては、ノイアー選手とケイロル・ナバス選手(コスタリカ)で迷いました。どちらのキーパーも、ポジショニングが素晴らしく、飛んでくるシュートをひらりひらりとセーブするのではなく、DFと協働でシュートのコースを消し、リスクを未然に防ぐ動きに無駄が無かったという点で互角と感じました。
 最終的には、優勝チームのゴールを死守したという点でノイアー選手としました。

 DFについては、「守備力の強さ」と「攻撃参加力」という2つの視点がありますが、やはりDFプレーヤーは守備力第一という考え方で選定しました。
 オランダのマルティンス・インディ選手とデフライ選手はペナルティエリア付近で良く効いていました。そして、センターラインまでボールを運びオランダチームのフォーメーションを支え続けたと感じます。
 ドイツのフメルス選手とボアテング選手は「献身的な守備」を買いました。「堅守ドイツ」の伝統を堅持するプレーヤーでしょう。フメルス選手についていえば、グループリーグのポルトガル戦と決勝トーナメントのフランス戦でのゴールも加味されます。両方とも、とても効果的な得点でした。

 DFの次点プレーヤーとしては、アルゼンチンのマルティン・デミチェリス選手やパブロ・サバレラ選手、ブラジルのダビドルイス選手が挙げられます。特に、ダビドルイス選手については、不振のブラジルチームに有って、孤軍奮闘の印象がありましたが、まだルシオ選手ほどの存在感には到っていないと判断しました。

 MFも多士済々。
 ディマリア選手については、今大会のアルゼンチンチームの中心選手であり、その素晴らしい運動量でチームを支え続けました。私は今大会のアルゼンチンは「ディマリアのチーム」だったと思います。

 ハメス・ロドリゲス選手について異論はないでしょう。今大会の得点王にして、躍進コロンビアチームの10番・中心選手です。その素晴らしいサッカーセンスで今後の世界サッカーを牽引していただきたいものです。

 メスト・エジル選手は、優勝したドイツチームの中盤を終始支え続けました。「エジルのところでボールが一度落ち着く」のです。この役割は、攻撃・守備の両面で計り知れない好影響をチームに齎したと思います。
 クロース選手はチームの「容赦ない攻撃」の一翼を担いました。ドイツチームの得点システムの肝になったプレーヤーだと思います。「先進のミッドフィールダー」という感じでしょうか。

 MFの次点プレーヤーとしては、アルゼンチンのハビエル・マスチェラーノ選手やドイツのサミ・ケディラ選手、フィリップ・ラーム選手らが挙げられます。マスチェラーノ選手は「失点しないアルゼンチン」のフォーメーションの中心に居ました。素晴らしい貢献であったと思います。

 FWも、もちろん多士済々。
 アリエン・ロッベン選手は「誰も止めることが出来ない」という点で、傑出したフォワードプレーヤーでしょう。そして決定力も身に付いて来ました。引き続き、他に類を見ないFWとしての活躍が期待されます。

 トマス・ミュラー選手は、今大会はドイツチームのワントップとして役割期待に応えました。MFとして自由に動き回っても、抜群の得点感覚を保持しているのですが、ワントップとしてもやれるのですから凄いことです。
 ポストプレー他で、周りのプレーヤーにボールを供給しながら5得点で得点ランク2位なのです。真に非凡なプレーヤーと言えるでしょう。
 これでワールドカップ通算10得点となりました。同じドイツのミロスラフ・クローゼ選手のワールドカップ記録16得点を更新するとすれば、トマス・ミュラー選手しか居ないでしょう。そして、その可能性は十分にあります。

 次点としては、ブラジルのネイマール選手やアルゼンチンのメッシ選手、オランダのファンペルシ選手が挙げられます。
ネイマール選手は「ブラジルチームの得点力そのもの」の活躍でしたが、故障のため準決勝に出場できなかった点が惜しまれます。
 メッシ選手も「ゲーム終盤に決定的な仕事をする」活躍は見事でしたが、持ち味である「ゲームを通じてのペナルティエリア付近での変幻自在な動き」が見られなかったのが残念でした。
 ファンペルシ選手はFWらしいFWとして見事な働きでした。強いて言えばゲーム終盤でガス欠になっていたことが多かったかもしれません。

 以上が「KaZブログのベストイレブン」です。

 国別にみると、ドイツチームが6人と過半を占め、続いてオランダチームが3人でした。今大会のチーム力が示されているようにも感じます。

 ワールドカップにおけるベストイレブン選出は、サッカープレーヤー最高の栄誉のひとつでしょう。そして、ベストイレブンプレーヤーが多いチームが、やはり強いのです。
 
 ベストイレブンに日本人プレーヤーが選出される日が、早く到来して欲しいものです。

 嬉しいニュースです。

 アメリカ・オレゴン州のユージンで開催されている陸上競技世界ジュニア選手権大会の男子100m競走種目で、日本の桐生祥秀選手(18歳、東洋大学)が10秒34のタイムで3位に食い込みました。世界ジュニアの同種目では日本選手初の3位入線という快挙です。

 世界ジュニア陸上は、2年に一回・西暦の偶数年に開催される、20歳未満(開催年の年末時点)のプレーヤーの世界一を争う大会です。当然ながら、大変ハイレベルな大会ですし、同世代の世界の強豪が一堂に集う大会です。

 こうした世界最高レベルの大会の100m競走で3位入賞というのは、素晴らしい成績です。
 そして、優勝したケンドル・ウイリアムズ選手(18歳、アメリカ、タイム10秒21)、2位のトレイボン・ブロメル選手(19歳、アメリカ、タイム10秒27)といった「同世代の世界トップランナー」とともに、「世界トップランナーの一翼を占めたこと」がとても有意義なことだと思うのです。

 陸上競技は、滅多に番狂わせが起きない競技です。「優勝できる実力を保持しているプレーヤー数人の中から優勝者が出る」競技なのです。従って、優勝するためには当該のトップ数人に入っている、どの世界大会でも入っていることが重要です。

 世界ジュニア大会で3位となり、レース内容を観れば「前半は互角、後半やや離された」という形ですから、十分に勝負になっています。
 桐生選手には、引き続き世界トップクラスのランナーとして、世界トップクラスの大会に続けて出場し、ノウハウ・経験を身に付けて行くとともに、「種々のコンディション次第では世界一が取れる」雰囲気を醸成し続けていただきたいと感じます。

 競技後、桐生選手もコメントしていましたが「あと6年しかないが6年もある」のです。2020年東京オリンピックに向かっての戦いは、とっくに始まっています。
 社会人野球・真夏の祭典、第85回都市対抗野球大会は7月18日に開幕しました。

 友人の依頼で7月23日、ホンダチーム(狭山市)の応援に行ってきました。
 広島市(JR西日本)と狭山市(ホンダ)の対戦、JR西日本が先攻です。

 JR西日本は、ホンダ先発の桜田投手の立ち上がりを攻めて1回表に先制、3回にも2点を追加して3-0、優位に試合を進めます。
 ホンダも3回裏・4回裏と1点ずつ返しますが、続くチャンスであと一本が出ずに追い付くことが出来ません。

 JR西日本が5回にも追加点を上げて4-2とリードした形で試合も終盤。
 3塁側ホンダ応援席の、私の前の席に座っていたホンダの社員の方(還暦は過ぎていると思います)が、「もう30年以上観てきた。入来(投手。ホンダ→巨人→DeNA)の時は強かった。」などとおっしゃいます。
 さすがに18年前1996年のホンダ優勝の時は観ていませんので、「2009年の長野選手が居た時の優勝は観ました。」と応えます。
 こうしたスタンドにおける人生の大先輩との会話は、社会人野球の醍醐味でしょう。

 さて、ゲームは8回裏、JR西日本が4-2でリード。ここでホンダの反撃が始まりました。4番多幡選手・四球、6番小甲選手・死球、7番川戸選手・死球で1死満塁。ここで、8番阿部選手がレフト前ヒットで1点を返し、なおも1死満塁。
 9番山崎選手に代打の篠塚選手。あの銚子商業→巨人のヒットメーカー篠塚選手の息子さんです。こういう選手を観ることが出来るのも、社会人野球の醍醐味でしょう。その篠塚選手がセンターに大きなフライ。タッチアップから以下点が入り4-4の同点。この時の振り切った姿勢が、お父さんの篠塚選手とそっくりでした。

 続く、この日当たっていなかった1番浦部選手がセンター前ヒットを打ち、ついに5-4とホンダが勝ち越しました。

 篠塚選手のセンターフライで同点となった時点で、応援席は大騒ぎ。ホンダ応援席恒例のバンザイを繰り返している最中に、初球を浦部選手がヒットしたため、スタンドは何がなんだかよく分からないまま、再び騒然となりました。

 そして9回表。ホンダのマウンドには福島投手が上がります。
 本来は、ここをキッチリと押さえてゲームセットと行きたかったところですが、当然ながらJR西日本も粘ります。7番金丸選手の代打今井選手がレフト前ヒット。8番原田選手の時、ホンダにバッテリーミス・パスボールで今井選手は2塁へ。これをキッチリと送って1死3塁。9番安田選手のセンターフライでタッチアップから同点5-5。試合は振出しに戻りました。
 ホンダにとっては痛いパスボールでした。一方のJR西日本は、無死でランナーが出れば間違いなくバントで送る戦法。徹底していましたし、各選手のバントも上手でした。

 さて、延長10回・11回と両チームとも得点できず、ゲームは「タイブレーク」に持ち込まれました。「1死満塁の設定で攻撃を開始するルール」です。おそらく、ソフトボールのルールを野球に適用したのであろうと思いますが、スケジュールが厳しい都市対抗野球では、止むを得ないルール導入であろうとも思います。
 サッカーならPK戦というところでしょうか。

 延長12回の表裏は色々ありましたが、結局両チーム1点ずつを取り合い6-6の同点のまま延長13回へ。ゴルフのプレーオフでいえば「プレーオフ2ホール目」、サッカーでいえば「PK戦5人ずつが蹴り終わり6人目に入る」といったところでしょうか。

 延長13回の表、JR西日本は2死満塁となって7番高木選手。ボールが3つ連続してカウント3-0、四球なら押し出しで得点が入ります。ここからストライクが2つ来てカウント3-2となっての6球目を高木選手がライトにヒット、2者が帰り8-6とリード。
さらに2死1・3塁とチャンスが続きましたが、ホンダの福島投手が踏ん張って、続く林選手を三振に取り3アウトチェンジ。ここで追加点を阻止したことが、13回裏のホンダチームの攻撃に結びつきました。

 延長13回の裏、ホンダの先頭打者川戸選手は内野フライアウトで2死満塁。ホンダ絶体絶命のピンチ、JR西日本が相当有利になりました。JR西日本チーム関根選手の力投が続きます。

 続くは8番阿部選手。カウント1-2からファウルで粘ります。これは見事な粘り。

 前の席のホンダの大先輩が「怖くて観ていられないよ。」と振り返りながら言いますので、「大丈夫ですよ。常に勝負は一球で決まります。」と励まし?ました。
 ホンダ応援席全員が立ち上がって、「赤と黄色のうちわ」を振り回し、声を振り絞っての大応援が、いつ果てるともなく続きます。

 そして、阿部選手のカウントは3-2となりました。JR西日本としては、カウント2-2までの間に勝負したかったことでしょう。2点リードしているので、長打を打たれても同点までに抑えられる可能性があるからです。フルカウントとなってしまいましたから、3人のランナーが投球動作と共にスタートしてしまう態勢となりました。外野の間を割れば、3人のランナー全てが生還できる形になってしまったのです。

 カウント2-2まではJR西日本が有利でしたが、3-2となってしまっては伸るか反るかの勝負になってしまいました。

 果たして阿部選手は右中間を破るヒット。3塁ランナー、2塁ランナーに続いて1塁ランナーも勇躍ホームを陥れ、ホンダチームの逆転サヨナラ勝ちとなりました。

 15000人は優に超えていると思われ、東京ドームの3塁側3階席とレフトスタンドまで埋め尽くしたホンダ応援団は狂喜乱舞。私も周り中の人とハイタッチの嵐。
 一方の1塁側JR西日本の応援団は沈黙。よもやの逆転負けですから、無理も無いところです。

 ほぼ互角の試合でしたが、13回裏の阿部選手のカウントがポイントだったと思います。1-2からファウルによる粘りで、3-2まで持って行ったのですが、2-2から3-2になったところで「JR西日本チームのリスクは倍増」しました。

 延長13回9-8のサヨナラ勝ちという、見応え十分の大変面白い試合でしたし、周囲の人達との交流という社会人野球の醍醐味も楽しめましたし、「野球競技における1球の重み」を再度認識させられた試合でもありました。

 第143回全英オープンゴルフ選手権大会は、北アイルランドのロリー・マキロイ選手が4日間通算271打・17アンダーパーの成績で優勝しました。
 1日目からトップに立ち、1度も首位を譲ることなく4日間を戦い抜いた「完全優勝」でした。

 勝敗のカギとなったのは、3日目の12番ホール終了時点。この日4ストローク差でスタートしたマキロイ選手でしたがボギーが先行、追い上げてきたリッキー・ファウラー選手(アメリカ)に並ばれてしまったのです。

 しかし、ここからのマキロイ選手のプレーが圧巻でした。
 14番で長いバーディパットを決め、16番のパー5をイーグルとしました。この大会、16番ホールはマキロイ選手がスコアを伸ばしたホールでしたが、それにしても「勝負どころのイーグル」は見事でした。

 結局3日目終了時点では、2位のファウラー選手に6ストローク差を付けました。2日目終了時点より2位との差を広げたのです。これでほぼ優勝を手にしたと思いました。

 最終4日目のマキロイ選手は「ダブルボギーを打たない」様にプレーしていたと感じました。キッチリと逃げ切ったのです。

 こうしたマキロイ選手のプレー振り、「ぶっちぎる大会はぶっちぎり、絶好調で無い日でもキッチリと勝ち切る」というプレー振りは、全盛期のタイガー・ウッズ選手を思わせるものです。
これで全米オープン・全米プロに続いて3つ目のメジャー大会制覇となったマキロイ選手の、強さが際立った大会であったと感じます。

 それにしても、2014年のメジャートーナメントは、首位に立っての逃げ切りというか、圧勝という大会が多いと感じます。

 マスターズ2014は、ババ・ワトソン選手が2日目に首位に立ち、3日目終了時点でジョーダン・スピース選手に5アンダーパーで並ばれたものの首位は譲らず、4日目にキッチリと引き離して優勝しました。

 全米オープン2014は、マーティン・カイマー選手が初日から快調なプレーを展開。4日間首位を走り、2位に8ストローク差で圧勝しました。

 そして全英オープン2014は、ロリー・マキロイ選手が4日間首位を譲らず優勝したのです。

 もともと「メジャートーナメントでは3日目終了時点で首位と僅差に居なければ勝つのは困難、大差の逆転勝ちは殆ど存在しない」ことは知られていることですが、2014年ほど「一度首位に立ったプレーヤーがその位置を譲らない」年も珍しいのではないでしょうか。
 一度波に乗ったプレーヤーが、3日目4日目も安定したプレーを続けるということですから、「精神面の強さ」がトッププレーヤーの身に付いて来ているということかもしれません。

 毎年最後のメジャートーナメントである「全米プロ選手権大会2014」(8月7日~)では、どんなゲームが展開されるのでしょうか。
 やはり、波に乗ったプレーヤーの圧勝となるのか、今年唯一の混戦となるのか、興味深いところです。

 ワールドカップ2014ブラジル大会のグループリーグで敗退した日本代表チームの選手達が、6月27日帰国しました。
 空港には約1000人のファンが出迎え、ザッケローニ監督を始めとするメンバーに拍手や歓声、呼び掛けを送りました。

 取材に応じたファンからは「よく頑張ってくれた」「ご苦労様と言いたい」「見ていると涙が出てくる」といった好意的なコメントが数多く寄せられました。空港に詰めかけたファンは、心から代表チームの健闘を讃えている様子でした。

 さすがに選手たちの表情は一様に固いものでしたが、ザッケローニ監督は「負けても、これだけ温かく迎えてもらえるのは嬉しい」とコメントしていました。

 一方、やはりグループリーグで敗退してしまったイングランド代表チームの帰国の様子も報道されました。
 帰国したプレーヤー達を出迎えたのは「歳を取ったご婦人1人」だったというのです。

 ルーニーやジェラード、ランパード、ウェルベック、スターリッジ等々のスター選手の帰国に際して、出迎えのファンが1人だけというのも凄い話だと思います。

 当然ながら、前述のイングランドチームのメンバーはスター選手ですから、その顔をひと目見たいというファンも多いはずなのですが、出迎えが1人ということは多くのファンは「敢えて出迎えに行かなかった」ということなのかもしれません。
 「負けて帰ってきた代表チーム・プレーヤー」を厳しい姿勢で迎えたということでしょうか。

 「1000人と1人」のどちらが良いのかは、一概には言えないことでしょう。

 勝っても負けても、ふがいない成績でも、その健闘を評価して温かく迎えるという日本方式は、いかにも日本的という感じがしますし、サッカー発祥の地・宗主国としてのイングランドの有り様も、一理も二理もあると感じます。

 いつも優しい?ファンに囲まれている日本代表チーム・プレーヤーが、しかし絶対に勘違いしてはならないのは「負けても酷く叩かれることは無い」と思い込んでしまうことでしょう。(そんな考え方のプレーヤーは居ないと思いますが)

 そんな考え方では強くなれないと言う以前に、そんな考え方では「ワールドカップで戦う資格が無い」ということのような気がします。
 
 「肉体的にも精神的にも全力を尽くすことができる」プレーヤー・体制・システムの育成・構築に向けて、新生日本代表チームにエールを送ります。
 大相撲7月場所も9日目を終えて、若手の台頭が目立つ場所となっていますが、一方でベテラン、特に尾車部屋の嘉風関・豪風関の「風風コンビ」(私の勝手な命名です)も大活躍を魅せています。

 前頭二枚目の嘉風関が5勝4敗、同四枚目の豪風関が7勝2敗と、横綱・大関との対戦もありながら白星が先行していますし、嘉風が4日目に横綱日馬富士を破って、32歳4か月という戦後の「金星獲得最年長記録」を樹立したと思ったら、豪風が9日目に同じく横綱日馬富士を破り、35歳1か月で記録を塗り替えるという、見事な活躍が続いているのです。

・嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ)
大分県出身、身長178cm、体重140kg、2006年1月新入幕

・豪風 旭(たけかぜ あきら)
秋田県出身、身長171cm、体重151kg、2003年3月新入幕

 両力士とも、特別に体格に恵まれているわけではありません。どちらかといえば小兵力士でしょう。そして、素早い動きの中に勝機を見出していく取り口は共通しています。
 豪風の方が押し・寄りは強く、嘉風の方が技が多彩という感じでしょうか。いずれにしても、取組の度に「何かやってくれるのではないか」と期待させるところが持ち味です。

 正直に言って、30歳を過ぎた時点で「風風コンビ」の全盛期は過ぎたと思っていました。しかし、とんでもない勘違いでした。
 実際には30歳を超えてから、両力士とも「一段と強くなった」のです。そこが、素晴らしいところだと思います。

 嘉風は、2014年5月場所(先場所)に初めて三役(小結)に昇進しています。幕ノ内に昇進してから8年の月日を掛けて三役を張ったのです。史上4位のスロー昇進でした。
 豪風は、2008年3月場所で小結を務めていますが、幕ノ内昇進後11年を掛けて、初の金星を「昨日」挙げました。これも、凄いことだと思います。

 30歳を過ぎてから強さを増している「風風コンビ」ですが、その明るい雰囲気も人気の秘訣なのではないかと感じます。勝利力士インタビューでの受け答えには2人とも独特の味があって、思わずニヤリとさせられます。

 そのスピード相撲で大相撲を代表するプロフェッショナルプレーヤーとなった嘉風・豪風のコンビ。
 今後も三役や幕の内上位で、土俵を沸かせる相撲をお願いします。
 7月19日のボストン・レッドソックスvsカンザスシティ・ロイヤルズの一戦。1-1の同点で迎えた6回裏1死ランナー無、マウンド上はロイヤルズの先発ダニィ・ダフィ投手、打席にはボストンの4番マイク・ナポリ選手。

 カウントは3ボール1ストライクであったと思いますが、ここでテレビ放送の解説者・田口壮氏が「こういう局面で甘い球を投げるとホームランを打たれますよ。」とコメントしたのです。

 そして次の投球、威力十分なストレートが真ん中高目ややアウトコースよりに投じられ、ナポリ選手は強振、打球はレフトスタンド方向に高々と上がり、グリーンモンスターを越えて場外ホームランとなりました。
 これで2-1とリードしたボストンは、継投策を展開、9回もクローザーの上原投手がキッチリと締めて勝ち切りました。
 緊迫した投手戦でした。

 驚かされたのは、田口氏のコメントでした。

 強打者相手にボール3となり、ストライクを取りに行ったボールをホームランされる、というのは珍しいことではないという見方があるのかもしれませんが、強打者がボール3となることなど珍しいことでは無く、また田口壮氏がテレビ解説をしていることも珍しいことでは無く、私も再三田口氏の解説でゲームを楽しんできましたが、田口氏が「ホームランを打たれる」とコメントしたのは、初めて聴きました。

 おそらく、田口氏は何かを感じたのでしょう。長い野球人生活、十分なメジャーリーグ生活で蓄積されている経験が、何かを囁いたのではないでしょうか。

・投手 この日好投を続けているダフィ。
・打者 ボストン屈指の長距離打者ナポリ。
・1-1同点、6回1死ランナー無、カウント3ボール1ストライク。
・球場(フェンウェイパーク)の雰囲気。 

 等々の要素・様子から、田口氏は「ホームランが出る可能性が高い」と感じたのでしょう。

 私は、凄いコメントだと思います。

 田口氏は「本物のベースボールプレーヤー・プロフェッショナルにしか感じることが無い何か」を肌で感じたのでしょう。当てずっぽうや偶然などでは決して無い、見事なコメントでした。

 「その2」では、個別の三冠馬について観て行きましょう。

 前稿の通り、アメリカ競馬においては過去に11頭の三冠馬が誕生しました。年代順に並べると
① 1919年 サーバートン
② 1930年 ギャラントフォックス
③ 1935年 オマハ
④ 1937年 ウォーアドミラル
⑤ 1941年 ワーラウェイ
⑥ 1943年 カウントフリート
⑦ 1946年 アソールト
⑧ 1948年 サイテーション
⑨ 1973年 セクレタリアト
⑩ 1977年 シアトルスルー
⑪ 1978年 アファームド

 こうして11頭を並べてみると、1919年~1948年という「第一次世界大戦終了直後から第二次世界大戦終了直後の期間」に8頭の三冠馬が誕生し、1970年代に3頭が誕生するという、「奇妙な集中」が観られます。逆に、1950年代、1960年代、1980年代、1990年代、そして21世紀には、1頭の三冠馬も誕生していないのです。不思議なことです。これだけはっきりとした傾向ですので、おそらく明快な理由が存在するのでしょうが、残念ながら分かりません。

 さて、サーバートンからサイテーションに到る8頭については、名前は聞いたことがあるものの、私にとってリアルタイムな情報ではないので、ここではセクレタリアトからの3頭について触れたいと思います。

① セクレタリアト号(Secretariat、意味:事務局・書記職)

 我が国に欧米競馬の情報が、相当量定期的に入るようになった1970年代、「アメリカに史上最強馬現る」として報道されたのがセクレタリアト号でした。
 特に、三冠最後のレース・ベルモントステークスの快走、2着に31馬身の大差を付けたレースが再三テレビ放送されたのです。テレビ画面上に2着馬を入れることが、とても難しいという、衝撃的な絵でした。
 530kgを超える雄大な馬体、2m近い胸囲(その後、これ程の胸囲のサラブレッドを見たことがありません)、明るい栗毛、強烈なギャロップから「ビッグレッド」の異名を取りました。

 セクレタリアト号、父ボールドルーラー、母サムシングロイヤル、母の父プリンスキロ。通算成績21戦16勝2着3回3着1回4着1回。

 素晴らしい成績ですが、セクレタリアトの名を「アメリカ競馬史上最強」にまで押し上げたのは、「勝ちっぷり」であったと思います。
 ケンタッキーダービー(2000m)は1分59秒4のレコード勝ち。(ノーザンダンサーが保持していた2分丁度を更新)
 プリークネスステークス(1900m)は時計が壊れてしまい、手動計時であるため公認ではないものの1分53秒0のレコード勝ち。
 ベルモントステークス(2400m)は31馬身差を付けて2分24秒0のレコード勝ち。

 ベルモントステークスとプリークネスステークスの記録は、30年以上を経た現在でも、「ダートの同距離の世界最高記録」です。

 ダート競馬において、セクレタリアトの競走能力を超えるサラブレッドは、3歳馬・古馬の区別無しに、現在に到るまで登場していません。史上最高のサラブレッドの1頭であることは間違いないでしょう。

 そもそも血統的にも、父ボールドルーラーはアメリカのリーディングサイアー8度を誇る名種牡馬ですし、父の父ナスルーラ、その父ネアルコとくれば、本ブログにも再三登場する「世界の名血」です。母のサムシングロイヤルも、その繁殖成績の良さで極めて高い評価を得ていますから、セクレタリアトは超良血馬ということになります。

 ボールドルーラーの後継と目され、「史上最強馬」として鳴り物入りで種牡馬となったセクレタリアトですが、その種付料も破格でした。「種付け1回1億2000万円」という史上最高価格だったと記憶しています。しかも、不受胎の時にも返却無しでした。
 セクレタリアトが種牡馬になるまでの世界最高は、イギリスの三冠馬ニジンスキーの9500万円でしたから、セクレタリアトは大幅に記録を更新したことになります。(どちらも、極めて高額ですが)

 しかし、クレイボーン牧場のボールドルーラーが居た馬房で種牡馬生活を始めたセクレタリアトは、期待に反して思ったほどの成績を残すことが出来ませんでした。
 レディースシークレット(45戦25勝、1986年の北米年度代表馬)やリズンスター(11戦8勝、プリークネスS・ベルモントSの二冠)、ヒシマサル(13戦5勝、きさらぎ賞、毎日杯)といった産駒を送り出しているのですから、通常であれば立派な成績だと思いますが、「競走成績との比較」において、全く物足りないものだったのでしょう。
リーディングサイアーに輝くこともありませんでした。

 あまりに高額な種付料だったために、初年度の種付けが5頭に留まったと記憶しています。この種付け機会の少なさも、種牡馬成績不振の要因のひとつのように思います。

② シアトルスルー号(Seattle Slew、意味:共同馬主2人の出身地を並べた)

 セクレタリアトの興奮冷めやらぬ1977年、アメリカに再び三冠馬が誕生しました。デビュー戦の4着を含めて、三冠レースに臨む前に3敗していたセクレタリアトとは異なり、シアトルスルー号は6連勝でケンタッキーダービーを迎えたのです。

 そして、プリークネスS、ベルモントSと危なげなく勝利して「9戦無敗の三冠馬」が誕生しました。
その頃の写真が我が国でも報道されていましたが、黒鹿毛の黒光りする筋骨隆々の馬体で、特に前駆の発達が著しいものでした。「日本にはこれ程の馬体のサラブレッドは存在しない」と感じました。

 シアトルスルー号、父ボールドリーズニング、母マイチャーマー、母の父の父ラウンドテーブル、通算17戦14勝2着2回4着1回。

 父ボールドリーズニングは、その名前からも分かるように、ボールドルーラー系(孫)でしたが、それ程有名な種牡馬ではありませんでした。母マイチャーマーも華々しい活躍を見せる一族ではありませんでしたから、シアトルスルーはあまり期待されていなかったと言われています。
 加えて、後ろ足が外向、頭が大きく尻尾が短いと、外観もパッとしなかったのです。選抜セリ市への認められず、一般セリ市において1万7500ドルで落札されたと伝えられます。その後の活躍からは考えられない安価でした。

 9連勝で三冠馬となったシアトルスルーでしたが、その後、馬主と調教師の間で出走させるレースについて対立が起こりました。
 強豪馬を保有したことが無い馬主は、高額な招待を提示されると、ローテーション他を無視して出走させてしまうという事例の典型として、ベルモントSから間が無いスワップスSでシアトルスルーは4着に敗れてしまいます。生涯初の敗戦でした。

 その後4歳まで走ったシアトルスルーは、引退して種牡馬となりました。種牡馬成績は優秀で、1984年には北米リーディングサイアーを獲得しています。種牡馬という点では、セクレタリアトを凌いだのです。
 ケンタッキーダービーを制したスウェイル、ベルモントステークス馬のエーピーインディ、ブリーダーズカップ勝ち馬のカポーティなどが代表産駒です。日本でも、タイキブリザード(安田記念)、ダンツシアトル(宝塚記念)などが活躍しました。

③ アファームド号(Affirmed、意味:動詞「断言する」の過去形)

 前年にシアトルスルーが三冠を実現した翌年1978年に、2年連続で三冠を制したのがアファームド号です。「荒法師」という雰囲気のシアトルスルーに対して、「優等生」という感じがアファームドには漂っていたと思います。

 滅多に誕生しないはずの三冠馬が2年連続で登場するというのは不思議なことですが、日本でもミスターシービー(1983年)とシンボリルドルフ(1984年)が連続して三冠馬になっていますから、こうしたリズムというのも存在するのでしょう。

 アファームド号、父イクスクルーシブ・ネイティブ、母ウォントテルユー、通算成績29戦22勝。G1レースを14勝し、当時の獲得賞金世界一記録を更新。

 父イクスクルーシブ・ネイティブは、レイズアネイティブの仔、ネイティブダンサーの孫に当たります。母の血統も含めて、超良血とは言えない血統でしたが、予想に反して?素晴らしい成績を残したのです。

 アファームドは、ケンタッキーダービーに臨む前に既に13戦しています。そして11勝の好成績を挙げていますが、2歳時の8月と10月、3歳時の3月と4月に、2回ずつレースを使うという状態でしたから「使い過ぎ」の懸念がありました。馬主としては「早い内に稼いでおこう」と考えたのでしょうか。それでもアファームドは、この期待に見事に応え、サンタアニアダービー、ハリウッドダービーといったG1レースを制して、ケンタッキーダービーに臨んだのです。

 アファームドの三冠レースは、3レースともアリダー号との競り合いでした。ケンタッキーダービーは1・1/2馬身差、プリークネスSはクビ差、ベルモントSは頭差で、いずれもアファームドが勝ち、三冠馬となったのです。

 三冠全てで2着のアリダーも、レイズアネイティブ系の名馬であり、アファームドのライバルとして名を馳せました。両馬の対決は5度、アファームドの3勝2敗でしたから、アファームドは三冠レース以外ではアリダーに負けていたことになります。

 2年連続で三冠馬が誕生した場合には「三冠馬同士の対決」の可能性があります。日本でもミスターシービーとシンボリルドルフは、いくつかの大レース(ジャパンカップ、有馬記念、天皇賞(春))で戦っていますが、シアトルスルーとアファームドも同様でした。
 アファームドがベルモントSに勝ち三冠を達成した年1978年の8月G1マルボロカップで両馬は対決、シアトルスルーが3馬身差でアファームドを抑えました。アメリカ競馬史史上初の三冠馬対決は大注目を浴び、我が国にも情報が沢山入って来ました。当時としては、とても珍しいことだったと思います。

 競走馬を引退したアファームドは、シアトルスルーと同じ、ケンタッキー州のスペンドスリフト牧場(アメリカ屈指の大牧場です)で種牡馬生活に入りました。
 産駒にはG1馬が3頭いますが、これは期待に比べていまひとつの成績と言わざるを得ません。
 日本では産駒の活躍はありませんが、ナリタトップロードやメイショウドトウのブルードメアサイアーとなっています。

 1970年代に突如という感じで登場した、3頭のアメリカ・クラシックレース三冠馬は、それぞれに、それぞれの活躍を展開しました。
 セクレタリアト、シアトルスルー、アファームド、この3頭の時代は、アメリカ競馬のひとつのピークであったと感じます。

 小回りのダートコースを疾駆するギャロップの凄まじさ、他の馬が止まっているかのような段違いのスピード、死力を尽くした競り合い・・・。この3頭のレース振りが眼に焼き付いています。

 今大会の日本代表チームは、残念ながら2敗1引分という成績でグループリーグ敗退となりました。

 前回南アフリカ大会では、2勝1敗でリーグを突破していたのです。この成績の大きな違いは、どこから生まれたのでしょう。直近3大会の日本代表チームの成績を比較してみましょう。

[2006年ドイツ大会]
グループリーグ
・第1戦 オーストラリア3-1日本
・第2戦 クロアチア0-0日本
・第3戦 ブラジル4-1日本
2敗1引分で、グループリーグ敗退。

[2010年南アフリカ大会]
グループリーグ
・第1戦 カメルーン0-1日本
・第2戦 オランダ1-0日本
・第3戦 デンマーク1-3日本
 2勝1敗で、グループ2位・決勝トーナメント進出
・決勝トーナメント1回戦 パラグアイ0-0日本(PK戦5-3でパラグアイの勝利)

[2014年ブラジル大会]
グループリーグ
・第1戦 コートジボワール2-1日本
・第2戦 ギリシャ0-0日本
・第3戦 コロンビア4-1日本
2敗1引分で、グループリーグ敗退。

 こうして並べてみると、いくつか気が付くことがあります。

① 2014年大会は2006年大会と驚くほど似ていること

 初戦で先制しながら逆転を許したこと、第2戦は0-0で引分けたこと、第3戦は1-4で大敗したこと、第2戦の相手は欧州チーム、第3戦は南米チームなど、まるで2014年大会は2006年大会のコピーのようです。3ゲームのスコアも、僅かに1点しか違いません。

② 3大会とも初戦の先制点を挙げていること

 日本チームは3大会すべての初戦で先制しています。これは素晴らしいことでしょう。そして、逆転された2006年と2014年は、それ以降チームを立て直すことが出来ませんでした。
 一方、初戦カメルーン戦を1-0で勝ち切った2010年大会は勢いに乗って、第2戦の強豪オランダを相手にしてスナイデル選手の1ゴールに抑え込み0-1で惜敗しましたが、得失点差で優位を保ったまま第3戦デンマーク戦に臨み、3-1で快勝しました。本田選手と遠藤選手のフリーキックなどで3点を挙げた、このデンマーク戦の勝利は日本チームによるワールドカップ史上最も輝かしい勝利でしょう。

 こうして見ると、今大会のポイントは「1-0とリードして前半を終えたコートジボワール戦の後半戦」であったことが分かります。あの後半45分を零封し1-0で勝利していれば、2010年大会のような展開に持ち込めていたのかもしれません。

③ 2010年に比べて「守備力が相対的に落ちていた」のか。

 コートジボワール戦の「魔の3分間」で2失点してしまった今大会と、エトー選手を中心としたカメルーンチームを零封した2010年大会を比較すると、守備力の差があると感じられます。

 もちろん、この4年間でサッカー競技自体が進歩し、日本チームも進歩しましたが、相手チームも当然に進歩していますので、ここでいう守備力とは「相対的守備力」ということになります。

 2010年大会では、日本チームのスピードと運動量を背景とした守備力が、世界トップクラスのチームに対しても十分通用する水準だったのです。オランダ相手に1点しか許さず、パラグアイを零封したのですから、間違いないでしょう。

 しかし、2014年大会では日本チームの守備力は相対的に下がっていて、コートジボワール戦の後半に、同じような形で連続失点してしまったことになりますし、控え選手主体のコロンビアに4失点を喫することとなったのです。

 特にコロンビア戦は、ゴール前の動きのスピード・技術で明らかにコロンビアの選手が勝っていて、振り切られてシュートを許していましたし、そのシュートはサイドネット、それもゴールポストから50cm付近に突き刺さるという、ゴールキーパーにとってどうしようもないコースに飛びました。コロンビアチームの攻撃力が日本の守備力を上回っていたのです。4年間の進歩なのかもしれません。

 日本代表チームは、再興に向けて動き出すことになります。どのようなチーム創りをしていくのかは、これからの話なのでしょうが、「相対的な守備力の向上」も重要なポイントのひとつになると思います。
 2014年5月21日の稿で、「アメリカのクラシック三冠レース」について触れました。今度は、三冠馬について書いてみようと思います。

 アメリカの三冠レースは、ケンタッキー・ダービー、プリークネス・ステークス、ベルモント・ステークスの3つのレースです。
 この3レースは、毎年5月~6月にかけての5週間という短い期間に集中して実施されることや、その距離が、一番短いプリークネス・ステークス1900m、一番長いベルモント・ステークス2400mと500mの差しかない(例えば、イギリスの三冠レースなら2000ギニー・1600mとセントレジャー・2900mと1300m差)ことを考え合わせると、「強くて好調な馬」であれば、一気に3レースを連勝しそうですので、春~夏にかけて3レースが実施されるイギリスや日本に比べて、より多くの三冠馬が誕生しそうに感じます。

 しかし実際には、1875年に3レースが揃い、現在に至るまで140年近い歴史があるアメリカの三冠レースにおける三冠馬は、僅かに11頭しか居ないのです。

[アメリカの歴代三冠馬 11頭]
・1919年 サーバートン
・1930年 ギャラントフォックス
・1935年 オマハ
・1937年 ウォーアドミラル
・1941年 ワーラウェイ
・1943年 カウントフリート
・1946年 アソールト
・1948年 サイテーション
・1973年 セクレタリアット
・1977年 シアトルスルー
・1978年 アファームド

 一方、日本競馬の三冠レースは1939年に揃い現在まで75年となりますが、7頭の三冠馬を生んでいますから、約10年に1頭のペースです。一方のアメリカは、約12.5年に1頭ということになり、この点では日本競馬より誕生確率が低いことになります。

[日本の三冠馬 7頭]
・1941年 セントライト
・1964年 シンザン
・1983年 ミスターシービー
・1984年 シンボリルドルフ
・1994年 ナリタブライアン
・2005年 ディープインパクト
・2011年 オルフェーヴル

 加えて、アメリカでは1978年のアファームド号以降三冠馬が誕生していませんから、直近の35年間三冠は達成されていないのです。日本では、1978年以降5頭の三冠馬が生まれていますから、対照的とも言えます。

 アメリカ競馬のクラシック三冠制覇は、近時大変な難関となっているのです。

 イギリスや日本では、3冠最後のレースであるセントレジャー・ステークスや菊花賞の優勝が、3000m前後の長距離レースであり、2400mのダービー競走との距離差が大きいことから、血統面も含めて、三冠達成の難関となっていると言われます。
 実際、イギリスでは2012年に、2000ギニーとダービーに連勝したキャメロット号が、勇躍セントレジャーに挑みましたが2着に敗れ、1970年のニジンスキー号以来43年振りの三冠馬誕生はなりませんでした。(イギリスでも久しく三冠馬が誕生していません)

 では、アメリカ競馬において三冠馬誕生への最大の壁になっている要素は、何なのでしょう。

① 二冠馬が少ないのか?
 三冠馬に挑戦する条件としての二冠馬自体が少なければ、三冠馬誕生の可能性は低くなります。例えば、「適正距離に強く拘る競馬」になっていて、三冠レース全てに挑戦する馬が少ないといったケースです。

 この点は違いました。どちらかというと二冠馬は多いと思います。
 1978年にアファームド号が三冠を達成していますから、1979年~2013年の35シーズンを見てみます。
 「19頭の二冠馬」が誕生しています。35シーズンで19頭ですから、二冠馬誕生確率は54%以上。2シーズンに1頭以上の二冠馬が誕生しているのですから、少ないとは言えません。

 そして、「ある意味では驚くべきこと」に、これら19頭は全て三冠取りに失敗しているのです。クラシック二冠馬という名馬19頭が、揃いも揃って残り1冠を取り損ねるというのも、不思議な感じです。

② 取り損ねたレースは?
 前述の19頭の二冠馬の失冠レースを見てみます。三冠レースの中で、勝てなかった1つのレースということです。

[1979年以降のアメリカ二冠馬19頭の失冠レース]
・ケンタッキー・ダービー 5頭
・プリークネス・ステークス 2頭
・ベルモント・ステークス 12頭(競走中止1、出走取消1)

 ベルモントSを取り損ねている二冠馬が12頭と最多でした。(1989年の二冠馬サンデーサイレンス号もベルモントSで2着でした)

 もちろん、現実的にはケンタッキーDとプリークネスSを連勝していなければ、三冠への挑戦権は無いのですが、後から振り返ってみれば「あの時ケンタッキーDに勝っていれば三冠だった」という見方もあるでしょうから、こうした比較としました。
 それにしても、1979年以降の二冠馬が1頭残らず三冠レース全てに挑戦している(出走取消1頭)というのは、凄いことです。
 それだけ三冠レースの価値が重いということであり、アメリカのホースマンにとってもクラシックレースというのは極めて重要なレースであることがよく分かる事実です。

 いずれにしても「ベルモントSが最大の壁」であることは明らかです。

 今年2014年も二冠馬カリフォルニア・クローム号がベルモント・ステークスで敗れ、三冠達成はなりませんでした。

 前述のように、2400mのベルモントSはアメリカ・クラシック三冠レース中最長のレースですが、2000mのケンタッキーDより400m長いだけです。無論、この400mが大きく影響するという馬も存在するのでしょうが、二冠馬としてベルモントSに挑戦した12頭が全て400mの影響を大きく受けたとは考えにくいと思います。

 強いて原因を考えれば「5週間で3レースという過密なスケジュールに伴う疲労残り」でしょうか。
 世界の競馬をリードする存在であるアメリカ競馬ですから、毎シーズン強い3歳馬が複数登場します。そしてしのぎを削るのです。ケンタッキーDとプリークネスSを連勝した二冠馬に対しても、同期のライバルたちが手薬煉を引いてベルモントSで待ち受け、最後の1冠は渡さないというシーズンが、数多く見られるのです。

 1979年のスペクタキュラービッド号はベルモントSで3着となり三冠を逃しましたが、古馬になってからも勝ち続け、通算30戦26勝、G1を13勝というアメリカ競馬史上屈指の葦毛馬です。

 前述1989年のサンデーサイレンス号もベルモントSで2着と敗れ三冠はなりませんでした。ベルモントSでサンデーを破ったのは、ライバルのイージーゴア号でした。サンデーサイレンスとイージーゴアは、三冠レースの1・2着を分け合い、プリークネスSは鼻差でサンデーが勝つという「凄まじいライバル関係」だったのです。
 サンデーサイレンスは、その後種牡馬として日本に輸出され、日本競馬を大きく変えて行く大活躍を展開したことは、記憶に新しいところです。

 2002年の二冠馬ウォーエンブレム号もベルモントSで8着に敗れました。ウォーエンブレムは後に、種牡馬として日本に輸出され、ブラックエンブレム(秋華賞勝ち馬)、ローブティサージュ(同、阪神JF)等の産駒が居ます。

 2004年の二冠馬スマーティジョーンズ号の通算成績は9戦8勝。唯一の敗戦がベルモントSの2着でした。

 こうした、とても強い二冠馬が次々と挑戦してきたにもかかわらず、アメリカ・クラシック三冠馬は1978年を最後に誕生していません。
 
(「その2」では、アメリカの個々の三冠馬について見て行きたいと思います)

 今大会もPK戦で決着したゲームが4つありました。

・ベスト16
① ブラジルvsチリ(PK戦3-2でブラジル勝ち)
② コスタリカvsギリシャ(同5-3でコスタリカ勝ち)

・ベスト8
③ オランダvsコスタリカ(同4-3でオランダ勝ち)

・ベスト4
④ アルゼンチンvsオランダ(同4-2でアルゼンチン勝ち)

 いずれも接戦の好ゲーム。どちらのチームも次ステージに進出させてあげたい、というゲームでした。

 もちろん、PK戦決着のゲームは公式記録上「引き分け」ですので、PK戦で大会を去ったチームは敗退ではないのです。

 例えば今大会のオランダチームは、グループリーグから通算して7戦5勝2引分と無敗でありながら、決勝には進出できませんでした。オランダのプレーヤーやサッカーファンにとっては「全く納得できない」ことでしょう。

 PK戦が始まったのは1970年代と古く、ワールドカップでPK戦が初めて行われたのは1982年スペイン大会の準決勝・西ドイツvsフランスでした。
 この大会は、1次リーグ→2次リーグ→準決勝→決勝という仕組みでしたから、PK戦の対象となるのは準決勝2ゲームと3位決定戦と決勝の計4ゲームでした。

 少し話が逸れますが、この「1982年大会準決勝・西ドイツvsフランス」は史上に残る名勝負でした。あまりに懐かしいので、少し書きます。

 先制したのは西ドイツ。ピエール・リトバルスキー選手がリバウンドを蹴り込みました。
 フランスも直ぐに反撃し、ミッシェル・プラティニ選手がPKを決めて同点。ゲームは1-1同点のまま延長戦に突入。

 延長戦はフランスが先行しました。ディフェンダーDFのマリユス・トレゾール選手が勝ち越し点を上げると、10分後にはカール・ハインツ・ルンメニゲ選手が同点弾を決め、アラン・ジレス選手が再び勝ち越し点を上げると、再び10分後にクラウス・フィッシャー選手が得点し、3-3の同点のまま延長戦も終了し、PK戦へと縺れ込みました。

 このPK戦も5人ずつが蹴り終わって4-4と決着がつかず、フランス6人目のマキシム・ボシス選手が決められずに5-4で西ドイツが勝利を収めるという、大変な激戦でした。

 この頃のフランス代表チームは、「将軍」プラティニ選手(現UEFA会長)を中心に黄金時代を迎えていて、1984年のユーロに優勝するなど最強の時期でしたが、西ドイツの本当に厚い壁に阻まれた形です。一方の西ドイツもこのゲームで精力を使い果たしたためか、決勝のイタリア戦では1-3で完敗しました。

 それにしても、前述のゲームの登場プレーヤーの懐かしいことと言ったら・・・。リトバルスキー、ルンメニゲ、フィッシャー、プラティニ、トレゾール、ジレス・・・。そういえばPK戦で活躍したドイツのゴールキーパーGKはハラルト・シューマッハ選手。この大会屈指の名キーパーです。今大会のマヌエル・ノイアー選手も同様ですが、「堅守ドイツチーム」には、いつの時代も素晴らしいGKが存在します。

 さて、話を戻します。

 PK戦の目的は
① トーナメント方式の大会において、次のステージに進出するチームを決めるため
② 各ゲームの延長戦で決着するまでゲームを続けることによる、プレーヤーの「疲労蓄積・故障発生」を防ぐため
 といった点が上げられるでしょう。

 一方で、前述のように「無敗のチームが次のステージに進めない」といったことや、「決勝トーナメント0得点のチームでも優勝できる可能性があること」といった、残念な欠点も存在します。

 当然ながら、PK戦ルールがあることを前提としたゲームプラン構築が行われますから、「守備重視」「失点しないこと」を標榜したゲームを目指すチームも出てきます。

 これは、本来「点を取り合う・ゴールを目指すスポーツ」であるサッカー競技の本質には、馴染まない考え方の様に思います。
 一方で、大会期間との関係でハードなスケジュールが組まれる中、プレーヤーの健康面を考慮すれば、決着するまで延々と延長戦を戦い続けるのも不得策という考え方も理解できます。

 この話はいつも結論が出難いテーマなのです。

 しかし、私はやはり「0得点で優勝する」というのは、サッカーの本質から外れている点を重視したいと考えます。

 そこで「準決勝・決勝の3ゲームにはPK戦ルールを適用しない」ことにすれば良いと思うのです。(3位決定戦はPK戦ルール適用)
 ベスト8までは、スケジュールと体力の関係からPK戦ルールを適用し、ベスト4以降は、延長戦を繰り返す形が良いのではないでしょうか。

 ベスト4まで進出した4チームは、残り2ゲームです。ここまで来たチーム・プレーヤーは「絶対に優勝するという気迫を持って戦う」のでしょう。であれば「決着を付けさせてあげたい」と思います。「引き分けで母国に帰る」のは、あまりに不完全燃焼でしょう。「疲れているけれども決着を付けたい」とベスト4まで進んだプレーヤー達の多くは考えるのではないでしょうか。

 加えて、どのチームも「得点しなければ絶対に勝てません」から、得点を取りに行くゲームプランを第一に考えることとなります。攻撃的なサッカーが展開されることとなるでしょうし、「得点を取る戦術・技術を磨く」方向にサッカー競技自体が進歩していくことでしょう。

 PK戦ルールが存在する限り、少し力量が劣ると考えていたり、「点を取りに行くことで失点の可能性が高くなるリスク」を冒したくないチームは、「守りに徹してPK戦に持ち込む戦略・チーム作り」に走ることになるのでしょう。このこと自体は現状のルールに則っていますから問題は無いのですが、決勝戦進出あるいは優勝という栄誉までもが、0得点でも獲得できるというのは、サッカー競技の進歩・未来を考えると、良いルールとは言えないでしょう。

 また、いつの時代もサッカー競技を財政面・精神面で支え続ける大多数のファンにとって「面白くないゲームが増える」のは良いこととは到底思えません。

 「0-0でも面白い試合はある」というご意見もあるとは思いますし、おっしゃる通りだとも思いますが、0-0でも面白いゲームというのは「双方が得点を目指して攻め合うが、結果として0-0のゲーム」でしょう。ガチガチに守備を固め合うゲームは、やはり面白くないし、そもそもサッカー競技の本質から遠いものだと感じます。

 さらに、PK戦はPK戦として面白い、というご意見もあるでしょう。GKにとっては見せ所でもありますし、既に相当定着してきています。「あのPK戦」といった形で、記憶に残るものもあります。
 しかし、やはりPK戦にはロシアンルーレットのような要素、当たるも八卦というか、不確実な要素が多いと思います。「弛まぬトレーニングにより磨き上げた戦術・技術・体力を持って勝敗を争う」という観点からは、異なる種類の競い合いに見えるのです。

 当たり前のことを書き恐縮ですが、サッカーはピッチの中でボールを動かしながら得点を取り合う競技であり、得点が多いチームがゲームの勝利を収めるスポーツなのです。
 今年のMLBオールスターゲームは7月15日にミネソタ州ミネアポリスで行われました。

 日本人プレーヤーとして、ダルビッシュ有投手と上原浩治氏が出場、両投手とも1本のヒットも許さない、素晴らしい投球を魅せました。

 MVPには、5-3で勝利したアメリカンリーグALのマイク・トラウト選手(エンジェルス)が選出されました。ダルビッシュ有がメジャーデビューしたシーズンで新人王を争った相手(トラウト選手が新人王)で、打ってよし守ってよし走ってよしの好プレーヤーですが、順調に成長しています。

 マイク・トラウト選手の凄いところは、今シーズンここまで打率0310、打点73、本塁打22と打撃3部門全てに安定した成績を残すとともに、出塁率と長打率を掛け合わせた指標であるOPSも1.005とALトップであり、さらに凄いのは「代わりのプレーヤーが居ないこと」を示し、近年とても重要視されるようになってきた指標であるWAR(Wins above replacement)が5.5とALで圧倒的なトップであることです。

 そして、シーズン開幕当初からトラウトはWARトップの位置を堅持しています。現在のALで「最も余人をもって代えがたいプレーヤー」ということになります。
今後のメジャーリーグを代表するプレーヤーの一人であることは間違いないでしょう。

 さて、MVPはトラウト選手でしたが、このゲームの主役はヤンキースのデレク・ジータ選手(40歳)でした。
 
 今シーズン開始前に今シーズン限りの引退を表明したジータですが、今年のオールスターにもファン投票で選出されました。これで14度目のオールスター出場というのですから凄いものです。
 もちろん、ニューヨーク・ヤンキースNYYというかALというかMLBを代表するプレーヤーの一人であり、全米中というか世界中に多くのファンを持つ文字通りのスーパースターです。

 ジータ選手の記録を挙げて行くとキリがありませんので、「ジータの凄さ」を示す事項をいくつか挙げてみようと思います。

① 厳しかった2年間を超えるマイナー生活

 高校時代に頭角を現し、1992年のドラフトでNYYから1巡目指名(全体6巡目)を受けたジータですが、すぐにはメジャーに上がれませんでした。マイナーリーグでも最も下のルーキーリーグからスタートし、半年かかってようやく1Aに上がりましたが「守備が下手」でした。(ヤンキース不動の遊撃手であり、ゴールドグラブ賞5度のプレーヤーとしては信じられないことですが)

 1A時代の1993年には年間56失策を記録しています。ジータは守備力向上に向けて「自主的に居残り練習」に取組んだと伝えられています。
 そして、1A時代の後半には守備力も上がり、低かった打率も飛躍的に上がりましたから、AA、AAAと昇格しました。ようやく、メジャーを目指せるステージまで上がったのです。

 そして、ジータ選手のメジャーデビューは1995年5月29日、しかし成績が上がらず再びマイナー落ちして、同年9月に再びメジャー登録されましたが出場は僅かに2ゲーム。
 本格的にメジャーでプレーするようになったのは1996年を待たなければなりませんでした。

 つまり、ジータ選手は「マイナーリーグ生活の苦しさ」「メジャーへ上がることの難しさ」を良く知っているプレーヤーなのです。学生時代からスーパースターで、入団初年から華やかにメジャーデビューしたプレーヤーとは、全く異なるキャリアということになります。

 マイナー時代の努力が実り、1996年のメジャー定着後は大活躍を見せて、満票での新人賞受賞、そして現在に到るまでの「驚異的な成績」を残すこととなったのです。

 ジータといえば、驚くべき闘争心とともにその「人間性の素晴らしさ」を指摘されることが多いのですが、このマイナー時代の苦労が人間性形成に大きな影響を与えているのであろうと感じます。

 2014年のオールスター戦終了後のインタビューで「(オールスター出場の)最初の頃は凄い人ばかりで怖気づいたんだ。でも球宴はいつも楽しかった。」とコメントしています。「最初は怖気づいた」というところが、いかにもジータ選手らしいところで、これだけの(現在なら並ぶもの無き)スーパースターとなっても、決して偉ぶることなく、常に謙虚な姿勢を維持できるのも、マイナー時代の経験が生きているように思うのです。

 もちろん、経験だけではなく「マイナー時代を忘れないこと」も、少しチヤホヤされると舞い上がってしまう我々凡人や普通の?プレーヤーが肝に銘じるべき素晴らしい美徳なのでしょう。

② 個人成績には全く興味を示さないが、凄い記録を残していること

 デレク・ジータが個人成績に興味を示さないことは、良く知られています。
 そして、20年に及ぶメジャーでのプレーにおいて、打率・打点・本塁打のタイトルを取ったこともありません。しかし「ヒット数は凄い」のです。

 2014年7月16日現在で3408安打を記録していて、これはメジャーリーグの遊撃手の通算安打数で圧倒的な1位(2位2673安打)であり、NYYのダントツのチーム記録(2位はルー・ゲーリックの2721安打)でもあります。

 最も人気が高いポジションであり、体力的に長く続けることが難しい遊撃手として、3000本以上の安打数を記録しているのは驚異的ですし、最も人気のある球団NYYの中心選手として長くプレーすることが、とても難しいことは明白ですが、そこでも一筋20年に渡って活躍を続け、圧倒的な通算安打数を記録しているのですから、「メジャー史上類を見ないプレーヤー」であることは間違いありません。「メジャー史上最高の野手」といっても、良いように思います。

 加えて、イチロー選手の活躍でも注目された「年間200安打越え」も、1998年1999年2000年2005年2007年2009年2012年と7回記録しています。中々達成できないと言われるシーズン200安打を7回も記録しているのですから「安打製造機」と呼ぶにふさわしいプレーヤーなのです。

 しかし、「ジータがヒットを打ち捲っている」というイメージは、ほとんどありません。そこが凄いところです。

 ジータ本人から「個人記録に言及するコメント」が出ることは皆無(私は1度も聞いたことがありません)」であることも、その原因のひとつであろうと感じます。

 ジータはチームの勝利、そしてワールドシリーズ制覇(5度達成しています)にしか興味が無いのでしょう。そして、アメリカのマスコミも「ルー・ゲーリックの安打数」を抜いた時には、特集を組んだりしましたが、その後は従来通り「ジータの個人記録」には、あまり触れようとしません。
 デレク・ジータは「個人記録を超越したプレーヤー」なのでしょう。そして、実は凄い個人記録を沢山保持しているのです。

 MLBオールスターゲーム2014でも、デレク・ジータ選手は2安打を放ち、超満員のファンの大声援に応えました。「輝くべき時に輝く」・・・。スーパースターとは、こういうものなのでしょう。

 MLBオールスターゲームは、2013年はマリアノ・リベラ投手のゲームであり、2014年はデレク・ジータ選手のゲームでした。2年連続でメモリアルゲームの様相を呈したのです。
 このことについては賛否両論があろうと思いますが、両選手がメジャーリーグに残した功績の大きさについて異論のある人は少ないでしょう。
 
 NYYの、MLBの「顔」であったプレーヤーが、今年も最後のオールスターゲームを終えました。一抹の寂しさを禁じ得ませんが、マイク・トラウト選手を始めとする「次代を担う旗手」も生まれてきています。

 40歳になるまで、私達に夢と希望を与え続けてくれたデレク・ジータ選手に大きな拍手を送ります。本当に素晴らしいプレーヤーです。
 全国高等学校野球選手権大会・夏の甲子園大会2014も全国で地方大会が始まりました。

 埼玉大会も7月9日に始まり、熱戦が繰り広げられています。
 この埼玉大会の第一シードにして優勝候補筆頭の浦和学院高校が3回戦で敗れました。2013年春の甲子園大会優勝校であり、夏も優勝候補に挙げられていましたが緒戦の仙台育英戦でよもやの10-11での敗戦。とはいえ、大エースの小島投手はまだ2年生でしたから、2014年の大活躍が期待されました。
その浦学が3回戦で敗れたのですから、大番狂わせと言って良いでしょう。

 7月15日に行われた県立川口vs浦和学院の試合は4-1で川口高校が勝ちました。

 この試合、小島投手が不調で4回までに4失点、打線も川口の中島投手を打てず、初回の1点のみに抑え込まれての完敗でした。エラーとか凡ミスとかいった原因では無く、完敗と言って良いでしょう。

 この試合の浦学の敗因は「得点できなかったこと」に尽きます。

 どんなピッチャーでも、不調な日があります。そこは打線がカバーしなくてはなりません。まして失点は4です。5点取ればよいのです。
 決して県立川口を過小評価しているわけではありません。浦和学院チームの有り様のことです。浦学は春の県大会で優勝したので今大会地区予選で第一シードだったのですし、2013年の選抜大会決勝で済美高校を相手に17-1で優勝したタイプのチームが、これ程打てないというのは不思議なことでしょう。

 実は、7月12日の2回戦、浦和学院にとっての緒戦・狭山経済高校との試合でも、打線は良いところがありませんでした。
 この試合は、15奪三振という小島投手の好投で何とか3-1で勝ちましたが、この3点も8回裏にようやく得点したものです。夏の地区大会の緒戦で優勝候補のチームが7回まで無得点というのは、いかにも寂しいことです。

 常に、埼玉県の高校野球をリードする存在である浦和学院ですが、コンディショニングが上手く行かなかったのか、今大会では「打てないチーム」となってしまいました。
 名将・森監督のマネジメント能力を考え合わせても、不思議なことだと感じます。

 浦和学院が早々に姿を消したことは、本大会を展望しても本当に残念なことですし、野球というスポーツの難しさ・怖さを改めて感じます。

 第20回FIFAワールドカップ・ブラジル大会は、ドイツチームの優勝で幕を閉じました。素晴らしい1か月間でした。

 さて、大会を振り返って「ゴール ベスト10」を挙げてみたいと思います。色々なご意見があろうかとは思いますが、独断と偏見?で選定させていただきました。

[第10位] 本田圭佑選手のコートジボワール戦のゴール

 グループリーグ・コートジボワール戦の前半16分のゴールです。長友選手のスローインを香川選手が長友に返して本田へパス、本田が少しドリブルの後左足を振り抜いて、ゴール左側上部に突き刺しました。フリーになったとはいえ、そこを決められるか否かが大きな違いで、本田選手はキッチリと豪快に決めてくれました。このゴールはベスト10に入れておきたいと思います。

 今思い出せば、この前半16分のゴールから後半19分に同点とされるまでの48分間(ハーフタイムの15分を加えれば63分間)、なんと幸せだったことでしょう。ワクワクしながらテレビ画面を見つめていました。根拠のない確信?で、ザックジャパンの勝利を信じていました。

[第9位] エディン・ジェコ選手のイラン戦のゴール

 グループリーグ・イラン戦の前半23分のゴールです。ビャニッチ選手からのパスを受けてドリブルで突進、ペナルティエリア手前で左足一閃、ゴール右に飛び込む素晴らしいゴールでした。
 イングランド・プレミアリーグのマンチェスターシティのエースとして活躍しているジェコ選手が、母国ボスニア・ヘルツェゴビナ代表としてワールドカップに初登場し、魅せてくれた素晴らしいゴールです。ジェコの能力の高さが如何無く発揮されたゴールだと思います。

 初出場のボスニア・ヘルツェゴビナチームは、1勝2敗の成績でグループリーグ敗退でしたが、いかにも試合運びがまずい感じで実力を発揮したとは到底言えない大会でした。チームとしての経験が積まれて来れば、ワールドカップの常連になれる地力は十分に持ち合わせていると感じます。

 またジェコ選手は、既にプレミアリーグの強豪マンCの中心選手ではありますが、こちらもまだまだ持てる力の5割位しか発揮していないように感じます。プレーが淡泊なのです。もう少し粘り強いプレーが出来るようになれば、世界最高のフォワードFWになるのも夢ではないでしょう。
 身長193cm・体重84kgの体躯から発揮されるパフォーマンスが、世界サッカーを牽引していく日もそう遠くないのかもしれません。

[第8位] ダビドルイス選手のコロンビア戦のゴール

 準々決勝・ベスト8のコロンビア戦のフリーキックFKからのゴールです。今大会躍進したコロンビアを迎え撃ったブラジルでしたが、厳しいゲームが予想されました。そのゲームで、まずチアゴ・シウバ選手が先制点を挙げ、2点目となったのがこのFKでした。

 今大会はFKを直接決めたゴールは極めて少なく全体で3本しかありません。その意味でも、ベスト10に入れておかなくてはならないゴールでしょう。

 ゴール正面やや右側、距離は30m内外、素晴らしいスピードで蹴り出されたボールは、コロンビアの壁の上から美しい弧を描いてゴール右上に飛び込みました。見事な無回転シュート。おそらく、ダビドルイス選手の選手キャリアを代表するゴールになるのではないでしょうか。

 2-1でこのゲームを勝ち切り、ベスト4に進出したブラジルチームでした。このゲームのこのゴールの頃が、ブラジルサッカーファンが今大会最も幸せな時間帯だったことでしょう。この後ネイマール選手が故障し、ブラジルチームの今大会は終わりました。

[第7位] ブライアン・ルイス選手のギリシャ戦のゴール

 決勝トーナメント1回戦・ベスト16のギリシャ戦、後半6分のゴールです。ボラニョス選手からのパスを受けたルイスが、ペナルティエリア手前で左脚を振り抜きました。ボールはゴール右隅に突き刺さり、コスタリカが先制したのです。
 シュートのコントロールと強さは驚異的でした。

 今大会一番の躍進はコスタリカチームでしょう。世界が驚く大活躍でした。
 そのコスタリカの中心選手がブライアン・ルイス。身長187cm・体重79kgの細身の体躯から繰り出されるシュート・パスは、世界トップレベルでした。ビッグクラブへの移籍も含めて、ビッグゲームで姿を見る機会か増えることでしょう。

[第6位] ルイス・スアレス選手のイングランド戦の1点目

 グループリーグ第2戦のイングランド戦、前半39分のヘディングシュートです。
 ともに初戦を落としたウルグアイとイングランドは、絶対に勝たなくてはならないゲームでした。
 イングランドが押し気味にゲームを進めましたが、ゴールを奪うことが出来ません。そして、前半39分、守備的な体制から左側のカバーニ選手にパスが渡り、カバーニはペナルティエリアに向かって突進、イングランドのディフェンダーDFもキッチリとマークしていましたが、難しい角度からスアレスにパス。スアレスはこれをGKの動きを観ながら左側にシュートしました。
 極めて難易度の高いプレーであったと思います。カバーニとスアレスのコンビにしかできないプレーであったかもしれません。

 ワンチャンスを活かすと言うのは簡単ですが、実行するのは至難の業です。前線の2人で点を取ると言うのは簡単ですが、実行するのは至難の業です。それをカバーニ選手とスアレス選手はやってのけました。

[第5位] ルイス・スアレス選手のイングランド戦2点目

 第6位のゴールと同じゲームの2点目です。イングランド・ルーニー選手のゴールで追いつかれたウルグアイは、その後もイングランドに押され続けました。ウルグアイチームは、このゲームに絶対に勝たなくてはならないのです。

 しかし、ウルグアイチームは押し込まれていて、チャンスらしいチャンスは全くない状況でした。

 1-1同点の後半39分、ウルグアイGKムスレラのゴールキックがイングランド陣内に飛び、これをウルグアイのカバーニ選手とイングランドのジェラード選手が競り合い、ジェラードの頭に当たってイングランドゴール方向に落ちました。
 このボールを拾ったスアレスはドリブルで前進、ゴール右側から力一杯右脚を振り抜き、ゴール。自陣ゴール前から、僅か2人のプレーヤーに触れただけのボールをゴールに結びつけてしまうという、凄まじい決定力。

 攻め立てていたイングランドチームにとっては、呆気に取られたゴールでしょうし、ウルグアイにとっては乾坤一擲のゴールでしょう。

 強力なFW1人で点を取れと言うのは簡単ですが、実行するのは極めて難しいことでしょう。今大会でも、スアレス選手とオランダのロッベン選手、アルゼンチンのメッシ選手の3人しか実現できていないと思います。

 このルイス・スアレス選手の、ゴールへの執着心と高い集中力、そして正確無比なシュートは、本当に素晴らしいものでした。

 スアレス選手はこの後のイタリア戦での「噛み付き疑惑」で、続くゲームを出場停止となってしまいました。もちろんピッチ上で噛み付くなどというのは言語道断の所業で、到底許されるものではありません。

 しかし、一方でこのイングランド戦でのパフォーマンスが世界最高レベルであり、おそらくスアレス選手にしか出来ないプレーであることも事実だと思います。世界中のサッカーファンの眼前に呈示されたスーパープレーは事実として存在しているのですから、このプレーまでもが否定される必要は全く無いでしょう。

[第4位] ティム・ケーヒル選手のオランダ戦のゴール

 グループリーグのオランダ戦、前半20分にロッベン選手のゴールでオランダが先制して1分も経たないうちに、オーストラリアのケーヒル選手が魅せたスーパーゴールです。

 マクガワン選手からのクロスを左脚でダイレクトに叩き込んだもので、ボールはクロスバーに当たりゴールに飛び込みました。後方からのパスを、トラップも何もせずにダイレクトシュートというのは、それ自体がとても難しいことだと思いますが、このシュートが威力十分に相手ゴールを襲い、GKが到底取れない高さに飛んで、クロスバーを叩いて突き刺さるという、驚嘆すべきシーンでした。
 このゴールは、オーストラリアチームのエース・ケーヒル選手にとっても、キャリアの上で最高のゴールではないでしょうか。

 このゲームは3-2でオランダが勝ちましたが、アジア代表としてのオーストラリアチームにとっても最高のパフォーマンスを示したゲームだったと思います。

[第3位] ハメス・ロドリゲス選手のウルグアイ戦のゴール

 決勝トーナメント1回戦・ベスト16のウルグアイ戦、前半28分に魅せたスーパーゴールです。

 ワールドカップ優勝2度を誇る強豪国ウルグアイと躍進コロンビアのゲームとして注目されましたが、ウルグアイはスアレス選手を欠いていたので、ややコロンビアが有利かなと思われました。
 前半28分アギラル選手からのパスを胸でトラップしたロドリゲス選手は、ボールの落ち際を左脚で直接シュート。これが、クロスバーに当たってゴールイン。ペナルティエリア手前からの強烈なシュートでした。

 このゲーム後半5分にもロドリゲス選手は、ゴールを決めて2得点。チームの2-0の勝利に大貢献しました。
 ハメス・ロドリゲス選手の高い能力が如何無く発揮されたゴールであり、今大会得点王(6得点)に相応しいゴールであったとも思います。

[第2位] マリオ・ゲッツェ選手のアルゼンチン戦のゴール

 決勝戦・ドイツ対アルゼンチン戦でゲームを決めたゴールです。
 延長後半9分、両チームとも疲労の色が濃い中で、途中出場のシュルレ選手がドリブルで左サイドを突破し、やはり途中出場のゲッツェ選手にパス、ゲッツェはこれを胸でトラップして、そのままゴール右サイドネットに叩き込みました。

 「胸でトラップして、ボールが地面に落ちる前にシュート」というのは、第3位のハメス・ロドリゲス選手のゴールと同様です。
 このタイプのシュートは、いつの時代も世界のトッププレーヤーなら打つことが出来なくてはならないものなのでしょう。

 加えて、ワールドカップの行方を決めたゴールですから、ベスト10の上位に顔を出すのも当然ということになります。

 ドイツ・ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントでの大活躍から、現在はブンデスリーガNO.1チームであるバイエルン・ミュンヘンに移籍し、ドイツ国内では知らぬ者無しの存在であったゲッツェ選手ですが、このゴールで世界中のサッカーファンの知るところとなりました。

 不動のセンターFWクローゼ選手も36歳となって、さすがに代表チーム引退が囁かれていますから、ドイツ代表チームの将来を背負うセンターFWというかワントップ候補のひとりであるゲッツェ選手の、今後の活躍がとても楽しみです。

[第1位] ロビン・ファンペルシ選手のスペイン戦のゴール

 2008年の欧州選手権、2010年のワールドカップ、2012年の欧州選手権を連覇し、今大会も優勝候補筆頭として登場してきたスペインチームに、強烈なパンチとなったスーパーゴールです。

 前半27分、スペインのシャビ選手からディエゴコスタ選手に素晴らしいパスがつながり、オランダDFがこれを倒してPK。これをシャビアロンソ選手がキッチリと決めて、スペインが1-0とリードしました。「シャビ選手からの素晴らしいパスが生んだPK・得点」でしたから、ゲームはスペインペースとなり、前半も残り僅か。「やはりスペインは強い。オランダは殆ど何もさせてもらっていない」と感じた後半44分、プリント選手からのクロスボールをファンペルシ選手がダイレクトヘディングシュート。これが、スペインGKカシージャス選手の頭上を綺麗に超えてゴール!

 ピッチに腹這いになったファンペルシ選手は、しばらく立ち上がりませんでした。「打った本人も信じられない」様子だったのです。この点は、第2位のゲッツェ選手のシュートも同様でした。

 世界トップクラスのFWプレーヤーでさえ「信じられないようなゴール」というのは、間違いなく最高のゴールなのです。

 このシュートは、後方からのパスをヘディングで方向と角度を変えて、前に出ているGK(世界最高レベルの)の頭上を越えてゴールに飛び込むという、難しいというか奇跡的なシュートでした。

 そしてこれが、2008年以降続いていた「世界サッカーにおけるスペインの時代」を終わらせることとなったのです。
 その意味からも、このシュートの価値・重要性は極めて大きいものだと思います。

 前回2010年大会決勝で、120分間こじ開けることが出来なかったスペインゴールを、ファンペルシはついに開けたのです。呪縛を解かれた?オランダチームは、後半早々にロッベン選手が得点、続いてデフライ選手が3点目、ファンペルシ選手が4点目(この日自身2点目)、そしてロッベン選手が後方からのロングパスを受けて、DFとGKを交わして5点目(この日2点目)と、縦横無尽のプレーを展開したのです。

 「世界サッカーの構図を変えたゴール」として、長く語り継がれるダイビングヘッドシュートでした。

 以上が「ゴール・ベスト10」です。

 一覧にまとめてみます。

・第1位 ロビン・ファンペルシ選手(スペイン戦)
・第2位 マリオ・ゲッツェ選手(アルゼンチン戦)
・第3位 ハメス・ロドリゲス選手(ウルグアイ戦の1点目)
・第4位 ティム・ケーヒル選手(オランダ戦)
・第5位 ルイス・スアレス選手(イングランド戦の2点目)
・第6位 ルイス・スアレス選手(イングランド戦の1点目)
・第7位 ブライアン・ルイス選手(ギリシャ戦)
・第8位 ダビドルイス選手(コロンビア戦)
・第9位 エディン・ジェコ選手(イラン戦)
・第10位 本田圭佑選手(コートジボワール戦)

 もちろん他にも、ドイツのトマス・ミュラー選手やミロスラフ・クローゼ選手、オランダのアリエン・ロッベン選手、アルゼンチンのリオネル・メッシ選手、ブラジルのネイマール選手他にも素晴らしいゴールが複数有りましたが、今回は以上の10本をベスト10とします。

 特にトマス・ミュラー選手は、今大会のポジションが中盤というよりワントップに近い形でしたので、ゴール前の混戦からのシュートが多く「見栄え」という意味で、少し損をしたかもしれません。

 今大会においても、改めて「ゴールを決めること」の重要性を感じました。

 「決定的なチャンスを創りだすこと」と「そのチャンスを得点に結びつけること」は、連続していることですが、全く別々のものなのです。

 何回も何回も決定的なチャンスを創り出しても、最後のシュートが決まらなければ何の意味もないというと語弊がありますが、「とてももったいないこと」なのですし、「優勢勝ち・判定勝ち」が存在しないサッカー競技においては、どんなに良いプレーでも得点に結びつかなければ記録には残らないのです。

 準決勝で敗退してしまったブラジルチームも、チャンスが無かった訳では無く、シュートが決まらなかったのです。残念ながら、オスカル選手やフッキ選手のシュートの精度が低かった。
 これは「惜しい」のでは無く、「何かが不足している」と観た方が良いのでしょう。

 そして「相当高い確率でチャンスをゴールに結びつけることが出来るプレーヤー」というのは、やはり一頭抜けた存在なのです。

 クローゼ選手、スアレス選手、メッシ選手、ネイマール選手、トマス・ミュラー選手、アリエン・ロッベン選手などは、世界トップクラスのオフェンスプレーヤーの中でも、また少しレベルが違うプレーヤーなのだろうと感じます。
 そして「決めるべきチャンスを決める能力」は、滅多なことでは身に付かない能力なのでしょう。

 フィジカルの強さは当然として、プレーのテクニック・スピードや凄まじいスピードのプレー中の判断力のスピードと正確性、次のプレーを予測する能力、そして十分なる経験の積み上げ、等々の上に「天賦の才」が必要に思えます。
 この天賦の才無しには、どんなに努力しても身に付かないものなのかもしれないと感じました。

 いつの時代も「真のストライカー」は不足しています。これは何も我が国に限ったことではないのです。
 7月4日に行われた男子シングルスの準決勝の組合せです。

・ジョコビッチ選手(27歳)vsディミトロフ選手(23歳)
・フェデラー選手(32歳)vsラオニッチ選手(23歳)

 ベテランに新鋭が挑む形でしたが、結果はジョコビッチ選手とフェデラー選手が、セットカウント3-1と3-0で快勝しました。

 男子シングルスでは新鋭も育ってきていますが、まだまだ3強(ジョコビッチ、ナダル、フェデラー)の時代が続くようです。

 ウインブルドンの男子シングルスでも、女子程明確ではありませんが「秩序」が存在する時代が続きました。

① 1974年~1982年までの9年間
[ビヨルン・ボルグ選手とジミー・コナーズ選手の時代]
 この時代、ボルグ選手は5回(5連覇)、コナーズ選手は2回(決勝でボルグに敗れること2回)優勝しています。

② 1983年~1992年までの10年間
[3強の時代-その1]
 この時代は、ジョン・マッケンロー選手(優勝3回)、ボリス・ベッカー選手(優勝3回)、ステファン・エドベリ選手(優勝2回)の時代と言って良いでしょう。
 この3プレーヤーは、決勝でも度々まみえています。そして、イワン・レンドル選手やアンドレ・アガシ選手も健闘しました。

③ 1993年~2000年までの8年間
[ピート・サンプラス選手の時代]
 この時代は、サンプラス選手が7回も優勝しています。今となっては、1996年(クライチェック選手が優勝)を落としたことが惜しまれます。

④ 2003年~2007年の5年間
[ロジャー・フェデラー選手の時代]
 フェデラー選手が5連覇(ボルグ選手とタイ記録)しました。「芝のフェデラー」の強さを如何無く魅せた時代でした。

⑤ 2008年~2014年の7年間
[3強の時代]
 ナダル選手が2回、フェデラー選手が2回、ジョコビッチ選手が2回優勝しています。ナダル選手は2006年と2007年も決勝に進出しましたが、この頃はフェデラー選手に歯が立ちませんでした。「クレーコートのナダル」と呼ばれていたのです。ナダル選手は、現在でもクレーコートで強さを発揮していますが、芝コートのウインブルドンでも十分に戦えるプレーヤーとなったのです。

 過去40年間を見てくると、2001年と2002年(イバノセビッチ選手とヒューイット選手が優勝)の2年間が過渡期であったのでしょう。

 さて、現在の3強ではフェデラー選手が最も長く世界トップクラスを守っている形です。何しろ1強時代を形成し、3強時代にも活躍しているのですから。しかし、さすがに32歳ともなるとフェデラー選手が世界トップクラスで活躍するのはあと数年でしょう。

 そうすると、フェデラー選手より5年前後若く、ほぼ同年代のジョコビッチ選手とナダル選手の2強時代が到来するのでしょうか。
 必ずしもそうならないような気がします。

 近時、ナダル選手を脅かすようなクレーのスペシャリストが複数誕生していますし、今ウインブルドンの準決勝に登場したラオニッチ選手も、試合運びという点でフェデラー選手の後塵を拝しましたが、あの強烈なサーブは魅力十分でした。(女子のブシャール選手共々、カナダのプレーヤーが急速に力を付けているのには、何か秘訣があるのでしょうか)

 フェデラー選手が第一戦から退く頃に「3強の時代も終焉を迎える」ように感じられるのです。

 それにしても、ジョコビッチvsフェデラーの決勝戦は「全くの互角」でした。両プレーヤーが、その技術と体力の限りを尽くして激突した見事なゲーム。僅かにボールの威力で勝ったジョコビッチ選手が優勝しましたが、3強の強さをまざまざと見せつけたゲームであったと思います。

 7月3日に行われた女子シングルス準決勝の組合せです。

・クビトバ選手(24歳)vsサファロバ選手(27歳)
・ハレップ選手(22歳)vsブシャール選手(20歳)

 そして、決勝はクビトバ選手とブシャール選手の対戦となり、クビトバが快勝し2度目の栄冠に輝きました。

 この準決勝と決勝は、「女子シングルスには世代交代の波が押し寄せていること」を如実に示していると思います。

 21世紀に入って圧倒的な力を示してきたウイリアムズ兄弟(ビーナス34歳・セリーナ32歳)や昨年の覇者バルトリ選手(29歳)を抑えて、20代前半のプレーヤーが決勝を争ったのです。

 ご存じのように、ウインブルドン大会女子シングルスには、過去30年以上に渡って「秩序」が存在しました。

① 1978年~1996年までの19年間
[マルチナ・ナブラティロバ選手とシュティフィ・グラフ選手の時代]
 この間のウインブルドン大会は、ナブラティロバ選手が優勝9回、グラフ選手が7回優勝と2人で16回優勝しています。
 この時代の序盤にはクリス・エバート(結婚後はクリス・エバート・ロイド)選手、中盤から終盤にはハナ・マンドリコワ選手やヤン・ノボトナ選手が健闘しましたが、2人の牙城はなかなか崩せませんでした。

② 2000年~2012年間までの13年間
[ウイリアムズ兄弟の時代]
 この間の大会は、ビーナス・ウイリアムズ選手が5回、セリーナ・ウイリアムズ選手が5回、計10回優勝しています。
 この時代の前半にはリンゼイ・ダベンポート選手が中盤から現在に到るころにはマリア・シャラポワ選手が健闘しましたが、厚い壁でした。

 こうした、明確な優勝候補が存在し、他のプレーヤーがこれに挑む形であったウインブルドン大会が、2013年以降は新鋭選手が登場し、混戦状態となっています。
 まだたったの2年間ですが、この時期が1997年~1999年の3年間、マルチナ・ヒンギス選手やヤン・ノボトナ選手が活躍し、ウイリアムズ兄弟の時代への布石となった時代と重なるものなのか、それとも「当分続く戦国時代」なのかは分からないところですが、世代交代の時期であり、ある意味ではとても面白い時代であることは、間違いありません。

 今大会特に注目された若手プレーヤーは、カナダの20歳ウージニー・ブシャール選手でした。そもそも、テニス4大大会決勝でカナダのプレーヤーというのが珍しく、ウインブルドン大会では初の決勝進出者でした。

 準決勝まで1セットも落とさずに決勝に進出しましたから、前日の記者会見では自信満々でしたが、決勝では第一セットこそ3ゲームを取ったものの、第二セットは0-6と完敗でした。

 ブシャール選手は、スピンが効いたボールを打つのですけれども、ボールのスピードはそれ程ではないのです。これに対して、クビトバ選手はフラットな打球も打つことが出来ますので、打球スピードで勝りました。芝のウインブルドンでは、速いボールを駆使できる方が有利ですから、一方的なゲームとなってしまったように思います。

 とはいえ、ブシャール選手は2014年の全豪・全仏でベスト4に入るなど急速に力を付けてきていますので、次代の世界女子テニス界を牽引するプレーヤーになる能力を十分に備えていることは異論のないところでしょう。今後の活躍がとても楽しみです。

 ウインブルドン2014女子シングルスは「世代交代を色濃く反映した大会」であったと思います。

 今大会のドイツチームは、ワールドカップチャンピオンに相応しいチームでした。21世紀に入ってから、常に世界トップクラスのチームを国際大会に送り続けてきたドイツサッカーが、ついに頂点を極めました。
 素晴らしいチームに、大きな拍手を送ります。

 [決勝 ドイツ1-0アルゼンチン (延長)]

 ゲームは慎重なスタートでした。

 アルゼンチンは「守ってカウンター」という、これまでの戦法を継承しましたし、ドイツも大砲メッシ選手を中心としたカウンターの威力を警戒して、引き気味の戦いを演じました。「ワールドカップの決勝は先取点の重みが違う」のです。
 21世紀になってからの大会では、PK戦決着となった2006年大会を除いては、先取点を挙げたチームが優勝しています。守備的に入るのは、止むを得ないところでしょう。

 そういった中で、前半20分アルゼンチンは絶好のチャンスを迎えました。ドイツのクロース選手のバックパス(ヘディング)がアルゼンチンのイグアイン選手の前に落ちて、ゴールキーパーGKノイアー選手と1対1。相手チームが触ったボールですから、オフサイドはありません。
 決定的なチャンスでしたが、イグアインはこれを左に外してしまいます。アルゼンチンを代表するフォワードFWイグアインでも、あまりに良いチャンスでは力んでしまったのでしょうか。それとも、今大会屈指の「ノイアーの壁」を意識する余り左隅を狙い過ぎたのでしょうか。
 これが決まっていれば、ゲームは全く違う様相を呈したことでしょう。点の取り合いになっていたと思います。

 ドイツはアルゼンチンの中盤でのプレスの為に、得意のショートカウンターの形が作れません。こうなるとドイツチームといえども「得点力が半減」するのは、決勝トーナメント1回戦のアルジェリア戦(延長2-1でドイツ勝ち)が証明しています。あの時のアルジェリアチームは、中盤のプレスからドイツボールを奪取し続けました。

 流れの中でチャンスを創れないドイツチームが、セットプレーを大切にするのは当然のことで、前半アディショナルタイムの右からのコーナーキックCK。フリーとなったヘベデス選手が飛び込んで眼にも止まらぬ強烈なヘディングシュート!これが右ポストを直撃。ドイツにとって初めての決定的なチャンスでしたが、これが入りません。

 前半は、両チームともに1回ずつのチャンスしか無く0-0で折り返しました。これは「完全にアルゼンチンのペース」でした。

 後半になっても、アルゼンチンはドイツにスペースを与えず、時折見せるアルゼンチンのカウンターに対してはドイツの最終ラインが良く守る、という展開が続きました。
 両チームともに中々シュートも打てないという展開が続いたのです。

 こうした状況の後半2分と28分、アルゼンチンはメッシ選手が持ち込みシュートするも、ボールは枠外。「堅守からメッシの一撃」というアルゼンチンの戦略が実現したかと思えた2つのチャンスでした。

 後半35分を過ぎると、アルゼンチンディフェンスDFにやや疲れが見え、ドイツのボール支配率が上がりましたが、ドイツも疲れが出て決定的な形が創れずに90分を終了し、ゲームは延長戦に入りました。

 延長は両チームとも疲労の色濃く、ルーズボールへの寄せも遅くなり、ゲーム全体がスローな展開となりました。
 特に、ドイツチームのボアテング選手、フンメルス選手といったDFプレーヤーは、ほとんど動けない状態。

 この延長前半に、両チームに1回ずつ決定的なチャンスが訪れました。
 まずはドイツチーム。延長開始早々、シュルレ→ゲッツェ→シュルレと繋いで、シュルレが強烈なシュート。しかし、GKロメロ選手の正面。これは決めなければならない場面でした。

 一方のアルゼンチンは後半7分、ゴール前でパラッシォがGKノイアーと1対1。ふわりと浮かせたシュートはしかし、ゴール左に外れました。まさに決定的なチャンスでした。結果的には、このシュートが決まらなかったことでアルゼンチンの勝利は無くなったということかもしれません。

 延長後半は、一層疲れの色が濃いゲームとなり、両チームともあまり動けなくなりました。このままPK戦かなと思った後半9分、ドイツのシュルレ選手が左サイドをドリブルで駆け上がり、ペナルティエリアで待っていたゲッツェ選手にパス。ゲッツェはこのパスを胸でトラップしてシュート。これがアルゼンチンゴール右サイドネットに突き刺さり、ゴール!

 ついにドイツチームが均衡を破りました。途中交代のフレッシュな2人が仕事をしたのです。

 ここまでドイツにスペースを与えなかったアルゼンチンでしたが、ゲッツェ選手のシュートの時には、近くに居たアルゼンチンのDFは1人だけでした。やはりシュートは、プレーヤーが少ないシーンで生まれることが多いのです。
 そして、この「プレーヤーが少ないシーンを創り出したのはシュルレ選手のドリブルでした。

 また、この大会あまり精彩が無く、このゲームでもクローゼ選手との交代で後半終了間際に入って、ほとんど仕事が出来ていなかったゲッツェ選手が、最後に輝きました。
 混戦というか少し乱暴なプレーで持ち味を発揮するゲッツェ選手の特徴が、見事に発揮されたゴールだったと思います。

 トマス・ミュラー選手やクローゼ選手に球が収まったら、周辺に走り込むという「ドイツチームの得点システム」には、ケディラ選手やクロース選手が忠実に対応してきました。しかし、この得点システムに、ゲッツェ選手はなかなか馴染めませんでした。

 ゲッツェが得意としてきたのは、前所属クラブのボルシア・ドルトムントで観られたような、一気の反撃の際にこぼれ出たボール等への反応の良さです。(ちなみに現所属のバイエルン・ミュンヘンのシステムにもゲッツェはまだ馴染んでいないと感じます)
 こうした「システム外のプレー」が、両チームの動きが止まった空気の中で活きたのでしょう。
 
 この後、メッシ選手のFKがアルゼンチン最後のチャンスとなりましたが、このシュートはドイツゴールの遥か上を通過してしまいました。

 そして、ゲーム終了のホイッスルがマラカナン・スタジアムに響き渡りました。

 ドイツチームの勝因は
① 献身的な運動量
 このゲームでは、特にエジル選手の動きが目立ちました。相当疲れていたでしょうが、延長戦に入ってもボールを運び、供給し続けました。トマス・ミュラー選手やシュバインシュタイガー選手と共に、ドイツサッカーの攻撃を支え続けました。

② 戦法への信頼
 このゲームやアルジェリア戦など、なかなか得点できない展開になっても、慌てることなく自分たちのゲームを続けました。「この頑固さ」は、いつの時代もドイツサッカーの美点でしょう。

③ 堅守
 「容赦ない得点力」が目立つチームですが、その後方をがっちりと固めているのは、GKノイアー選手を中心とする守備力です。特にゴール前の競り合いでの強さは伝統でしょう。

 一方のアルゼンチンチームは、マスケラーノ選手を中心に本当によく守りました。ブラジルチームを相手に7点を取った攻撃力を、113分間0点に抑え込んだ守備力は、さすがといえるものです。
 とはいえ、「決勝トーナメントに入ってからの4ゲームで2得点」では、優勝するのは難しいでしょう。得点力不足が、最後まで響きました。

 決勝点を挙げたゲッツェ選手が、喜びを爆発させることなく、不思議そうにアルゼンチンゴールを見つめていたシーンが印象的でした。「打った本人が一番信じられない」という様子。ワールドカップ決勝戦におけるゴールの重さを深く深く感じさせるシーンでした。

 「南米開催のワールドカップでは南米チームが優勝するという公理」は、第20回ブラジル大会で破られました。破ったのはドイツチームでした。
 2014年7月6日にラムタラ号が死去したと報じられました。1992年生まれでしたから22歳でした。

 ラムタラの競走成績は完璧です。
 通算4戦4勝、1994年のダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ステークス、凱旋門賞に優勝し、いわゆる「欧州3冠」を達成しました。1971年のミルリーフ号以来、史上2頭目の快挙でした。

 ラムタラ号、父ニジンスキー、母スノーブライド、母の父ブラッシンググルーム。良血でしょう。ニジンスキーの父とスノーブライドの3代前がノーザンダンサーですから、ノーザンダンサーの血量31.25%となります。
当時の、そして現在でも、欧米競馬の主要な血統だと思います。

にもかかわらず、ラムタラは1994年欧州年度代表馬にはなれませんでした。これは、不思議なことでした。無敗で欧州3冠レースを制した馬が年度代表馬に選ばれないのであれば、いったいどんな成績を残せばよいのだろうか、と考えたことを憶えています。

選ばれなかった理由として
① 1994年の欧州3冠レースには強い馬が出ていなかったこと
② 3つのレースの2着との着差が小さかったこと(ダービーが1馬身差、キングジョージがクビ差、凱旋門賞が1馬身差)
が挙げられました。

 屁理屈というか、いちゃもんとしか言いようがない理由付です。レーティングも異例の低さでした。

 やはり、馬主がドバイの王族であり、石油マネーによる良血馬の買い占めを快く思わなかった欧州競馬界、殊にイギリス競馬界の反発があったという説も有力だと感じてしまいます。

 そして、種牡馬になってからの不振が、この「恣意的な評価」を後押しするものになってしまったことが、ラムタラにとっては不幸なことでした。
 種牡馬としてのラムタラは、期待外れというより、全くの不振と言って良い成績しか残せなかったのです。

 種牡馬となって早々に、3000万ドル(当時約33億円)で日本に売却されました。
 この時「ラムタラを手放したくない牧場関係者が色々と邪魔をした」とか「日本が金に明かせて名馬を買い漁る」とかいった報道がなされましたが、本当にそうだったのでしょうか。

 「もったいぶった様子で売却した」と言う方が正しいような気がします。3歳春の大病や血統における何らかの問題点から、高く買い取ってくれる先を探していたのかもしれません。本当に残さなければならない馬なら、売却しないでしょう。

 一方、日本側にも事情があって、1990年に輸入されたアメリカ二冠馬サンデーサイレンスが、日本競馬を変えてしまうような大活躍を見せ始めていた頃であり,これに対抗する、あるいはこれと共存するための強力な血統が求められていたのです。
 ラムタラは、その競走成績を観れば、十分にその役割を果たせるであろうと推定されたことは想像に難くありません。

 しかし、産駒は走りませんでした。種牡馬としての初年度、イギリスで種付された馬からも、2年目以降日本での産駒からも、G1レースはおろか重賞勝ち馬を探すのも苦労する状態。このクラスの名馬としては珍しいことだと思います。

 2006年にラムタラは、24万ドルで元のイギリスの牧場に買い戻されました。33億ドルで買って、24万ドルで売却されたのです。ラムタラには何の責任もありませんが、日本競馬界としては残念な結果となりました。

 ラムタラが生まれた1992年、ラムタラの誕生から2か月後に、父ニジンスキーが死亡しました。
 ラムタラは、ニジンスキーの生まれ代わりだったのでしょう。そして、父が果たせなかった「欧州3冠」を達成しました。まだ、史上2頭しか達成していないこの走りは、誰が何と言おうと見事なものでした。

 [3位決定戦 オランダ3-0ブラジル]

 ブラジルチームのプレーには、全く精彩がありませんでした。

 大会前、優勝候補とされていたチームとは思えません。優勝を宿命づけられたチームが、大きなプレッシャーの中で戦い、前の試合ドイツに大敗したこととで、精神的な緊張が切れてしまったことが、この残念な試合振りの最大の要因なのでしょう。

 しかし、プレー内容を観ると「精神的なダメージ」だけでは説明できない力の差も感じられました。
 「スピード」で、ブラジルチームはオランダチームに大きく劣りました。
 全てのプレーにおいてオランダのスピードが勝り、ブラジルには決定的なチャンスが皆無でした。

 ゲーム開始直後、ブラジルチームは先制点に向けて一気に攻め上がりました。おそらく「フルスロットル・全力」のプレーを展開したのだと思います。それでも、オランダチームのプレーの方が速く・キレが有って・力強かったのです。

 特に、ロッベン選手の動きは素晴らしく、前試合120分の激闘から中2日のプレーヤーとはとても思えないものでした。本当に凄い!

 ブラジルサッカーは「現時点の世界トップとの差を痛感した」大会となったかもしれません。もちろんサッカー王国の牙城が、一朝一夕に揺らぐことは無いのでしょうが、楽観できない状況でしょう。

 ゲーム後のロッベン選手のインビューが印象的でした。
 「今、僕は空っぽだ。この1ヵ月間、決勝に出るために全てを捧げてきた。でも、ここに居る。疲れた。」
 決勝に進出できなかった悔しさが溢れているコメントでした。

 アリエン・ロッベンは、間違いなくワールドカップ2014ブラジル大会の主役のひとりでした。
 ボストン・レッドソックスの上原浩治投手が7月9日のシカゴ・ホワイトソックス戦に登板、3-4で負けていた9回表をキッチリと押さえ、その裏味方が2点を取って逆転勝ちしたので、勝ち投手となりました。

 これで、今季5勝目。41度の登板で5勝2敗18セーブという堂々たる成績を残しています。DL故障者リスト入りした田中将大投手に代わり、オールスター戦にも選出されました。ボストン不動のクローザーというか、アメリカンリーグALを代表するクローザーとなりました。素晴らしいことだと思います。

 ところが、この上原浩治投手が7月末のトレード期限を前に、トレード候補に挙がっているというのですから、世の中は難しいものです。

 7月9日現在、AL東地区でボストンは首位のボルチモア・オリオールズから9.5ゲーム差の最下位に沈んでいます。2014年シーズンの地区優勝・プレーオフ進出が難しくなっているわけです。
 そうするとMLBの球団は「今季を諦め、来期に向かっての強化」に向かいます。

 具体的には、年俸の高いベテラン選手を放出し、若い前途有望な選手を複数手に入れて、今季の残るシーズンでゲーム経験を積ませるという手法を採るのです。
 その結果、上原投手もトレード要員に入っているという訳です。

 現在「チームに不可欠なプレーヤーであるためにトレード要員となる」というのは、何か不条理な感じを受けますが、MLBでは良く見られることでもあります。

 少し、MLBのトレードについて考えてみましょう。個人成績とチーム成績から4パターンが考えられます。

① 個人不調・チーム不調
② 個人不調・チーム好調
③ 個人好調・チーム不調
④ 個人好調・チーム好調 の4パターンです。

 前述のMLBの考え方および通常のトレードの考え方からすると、①②③の3つのパターンの時には、「チームの主力で高給取りのプレーヤー」はトレード要員となることになります。
 こうした一流プレーヤーがトレード要員とならないのは、僅かにパターン④の時だけなのかもしれません。
 8月以降のレギュラーシーズンで地区優勝・プレーオフ進出を目指せる位置に居て、その活躍が期待されるのがパターン④です。

 そうなると、MLBで一流のプレーヤーとなると、しばしばトレード要員となることは避けられないということになります。

 ちなみに、今季の上原投手は年俸4億5千万円前後と報道されていますから、著しく高給とは言えませんが、現在の成績からして来季は相当の年俸増加が見込まれます。従って、トレードにおいてボストンは大きな利益が見込めるのです。 
 一方、ボストンと違い、現時点で優勝争いを演じてはいるが、クローザーに不安があるチームは、上原を欲しがることでしょう。

 とはいえ、理屈上は前述のようになるのでしょうが、2013年シーズンのワールドシリーズ制覇に八面六臂の活躍を見せ、今シーズンもここまで41試合登板という、ALクローザー上位プレーヤーの中でもトップの登板数を誇るピッチャーが、トレードに出されるというのは、理解できても納得できるものではありません。

 ボストン・レッドソックスには、是非上原投手を残留させていただきたいと思うのです。
 ブラジルのサッカーファン100万人以上による投票で「ブラズーカ(誇り、好意)」と名付けられた、今大会の公式球はアディダス社製です。

 アディダス社は1970年メキシコ大会以来、ワールドカップの公式球を提供してきました。

 そして、そのアディダス社の下で、開発・企画を担当したのが日本のモルテン社であり、製造を担当したのがパキスタンのフォワードスポーツ社なのです。
 パキスタンのフォワードスポーツ社は、2008年に熱接合技術を使ったハイテク球の供給を開始し、UEFA-CLやフランス・リーグアン、ドイツ・ブンデスリーガなどにもボールを供給しています。
 その高い製造技術が、世界に認められているということでしょう。

 今大会は、準決勝のドイツチームの7得点に象徴されるように「得点が多い」大会です。その要因として、FIFAによる審判判定の厳格化、特に「後ろからの反則を厳しく取るようになったこと」により、ペナルティエリア内での守備側の激しいチャージがやりにくくなったことが挙げられます。
 その意味では、開幕ゲームでの日本の西村主審のPK判定が、今大会の得点ラッシュに一役買っているのかもしれません。

 そして、もうひとつの要因として「公式球が真っ直ぐに飛ぶ」ことが挙げられるように思います。

 前回2010年大会の公式球「ジョブラニ」は、ボール表面に凹凸を付けた為に「不規則に飛ぶ」ようになり、ゴールキーパーGKからは軌道が予測できないと不評でしたし、キッカー側からも「狙ったところに蹴るのが難しい」と不評でした。
 確かに、南アフリカ大会ではフリーキックFKの成功シーンが少なかったと思います。一方で、日本の本田選手も決めていましたが「無回転ボールが予測不能の変化を見せる」ことから、GK泣かせのボールでもありました。つまり、無回転シュートが流行った大会だったのです。

 しかし、狙ったところに飛んで行かないボールは、当然ながらサッカー競技には向いていませんから、ジョブラニは早々に使用されなくなり、2010年のクラブワールドカップや翌年の女子ワールドカップでは、公式球「スピードセル」が取って代わりました。

 おそらく、近時のワールドカップ公式球の中で「ジョブラニは最も短命」であったと思います。

 少し、ワールドカップ公式球の変遷を見て行きましょう。

 1969年以前のワールドカップ公式球は「皮のパネルを手縫いで繋ぎ合わせたもの」でした。そのパネルも「長方形」が多かったように記憶しています。色は、多くが「茶色」、時々「白」であったと思います。
 1960年代に入り「防水加工」が施されるようになったと思いますが、それでも雨の日などは縫い目などから水が皮に浸み込み、ボールはとても重くなりました。現在では考えられない程重いボールだったのです。

 この重いボールを、しかし、王様ペレやイングランドのボビー・チャールトンは自在に操りましたし、ポルトガルの「黒い真珠」エウゼビオやポーランドのルバンスキー、日本の釜本邦茂は強烈なシュートを放ちました。
 おそらく、この時代のプレーヤー達は現在のプレーヤーより「絶対筋力では明らかに勝っていた」でしょう。

 そして、1970年メキシコ大会の公式球「テルスター」が登場するのです。「テルスター」は、アディダス社製です。この大会以降、公式球は常にアディダス社製ですから、「アディダスの時代が始まった大会」とも言えます。

 そして、この「テルスター」が、現在のサッカーボールの原型となりました。「六角形のパネルを32枚繋ぎ合わせ、白と黒の配色となっている姿」は、多くのサッカーファンにとって「ザ・サッカーボール」とされる外観です。

 さすがに、現在では「六角形パネルの白黒ボール」がゲームで使用されることは無いのですが、それでも「サッカー漫画」には、このデザインのボールが登場することがあります。いかに印象が強いボールであったかを示していると思います。

 そして、1978年アルゼンチン大会に「タンゴ」が登場しました。「タンゴ」は「テルスター」と同じく32枚の六角形パネルを縫い合わせたものですが、デザインが異なりました。三角形の模様が一面に施されたのです。
 このデザインのボールは、長く使われました。1998年のフランス大会に到るまでの20年以上、公式球は「タンゴ系」でした。

 おそらく、世界で最も愛され、最も長く使われたのが「タンゴ・タンゴ系」だったのではないでしょうか。あの「キャプテン翼」に数多く描かれているのも、このボールです。

 そして2002年日本・韓国大会で、公式球は大きく変わりました。「フィーヴァーノヴァ」と呼ばれたこのボールは、ボールそのものの内側の素材軽量化が著しく進んだのです。現在の「超軽量ボールのはしり」と言って良いボールで、「小さな振り幅から相応の威力のボールを蹴ることが出来る」ようになりました。
 ブラジルのロナウド選手のシュートが思い出されますが、サッカー競技のプレー内容に大きな影響を与えたボールでしょう。

 2006年ドイツ大会では、初めて「パネルを縫い合わせるのではなく、熱融着させたボール」として「チームガイスト」が導入されました。完全防水のボールが誕生したのです。
 パネル枚数も32枚から14枚に減らしました。現代のボールの始まりです。

 2010年南アフリカ大会の「ジョブラニ」は、「チームガイスト」を発展させたボールとして登場、パネル枚数も14枚から8枚に減りましたが、前述の通り「コントロールしにくい、というか、勝手に変化してしまう」ことから不評でした。

 今大会2014年の公式球「ブラズーガ」は、「ジョブラニ」の欠点を改善し、プレーヤーの意図に沿って飛ぶボールとなっています。プレーヤーの評判も悪くないと思います。(一部のプレーヤーからは「ブレ球が蹴り難くなった」と言われていますが、ブラジルのダビド・シウバ選手のフリーキックFKのゴールを観ると、ちゃんと蹴れば「変化する無回転ボール」を蹴ることが出来ることは明らかです)

 蹴った本人も予測不能な変化を見せるボールは、GK泣かせのボールでもあります。今大会の「ブラズーガ」は、そういうボールではありませんから、フィールドプレーヤーのパスやトラップなどの技術力が正確に反映されるとともに、GKにとっても予測したところにボールが飛んでくるボールということでしょう。

 ブラジル大会は、好ゴールキーパーが多いと言われる大会ですが、ここにも「ブラズーガ」が一役買っているのかもしれません。
 6月26日の日本経済新聞スポーツ面のコラム「権藤博の悠々球論」を、とても楽しく読ませていただきました。

 「大変なものを見てしまった。日本ハム・大谷翔平が18日の阪神戦で8回1安打、11奪三振。数字だけでなく、その才能の『底』がみえないところに鳥肌が立った。」と書き出しています。

 大谷投手のピッチングの素晴らしさを絶賛しているのです。

 続いて「・・・マウンド上でもキャッチボールの延長で、手投げにみえる。球が指先から離れる瞬間は一見棒立ちだ。これがいい。往年のエース、金田正一さん(国鉄、巨人)、稲尾和久さん(西鉄)もそうだった。
 投手コーチはみんな『体を使え』『手投げはダメだ』という。しかし理屈に毒されると真実が見えなくなる。・・・」と。おっしゃる通りでしょう。

 そして「もちろん体全体を使うが、それは最終的に指先からボールに力を伝えるためだ。・・・『常識』とされるフォームでは体を使うことと、球に力を伝えるということの目的と手段の関係がひっくり返っているのだろう。指先を走らそうと思えば一瞬体は棒立ち、手投げになる。・・・」と続くのです。

 「最終的に指先からボールに力を伝える」ことを、効果的に実施するためにフォームがあるのであって、フォームが型通りだからボールに力が伝わるわけではないという記述は、まさに「スポーツの本質」であろうと思います。

 「言われる通りのフォームで投げれば良い球が投げられる」などという簡単な話で、最高レベルの野球が出来る筈がないのです。
 こんなことは、誰でも分かっていることでしょう。

 個々のプレーヤーが自らの体格・筋力・持久力・心持等々に合った投球フォームを模索し、自分にとって「最もボールに力を伝えられるフォーム」を身に付けていく必要があるのでしょう。そして権藤氏は「手投げ・棒立ち」にたどり着いたと書いています。
 金田正一・稲尾和久といった、日本プロ野球NPBの歴史に燦然と輝く大投手も手投げ・棒立ちであったと言うのです。

 確かに昔、金田投手や稲尾投手の投球を観ると「棒立ちだなあ」と感じました。両投手とも力みのないフォームでした。「球数何球でも投げられそうだ」と感じたものです。体全体を使って「必死に投げているように見える投手」と違って、軽く投げているように見えたのです。

 しかし、軽く投げているように見えても凄い球が来ます、金田投手ほどのスピードボールは、その後のNPBの歴史上でも数名しか(ひょっとすると江夏豊投手くらいかもしれません)投げられなかったと感じますし、稲尾投手ほどの変化球も同様です。素晴らしい切れ味でした。

 権藤氏は、金田投手や稲尾投手のボールは「手投げ・棒立ち」だから実現できているというのです。その通りだろうと思います。

 目的は「凄いボールを投げること」であって、「綺麗なフォームで投げること」ではないのです。

 他の競技でも、同じようなことが言えるのでしょう。

 例えばゴルフのスイング。
 バックスイング、フォロースイング等のゴルフスイングについて、色々な技術書・技術論が溢れています。アマチュアプレーヤーにとって、どれを選択したらよいのか困ってしまいます。スイングプレーンがどうのこうのと、プレーンを模した丸い金属棒にクラブを這わせて、スイング練習をしたりするのです。(あのプレーンに沿ったスイングをしているプレーヤーは、プロも含めて世界中に一人も居ないでしょう)

 しかし「肝心なのはインパクトの瞬間」だけであることは、自明の理です。インパクトの瞬間以外にクラブとボールが接触することは無いのですから。バックスイングがいかに綺麗であろうと、フォロースイングがいかに美しくとも、インパクトとは直接の関係はありません。
 インパクトさえ正確で力強ければ、バックスイング・フォロースイングが滅茶苦茶?であっても、素晴らしい打球が生まれるのは当然のことです。

 アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤー、リー・トレビノ、樋口久子、ヒューバート・グリーン、杉原輝雄、横峯さくら等々、個性的なスイングで4大メジャートーナメントやPGAツアー、欧州ツアー、日本ツアーなどで活躍した・しているプレーヤーは枚挙に暇がありませんし、身近に居るゴルフ名人にも個性的なスイングが多数見られます。

 「良いインパクトを実現するために、良いバックスイング・フォロースイングを行う」というのはよく分かりますが、あまりにバックスイング・フォロースイング等のフォームに拘り過ぎてインパクトが疎かになっては、本末転倒でしょう。
 権藤氏が言うところの「目的と手段の関係がひっくり返っている」のです。

 ゴルファーは、自らの体力・体格・柔軟性・持久力・メンタル面等々の個性に合ったスイングを模索して、身に付けて行けば良いのであって、技術書に載っているスイングを目指す必要は無いし、ひょっとすると技術書のスイングがその人には有害なのかもしれません。

 「悠々球論」には、本物のプロフェッショナルの心情・深いノウハウがぎっしりと詰まっています。本当に素晴らしいコラムだと思います。

 権藤氏はこう締めくくります。
 「手投げ投法を我が物とした大谷は今すぐメジャーに行っても、ダルビッシュ有や田中将大と並ぶ3大エースとなる力をつけつつある。二刀流を続けるべきかどうかなど、もう考えるまでもない、といえるだろう。」

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