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HOME   »  2016年01月30日
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 1月18日、今年の野球殿堂顕彰者5名が公表されました。

[プレーヤー部門]
・斎藤雅樹氏
・工藤公康氏

[エキスパート部門]
・榎本喜八氏

[特別表彰]
・松本瀧蔵氏
・山中正竹氏

 以上の5氏です。

 3度の沢村賞受賞に輝く斎藤雅樹氏や、通算224勝の現ソフトバンク監督の工藤公康氏、2度の首位打者に輝き「安打製造機」の異名を取った故・榎本喜八氏、東京六大学リーグ歴代最多の通算48勝の記録を持つ山中正竹氏、については野球ファンなら知っている方も多いでしょう。

 一方で、前述4人目の故・松本瀧蔵(まつもと たきぞう)氏となると、その活躍の時期が今から70年くらい前になります。
 太平洋戦争前後の日本スポーツ界に多大な貢献をされたのです。

 1901年広島生まれの松本瀧蔵氏は、幼年時にアメリカに渡りカリフォルニア州で育ちました。アメリカ在住時代には日系アメリカ人ベースボールチームを創設するなどしていました。
 そして1923年までアメリカに居ましたから、とても英語が堪能でした。

 日本に帰国してから旧制広陵中学(現、広陵高校)に入学しました。現在の甲子園大会の前身である全国中等学校野球大会出場を目指して、野球に取り組んだのです。
 広陵中学卒業後、松本氏は明治大学に進学、硬式野球部のマネージャーを務めると共に、明治・早稲田・立教・慶応・東京商科(現、一橋)の英語会(ECC)連盟共同代表に就きました。

 1929年に明治大学野球部は世界一周を敢行しましたが、この時にも松本氏の英語力が大いに役に立ったと伝えられています。この頃、アメリカの牧師であるポール・ラッシュ氏との知遇を得て、「スポーツを通じての国際交流」というテーマに邁進することとなりました。

 「日本のアメリカンフットボールの父」と呼ばれるポール・ラッシュ氏と共に、松本氏は我が国へのアメリカンフットボールの導入に尽力し、1934年に創設された東京学生アメリカンフットボール連盟の初代書記長にも就任しています。

 太平洋戦争後の1946年には戦後初の総選挙で衆議院議員に当選しました。
 その英語力が存分に、戦後の日本スポーツの復興と発展に発揮される時が来たのです。松本氏はGHQとの深いパイプを活かして戦後の野球復興に大貢献しました。その活動範囲は、プロ野球・社会人野球・中等野球(高校野球)全般に及ぶと共に、野球以外のスポーツ、陸上競技や水泳における日本人選手の国際大会出場にも尽力しています。

 「占領下の日本」のスポーツ界における松本氏の活躍は、広範囲に及んだのです。

 1958年に57歳で他界した松本瀧蔵氏は、50年以上の時を経て「野球殿堂入り」しました。これに先立ち、2004年には日本アメリカンフットボール殿堂入りの栄誉に輝いています。

 ふたつの競技における「殿堂入り」は、我が国スポーツ界初の快挙です。

 若き日にアメリカで触れたベースボールやアメリカンフットボールを始めとするスポーツの空気を忘れることなく、戦前戦後の日本スポーツ界の国際化に尽力した松本瀧蔵氏の活躍は、比類無きものなのでしょう。
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