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HOME   »  2014年09月14日
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 9月11日、ドイツ・ブンデスリーガの公式ホームページに「歴代日本人選手トップ10」が掲出されました。

 そもそも、歴代日本人プレーヤーのトップ10を選出出来る程に、ブンデスリーガでプレーする日本人選手が増えたことに感慨を禁じ得ません。凄いことです。

 さて、そのトップ10は以下の通り。
1位 奥寺 康彦
2位 香川 真司
3位 岡崎 慎司
4位 長谷部 誠
5位 内田 篤人
6位 宇佐美 貴史
7位 高原 直泰
8位 細貝 萌
9位 乾 貴士
10位 清武 弘嗣

 奥寺選手や高原選手といった、過去にプレーした選手もキッチリと押さえ、リーグ戦やカップ戦での実績も踏まえた、順当な選出だと思います。さすがはドイツというお国柄でしょうか。

 歴代1位の栄誉は、奥寺康彦選手の頭上に輝きました。極めて順当でしょう。

 今から37年前の1977年(昭和52年)、当時の日本リーグ1部古河電工に所属していた奥寺選手(25歳)は、ブンデスリーガ1部の1FCケルンとプロ契約を結び、以降1986年までの9年間に渡り同リーグでプレーしました。あの時代に世界トップクラスのリーグで活躍した日本人選手が居たということだけを取っても驚異的なことだと思います。
 この時代に、世界のトップリーグのクラブと契約している日本人選手は他に皆無でしたから、奥寺選手はまさに「世界トップリーグで戦う日本人プロサッカープレーヤーの草分け的存在」であり、長期間にわたって「唯一無二の存在」でした。
キング・カズこと三浦知良選手がブラジルのサントスFCとプロ契約を結んだのが1986年ですから、奥寺選手がドイツを去った年ということになります。

 そして、奥寺選手は「長期間にわたってブンデスリーガの有力チームでレギュラー」だったのです。
 現在では、世界トップリーグのクラブと契約する日本人プレーヤーはそう珍しくありませんが、レギュラー・先発としてその地歩を固めているプレーヤーは、残念ながら多くはありません。

 奥寺選手が左ウイングとして、日本人初の世界トップリーグのプレーヤーとなったばかりかレギュラーとして活躍し続けたことは、高く評価されるべきことでしょう。「海外トップリーグにおけるレギュラー度合」という物差し?があるとすれば、現在でも歴代日本人プレーヤーNO.1は奥寺選手でしょう。
 まだ、誰も奥寺選手を超えていないのです。

[奥寺選手のブンデスリーガにおける出場試合数(西暦表示はシーズン)]
・1977~78年 1FCケルン 20試合
・1978~79年 1FCケルン 24試合
・1979~80年 1FCケルン 30試合
・1980~81年 1FCケルン 1試合
・1980~81年 ヘルタ・ベルリン(2部) 25試合
・1981~82年 ベルダー・ブレーメン 30試合
・1982~83年 ベルダー・ブレーメン 34試合
・1983~84年 ベルダー・ブレーメン 29試合
・1984~85年 ベルダー・ブレーメン 33試合
・1985~86年 ベルダー・ブレーメン 33試合

1981年シーズンの途中で移籍したヘルタベルリンこそ2部リーグのチームでしたが、1FCケルンとベルダー・ブレーメンは、1部リーグのそれもトップクラスのチームでした。
 奥寺選手は1FCケルン時代の1977~78年シーズンでブンデスリーガ・リーグ優勝、ベルダー・ブレーメン時代の1982~83年・84~85年・85~86年にリーグ準優勝、1977~78年シーズンにDFBボカール(ドイツカップ=我が国の天皇杯に相当)優勝、1979~80年シーズン準優勝を経験しています。

 リーグ63試合連続出場記録を持ち、1シーズンのリーグ戦34試合の多くというか大半に出場していたのですから、レギュラーであったことは明らかです。
 「世界トップクラスのリーグのトップクラスのチームのレギュラーポジションで8シーズンに渡って活躍した日本人選手」は、これまで奥寺選手以外には存在しません。比類なき実績です。

 加えて
① UEFA(欧州サッカー連盟)主催の国際大会出場6度は、日本のみならずアジアで最多。
② 1978~79年のUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)で、日本人そしてアジア人として初ゴールを記録。
 等々、奥寺選手の記録を挙げて行くとキリがありません。

 左ウイングあるいは左ウイングバックとして、守備を担当しながら攻撃となれば一気にオーバーラップして相手ゴールを脅かすという奥寺選手のプレースタイルは、ドイツのサッカーファンに大いに支持されました。
 1FCケルン時代のへネス・バイスバイラー監督やベルダー・ブレーメン時代のオットー・レーハーゲル監督といった名将が、奥寺選手の運動量豊富で献身的なプレー振りを高く評価しています。

 そして「ブンデスリーガ1部で234試合に出場し26得点」という記録を残したのです。私は何より「234試合出場」が素晴らしいと感じます。

 現在でこそ「チーム毎のサラリー上限制度(チームの財政健全性維持の為の制度)」が厳然として存在するブンデスリーガは、欧州4大リーグ(スペイン、イギリス、ドイツ、イタリア)の中で、スペイン・リーガエスパニョーラやイギリス・プレミアリーグに比べて、プレーヤーの質で少し見劣りする(バイエルン・ミュンヘンを見ると全然そんな感じはありませんが)と言われますが、奥寺選手が活躍していた時代のブンデスリーガ1部は、欧州一でした。(1976~84年のUEFAリーグランキング1位)
何しろ、ピークは過ぎたとはいえ、フランツ・ベッケンバウアー選手やゲルト・ミュラー選手もプレーしていた時代なのです。

 そうしたブンデスリーガ全盛時に9年間もプレーし、レギュラーとしてリーグ優勝1回・準優勝3回、ドイツカップ優勝1回・準優勝1回という輝かしい実績を残したのです。

 奥寺選手は、東北・秋田県の出身ということもあってか、派手な言動・パフォーマンスとは無縁です。

 欧州サッカー4大リーグにおける、日本人プレーヤーとして並ぶもの無き実績を持ちながら、正直に言って日本国内での評価はそれほど高くないと感じます。これには、種々の要因・事情があるものと思いますが、奥寺氏自身の謙虚な性格も一因なのでしょうか。

 奥寺康彦選手は、出身国の日本においてより、サッカー先進国ドイツにおいて燦然と輝く星なのです。
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