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 スウェーデンのファルンを会場として行われているノルディックスキー世界選手権2015も佳境に入りました。

 距離スキーの各種目では、やはり「王国」ノルウェーチームの活躍が続いていましたが、2月24日に行われた女子10km個人フリーと25日に行われた男子15kmフリーでは、地元スウェーデンチームが優勝を飾りました。
 北欧のノルディックスキー強豪国の一角として、さらに開催国としての意地を見せたのです。

 まずは女子10km。
 ハロッテ・カラー選手が2位のジェシカ・ディギンズ選手(アメリカ)に41.0秒の大差を付けて圧勝しました。
 カラー選手はスタート直後から波に乗り、前半で勝負を決めました。最後の2kmではさすがに疲れが見えて差を縮められましたが、悠々と逃げ切りました。

 続いて男子15km。
 ヨハン・オルソン選手が2位のマニフィカ選手に17.8秒の差を付けて快勝しました。ベテランであり、大きな大会での強さに定評があるオルソン選手は前半から快調な滑りを見せ、7.5km地点ではマニフィカ選手に僅かに遅れたものの、さすがのペース配分を魅せて後半逆転しました。
 スウェーデンのエースとして、堂々たる優勝であったと感じます。
 オルソン選手は、ノルウェーのぺッテル・ノートグ選手と共に、現在の男子距離スキー界を代表するプレーヤーと言えるでしょう。

 どんな競技・種目においても、世界大会が「大成功」するか「成功」で終わるかの要因のひとつに「地元勢の活躍」が有ることは間違いないでしょう。
 このところ距離スキー競技において、ややノルウェーに押され気味であったスウェーデンですが、男女の個人2種目において金メダルを獲得したというのは、地元ファルン大会のエポックとなったと思います。
 これで、この大会の「大成功」は約束されました。

 また、この女子10km・男子15kmにおけるスウェーデンチームの活躍は、まさに「チームの総合力」の勝利であったとも感じます。

 軟雪のコースコンディションに対するワックスも合っていましたし、カラー選手とオルソン選手のペース配分も絶妙でした。戦前の戦略が功を奏したのでしょう。そして何より、大観衆の応援が力となりました。
 
 一方のノルウェーチームは、ワックスで苦戦を強いられたように観えました。
 特に女子10kmは惨敗でした。

 ノルウェーチームの女子代表選手達は、少々のワックスの失敗を跳ね返す地力を保持していますから、どんな大会でも好成績を残して来ているわけですが、このレースはそうした超一流選手をもってしても「克服できない程の大失敗」であったのでしょう。あのビョルンゲン選手が31位という「自身の世界選手権・オリンピックを通じての最悪の順位」であったという事実が、その失敗の大きさを示しています。

 その点からも、地元ファルンの雪を知り尽くしているスウェーデンチームには、抜かりが有りませんでした。気候・雪質も含めて、まさに「地元の利」を活かし切った勝利なのです。

 会場内には、黄色と青の沢山のスウェーデン国旗が、力強く打ち振られていました。ノルディックスキーは北欧の文化であり、DNAそのものなのでしょう。
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 今回は「激励」記事です。

 サッカーのアジア・チャンピオンズリーグACLは1次リーグが行われていますが、Jリーグ勢の成績が振るいません。

 開幕日の2月24日にはガンバ大阪が敗れ、柏レイソルが引分けました。そして25日には、鹿島アントラーズが1-3で完敗し、浦和レッズも1-2で逆転負けを喫しました。

 近時の日本サッカーの地盤沈下は、フル代表を始めとする各世代の代表が軒並み「アジアのベスト8止まり」である事実に明確に表れていますが、クラブチームの実力も同様であることを示す、無残な成績と言えるでしょう。

 もはや「力を発揮できず残念」という段階は過ぎて、「日本サッカーは本当に弱い」と言われても仕方のない段階に入ってしまったのかもしれません。

 それぞれの対戦には、それぞれの敗因があり、都度都度「ここをこうしておけば良かった」などと論評されますが、問題が別の次元に存在するのは明らかなことでしょう。

・走力・スピードが劣っていること

 どの試合を観ても、相手チームの方がスピード面で勝っています。ここで言うスピードとは、単純に前に走るスピードでは無く、「テクニックのスピード」のことです。Jリーグのプレーヤーはテクニック面では上位と評されることが有りますが、一概にそうとは言えないでしょう。

 肝心な技を仕掛ける際の「体・技全体のスピードとキレ」が不足していることは明らかです。逆に、相手プレーヤーの仕掛けに対しては付いて行けないのですから、「守備面のスピード・キレも不足していること」は明確です。
 厳しい現実です。

・ゲームを戦い切る体力・持久力が不足していること

 サッカー先進国のプレーヤーでも、前・後半90分間を動き回ることは出来ません。エネルギーを充電する時間帯を設けながら、90分間を戦い抜くのです。

 とはいえ、Jリーグの選手達の体力・持久力は、ACLに登場してくる他の国々のチームのプレーヤーに比して、後半45分間のパフォーマンスの下落幅が大きいように観えます。

 例えば、前述の鹿島はウェスタンシドニー(オーストラリア)に後半だけで3失点を喫しました。鹿島のホームゲームであっただけに、後半のパフォーマンスの差は極めて大きいものであったことは明らかです。
 また、浦和レッズは水原(韓国)に後半2失点で逆転されました。試合全体を通しても終始押され気味の展開の中で前半1点を先制し、逃げ切りを目指したのでしょうが、パフォーマンスが落ちた後半を持ちこたえるだけの力は有りませんでした。

・リスクを取る勇気が欠けていること

 Jリーグのチームに限らず、日本代表チームにも共通しているのは、攻撃でも守備でも「思いもよらないプレーが不足している」ことでしょう。昔の言い方をすれば「創造力に欠けるプレーが多い」ということになります。

 相手が予想できる範囲の攻撃プレーでは得点することは難しい、一方で、こちらが予想もしない攻撃を受けると失点し易い、のです。現在の日本代表チームやJリーグのチームの有様そのものです。

 例えば、ボールを支配して相手ゴール前に攻め込んだとしても、ラストパスやラストパスに繋がるパスが、「誰でも予想できるようなもの」であれば、国際大会で通用する筈がありません。そんなことは十分に分かっている筈の選手達が、そうしたプレーしかできないのは、とても不思議です。

 「味方プレーヤーさえ予期できないようなプレー」を展開することで得点のチャンスが生まれるのでしょう。
 しかし「味方プレーヤーさえ予期できないようなプレー」は「成功の確率が低い」と考えてしまうのでしょうか、「誰でも分かるプレー」ばかりが行われ続けるのです。

 「味方プレーヤーさえ予期できないようなプレー」は、ひとつのゲームで2~3回成功すればよいのですから、もっとトライすべきでしょう。「リスクを取らなければ得点は生まれない」のではないでしょうか。

 同じ2月24日、欧州チャンピオンズリーグUEFA-CLも開催されていました。
 こちらは、「実質的な世界一のクラブを決定する大会」ですから、ACLを遥かに超えるレベルのゲームが展開されています。

 決勝トーナメント1回戦の第1戦で、マンチェスター・シティ(イングランド)とFCバルセロナ(スペイン)が対戦し、バルセロナがシティを2-1で破り、まず1勝を挙げたと報じられました。

 FCバルセロナとマンチェスター・シティは、どちらも現在の欧州サッカーにおける強豪チームです。もともと強いことに加えて、毎シーズン補強を行いますから、チームは「高いレベルを維持しながら変貌し続ける」のです。
 こうした世界最高レベルのチーム同士の対戦ともなれば、ますます「相手が予想も出来ないようなプレー」でなければ、得点出来ません。

 もちろん、このレベルのプレーヤー達の「次のプレーを読む・予測する能力の高さは世界最高レベル」ですから、その予測力を超える「超意外なプレー」を行うことの難しさは、筆舌に尽くし難いものだと思います。

 このゲームで、バルセロナの全得点2点を挙げたのはルイス・スアレス選手でした。
 現在、世界最高の得点感覚を保持していると言われる、ウルグアイのプレーヤーです。「世界最高レベルのチームを相手にたった一人で局面を打開出来る」とも言われるスアレス選手の実力が如何無く発揮されたのです。

 スアレス選手=噛み付き疑惑、などと連想している様では、決してスアレス選手のプレーから何かを学ぶことは出来ないでしょう。

 もちろん、スアレス選手ほどの大天才に並ぶなどということは、到底不可能なことなのでしょうが、スアレス選手がプレー中に、「どこを観て」「どこに動き」「ボールをもらった瞬間にどんなプレーを展開したか」を局面毎に繰り返し、繰り返し学ぶことで、「相手プレーヤーの予想を裏切るプレー」を行うためのヒントを得ることは出来るかもしれません。そして、自分たちのレベルの中では、相手の予想を超えるプレーが出来るようになるかもしれません。

 厳しい書き方で恐縮ですが、男子の日本サッカーがあらゆる面で国際的に相対的に弱くなっていることは、紛れもない事実です。世界ランキング60位も見えて来ました。史上ワーストを更新しそうな落ち方です。

 このままで十分というのであれば、「マイナーチェンジ」を繰り返していくことで足りるのでしょうが、ワールドカップに出場したい(アジア枠の削減が検討されている状況下、アジアのベスト8では到底出場できません)とか、もっと強化したいと考えているのであれば、ゲームの進め方やプレーヤーの育成方法を根本的に見直す時期が来ていると思います。

① 現在のフル代表チームは、相応の人材が揃っているにもかかわらず、近時は結果を残せていません。「メンバーが概ね固定され加齢のためチーム全体の運動量が落ちている可能性」があります。若手プレーヤーの発掘・育成を急ぐとともに、得点力アップに向けて「リスクを取るプレー」を増やしていく必要があるのでしょう。「綺麗に崩して得点しよう」という考え方は止めて、「乱暴な位のプレー」を展開する努力と勇気が必要なのではないかと思います。

② 当然ながら、いつまでも本田選手、長友選手、遠藤選手らに頼っている訳には行かないのですから、次世代の育成は最も大切な課題です。12歳以下、15歳以下、18歳以下といった各世代において、「その世代の国内のゲームで突出したテクニックを見せるプレーヤー」を過度に評価し重用することなく、そうしたプレーヤーには「技のスピード・キレの向上」と「体力・持久力アップ」を徹底して図らせることが必要かもしれません。
   若い頃「天才」の名を欲しい儘にしながら伸び悩んでいるプレーヤーが、日本サッカー界には数多くいます。20歳を過ぎてからでは、こうした面の強化は難しいということを示しているのではないでしょうか。

③ 若年世代においてテクニック面で劣ってはいても、身体能力に優れ、体力・持久力に恵まれたプレーヤーを選出し、国際大会の経験を積ませると共に、テクニックを向上させて行くことが肝心でしょう。

④ 「伸び代が大きいプレーヤー」を見抜くことが出来る指導者を育成することも大切なことでしょう。

 等々の施策が考えられるでしょう。もっと有効な施策も沢山あると思います。
 こうした諸施策を5年・10年というタームで計画的・組織的に実施し続けて行くことが、日本サッカーの真の強化に結び付くのではないでしょうか。

 サッカーという競技の国際大会において、代表チームを始めとする日本のチームに大活躍していただきたいと願っています。

 2月17日の記事で、世界競馬史上最強の呼び声高いシーバード号を採り上げました。シーバードは1965年の凱旋門賞優勝をラストランとして現役を引退、種牡馬となりアメリカの牧場にレンタルされました。

 そして、アメリカにおける7年間の種牡馬生活の後半となる1970年に1頭の牝馬を世に送り出しました。
 これが、後のアレ・フランスです。アレ・フランスはアメリカ生まれで、フランスで活躍したサラブレッドなのです。

 さて、アレ・フランスは2歳時の1972年にデビューし、フランス2歳牝馬王者を決めるマルセルブサック賞(G1、当時はクリテリウムデブリッシュというレース名)に快勝しました。順調な競走馬キャリアをスタートしたのです。

 3歳となった1973年、アレ・フランスはフランス牝馬三冠レースの第一弾、プール・デッセ・デ・プーリッシュ(G1、1600m、1883年開始)に挑み、これも快勝しました。

 続いての牡馬との初対戦で初めて敗れたアレ・フランスでしたが、フランス牝馬三冠レースの第二弾ディアヌ賞(G1、2100m、1841年開始)に臨み、これも快勝します。
 
 秋になり、9月23日のヴェルメイユ賞(フランス牝馬三冠レースの第三弾、G1、2400m、1897年開始)に臨み、これも完勝しました。「フランス牝馬三冠」を達成したのです。
 
 勢いを駆って、10月7日の凱旋門賞にも挑戦することとなったアレ・フランスは1番人気に支持されました。
 実は、ディアヌ賞の前に英ダービーに挑戦するという話もあり、その時のイギリス・ブックメーカーの倍率でもアレ・フランスは1番人気でした。結局、英ダービーへの挑戦は見送られましたが、大レースの距離である2400m競走においては、牝馬・牡馬の区別無く、この年の欧州NO.1の評価を得ていたことが分かりますし、人気も高かったのでしょう。

 しかし、この年の凱旋門賞では、アレ・フランスは2着に敗れてしまいます。勝ったのはラインゴールドでした。
 その後、「牡馬一線級に勝ちたい」という馬主の強い意向から、イギリスのチャンピオンステークス(G1、2000m)に挑みましたが、ここでも2着と、3歳時のアレ・フランスは「牡馬・牝馬共通のチャンピオン」となるには、僅かに力が足りなかった、本格化一歩手前であったのでしょう。

 1974年、4歳古馬となったアレ・フランスは「本格化」の時期を迎えました。
 4月にG2レースを勝ち、5月のガネー賞(G1、2100m)も制し、6月のイスパーン賞(G1、1850m)にも優勝しています。ロンシャン競馬場の春のG1を連勝したのです。

 秋になると、陣営は昨年敗れた凱旋門賞に照準を絞り、前哨戦として有名なG3フォア賞を優勝して、本番に臨み、コンテンスドロワールの追い込みを僅差で凌いで、ついに凱旋門賞優勝を手にしたのです。
 1974年のアレ・フランスは5戦5勝、G1を3勝と抜群の成績を残して、フランス年度代表馬に選出されました。競走馬としての全盛期でした。

 1975年も現役を続けたのですが、この年は勝ったり負けたりというシーズンとなり、11月にはアメリカに遠征したものの大敗を喫してしまいました。
 こうした名馬のキャリアにおいて、時折見られることなのですけれども、「現役引退時期を見損なう」事例が、アレ・フランスにも発生してしまったのです。

 4歳時、凱旋門賞優勝を最後にターフを去っていれば、勝率の低下も無く、「世界競馬史上最強の牝馬」という評価を固めることが出来たように思います。

 アレ・フランス号、父シーバード、母プライスレスジャム、母の父へイル・トゥー・リーズン。通算成績23戦13勝、G1を8勝、フランス牝馬三冠。

 引退後アメリカで繁殖生活に入ったアレ・フランスは、強豪牝馬によく観られるように、強い産駒には恵まれず、5頭の産駒の中で重賞勝ち馬は1頭(G3に優勝)だけでした。

 アレ・フランスは、我が国に欧米競馬の情報が比較的リアルタイムに、比較的多く入り始めた1970年代の代表的な活躍馬として、そしてその「アレ・フランス」という分かりやすく華に満ちた馬名もあって、日本の競馬ファンにとっても大変強く印象に残るサラブレッドとなったのであろうと思います。

 最強馬シーバードは、最強牝馬アレ・フランスを世に送り出しました。

 「アレ・フランス(Allez France)」とは「行け!フランス」という意味なのです。
 NFLデンバー・ブロンコスのクオーターバックQBペイトン・マニング選手が登場してくると、解説者の方から「試合時間を15秒も残して、逆転のタッチダウンTDパスを決めたりすると、マニングはとても反省すると思いますよ。完璧主義者ですから。」といったコメントが聞かれます。

 NFLのアメリカンフットボールは、15分を1つのクオーターQとして、4つのクオーター・計60分の試合時間で争われるのですが、表題はその第2Qと第4Qの最後の時間帯の話です。第1Qと第3Qは、チームのサイドが交替になるだけなのですが、第2Qと第4Qは、その終了時に直前の攻撃権他がリセットされるのです。(第4Q終了=試合終了ですから、当然のことと言えば当然ですが)

 特に、第4Qの最後の時間帯、たとえ逆転のTDを決めたとしても、15秒以上の試合時間を残して、相手チームに攻撃の機会を与えるようでは、NFLのトップクラスのQBとしては失敗だということを、前述の解説者の方は言っているのでしょう。

 確かにNFLなら15秒有れば3プレーあるいは4プレーが可能でしょうから、再逆転のTDや3点が取れるフィールドゴールFGのチャンスが相手チームに残ってしまうのです。
 ペイトン・マニング程のQBであれば、残り試合時間15秒以内での逆転TDを実現するべきであるとも、聞こえます。

 ご承知のように、アメリカンフットボールは「試合時間管理」が極めて重要なスポーツです。
 何故かというと、「相手チームの攻撃の時には、自軍には得点チャンスが殆ど無い」からです。この当たり前の事実を深く理解しなければ、アメリカンフットボール、特にその最高峰であるNFLのゲームに勝利することは、覚束ないことでしょう。

 7点以内の点差で負けているゲームで、いかに逆転のTDを決めたいと思っても、攻撃権が相手チームに有るのでは、何もすることが出来ません。
 従って、リードしているチームは「試合時間を消化すること」に注力します。例えば、ランプレーを行えば、プレー終了後も試合時間を示す時計は動き続けます。そして、次のプレー開始まで「40秒の時間を消費できる」のです。

 ファーストダウンからサードダウンまでの3度の攻撃プレーで、最大40秒×3度=120秒の時間を消費できます。これは、時計を進める上ではとても大きなことです。
 そして、10ヤード前進して次のファーストダウンを獲得すれば、再び同じように時間を消費することが出来ますから、守備側のチームは「3度のプレーで10ヤードを前進させること無くフォースダウンを迎える」か「ファンブルやインターセプトを誘発させることでターンオーバーを実現すること」に全力を尽くすこととなります。

 一方、逆転を狙うチームが攻撃権を得た場合で、第4Qの最後・残り時間が少ない状況では、「時計を進めない工夫」が必要になります。
 
 時計を止める方法もいくつかあります。

 「パスプレーでキャッチしたプレーヤーがフィールド外に飛び出すこと」で時計を止めることが出来ますし、前後半3つずつ与えられているタイムアウトを使っても時計を止めることが出来ます。

 また「スパイク」と呼ばれる、QBがセンターからボールを受けた瞬間にフィールドにボールを叩き付けることでも、時計を止めることが出来ます。

 そうすると、時間を残しながら攻撃を続けようとするQBは、サイドライン際のワイドレシーバーWRやタイトエンドTEのプレーヤーにパスを投げて、キャッチ成立後フィールド外に出てもらえるプレーを選択したりします。
 一方の、リードしていて「時計を進めたいチーム」のディフェンスDFプレーヤーは、パスキャッチは許しても、フィールド外に出ることは阻止して、フィールド内でボールデッドとなるようなプレーを展開します。
 この応酬が、NFLのとても面白いところなのです。

 さて、前に簡記したような要素を全て考慮したうえで、「試合時間をコントロールできる」のが、優れたQBということになります。
 そして、多くの解説者は「ペイトン・マニングなら、逆転のTDパスも、試合時間を殆ど残さずに実現できる筈」だと観ているのです。

 そもそも、NFLのレベルで第4Qに逆転タッチダウンTDを決めることさえ、極めて難しいことは明らかであるのに、「取れるチャンスで取る」のでは不十分で、試合時間をコントロールして「取りたい時に取る」のでなければならないというのは、およそ考えられない程難しいことでしょう。

 そして、そういうプレーを自らに課しているプレーヤーが、ペイトン・マニングというクオーターバックQBということになります。

 NFLの魅力・エンターテインメント性を示す事柄は沢山ありますが、この視点もそのひとつであることは、間違いないのでしょう。
 知人から、2月22日の東京マラソンを走ってきたとの報告がありました。完走したものの、走破に4時間30分以上を要したために本人としては不満な結果だったようですが、毎年充実し続ける大会の運営内容には満足した様子でした。
 「今回の参加賞のTシャツのデザインは良い」とのことです。

 東京マラソン2015のフルマラソン部門の参加者は35,500人。

 ランナーひとり当たり10,000円(税前)の参加費用を支払いますから、それだけで3億5千5百万円。多くの企業が後援・協賛・スポンサーに付いていますから、少なくとも「10億円イベント」ではあるのでしょう。
 テレビ放映料などを考慮すれば、もっとずっと大きなイベントであろうとも思います。

 知人によれば「参加に向けての競争率は10倍以上」とのことですから、少なくとも35万人以上の人達が申し込みを行ったことになります。抽選の結果35,500人に絞られたのです。
 もの凄い数です。有名歌手・グループのイベントや国内有数のスポーツイベントに勝るとも劣らない人気であることは、間違いないでしょう。

 そもそも、知人およびそのランニング仲間の人達は、日本中の主なマラソン大会の多くに「参加申し込み」を行い、「当たった」「外れた」と大騒ぎ?しています。
 「当たった」「外れた」ということか大問題になるのですから、当たればとても良いことなのでしょう。

 例えば、昨年の福岡マラソンに「当たった」知人は、参加費用に加えて往復の交通費+宿泊費+仲間との反省会(飲み会)費等で10万円内外の費用がかかったそうです。
 大阪マラソン、京都マラソン、名古屋マラソン、北海道マラソンなどでも大同小異で、東京近郊在住の人達がこうしたマラソンに参加するには「相当の費用がかかる」のです。
 逆に、日本各地から東京マラソンに参加する人達も、相当の費用が掛かるのでしょう。

 そして、こうした多くのランナー達は「レースの好成績」を毎回狙っている訳では無いようです。
 では、「自らの持ちタイムに挑戦する」という目標が有るのかと思えば、「今回は練習不足なので完走できれば十分」といった話を聞くことも多いのです。

 そうすると「有名マラソンで走ること」そのものが目的ということになります。

 例えば、東京マラソン2015では、抽選に外れても「別に100,000円を払えば走ることが出来る」のだそうです。こうなると、「東京マラソンで走ること」が、「ひとつの夢」になっている様子です。

 事ほど左様に、マラソンや長距離走が「運動のひとつというよりは趣味のひとつ」になってきたのでしょう。もちろん、「健康の維持・増進という目的」もあるのでしょうが、この目的であれば、極論すれば有名マラソンに出場する必要は無い訳ですから。

 昔?は、ランニング・ジョギングと言えば「気軽で費用が少なくても出来るスポーツ」でした。現在でも、そうした形で行うことも出来そうです。
 
 しかし、現在では「マラソン・長距離ランニングは相当の費用を要する趣味」になって来ている感じです。
 件の知人は、昨2014年に東京圏以外のマラソンを6回走っています。およそ知り得る範囲で、スケジュール等から参加可能な全ての大会に申し込んでいるが、「6つしか当たらなかった」のだそうです。例えば、1大会当たりの必要経費を平均80,000円とすれば、6大会で計480,000円となります。

 当然ながら、季節毎に着衣も異なります。毎年最新のユニフォームを調達するわけでは無いにしても、一般的にこうした趣味人は最新のアイテムに拘る傾向が有りますから、この分野でも相当の費用が掛かっていることでしょう。
 そういえば、東京マラソン2015用に「チーム統一『新』ユニフォーム」を作ったとも聞きました。

 こうなると、年間500,000円~1,000,000円を費やす趣味ということになりますから、ゴルフや釣りといった趣味に匹敵するものになるのでしょう。
 一方で、私の周りに居る長距離ランナー達は50歳台の人が多く、中には60歳以上の人も居て、逆に20歳台・30歳台の人は少数ですから、「趣味としてのマラソン・ランニングは相応の年齢の人達のもの」なのかもしれません。

 もちろん、個々の人が、自らの趣味に対して、どのように取り組もうとも、口を差し挟むものではありませんし、ご本人が満足しているのですから、素晴らしい趣味のひとつなのでしょう。

 「趣味としてのスポーツ」の多様性と広がりを感じます。
 2月22日に行われた東京マラソン2015には、例年以上に多くの海外一線級ランナーが出場してきました。
 
 男子ではロンドン・オリンピック2012の金メダリストに加えて、2時間4分台の自己ベスト記録保持者が4名という布陣。女子もロンドンの金メダリストを始めとするランナーが出場してきました。
 現状の日本マラソン界と世界の差を測るには、格好の大会となったのです。

 結果は海外勢の圧勝でした。予想されていたこととはいえ、その予想をも大きく超える「力の差」が感じられました。厳しい現実を突きつけられた形です。

 女子については、10km付近で日本選手が遅れてしまいましたので、力量比較も出来ないレースでした。

 男子は、34km付近で日本選手が遅れてしまいました。
 こちらも「勝負どころを迎える前に後退した」のですから、力の差は極めて大きいと言わざるを得ません。「勝負にならない」ということになります。

 マラソン競技において「3位以内」を狙う場合、例えば
① 40km付近までトップグループで競り合った上で後退してしまっての4位入賞
② 34km付近で後退したが脱落してくる選手を拾い続けての4位入賞

 の2つのケースを比較すれば、同じ4位でも、①なら「勝負になっている」が②では「勝負になっていない」ということになると思います。
 世界一を争う大会で3位以内を目指すとすれば、そのプレ大会では①の走りをする必要があるのでしょう。

 もちろん、こうしたレースで「気合・精神力だけで40kmまで先頭集団に食い付いて行くこと」など出来る筈も無く、35kmを過ぎての十分なスタミナと走行スピードのアップダウンに対応できる「走りの柔軟性」が必要なことは言うまでも無いことです。高いスキルが不可欠なのです。

 残念ながら、現状の男子日本マラソン陣では、世界トップクラスが出場してくるレースにおいて「35km以降の戦いを行う地力は無い」ことを明確に示した東京マラソン2015だったのではないでしょうか。

 このレースは、2時間4分台で走れるランナー同士が数㎞に渡る競り合いを展開した中で、エチオピアのネゲセ選手が2時間6分00秒で優勝を遂げました。マラソンとは、こういうものなのでしょう。
 この大会の数倍の人数の「2時間3分台・4分台ランナー」が犇めき合う世界大会における、35km以降の競り合いは、今大会の比では無い極めて激しいものです。

 関係者の皆さんは百も承知のことだと思いますが、日本男子マラソンが世界大会で3位以内の結果を狙うためには、2時間4分台で走れる日本人ランナーが少なくとも1~2名、2時間5分台で走れるランナーが3~4名居る必要があるのでしょう。
 現状の男子日本マラソンは、世界に対して「30年は遅れている」ように観えます。

 厳しいことばかりを書いてしまい誠に恐縮ですが、男子日本マラソン復活に向けては小手先の対策など全く効果が無い様に感じます。
 10年先を見据えて、現在の小学生・中学生ランナーを育てて行くことしか道は無い様に見えます。

 こうした方法でしか「30年の差を僅か10年で追いつく」という「光速の成長」は実現できないのではないでしょうか。
 2月19日に行われた男女のスプリント・クラシカル種目では、ノルウェー勢の活躍が目立ちましたが、準々決勝・準決勝におけるチームワークも素晴らしいものでした。

 個人競技でチームワークというのは違和感がある話かもしれませんが、準々決勝と準決勝において、さらに上のレースに進出するための工夫・努力という意味です。

 今大会のスプリント種目では、各レース6名の選手が出場し、2着までの選手は自動的に上のレースに進み、各レースで3着以下の選手たちの中から「走破タイム上位2選手」が「ラッキールーザー(幸運な敗者)」として進出できるルールです。

 一方で、準々決勝は各組6名・計5組の競走があり、準決勝は各組6名・計2組の競走がありますが、それぞれの組の組合せは「くじ引き・抽選」により決まりますから、同じ国・チームのメンバーが同じ組に入ってしまうことが時々有ります。

 ましてやノルディック王国ノルウェーチームの選手達は、いずれも十分な力量を保持していますから、出場選手達の大半が準々決勝に進出しますので、「ブッキングの可能性も高い」のです。
 事実、この日のレースでも、女子では同じ組に3人、男子では同じ組に4人のノルウェー選手が入ってしまいました。

 同組の6名の選手の内3名・4名が同じチームの選手とは、「とても不運な組分け」だと感じますが、ここで「ノルウェーチームのチームワーク」が発揮されたのです。

 例えば、4名が同じ組に入った場合に、4名全員が上のレースに進むためには
① まず、1位と2位をノルウェーの選手で占めること。
② 続いて3位と4位もノルウェーの選手で占めること。つまり1~4位を独占すること。
③ そして、3位と4位の選手の走破タイムが「ラッキールーザー」となるようにレースを進めること。

 という諸条件を満たす必要があります。

 世界トップクラスの他国チームの選手達が6名中2名出場している組で、1~4位を独占することは容易なことではありません。

 加えて、優勝争いが出来る位の力量上位の選手なら、準決勝までのレースで2位に入ることはそれほど難しいことではないと考えられますし、決勝に進出すれば1日に3レースも戦わなければならない厳しい日程ですから、こういう優勝候補の選手にとっては「なるべく体力を温存して勝ち残りたい」と考えるのが普通なのでしょうが、そういう走りをしていては組全体のタイムが遅くなってしまい、その組の3位・4位に入るチームメイトの選手達を「ラッキールーザー」にすることは出来ませんから、相当高いスピードでレースを引っ張る必要があるでしょう。

 つまり、チームメイトの上位レース進出のために、「自分が決勝に進出するために必要なエネルギー以上のエネルギーを消費」しなくてはならないのであろうと思います。「体力を温存する」という、「自分の勝利ための行動」ではなく、チームのための行動を展開することになります。

 そして、ノルウェーチームはこの極めて難しい諸条件を見事にクリアしました。ノルウェーチーム全体の高い実力レベルが無ければ到底できなかったことであろうとも思いますが、4名のチームメイトがそれぞれの役割をキッチリと果たし、見事なチームワークを魅せたのです。

 この日の男子準決勝2組目、1.4kmコース最後の直線手前の上り坂を4名のノルウェーの男子選手達が一心不乱に登って行くシーンが印象的でした。他国チームの2名の選手とは差が付いていましたから、この組の1~4位独占を狙える状況でした。

 あとは「タイムだけ」です。3位と4位になるチームメイトを「ラッキールーザー」にするために、1組目の3・4位の選手達より速い走破タイムが必要なのです。この段階で他国チームの選手に差を付けていても、全力で坂を登らなければならなかったのです。

 結局ノルウェーチームの4名全員が決勝に進出しました。「2着+2」というルールの下で、同じ組に自国選手4名全員が入ってしまった時には、さすがのノルウェーチームも難しい状況に追い込まれたと感じたことでしょうが、決して諦めることなく、全員決勝進出に向けての作戦を練り上げ実行したのでしょう。

 特に、同じ組に入った他国の優勝候補の選手、この選手はゴール前の追い込みの強さに定評がある選手なのですが、この選手が追い込んでくることを想定して、ノルウェーチームも最強の選手(ぺッテル・ノートグ選手)を自国の選手集団の後方に配置して、待ち受けたように観えるのは、驚くべきことでしょう。
 この後の決勝レースで優勝を遂げたペッテル・ノートグ選手は、この準決勝を3着で勝ち上がったのです。自国の大エースを「ラッキールーザー」にすることで、チームメイト4名全員の決勝進出を実現したと見るのは考え過ぎでしょうか。

 もちろん、出来るだけ多くのチームメイトが決勝に進出できれば、決勝レースにおいて「万一エースプレーヤーにトラブルが発生した場合」でも、他のチームメイトが優勝を狙うことができるのでしょうし、「チームとしての多彩な作戦を立案し実行すること」も出来ることになるのでしょうから、結果としては「ノルウェーチームの勝利の確率が高まる」ことに繋がります。
 「全てはノルウェーの栄光の為に」ということなのかもしれません。

 「ノルディック王国」ノルウェーの地位は、こうした不断の努力により維持されているのだと感じます。凄いことです。
 2年に一度のノルディックスキー世界選手権大会が、2月18日にスウェーデンのファルンを会場として開幕しました。アメリカ・ビーバークリークで行われていた「アルペンスキー世界選手権大会」が閉幕して直ぐの開催というスケジュールです。

 恒例により、距離スキーはスプリント種目から始まりました。

 男女とも1.4㎞のコースを使い、準々決勝以降は6名の選手が同時に滑って順位を競う形式です。比較的新しい種目である「スプリント」ですが、北欧勢を中心に世界トップクラスの選手達が繰り広げる競り合いは見応え十分。とても面白いレースが続きました。

 但し、テレビ放送の中で気になるところがありました。

 「上り坂でワックスのグリップが余り効いていないようです」といったコメントが、とても多かったのです。スキー板滑走面の真ん中辺りに塗布されている「グリップワックス」の効果についてのコメントなのでしょうが、レース中に何度も指摘するようなことではないと思います。

 もちろん、ワックスの成否はレースの勝敗に影響を与えることは間違いありません。レース前に各チームのワックスマンを始めとするスタッフは、当日の気温・雪質やコースの高低・形状に合わせて何層にもワックスを塗り、おそらく複数のバージョンのスキー板を用意して、選手と相談の上、当日使用するスキー板を決めているのだと思います。
 当然ながら、選手の体格・体力・滑り方の特質・好みも考慮されるのでしょう。

 こうして用意されたスキー板が、いざ滑ってみると「思ったように上手く行かない」ということも起こることでしょう。自然を相手にするスポーツではままあることです。

 さて、「ワックスが上手く行かなかった」時に、世界トップクラスの選手達は「天を仰いで」悔しがり、レースを諦めるのでしょうか。
 そんなことは無いでしょう。
 その日のワックスの具合によって、レースのやり方を変えて行くのでしょう。
 そうでなければ、世界のトップクラスに長く居続けることなど出来ないからです。

 ワックスのグリップが弱いレースでは、下り坂の滑りが速くなるかもしれません。あるいはターンが良く効くかもしれません。色々なケースが考えられますが、そのレースのワックスの具合により、自身の滑りを変更し、可能な限り対応していくことが出来る選手が、世界トップクラスの選手達なのだと思います。
 もちろん、こうした選手達は「ワックスが的中した時」には、一層素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれるのでしょう。

 レースに臨んで大切なことは「ワックスの具合などで一喜一憂しないこと」なのだと思います。滑り始めて100mもすれば、選手はその日のワックスの具合が分かることでしょう。そして「上手く行っていない」と感じた時に、「ああ、これで今日のレースはダメだ」などと考えるようでは、到底世界で戦っていくことは出来ないと思います。

 自然を相手にするスポーツでは、天候等の要因により「パーフェクトな状態で戦えないこと」がよく発生するのでしょう。その時に、自らの最高のパフォーマンスを100として、90や95のパフォーマンスを維持できるプレーヤーこそが、世界のトッププレーヤーなのでしょう。

 上り坂で「カクッと」なる選手達を見て「ワックスが・・・」などと何度もコメントするのであれば、その選手の下り坂の滑りも分析してみていただきたいと思います。ひょっとすると「スキーが良く滑っている」かもしれません。

 男子スプリント・クラシカルで優勝したペッテル・ノートグ選手も、女子スプリント・クラシカルで優勝したマリット・ビョルンゲン選手(共にノルウェー)も、坂道で何度もスリップしていました。
 そんなことはお構い無しに、この2人の偉大なアスリート・ノルウェーチームの男女のエース、は自らのキャリアに「世界選手権優勝」の記録を積み上げました。

 ノートグ選手は世界選手権通算10個目の金メダル、ビョルンゲン選手は同13個目の金メダルです。
 まさに、世界のトッププレーヤーなのです。
 2015年最初のG1レース、2月22日東京競馬場1600mコースで行われる第32回フェブラリーステークスの注目馬検討です。

 ダート最高の栄誉を目指して、今年も16頭が出走して来ました。
 ダートレース界には、何時の時代も2~3頭の強い馬・軸になる馬が居ることが多いのですが、今年は少し様相が異なります。世代交代の最中ということなのかもしれません。

 ローマンレジェンド(7歳)やワンダーアキュート(9歳)といったG1優勝馬が、さすがに加齢とともにピークを過ぎている感じがする一方で、4歳馬・5歳馬という次代を担う世代はコパノリッキーを除いて混戦模様というところでしょうか。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、2枠4番のコパノリッキー。
 昨年のこのレースで一気にダート界のトップクラスに躍り出て、以降もかしわ記念・JCBクラシックで優勝、帝王賞・東京大賞典を2着と、G1レースで安定した成績を収めています。軸はこの馬しかいないでしょう。前走の東海ステークス(G2)も快勝していますから調子も上向きと見ます。

 第二の注目馬は、5枠9番のサンビスタ。
 昨年11月のJBCレディス(G1)、今年1月のTCK女王盃(G3)で優勝と、牝馬相手には強いところを見せていますが、牡馬一線級相手では「少し足りない」感じでした。
 芝のレースでは世界的にも「牝馬の時代」となっていますから、そろそろダート界にもその波が来るのではないかと期待しています。クリスチャン・デムーロ騎手の手綱さばきにも注目です。

 第三の注目馬は、3枠5番のカゼノコ。
 昨年7月のG1・ジャパンDDで優勝して以降、いまひとつのレースが続いていますが、次代を担う4歳馬として期待します。
 お父さんはあのアグネスデジタル。2002年のこのレースに勝ち、天皇賞(秋)でテイエムオペラオーを破り、マイルCSと安田記念をレコード勝ちした強者の血が、ここで開花して欲しいものです。

 フェブラリーステークス2015は、以上の3頭に期待します。新旧入り乱れた激しいレースが期待されます。

 それにしても、府中のG1に美浦の馬が1頭も出ていないのは、寂しい限りです。
 現在のアルペンスキー競技は、「高速系」と「技術系」の種目で構成されています。別の言い方をすれば「分業が明確化」されているということでしょう。

 冬季オリンピックに「スーパー大回転」種目が登場したのは1988年のカルガリー大会からでした。そして、この大会には「アルペン複合」種目も登場しています。

 1984年のサラエボ・オリンピック以前のアルペン種目は、滑降・大回転・回転の3つでした。
 現在の見方で分類すれば、高速系が滑降の1種目、技術系が大回転と回転の2種目となりますから、高速系種目の方が少ないということになります。

 それでは高速系種目を増やそう、ということになったのかどうかはともかくとして、高速系種目としての「スーパー大回転」が追加されたのです。

 そして、「高速系種目と技術系種目の接点となる種目」として「アルペン複合」種目もプラスされたのかもしれません。

 実は、世界選手権大会においては「アルペン複合」という種目は1930年代から実施されてきています。その点からは、世界選手権とオリンピックの実施種目に違いがあったことになります。

 世界選手権で「複合」種目が始まったころは、単独種目の滑降と回転のタイムを合計して順位付けしたりしていましたが、その後は「複合種目専用に別に滑って比較」したりしていました。高速系の種目が滑降では無くスーパー大回転であった頃もあったのです。
 また、複合種目専用に滑るのも「別々の日」に行っていたりしました。

 「アルペン複合」種目は、様々な見直しの過程の中で現在のような形=単独種目とは別に「滑降」と「回転」を1日の間に滑って合計タイムで競う、になってきたといえるでしょう。

 こうして、男女共に5種目(個人種目)となったアルペン競技は、種目数が奇数であるだけに「高速系の選手対技術系の選手」の対決も見物となって来ています。

 そして、これだけ分業が確立されている時代にあっても「オールラウンドプレーヤー」も存在しますから、見所十分ということになります。

 アメリカ・ビーバークリークで行われた世界選手権大会2015では、例えば男子複合で「技術系のヒルシャー選手が優勝し、高速系のランスルー選手が僅差の2位」となるなど、高速系対技術系の見事な対決が見られましたし、女子ではオールラウンダーであるティナ・マゼ選手の「5種目全て出場」が目立ちました。

 道具の進歩やトレーニング手法の向上が続いている中では、今後もアルペンスキー競技の分業化が伸展して行くことは間違いのない所なのでしょうが、一方でかつてのトニー・ザイラー選手やジャン・クロード・キリー選手の様に「オリンピックの全ての種目(当時は3種目)で金メダル」を獲得する選手の出現(現在の個人種目は5)にも、少し期待してしまうのです。相当難しいことだろうとは思いますけれども。

 関東学院大学チームやNECグリーンロケッツチームで活躍した箕内拓郎選手の、現役引退会見が2月17日に行われたと報じられました。

 長く日本代表をも務めた箕内選手も39歳になっていました。素晴らしいプレーヤーであり、「日本ラグビーに変革を齎した」選手であったとも思います。

 箕内選手の名を全国に知らしめたのは、1997年の関東学院大学による大学選手権初優勝でしょう。
 ラグビー大学選手権大会といえば、早稲田大学(優勝15回)、明治大学(同12回)の2校を中心とした時代が長く続いていたのですが、1997年の関東学院大学の優勝が「大学ラグビー界の地図を塗り替えるきっかけ」となったことは、間違いないと感じます。

 この大会で箕内選手はNO.8として大活躍しました。

 スクラムサイド突破を図る箕内選手を誰も止めることが出来ませんでした。凄まじい突破力。
 身長187cm・体重106kgの箕内選手はもともと大きいのですが、ラグビー競技のプレーヤーとしては突出して高い身長という訳では無く、我が国にも190cmを越える選手は少なくありません。

 ところがフィールドで動き回る箕内選手は「他を圧して大きく観えた」のです。
 パフォーマンスの高さと「オーラ」が有ったのでしょう。

 箕内選手が動き出すと「これは止められない」という雰囲気が漂い、毎回10~15mは前進していました。一人のプレーヤーに10~15mの距離を真っ直ぐ突破されると、守備陣はオフサイドポジションからオンサイドに戻ってくるまでに多くの時間を要しますから、攻撃側は必ずチャンスになります。

 関東学院は1998年の大学選手権も制して連覇を達成、2000.年・2001年にも連破して、通算優勝6回という、早稲田、明治に次ぐ優勝回数を誇るラグビー名門校となったのです。

 特に2001年~2006年までの6年間は「早稲田VS関東学院の決勝戦」が続き、3勝3敗という互角の成績を残しましたが、この6年間の戦前予想では「関東学院有利」とする年が多かったと記憶していますので、「早稲田が健闘した6年間」とも言えそうです。

 そして、この6年間を経て、大学ラグビーは早稲田・明治の時代から、関東学院・帝京(優勝6回・6連覇中)の時代へと変わったように感じるのです。
 箕内選手は「この変革」の起爆剤となったプレーヤーなのでしょう。

 関東学院大学を卒業後、社会人でいつも優勝争いをしているチームには入らず、1999年にNECに入社。NECは2002年に日本選手権を制覇しています。

 キャップ数は48。2002年~2005年は日本代表チームの主将として活躍、2003年の第5回ワールドカップ(オーストラリア)にも出場しました。2006年12月には「世界選抜」にも選出されていますから、文字通り日本を代表するラガーマンだったのです。

 「箕内拓郎選手引退」と聞くと時代の流れを感じますが、「スクラムから出たボールを高く掲げてスクラムサイドを突破して行く姿」は瞼に焼き付いています。一生忘れることは無いでしょう。

 日本ラグビー史上に燦然と輝くプレーヤーであったと思います。
 大相撲3月場所の番付発表を2月23日に控えて、今回は提案があります。「番付の形」の見直し提案です。

 ご承知の様に、大相撲1月場所は横綱・白鵬が全勝優勝を飾りました。早々と13日目に優勝が決まったのです。
 これで白鵬は5場所連続優勝ともなりました。
 白鵬と他の力士の力量差が極めて大きいことは明らかです。

 
 現在、横綱は白鵬・日馬富士・鶴竜の3人ですが、残念ながら白鵬と日馬富士・鶴竜の力量差も大きいと言わざるを得ない状況でしょう。
 番付は力士の順位を示すもので、大相撲の世界では「絶対のもの」でもあると言われます。であれば、この3人の力士が同じ「横綱という番付」で、良いのでしょうか。

 例えば、
 
① 「横綱」を分けて、「大横綱」と「横綱」の2段階の番付とする。
② 同じく、「横綱」と「横綱大関」の2段階の番付とする。

 といった、見直し案を検討してみるのは、いかがでしょうか。

 そもそも、大相撲の最高位は「大関」であり、「大関」力士の中で心身ともに抜群の強さを保持する力士が、横綱を身に付けるようになったと聞いたことが有りますし、一時期NHKのテレビ放送でも、横綱のことを「横綱大関」と表示していたことがあったと記憶しています。

 おそらく、「横綱大関」が正しい表記なのです。

 であれば、今般「横綱」という番付を「新設」してみてはどうかと言う、提案なのです。

 現在の力士に当て嵌めると
・横綱 白鵬
・横綱大関 日馬富士、鶴竜
・大関 稀勢の里、琴奨菊、豪栄道

 という形になります。現在の各力士の力量を、良く示した番付となるのではないでしょうか。

 とまあ、これは「冗談」です。

 「冗談」ですけれども、現在の大相撲において、白鵬関の力量がずば抜けていることも間違いないことでしょう。

 「いつの時代にも、強い横綱とそうでは無い横綱が併存していた」ことは、十分に認識していますが、そうした過去の時代と比較しても、現在の力量差の大きさは際立っているのではないでしょうか。

 あまりにひとりのプレーヤーが強すぎるのは、プロスポーツあるいはエンターティンメントとしては望ましいこととは言えません。
 かと言って、トッププレーヤーに弱くなって欲しいというのは、本末転倒も甚だしいでしょう。

 こんな「冗談」を考えなくとも良い様に、他の力士の実力向上・精進が期待されるところです。
 先日の「競馬コラム134」で、ネイティブダンサーの孫・マジェスティックプリンスがアメリカ競馬で大活躍したことを書きました。

 今回は、同じネイティブダンサーの孫が、ヨーロッパ競馬で大活躍した話です。

 シーバードは1962年にフランスで生まれました。お父さんはダンキューピッド、ネイティブダンサー産駒です。ダンキューピッドは現役時代には重賞を勝っていなかったのですが、名にし負うネイティブダンサーの直仔ですから種牡馬となったのでしょう。

 そして、肌馬シカラードとの間に生まれたのがシーバードでした。

 1964年・2歳馬としてデビューしたシーバードは、2連勝の後、フランス2歳王者決定レースであるグラン・クリテリウムに挑みますが惜しくも2着に敗れました。
 これが、シーバードが生涯唯一勝てなかったレースとなりました。

 1965年・昭和40年、3歳となったシーバードはG2レースで優勝した後、ジョッケクルブ賞(フランスダービー)の前哨戦として有名だったリュパン賞(G1)に挑み、2着馬に6馬身差を付けて圧勝します。
 この年のリュパン賞には、カンブルアンやダイアトムといった強豪馬が出走していたのですが、シーバードは相手にしなかったのです。

 この強さを見て、シーバード陣営は英ダービーを目指すことにしたのでしょう。
 
 1965年の英ダービー競走は、フランス馬シーバードの独壇場でした。残り400mで先頭に立つと、余裕綽々の走りでゴール板を通過しました。2着馬との着差こそ2馬身半でしたが、「シーバードは遊びながら走っていた」と報じられる圧勝だったのです。

 フランスに帰国したシーバードは、7月に古馬との対決となるサンクルー大賞(G1)に快勝して、10月の凱旋門賞に臨みました。
 1965年の凱旋門賞は、各国の4頭のダービー馬やアメリカからの強豪遠征馬などが犇めき、凱旋門賞史上でも「最高レベル」のレースと評価されていました。

 このレースをシーバードは6馬身差で圧勝したのです。
 残り400mでこの年のフランスダービー馬ルリアンスに並びかけると、外側に大きくよれながら、ぐんぐん差を広げてゴールしました。
 これだけのメンバーを「子ども扱いした」ことから、「シーバード強し」の評価が高まり、この年のヨーロッパ年度代表馬に輝きました。
 そして、「伝説的な凱旋門賞優勝」を最後に、現役を引退したのです。

 シーバード号、父ダンキューピッド、母シカラード、父の父ネイティブダンサー。通算成績8戦7勝。この馬も、祖父ネイティブダンサーや、マジェスティックプリンスと同様に、クラシック路線で大活躍しながら「生涯1敗馬」となっています。
 何故、これほど強いサラブレッド達が「1敗」するのかは、とても不思議な感じがします。

 ところで、1敗馬ながらシーバードは「世界競馬史上最強馬」と評されることが多いのです。

 例えば、1955年と1956年の凱旋門賞を3馬身差と6馬身差で連覇し1956年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスも5馬身差で圧勝し、生涯16戦16勝と無敗を誇ったイタリア馬・リボー号の方が、成績は上に見えます。
 欧州3大レース(英ダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS、凱旋門賞)の内2つを勝っている点も同水準です。

 もちろん、「最強馬」にリボーを押す声もあるのですが、シーバードを押す声の方が圧倒的に多い。何故なのでしょうか。

 私は「勝ちっぷり」の問題であろうと考えています。

 リボーも各レースを大きな差で勝っていますが、「観る者を呆然とさせるような勝ちっぷり」という点で、シーバードが勝っているのでしょう。

 英ダービーの時、イギリスの新聞が「ダービーに出走するような一流馬を、まるで乗馬クラブの去勢馬のように扱った」と報じたと伝えられていますし、凱旋門賞1965の映像を見る限り、確かにシーバードは余裕綽々で走り、6馬身差を付けているように感じます。
 リポーも6馬身差で凱旋門賞に勝っているのですが、「同じ6馬身差でも戦った相手が違う、レース内容が違う」ということなのでしょうか。

 競馬サークルにおける「多くの専門家の皆さん」を驚愕させた、英ダービーと凱旋門賞の印象、「本気で走ったらどれほど強いのだろう」「この馬を本気にさせる馬が存在するのか?」といった強烈なインパクトが長く語り継がれ、現在でもシーバードが「世界競馬史上最強馬」として評価されているのだと思います。

 1952年~1954年にかけてアメリカ競馬を席巻し、22戦21勝の二冠馬という驚異的な成績を残した葦毛馬・ネイティブダンサー号の子孫達は、ヨーロッパやアメリカといった「競馬先進地域」で目覚ましい活躍を魅せました。

 そして、「最強馬」シーバード号を世に送り出したのです。
 2015年アルペン世界選手権の女子最終種目「回転」が2月14日に行われ、アメリカのミカエラ・シフリン選手が優勝しました。

 シフリン選手の1回目・2回目の滑りは共に「完璧」でした。
 アルペンスキー競技における世界一を争う大会でノーミスの滑りというのは、滅多に観られないものです。

 「ギリギリのスピード」を追及する競技なのですから、優勝選手であっても必ずエッジング(タイミング・方向・強さ)やコース取りのミス等々が1回や2回は観られるものなのです。ところが、この日のシフリン選手の滑りには、殆ど無いというか皆無であったように感じました。

 もともと「雪煙が少ない滑り」には定評があるところでしたが、この日は他を圧して少なかったように思います

 スキーは、雪面をスキー板の滑走面で押すことで雪が解け、水の幕がスキー板と雪面の間にできて摩擦が小さくなり、斜面を下りながら引力で加速して行くスポーツですから、

① できるだけスキー板と雪面の接地面積が大きい方が速く滑ることが出来る
② スキー板をできるだけ大きな力で雪面を押し続ける方が速く滑ることが出来る

 競技なのです。(当たり前のことを書き恐縮です)

 従って、滑走に当たっては、なるべくジャンプを短くする、エッジングを出来るだけ小さく短くする、スキー板をバタつかせない、といった点に留意する必要があります。

 特にエッジングは、旗門の都度行う動きですので、その1度当たりの差は小さくとも、コース全体では大きな差となって表れるのです。

 エッジングはスキー板のエッジを雪面に立ててスキーの方向を変える運動ですから、「エッジの角度を立てる程、雪面との接地面積は小さくなり」前述の①に悪影響を与えます。
 なるべく「エッジを立てること無く」エッジングを行う方が、①を実現できることになります。

 また、「エッジングに要する時間が短ければ短い程、スキー板と雪面を水平にして滑る時間が増えます」から、①を実現できます。従って、エッジングは、なるべくエッジを立てることなく、短く行うことで、早く滑れる可能性が高くなることになるのです。

 「スキーのエッジを立てることなく、短く」エッジングを行えば、「雪煙が少なくなる」のは理の当然です。

 ちなみに②を実現するには、選手が自らの重心をスキー板の真上に置く努力が重要なのでしょう。足首の角度や腰の位置・上体の移動方法など多くの要素が関係して来ます。

 何か、今回の記事はファンの方なら良くご存じのことを長々と書いてしまい、申し訳なく思いますが、今大会「他の選手に比べて明らかに雪煙が少ない滑り」を魅せているのは、男子のヒルシャー選手(オーストリア)と女子のシフリン選手(アメリカ)の2人のスキーヤーでしょう。

 これが世界トップクラスのプレーヤーが勢揃いした大会における現象であること、平均斜度が25度前後という急斜面に「世界最難度のポール配置」が施されたコースにおいて観られる現象であること、を考え合わせれば、いかに驚異的なこととであるかが分かるでしょう。

 最高斜度が30度を優に超えるコースを世界最高水準のスピードで滑る時に、エッジをなるべく立てず、短い時間で方向変更を、ミスを最小限に抑えて、連続して行うことが出来る、ヒルシャー選手とシフリン選手というのは超人的なアスリートなのです。

 世界中のスキーチームが2人の滑り・細部の動きを研究し尽くしているにも係らず、同様の滑りを自国のスキーヤーに展開させることが出来ないというのも、現代のような高度情報化社会においては不思議なこととさえ言えそうです。

 さて、本稿の主役・シフリン選手に話を戻します。

 自国開催の世界選手権大会において、実力通りに金メダルを獲得するというのは、体力・技術面の優位はもちろんとして、精神面の強さをも存分に発揮したということになります。

 これも凄いことです。

 「絶対的優勝候補」とされながらプレッシャーに押し潰されてしまうプレーヤーは、残念ながら時折登場します。
 しかし、若干19歳のシフリン選手には「強靭な精神力」も備わっているのです。

 これで、2013年のシュラートミング世界選手権、2014年のソチ・オリンピック、2015年の今大会と、世界一を決める大会の回転種目で「3大会連続優勝」を遂げました。
 17歳で世界選手権を制し、18歳でオリンピックチャンピオンとなり、19歳で世界選手権連覇を成し遂げたのです。

 ミカエラ・シフリンというスキーヤーの「アルペンスキー技術系種目における桁外れの才能の大きさ」を明示する事実であり、本ブログの記事にも書いた通り「世界一の大会に勝つことと経験値の大きさは無関係」であることを如実に示すプレーヤーのひとりでもあります。

 ゴール直後、優勝を決めたシフリン選手が「全身で喜びを表現すること」はありませんでした。「勝って当然」と考えていたというよりは、「勝ててホッとした」様子に観えました。

 19歳にして、スポーツ大国アメリカの期待(今大会女子種目4種目を終えて「金メダル0」)を一身に背負うこととなったスキーヤーが、その期待に応えたのです。

 年齢から見ても、シフリン選手のキャリアはまだ序盤です。これからも長きに渡って女子アルペンスキー技術系種目のアメリカチームのエースとして、そして世界のトップスラローマ―としての道が続いて行くことでしょう。
 早々に世界のトップに躍り出たプレーヤーは、次に「継続力」が試されるのです。
 アメリカ合衆国のコロラド州ビーバークリークで開催されている、2015年アルペン世界選手権大会ですが、地元アメリカチームの不振が目立っていました。

 女子のリンゼイ・ボン選手はスーパー大回転で3位に入っていましたが、高速系種目「スーパー大回転」「滑降」と「アルペン複合」および「国別団体」という4種目を終えても、男女を通して金メダルを獲得できていなかったのです。

 世界一のスポーツ大国であるアメリカ合衆国が、自国で開催する世界大会で「優勝種目」が無いというのは、珍しいことでしょう。たとえ世代交代の狭間で有力選手が居ない場合でも、「新星」が登場して苦境を救うことも多かったのです。
 アメリカとは、そういう国なのでしょう。

 そのアメリカチームが、今大会では相当に追い込まれたという印象でした。
 そして2月13日の男子大回転を迎えました。

 この種目にはアルペン王国オーストリアの大エース、マルセル・ヒルシャー選手が居ます。ワールドカップ3連覇中のヒルシャー選手は、今大会も既にアルペン複合で金メダルを獲得していて、好調な状態であることが証明されていますから、大袈裟な言い方をすれば大回転は「ヒルシャー対他の全選手」という構図ということになると考えていました。

 1回目。
 ヒルシャー選手は「リスクを回避する滑り」を見せました。1回目で後塵を拝しても、2回目で十分逆転できるとの戦略だったのでしょう。「絶対に2回目に進める滑り」を指向し、転倒・コースアウトを回避する安全なスラロームを展開したのです。

 ところが、その「抑えた滑り」でもヒルシャー選手はトップに立ちました。2番目の選手との差は0.18秒と小さなものでしたが、他の選手との「圧倒的な実力の差」を感じさせる結果でした。
 このまま2回目も、攻撃的な滑りを見せるまでも無くヒルシャー選手が優勝する可能性が高いと思いました。

 ところが、1回目でヒルシャー選手に0.24秒差の5番目に付けていた、アメリカのテッド・リゲティ選手が2回目に驚異的な滑りを展開したのです。
 2013年シュラートミングの世界選手権において3種目で金メダルに輝いたリゲティ選手ですから、世界トップクラスのスキーヤーであることは間違いないのですが、それにしても凄まじい滑りでした。

 特にゴール手前200mの緩斜面でのスピードは圧倒的でした。

 リゲティ選手が滑り終えた時点で2番目の選手に「1.28秒という大差」を付けました。
 この大差は、続く選手達に大きなプレッシャーを与えたと思います。それは、絶対王者ヒルシャー選手にとっても同じだったことでしょう。

 ヒルシャー選手にとっては「無理をしなくとも(彼にとって)普通に滑れば勝てる」筈だったレースが、「攻め捲らなければ勝てない」レースに変わったのです。

 そして、ヒルシャー選手もさすがの滑りを展開しました。追い込まれても慌てる素振りも無く見事なプレーを魅せるというのは、超一流プレーヤーの特徴・特権です。

 残り200mまで、リゲティ選手とヒルシャー背選手のタイムはほぼ互角でした。そして、この200mのスピードでリゲティ選手が勝り、0.45秒差で優勝しました。

 今大会は「暖かい気候」が続いていますが、この日もゴール周辺は8℃という、標高3000m前後にセットされたコースとは思えない程の暖かさでした。加えて、ゴール周辺には1回目の競技開始の時から燦々と陽光が降り注いでいました。観客席には半袖姿のファンも目立ったのです。ゴール手前はコース前半のアイスバーンとは異なる、おそらく相当柔らかい雪質だったのではないでしょうか。こうした雪質のコースを速く滑るというのは、とても難しいことです。

 しかし、リゲティ選手とアメリカチームにとっては慣れたコースであり、リゲティ選手は「ビーバークリーク・スキー場で滅法強いスキーヤー」なのです。その相性の良さも存分に発揮した滑りだったのでしょう。

 滑り終えた後、2位に終ったヒルシャー選手はあまり悔しがる素振りを見せませんでした。「あの滑りを見せられては止むを得ない」という心境だったのではないでしょうか。「ヒルシャー選手が負けた」のではなく、「リゲティ選手が勝った」レースであったと思います

 これでテッド・リゲティ選手は「アルペン世界選手権大会・大回転種目3連覇」という偉業を成し遂げました。
 そして何より、自国開催世界大会・優勝0というアメリカチームのピンチを救ったのです。

 スポーツ大国アメリカの底力を感じます。

 1回目のスタートから第1旗門・第2旗門を通過するアナ・フェニンガー選手の滑りは、極めて滑らかで、「絹のよう」でした。
 スキーが雪面から離れることなく、流れるようなターンで、加速して行ったのです。

 フェニンガー選手は1回目を圧倒的なタイムで滑り切りました。2番目の選手に0.90秒という大差です。

 これほどの差があれば2回目は慎重な滑りを見せるかと思いきや、攻めの滑りを続けたことに再び驚かされました。コース後半の斜面では、バランスを崩し転倒してもおかしく無い場面がありましたが、このピンチを難なく乗り切り、2回合計で2位のレーベンスブルグ選手(ドイツ)に1.40秒という大差を付けて優勝しました。

 これでフェニンガー選手は、スーパー大回転種目に続いて今大会2つ目の金メダル獲得となりました。滑降種目の銀メダルと合わせて3つ目のメダルです。オーストリア女子チームのエースとして、さすがの成績です。

 アナ・フェニンガー選手の「2015年2月12日大回転種目のスタート直後50mの滑り」は、世界選手権大会史上に残るスラロームであったと思います。
 スーパーボウル2015を始めとして、NFL2014~2015シーズンのプレーオフにおいても極めて密度の高いゲームが相次ぎましたが、その中でも1月18日に行われたNFCチャンピオンシップゲーム、グリーンベイ・パッカーズとシアトル・シーホークスの戦いは、NFL史上に残る凄まじいものであったと感じます。

 本稿は、このゲームを採り上げることにします。特に、試合時間残り3分52秒からの目まぐるしい展開は、NFLにおけるプレーオフゲームの面白さ・怖さが満載でした。

 試合時間残り7分丁度の時点で、シーホークスがパントを蹴りパッカーズに攻撃権を渡すという状況に追い込まれた時、19-7でリードしているパッカーズの勝利の確率は、相当高くなったと思いました。
 2ポゼッション差(2つのタッチダウンTDが無ければ逆転できない点差)があるので、パッカーズはターンオーバーされ難いプレー=主にランプレーで時間を消化して行けば良いからです。

 ひとつのランプレーで最大40秒の時間を消化できますから、当然の様にパッカーズはランプレー主体の攻撃を見せました。
 とはいえ、もう一度1stダウンを許してしまっては、シーホークス勝利の可能性は殆ど無くなってしまいますので、シーホークスの守備陣が頑張りを見せて、「3アンドアウト」でパッカーズの攻撃を終わらせて、パッカーズのパントとなりました。
 この時、残り時間は5分22秒。パッカーズは、この3度の攻撃で1分32秒を消化したのです。

 残り時間5分13秒からシーホークスの攻撃でしたが、何とパスインターセプトを献上してしまいました。シーホークスのクオーターバックQBラッセル・ウィルソン選手からワイドレシーバーWRジャーメイン・カース選手へのパス攻撃でしたが、カース選手がこのパスを弾き、パッカーズのストロング・セイフティーSSホーガン・バーネット選手がこのボールをキャッチしてのインターセプトINTでした。

 QBラッセル・ウィルソン選手にとって、「このゲーム4つ目のINT」でした。1ゲーム4つも大変多いのですが、何しろ7-19で負けているチームが、試合時間残り5分で与えたINTでしたので、極めて痛いというか、致命的なターンオーバーに見えました。

 このINTがゲームの帰趨を決するものであろうという感覚は、パッカーズ側にも強く意識されていたものと見えて、INTしたSSバーネット選手は、自身の前方が大きく開けていて十分前進が出来る状況にもかかわらず、自らフィールドにしゃがみ込み、プレーを終わらせています。
 この上走って、シーホークスのプレーヤーとコンタクトし、万が一にも「ファンブル」などで、攻撃権を再びシーホークスに渡してしまってはならないという意識からのプレーでしょう。至極当然のプレーであり、シーホークスの息の根を止めるプレーであったと感じました。

 このINTプレーの後、パッカーズのベンチには笑顔が見えました。「これで勝った」と確信したプレーヤーが多かったのでしょう。パッカーズの守備の要であり、現在NFL屈指のラインバッカーLBでもあるクレイ・マシューズ選手にも笑顔が見られました。経験豊かなクレイ・マシューズ程のプレーヤーでも、「勝利→スーパーボール進出」を確信するプレーだったのです。

 残り時間5分04秒から始まったパッカーズの攻撃では、シーホークスの守備陣が良く頑張り、「3アンドアウト」に抑え込み、残り時間4分丁度でパッカーズのパントとなりました。この時の3度の攻撃でパッカーズが1分4秒しか消化できなかったのは、シーホークスがタイムアウトを2度使ったからです。

 シーホークスにとって時計を止める、殆ど唯一の手段であったタイムアウトを2度も(後半には3度の権利が与えられています)使ってしまいましたが、「とにかく時計を止めなくてならない=攻撃時間を残しておかなくてはならない」状況だったのです。

 さて、掲題の「試合時間残り3分52秒」の瞬間がやって来ました。ここからの凄まじい攻防は、番号を振って書いて行きます。

① シーホークス自陣31ヤードYからの攻撃です。ランニングバックRBマショーン・リンチ選手のランプレーで、1stダウンを獲得しました。1度の攻撃で1stダウンが取れたことは、とても大きいと感じました。

② 続いて、QBウィルソン選手からWRダグ・ボールドウィン選手へのパスが決まり、これも1度の攻撃で1stダウン。この時点で、残り時間は3分02秒、敵陣35ヤード地点、19-7でパッカーズリード。

③ ここでQBウィルソン選手は右ライン際のRBリンチ選手にパス。これを受けたリンチ選手はライン際を走り抜けてゴールエリアに入りました。TDの判定。

 しかし、オフィシャルレビューで判定が覆りました。リンチ選手の足がフィールド外に僅かに出ていたのです。敵陣9ヤード地点からの攻撃が残りました。残り時間は2分57秒。

④ 続くリンチ選手のランプレーで残り5ヤードに前進、続くQBウィルソン選手のランで残り1ヤードに前進、そして再びウィルソン選手のランプレーでタッチダウンTD。ポイントアフタータッチダウンのキックも決まって、シーホークスは14-19と追い上げました。残り時間2分09秒。

 シーホークスは1ポゼッション差に追い上げたとはいえ1分40秒位の時間を要しました。残り時間は2分09秒。まだまだ、パッカーズの勝利は濃厚であり、次のシーホークスのパントをキッチリと確保し、攻撃権を得れば、例えばランプレー4回で、2分を消化できる可能性がありますし、タイムアウトなどで試合を止めたとしても残り時間は相当に少なくなりますから、パッカーズの勝利は間違いないものと思われました。

⑤ シーホークス側からすると「オンサイドキック」により、パッカーズ側のファンブル他を誘い、自らのキックのボールを自らのものとして「攻撃権を獲得」するしか無い状況でした。
 このキックのボールを確保すればこの試合に勝てるパッカーズと、確保することで「逆転勝利への望みをつなぎたい」シーホークスにとっての、運命のキックでした。

 シーホークスのキッカーKスティーブン・ハシュカ選手が蹴ったボールは、パッカーズの最前列のプレーヤー辺りに落ちます。絶妙のオンサイドキック。
 これをパッカーズのタイトエンドTEブランドン・ボスティック選手がジャンプしながら捕球に行きました。191cmの長身を生かしたプレーでしたし、「絶対に捕って勝負を決める」という決意溢れるプレーだったのでしょう。

 ところが、ボールはボスティック選手の胸に当たり大きく弾かれました。そして、落下してきたボールを捕球したのは、シーホークスのWRクリス・マシューズ選手でした。

 「奇跡が起こった」のです。攻撃権はシーホークスが獲得しました。

 パッカーズのボスティック選手は、ジャンプすることなく、ボールの捕球を自身の後ろに居たWRジョーディ・ネルソン選手に任せて、自身はブロッカーに徹していれば、何の問題も無いプレーだったことでしょう。また、それが「チームにおいて決められていたプレー」であったと思います。

 しかし、ボスティック選手は「目の前に飛んできたボール」を捕りに行ってしまいました。「目の前に飛んできたNFCチャンピオンシップ=スーパーボール進出」を捕りに行ったと言っても良いでしょう。プレーヤーとして、その気持ちは無理も無い所であったのでしょうが、大きな後悔が残るプレーとなりました。

 このゲームを象徴するプレーを選ぶとしたら、このプレーでしょう。

⑥ 「九死に一生を得た」とはいえ、残り試合時間は2分と少々。シーホークスがTDを上げるのは容易なことではないと思いましたが、ここでついに「QBラッセル・ウィルソンのランプレー」が炸裂して、一気に前進。

⑦ 残り試合時間1分33秒・敵陣24ヤード地点からRBマショーン・リンチのランプレーでTD!ついに、逆転!20-19とシーホークスが、この試合初めてリードを奪いました。

   
⑧ 1点差も2点差も、フィールドゴールFGで逆転されてしまうところは一緒ということで、シーホークスは「2点コンバージョン」に挑戦しました。QBウィルソン選手が中々ターゲットを見つけられず、ポケットから追い出されて、相手守備陣から逃げ回っている様子。そして、ふわりとした山なりのパスを投げました。
  「投げ捨て」かと見えましたが、これがゴールライン上に居た味方選手に収まり、ゴールエリアに走り込んで成功。信じられないようなプレーでした。
  これでシーホークスは22-19と3点のリード。残り時間は1分25秒。

⑨ ゲームの流れは完全にシーホークスに傾き、シーホークスのホームセンチュリーリンク・フィールドは勝利を確信したサポーター達の大歓声が鳴り響きます。
 しかし、ここからがパッカーズQBアーロン・ロジャース選手の真骨頂でした。そして、ロジャース選手らの攻撃陣がフィールドに出て行くのと同時に、パッカーズのキッカーKメイソン・クロスビー選手がキックの練習に入るシーンが、テレビ画面に大きく映し出されました。

⑩ QBロジャース選手は、パス・パス・自身のランとプレーを続けて1stダウンを獲得。残り時間35秒で、敵陣36ヤードまで前進します。

⑪ 試合時間残り19秒で、敵陣32ヤードまで前進して、再度前進を試みますがここまで。

⑫ 残り14秒でKクロスビー選手が登場しました。48ヤードのフィールドゴール・アテンプト。「外せば負け」「敵地の大歓声」という状況下、これをキッチリと決めて22-22の同点!
 さすがのクロスビー選手でした。プロ中のプロと言うのは、凄いものです。

⑬ 試合残り時間11秒からシーホークスの攻撃となりましたが、さすがにここで無理なパスを投げて、INTといったターンオーバーを食らうのは不得策と考えたのか、QBウィルソン選手はニーダウンして、試合はオーバータイムOT(延長戦)に入りました。

 この後ゲームは、OTのコイントスで勝ったシーホークスがレシーブを取り、その攻撃で見事にTDを決めて、28-22で勝利しました。
 最後に物を言ったのは「コイントスの運不運」であったのかもしれません。

 凄まじい「3分52秒間」でした。

 ゲームの前半を終えて0-16という圧倒的不利に置かれたシーホークスが、残り時間3分52秒になっても7-19という、2ポゼッション差という絶体絶命に追い込まれていたにもかかわらず、何と1分25秒「も」残して、22-19と逆転したのです。「2分半で2TD・15得点」を挙げたシーホークスの攻撃力・爆発力は「奇跡的」なものでした。

 特に、上記⑤の「オンサイドキックからの攻撃権獲得」は、NFL史上に残るプレーであったと思います。

 しかし、アウェイのスタジアムで、「よもやの逆転」を見せられてしまったパッカーズの攻撃陣、とりわけQBアーロン・ロジャース選手がキッチリと「同点FG」を奪ったことも、特筆されるべきことでしょう。
 この精神面の強さと正確なプレー、そして足を引き摺りながらも「自ら走って1stダウンを奪う」という気迫!さすがに、NFL屈指のQBと呼ばれるだけはあります。

 まさに、「勝敗は時の運」を地で行くゲームであり、本当に興奮させられるゲームでした。
 最高のエンターティンメントのひとつでしょう。NFLの人気が高い理由が良く分かります。
 中央競馬の2015年度新規騎手免許試験に、イタリアのミルコ・デムーロ騎手(36歳)とフランスのクリストフ・ルメール騎手(35歳)が合格したと報じられました。

 両騎手はこれまでも短期免許(年間最長3か月)で中央競馬のレースに出場し、大活躍を魅せてきましたが、これからは「日本競馬を中心にした活躍」が始まることとなります。

 デムーロ騎手は1994年にイタリアでデビューし、1997年から2000年までイタリアのリーディングジョッキーに輝きました。イタリアNO.1ジョッキーだったのです。
 1999年に初来日、以降、皐月賞3勝(ネオユニヴァース、ダイワメジャー、ロゴタイプ)日本ダービー(ネオユニヴァース)、天皇賞(秋)(エイシンフラッシュ)、有馬記念(ヴィクトワールピサ)、ジャパンカップ(スクリーンヒーロー)、等々のG1レースを始めとしてJRA通算354勝を挙げています。

 特に、天覧競馬となった2012年の天皇賞(秋)では、東京競馬場の馬場で下馬し、ロイヤルボックスに向かって膝を付いて最敬礼をしたシーンが印象的でした。(中央競馬では、馬場で騎手が理由も無く下馬することは規則違反なのですが、この時のデムーロはとても素敵でした)

 ルメール騎手も同じく1999年にフランスでデビューし、2007年には101勝でリーディング5位・獲得賞金3位、2009年は89勝で同7位・獲得賞金は1位と、大レースに強い騎手として高く評価されてきました。
 2002年に初来日、以降、有馬記念(ハーツクライ)、エリザベス女王杯(リトルアマポーラ)、ジャパンカップ(ウオッカ)、ジャパンカップダート2勝(カネヒキリ、ペルシャザール)などのG1レースを制し、JRA通算254勝を挙げています。

 特に、ハーツクライの有馬記念制覇は、ディープインパクトの初黒星レースでした。中山競馬場直線でのルメール騎手の追い姿が眼に焼き付いています。

 どちらの騎手も、イタリア・フランスという出身国における一流騎手です。そして、我が国においても、とても短期免許で活動してきたとは思えない程の実績を積み上げてきました。

 その騎乗は実に上手く美しいと感じます。騎乗技術の高さは、「3着以内率」のデムーロ37.1%、ルメール34.1%という高率に如実に表れています。「強い馬に乗っているから勝てている」ばかりでは、無いのです。
 そして何より騎乗フォームの美しさは、私が最も評価する点です。

 競馬も多くの観客に見ていただくものなのですから、「美」が大切なことは言うまでもありません。
 この2人の「姿」はプロフェッショナルと呼ぶに相応しいものだと感じます。

 欧州の一流騎手が中央競馬に本格参戦した理由の中には、日本経済の実力=賞金額の高さがあることも間違いないことなのでしょうが、何より、こうした門戸開放?により様々な面で日本競馬全体のレベルアップが図られる可能性がある点を評価したいと思います。

 合格発表を受けて、デムーロ騎手の「日本の騎手になるのが夢でした。泣きそうなくらい幸せ」、ルメール騎手の「とてもうれしい。日本の馬と大レースを勝ちたい。特に日本ダービーと凱旋門賞」というコメントが報じられています。
 日本の競馬ファンとして、とても嬉しいコメントではありませんか。
 2月9日に行われた女子アルペン複合種目では、スロベニアのティナ・マゼ選手が見事なゲーム運びを魅せて、勝ち切りました。

 前半・滑降種目でトップに立っていたマゼ選手は、上位25選手の最終25番目の滑走順番でした。

 そして24名の選手が滑り終えて、オーストリアが1~3位を独占していたのです。
 今大会好調なオーストリア・技術系陣は、この種目でもその実力を発揮して、ホスプ選手、キルヒガッサー選手、フェニンガー選手が上位を占めていたのです。

 アルペン王国オーストリア勢の圧力を前にして、マゼ選手がどのような滑りを見せるのかに注目が集まりました。

 前半の滑降で「0.90秒の貯金」を持っていたマゼ選手は、この貯金を上手く使いました。
 スタート直後から少しずつ貯金を減らして行き、貯金が0.22秒に減ったところがゴールだったのです。

 まさに「計算通りの滑り」であったと感じます。

 マゼ選手の実力をもってすれば、貯金を維持する・広げる滑りも出来たと思いますが、それでは「転倒やコースアウトのリスク」も高くなってしまいます。リスクを最小に抑えながら、ホスプ選手の合計タイムを少しでも上回れば良い、という戦略を立て、実行したのでしょう。

 もちろん、世界最高レベルのスキルが無ければ実行・成功できる戦略ではありません。ましてや、世界選手権大会という大舞台なのです。

 ティナ・マゼ選手のスキルの高さを世界に示した、素晴らしい滑りでした。
 (前の記事からの続きです。)

 「転倒しながらも25位でゴールした」かのように観えたチェコのバンク選手が失格となり、26位以下の選手達がひとつずつ順位を上げました。

 前半の滑降種目を終えて31位と表示されていた、オーストリアのマルセル・ヒルシャー選手の順位も30位に上がったのです。

 31位と30位、この違いはとても大きなものでした。

 この大会の男子アルペン複合種目では、後半の回転種目の滑走順番は、前半の滑降種目で30位だった選手から1位の選手まで滑り、その後31位の選手以降の選手が順番に滑るというルールなのです。
 従って、前半30位の選手は、後半の回転種目で「最初に滑ること」が出来るのです。

 アルペンスキー競技はどの種目でも、早い順番で滑る方が有利です。他の選手のスキーの轍が少ないのですから。特に先頭で滑る選手は、「良く整備された雪面」を滑ることが出来るのです。

 そして、今回その利点を得た選手がヒルシャー選手だったのです。

 マルセル・ヒルシャー選手はオーストリアの25歳、過去3年間ワールドカップ総合優勝を続けている、オーストリアのエースというか、現在の世界男子アルペン競技・技術系の若き絶対王者です。

 このヒルシャー選手が、バンク選手の転倒・失格により1番滑走という絶好のスタート順番を手にしたというのは、何という偶然なのでしょうか。

 ヒルシャー選手はこの幸運を見事に活かしました。
 積極的かつ冷静な、素晴らしい滑りを展開したのです。圧巻のスラロームでした。

 1番滑走ですから、当然ながらトップに立ったのですが、この後前半の滑降種目でヒルシャー選手より上位に居た選手達が次々と回転種目に挑んでも、ヒルシャー選手の合計タイムを超えることが出来ません。

 29名の選手が滑り終えても、ヒルシャー選手はトップに居ました。現在のこうした大会では、ゴールエリアにその時点でトップの選手が待ち受けるという形ですから、ヒルシャー選手は1番滑走でゴールしてから、ずっと待ち続けたのです。

 ついに前半・滑降トップのランスルー選手(ノルウェー)の試技となりました。
 ランスルー選手はヒルシャー選手に対して3.16秒という大きな差を持ってスタートしました。高速系のランスルー選手は回転種目は苦手ですから、「3.16秒の貯金」を活用して、合計タイムでヒルシャー選手を上回ることを目指したのです。
 とても良い滑りに見えました。途中計時も、ヒルシャー選手の合計タイムと互角以上の数値を示していました。

 そしてゴール。

 僅かにヒルシャー選手が上回りました。大逆転優勝でした。

 バンク選手の転倒なかりせば、転倒したとしても「転がりながらのゴール」が認められていれば、ヒルシャー選手は滑降31位となり、ランスルー選手の後に31番目で滑らなければならなかったのです。
 コース・雪面が相当に痛んだ状態で、ヒルシャー選手があれだけのタイムを叩き出せたでしょうか。
 「神様のみぞ知る運命」というか「勝利の女神の気紛れ」が、勝負事には存在することを強く感じさせるレースであったと思います。

 それにしても、マルセル・ヒルシャー選手のスラロームは見事の一語でした。
 エッジングが極めて短く、次のポールに向かう体勢作りに全く無駄が有りませんでした。「惚れ惚れする滑り」です。

 エッジングの短さ・軽さで一世を風靡し、現在に至るまでワールドカップの最多勝利数記録86勝を誇り「史上最強のスラローマ―」の名をほしいままにしているインゲマル・ステンマルク選手(スウェーデン)と比べても、見劣りしないエッジングスピード・技術に観えました。
 比較すれば、ステンマルク選手より「少し力強いエッジング」でしょうか。

 そうなると、力強く豪快なエッジングで回転系種目を席巻したアルベルト・トンバ選手(イタリア)とステンマルク選手を足して2で割ったようなスキーヤーということになるのかもしれません。

 まだ25歳の若さで、世界アルペン競技・技術系種目に君臨するマルセル・ヒルシャー選手。現時点でワールドカップは29勝です。
 オリンピック・世界選手権のメダルの積み上げも含めて、どこまで記録を伸ばしていくのか、とても楽しみです。

 マルセル・ヒルシャーは「新しい歴史にトライすることが出来る選手」なのでしょう。
 男子アルペン複合種目は2月8日に行われましたが、ひとつの転倒が勝敗に大きな影響を与えました。

 複合前半の滑降種目、ノルウェーのヤンスルー選手が滑り終えてトップに立ちました。続く選手達がヤンスルー選手のタイムに挑みますが、追い抜くどころか迫ることも出来ない状況が続きました。

 そして、チェコのバンク選手が登場し、見事な滑りを展開したのです。「スピードを落とさないこと」に注力した滑りでした。
「最も効率的なコース」を取るとか、「クラウチングスタイルを維持して風の抵抗を最小限に抑える」といった、常識的に有効だと考えられる手法を「全く気にすること無く」、常にスピードを上げる・落とさないという点に絞り込んだ、極めてチャレンジングなスキーイングでした。
 世界トップを争う大会に相応しい滑りであったと思います。

 綺麗に滑り、コースを維持し、クラウチングを確保する、ような滑りでは、このレベルでは勝てないのです。スピードが出ていないから、綺麗に、コース通りに、クラウチングの形が取れる、とも言えるのかもしれません。

 バンク選手の滑りを見た時「これは良いタイムが出る」と感じました。トップのランスルー選手と互角のタイムが叩き出せると思いました。
 
 バンク選手は、ゴールまで残り200m辺りに差し掛かりました。後は、プレジャンプをしてゴールに飛び込むだけです。
 ところがここで、前の選手のスキーの轍に躓いたような感じで、バンク選手が大きくバランスを崩して転倒したのです。
 片方のスキーが外れましたが、もう一本のスキーは外れず、バンク選手の足に付いたまま転倒が続きます。
 50m位そのまま転がり続けたでしょうか、ようやく2本目のスキーが外れて、バンク選手はそのまま前に転がり続けました。

 2本目のスキーが外れてから100m以上転がったでしょうか、バンク選手の体がゴールラインを越えました。何とゴールインしたのです。
 ゴールラインから10m位入った辺りで、ようやくバンク選手の体の移動が止まりました。

 200m近くの距離を転がり続けたように見えました。さすがに時速100km以上のスピードが出ている状態での転倒です。怖ろしいばかりの運動エネルギーなのです。
 ようやく止まったバンク選手は、ピクリとも動きません。
 救護班によって、スノーモービールで搬送されました。大きな怪我が無いことを祈るばかりです。

 前半の滑降種目が終わって順位が表示されました。バンク選手は25位でした。
 200m近く転がってゴールしたにもかかわらず25位という順位には、とても驚かされました。

 ところがこの後、バンク選手はコースアウトしていたということで失格となってしまいました。このため、当然のことながら26位以下の選手達の順位がひとつずつ上がったのです。

 そして、このことがこの種目の勝敗に大きな影響を与えたのです。「勝利の女神の存在」を感ぜざるを得ませんでした。(次の記事に続きます)
 2月7日、都内で元大関・琴光喜の断髪式が行われたと報じられました。

 正式な?断髪式ではありませんから、会場は両国国技館ではありませんでしたが、白鵬・日馬富士・鶴竜の現役3横綱が出席し、「止めばさみ」は貴乃花親方(相撲協会理事)が行ったと報じられていますから、「公式度合いが高い」イベントと言えるでしょう。

 野球賭博への関与、相撲賭博への関与、自身への脅迫事件等々の疑惑の中で、2010年7月に相撲協会から解雇され、2013年9月に相撲協会を相手取って「解雇無効」の訴訟を起こしましたが敗訴、2014年2月に控訴審でも請求が棄却されたことから復帰を断念したとのこと。
 琴光喜も38歳になっていました。

 各疑惑の中で、明確に琴光喜の責任が立証された物は無いようですが、「大関」という地位の重さに鑑みて解雇されたとも伝えられました。
 大相撲を取り巻く、様々な不祥事・疑惑の嵐の只中で、最も高位の力士として責任を負った形でしょう。「生贄」として一身に罪を被ったとの見方もありました。

 こういう環境に置かれた琴光喜に対して、少なくとも琴光喜を相応に評価する人たちが集まって実施されたのが、今回の断髪式なのでしょう。

 琴光喜が、こうした処遇に相当する罪を犯していたのかどうかについては分かりませんけれども、日本出身力士としての琴光喜が角界を追われたことについては、とても残念なことであったと思います。

 
 1976年愛知県豊田市で生まれた琴光喜は、トヨタ自動車相撲部監督であった父親のもと自然に相撲を始めたのでしょう。
 鳥取城北高校2年生の時に高校横綱となり、将来を嘱望される存在となりました。進学した日本大学相撲部時代には27タイトルを獲得していましたから、日大卒業後「鳴り物入り」で佐渡ヶ獄部屋に入門しました。その実力は「折り紙付」だったのです。

 1999年3月場所に幕下60枚目格付出でデビュー、2000年5月場所にデビューから8場所で入幕を果たしました。超スピード出世です。(逸ノ城が幕下15枚目付出から5場所で新入幕していますが同様のスピードといえるでしょう)

 2000年11月場所では、横綱・武蔵丸、出島・雅山・武双山の3大関を撃破し13勝2敗の好成績を残しました。平幕優勝寸前の大活躍であり、当然ながら3賞を独占しました。最近のモンゴル出身力士の活躍を遥かに上回る活躍を魅せた、日本出身力士だったのです。

 2001年9月場所には13勝2敗で平幕優勝を成し遂げました。しかし「9.11.アメリカ同時多発テロ事件」の直後であり、優勝パレードは取り止められました。また、この場所以降の3場所で34勝11敗の好成績を挙げながら、大関昇進は見送られました。「大関が4人居たから」というのが主な理由ではないかとも報じられました。

 その後は、怪我・故障に悩まされたこともあって、なかなか安定した成績を残すことが出来ませんでしたが、2007年9月場所ついに大関に昇進しました。
 関脇の地位での3場所35勝10敗という「高いレベル」の成績を挙げての昇進でした。「関脇在位22場所」の歴代最高記録を残し、31歳3か月という「年6場所制導入以降の最年長昇進」でもありました。

 こうして見ると、琴光喜は「抜群の相撲の才能」を保持していたことは間違いありませんし、度々13勝2敗という成績を挙げていることからも「好調な場所では極めて強い」力士であったことが分かります。幕の内最高優勝も早々と果たしています。素晴らしい力士だったのです。

 一方で、本来ならば2001年~2002年の頃に、大関に昇進していても何の不思議も無かったのですから、6年間も遅れたことになります。ある意味では「不運の影」が差していたとも言えそうです。2001年頃に大関に昇進していれば、その実力から見て横綱昇進のチャンスも十分にあったと思います。
 日本出身力士として、21世紀に入って最も横綱昇進の可能性が高い力士のひとりであったのかもしれません。

 2007年7月場所10日目、新横綱であった白鵬を破り、その連勝を25で止めるなど、白鵬に対する強さも、琴光喜の特徴でした。
 この琴光喜の力士としての強さは現役力士の中でも十分に認識されていることなのでしょう。

 本来なら、日本出身力士の頂点に立って、2000年代半ばに横綱を張っていたかもしれない琴光喜でしたが、いくつかの不運に見舞われてしまいました。本当に残念なことだと感じます。

 2010年7月に解雇され、2014年2月に角界復帰が絶望となった琴光喜が、2015年2月まで断髪していなかったという事実に、「琴光喜の大相撲に対する強い思い」が表れています。
 そして、断髪式に現役3横綱、貴乃花親方が出席しているという事実に、琴光喜の大相撲界における高い位置付・評価が感じられるのです。
 2月7日、水泳・飛び込み国際大会派遣選手選考会の第1日目が東京辰巳国際水泳場で行われました。

 そして、女子高飛び込み種目で佐々木那奈選手が優勝しました。

 佐々木選手は16歳、兵庫県甲子園学園高校の1年生です。得点は371.80というハイレベルなものでした。
 そして2位には、6.25点差と言う僅差で板橋美波選手が入りました。

 板橋美波選手は15歳、兵庫県御殿山中学校の3年生です。2人は共にJSS宝塚に所属していますから、同じクラブで切磋琢磨するライバルということになります。

 国際舞台へのデビューでは、板橋選手が先行しました。2014年9月の日本選手権水泳の女子3m板飛び込み種目で初出場・初優勝を飾り、続く仁川アジア大会の代表となったのです。
 14歳の日本チャンピオン誕生は、当時話題となりました。

 そして、今大会でライバルが誕生したのです。

 佐々木選手は、今大会4回目の試技で板橋選手を追い上げ、最後5回目の試技で大逆転を魅せたのです。

 日本の女子飛び込み種目では、過去にも1980年の馬淵よしの選手や2006年の浅田梨沙選手が日本選手権大会で優勝し、その後も日本女子水泳界を引っ張る活躍を見せましたけれども、世界トップを争う大会では思ったような成績を残せませんでした。

 素晴らしい才能を持っているのに、日本国内に強力なライバルが居ないことも原因のひとつかなと感じていました。

 今大会の佐々木選手の371.80点は、ロンドン・オリンピック2012の銀メダルに相当する得点です。世界に通用する得点なのです。
 16歳の佐々木那奈選手と15歳の板橋梨沙選手には、例えば古橋広之進選手と橋爪四郎選手のような「良きライバル」「良き友人」として、切磋琢磨して行っていただきたいと思います。容易には得られない素晴らしいプレーヤーを身近に得ることが出来たのですから。

 今大会は、水泳日本女子飛び込み界に素晴らしいペアが誕生した大会であったように思います。2016年のリオデジャネイロ・オリンピック、2020年の東京オリンピックにおける大活躍がとても楽しみです。
 2月1日に行われた第49回スーパーボウルのテレビ視聴率が49.7%に達し、歴代最高であった2013年ゲームの48.1%を上回り、新記録となったことが報じられました。

 「視聴率49.7%」というのは、絶対値としても驚異的な数字ですし、「インターネットの普及によりテレビ離れが深刻」であると言われている現代においては、一層その価値を増すものでしょう。
 加えて、「年々視聴率を上げてきている」ところが、最も素晴らしい点だと考えます。いわば「逆風下で記録を伸ばしている」のです。

 スポーツ大国アメリカにおいても、スーパーボウルに対する注目度が他を圧しているのは、ベースボールのMLBワールドシリーズ2014の平均視聴率8.2%、バスケットボールのNBAファイナルが同9.1%と報じられていることと比較しても明らかでしょう。
 視聴率の取り方や世帯視聴率とその他の違い、などから一概には比較できないという意見も、全く関係が無いと言える程の大差です。

 ベースボール・MLBは春から秋にかけて、バスケットボール・NBAは秋から春にかけて「毎日観て楽しむスポーツ」であり、アメリカの人達の生活に密着したスポーツとなっています。
 一方で、アメリカンフットボールNFLは「週に一度観るスポーツ」という、大きな違いがあります。位置付けの違いは有るが、ここに優劣は無いと感じます。

 とはいえ、「全米で最も注目されているスポーツ競技のゲーム」がスーパーボウルであることは、間違いないのでしょう。

 さて、テレビ離れが進行していると言われる時代に、スーパーボウルの視聴率は上昇傾向を堅持しています。
 これは、主催者であるNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)を始めとする関係者の皆々様の「多大なるご努力の賜物」であることも、間違いない様に感じます。

 「49.7%」ともなると、「アメリカンフットボールのファン」や「NFLのファン」だけが観たところで達成できる数字ではありません。スポーツにはそれ程興味が無いという人々や、他のスポーツのファンも巻き込んでいるのです。

 こうした「ファンや関係者以外の人達も見るもの」を「メジャーなもの」と言うのです。これは、スポーツに限らず、歌、映画、舞台といったエンターティンメント全般に共通しています。
 ファンだけを動員するのであれば、「今回のゲームの注目点」を強調すれば足りるのでしょうが、一般の方々を動員するとなれば、「アメリカンフットボールそのもの」「NFLそのもの」の面白さをアピールして行かなければなりません。
 ここが、とても難しいところでしょうし、全てのエンターティンメント業界にとって、常に頭を悩ませなければならないポイントなのでしょう。

 スーパーボウル2015をテレビで観ていて、気が付いたことがあります。
 「俯瞰の絵が多い」ということです。

 スクリメイジラインを挟んで、攻撃側と守備側がセットした状態は、「ほぼ100%」俯瞰の絵でした。斜め上35~45度位の角度からの絵だったのです。
 この絵は「両チームのラインの動きやクオーターバックQB・ラインバッカーLBの動き」がとてもよく分かります。
 つまり「アメリカンフットボールというスポーツのゲームがどんな動きをしているのか」が、とてもよく分かる絵を多用していたのです。

 まさに、「一般の人達にも分かる」ための配慮であったと感じます。

 例えば、ランニングバックRBが大きなゲインをしたとして、一般の人達は「RBの選手のスピードと身のこなし・ステップ」で抜いて行ったのだろうと見てしまうかもしれません。しかし、実際にはご承知のように、ラインメンがRBの走路を作っている、走るための穴を開けているのです。そして、相手のタックルを防ぐためにリードブロッカーも存在します。ひとりのRBを前進させるために、沢山のチームメイトが協力しているのです。
 ここが、アメリカンフットボール最大の魅力のひとつでしょう。

 このことは、ファンの方々なら皆ご存知です。しかし、おそらく年に一回・スーパーボウルでしかNFLを観ない、という方々はご存じないかもしれません。

 そういう状況下で、レギュラーシーズンゲームのテレビ放送の様に、「プレーヤー目線の絵」を多用すると、「プレーヤー同士がぶつかり合う迫力のシーン」は画面に映し出されますが、一般の方々からは「確かに迫力満点だが、いったい何をやっているのか分からない」といった意見も出て来そうです。

 そこで、スーパーボウルでしかNFLのゲームを観ない方々の為に「俯瞰の絵を多用した」のであろうと考えるのです。
 画面いっぱいに、屈強な男たちの、ものすごいスピードとパワーの激突が広がる、といった迫力はやや足りなくなるものの、攻撃側・守備側のチームが何を意図して戦い、何をやろうとしているのかは、とてもよく分かる放送でした。
 こうやって「NFLを、アメリカンフットボールを少しでも理解していただき、ファンになっていただく」ための工夫なのでしょう。
 素晴らしいやり方だと感じます。

 スーパーボウル2015の会場は、アリゾナ州のフェニックス大学スタジアムでした。2008年以来の使用であったと報じられています。
 このスタジアムは、7万人を優に超える収容人員を誇り、可動式の屋根を備えた、天然芝のスタジアムです。
 普段はNFLのアリゾナ・カージナルスのホームスタジアムでもあります。

 とはいえ、アメリカにはこのスタジアムより大きく、収容人員も多いスタジアムが他にいくつも在るのですが、何故フェニックス大学スタジアムが「8年間に2回も」スーパーボウルの会場となったのでしょうか。

 それは
① 前述の「俯瞰の絵」が撮れる位置に「テレビカメラをセットできる」構造のスタジアムであること(狙っている絵が撮りやすい構造)
② 雨などの天候に左右されずに「美しい映像」を全米・全世界に流せること
③ 綺麗な天然芝が整備されていること

 といった理由からでしょう。

 アメリカ最大のスポーツの祭典は、「NFLにとって最も重要な広告媒体」なのです。そして、この広告に失敗は許されません。観ている人が多ければ多いほど、失敗も目立つのです。
 せっかくの「NFLファン予備軍」の方々を失望させることとなっては、元も子もないのです。

 ちなみに、前回2008年のフェニックス大学スタジアムにおけるスーパーボウルの視聴率は43.3%でした。これは「当時の新記録」でした。
 そして2015年、同じ会場で49.7%という新記録を再び達成しました。このスタジアムは、「視聴率を稼げるスタジアム」なのです。

 この8年間で6.4%(49.7-43.3)も視聴率を引き上げたことに対する、NFL関係者・テレビ関係者の皆さんのご努力には、感心させられます。この8年間は、インターネットが世界中に普及して行った8年間でもあるのですから。

 おそらく、何十種類もの革命的な取組や地道な取り組みを、取捨選択しながら絶え間なく展開し続けているのでしょう。

 人気が下降気味のスポーツ競技・種目の関係者の皆さんの中に「NFLは人気が有っていいなあ」と羨む方が居るとしたら、NFL関係者の不断の努力に眼を向けるべきなのではないでしょうか。
 三冠馬オルフェーヴルなどの優駿を輩出したステイゴールドが2月5日に亡くなったと、日本中央競馬界から発表されました。

 現役時代は「ジリ脚」気味で、なかなか勝ち切れないレースが多かったものの、古馬になってからの重賞レースでは2着・3着と健闘することが多く、人気がある馬でした。
 4歳時には、天皇賞(春)・宝塚記念・天皇賞(秋)でいずれも2着、有馬記念で3着、5歳時には宝塚記念3着・天皇賞(秋)2着、とG1レース2着・3着の素晴らしい成績を残しましたが、この時点でも「重賞勝ち無し」だったのです。

 他のG2・G3レースでも2着・3着を続けていました。G1で2・3着を連発しながら、重賞勝ちが無いという競走馬は、とても珍しいでしょう。

 6歳になって、ようやくG2目黒記念で初重賞勝ちました。3歳時に阿寒湖特別に勝ってから、29戦目の4勝目でした。生涯に20回以上走るサラブレッドが、そう多い訳では無いことを考え合わせると、これは凄い記録です。

 7歳になってG2日経新春杯に勝ち、G2ドバイシーマCに優勝し、ラストランとなった香港ヴァーズで念願のG1レース優勝を達成しました。

 この戦歴を見て感じるのは「距離適応能力の高さ」でしょう。

 4歳時のG1レース上位入着は、3200mの天皇賞(春)に始まり、宝塚記念2200m、天皇賞(秋)2000m、有馬記念2500mと続きました。
 マイルレースこそ走っていませんが、2000m~3200mまでをカバーしています。7歳時のドバイシーマCと香港ヴァーズの海外2400mレースでの活躍も十分に納得できます。

 そして、その特性が産駒達にも引き継がれたのです。

 種牡馬としてのステイゴールドの名を最初に世に知らしめたのは、ドリームジャーニーでした。
 ステイゴールドの産駒が初めて中央競馬にデビューしたのは2005年でした。
 次年2006年にドリームジャーニーが、G1朝日杯FSに優勝したのです。ドリームジャーニーは2009年にも宝塚記念と有馬記念にも優勝してG1レース3勝、他にG2・G3を4勝していますから、重賞7勝という成績を残したのです。

 続いて2011年には、ドリームジャーニーの全弟オルフェーヴルが三冠馬となりました。オルフェーヴルは有馬記念を2勝し、宝塚記念にも勝ってG1・6勝、凱旋門賞でも2年連続2着と、日本競馬の強さを世界に示しました。

 そして2012年にはゴールドシップが皐月賞・菊花賞の二冠、オルフェーヴルと同様に3歳で有馬記念にも優勝し、翌年・翌々年と宝塚記念を連覇してG1・5勝、他にG2・G3を4勝しての重賞9勝馬となりました。

 こうした素晴らしい産駒達の特徴として「グランプリレースでの強さ」が挙げられるでしょう。

 産駒は、有馬記念に4勝、宝塚記念に5勝しています。これは内国産種牡馬としては驚異的な成績でしょう。そして、2つのグランプリレースは2500mと2200mのレースなのです。2000mを超える距離で強さを示した父ステイゴールドの特徴が見事に出ているのです。

 オルフェーヴルは、現役時代の50戦7勝という「丈夫で長持ち・堅実」という点からファンに愛され、種牡馬となってからはその産駒の2000m超の大レースにおける驚異的な強さで、一層高く評価されました。

 「種牡馬になってから評価を格段に上げた」ステイゴールドは、その21年の生涯を、天寿を、全うしたのではないでしょうか。

 今後は、オルフェーヴルを始めとする産駒達の種牡馬としての成績に注目して行きたいと思います。
 ステイゴールドを祖とするサイアーライン形成が期待されます。
 2月3日に開幕した、アルペンスキー世界選手権大会男子の最初の種目・スーパー大回転が2月5日に行われました。4日に行われる予定の種目でしたが、悪天候のため1日順延されました。

 優勝はオーストリアのハンネス・ライヘルト選手、2位にカナダのダスティン・クック選手、3位にフランスのアドリアン・トー選手が入りました。

 このメンバーを見ただけで「男子アルペンスキー界は世代交代の時期に来ている」ことが分かります。
 ライヘルト選手は、こうした世界一を決める大会で初めての優勝、クック選手とトー選手は初めての表彰台だったのです。

 特にクック選手は、これまでのワールドカップ大会における最高成績が12位であり、28番スタートでの銀メダルでした。世界のトップを決める大会では、極めて珍しいことです。第1シードに入っていない選手達に、大いなる勇気を与える活躍でしょう。

 クック選手は、スタートから落ち着いたスキーイングを見せて、ゴールまでバランス良く滑り切りました。初の表彰台が、大会回数が多いワールドカップでは無く、2年に一度の世界選手権だったのは、クック選手の今後の活躍を予感させます。

 男子アルペンスキー界は、2015年ビーバークリーク世界選手権が「新しい時代の始まり」となるのかもしれません。
 各種目にどんな「新しい名前」が登場するのか、とても楽しみです。
 2年に一度行われる、アルペンスキーの世界選手権大会ですが、2015年大会が2月3日からアメリカ・コロラド州のビーバークリークで開幕しました。

 開幕を飾る種目は女子スーパー大回転。スピード系のこの種目は、現在の女子アルペンスキー界を支える「3強」の争いとなり、オーストリアのアナ・フェニンガー選手が優勝、2位にスロベニアのティナ・マゼ選手、3位にアメリカのリンゼイ・ボン選手が入りました。

 いかに「3強」とはいっても、1~3位を占めるのは珍しいことです。何か、この大会の女子種目の骨格を示してくれたような開幕種目でした。

 シード選手というか「神セブン」の争いから、まず抜け出したのはリンゼイ・ボン選手でした。ボン選手のマークした記録を抜き去りトップに立ったのがマゼ選手であり、シード選手の最後に滑ったフェニンガー選手が100分の3秒ボン選手を上回り、優勝を手にしたのです。距離にして1m位の僅かな差です。

 さすがに世界のトップに君臨する3選手は、それぞれの持ち味を存分に発揮しました。

 技術系が得意であり、体格的には残りの2選手より小さく体重も少ないフェニンガー選手は、コース前半のターンの多いエリアでタイムを稼ぎ、オールラウンダーのマゼ選手はコース全体をバランス良く滑り、高速系に強いボン選手はゴール前の緩斜面でスキーを上手く滑らせていました。
 フェニンガー選手は、コース序盤で0.3秒ほどマゼ選手より速く、ゴールでは0.03秒凌ぎ切った形です。「アルペンスキー競技の本質」が感じられる素晴らしいレースでした。

 当然のことながら、この3選手位のレベルのスキーヤーにとっては「途中計時タイム」は関係が無く、「自分がどこでタイムを稼ぐか」という戦略通りに滑ることが出来るかどうかがポイントなのでしょう。
 そして、3選手が3選手とも「概ね満足な滑り」を披露したからこそ、1~3位を占めたのであり、結果・順位は「僅かなミスの差」によるものであったと思います。選手が滑るたびに変形していく雪面を考慮すれば、ほとんど「運」と言っても良いことなのかもしれません。

 女子アルペンスキーは世代交代が進んでいません。
 30歳を越えたベテランの2人、あらゆる雪面に柔軟に対応できるマゼ選手と、勝負強さが際立つボン選手に、25歳・アルペン王国オーストリアのエース・フェニンガー選手を交えた「3強」の時代が、しばらくは続くように見えました。
 タイガー・ウッズ選手が苦しんでいます。

 5か月振りにツアーに登場したウェイストマネジメント・フェニックスオープン大会(1月29日~2月1日)においても、2日目にラウンド82打の大叩きで予選落ちしました。

 タイガーのツアー予選落ち自体が珍しいことですが、「82打」というスコアは自身の「ツアー最多打数」なのです。
 特にグリーン周りのプレーが「らしくなく」、ホームランの後にちゃっくりというプレーが多く観られました。

 専門家からは「イップス」ではとの指摘もあり、少なくとも相当自信を失っていること、精神的に「まだ世界トップクラスの大会で戦っていく準備が出来ていない」ことは間違いないとの見方が支配的でした。

 そして今週の大会、ファーマーズ・インシュアランスオープン(2月5日~8日)では、初日の前半をイーブンパーで終えて迎えた後半の2番ホールでダブルボギーを叩いたところで、途中棄権してしまったのです。

 腰痛の再発と報じられています。

 女性問題などの影響からか2009年11月に交通事故を起こして、一時はツアーからの「無期限欠場」を表明したタイガーが、復帰を宣言したのは2010年の3月でした。
 そして2012年には、アーノルドパーマー・インビテーショナル大会やAT&Tナショナル大会で優勝し、復活を印象付けました。

 しかしその後は腰痛などの体調不良に悩まされ、2014年3月に腰の手術を実施して治療に注力すると共に、腰に負担がかからないスイングに改造して復帰を目指していたところでした。その「腰痛」が再発してしまったのです。

 精神面の問題だけならまだしも、肉体的にも問題が解決していないとなると、39歳になったタイガーにとって再起への道は、極めて厳しいとの見方もあり、一部には「引退間近」との報道もあります。
 世界ゴルフ史上屈指のプレーヤーが、このまま引退してしまうのでしょうか。

 私は、復活できると感じています。
 体調の話も含めて「精神面の影響が大きい」のではないかと思うのです。

 タイガー・ウッズ選手のゴルフという競技に対する「才能の大きさ」は、現役プレーヤーの中でずば抜けているでしょう。比類なき才能です。

 マスターズトーナメント4勝・全米オープン3勝・全英オープン3勝・全米プロ選手権4勝のメジャートーナメント合計14勝、PGAツアー74勝・ヨーロッパツアー40勝・日本ツアー2勝・その他の大会で10勝以上という、合計すれば130以上の大会で優勝しているという実績は「圧巻」という他はありません。

 39歳という年齢も、現在のゴルフ競技においては「まだまだやれる年齢」です。
メジャー3勝の名選手、フィジーのビジェイ・シン選手が初のツアー賞金王に輝いたのは40歳のシーズンでした。そして、45歳の時に3度目の賞金王に輝いています。
 日本のジャンボ尾崎こと尾崎将司選手も、一時期の不調から40歳代に復活して50歳前後まで日本ツアーに君臨しました。

 タイガー・ウッズ選手には、「帝王」ジャック・ニクラス選手が保持する「メジャートーナメント最年長優勝記録46歳2か月23日(1986年マスターズ)」の更新を目指してほしいと思います。
 まだまだ時間はたっぷりあります。慌てることなく、体調の回復に注力し、自身の大才能に磨きをかけていただきたいのです。

 それにしても、絶妙なアプローチショットを誇り、数えきれないほどの大会で奇跡的なショットを魅せて来たタイガー・ウッズ選手が、ちゃっくり、ざっくりといったショットを連続して見せるのですから、ゴルフは難しい。
 
 世界トップクラスのゴルフ競技というのは、フォームやスイングプレーン、スイングの角度や大きさ、等々の「メカニカルな要素」で構成されているものではなく、距離感や手の感触といった「感覚」、そして「自信」や「闘争心」といった精神的な要素、に左右されるものであることを改めて感じます。
 2月1日の記事で、22戦21勝の名馬ネイティブダンサーを採り上げました。
 マジェスティックプリンスはネイティブダンサーの孫に当たり、アメリカで走りました。

 3歳時の1969年・昭和44年のシーズンで、アメリカ競馬史上初の「無敗の二冠馬」となりました。9連勝でケンタッキーダービーとプリークネスステークスを制したのです。
 アメリカの競馬ファンは期待を込めて「ザ・プリンス」と呼びました。

 「ザ・プリンス」は「無敗の三冠馬」を目指してベルモントステークスに挑戦しましたが、よもやの2着に敗れ、現役を引退しました。右前脚の故障が、ベルモントSの敗因であったとも言われています。

 マジェスティックプリンス号、父レイズアネイティブ、母ゲイホステス、父の父ネイティブダンサー、母の父ロイヤルチャレンジャー。ロイヤルチャレンジャーはネアルコの代表産駒です。まさに良血馬であり、当時のセリの最高価格25万ドルの値がついたと伝えられています。

 種牡馬となったマジェスティックプリンスは、ベルモントステークス勝ち馬を始めとする多くのステークスウイナーを輩出しましたが、自身の成績に見合う程の産駒には恵まれませんでした。その点は、祖父のネイティブダンサーと似ているのかもしれません。

 現在でも「ザ・プリンス」の血脈はアメリカ競馬に受け継がれています。

 お父さんのレイズアネイティブは4戦4勝と無敗ながら、4戦目のレースで骨折し、2歳時しか走っていないのですが、1963年の最優秀2歳馬に選出され、早々に種牡馬になりました。そして、マジェスティックプリンスを始めとして次々とステークスウイナーを輩出、中には大種牡馬ミスタープロスペクターも居るのです。

 ネイティブダンサー→レイズアネイティブ→マジェスティックプリンスという3代は、「強きアメリカ競馬」そのものだと感じます。

 スーパーボウル2015はニューイングランド・ペイトリオッツの優勝で幕を閉じました。

 クオーターバックQBのトム・ブレイディ選手は、6回目のスーパーボウル進出で4回目の優勝という快挙を成し遂げました。

 「ひとりのQBによるスーパーボウル4回制覇」は史上最多タイ記録です。

① テリー・ブラッドショー選手、ピッツバーグ・スティーラーズ、1975年・1976年・1979年・1980年のスーパーボール制覇。
② ジョー・モンタナ選手、サンフランシスコ49ers、1982年・1985年・1989年・1990年のスーパーボール制覇。
③ トム・ブレイディ選手、ニューイングランド・ペイトリオッツ、2002年・2004年・2005年・2015年のスーパーボール制覇。

 この3名のスーパースターを観ると「スーパーボウル連覇」という共通点があります。4回もスーパーボウルに優勝するためには、「連覇」を交えて行かなければ難しいということなのでしょう。
 スーパーボウル連覇というのは、現在のプレーヤーのサラリー事情を考え合わせれば、優勝チームのメンバーが翌シーズンにはガラリと変わることになりますので、極めて難しい壁です。
 そういう意味からは、昨年に続いてスーパーボウルに進出し、連覇にあと一歩まで迫ったシアトル・シーホークスは、素晴らしいチームということになるのでしょう。

 さて、「スーパーボウル制覇回数」だけがQBの評価基準では無い、というご意見もあるでしょうし、そのご意見も分かります。
 例えば、キャリアを通じてのパスによる獲得ヤードや、パス成功数、パス・タッチダウン数、QBレート等々、QBを評価する物差しは、確かに沢山存在します。間違いないことです。

 しかし、だからといって「スーパーボウル制覇回数以上の物差し」というのは、多くは無いでしょう。
 「スーパーボウル出場・優勝」が、NFLに所属する全てのプレーヤー・コーチ・関係者にとって、最大の憧れであることについては、異論を差し挟む余地は無いでしょう。

 そのスーパーボウルに最多の4回優勝しているクオーターバックは、NFL史上に燦然と輝くスーパースターであることも、間違いないことなのです。

 トム・ブレイディ選手はゲーム後のインタビューで
 「(終盤残り試合時間30秒を切ってからシーホークスがゴール1ヤードまで迫った時の心境を聞かれて) また、攻撃をしなくてはならないのかと思った。」と応えました。
 そして、「(優勝の感想を聞かれて) こんな気持ちになれるなんて、幸せだ。」と締め括りました。

 ゲームが完全に終わるまでは全く気を緩めることなく、「残り20秒弱でどのような攻撃で逆転していくか」を考え続け、優勝決定後は「優しい笑み」を浮かべながら、「幸せだ」とコメントする。
 この「信じられないような心持ち」が、スーパーボウルを4回制覇するQBなのだろうと感じました。

プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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