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 2015年の陸上競技シーズンが始まると同時に、素晴らしいニュースが飛び込んできました。

 3月28日、アメリカ・テキサス州オースティンで開催されたテキサスリレー大会の男子100m競走で、桐生祥英選手(19歳・東洋大学)が9秒87のタイムで優勝しました。
 追い風3.3mでしたので公認記録とはなりませんが、日本人ランナーが「電動計時」で初めて10秒の壁を破ったように記憶していますので、素晴らしい走りであったと感じます。

① 優勝したこと

 常に世界の短距離界をリードしているアメリカのトップクラスの大会において、日本人ランナーが優勝したことは、快挙の一言です。このレースには、ライアン・ベイリー選手といった「既に9秒台で走っているランナー」も出場していました。

 世界中の一流スプリンターがトレーニングを行っているアメリカにおける大会なのですから、当然といえば当然のことなのですが、そのステージで優勝したのですから、桐生選手に地力が付いて来ていることは間違いありません。

 この大会で2位あるいは3位での9秒台で無かった点が、最も価値あることだと思います。

② 「9秒87の空気」に触れたこと

 桐生選手の経験値という意味では、この点が重要でしょう。ご本人からも「9秒台を体感できた。」とのコメントが伝わっています。

 陸上競技の短距離競技を経験した方なら、自己記録が伸びる度に「新しい風・空気」が感じられることを、お分かりいただけると思います。不思議なことですが、これは「理屈抜き」なのです。
 0.1秒でも速く走ると(100m競走での0.1秒は「大差」ですが)、走行中に「全く違う空気」を感じることが出来るのです。

 桐生選手は、日本人として初めて「10秒を大きく切った時の空気」を感じたことでしょう。前人未到の領域です。

③ 素晴らしいトレーニングが出来ていると感じられること

 「この快挙」関連の画像を観ると、明らかに桐生選手の太腿が太くなっています。

 この冬の間、桐生選手が良いトレーニングを行ってきた結果が、走りに出ているのでしょう。素晴らしいことだと思います。

 文字通り「素晴らしいスタート」を切った、2015年の桐生祥英選手には、今後も多くの世界トップクラスの大会で、自らを磨いて行ってほしいと思いますし、何よりスプリンターの宿命でもある肉離れなどの故障発症には、十分に留意いただきたいと感じます。

 気象条件他の環境が整えば、「公認記録としての9秒台」は出る力が付いていますので、逆に言えば、「焦ることは全くない」と思います。
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 3月19日にスイスのチューリヒで行われたFIFA(国際サッカー連盟)理事会で、2022年ワールドカップの開催時期を11~12月とすることが決まりました。

 毎回5~7月に開催されているワールドカップが、11~12月に行われるのは史上初めてのことになります。カタールの5~7月は酷暑の時期であり、選手・観客の健康面を考慮しての変更と報じられています。

① 酷暑であるのは分かっていたこと

 中近東の5~7月の気温が40℃を優に超えることは、始めから分かっていたことであるのに、開催地決定の際にどうして考慮しなかったのか、とても不思議です。

 私も10月にエジプトに行ったことが有りますが、気温は40℃を優に超えて、日によっては45℃になりました。現地の人によると7月には50℃以上になるとのことでした。屋外スポーツを行うには、極めて厳しい環境なのです。

② 5~7月以外には各国のシーズンオフは無いこと

 世界で最もメジャーなスポーツのひとつであるサッカー競技は、世界各国、各地域でゲームが開催されています。

 例えばヨーロッパ地域では、毎年8月下旬~9月上旬にプロのシーズンが始まり、翌年の4月頃当該シーズンが終わります。そして真冬の厳冬期には、1か月前後の休止期間があります。
 このシーズン中に、各国のリーグ戦・カップ戦、各地域のクラブチャンピオン決定戦(UEFA-CL、ACL等)が行われるのですが、ご承知のように極めて過密なスケジュールとなっています。ビッグクラブは2~3チーム分のプレーヤーを保持しなければ、とてもシーズンを乗り切れないとも言われるのです。

 当然ながら、こうしたリーグ戦・カップ戦においては「ビッグマネー」が動いています。サッカー競技に関連して、極めて多くの人達が生活しているのです。

 結果として、「ワールドカップといえども、シーズンオフ以外には開催できない」ものとなっています。

 こうした状況下でFIFAがワールドカップの開催時期を決めたとしても、各国のサッカー関係者、各地域のサッカー関係者の了解を得ることは、大変な困難が予想されます。

③ 1986年大会のように、開催地の変更を検討してみてはどうか。

 FIFAの世界戦略、世界中にサッカーを普及させていこうという戦略の下、ワールドカップの開催地も従来は欧州と中南米に限られていたものを、1994年アメリカ大会、2002年日本・韓国大会、2010年南アフリカ大会、2018年ロシア大会と各地域をカバーしていくこととなり、2022年のカタール大会が、残された最後のエリアと言うこともできるのでしょう。

 FIFAにとってはどうしても開催したい地域なのでしょうし、であるからこそ史上初めて開催時期の大幅移動を画策しているのです。

 しかし、サッカーに限らず全ての屋外競技実施には不向きな地域で、開催していくことには、やはり無理がありそうです。
今からでも、開催地の変更を検討すべきなのかもしれません。

 過去にも、1986年大会は当初コロンビアで開催される予定でしたが、コロンビアの治安悪化を理由として、開催地がメキシコに変更されました。勝開催地が変更されたことが過去にも有ったのです。

 世界最大のスポーツイベントのひとつでもある、サッカーワールドカップの開催時期が半年近くも移動するというのは、想像も出来ない影響を生む恐れがあります。

 ただでさえ、本来シーズンオフである時期に、極めて厳しいゲームを行わなければならないワールドカップイヤーには、有力選手の故障も多いのです。32日間でも短いとされている大会期間も28日に短縮されると伝えられています。一層過酷なスケジュールになることが予想されます。

 無理に無理を重ねて開催される大会は、回避した方が良いのかもしれません。
 3月27日に大分銀行ドームで開催されたキリンチャレンジカップ2015、日本代表VSチュニジア代表のゲームは、日本代表チームが2-0で快勝しました。

 ハリルホジッチ新監督を迎えた新生日本代表チーム=ハリルジャパンにとってはデビュー戦となったゲームでしたが、「勝利に拘る」とコメントしていた指揮官の狙い通りの結果であり、新監督の初戦として見事な内容であったと感じます。

 以下、順不同の感想です。

① 若手とベテランを上手く使っていたこと

 先発は若手主体のメンバーでした。ゴールキーパーGKの権田選手、ディフェンスDFの槙野選手、藤春選手、ミッドフィールダーMFの山口蛍選手、フォワードFWの永井選手、武藤選手、川又選手とフレッシュなメンバーが並びました。

 DFの吉田選手やMFの長谷部選手を除けば、「5年後の代表チーム」といった布陣でしたが、この若手の選手達が溌剌としたプレーを展開したのです。ゲーム全体の流れを観れば、前半は日本チームが攻めて、チュニジアチームが守った展開、後半の前半はチュニジアチームが攻めて、後半の後半は日本チームが押した形でしょうか。

 この日本チームが攻め続けた前半45分間でしたが、得点を挙げられませんでした。攻めのリズムが単調で、ボールの落ち着きに乏しかったことと、攻撃が一本道で意外性が不足していたことが原因だと思いますが、これから経験を積んで行けば得点力を強化できる可能性は感じさせました。

 後半に入って、まず本田選手と香川選手を投入し、続いて岡崎選手、今野選手、内田選手と、「現在の日本代表レギュラープレーヤー達」を次々に投入しました。ここで宇佐美選手を投入したのも、ハリルホジッチ采配の妙でしょう。ベテランばかりでは無く、若手も投入したのです。

 まだ就任したてのハリルホジッチ監督としては、なるべく多くのプレーヤーの実践を観ておきたかったのでしょうが、その先発配置、交替の順番・メンバーはとても上手いと感じました。
 「勝利を大前提とした選手投入」だったのでしょう。素晴らしいことです。

② さすがのベテラン勢

 日本(53位)より世界ランキングが遥かに上のチュニジア(25位)、つまり相当格上のチームに対して、若手主体のチームは良く頑張りました。
 その試合振り・ゲーム内容を、本田選手や香川選手は良く観察していました。

 そしてピッチに登場するや、一気にゲームの流れを引き込んだのは、さすがとしか言いようがないスキルの高さでした。

 本田選手と香川選手のところでボールが落ち着き、周囲の選手が動く時間を生み出すのです。本田選手と香川選手のボールキープ力は、世界に通用するレベルなのです。

 そして、香川→本田→岡崎と繋いで先制点が生まれました。相手陣を抉った本田選手は、相手ゴールの反対側で右手を挙げてアピールしている岡崎選手をきちっと見て、ボールを上げました。このボールを岡崎選手はヘディングで叩き込みました。代表チームでよく見られる攻撃ですが、高いレベルのプレーの連続でした。

 岡崎選手のヘディングシュートも、相手DFとGKが目の前にいる状況で「ここしかない」コースに打ち込んでいます。ゴールポストの外に吹かすことも無く、ゴールポストに当てることも無く、相手プレーヤーに捕捉されることも無いシュートというのは、とても難しいものでしょうが、何もなかったかのように決めるところが「本物」なのです。

 2点目はGKが弾いたボールを本田選手が左足で押し込んだものですが、そのポジショニングといい、反応の良さといい、「ACミランの10番」の力を示したものでしょう。

 このゲームの日本チームの得点が、岡崎選手と本田選手からしか生まれなかったことは、少し残念なことなのかもしれません。
 いつも書くことで恐縮ですが、日本の現役プレーヤーの中でワールドカップで得点したことが有るのは、本田・岡崎・遠藤の3選手しか居ないのです。今回遠藤選手はメンバーに選ばれていませんから、残るは本田選手と岡崎選手となります。

 本田と岡崎、この2選手は日本選手の中で「国際試合で圧倒的な得点力を誇る2人」なのです。両選手は、国際試合における得点力・得点感覚の高さをこのゲームでも示した形ですが、他の選手にゴールが生まれなかったことは、いつも言われることですが「日本代表チームの課題」なのです。

③ DFの良さ

 相当に強いチュニジア代表チームを零封した守備は、高く評価されるべきでしょう。
 代表チーム不動のセンターバック吉田選手はもちろんとして、槙野選手や藤春選手もとても良く機能していました。カバーディフェンスが出来ていたのです。

 特筆すべきは、世界ランク25位のチームに「決定的なチャンスを与えなかったこと」だと思います。

 ふわりとしたロングパスから裏を取られての失点という、日本代表チームの弱点もこのゲームでは目立ちませんでした。ハリルホジッチ監督の戦術とイズムは、守備にも活きているのだと感じます。

 もちろん、親善試合でありホームゲームでしたから、手放しで喜ぶというわけには行かないのでしょうが、1-0や2-1では無く、2-0で勝利したことの意義はとても大きいと感じます。
 日本代表チームが格上を相手にキッチリと勝ち切ったというゲームは、久し振りなのではないでしょうか。

 ハリルジャパンは素晴らしいスタートを切りました。
 3月28日の2回戦、健大高崎高校と天理高校の試合は、互いに譲らぬ好ゲームでした。

 天理の斎藤投手、健大高崎の川井投手共に自らの投球を展開し、両チームの強打線を抑えました。

 また、両チームの守備も見事でした。難しい当たりを何も無かったかのように捌き、ピッチャーを助け続けました。

 両チームのプレーの質の高さは、今大会屈指のものであったと感じます。

 健大高崎がこの厳しいゲームを3-1で勝ち切ったのは、その走塁で勝ったことが要因でしょう。

 健大高崎が機動力のチームであることは、既に定評の有るところですが、この試合において健大高崎が魅せた「機動力」は相当レベルが高く、加えて「思い切った」ものでした。

 1-1の同点で迎えた7回裏、1死2・3塁、健大高崎7番の佐藤選手の当たりは1塁ゴロ、天理の一塁手坂口選手は捕球の後、三塁ランナーを目で止めてからファーストに送球しました。
 一度止まった三塁ランナーが、一塁送球を観て猛然とホームベースに突っ込みます。タッチプレーにもならずにホームインしました。普段から練習していなければ、とても出来ないプレーでしょう。

 続く8回裏、四球で歩いた一塁ランナー知念選手がスタートを切りました。盗塁かと見えましたが、打者の春日選手が強振。打球は左中間に落ちてヒット。ランナー1・3塁のヒットエンドラン成功かと見えましたが、知念選手は既にサードベースを蹴っていました。悠々とホームイン。

 後から見ると、知念選手は猛然とスタートを切っていましたから、春日選手がフライアウトであれば、とても1塁ベースには戻れなかったことでしょう。「ランナー1塁から、ワンヒットでホームを陥れる」という、とても「思い切った作戦」だったのです。

 このゲームは、どっしりと構えた伝統の天理高校野球と、機動力に新しいプレーを交えた健大高崎高校野球が、その持ち味を存分に発揮した好ゲームでした。

 それにしても、青栁監督率いる健大高崎高校の機動力野球は見事でした。
 この野球が甲子園大会を制する日も遠くないかもしれません。
 3月27日、2015年の日本プロ野球NPBのペナントレースが幕を開けました。
 
 まさに「球春」です。

 桜が咲いて、プロ野球が始まると、日本列島に春が来るのです。

 プロ野球はプロスポーツであり、我が国最高のエンターテインメントのひとつであることは間違いありませんし、そのエンターテインメント性を担保しているのは、グラウンドにおけるスーパープレーの連続でしょう。
 「素晴らしいプレー」「見たことも無いプレー」「奇跡的なゲーム」等々の中に「非日常」を感じることが、エンターテインメント性を高めて行くために不可欠な要素なのです。

 一方で、「毎日のように」プロ野球のゲームが行われていくスケジュールは、「日常そのもの」です。
 毎日毎日ゲームが行われ、毎日毎日「贔屓のチーム・選手」を応援し、そのプレーや試合結果に一喜一憂すること、は「日常」であり、個々のファンにとっては「人生の一シーン」なのでしょう。

 昭和30年代(1955年~)・40年代(1965年~)の頃、夕方になると父親はどっしりとテレビの前に座り、日本酒やビールを飲みながらプロ野球を観ていました。
 子供たちも、ちゃぶ台の辺りに座りながら、一緒にプロ野球を観ながら夕飯を食べます。母親は台所からおかずを運んだり、お櫃からご飯をよそったりして、やはりテレビを観ていたのです。

 この頃の多くの家庭の夕食は、こうした光景だったのではないでしょうか。
 多くの日本人にとって、プロ野球は「日常そのもの」だったのでしょう。

 スポーツ競技自体が多様化し、スポーツ以外のイベントも沢山開催されるようになり、インターネットの普及に伴ってメディア自体が変貌を続けている21世紀の現代においても、プロ野球が「日常」であるということ自体は、何ら変化していないように感じられます。
 観ている我々の方も、言われる程には変わっていないと思います。

 「球春」が到来しました。今年も素晴らしいプレーが沢山観られますように・・・。
 3月29日、中京競馬場芝1200mコースで行われる、第45回高松宮記念競走G1の注目馬検討です。

 「電撃の6ハロン」と呼ばれる短距離戦です。(古い言葉で恐縮ですが)

 僅かなミスが致命傷となりかねない短距離戦ですから、安定した成績を収めるには「相当な力の差」が必要なのですが、今回のレースにはサクラバクシンオーやロードカナロアに匹敵するような「絶対的スプリンター」は居ないと思います。混戦でしょう。

 一方で、JRAの重賞で実績の無い馬や、前走で大敗した馬は、なかなか好成績を残せていないレースでもありますから、ますます難しい。

 今回は、地力の比較で選定してみようと思います。

 第一の注目馬は、2枠4番のエアロヴェロシティ。
 昨年12月の香港スプリントG1の勝ち馬です。JRAではなじみが無い馬ですが、今回の日本馬のリーダー格の一頭であるストレイトガール(そのレースで3着)を抑えて優勝した実績は評価したいと思うのです。
 そろそろ外国馬の優勝が見られても、不思議はないでしょう。

 第二の注目馬は、8枠18番のストレイトガール。
 近時の5走は、3着3回・2着1回となかなか勝てませんが、いずれもG1レースでの3着以内と、着実に力を付けてきていると思います。そろそろG1優勝馬と成っていただきたいものです。

 第三の注目馬は、8枠17番のコパノリチャード。
 前走のG3阪急杯は6着に敗れましたが、調子が戻ってきていると観ます。5歳馬ですから、まだまだ老け込むには早すぎますので、昨年のこのレースの覇者の力を示して欲しいものです。

 今回は、以上の3頭に注目したいと思います。

 もちろん、ダイワマッジョーレやミッキーアイル、アンバルブライベンにもチャンスは有るでしょう。
 何しろ、混戦なのですから。
 春の甲子園大会の1回戦16試合が終了しました。
 浦和学院と龍谷大平安の延長11回の激闘など、見所満載のゲームが続きました。

 東北勢の3校、八戸学院光星、仙台育英、大曲工業は揃って1回戦を突破しましたる雪国・気温が低いエリアのチームは、冬の間の練習不足等の理由から、春の甲子園では苦戦するのではと思われがちなのですが、2015年の3校はキッチリと勝ち切りました。

 実は、秋田県代表チームは「春の甲子園に強い」のです。
 選抜大会ですから、毎年出場するわけではありませんが、「春の大会に出てくれば秋田県のチームは強い」ことを再認識させてくれる勝利でした。

 一方で、九州勢3校、九州学院、神村学園、九産大九州はいずれも敗退しました。この3校の内2校が東北勢と当たりましたので、東北勢の成績の裏返しのようになってしまった形でしょうか。

 実力十分なチームが「選抜」されている大会ですから、こうした結果となっても不思議はないのでしょうが、それにしても九州勢が1回戦で姿を消したのは、意外な感じがします。

 また、そのゲーム内容も意外なものでした。

 仙台育英に0-12と大敗した神村学園は、勝負どころでのエラーが響きました。8回の5失策を含めて計7失策とは、甲子園大会常連校としては考え難いことでしょう。

 また、九州学院と九産大九州の2チームも含めた九州勢3校の試合振りに共通しているのは、打線の元気の無さでした。もちろん、相手投手とのバランスが有りますから、今大会の九州勢は「たまたま好投手が居るチームと当たってしまった」のかもしれませんが、豪快な打撃で名を馳せる九州のチームが3試合で2得点というのは、全く残念な結果です。
 夏の大会での巻き返しに期待しましょう。

 第4日(3月24日)第2試合の県岐商と松商学園の対戦は、オールドファンには堪えられないものでした。
 県岐商は春の大会2年振り28回目の出場であり、松商学園は16回目の出場と、両チームともに甲子園大会の常連チームなのですが、松商学園は24年振りの春でした。

 加えて、県岐商は夏の大会も28回出場していて、春夏合わせて56回の甲子園大会出場、松商学園も夏の大会に35回出場していて、春夏合わせて51回の出場と、この両校は「出場回数において、史上2位タイと4位」という、素晴らしい歴史と伝統を誇っているのです。

 ちなみに松商学園は、戦前1928年の夏の大会で優勝しています。その時のエースが中島治康選手でした。中島選手は、早稲田大学時代に野手に転向し、社会人チームを経てプロ野球の巨人軍に入団、1938年秋季シーズンには「日本プロ野球史上初の三冠王」に輝いています。

 こうした歴史と伝統を誇る、松商と県岐商が久しぶりに春の甲子園で顔を合わせるのですから、私には「大注目の一戦」でした。

 結果は4-1で県岐商が勝利を収めました。松商は敗れてしまいましたが、久しぶりに見た「昔ながらのユニフォーム」には、「甲子園大会の絵」としての存在感が溢れていました。
 これからも姿を魅せていただきたいと思います。

 さて、センバツ2015も2回戦に入りました。
 センバツは2回戦が始まると、あっという間に決勝戦という印象があります。

 球児の皆さんの素晴らしいプレーが、とても楽しみです。
 
 3月22日に阪神競馬場芝3,000mコースで行われた、第63回阪神大賞典競走G2はゴールドシップが快勝しました。

 二週目の3コーナーから追い上げを開始し、4コーナーを回った直後に先頭に立って、直線で一度デニムアンドルビーに並びかけられたところで「二の脚」を使って再び引き離すという、見事なレース内容でした。

 前走1月のAJC杯G2では、今ひとつ伸びきれず7着に敗れましたので、「さすがのゴールドシップも6歳を迎えて、やや力が衰えたか」とも思われましたが、この阪神大賞典の勝ちっぷりを観ると、まだまだ長距離レースでは負けないことを証明しました。

 また、この勝利でゴールドシップは「阪神大賞典3連覇」を達成しました。

 同一重賞3連覇というのは、JRAの芝コース重賞では過去に4頭しか成し遂げていない記録だと思います。

① セカイオー G2鳴尾記念(1956年~58年)
② タップダンスシチー G2金鯱賞(2003年~05年)
③ エリモハリアー G3函館記念(2005年~07年)
④ マツリダゴッホ G2オールカマー(2007年~09年)

 ゴールドシップの阪神大賞典3連覇は、史上5頭目の快挙なのです。

 それにしても、セカイオーが鳴尾記念を3連覇した後、半世紀近くも登場しなかった「平場重賞3連覇馬」が、21世紀に入って4頭も出ているというのは、不思議なことです。

 偶然では無く、理由がある筈なのですが・・・。
 大相撲3月場所で大活躍を魅せた照ノ富士ですが、横綱白鵬を寄り切った一番以外にも、印象的な相撲が有りました。

 6日目の栃煌山戦と千秋楽の豪栄道戦です。

 この2つの取組において、照ノ富士は「もろ差し」を許しています。そして、栃煌山と豪栄道は、現在の大相撲における「二人のもろ差し名人」だと思うのです。

 このもろ差し名人に「十分な形を許しながら、照ノ富士は勝ち切りました。驚かされる相撲でした。

 栃煌山と豪栄道は、ともに「もろ差しとなったら勝負が速い」のです。特に、栃煌山の「もろ差しからの一気の寄り」は強烈で、これまでも上位力士に土を付け続けてきました。

 その栃煌山にもろ差しを許したにもかかわらず、かんぬきに決めた形で振り回し続け、ついに勝機を与えず、最後は寄り切りました。凄まじい強さでした。
 豪栄道戦も、かんぬきに決めた形で左右に振り回し、最後は小手投げに仕留めました。

 この2番の特徴は、「かんぬきに決めているように見えるが、完全には決まっていない」ということでしょう。完全には決めていないので、照ノ富士側の取り口に柔軟性があるのです。
 照ノ富士は、相手力士のもろ差しの両腕を抱え込んではいますが、ガチガチに固めてはいない。その状態で相手力士を右に左に動かすことで、相手力士の寄りや投げを回避し、機を見て勝負に出ているのです。

 照ノ富士の強みである「上体の柔らかさ」が存分に発揮された取組であったと思います。

 幕の内上位の常連であり、3月場所も前頭筆頭で10勝5敗の好成績を残した栃煌山と、大関の豪栄道を、それぞれの得意型・必勝型で破ったというのは、照ノ富士の強さを示しています。

 千秋楽結びの一番、横綱白鵬と横綱日馬富士の取組に見入る照ノ富士の姿が、テレビで映し出されていました。

 大相撲の末、白鵬が勝ち優勝を決めた瞬間、照ノ富士は浴衣の裾で顔を一度拭いました。悔しそうな表情でした。
 三賞インタビューで「(優勝決定戦を)戦いたかった。」と明るく答えていました。

 この実力とこの意欲・負けん気の強さが、照ノ富士の最大の強みなのでしょう。
 来場所以降の照ノ富士の戦い振りから、眼が離せません。
 3月21日の大阪桐蔭対東海大菅生の試合を観ていた妻が、「東海大菅生のブラスバンドが凄いわよ。打席に打者が入る度に違う曲を演奏するの。そのタイミングも完璧だし演奏も上手。」と言いますので、注意して聴いてみました。

 確かに、見事な応援演奏でした。

 おそらく、選手ひとりひとりのテーマ曲を決めて演奏しているのでしょうが、その演奏開始のタイミングも常に同一で、何より「音」が素晴らしい。各曲の最初の音がキッチリと丁寧に響いて来ます。相当上手なブラスバンドであろうと思いましたが、テレビ放送の中で全国屈指のチームと紹介されていました。

 全国屈指という意味では、大阪桐蔭のブラスバンドも同様ですので、この試合は、フィールド上も、応援席も、全国屈指のレベルであったことになります。

 確かに、大阪桐蔭の応援演奏も素晴らしいものでした。
 この試合のブラスハンド対決?について言えば、演奏技術・音量は互角、構成で東海大菅生が工夫を見せたというところでしょうか。

 甲子園大会を語る際に、その応援を忘れるわけにはいきません。

 各学校が工夫を凝らした応援、郷土色を意識した応援、を展開するのですが、ブラスバンドの演奏も重要な構成要素のひとつです。

 夏の大会では、その高い気温と強い直射日光が楽器に悪い影響を与えると言われてきましたが、それでも各学校が工夫してブラスバンド演奏を行っています。

 もちろん「ブラスバンド応援が必須」などと言うつもりはありませんが、ブラスバンドが参加するのであれば、注目度が高い甲子園大会ですから、その演奏が全国に流れることになります。
 ブラスバンドのメンバーの方々にとっても励みになることでしょうし、思い出深い経験となることも間違いないのでしょう。
 「荒れる春場所」と言われる3月場所ですが、幕の内最高優勝争いは終盤にやや縺れたものの、結局横綱・白鵬が14勝1敗で34回目の優勝を飾りましたので、ある意味では順当な結果と言って良いでしょう。

 一方で、西前頭5枚目の遠藤が6日目から、東前頭6枚目の安美錦が11日目から、休場しました。

 遠藤は4勝1敗の好調な場所を進めていましたが、白星とした5日目の松鳳山戦の土俵際で左膝に故障を発症しました。テレビ画面からも膝近辺が異様な形に動いていましたから、大きな故障であることは一目瞭然。遠藤は土俵下から上がることが出来ませんでした。

 安美錦も8勝1敗という「優勝争いに加わる権利」を持っての10日目徳勝龍戦でしたが、土俵際で粘った際に膝を痛めてしまいました。
 「知っている痛みだから大丈夫」とのコメントが紹介されていましたが、やはり大きな故障でした。

 相撲協会というか、大相撲界にとって極めて影響が大きいのは、この両力士がともに「人気力士」であり、現在の大相撲隆盛の礎となってきた力士であることでしょう。

 遠藤、安美錦共に、5月場所で復帰してくる可能性は低いように感じられますし、無理をして出場して来るべきでもないと思います。
 「完治」というのが難しい個所ですから、可能な限り治療した上で、故障個所周辺の筋力の回復も見て、復帰を決めるべきなのでしょう。

 そういう意味では、2015年3月場所は大相撲にとって「荒れる春場所」であり、「とても痛い場所」でもありました。

 それにしても、近年は「膝の故障」に泣かされる力士が増えているような気がします。「力士の大型化」が影響しているのでしょうか。

 元大関・把瑠都に膝の故障が無かったならば、横綱になっていたのではないでしょうか。安美錦に膝の故障なかりせば大関以上に昇進していた可能性が高いと思います。

 今場所も、前述の2力士以外にも、東前頭7枚目の誉富士や西前頭9枚目の常幸龍も膝の故障の為に、実力を発揮できませんでした。千秋楽には千代鳳が膝を故障したようです。

 高いレベルの格闘技である相撲ですから、怪我や故障は避けられないものかもしれませんが、少しでも減らして行く努力、「大きな故障を避ける」工夫は必要なことでしょう。

 力士本人とともに、相撲協会や各校の相撲指導者の皆様の研究・対応が期待されるところです。
 3月19日日本サッカー協会は、3月27日のチュニジア戦(キリン・チャレンジカップ)と31日のウズベキスタン戦(JALチャレンジカップ)に臨む日本代表チームのメンバーを発表しました。

 ハリルホジッチ新監督の初采配となる2つのゲームに当たり、31人のメンバーが選ばれたのです。

① この2試合はとにかく勝つためにやる。

 31人のメンバーを発表する際に、ハリルホジッチ監督が述べた言葉です。
 そして「どういう方向性で戦って行くか見せたい。」と続けました。

 頼もしいコメントだと思います。「就任早々の様子見」といった雰囲気は皆無です。「代表戦は勝たなければならない」という、至極当然でありながら、実はなかなか実現できない心持・概念を、ハリルホジッチ監督は自然に口にしたのです。
 
② 永井選手、大迫選手、宇佐美選手、武藤選手

 これからの代表チームの得点力を支えるであろうフォワードに、永井謙佑選手(26歳)、大迫勇也選手(24歳)、宇佐美貴史選手(22歳)、武藤嘉紀選手(22歳)が選出されました。

 4人共初選出というわけでは無く、これまでも代表のユニフォームを身に纏いピッチに立ったことはあるのですが、「定着」出来ていませんでした。
 それぞれに素晴らしい持ち味を具備しているプレーヤーです。代表同士の競り合い・切磋琢磨の中から、自らの可能性をどんどん広げて行って欲しいものです。

 特に永井選手に期待しています。その圧倒的な走力とスピードから生み出されるプレーが、日本代表チームに新しい攻撃型をもたらしてほしいと思います。「和製ロッベン」と成れる可能性を秘めたプレーヤーだと感じるのです。

③ 31名のラインナップ

 新監督に就任して一週間未満のタイミングで、ハリルホジッチ監督は31名もの代表プレーヤーを選定しました。新監督の選定としては、とても多いと感じます。

 中には、ディフェンスの長友選手や内田選手の様に故障からの復帰途上にあって、とても3月27日・31日には間に合わないと思われる選手も含まれていますから、代表メンバーというより代表布陣と言った方が良いかもしれません。

 一方で、常連だったミッドフィールダーの遠藤選手の名前が有りませんでした。
 「私は(2018年の)ロシア・ワールドカップに向けた準備をしている。」とハリルホジッチ監督はコメントしました。

 まずは、新しい選手を試しながら「必勝」を目指しているのか、豊富な運動量をベースとしたサッカーを完成させていく過程では、加齢により運動量が落ちてくるプレーヤーを外したのか、その真意は分かりませんが、ハリルホジッチ監督が日本代表チームの特性を見極めた上で、このチームの勝利の為に遠藤選手のスキルが必要だと考えれば、再び遠藤選手の姿が代表戦のピッチ上で観られる可能性も十分にあると思います。

 「どういう方向性で戦って行くかを見せたい。」というコメントに、新生ハリルジャパンの大いなる可能性を感じます。
 キリン・JALのチャレンジカップがとても楽しみです。
 玉ノ井部屋の富士東関が14日目に十両優勝を決めました。

 富士東がついに「本格化」したと感じられる、3月場所の取り口でした。

 もともと、身長181cm・体重187㎏と恵まれた体躯を誇り、期待されていた力士でしたが、その体格を活かす相撲が中々取れませんでした。特に187㎏の体重は、関取衆の中でも上位に位置します(例えば、横綱白鵬は160kgです)ので、どうしてこの天賦の才を活かせないのだろうと思っていました。

 ところが今場所は、立ち合い当たってから「突き主体」の攻めで離れて取り、相手の動きを良く見ながら、次の攻め手を繰り出すという取り口に徹して、とても落ち着いた相撲を展開できるようになりました。

 恵まれた体躯を保持しているのですから、こうした取り口でも、相手力士に簡単に押されることは無い訳で、ようやく「自分の型」を物にした感があります。

 今場所十両三枚目で優勝したのですから、来場所は久し振りに幕の内に戻ることでしょう。幕の内でも、今場所物にした自分の相撲を繰り広げていただきたいと思います。

 もちろん、幕の内の相撲は十両に比べて一層スピードが豊かですし、相手力士の変化技も数多く繰り出されることでしょうが、相手力士と一定の距離を取って、良く相手力士を観察しながら、恵まれた体躯を活かして「前に出る相撲」を取れば、十分に白星を重ねることが出来ると感じます。

 いつのまにか28歳となった富士東ですが、「大器は晩成す」を地で行って欲しいものです。
 MLBニューヨーク・ヤンキースのスーパースターであり、2014年シーズンで引退したデレク・ジータ氏(40歳)が大相撲を観戦しました。

 3月19日・大相撲3月場所12日目のことでした。

 赤房下方向、正面から見て東のやや奥目、桟敷席の最前列辺りでの観戦でしたから、東方の力士が塩を取りに行く際に、ジータ氏と交際中のハンナ・テービスさんの2人の姿が度々テレビ画面に登場しました。

 アメリカ大リーグ史上でも屈指のプレーヤーであったジータ氏には、当然のことながら「大きなオーラ」がありますから、その姿はよく目に付きました。とても真剣な様子の観戦でしたし、笑顔も再三見られましたので、日本の国技としての大相撲を堪能していただけたのでしょう。

 ジータ氏の周囲には時々、玉ノ井親方(元大関・栃東)の姿も見受けられました。さすがは現在の、相撲協会「広報部副部長」です。大物の大相撲観戦を、最大限大相撲のPRに活用したいという意欲が、表れていました。
 
 とはいえ、その玉ノ井親方もジータ氏と話す時には、とても嬉しそうであり、楽しくて仕様が無いという感じでしたから、栃東もジータのファンなのかもしれません。その様子はとても良い感じで、大相撲のPRはもちろんとして、大袈裟に言えば日米親善にも結び付いていたと思います。
 そういえば、取組が進んでいる途中でジータ氏と話す玉ノ井親方は「制服(ジャンパー姿)」でしたが、結びの一番が終わってジータ氏一行を迎えに行くときは「スーツ姿」でした。着替えてきたのです。

 その玉ノ井親方が取組中にジータ氏からヒヤリング?したと思われるコメントが、興味深いものでした。
 「とても勉強になることが多い。」「NFLの様だ。」等が伝えられました。

 超一流のプロスポーツ・プレーヤーとして、アスリートとしての視点から「勉強になる」と言ったのか、今後MLBの指導的立場に就くことを想定して「プロスポーツのエンターティンメント性」の面からのコメントなのか、興味は尽きません。一般の相撲ファンとは、相当に異なる、異次元の視点からの感想も多かったと思います。

 相撲協会としては、その「感想」を詳細に聞き出して、今後の運営の参考にすることが大事なことだとも感じますし、一部でも良いので、その内容を公開していただければとも思います。是非、聞いてみたいと感じます。

 結びの一番終了後、横綱・白鵬とも歓談したジータ氏。今後も、大相撲の場でその姿を観たいものだと思います。

 スポーツ大国アメリカでは、他競技のスーパースターが観戦している事・様子をキチンと報じます。プライベートの問題など色々対応しなければならない点は存在するのでしょうが、我が国のプロスポーツも、可能な限りそうした放送・報道の在り方を取り入れて行くのは、新たなファン獲得という面からも、良いことなのではないでしょうか。

 それにしても、親友・松井秀喜氏との関係から、東日本大震災復興支援イベントに参加するために来日したジータ氏が、大相撲にも登場したのです。

 MLBで生まれたジータ氏と松井氏の絆が、日米スポーツ界全体の交流に繋がって行くとしたら、素晴らしいことだと感じます。
 右肘の靱帯を痛めていたダルビッシュ投手の手術が3月17日に無事に終了したと、報じられました。

 プレシーズンゲームにおける違和感から故障が見つかったダルビッシュ投手が、手術を行うか否かが注目されていましたが、「手術を決断」してから「手術を実行」するまでのスピードには、少し驚かされました。

 ダルビッシュ投手の復帰は2016年5月頃になると報じられています。トミー・ジョン手術からの回復には2年位はかかるとの報道もあります。

 マウンドに立つダルビッシュ投手の「美しい姿」が当分の間見られないのは、とても残念ですけれども、ここは決して慌てることなく治療・リハビリに徹していただきたいと思います。

 MLBにおいても「最もピッチャーらしいピッチャー」として評価されているダルビッシュ有は、既に「ベースボールの宝」なのですから。
 大一番でした。

 大相撲3月場所13日目結びの一番。今場所はまだ14日目と千秋楽を残していますけれども、今場所がどのような結果になろうとも、この取組が「3月場所の愁眉」であったことは、間違いないでしょう。

 五分の立ち合いから、照ノ富士が右からかち上げ。左上手を狙ってのかち上げでしたが、さすがに白鵬はこれを許さず突っ張り合いとなりました。

 照ノ富士の突っ張りは威力十分。白鵬は後退を防ぐのが精一杯の様子で、少し反り返り、状態が右に傾いたところで、白鵬のマワシが近づいた瞬間に照ノ富士が左上手を取りました。がっちりと取りました。

 照ノ富士が寄り立てます。半身で寄り立てます。

 白鵬は小手投げなどで応じますが、防戦一方の様子。照ノ富士は右下手を狙う動きを見せるなど攻撃の手を緩めません。白鵬が防戦を続ける中で、照ノ富士は頭を付けました。
 そして、さらに寄り立てます。

 この圧倒的なパワーの前に、白鵬後退。最後は諦めたように西土俵を割りました。白鵬の驚いたような表情が印象的でした。

 一言で言えば、照ノ富士のパワーが白鵬の技を抑え込んだ一番であったと思います。

 今年2015年に入って、負けを知らなかった白鵬でした。数年前の様に「立合いで下手を取り直ぐに上手も取って」万全の形で相撲を取ることが出来なくなっていた横綱ですが、離れてとる中で相手力士によって自在の取り口を展開する「ニュー白鵬」は、万全の相撲を確立していたように見えました。

 次々に繰り出される白鵬の技の前には、他の力士ではなす術がないようにも観えました。
 しかし、やはり「圧倒的な前に出る力」の前には、さすがの白鵬といえども土俵を割るしかなかったのです。変幻自在の技も、自らの体勢に余裕が無ければ繰り出せないという、至極当然のことを思い出させてくれた一番でもありました。

 こういうことを忘れさせてしまうほどに、近時の白鵬の相撲は上手かったのです。

 取組後のインタビューで照ノ富士は「安美錦関が『頑張れ』と紙に書いてくれた。気合が入った。」とコメントしていました。膝に大怪我を負い休場に追い込まれた安美錦が、照ノ富士を激励していたのです。
 伊勢ヶ濱部屋が総力を挙げて捥ぎ取った白星とも言えるのでしょう。
 丁度、大横綱・双葉山に対する際に、各部屋は部屋を挙げての検討・工夫を積み上げたと伝えられていることを思い出します。
 大横綱・白鵬に対するに際しては、同様に各力士・部屋は総力を挙げなければ勝負にならない、ということなのでしょう。

 座布団が乱舞する大阪府立体育館。

 23歳の新関脇・照ノ富士は、大相撲を支える「大看板」に成長しました。

 MLB2015年シーズンのスプリング・トレーニングが佳境に入りました。

 連日のように、日本出身プレーヤーの動向が報道されています。

 トロント・ブルージェイズとマイナー契約を交わした川崎宗則選手も、元気一杯の日々を過ごしているようです。

 その川崎選手のコメントが報じられました。日本メディアの質問に対して
「(連日のゲームで)疲れてますよ。でも、疲れてるのが生きている証拠ですから。」と嬉しそうに語っていました。

 この時期、連日行われているメジャーのプレシーズンゲームに出場できているから、疲れているのであって、ゲームに出られない=メジャーのロースター候補に入っていなければ、疲れることは無いということでしょう。今の川崎選手にとっては、「メジャーへの可能性が残っている」=「生きている」ということなのでしょう。

 ムネリンにとっては「最高の疲れ」なのです。

 MLBで4年目のシーズンを迎える川崎選手。
 毎シーズン、メジャーとマイナーの境界線上に居ながら、実力でメジャー出場を果たして来ています。素晴らしい活躍だと思います。
 今シーズンも元気一杯のプレーと、思わずニヤリとしてしまうコメントを、提供してくれることでしょう。

 MLBは5年目に入ると、最初からメジャー契約を締結できる可能性が相当高くなるルールと言われます。その点からも2015年は川崎選手にとって大事なシーズンです。

 川崎宗則選手の活躍を心から応援しています。

 ガンバレ、ムネリン!
 
 3月21日から始まる第87回選抜高校野球大会の組合せが決まりました。
 今大会は、初戦における強豪校同士の対戦が多い様に感じます。準決勝・決勝に勝ち進む高校を予想するのは大変難しい大会となりました。

 とはいえ、列島に春の訪れを告げるビッグイベントです。なんとか注目の10校を選出してみたいと思います。

① 大阪桐蔭
② 仙台育英
③ 浦和学院
④ 天理
⑤ 静岡
⑥ 県立岐阜商業
⑦ 二松学舎大付属
⑧ 今治西
⑨ 敦賀気比
⑩ 岡山理大付属

[好カード目白押しの1回戦]

 もともとセンバツは出場校数が少ないので、1回戦から好カードが見られるのですが、今大会は例年以上でしょう。
大阪桐蔭VS東海大菅生、立命館宇治VS静岡、仙台育英VS神村学園、浦和学院VS龍谷大平安、については、どちらが勝っても全く不思議ではありませんし、勝ち抜いた学校が勝ち上がって行く可能性も高いと思います。本ブログでは、上記の様に選択しましたが、とても難しいところです。

[2014年秋季大会との関係]

 近畿地区大会で優勝した天理、東海地区大会で好投手・高橋純平を擁して準優勝の県岐商、東京大会決勝で東海大菅生と激戦を演じた二松学舎大付属、四国地区大会決勝で英明に逆転負けを喫した今治西、北信越地区大会決勝で圧勝した敦賀気比、中国地区大会決勝で宇部鴻城と接戦を演じた岡山理大付属を選んでみました。

 九州学院や糸満は、組合せとの関係からたまたま入っていませんが、初戦・2回戦の結果次第では一気に準決勝まで進出する力は十分に備えていると思います。

 例年にも増して難しい、10校の選定でした。

 各校の力量が極めて接近していますから、エラーや四球がポイントになると思います。

 今月に入り、MLBマイアミ・マーリンズのキャンプ地に、イチロー選手専用のトレーニング施設が用意されたと報じられました。

 興味深いのは、イチロー選手の利用方法です。
① 肩や股関節の稼働領域を拡大して、「しなやかな体」を維持する利用している。
② 筋肉を付けるためには利用しない。

 と報じられました。

 一般的には、こうしたトレーニング施設は、プレーヤーの肉体に様々な形で負荷をかけて、筋肉を増やしてパワーアップやスピード向上を図るもののように思われますが、イチロー選手は筋肉を増やす目的で、こうした設備・道具わ利用することは無いのです。

 確かに、イチロー選手の体躯は、日本でプレーしていた頃とあまり変わっていないように見えます。「筋肉の鎧」を身に付けることを選択していないのです。
 そして今年41歳のプレーヤーとして、MLB2015シーズンに臨みます。

 元大関魁皇の浅香山親方が、日本経済新聞に書いていたコラムも印象的でした。

 「ダンベルなどを使ったウエイトトレーニングを行うようになってからパワーが付いて、優勝を重ねられるようになったが、一方で筋肉が固くなってしまって、怪我をし易くなった。それからは、怪我・故障との闘いの日々が待っていた。」といった趣旨のコラムでした。

 ウエイトトレーニングにより筋肉を増強した結果、筋肉が固くなり、怪我・故障が増えたというところが、興味深いところです。プロのアスリートにとって、「筋力増強」と「怪我・故障しにくい肉体構築」のどちらを選択するかは、究極の選択と言えるかもしれません。

 そういえば、横綱白鵬はウエイトトレーニングを行わないと報じられています。伝統的な四股やテッポウ、すり足、ぶつかり稽古といった稽古を積み重ねることで、「相撲力(すもうぢから)」を身に付けることに徹しているのです。

 機器や道具を使うウエイトトレーニングを行わない横綱白鵬は、2007年7月場所の横綱昇進以降8年近くに渡って「一度も休場していない」という、空前絶後の大記録を継続中です。
 「大相撲の伝統的な稽古」の意味が、分かるような気がします。

 これだけ「スポーツ科学」が発達した現代においても、「筋肉を付けパワーアップを図りながら、その柔らかさ・しなやかさを維持できるトレーニング方法」は開発されていないように見えます。

 スポーツ競技で強くなることは、本当に難しいことだと感じます。
 サッカー男子日本代表チームの新監督に3月12日に就任したヴァヒド・ハリルホジッチ氏が、3月15日のJリーグ、FC東京と横浜マリノスのゲームを視察したと報じられました。

 ゲームは0-0のスコアレスドローに終わりましたが、FC東京のゴールキーパー権田選手の好プレーを評価するコメントが伝えられました。

 そして「得点が入らなかったことが残念」とのコメントも、テレビで報じられました。

 さすがに、現役時代はボスニア・ヘルツェゴビナ出身の超一流フォワードFWプレーヤーであり、元フランス1部リーグの得点王(2度)と言うべきでしょう。
 「得点が入らないゲームなど、ゲームでは無い」とでも言いたげでした。

 サッカーキャリアにおいて「得点の重さ」を熟知している監督を得たことは、「常に大試合における得点力不足に悩む」日本代表チームにとって朗報だと思います。

 また、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身で「超一流FW出身の監督」という点では、元日本代表監督イビチャ・オシム氏と同じです。

 オシム監督が病気で倒れ、日本代表監督を辞したことが、日本代表の進歩に大きな影を投げかけたことは、本ブログにも記載しました。(2014年8月17日、18日の記事「イビチャ・オシム監督を失って、日本サッカーは10年以上遅れてしまったのか(その1)、(その2)」をご参照ください。)

 骨身を惜しまぬ運動量をベースとした「イビチャ・オシムのサッカー」は、世界トップクラスのチームに比して、フィジカル面・テクニック面ともに劣る日本代表チームが、伍して戦って行くために必要なサッカーだったのです。

 ハリルホジッチ新監督のサッカーが、どのようなものであるかは、今後の試合振りを観て行かなければわかりませんが、少なくとも、親交があると伝えられるオシム氏から、監督就任前に日本サッカーに関する様々な情報を入手してきたことは間違いないでしょうし、今後も「相談し得る関係」でしょうから、ハリルホジッチ新監督は、日本サッカーを熟知しているオシム氏の考え方・やり方を参考にして、マネジメントを進めて行くのであろうと思います。

 新生、サッカー男子日本代表チームは、
・総監督 イビチャ・オシム
・監督 ヴァヒド・ハリルホジッチ

 という、とても頼もしい体制となったと言えるのかもしれません。(ハリルホジッチ監督には失礼な書き方になるのかもしれませんが、大歓迎という意味からご容赦いただければと思います。)

 このところ、世界やアジアの国際大会で全く実績を残すことが出来なくなってしまった、男子日本代表チームの覚醒に向けて、とても良い体制が整ったと感じます。
 3月15日に行われた第39回全日本競歩能美大会の男子20km競歩種目において、鈴木雄介選手が1時間16分36秒の世界記録を出して優勝しました。

 これまでの記録が1時間17分2秒(フランスのヨアン・ディニ選手)でしたから、鈴木選手はこの記録を一気に26秒も縮め、世界で初めて1時間16分台で歩き切りました。

 素晴らしい記録です。

 陸上競技において日本人選手が世界記録を出したのは、おそらく1965年の重松森雄選手(マラソン・2時間12分0秒)以来、50年振りのことだと思います。陸上競技の全ての種目を通じて、半世紀ぶりの快挙なのです。

 鈴木雄介選手は、石川県能美郡辰口町出身の27歳。
 2012年のロンドン・オリンピックの20km競歩種目では1時間23分53秒で36位でした。最近の2年半で記録を急速に伸ばしてきたことになります。
 2016年リオデジャネイロ・オリンピックに期待の星が登場したのです。

 それにしても、世界記録を出したコースが生まれ故郷の石川県能美の公式コースであったというのは因縁を感じます。
 このコースが存在していたことが、鈴木選手が中学校時代に競歩競技を始めた理由のひとつであったのかもしれません。

 女子レスリングの青森県八戸と同様に、石川県能美には「競歩の神様」が居るのでしょうか。
 2015年の世界自転車選手権大会はフランスのサン・カンタン・アン・イブリーヌで開催されましたが、そのトラック種目の女子ポイントレースで、日本の上野みなみ(うわの みなみ)選手が銀メダルを獲得しました。2月18日のことでした。

 1900年に国際自転車競技連盟が発足する7年前、1893年に開始された歴史と伝統を誇る世界自転車選手権大会は、自転車競技先進地域であるヨーロッパにおける格付けとしては、オリンピックと並ぶ、あるいはオリンピック以上の評価とも言われていますが、この大会において日本人女子選手がメダルを獲得したのは史上初でした。
 
 まさに快挙です。

 このレースで上野選手は積極的な走りを魅せ、最初のポイント周回で2位に入って3ポイントを獲得、続いて単騎飛び出しを敢行し、メイン集団を1周追い抜くことに成功して20ポイントを獲得、2回目のポイント周回もトップでクリアして5ポイント獲得の、計28ポイントの獲得に成功しました。
 思い切った作戦の立案・実行、そして見事な粘りと、本当に素晴らしいレース振りであったと思います。

 この快挙は、日本人女子選手として世界選手権大会初のメダルというに止まらず、男子選手を含めても2010年のスクラッチ種目銅メダルの盛一大選手以来、日本チームにとって5年振りのメダルでした。

 自転車世界選手権といえば、あの中野浩一選手による1977年大会からのプロ・スプリント種目10連覇が直ぐに思い出されますが、21世紀に入ってからは日本チームの苦戦が続いてきたのです。

 ドイツ、フランス、イタリア、イギリス、オランダといったヨーロッパ勢の圧倒的なパワーとスピードの前に、近時は男女ともに分が悪い日本勢です。特に女子チームは、残念ながら「絶対スピード」の面で劣後していますから、ポイントレースや団体追い抜きといった種目に活路を見出している形でしょう。

 上野みなみ選手は青森県八戸市出身の23歳。日本チームの中ではスピードでも世界と戦っていける水準に居ますので、今後一層の活躍が期待されます。

 それにしても、この大会の女子の各種目における中国チームの強さは印象的でした。優勝はもちろんとして、各種目の上位に食い込んでいましたから、選手層も相当厚いと感じられます。
 体格面で決して優位とは言えない女子中国選手の活躍は、パワー全盛時代の自転車競技トラック種目においても、「アジアの選手でも十分に通用する」ことを示しています。

 自転車競技においては日本のメーカーが世界最高水準の機材を生産・供給しています。そして、種目にも日本で生まれた「ケイリン」がすっかり定着し、大変な人気種目となっています。
 後は、日本人選手の大活躍を待つばかりなのです。十分に戦って行けるようになると思います。
 今日2015年3月14日は、北陸新幹線の開業の日です。

 こうしたロジスティックスの改良・利便性向上がスポーツ界に齎す影響には、私達の想像を大きく超えるものがあるのかもしれません。

 本日開通した北陸新幹線のエリアは、概ね豪雪地域です。
 毎年12月から3月位の間は、屋外のスポーツを行うことが難しいエリアでしょう。
 サッカーや野球、陸上競技といったスポーツは「屋内トレーニング」の時期となります。

1. 試合

 このエリアで上記の競技・時期に試合を行うことは困難です。今後は、この時期に関東地域に遠征し試合を行うことが、より容易に安定的に行えることになります。

 これまでも「自動車の利用」により、やることができたではないかとの見方もあると思いますが、自動車・バスと列車ではやはりスピードと運行安定性が異なるでしょう。そうでなければ、新幹線を通す必要が無いからです。

2. 指導者・コーチ

 関東地方に住む、各競技の指導者がこのエリアに行って指導する機会も増えそうです。日帰りと宿泊を伴う移動とでは、スケジューリングの弾力性が異なります。週一、月一といった定期的な指導も、よりやり易くなることでしょう。
 最新の指導を受けることは、プレーヤーにとってはとても大切なことだと思います。

 既に飛行機が運航していたエリアでも、新幹線の方が運航数が多いので、この点の拡大は大いに期待できます。

3. トップアスリートのナショナルトレーニングセンターの利用

 東京にある当該施設の利用も、これまでより容易になるでしょう。

4. 応援の方々の移動

 母校などの応援のために関東地域に行く人達にとっても、利便性が高まります。
 これまでは、例えばバスやワゴンカーといった交通機関を利用していた応援の方々にとって、より速く、より快適に移動できるのです。大規模輸送手段としての鉄道の強みが活かされると感じます。

 応援の方々の「移動に伴う疲労」というのは、これまで見過ごされがちであった大切な視点です。応援に行く人達の世代拡大も期待されます。

5. 高いレベルの試合観戦

 首都圏で開催される、日本トップクラス、世界トップクラスのスポーツイベントの観戦が容易になることは言うまでもありません。

 例えば、両国国技館の大相撲を日帰りで観戦することも容易になります。

 以上、思いつくままに書いてきました。当たり前のことばかりで恐縮です。
 当然ながら、これ以外にも多くの改善点が存在することでしょう。

 そして、北陸新幹線開通が思いもよらぬ影響をスポーツ界に齎すことは、間違いないことだと思います。
 数年後、その事実を眼にすることが、とても楽しみです。
 大相撲3月場所も5日目を終えました。場所の1/3地点です。
 いつの場所でも、5日目までの成績を観ると、当該場所で好調な力士、調子が出ない力士が分かってきます。

[5勝0敗の力士]
・千代鳳関(東前頭12枚目)
・安美錦関(東前頭6枚目)
・照ノ富士関(東関脇)
・白鵬関(東横綱)

 好調な力士が並びます。全て「東」というのは不思議なところです。

 千代鳳は期待に違わぬ活躍でしょう。おそらく故障からの回復が進んだのであろうと思います。「前に落ちない」という強みを活かした相撲が、これからも続くことでしょう。

 安美錦の好調さには驚いています。初日から体が良く動いていますが、今場所は特に「技のタイミングが絶妙」です。「相手の力を利用する」という、相撲本来の取り口=格闘技の奥義、を自在に展開してくれています。
 今後は上位陣との取組が増えると思われますが、各取組でどんな技・戦術を魅せていただけるのか、とても楽しみです。

 照ノ富士も期待通りの活躍。こちらは、やや強引な相撲も多いのですが、パワーだけでは無く、何とも言えない「上半身の柔らかさ」が活きています。横綱・大関陣との対戦が待ち遠しいところです。

 白鵬は「いつものこと」なのでしょうが、初日・2日目は本来の相撲ではありませんでした。「前に出ることが出来なかった」のです。それでも、その時期にも黒星を喫すること無く乗り切り、次第に調子を上げて来ました。さすがは「第一人者」です。

 4勝1敗の力士も見てみましょう。

 豊ノ島関(東前頭5枚目)も、最近では一番体が動いていると思います。少し減量したのでしょうか。もともと実力者ですから「動けている豊ノ島」は上位陣にとって脅威です。安美錦と共に土俵を湧かせてくれるでしょう。

 栃ノ心関(西前頭4枚目)は期待通りの活躍でしょう。「幕の内上位の相撲」をようやく思い出してきた感じがします。左の二の腕が癒えた栃ノ心のパワーは、やはり上位陣の脅威となります。

 ちなみに、豊ノ島と栃ノ心の1敗は、ともに安美錦戦です。

 豪栄道関(西大関)は、5日目に玉鷲関に不覚を取りました。玉鷲は星が上がっていない時でも、時折「大物食い」を見せることが有ります。好調を意識していた豪栄道としては、少し油断したかもしれません。
 豪栄道は大変器用なアスリートですから、「小手先でプレー」しようとすることが有り、その時に「予想以上のパワー」を受けると、小兵の弱みをさらけ出すことが有るのです。今場所は初日から「前に出て先に攻める相撲」が取れていただけに、この1敗はとても痛いのですが、好調であることは間違いありませんから、気を取り直して、今場所の目標である「13勝」を達成していただきたいものです。
 可能性は十分に有ると思います。

 遠藤関の故障は、本当に本当に残念です。
 ここまで4勝1敗と、とても良い相撲を見せていただけに「もったいない」という感じ。「好事魔多し」とはよく言ったものです。
 大怪我と伝えられていますので、きちんと治して来ていただきたいと思います。番付が下がろうとも、決して慌てる必要は有りません。中途半端な状態で土俵に上がり、万一再度怪我などされては大変なことになります。
 ご本人がどうお考えか分かりませんが、「遠藤が大相撲の宝であること」は間違いないのですから。

 鶴竜、隠岐の海、遠藤と休場が続いていることはとても残念なことですが、土俵上は活気にあふれていると思います。

 「荒れる春場所」は、これからです。
 サッカーは、全てのスポーツの中でも最もメジャーなスポーツのひとつです。

 そのサッカー競技において、「史上最強チームは?」という命題は、常に世界中のサッカーファンの興味の的であり、争点ともなるテーマだと思います。当然ながら「結論の出難いテーマ」であり、「永遠のテーマ」であろうとも思います。 

 今回の記事は、このテーマを採り上げます。

 諸点の比較から、1970年メキシコ・ワールドカップのブラジル代表チームが「世界サッカー史上最強のチーム」だと考えます。

 この大会の決勝戦でブラジルチームは4-1でイタリアチームを下して、3度目のワールドカップ制覇を成し遂げました。

 この決勝戦を戦う前の段階で、イタリアとブラジルは「最多優勝回数2回」で並んでいました。世界のサッカーを牽引する2チームが激突するゲームとなったのです。
 そして、「ワールドカップを3度制覇した国」に、初代のワールドカップ=ジュールリメ杯が贈呈される、つまり取りきりとなるという決め事が有りましたから、この決勝戦で勝ったチームがジュールリメ杯を手にするという、注目の一戦となったのです。

 このゲームにおける、ブラジル代表チームの先発メンバーは以下の通りです。

・GK フェリックス
・DF ブリト
   ピアッツァ
   カルロス・アルベルト(右サイドバック)
   エベラルド(左サイドバック)
・MF ジェルソン
   クロドアルド
・FW ジャイルジーニョ
   トスタン
   ペレ
   リベリーノ

 このチームが「世界サッカー史上最強チーム」であろうと思います。(ポジションに付いては、極めて流動的に動き回り、ポジションチェンジを繰り返すチームでしたから確定とは言えないかもしれません。)

 このチームを「最強」と考える理由は、以下の通りです。

1. ペレ選手の存在

 プレーヤーとして1200点以上の得点(サッカー一流国のプロプレーヤーの記録として圧倒的な史上最多)を挙げているペレは、「サッカーの王様」と呼ばれていますが、サッカー史上最高のプレーヤーであることに異論を挟む人は少ないでしょう。

 ワールドカップにも「4度出場し3度優勝」しています。つまり、ブラジルがジュールリメ杯を取り切る前提となった「3度の優勝」は、いずれもペレが居たチームの優勝なのです。

 17歳の時スウェーデン・ワールドカップに初出場し、優勝して以降、ブラジルチームの中心プレーヤーとして活躍してきたペレが29歳という円熟期を迎えた大会が、1970年のメキシコ大会だったのです。

 「円熟期を迎えた王様」が大黒柱となっているチームは、それは強いでしょう。

 ちなみに、1966年ワールドカップ・イングランド大会で、地元イングランドを初優勝に導いた「イングランドの英雄」ボビー・チャールトン選手の「時々、サッカーというスポーツは彼(ペレ)のために存在しているのではないかと思うことがある。」というコメントが、ペレ選手のサッカープレーヤーとしてのスバ抜けた力量を示しています。(もちろん、ボビー・チャールトン選手も世界サッカー史上屈指のプレーヤーであると評価されています)

2. 他国(メキシコ)開催のワールドカップで優勝していること

 他の競技でも同様ですが、サッカーという競技は「特にホームチームが強い」競技です。
 従って、例えばUEFA-CLやACLなどの大会や、各国のリーグ戦では、不公平が無い様に「同じカードがホーム・アンド・アウェイで1試合ずつ・計2試合」行われるのです。

 ワールドカップにおいても同様です。地元開催でしか優勝したことが無いチームが存在するのも、止むを得ないことです。
 前述の1966年イングランド大会のイングランドチームや1998年のフランスチームが相当します。
 また、「初優勝が地元」という意味では、1978年のアルゼンチンチームが挙げられるでしょう。

 こうした「地元大会で優勝したチーム」は、史上最強チームの選定からは外すのが妥当だと思います。地元においては「実力以上の力が発揮されることがある」のが、サッカー競技なのです。

3. 素晴らしい攻撃陣

 上記のチームのMFからFWのプレーヤーは「眩いばかり」のメンバーです。

 MFのジェルソン選手は、この大会のブラジルチームのゲームメーカーでした。その左足から繰り出される正確なパスは、当時世界最高と称されるものでした。
 当然ながらシュート力も十分で、決勝のイタリア戦でもチームの2点目をゴール左隅に突き刺しています。

 FWは誰から挙げるか困ってしまいますが、まずはトスタン選手。
 その右足から繰り出される自在なシュートを背景とした得点力では、当時「ペレと互角」と呼ばれたスーパースターでした。
 ちなみに「ペレ」や「トスタン」というのは、本名では無く「あだ名」なのですが、サッカー大国ブラジルにおいて「最も初期にあだ名で呼ばれるようになったプレーヤー」のひとりでもあります。

 続いてはFWジャイルジーニョ選手。
 この大会で6ゲーム連続・7得点を記録しました。この決勝戦でもチームの3点目を挙げています。
 ペレとジェルソンの2人がメイクするゲームにおいて、「ゴールゲッター」としての役割をキッチリと果たしたのです。ワールドカップにおける「6ゲーム連続得点」というのは、滅多に見られるものではないでしょう。

 続いてはFWリベリーノ選手。
 フリーキックの名手として、あまりにも有名です。1974年のワールドカップ・西ドイツ大会の東ドイツとのゲームで見せた、ゴール前のフリーキックの時、相手選手の壁の中に居た味方のジャイルジーニョ選手がしゃがみ込んだ隙間を打ち抜いたシュートは「伝説」として語り継がれています。
 強烈なシュートが寸分の狂いも無く僅かなスキ間を突破してゴールに突き刺さりました。相手GKが一歩も動けなかったことも印象的でした。

 現在のゲームでも時々、この時のリベリーノとジャイルジーニョのプレーを模したプレーが試みられます。「壁の中の味方プレーヤーが動いた後のスペースを狙うプレー」は、1974年にリベリーノの足から生まれたものなのです。

 ちなみに、この1970年大会の決勝戦でのリベリーノは「とても出来が悪かった」と思います。フリーキックのチャンスも何度かあったのですが、悉くボールはゴールの遥か外に飛んで行きました。「吹かし捲っていた」のです。

 2200mの高地(メキシコシティ・アステカ競技場)におけるゲームのせいであるという見方もありますが、既にこの大会で多くのゲームに出ていたリベリーノのことですから、気圧が低い状態でもコントロール良く蹴ることが出来ていたと思いますので、このゲームは「出来が悪かった」のであろうと思います。

 もしこのゲームで、リベリーノ選手が「普通の調子のプレー」を披露していれば、ブラジルの得点はもう1~2点増えていたのではないでしょうか

 最後にペレ選手に付いては前述の通りですが、この決勝戦の1点目をヘディングで決めています。身長170cmあるかないかのペレが、その驚異的なジャンプ力を魅せて決めたゴールでした。こうした大試合では「先制点が極めて大事」であることは言うまでも無いことです。

 また、この大会でペレ選手は「背番号10」でした。この大会以降、世界中のサッカーチームで「チームのエースが10番を背負う」こととなったのです。この暗黙のルール?がペレから始まったということは、世界中のサッカープレーヤーがトップクラスから初心者まで、ペレのプレーに憧れていたことを如実に示しています。

 丁度、日本野球において長嶋選手の背番号3や王選手の背番号1に皆が憧れて、草野球などで背番号の取り合いになったことに似ています。

4. 変幻自在のポジションチェンジ

 この時代(1970年頃)のサッカーは、現在のサッカーと異なり、FWはFWとしてDFはDFとして動いていた、といった見解が示されることがありますが、このゲームのブラジルチームを観れば、「そんなことは無い」ことがよく分かります。

 このゲームを通じて、ブラジルチームはポジションチェンジを多用しています。「本当のポジションが何処なのか」、迷ってしまう程の動きです。

 例えば、左右のバックスですが、右のカルロス・アルベルト選手は頻繁にオーバーラップしています。どちらかというと、ボールを持ったら必ずドリブルでセンターラインを越えていたように観えます。

 このゲームで、イタリアゴール前でボールを受けたペレ選手が「ノールックパス」を右に出したところへ走り込んだカルロス・アルベルト選手が強烈なシュートを決めました。これがチームの4点目でした。
 このゴールは、「地上30cmの高さのままゴールネットに突き刺さる」見事なシュートでしたので、「大会ファイネスト・ゴール」に選ばれています。

 ペレのパスがノールックであったことから、「ブラジルチームがあらかじめ用意していたプレー」であることは明らかです。つまり「右のサイドバックが相手のペナルティーエリア付近に走り込んでシュートするフォーメーション」が用意されていたのです。

 ポジションチェンジを超えているプレーだと感じますし、現在のサッカーにおいても、「サイドバックがゴール前でパスを受けシュートするプレー」というのは中々見られないものだと思います。
 これに近いプレーを展開したのは、2014年ブラジル大会におけるドイツチーム位ではないでしょうか。

 また、左のサイドバック・エベラルド選手も再三イタリアゴールに迫りました。イタリアゴールポストの向かって左横を走り抜ける姿が、瞼に焼き付いています。

 左右のサイドバックが積極的に攻撃参加するという文化・戦法は、その後のカフー選手やロベルト・カルロス選手に受け継がれた「ブラジルチームの得意の形」だと思いますが、それにしても、サイドを抉りセンタリングを上げるのではなく「相手ゴールに突進するプレー」を見せるサイドバックというのは、カルロス・アルベルトとエベラルドが居たこのチーム独特のもののように感じられるのです。

 また、ジャイルジーニョ選手やリベリーノ選手は「左右に自在に展開」していました。「好きなように動いている」様に見えたのです。
 ペレ選手とトスタン選手が比較的真ん中寄りでプレーして、ジャイルジーニョ選手とリベリーノ選手は、中盤から前線にかけて自在に動くフォーメーションだったのでしょうか。

 この時のブラジルチームは、現在の例えばポゼッションサッカーをも苦も無く行うことが出来ると思います。
 個々のプレーヤーのテクニックを比較すれば、現在の世界トップチームを凌いでいると思いますし、最新の戦術も容易に取り入れることが出来そうです。

 この点が、このチームが1970年頃の世界最強チームではなく、「世界サッカー史上最強チーム」であろうと判断する理由のひとつです。

5. 対戦相手のイタリアチームも強いチームであったこと

 このゲームを1-4で敗れてしまったので、このときのイタリア代表チームが弱かったのではないかと見てしまいがちですが、そんなことは全くありません。大変強いチームであったと思います。この時のブラジル代表チームが相手でなかったなら、十分にワールドカップ優勝に値するチームでした。

 メンバーも凄いのです。

 GKはアルベルトシ選手。あの「伝説的ゴールキーパー」ディノ・ゾフ選手もこの時のイタリアチームのベンチに入っていましたが、まだ控えのキーパーでした。世界最強を誇るイタリア守備陣の要のキーパーとして、アルベルトシ選手が当時の世界屈指のGKであったことは間違いありません。

 DFには、あのファケッティ選手が居ました。ファケッティ選手はこのチームのキャプテンでもありました。そういえば、ブラジルチームのキャプテンもDFのカルロス・アルベルト選手でしたから、この時の両チームはともに、ディフェンダーがキャプテンだったことになります。

 ファケッティ選手は、この時代の「世界最高のディフェンダー」の名を欲しい儘にしていました。

 攻撃陣も素晴らしい。

 ベルティニ選手とマッツォーラ選手がゲームメイクし、FWのリーバ選手やボニンセーヤ選手が得点するパターンで、決勝戦まで勝ち上がりました。特に得点力が高く、準決勝の西ドイツ戦は延長の末4-3で勝ち切りました。

 特にリーバ選手は、得点感覚に優れたプレーヤーで、このゲームでも再三ブラジルゴールを脅かしました。「ボールを貰えば必ずシュートする」という意味で、極めてFWらしいFWでした。
 また、ブラジル選手のヒールパスをカットして得点を挙げたボニンセーヤ選手は、「イタリアチームが強い時には必ずと言って良いほど登場する若手スタープレーヤー」という雰囲気を醸し出していました。

 後世になってから、この決勝戦は「ブラジルが攻めてイタリアが守ったゲーム」と評されることが多いのですが、実際には「前半はイタリアが攻め、後半はブラジルが攻めたゲーム」であったと思います。
 前半のイタリアの攻撃は、ブラジルゴール前での壁パス多用など、当時の最先端の戦術を展開していました。世界最高水準の攻撃力を具備したチームだったのです。(そうでなければ、準決勝で西ドイツ相手に4得点は出来ません)

 この「攻守のバランスに優れた素晴らしいイタリアチーム」を4-1で破ったブラジルチームが大変強いことは、間違いないことでしょう。
 
6. 素晴らしい攻撃力と堅実な守備力

 この大会の一次リーグ3ゲーム・決勝トーナメント3ゲームの計6ゲームで、でブラジルチームは19得点・7失点という得失点でした。

 1ゲーム平均3点以上の得点と1点強の失点ということですから、このブラジルチームは平均して「3-1」というスコアで勝ち続けたということになります。

 これは、極めて安定した「負け難い」ゲーム展開を魅せたチームと言えるでしょう。

 世界サッカー史上に残る強豪チームの中には「得点1で相手チームを零封する=1-0で勝つ」チームがいくつか見られますが、最少得点である1点を守り切る形のゲームでは、不確定要素から常に同点にされるリスクを背負い続けていることになります。
 もちろん、例えば「ポゼッションサッカーで相手にボールを渡すことなく、失点のリスクを極小化する」というゲーム展開も存在するのですが、それでも「1得点で勝ち抜く」というのは、リスクが高いゲームでしょう。

 世界最高の大会で、毎試合平均3得点以上を挙げたブラジル代表チームの「安定した強さ」「負け難さ」は疑いようがありません。


 ここまで、1970年メキシコ・ワールドカップにおけるブラジル代表チームが、世界サッカー史上最強のチームであると考える理由を書いて来ました。

 サッカープレーヤーの世界スケールでの交流が現在ほど盛んでは無かった1970年前後は、ブラジル人選手はブラジルのプロチームで、欧州各国のプレーヤーは各々の国のチームで活躍している場合が多かったのです。
 そして、ワールドカップという舞台で、各々のサッカーをピッチ上で展開しました。

 ブラジルにはブラジルの、イタリアにはイタリアの、西ドイツには西ドイツの、イングランドにはイングランドのサッカーが現在より色濃く存在しました。そうした状況下で、「圧倒的な力の差を見せた」のが、このブラジル代表チームであったと思います。

 加えて、この頃のサッカーボールは革製でした。現在のサッカーボーと比べれば、相当重いものでしたし、雨中のゲームともなれば「ボールが水を吸って」一層重くなったのです。この頃のプレーヤー達は、この重いボールを40m以上も正確に蹴っていました。
 いわゆるフィジカルという面でも、21世紀のプレーヤーより、この頃のプレーヤーの方が、平均して上であったろうと思料されます。

 テクニックの面でも、重いボールを自在に蹴り熟すのは、極めて難しいことであったと思います。現在のような軽いボールを足先で裁くなどということは、当時はとても出来なかったのです。
 ペレもトスタンも、ボビー・チャールトンも、フランツ・ベッケンバウアーもゲルト・ミュラーも、超一流のプレーヤーは皆、重いボールを自在に扱いました。凄いプレーヤーが揃っていた時代だったのです。

 さて、今回の検討においてライバルとして候補に挙げたチームは以下の通りです。

・1972年欧州選手権優勝の西ドイツ代表チーム
・1986年ワールドカップ優勝のアルゼンチン代表チーム
・2014年ワールドカップ優勝のドイツ代表チーム

 この3チームの中で「1970年W杯ブラジル代表チーム」に匹敵するというか、このチームに次ぐ総合力を具備していると感じられるのは「2014年W杯ドイツ代表チーム」でしょうか。
 その圧倒的な攻撃力と堅い守備力で、南米開催のワールドカップで初めて優勝した欧州のチームが、世界サッカー史上屈指の強豪チームであることは間違いないでしょう。

 この2チームの差は「ペレの存在」だと感じます。

 こういう大黒柱は「チームが苦境に立った時にこそ威力を発揮」します。苦しいゲームを勝ち切る、ゲームの悪い流れを一気に変える、といった目的に対する「ペレというプレーヤーの存在」は、比類無きものでしょう。

 「ペレという大黒柱」、4度ワールドカップに出場し3度優勝しているというプレーヤーの存在の分だけ、1970年のブラジルチームが2014年のドイツチームを上回っていると思うのです。

 今回の考察は、2015年3月時点のものです。

 今後、どのような強豪チームが登場してくるのか、とても楽しみです。
 「白い恋人たち」といっても、北海道の有名なお土産ではありません。

 1968年グルノーブル・オリンピック記録映画の主題曲です。

 この大会の記録映画は好評を博し、「白い恋人たち」はヒット曲となりました。あの素晴らしい音楽を背景に、「大会の旗を折りたたむ関係者の姿が映し出されるシーン」は今でも思い出されます。
 「オリンピック公式記録映画」という、どうしても堅苦しくなりがちな映画を、ここまで「お洒落なもの」にしてしまうという、フランスという国の文化・感性に感心した記憶があります。

 さて、このグルノーブルで開催された冬季オリンピックで、地元フランスの期待を一身に背負って「三冠」を成し遂げたのが、ジャン・クロード・キリー選手でした。

 1943年生まれのキリー選手はこの時24歳。
 当時は、「アルペン王国の覇権」はオーストリアとフランスが争っていました。そして、1956年のコルチナダンペッツォ大会でオーストリアのトニー・ザイラー選手が「三冠」を達成し、この大会でフランスのキリー選手が「三冠」となったのです。

 アルペン大国、オーストリアとフランスを象徴する2選手であったと思います。

 キリー選手の「三冠」は、しかし、3種目の「回転」でひと騒動有りました。
 種目が終わった直後には、オーストリアのカール・シュランツ選手の優勝が報じられたからです。シュランツ選手はこの頃のオーストリアチームのエースであり、キリー選手と世界のトップを争っていたスキーヤーでした。

 そのシュランツ選手が大喜びで手を挙げ、向かって左側に居たキリー選手が残念そうな様子で写っている写真が、翌日の新聞各紙を飾っていました。

 この写真が撮られた後、シュランツ選手の「旗門不通過」が宣せられて失格となり、2位に居たキリー選手の優勝→三冠が決まったのです。

 この旗門不通過裁定は二転三転していたと思います。
 旗門不通過の指摘がなされた後、旗門不通過はコースを係員が横切ったためというシュワンツ選手側の主張があり、再レースを実施してシュランツ選手が再び最高タイムを記録した後、最初の滑走においてシュランツ選手が旗門不通過したのは、係員が横切った地点より手前の旗門であったとの指摘がなされて、再び失格となったと記憶していますが、いずれにしても、少し後味の悪い形でした。キリー選手の地元、フランスにおける大会であったことも影響したのでは、との評もありました。

 とはいえ、記録上は間違いなく「キリー選手の三冠」となったのです。

 世界アルペン史上、僅かに2人しか居ない栄誉はキリー選手の上に輝きました。

 グルノーブル・オリンピックの年1968年に現役を引退したキリー選手は、この後タレントとして活躍し、映画にも出演し、現役時代のシーズンオフにトライしていたカーレースにも挑戦しました。あのル・マン24時間耐久レースにも参加しています。
 トニー・ザイラー選手同様に、キリー選手も二枚目だったのです。

 その後1977年に国際スキー連盟(FIS)の委員となったキリーは、フランス・アルベールビルのオリンピック開催に尽力し、1992年アルベールビル・オリンピックの開催を実現しました。
 1987年にアルベールビル・オリンピック組織委員長に就任するなど、「スポーツ官僚」としての活躍を続けました。
1995年にはIOC(国際オリンピック委員会)の委員に就任し、1998年長野オリンピックの調整委員、2006年トリノ・オリンピック組織委員長などを歴任しました。

 そして、ジャン・クロード・キリーが「スポーツ官僚」を辞めたのは、2014年ソチ・オリンピック閉幕後でした。
 つい最近まで、キリーは冬季オリンピックと共に在ったのです。

 「トニー・ザイラーとジャン・クロード・キリー」、時代を代表する2人の偉大な「三冠スキーヤー」であったと思います。

 歴史と伝統を誇る、女子サッカーの国際親善大会・アルガルベカップ(ポルトガル・パルシャル)は、1次リーグの戦いが進んでいますが、我らが「なでしこジャパン」は最終戦でフランスチームに1-3で逆転負けを喫し、順位決定戦に回ることとなりました。

 本年6月にカナダで開催されるワールドカップ2015に向けての準備大会の意味合いが強い大会ですし、チームとしても様々なメンバー、フォーメーションを試した大会でもありましたので、1勝2敗という1次リーグの結果については心配する必要は無いのでしょう。

 とはいえ、試合振りには気になる点もありました。

 何より、なでしこの試合振りが「いつも同じペース」に感じられたことは、大きな問題点でしょうか。

 サッカー競技においては、「ボールが落ち着く」という言葉が有ります。多くの場合、「ある特定の選手にボールが渡った時」に指摘される事柄です。
 これまでのなでしこにおいては、澤選手にボールが渡った時に「ボールが落ち着いていた」ように見えました。

 攻めるにしても守るにしても、「相手チームの選手にボールを取られることが少なく、他の味方選手が動く一瞬の時間を生み出すこと」が「ボールが落ち着く」という意味だと思いますし、チーム全体のリズムを良くして「タメを創り出す」効果も得られるのでしょうが、今大会のなでしこには、ボールが落ち着くことが殆ど見られず、ワーッと攻めて、ワーッと引いて来る、というゲーム展開が続いたように見えます。

 では、澤選手をメンバーに入れれば良いのかというと、事はそんなに単純ではないのでしょう。
 既に36歳の澤穂希選手に、ワールドカップのような長い大会における毎試合の活躍を求めるのは酷だと感じます。

 新生なでしこジャパンの中で、誰が「ボールを落ち着かせる役割」を果たすのかということなのでしょう。

 ワーッと攻めて、ワーッと引いて、その隙に相手チームに決定的なチャンスを与えてしまうという「現象」を知ることが出来た今大会は、ワールドカップ2015における好成績を目指す日本女子代表チームにとって大きな成果を得ることが出来た大会だと思います。本当に有意義でした。

 なでしこジャパン全体のレベルは上がっていると感じます。
 6月のカナダでは、メリハリの効いたゲームを魅せていただけることでしょう。
 オリンピック大会における日本人マラソンランナーの成績を観ると、あまり多くのマラソンレースを走る以前に好成績を残していることが分かります。

 レースのスピード化が進んだ現代マラソンという視点から、1992年バルセロナ・オリンピック以降を観て行きたいと思います。

[1992年バルセロナ・オリンピック]
① 森下広一選手 銀メダル
 森下選手はこのレースがマラソン3回目でした。25歳の時の快挙です。

② 有森裕子選手 銀メダル
 有森選手はこの時、マラソン4回目のレースでした。26歳の時の輝かしい記録です。

[1996年アトランタ・オリンピック]
③ 有森裕子選手 銅メダル
 有森選手は6回目のマラソンでした。30歳の時です。有森選手はバルセロナ以降アトランタ開幕までの4年間に1度しかマラソンを走っていないことが分かります。

[2000年シドニー・オリンピック]
④ 高橋尚子選手 金メダル
 高橋選手は5回目のマラソンでした。28歳の時です。日本陸上競技史上初の女性金メダリストの誕生です。

[2004年アテネ・オリンピック]
⑤ 野口みずき選手 金メダル
 野口選手は4回目のマラソンでした。26歳の時の活躍です。2大会連続の金メダルというのは、日本マラソン史上というより、日本陸上競技史上空前の快挙と言えます。

 野口選手の大活躍以降、日本マラソンはオリンピックでメダルを獲得できなくなりました。

 この事実を踏まえれば、日本人ランナーがオリンピックのレースで3位以内に入るためには、「マラソン経験が6回目以内でなければならない」ということになります。

 当然ながら、42.195kmという超長距離レースですから、1回走る度に内臓や足腰他の筋肉に大きな負担が掛かり、次第に痛んでいくことは想像に難くありません。日本人ランナーにとっては、マラソンは「1回毎に身をすり減らして走る競技」なのでしょう。

 であれば、多くの回数走ることは不得策ということになります。

 逆に言えば、近時の日本の長距離ランナーは「走り過ぎ」「練習のし過ぎ」なのかもしれません。
 箱根駅伝や各種の大会に出場するために、厳しい練習を積む過程で、「自らの肉体的・精神的なリソースを食い潰して」しまい、マラソンに挑戦する段階では「余力が殆ど無い」状態になっている怖れが有ります。

 ちなみに、1992年バルセロナ・オリンピック以降で、マラソン以外の種目で陸上競技において獲得しているメダルは、アテネ大会とロンドン大会におけるハンマー投げの室伏広治選手の金メダルと銅メダル、そして北京大会の男子400メートルリレーの銅メダルの3つだけですから、陸上競技において「マラソンが日本のお家芸」というか「世界に最も通用する種目」であることも明快な事実です。

 このお家芸を復活するに際しては、「走り過ぎを抑えて行く」努力も必要なのではないでしょうか。
 日本人マラソンランナーには「マラソン経験を積み重ねながら強くなる」という方法は向いていないのでしょう。

 「マラソン日本」のメダリスト達は、いずれも、マラソン種目における「新星」なのです。
 Jリーグの2015年シーズンが開幕しました。

 日本サッカーの屋台骨を支えるリーグの開幕です。今シーズンも素晴らしいゲーム、目の覚めるようなシーンを沢山魅せていただけることでしょう。

[FC東京2-2ガンバ大阪]

 このカードをテレビで観ました。

 雨が降りしきる万博記念競技場でガンバが好調なプレーを展開し、2-0とリードして後半30分になろうとする頃には、このままガンバが押し切るであろうと思いましたし、フォワードFWの宇佐美選手を中心とした攻勢が続いていましたから、追加点もあるかもしれないと感じていました。
 2014年シーズン三冠チームの強さがピッチ上に展開されていたのです。

 ところが後半30分にFC東京が1点を返すと、ゲームの様相は一変しました。なかなか見せ場を作れなかったチームが一気に攻勢に転じたのです。降りしきる雨の中で、どこにこんな体力が残っていたのだろうかと思える程の連続攻撃。気持ちの問題なのかもしれませんが、サッカーという競技の不思議・難しさを改めて感じます。

 後半も45分を過ぎてのインジュリータイムに、右サイドから中央の武藤選手にボールが繋がりました。正確には繋がったと言うより、ガンバのパスミスのボールをカットした形ですが、右足一閃。
 武藤選手のシュートはガンバゴール右サイドに突き刺さりました。ゴールキーパーGKの頭を越えてゴール枠を捕える、見事なシュートでした。

 丁度、2014年ワールドカップにおけるハメス・ロドリゲス選手のシュートを思い出しました。

 FC東京の1点目も武藤選手のゴールでしたが、こちらは相手ゴール左ポスト際からの素早い反転からのシュートでした。
 こちらは、1970年頃西ドイツのエースストライカーとして活躍した、「ボンバー(爆撃機)」ことゲルト・ミュラー選手のシュートを彷彿とさせました。

 武藤選手のFWとしての才能の大きさを感じさせる、2つの得点だったと思います。

 こうしたプレーが自国リーグのゲームで観られるというのは、とても素晴らしいことです。

 今シーズンのJリーグは大混戦になりそうです。
 2015年のノルディックスキー世界選手権大会の男女の最終種目である女子30kmクラシカルと男子50kmクラシカルは、それぞれ2月28日・3月1日に行われました。

 30kmは女子種目最長距離、50kmは男子種目最長距離の種目であり、ノルディックスキーの世界大会で昔から行われている「歴史と伝統」を誇る種目でもあります。また、今大会は「クラシカル走法」の番ですが、30km・50kmといえばやはりクラシカル走法がマッチしているように感じます。

 真っ白な林間コースを黙々と滑って行くシーンは、「まさにノルディックスキー」という雰囲気で、今後も世界大会を代表する種目として継続実施されていくものと思います。

 昔は「30秒間隔でひとりずつスタートする」といった形で行われることが多かったのですが、最近はマススタート方式(一斉スタート方式)が普通になりました。レースのドラマ性を高める、観客にとって分かり易い、といった目的を持って行われているマススタートかと思いますが、この変更はレース展開にも大きな影響を与えました。

 さて、今大会の女子30kmと男子50.kmは、そのレース展開・内容が対照的なものとなりました。

 まず、女子30kmクラシカル。
 有力選手が先頭集団を形成する形でレースは進みました。そして6.2km付近でノルウェーのテレーセ・ヨハウグ選手が飛び出しました。

 24km近くの距離を残してのスパートですから、他の有力選手達は自重して付いて行くことはせず、第2集団を形成しました。まさか、ここからゴールまでヨハウグ選手が突っ走るとは考えなかったのでしょうし、「1回目の揺さ振り」というくらいに捉えていたのかもしれません。

 ヨハウグ選手は淡々と、しかし着実にスピードを上げて、後続との差を広げ続けました。

 これ以上差を付けられては追い付けないと判断したビョルンゲン選手が、第2集団から抜け出し追走を始めましたが、ヨハウグ選手との差はなかなか縮まりません。

 25kmを過ぎた所では、ヨハウグ選手→ビョルンゲン選手の差が1分、ビョルンゲン選手→第3位集団の差が1分といった展開となりました。

 ビョルンゲン選手は懸命に追い上げます。3位集団も懸命に追い上げます。

 しかし、ヨハウグ選手の滑りは衰えることなくゴールイン。52.3秒差でビョルンゲン選手が2位、3位にはスウェーデンのカラー選手が入りました。

 好調さを背景にしたヨハウグ選手の大逃げが見事に功を奏したレースでした。途中から徐々に差を広げて押し切るというレース展開は、長距離競走ならではのものでしょう。伝統的な作戦でもあり、私は大好きです。

 かつての「30秒間隔スタート」のレースでは、選手は自分の途中順位が分かり難かったので、長距離競走は「自分との戦い」という様相でした。もちろん、レースですから他の選手との競り合いを展開しているのですけれども、先攻しているのか遅れているのかも分かり難い(コース途中で時々コーチから聞くしかない)ので、選手は自分が立てた作戦に則りペースを守り、黙々と滑り続けたのです。

 今回のヨハウグ選手の滑りは、こうしたかつてのレースを髣髴とさせるものでした。続く選手達に1分以上の差を付けてしまえば、アップダウンが多い林間コースでは他の選手達は見えません。まさに「自分一人で滑っている」形なのです。ペースが速いのか遅いのかも、自分で判断しなければなりません。

 こうした状況下、自分のエネルギーを余すことなく30kmを滑り切らなくてはならないのです。高度な技術と、豊富な経験、そして何といっても実力が無くては出来ないことでしょう。

 26歳のテレーセ・ヨハウグ選手は、チームの大黒柱34歳のマリット・ビョルンゲン選手を破りました。過去10年以上に渡って世界の女子ノルディックスキー界を牽引してきたビョルンゲン選手の後継者に名乗りを上げたと言っても良いでしょう。

 ひょっとすると、このレースは「新旧女王交替のレース」であったのかもしれません。

 続いては男子50kmクラシカル。
 こちらは「The マススタート・レース」と呼んでよい展開のレースでした。

 優勝したペッテル・ノートグ選手(ノルウェー)は50kmのレースを500mのレースに組み替えて、勝利を捥ぎ取りました。

 15kmを過ぎた辺りから、先頭集団は20名位に絞り込まれました。次々と先頭が入れ替わる展開の中で、ノートグ選手は常に集団の後方に位置し、13~14位の位置をキープし続けました。先頭とのタイム差は9~10秒であり、平均的な先頭との差は50~100mでした。先頭集団に居るとはいえ、相当の差が有ったのです。

 ラストスパートで勝負することが多いノートグ選手としては「いつもの形」であろうとは思いましたが、ポジションがいつもより後寄りであったことと、中々前に進出していけないこと、そして雪質が極めて柔らかく滑り難い=ぐしゃぐしゃ=スピードアップが難しい、状態でしたから、さすがのノートグ選手でもこのレースは難しいかなと思いました。

 レースも45kmを過ぎて終盤に入りましたが、ノートグ選手のポジションは変わりませんでした。ここまでに先頭集団から数人が振るい落とされましたので、ノートグ選手は先頭集団の最後方になりました。時々、前の選手から離されかけますので、やっと付いて行っている感じも漂いました。

 残り1kmになって、ようやくノートグ選手は前進を始めました。しかし、なかなか差が縮まりません。とはいえ、登り斜面を滑るノートグ選手の動きにはキレが有りました。

 残り500m。先頭との差は7秒まで縮まりました。
 ゴールまで残りの登りは1か所。ここでノートグ選手は猛然と前進します。一気に前方の選手数人を抜き去り、下り斜面にかかるところでは4位まで上がりました。

 とはいえ先頭争いをしているバウアー選手(チェコ)やオルソン選手(スウェーデン)との差はまだまだ大きかったので、「追込みは不発か」と思われました。

 下り斜面で加速したノートグ選手は、ゴール前の直線走路に3位で入りました。そして競り合う2人の選手の間、スキー走路が掘っていない場所で懸命にストックを使います。一掻き毎に差を縮め、残り100m地点で並び、抜き去りました。

 凄まじいラストスパートでした。

 優勝したノートグ選手と2位のバウアー選手との差は1.7秒、3位のオルソン選手とは2.0秒、6位のコログナ選手(スイス)までが10秒以内という激戦でした。

 ペッテル・ノートグ選手はこの優勝で、今大会4個目の金メダル、世界選手権大会通算13個目の金メダル獲得となりました。この驚異的な記録は、これからも積み上がって行くことでしょう。

 このレースはノートグ選手のレース戦略とラストスパート力が如何なく発揮されたレースでしたが、「まさにマススタート・レースそのもの」という感じで、かつての50kmとは全く異なる様相でした。

 1972年の札幌オリンピックで優勝したポール・ティルダム選手(ノルウェー)が、西岡の林の中を鼻水を凍らせながら黙々と滑っていた光景が思い出されます。かつての男子50kmは「自分との戦い」であり「孤独なレース」だったのです。

 現在の50kmは「他選手との駆け引き」であり「競り合いそのもの」となっています。

 もちろん、どちらの展開であっても、世界一になることの難しさには何の違いも無いことでしょう。

 スウェーデンのファレンを会場に行われた、2015年ノルディックスキー世界選手権大会の最終種目、歴史と伝統の30km・50kmは、ともにノルウェーの選手が金メダルを獲得しました。

 ノルディック王国ノルウェーの強さは、これからも続くことでしょう。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

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