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 2014年の日本プロ野球NPBセントラルリーグのペナントレースを占う大一番、8月28日の読売ジャイアンツと阪神タイガースの試合は、ジャイアンツが沢村拓一投手の好投などにより4-0で勝ちました。

 今シーズンのセントラルリーグは、圧倒的な戦力を誇ると見られていたジャイアンツが、打線の極端な不振から失速、タイガース、カープを交えた3チームの争いが続いています。

 このゲームは、0.5ゲーム差で追いかけるタイガースにとっては、ついにジャイアンツを捕まえる戦いでしたし、ジャイアンツにとっては「タイガースの自力優勝を消す」戦いでしたから、ペナントレースの行方に大きな影響を持つ試合でした。

 沢村投手は初回から好調。結局、114球・9イニングを投げて、被安打2、与四死球2、失点0で投げ切りました。ストレートのスピード・キレ・コントロール共に良く、最高スピードは152km。沢村投手の完投シャットアウトは昨年6月13日以来1年2か月ぶり、今シーズンの成績は2勝3敗となりました。

 この試合の帰趨を決めたのは、ジャイアンツの先制攻撃でした。初回に橋本到選手のホームランで1点を先取して迎えた2回にヒット5本を集めて3点を加え、リードを広げました。タイガース先発の藤浪晋太郎投手の立ち上がりを攻めた、見事な速攻でした。

 2011年からジャイアンツでプレーしている沢村投手は、入団直後からその球威が高く評価され、「エースになるのは時間の問題」と言われました。

 しかし、2011年は11勝11敗、2012年は10勝10敗、2013年は5勝10敗。各々のシーズンで29試合、26試合、22試合に先発と、先発陣の一角を担ってきたことは事実なのですが、デビュー当初の期待に比べると物足りない成績と言わざるを得ません。

 出来の良い日と悪い日の差が大きいのが原因では無いかと思います。

 この8月28日の登板では、ストレートのスピード・キレ・コントロール共素晴らしいものでしたが、「全体としてボールが高い」というか「高目で勝負するタイプ」である点は、デビュー当時から変わりません。
 高目で勝負しても、この試合程の球威が有れば十分に完投シャットアウトできるのです。沢村投手のもう一つの強みである「高い持久力」をもってすれば、9イニング・110球は「お茶の子さいさい」でしょう。沢村投手の無類の練習好きはつとに知られたことです。球威を落とすことなく、多くのボールを投げ続けることが出来るという点では、現NPBでも屈指のピッチャーでしょう。

 それほどの投手が「何故、負け数の方が多い投手」になってしまうのでしょうか。
 
 調子が悪い日の沢村投手は、良い時に比べて僅かにボールのスピードとキレが落ちてしまいます。その差はほんの僅かなのですが、高目で勝負するタイプにとっては致命傷になります。
 調子が悪い日の沢村投手は、「高目の打ちごろの球」を揃えるピッチャーとなってしまいますから、大量失点をし易いのです。打ち込まれている時の沢村投手の投球を観ると、いつも「相手打者のタイミングが良く合って」しまっていて、「次に何を投げるのか」も把握されているように観えます。

 おそらく、投球フォームのスピードが一定なので、打者にするとタイミングが合わせ易い投手なのでしょう。
 加えて、低めのボールが少ないことも、球威が不足している日の投球を苦しくしているように見えます。もちろん、沢村投手にはフォークボールもあるのですが、不調な日は「相手打者がフォークが来るのが分かっているような対応」を見せます。加えて、低めから低めへのフォークでは無く、高目から低めへのフォークなので、キレが悪い時には「打ちごろの球」になってしまうのでしょう。1球種で良いので「低めから低めへの投球」を身に付けることが出来れば、勝ち星が上がってくるのではないでしょうか。

 この試合の沢村投手は、躍動感に溢れていました。元来が明るいプレーヤーですから、好調な時には華が有ります。プロ向きの選手なのです。
 加えて、無類の練習好きと来れば大投手となる条件が揃っています。

 沢村拓一投手は、投球フォームに少し幅を持たせて、「低めから低めへの球種」をひとつ身に付けることが出来れば、直ぐに20勝投手になれるように感じます。
 間違いなく逸材なのです。
 
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 前稿の「4時間34分の中断があった8月19日と21日のゲーム」において勝ち投手となった和田毅投手について、少し見て行こうと思います。

 和田投手は、このゲームの後8月24日にも先発登板して勝ち投手となり、今シーズン4勝1敗、いまやカブス投手陣に欠かせない先発ローテーションピッチャーとなりました。

 和田投手のメジャー挑戦は、2011年12月にボルチモア・オリオールズとメジャー契約締結から始まりました。
 そして翌春2012年のスプリングトレーニングで左肘に違和感を感じてDL(故障者リスト)入り、その後マイナーリーグで調整を行い回復を目指しましたが左肘痛が発症してしまいました。
 左肘の靱帯損傷が見つかってトミー・ジョン手術を行ったのです。

 和田投手のMLB挑戦は、まさに苦難の船出となってしまいました。結局オリオールズではメジャーデビューを果たすことなく2013年11月、自由契約となってしまいます。

 そして2013年12月、シカゴ・カブスとマイナー契約を締結したと報じられたのです。マイナー契約からメジャーデビューを目指すという「棘の道」を選択しました。30歳を過ぎていて、トミー・ジョン手術も行った投手として、高い壁に挑んだ形です。
 AAAでの活躍が認められて2014年6月にカブスとメジャー契約を締結、いわゆる「40人枠」入りを果たしました。

 しかし、40人枠に入ったからといってベンチ入り(ロースター入り)出来なければメジャーデビューは出来ませんし、たとえメジャーデビューを果たしたとしても定着することが目標となります。

 今シーズン7月8日に「ダブルヘッダーの日限定のアクティブロースター・26人目の選手」として登録され先発登板・メジャーデビューを果たし、好投を見せましたがブルペン陣が打ちこまれて、ゲームは逆転負け。翌日には再びAAAに降格されました。
 しかし、7月23日に再びメジャーに昇格、以降はローテーションに組み込まれて先発登板を続けています。

 ダルビッシュ有投手のスライダーや田中将大投手のスプリットのような「絶対的変化球」を持たない和田投手は、「ストレートのキレ」が生命線です。これは日本でプレーしていた頃と同じです。

 今シーズンの投球を観ていても、調子が良い日は球速140km位のフォーシーム・ストレートに対して、相手打者のバットが空を切ります。変化するストレートとしてのツーシームを見慣れている立場からは、綺麗な真っ直ぐがバットに当たらないというのは不思議な感じですが、和田投手の投球のキレの良さ(=手許で良く伸びる)、ボール回転数の多さは、MLBでは珍しい存在なのかもしれません。
 また、「ボール回転数」という概念は、NPBにおいて強く意識されているものだとも感じます。

 NPBにおいて、2010年に17勝8敗の好成績でMVPを受賞し、ホークスに在籍していた9年間で107勝を挙げた左腕は、ツーシーム全盛のMLBにおいて、フォーシームで勝負する投球を展開しています。

 サムライとしての和田毅投手の意地を観るような気がします。

 シカゴ・カブスの和田毅投手が大活躍しています。

 8月19日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦にも先発、5回までジャイアンツ打線を0点に抑える好投。ここで雨が強くなりゲームは中断されました。

 ここからがメジャーリーグMLBの凄いところです。
 
 日本プロ野球NPBなら30分くらいを目途に試合続行可否を判断し、雨が引き続き強いようならコールドゲームとなるのですが、MLBは「9イニングのゲームを完結」させるために、我慢強く待つのです。これは両チームのプレーヤーやベンチスタッフは勿論として、観客も待つのです。「待つことがMLB」であるかのような対応です。

 このゲームも、中断から「4時間34分!」待ちましたが、雨が弱まる気配が無く、止むを得ずコールドゲームが宣告されました。

 ゲームは成立していますので、5回表終了2-0でカブスの勝ちとなり、和田投手は5回とはいえ「完封勝ち」で3勝目となりました。左肘のトミー・ジョン手術から復帰し、今シーズンはトライアル当番を重ねて実績を積み上げ、ついに先発の一角に食い込んできた和田投手にとっては、大変嬉しい「初完封」でした。

 しかし、このゲームはここからいかにもメジャーリーグという展開を見せるのです。

① 地区優勝を目指して戦っているジャイアンツからMLB機構に異議申し立てが行われました。このゲームは続行可能であったという趣旨で、ゲーム続行を申し立てたのです。

② MLB機構はこの異議を受け入れ、21日にゲームが継続されることとなりました。4時間半も待って下されたコールドゲームの判定が覆ったのです。意外でした。

③ 19日にあれだけ強い雨が降り続いていたにもかかわらず、何故「ゲームが続行可能であった」と判断されたかというと、「カブス球場のシートの掛け方に問題が有った」ためなのでした。

④ MLBやNPBをご覧になる方なら見たことがあると思いますが、強い雨が降って来ると、ピッチャーのマウンドや各ベースの上にシートが掛けられて雨に濡れるのを防ぎます。MLBでは、球場の隅に巻いてある巨大なシートを広げて、カバーするのです。このシートを広げる作業自体が中々の見物で、球場毎に微妙に異なる対応がなされます。

⑤ このゲームはカブスのホームゲームでしたから、MLB屈指の歴史を誇るリグレーフィールドで行われていました。当然、リグレーフィールドでも「巻いてあるシートを広げる作業」が行われたのですが、何とシートを広げる方向が曲がってしまい、肝心のホームプレートのエリアがカバーされなくなってしまったのです。
 球場関係者は、ホームプレートエリアをカバーすべく、シートを動かそうとしますが、雨水の重さもあってか移動させることが出来ず、結局ホームプレートエリアにはカバーが掛けられずに、濡れるがままとなってしまいました。

⑥ このリグレーフィールドの対応に不備があった(きちんとカバーされていればゲームは続行できた)として、ジャイアンツは抗議・異議申し立てを行い、MLB機構もこれを認めた訳です。

 2日後の21日に継続されたゲームはカブスのリリーフ投手が踏ん張り、6回に1点を許したものの2-1で勝ち切りました。和田投手の勝ち星は確保されたのです。

 それにしても、「何としても9イニングのゲームを成立させよう」とするメジャーリーグの基本方針を守ろうとする姿勢は、凄いものだと思います。
 そして、4時間34分待たされても「それが当然」と、ゲーム再開を待ち続けるファンの存在も凄まじいものです。まさに「ベースボール・イズ・アメリカ」の面目躍如たるものが有ります。

 これは、あたかもNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)における「氷点下20℃以下の気温でもゲームを実施すること」に通じるものがあると感じます。

 「ベースボールというのは、こういうものだ」「フットボールというのは、こういうものだ」という文化・習慣の下で、アメリカの子供達は育つのでしょう。そして大人になって、自分の子供にも教えて行くのでしょう。

 素晴らしいファンに支えられたアメリカのプロスポーツを感じます。
 8月24日の読売新聞に、夏の甲子園大会2014に出場した49校の監督に「タイブレイク制」導入への賛否を聞き取り調査した記事が載っていました。大変興味深い内容でした。

 タイブレイク制とは、「選手の負担を軽減することを目的」として、例えば延長11回までは従来通りのルール下で試合を行い、延長12回に入ったら両チームとも「1死満塁から攻撃を初める」というもの。例示すれば、先攻のAチームが12回表に1死満塁から攻撃し、後攻のBチームも12回裏に1死満塁から攻撃する形で、12回表裏で勝負がつかなければ、13回・14回と同じように1死満塁から始めるルールのゲームを続けるというものです。
 我が国の社会人野球では導入済みですし、ソフトボールでも導入されています。

 さて、49人の監督の回答は、タイブレイク制導入に
・賛成 10名
・反対 26名
・どちらとも言えない 13名 でした。

 反対が過半数の26名(53%)ですから、現在の現場指揮官の意見は「反対多数」ということです。

 反対意見としては
「好機を作るところからやるのが野球」
「練習を積んできた成果が出し切れるのか」
「終盤のドラマが高校野球の醍醐味」
 といったものが、列挙されていました。

 一方賛成意見としては、
「10数回も投げたら(投手は)肩を壊す」
「春でさえ選手の消耗は激しい・夏に再試合をしたらどれだけ負担が有るか」
 といったものが、紙面に列挙されていました。

 どちらの視線から観るかが大切だと感じました。「観客の立場」から観るのか、「選手の立場」から観るのかという点です。

 「醍醐味が失われる」というのは、観客目線の典型的な意見でしょう。事は「選手の健康面・体力面」を考慮するための検討なのですから、観客目線はなるべく回避した方が良いと思います。

 私はタイブレイク制の導入に賛成です。その理由は、

① 18歳以下の若いアスリートの健康を維持することが大切であること。この若さで故障を発症してしまっては、野球選手として、ひいては日常生活にも悪影響を残しかねないこと。

② 気温30度を遥かに超える高温多湿のグラウンドで、勝ち上がるほど2日に1試合以上のペースで試合をしなくてはならないスケジュールであり、甲子園球場の使用許可期間や天候の関係から、現状以上に休息日を入れて行くことが難しいのであれば、可能な限り各々の試合時間を短縮できる施策の導入が必要であること。

③ アメリカ・大リーグには引き分けが無く、決着がつくまで延々と試合を続けるルールですが、そうしたルール下でも先発投手100球前後、リリーフ投手は一人1イニング前後という「選手起用原則」が守られていて、「特定の選手に過剰な負担がかからない」運用になっています。
 従って、延長戦が長くなると投手が足りなくなり「外野手がマウンドに上がる」ことなども時折見られます。結果として、専門家ではないプレーヤーが投げたり守ったりするのですから、想像しているよりは早く決着が付くのです。アメリカ・大リーグには100年以上の歴史がありますが、延長戦の最長は26回です。

 つまり、日本の高校野球の様に、かつてなら延長18回を、現在でも延長15回を1人の投手が投げ切り、翌日再試合で再び投げることとは違う野球・ベースボールが、アメリカ・大リーグでは展開されているのです。

④ タイブレイク制においても、当然ながら戦術があり、ドラマがあります。例えば12回表に2点を取られたチームが12回裏に3点を取って逆転勝ちすることがあるのです。社会人野球やソフトボールでは、様々な角度からタイブレイク制の深い研究・緻密な練習が続けられているのでしょう。
 「ドラマは各々のルールの下で生まれる」のであって、「今の高校野球ルールの下でしか生まれないものではない」と思います。

 「死力を尽くして戦う」という言葉には何とも言えない雰囲気がありますが、それは体力の限界を超えてプレーするのとは違うでしょう。18歳以下の選手達に「故障覚悟でプレーしてもらう」ことは、回避しなければなりません。

 普通に生活している人でも「熱中症に厳重注意」とか「激しい運動禁止」とかいった警報が頻繁に出される気象条件下で、いつ終わるとも知れない試合を投手や選手達に課すのは、どう考えても無理があると思います。

 夏の甲子園2014は8月25日に決勝戦が行われ、大阪桐蔭高校が三重高校を4-3で破り、2年振り4回目の優勝を飾りました。初の決勝進出であった三重は、2度に渡りリードしましたが逆転を許し、初優勝はなりませんでした。

1. 大会前の予想がなかなか当たらなかった大会

 8月8日本ブログの「注目の10校」も、3番目で選んだ大阪桐蔭が優勝しましたが、それ以外の多くのチームは、早々と姿を消しました。

 1番目に選んだ龍谷大平安は、大会初戦で春日部共栄に1-5の完敗。初回の5失点が響いた感じですが、春の優勝校という「甲子園で勝ち慣れていて、甲子園の雰囲気も良く知っている」チームでも、初戦は難しいことを如実に示しました。

 2番目に選んだ東海大相模(神奈川)は、盛岡大付属に3-4で敗れました。こちらも初戦の難しさを示した形ですが、本調子ではなかった松本投手から3点しか取れない打線では勝ち上がりは難しかったということでしょうか。

 4番目の沖縄尚学はベスト8まで勝ち上がりましたから、相応の健闘を見せたということになりますが、試合内容は満足できるものでは無かったでしょう。第2戦(二松学舎大付属戦)で「すべての球種を打たれた」と反省した山城投手が、準々決勝では三重打線に集中打を浴びて9失点、自慢の打線が3得点に抑え込まれての敗戦は、夏に強い沖縄代表としては残念な形でした。

 5番目の明徳義塾(高知)は2回戦で大阪桐蔭に3-5で敗れました。力負けという内容だと思います。優勝チームに敗れたのですから、これは止むを得ないというところでしょうか。

 6番目の九州国際大付属(福岡)は初戦で東海大四(南北海道)に1-6で完敗しました。相手の西嶋投手の好投が有ったとはいえ、福岡大会を猛打で勝ち抜いたチームとしては残念な戦い振りでした。

 7番目の日大鶴ヶ丘(西東京)も初戦で富山商に0-2と完封負け。富山商の森田投手が、今大会屈指のピッチングを魅せたとはいえ、完封負けは残念。選手が相当固くなっていたのでしょうか。「策が無い」という印象でした。

 8番目の東海大望洋(千葉)も初戦で城北(熊本)に3-5で逆転負け。この試合は、雨によってグラウンド状態が極めて悪かったとは思います。見方によっては「田んぼの様」とも言える程でした。もう少し良いコンディションでやらせてあげたかったゲームでした。

 9番目の藤代(茨城)も初戦で大垣日大(岐阜)に10-12で打ち負けました。もともと活発な打線が売りのチームですから、点の取り合いは望むところだったと思いますが、12点も失点してしまっては、さすがに勝てませんでした。

 10番目の佐賀北も初戦で利府(宮城)に2-4で競り負けました。もともと得点力が売りのチームでは無かったので、競り合いは望むところだったと思いますが、競り負けてしまいました。

 上記のように、1番目・2番目と、6番目から10番目までに選んだ7校が、全て初戦敗退という結果でした。甲子園大会の初戦の難しさを再認識させられるとともに、全国各地区の力量差が本当に小さくなったと感じさせる結果でした。

2. 雪国チームの健闘が目立った大会

 この点は何度も書きましたが、まとめにも必要でしょう。
 ベスト16に新潟・富山・石川・福井代表の4校、ベスト8に3校、ベスト4に2校が勝ち残りました。見事な戦い振りであったと思います。

 特に、敦賀気比の平沼投手、富山商の森田投手、日本文理の飯塚投手といった各チームのエースの好投が目立ちました。「打たせて取る技術の高い投手」が居るチームは、勝負強いということでしょうか。

 雪国4チームは、10年に一人のスーパースターが出現したために強かったのではなく、投打のバランスの良さと、勝負強さで勝ち上がったのですから、チーム力の成果と言えるでしょう。
 今後も雪国チームの強さは向上して行くものと考えます。

 それにしても、三重高校の健闘には驚きました。21世紀に入ってからの三重代表チームは、夏の甲子園で1勝を挙げることも難しい年が続いていましたが、溜飲を下げる大活躍でした。
 今井投手の自在のピッチングと勝負強い打線は、新しい三重高校野球の誕生を感じさせるものでした。

 そして、監督就任1年目にして準優勝に輝いた中村好治監督の指導と采配も、三重高校の大活躍に大きく貢献したことは明らかです。夏の甲子園大会で「たまたま決勝戦まで勝ち上がること」は有り得ないのです。
 今後の中村監督のチーム造りからも目が離せなくなりました。

 優勝した大阪桐蔭高校の選手達の決勝戦後の涙が印象的でした。優勝チームのナインがこんなにも泣くのを観たのは初めてかもしれません。
 それ程に夏の甲子園大会優勝は大きな栄冠なのでしょう。
 第50回札幌記念競走G2は8月24日に札幌競馬場2000m芝コースで開催されました。
 例年、夏競馬の大一番として開催されるレースですが、今年は秋の国際レース・凱旋門賞に出走予定の2頭、ゴールドシップとハープスターがステップレースとして登場しましたので、一気にG1レース並みのメンバー構成となりました。

 レースはトウケイヘイローが先頭に立ち、最後方にゴールドシップ、その前にハープスターという位置取り、つまり人気2頭が最後尾を進む展開。特にゴールドシップは、ハープスターから2~3馬身遅れの「離れた最後尾」という形でした。

 いつものレース振りですと、ゴールドシップが3角から捲り、ハープスターは直線一気の追い込み勝負ですから、2頭の駆け引きに注目が集まりましたが、まず動いたのはハープスター。3角手前でスピードを上げました。
 それを見たのか、一テンポ遅れでゴールドシップもスパートして追い上げに入りました。300mに満たない札幌競馬場の短い直線を意識してか、2頭ともいつもより早く動いたのです。

 さすがに2頭の脚色は抜群で、4角から直線に向いてハープスターが先頭、僅かに遅れて外からゴールドシップが並びかけます。

 ここでハープスターがもう一度スパートして、ゴールドシップを3/4馬身離したところがゴールでした。3着ホエールキャプチャはその5馬身後ろでした。

 凱旋門賞挑戦馬2頭の見事なレース振り。
 3歳牝馬のハープスターは、現役古馬牡馬最強のゴールドシップを破ったのですから、素晴らしい走りと言えます。3歳の夏にして、「レースを憶えてきた」感もありました。
 一方のゴールドシップも斤量差5kg(ハープスター52kg、ゴールドシップ57kg)という条件下で、ハープスターを1馬身以内まで追い詰めたのですから、立派なレース振りでした。
 そして何より、両馬の好調さが際立つレースでした。前半1000mが58秒台というハイペースの中で、2頭とも上がり3ハロン35秒台の脚を繰り出しました。

 凱旋門賞2014への壮行レースとしては最高のレース内容でしょう。
 日本競馬界の夢を託すに相応しい2頭による美しいマッチレース。おそらく「後世に語り継がれる札幌記念」であったと思います。
 発進したアギーレジャパンの初戦9月5日のウルグアイ代表チームとのゲームに、ACミランの本田圭佑選手が招集されたと8月19日に報じられました。

 現在の日本代表チームの得点力を考えた時、本田選手と岡崎慎司選手を外すという選択は有り得ないと思います。
 この2人しか、世界トップクラスの代表チームを相手に得点できるプレーヤーが居ないからです。
 先日のワールドカップ2014ブラジル大会でも、得点したのは本田選手と岡崎選手だけであったことは記憶に新しいことでしょう。

 本ブログでも再三申し上げていますが「ビッグゲームで得点するというのは特別な能力」なのです。ビックゲーム独特の雰囲気の中で、高い技術の守備陣を相手に、その隙を突いて、高い技術のゴールキーパーが捕れない・弾けない位置に、強く正確なシュートを放つという能力。これは特別なものです。

 国内のリーグ戦での得点やアジア地域の大会で得点するのと、例えばワールドカップで得点するのは「全く違うこと」だと言っても良いでしょう。ワールドカップや世界最高レベルの海外チームとのゲームの中で、シュートを決めることが出来るプレーヤーは、どんなチームにおいても限られているのです。

 そして、現在の日本代表チームでその能力を保持しているプレーヤーが本田と岡崎の2人であることは、ゲームの実績・事実が示しています。

 アギーレ新監督から「走れて守れる選手しか使わない」といった趣旨の発言があると、「本田選手が代表から外されるのではないか」とか「本田選手だからと言って必ずしも代表チームのポジションが保証されているわけでは無い」といった趣旨の記事が出るのですが、ではいったい他の誰が点を取るのでしょう。得点した実績があるのでしょう。想像では点は取れないのです。

 例えば、アルゼンチン代表チームが「走って守れないプレーヤーを外す」という方針を立てたとして、メッシ選手を外すでしょうか。全く有り得ないことです。メッシ選手は、ワールドカップ2014のゲームにおいてチームの中で最も走行距離が短く、守備もほとんどしないプレーヤーでしたが、最も得点を取る能力が高い選手であることに異論を挟む人は皆無でした。
 チームの方針・方向性がどのように変化しても、メッシ選手をチームから外すという選択は有り得ないのです。

 メッシ選手と本田選手の能力比較はともかくとして、攻撃面でアルゼンチン代表チームにおけるメッシ選手の重要性と、日本代表チームにおける本田選手の重要性は、同じレベルでしょう。アルゼンチンの厚い選手層を考慮すれば、本田選手の方が上かもしれません。

 2010年ワールドカップ(本田2得点、岡崎1得点、遠藤1得点)、2014年ワールドカップ(本田1得点、岡崎1得点)と、日本代表チームの得点の半分は本田選手から生まれました。
 ビッグゲームにおける得点力で、本田選手に並ぶあるいは超えるプレーヤーが現れない限り(現在は居ません)、本田選手無しの日本代表チームは考えられないということです。

 アギーレジャパンは、守備を強化するのと同時に、本田選手が居るうちに、ビッグゲームにおいて得点が取れるプレーヤーを発掘し育てて行かなくてはならないでしょう。
 日本代表チームは、いつまでも「本田選手の得点力に頼り切ったチーム」であってはならないのです。

 1997年のG1安田記念競走などを制したタイキブリザード号が、鹿児島県のホーストラストで疝痛のため亡くなったと、8月19日に報じられました。2005年に種牡馬を引退し、功労馬として繋養されていた中での突然の訃報でした。

 同じ「大樹グループ」のサラブレッドとして、そして同じ外国産馬としては、弟分のタイキシャトル号の活躍に比べると、少し地味な感じがしましたけれども、外国の良血を持って日本競馬に新しい風を運んでくれた存在であったと思います。

 タイキブリザード号、父シアトルスルー、母トゥリーオブナレッジ、ヘイルトゥーリーズンの18.75%。通算成績23戦6勝(海外3戦0勝)。主な勝ち鞍、G1安田記念、G2大阪杯、G2京王杯SC。

 本ブログの7月21日の稿「アメリカのクラシック三冠馬(その2)」に登場したシアトルスルーの産駒です。シアトルスルーの日本競馬における代表産駒と言えるでしょう。

 父親の豪快かつ強烈な末脚に比べると、タイキブリザードはジリ脚気味で、なかなか勝ち切れないところが有りましたが、いつも一生懸命走り、常に上位入着を果たすところが印象的でした。
 1995年のG1安田記念がハートレイクの3着、G1宝塚記念がダンツシアトルの2着、G1有馬記念がマヤノトップガンの2着、1996年の安田記念がトロットサンダーの2着等々、G1常連馬として優勝を争うレースが続いたのです。
 そして、1996年と1997年には生まれ故郷であるアメリカに遠征し、競馬の祭典ブリーダーズカップにも挑戦しています。

 1997年の有馬記念を最後に競走馬を引退し種牡馬となりましたが、中央競馬の重賞勝ち産駒は2001年のヤマノブリザード(G3札幌2歳S)のみと、やや残念な結果となりました。

 タイキブリザードは記録に残るサラブレッドでは無かったかもしれませんが、日本競馬界に「外国産馬で日本調教馬という概念」を明確に体現してくれたという功績は大変大きなものであったと感じます。
 
 タイキブリザードの産駒を通して、シアトルスルーの血脈が日本競馬に蘇る日を楽しみに待ちたいと思います。
 夏の甲子園2014の準々決勝4試合が8月22日に行われました。勝ち上がってきた好調な8校の激突であり、「必ず優勝校を観ることが出来る」ことから準々決勝の日は、夏の甲子園大会でも最も人気があると言われています。

 2013年の準々決勝4試合は「全て1点差」と接戦が続きました。手に汗握る展開のゲームばかりだったのです。
 ところが2014年は違いました。ある意味では「一方的な展開」のゲームが多かったのです。ベスト8に勝ち進んできたチームは、投打共に好調な筈なのですが、今年の準々決勝は試合の流れが一方のチームに傾くケースが多かったのです。
 2013年と2014年、ほんの1年ですがこれだけ違う景色を見せるのですから、野球というのは不思議なスポーツです。

[第一試合 三重9-3沖縄尚学]

 沖縄尚学のエース山城投手を三重の打線が攻略し、思いがけない大差のゲームとなりました。
 ポイントとなったのは、3-2と三重が1点をリードして迎えた5回表の攻撃。先頭の宇都宮選手がヒットで出塁しますが、盗塁失敗で1死ランナー無し。チャンスは潰えたかに見えましたが、続く4番の西岡選手がホームランで4-2とリードを広げました。
 そこから2安打とエラーで1死満塁と攻め立てましたが、8番中林選手が三振で2死。ここでもチャンスが潰えたかに見えましたが、9番今井選手が左中間真っ二つの2塁打。3人のランナー全てが生還して7-2。続く長野選手のタイムリーヒットで今井選手も還って8-2としました。これで、ぼぼゲームの帰趨は決まりました。

 山城投手は、ストレートの最速が138kmと今ひとつスピードが出ていなかった上に、高目の投球が多かったため集中打を浴びてしまいました。おそらく、もう少し低めにボールを集めるのが本来の投球なのでしょう。
 絶対的なエースが5回までに11安打・8失点では、さすがの沖縄尚学も追い付くのは難しかったのでしょう。

 打線の爆発で目立ちませんでしたが、三重の先発・今井投手の投球は「要所を締める」見事なものでした。沖縄尚学打線も11安打を浴びせたのですが、あと一本が出なかった形です。

 三重高校は初のベスト4進出。三重県勢としては、1955年(昭和30年)の四日市以来59年振りの準決勝進出となりました。過去10年間、1勝することにも苦労してきた三重県勢としては溜飲を下げる大活躍でしょう。

[第二試合 敦賀気比(福井)7-2八戸学院光星(青森)]

 3回戦までの3ゲームを、16得点・10得点・16得点という猛打で勝ち上がってきた敦賀気比を相手に、光星は背番号11・左腕の呉屋投手を先発に立てて臨みました。左腕独特の投球で、強力打線を交わそうと考えたのでしょうか。

 しかし、敦賀気比打線は容赦なく襲いかかりました。1回裏2死ランナー無しから2つの四球で2死1・2塁となって、迎えるは5番峯選手。4番の岡田選手は敬遠に近いストレートの四球でしたので、峯選手は燃えていたのでしょうか。カウント1-1からストライクを取りに来たボールを軽々とレフトスタンドに運びました。先制3ラン。

 2回裏の1死2・3塁、3回裏の1死1・3塁のピンチは何とか凌いだ光星でしたが、4回裏に2死3塁からタイムリーヒットを浴び、5回裏にも3連続タイムリーヒットで3点を奪われて、7点のビハインドとなってしまいました。

 敦賀気比の打線の凄いところは
① カウント3-1からでも、四球を期待して1球待つこと無く打って行って、ヒットにするところ。
② 5回裏の攻撃に端的に見られる、1死2塁からのセンターオーバーの2塁打、2死2塁からのセンター右中間寄りの3塁打、といった長打によって得点するところ。

 でしょう。
 ランナー無しでもホームランを打たれるのではないか、ランナー1塁でも外野の間を割られるのではないか、と相手チームに感じさせる長打力が、1番から9番まで切れ目なく備わっている感じがします。怖ろしい打線と言えるでしょう。

 また、打線の陰に隠れがちですが、先発・平沼投手の好投も見事。初戦、第二戦、そして準々決勝と完投し、計3失点と素晴らしい投球内容です。第三戦も先発していますから、まさに大黒柱というにふさわしい活躍でしょう。
 超強力打線も、
平沼投手がどんと構えているからこそ「思い切り振っていける」のではないでしょうか。

 八戸学院光星高校としては、先発の呉屋投手、2番手の八木投手が、敦賀気比打線に捕まってしまい、コントロールも乱れがちとなり、守備にもよもやのエラーが出てしまっては、苦しい戦いとなりました。いつも安定した力をゲームで見せるチームとしては、珍しいゲームでした。

 敦賀気比高校は19年振りのベスト4進出。大会前から評判であった打線が、看板通りの破壊力を発揮していますので、今後のゲームも楽しみです。
 ただし、このゲームは5回までに11安打で7点を奪いましたが、6回以降はノーヒットでした。「もう十分」と考えたのか「大振りが身に付いてしまい打てなくなった」のか分かりませんけれども、懸念材料でしょう。

[第3試合 大阪桐蔭5-2健大高崎]

 健大高崎の「足攻野球」が大阪桐蔭に通用するかが注目されたゲームでした。

 1回裏、先頭の平山選手が四球を選び、二盗・送りバントで1死3塁として、3番脇本選手の犠牲フライで先制した(1-0)時には、3回戦までの健大高崎野球が継続されている感じでした。

 その後大阪桐蔭は、この足を封じ込めることに成功しました。4回裏には、守備妨害もあり、次第に健大高崎は攻め手が無くなってきたのです。

 それでも、健大高崎の投手陣・守備陣が踏ん張り6回目では互角(2-2)の試合を展開したところはさすがでした。

 しかし、7回表大阪桐蔭の1番中村選手に2ランホームランが飛び出し4-2、ゲームの流れは一気に傾きました。この回大阪桐蔭は2死満塁と攻め立てましたが、ここは松野投手がよく踏ん張り追加点を許しませんでした。これは見事な粘りでした。

 とはいえ、大阪桐蔭の先発・福島投手がサイドスローから健大高崎打線に的を絞らせず、与四球も僅かに2個とあっては、健大高崎は「打っていくしかない」状況に追い込まれました。
 8回・9回と大きなフライが外野に飛びましたが、あと一歩伸びが無く、フライアウトが目立ちました。福島投手のボールは余り飛ばない印象でした。これが、サイドスローの強みなのかもしれません。

 「足攻野球」に必要な四球が少なく、散発の7安打に抑えられては、さすがの健大高崎高校も万事休すという感じでしょう。

 一方の大阪桐蔭高校は、初戦こそ苦しい戦いでしたが、その後は安定したゲーム運びを見せて、準決勝に勝ち上がりました。
 スーパースターが居ない今大会のチームですが、個々の選手の「落ち着いたプレー振り」は見事なものです。このゲームも、がっぷり四つから7回以降、じりじりと押して寄り切った「横綱相撲」という感じでしょう。
 龍谷大平安や東海大相模などの優勝候補チームが次々と敗退して行く中で、大会前の優勝候補としてベスト4に駒を進めたのは流石です。総合力が高いチームというところでしょうか。

[第4試合 日本文理5-1聖光学院]

 第3試合同様、この試合も中盤までは拮抗した展開でしたが、終盤に日本文理が突き離した形です。

 日本文理は1・2回に得点しましたが、1回は得点後に1死1・3塁、2回は当初の無死2・3塁のチャンスで各1点しか取れませんでした。両イニングとも小太刀選手のタイムリーヒットでしたが、特に2回は2死となってからの打点でしたから、日本文理にとっては最低限の得点は出来たという形だったでしょう。
 しかし結果としては日本文理の逸機という感じが強く、聖光学院が良く守ったという雰囲気で、1点を返して1-2の1点差としていましたので、後攻でもあり勝負の帰趨は全く分からないという展開でした。

 そして、聖光学院の先発・船迫投手の粘り強い投球が続きました。6回までに日本文理打線に8安打を喫しながら、失点2に抑え込んだのです。

 勝敗を分けたのは7回2死1・2塁からの5番小林選手のタイムリー2塁打でしょう。ここまでチャンスでも決してスクイズなどせず打たせてきた戦法が、ついに実を結んだ感じです。3-1と2点差となって、試合の流れは一気に日本文理に傾きました。

 もちろん、日本文理の先発・飯塚投手の力投も素晴らしいものでした。聖光学院打線に10安打を許しながらも1失点に抑えたのですが、まさに「打たせて取る投球」でした。三重高校の打者40人と対戦して、被安打10の中で奪三振は僅かに1、見事な投球術を魅せていただきました。

 今大会の日本文理高校は、各試合の得点こそ6点以内と猛打爆発という感じではないのですが、逆転勝ちが多く競り合いにも強いという、とても勝負強いゲームを展開しています。「投打のバランスが良く勝負に激辛のチーム」というところでしょうか。

 さて、2013年の準々決勝4試合が全て1点差であったのに対して、2014年は試合当初から、あるいは試合中盤から、一気に一方のチームに流れが傾く展開が観られました。
 そして、勝利を得たチームに共通する特徴は「投手力を始めとする守備力が安定していること」でしょう。完封勝ちが少なく打ち合いのゲームが多い今大会では、攻められている時に「余計な失点を防ぐ」「追加点を阻止する」ことが出来るチームが勝利を収めているのです。

 さて、8月24日の準決勝の組み合わせは
・第一試合 三重VS日本文理
・第二試合 大阪桐蔭VS敦賀気比
 となりました。

 三重・今井投手、日本文理・飯塚投手の投げ合いがとても楽しみですし、大阪桐蔭と敦賀気比の打ち合いも見所十分でしょう。

 一方で、2試合とも、これまでの試合振りとは異なるゲームが展開されるような気もします。
 シアトル・マリナーズの岩隈久志投手が、8月19日のフィラデルフィア・フィリーズ戦に先発登板し、96球8イニングを投げて、被安打4、奪三振11、失点0の投球内容で、チームの5-2の勝利に貢献、今シーズン12勝目(6敗)を挙げました。

 この岩隈投手の投球内容は、「まさに完璧」と言えるものです。

 8月2日の本ブログでも、岩隈投手は「MLBの先発投手として完成の域に達している」と書きましたが、それを裏付ける快投でした。

 メジャーリーグの先発投手に求められる役割期待は、

①チーム全体のベンチ入り人数が少ない為、先発投手は5人しか登録できないので、20連戦が当たり前のMLBにおいては、中4日で登板し続けなければならないこと。

②上記の極めて厳しいローテーションを維持・実行するために、1度の登板の球数は100球前後に限定されるのですが、その100球前後で可能な限り多くのイニングを消化しなくてはならないこと。

 の2点をカバーしなくてはなりません。

A.結果として、「完成されたMLBの先発投手」は、ひとりひとりの打者を、可能な限り少ない球数で打ち取っていく必要があるのです。四球を出している余裕はありません。

B.少ない球数で打ち取るためには「打たせて取る」しかありません。投球の初球から、打者に打ってもらうためには「打者が打ちたいと思うようなコース」に、ストライクを投げて行かなければなりません。

C.「打者が打ちたいと思うコースのストライク」で、いつもヒットやホームランを打たれていては、相手打線を抑えることは出来ませんから、「打者の手許で微妙に変化する投球」で凡打を誘う必要があります。それがツーシームなのです。

D.こうやって「打たせて取る投球」を展開する以上、当然ながら時々ヒットを打たれてピンチを招きます。何しろストライクを投げているのですから。

E.こうしたピンチの時には、三振を取る能力も必要になるのです。その三振も、臭いところに投げながら、カウント3-2や2-2になってからの三振では、球数が多くなりますので、前述②の狙いに反しますから、0-2や1-2からの三振が望ましいことになります。

 さて、このA~Eの原則を、今回の岩隈投手の投球内容に照らしてみましょう。

・8イニングを96球でカバーしていますから、1イニング平均12球です。4安打を許している以上、ランナーも出ているので、打者1人当たり平均3~4球しか要していないことになります。素晴らしい投球でしょう。

・無四球でした。無駄球が殆ど無かったということです。見事なコントロールと配球、そして十分な威力の投球が出来ていたことに他なりません。

・奪三振11でした。「打たせて取る」投球を展開しながらも多くの三振を取っています。打者1人当たり平均3~4球という球数の中での、11奪三振ですから凄いとしか言いようが有りません。「球数を少なくしての三振奪取」という、難しい技を会得したようにさえ観えます。

・そして、96球で降板しています。8回まで96球・失点0となれば「完投・完封」が眼の前なのですが、球数が多くなると疲労が蓄積しますから、次の登板に影響が出るのです。完封目前でも降板するというところが、いかにも「MLBの先発投手」なのでしょう。

 以上から、8月19日の岩隈投手の投球内容は「まさに完璧」ということになります。

 シアトル・マリナーズは、8月19日現在68勝57敗と貯金11の好成績です。
しかし、所属しているアメリカンリーグAL西地区は勝率の高いチームが多く、順位ではロサンゼルス・エンジェルス、オークランド・アスレティックスに次いで3位です。おそらく、地区優勝は上位2チームの争いでしょう。

 シアトルとしては「ワイルドカード」でのプレーオフ出場を狙うしかありませんが、その可能性は十分に有ります。
 大エースのフェリックス・ヘルナンデス投手(13勝4敗)に続く、岩隈投手とクリス・ヤング投手(12勝6敗)の3本柱の活躍が、シアトルのプレーオフ出場のカギを握っています。

 そして、この3本柱は強力です。プレーオフのような短期決戦では4番手5番手の投手を出す必要がありませんから、相手チームの脅威となるでしょう。もし、久しぶりにプレーオフに進出できれば、台風の目になる可能性十分のチームなのです。

 残り40ゲームを切ってきたレギュラーシーズン、そしてプレーオフにおける、「MLBの完成された先発投手」となった岩隈久志投手の大活躍が、とてもとても楽しみです。

 1938年(昭和13年)1月10日のことです。

 荒唐無稽な印象を受けますが、阪神甲子園球場ホームページの「甲子園球場史」にジャンプ台の写真が掲載されています。

 今から76年前、太平洋戦争前にこうした極めてユニークなスポーツイベントが開催されていたことは、驚異的なことだと感じます。

 同じ1938年の2月27日には後楽園球場でも、同趣旨のスキージャンプ大会が開催されています。

 甲子園球場と後楽園球場に設置されたジャンプ台(木造)が、どの程度の大きさだったのかは正確には分かりませんが、優勝記録から観ると「高さ30m以上の構造物」であったようです。

[甲子園大会の優勝者の飛距離]
・1本目25.0m、2本目27.0m、3本目26.5m

[後楽園球場の優勝者の飛距離]
・1本目32.0m、2本目30.5m、3本目31.5m

 「全日本選抜」と銘打っているのですから、当然ながら選手はオリンピック代表を含めて、当時の日本のトップクラスが出場していました。

 この30m前後の優勝飛距離は、現在のジャンプと比較すれば短い(ジャンプ台が小さい)のですが、当時のジャンプ大会の記録(例えば、1930年に青森県大鰐で開催された全日本選手権大会の優勝記録が1本目36.5m、2本目35.0m)と比較すれば、それ程小さな台で行われた大会では無かったことが分かります。
 だからこそ「本物感」が有り、入場者数も多くイベントとして成功したのでしょう。本物に近い水準のスキージャンプを提供したところが、このイベントの凄い点のひとつだと思います。

 雪はどうしたのかというと、新潟県妙高山麓から列車で輸送したというのですから、これも信じられない感じです。
 当時の1~2月の阪神地域や東京地域の気温は、現在よりも低かったのかもしれませんが、日中になればさすがに一部は溶けてしまうでしょうから、追加の雪も確保していたことになります。

 運搬中に溶ける分も考慮すれば、相当量の雪を延々と(当時、妙高山麓から大阪や東京まで列車で運ぶとなれば、半日掛かりくらいの時間がかかったのではないでしょうか)運んできたことになります。これでイベント事業として成立したというのですから、またまた驚くばかりです。

 現在であれば「人工降雪機」を使いますから、雪国から鉄道列車で雪を運ぶ必要は無いのですが、そんな機器が無かった時代に、正面から本物の雪を用意するという対応には、感心させられるばかりです。

 1938年のイベント成功を踏まえて、1939年にも同様のイベントが開催されました。

 今度はまず後楽園球場で1月に行われました。ジャンプ大会のみならず、スラローム大会(回転競技)も同時に行われました。実施種目は「男子回転」「女子回転」「少年回転」と「スキージャンプ」の4種目。ジャンプ台の高さは39mだったそうです。

 そして2月には甲子園球場でも開催されたのです。

 この1938年~1939年の大会の目的は「雪に恵まれない大都市の市民にスキー競技をアピールすること」でした。何か、とても崇高な理念のように感じます。この2年間のイベントでは、大会の前後にスキージャンプ台を一般市民に開放し、滑ってもらっていたといいますから、目的を果たそうとする主催者側の狙いも伺われます。

 1939年は第二次世界大戦が始まった年ということもあってか、1940年には開催されませんでした。そして1941年には太平洋戦争が始まるのです。

 この「世紀のイベント」については、色々なご意見が有ろうとは思いますが、私は以下の諸点から、評価したいと考えます。

① 稀有壮大なるイベントを開催しようとする主催者側の高い意欲
 時は第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期で、世界中で戦争・紛争が発生していた時代です。明るくは無かったであろう世相の中で、まだ一般には馴染みが薄いスキージャンプ競技の大会を、甲子園球場と後楽園球場という大都市の施設を会場として開催しようとする意欲、そして実行力は、ある意味では素晴らしいと感じます。

 21世紀の現代であれば、自動降雪機や金属パイプ等を使ったジャンプ台といった形で、当時よりは容易に同様のイベントを開催できると思いますが、実際には行われていません。(もちろん事業採算等も考慮する必要がありますが)

② 大勢の観客が押し寄せたこと
 戦前の日本国というと、とても貧しくエンターティンメントも少なかったという印象(おそらく間違った印象)を持ちがちですが、このイベントが成功したことや、観客動員力の高さを観る限り、こうしたイベントに参加できる一定の財力を多くの国民が保持していたことや、こうしたイベントへの強い好奇心が国民の間に存在していたこと、が感じられます。

 確かに戦争・紛争の時代でしたが、日本国民というか、少なくとも東京や大阪の人達は、こうしたイベントに反応する・できる人達だったのです。
スポーツイベントの持つ力を感じるとともに、日本人の好奇心の強さと心の余裕を感じると言えば、言い過ぎでしょうか。

 現在、夏の甲子園大会真っ盛りの甲子園球場。
 いつの時代にも、凄いエンターティンメントを考えて実行する人が居るものだと思いますし、当該イベントの成否・意義・歴史的な評価というのは人知の外にあるものだとも感じます。
 パンパシ水泳大会が始まったのは1985年でした。今から29年前ですから、比較的新しい大会と言えるでしょう。

 この大会の開始は、夏季オリンピックの国別成績と大きな関係があるのです。

 1985年前後の夏季オリンピック大会の国別メダル獲得数を観てみましょう。

[1972年ミュンヘン]
・1位ソビエト 金50個、銀27個、銅22個、計99個
・2位アメリカ 金33個、銀31個、銅30個、計94個
・3位東ドイツ 金20個、銀23個、銅23個、計66個

[1976年モントリオール]
・1位ソビエト 金49個、銀41個、銅35個、計125個
・2位東ドイツ 金40個、銀25個、銅25個、計90個
・3位アメリカ 金34個、銀35個、銅25個、計94個

[1980年モスクワ←西側諸国が参加せず]
[1984年ロサンゼルス←東側諸国が参加せず]

[1988年ソウル]
・1位ソビエト 金55個、銀31個、銅46個、計132個
・2位東ドイツ 金37個、銀35個、銅30個、計102個
・3位アメリカ 金36個、銀31個、銅27個、計94個

 こうしてみると、1970年代~1980年代のオリンピックは「東西対抗」というか「ソビエト・東ドイツVSアメリカ」の色合いが強く、それも次第にアメリカがソビエト+東ドイツに押されてきていた時代であることが分かります。

 特に、アメリカがオリンピック史上初めて「金メダル獲得数で3位に下がった」1976年モントリオール大会が典型的でした。
 かつて最強を誇ったアメリカ競泳チームは、女子競泳11種目でひとつも金メダルを獲得することが出来ず、一方で東ドイツチームが10種目で金メダルを獲得するという、東ドイツが圧勝した大会となったのです。スポーツ大国・水泳大国アメリカにとっては屈辱的な結果でした。

 1980年モスクワ大会・1984年ロサンゼルス大会は、西側・東側の諸国がボイコットする形で行われましたから、メダル獲得競争という面での比較には、あまり意味が有りませんでしたけれども、アメリカスポーツ界、特にアメリカ水泳界にとっては、東側諸国、特に東ドイツ水泳チームの驚異が継続していたのです。

 そうした状況下の1985年、アメリカ・日本・オーストラリア・カナダの4か国が「環太平洋の水泳競技レベルの向上」を目指してパンパシフィック水泳連盟を設立し、パンパシフィック水泳選手権大会を創設・開始したのです。1985年の第一回大会は、東京で開催されました。

 しかし、ある意味では皮肉なことに、1990年前後に発生したソビエト連邦の崩壊を始めとする東側世界の瓦解は、国家としてのソビエト・東ドイツの消滅につながりました。1988年ソウル大会が、ソビエトと東ドイツにとっての最後のオリンピックとなったのです。

 もともと、ソビエトと東ドイツのスポーツ界については、「ステートアマチュア(政府の全面的支援を受けているプレーヤー)問題」や「ドーピング疑惑」が存在していましたので、その競技力や記録についても色々と取り沙汰されてきていました。
 とはいえ、厳然として存在するメダル大国、オリンピックで1位と2位のメダル大国が忽然と?無くなってしまったのです。

 パンパシ水泳大会は突然「その設立意義を失ってしまった」のですけれども、中止にはなりませんでした。
 20世紀には1985年以降2年に一回、21世紀は2002年以降4年に1回のペースで、開催されてきています。参加国も当初の4か国にブラジルやアフリカ諸国など「環太平洋ではない」国々も参加するようになり拡大して来ています。
21世紀にはオリンピックの中間年に開催されるビッグイベントとして、その存在価値を増してきているようにも観えます。

 さて、ソビエトと東ドイツが無くなって以降、水泳競技特に競泳競技はアメリカの強さが際立つこととなりました。
 世界の競泳地図は「アメリカVS他の国々」となったのです。

 パンパシフィック水泳大会の大会記録も、アメリカが圧倒しています。
 男子の20種目中12種目、女子の20種目中14種目の大会記録が、アメリカのスイマーのものです。
 マイケル・フェルプス、ライアン・ロクテ、ジャネット・エバンス、ジェシカ・ハーディー、レベッカ・ソニ、といった錚々たるスイマーが並びます。

 対する他の国々では、やはりオーストラリアが強く、男子4種目、女子6種目の記録を保持しています。イアン・ソープ、グラント・ハケット、エミリー・シーボム、ジェシカ・シッパーといった名スイマーが並びます。

 我らが日本チームでは、男子平泳ぎの100mと・200mの2種目に北島康介選手の名があるのみです。

 それにしても、パンパシ水泳大会の記録保持者・優勝者は、そのままオリンピックのメダリストになっているケースが、とても多いように観えます。パンパシ水泳大会のレベルの高さを感じさせる事実でしょう。

 第12回パンパシフィック水泳選手権大会は、2014年8月21日~25日、オーストラリア・ゴールドコーストで開催されます。
 日本チームも強力な布陣で臨みます。

 選手の皆様を応援するとともに、パンパシ水泳大会の大会記録に北島選手以外の日本人スイマーの名が刻まれることにも大きな期待がかかります。

 8月16日の本ブログで、今大会における雪国チームの健闘を採り上げましたが、富山商業、敦賀気比、日本文理、星稜の4校は揃って2回戦をも突破し、ベスト16・3回戦へと駒を進めました。

 富山、福井、新潟、石川という、我が国でも屈指の豪雪地域の代表4チームが、揃って甲子園大会で2勝目を挙げるというのは、なかなか無い事のように感じますし、何よりそれぞれのチームの試合内容が素晴らしいと思います。

 富山商業は、初戦の日大鶴ヶ丘(西東京)戦2-0の勝利に続いて、関西(岡山)戦でも先発の森田投手が好投、3-1で勝ち切りました。森田投手は2試合で17イニング無失点という見事な投球。強打を誇る日大鶴ヶ丘を6安打、関西を4安打に封じ込めた投球内容は、今大会の全投手の中でも屈指のものでしょう。140km台のスピードのストレートのキレが良く、落ちる変化球も効いています。

 敦賀気比は、初戦が16得点、2戦目が10得点と猛打が爆発しています。特に、ここぞという場面での長打は見事です。
 加えて、猛打の陰に隠れていますが、先発平沼投手の投球も見事で、富山商業の森田投手同様に17イニング無失点でした。投打揃って好調ということになりますので、相当っ良いチームてす。

 日本文理は、初戦の大分(大分)戦、2戦目の東邦(愛知)と連続逆転勝ちと勝負強さが目立ちます。逆転勝ちの原動力となっているのは、粘り強い投球で相手チームの追加点を最小限に抑える、先発・飯塚投手の好投であることは言うまでもありません。大分を8安打、東邦に6安打を打たれながらも、要所を締める投球は見事です。
 先行されても慌てることなく戦う日本文理の試合振りには、何とも言えない強さを感じます。

 星稜は、初戦の静岡(静岡)戦をしぶとく逆転勝ちし、2戦目の鹿屋中央(鹿児島)戦は先行し、継投で反撃を抑えました。3人による延べ4投手の継投策は、このチームの持ち味なのでしょう。星稜にも「勝負に辛い」雰囲気が漂っていますから、相手チームのタイプに合わせて試合のやり方を変えて行く力があるように感じます。

 さて、大会12日目の8月21日・第一試合で富山商業と日本文理が対戦することとなりましたから、雪国カルテットが3回戦を全勝する可能性は無くなりました。少し残念な感じもありますが、これは致し方の無いこと。森田投手と飯塚投手の投げ合いは見所十分でしょう。

 残る2校、星稜の相手は八戸学院光星(青森)、敦賀気比の相手は盛岡大付属(岩手)となりました。ともに雪国チームと東北のチーム対戦となっています。今大会は東北のチームの健闘も目立つのですが、ここで相まみえることとなりました。

 雪国カルテットの、3回戦での活躍が楽しみです。1・2回戦と同様に、思う存分プレーしていただきたいと思います。

 今大会の初戦屈指の好カードと見られていた、第7日目第一試合「沖縄尚学VS作新学院」は、予想に違わぬ好ゲームでした。

 両チームの選手達の見事なプレーの応酬は、今大会最高のゲームのひとつであることを如実に示しました。

 まず1回の表、作新学院の3番バッター朝山選手がホームランで1-0。その裏、沖縄尚学3番バッターの西平選手がホームランで1-1の同点。
 1回の表裏に、2死ランナー無しで3番バッターがホームランを打ち合うという展開は、滅多にというか、これまで観たことが有りません。こんなことが起こるのです。

 その後は、沖縄尚学・山城投手、作新学院・藤沼投手の投手戦が続き3回まで1-1の同点。
 4回裏沖縄尚学は、西平選手の四球からヒットでチャンスを広げて、5番久保選手の2ゴロの間に西平選手がホームを陥れて2-1とリード。ヒットエンドランというか、ランアンドヒットで3塁まで走り切った走塁が印象的でした。

 5回裏も沖縄尚学のチャンス。藤沼投手から朝山投手に後退した直後に2つの四球で無死1・2塁。ここで8番山城選手の送りバントを3塁封殺、続く9番伊良部選手の送りバントも3塁封殺で、2死1・2塁となりました。
 この作新学院の連続3塁封殺プレーの見事なこと。ギリギリのタイミングながら迷いなく3塁に送球、その送球も決して逸れることなく正確でした。極めて高いレベルの守備だと思います。
 沖縄尚学の走塁プレーは、一瞬の隙も見逃さない素晴らしいものでしたし、作新学院の守りも一瞬の遅れも許さない見事なものでした。好走塁と好守備の応酬、緊張感に満ちた攻防でした。

 6回裏沖縄尚学は、ヒットで出塁した中村選手が2盗。ライトフライで3塁に進み、1死3塁のチャンスを作って4番安里選手の遊ゴロの間に本塁を陥れて3-1とリードを広げました。この中村選手の走塁も見事でした。

 8回表の作新学院の攻撃、2死から9番高橋選手がヒット。高橋選手は2盗を狙い大きなリードを取ります。ここで山城投手のけん制球が決まり憤死。再三見せてきたけん制がついに決まった瞬間でしたが、作新学院にとっては極めて痛い逸機でした。このレベルのチームは、2死一塁から十分に逆転できる力が有りますし、それが分かっていたからこそ山城投手もけん制を続けたのでしょう。

 9回表の作新学院の攻撃は3者凡退でゲームセット。

 結果としては、作新学院打線が沖縄尚学の山城投手に3安打に抑え込まれた形ですが、一方の沖縄尚学も作新学院の藤沼・朝山両投手のリレーの前に4安打に抑え込まれているわけですから、両チームの投手陣は共に力を発揮したということになります。

 勝敗を分けたのは、沖縄尚学の走塁でした。一瞬の隙を見逃さない走塁の重要性を感じさせたゲームでした。

 沖縄尚学も作新学院も強打のチームです。
 それが好投手相手となると、なかなかヒットを連ねることが出来ません。この相手であったからこそ自慢の打線が抑え込まれたのでしょう。
 そういった状況下で、両チームの走塁と守備の丁々発止の応酬が展開されたという、素晴らしいゲームであったと思います。

 両チームとも、今大会屈指の実力を保持したチームです。作新学院にとっては、初戦の相手に恵まれなかったというところでしょうか。
 右肘靱帯部分断裂でDL入りしている、ニューヨーク・ヤンキースNYYの田中将大投手が8月16日にブルペンで25球を投げたと伝えられました。

 キャッチボールから投球を再開していた田中投手が、キャッチャーを座らせて投球したのです。日本メディアでもその様子が放送され、滑らかなフォームから6・7分の力で投げ込まれたボールは、とても綺麗な軌道でキャッチャーのミットに吸い込まれていました。


 故障からの回復度合いは、私には分かりませんが、少なくともその投球の美しさは十分に感じました。キレの有る、良いボールが投じられていました。

 田中投手がゲームに復帰するのは9月に入ってからではないかと言われていますが、ファンの間には「そんなに急ぐ必要は無い」という意見が多いそうです。

 こうした意見が多いというのも、素晴らしいことだと感じます。
 160億円も出して獲得したのだから、一刻も早くマウンドに戻って欲しいという意見が多いのではなく、完全に治してから戻って来て欲しいという意見が多いというのは、「田中投手のピッチングが極めて高く評価されていること」に他ならないと思います。また、あの見事なピッチングを観たいという気持ちが、多くのファンに共有されているのでしょう。

 メジャーデビューの年にNYYのファンの気持ちをここまで掴んだということは、田中投手にとって一番の財産でしょう。

 手術をせずに治すと決めた以上、再発は回避しなければなりません。マー君には、可能な限り完全な状態に戻した上で、マウンドに戻って来て欲しいと思います。
 1992年にオシム氏がSKシュトゥルム・グラーツの監督を辞任したのは、盟友でもあったクラブオーナーとの確執が原因とされていますが、おそらくその確執が無ければ、オシムはもうしばらく当該クラブの監督を務めていた可能性が高いのでしょうから、日本に来ることは無かったかも知れません。

 その点から見れば、オシムの来日・ジェフ市原の監督就任は運命的なものだったのかもしれません。

1.「賢く走る」「危険なサッカー」

 ジェフユナイテッド市原の監督に就任したオシムが掲げたテーマが「賢く走る」「危険なサッカー」でした。

 特に「賢く走るサッカー」は、日本においてオシム監督が終始強調していたテーマであったと思います。
 
 「賢く」というところがポイントでしょう。「ただ走る」のでは無いのです。「考えながら走る」と言い換えても良いのではないでしょうか。

 オシムサッカーというと、「ボール保持者を複数のプレーヤーが相当のスピードで追い越して行く」イメージが有ります。
 豊富な運動量を前提として、ボール保持者がパスを出す相手を確保するというか、複数のパスルートを確保することで攻撃のバリエーションを増やし、相手守備陣の対応を難しくする戦術なのでしょうが、世界トップクラスのストライカー=超人的な決定力を持つプレーヤーを持たない日本のチームにとっては、とても効果的な戦術に観えます。

 オシム監督率いるジェフ市原は、本当に良く走るチームでした。それも「戦術的な狙いを持って動き回るチーム」であったと思います。
 有名選手が多数所属しているわけではないジェフが、2003年の1stステージでいきなり優勝争いを演じ、年間通算成績でも3位とクラブ史上最高成績を残したのです。既存の勢力で成績を上げたのは、監督の手腕に負うところが大きいでしょう。
 そして、2005年にはヤマザキナビスコカップで初優勝を果たしました。オシムは、監督をした全てのクラブチームでカップ戦の優勝を遂げています。いわゆる「ビッグクラブ」の監督はやりませんでしたから、発展途上のクラブのチーム力をフルに活かしての優勝であったのでしょう。

 こうした資金と有名プレーヤーが乏しい中での好成績が評価されるのは、ある意味では当然で、2006年にオシム監督は、日本代表監督に就任しました。この時の就任に際しては、まだ決まっていない段階で、当時の日本サッカー協会川渕会長が口を滑らせてしまい、「今、オシムって言っちゃったよね」と笑顔で話していたのが印象的でした。

 「その1」にも書きましたが、川渕会長とオシム監督は1964年東京オリンピックで戦った間柄だったのです。川渕会長にしてみれば「日本代表を託せるのはオシムしか居ない」と考えたのでしょうし、オシム監督の方も代表監督就任は「まんざらではない」雰囲気でした。

 オシム氏のインタビューやマスコミ他への対応は、良く言えば「ウィットに富んでいる」、悪く言えば「皮肉に満ちている」ので、その真意はなかなか掴み難いのですが、少なくともこの時のオシムは、上機嫌であったと思います。オシムは日本が、そして日本代表チームが好きだったのでしょう。

2.高度なトレーニング内容

 「走るサッカー」とはいっても、そのトレーニングにおいて走り込みばかりが目立つことは無かったと報じられています。
 ただし、オシムが指示するトレーニングを実行するためには「走らなければならない」内容であったそうです。ここが素晴らしいのではないでしょうか。「走るサッカー」を身に付けるために、ひたすら走り込むのでは、選手は飽きてしまいますし、効果的ではないでしょう。

 まして「賢く走るサッカー」を目指しているのですから、豊富な運動量を90分あるいは120分確保するための体力・持久力を身に付けるためのハードなトレーニングを行うことは当然として、そのトレーニングの間「良く考える習慣」を実践し身に付ける必要があるのですから、単純なトレーニングなど行われるはずがありません。

 オシム監督の下でトレーニングをしたプレーヤーの多くが「体だけではなく頭も疲れる」と感想を漏らしていたそうですから、オシムの狙いは伝わっていたことになります。

 オシムには有名な「オシム語録」と呼ばれるものが有ります。これは、オシムが様々な場面で述べたコメントを集めたもので、本にもなって出版されているほどです。
 その中に「アイディアの無い人間もサッカーは出来るが、サッカー選手にはなれない」というものがあります。

 考えたプレーが出来なければサッカー選手にはなれないという、皮肉たっぷりのコメントだと思いますが、オシム監督のチームには「考えない・アイディアを持たない」プレーヤーは不要だということなのでしょう。

 また「この選手は肉でも魚でも無い」というものもあります。料理を趣味としていたオシムらしい語録ですが、分かりやすく言えば「何の役にも立たない」ということでしょうか。

 結果として、オシムのチームは「知性のあるサッカーを知っている選手を選んだ」と伝えられています。

 オシムジャパンは
① 90分・120分を走り切れる十分な体力・持久力を保持していることを前提として
② 選手一人一人がアイディアに満ちたプレーを展開することで相手にとって「意外性十分な、危険なチーム」となる

 ことを目指したことになりますが、この目標・考え方は現在でも十分に通用するというか、現在の代表チームに最も相応しいもののように感じられます。

 「運動量とスピードで劣り、いつも足許にボールを欲しがり、スペースに走り込むことも少なく、意外性のあるプレーが不足している」というのは「オシムサッカーの対極に位置するサッカー」でしょう。

1. 高い人間性

 あるゲームで、代表チームの正ゴールキーパーGK川口選手を先発から外したのですが、その理由を聞かれて「・・・川口がどういう振る舞いをするのか見たかった」と応えています。
 そして、その振る舞いが「非常に立派だった」ので、次戦で再び川口選手が先発することとなったそうです。

 これは、身体的運動能力に加えて「高い人間性も保持していなければ立派なプレーヤーにはなれない」という考え方の様に観えます。
 世界トップレベルであった選手時代に1回もイエローカードを受けなかったというオシムの基本的な考え方が見えるような気がします。もちろん、精神と肉体が密接にリンクしていることは言うまでもないことでしょう。

2. 全てのことに真剣に真面目に取り組むこと

 プレーヤーに対して、オシム監督が常に要求していたことがこれでしょう。

 「ライオンに追われたウサギが逃げ出すときに肉離れをしますか?要は準備が足らないのです」という語録にも、この考え方が良く表れています。「一生懸命探すニワトリだけが餌にありつける」という語録もあります。

 そしてこの「真剣に真面目に」という考え方は、マスコミに対しても度々示されています。

 記者から、初めて来日した東京オリンピックから40年経ちましたが、日本サッカーはどう変わりましたか、と聞かれて「大きく成長を遂げていると思う。だが問題は君たちマスコミだ。40年間、全く進歩していないのでは?」と応えています。

 また、マスコミがオーストリア在住のオシムに、2010年ワールドカップに出場する日本代表チームの活躍の可能性・予想について質問したところ、「わざわざそんなことを聞くために(オーストリアまで)来たのか。合宿を観に行けばいい」と一蹴したそうです。要は、自らは合宿も観ていないのに、そんな質問だけするのは不真面目だ、という意味でしょうか。

 オシムはマスコミに対しても「サッカーを真面目に学び、真剣に質問項目を考えるように」と示唆し続けたのでしょう。本当にその通りだと思います。私達素人が聞いていても、呆れるほど無知なマスコミ関係者が散見されますし、何を聞きたいのか分からない質問も度々耳にします。
 いわんや、オシム氏ほどのサッカーの達人に対しては、選手が「賢く走る」のと同様に「賢いインタビューやコメント」が必要なのは当然のことでしょう。

 その意味からは、ひょっとすると「オシム監督を失って日本のサッカーマスコミも10年以上遅れてしまった」のかもしれません。

 新生日本代表チームのハビエル・アギーレ新監督に対して「・・・どんなチームを引き受けても必ず結果を出し、サプライズを起こす。守備のスペシャリストだと言っていい。・・・日本の成長を助けてくれるか注目に値する。・・・」と評価し、「・・・ただし、ザッケローニのやり方とは違う方法だ。アギーレのやり方の定着には時間がかかるだろう。短期的には忍耐が必要だ。・・・」とオシム氏がコメントしたと報じられました。

 オシム氏が2007年11月に日本代表監督を辞めて、もう7年が経とうとしています。この間、オシム氏は度々日本代表チーム、日本サッカーに対してコメントを発しています。有意義な道標として、とてもありがたいことだと感じます。

 2014年のワールドカップを観るにつけ、メッシやネイマール、ロッベンやハメス・ロドリゲスといった大天才プレーヤーが居ない日本代表チームが、世界トップクラスのチームと伍して戦っていくためには「賢く走るサッカー」を実践して行くしかないと感じます。オシム監督が掲げたテーマは現在でも活きているのでしょう。

 2007年11月16日、サッカー日本代表チームのイビチャ・オシム監督が脳梗塞のため自宅で倒れました。日本家屋の階段で倒れたのですが、身長190cmを超える巨体であったため搬出に手間取り、治療が遅れたとも伝えられています。幸い一命は取り留めましたが、代表監督の激務に耐え得る体では無くなりましたから、監督を引退したのです。

 私は、このオシム監督の引退が日本代表チームのサッカーの進歩にとって、とても大きな痛手となったと感じています。

 2014年ワールドカップにおいて1勝も出来ずにグループリーグ敗退という事実を見るにつけ、オシム監督健在なりせば、「オシムジャパン」がどのようなプレー・成績を魅せてくれたのかと、つい考えてしまいます。
 オシム監督が標榜するサッカーが、日本代表チームの強化にとって最も相応しいものではなかったかとも今も感じています。

 本稿は、2回に分けてイビチャ・オシム氏について見て行きたいと思います。

1. 世界屈指のフォワードプレーヤー

 オシム氏のプレーヤーとしての実績については語られることが少ないと思いますので、おさらいです。

 1959年に18歳でプロデビュー、ポジションはフォワードFWでした。当時のユーゴスラビアの首都サラエボのチームでした。
 そして、1964年東京オリンピックにユーゴスラビア代表チーム一員として来日、チームは準々決勝で敗れ、やはり準々決勝で敗退した日本チームと、順位決定戦を戦い6-1でユーゴスラビアが大勝したのですが、そのゲームでオシム選手は2得点を挙げています。ちなみに、このゲームには後の日本サッカー協会会長の川渕三郎氏も選手として出場していました。

 この来日で、オシム選手は日本という国に好印象を持ったと伝えられています。

 プレーヤーとしてのオシム氏のピークは、1968年の欧州選手権(第3回イタリア大会)における活躍でしょう。
 ユーゴスラビア代表チームの一員として大会に臨んだオシム選手は、チームの決勝進出に貢献しました。ユーゴスラビアは決勝でイタリアと戦い、引き分け再試合の末惜しくも敗れ準優勝でした。サッカー大国が闊歩する欧州選手権(ユーロ)での準優勝というのは、当然ながら素晴らしい成績です。また、この準優勝はユーロにおけるユーゴスラビア代表チームの最高成績でもあります。この頃のユーゴスラビアチームは、欧州屈指の実力を備えていたのです。

 オシム選手自身は、この大会のベストイレブンに選出されています。FWとしてユーロのベストイレブンに選出されたのですから、当時の欧州、ひいては世界屈指のFWプレーヤーであったことは間違いありません。

 身長190cmを超える、当時としては「超大型FW」としてのオシム選手は、素晴らしいプレーヤーだったのです。

 オシムは1978年に選手を引退しました。特筆すべきは選手キャリア12年間でイエローカードを受けたことが皆無であったことでしょう。極めてフェアなプレーヤーだったのです。プレーに対するこの考え方は、後のオシム監督の指導・采配の特徴としても受け継がれていると思います。

2. 「発展途上のチーム」の指導に注力した監督時代

 選手を引退したオシムは、1978年にかつて所属していたクラブチームのコーチに就任、1979年には監督となりました。監督として、当初から実績を上げていたようです。

 1982年にはユーゴスラビア代表チームのアシスタントコーチも兼任するようになりました。チームは1984年のロサンゼルスオリンピックでベスト4に進出しています。

 1986年にはユーゴスラビア代表チームの監督に就任しました。そして、1990年のワールドカップ・イタリア大会に出場しベスト8の好成績を挙げました。母国代表をワールドカップのベスト8に導いたのです。素晴らしい功績だと思います。

 1991年に入るとユーゴスラビアの国情が悪化し、国家は分裂へと向かってしまいましたので、代表監督としての活動も雲散霧消してしまいました。

 クラブチームおよび代表チーム監督としてのオシムの手腕は極めて高い評価を得ていましたから、この頃レアルマドリードやバイエルンミュンヘンといった、欧州屈指のビッグクラブから監督就任のオファーが有り、代表監督としてもクロアチア他複数のチームから監督就任のオファーを受けたのですが、オシムはこれらをすべて断り、1993年にオーストリア一部リーグのSKシュトゥルム・グラーツの監督となりました。
 そして2002年にオシム監督がクラブを離れるまでの間に、SK シュトゥルム・グラーツはUEFAチャンピオンズリーグに3度出場しています。

 監督としてクラブチームを率いるのであれば、有名クラブ・ビッグクラブを率いたいと考える監督が多いことでしょう。ビッグクラブは資金も豊富ですから、有能なプレーヤーを集めることが出来ますし、常に優勝を争うチームとして、欧州中・世界中から注目を集める立場です。加えて、年俸も高いでしょう。

 そして、オシム監督はレアルマドリードとバイエルンミュンヘンからオファーを受けているのです。この2チームは「ビッグクラブの中のビッグクラブ」と言える存在で、常に世界のトップに居るクラブです。世界中の監督の憧れの的と言っても過言ではないでしょう。
 しかし、オシム監督はこのオファーに見向きもせず、オーストリアのクラブの監督となったのです。SKシュトゥルム・グラーツも良いクラブでしょうけれども、正直に言ってレアルやバイエルンと比較されるようなクラブでは無いでしょう。

 この行動を見ると、オシムは「完成されたクラブ」ではなく、「発展途上のクラブ」の監督を選択したとしか言いようがないと思います。
 完成されたビッグクラブを指揮するよりも発展途上のクラブを指導し強くしていく方が面白いと考えたのでしょうか。その方が自らの力をより発揮できると考えたのでしょうか。真相は分かりませんが、なかなか出来ない決断であろうとも思います。

 結局オシム氏がビッグクラブやサッカー強豪国の監督に就くことはありませんでした。

 レアルやバイエルンの監督として、世界中のクラブチームの監督の頂点に君臨し、数々のタイトルを取り続けるという道を選ばず、無名の小さなクラブの監督を自ら選択するという行動は、まさに「イビチャ・オシムの哲学」と言えるものでしょう。

 年俸も大差であろうと思いますが、オシムは「お金に全くこだわりが無い」と伝えられています。後にジェフ市原の監督に就任した際も、契約書を見ないどころか、送られてきた書類の封も切っていなかったという逸話が伝えられています。自身の年俸など全く知らなかったのでしょう。
 これが、ビッグクラブの監督の座を見向きもしないという行動のベースになっている考え方ということなのでしょうか。

 そして、1992年にクラブオーナーとの対立から、9年も在籍したSKシュトゥルム・グラーツの監督を辞したオシム氏が、次に選んだクラブは日本のジェフユナイテッド市原だったのです。

 →(その2に続きます。)
 夏の甲子園2014も5日目を終えて、雪国代表チームの活躍が目立っています。

・敦賀気比(福井)16-0坂出商(香川)
・富山商(富山)2-0日大鶴ヶ丘(西東京)
・星稜(石川)5-4静岡(静岡)
・日本文理(新潟)5-2大分(大分)
・東海大四(南北海道)6-1九州国際大付属(福岡)
・山形中央(山形)9-8小松(愛媛)

 といった具合です。

 特に、日本有数の豪雪地域である福井・石川・富山・新潟の4代表チームが揃って初戦を突破するというのは、なかなか無いことのように感じます。

 正直に言って、雪国のチームは冬の間の屋外練習に限界があることから、降雪・積雪が少ない地域のチームに対してハンディキャップがあると言われ、実際に20世紀には苦戦を強いられていました。

 それが21世紀になってからは、練習設備の向上や指導体制の充実、遠征練習試合の増加等によって力の差を埋める努力が継続され、実ってきたのでしょう。

 2009年の大会決勝戦、日本文理VS中京大中京は10-9で中京大中京の勝利でしたが、4-10の劣勢から9回表に一挙5点を挙げて追い上げた日本文理の底力は、既に伝説となって語り継がれているように思います。

 「雪国チームの甲子園大会優勝」が実現する日は、そう遠くないのかもしれません。
 夏の甲子園大会2014も5日目を終えて、1回戦17試合と2回戦1試合の計18試合が行われました。

 そして、ここまで完封試合が2つしかないのです。大会1日目の第二試合・敦賀気比16-0坂出商と同第三試合・富山商2-0日大鶴ヶ丘の2試合です。
 従って、大会2日目以降は完封試合が無いことになります。

① 打力優位の大会ということなのか。

 確かに、例年の大会に比べて「超高校級の投手」が少ない印象はあります。剛球で抑え込むというよりは、打たせて取るタイプの投手が多いのかもしれません。

② エラーや四死球が多いのではないか。

 大事な場面でのエラーが多いようにも感じます。特に「バッテリーエラー=ワイルドピッチ・パスボール」が目に付きます。不要な四球や死球もバッテリーの責任であるとすれば、ここまでの今大会は、バッテリーが落ち着いていない大会とも言えるかもしれません。
 結果として「試合全体が落ち着かない」ことが多いのです。

 これでは失点が増えるのも無理が無いということでしょうか。

 20世紀の終盤には、素晴らしい守備力を有するチームが多かった印象があり、「良く鍛えられたチーム」が出場し、覇を競い合うのが夏の甲子園という感じでした。
 現在は、バッティングマシーンの性能向上などもあってか、打力優位の競技となっていて、打ち合いの中から勝機を見出すスポーツに変貌したために、精緻な守備力に重きが置かれなくなってしまったのでしょうか。

 いずれにしても、ピンチの場面で投手が低目を狙いすぎてワンバウンドの投球となり、捕手もその投球を止めることが出来ず後逸してしまい、ランナーの進塁を許す或いはホームインされてしまうシーンばかりとなってしまっては、荒れた試合になってしまいます。

 「全国高等学校野球選手権大会」という名称を冠し、我が国の高校野球の最高峰の技術が展開されるべき大会としては寂しいことでしょう。

 6日目以降は、「打ちも打ったり、捕るも捕ったり」といった内容の試合が増えることを期待しています。
 日本経済新聞スポーツ欄のコラム「権藤博の悠々球論」は、いつも楽しく読ませていただいています。

 8月7日掲載分も興味深い内容でした。

 「今、1軍のマウンドに立つ姿を一番みたいのはあと4日で49歳になる中日・山本昌だ。・・・」で書きはじめた稿は、山本昌投手の素晴らしさを述べます。

 「投球に『型』がないのがいい。打たせて取るわけでもなく、三振を取るわけでもなく・・・テンポはいいが、制球は全くアバウトだ。」

 「角度のある直球をとりあえずストライクゾーンに投げ、あとはスクリュー(沈むシュート)かスライダーで何とかというスタイル。この『とりあえず投法』でここまできたのがすごい。まさに天然記念物。」

 「・・・年をとると膝に負担がかかることなどから、フォームもおとなしくなるが、山本昌のはやんちゃなまま。・・・」

 こうした、やや乱暴な書きっぷりには、権藤氏の山本昌投手への愛情が溢れています。

 そして「山本昌がもう少し繊細で、型を持っていたら、ここまで長持ちはしなかったはず。軟体動物のようなとらえどころのなさで、年齢の壁もぬらりとすり抜けてきた。まさに世界に誇れる投手。・・・」と結びます。キチンとしていたら、ここまでの大投手にはなれなかったという逆説的なコメントですが、おっしゃる通りでしょう。

 打者の手許で変化するボールが必要だとか、コースギリギリのコントロールがポイントだとか、スライダー・スプリッターのキレがどうだとか、そうした投球術をうんぬんする前に、「ボールの威力が最も大切」であると権藤氏は言っているのでしょう。
 
 権藤氏のコメンにトは、本当のプロフェッショナルだけが知っている「本質」が常に述べられていると思います。

 どんなにコースギリギリの投球でも、威力が無ければプロの打者には簡単に打たれてしまいます。何しろ、ストライク投球は必ずベース上を通過するのですから、バットが届くのです。
 良い投手にまず必要なのは「ボールの威力」なのでしょう。

 8月5日、シャビ選手のスペイン代表引退が報じられました。

 FCバルセロナの中心選手として活躍を続けているシャビは、スペイン代表チームの大黒柱でもありました。

 「代表引退」の報に接した時、「スペイン代表が強かった時代も終わりを告げた」と感じました。

 2008年の欧州選手権(ユーロ)、2010年のワールドカップ・南アフリカ大会、2012年のユーロを3連覇したスペイン代表チームが、世界サッカー史上最強チームのひとつであることは疑いようがありません。
 「負けないサッカー」としてなら、史上最高のチームだったと思います。

 そして、そのチームはシャビ選手と共に在ったのです。

① 2004年のユーロで、決勝トーナメントに進出できなかったスペインチームは、イニャキ・サエス監督が解任され、ルイス・アラゴネス監督が就任しました。このアラゴネス監督の就任が、最強チーム生成にとって極めて重要であったと思います。

② ルイス・アラゴネス率いるスペイン代表チームは、2006年のワールドカップ・ドイツ大会に臨みました。そしてグループリーグを突破し決勝トーナメントに進出しましたが、ベスト16の戦いでフランスに1-3で敗れてしまいました。この大会準優勝であったフランスは、ジダン選手、アンリ選手他を擁する最強の時期でしたから、3失点も止むを得ないというところだったのでしょう。

③ このワールドカップ2006における敗退は、「典型的なスペイン代表チームの負け方」でした。「得点以上に失点する」というパターンだったのです。1978年大会以降8大会連続でワールドカップ本大会に出場しながら最高成績がベスト8という、なかなか殻を破れないチームだったということでしょう。

④ アラゴネス監督は、フィジカル面での劣勢を背景とする、こうしたスペインサッカーの弱点をカバーし、世界トップクラスで戦えるチームとするために「ショートパスを繋ぎながらチームの連動性を重視するサッカー」の導入を決めました。このサッカーは「頻繁なポジションチェンジ」を必要とするために、導入には非常な困難が伴ったと言われていますが、幸いなことに「優秀なプレーヤーが揃っていた」のです。
逆に言えば、優秀なプレーヤーが揃っていたので、アラゴネス監督も「ショートパスによるパスサッカー」導入を決断したのでしょう。

⑤ この2007年のチームは、ワントップにフェルナンド・トーレス、MFにシャビ、イニエスタ、セスク、シルバ等を配し、バックスにセルヒオ・ラモスやブジョル、マルチェナ等、そしてゴールキーパーにカシージャスというメンバーでした。

 このメンバーだからこそ、後に「ティキ・タカ」と呼ばれるようになる「高速のショートパスを繋ぐサッカー」が可能だったのだと考えます。この時期にこのメンバーがスペイン代表チームに揃っていたこと、そしてアラゴネス監督がティキ・タカの導入を決意し、メンバーもこの意図に良く応えたことが、史上屈指のチームを創り上げるきっかけとなったのでしょう。

⑥ このチームは、2008年ユーロの予選当初は大苦戦しましたが、「ティキ・タカ」システムが軌道に乗るにつれて調子を上げて予選を突破、第12シードという「あまり期待されない」シード順で臨んだ本大会では、とんとん拍子で勝ち上がり、決勝では優勝候補のドイツを1-0で破り優勝しました。
 フェルナンド・トーレスが前半に挙げた1点を守り切っての勝利は、「スペインのティキ・タカサッカーの完成」感じさせるものでした。このゲームで、あのドイツチームがほとんど何も出来なかったのです。「こんな出来の悪いドイツチームは初めて見た」と当時は思いましたが、振り返ってみればスペインチームが凄過ぎたのです。

 私は、この時のスペインチームが「黄金期の中でも最強」であったと考えています。

⑦ 2010年のワールドカップ・南アフリカ大会では完成期を迎えたチームが、その特徴を如何無く発揮して優勝しました。その特徴とは、大会7ゲームにおける「総得点8、総失点2」のいずれも史上最少であったこと、そして決勝トーナメント4ゲームを全て1-0で勝ち抜いたこと、に端的に表れています。

 「失点せず、1得点で勝ち切る」のが、このスペイン代表チームのサッカーなのです。得点を取りに行くことから生ずるリスクを冒すことなく、とにかくショートパスをハイテンポに繋ぎながら相手チームには何もさせない状態を継続して0失点を確保し、シャビ選手からのラストパスで1得点を挙げるサッカー、この時のスペインチームのメンバーで無ければ決して実行することが出来ない、極めて高いレベルのサッカーでした。

 この大会で、スペイン代表の先発メンバーには、フォワードにビジャ、MFにシャビ・アロンソ、バックスにピケらが加わりました。いずれも、十分にティキ・タカに対応できるプレーヤー達でした。

⑧ 2012年のユーロでもスペインチームはその力を発揮して優勝しましたが、準決勝のポルトガル戦および決勝イタリア戦の試合運びには、チームの変質が伺えました。

 ポルトガル戦は、ポルトガルチームに相当回数のチャンスが訪れました。スペインチームの短いパスによる速いボール回しが、あまり機能しなかったのです。何とか0-0でPK戦に持ち込み勝利しましたが、ゲーム内容以上に薄氷を踏む勝利であったと思います。
 決勝のイタリア戦は4-0の快勝と、準決勝の疲労が残るイタリアチーム相手に大勝した形ですが、「4点も取るのはおかしい」と感じたことを憶えています。相手に何もさせないサッカーは、自分達にも容易に得点チャンスが訪れないサッカーの筈なのです。

⑨ 2014年ワールドカップのスペインチームは、本来のティキ・タカをほとんど見せることなく、グループリーグ2連敗で敗退しました。緒戦オランダ戦の後半の戦い振りが、スペインサッカーの変質を示していました。オランダチームと同じリズムでプレーし、同じように長いパスを前線に送って、得点を狙ったのです。
 そうなれば、フィジカルと走力に勝るオランダチームが有利なのは道理で、スペインチームは後半だけで4失点を喫して大敗しました。

 近時の、特に2013年コンフェデレーションズカップでの準決勝・決勝の無得点、および決勝でのブラジル相手の0-3の敗戦を踏まえて、スペインベンチは「点を取りに行くチーム」を目指したのかもしれませんが、「相手に何もさせず、こちらだけが得点を次々に挙げる」といった虫のいい話?が存在する筈も無く、スペインチームは「普通の世界トップクラスのチーム」になってしまい、敗れた形でしょう。

 前半、シャビからのパスで得たPKで1点を先制し、本来ならこのまま1-0で勝ち切るべきゲームだったのでしょうが、前半終了間際にファンペルシのダイビングヘッドで同点とされてしまいました。これはしかし、ファンペルシ選手の一世一代の驚異的なシュートが決まっただけで、自分たちのサッカーの綻びからの失点では無いと判断して、スペインチームとしては1-1の引き分けを目指すべきだったと思います。
 後半もティキ・タカを展開して、自分たちの得点のチャンスは減るが、相手には何もさせないサッカー=本来のスペインサッカーを行うべきだったのです。

 それを、中盤でボールを獲得するとドリブルで前進し、ゴール前の選手にパスを出すという「オランダと同じようなサッカー」を行ってしまっては、オランダチームにボールを取られる機会が増えてしまい、逆襲を受けるリスクが倍増してしまいました。1対1の決定力なら、ロッベンやファンペルシの方が上であることは明らかなのです。

 このサッカーは、2006年以前の国際大会ベスト8の壁を破れなかったスペインチームのサッカーでした。(メンバーの高齢化に伴い、スペインチームの運動量が落ちていた面もあるかもしれませんが)

 シャビは、2014年大会ではグループリーグの緒戦にこそ先発しましたが、第2戦・第3戦には出場しませんでした。
 コンディションが悪かったのか、34歳という年齢もあって体力的にフル出場できなかったのか、理由は分かりませんが、いずれにしても「第2戦・第3戦のスペインは、シャビが指揮を執るチームではなかった」ことは間違いないと思います。
 もはや、ティキ・タカを展開できるチームでは無かったのでしょう。

 そして大会後の8月5日、シャビ選手は代表引退を発表しました。

 2008年~2012年のスペインチーム、これを「最強スペインチーム」と呼びたいと思います。
 この「最強スペインチーム」は、シャビ、イニエスタ,セルヒオ・ラモス、ピケ、セスク、シャビ・アロンソ、シルバ、プジョル、ビジャ他の「ティキ・タカをプレーする能力を備えたプレーヤー達」によって構成されていました。

 そして、その中心はシャビとイニエスタの2人のプレーヤーであると思います。その2人の内の1人が引退するのです。いまのところ後継者は居ません。そうなると、これはもう「最強スペインチーム」では無いのです。

 今後、建て直しを目指すスペインチームが、どのようなチーム創りを目指していくのかは興味深いところですが、他の欧州各国のチームと同じような戦術を取るチームを指向すれば、フィジカルの強さや縦への突破力を誇るドイツチームやオランダチームに勝つのは難しいでしょう。

 一方、シャビ率いる「最強スペインチーム」=ティキ・タカを展開するチーム、を再度組成するにはメンバーが足りません。

 おそらく、「最強スペインチーム」は世界サッカー史上でも唯一無二のタイプの存在で、いつの時代・どんな国でも創り上げることが困難なチームなのであろうと思います。
 ワールドカップ最多得点記録を保持し、無駄の無いポジショニングと無類の決定力を誇るドイツのクローゼ選手をして「このゲームでは左右に振られて体力を消耗し、何も出来なかった」と言わしめるチームは、滅多なことでは登場しないのです。

 いずれにしても、新生スペインチームの前途には相当厳しい道が待っていると感じます。
 欧州3大レースのひとつであり、毎年上半期の欧州最強馬を決める「キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ステークス(KJⅥ&QES)」が、今年は7月26日に行われました。会場は例年通りイギリス・アスコット競馬場・芝2400mコース。
レースは、一番人気を分け合っていたタグルーダ号が、2着に3馬身差を付けて圧勝しました。

 タグルーダはこれで無敗の4戦4勝、今年の英オークスも勝っていますから、一躍凱旋門賞の本命に躍り出ました。

 そもそもKJⅥ&QES は、3歳馬があまり挑戦しないレースですが、3歳牝馬のタグルーダは敢然と挑みました。3歳の夏の段階で、欧州最強馬を決める伝統のレースに出走し、牡馬古馬と戦うというのは、やや無謀な感じなのですが、タグルーダには何でも無いことのようでした。

 3歳牝馬の優勝は、1976年のボウニーズ号以来38年振りの快挙。
 また、そのレース振りが素晴らしいものです。
 
 タグルーダは、一番人気を分け合っていた4歳牡馬のテレスコープ号を前に置き、後方からレースを進めました。最後の直線に向いて、テレスコープが先行馬に並びかけて先頭を伺うと、残り300m位からタグルーダが追い込みに入り、残り200mでテレスコープに並びかけ、並ぶ間も無く交わして、ゴールでは3馬身差を付けるという完勝。とてもキャリア3戦の3歳牝馬とは思えない、落ち着き払ったレース内容でした。
 10月に行われる凱旋門賞2014に圧倒的な一番人気馬が誕生した瞬間でもありました。

 日本競馬界にとっては悲願でもあり、今年もジャスタウェイ号やゴールドシップ号の挑戦が発表されている凱旋門賞優勝ですが、さすがに歴史と伝統を誇る欧州競馬です。昨年オルフェーヴル号に大勝したトレヴ号と同じ3歳牝馬(斤量面で有利)の壁が、再び立ちはだかることとなりそうです。

 それも、相当高く厚い壁です。
 ゴルフの4大メジャートーナメントの今季最終戦、全米プロゴルフ選手権大会は8月10日最終日を迎え、北アイルランドのロリー・マキロイ選手が4日間通算268打・16アンダーパーの成績で優勝しました。

 2位のフィル・ミケルソン選手とは1打差の接戦でしたが、2日目にトップに立ってから何人ものプレーヤーが首位の座を脅かし続けた展開の中、結局勝ち切ったプレー内容は、打数差以上の力の差を感じさせるものであったと思います。

 特に最終日、首位でスタートしたものの、アメリカのリッキー・ファウラー選手の追い上げにより、3打差を付けられ逆転を許した時には、さすがのマキロイ選手も苦しいかと思いましたが、10番のパー5でイーグルを奪取、13番のバーディで首位に返り咲き、17番のバーディで突き放すという、見事なサンデーバックナインでした。
 「欲しいところでバーディ」というのも容易なことではありませんが、「欲しいところでイーグル」というのですから、驚くべきプレーでした。

 3位には昨年のフェデックスカップのチャンピオン、ヘンリック・ステンソン選手が食い込みました。2位・3位には「ビッグネーム」が入った形で、さすがの勝負強さを魅せてくれたと思います。

 これでマキロイ選手は今季の全英オープンに続いてメジャートーナメントを連勝するとともに、通算4勝目となりました。メジャー通算4勝目の最年少記録は、タイガー・ウッズ選手の24歳6か月、2番目がジャック・ニクラウス選手の25歳2か月、マキロイ選手はこれに次ぐ第3位の25歳3ヶ月での達成となりました。

 タイガーやニクラウスの記録に迫る活躍に対して、今大会の優勝を争ったプレーヤーからも称賛の声が上がっていると、報道されています。

 フィル・ミケルソン「今の彼は他の誰よりも良いプレーヤーだ。本当に素晴らしい。」
 ヘンリック・ステンソン「比較するのは難しいが、タイガーは遠い存在ではないと思う。今後も毎年メジャーを1勝ずつしても不思議では無い。僕らはそれを阻止しなくてはならない。」

 大会初日から、何とも言えない貫禄とオーラを感じさせたマキロイ選手のプレー振りでした。そして、そのまま勝ち切ってしまうのですから素晴らしいの一語です。

 マキロイ選手が今後の世界のゴルフ界を背負っていく存在であることは間違いないでしょうし、復活が待たれるタイガー・ウッズ選手との覇権争いからも眼が離せません。

 ルイス・スアレス選手のFCバルセロナへの移籍が発表されました。

 ご承知のように、FCバルセロナには既にリオネル・メッシ選手とネイマール選手が所属していますから、ここにスアレス選手が加わる形です。

 ワールドカップ2014が終わったばかりですが、アルゼンチン代表チームにおけるメッシ選手の活躍、ブラジル代表チームにおけるネイマール選手の活躍、そしてウルグアイチームにおけるスアレス選手の活躍は記憶に新しいところで、3プレーヤーは3人ともワールドカップ2014ブラジル大会を彩った「最高のフォワードFWプレーヤー」であることは、間違いありません。

 この3プレーヤーは、母国の誇りを持って、母国チームの勝利の為に全力を尽くし、そして、この3プレーヤー無しでは3チームの力は半減する位置付けの選手でもありました。

 その3人が、同じクラブに所属するのです。興奮を禁じ得ません。

 周知の事実ながら、FCバルセロナは現在の世界サッカー界を代表するクラブチームのひとつです。

 そのメンバーは、FWにメッシとネイマール、中盤MFにシャビとイニエスタ、ブスケツ、DFにピケ、マスチェラーノ、ダニエウ・アウベス、アルバといった名立たるプレーヤーが犇めいています。そこにスアレスが加わるのです。
 何だか想像を絶するようなチームになりそうです。

 世界的に観ても、特別な得点力・決定力を具備する「真のストライカー」3人が揃うチームというのは、いったいどんなプレーを展開してくれるのでしょう。

 軽快なドリブルとテクニックから多種多様なチャンスを創り上げるメッシ選手、直線的に観えるドリブルからゴールを奪うネイマール選手、そして驚異的な得点感覚で想像を超えるシュートを決めるスアレス選手、と3プレーヤーのタイプは異なりますが、「一瞬でもフリーでボールを持たせたら相当の高率で得点を挙げることが出来る」点は共通しています。

 しかし、スーパープレーヤーが多すぎるというのも、チームプレーにおいては必ずしも良いことばかりではないでしょう。
 ルイス・エンリケ監督には、悩みの種となるのかもしれません。世界中のクラブの監督が悩んでみたいと考えるであろう、これ以上無い贅沢な悩みではありますが。

 リーガ・エスパニョーラの一方の雄、レアル・マドリードにもハメス・ロドリゲス選手やクロース選手、ナバス選手らが加わり、「銀河系軍団・第二章」の始まりかもしれないことは、既に書きました。

 このレアルとバルサの戦いは、これまで以上に「眩いばかりのプレーヤー同士の激突」となるのでしょう。エル・クラシコを始めとするカードを目の当たりにできるスペインのサッカーファンは、本当に幸せなのです。羨ましい限りです。

 ゲームが多くスケジュールが厳しいビッグクラブには、AチームとBチームが存在するとは、よく言われることです。そうするとFCバルセロナのFWは、メッシとネイマールとスアレスの内2プレーヤーを先発させて、ゲーム毎に回して行く運用がなされる可能性もあります。
 それはそれで現実的な対応なのでしょうが、ファンとしては「メッシ+ネイマール+スアレス」の3トップが並ぶチームを、是非観てみたいと思います。これは、ワールドカップでは絶対に観られない布陣なのです。
 7月13日のサンフランシスコ・ジャイアンツSFとアリゾナ・ダイアモンドバックスARIのゲームで、SFのバスター・ポージー捕手が5回裏2死満塁からホームランを放ちました。
 続く6回裏、今度は先発のマディソン・バムガーナー投手が無死満塁からホームランを放ったのです。

 長いMLBの歴史上でも初めての「先発投手と捕手のバッテリーによるグランドスラムの共演」でした。

 このゲームはSFが8-4で勝ちましたから、先発バッテリーはチームの全打点を叩き出したことになります。

 スポーツというのは時々、本当に不思議なというか奇跡的なプレーを生みますが、これもそのひとつでしょう。
 SFとARIが所属するナショナルリーグNLはDH制が無いので、投手も打席に入ります。とはいえ、1ゲームに2本も満塁本塁打が生まれることさえ珍しいことなのに、その2本を先発バッテリーの2人が打つというのですからビックリです。

 今シーズン苦しい戦いが続いているSFにあって、バムガーナー投手は一際目立つ活躍を続けています。
 8月3日の対ニューヨーク・メッツ戦では「完投シャットアウト勝ち」を魅せました。これで、今シーズン13勝8敗となり、NL投手部門の勝ち星トップに並びました。メジャー5年目の25歳、身長196cm・体重107kgの巨体を誇る左腕が、ついに本格化したというところでしょうか。
 そして、このゲームでもバムガーナー投手は2打数1安打1四球2得点と、打者としても活躍しています。

 今後のバムガーナー投手の登板に注目するとともに、その打力にも一目置いておく必要があるのでしょう。

 アメリカ合衆国ケンタッキー州のバルハラ・ゴルフクラブで開催されている、今年最後のメジャートーナメント、全米プロ選手権は2日目を終え、1オーバーパー69位タイまでに入った74選手が3日目に進みました。

 上位の成績は以下の通り。
1位 ロリー・マキロイ選手 9アンダーパー
2位 ジェイソン・デイ選手 8アンダーパー
   ジム・フューリク選手
4位 ライアン・パーマー選手 7アンダーパー
   リッキー・ファウラー選手
   ミッコ・イロネン選手

 1位と2位の差は1ストロークですが、ゲーム内容からすると、マキロイ選手が既に独走体勢に入ったように観えます。

 マキロイ選手は、ババ・ワトソン選手・マルティン・カイマー選手と同組でした。今シーズンのメジャー初戦マスターズのチャンピオンであるワトソン、メジャー2戦目全米オープンの覇者であるカイマー、そして3戦目全英オープンに優勝したマキロイと、3人のメジャートーナメントチャンピオンが同じ組で予選ラウンドを戦うという、いかにもPGAツアーらしい、サービス精神溢れるマッチングとなったのです。

 この3強によるラウンドは、しかし、マキロイの圧勝でした。

 ワトソンはイーブンパーでなんとか3日目に進みましたが、カイマーは2オーバーで予選落ちしてしまったのです。
 2人のメジャーチャンプに9ストローク以上の差を付けたラウンドの様子を見る限り、マキロイの貫録が際立ちました。マキロイ選手がとても大きく見えたのです。

 身長192cmのワトソン選手、同184cmのカイマー選手に対して、マキロイ選手は175cmですから小柄な筈なのですが、ショットを打つ姿あるいはフェアウェイを歩く姿さえ、マキロイが小さいという感じは受けませんでした。

 連続優勝を引っ提げてこのトーナメントに乗り込んだマキロイ選手の、調子の良さを示しているような気がします。
 このまま、3日目以降もアンダーパーをどんどん伸ばし、2位以下のプレーヤーを引き離して優勝してしまうのではないかとも感じます。

 もし、マキロイ選手の独走を阻むとしたら、プレー振りとゴルフのタイプから観て、ジェイソン・デイ選手かライアン・パーマー選手に爆発的なプレーが生まれた時だけでしょうか。

 200ヤードを超えるパー3や、450ヤード以上のパー4が目白押しのバルハラGCは、ロリー・マキロイのためのコースなのかもしれません。
 ワールドカップ2014閉幕に伴い、トッププレーヤーの移籍が相次いでいますが、クラブ単位でみるとレアル・マドリードへの集中が凄い感じです。

 主な獲得選手を見ても
・ハメス・ロドリゲス(コロンビア)
・ケイロル・ナバス(コスタリカ)
・トニ・クロース(ドイツ)

 この3プレーヤーは、ワールドカップ2014で大活躍したプレーヤーで、今後の世界サッカーを背負っていく人材ですが、既にレアルへの移籍が発表されています。

 「一からチームを創る」場合でも、相当豪華な獲得なのですが、レアル・マドリードのことですから、既存のプレーヤーも素晴らしいラインナップですので、「ポジションが被ってしまい、先発メンバーに入れないのではないか?」といった、余計な心配をしてしまいます。

① 既存メンバー
 クリスティアーノ・ロナウドFW、ベンゼマFW、エジルMF、ディマリアMF、ケディラMF、マルセロDF、カシージャスGK

② 新規加入メンバー
 ハメス・ロドリゲスMF、トニ・クロースMF、ナバスGK

 どう見てもプレーヤーが重なります。いったい、どのようにチームを編成していくのか、あるいはこれから放出があるのか、アンチェロッティ監督を始めとするベンチスタッフの手腕が試されるでしょう。

 それにしても素晴らしいメンバーです。
 2000年代初めに「銀河系軍団*」と呼ばれたレアルですが、その時のチームに匹敵するようなメンバーになって来ました。(*FWがラウルとロナウド、MFにジダンとフィーゴ、ベッカム、DFにロベルトカルロスやイエロといった豪華なチームでした)

 「銀河系軍団・第二章」の始まりかもしれません。どんなチームに仕上がるのか、とても楽しみです。
 第96回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園2014)の初戦の組合せ抽選会が8月6日に行われました。

 KaZブログ恒例の「注目の10校」です。

 春の公園大会2014の内容・結果、地方大会の内容・結果、夏の甲子園との相性等々から、今大会の注目稿を挙げて行きたいと思います。

 まず、地力からの分類です。今回は大相撲の「横綱」「大関」「関脇」に準えました。

[横綱級] 龍谷大平安、大阪桐蔭、東海大相模

[大関級] 沖縄尚学、作新学院、明徳義塾、九州国際大付属、聖光学院、日大鶴ヶ丘

[関脇級] 藤代、東海大望洋、関西、大垣日大、智弁学園、佐賀北

 横綱級の3校は、地力が高く最も優勝に近いと考えられるチームです。大関級の6校はベスト4進出の可能性が十分にある6校です。もちろん、勢いに乗れば優勝も狙えます。関脇級の6校はベスト8進出の可能性が十分ある上に、今大会の台風の目となり得るチームだと思います。

 この地力ランキングと初戦の組合せを勘案して「注目の10校」を選定します。

① 龍谷大平安
② 東海大相模
③ 大阪桐蔭
④ 沖縄尚学
⑤ 明徳義塾
⑥ 九州国際大付属
⑦ 日大鶴ヶ丘
⑧ 東海大望洋
⑨ 藤代
⑩ 佐賀北

 初戦のカードを観てみます。

 初戦の注目カード第一は、大会5日目第一試合「明徳義塾vs智弁学園」でしょう。両チームとも地方大会の決勝では強豪相手にキッチリと競り勝ちました。十分な打力に、粘り強さも加わったチーム同士の対戦は見応え十分でしょう。
 大会屈指の強打者岡本を擁する智弁学園と好投手岸を擁する明徳義塾は互角だと思いますが、「明徳義塾の甲子園初戦での強さ(ほとんど負けていないと思います)」の分だけ、勝ち抜く可能性が高いと判断しました。

 それにしても、明徳義塾は今年の春の甲子園で初戦に智弁和歌山と対戦し、延長戦の末勝ち抜きました。明徳と智弁の2大会連続の組合せとなった形です。

 初戦の注目カード第二は、大会初日の第一試合「龍谷大平安vs春日部共栄」。実力は認められていながら、不思議なほどに夏の甲子園では優勝できない埼玉県代表チームですが、今大会の初戦は龍谷大平安が相手となりました。
 ハイレベルな埼玉大会を勝ち抜いた春日部共栄は、これで5回目の甲子園出場と埼玉の常連校のひとつです。埼玉大会の試合振りも、堅実な守りを背景に競り勝ってきたものでしたから、甲子園でも十分に戦えると思われます。
 一方の龍谷大平安もその安定感は抜群です。力の差が無い対戦でしょうが、現チームの甲子園での経験値は平安が上でしょう。
 

 初戦の注目カード第三は、大会7日目第一試合「沖縄尚学vs作新学院」。本ブログの「大関級」2校の激突です。
 夏に強い沖縄県勢とこのところ夏に強い作新学院の対戦ですから、互角の好カードです。どちらのチームも強力な打線と堅い守りで、地方大会を危なげなく勝ち上がりました。全く互角だと感じますが、ここは「夏の大会での沖縄県勢の強さ」に軍配を上げたいと思います。

 初戦の注目カード第四は、大会二日目第二試合「静岡vs星稜」。出場23回目の静岡と17回目の星稜という「伝統校対決」です。ともに投打のバランスがとても良いチームですので、好ゲームが期待されます。
 星稜は、アメリカでも話題となった0-8からの大逆転劇で甲子園出場を決めましたから勢いは十分だと思いますが、静岡の投手力は極めて安定していますから、打ち合いにはなりそうもありません。安定感を買って、静岡が少し有利かなと思います。

 初戦の注目カード第五は、大会二日目第四試合「大垣日大vs藤代」。本ブログの「関脇級」2校の対戦となりました。
藤代は3回目の出場と、甲子園ではまだ馴染みが薄いチームでしょうが、今年のチームは良く仕上がりました。強力打線を背景に競り合いに強いチームとなっています。
 一方の大垣日大も3回目の出場ながら、春初出場準優勝の印象が強く、すでに強豪校の貫録です。
 互角の戦いとなるでしょうが、勢いを買って藤代が少し有利かなと感じます。藤代は、ここを突破して一気に「今大会のダークホース」となる予感もします。

 以上の5つのカードが、初戦の注目カードです。
 いずれも互角の対戦であり、結果次第では「注目10校」の選択にも大きな影響を与えると思います。

 さて、10校の評です。

 龍谷大平安としては、春日部共栄戦を勝ち抜くことが出来れば、春優勝の経験を存分に生かして勝ち進むことが出来るでしょう。

 東海大相模の今年のチームには、良い投手が揃いました。4投手を自在に駆使して、勝ち抜いていきたいところです。

 夏の甲子園大会での実績抜群の大阪桐蔭は、今年も力強いゲームを展開してくれることでしょう。地方大会の内容を観ると、昨年のチームより強いと思います。

 明徳義塾は初戦の智弁学園戦が大一番ですが、不思議と?初戦では負けないチームですから、ここを勝ち抜き「甲子園経験の豊富さ(5年連続出場)」を持って2回戦以降も勝ち進みたいところでしょう。

 このところ夏の甲子園ではパッとしなかった福岡代表チームですが、久々に豪快なチームが登場しました。「豪快なチームカラーの福岡代表は甲子園で強い」と感じています。九州国際大付属の大活躍が楽しみです。

 今年の日大鶴ヶ丘チームには「おおらかな雰囲気」があります。東京代表チームは、大会が始まって波に乗ると一気に優勝まで勝ち進みます。おおらかさを身に纏った日大鶴ヶ丘には、十分にその可能性があると思います。

 千葉代表の東海大望洋は、千葉大会準決勝を12得点、決勝を13得点で勝ち抜きました。初出場チームとしての勢いが感じられる上に、「大きな野球を展開する」イメージです。このところ夏の大会であまり成績を残していない千葉代表ですが、久しぶりに旋風を巻き起こしてくれるでしょう。

 前述の茨城代表・藤代にも、チームの大きさ・おおらかさを感じます。取手二や常総学院の伝統を引き継ぐのは、藤代なのではないでしょうか。

 2007年大会の決勝戦の逆転満塁ホームランを憶えておられる方も多いことでしょう。「佐賀北には甲子園に出てくれば強い」という雰囲気があります。今年の佐賀大会の準決勝・決勝を1点差で勝ち切った試合振りといい「勝負に辛い」佐賀北の伝統が活きていると感じます。今大会も台風の目となるかもしれません。

 今大会は以上の10校に注目したいと思います。

 当然ながら、他にも有力校が目白押しです。日本文理、健大高崎、広陵、神戸国際大付属、二松学舎大付属、八戸学院光星は「小結級」と言って良いと思いますし、実力的には十分にベスト8を狙えるでしょう。

 今大会は、大会前から騒がれるスーパースターは多くないかもしれませんが、こういう大会は「開幕後グッドプレーヤーが次々に登場する」傾向があります。

 球児の皆さんには、甲子園球場で思いきり暴れていただきたいものです。

 2013~2014年シーズン最後のメジャー大会・全米プロ選手権を控えた段階での、PGAツアー賞金ランキングを観てみたいと思います。

 今シーズンのPGAツアーには、国別・地域別対抗戦を除くと46の大会が用意されていますが、全米プロを控えた時点で既に40の大会を終えています。

 残るレギュラーシーズンの大会は、全米プロとウィンダム選手権の2つ。これを終えると「フェデックスカップのプレーオフ4大会(ザ・バークレイ、ドイツ銀行選手権、BMW選手権、ザ・ツアーチャンピオンシップ)」に入ります。そして、今シーズン最終戦のザ・ツアーチャンピオンシップ大会でフェデックスカップ・チャンピオンが決まる形です。

 プレーオフ初戦のザ・バークレイズには、フェデックスポイント上位125人しか出場できませんから、レギュシーズンの残る2戦、全米プロとウィンダム選手権では、130位前後のプレーヤーによる熾烈なプレーオフ進出争いも展開されるのです。

 フェデックスポイント・ランキングと獲得賞金ランキングは、必ずしも一致しませんが、当然ながら概ね連動しています。
 
 さて、8月6日時点の賞金ランキング上位10プレーヤーを観てみましょう。(カッコ内は、出身国と主な優勝大会他)

1位 ババ・ワトソン(米。マスターズ、ノーザントラストOP)
2位 ロリー・マキロイ(イギリス。全英OP、ブリジストン招待)
3位 ジミー・ウォーカー(米。フライズドットコムOP他3勝)
4位 セルヒオ・ガルシア(スペイン)
5位 ジム・フューリク(米)
6位 ダスティン・ジョンソン(米。HSBCチャンピオンズ)
7位 マット・クーチャー(米。RBCヘリテージ)
8位 マーティン・カイマー(ドイツ。全米OP、ザ・プレーヤーズ選手権)
9位 ジョーダン・スピース(米)
10位 パトリック・リード(米。ヒュマナチャレンジ、WGCキャデラック選手権)


 2014年のマスターズトーナメントを制したババ・ワトソン選手がトップ、全英オープンを制したロリー・マキロイ選手が2位、全米オープンを制したマーティン・カイマー選手が8位と、さすがにメジャートーナメントチャンピオンは賞金ランキングでも上位に居ます。
 これは、メジャートーナメントの賞金が大きいということもありますが、何より「今シーズン好調」であることを示していると思います。さすがに、メジャーに勝った以外に目立った成績を残していないとなれば、世界最高のゴルフツアーであるPGAツアーのトップ10に入ることは、到底できないことなのです。

 3選手はいずれも今シーズン2勝を挙げています。素晴らしいシーズンを送っているということでしょう。特に、マキロイ選手は全英を勝った後ブリジストン招待も制していますから、今シーズン終盤に調子を上げてきた形です。「強い時の強さがずば抜けているという点」では、タイガー・ウッズ選手に近いタイプのプレーヤーですから、全米プロでも活躍してくれそうです。

 3位のジミー・ウォーカー選手は2013年10月の今シーズン初戦・フライズドットコムOPでツアー初優勝を遂げて波に乗り、今季3勝と勝利数でトップです。既に35歳ですから「遅れてきたルーキー」という感じですが、187cmの長身から繰り出されるショットで、今後もツアーを湧かせてくれそうです。

 2013年10月末のHSBCチャンピオンズで優勝し、現在賞金ランク6位のダスティン・ジョンソン選手は現在30歳。そのプレー振りから、今後のPGAツアーを支えるアメリカ人プレーヤーと評価されています。但し、2014年に入ってからは、いざという時に力を発揮できないトーナメントが続いているのが気になるところでしょうか。

 10位のパトリック・リード選手は24歳、アメリカの若手のホープに育ちました。今季2勝を挙げていますが、2013年8月のウィンダム選手権で初優勝でしたので「最近の1年間で3勝」と絶好調ともいえます。1年間に3勝もしている割には、ここまでは比較的目立たないというか地味な印象ですが、「強い時にはとても強い」タイプのプレーヤーですので、今後の大きなトーナメントでは侮れない存在でしょう。

 4位のセルヒオ・ガルシア選手、5位のジム・フューリック選手、9位のジョーダン・スピース選手は、今シーズン優勝は無いものの、多くの大会で上位に食い込むことでトップ10入りを果たしています。

 ガルシア選手は、直近7月31日~8月3日のブリジストン招待でも、最終日トップでスタートしながらマキロイ選手に逆転を許すなど、惜しいゲームが数多くあります。
 世界ゴルフ界にデビューした頃は、その天才的なプレー振りから「神の子・ガルシア」と呼ばれたものですが、そのガルシアも34歳となりました。まだ果たしていないメジャー大会制覇に向けて、勝負強さを身に付けていただきたいと思います。

 フューリク選手も、5月のザ・プレーヤーズ選手権で2位、7月の全英オープンで4位、同じく7月のカナディアンOPで2位と、着々と上位に顔を出す活躍です。
 既に44歳ですが、2003年の全米オープンチャンピオンであり、フェデックスカップの年間王者にも輝き、PGAツアー通算12勝という実績を誇る大ベテランプレーヤーです。実力者が7月に調子を上げて来ていますから、全米プロやプレーオフシリーズに向けて、活躍が期待されます。

 スピース選手は、言わずと知れたアメリカ若手のホープです。アマチュア時代には、タイガー・ウッズ選手に匹敵する成績を残してプロ入り。2013年7月のジョンディアクラシック大会に19歳でツアー初優勝。10代でのPGAツアー優勝は82年振りと、タイガーが打ち立ててきた最年少記録に挑み続けている存在なのです。
 今シーズンも4月のマスターズでババ・ワトソンと優勝争いを演じての2位など、堅実な成績を残してはいるものの、優勝には届いていないのです。
 しかし、21歳になったばかりの若手プレーヤーですから爆発力がありそうですので、全米プロやプレーオフシリーズでの大活躍も十分期待できます。

 以上が、8月6日時点の賞金ランク・ベスト10でした。
 残り僅かとなった2013~2014年シーズンを占う意味で、興味深い内容だと感じます。

 日本人プレーヤーでは、松山英樹選手が24位に食い込んでいます。ザ・メモリアルトーナメントでのPGAツアー初優勝と共に、立派な成績です。故障から復帰途上でこれだけの成績を残すことが出来るのですから、凄いものです。

 賞金ランキングにおいて、その他で目に付くのは、11位のジャスティン・ローズ選手(イングランド)、13位のアダム・スコット選手(オーストラリア)の2プレーヤーでしょうか。メジャートーナメントにも強く、このところ世界ランキングでも常に上位を占めるインターナショナルプレーヤーの代表格です。
 
 ローズ選手は6月のクイッケンローンズ大会で、スコット選手は3月のクラウンプラザ招待で、今シーズンそれぞれ1勝を挙げて健在振りを示しています。
 ショットの良さには定評がある2人ですので、全米プロおよびプレーオフシリーズでも大活躍を魅せてくれそうです。

 「ビッグネーム」プレーヤーの順位も確認しておきましょう。

 全米オープンとマスターズを各1勝、計メジャートーナメント2勝のアンヘル・カブレラ選手(44歳、アルゼンチン)は48位。しばらくPGAツアーで勝っていないなと思っていたら今年7月のザ・グリーンブライアークラシック大会で優勝しました。さすがに「意外性のプレーヤー」です。
 調子に乗ったら手が付けられないタイプですので、この復活は他のプレーヤーの驚異でしょう。

 全米オープンと全英オープンにそれぞれ2勝、計メジャー大会4勝を誇る「ビッグ・イーズィ」ことアーニー・エルス選手(44歳、南アフリカ)は78位です。2012年の全英オープン以来優勝がありませんが、もともと大きな大会に強いプレーヤーです。まだまだ老け込むには早すぎますので、今後もあの素晴らしいスイングを魅せていただきたいと思います。

 マスターズ3勝、全英オープン・全米プロ各1勝、計メジャートーナメント5勝の「ビッグレフティー」ことフィル・ミケルソン選手(44歳、米国)は86位。昨2013年の全英オープンチャンピオンが、今シーズンはやや調子を落としている感じです。
 とはいえ、アプローチショットの切れ味は他の追随を許しません。エルス選手同様、こちらもまだまだ老け込む年齢ではありませんから、「ツアーの顔」としての活躍が続くことでしょう。 

 「ビッグネーム」を観ていましたら、3人とも44歳でした。そういえば前述のジム・フューリク選手も44歳です。

 カブレラが1969年9月生まれ、エルスが同年10月生まれ、フューリクが1970年5月生まれ、ミケルソンが同年6月生まれとなっています。
 こうした超大物ゴルファー4人が、1年の間に誕生しているというのも興味深いところです。

 さて、「賞金額」はプロプレーヤーの実力を測る最も有力な物差しのひとつです。最も重要な基準であるという意見も多数目にします。そもそも「賞金というのはプロフェッショナルの存在価値そのもの」であると言えるのかもしれません。

 現時点の1位ババ・ワトソン選手の賞金額は5,166,661ドル(約5億2千7百万円)、そして3位のジミー・ウォーカー選手の賞金額は5,074,340ドル(約5億1千8百万円)。その差は僅かに92,321ドル(約942万円)。

 「5億円を超える賞金額水準における10百万円未満の僅差の中で、3人のプレーヤーが凌ぎを削っている状態」は、PGAツアーのレベルの高さ・選手層の厚さを感じさせます。
 PGAツアーの賞金王というのは、ある意味ではそのシーズンのプロゴルファー世界一ということでしょう。
 プロゴルファー世界一になるのは、本当に容易なことではないのです。
 ウェーバー公示をすることなく、支配下のプレーヤーをトレードすることができる期限である7月31日、毎シーズンのことながらも今シーズンも大物プレーヤーの移籍が、各球団から発表されました。
 
 メジャーリーグのレギュラーシーズンも4ヶ月を経て、シーズンの成績の傾向が明確になってきていますから、「プレーオフ進出を目指すチーム」と「今シーズンは諦めて来シーズンに向けてチーム作りに入るチーム」との間で、トレードなどが行われるのです。

 チーム作りを目指すチームは、高い年俸のプレーヤーを放出し、若手・安い年俸のプレーヤーを獲得し、8月~9月のゲームで試してみるという形を取ります。
 結果として「高年俸の大物プレーヤーが7月末に放出される」事象が、毎年発生するのです。

[ボストン・レッドソックスBOSの場合]
① ジョン・レスター投手がオークランド・アスレティックスに移籍
② ジョン・ラッキー投手がセントルイス・カーディナルスに移籍

 BOSは「左右のエースピッチャーを放出」しました。投手陣を支えるエース「2人のジョン」を放出したのです。
 左のレスターは、今シーズンここまで10勝、右のラッキーは同11勝と、まさに2本柱と呼んでよい実績のピッチャーの放出。特にレスター投手は「BOS生え抜きのピッチャー」であり、高校卒業後8年間BOS一筋のプレーヤーでした。

 こうした「チームの顔」とも言えるプレーヤーを2人も平然と?放出するのは、いかにもメジャーリーグという感じですが、日本プロ野球NPBではなかなか見られないことかもしれません。
 例えば読売ジャイアンツなら、内海投手と菅野投手を同時に放出するようなものでしょうか。

 昨2013年シーズンのワールドシリーズWS覇者であるBOSは、今シーズンは地区最下位に沈んでいます。前年のワールドチャンピオンが翌年不成績なのは珍しいことではなく、近年では普通のことになっています。

 これは、WS優勝に貢献したプレーヤーの年俸が高くなってしまうので、シーズンオフに高給プレーヤーを放出することが多いためです。サラリーキャップが存在するMLBにおいては、ある程度致し方ないところで、結果として近時は「WS連覇は激減」しました。

 BOSも例外ではなく、一気に低迷してしまいましたから、「来季のチーム作り」を目指して、高給・大物プレーヤーを放出するであろうと、予想されていました。

 本ブログでも、「上原浩治投手がトレード要員となるのではないか」と心配していましたが、これは幸いにもありませんでした。もちろん、たまたま無かったのであって、相手チームの希望やトレード要員の構成によっては、上原投手に白羽の矢が立っても何の不思議もなかったと思います。

 この移籍により、BOSは年俸1,300万ドル(約13億3千万円)のレスターと年俸1,595万ドル(約16億3千万円)のプレーヤーを放出したことになります。もちろん、トレードで受け入れるプレーヤーも居ますが、来季に向けて「有望な若手に投資する資金」を確保できた形です。

[タンパベイ・レイズの場合]
① デビッド・プライス投手がデトロイト・タイガースに移籍

 デビッド・プライスと言えば、文句無しのレイズの大エースであり、2012年には20勝をも記録してサイ・ヤング賞にも輝いた、リーグを代表するピッチャーでもあります。
 大学を卒業してから「レイズ一筋」で6年間をプレーしてきた、「レイズの顔」でもあります。

 そのプライス投手が、7月31日に移籍したのです。
 2014年シーズンも、ここまで11勝を挙げチームの勝ち頭であったピッチャーを放出するのですから、レイズも今シーズンに見切りをつけて、来季への準備に入ったということでしょうか。

 それにしても、少し前まではアメリカンリーグAL東地区の弱小チームと呼ばれていたレイズが、地区優勝できるまでに力を付けてきた過程において、中心的な役割を果たし、サイ・ヤング賞まで獲得するピッチャーに成長した「生え抜きのエース」を、ポンと放出しているような印象を受けるのは、私だけでしょうか。

 ヤンキースやレッドソックスといった、有名プレーヤーが目白押しのチームならともかく、歴史が浅いレイズにとっては「貴重なビッグネーム」のように思いますが、そのプライスも「7月31日の要員」のひとりであったことは、毎年見て来ていることとはいっても、少しショックでした。

 BOSの2本柱の代わりやってきたのは、レスター投手の代わりがセスペデス選手(アスレティックス)、ラッキー投手の代わりがクレイグ選手(カーディナルス)と、共に「強打で鳴らす野手」でした。
 セスペデス、クレイグの2人も、相当の大物プレーヤーですから、チームにとっては痛い移籍だとは思いますが、アスレティックスもカーディナルスもプレーオフに向けて「勝ち星が読める好投手」がどうしても欲しかったということになります。

 2014年の7月31日も、アッと驚く移籍が目白押しでした。

 こうした「超大物」の移籍が、7月31日に突然発表されるというのもメジャーリーグなのですが、毎年毎年・何度もこうした移籍に遭遇してきているのに、なかなか慣れることは無く、いつも驚かされる日でもあります。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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