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 2007年11月16日、サッカー日本代表チームのイビチャ・オシム監督が脳梗塞のため自宅で倒れました。日本家屋の階段で倒れたのですが、身長190cmを超える巨体であったため搬出に手間取り、治療が遅れたとも伝えられています。幸い一命は取り留めましたが、代表監督の激務に耐え得る体では無くなりましたから、監督を引退したのです。

 私は、このオシム監督の引退が日本代表チームのサッカーの進歩にとって、とても大きな痛手となったと感じています。

 2014年ワールドカップにおいて1勝も出来ずにグループリーグ敗退という事実を見るにつけ、オシム監督健在なりせば、「オシムジャパン」がどのようなプレー・成績を魅せてくれたのかと、つい考えてしまいます。
 オシム監督が標榜するサッカーが、日本代表チームの強化にとって最も相応しいものではなかったかとも今も感じています。

 本稿は、2回に分けてイビチャ・オシム氏について見て行きたいと思います。

1. 世界屈指のフォワードプレーヤー

 オシム氏のプレーヤーとしての実績については語られることが少ないと思いますので、おさらいです。

 1959年に18歳でプロデビュー、ポジションはフォワードFWでした。当時のユーゴスラビアの首都サラエボのチームでした。
 そして、1964年東京オリンピックにユーゴスラビア代表チーム一員として来日、チームは準々決勝で敗れ、やはり準々決勝で敗退した日本チームと、順位決定戦を戦い6-1でユーゴスラビアが大勝したのですが、そのゲームでオシム選手は2得点を挙げています。ちなみに、このゲームには後の日本サッカー協会会長の川渕三郎氏も選手として出場していました。

 この来日で、オシム選手は日本という国に好印象を持ったと伝えられています。

 プレーヤーとしてのオシム氏のピークは、1968年の欧州選手権(第3回イタリア大会)における活躍でしょう。
 ユーゴスラビア代表チームの一員として大会に臨んだオシム選手は、チームの決勝進出に貢献しました。ユーゴスラビアは決勝でイタリアと戦い、引き分け再試合の末惜しくも敗れ準優勝でした。サッカー大国が闊歩する欧州選手権(ユーロ)での準優勝というのは、当然ながら素晴らしい成績です。また、この準優勝はユーロにおけるユーゴスラビア代表チームの最高成績でもあります。この頃のユーゴスラビアチームは、欧州屈指の実力を備えていたのです。

 オシム選手自身は、この大会のベストイレブンに選出されています。FWとしてユーロのベストイレブンに選出されたのですから、当時の欧州、ひいては世界屈指のFWプレーヤーであったことは間違いありません。

 身長190cmを超える、当時としては「超大型FW」としてのオシム選手は、素晴らしいプレーヤーだったのです。

 オシムは1978年に選手を引退しました。特筆すべきは選手キャリア12年間でイエローカードを受けたことが皆無であったことでしょう。極めてフェアなプレーヤーだったのです。プレーに対するこの考え方は、後のオシム監督の指導・采配の特徴としても受け継がれていると思います。

2. 「発展途上のチーム」の指導に注力した監督時代

 選手を引退したオシムは、1978年にかつて所属していたクラブチームのコーチに就任、1979年には監督となりました。監督として、当初から実績を上げていたようです。

 1982年にはユーゴスラビア代表チームのアシスタントコーチも兼任するようになりました。チームは1984年のロサンゼルスオリンピックでベスト4に進出しています。

 1986年にはユーゴスラビア代表チームの監督に就任しました。そして、1990年のワールドカップ・イタリア大会に出場しベスト8の好成績を挙げました。母国代表をワールドカップのベスト8に導いたのです。素晴らしい功績だと思います。

 1991年に入るとユーゴスラビアの国情が悪化し、国家は分裂へと向かってしまいましたので、代表監督としての活動も雲散霧消してしまいました。

 クラブチームおよび代表チーム監督としてのオシムの手腕は極めて高い評価を得ていましたから、この頃レアルマドリードやバイエルンミュンヘンといった、欧州屈指のビッグクラブから監督就任のオファーが有り、代表監督としてもクロアチア他複数のチームから監督就任のオファーを受けたのですが、オシムはこれらをすべて断り、1993年にオーストリア一部リーグのSKシュトゥルム・グラーツの監督となりました。
 そして2002年にオシム監督がクラブを離れるまでの間に、SK シュトゥルム・グラーツはUEFAチャンピオンズリーグに3度出場しています。

 監督としてクラブチームを率いるのであれば、有名クラブ・ビッグクラブを率いたいと考える監督が多いことでしょう。ビッグクラブは資金も豊富ですから、有能なプレーヤーを集めることが出来ますし、常に優勝を争うチームとして、欧州中・世界中から注目を集める立場です。加えて、年俸も高いでしょう。

 そして、オシム監督はレアルマドリードとバイエルンミュンヘンからオファーを受けているのです。この2チームは「ビッグクラブの中のビッグクラブ」と言える存在で、常に世界のトップに居るクラブです。世界中の監督の憧れの的と言っても過言ではないでしょう。
 しかし、オシム監督はこのオファーに見向きもせず、オーストリアのクラブの監督となったのです。SKシュトゥルム・グラーツも良いクラブでしょうけれども、正直に言ってレアルやバイエルンと比較されるようなクラブでは無いでしょう。

 この行動を見ると、オシムは「完成されたクラブ」ではなく、「発展途上のクラブ」の監督を選択したとしか言いようがないと思います。
 完成されたビッグクラブを指揮するよりも発展途上のクラブを指導し強くしていく方が面白いと考えたのでしょうか。その方が自らの力をより発揮できると考えたのでしょうか。真相は分かりませんが、なかなか出来ない決断であろうとも思います。

 結局オシム氏がビッグクラブやサッカー強豪国の監督に就くことはありませんでした。

 レアルやバイエルンの監督として、世界中のクラブチームの監督の頂点に君臨し、数々のタイトルを取り続けるという道を選ばず、無名の小さなクラブの監督を自ら選択するという行動は、まさに「イビチャ・オシムの哲学」と言えるものでしょう。

 年俸も大差であろうと思いますが、オシムは「お金に全くこだわりが無い」と伝えられています。後にジェフ市原の監督に就任した際も、契約書を見ないどころか、送られてきた書類の封も切っていなかったという逸話が伝えられています。自身の年俸など全く知らなかったのでしょう。
 これが、ビッグクラブの監督の座を見向きもしないという行動のベースになっている考え方ということなのでしょうか。

 そして、1992年にクラブオーナーとの対立から、9年も在籍したSKシュトゥルム・グラーツの監督を辞したオシム氏が、次に選んだクラブは日本のジェフユナイテッド市原だったのです。

 →(その2に続きます。)
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