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 2015年の「書きおさめ」です。

 「オリンピック三連覇」という、個人競技における日本スポーツ史上唯一の記録を保持しているのが、野村忠宏選手です。

 1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネの3大会連続、柔道男子60kg級の金メダリストなのです。

 本2015年8月29日の全日本実業柔道個人選手権大会が引退大会となりました。
 1・2回戦を秒殺1本勝ち、3回戦では1本負けという、「らしい」大会でした。

 この試合後インタビューが行われました。
 「負けるも一本、勝つも一本」とコメントした40歳の野村選手には、37年間に及ぶ柔道キャリアへの満足感が漂っていました。

 野村選手の戦績を観ると、オリンピック三連覇に比して世界選手権では1997年のパリ大会の優勝だけということですから、「オリンピックにおいて圧倒的に強かった」ことが明らかです。
 世界選手権では強いが、オリンピックではなかなか勝てない、という選手とは好対照ということでしょう。
 
 確かに、オリンピックの試合における野村選手の集中力と勝負強さは、何時の大会でも他の選手を圧倒していました。

 「試合前に相手選手の研究をしない」とも伝えられています。
 試合が始まり、襟を掴み合い、相手選手の筋力やスピード、そして重心の動きを肌で感じて、技を繰り出すという、天才肌であり、極めて実戦的な選手だったのでしょう。

 2016年はオリンピックイヤーです。

 リオデジャネイロ・オリンピックに臨む日本選手団に、野村忠宏氏から「金メダルを取る秘訣」をご教授願いたいものです。
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 今回は、力士・高見山の現役時代の「人気」がテーマです。(読売新聞の記事の全般に関するものです)

 高見山は、1964年から1984年の20年間現役でしたが、この時期は大相撲の「黄金時代」と言って良いと思います。
 特に、大関・貴ノ花(初代、1965年~1981年に現役)と高見山が、共に幕内に居た時代・1968年~1981年は、「史上最も大相撲人気が高かった時代」であろうと思います。

 大相撲は、昭和30年代(1955年~)から概ね高い人気を維持してきていると思います。八百長問題で揺れた時期もありましたが、それでも国技としての人気が完全に下火になることはありませんでした。

 とはいえ、人気度合いには上がり下がりが有りました。

 私なりに、昭和30年代以降の大相撲の人気をランキングにしてみようと思います。

第一位・貴ノ花時代(1968年~1981年)
第二位・柏鵬(はくほう)時代(1960年~1970年頃)
第三位・若貴時代(1990年~2000年頃)

 第一位の貴ノ花時代とは、初代の貴ノ花(元大関、現在の貴乃花親方の父)が活躍した時代です。高見山もこの時代の人気力士でした。
 初代・貴ノ花(貴ノ花利彰-としあき)の人気は、凄まじいものでした。昭和30年代以降の大相撲の歴史において、最高のものであったと思います。

 貴ノ花は、小さな体(身長183cm体重114kg、現在の幕内最軽量・横綱日馬富士より20kgも軽い)で大きな力士相手に奮戦しました。その強靭な足腰から生まれる驚異的な相撲内容と、凛とした甘いマスクから、人気が爆発したのでしょう。

 読売新聞の「時代の証言者 高見山大五郎」の第14話に出て来る「ちょんまげが先に土俵に付いた」一番も目の覚めるような取組でした。
 貴ノ花と高見山の1980年9月場所の取組は、土俵際での投げの打ち合いとなり、どちらが勝ったのか、どちらが先に土俵に落ちたのかが、微妙な相撲となりました。取組後、スローモーション(当時はこう言いました)で観てみても、ほとんど同時です。

 良く観ると、貴ノ花のちょんまげが僅かに先に土俵に着いています。「ちょんまげも体の一部」ということで、物言いの末この取組は高見山の勝ちとなりました。
 貴ノ花は、全く「かばい手」をしませんでした。そのまま、顔から土俵に突っ込んだのです。鼻血が出ていました。貴ノ花の気迫溢れる取り口でした。
 200kgを超える巨漢の高見山と110kgそこそこの貴ノ花が死闘を演じるのですから、面白くない筈がありません。

 貴ノ花を中心として、あまりに強過ぎてヒール(悪役)であった横綱・北の湖や高見山が活躍していた、この時代は、大相撲の入場券は超プラチナチケットでした。年間契約者や余程の伝手が無い限り、まず入手不可能であったと思います。
 何より、貴ノ花個人の人気が凄まじかったのです。

 また、貴ノ花は大横綱・大鵬の最後の取組相手としても知られています。
 1971年5月場所5日目、大鵬は西小結であった貴ノ花との取組で押されて土俵外に落ちました。これが大鵬の最後の土俵となりました。
 「大相撲人気を支える存在」として、大鵬から貴ノ花にバトンタッチが行われた、象徴的・歴史的な一番であったと思います。

 第三位とした若貴時代において、若花田・貴花田兄弟が十両に上がり、幕内に入ってきた時代となって、相撲人気は再び隆盛となりました。「若貴フィーバー」と呼ばれたものです。
 しかし、この時代に複数の相撲関係者に話を伺った時、「貴ノ花の時は、こんなもんじゃなかった」と声を揃えておっしゃいました。「若貴フィーバー」も、父親の貴ノ花の人気には遠く及ばなかったのでしょう。

 そして、貴ノ花時代を代表する力士のひとりであった高見山も高い人気を誇りました。高見山は「CM横綱」と呼ばれたのです。(読売新聞の記事の「第20話」に出てきます)
 松下電器産業(現、パナソニック)の携帯型テレビ「トランザム」のCMにおけるタップダンスや、丸八真綿の布団のCMにおける「2倍、2倍」「西武劇場」「ジェシーエンゼル編」、富士通のワードプロセッサ「オアシス」のCM、などなど、高見山の姿をテレビで観ない日は無い状態でした。

 特に、丸八真綿の「2倍、2倍」は一世を風靡した傑作CMであったと思います。

 21世紀であれば、高見盛や遠藤がCM横綱と言うことになるのでしょうが、高見山の露出度?の方が遥かに上であったと思います。(もちろん、その後の力士のCM自粛といった動きも影響していますが)

 第二位の柏鵬時代は、横綱・大鵬と横綱・柏戸が並び立った時代です。
 大変有名な時代ですので、ここでは多くを述べませんが、この時代を象徴する言葉としての「巨人・大鵬・卵焼き」を見れば明らかでしょう。
 子供が好きなものを列挙した「巨人・大鵬・卵焼き」は、この時代を象徴する言葉でした。プロ野球と大相撲が、日本の人々にとって最大の娯楽・エンターティンメントであったことを如実に示しています。

 2014年秋から、大相撲人気は復活の兆しを見せています。
 しかし、貴ノ花時代や柏鵬時代、若貴時代と比較すれば、まだまだ「兆し」の段階なのでしょう。

 読売新聞の記事「時代の証言者・高見山大五郎」をベースにしたシリーズも、本稿で7回目となりました。
 最終回となる第8話は、年明けにしたいと思います。
 2016年1月2日・3日に開催される、箱根駅伝2016のレース展望です。

 箱根駅伝を展望するうえで、重要な参考レースとなるのが全日本大学駅伝です。
 全日本大学駅伝2015では、東洋大学チームが初優勝を飾り、2位が青山学院大学、3位が駒澤大学、4位早稲田大学、5位東海大学、6位明治大学、7位山梨学院大学、8位順天堂大学、9位中央学院大学、10位日本大学となりました。

 レース前の予想では、青学大チームが優勝候補でしたが、レースにおいては東洋大が4つの区間で区間賞を獲得するなど、圧倒的かつ安定したレース運びを見せました。
 青学大も2区間で区間賞を獲得し、区間2位が2つと、力を発揮したのですが、このレースでは東洋大の快走に敗れた形でしょう。

 駒沢大チームも、全8区間の内10位以下であったのは1区間のみでしたから、安定したレースを展開したということになります。
 早稲田大チームは区間賞のランナーは居ませんでしたが、各区間のランナーの成績が2位から7位の範囲に入っているという点では、相当高いレベルの実力を有したランナーが揃っていると言えます。

 以上の結果と予選会の成績、事前に報じられている各チームの情報、等々を勘案して箱根駅伝2016の順位予想(1位~10位)を行ってみようと思います。

第一位 東洋大学
第二位 青山学院大学
第三位 早稲田大学
第四位 駒澤大学
第五位 明治大学
第六位 中央学院大学
第七位 東海大学
第八位 山梨学院大学
第九位 順天堂大学
第十位 日本大学

 優勝争いは、東洋大学と青山学院大学が中心となる可能性が高いと思います。

 4区の距離が短くなり、5区が最長区間となって以降の箱根駅伝は、「5区・山登りの成績が全体の成績を左右する」レースとなっていますから、各チームの5区のランナーの走りが極めて大切ということになります。
 箱根駅伝2015でも、青山学院大学の5区・神野大地選手が圧倒的な走りを魅せて、チームの初優勝に大貢献しました。

 その神野選手が今季も好調であれば、青学大チームの優位は動かないところなのですが、今シーズンは故障に悩まされ本来の走りが見られません。アンカーで走った全日本でも区間8位と本来の力には程遠い成績でした。
 神野選手は11月も走り込みが出来ていないと報じられていますから、2015年の様な走りを期待するのは難しいようです。

 そうなると、全日本を制した東洋大学チームが優位と見るのが妥当でしょう。
 伝統的に「箱根に強い」東洋大チームですから、「近代箱根駅伝レース」についての蓄積されたノウハウが活きるとも考えられます。
 
 「2強」に続くチームとしては、早稲田大学を挙げました。
 予想以上?の走りを見せた全日本でした。もともとスター選手を中心とした構成が多かったチームでしたが、今年のチームは「粒ぞろい」という印象です。早稲田にとっては「新しい伝統」を築いて行く端緒となるチームかもしれません。
 「2強」にトラブルが発生するようなら、優勝の可能性も有ると思います。

 予想4位には、駒沢大チームを挙げました。
 常に「21世紀の大学駅伝界を牽引する」チームですから、その安定感は抜群です。一方で、圧倒的な優勝候補とされていた大会で優勝を逃すことも多く、不思議と相性が悪いのです。
 この相性を勘案して、この順位予想としました。

 予想5位以下では、中央学院大チームに注目します。
 箱根駅伝では伝統的に良い成績を残して来ていますから、「箱根のノウハウ」が蓄積されているものと感じています。上位進出も十分に有り得ます。

 以上、箱根駅伝2016の順位予想でした。

 「大砲が少ない大会」とも言われますが、大学長距離界を代表するランナーの皆さんが、素晴らしいレースを展開してくれることでしょう。
 次から次へと選手が登場し演技を行う全日本フィギュアを観ていると、いつも思うことがある。

 我が国最高のステージに来る者があれば、去る者もある。

 時代を掴もうとする者があれば、それを手放してしまう者もある。

 天賦の才と努力の結晶。
 この演技はどれほどの涙の上に出来上がっているのか。

 どのスケーターもこわばった表情で黙々と演技する。
 強い意志と遥かな夢。

 必死に滑り飛ぶ、ひたすらに滑り飛ぶ。
 氷はすべてを知っているのだろう。

 リンクは戦場なのだ。
[12月20日・決勝]
FCバルセロナ3-0リバープレート

 バルセロナの強さが際立ったゲームでした。

 ヨーロッパチャンピオンと南米チャンピオンの対戦(恒例ですが)となった「クラブ世界一決定戦」は、3-0でバルセロナが完勝しました。

 特に、「個々のプレーヤーのスキルの高さ」という面では、さすがのゲームであり、「誰が観ても凄いと感じる」プレーの連続であったと思います。

① スピード

 ゲーム全体を通じて、両チームのプレーのスピードが際立ちました。
 攻撃のスピード、守備のスピード、共に極めて高いレベルであったと感じます。

 フィールド中央エリアにおける「ボール争奪戦」でも、そのスピード・テクニックは見事なものでした。
 「凄いねー」と、テレビの前で何度も呟きました。
 
② 決定力の差

 両チームの世界最高水準のプレーの応酬の中で、スコアが一方的になったのは、「ゴール決定力の差」なのでしょう。

 やはり、メッシ選手とスアレス選手の決定力は別格でした。

 メッシ選手の先制点は左足アウトサイドを使ったシュートでした。
 このプレーの際に、メッシ選手の前にはリバープレートのディフェンダーが2人居ました。この2人の間を抜いて、シュートが決まったのです。

 南米NO.1クラブのディフェンダー2人が万全のフォーメーションを組んでいる=世界最高水準の守備が敷かれている状況下、メッシ選手は「この形しかない」というシュートを決めたのです。
 本当に素晴らしいプレーでした。

 チーム2点目、スアレス選手のゴールも見事でした。
 パスを受けて突進したスアレス選手は、局面的には相手ゴールキーパーと1対1の形となりました。
 そして、リバープレートのGKバロベロ選手の体が自身の右側に傾くのを確認して、バロベロ選手の向かって右サイドにシュートを放ちました。ボールはバロベロ選手の体を掠めましたが、方向が大きく変わることは無く、ゴールに突き刺さりました。

 相当に強いシュートでもありました。

 チーム3点目、スアレス選手の2点目のヘディングも極めて高度なものでした。
 ゴール前で右にスライドしながら飛び、ゴール左サイドに突き刺すという、スアレス選手得意の形ではありましたが、こうした大試合で「当たり前のように」決めるという、スアレス選手の決定力には感服します。

 メッシ選手もスアレス選手も、「シュートが枠に行く」という基本的な要件をクリアし、加えて「GKの居ない・取れない場所に打ち込む」という要件もクリアしています。
 当たり前のことを書いて恐縮ですが、「クラブ世界一決定戦」でこの2項目をクリアすることがいかに難しいことであるかは、誰もが分かることでしょう。

 メッシ選手もスアレス選手も、「世界最高のストライカー」と呼ばれるプレーヤーです。

 その尊称に相応しいプレーの数々でした。

 トヨタカップ時代以来の優勝を目指したリバープレートファンにとっては、とても残念な結果となりましたが、今回は「相手が悪かった」ということでしょう。
 
 メッシ・スアレス・ネイマール、所謂MSNを擁するバルセロナの攻撃力はもちろんとして、ピケ・マスチェラーノ・ジョルディアルバ・ダニエウアウベスの守備陣、そしてブスケツ・ラキティッチのミッドフィールダー陣、そして縦横無尽のイニエスタも、いずれも極めて高いレベルのプレーを魅せました。

 現在のFCバルセロナは「隙の無いチーム」なのです。

 そのバルセロナのスピードに対抗できていたというところに、リバープレートの強さが発揮されていました。

 本当に素晴らしいゲームでした。
 12月27日、中山競馬場芝2500mコースで開催される、第60回有馬記念競走G1の注目馬検討です。

 師走の風物詩である有馬記念は、かつては人気薄の馬が優勝することもあったのですが、近時は「強豪馬」が強いレースになってきました。所謂「上り馬」がレース展開等に恵まれて勝利を収めることが少なくなってきた印象です。
 「グランプリ」に相応しいレースになってきたと言えるのかもしれません。

 一方で2015年の出走馬を観ると、これは「大混戦」という様相でしょう。

 上位人気が予想される強豪馬には、それぞれ不安材料が有ります。
 
 既に、皐月賞、菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)、宝塚記念といったG1レースに勝ち、格から見れば他を圧しているゴールドシップは、近時の2戦で10着以下の大敗が続いています。本来の力を発揮できれば、圧倒的な本命であるべき馬の近時の不振が、レース予想を難しくしているのです。

 2015年を見れば、9戦して重賞6勝という好成績のラブリーデイは、その安定感からも本命視される馬ですが、G1勝利は2200mまでの距離ですし、前走2400mのジャパンカップG1でゴール前差し切られているシーンを思い出すと、2500mの有馬記念を前にしては「距離の不安」が有ります。

 今年の菊花賞馬、キタサンブラックには本格化の勢いを感じますが、同レースの内容を見ると、他を圧するような力の差はまだ感じられません。

 3歳牝馬のルージュバックは、同期牝馬トップクラスの力を示していますが、勝ち切れないレースが続いていて、今回のメンバーを相手に勝ち負けの競馬が出来るかと言うと、やや心許ない感じもします。

 4歳牝馬マリアライトは、このレース最大の「上り馬」でしょう。ヌーボレコルトに競り勝った、前走G1エリザベス女王杯の内容は濃いものでした。とはいえ、今回のメンバーを相手にゴール前の競り合いに持ち込めるかどうか。

 4連勝中のアルバートは、前走G2ステイヤーズステークスで初重賞勝ち、勢いに乗っていますが、G1常連馬を相手にどこまで戦えるのか。

 どのレースでも「一生懸命走る」サウンズオブアースですが、勝ち切れないレースが続いています。

 菊花賞でキタサンブラックに1/2馬身差の3位と健闘したリアファルは、ここまで8戦して4着以下は1走だけと「とても安定した成績」を残していますが、G1レースの経験不足は否めません。

 2連勝中のトーセンレーヴですが、ここまでG3勝ちひとつと言うのは気になります。

 前走ジャパンカップで僅差2着に食い込んだラストインパクトには「一発大駆け」の魅力を感じますが、展開影響を大きく受けるようにも思います。

 何か「不安材料の列挙」のようになってしまい、「夢のレース」の検討としては申し訳ない形になっていますが、それだけ「有馬記念2015は大混戦」なのであろうと思います。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、2枠4番のラブリーデイ。
 迷いに迷って、本命馬に辿り着いた形です。距離不安は有りますが、中山の2500は小回りコースですから、展開次第では中距離馬にも十分にチャンスが有ります。
 今シーズンの安定感では群を抜いていますから、川田騎手の絶妙の騎乗に期待します。

 第二の注目馬は、6枠12番のリアファル。
 様々な展開で上位を確保できる力が、大混戦のレースで活きるのではないでしょうか。ドゥラメンテを除けば、同期牡馬NO.1の安定感を見せるリアルスティールに完勝した神戸新聞杯G2のレース内容も、高く評価したいと思います。

 第三の注目馬は、6枠11番のキタサンブラック。
 3歳菊花賞馬の力に期待します。ここまで重賞3戦2勝・3着1回と、中山コースを得意としているところも魅力です。

 今回は、以上の3頭に期待します。

 ラストランとなるレースで、ゴールドシップがどのような走りを見せてくれるのか、とても楽しみです。
[12月20日 3位決定戦]
サンフレッチェ広島2-1広州恒大

 サンフレッチェ広島の見事な逆転勝ちでした。

 今シーズンの充実振りが良く分かるゲームであったと思います。

 試合開始直後から、広州恒大の猛攻が続きました。サンフレッチェは防戦一方でした。
 そして前半4分、ゴール前のプレーから広州のバウリーニョ選手がヘッドで押し込みました。
 試合の流れそのままの先取点でした。

 試合開始直後に押し込まれるのは、サンフレッチェの試合では時折見られるものです。これを凌いでから反撃に移るというのが、ひとつのパターンなのです。
 ところが、この試合では先制を許してしまいました。これは「想定外」でしょう。

 アジアチャンピオンであり、我が国のクラブチームが苦手としている広州恒大に、試合開始早々に先制点を許したのですから、サンフレッチェにとって苦しいゲームになったと感じました。

 しかし、サンフレッチェはここから本領を発揮したのです。

 先制点の後も広州恒大は攻め続けましたが、追加点を許さず、前半20分過ぎからはサンフレッチェの攻め・チャンスも見られるようになりました。
 広州恒大にとっては、前半にもう1点取っておけばゲーム展開は別のものになっていたと思います。

 後半10分過ぎに、サンフレッチェ・ベンチはドウグラス選手を投入しました。
 この選手交代から、試合の流れはサンフレッチェに傾きました。

 後半25分、サンフレッチェのコーナーキックCKのボールがゴール前に流れたところを、ドウグラス選手が頭で押し込みました。1-1の同点。

 後半38分、サンフレッチェの浅野選手のヘディングシュートが広州恒大ゴールバーに当たり跳ね返ってきたところを、ドウグラス選手が再び頭で押し込みました。2-1と逆転。

 後半半ばから、広州恒大の運動量はめっきり落ちました。前の試合から中2日のハードスケジュールも影響していたのかもしれません。

 サンフレッチェ広島はこのまま押し切り、2-1で勝利しました。

 見事な勝利でした。

① 派手なゴールでは無かったこと。

 サンフレッチェの2得点=ドウグラス選手の2得点は、共にヘディングでした。それも「ゴールラインまで2m以内」のヘディングシュートに観えました。

 そこが素晴らしいと感じます。
 サッカーは「ゴール数」を競う競技であり、ボールポゼッションの優劣や、シュートの美しさは、勝敗には直接関係はありません。(当たり前のことを書き恐縮です)
 従って、ゴールは可能な限り「確実に決める」ことが求められるのです。

 ゴール目前で放つシュートは、最も確度の高いものですから、最も望ましいシュートということでしょう。
 ドウグラス選手の「ポジショニングの良さ」と、こうした形を創り出す「サンフレッチェの攻撃」は素晴らしいものでした。

② 11日間で4試合

 サンフレッチェ広島は12月10日の開幕戦から12月20日の3位決定戦まで、11日間で4試合を戦いました。
 大変なハードスケジュールの下で、見事に3位を獲得したのです。

 凄いことだと思います。

 10日のオークランド・シティーFC(オセアニア代表)戦を2-0、13日のTPマゼンベ(アフリカ代表)戦を3-0と連勝し、16日のリバープレート(南米代表)戦に臨みました。

 このゲームもサンフレッチェは大健闘しましたが、惜しくも0-1で敗れました。
 ゲーム内容で観れば「互角以上」のプレーを魅せたと感じますが、リバープレートのゴールキーパーGKの壁に阻止されたというところでしょうか。

 この試合が緒戦であった「体力十分」のリバープレートを相手に、「7日間で3試合目」というスケジュールの下で、サンフレッチェは日本代表の力を十分に見せてくれたのです。
 
③ 森保監督のチーム造りと試合における采配

 この大会における「11日間で4試合を戦っての3位」という好成績には、森保一監督のチーム造り・采配の素晴らしさが良く表れていると感じます。

 自陣ゴール前から相手陣まで、ボールを確実に繋いで行くフォーメーションの構築、それも「1度や2度のパスの失敗があっても」それを拾いながら前進する形を創り上げているように観えます。

 また、ゴール前の攻撃でも、第二弾・第三弾の攻めをあらかじめ想定しているように観えます。

 決して派手では無く、ポンポンポンとパスを繋いでの綺麗なシュートでは無く、攻めの動きの中で「相手ゴール前に混沌を生み出し」、チャンスを創造するのです。

 「十分に考え練られた攻撃」なのでしょう。

 選手起用についても、相当精緻な分析と戦略の上に構築されているように感じます。
 個々の選手の個性と能力・持久力、コンディションはもちろんとして、「累積プレー時間」も考慮されていたのでしょう。

 そうでなければ、「11日間にハードな試合を4試合」戦いながら、各々の試合の後半になってもチームの運動量・プレーの質が落ちなかったことについての説明が付きません。

 加えて、「生え抜きの選手」を複数育て上げている点も、特筆に値します。

 森保監督は、既に「名将」のレベルに達しているのではないでしょうか。

 FIFAクラブワールドカップ2015における、サンフレッチェ広島のプレーは「Jリーグ」に大いなる勇気を与えてくれたように感じます。

 年間500億円の運営費と言う「(アジアにおいては)圧倒的な資金力」を誇り、バウリーニョ選手やロビーニョ選手といった「ブラジル代表プレーヤー」を擁し、スコラリ監督(前ブラジル代表監督)を据える広州恒大を相手に、平均して年間50億円の運営費と言われるJリーグのチームが、世界最高の舞台で破ったのです。

 映画スターウォーズではありませんが、このゲームが「Jリーグの覚醒」のきっかけになって欲しいものです。
 「2015年10大ニュース」については既報の通りですが、今年も「トップ10」に絞り込むのは大変でした。スポーツ界にはビッグニュースが沢山有るのです。

 本稿では、「10大ニュース」選定時に対象となったニュースの中から「10シーン・11位から20位」を挙げてみたいと思います。

 「10大ニュース」自体も順不同の性格が強いものですが、11位から20位の各ニュースも同様ですので、順位は参考程度とお考えいただければ幸いです。

[第11位] バドミントン・スーパーシリーズ・ファイナル・シングルスで、桃田賢斗選手と奥原希望選手がアベック優勝

 世界バドミントン連盟BWFが2007年から開催している、世界最高峰のツアー戦・スーパーシリーズにおける成績上位者8人(8ペア)が集い、年間王者を決めるファイナル大会(12月)の男子シングルスで桃田選手が、女子シングルスで奥原選手が、優勝しました。

 そもそも、ファイナル大会のシングルスで日本人選手が優勝すること自体が史上初めてのことでしたが、それがアベック優勝となったというのですから、空前の快挙です。

 21歳の桃田選手と20歳の奥原選手は、日本バドミントン界を背負って行くプレーヤーであることは間違いありませんし、若手プレーヤーの今後の活躍はとても楽しみです。

 それにしても、昨年のファイナル大会・女子ダブルスにおける高橋・松友ペアの優勝に続く今回の快挙を観るにつけ、日本バドミントンが年々強くなっていることには、驚かされます。

[第12位] メイウェザーとパッキャオの世界タイトルマッチ

 5月に行われた世界ウェルター級王座統一戦は、ボクシング史上に残る対戦となりました。
 
 ついに実現した注目のカードは、興行上の規模の大きさでも話題になりました。
 総売上が500億円を超えるというマッチでしたが、その過半をPPV(ペイ・パー・ビュー)という、ケーブルテレビによる売上が占めたのです。

 「21世紀のプロスポーツの形」としても注目された試合となりました。

[第13位] セントラルリーグの全球団が負け越し

 7月に発生?した珍現象でした。
 日本プロ野球NPBのセントラルリーグ6球団全てが、勝ち数より負け数が多いという状態になったのです。もちろん、史上初めてのことでした。

 これは、交流戦におけるセ・リーグの負け越し数が大きかったことと、セ・リーグ6球団が稀に見る混戦を演じたことが原因でした。

 このセ・リーグの混戦はペナントレース終盤まで続き、ヤクルト・スワローズが優勝したことはご承知の通りです。

[第14位] ノバク・ジョコビッチ 強し!

 2015年のプロテニス・男子シングルスにおいて、ジョコビッチ選手の強さが際立ちました。

 四大大会の内、全豪・全英・全米に優勝し、残る全仏も準優勝でしたし、ATPツアーのマスターズ大会でも6度の優勝と、圧倒的な強さを示したのです。

 2015年は「ジョコビッチの年」でした。

[第15位] 岩隈久志投手 ノーヒットノーラン

 MLBの8月12日のシアトル・マリナーズとボルチモア・オリオールズの一戦で、岩隈久志投手がノーヒットノーランを達成しました。

 日本出身投手としては、2001年の野茂英雄投手の2回目のノーヒッター以来の快挙でした。

 岩隈投手の、2016年シーズンの活躍も楽しみです。

[第16位] ミルコ・デムーロ騎手とクリストフ・ルメール騎手が中央競馬の通年騎手に

 これまで短期免許(年間最大3か月まで)で活躍を見せて来た、デムーロ騎手とルメール騎手が中央競馬の通年免許試験に合格し、2015年から腰を据えての騎乗を開始したのです。

 もともと、世界的にも名騎手として知られていた2人のジョッキーの本格参戦は、日本競馬に大きなインパクトを与えました。

 デムーロ騎手は、ドゥラメンテ号とのコンビで皐月賞・日本ダービーを制しましたし、ルメール騎手も阪神JFで優勝するなど、2人の大活躍はご存じの通りです。

 「分からない時はデムーロとルメールの馬を選ぶ」という競馬ファンの声も、良く聞かれるようになりました。

[第17位] 嘉風関 大活躍

 嘉風関の2015年の活躍は素晴らしいものでした。

 5月場所・7月場所・9月場所で3場所連続二桁勝利を挙げ、小結に昇進した11月場所でも、横綱・大関を相手に見事な取り口を魅せて技能賞に輝きました。

 33歳の嘉風ですが、「進化を続けるベテラン力士」として、2016年の活躍がとても楽しみです。

[第18位] 福岡ソフトバンク・ホークスの圧倒的な強さ

 2015年の日本プロ野球におけるソフトバンク・ホークスの強さは別格でした。

 ペナントレースを独走で制し、クライマックスシリーズも無敗で突破、日本シリーズを4勝1敗で勝ちました。

 セ・リーグ覇者の東京ヤクルト・スワローズの1勝は、トリプルスリープレーヤーの山田哲人選手の3打席連続本塁打という、「日本シリーズ史上初の快挙」から生まれたものでした。
 逆に言えば、2015年のソフトバンク・ホークスに勝利するには「奇跡的なプレー」を展開しなければならなかったのかもしれません。

 工藤監督率いるこのチームが、NPB史上に残る黄金時代を築くのか、興味深いところです。

[第19位] 青山学院大学チーム 箱根駅伝初優勝

 歴史と伝統を誇る、我が国最大の駅伝大会である箱根駅伝の優勝校に、新しい名前が刻まれました。

 1月2日と3日の競走の殆ど全てがテレビ中継されるようになり、「お正月の風物詩」となった箱根駅伝は、大学長距離ランナーの「憧れの舞台」となっていますし、参加する大学関係者の力の入れようも極めて高いレベルとなっていますので、「ニューフェイス」が優勝するというのは「至難の業」です。

 こうした状況下で、青学チームは初優勝を遂げたのです。素晴らしいことだと感じます。

 新メンバーによる、出雲駅伝2015や全日本大学駅伝2015においても青山学院大学チームは、大会の主役としての活躍を魅せています。

 青山学院大学の箱根駅伝の名門校への道程は、始まったばかりなのかもしれません。

[第20位] 世界ゴルフ界の「新・3強の時代」の幕開け

 タイガー・ウッズ選手が様々なスキャンダルや体調不良から不振に陥ってから、世界のゴルフ界は「群雄割拠の時代」に入っていたと思います。

 2014年からは、ロリー・マキロイ選手が強さを見せ始め、ロリー・マキロイ時代が始まるのかと見ていた2015年、2人の若手プレーヤー、ジョーダン・スピース選手とジェイソン・デイ選手が待ったをかけて、「3強の時代」の様相を呈しました。

 「3強の時代」といえば、1960年代から1970年代にかけて世界ゴルフ界を席巻した、ジャック・ニクラウス選手、アーノルド・パーマー選手、ゲーリー・プレーヤー選手の3強が有名ですから、今回の3強は「新・3強」と呼ぶのが相応しいのでしょう。

 2016年は、新・3強がその足固めをする年となるのか、1強が抜け出すのか、はたまた戦国時代に逆戻りするのか、大切なシーズンとなりそうです。

 本稿では、「2015年のスポーツ界10大ニュース」の選に入らなかった10のシーンに付いて挙げさせていただきました。

 11位から20位と順位を付けましたが、どのシーンも甲乙つけがたいものばかりで、頭書のように「順不同」の色合いが強いと感じます。
 また、どのシーンもベスト10入りしてもおかしくないとも思います。

 2015年も、スポーツ界には素晴らしいシーンが数多く観られました。

 活躍いただいた全てのプレーヤー・チームの皆様に、大きな拍手を送らせていただきます。
 「稀代のクセ馬」としてオールドファンに知られているカブトシローは、1967年・昭和42年の第12回有馬記念の優勝馬です。

 カブトシローはこの有馬記念で、2着のリュウファーロスに6馬身差を付けて圧勝しました。当時の最大着差記録を樹立したのです。このレースの4着には、後に史上初めて有馬記念を連覇するスピードシンボリが入っていますから、強豪馬を相手に圧倒的な強さを示したことになります。

 カブトシローは「常識を超えた」サラブレッドでした。空前絶後の有馬記念馬であったとも思います。

① 69戦14勝という戦績

 カブトシローは1967年の天皇賞(秋)(当時は3200m)にも優勝しています。天皇賞(秋)と有馬記念を連勝したのです。
 所謂八大競走を連勝したほどのサラブレッドでありながら、「69戦」も走っているところが凄いと思います。

 3歳から7歳(現在なら2歳から6歳)までの5年間に渡り69回も出走したカブトシローは、4歳時に18戦、5歳時に16戦という、もの凄い競走スケジュールを熟しました。
 毎月1走どころか、2か月で3走というペースです。

 6歳時にも11戦、7歳時にも14戦していますから、本当に「丈夫」な馬でした。当然、大きな故障とも無縁でした。まさに「無事これ名馬」の一頭であったと思います。

② 20連敗

 1966年4月のスワンSから1967年11月の目黒記念(秋)まで、カブトシローは20連敗を喫しています。

 有馬記念と天皇賞(秋)に優勝していながら、20連敗を記録しているのはカブトシローだけでしょう。

 こう書くと、「とても弱い馬が突然大レースに勝った」ような印象を与えてしまいますが、「20連敗の内容が濃い」のです。

 20戦の内、重賞レースが18戦、オープン競走が2戦となっています。カブトシローが、バリバリのオープン馬であったことが分かります。

 その18戦の重賞競走の内、2着が3回、3着が8回となっていて、最も下位の着順が1966年の天皇賞(秋)9着でした。10着以下の着順は1度も無いのです。
 また、2着のレースには1966年の有馬記念、1967年の天皇賞(春)が含まれていますし、3着の中には、1966年の天皇賞(春)、1967年のアメリカJCC、目黒記念(春)、日経賞、京王杯オータムHが並びます。
 つまり、負けてはいるものの重賞レースの上位で健闘を続けていた訳で、その意味では「安定した成績」を残したとも言えそうです。

 「稀代のクセ馬」の名を欲しい儘?にして、大勝・大敗を繰り返していた印象を持たれやすいカブトシローは、実はいつも「一生懸命走る」真面目な馬だったのではないかと感じます。

③ 頭の良い馬?

 カブトシローのクセ馬振りが良く表れた現象?は、長距離競走における「1周目直線での激走」です。
 長距離戦において、騎手の指示に従うことなく、1周目のゴール板に向かって全力疾走してしまうのです。時折見られる光景でした。

 「また行っちゃったよ」とファンは嘆きましたが、一方で「カブトシローはゴール板が分かっている」との見方もありました。私もそう思います。

 自分でゴール板の位置を認識していたカブトシローは、「そこを先頭で通過しよう」として1周目から飛ばしてしまったのでしょう。

 「騎手の指示を聞かない」というのは困ったものですが、ある意味では「とても頭の良い馬」ではなかったかと思います。
 また、上位人気の時は凡走し、人気薄の時に勝つものですから、「新聞が読める馬」とも言われました。

 カブトシロー号、父オーロイ、母パレーカブト、父の父の父ハイペリオン。通算成績69戦14勝。主な勝ち鞍、有馬記念、天皇賞(秋)、カブトヤマ記念。

 「稀代のクセ馬」と呼ばれたカブトシローは、とても人気のある馬でした。
 「今回はちゃんと走ってくれるかな」と、多くのファンはいつも心配しながら見守っていたのです。
 前稿・前々稿の「10大ニュース」を一覧にすると、以下の様になります。

第1位 エディ・ジャパン W杯で南アフリカに勝利
第2位 なでしこジャパン W杯 準優勝
第3位 横綱・白鵬 35回目の優勝
第4位 羽生結弦選手 世界最高スコアを連発
第5位 甲子園大会の優勝旗が初めて北陸へ
第6位 内村航平選手 全日本8連覇
第7位 ラグビーW杯 ニュージーランド・オールブラックス優勝
第8位 スーパーボウルの視聴率 史上最高の49.7%
第9位 2人のトリプルスリープレーヤー
第10位 アメリカンファラオ号 37年振りの三冠達成

 いずれ劣らぬスポーツシーンであったと感じます。

 2015年前半には女子ワールドカップにおけるなでしこジャパンの見事な活躍、後半にはラグビーワールドカップにおけるエディ・ジャパンの素晴らしい活躍と、2つのワールドカップにおける日本チームの大健闘が際立ちました。

 一方で、横綱・白鵬、羽生結弦選手、内村航平選手のそれぞれの競技の歴史を塗り替える活躍が続きました。

 2015年は、チームスポーツと個人スポーツの両方に素晴らしいプレー・記録が続いた年であったと感じます。

 ご活躍いただいた全てのプレーヤーの皆さんに、心からお礼申し上げます。

 (本シリーズの次稿では11位以下のスポーツシーンを採り上げたいと思います。)
 前稿では第10位から第6位を採り上げました。
 今回は第5位から第1位です。

[第5位] 甲子園大会の優勝旗が初めて北陸へ

 2015年春の甲子園大会決勝は4月1日に行われ、敦賀気比高校が東海大四高校を3-1で破って、初優勝を飾りました。
 敦賀気比は初優勝であり、春夏を通じて北陸地方の高校が初めて優勝した大会となりました。

 豪雪地域として知られる北陸地方は、冬季の野外練習が難しいというハンディキャップがありますから、なかなか甲子園大会では勝ちを重ねることが出来ませんでした。

 近年は、屋内練習場の充実や遠征試合の活用などの対応策が実り、次第に北陸地方の高校の成績が上がってきていました。
 そして、夏の大会96回、春の大会87回、計193の大会を経て、初めて優勝旗が北陸の地を踏んだのです。

 歴史的な大会と言って良いでしょう。

[第4位] 羽生結弦選手 世界最高スコアを連発

 フィギュアスケート男子シングル種目で、羽生結弦選手が見事な演技を連発しました。
 
 まずは11月のNHK杯大会でショートプログラムSP、フリー共に世界最高点を叩き出し、合計322.40点という驚異的な得点を記録しました。

 そして、12月のグランプリ・ファイナル大会で、再びSP・フリー共に記録を更新し、合計330.43点という驚くべき数値を示現したのです。僅か2週間後の記録更新でした。

 この2度の大会における羽生結弦選手の演技は、極めて高度な構成でありながら、殆どミスが無く、「次元が違う」ものと評されました。

 サルコウとトウループの2種の4回転ジャンプも、とても安定していて、「決まった」というレベルでは無く、「加点が貰える」の演技を展開しました。

 「羽生選手のライバルは羽生選手だけ」という領域のプレーというのは、本当に凄いものであったと思います。

[第3位] 横綱・白鵬35回目の優勝

 2015年の大相撲も白鵬関を中心に展開されました。

 1月場所を15戦全勝で制し、33回目の優勝を遂げました。
 不滅と言われた、大横綱・大鵬の記録を超えたのです。

 そして、3月場所・7月場所でも優勝を重ね、優勝回数を35回に伸ばしました。
 「無人の野を行くが如き」白鵬の相撲は、一番一番大相撲の歴史を塗り替えて行くものです。

 歴代一位の横綱連続出場記録722回を始めとして、白鵬の記録を挙げて行くとキリがありません。

 大相撲界にもようやく世代交代の波が押し寄せてきている印象ですが、「第一人者」としての白鵬の活躍は2016年も続くことでしょう。

[第2位] なでしこジャパン W杯準優勝

 第7回女子サッカーワールドカップ・カナダ大会決勝は7月5日に行われ、アメリカチームが日本チームを5-2で破り優勝しました。
 なでしこジャパンは、前回大会・第6回ドイツ大会に続く連覇はなりませんでしたが、準優勝という見事な成績を残したのです。

 ディフェンディング・チャンピオンとして大会に臨み、当然のことの様に決勝トーナメントに駒を進め、決勝戦にまで進出するというのは、凄いの一語に尽きます。
 驚くべき強さと言って良いでしょう。

 アメリカのワンバック選手、日本の澤選手にとっても、最後のワールドカップになったと思います。

 女子サッカーも「世代交代」の時期を迎えているのでしょう。

[第1位] エディ・ジャパン W杯で南アフリカに勝利

 沢山の素晴らしいシーンに彩られた、2015年のスポーツ界でしたが、第一位はラグビーワールドカップにおける「歴史的な勝利」でしょう。
 空前の勝利でした。

 グループリーグGL(予選リーグ)の緒戦、日本チームは南アフリカチームとの対戦となりました。
 ワールドカップ優勝2回を誇る、世界ランキング3位の南アフリカが相手ですから、大会前の予想では、このゲームの敗戦は仕方が無いところであり、第二戦のスコットランド戦からが勝負と見られていました。

 しかし、エディ・ジャパンの選手達はそんなことは全く考えていなかったのです。
 試合時間が80分を過ぎての、相手ペナルティからのラストプレーで、リーチ・マイケル主将は迷わずスクラムを選択しました。
 29-32の3点差、ペナルティゴールによる3点での引分けを狙う選択もあったと思いますが、日本チームは「勝利を目指した」のです。

 この選択を観ても、エディ・ジャパンの選手達には「南アフリカには勝てない」という考えが全く無かったことが分かります。

 この勝利のインパクトは凄まじく、海外メディアにおいても「ワールドカップ史上最大の衝撃」と評されました。

 日本ラグビー史上はもちろんとして、日本スポーツ史上に燦然と輝く勝利であったと思います。

 本稿では「2015年のスポーツ界10大ニュース」の第5位から第1位を採り上げました。
 いずれも素晴らしいシーンでした。

 「まとめ」は次回にしようと思います。
 ラグビーワールドカップや女子サッカーワールドカップが開催された2015年も、スポーツ界は花盛りでした。

 2015年の「10大ニュース」を選定してみたいと思います。
 今回は、第10位から第6位です。

[第10位] アメリカンファラオ号 37年振りの三冠達成

 アメリカ競馬において快挙が達成されました。
 1978年のアファームド号以来37年振りに「三冠馬」が誕生したのです。

 ケンタッキーダービー、プリークネスステークスの二冠を制し、6月6日のベルモントステークスに出走することとなったアメリカンファラオですが、三冠達成は難しいとも言われていました。
 何しろ、36年間達成されていない記録でしたから、競馬全体のレベルが上り、スペシャリスト化が進む現代においては、1か月余りの短期間に3走し、最後に最も長い2400mのベルモントステークスを勝つのは至難の業と見られていたのです。

 しかし、アメリカンファラオはこのレースを圧勝しました。5馬身以上の差を付けて優勝したのです。

 三冠馬となったアメリカンファラオは、10月31日のブリーダーズカップ・クラシックでも2着に6馬身以上の差を付けて快勝。通算成績を11戦9勝(G1・8勝)という堂々たる成績を残して引退し、種牡馬となりました。

 今後のアメリカンファラオの産駒の活躍が、とても楽しみです。

[第9位] 2人のトリプルスリープレーヤー

 日本プロ野球NPBに2人のトリプルスリープレーヤーが誕生しました。
 福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手と東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手の活躍は、NPB2015の華と言って良いでしょう。

 両選手が打席に立つと、「何かやってくれる」との期待が球場全体に溢れました。そして、両選手は期待に応え続けてくれました。
 お二人の最大の功績は、素晴らしいエンターティンメントをNPBに齎してくれたことでしょう。

 「トリプルスリー」は、流行語大賞2015にも選出されました。

[第8位] スーパーボウルの視聴率 史上最高の49.7%

 2月1日に行われたアメリカンフットボールの祭典・スーパーボウル2015の視聴率が49.7%に達し、史上最高を記録しました。

 スーパーボウルはアメリカスポーツ界最大のイベントですが、それにしても49.7%という視聴率は凄まじいものです。
 
 インターネットの普及等の理由により、「テレビ離れ」が叫ばれて久しいのですが、スーパーボウルにおいては「視聴率が上がり続けている」のです。
 スポーツ界のみならず、全ての分野におけるテレビ放送における快挙と言って良い事象でしょう。

 主催のナショナル・フットボール・リーグNFLを始めとする関係者の皆様に、大きな拍手を送らせていただくと共に、そのノウハウを他のスポーツ・分野にも拡大して欲しいという感じがします。

[第7位] ラグビーW杯2015 ニュージーランド・オールブラックス優勝

 2015年最大のスポーツイベント・ラグビーワールドカップは、ニュージーランドチームの優勝で幕を閉じました。

 オールブラックスは、「史上初の連覇」と「史上最多3度目の優勝」を達成したのです。

 決勝のオーストラリア戦でも34点を挙げたことでも分かるように、この大会のニュージーランドの得点力はずば抜けていました。史上最強チームとの呼び声も高いと感じます。

 今大会のオールブラックスには多くの「脂の乗り切ったベテランプレーヤー」が居ました。この連覇を経て、オールブラックスも「世代交代」を期待されているのです。

 ワールドカップ2019日本大会に向けて、オールブラックスの進化に期待したいと思います。

[第6位] 内村航平選手 全日本8連覇

 オリンピックチャンピオンであり、世界選手権でも勝ち続けている内村選手ですが、全日本選手権大会8連覇という偉業を忘れるわけには行きません。

 全日本の優勝回数で、竹本正男選手、小野喬選手と共に7回で並んでいた内村選手が、単独トップ?である8回目の優勝を8連覇で飾ったのです。

 「体操ニッポン」復活の大エンジンであり、世界の男子体操界を牽引し続けるスーパースター・内村航平選手の、2016年の活躍がとても楽しみです。

 以上、今回は第10位から第6位までを記載しました。
 いずれも素晴らしいスポーツシーンであったと感じます。

 次稿は第5位から第1位までを記載したいと思います。
 今回は、高見山・東関親方が育てた力士がテーマです。(読売新聞の記事では「第26~27話」が中心です)

 東関親方の弟子といえば、まず思い浮かぶのは横綱・曙(あけぼの)でしょう。
 1988年2月に、東関部屋に入門した曙は、同期の兄弟横綱、若乃花・貴乃花とともに一世を風靡しました。

 東関親方にしてみれば、力士・高見山として自分が成し遂げることが出来なかった「横綱」への昇進を、弟子が果たしてくれたのですから、喜びもひとしおだったことでしょう。
 そして、何より凄いのは「外国出身親方が、外国出身横綱を育て上げたこと」でしょう。部屋持ちの親方にとっては、関取をひとり育てることだけでも大変なことだと言われています。

 高見山・東関親方は、横綱を育て上げたのです。

 先の相撲協会の理事会で、反対意見もある中、「高見山は日本国籍を取り、部屋を作り、弟子を育てたいという。認めてやろうじゃないか」とまとめた、当時の春日野理事長(元横綱・栃錦)の英断は、正しかったということになると思います。

 そして、東関親方の弟子として、とても印象的なのが高見盛でしょう。
 あのロボコップの様な?仕草と、懸命の土俵態度から、大相撲界きっての人気者として大活躍した力士です。現在は振分親方となって、後進の指導に当たっています。

 高見盛こと加藤精彦(せいけん)が東関部屋に入門したのは1999年でした。
 日本大学時代にアマチュア横綱として鳴らした高見盛でしたが、入門直後から驚かされることがあったそうです。
 それは、「テッポウ柱が傾いてしまう」こと。高見盛が立合いの稽古でテッポウ柱にぶつかった時に、柱が傾いたというのです。

 テッポウ柱は、文字通り、力士がテッポウをする時に使用する道具・柱ですが、地中に1m近く埋められているものですから、容易なことでは傾きません。というか、「強く叩かれたり押されたりしても、傾かない様に設置されている」ものなのです。
 高見盛は、しかし、このテッポウ柱を何度も傾けたと言います。横綱・曙も驚いていたそうです。

 本場所の土俵の上では、立合いから右を差し、これを大きく返して、相手力士の左腕を「バンザイ」の形にして力を封じ、寄り切るといった「技能相撲」が得意だった高見盛ですが、そのパワーも半端無いものであったことが分かります。
 高見盛の相撲のベースは、凄いパワーだったのでしょう。

 高見山・東関親方は「高見盛は真面目な力士。そこが魅力なのね。早くいい子と結婚して欲しいけど、それは本人の問題だねえ。」とコメントしています。

 全く、その通りです。
 12月20日、阪神競馬場芝外回り1600mコースで行われる、第67回朝日杯フューチュリティーステークスG1の注目馬検討です。

 今年も2歳最強馬の称号を目指して16頭が出走して来ました。

 競走経験が浅い時期のレースですから、いつも予想が難しいレースですけれども、今年は2頭の「2戦2勝馬」が人気となるのでしょう。
 ボールライトニングとエアスピネルです。

 両馬とも「底を見せていない」からです。

 ボールライトニングは、新馬戦を2着と1・1/2馬身差で勝ち、前走のG2京王杯2歳Sを1・1/4馬身差で勝ちました。
 もの凄い脚、というわけではなく、必要な着差をキッチリ付けて勝っている印象で、若駒らしくないという見方も出来そうです。
 
 エアスピネルは、新馬戦を2馬身差で勝ち、前走G2デイリー杯2歳Sを3・1/2馬身差で勝ちました。デイリー杯で1番人気のシュウジをあっさりと交わした脚は、切れ味十分でした。

 京王杯1400mとデイリー杯1600mの距離を考慮すれば、朝日杯FSに向けては、エアスピネルの方がやや有利という感じがします。

 1戦1勝馬ですがリオンディーズのデビュー戦の直線の走りには、潜在能力の髙さを感じました。前駆・後躯のバランス、脚の運びもとてもスムーズでした。

 1敗馬ではショウナンライズでしょうか。前走500万下くるみ賞の直線の走りは、安定感十分でした。一方で、3戦いずれも1400m戦である点が気になります。

 同じ1敗馬のシュウジは、前走デイリー杯でのエアスピネルとの競り合いに敗れましたが、粘り強い逃げ脚は、展開次第では面白いとも思います。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、6枠11番のエアスピネル。
 「勝ちっぷりの良さ」を評価したいと思います。ここを勝って、2016年クラシック路線の主役に躍り出て欲しいものです。

 第二の注目馬は、8枠15番のリオンディーズ。
 「ギャロップの美しさ」を評価したいと思います。前脚・後脚が良く伸びて、ヨーロッパで観る絵画の様です。おおらかな走りにスター性を感じます。

 第三の注目馬は、1枠2番のショウナンライズ。
 1400m戦しか走っていないのが気にはなりますが、マイル戦は戦えると観ます。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 キンシャサノキセキ産駒が4頭、ダイワメジャー産駒が3頭、キングカメハメハ産駒が2頭、出走している一方で、ディープインパクト産駒は出走無という内訳となりました。

 種牡馬同士の争いも興味深いところです。
 なでしこジャパンの中心プレーヤーであった澤穂希選手が、現役引退を表明したと12月16日に報じられました。

 37歳の澤選手の突然の表明でした。

 その存在自体が「日本女子サッカーの歴史そのもの」と言っても良いプレーヤーの引退は、ひとつの時代の終わりを示すものであると感じます。

① 空前の実績

 中学生時代・15歳の時に日本代表チーム入りし、以降20年以上に渡って代表チームでプレーし、ワールドカップに6大会連続で出場、代表出場ゲーム205試合、代表ゴール83、2011年のFIFA最優秀選手受賞、等々、空前の成績を残しました。

 日本のサッカープレーヤーとして、男女を通じてもトップクラスの実績であったと感じます。

 既に「伝説的なプレーヤー」ですが、今後の女子サッカーの歴史において、永遠に語り継がれる存在でしょう。

② 205試合の内、何試合を観たのだろうか。

 澤選手が日本代表チームでプレーした205試合の内、私は何試合を観たのだろうか、と考えてしまいました。

 おそらく、20~30試合でしょう。
 例えば25試合を観たとして、観ていない試合が180も存在することが、澤選手の凄さなのかもしれません。

 澤選手が代表デビューした1993年頃、女子サッカーへの注目は高くありませんでした。テレビで放送されることも殆ど無かったのではないかと思いますし、どこでどんな試合が開催されるかも、情報として少なかったのでしょう。

 そうした時代に、澤選手は黙々とサッカーを続けたのです。

 そして、2011年のワールドカップ優勝を示現したのです。

 素晴らしいことです。

③ なでしこジャパンがピンチの時にチームを鼓舞する役割

 確かに、今2015年のワールドカップにおける、澤選手のプレーを観ると、その動きには「衰え」が感じられました。

 運動量・スピード・瞬発力といった点では、全盛時のプレーは観られなかったと思います。

 しかし、「チームがピンチに陥った時」の澤選手の存在の大きさは、全く変わっていなかったとも感じました。
 ワールドカップ2015において、なでしこジャパンは、予選リーグから苦しい戦いが続けました。楽に勝ったゲームは少なかったと思います。

 そうした試合が続く状況下、後半からピッチに立つことが多かった澤選手ですけれども、その澤選手の動きを見たメンバーが奮い立ったことは間違いないでしょう。
 なでしこは決勝トーナメントに進出し、勝ち抜き、準優勝を果たしたのです。

 なでしこジャパンから見た「澤選手の引退」において、唯一心配なのは、「ピンチに陥った時にチームを奮い立たせる役割」を、今後のなでしこにおいて代替するプレーヤーが存在するのかどうか、という点です。

 若手が育っている、とのご意見もあるのでしょうが、こうした役割を果たす能力は、トレーニングで身に付くものでは無く、天性と実績と経験から身に付くものだと思うのです。
 「苦しい時は私の背中を見て」とコメントしていた澤選手の存在の大きさは、計り知れないのです。

 2016年のリオデジャネイロ・オリンピックに向けて、出場すること自体も容易なことでは無いと言われている状況下、「チームの精神的支柱・大黒柱」としての澤選手を失ったことは、なでしこにとって巨大な損失でしょう。

 2011年ワールドカップ決勝・延長後半12分の同点ゴールが、眼に焼き付いています。
 宮間選手の正確なコーナーキックを、ニアポスト手前からアメリカゴールに流し込んだシュートは、澤選手のベストゴールであり、日本女子サッカー史上最高のゴールでは無かったかと感じます。

 素晴らしいファイト、素晴らしいゴール、素晴らしい試合を魅せていただいた澤穂希選手に、大きな拍手を送らせていただきます。
 week13のカロライナ・パンサーズとニューオーリンズ・セインツのゲームで、珍しいプレーが生まれました。私は初めて見ました。

 第2クオーターQの終盤、タッチダウンTDを挙げて13-14と追い上げたパンサーズが、ポイントアフターTDのキックを狙いました。今シーズンから長くなったため、時々失敗する場面を観るようになりましたが、それでもNFLのキッカー・キッキングチームなら、まず外すことは無いキックです。

 難なく決まって14-14の同点となると思いました。

 ところが、このプレーが終わった時点でスコアは「パンサーズから見て13-16」となったのです。
 何が起こったのでしょうか。

 パンサーズのキックを、セインツの守備陣がブロックしました。

 「キックの失敗」かと思いましたが、ブロックしたボールがフィールドを転がっているところを、セインツの守備プレーヤーが拾い上げて走ります。
 そして、パンサーズのエンドゾーンに走り込みました。これで「セインツの2得点」となったのです。

 今シーズンから、「ルールが変更されていた」ことを後から知りました。

 昨シーズンまでは、ポイントアフターTDのキックをブロックすれば、その時点でプレー終了だったのですが、今シーズンからは「プレイオン」、ブロックされたボールは生きているのです。

 今季これまで、「このプレー」が何回行われているのかは知りませんけれども、滅多に発生するプレーではないでしょう。

 それにしても、セインツ守備陣・守備のキッキングチームの「対応力の高さ」は見事であったと思います。ルール変更を認識していたことは勿論として、実戦において目の前で発生した事象に正確に対応したのです。
 
 当たり前のこと、という見方もあるのでしょうが、長くNFLでプレーして来たプレーヤーが「とっさに」反応するのは、容易なことでは無いでしょう。

 ひょっとすると、パンサーズのエンドゾーンに走り込んだセインツのプレーヤーはルーキーなのかもしれません。
 このルールは、カレッジフットボールでは一般的なのです。
 12月14日に、A案とB案の2つの案が公表されました。

 一見して、両案共に「綺麗な」スタジアムという印象です。両案共に「杜のスタジアム」というコンセプトを掲げています。

 どちらの案が採用されたとしても、立派なメインスタジアムとなることでしょう。

 デザイン面では良い感じの案が揃いましたが、スポーツファンとしては機能面も気になる所でしょう。
 機能面については殆ど報じられていませんので、私の考えるポイントを述べたいと思います。

① なるべく多くの競技で使うことが出来ること

 各競技においては、それぞれのプレー会場についてサイズ等に様々な規定・規則が存在しています。

 国立競技場は、我が国を代表するスタジアムですから、国際的なゲームはもちろんとして、「日本一」を決めるゲームの会場としても、多くの競技団体から使用したいという希望が出されるものと思います。

 これらの希望に、可能な限り多く対応できるスタジアムが望ましいのでしょう。

② メンテナンスコスト

 前・国立競技場は、約50年間に渡って「日本スポーツの聖地」としての役割を果たしました。大規模な補修を行うことなく、50年間の使用に耐えたというのは、デザイン面・機能面・耐久性といった諸点から、素晴らしいことですが、おそらくはメンテナンスコスト面でも「長期の使用に耐え得る」ものであったのであろうとも思います。

 新・国立競技場もメンテナンスコストを極力抑えられるものであるべきでしょう。

 A案・B案共に躯体に「木材」を多用している様子ですが、その耐久性やメンテナンスコストも気になる所です。
 もちろん、木材だから耐久性が小さいなどとは思いません。長野オリンピックのメイン会場であったスケート場のMウェーブも木材を多用した造りでしたが、現在でも十分に使用に耐えています。
 日本の技術をもってすれば、ひょっとすると「木材の方が鉄やコンクリートよりもメンテナンスコストが小さい」のかもしれません。

 それ以外にも、空調や水回りの運営・維持コスト、芝生の維持コスト、掃除のコスト、等々、新施設の選定に当たっては重要なポイントでしょう。

③ 汚れにくいこと

 前項とも関連しますが、完成直後は綺麗でも、時を経るにしたがって「汚れが目立つ」のは、こうしたナショナルスタジアムでは避けたいところです。

 前・国立は、多くの部分が「コンクリート打ちっぱなし」でしたから、汚れが目立ちませんでした。その点でも、優れた競技場であったと感じます。

 今回の両案は大きな「白い屋根」を持っています。「汚れたら取り換えれば良い」とはいっても、コストの関係も有りますから、耐用年数中になるべく汚れが目立たないような「素材」「構造」を持っている方が、望ましいと感じます。

 以上、当たり前のことばかりになってしまい恐縮ですが、新スタジアムには是非クリアしていただきたい項目を挙げました。

 日本トップクラスの設計・施工チームが立案しているのですから、余計な心配なのでしょう。

 テレビ報道で、街の皆さんから「これで、いよいよオリンピックが来ると実感しました」という声がありました。

 新・国立競技場とは、そういう存在なのです。
 朝日杯フューチュリティーステークスFSは、2歳馬の日本一を争うレースです。

 朝日杯FSの前身である朝日杯3歳ステークスが、「2歳馬日本一」争奪戦となったのは1991年、阪神3歳ステークスが「牝馬限定」となった年と考えて良いと思います。

 その1991年以降の朝日杯3歳S・FSの勝ち馬と翌年の日本ダービーの勝ち馬の関連を見てみます。
 中央競馬に詳しい方なら、よくご承知のことと思いますが、この関連性はとても薄いのです。

 2歳馬日本一のサラブレッドというのは、2歳時の同期生NO.1ですから、翌3歳のクラシックレースにおいても大活躍が見込まれる筈なのですが、朝日杯と日本ダービーの両方に勝っている馬は、とても少ないのです。

 最後に、朝日杯と日本ダービーの両方に勝利したのは三冠馬ナリタブライアンです。1993年の朝日杯に勝ちました。
 つまり、ナリタブライアン以降20年以上に渡って、朝日杯の勝ち馬は日本ダービーに勝っていないのです。

 では、それ以前はというと、1991年以降は1991年の勝ち馬ミホノブルボンが日本ダービーに勝っているだけです。
 1991年以降の朝日杯の勝ち馬全24頭の中で、日本ダービーを勝っているのは2頭だけ、それも1994年以降は1頭も出ていないのです。

 また、朝日杯3歳Sの名前が朝日杯FSに変更されたのは2001年ですから、レース名としての朝日杯FSの勝ち馬は1頭も日本ダービーには勝っていないことになります。

 確かに、「早熟」、あるいは「仕上がりの早い血統」、あるいは1600mのレースに滅法強い、というタイプが存在するのかもしれませんが、それにしても不思議なことだと感じます。

 こうした事実を目の当たりにすると、「朝日杯FSに勝つと日本ダービーには勝てない」というジンクスさえ存在するような気がしてきます。
 逆に言えば、「日本ダービーに勝つためには朝日杯FSに勝ってはいけない」と言うことになってしまいます。
 これは、あってはならないことの様に感じられます。

 一方で、2012年の朝日杯FSの勝ち馬ロゴタイプは皐月賞に優勝していますから、「朝日杯FSとクラシックレース」は無関係ではないことになります。
 とはいえ、朝日杯FSに勝ってクラシックレースを制したのは、ロゴタイプ1頭ですから、その関連性も相当薄いことになるでしょう。

 では、朝日杯FSの勝ち馬は「早熟なために3歳以降の大レースでは勝てない」のかというと、それは一概には言えないようです。

 2006年の勝ち馬ドリームジャーニーは、2009年の宝塚記念と有馬記念に優勝しました。古馬になってからG1を2勝したのです。
 また、2009年の勝ち馬ローズキングダムは2010年のジャパンカップを制していますし、2010年のグランプリボスは2011年のNHKマイルカップで優勝しています。

 朝日杯FSの優勝馬は、その後も高い競走能力を維持し、G1レースを勝っている馬も少なくないのです。

 そうなると、日本ダービーには縁が無くクラシックレースにもなかなか手が届いていないというのは、やはり不思議なこと、ということになってしまいます。

 過去の戦績はともかくとして、まだ14回しか行われていないのだから、今後朝日杯フューチュリティ―ステークスを勝って日本ダービーを勝つサラブレッドが出て来る、と期待する方が良いのかもしれません。

 このジンクス?を破ってくれるのは、どんなサラブレッドなのでしょうか。
 今回は、親方としての高見山・東関親方がテーマです。(読売新聞の記事では「第25話」が中心です)

 高見山は1984年の5月場所で引退しました。そして直ぐに年寄「東関」を襲名しました。
 翌年の2月には断髪式を行いました。

 引退した力士の断髪式は、その収入が「力士の退職金の性格」を持ちます。

 従って、当該力士本人も入場券の販売に注力します。ひとりでも多くの人に、断髪式に来てもらいたいのです。
 しかし、高見山の断髪式においては「入場券販売の苦労」は無かったのではないでしょうか。大入り満員でした。
 私も観に行きたかったので、入場券の入手に努めましたが、とうとう行くことが出来なかったことを憶えています。

 さて、引退後の東関親方は当初部屋付の親方でした。高砂部屋で後進の指導に当たっていたのです。とはいえ、高見山・東関親方には夢が有りました。「部屋を持ちたい」と考えていたのです。

 この断髪式の後、師匠である高砂親方(五代目・元横綱朝潮)に、その旨を相談しました。高砂親方は大反対だったそうです。相当厳しいことも言われたようですが、これは師匠の親心からではないかと思います。

 そもそも、高見山は「外国出身の初の関取」でした。文化・風習が全く違う外国から来て、大相撲社会で一人前になったことだけでも大変なことであり、パイオニアとしての苦労も並大抵のことでは無かったことでしょう。このことだけでも、高見山は「唯一無二」の存在なのです。

 にもかかわらず、「部屋を持ちたい」と言う。高砂親方からすれば、「弟子を預かる」という、今風に言えば「極めてリスクの高い挑戦」をさせる気にはなれなかったのではないでしょうか。
 「弟子ひとりひとりの人生を預かること」「ひとりひとり全く異なる人格から生ずる様々な問題」といった、リスクの塊のような仕事を、いかに関取経験者であったとはいえ、外国出身者に負わせることに、高砂親方は反対したのでしょう。「そんな苦労をすることは無い」といった気持ではなかったかと思います。

 相撲協会の理事会でも「外国人に師匠が務まるのか」といった意見が出されたそうです。

 しかし、高見山・東関親方は全く諦めませんでした。

 他の先輩親方と相談しながら、着々と準備を進め、1986年4月には「東関部屋」の土俵開きに漕ぎつけました。2人の内弟子を連れて独立したのです。

 ハワイから日本来たジェシー少年が、「外国人初の関取」となったことだけでも、高見山の人生には大きな価値・影響力が存在すると感じるのですが、「部屋を持ちたい」という夢までも実現させました。

 ジェシー少年は、高見山として大相撲の舞台で活躍し続けている間に、「大相撲が大好き」になり、「日本人より日本人らしく」なっていったのでしょう。
 とても素晴らしいことだと感じます。

 そして、現在の数多くの外国出身力士の活躍を観るにつけ、相撲協会あるいは「日本相撲界」は、初の外国人関取として「比類無き人材」を得たように思います。
 
 高見山および東関親方が残した足跡は、空前絶後のものなのでしょう。
 今回のテーマは「四股名」です。(読売新聞の記事では「第9話」と「第17話」が中心です)

 ハワイで生まれ育ったジェシー少年が日本に来たのは1964年・昭和39年2月23日。
 同2月の大相撲のハワイ巡業の時にスカウトされ、直ぐにやってきたのです。たった4日間でプロ入りを決めたのですが、この決断の速さには驚かされます。高見山が「外国人関取第一号」であり、現在の様に外国出身力士が沢山居たわけではないのですから。

 1964年というのは、昭和世代にとっては特別な年です。
 あの東京オリンピックが開催された年なのです。

 平成世代の方々には分かり難いことでしょうけれども、東京オリンピック1964には当時の日本国民の強い思いが込められていました。

 太平洋戦争で荒れ果てた国土を再建し、戦前以上の国民総生産を実現、復興を遂げた「日本国」を世界中に見ていただく大イベントだったのです。

 東海道新幹線や首都高速といったインフラも、東京オリンピック1964のために急ピッチで建設されました。
 オリンピック観戦の為に海外から来日する沢山の人達に、少しでも立派な日本国を見ていただこうと、お化粧をしたという意味もあるのですが、何より海外から来た皆さんに便利に過ごしていただこうという気概が満ちていたのです。

 「おもてなし」という言葉は、口に出した途端、その価値を失うといった意見もありますが、この頃の日本人は、そんな言葉を意識することも無く、PRすることも無く、押し付けることも無く、心を籠めた「おもてなし」を提供していたのではないでしょうか。

 さて、大相撲界に身を投じたジェシー少年は、早速稽古に邁進し、直ぐに前相撲で力を発揮、「一番出世」を果たして、5月場所でデビューしました。

 デビューに際して、師匠から「高見山」という四股名を教えられたそうです。
 「タカミヤマ」と、本人は良く分からなかったそうですが、後に、今の優勝制度が出来た1909年・明治42年の最初の優勝力士・高見山酉之助からいただいた、由緒ある四股名でした。

 一般に、相撲部屋の親方・おかみさんは、大相撲界における父と母であると言われます。時代の変遷に伴って、その位置付けも次第に変化してきているのでしょうが、今から50年程前のこの時期は、まさにそうしたものだったのでしょう。

 ジェシー少年の四股名を選ぶ際に、高砂親方とおかみさん・萩森好美さんはとても悩んだのではないでしょうか。
 そして、「高見山」という立派な四股名を授けたのです。

 「高見山」という四股名には雄大なイメージが有ります。身長190cmの長身だったジェシー少年に、ピッタリの四股名であったと感じます。

 その高砂親方(四代目)の現役時代の四股名は前田山でした。横綱・前田山です。

 この前田山関が十両の頃(当時の四股名は佐田岬)、右腕に骨髄炎を患いました。難病です。
 この病気の為、佐田岬は三段目まで下がりました。それを手術で救ってくれたのが、慶応大学病院の前田和三郎医師でした。

 佐田岬は、その恩に報いる為に、四股名を前田山に変えたのだそうです。
 快癒した前田山は番付を上げ続け、ついに横綱となったのです。

 何だか良い話だと思います。

 相撲取りにとって、四股名は一生モノです。
 高見山関は東関親方になりましたが、私達にとってはやはり「高見山」なのです。

 デビューの時、あるいはデビューしてからしばらくして付けられる四股名は、何か力士の運命を左右する物のようにさえ感じられます。
 今季のUEFAチャンピオンズリーグCLは12月9日にグループリーグGL(予選リーグ)の最終戦を行い、各組(4チーム)の上位2チーム=予選リーグ突破チームが決まり、ベスト16が出揃いました。

 今季もGLで激しい戦いが展開されました。

[A組]
 レアル・マドリード(スペイン)が1位、パリ・サンジェルマン(フランス)が2位となりました。

 レアルはサンジェルマンとの直接対決2試合を1勝1分として、グループ首位通過を確保しました。
 ウクライナのシャフタル・ドネツクは11月25日のレアル戦で3-4と健闘するなど、その力を示しました。スウェーデンのマルメFFもGL前半は健闘しましたが、後半力尽きたという印象です。

[B組]
 実力伯仲・混戦のB組は、ヴォルフスブルグ(ドイツ)が1位、PSVアイントホーフェン(オランダ)が2位となりました。

 3位でGL敗退となってしまったマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)は、ホームでは2勝1分けと強さを見せました。9月30日のヴォルフスブルグ戦でも2-1で勝利しています。一方でアウェイでは1分2敗でした。12月8日の最終戦・ヴォルフスブルグとのゲームを2-3で落として、万事休しました。大補強で戦力アップを目指したマンUでしたが、その成果が表れたとは言い難い結果となってしまいました。

[C組]
 アトレティコ・マドリード(スペイン)が1位、ベンフィカ・リスボン(ポルトガル)が2位となりました。

 アトレティコも決して余裕のある戦い振りでは無く、ベンフィカとの対戦は2敗でした。
 一方でベンフィカも、ガラタサライ(トルコ)に敗れたり、FCアスタナ(カザフスタン)と引分けたりと、勝ち点を順調に積み上げていくことが出来ませんでした。

[D組]
 D組も混戦となりましたが、マンチェスター・シティ(イングランド)が1位、ユヴェントス(イタリア)が2位となりました。

 ユーベはシティ戦で2勝0敗でしたが、セビージャにアウェイで敗れるなどして、1位にはなれませんでした。
 スペインのセビージャFC、ドイツのボルシア・メンヘングラードバッハにも十分にチャンスがあったグループでした。
 
[E組]
 FCバルセロナ(スペイン)が1位、ASローマ(イタリア)が2位でした。

 バルセロナは安定した強さを魅せました。選手層の厚さが分かる戦い振りであったと思います。
 ASローマとバイヤー・レバークーゼン(ドイツ)は勝ち点6で並びましたが、直接対決でローマが1勝1分として、GLを突破しました。10月20日のレバークーゼンがホームのゲームにおける4-4の引分けが大きかったことになります。レバークーゼンにとっては11月24日のアウェイのBateボリソフ(ベラルーシ)戦での1-1の引分けが惜しまれるところでしょう。もちろん、ボリソフとしてもホームですから負けられないゲームでした。

[F組]
 バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)が1位、アーセナル(イングランド)が2位となりました。

 バイエルンの安定した得点力が際立ちました。ホームのアーセナル戦を5-1で勝つなど、3ゲームで4得点以上を挙げました。
 アーセナルとオリンピアコス・ピラエウス(ギリシャ)は勝ち点9で並びましたが、直接対決の得失点差でアーセナルが勝りました。12月9日のオリンピアコスのホームゲームで、アーセナルが3-0で完勝したのが大きかったのです。
 クロアチアのディナモ・ザグレブは緒戦でアーセナルを破りましたが、その後は力を発揮できませんでした。

[G組]
 チェルシー(イングランド)が1位、ディナモ・キエフ(ウクライナ)が2位となりました。

 チェルシーは9月16日のFCポルト(ポルトガル)戦を1-2で落とすなど、前半はエンジンがかかりませんでしたが、GL後半では本来のゲームを見せていました。
 ディナモ・キエフとポルトの2位争いは熾烈でしたが、11月24日のポルトのホームゲームでキエフが2-0で勝利したのが効きました。やはりホームゲームにおけるライバルチーム相手の零敗はダメージが大きいのです。
 イスラエルのマッカビ・テル・アビブは、残念ながら勝ち点を挙げることが出来ませんでした。

[H組]
 ゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)が1位、AAゲント(ベルギー)が2位となりました。

 ゼニトは9月16日の緒戦、アウェイのFCバレンシア(スペイン)戦を3-2で制して勢いに乗りました。11月24日のホームのバレンシア戦も2-0で完勝するなど、安定した守備から勝ち点を積み上げたのです。
 一方のバレンシアは、よもやの緒戦敗戦が尾を引いた印象です。
 AAゲントは、最終戦でゼニトを破るなど、GL後半に調子を上げました。
 オリンピック・リヨン(フランス)は接戦を続けましたが、勝ち切ることが出来ませんでした。

① 国別の進出チーム

・スペイン FCバルセロナ、レアル・マドリード、アトレティコ・マドリード
・イングランド マンチェスター・シティ、アーセナル、チェルシー
・ドイツ バイエルン・ミュンヘン、ヴォルフスブルグ
・イタリア ユヴェントス、ASローマ
・ポルトガル ベンフィカ・リスボン
・フランス パリ・サンジェルマン
・オランダ PSVアイントホーフェン
・ロシア ゼニト・サンクトペテルブルク
・ウクライナ ディナモ・キエフ
・ベルギー AAゲント

 スペインからは、このところ常連のリーガ・エスバニョーラの3強が、今季も進出して来ました。本当に安定した強さを誇る3チームです。

 イングランドプレーミアリーグからも3チームが進出しました。特にアーセナルの「16季連続GL突破」は見事。やはり、アーセナルはイングランド1部リーグを代表するチームだということでしょう。

 ドイツからは2チーム。バイエルンはいつも強いという印象です。

 イタリアからASローマが勝ち抜きました。セリエAの力を示すことが出来るでしょうか。

② 3強強し

 今季も、FCバルセロナ、レアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘンの3チームが「順当に」GLを勝ち上がりました。

 現代の世界3強と言って良い、この3チームの強さは際立っています。今季も、この3チームを中心に優勝争いが展開されることでしょう。

③ ゼニト・サンクトペテルブルクの活躍

 今季のGLでの勝ち点を比較すると、トップはレアルの16、続いてバイエルンとゼニトの15、バルセロナが14となりました。
 3強が上位に位置しているのは当然として、ゼニトの健闘が目立ちます。
 
 組分けに恵まれた面もあるのでしょうが、最終戦を勝っていれば勝ち点トップはゼニトだったのですから、その安定感は見逃せないレベルです。

 決勝トーナメントにおける、ゼニトの戦い振りが注目されます。

 決勝トーナメントの組合せは、12月14日に決まります。
 そして、ゲームは2016年2月16日から始まるのです。

 欧州のクラブNO.1=実質的な世界NO.1クラブ、を決めるトーナメントから、今季も眼が離せません。
 今季のMLBストーブリーグは、FAとなった好プレーヤーが多く、豊作と言われています。

 各球団の中心選手というか、MLBを代表するプレーヤー達の争奪戦が始まっているのです。中でも「ビッグ4」と呼ばれている四人の投手は、その圧倒的な実績から、どのチームにとっても獲得したいプレーヤーであったと思います。

[今ストーブリーグのビッグ4]
① ザック・グレインキー投手(2015年シーズンはドジャースに所属)
② デビット・プライス投手(同タイガース→ブルージェイズ)
③ ジョーダン・ジマーマン投手(同ナショナルズ)
④ ジョニー・クエト投手(同レッズ→ロイヤルズ)

 いずれも、勝ち星が計算できる先発投手です。

 ザック・グレインキー投手が移籍を希望したことには驚かされました。ドシャースとの契約が、まだ3年も残っていたのです。
 クレイトン・カーショー投手と並ぶ、「ドジャースの両輪」であり、2015年シーズンは32試合に先発・222と2/3イニングを投げて19勝3敗、「防御率1.66」という、驚異的な成績を残しました。自身にとってもキャリア最高のシーズンであったと思います。

 もちろん、ドジャースと交わしていた契約内容もMLB史上に燦然と輝く超大型契約=平均年俸2450万ドル(約29億4千万円の6年契約、だったのですが、3年を残してこの契約を破棄しての移籍を希望したのです。名声とお金を共に手にしていたグレインキー投手が、まさかドジャースを出るとは、思いもよりませんでした。

 そして12月4日、早々に移籍先が決まりました。アリゾナ・ダイヤモンドバックスです。総額2億650万ドルの6年契約、平均年俸は3442万ドル(約41億3千万円)という、MLB史上最高年俸額の超大型契約と報じられました。
 何だか、気が遠くなるような金額です。

 現在32歳のグレインキー投手にとって、38歳までの活躍の場を得たということになります。ダイヤモンドバックスの「大エース」としての活躍が楽しみです。

 尚、この超大型契約の為か、NPB広島カープからポスティングでMLB挑戦を表明した前田健太投手にも影響が出たと思われます。
 先発投手陣の強化を至上命題としているダイヤモンドバックスは、前田投手取りにも熱心と伝えられてきましたが、グレインキー投手との契約合意後は前田投手獲得合戦から身を引くと表明しました。
 2億ドル(約240億円)を超える資金をグレインキー投手に投じたダイヤモンドバックスとしては、前田投手にまで回す資金が無くなったということでしょうか。

 今シーズン7月に、突然タイガースからブルージェイズに移籍したデビッド・プライス投手にも行方にも、注目が集まりました。
 もともと、タンパベイ・レイズの「看板投手」であったプライス投手が、2014年シーズン終了後デトロイト・タイガースに移籍したことにも驚かされたものですが、そのタイガースからシーズン途中でブルージェイズに移ったのです。

 ブルージェイズ移籍後のプライス投手の投球は、凄まじいものでした。11試合に先発して9勝1敗・防御率2.30と、ブルージェイズのポストシーズン進出に大貢献したのです。

 そして、こちらも12月4日にボストン・レッドソックスとの契約合意が報じられました。総額2億1700万ドルの7年契約、平均年俸は3100万ドル(約37億2千万円)という、超大型契約でした。
 前述のグレインキー投手の契約内容が公表されるまでは、MLB史上最高の平均年俸額でした。

 2015年シーズンは低迷したボストンにとっては、先発投手陣の軸を獲得したことになりますし、現在30歳のプライス投手にとっても37歳までの活躍の場を確保したということになります。

 それにしても、グレインキー投手といいプライス投手といい、その契約金総額・平均年俸共に、驚くばかりです。MLBの凄さを感じます。

 3人目のジョーダン・ジマーマン投手は、11月30日にデトロイト・タイガースと総額1億1千万ドルの5年契約で合意したと伝えられました。

 ワシントン・ナショナルズの中心選手として、2013年シーズンには32試合に先発し213と1/3イニングを投げて19勝9敗の好成績を残し、ノーヒッターも達成した投手です。

 そして、トミージョン手術後の投手として史上初めての「1億ドル以上の契約」を獲得したのです。前述の2投手の契約内容画凄まじいものであったため、何か金額が小さいような気がしますが、平均年俸なら2200万ドル(約26億4千万円)ですから、やはり凄いものです。

 今季不振だったデトロイトとしては、先発投手陣の強化に資するものであったのでしょうし、現在29歳のジマーマン投手にとっても34歳までの活躍の場を確保した形です。

 4人目のジョニー・クエト投手は、「ビック4」の中では、12月10日時点で移籍先が決まっていない唯一の存在です。
 
 2015年シーズンの7月にシンシナティ・レッズからカンザスシティ・ロイヤルズに移籍したクエト投手は、レギュラーシーズンこそ11勝13敗と、期待に及ばない成績でしたが、ポストシーズンの地区シリーズ第5戦では好投を魅せて、チームをリーグチャンピオンシップに導きました。

 2014年のクエト投手の活躍は素晴らしいもので、34試合に先発し243と2/3イニングを投げて20勝9敗、防御率も2.25と極めて高い水準でした。

 全体として、少し成績に安定感が無いという感じもしますが、今後の今ストーブリーグの主役として、争奪戦が展開されるものと思います。

 この「ビッグ4」に次ぐグループの一員として注目されていた、マリナーズの岩隈久志投手はドジャースへとの契約合意となりました。
 ストーブリーグは、動き続けているのです。

 今後、最も注目されるのはニューヨーク・ヤンキースの動向でしょう。
 狙っていると報じられていたデビッド・プライス投手は、ライバルのボストンに行くこととなりました。
 先発投手陣が崩壊した2015年シーズンを鑑みれば、その補強は2016年シーズンに向けての最重要課題です。

 少なくとも、2~3人の安定した先発投手を獲得したいと考えているであろうヤンキースは、どのような手を打ってくるのでしょうか。
 12月13日、阪神競馬場芝外回り1600mコースで行われる第67回阪神ジュベナイルフィリーズJF競走G1の注目馬検討です。

 今年の2歳牝馬NO.1を決めるレースです。

 2歳馬のレースを予想することは基本的に難しいことです。
 今年も、まだ2走しかしていない馬が3頭出走していますし、3走しかしていない馬が9頭と半数を占めているのです。レース経験が少ない馬同士のレースと言うことになります。

 「底を見せていない馬」=「全勝馬」というと、今年はアットザシーサイド1頭しか居ません。そのアットザシーサイドも、まだ500万円下を勝ったばかりで、重賞経験が無いのです。

 重賞勝ち馬ということであれば、函館2歳ステークスG3に勝ったブランボヌール、ファンタジーステークスG3の勝ち馬キャンディバローズ、アルテミスステークスG3を制したデンコウアンジュの3頭が居ます。この3頭が格上ということになりますが、どの馬も全勝ではありません。

 以上の点から、阪神JF2015は抜けた実績を誇る強豪馬が存在しない、「例年以上の大混戦」ということになりそうです。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、1枠2番のメジャーエンブレム。
 ダイワメジャー産駒の3戦2勝馬。前走アルテミスSはゴール寸前でデンコウアンジュに差し切られ2着でした。内外離れた展開でしたから、最内を走るメジャーエンブレムからはデンコウアンジュが観えなかったかもしれません。東京コースの長い直線を粘り強く走ったレース内容は、強さを感じさせるものでした。
 前々走のアスター賞の内容も含めて、最も安定した強さを感じますので、軸にしたいと思います。

 第二の注目馬は、2枠4番のクードラパン。
 やはりダイワメジャー産駒の3戦2勝馬です。前走サフラン賞の直線の走りは力強いものでした。切れ味で勝負する馬が多いこの時期に、ナタの様な強さを見せている印象でした。
 長い阪神外回りコースの直線の競り合いで力を発揮してくれるものと期待します。

 第三の注目馬は、8枠17番のデンコウアンジュ。
 メイショウサムスン産駒の3戦2勝馬。前走アルテミスSの上り3ハロン33秒台前半の脚は見事でした。デビュー戦の大差の5着は気になりますが、この切れ味を阪神JFでも出せるようなら、勝ち負けの勝負となるでしょう。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 マイル戦とはいえ、長い直線の阪神外回りコースですからスプリンターではなかなか勝ち切れないレースです。
 ゴール前100mからの競り合いが楽しみです。
 今回は、関取の数についてです。(読売新聞の記事では「第11話」が中心です)

 相撲協会は、1967年5月場所から、幕内の定員を6人減らして34人に、十両の定員を10人減らして26人としたのです。
 ご承知のように、大相撲界では「十両以上が関取」ですから、突然?のように「関取の人数」が16人も減ることとなったのです。

 「関取になること」が大相撲に入った力士の、最大の目標でしょうから、これは力士にとっては「一大事」でした。

 高見山大五郎は、1967年の3月場所に十両に昇進しています。
 関取となって、初めて給料がもらえるようになり、大銀杏で相撲を取ることが出来、付け人も付いて、ついに一人前になった嬉しい場所でしたが、次の5月場所から「関取が16人も減る」ことになりましたから、3月場所では「勝ち越しする位では、十両に残ることが難しい」という場所になってしまいました。

 よりによってのタイミングでした。

 この3月場所で、高見山関は10勝を挙げて、5月場所はかろうじて十両の「幕尻・13枚目」に踏みとどまりました。
 本来なら、初の十両での10勝といえば、堂々たる成績ですが、この時はギリギリの成績であったことになります。
 一方で、多くの関取が幕下に陥落したのです。

 それにしても、現在の「十両土俵入り」を観る時、いつも人数が少なくて力士同士の間が空いている、もう少し十両力士を増やせないものか、と感じていましたが、こういうことがあったことを知りました。

 多くのプロスポーツでは、次第にチーム数や参加するプレーヤー数が増えて行くのが一般的でしょう。
 MLBやNFLでも、「イクスパンション」と呼ばれるチーム数の増加が時々行われて来ました。

 にもかかわらず、大相撲においては「関取の削減」が実施されたのです。

 この時の相撲協会の狙いは何だったのでしょうか。
 「給料という経費の節減」だったのか、「関取に相応しい相撲」を維持し土俵の充実を図ったものか、いくつか目的は考えられます。

 確かに、前述の「イクスパンション」の都度、「メジャーリーガーのレベルが落ちた」といった指摘があり、粗製濫造との批判もありました。
 とはいえ、国中津々浦々に当該スポーツを広め、ファンを増やして行こうとする目的達成の為に必要な施策だったのでしょう。

 現在の幕内土俵入りを観ると、力士同士の肩が当たったりしていますから、幕内力士の人数をこれ以上増やすことは困難な感じがします。
 一方で、前述のように十両土俵入りは「スカスカ感」が有りますから、1967年3月場所位の人数に増やしても良いように思います。つまり、10名位の増員は可能なのかもしれません。

 もちろん、テレビ放送時間帯との関係もあることなのでしょうが、現在の様に相撲人気が復活した状況や、BS放送といったチャンネルの増加も勘案すれば、十両の取組が少し早く始まっても、ファンは文句を言わないのではないでしょうか。
 12月6日、シアトル・マリナーズをフリーエージェントFAとなっていた岩隈久志投手が、ドジャースと3年契約で合意したと報じられました。

 3年4500万ドル(約55億円)の大型契約です。

 日本プロ野球NPBの東北楽天ゴールデン・イーグルスから、MLBのシアトル・マリナーズに移籍し、MLBデビューしたのは2012年でした。
 それから4シーズン、9勝5敗、14勝6敗、15勝9敗、9勝5敗と安定した活躍を続けました。
 何より、勝ち数が負け数を上回る「貯金が出来る先発投手」としての実績が、高く評価されたものと感じます。

 本ブログでは、岩隈投手を「最も大リーグに適応した日本出身ピッチャー」と位置づけてきましたが、2015年シーズンではノーヒッターも達成し、そのことを改めて証明していただきました。

 意図したものを除けば殆ど四球を出すことが無く、大半の投球が「ストライクゾーン内」に投げ込まれ、結果として打者が初球から手を出すことが多く、「打者を料理するのに要する球数」が少ないため、「100球前後の球数」で多くのイニングをカバーすることが出来るという、メジャーリーグのスターターに臨まれるスキルを擁しているのです。
 ノーヒッターの達成も、このスキルがあればこその快挙でしょう。

 「殆ど四球を出さない」というのは、コントロールが良いことと同義ではないでしょう。「ストライクからボールになる投球」も良いコントロールが前提となるものですが、岩隈投手は「ストライクからストライクになる投球」で勝負しているのです。
 コントロールが良いことは勿論として、とてもキレの良い投球を展開するのです。

 移籍先のロサンゼルス・ドジャースは、MLBの中でも屈指の名門チームです。
 2015年シーズンは、クレイトン・カーショー投手とザック・グレインキー投手という、MLBを代表する二人の強力な先発投手によって地区優勝を飾りました。まさに「二本柱」と言って良い存在であったと思います。

 そうした中で、今ストーブリーグに入ってから、グレインキー投手が移籍を希望したのには驚かされました。複数年契約の途中にも拘わらず、チームを移りたいと表明したのです。ドジャースとグレインキー投手の間に何があったのかは分かりませんけれども、2016年シーズンこそは久方ぶりのワールドシリーズ進出・制覇を目論んでいたであろうドジャースにとっては、「寝耳に水」の大事件でしょう。
 いずれにしても、グレインキー投手の放出が避けられなくなったドジャースにとっては、「先発投手陣の補強」が喫緊の課題となったのです。

 そして、岩隈久志投手を獲得することとなったのでしょう。

 FAとなっていた岩隈投手にとっても、名門球団ドジャースへの移籍はウェルカムだったのではないでしょうか。

 「ドジャーブルーのユニフォーム」に身を包んだ岩隈久志投手の、2016年シーズンの活躍が、とても楽しみです。
 今回は、高見山関の幕内最高優勝に付いて採り上げます。(読売新聞の記事の「第15話」が中心です)

 高見山関は、1972年・昭和47年の7月場所で優勝しました。成績は13勝2敗。
 高見山28歳、番付は前頭・東4枚目でした。

 最も興味深かったのは、その対戦相手。
 大関・清国、関脇・輪島、関脇・長谷川、関脇・魁傑、小結・金剛、北の湖、黒姫山といった四股名が並びます。これらの力士に高見山は勝ったのです。
 負けた相手は、大関・琴桜と関脇・貴ノ花(初代)でした。

 後に横綱となった琴桜や輪島・北の湖、大関になった魁傑・貴ノ花を始めとして、大相撲の歴史を彩った、素晴らしい力士のオンパレードです。
 高見山自身も「対戦した顔ぶれもすごかった。」と評しています。大相撲の歴史上でも、屈指のメンバーが揃っていたのであろうと思います。

 「黄金時代」を迎えた大相撲界の活況が良く分かる、対戦相手ラインアップでした。

 初優勝後、アメリカ大統領のリチャード・ニクソン氏から手紙が届いたり、日本の総理大臣だった田中角栄氏から「いや、おめでとう。よっしゃ、よっしゃ」と祝福されたとのこと。

 時代はまさに「高度成長期」只中、我が国もとても元気な時代だったのです。
 阪神ジュベナイルフィリーズJFは、最強2歳牝馬を決めるレースです。
 東西の強豪2歳牝馬が集い、阪神競馬場で戦います。

 この阪神JFの前身であったレースが「阪神3歳ステークス」です。
 まだ、「競走馬の東西交流」というか「東西移動・サラブレッドの移送」が現在の様に容易では無かった時代、中央競馬は主に東西別に開催され、大レースにおいて東西対決が見られる形でした。
 この頃の2歳馬(当時の3歳馬)の大レースは、東は朝日杯3歳ステークス、西は阪神3歳ステークスであり、牡馬牝馬の区別無く、東西それぞれの地域の最強馬を決めるレース体系だったのです。

 この体系が変更されたのは1991年。
 阪神3歳ステークスは、牝馬限定の「阪神3歳牝馬ステークス」となりました。3歳牝馬の日本一を決めるレースとなったのです。
 そして2001年に、馬齢表記が「数え年」から「満年齢」に変更(国際基準に合わせたもの)されたのを契機に、現在のレース名・阪神ジュベナイルフィリーズへと変更されました。

 「阪神2歳牝馬ステークス」でも良かった、というか、私などは歴史と伝統を感じさせる「阪神○歳ステークス」の方が良いのではないかと、当時感じた覚えがあります。

 さて、1949年・昭和24年に創設された阪神3歳ステークスは、その名に「阪神」を冠していますから、創設当初から阪神競馬場を舞台として現在に至っています。阪神競馬場で幾多の名馬が覇を競ってきたのです。

 その66回に及ぶ長い歴史の中で、二度だけ、このレースが京都競馬場で開催されたことが有ります。1956年と1980年です。阪神競馬場の改修工事に伴うものです。

 その1956年・昭和31年の第8回レースは、「京都3歳ステークス」と名付けられました。
 その後「京都3歳ステークス」の名前は使用されたことが有りませんから、唯一無二のレースとなりました。
 そして、この「京都3歳ステークス」を制したのが、ミスオンワードでした。今から60年ほど前の話です。

 ミスオンワードは「無敗の二冠馬」となりました。桜花賞とオークスを無敗で制したのです。

 新馬戦から3戦3勝で臨んだ京都3歳ステークスも快勝しました。
 当時は1200m戦(第1回から12回まで)でした。5頭立てとなったレースで一番人気であったミスオンワードは、2着のトップランに1/2馬身差で優勝したのです。

 3歳となって、オープン競走をステップレースとして臨んだ桜花賞も1番人気でした。
 そして、2着のヒシチヨに1・3/4馬身差で勝ちました。

 再びオープン競走を叩いて臨んだ優駿牝馬(オークス)でも、2着のヨドザサクラに1・1/4馬身差で快勝しました。
 デビュー以来8戦8勝の二冠馬の誕生でした。

 「3歳牝馬に敵無し」を証明したミスオンワードに、牡馬への挑戦の話が持ち上がったのは、ある意味では自然なことなのでしょう。
 戦前・戦中のクレオパトラトマスやクリフジといった名牝と同じように、牡馬との力比べに期待が集まったのです。

 そしてミスオンワードは、勇躍東京優駿(日本ダービー)への出走を決めました。
 連闘というハードスケジュールが懸念されましたが、挑戦を決めたのです。

 とはいえ、さすがにこれは荷が重すぎました。いくらなんでも、優駿牝馬と東京優駿の連闘はきつかったのでしょう。
 3番人気に支持されたものの、優勝したヒカルメイジの17着に敗れました。

 しかし、日本ダービーで初めて敗れたミスオンワード陣営は、牡馬への挑戦を諦めませんでした。
 秋の菊花賞を目指したのです。

 現在に比べて、重賞レース・大レースがとても少なかった時代、エリザベス女王杯も秋華賞も無かった時代ですから、桜花賞・オークスの二冠馬が目指すレースは菊花賞しかなかったのでしょう。

 秋緒戦のオープン競走で3着だったミスオンワードは、ステップレースであった重賞・神戸杯(現、神戸新聞杯)で牡馬を相手に大接戦(2着ライジングウイナー、3着ハタリユウ、4着ヨドノカゼとハナ・ハナ・クビ差)を制して優勝し、菊花賞に駒を進めました。
 1番人気でした。

 しかし、菊花賞は不良馬場にも祟られたのでしょうか、ラプソデーの10着と敗れました。

 このレースでは、3着に牝馬のヨドサクラが入着しています。
 春は常に先着していたヨドサクラが3着に食い込んでいたのですから、馬場にさえ恵まれていれば、ミスオンワードにも好成績が期待できたのではないかと思います。

 残念ながら、日本ダービー・菊花賞では好成績を収めることが出来なかったミスオンワードでしたが、4歳になっても牡馬との戦いを続けました。
 1958年・昭和33年の目黒記念(秋)では、マサタカラ、オンワードゼアといった牡馬一線級を相手に優勝しています。大レースが少なかった当時、目黒記念は現在より格上、現在で言えばG1に相当するレースであったと思います。

 4歳で競走馬を引退したミスオンワードは繁殖に入りました。
 そして、オンワードセカンド、アポオンワード、ハードオンワードの3頭の重賞ウイナーを輩出しました。
 「競走成績が優秀な牝馬の繁殖成績はいまひとつ」とはよく言われることなのですが、ミスオンワードは競走馬としても、競走馬の母としても、とても優秀な成績を残したのです。
 素晴らしいことだと思います。

 また、何より凄いのは「33歳(満32歳)という長寿」でしょう。
 それも、老衰では無く、放牧中の転倒による大腿骨骨折・安楽死処置でした。こうした事故が無ければ、日本におけるサラブレッドの長寿記録をシンザンと争ったかもしれません。
 まさに「無事これ名馬」です。

 ミスオンワード号、父ハードソース、母ホールドタイト、母の父の父ゲインズバラ、持込馬。通算成績28戦14勝、2着3回、3着5回。主な勝ち鞍、桜花賞・オークス・京都3歳ステークス(阪神JF)・神戸杯(神戸新聞杯)・目黒記念(秋)。
 8連勝での牝馬二冠、日本ダービー・菊花賞への挑戦と、太平洋戦争後、復興へと向かう昭和30年代、日本競馬の隆盛に大いに貢献した「名牝」でした。

 日本競馬史上屈指の「名牝」であったと思います。

 ミスオンワードは、その馬名から推測されるように、服飾ブランド「オンワード樫山」の樫山純三氏の持ち馬でした。
 そして、「ミスオンワード」は高級コートのブランドとして、日本女性を彩り続けたのです。
 2015年の男子ゴルフ日本ツアーの最終戦、JTカップ・ゴルフ日本シリーズ大会は12月6日に最終日を迎え、石川遼選手が4日間通算266打・14アンダーパー、2位に5打差を付けて優勝しました。

 4日間を通して安定したプレーを展開した石川選手の圧勝でした。

 ティーイングショット、アプローチショット、パッティングともに素晴らしいプレーの連続でしたが、特にパッティングが見事であったと思います。
 しっかりとしたインパクトから「真っ直ぐ転がる」イメージのパッティングを続けた印象です。とても良く整備された、今大会の東京よみうりカントリークラブのグリーンにマッチしたパッティングであったのでしょう。

 男子日本ゴルフツアーのメジャートーナメントと呼ばれる大会での圧勝劇は、石川選手の力量の高さを示しています。

 世界のメジャートーナメントを制した強豪プレーヤーでも、近時の日本ツアーの大トーナメントで勝つのが至難の業であることは、数々の大会で証明されています。
 こうした状況下、アメリカPGAツアーを主戦場としている石川遼選手が圧勝したのです。

 一方で、石川遼選手がPGAツアーで未勝利であり、シード権(ランキング125位以内)を確保することに苦労していることも、周知の事実でしょう。

 不思議な感じがします。この「違和感」の原因は、何なのでしょうか。

① PGAツアーのレベルが極めて高いこと
② 石川選手が本来の力をPGAツアーの場では発揮できていないこと

 この2つの要因が相まっていることは確かでしょう。

 項目①は間違いないことですが、たとえPGAツアーのレベルが世界最高であり、日本ツアーに比べればトーナメントで勝つことが格段に難しいとしても、石川選手が1勝も出来ないということでは無いでしょう。
 多種多様なコース、フィールドの強さ、自身の調子、等々のバランスの中から、出場する数十のトーナメントの中で1~2度は、優勝のチャンスが巡ってくる筈です。

 そのチャンスを物に出来るか否かに、②が係ってくるのでしょう。これまでの石川選手は、PGAツアーにおける「ここぞ」という場面で本来の力を発揮できなかったのかもしれません。

 今大会における圧勝劇は、全盛期のタイガー・ウッズ選手が日本ツアーの大会に参加した時の、圧倒的な優勝と遜色ないレベルに観えました。
 石川遼選手に、PGAツアーで勝つ力が十分に在ることを示したように感じます。石川選手は大きく成長しているのでしょう。

 24歳になった石川遼選手の今季PGAツアーにおける活躍が、大いに期待されます。
 2015年のアマチュア相撲日本一を決める、第64回全日本選手権大会が12月6日に両国国技館で開催され、日本大学のバーサンスレン・トゥルボルド選手が決勝戦で、アイシン軽金属の黒川宗一郎選手を小手投げで破り、優勝しました。

 トゥルボルド選手は、外国出身プレーヤーとして史上初めての優勝でした。

 トゥルボルド選手の快進撃が続きました。
 決勝トーナメントに入ってからの一戦一戦は、いずれも熱戦でしたが、勝負どころで「トゥルボルド選手の体幹の強さ」が感じられました。

 準々決勝の小柳亮太選手(東京農業大学)戦、準決勝の石橋広暉選手(近畿大学)戦と、優勝候補と言われていた選手達を次々と破りました。
 どちらも攻防の有る取組で、小柳選手・石橋選手にも勝機がありましたが、ここぞという局面でドゥルボルド選手の体は全く揺らぎませんでした。バランスの良さが際立っていたのです。

 そして、悲願の優勝を目指す実力者・黒川選手との決勝戦でも、投げの打ち合いとなりましたが、ドゥルボルド選手は全く動じませんでした。単なるパワーの差と言うよりは、「各所の関節の強さ・軟らかさ」「下半身の落ち着き」を感じさせる内容であったと思います。

 史上初の外国出身選手の優勝を遂げたドゥルボルト選手は。名門日本大学相撲チームのキャプテンです。
 そして、鳥取城北高校の出身でもあります。

 そうすると、高校時代には、大相撲の照ノ富士関や逸ノ城関と一緒に相撲を取っていた可能性があります。
 トゥルボルド選手が大相撲を目指しているのかどうかは分かりませんけれども、もし角界入りするとすれば、新たなモンゴル出身の力士が加わってくることとなります。

 身長187cm体重175㎏の堂々たる体躯を擁して、これまでのモンゴル出身力士とは異なる「体幹で取る」相撲を、大相撲の土俵でも観てみたいと感じます。
 関東大学ラグビー・対抗戦グループの2015年シーズン最終戦が、12月6日に行われました。
 伝統の一戦・早稲田大学対明治大学の試合も行われ、明治チームが32-24で勝利しました。
 一進一退のゲームでしたが、地力に勝る明治が早稲田を少しずつ引き離して、試合を支配したと感じます。

 個々のプレーヤーのパワーとスキル、特にランニングプレー時のパワーとスキルで、明治チームが勝りました。
 明治のプレーヤーは、早稲田のタックルを受けても容易には倒れず、体をスピンさせるなどの動きで前進を続けました。ひとつひとつのランプレーで、タックルを受けた地点から1~2mずつ「前に出る」ことで、続くプレーで優位に立ったのです。

 対する早稲田チームは、集団の力で対抗しました。明治ゴール前では徹底したドライビングモールを展開しました。そしてトライを重ねました。

 明治がラックサイド・モールサイドのランニングラグビーで得点し、早稲田がフォワードを中心としたドライビングモールで対抗するという、伝統的な両チームのプレーとは対照的な印象の展開でした。

 とはいえ、試合を通して明治大学チームがゲームを支配していたのは、「個の力」で優位に立っていたからだと思います。

 2015年の明大ラグビー部の監督・コーチは、「1対1での優位」を目指してチームを鍛え上げたと報じられています。それが見事に発揮されたゲームでした。
 「ゴールに向かって最短距離で突進する」という明治ラグビーを実現するには、個の力を高める以外には無い、との判断からの強化策では無かったかと推測しますが、それは正しい方向性であったのでしょう。
 ラグビー本来の強さを持つチームが、出来上がりつつあると感じます。

 一方の早稲田チームは、バックスの個の力で劣っている状況では、こうした戦術を取るしかなかったのであろうと思いますが、今年ブレイクした?と言われる五郎丸歩選手を始めとして、早稲田ラグビー出身者は、素晴らしい「個の力」を有しているプレーヤーが多いにもかかわらず、今年のチーム、特にバックス陣にはそうしたプレーヤーが少なかったことは残念なことです。

 さて、21世紀に入ってからの早明戦は早稲田大学チームが圧倒的優位にありました。

 2001年から14年までの14戦は、早稲田の12勝2敗と、伝統のカードとするにはあまりに一方的な戦いとなっていたのです。「どうした明治」という声も聞かれました。
 この一方的な戦績が、早明戦人気低迷の原因のひとつであったのかもしれません。

 しかし、2015年のゲームでは「新しい・21世紀の明治チーム」の戦い振りが観られたように感じます。

 「伝統の一戦の復活」に期待したいと思います。
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