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 2015年頭になっても、2015年シーズンの所属チームが決まらなかった日本人野手の活躍の場が決まりました。本当に良かったと感じます。

 イチロー選手は、マイアミ・マーリンズとの1年契約と報じられました。
 
 MLB通算3000本安打記録を目指すイチロー選手にとっては、「出場機会の多い球団」が望まれるところでしたが、マーリンズの外野陣は「ガチガチに固まっている」ところが気になります。

・ライトフィールダー ジョンカルロ・スタントン選手(25歳、右投右打、身長198cm・体重109kg)

 昨年11月に13年総額3億2500万ドルという「MLB史上最大の契約」を結んだことで知られる、現MLBにおける最高の外野手のひとりです。総額380億円強(1ドル117円換算)・1年平均29億円強という、あのアレックス・ロドリゲス選手の契約を大きく超える大型契約でした。この選手をマーリンズがレギュラーで使わないというのは、考えられないことです。
 ちなみに、2014年の成績は、145ゲームに出場し打率.288・155安打・37ホームラン・105打点・13盗塁・OPS.950。さすがです。特にOPS.950は、リーグに数人しか居ない、極めて高いものです。

・センターフィールダー マーセル・オズナ選手(24歳、右投右打、身長184cm・体重100kg)

 2014年シーズンにメジャーに定着した選手です。2014年は153ゲームに出場し、打率.269・152安打・23ホームラン・85打点・OPS.772。立派な成績を残しました。

・レフトフィールダー クリスチャン・イエリチ選手(23歳、右投左打、身長193cm・体重88kg)

 2010年ドラフトでマーリンズから1位指名(全体23位)を受け、2013年にMLBデビュー、2014年シーズンは144ゲームに出場し、打率.284・165安打・9ホームラン・54打点・21盗塁・OPS.764という素晴らしい成績を残しました。ドラフト1位の若手が、ついに本格化したシーズンと言えます。

 こうして見ると、マーリンズの外野手陣は2014年シーズンに固まった形です。3人とも若く、「今後10年間はマイアミ・マーリンズの外野陣は鉄板」とも言える体制でしょう。レギュラーは完璧に固まっているのです。

 ここに、外野手としてイチロー選手が加わるのですが、残念ながら「出場機会が多いとは思えない」チームです。
 
 それでも、種々の要素を考慮してマーリンズを選んだのだと思います。代打をきっかけとしての「途中出場」が多くなるとは思います。逆に言えば、ゲームの後半でイチロー選手が登場する機会は、これまでより増えるかもしれません。

 アメリカのマスコミ報道によると「イチロー選手の2015年シーズンの打席数予想は340」なのだそうです。こうした分析を行うところが、いかにもスポーツ大国・情報大国・アメリカらしいところですが、シーズン162ゲームで割ると1ゲーム2.1打席となります。思ったよりは多いという印象。ひょっとすると、相手投手の右投・左投によって、オズナ選手との交替先発という可能性を考慮しているかもしれません。
 この340打席で、何本のヒットが打てるかというのが、2015年シーズンのイチロー選手の注目点でしょうか。

 もちろん、上記3選手が故障する可能性も有るのでしょうが、25歳以下の若手で、1人のスーパースターと2人のMLBレギュラーをようやく勝ち取ったプレーヤーの怪我・故障を予想するのは、現実的ではないでしょう。

 イチロー選手は、慣れ親しんだ51番の背番号の下、その比類なき打撃と守備を披露し続けることで、着実に出場機会を増やして行っていただけるものと思います。

 一方、青木宣親選手はサンフランシスコ・ジャイアンツ入りが報じられました。

 2014年のワールドシリーズで、当時青木選手が所属していたカンザスシティ・ロイヤルズとサンフランシスコ・ジャイアンツが第7戦まで縺れ込む激闘を繰り広げたことは、記憶に新しいところですが、青木選手はその対戦相手であったジャイアンツと契約を交わしたのです。

 ワールドチャンピオンであり、2010年代のMLB最強チームとも呼ばれるジャイアンツですが、意外なことに「外野陣が固まっていなかった」のです。

 ジャイアンツの外野手と言えば、まずは「独特の打撃フォーム」を誇るクラッチヒッター、髭のハンター・ペンス選手がライトフィールだーとして頑張っています。そしてセンターフィールダーとしては、アンヘル・パガン選手が居ます。
 ところが、レフトフィールダーが固まっていないのです。

 2014年シーズンで活躍したマイケル・モース選手はマイアミ・マーリンズに移籍しました。何か、イチロー選手の居るマーリンズに移籍したプレーヤーの後釜を、青木選手が狙うというのも少し因縁めいています。

 そのレフトを青木選手と争うのが、2014年の準レギュラーであったグレゴール・ブランコ選手(31歳)でしょう。2014年は打率.260・102安打・5本塁打・38打点・16盗塁・OPS.707というシュアなプレーヤーです。特にOPSが7割を超えているところから「出塁率が高い」選手ですから、青木選手とのレギュラー争いは熾烈なものになりそうです。

 とはいえ、青木選手がレギュラーを勝ち取る可能性は十分に有りますし、ジャイアンツの外野陣の層の厚さを示すこととなるかもしれません。

 41歳のイチロー選手と33歳の青木選手は、2015年シーズンに臨む心構えと言う意味では、少し異なるのかもしれませんが、共に「1年契約」という点からは「勝負のシーズン」であることは、間違いありません。

 メジャーリーグにおける「日本人野手の伝統を引き継ぐプレーヤー」としての、イチロー選手・青木選手の大活躍が期待されます。
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 錦織圭選手が全豪オープン2015でベスト8に進出しました。

 ベスト8のゲームでは、スイスのワウリンカ選手に敗れましたけれども、1回戦から4回戦までのゲームも含めて、見事な活躍であったと思います。(ご本人は不満なのかもしれませんが)

 1回戦のアルマグロ選手(スペイン)、2回戦のドディグ選手(クロアチア)、3回戦のジョンソン選手(アメリカ)、4回戦のフェレール選手(スペイン)とのゲームは、危なげ無い内容でした。
 2回戦と3回戦では第1セットを落としましたが、第2セット以降は問題点に対応し、テニスの内容を変更して臨み、キッチリと勝ち切っていました。

 そもそも、日本人プレーヤーがテニスの4大大会でベスト8に進出すること自体が、少し前までは考えられないことでした。
 例えば日本人選手が、ゴルフのマスターズ大会や全米オープン大会でベスト8に入ることや、陸上競技の短距離・中距離のレースでオリンピックや世界選手権の「決勝レース」に進出することは、現在でも至難の業です。
 そうした成績を、何か「当たり前のような雰囲気」で実現してしまうところが、錦織圭選手の凄いところです。

 全米オープン2014での決勝進出という快挙のせいもあってか、全豪オープン2015に際して日本のマスコミは「4大タイトル初制覇なるか」といった論調で臨みましたが、錦織選手による4大大会ベスト8進出は、「今大会が3度目」なのです。

 過去にベスト8に進出したのは、全豪オープン1回と全米オープン1回の2回だけでした。その僅か2回目において、決勝進出まで果たした(全米オープン)ことは素晴らしいことなのですが、「錦織選手が4大大会のベスト4以上に常時進出できるプレーヤー」にまではなっていないことも、認識しておくべきでしょう。

 今大会の結果を踏まえて、まずは「4大大会で常時ベスト8に進出できる力」を具備していただきたいものだと思います。(大変我儘な要望で恐縮です)

 当然ながら、これだけレベルアップした世界のテニス界ですから、4大大会ベスト8進出は、極めて高いハードルです。
 今大会でも、現在の「世界三強」の内の2人、ナダル選手・フェデラー選手が、4回戦までに姿を消しました。
 世界ランク50位~100位位の選手でも、その日の彼我の調子によっては「トップ10以内の選手」を破る力があるのでしょう。

 こうした状況下、錦織圭選手は着実に実力を上げています。その実力向上度合いが、よく分かる全豪オープン2015であったと思います。
 その試合の映像が、2015年1月24日のNHK-BS放送で流れました。

 何度も見た映像なのですが、再び見入ってしまいました。

 懐かしい映像が有りました。

 球場は、サンフランシスコのキャンドルスティックパーク。MLBサンフランシスコ・ジャイアンツとNFLサンフランシスコ49ersが共用で使っていたスタジアムです。
 海に近いせいで潮風の影響を受けるためか、いつも芝の状態が良くないスタジアムでした。

 この年、ロサンゼルス・ドジャーズに入団した野茂投手のデビュー先発は、宿敵ジャイアンツ戦だったのです。
 1回裏2アウトとした野茂投手でしたが、3番バリー・ボンズ選手、4番マット・ウィリアムズ選手、5番ヒル選手と連続出塁を許して2死満塁のピンチ。自身の四球連発で招いたピンチでしたから、ここで失点するようでは大きなダメージとなるところでしたが、続くクレイトン選手をフォークで三振に切って取り、事無きを得ました。
 無失点でマウンドから降りてくる姿は、初々しくも大変嬉しそうです。

 懐かしい映像でした。

 野茂選手は、まだとてもスリムです。そして、ボンズ選手もとてもスリムです。

 この後、打つ・走る・守るの三拍子が揃っていたボンズ選手は、打つ・特にホームランを打つことに特化した「肉体改造」を行い、1シーズン73ホームラン、通算762ホームラン等々のMLB史上に残る大記録を打ち立てましたが、一方で「薬物疑惑」に巻き込まれてしまい、その成績は正面から評価されているとは言い難い状況にあります。

 成績から観れば、間違いなく「野球殿堂入り」するプレーヤーですが、毎年の投票では殿堂入りにほど遠い得票しか得ることが出来ないのです。
 アメリカ社会の「アン・フェア(不公正)」に対する嫌悪は、想像以上に強く深いものなのでしょう。

 この1月24日の映像には、しかし、快足を武器にどんどん盗塁を狙っていく、「若き日のボンズの姿」が在りました。
 MLB史上唯一の「500盗塁・500ホームラン」プレーヤーの面目躍如たる姿でした。

 野茂英雄投手も、日本プロ野球NPBからMLBに渡った直後の姿でした。若くて細いシルエットです。この後、どんどん筋肉の鎧を纏い、がっしりとした体格を造り上げて「両リークでのノーヒッター達成と言う偉業」を成し遂げるのです。

 このデビュー登板について聞かれた野茂投手は「夢がかなった日だから忘れ難い」と答えています。

 大投手・野茂英雄にとって、メジャーリーグのマウンドは「夢」だったのです。

 野球・ベースボールを職業とし、プロフェッショナルとなり、食べて行く手段としたのです。
 そして、ビッグマネーを手にしました。

 その野茂英雄投手が、MLBデビュー戦の登板を「夢がかなった日だから忘れ難い」と評するのです。
 超一流のプロフェッショナル・アスリートしか持ち得ない心持ちであろうと、私は思います。
 今年1月13日の記事「世界3大・競馬の祭典」の中で、近時は中距離、特に1600m~2000mのG1レースが多いと書きました。現代は、中距離馬全盛の時代なのです。

 もともと12ハロン・約2400mあるいはそれ以上の距離で争われていた重賞競走が、中距離中心に変化して行った時期は1970年代であろうと思います。
 そして、その1970年代の初頭にイギリスに「中距離の名馬」が登場したのです。

 それが、ブリガディアジェラードでした。

 ブリガディアジェラードは1970年6月にデビューし、2歳時に4戦4勝という優秀な成績を残しました。
 しかし、この年のフリーハンデ(ジョッキークラブ作成)は、マイスワローがトップ、ミルリーフが2位、ブリガディアジェラードは3位に留まりました。

 「名馬は同時期に複数登場する」と言われますが、確かにヨーロッパの12ハロンの大レースを悉く制覇したミルリーフとブリガディアジェラードが同期で、同じイギリスで走っていたというのは、何とも言えない位凄いことであり、不思議なことです。

 翌1971年、3歳となって、この2頭の名馬、マイスワローを含めれば3頭の強豪馬は当然の様にクラシック緒戦の2000ギニー競走に出走しました。1番人気はミルリーフ、2番人気はマイスワロー、3番人気がブリガディアジェラードでした。
 後から見ると、8ハロン・1マイル・約1600mの2000ギニー競走でブリガディアジェラードが3番人気というのは考えられないことなのですが、強豪馬、それも歴史に残る強豪馬が同期の場合に、こうした不思議な現象が起こるのです。

 ブリガディアジェラードは、2000ギニーを圧勝しました。2着のミルリーフに3馬身差を付けての勝利でした。

 そしてここからがブリガディアジェラード陣営の凄いところで、クラシック緒戦を圧勝しながらダービーステークスには進まず、セントジェームズパレスステークス(G1、1マイル)、サセックスステークス(G1、1マイル)、クイーンエリザベス2世ステークス(G1、1マイル)といったマイルの重賞レースを4連勝したのです。 秋には、初めての10ハロン重賞であるチャンピオンステークス(G1)に挑み、接戦ながらこれを制しました。
 3歳時6戦6勝・内G1レースが5勝という、素晴らしい成績でした。(グレード付けは後に行われたもので、現在のグレードを表示。以下同じ。)

 この間、ライバルだったミルリーフはダービー(12ハロン・約2400m)を快勝し、エクリプスステークス(G1、10ハロン・約2000m)に勝ち、続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1、12ハロン)を2着に6馬身差で圧勝しました。
 秋には凱旋門賞に臨み、これをレコードタイムで快勝したのです。
 3歳馬にして、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと凱旋門賞を制し、英国ダービーも含めた、所謂「欧州3大レース(いずれも12ハロン)」に優勝したミルリーフは、この年の欧州年度代表馬に選出されました。

 このミルリーフの成績、6戦5勝・内G1レース5勝・内3勝が欧州3大レース、というのは文句の付けようが無いもので、欧州年度代表馬も至極当然なことなのでしょうが、そのミルリーフが唯一敗れたのが2000ギニー競走であり、その勝者はブリガディアジェラードだったのです。

 この年のフリーハンデは、ミルリーフが133ポンドで首位、ブリガディアジェラードは129ポンドで2位でした。

 1972年に入り4歳となったブリガディアジェラードは、エクリプスステークス(G1・10ハロン)への出走を表明、ミルリーフも3歳時に続く連覇を目指して出走することとなりましたから、この2頭の2度目の対決に注目が集まりました。
 これ程の実績を積み上げて来た2頭にとっては、距離10ハロン・約2000mが、唯一の「共通距離」だったのでしょう。

 しかし残念ながら、ミルリーフが発熱を理由に出走を断念してしまい、2頭の名馬の再戦は実現しませんでした。
 ミルリーフの居ないエクリプスステークス1972を、ブリガディアジェラードは快勝しました。

 この勢いを駆って、ブリガディアジェラードはついに12ハロンのレースに挑みました。この年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに挑戦したのです。そして、これを勝ち切りました。最強マイラーとして、欧州3大レースのひとつ・12ハロンのレースをも制したのです。
 そして同時に、「デビュー以来15連勝」という大記録も達成しました。(当時というか、現在でもイギリス競馬史上トップタイの記録だと思います)

 7月22日にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに優勝したブリガディアジェラードは、続いて8月15日のベンソン&ヘッジズゴールドカップ(G1、約2100m)に挑むことになりました。デビュー以来連勝の欧州記録である16連勝に挑む舞台が用意されたのです。

 しかし、やはりキングジョージの疲労が残っていたのでしょう、このレースで2着に敗れたのです。このレースの勝ち馬は、この年の英ダービー馬ロベルトでした。(ロベルトは日本競馬とも関係が深く、リアルシャダイやブライアンズタイムの父です)

 あれだけブリガディアジェラードの中距離への適性を信じて、慎重に走らせてきた陣営が、魔が差したかのようなローテーションであったと感じます。キングジョージにさえ勝ったのだから、今度も大丈夫だと考えたのでしょうが、この2着がブリガディアジェラード唯一の敗戦となりました。
 一定の休養後の出走であれば、あのリボーに並ぶ「デビュー以来16連勝」は十分に手の届くところにあったと思います。

 初の敗戦後、クイーンエリザベス2世SとチャンピオンS(共にG1)を連覇して、ブリガディアジェラードは引退しました。
 この年・1972年の成績は8戦7勝、イギリスの年度代表馬となりました。

 ブリガディアジェラード号、父クイーンズハサー、母ルパイバ、通算18戦17勝・2着1回。グレード制導入後のグレードを当て嵌めてみると、少なくともG1レースを10勝しています。

 世界の競馬をリードする存在であるイギリス競馬に「中距離馬」という概念を根付かせたサラブレッドであり、現在でもイギリス競馬史上最も人気が有ると言われているブリガディアジェラードは、「元祖・中距離の名馬」であろうと思います。

 そして、もちろん世界競馬史上に燦然と輝く「稀代の名馬」であることも間違いありません。

 現在の競馬界においては、2010年~2012年に活躍し14戦14勝・内G1レース10勝の優駿フランケルとの比較を時々目にします。「史上最強の中距離の名馬」はどちらか、という視点の採り上げです。

 共に、クラシックレースである2000ギニーを勝っていますから、私はブリガディアジェラードとフランケルは互角であろうと思いますが、強いて言えばフランケルが走っていない12ハロンの大レース・キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制している分だけ、中距離馬のスピードで12ハロンの大レースを押し切る能力があることを証明して見せた分だけ、ブリガディアジェラードの方が上かとも感じます。

 40年の月日を経ての比較は極めて困難なものでしょうが、ブリガディアジェラードが確立した「中距離路線というステージ」で、フランケルが評価されていることは間違いないことなのでしょう。
 大相撲2015初場所14日目の、逸ノ城と照ノ富士の取組は、幕内では6年振りの「水入り」大相撲となりました。

 立ち合いから「右四つがっぷり」の形になって長引くのは、両力士の取組では珍しいことではないのですが、今場所は「一層長引いた」のです。

 右四つがっぷりから攻めたのは逸の城でした。寄り立てたり、照ノ富士の上手を切りに行ったり、何度か攻めましたが、照ノ富士はこれを凌ぎます。
 そして取組の時間が3分を越えて、審判から「水入り」の声がかかりましたが、行司も滅多に無いことのためか対応が遅れ、水入りの声が両力士に伝達され、両力士の動きが止まったのは、立ち合いから3分17秒が過ぎた頃でした。

 暫くの休みの後、行司が両力士の脚の位置や組手を「水入り前の状態にセット」して、再開されました。
 再開後も、逸ノ城の攻め、照ノ富士の守りという「基本型」が続き、ついに逸ノ城が寄り切りました。トータルで5分近い「大相撲」でした。
 超満員の国技館内は「拍手喝采、雨あられ」。6年振りの水入り相撲が、「大相撲の将来を支えて行くであろう2人力士」の取組で観られたですから、この日の観客は「ツイていた」ということになるのでしょう。

 取組後の両力士は「疲れた。腕がバンバン。」といった共通したコメントでした。

① 「水入り」相撲の減少

 「水入り」相撲は、昔からそう多く見られるものでは無かったのですが、30年~40年ほど前なら「1場所に1番」位は見られた感じがします。
 さすがに「6年振り」ということはなかったのでしょう。

 「水入り」相撲の減少は、「四つ相撲の減少」を表している事象だと考えます。

 30~40年前の大相撲では「四つ相撲」が多かったのです。相四つ・喧嘩四つといった言葉も、頻繁に登場し、「この取組は喧嘩四つだから、どちらの力士の組手になるか」といったことが、勝敗予想において重要な要素だったのです。

 それが、「押し相撲」「離れて取る相撲」の台頭により、減少して行きました。

 代表的な例が、横綱・曙の相撲と横綱・武蔵丸の相撲だと思います。
 曙は「強烈な押し相撲」で一時代を築きました。武蔵丸は、組み合うことなく離れて取りながら、「もりもりと押して行く相撲」で土俵を席巻したのです。

 この2人の横綱の相撲は、それまでの「四つ相撲主体」であった相撲界を、大きく変えたように感じます。

 現在でも、「押し相撲」「離れて取る相撲」の力士の数が「四つ相撲」の力士数を上回っていますから、そもそも「がっぷり四つ」の相撲がなかなか見られないのです。「がっぷり四つ」の相撲でなければ、なかなか「水入り」相撲にはなりません。3分以上押し合ったり、離れて相撲を取り続けるというのは、無理なのでしょう。

② 「もっと早く勝負を付ける相撲」を取るようにしなければ・・・。

 この日のNHKテレビ放送の解説者は九重親方(元横綱・千代の富士)でした。
 この水入り大相撲について、「もっと早く勝負を付けるような相撲を取らなくてはいけない」と注文を出していました。

 「こんな相撲を取っていては、疲れが何日も残ってしまう。15日間の本場所で好成績を挙げようとすれば、早く勝負を付けられる相撲を取らなければならない」ともコメントしていました。

 さすがは千代の富士と感じました。
 本場所を15日間の競技として捕え、日々の取組に臨むという考え方。31回の優勝を誇る大横綱ならではの視点でしょう。

 私は、この「逸ノ城VS照ノ富士」の水入り大相撲に喝采を送りました。九重親方としても「取組としては高評価」を与えたのでしょうが、将来有る両力士にはアドバイスも送ったのでしょう。
 九重親方理指摘通り、その後の放送で「クタクタで両手がバンバン」という、両力士のコメントが紹介されました。

③ 「逸ノ城VS照ノ富士」は将来の「横綱同士の取組」?

 この大相撲を観て、このように感じたのは私だけではないでしょう。

 身長191cm・体重180kg・23歳の照ノ富士関と身長192cm・体重202kg・22歳の逸ノ城は、その体格・素質・運動能力・性格等を観れば、将来の横綱候補であることは、間違いないでしょう。

 照ノ富士と逸ノ城は、鳥取城北高校時代にも同じ寮の同じ部屋に住んでいた関係であり、逸ノ城は、何かあると照ノ富士にアドバイスを受けに行く、とも伝えられています。照ノ富士が「お兄さん役」なのです。

 これだけの「天賦の才」に恵まれた2人が、支え合って出世して行くというのですから、容易には止めることが出来ないでしょう。
 2014年11月場所・2015年1月場所と2場所連続で関脇の地位に居た逸ノ城は、6勝9敗と負け越しましたから、3月場所では平幕に落ちるでしょう。一方で、東前頭2枚目で8勝7敗と勝ち越した照ノ富士は、3月場所で新三役に上がることは確実ですし、関脇となる可能性も十分です。

 こうして、照ノ富士と逸ノ城は「三役の経験」も経験するのです。

 2015年中に、照ノ富士と逸ノ城が「大関に昇進」する可能性は低くないと感じますし、同時昇進も有り得るでしょう。
そして、白鵬を始めとする横綱陣にとって現在最大の脅威は、現在の大関陣では無く、この2人の力士であろうとも思います。

 大相撲人気が沸騰した2015年1月場所において、相撲の神様は「逸ノ城と照ノ富士という将来の横綱同士の取組」を、相撲ファンに印象づけてくれたような気がします。
 大相撲2015初場所は、横綱・白鵬が15戦全勝で優勝し、通算優勝回数を33として、元横綱・大鵬の32回の記録を抜き、史上単独トップに躍り出ました。

 今場所の白鵬の相撲内容は決して万全とは言えず、前半の勢や高安との取組、13日目の大関・稀勢の里との取組などは、土俵際での際どい勝負となりましたが、勢戦・高安戦は僅かに凌いで勝ち切り、稀勢の里戦は取り直しの末下しました。

 「終わってみれば全勝」という感じの場所だったのかもしれません。

 とはいえ、早々と13日目に優勝を決めたのですから、「白鵬と他の力士の力の差は極めて大きいこと」も事実です。
 全体として、今場所の白鵬の相撲は「ミステリアス」な雰囲気であったと思います。

 13日目に優勝を決めた後、横綱・日馬富士が取材に応えて「なにかに憑りつかれているような感じがする。」とコメントしていましたが、的確に今場所の白鵬を表したものだと感じます。
 千秋楽の稀勢の里戦の圧勝を観ても、比較的好調であった日馬富士でも「結果として全く歯が立たなかった白鵬の相撲内容」は、「何かに憑りつかれた様」な印象を与えたのでしょう。

 大横綱・白鵬といっても、さすがに全盛期は過ぎています。決まり手も、右四つからの「寄り切り」が多かった4・5年前とは異なり、離れて取りながらの多様な決まり手が並びます。

 各力士も「白鵬得意の右四つに組み止められては分が悪い」と考えての立ち合いの工夫を展開し、白鵬自身もスピード・力ともに衰えつつある状況下、2014年の初めころから「新しい相撲」を白鵬が展開しているのです。

 立ち合いから離れて取り、相手の動きを観ながら次々と技を繰り出す、はたき・いなしで相手力士のバランスを崩したり、組んでいても「押したり・引いたり・左右に体を動かしたり」しながら、投げ技に結び付けたりと、自在な相撲です。
 今の横綱・白鵬は「素晴らしい技能力士」なのでしょう。対象ではないのですが、毎場所「技能賞」を受賞すべき力士の様に感じます。

 こうした白鵬の技能相撲に、他の力士は全く歯が立ちません。土俵際の縺れにしても「縺れる前に押し出してしまおう」という戦術であり、例えばゴルフのパッティングで「曲がる前に入れてしまおう」と強く打つのに似ています。
 際どい勝負になろうとも「相手力士が白鵬のスピードや思い切りを上回ることは至難」のように思います。

 横綱・白鵬は、「絶対の型」がなかなか作れなくなった状況下、新しい技能相撲を展開することで、次の時代を開いたのです。
 現状の他の力士との大きな力量差を勘案すれば、当分は2度目の白鵬全盛期が続くように感じられますが、一方で「盤石では無い」という意味からすれば、「後の無い相撲を取っている」とも言えるのでしょうから、この技能相撲に相手力士が慣れてくれば、例えば千秋楽の横綱・鶴竜戦のように「四つになり下手が取れない状況」では、さすがの白鵬も何もすることが出来ず、「けたぐり」まで繰り出したことを考え合わせれば、十分につけ入る隙があるようにも思います。

 いずれにしても、空前の記録と言われた「大鵬の32回」を越えた白鵬の偉業は、文句なしに素晴らしいものです。
 
 そして、白鵬自身が優勝力士インタビューで述べていたように「横綱になって8年間、巡業も含めて1日も休まず出場し続けてきたこと」は、どれほど高評価しても足りない程の偉業ですし、4~5年前に大相撲界を襲った「野球賭博事件」「八百長事件」等々の大ピンチを乗り越えるに際しての「一人横綱・白鵬」の貢献も、はたして「他の力士で可能であったのか」という視点から観れば、この心身ともに強靭な力士がこの時期に居てくれたことに、全ての大相撲関係者は心から感謝しなくてはならないでしょう。

 白鵬関、33回目の優勝、おめでとうございました。
 第49回スーパーボウルが迫って来ました。ニューイングランド・ペイトリオッツとシアトル・シーホークスのゲームが、現地2月1日・日本時間2月2日に、アリゾナ州グレンデールのユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアムにおいて開催されるのです。

 スーパーボウルは、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のシーズンチャンピオンを決めるゲームのことですが、アメリカ合衆国最大のスポーツイベントとされています。

 世界一のスポーツ大国であるアメリカにおける最大のスポーツイベントということは、毎年行われるものとしては、世界最大のスポーツイベントと言っても良いでしょう。

 スーパーボウルは、何時の時代も大変楽しみなイベントですが、スーパーボール2015も見所が満載です。例年以上に興味深いゲームであると感じます。

① 両カンファレンスのレギュラーシーズン1位同士の対決であること

 今スーパーボウルは、NFLを構成する2つのカンファレンス、NFC(ナショナルフットボール・カンファレンス)とAFC(アメリカンフットボール・カンファレンス)の両カンファレンスのレギュラーシーズンの成績がトップの2チームが、ポストシーズンゲーム・プレーオフを勝ち抜いて進出してきました。

 日本プロ野球NPBに例えれば、セントラル・リーグとパシフィック・リーグのペナントレース優勝チームが、クライマックス・シリーズを勝ち抜いて日本シリーズで対決するようなものです。

 両カンファレンスの成績1位のチームがスーパーボウルで激突するのは、そうそう有る訳ではありません。ワイルドカード・プレーオフという、ポストシーズン最初のゲームを制したチームが勢いに乗って、一気にスーパーボウルに進出するということが続いた時期もありました。

 もちろん、カンファレンスの成績5位・6位のチームがプレーオフを勝ち上がりスーパーボウルに進出するのも、下剋上という意味で大変面白いのですけれども、今年の様に「両カンファレンス1位同士の対決」というのは、まさしくNFL2014~2015シーズンの王者を決めるに相応しいと感じます。

② 新旧王者の対決の様相

 AFC代表のニューイングランド・ペイトリオッツは、NFLにおける「21世紀最強のチーム」と呼ばれています。
 2002年、2004年、2005年と3度のスーパーボウル制覇を遂げていますし、2008年と2012年にもスーパーボウルに進出しています。21世紀に入って5度スーパーボウルに進出し3度優勝しているという、他のチームの追随を許さない圧倒的な強さ・成績を残してきたのです。

 「ペイトリオッツ王朝」という言葉に代表されるように、2013年までの21世紀のNFLの王者がペイトリオッツであることは、異論の無いところでしょう。

 NFC代表のシアトル・シーホークスは、前回のスーパーボウル2014優勝チームです。そして、今回もスーパーボウルに進出してきました。
 
 もし、今回も優勝するようなことが有れば「スーパーボウル連覇」という偉業達成になります。それは、前述のペイトリオッツによる2004・2005年シーズンの連覇以来の快挙となるのです。
 
 私は、もしスーパーボウル2015でシーホークスが優勝したら、「ペイトリオッツ以来の連覇」ということ同時に、「王朝の交替」を意味すると思います、

 スーパーボウル2015は、NFLの時代を変えるゲームになるかもしれないのです。

③ 戦力比較

 レギュラーシーズンの成績を比較してみましょう。順位はリーグ全体32チーム中の順位です。

[ペイトリオッツ]
・12勝4敗
・オフェンス パス攻撃9位・ラン攻撃18位
・ディフェンス パス守備17位・ラン守備9位

[シーホークス]
・12勝4敗
・オフェンス パス攻撃27位・ラン攻撃1位
・ディフェンス パス守備1位・ラン守備3位

 こうしてレギュラーシーズンの成績を見ると、明らかにシーホークスが上回っています。特に「ディフェンス」においては、シーホークスは今シーズンNFL・NO.1の力を示しています。
 また、ラン攻撃においても1位となっているのです。
 ペイトリオッツが勝っているのは「パス攻撃」のみということになります。

 シーホークスのラン攻撃1位・ラン守備3位という素晴らしい成績は、オフェンス陣・ディフェンス陣の両方の「ラインが極めて強力」であることを明示していると思います。このチームほど、攻撃・守備の両面で強力なラインを保持しているチームは、NFL史上でも珍しいのではないでしょうか。

 加えて、ラン攻撃1位という成績は、強力なランナーの存在を示しています。ランニングバックRBマショーン・リンチ選手とクオーターバックQBラッセル・ウィルソン選手の存在です。
 
 マショーン・リンチ選手は、今シーズン16ゲーム全てに出場し280回のランで1,306ヤード獲得という、見事な成績を収めました。1ゲーム平均81.6ヤード獲得、1回のラン平均で4.7ヤードと、まさに「エースランナー」なのです。

 ラッセル・ウィルソン選手は、QBながら全16ゲームに出場し、118回のランで849ヤードを獲得、1ゲーム平均53.1ヤード獲得、1ラン当たり7.2ヤード獲得という、RBの成績として見てもハイレベルと言えます。
 まさに「モバイルQB」を代表するプレーヤーです。

 2人合計でシーズン2,000ヤードを優に超える前進を見せた、リンチ選手とウィルソン選手によるラン攻撃を止めるのは、至難の業と言えるでしょう。

 また、シーホークスのディフェンス陣は、前述の「強力ライン」に加えて、アウトサイド・ラインバッカーOLBのブルース・アービン選手やコーナーバックCBリチャード・シャーマン選手、ストロング・セイフティーSSのカム・チャンセラー選手といった、強力な第二列、超強力なセカンダリーを擁しています。
 例えば、ブルース・アービン選手は6.5サック+2インターセプト+2インターセプト・リターン・タッチダウンという八面六臂の活躍を見せていますし、リチャード・シャーマン選手は4インターセプトを記録しています。そして、アービン・シャーマンの両選手共に、身長191cmと長身なのです。

 シーズン7サックを誇るマイケル・ベネット選手(ディフェンス・エンドDE)、や同5サックのDEクリフ・アブリル選手といった、強力でかつ動きが良いラインメンと、抜群の運動能力を誇るラインバッカーLB陣、そして「パスを防ぐだけでは無く、インターセプトを取りに行くセカンダリー陣」という、シーホークスの守備陣は、そのフィジカル面を見ればNFLの歴史上でも屈指の存在でしょう。

 一方のペイトリオッツは、攻撃・守備共にNFL全体の中で飛びぬけているという項目が有りません。にもかかわらず、AFCでシーズントップの成績を残し、プレーオフゲームも「危なげ無く」勝ち上がって来ています。
 「試合運びが抜群に上手い」ことを示していると思います。

 まさに、QBトム・ブレイディのマネジメントと、ヘッドコーチHCビル・ベリチックを中心にしたベンチワークが相俟って、超強力なスタープレーヤーが居なくとも、キッチリと勝ち切るチーム造り・ゲーム創りを示現しているのでしょう。

 そのペイトリオッツ攻撃陣のカギを握るのは、パス攻撃です。NFL史上屈指の実績を誇るQBトム・ブレイディ選手から投ぜられるパスは変幻自在かつ正確。

 タイトエンドTEのロブ・グロンコウスキー選手は15ゲームに出場し、82回のパスキャッチ、1,124ヤードを獲得して、チームの稼ぎ頭です。身長198cm・体重120kgという大型TEであり、人にも強い選手ですから、「いざという時」に最も多くブレイディ選手のターゲットとなっています。12タッチダウンTDもチームトップ。レッドゾーン・オフェンスにおいても、ペイトリオッツ攻撃陣の核となるプレーヤーなのです。

 加えて、ワイドレシーバーWR陣が多彩で強力です。
 ジュリアン・エデルマン選手とブランドン・ラフェル選手が双璧だと思いますが、エデルマン選手は92回のキャッチで972ヤードを獲得、ラフェル選手は74回のキャッチで953ヤードを獲得、TDは4回と7回と、非常にバランスよく投げられていることが分かります。

 さらにRBのシェーン・グリーン選手は、全16ゲームに出場して、52回のパスキャッチで447ヤードを獲得して、チームで4番目のレシーバー成績を残しています。もちろんRBですから96回のランで391ヤード獲得もしているのですが、グリーン選手の存在は、ペイトリオッツ攻撃陣の多様性を示しているのでしょう。
 
④ クオーターバック対決

[トム・フレイディ(ペイトリオッツ)]

 言わずと知れた、現在のNFL最高のQBのひとり。身長193cm・体重102kg、37歳、NFL16年目。スーパーボール制覇3回は現役最多。

 ブレイディ選手は、NFLの伝統的なQBのプレーを主体としていますが、ここぞという時にはQBランを交えます。相当危険なプレーにも挑むところが、ブレイディのブレイディたるところでしょうか。

 既にスーパーボウルに5度出場し3度優勝という圧倒的な実績を誇ります。スーパーボール2004の32回のパス成功やスーパーボール通算パス記録など、スーパーボウルに関する史上最高記録を沢山保持しています。

 スーパーボウル経験の豊富さでトム・フレイディ選手に勝るQBは現在存在しませんが、これがプラスの面だけでは無く、マイナス面に働くリスクもあります。

 3度のスーパーボウル制覇の後、ペイトリオッツは2008年と2012年にスーパーボウルに進出したのですが、共にニューヨーク・ジャイアンツに敗れました。戦前の予想は、共にペイトリオッツ有利、それも圧倒的に有利であったと記憶していますが、QBイーライ・マニング率いるジャイアンツの「思い切った(やや無謀な?)」パス攻撃の前に屈しました。

 イーライ・マニングとジャイアンツは、ここぞというプレーでロングパスを多用しました。ギャンブル性の高いプレーを採用したのですが、「ヘルメットと左手でボールを支えてのパス成功」といった紙一重のプレーの成功により、2度のスーパーボウル制覇を成し遂げたのです。 

 対したペイトリオッツとブレイディは、しっかりとしたゲームプランの下、最少得失点差での勝利を目指していたように見えました。
 この2ゲームは、ペイトリオッツの精緻なゲームプランを、ジャイアンツの大胆なプレーコールが打ち破った、という印象でした。

 つまり、ベテランとなり、NFLのフットボール、スーパーボールの怖さを身に沁みて分かっているブレイディのようなプレーヤーは、「確率の高いプレー」を多用するようになり、結果として「圧倒的な点差での勝利」を得ることが難しくなるのでしょうし、ギャンブルプレーにも慎重になってしまいがちなのではないでしょうか。
 プレーオフゲームにおけるQBペイトン・マニング選手のプレーにも、こうした傾向が見られると感じます。

 リスクは極力回避しなくてはならないものの、いざという時にはリスクの高いプレーも選択しなくては、「アメリカンフットボール競技の最高峰たるスーパーボウル制覇」はままならないものなのでしょう。

 「豊富な十分すぎる程の経験」の為に、ターンオーバーを怖れて慎重に過ぎるプレーコールが続くことが無いようにすることが、NFL最多タイ・4度目スーパーボウル制覇を目指すQBトム・ブレイディに求められるように思います。

[ラッセル・ウィルソン(シーホークス)]

 所謂モバイルQBの代表格。身長180cm・体重93kg、NFL4年目。NFLのQBとしては小柄なるも、彼のランプレーを止めることは容易なことではありません。スーパーボウル2014を制覇したディフェンディングチャンピオンチームのQBです。

 ウィルソン選手は、自身のラン能力とRBマショーン・リンチ選手のランプレーを巧みに織り交ぜたプレーで、相手守備陣を翻弄します。
 特に、ゲーム後半の強さ・得点力は素晴らしい。シーホークスのゲームの特徴は、第1、第2クオーターQまで、同点あるいは負けていても、第3、第4Qで一気にひっくり返し逆転勝ちを収める形でしょう。

 NFCチャンピオンシップ2015でも、前半パッカーズに0-16とリードを許しながら、後半第3・4Qに3TDを奪い22-22の同点として、オーバータイムOT(延長戦)でTDを挙げて28-22で勝利しました。NFLプレーオフ史上「最大得失点差・16点差」を引っくり返したのです。
 例えば、前半殆どゲイン出来なかったRBリンチ選手のランプレーが、後半には再三大きなゲインを生んでいましたし、試合時間残り僅かになってからQBウィルソン選手のラン・TDが展開されました。

 つまり、「前半、相手チームの守備フォーメーション・戦術を十分に把握・研究」し、後半の攻撃戦術、的確なプレーコールを実現しているのですから、守備面の見直しも含めて「シーホークスのハーフタイムワークは極めて強力」であると感じます。

 スーパーボウル2014で、QBペイトン・マニング率いるデンバー・ブロンコスを撃破したシーホークスが、もし2015でペイトリオッツを破るようなら、当代最高のQBペイトン・マニングとトム・フレイディの2人を連破することとなりますから、「NFLの新時代到来」と言っても良いように思います。

 また、NFLを代表する大ベテランQBと2年連続の対戦となるラッセル・ウィルソン選手には「失うものが少ない」ようにも思いますので、思い切ったプレーを展開できるのではないでしょうか。

⑤ コーチ陣

 ペイトリオッツのヘッドコーチHCはビル・ベリチック、シーホークスのHCはピート・キャロルです。

 ベリチックHCは、QBトム・ブレイディとともに「ペイトリオッツ王朝」の中心人物として活躍を続けて来ました。
 ベリチックは、ニューヨーク・ジャイアンツのコーチ時代の2度を含めて、計5度のスーパーボウル制覇を成し遂げていますから、「スーパーボウルの勝ち方を知り尽くしている」と言って良いでしょう。

 コーチ時代には主にディフェンスを担当していましたから、自身の専門はディフェンスであり、強力かつ効果的な守備プレーをベースとして、トム・ブレイディを中心としたオフェンスを展開するという采配であろうと思います。

 加えて、規律の厳しさでも有名なHCですし、スタープレーヤーを創らない、どのプレーヤーにも平等に活躍のチャンスを与えるという点でも知られています。

 一方のピート・キャロルHCは、1984年のバッファロー・ビルズからコーチキャリアを開始し、一貫してディフェンス畑を歩いて来ました。1995年のサンフランシスコ49ersにおいてはディフェンス・コーディネーターDCとしてリーグ最強の守備陣構築に貢献し、1997年~1999年にはペイトリオッツのHCとして、チームの立て直しに尽力し、ペイトリオッツをプレーオフに出場できるチームに創り上げました。

 お気づきのことと思いますが、ベリチックがペイトリオッツのHCに就任する直前のHCがピート・キャロルだったのです。ここには、少し因縁も感じられます。

 ペイトリオッツのHCを退任した後、キャロルは2001年~2009年の間全米大学の名門USC(南カリフォルニア大学)のHCとして、2度の全米大学チャンピオンに導く大活躍を魅せたのです。
 そして、2010年からシーホークスのHCとなり、シーホークスをNFLトップクラスのチームに引き上げたことは、ご承知の通りです。

 キャロルHCもベリチックHC同様、ディフェンスに強いこだわりを持ったHCですので、シーホークスの守備陣は年々強化されてきました。そして、現在のNFL最強、歴代でも屈指であろう超強力なディフェンスを誇るチームとなったのです。

 ペイトリオッツ・シーホークス共に、ディフェンスを得意とするHCに率いられていますから、「大敗が少ないチーム」です。時には大勝し、常に接戦を演じるチームという点では、両チームは共通しています。
 従って、スーパーボウル2015が一方的なゲームになる可能性は低いのでしょう。「攻撃権移動のタイミング」がポイントとなるゲームであろうと思います。

 両チームのコーチ陣では、やはりディフェンス・コーディネーターDCの作戦立案・実行がカギを握ると思います。
 トム・ブレイディ、ラッセル・ウィルソンという、極めて能力が高い両QBに対して、両チームの守備陣がどのように立ち向かい、どこでスペシャルプレーを繰り広げるのかは、このゲーム最大の見所のひとつでしょう。
 ペイトリオッツのマット・パトリシアDC、シーホークスのダン・クィーンDCの両DCの腕の見せ所です。

 さて、いくつかの点からスーパーボウル2015に臨む両チームを観て来ました。

 まとめてみます。

 チームの各プレーヤーのフィジカル面を比較すると、攻撃・守備の両面でシーホークスの方が勝っていると思います。
普通に戦えば、シアトル・シーホークスの方が有利なのではないでしょうか。

 一方で、ペイトリオッツには「ベリチックとブレイディの大きな経験値」があります。特に、ベリチックHCはどんなに苦しい試合でも、必ず相手チームの弱点を見つけて「試合にする力」が有ります。これは定評のあるところです。

 加えて、大試合におけるペイトリオッツのプレーヤーの気合の入り方は、常に尋常なレベルではありません。テレビで観ていても分かる程です。
 ペイトリオッツのプレーヤーひとりひとりが、大試合になればなるほど「絶対に勝つ」という強い意志を持ってゲームに臨むのです。つまり、ベリチックHCを始めとするペイトリオッツ・コーチ陣が、プレーヤーのやる気を最大限に引き出す十分なノウハウを保持していることに他なりません。

 私は「自身は常に極めて冷静ながら、一方で常にチーム全体・プレーヤー全員を鼓舞し続けることが出来る点」が、ビル・ベリチックというHCの最大の強みであろうと考えています。

 この気迫・闘争心が、シーホークスとのフィジカル面の差を埋める可能性も十分に有るのでしょう。

 ゲーム展開としては、不思議とスロースターターのシーホークスに対して、前半第1Q、第2Qに、ペイトリオッツがどれだけリードするかが、ひとつのポイントでしょう。
 もし、ゲーム当初からシーホークスの超強力守備陣の力が炸裂し、ペイトリオッツが「3アンドアウト」を繰り返す、あるいは「インターセプトを何度も喫する」ようであれば、そのままシーホークスペースのゲームになってしまうことも考えられます。

 とはいえ、ペイトリオッツは10年以上に渡ってNFLを支配し続けてきた王朝なのです。ベリチックとブレイディのコンビが、そう簡単に白旗を上げるとも思われませんから、やはり大激戦のゲームとなるのでしょう。

 ハーフタイム明けの第3Q前半が勝負どころであろうと予想します。

 前半を終えて、どちらのチームのゲーム分析、作戦・戦術の立案が勝っているのかが判明するからです。
 「裏の裏の裏」という意味で、ここには「運」も大きく作用しそうです。

 2015年2月1日、第49回スーパーボウルは歴史に残るゲームとなることでしょう。
 大相撲人気が凄いことになっています。

 1月場所(初場所)の国技館の賑わいは、少なくとも過去10年間は見たことが無い状態です。
 そして、2014年9月場所と比較しても、2015年1月場所の方が圧倒的に盛り上がっている様に見えます。
 私は、11月場所(九州場所)は観に行ったことが有りませんので、2014年11月場所との比較は出来ませんが、「大相撲人気が沸騰したのは直近の3ヶ月以内のこと」ということになります。

① 木戸(入場口)の長い列

 チケットを切ってもらう「もぎり」の場所、入場口の木戸。ここは、かつての人気力士が「もぎり係」をやってくれていたりしますので、とても楽しい場所でした。元・高見山関などは長く「もぎり係」を担当していましたので、入り口で「ジェシーに」挨拶するのが、国技館観戦の楽しみのひとつでした。高見山は、いつも笑顔で返してくれました。

 ところが、今場所は木戸に長い列が出来ています。もちろん土曜日・日曜日を避けて(というか平日以外には入場券入手困難なので)、観戦に行ったのですが、それでも大混雑。どんどん入場させなければなりませんから、挨拶どころではありません。昨年9月場所でも、こんな混雑は有りませんでした。

② 2階席にビールとたこ焼きの売り子

 2階席にビールの売り子(プロ野球の球場と同様に販売員は樽を背中に背負っています)が登場したのは、昨年の9月場所であったと思いますが、9月場所では「泡ばかり」になってしまったりしていた販売員さん達の手際も格段に良くなり、観客からの注文も、もの凄く増えた印象です。あちらこちらで手を挙げて販売員を呼ぶ観客が、引きも切らしませんでした。

 たこ焼き(8個入りと16個入りの2種類?)が場内販売員によって売られるようになったのは、今場所からだと思います。これがまた良く売れています。食べてみましたが、とても美味しいたこ焼きです。

 ビールとたこ焼きを、凄まじい勢いで購入・消費していたのは、近時とみに増加しつつある「外国人観客」です。
 大きなたこ焼きのケースを抱えながら、ビールをグイグイと飲んでいます。私の近くに居た外国人ファンは、幕入り後だけでビールを4杯飲みました。ビール販売員を見つけると手を挙げて大きな声で呼んでいます。

 「クールジャパン」のひとつとしてなのか、大相撲は外国人の皆さんに完全に定着した感じがします。

 尚、ビール販売員は1階も回っていますが、たこやき販売員は2階だけの様に見えました。

③ 国技館内の売店の賑わい

 国技館の廊下には、いくつもの売店が置かれています。力士関連グッズや名物の焼き鳥・あんみつなどが販売されているのです。

 2014年の5月場所の頃は、適度な混雑で「ほとんど待つことなく」希望の商品を買うことが出来ましたが、今場所は大混雑。
 驚くべきことに「床に並ぶ為の列を示すテープ」が張られていました。これも今場所からの措置だと思います。「行列の管理が必要なレベル」の混雑になったのです。

 遠藤関などの人気力士のグッズは「売り切れ続出」、ずいぶんと並んでやっと自分の番になったと思ったら、お目当ての商品が無いのです。ほんの半年前までは考えられなかった事態です。

 何より、焼き鳥でさえ並ばないと買えないのです。国技館内で調理されている焼き鳥は、いつでも気軽に購入できる「観戦の友」だったのですが・・・。

④ タイ焼きが無くなり、大相撲のキャラクター「ひよの山」に。

 国技館の軽食として定着していた「タイ焼き」が今場所から無くなりました。「ひよの山焼き」に模様替えされたのです。
 「ひよの山を象ったタイ焼き」なのですが、これも良く売れていました。

 この「ひよの山焼き」を観た時に、「これは大変なこと?になっているな」と実感しました。

⑤ 着物姿の女性達

 大相撲には「和装ディ」という催しが有ります。これは数年前から存在していると思います。着物を着てきた観客に様々なサービスを行う催事ですが、近時は「国技館で着物レンタル・着付けサービス」が行われるようになりました。

 この着物レンタル・着付けサービスも2014年から始まっていると思いますが、今場所は「その定着が急速に進んだ」と感じます。
 私が観戦に行った日は「和装ディ」ではなかったのですが、特に若い女性の着物姿が目立ちました。中にはジーンズをはいた上から着物を着ている人も居ました。

 こうした「着物の着方」の是非はともかくとして、日本の若い女性が着物に触れる機会が増えることは、良いことでしょう。
 貴乃花親方肝煎りの施策と言われています。

 「2015年1月場所の両国国技館の賑わい」をいくつかの点から観てきましたが、とにかく混んでいます。人にぶつからずに廊下を歩くのも一苦労と言う感じ。2014年9月場所にも無かった賑わいと言えますから、大相撲人気は「2014年10月から2015年1月までの3ヶ月弱の間」に、一気に沸騰した感があります。

 知り合いの力士(関取ではありません)が、「こんなに大人気になるなんて思いもしなかった。こういう時期を知り感じることが出来て、本当に良かった」と話していました。

 国技館廊下で、その力士とこうした立ち話をしている間にも、何人もの観客が「一緒に写真お願いします」とアプローチして来るのです。そして、力士はその希望に応えて、お客様と並んでポーズを取り、笑顔でカメラに向かっています。
 確かに、先代の貴ノ花の頃や若貴人気の頃を知らない力士にとっては、びっくりするような日々なのでしょう。

 協会としては(百も承知のこととは思いますが)、このビッグウェーブを掴んで行くための様々な新施策を繰り広げると共に、「この人気を一過性の物としないための地道な施策」の展開も望まれるところでしょう。
 錦織圭選手の活躍に注目が集まる全豪オープン2015ですが、男子シングルス2回戦のラファエル・ナダル選手とティム・スマイチェク選手の試合における「スマイチェク選手のスポーツマンシップ溢れる行動」が話題になっています。

 この試合は最終セットまで縺れ込む激戦となり、最終セットでナダル選手がゲームカウント6-5とリードして迎えたサービスゲーム、30-0とナダル選手がリードしての状況で、ナダル選手がトスアップした瞬間に観客が大声を上げたのです。ナダル選手はサービス・フォルトを犯しました。

 ここでスマイチェク選手が主審にプレーのやり直しを申し出たのです。

 ナダル選手のセカンドサービスとなれば、スマイチェク選手に反撃のチャンスが広がる局面でした。
 結局このゲームはナダル選手がキープして、4時間を越える激戦を制しました。

 スマイチェク選手のこの行動は「スポーツマンシップから見て当然の行動」とは言えないでしょう。

① マナー不知の観客の大声について、スマイチェク選手には何の責任も無いこと
② プロは稼いでナンボ、トーナメントで勝利することが肝心という考え方

 等を考慮すれば、なにも「ここでプレーのやり直しを申し出る必要は無い」という考え方も、普通に存在すると思います。たとえ申し出なかったとしても、何も文句を付けられることではないですし、スマイチェク選手のスポーツマンシップについて疑義の声など上がる筈がないのですから。

 この事象は「スポーツマンシップとは別の次元の問題」のように思います。

 これは、スマイチェク選手自身の矜持の問題というか、「テニスの試合の有り様」についての考え方の問題なのでしょう。

 観客の大声で相手選手が不利になるというのは、自らがやりたいと考えている試合とは違う、という感覚なのではないかと思います。

 無論、プロテニスプレーヤーとして、世界4大大会のひとつである全豪オープンで、現在の世界三強の一角ナダル選手を破ることは、大きなことでしょう。スマイチェク選手にとっても大飛躍のきっかけとなる試合であったかもしれません。

 しかし、スマイチェク選手は、プロテニスプレーヤーである前に、テニスプレーヤーであり、テニスが大好きな人なのでしょう。

 テニスを愛するひとりの人間として、サービスのトスが上がった瞬間に大声が発せられる試合というのは、許せないものなのだろうと感じます。スマイチェク選手にとっての「テニスの試合のあるべき姿」とは全く異なるものなのでしょう。
 これはおそらく、彼にとって到底許されないことなのです。

 「トップレベルの選手なら相手の弱点を突いて勝利するべき」という考え方があります。怪我や故障もプレーヤー自身の責任なのだから、相手プレーヤーがその弱点を突くことなく、あるいは弱点を避けてプレーするというのは、逆に失礼にあたるという考え方もあるでしょう。

 一方で、1984年ロサンゼルス・オリンピック柔道男子・無差別級決勝において、山下泰裕選手が対戦相手のラシュワン選手の故障個所を攻めることなく試合を進めた、といった事例も存在します。

 私は、どちらの考え方・試合の仕方も「あり」だと思います。一概に、どちらでなければならないといった性質のものではないでしょう。

 但し、今回のスマイチェク選手の行動には、何か清々しいものを感じます。スマイチェク選手の「テニス競技を愛する気持ち」が伝わってくるからです。
 当該スポーツを深く愛し敬意を持って接することが出来るプレーヤーは、強くなるのではないでしょうか。

 ティム・スマイチェク選手は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー出身の27歳。身長175cm・体重73kg、右利き、バックハンドは両手打ち、のプレーヤーと報じられています。これまで世界ランクは100位前後を行き来してきました。

 今後のスマイチェク選手のプレー振りに注目したいと思います。
 アルペンスキーのワールドカップ・女子スーパー大回転の第3戦が、1月19日にイタリアのコルチナダンペッツォで行われ、アメリカのリンゼイ・ボン選手(30歳)が優勝しました。

 ボン選手は今シーズンのワールドカップ各種目で4勝目、通算63勝目を挙げて、オーストリアのアンネマリー・モザー・プレル選手の62勝を抜いて、女子アルペンスキー・ワールドカップの最多優勝記録を打ち立てました。

 ボン選手は、2000年に16歳でワールドカップにデビュー、2004年12月滑降種目で初優勝を遂げ、爾来15シーズンをかけての快挙です。
 ボン選手は、2010年のバンクーバー冬季オリンピックでも滑降で金メダル、スーパー大回転で銀メダルを獲得していますし、世界選手権大会でも金2、銀3の成績を残しています。「勝負に行って強い」という印象でしょう。

 それにしても、あのアンネマリー・プレル選手の記録を破る選手が登場するとは、正直に言って思いませんでした。1970年代の女子アルペンスキー界を席巻したプレル選手(この記事ではアンネマリー・モザー・プレル選手を差します)の強さは別格だったのです。
 しかし「記録は破られるために在る」とはよく言ったもので、空前絶後とも思われたプレルの記録も破られる時が来たのです。

 少し不思議なのは、世界トップクラスのアルペンスキーヤーの「選手寿命が延びている」感じがすることでしょう。

 プレル選手は1968年にワールドカップにデビューし、1971年~1975年にかけて総合優勝を続けました。絶頂期でしょう。そして突然1975年に引退を表明しましたが、1976年シーズンに現役に復帰、1980年に本当に引退しました。
 27歳の時でした。

 この頃は、プレル選手のキャリアも他の選手に比べれば長いと感じたものですが、ボン選手は30歳になった現在でも、世界のトップに君臨しています。

 道具やトレーニング方法、体調管理ノウハウの進歩がベースを支えると共に、アルペンスキー競技自体に必要な身体能力の内容が変わってきているのかもしれないと感じます。

 いずれにしても、来月2日からアメリカのヴェイルで開催されるアルペンの世界選手権大会において、リンゼイ・ボン選手にはアメリカ女子チームの中心選手としての大活躍が期待されます。

 ところで、リンゼイ・ボン選手の恋人(2013年3月に交際宣言)としてこのゲームを観戦していた、タイガー・ウッズ選手は偉業達成の喧騒の中で「前歯を失った」と報じられています。
 ボン選手の表彰式に報道陣が殺到し、ビデオカメラがタイガーの口元を直撃して歯が取れたといったことのようです。

 世界ゴルフ界の英雄として、今シーズンの本格的復活が期待されているタイガー・ウッズ選手には「とんだ災難」となったようですが、白く綺麗な歯はタイガーのストロングポイントでしたので、きっちりと治療してPGAに登場していただきたいと思います。

 この「前歯喪失」が、近年のタイガー・ウッズ選手を苦しめている一連のトラブルの延長線上に在るものでは無いことを、祈っているファンも多いことでしょう。
 箱根駅伝2015の山登り・第5区で、驚異的な走りを展開し、青山学院大学チームの初優勝に貢献した神野大地選手が、都道府県対抗男子駅伝2015でも見事な走りを見せました。

 神野選手は、愛知県チームのアンカー・第7区・13kmを担当したのですが、これを37分36秒という好タイム(全体3位、学生ランナーとしてはトップ)で走破し、12人抜きを達成しました。

 この神野選手の走りで感心させられるのは、「既に棄権しているチーム」におけるパフォーマンスである点です。

 ご承知のように、駅伝競走も「精神面が極めて重要」な競技です。大差の先頭で走ると、実力以上の走りが見られることも多く、「駅伝は先手必勝」とも言われます。逆に、後手を踏んで後方から追い上げを図るのは、相当の実力差が有っても中々難しいことは、幾多のレースで証明されています。

 ましてや第1区のトラブルの為に「愛知県チームとしての順位・記録無し」が決まっている状況下では、自らの力を出し切る走りを展開するのは、容易なことではないでしょう。

 しかし、神野選手はやってのけました。

 大きなストライドと腰の上下動が少ないフォームは、地力のある長距離ランナーにしか出来ないもので、これを13kmに渡って継続しました。新・山の神は平場でもとても強いことを、証明して見せたのです。
 加えて、精神的な強さも、特筆に値するでしょう。

 箱根駅伝2015後の疲労残りの可能性や、山登り下り主体の23kmのレースから平場の13kmのレースへの「走りの切り替えの難しさ」をも勘案すれば、今大会の37分36秒の走りの素晴らしさが際立ちます。

 今後の神野大地選手の走りから、目が離せません。
 オリンピック2大会連続金メダリストであり、日本柔道重量級の黄金期を支えた選手でもあった斉藤仁氏の逝去が、1月20日に報じられました。54歳の若さでした。

 斉藤仁選手と言うとすぐに思い浮かぶのは「強い柔道選手」というイメージです。私は、世界柔道史上、重量級のプレーヤーとしてはベスト3に入る選手であろうと考えています。

① 1988年ソウルオリンピック95kg超級金メダル

 ご記憶の様に、この大会で柔道日本代表チームは思わぬ大苦戦。最終日の95kg超級まで金メダル0という成績でした。決勝に進んだ斉藤選手の相手は韓国代表選手。場内は、韓国選手を応援する声で溢れかえり、異様な雰囲気でした。
 斉藤選手はしかし、こうした状況下でも終始攻めながら冷静な試合運びを見せ、見事に勝利を収めたのです。「力の差はとても大きい」と感じたことを憶えています。

 そもそも、この頃の世界の柔道は、グローバルスポーツ競技として史上最もつまらない時期であったと思います。相当いびつなルールが横行していたのです。

 ソウルオリンピックでも、試合開始早々に「教育的指導」や「効果」を取った選手が残りの試合時間を逃げまくるという有様の試合が続きました。
 「効果」といっても、技をかけてのポイントと言うより、何らかの理由で「膝をついた」だけで審判から宣告されたりしていました。

 一度相手が膝をついて「効果」を取ると、後は逃げまくる。技の「掛け逃げ」もやり放題、背負い投げに行くふりをして自分から手を離して前に倒れ込む姿が頻発するに至っては、およそ「スポーツとは言えない」代物であると感じました。
 スポーツは「お互いに攻め合う」形でなければプレーヤーにとっても観客にとっても、面白く無いものになってしまいます。当然ながら「面白く無いスポーツは衰退する」のです。

 こうした、グローバルスポーツに有るまじき状態に対しても、この時の斉藤選手は挑んでいたと思います。ポイントを挙げて有利に試合を進めながら、決して逃げることなく、「真の柔道」を展開したのです。
 素晴らしい柔道を魅せていただいたと感じます。
 
② 山下泰裕選手との激闘

 全日本柔道選手権大会を9連覇した山下泰裕選手は、日本柔道史上・世界柔道史上の最強選手であろうと思いますが、その山下選手の9連覇の最後の3連覇は、いずれも斉藤選手との決勝対決でした。

 この決勝戦が凄かった。まさに「剣豪同士の対決」といった様相を呈しました。両者ともに「ほとんど技を出せない」のです。技をかけに行った時の「僅かなバランスの崩れ」「僅かなスキ」が命取りになることを、両選手が心底感じていたのであろうと思います。
 互いに細心の注意を払いながら、技をかける機会を狙っているのですが、互いに全く隙を見せることがないために、時間ばかりが進んでいくという試合。達人同士の目に見えない凄まじい攻め合いが続く試合ばかりでした。

 大半の試合で、ゆうゆうと技をかけに行く山下選手が、ほとんど動けない相手というのは、斉藤選手だけであったと思います。山下泰裕選手と斉藤仁選手の力量は、ほぼ互角だったでしょう。
 当時の日本柔道重量級には「世界一の柔道選手が2人」居たのではないでしょうか。

 2人の対戦成績は、8試合で山下選手が8勝しています。あの超接近した試合内容と、この一方的な試合結果に、逆に斉藤選手の強さを感じます。最強の柔道選手である山下選手は、斉藤選手に対してのみ「絶対に負けない柔道を展開した」のでしょう。

③ 人柄・精神面の強さ

 斉藤選手は「表情豊かなプレーヤー」でした。①の金メダル獲得の際には、表彰式で大泣きしていました。愛すべき人柄の選手だったのです。

 1985年の世界選手権大会決勝で、相手選手が反則技をかけて斉藤選手が脱臼してしまったのですが、この試合は「斉藤選手の棄権負け」となりました。反則を犯した相手選手が勝ったという「滅茶苦茶な判定」でしたが、斉藤選手は騒ぐわけでもなく整斉とこの結果を受け入れていたように見えました。

 何でもいいから、どんな手段を使ってもいいから「ただ勝てば良い」といった、「柔道の本質からかけ離れた物の考え方」から、最も遠くに位置しているのが斉藤仁選手だったのでしょう。

 そして、こうした心持ちをベースに、オリンピックや世界選手権の好成績を生んでいきました。ただ優しく正直なだけでは無く、素晴らしい精神力を具備した「本当に強い選手」でなければ、到底出来ないことでしょう。

 強かったというだけでは無く、特に③の点から、斉藤選手には「日本柔道を支える指導者」としての期待がかかりました。そして、代表チームの監督としても好成績を残しましたが、誹謗中傷・妬み嫉み・権力欲といった浅ましい概念から、かけ離れた存在であったためか、長く日本柔道の指導的ポジションに居ることはありませんでした。

 そして2014年、日本柔道界の改革が始まった今、斉藤仁氏の復帰が待望されていた矢先の訃報だったのです。本当に、本当に残念です。

 「柔道に真正面から取り組む」という冷徹な心持ちを選手に課しながら、試合に臨んでは選手に「十二分の闘争心」をも保持させるという、「理想的な指導者」となり得る逸材であったと思います。
 世界を相手に戦って行くあらゆるスポーツ競技・種目において、こうした指導者が望まれるのです。

 斉藤仁氏のご冥福をお祈り申し上げます。
 1月の広島路を駆け抜ける、都道府県対抗男子駅伝が今年も1月18日に開催されました。
 レースは、2区で先頭に立った埼玉県チームが、3区で僅差の2位に下がったものの、4区で首位を奪還して、東京都や宮城県の6区・7区の追い上げを凌ぎ切り、初優勝を飾りました。

 駅伝強豪高校を擁する埼玉県が初優勝というのは意外でしたが、レース前から優勝候補の一角でもあり、順当な勝利とも言えるでしょう。
 2位には宮城県チーム、3位には東京都チームが食い込み、4位群馬県、5位鹿児島県、6位福岡県の順となりました。

 1位と2位の差が24秒、2位と3位が41秒、3位と4位が6秒、4位と5位が2秒、5位と6位が14秒という、全体として差の小さいレースでした。
 以前の様に「強豪チームが独走する」という形にはならず、最終第7区まで緊張感十分のレースが続くということは、「全体のレベルが上がり、各チームの実力が接近していること」を示していると思います。
 
 今年のレースでも、優勝した埼玉県チームの4~7区のランナーの中にひとりでも調子の悪いランナーが居れば、直ぐに9位以下に下がってしまう可能性が有った訳です。
 第20回を数える本大会ですが、「好成績を残すためには僅かな失敗も許されない」という、「高速駅伝時代」を迎えた感が有ります。

 本大会が「少しの失敗も許されない」レベルになってきたことを示す事象が、もうひとつありました。
 1区・7.0km・高校生区間におけるトラブルの連続です。

① 福井県チームの棄権
② 広島県チームの遅れ
③ 愛知県チームの失格

 まず、都道府県対抗男子駅伝は第1回から19回までの19度の大会で、これまで「棄権したチームが無かった」のです。後から考えてみると、19度も大会を行い、47都道府県の代表チームという「多数のチーム」が参加していながら、これまで一度も無かったということの方が不思議な感じもしますが、とにかくこれまでは一度も無かった。

 それが、今大会では福井県と愛知県の2チームが「順位無し・総合記録無し」となりました。そして、優勝候補であった広島県チームの実力十分のランナーがレース途中からズルズルと後退し、区間32位という不本意な走りとなったのです。

 私はテレビ観戦していました。福井県チームの1区ランナーの様子は映し出されませんでしたが、広島県チームと愛知県チームのランナーの様子は映されていました。2人とも明らかに「脱水症状」でした。

 長距離競走レースにおいて、ランナーが「脱水症状」に陥ることは珍しいことではありませんが、「襷を繋げない」程の症状に陥ることは、そうそう起こることではない(この大会でも過去19度の大会で47都道府県×7区間×19大会=延6,251人のランナーに起きていなかった)のに、今大会で2人のランナーに発症したのです。

 この原因は何なのでしょうか。

① 極度の緊張感

 第1区は高校生区間です。そして、当然ながら「駅伝競技の第1区はチームにとってレース全体の骨格を形成する重要な区間」ですので、1区を任された高校生ランナーは「極度の緊張感」に襲われるはずです。
 「自分が失敗したらチームの好成績は望めない」という責任の重さが、高校生ランナーに圧し掛かっていたことは間違いありません。

 「それはこれまでの19度の大会でも同じ」というご意見があるでしょうが、そこに「レース全体のレベルアップ」という要因が加味されるのでしょう。多少の失敗が許されるレベルのレースと、全く許されないレベルのレースでは、プレッシャーのレベルも大きく違うのではないでしょうか。

 加えて、広島県チームや愛知県チームは優勝候補の一角でしたから、その重圧はさらに増したのでしょう。
 高校長距離競走界をリードするようなランナーでも、その重圧に耐えきれなかった可能性が有ります。
 レース前のコンディション調整も含めて、この重圧が大きな影響を与えた可能性が有ります。

② 天候・コンディション

 通常であれば十分に走破する実力を備えたランナーが、走り切れないあるいは全く本来の力を発揮できなくなってしまう要因としては、天候・気温・湿度といったコンディションの影響も考えられます。

 今大会は雨や雪が降ることも無く、気温もそれほど高くも無く低くも無かったように見えましたが、実際には「眼に見えない難しさ」が潜んでいたのかもしれません。

③ チームとしての調整段階の油断

 19度と回数を重ねてきた大会ですので、各チームの調整方法等にもノウハウが蓄積されてきていると考えられます。
 各ランナーの選出方法や、事前の合同練習、各区間試走あるいは自動車からのコース見学、宿泊場所、大会前の食事、各区のランナーの待機方法、等々について、各都道府県チームには着々とノウハウが蓄積されてきたのでしょう。

 それはレースに臨むチームにとってはプラスの要因なのでしょうが、そこから「油断が生まれる」ようであれば、マイナス材料にもなります。

 1区の高校生ランナーのコンディション調整についても、「これまでのノウハウがあるし、彼は一流ランナーだから」といった感覚から、調整が「ランナー本人に任せきりになった」「相当部分をランナーに任せた」懸念が有ります。

 まだ高校生であり、①の緊張感の中でレースに臨むのですから、十分なサポートが必要なことは、言うまでも無いことでしょう。

 これまで19度の大会で一度も発生していなかった「棄権・失格」が、今大会の第一区で2チームに発生した原因について考えてみました。

 都道府県対抗駅伝は、中学生ランナー・高校生ランナーの飛躍の場としての意味合いが大きい大会です。逆に言えば、この大会で大失敗してしまうと、若いランナーには心身ともに大きなダメージが残ることになるのでしょう。

 来年のレースに向けては、各チームに万全の準備をお願いしたいと思います。
 NFL2014~2015シーズンのプレーオフも、NFC・AFC両カンファレンスのチャンピオンシップゲームが終了し、いよいよ2月1日の第49回スーパーボールを迎えることとなりました。

 NFCはシアトル・シーホークス、AFCはニューイングランド・ペイトリオッツが勝ち上がりました。前年のチャンピオンと21世紀最強チームが激突するゲームです。期待は高まるばかりです。

 さて、そのディフェンディング・チャンピオンであるシーホークスは、今シーズン前半は調子が出ず、早々に4敗を喫しましたが、シーズン後半から調子を上げて、ポストシーズンに入っても好調を維持しています。
 クオーターバックQBラッセル・ウィルソンやランニングバックRBマショーン・リンチを中心とした攻撃陣の強さは定評のあるところですが、今期はディフェンス陣の強さにも一層磨きがかかりました。

 今レギュラーシーズンのランディフェンスがNFL全体で3位、パスディフェンスが同1位、総合同1位という、圧倒的な数字を残してきました。「NFL史上でも屈指の守備陣」であろうと思います。

 そして、その守備陣の中でも「パスディフェンス1位」を支えるセカンダリー、ディフェンスバック陣が「とてつもない強さ」なのです。

 スターターを見ると、左コーナーバックCBがリチャード・シャーマン、右CBがサロルド・サイモン、ストロング・セイフティーSSがカム・チャンセラー、フリー・セイフティーFSがアール・トーマスとなっていますが、驚くべきはそのサイズ。

 シャーマン、サイモン、チャンセラーの3プレーヤーが、いずれも191cmと長身なのです。ディフェンスバック4プレーヤー中3名が191cmという長身なのです。これは「革命的」と呼んでも良い事象であると考えます。

 NFLにおいては、大きなプレーヤーが沢山居るので、驚くような話ではないのではないかと思いがちですが、実はディフェンスのCBは180cm前後の、「NFLにおいては小柄な」プレーヤーが多いのです。

 CBは、相手チームのワイドレシーバーの変幻自在な動きに密着し、自由にプレーさせないこと、パスキャッチを防ぐこと、パスキャッチされた後の前進を防ぐこと、パスキャッチされた後のファンブルを誘うプレー、などが役割とされていますから、「プレーのスピードと自在性・しつこさ」が求められるポジションとなりますので、敏捷性に優れていて、運動能力が極めて高い中肉・中背のプレーヤーを配置することが多いのです。しかし、シーホークスは左右のCBに長身プレーヤーを配置しています。

 そして、SSにも長身のチャンセラーを配しています。
 SSもディフェンスの+αプレーの肝になるプレーヤーですから、状況判断に優れ素早く動けるタレントを起用することが多く、結果として中肉中背の「運動神経の塊」のようなプレーヤーが多いのです。
 例えば、ピッツバーグ・スティーラーズの有名なSS、トロイ・ポラマル選手の身長は178cmです。NFLのセカンダリーとして標準的なサイズと言えます。
 ところがチャンセラーは191cmもあるのです。

 そして、このチャンセラー・シャーマン・サイモンの「191cmトリオ」は、長身ながらディフェンスバックに求められる「自在な運動能力と運動量」をも、十分に備えています。
 通常のNFLのディフェンスバックに求められるスキル+長身のプレーヤーとなると、相手チームの攻撃の要であるワイドレシーバーWRのパスキャッチを防ぐことに加えて、「パスインターセプトを実現する確率」が、飛躍的に高まります。

 今期ディビジョナル・プレーオフゲーム、キャロライナ・パンサーズ戦でもチャンセラーとシャーマンが1回ずつインターセプトしていますし、カンファレンス・チャンピオンシップゲームのグリーンベイ・パッカーズ戦でもシャーマンがインターセプト・パスキャッチを実現しました。

 このNFCチャンピオンシップゲームでは、故障で出場できなかったサイモンに代って出場したCBバイロン・マクスウェル(身長185cm)が1インターセプトしていますから、シーホークスのCBの層の厚さも感じます。

 昨シーズンから定評があったシーホークスの守備陣を、更に強化してきたのは守備コーディネーターのダン・クィーンであるとの指摘も多数見られます。ダン・クィーンには、来シーズンのヘッドコーチとしてのオファーが多数来るのではないか、とも報じられています。確かに、この実績には文句の付けようがありません。

 「素晴らしいプレーヤーと素晴らしいベンチワーク」によって、NFL・NO.1のディフェンスが生まれているのでしょう。

 1月18日のNFCチャンピオンシップゲームでは、第2クオーターQを終えてパッカーズが16-0とリードを奪いました。
 この超強力なシーホークス守備陣を相手に16点を奪ったのですから、さすがのパッカーズ攻撃陣であり、QBアーロン・ロジャースです。

 しかし、結果として見れば「16点も取られた」のではなく「16点しか取られなかった」「16失点に抑えた」ということでした。
 
 前半のシーホークスは、QBラッセル・ウィルソンが「らしくない」プレーを連発し、インターセプトをいくつも受けました。こうした状況下で、NFL屈指の攻撃陣を1タッチダウンTD・3フィールドゴールFGに抑え込んだのです。普通であれば4TDの28-0であってもおかしくない状況でした。

 そして、この守備陣の頑張りが、後半第3Q・第4Qの攻撃陣の反撃に結び付いたことは、間違いありません。
 シーホークスは後半だけで4TDを挙げて大逆転、28-22でこのゲームを制しました。

 それにしても、フィールド上で展開されるチャンセラー選手やシャーマン選手のプレーは、観ていて惚れ惚れします。まさにプロフェッショナル・アスリートであり、アメリカンフットボールにおける世界最高のディフェンスプレーであろうと感じさせるのです。

 こうしたプレーを第49回スーパーボールでも観ることが出来るというのは、ファンとして本当に幸せなことだと思います。
 NFLのディフェンスDFプレーヤーは、アメリカンフットボールにおける世界最高の守備プレーヤーです。

 このDFに求められるスキルというか、このDFが具備している多くのスキルの中に、「相手クオーターバックQBの眼を観てプレーする能力」があります。

 パスプレーのフォーメーションの時、QBはパスの受け手=パスターゲットをポケットの中で探します。事前に決めてあったパスターゲットがカバーされている時には、第2、第3のターゲットを確認するのです。
 この際に、QBの顔は、ターゲットの方向を向き、ターゲットのプレーヤーを見つめます。DFプレーヤーは、このQBの「眼の動き」「目線の先」を観て、守備プレーを展開するのです。

 QBの目線が右側であれば、ラインバッカーLBは右側に居る攻撃側OFプレーヤーを確認して、守備体型を取ったり、タックルに向かったりします。

 QBから相当遠いところで待ち受けるLBですが、QBの眼や目線をしっかりと把握して、全てのプレーを行っているのです。
 NFLにおいては当然のプレーとはいえ、いつも凄いことだと感じます。また、こうしたプレーが出来なければ、NFLのレギュラーDFプレーやーには成れないのでしょう。

 加えて、一段と凄いのは、QBがこのDFの行動を利用することもある点です。

 ペイトン・マニング選手やトム・ブレイディ選手、ドリュー・ブリーズ選手といった、当代屈指の名QBは、「目線でフェイクを行う」のです。

 例えば、「わざと右を観てから左にパスを投げる」、「わざと近くを観ながらロングパスを投ずる」といった具合です。
 QBの眼の動き・目線に極めて敏感な一流DFプレーヤー程、このフェイクに引っ掛かりやすいのですから、話は難しくなります。

 ペイトン・マニングの一瞥で、DFプレーヤーが一斉にその方向に動いてしまい、プレーは逆方向で展開されたり、トム・ブレイディの一瞥でストロング・セイフティSSやフリー・セイフティFSがそちらの方向に一瞬重心を移しただけで、パスレシーバーの捕捉が遅れてしまい、ロングゲインに繋がる、といったプレーが、ゲームの中で度々観られるのです。

 アメリカンフットボールに限らず、あらゆる「対戦型スポーツ」においては、「相手の動きを予測し把握するスキル」が、好成績を挙げるために極めて重要なことでしょう。

 しかし、極めて高いレベルの把握・予測能力を具備したプレーヤーに対する、意図的なフェイクを行うプレーヤーも存在するのです。

 NFLのトップレベルのDFのスキルの高さに感心するとともに、スキルが高いQBとの騙し合いというか、予測合戦は、NFLテレビ観戦における最大の楽しみのひとつでもあるのです。

 デジタルテレビが登場してくれたお蔭で、QBの眼の動き・目線がとてもよく判るようになりました。スポーツをテレビで楽しむ上では、カメラの解像度アップや再生力向上を始めとするテレビ関連技術の進歩に、大いに感謝しなくではならないと思います。
 元小結の豊真将が、引退を表明しました。

 度重なる怪我・病気との戦いでもあった力士人生でした。

 あの「低い重心からの守りの強さをベースにした」取り口と、真面目な土俵態度でファンから愛された相撲が観られなくなることはとても残念ですが、本当に辛い日々が多かったであろうことを考えれば、止むを得ないのでしょう。

 豊真将の「怪我・病気」との戦いは、日本大学時代から始まっています。蜂窩織炎(ほうかしきえん)が悪化して、一時相撲を止めたのです。
 蜂窩織炎(蜂巣炎=ほうそえん、とも言います)という病気は、細胞が壊死していく病気で、血行不良が原因なのかもしれませんが、相撲取りに多い病気です。例えば、元大関・小錦も長い間悩まされていました。

 しかし、蜂窩織炎の良化に伴い豊真将は相撲を再開しました。
 大学を中退して、大相撲の錣山部屋に入門しました。2004年3月場所に初土俵を迎えた時には22歳11か月で、新弟子入門期限ぎりぎりでした。

 3年以上相撲を離れていた為もあって、入門直後の豊真将の出世は遅かったのですが、ひたむきに稽古を続けて本来の相撲を取り戻してからは番付けを上げて行きました。こうしたキャリアは、まさに豊真将の取り口そのもののような気がします。

 2005年1月場所に幕下に昇進、2006年1月場所には十両に上がりました。ついに「関取」になったのです。十両でも好成績を続けて、2006年5月場所には新入幕を果たしました。
 僅か2場所で十両を突破したのです。豊真将の相撲キャリアにおいて、もっとも順調な時期だったと思います。 
 そして入幕4場所目の2006年11月場所で大活躍、12勝3敗の好成績で敢闘賞と技能賞を獲得したのです。

 一方で、新入幕の場所で脚に故障を発症し、2008年7月場所後には左手首を手術するなど、怪我の影が豊真将に襲い掛かりました。
 前頭2枚目であった2010年5月場所では、場所前の首の怪我の影響で7日目から休場に追い込まれました。

 比較的軽度(それでも相当の重症ですが)の故障が続いていた豊真将に、深刻なトラブルが発症したのは2010年11月場所前でした。右足親指の傷口から菌が入り破傷風を発症したのです。生死をさまよう重病でした。

 その破傷風をも克服した2011年11月場所には、ついに三役・西小結に昇進しました。これ以前にも、何度も三役昇進のチャンス、そして相応の好成績も挙げたのですが、不思議と周りの力士の成績とのバランスに恵まれず、なかなか三役昇進が実現しなかった豊真将にとって、悲願の昇進でした。

 2013年1月場所は左肩腱板断裂により全休、翌3月場所には入幕以来初めて十両に陥落、翌5月場所も全休して西十両14枚目と幕下寸前の番付まで下がりましたが、故障から相当に回復していたこともあり、ここから奮起、9月場所には前頭13枚目で再入幕を果たしたのです。そして10勝5敗の好成績を残しました。
 「不屈の豊真将」でした。

 ところが好事魔多し。2014年1月場所前に虫垂炎の手術をして、この場所を全休し再び十両に陥落してしまいます。

 こうして十両で迎えた2014年3月場所では、初日から14連勝しての十両優勝を遂げます。しかし千秋楽の大道戦を落としてしまい、至難と言われる「十両全勝優勝」は逃しています。
 「禍福はあざなえる縄のごとし」と言いますが、「再入幕→好成績→虫垂炎・全休→十両陥落→十両優勝→全勝ならず→再々入幕」と続くこの時期の豊真将は、まさにそういう状況であったと感じます。
 デビューが遅かった豊真将は32歳になっていました。

 そして2014年7月場所・5日目の横綱・日馬富士との対戦で、右膝前十字靭帯損傷を始めとして右脚を4か所も痛める大怪我を負ってしまったのです。
 治療とリハビリに努めていましたが、「1年や2年で治る怪我では無い」との判断から、ついに引退を表明したのです。最後の番付は東幕下7枚目でした。

 書いていても数えきれない病気と怪我の連続です。プロのスポーツ選手に怪我・病気は付き物であると言われますが、これ程多くの肉体トラブルに見舞われたプレーヤーは珍しいのではないでしょうか。
 そして、最後の怪我を除いては「諦めることなく悉く克服」したのです。
 豊真将の精神力の強さには、本当に頭が下がります。

 引退と同時に親方・立田川襲名も報じられました。自身の経験を活かして、粘り強い力士を育てていただきたいと思います。

 5度の敢闘賞・2度の技能賞を誇る豊真将ですが、最も印象に残っているのは2009年5月場所です。
 東前頭筆頭という番付で臨んだ場所でしたが、豊真将は初日から14連敗を喫しました。滅多に見られない「15戦全敗」かとも言われましたが、千秋楽の嘉風戦で白星を挙げて18年振りの不名誉な記録を回避しました。勝ち名乗りを受ける豊真将には涙が見えましたし、場内は割れるような大歓声に包まれました。

 14日間、毎日毎日黒星が続いても、取組後しっかりと土俵に礼をして下がり続けた豊真将の所作は、心に沁みるものでした。「日本古来の相撲」を具現した、素晴らしい力士であったと感じます。
 今回のテーマはゲームにおける「ボールの位置」です。

 ラグビーにおいては、「ボールはチームの先頭」に位置します。ボールより前に居るプレーヤーがプレーに参加すれば「オフサイド」の反則になります。つまり、ボールより後ろがオンサイド(プレー可能な地域)、ボールより前がオフサイドなのです。

 これは相当に厳密で、例えば攻撃側を例に取れば、ボールがチームの先頭に位置しないのは、スクラムの時のナンバー8周辺にボールが在る時と、ドライビングモールの時、そしてラックプレーにおける球出しの時、位ではないでしょうか。これとて、スクラム時なら2m位、ドライビングモール時ならプレーヤーの体の厚さ分、ラックプレーの時なら1m位、ボールがチームの先端の後ろ側に存在するだけです。

 従って、「ラグビー競技は、ボールを後ろに回しながら、前進する競技」ということになります。近時は、真横にパスしても反則にはなりませんが、昔はパスは後ろに投げなければなりませんでした。「スローフォワード」という反則を取られたのです。(現在でも、ボールを少しでも前に投げればスローフォワードの反則となります)

 ラグビーにおいては、ボールを保持している選手がチームの先頭位置に居て、そこから後ろへ後ろへとボールを繋ぎながら前進するのです。

 もし、ボールを保持しているプレーヤーが、前方に居る味方プレーヤーにぶつかってしまうと「アクシデンタル・オフサイド(アンウィルフル・オフサイド)」の反則となりますし、ハイパントを蹴った場合に、その蹴った選手より前に位置していた味方のプレーヤーがボールをキャッチしても反則となります。
 とにかく「プレーする権利のある選手はボールより後ろに居た選手に限定される」のです。この点は、徹底されています。

 もちろん、様々なスポーツ競技に存在する「オフサイド」という反則は、「競技の面白さを担保するルール」なのですから、厳密に運用されなければなりません。

 例えば、ラグビーにオフサイド・ルールが無ければ、相手ゴールライン付近に味方選手を配置して、そこにキックすれば、容易にトライが取れるでしょうし、サッカーにオフサイド・ルールが無ければ、同様に相手ゴール前に味方選手を配置しておけば、ロングパス一本で味方選手と相手ゴールキーパーの1対1の局面を作ることが出来ますから、得点が容易になります。

 こうした形で、どんどんトライやゴールが生まれるようでは、スポーツとして面白くないし、戦術等の発展にも限界が生まれ、「奥行きの浅いスポーツ」となってしまいます。「オフサイド」ルールの存在意義は、ここにあるのでしょう。

 そして、「オフサイド」はごく初期のフットボールの頃から存在するルールであると言われています。大袈裟に言えば、「オフサイドが在るからこそ、ラグビー競技もサッカー競技も存在している」ということになるのかもしれません。

 一方で、ラグビーもサッカーも、競技技術・特に守備技術・戦術の向上に伴って、なかなか得点が入らなくなってしまいましたので、ラグビーにおいてなら「真横に投げてもスローフォワードにならない」、サッカーにおいてなら「パスの為のボールが蹴られた時に、相手プレーヤーと平行に並んでいるところから動き出してもオフサイドにはならない」といった形で、攻撃側に有利なルール変更が行われてきたのでしょう。
 昔、サッカーにおいては前述の場合「守備側の選手より後ろに攻撃側の選手が居なければオフサイド」でした。

 さて、本稿はラグビーとサッカーの比較では無く、ラグビーとアメリカンフットボールの比較ですので、話を戻します。

 ラグビーにおいては「ボールがチームの先頭に位置する」ことを書きましたが、アメリカンフットボールでは、どうなのでしょうか。

 ラグビーフットボールとアメリカンフットボールの大きなルール上の違いとして、アメリカンフットボールでは『ひとつのプレーにおいて1度だけボールを前に投げることが出来る』のです。これは、大変大きな違いなのです。
 一方で、「アメリカンフットボールにおいても、ひとつのプレーにおいてボールを後ろに投げることは何度でも出来る」のですから、ラグビーの精神は生きています。

 ラグビー競技を基にして出来上がったアメリカンフットボール競技においては、当然ながらラグビーの基本精神は継承されているのです。 

 また、アメリカンフットボールにおいて「1度だけボールを前に投げることが出来る」といっても、スクリメイジラインより後ろから投げなければならないのです。
 つまり、ラグビーにおけるスクラムの真ん中に当たる「チームの先頭箇所」を示すスクリメイジラインより後ろからしかパスを投げることは出来ないのです。

 これも競技の面白さを確保するためのルールであろうと思います。ランプレーでスクリメイジラインを超えて前進したプレーヤーが、ゴールライン付近に居るプレーヤーにパスを投げてタッチダウンというのでは、簡単すぎて面白くないし、技術・戦術上の進歩も小さい=奥行きの浅いスポーツになってしまう、ということでしょう。

 このように、アメフトにもラグビーの基本精神は生きているのですが、一方で全く違う点もあります。それは「アメフトにおいてはボールはチームの先頭では無い」ところです。

 先ほど書きましたように、ラグビーにおいてはボールを保持して前に走っている選手が、味方のプレーヤーにぶつかってしまうと反則なのですが、アメフトにおいては反則にはなりません。それどころか「ブロックプレー」という立派な戦術となるのです。

 アメリカンフットボールの基本的な攻撃プレーであるランプレーにおける、さらに基本的な戦法にアイフォーメーションがありますが、これはボールキャリアの前に「リードブロッカー」を配置して、リードブロッカーの後ろにボールキャリアが付いて走るプレーです。こうしたプレーはラグビーには存在し得ないのです。

 同様に、アメフトにおいて長いパスを受けたプレーヤーの周辺に居た味方プレーヤーは、パスを受けたプレーヤーが前進しようとするのを助けるブロックプレー=相手チームのプレーヤーが味方のボールキャリアに襲い掛かるのを邪魔するプレー、を展開します。この稿の話の流れで言えば「邪魔するプレーを行っても良い」のです。

 これはプレー可能な選手の位置=「オンサイド」の考え方が、全く異なることを示しているのではないでしょうか。

 前述の、ラグビーにおいては「ハイパントのボールは、蹴った選手の後ろに居た選手しかキャッチしてはいけない」、オンサイドはボールの後ろ側というルールとは、対極にある概念と言えるでしょう。
 これも「本質的な違い」であろうと思います。

 本稿まで3回にわたって、「ラグビー(15人制)とアメリカンフットボールの違い」について書いて来ました。

 もちろん、他にも違う点は多々有ろうと思いますが、「本質的な違い」はこの3点に集約されるように思います。

 今回の「違い探し」は、本稿を持って完結とさせていただきます。
 2015年の全国高等学校サッカー選手権大会決勝戦が、1月12日埼玉スタジアムで行われ、石川県代表・星稜高校が群馬県代表の前橋育英高校を4-2で破り、初優勝しました。
 星稜高校は、石川県勢としても初めての栄冠に輝きました。

 今大会の星稜高校の優勝は、とてつもなく長い時間をかけて達成された栄冠の様に感じられます。

① 16年連続出場の結果であること。

 星稜サッカー部は、16年連続25回目の選手権大会出場でした。もちろん、90回以上の歴史を誇る選手権大会ですから、出場回数25回以上のチームは他にも有りますが、「16年連続出場」は、そうそう見られるものではないでしょう。

 1999年の出場から2014年の出場にかけて、先輩から後輩へと連綿とした歴史が続き、その間星稜高校サッカー部には「着々とノウハウが蓄積」されていったのです。そして、2015年1月12日の戴冠に繋がったのでしょう。

 怯むことなく挑戦を続けた歴史は、素晴らしいものです。

② 3大会かけての栄冠

 ご承知のように、2013年1月12日の準決勝で、2-2の同点からPK戦3-4で鵬祥高校に敗れ、2014年1月13日の決勝で延長戦の末2-3で富山第一高校に敗れた星稜高校が、ついに優勝を掴んだのです。

 凄いなと感じるのは、「この3年間に渡って星稜高校サッカー部は全国高校サッカー4000チームのトップクラスに居続けた」ということです。

 どんどんメンバーが入れ替わって行く高校スポーツにおいて、3年間に渡りそのチーム力を維持・向上させ続けたことは、見事というか、奇跡に近い感じがします。
 そして、番狂わせも珍しくないサッカー競技において、着実に勝ち進む力を有したのですから、驚くばかりです。

③ 決勝2試合(ともに延長付)を戦い抜いての優勝

 ご承知の通り、2014年の決勝戦で、試合時間残り5分まで2-0とリードしていた星稜高校チームは、「優勝を確信していた」ことでしょう。私も観ていて、星稜の勝ちだろうと思いました。

 ところが、富山第一高校に1点を返されて、インジュリータイムの終盤によもやの同点ゴールを許し、延長で決勝点を奪われて、星稜高校チームは準優勝に留まりました。どれ程悔しかったことであろうかと感じます。

 そして2015年の決勝戦も、1-0とリードしながら後半3分間の間に2失点して、逆転されました。1-1の同点となってから、あっと言う間の2失点目でしたから、「先行リードしながら逆転されるのは星稜高校サッカーの弱点なのか」とも感じました。

 今大会のチームにも、2014年の決勝戦に出場していた選手が居ましたから、相当な精神的ショックを受けているのではないかとも思いましたし、このまま押し切られる可能性も十分に有るとも感じました。

 しかし、後半19分に右からのクロスに原田選手が頭で合わせて同点とし、延長戦では森山選手が2得点して、再逆転したのです。

 2014年の決勝戦で得たノウハウが、十分に蓄積・発揮されたのでしょう。
 階段を一段ずつ上がって来たかのような、星稜高校チームの優勝でした。逆に、なかなか出来るものではないと考えます。
 加えて、次の大会の星稜高校チームの戦い振りは、とても興味深いものです。

 それにしても、今大会の星稜高校のサイドからの攻撃は見事でした。
 2-2とする同点ゴールも、相手チームの守備の人数が足りている状況下、ピンポイントで原田選手の頭に合わせることが出来るコントロールの良さ。

 サッカー競技において、サイドからのコントロールの良いパスを防ぐことがいかに難しいかを、改めて感じさせるものでした。

 素晴らしい相撲でした。まさに「大相撲」でした。

 遠藤が突っ張りに出て、安美錦も応戦。「押してはたく」の応酬は、見応え十分。押し切れぬと見た遠藤が再度のはたきをみせると、安美錦は前に泳ぎました。しかし目の前にあった遠藤の右脚を掴むと、そのまま土俵外に走ったのです。

 長い相撲ではありませんでしたが安美錦関・遠藤関の死力を尽くした取組でした。

 36歳の大ベテランである安美錦は、当代きっての業師(わざし)と言われていますが、次々に技を繰り出す「技のデパートタイプ」では無いと思います。

① 「寄り切り」を基本としていること。

 ここが安美錦の相撲の素晴らしいところでしょう。前に出る力が強く速いのです。

 「業師」安美錦の対戦相手は、「何をしてくるか分からない」と警戒し、少し腰を引き気味にして戦います。すると安美錦はグイグイと押します。相手は下がりながらも、まだ「何をしてくるか分からない」と腰は引き気味のままです。そうすると、安美錦は「そのまま押し出してしまう」のです。

 前述のような相撲で敗れた相手力士は、次の対戦では、安美錦に押された時に「今度は押し返そう」と前方に力を入れます。そこで安美錦は「いなし」や「はたき込み」を見せるのです。

 安美錦関の相撲の基本は、この2つの取り口だと思います。ここに「様々な味付け」を行うのです。
 このどちらの取り口も、「前に出る力が強く速いからこそ効果的」なのです。

 寄り切りや押し出しをベースとしているというところが「安美相撲の本質」であり、素晴らしい所であると考えます。

② 相手力士の力を利用すること

 これは、あらゆる格闘技の基本だと思いますが、「相手の力を利用する能力」の大小が、各々のプレーヤーに存在します。

 あまり、相手の力を利用することが得意ではないプレーヤーは「力技で勝負する」のでしょう。

 一方、安美関は相手の力を利用するのが、とても上手いのです。はたき込みやいなしのタイミングが絶妙です。
 例えば、今場所2日目の逸ノ城戦は、押し込まれた逸ノ城が押し返そうとした瞬間に、はたき込みました。巨体がもんどりうって倒れた訳ですが、安美関は「涼しい顔」で、倒れた逸ノ城の方を見ようともせず、勝ち名乗りを受けるために得俵の位置に戻りました。
 会心の技だったのでしょう。痺れますね。

③ 一番一番・考えて取っていること

 殊勲インタビューなどで、安美錦関からよく聞かれるのは「○○のように取ろうと思って土俵に上がった」といったコメントです。

 場所中は、毎日の取組をよく考えて、分析・戦術を練ったうえで土俵に上がっていることが伺えるコメントなのです。

 おそらく、取組前に当該取組をじっくりと考え、細部に渡って戦術を実行できる力士が、押し相撲・四つ相撲に係らず、「業師」と呼ばれるのでしょう。ひょっとすると、業師力士にとっては「考えている過程が楽しい」ものなのかもしれません。

 例えば、前述①の2つの取り口にしたところで、前回の取組で「押し出し」ていたら、今回は「押し返された時にいなそう」といった戦術が考えられることでしょう。
 もちろん、当代きっての業師ですから、こんな単純な筈は無く、「こう来たらこう」というパターンも、いくつかは用意していることでしょうし、「裏の裏をかく」ことも多いのではないでしょうか。
 いずれにせよ「寄り切り」を前提に組み立てられる戦術というのは、相手力士にとって脅威となるものだと思います。

 安美錦は、「前に出る業師」として36歳になっても元気いっぱいの土俵を展開しています。私は昔から、安美錦関の大ファンです。

 大柄な力士の中には、「安美錦を極端に苦手としている」力士が居ます。

 例えば、引退した大関・琴欧州関などもそのひとりであったと思います。
 身長201cmを誇る琴欧州でしたが、安美錦戦となると「蛇に睨まれた蛙」のようでした。安美錦戦での琴欧州の相撲には、「腰が引けた状態で取る」か「巨体を利して一気に(ほとんど闇雲に)前に出るか」の2パターンがあったと記憶していますが、安美錦はこのどちらの取り口にも対応していました。

 もちろん、琴欧洲が一気に土俵外に安美錦を吹き飛ばす相撲も有り、安美錦が土俵際で技を見せる相撲も有って、対戦成績はほぼ互角だったと感じますが、横綱を目指す大関にとって、下位に対戦成績互角の力士が存在するのは、大きなネックでしょう。
 大袈裟に言えば「安美錦が居なかったら、琴欧州の力士キャリアは3年以上伸びた」のではないでしょうか。

 また、やはり元大関・把瑠都関との取組も、いつも見所満載でした。
 或る一番の正面土俵際で、安美錦が把瑠都の右腕を両手で取り、「お手」のように土俵に向かって引っ張りおろす動きを見せたので、慌てた把瑠都の上体が浮き上がった瞬間に、一気に寄り立てて、東の奥側に押し出して安美錦が勝った一番が有りましたが、安美錦の代表的な取組ではないかと感じます。

 「目の前に在るものを利用して相手のバランスを崩す」という極めて高度な取り口なのです。

 本記事の遠藤との一番も、まさにこれでした。取組の過程で「目の前に遠藤の脚」が在ったのです。

 この瞬間を、名人・安美錦が見逃すはずがないのです。
 NFL2014~2015シーズンも佳境を迎え、ディビジョナル・プレーオフ4ゲームが現地時間の1月10日・11日に行われました。

 結果は、以下の通りです。(左側が勝利チーム)

[AFC(アメリカン・フットボール・カンファレンス)]
・ニューイングランド・ペイトリオッツ35-31ボルチモア・レイブンズ
・インディアナポリス・コルツ24-13デンバー・ブロンコス

[NFC(ナショナル・フットボール・カンファレンス)]
・シアトル・シーホークス31-17キャロライナ・パンサーズ
・グリーンベイ・パッカーズ26-21ダラス・カウボーイズ

 今シーズンは、AFCの第一シードがペイトリオッツ、第二シードがブロンコス、NFCの第一シードがシーホークス、第二シードがパッカーズとなっていて、この4チームがワイルドカード・プレーオフを勝ち抜いた4チームを迎え撃つ形となりました。

[ペイトリオッツ35-31レイブンズ]
 この2チームのプレーオフでの戦いは「常に激闘」となるのですが、この試合も一進一退というか、レイブンズが14-0とリードし、ペイトリオッツが14-14に追い付き、レイブンズが28-14とリードすると、ペイトリオッツが28-28に追い付くという、滅多に見られない展開となりました。
 第3クオーターQを終えて28-28の同点。勝負は最終第4Qに持ち込まれました。

 この第4Q、ペイトリオッツ守備陣はレイブンズの攻撃をフィールドゴールFGの3点に抑え、QBブレイディがワイドレシーバーWRブランドン・ラフェルに23ヤードのタッチダウンTDパスを決めたというか、ブレイディのパスをキャッチしたラフェルが約20ヤードを走り切っての逆転TD。

 その後もゲームは二転三転しましたが、ペイトリオッツが押し切ったという形でしょう。

 ペイトリオッツのQBトム・ブレイディは3つのTDパスと自身のランTDという活躍、一方のレイブンズのQBジョー・フラッコも4つのTDパスを成功させました。スーパーボール制覇3度を誇るブレイディ相手に、フラッコも一歩も引かぬプレー・ゲームを展開したと感じさせるゲームでした。

 既にレイブンズで7年目を迎えているQBフラッコは、身長198cm・体重111kgと「NFLのQBとして理想的な体格」ですが、QBとしてのスキルを着々と蓄えて来ました。トム・ブレイディやペイトン・マニングといった伝説的なQBの後継者としての地歩を固めている感じがします。

[コルツ24-13ブロンコス]
 ブロンコスのQBペイトン・マニングとコルツのQBアンドリュー・ラックという、「共にドラフト全体1位でコルツに入団したQB」同士の対決がポイントとなるゲーム。

 ブロンコスは最初のドライブで順調に攻め込み、マニングからWRデメアリアス・トーマスへのTDパスで先行しましたが、その後はブロンコスおよびマニングの攻撃パターンを研究し尽くした感じの強力なコルツ守備陣が、ブロンコスの攻撃を悉く抑え切り、ロースコア・ゲームに持ち込むことに成功。

 一方、ラックは2つのTDパスを決めるなど着実に加点して勝ち切りました。マニングのパス獲得は211ヤードに留まりましたので、これではブロンコスとしては苦しいゲームと言えます。

 アンドリュー・ラックは3年目。ドラフト全体1位という極めて高い周囲の期待にデビュー年から応えて、着実に力を付け、ついに「ペイトン・マニングの壁」を破りました。
 新時代を開くエース的な存在として、AFCチャンピオンシップにおける、ペイトリオッツのトム・ブレイディとの対戦が、とても楽しみです。
 
[シーホークス31-17パンサーズ]
 スーパーボール2014の覇者シーホークスが、今シーズン序盤の不調を乗り越えて第一シードを掴むと共に、ディビジョナル・プレーオフも快勝しました。

 モバイルQBを代表する存在としての、シアトルのラッセル・ウィルソン、キャロライナのカム・ニュートンの対決でもありました。

 このゲームにおける2人の成績は
・ウィルソン パス268ヤード獲得・3TD、ラン7回で22ヤードの獲得
・ニュートン パス246ヤード獲得・2TD、ラン11回で37ヤードの獲得
 と、概ね互角の獲得ヤードを残しました。
 NFL3年目のウィルソンと4年目のニュートンは、互いの持ち味を発揮したのです。

 しかし、パス・インターセプトが明暗を分けました。ニュートンは2つのインターセプトを献上しましたが、特に痛かったのは第4Q、24-10でシーホークスリードの局面、QBニュートンのパスをストロング・セイフティーSSのカム・キャンセラーがインターセプトしての90ヤードリターンTDでしょう。
 このTDで31-10となり、ゲームは決しました。

 このゲームは、シーホークスの強力なディフェンスが、パンサーズを抑え込んだゲームとも言えるでしょう。

[パッカーズ26-21カウボーイズ]
 NFL屈指の人気チーム同士・強豪同士の対戦は、やはり一進一退の大接戦となりました。

 カウボーイズが先行し、第2Qを終えて14-10、第3Qを終えて21-20と、まさにアメリカンフットボールの醍醐味である「攻撃と守備の交替の妙」を色濃く感じさせるゲームとなりました。

 追いかけるパッカーズは、第4Q、QBアーロン・ロジャースからタイトエンドTEリチャード・ロジャースへのTDパスが決まって、ついに26-21と逆転。ポイント・アフター・タッチダウンのキックを決めての6点差では意味が無い(TDとキックで7点を取られると逆転されてしまう)と2ポイントコンバージョンに挑みましたが、これは失敗に終わりました。

 5点差を追うカウボーイズは、QBトニー・ロモを中心に前進、敵陣32ヤード地点から4thダウンギャンブル(残り2ヤード)、WRデス・ブライアントへのパスが見事に決まり、ゴール直前まで攻め込んだかに見えましたが、ここでパッカーズがチャレンジ。
 ブライアントはボールを確保していなかったとして、パス失敗の判定となりました。このプレーが「全く互角のゲーム」の帰趨を決したと感じます。

 NFCのチャンピオンシップゲームは、シーホークス対パッカーズとなりました。ラッセル・ウィルソン対アーロン・ロジャースという、共にスーパーボール制覇経験のある、当代きってのQB対決でもあります。素晴らしいゲームとなることでしょう。

 例年「負ければ終わり」のプレーオフは、レギュラーシーズン以上に激しいゲームばかりなのですけれども、今シーズンも期待以上の激戦が続いていると思います。

 アメリカンフットボールというかNFLのゲームにおける6点差以内(1TD差以内)のゲームは、「いつでも逆転が有り得る」という意味で大接戦なのですが、4ゲームの内2ゲームが僅か5点差でした。

 ペイトリオッツとレイブンズのゲームで、残り時間数秒のレイブンズの攻撃。QBフラッコがペイトリオッツのゴール内に「へイル・メアリー・パス」を投げ込みました。

 敵味方のプレーヤーが入り乱れているエリアへの「一か八かのロングパス」であり、「決まる可能性は極めて小さい(守備側は弾き出せばよいが、攻撃側はキャッチしなくてはならない)」とは思いつつも、万が一レイブンズのプレーヤーがキャッチすれば、大逆転TDとなります。このパスは、ペイトリオッツの守備陣(というか攻撃プレーヤーのTE身長198cmのグロンコウスキーも待ち受けていましたから「長身のプレーヤー」が勢ぞろいという形)が弾き出して、ゲームは終了しました。

 NFLにおいて「5点差ゲーム」を勝ち切るのは、容易なことではないのです。
 私は、ブリーダーズカップ(アメリカ)、凱旋門賞ディ(フランス)、ドバイミーティングの3つを「世界3大・競馬の祭典」と呼んでいます。

 ここで言う「競馬の祭典」とは、一日あるいは同一週・同一週末に、沢山の重賞レース、多くのG1レースを同じ競馬場で開催するという意味ですが、その規模・賞金総額等から観て、この3つが現在の世界競馬における最大級の祭典であろうと認識しているのです。

 もちろん、「ロイヤルアスコット」や「香港国際競争」をこれに加えて行くことも出来ると思いますが、本稿では頭書の3つについて観て行きたいと思います。

1. ブリーダーズカップ(アメリカ)

 1984年に開始され、2004年からはブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップと呼ばれるようになりましたが、ここでは旧名のブリーダーズカップと表記します。

 低迷していた1970年代のアメリカ競馬界を活性化させるために創設されました。1日に多数のG1レースを行うことで、人々の注目を集め、競馬ファンを増やしていこうという試みでした。「世界最高賞金額」というキャッチフレーズも加わりましたので、アメリカ競馬の復権に大いに貢献したと言われています。
 こうした「エンターティンメント構築の上手さ」については、やはりアメリカが一頭抜けているのです。

① 近時は11月初旬の週末・土曜日と日曜日に開催されています。
② 施行レースを見ますと、
・土曜日 G1競走4レース(芝コース8ハロンが2レース、ダートの8ハロンと9ハロン)
・日曜日 G1競走9レース(芝コース6.5~12ハロンが4レース、ダート6~10ハロンが5レース)
③ 開催競馬場 ハリウッドパーク、サンタアニアパーク、チャールズダウンズ、ベルモントパーク等々の競馬場で持ち回り開催。

 土日の2日間開催でG1競走を13レースも行うのですから、驚きです。もちろんG1以外のレースも各日先行して行われます。

 ブリーダーズカップに対抗しようと設立されたドバイミーティング開始直後には「世界最高賞金額」の面で、後塵を拝していた時期が有りましたが、現在では再びブリーダーズカップが、「世界最高賞金額の開催」となっています。

 とても興味深いのは、その賞金のファンド・資金が「アメリカ中の種牡馬の所有者から集める『種付け料一回分のお金』で贖われていること」です。(例えば3頭の種牡馬を保持していて、各々の種牡馬の種付け料が1.回500万円・300万円・200万円なら、その所有者は計1000万円を拠出することになります。毎年のことですから、多くの有力種牡馬を保有している所有者の負担は相当大きいのです)
 まさにブリーダーズ(生産者)の祭典なのです。アメリカ競馬界隆盛にかける、ホースマン達の並々ならぬ意欲と、アメリカ競馬の懐の深さを感じさせます。

2. 凱旋門賞ディ(フランス)

 毎年10月の第一日曜日ロンシャン競馬場にて開催される凱旋門賞競走ですが、その当日と、その前日の土曜日に重賞レースを集中して開催するものです。凱旋門賞ウィークエンドなどとも呼ばれます。
 G1レースが集中して行われるのが日曜日のみですので、本稿では「凱旋門賞ディ」と表記したいと思います。

 1920年に開始された凱旋門賞は、爾来世界最高峰のレースのひとつとして認められてきましたが、アメリカでブリーダーズカップが開始された1984年以降は、その賞金額も含めて「地盤沈下」が囁かれました。

 これに対抗すべく、新しいスポンサーを募り、1988年から凱旋門賞ウィークの週末にG1を始めとする重賞レースを集める努力が続けられ、現在に到っています。現在は、土曜日に主にG2レースが、日曜日にG1レースが実施されています。

 日曜日には、サラブレッドのレースとしてG1競走が7つ組まれます。凱旋門賞もそのひとつです。7つのレースは全て芝コースで行われ、6レースは距離1000m~2400m、1レースだけ(カドラン賞)が4000mとなっています。

3. ドバイミーティング(ドバイ)

 1995年に創設されたドバイワールドカップ競走の開催日に、他のG1レースも行うことで競馬の祭典として2000年に始められたのが「ドバイミーティング」です。

 ドバイワールドカップ競走を創設した、シェイク・モハマド氏がブリーダーズカップに対抗して「世界最高賞金額レース」としたために、一時期は「オイルマネーによってブリーダーズカップを凌ぐ祭典」とも言われました。
 現在でも、ドバイワールドカップ競走の賞金額1000万ドル(約12億円)は、ひとつのレースとしては世界最高賞金額だと思います。

 毎年3月下旬の土曜日に開催され、競馬場は1995年~2009年はナド・アルシバ競馬場、2010年以降はメイダン競馬場です。
 ブリーダーズカップや凱旋門賞ディとは異なり、オールウェザーと芝のコースでレースが行われます。メインレースであるドバイワールドカップ競走はオールウェザーコース2000mで行われます。

 当日は5つのサラブレッドによるG1競走が行われますが、芝コース1000m~2410mの3レースと、オールウェザーコースの1200mと2000mの2レースとなっています。

 さて、世界3大・競馬の祭典、ブリーダーズカップ・凱旋門賞ディ・ドバイミーティングを、サラブレッド対象のレース中心に観てきましたが、これら3つの祭典は、現在の世界最高峰の競馬の祭典ですから、そこで行われるレースの距離は、現在の世界の競馬の主流であることは間違いありません。

 3つの祭典のレース距離を距離別に分類してみましょう。(芝・ダート・オールウェザーの区分無し)

・1000m~1600m未満 ブリーダーズカップ3レース、凱旋門賞ディ3レース、ドバイミーティング2レース、の計8レース。
・1600m~2400m未満 同9レース、同2レース、同2レース、の計13レース。
・2400m~ 同1レース、同2レース、同1レース、の計4レース。

 となりました。

 つまり、全25レース(13+7+5)の内、13が中距離レース(52.0%)、8が短距離レース(32.0%)、4が長距離レース(16.0%)となっているのです。

 また、中距離とした13のレースの内、1600m~2000mのレースを数えてみると全13レースが該当しました。

 現在の世界の競馬では、中距離の重賞レースが多く組まれていて、特にマイル1600mから10ハロン・約2000mまでのレースが中心であることが、ここでも明らかになりました。

 1980年代以前の主流であった12ハロン・約2400mの重賞レースは比率を下げているのです。

 もちろん、世界各国で行われているダービー競走や、凱旋門賞、ドバイシーマクラシック、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスといった「伝統的な大レース」には、いまだに12ハロン・約2400mのレースが多いのですけれども、それら以外のG1レースが1600m~2000mの距離で行われることが多くなってきているのは、間違いないことなのでしょう。

 競馬に携わる全ての人々が、十分に認識している事実なのだと感じます。

 それにしても、凱旋門賞ディに行われるG1競走のひとつカドラン賞の距離4000mというのは、さすがだと思います。
 フランス競馬のG1レースで最も古いのはジャッケクルブ賞(ジョッキークラブ賞、フランスのダービーと言われるレース)ですが、2番目に古いとされているのがカドラン賞なのです。

 カドラン賞の創設は、ジャッケクルブ賞創設の翌年・1837年ですから、今から178年前。2014年のレースで第170回を数える「歴史と伝統を誇るレース」なのです。
 1848年のフランス革命勃発により一時開催されなくなったり、1871年には普仏戦争勃発により中止されたり、正にフランス史と共に歩んできたレースです。

 このカドラン賞も、他の国の超長距離レースと同様に人気が低下気味でしたが、1991年から凱旋門賞ウィークに組み込まれ、その後凱旋門賞ディに行われるようになって、見直されてきていると言われます。

 「競馬の祭典」は、こうした大切なレースの復権のためにも効果的なのでしょう。
 
 大相撲・1月場所が幕を開けましたが、結びの一番の後の弓取り式に、西幕下19枚目の水口(元の四股名・祥鳳)が久しぶりに登場しました。

 日馬富士が横綱に昇進して暫くしてから、弓取り式は聡ノ富士(さとのふじ)が務めていたように記憶していますから、約2年振りの登場ということになるのでしょう。

 大相撲では何でも部屋単位の組織ですから、「結びの一番に勝利した横綱に代わって弓取り式を行う力士」も、横綱と同じ部屋あるいは一門の部屋から選ばれます。(行司や呼出、床山もいずれかの部屋に所属しています)

 水口は横綱・白鵬の一門から、聡ノ富士は横綱・日馬富士の一門から登場しているのです。今後、横綱・鶴竜の一門からも出て来る可能性があります。

 聡ノ富士の弓取りは、そのスピードとキレが評判でした。頭上で弓をブンブンと回す様は、豪快さに溢れていました。

 一方、水口の弓取りは、そのゆったりとした所作が特徴でしょう。その日の土俵を仕上げる儀式としての「弓取り式」に悠然たる雰囲気を醸し出すのです。

 相撲に様々なタイプがあるように、弓取りにも色々な趣向が合って良いと感じます。

 大相撲人気絶頂の中で開幕した1月場所に、もうひとつ楽しみが増えました。
 2015年の大相撲・1月場所(初場所)が幕を開けました。

 初場所は、年6場所の中でも最も華やいだ空気が漂っています。私の観戦回数も最多の場所です。

 2014年後半から人気沸騰の大相撲ですが、2015年の初場所・初日は、その人気に違わぬ内容の取組が多かったと思います。

① 旭天鵬VS千代鳳

 旭天鵬の見事な相撲でした。立合いから一気の寄りで、千代鳳を押し出しで破ったのです。
 テレビ放送では、「どちらが若手か分からない」といったコメントも出ていましたが、旭天鵬の体調の良さと気迫が、存分に感じられる一番でした。
 通算出場回数、幕の内出場回数といった項目での「史上1位」の記録がかかる2015年に対する、旭天鵬の意気込みが示された取組であったのではないかと思います。

② 魁聖VS千代大龍

 魁聖の落ち着いた取り口が印象的でした。
 動きの速い千代大龍をガシッと受けて、微動だにせぬ寄りでした。一歩ずつ地力を付けてきた魁聖の、今場所の活躍が期待されます。

③ 遠藤VS逸ノ城

 この日一番の好取組でしょう。場内の歓声も凄まじいものでした。
 立合いの勢いで勝った遠藤が終始攻め、逸ノ城関の左足が土俵を割りました。逸ノ城は遠藤の相撲の上手さを気にし過ぎた取組であったかもしれません。
 大きな相手に対して、正面から一歩も引かぬ相撲を魅せた遠藤は見事でした。

④ 碧山VS安美錦

 立ち勝った安美錦が前みつ(前褌)を取って一気に出るところを、碧山が左に突き落とし気味に首投げを打って勝ちました。
 安美錦の得意型に持ち込まれながら逆転した相撲は、近時の碧山の力量向上と、稽古十分な状態を、良く示していると感じました。碧山は相当強くなっています。

⑤ 日馬富士VS栃ノ心

 久し振りに本来の?番付に戻ってきた栃ノ心の挑戦を、横綱・日馬富士が受けた一番。流石のスピード相撲を魅せました。
 押して出る栃ノ心の背後に回り込むスピードは、日馬富士本来のもの。このスピードと相撲勘で、日馬富士は横綱に上り詰めたのです。今場所も、日馬富士らしい相撲が沢山観られそうです。

 他にも沢山、良い相撲が有りました。見応え十分の土俵というところでしょう。

 遠藤・逸ノ城戦の時間一杯・立合い前の時間帯。行司は軍配を返しています。

 十分に仕切った遠藤に対して、逸ノ城が中々体勢に入れず時間がかかりました。この間、場内は「水を打ったように」静まり返りました。
 超満員の国技館内が、緊張感と期待に溢れた状態で静まり返ること、これも大相撲の神髄であろうと感じました。
 バイエルン・ミュンヘンは、常にサッカードイツ1部リーグ(ブンデスリーガ)の中心的なチームであり、いつのシーズンも優勝候補なのですが、最近の3シーズンの強さはスバ抜けています。

 今2014年~2015年シーズンのブンデスリーガも12月20日のゲームを終えて、前半戦を終了しましたが、バイエルンの強さは圧倒的です。
 17試合を終えて14勝3引分0敗。このまま進めば、先シーズンや先々シーズンと同様に「無敗でリーグ優勝を決める」勢いです。

 また、今シーズン特筆すべきは「17試合で僅かに4失点」であることでしょう。
 「4試合で1失点」未満なのですから、スタジアムやテレビ放送でバイエルン・ミュンヘンが失点するところを見る確率は、相当に低いのです。
 一方で得点は41ですから、1試合平均2.4得点となります。

 これが、ワールドカップ2014ブラジル大会優勝国の1部リーグの成績というのですから、驚きもひとしおです。
 世界最高レベルのプレーヤーが犇めくリーグに在って、バイエルン・ミュンヘンは一頭抜けた強さを維持し続けているのです。

 「そんなリーグは面白くない」という人も居るのでしょうが、ブンデスリーガの観客動員数は、ヨーロッパ4大リーグ、プレミアリーグ(イギリス)、リーガエスパニョーラ(スペイン)、セリエA(イタリア)の中で、トップクラスというかトップに居ます。
 ブンデスリーガのサッカーは、隆盛を極めているのです。

 4大リーグの他のリーグの首位チームと比較してみましょう。(2015年1月4日時点)
① プレミアリーグ
首位はチェルシーとマンチェスター・シティが並走、20試合を終えて14勝4引分2敗・44得点19失点。
② リーガエスパニョーラ
首位はレアルマドリード、16試合を終えて13勝3敗・56得点15失点。
③ セリエA
首位はユベントス、16試合を終えて12勝3引分1敗・34得点7失点。

 錚々たるチームが各リーグの首位を走っていますが、プレミアは2チームが全くの並走ですし、リーガエスパニョーラは勝ち点39のレアルを勝ち点38でFCバルセロナとアトレティコ・マドリードが追いかける僅差の展開、セリエAも勝ち点39のユーベを36でASローマが追いかけていますので、まだどのチームがリーグ優勝するのか、分からない状況です。

 ところがブンデスリーガは、バイエルンが勝ち点45、2位のヴォルフスブルクが34と既に大差なのです。
 こうした「1強」状態でも、ブンデスリーガのゲームは過去数年間を含めて観客で一杯なのですから、ドイツのサッカーファンの「サッカー競技そのものを愛する気持ちの強さ」と「バイエルンは特別だ」とする意識を感ぜざるを得ません。
 「除くバイエルンの1位=リーグ2位」を巡る争いは、熾烈を極めるのです。

 バイエルンの前半戦最後のゲームは、岡崎選手が所属するマインツ05との対戦でした。
このゲームのバイエルンの先発メンバーを観てみましょう。
・GK マヌエル・ノイアー
・DF ダンテ、ラフィーニャ、ボアテング
・MF リベリ、ファン・ベルナト、マリオ・ゲッツェ、トマス・ミュラー、シュバインシュタイガー
・FW ロッベン

 MFを5人配した、豪華絢爛な布陣です。

 これでも、フィリップ・ラーム(ドイツ)やシャビ・アロンソ(スペイン)、デビット・アラバ(オーストリア)、シェルダン・シャキリ(スイス)、レバンドフスキ(ポーランド)などの選手を使っていないというか、このゲームのベンチにも入れていないのですから驚かされます。

 私などは「1強」であろうと、このチームのゲームを観ることが出来るだけで、お腹が一杯になるかもしれません。
 バイエルン・ミュンヘンは、何時の時代も素晴らしいチームなのです。

 我が国最大の駅伝競走である箱根駅伝は、他の大会と異なる点が多数ありますが、最も違うのはランナーひとりひとりの走破距離でしょう。

 往復217kmのコースを10人のランナーで繋ぐのですから、1ランナー当たり21.7kmとなります。往路の第4区を除けば、残る9区間は20kmを優に超える距離となります。

 この20数kmを、約時速20km・100mを18秒で走るスピードで走り切らないと、順位を争うレースにはなりません。

 他の駅伝なら、3km~8kmの区間が多く、時折10kmを超える区間、稀に20kmを超える最長区間が存在する形ですから、各チームは「その長い区間にエースを投入」することによりレースを組み立てることが出来ます。

 一方で箱根駅伝は、最短の4区でも18.5km有り、多くの区間が21km以上ですから、出場する10名のメンバー全員が「駅伝競技における最長距離」に挑まなければならないのです。

 箱根駅伝が出場ランナー達に与える最大のプレッシャーは「走り切れるかどうか」ということなのだと思います。

 「走り切れない」というのは、どんな状況なのでしょうか。

① 脱水症状・低体温症・骨折といった故障を発症し、レース継続が不可能になる=走り続けること・前進することが出来なくなる状態
② 各種の筋肉損傷・アキレス腱などの損傷・軽度の脱水症状や内臓の変調などの発症により、走行スピードが著しく減退したり、歩くことしか出来なくなる状態

 などが挙げられるのでしょう。

 箱根駅伝のファンの方々であれば、前述①②の状態が、レースにおいて発生してきた例を、いくつか思い出すことが出来るでしょう。ごく最近2014年のレースでも、山梨学院大学チームのエース・オムワンバ選手が第2区の途中で「足に剥離骨折」を発症して棄権したことが思い出されます。過度の練習を主因とする疲労骨折は、残念ながら一流の長距離ランナーに時々起こる症状なのです。

 前年のレース成績上位のシード校や、とても厳しい予選会を勝ち抜いた各大学のチーム・ランナーにとって20km強・ハーフマラソンを、ただ走るだけなら造作もないことでしょう。ジョギング程度の速度なら、40km以上を走るのも容易なのかもしれません。

 しかし「時速20kmでアップダウンの有る20kmコースを走り切る=1時間で走り切る」となると「毎回出来る」というプレーではないのでしょう。
 そして、ひとりのランナーが担当した区間を走り切れないとなると、チーム成績に大きな影響を及ぼすことになります。

 アップダウンの有無・程度や気象条件といった変動要因を踏まえて、「20kmを1時間で走破する確率を高めて行くこと」が、箱根駅伝に対応できるランナーの条件となるのでしょう。

 そして「10回走って9回は、20kmを1時間で走破できるランナーを10人揃えること」が、箱根駅伝で成績を残せるチーム造りということになるのでしょう。ランナーの体調変動や故障発症リスクを勘案すれば、「10人以上のランナーを揃えること」が、より望ましいことは間違いありません。

 書いていて、何かとてつもなく難しいことの様に感じます。また、このことを具現して「箱根駅伝総合優勝」を勝ち取るチームというのは、凄いものだと改めて感じます。

 今回は「オブストラクションとブロックプレー」がテーマです。

 ラグビーにおいては、例えば「ボールを持っているプレーヤーに対して、相手チームのプレーヤーがタックルしようとしている時に、そのタックルしようとするプレーヤーにボール保持者側のプレーヤーがぶつかったり、ジャージを引っ張ったりといった妨害プレーを行う」とオブストラクションという反則になり、相手チームにペナルティキックが与えられます。

 こうした妨害プレーに対しては、とても厳しい運用がなされていて、前述の例で「タックルをしようとするプレーヤーの『前を横切っただけ』でもオブストラクション」となるのです。
 左様に、ラグビー競技においては妨害プレーが厳しく制限されています。

 一方のアメリカンフットボールでは、「妨害プレーが重要な攻撃プレーの一部」となっています。
 例えば、ランニングバックRBがボールを保持して前進を図る際に、このRBにタックルをしようとしたり、前進を止めよう企図する相手チームのプレーヤーを、RBの見方のプレーヤーが弾き飛ばしたり、タックルしたりします。これが、ブロックプレーです。

 アメリカンフットボールでは「自らを犠牲にして、ボールキャリアの前進を助ける」のは当然のプレーというか、「攻撃プレーそのもの」となっているのです。

 ロングゲインを実現した時に、そのボールキャリアが称賛されるのは当然として、ブロックプレーに係ったプレーヤーも高く評価されます。「ここで良いブロックが入っています」といったコメントが、ゲームを通して続きます。

 ボールを保持するRBの前に位置して「露払い」の様に走り、相手プレーヤーがボールキャリアに接近してきたら、これを阻止するプレーヤーを「リードブロッカー」と呼びます。2人の選手が前後に縦に並んで走る姿は、アメフトにおけるランプレーの基本プレーと言っても良いでしょう。

 また、パントリターンプレーでは、相手チームのパントをキャッチして前進しようとするプレーヤーの前に3~4人の味方のプレーヤーが走っている陣形が度々現れます。ボールキャリアに殺到する相手チームのプレーヤーをブロックするために、味方の複数のプレーヤーが陣取っているのです。そして、相手チームのプレーヤーを一人また一人と潰して行き、ボールキャリアの前進を助けているのです。

 こうしたアメフトの「ブロックプレー」は、ラグビーにおいては「オブストラクションという反則」となってしまうのですから、この違いは本質的なものでしょう。対極にあるとも言えます。

 19世紀の後半に、イギリスからアメリカに伝わったラグビー競技を基にして、アメリカンフットボールが創られたと伝えられていますが、同根の2つの競技は、その発達の過程で全く違うというか、正反対のものとなって行ったのです。

 「オブストラクションとブロックプレー」も、大きな相違点のひとつだと思います。
 昨年12月31日の記事「スクラメイジの取り扱い」において、アメリカンフットボールがラグビーから生まれたスポーツ競技でありながら、その発展の過程で「全く異なる」スポーツになって行った旨を書かせていただきました。

 本稿からいくつか、「15人制ラグビーとアメリカンフットボールの違い」について、書いてみたいと思います。
 
 今回は「硬い所→硬い所、柔らかい所→柔らかい所」がテーマです。

 アメリカンフットボールは「防具を付けてプレーするスポーツ」です。ヘルメットや肩パット、腰パット、膝パットなどの防具です。ラグビーでは、これほどしっかりした防具は付けません。

 結果として、タックルの際に、アメリカンフットボールは「硬いパットの部分で、相手の硬いパットの部分にタックルする」というか、「突っ込む」プレーが生ずるのです。

 現在では「メットtoメット」と呼ばれる、ヘルメットでヘルメットに激突するプレーは危険性が高いということで、反則それも極めて重い反則ですが、以前は「メットtoメット」のプレーも時折見られました。

 アメフトのプレーヤーは、強固な防具に身を包んでいるために、相手プレーヤーにダメージを与えるため、自身の固い部分で強烈な衝撃を相手に与えようとするのです。

 一方、ラグビーでは防具がありませんから、柔らかいところで柔らかいところにタックルするプレーとなります。例えば、顔のほっぺたを相手のお尻に付けてのタックルという形です。

 同根のスポーツでありながら、タックルの有り様というか概念が正反対なのです。

 これは「本質的な違い」でしょう。

 ラグビーとアメリカンフットボールの全国レベルのプレーヤーであり、指導者であった方々にお話を伺ったことがありますが、共通して指摘されていたのは「アメリカンフットボール経験者がラグビーをやった時の危険性」でした。

 アメフト経験者は「硬いところで硬いところにぶつかって行く」ことが身に付いているために、大怪我をするというのです。
 例えば、頭で相手プレーヤーの胸にぶつかって行き、首の骨を折ったり、頸椎を損傷したりするのです。

 アメフト時代にはヘルメットや肩パットで保護されていた部分が剥き出しですので、こうした事象が発生します。

 このお二方が現役であったころには、毎年犠牲者が出ていたそうです。

 少し前までは、アメリカンフットボールのクラブやチームが少なかったので、転校や就職などでアメフトチームが無くラグビーチームが在るところに所属した際に、「ではラグビーをやろう」と考えて、まだラグビーのやり方になれていないプレーヤーに発生する事故なのでしょう。

 2つの競技において、一見同じように見えるタックルプレーですが、「全く異なるもの」なのです。
 お正月のスポーツと言えば、全国高等学校サッカー選手権大会と全国高等学校ラグビーフットボール大会を忘れる訳には行きません。

 毎年、元日を挟んで大会が開催され、これまで様々なドラマが生まれてきました。

 今年のベスト4進出チームを見てみましょう。

[サッカー] 前橋育英(群馬)、星稜(石川)、日大藤沢(神奈川)、流経大柏(千葉)
[ラグビー] 御所実業(奈良)、京都成章、東福岡、尾道(広島)

 サッカーは東日本、ラグビーは西日本が優位という結果となりました。
 石川県代表の星稜高校チームは、東西というよりは北陸・雪国チームと呼んだ方が良い存在かもしれませんが、前回大会で富山第一高校が優勝を飾っていますから、有力な地域のチームということでしょう。

 さて、この「サッカーは東、ラグビーは西」という傾向は、21世紀に入って継続されている傾向の様に感じます。(本稿では愛知県以西を西日本とします)

 特に、ラグビーは21世紀に入ってから、西日本の高校チームが圧倒的に強いのです。
 これが、昔から西日本の学校が強かったというのなら、温暖で降雪が少ない気候や指導者の分布というような理由が考えられるのでしょうが、そうではなかったものですから、とても不思議な感じがします。

 例えば、戦後の復興期がようやく落ち着いてきたと判断される1951年~1960年の10度の大会を見てみると、東日本のチームが9度・西日本のチームが1度優勝しています。東日本というか秋田工業高校が大変強く、6度も優勝しているのです。

 続いて、1961年~1970年を見てみると東日本が7度・西日本が3度優勝しています。秋田工業の強さは継続されていて3度の日本一に輝いていますが、一方で盛岡工業高校(岩手)、保善高校(東京)、天理高校(奈良)が各2度ずつ優勝しています。

 1971年~1980年を見てみると東日本が6度・西日本が4度となっていますが、この頃は東京代表チームが強く、目黒高校が4度・国学院久我山高校が2度の優勝に輝きました。一方で1977年に大阪工大高校が初優勝していますが、この優勝がその後の大阪代表チーム大躍進のきっかけになったように感じます。

 1981年~1990年は東日本が7度・西日本が4度(1988年が同点で東西2校優勝)となりました。秋田工業と国学院久我山、大阪工大、天理の各2度の優勝が有り、茗溪学園高校や熊谷工業高校が初優勝するなど、混戦模様の時期だったと思います。

 1991年~2000年は東日本が3度・西日本が7度と、初めて西日本チームが上回りました。1991年大会の啓光学園高校チームの優勝は、西日本の時代到来を告げているかのようです。啓光学園は伏見工業と共に2度優勝しました。東日本では相模台工業(神奈川)が2度の優勝で、気を吐きました。

 そして2001年~2013年は東日本が1度・西日本が13度(2010年は同点で東西2校優勝)となっています。

 高校ラグビーの勢力図が動いたのは1990年代であり、21世紀に入ってからは西日本勢が圧倒的に強いという図式となっています。

 21世紀の西日本勢活躍の内訳にも特徴があります。
 2001年~2006年の6年間は大阪代表チームが5度優勝していて、とりわけ啓光学園高校チームの4連覇が目立ちます。2007年~2013年の7年間は東福岡高校チームが4度、大阪代表チームが3度優勝していますから、「21世紀の高校ラグビーは大阪代表チームと東福岡高校チームを中心に回っている」ことが明白です。

 1951年~1990年までの40年間あれ程強かった東日本のチームが、21世紀に入って勝てなくなってしまったのは何故なのでしょうか。極端な傾向変化ですので、とても不思議です。

 一方、サッカーの方も見てみましょう。

 1951年~1960年は東日本が7度・西日本が3度優勝しています。この頃は、埼玉代表チーム・浦和高校・浦和市立高校・浦和西高校が計6度も優勝しています。

 1961年~1970年は東日本が7度・西日本が4度(1965年は同点で東西2校優勝)優勝しています。この頃には、静岡県勢とりわけ藤枝東高校チームが4度も優勝しています。

 1971年~1980年は東日本が9度・西日本が1度となっていますが、埼玉県勢が3度、東京勢が3度、茨城県勢が2度、千葉県勢が1度の優勝を遂げていますから「関東地域全盛期」と言って良いでしょう。特に、東京の帝京高校チーム3度の優勝が目立ちます。

 1981年~1990年は東日本が7度・西日本が4度(1984年は同点で東西2校優勝)となりました。静岡県勢の4度の優勝が目立ちます。そして1987年に長崎の国見高校が初優勝を遂げていますが、この優勝が西日本勢躍進のスタートになったのかもしれません。

 1991年~2000年は東日本が6度・西日本も6度(1991年と1995年は同点で東西2校優勝)となっています。千葉・市立船橋高校が3度、東福岡高校と国見高校が2度、優勝しています。

 2001年~2013年は東日本が5度・西日本が8度となっていますが、複数回優勝しているのは市立船橋高校と国見高校の各2度が有るだけですので、「全国の代表チームのレベル差が極めて小さくなり、大混戦の時代」を迎えているということなのでしょう。

 優勝チームを見てみると、サッカーの方も1951年~1990年までは東日本チームが圧倒的に強かったのですが、1991年以降は互角あるいは西日本が優位に立っている感じがします。

 以上を踏まえると、サッカー競技およびラグビー競技においては、20世紀後半には東日本勢が相当強かったものが、21世紀に入ってからは、ラグビーは西日本勢が圧倒的に強くなり、サッカーも互角以上の戦いを展開できるようになったということが分かります。

 高校世代のこの2つの競技における西日本のチームの躍進の秘密、東日本のチームの地盤沈下の理由は、今後の検討課題としたいと思います。
 大相撲1月場所(初場所)が1月11日から始まります。

 例年のことですが、1月場所は新年早々に行われますので、力士にとっては「1月場所を終了してからお正月が来る」と言われます。

 年末年始の厳しい稽古の成果を、存分に発揮していただきたいものです。

 さて、注目の10名の力士です。

1. 横綱

 3名の横綱の中では、やはり白鵬関を挙げたいと思います。
 2014年11月場所で、「不滅の記録」と言われた横綱・大鵬の32回の幕ノ内最高優勝に並んだ白鵬が、1月場所で33回目の優勝を飾るかは、今場所最大の注目点でしょう。

 32回の最多優勝に並んで以降、様々なインタビューが白鵬に対して行われましたが、一様に白鵬関の表情は和やかなものでした。「ひとつの壁を破ったアスリート」の心持ちが感じられたのです。

 おそらく、1月場所は先場所よりリラックスして臨めるのではないでしょうか。円熟の境地に達した大横綱が、リラックスして本場所に臨むとすれば、やはり優勝に向けての大本命ということになるでしょう。

 先場所、横綱・白鵬と競り合った横綱・鶴竜にもチャンスはあります。先場所終盤、勝ちに拘り過ぎて「前に出ることを忘れてしまったこと」をしっかりと反省して、攻めの相撲を展開すれば、横綱になって初の賜杯も近づいてくると思います。

2. 大関

 3名の大関の中では、やはり稀勢の里関を挙げたいと思います。
 先場所は初日から好調な相撲を見せましたが、後半崩れてしまったのは残念でした。特に白鵬戦は「現在の大相撲の看板取組」のひとつですが、この数場所は白鵬が稀勢の里の力を正面から受けるのを回避し、素早い動きの中から勝機を見出すようになっています。結果、稀勢の里は分が悪いのです。

 とはいえ、稀勢の里は白鵬に一方的に押し出されているわけではありませんから、十分に警戒されていることも確かでしょう。白鵬は稀勢の里の力量を十分に警戒しているのです。

 相手力士に右に左に動かれても、慌てることなく、自身の腕力を信じて攻め続ければ、初優勝も夢ではありません。

 琴奨菊と豪栄道はカド番です。カド番自体は問題なくクリアできると思いますが、何より体調に留意して、15日間自分の相撲を取り切っていただきたいと思います。

3. 関脇以下の力士

③逸ノ城関

 先場所は、場所前の帯状疱疹発症の影響や、取材過多により、相当の稽古不足でしたが、そうした状況下でも勝ち越したのですから、力が有ることは間違いないでしょう。
 先場所より稽古を積み、関脇という地位にも慣れたわけですから、先場所以上の成績が期待されます。10勝はできるのではないかと思いますし、初優勝の可能性も有ると感じます。

⑤妙義龍関

 先場所は9勝6敗と勝ち越したものの、特に前半戦は「らしくない相撲」が目立ちました。後半盛り返しての勝ち越しでしたが、どちらかというと「相撲を思い出した」感じではないでしょうか。
 今場所も東前頭8枚目と、東関取を務めた妙義龍にとっては「家賃が安過ぎる地位」と言えるかもしれません。二桁勝ち星が期待できると思います。

⑥大砂嵐関

 先場所は4勝6敗5休と、全く不本意な成績でした。今場所は故障個所も相当に良くなっていると思います。そうであれば、東前頭13枚目であれば大活躍が期待できるでしょう。

⑦栃煌山関

 先場所は前頭筆頭で8勝7敗という成績でした。まだ故障の影響が残っていたと見ます。さて、相当癒えたであろう今場所は、その実力を如何無く発揮してくれるのではないでしょうか。
 もともと、豪栄道とは互角の力士です。大関取りに向けての第一歩の場所にしてほしいものです。

⑧豪風関

 先々場所は関脇で7勝8敗、先場所は小結で2勝13敗と、「高い番付で少し疲れた」感じがします。今場所は西前頭9枚目、リフレッシュしての大活躍に期待します。

⑨栃ノ心関

 今場所は西前頭筆頭と、ようやく「本来の番付」に戻って来ました。故障の為に2013年9月・11月場所・2014年1月場所を連続休場し、幕下15枚目まで落ちてから4場所連続優勝で幕の内に返り咲き、先11月場所も11勝4敗の見事な活躍でした。

 ついに本来の地位に戻り、全ての横綱・大関に当たることとなったのです。ここからが実力の見せ所でしょう。新・栃ノ心の相撲がどこまで通用するのか、目が離せません。

⑩旭天鵬関

 先場所は40歳を過ぎての10勝5敗という、見事な相撲を展開しました。
 「土俵に上がること自体が記録になる力士」ですが、衰えを知らない力士でもあります。

 先場所後半の失速は、ご本人も不満だったことでしょう。一層稽古を積んで向かう初場所では、先場所以上の相撲を見せていただきたいものです。

 1月場所は、以上の10力士に注目したいと思います。

 この10名以外にも、力を付けた碧山関・魁聖関や、宝富士関・照ノ富士関の「富士コンビ」、東前頭3枚目に上がった遠藤関など、期待される力士が目白押しです。

 レベルの高い幕の内上位陣の取組が、とても楽しみです。

 有馬記念2014はジェンティルドンナが快勝しました。
 本ブログで「ピークを過ぎている・・・」などと書いたことを、ジェンティルドンナ嬢に深くお詫び申し上げる次第です。

 先行するエピファネイアをジェンティルドンナが追い落とし、そのジェンティルドンナにゴールドシップとジャスタウェイが襲い掛かるという、素晴らしいレースでした。トゥザワールドの好走も特筆ものでした。

 さて、このレースのゴール前で、1馬身ほど前に出てゴールするジェンティルドンナの姿を観て、「この景色は、いつか見たもの・・・」と感じ、思い出しました。1990年の「オグリキャップの有馬記念」でした。

 レース背景といい、レース展開といい、勝ちっぷりといい、有馬記念2014と有馬記念1990はよく似ていました。

① 引退レースであったこと

 ジェンティルドンナもオグリキャップも、戦前から「引退レース」を公言していました。公言した上で勝ち切るところが、素晴らしいところでしょう。

② レース展開

 どちらのレースも、直線坂を上がる途中でグイッと抜け出し、ゴール前は凌ぎ切り、2着との着差が1馬身位と、とても似ています。

 凄く速い上がりの脚を使ったという訳では無く、「先攻馬を交わし、後続馬には追い付かれない」という絶妙のペースのレースだったのです。
 競馬界を支え続けてきた2頭の優駿に対する神様の配慮、とでも言うべきレースだったようにも感じます。

③ その1年の成績

 1990年のオグリキャップは5戦して2勝、2着1回、6着1回、11着1回と、彼の競走成績としては不満足なものでしたし、有馬記念1990の前走・ジャパンカップ1990は11着と大敗でした。

 2014年のジェンティルドンナは6戦して2勝、2着1回、4着1回、6着1回、9着1回と不満足なものでしたし、有馬記念2014の前走・ジャパンカップ2014は4着と完敗でした。

 そして、1990年のオグリキャップの2勝は安田記念と有馬記念、2014年のジェンティルドンナの2勝はドバイシーマクラシックと有馬記念と、共にG1を2勝しているのです。少し競走成績に陰りが見えてきた年にG1レースを春と冬に2勝したこと、そしてラストランである有馬記念に快勝したところは、よく似ていると感じます。

 さて、「名牝」ジェンティルドンナは引退します。

 通算19戦10勝(中央競馬17戦9勝・海外2戦1勝)、史上最多タイのG1レース7勝、牝馬三冠、史上初かつ史上唯一のジャパンカップ連覇、史上初の牝馬によるジャパンカップ・有馬記念両レース制覇、の記録ずくめの優駿はターフを後にします。

 牡馬を相手にしても一歩も引かないレース振りは、見事な精神力を感じさせます。
 特に、あのオルフェーヴルを相手にマッチレースを展開した、ジャパンカップ2012は彼女の代表レースでしょう。「競り合えば、牡馬の方が牝馬より強い」という常識を見事に打ち砕いてくれました。相手がオルフェーヴルだったたけに、あのレースには本当にビックリさせられました。

 繁殖に入るであろうジェンティルドンナには、「競走成績抜群の名牝は走る仔に恵まれない」というジンクスにも挑戦していただき、これも打ち破ってもらいたいと思います。

 素晴らしいレースの数々、本当にありがとうございました。

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カエサルjr

Author:カエサルjr
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