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 世界歴代2位の記録保持者やロンドン・オリンピックの金・銀メダリストが出場してきた東京マラソン2016の男子の部には、日本のトップクラスのランナーも顔を揃えましたので、リオデジャネイロ・オリンピックのレースを占う格好の舞台となりました。

 そして、日本勢は惨敗し、世界との力の差をまざまざと見せつけられるレースとなりました。

 スタート直後から1km・2分50秒前後のハイペースとなったレースは、8km手前から海外招待選手が前に出て、あっという間に日本勢との差を広げました。

 「これで終わりか」と思いましたが、村山謙太選手が2番手グループから飛び出し、10km付近でトップグループに追い付きました。
 それ程無理をしているようには観えませんでしたし、追い付いた後の走りも軽快でしたので、村山選手の走りに期待がかかりました。

 日本勢の有力選手がまとまって走っていた第2グループはペースが上がらず、トップグループとの差は開く一方でしたから、日本勢への期待は村山選手ひとりに集中しました。
 テレビ解説の瀬古俊彦氏が「これだけのメンバーの中に日本人選手が居るというのはワクワクしますね」とコメントしました。

 常に「世界トップクラス」で走っていた瀬古氏にとっては、久し振りの光景に観えたのでしょう。

 ところが、その村山謙太選手が22kmを過ぎた所で遅れ始めてしまいました。表情は変わらない中での失速でしたから、「体が動かなくなった」ことは明らかで、この瞬間に、日本勢による海外トップランナー達への挑戦は終了しました。

 この後レースは、世界トップクラスの7名のランナーにより構成される第1グループの中での、壮絶な駆け引きの連続となりました。

 そして、エチオピアのフェイサ・リレサ選手が、ケニアのバーナード・キピエゴ選手との競り合いを制して優勝しました。タイムは2時間6分56秒でした。
 スタート後気温が上昇しましたので、2時間3分台・4分台のランナーが揃ったレースとしては記録は平凡なものとなりましたが、スタート直後からのハイペースの展開の中でキッチリと走り切ったところは、さすがに世界的ランナーというところでしょう。

 日本勢のトップは、この第1グループの7名のランナーの後、第8位でした。
 
 このレースが、リオデジャネイロ・オリンピックの日本男子代表選手選考会であったことを考え合わせても、とても残念な結果であったと感じます。

 全く勝負にならなかったという事実は、重く受け止めなければならないでしょう。

 少なくとも男子については、日本ランナーと海外勢との差は、広がるばかりという印象です。
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 S君との話は、ブラジル代表が次のワールドカップに出場できるかどうか、という点に移りました。

 「ブラジルは、世界で唯一、これまで20回のワールドカップ全大会に出場しているチームだよね。これは凄い記録なんだけれど、次の2018年ロシア大会への出場が心配だ」

S君「本当に心配だね。今のままなら、次の本大会には出場できない可能性が高いと思うよ」

 「南米予選を考えてみると、このところの国際試合の成績から、アルゼンチン、ウルグアイ、チリの3か国は強そうだ。」

S君「そして、ペルーやパラグアイ、ベネズエラやコロンビアの力が上がっているから、ブラジルとしてもうかうかできない、というか、このところこれらの国にブラジル代表は勝てていないんだ」

 「確かに、コパアメリカ(サッカー南米選手権)でも、ブラジルは2011年大会、2015年大会とベスト8止まりで、準決勝にも進出できていない」

S君「冷静に観れば、今のブラジルの実力は、南米の5番目から8番目なのだと思う」

 「そうすると、ワールドカップの南米枠が従来の4.5だと見れば、当落線上のチームということになるね」

S君「当落線上というのは楽観的に過ぎるんじゃないかな。今は、出場には届かない位置にいると見た方が良いと思う」

 「過去のブラジル代表チームというのは、世界的な「ビックネーム」が集うことで、圧倒的な力を示してきた。ペレ、ガリンシャ、ジジ、ババ、トスタン、ジェルソン、カルロス・アルベルト、リベリーノ、ジャイルジーニョ、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレゾ、ロマーリオ、ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ、ロベルト・カルロス、ドゥンガ、ルシオ、カフー・・・挙げて行くとキリが無い」

S君「そうした選手達と比べて、今のセレソンに、それらの選手に匹敵するプレーヤーは居るかい」

 「ネイマール位かな」

S君「ネイマールでも、さっき君が挙げた選手達の中に入れれば先発では無いよ。このメンバーに入れば脇役だと思う。つまり、今ブラジル代表には「ビッグネーム」が居ないんだ」

 「今、アルゼンチンにはメッシ、ディマリア、イグアイン、アグエロが居るし、ウルグアイにはスアレス、カバーニが居るのと比較しても、寂しい感じだね」

S君「加えて、「ビッグネーム」が並んだチームを応援することに慣れたファンの存在がある。「我らがセレソンは世界的プレーヤーの集まり」だと信じてきたブラジルのサッカーファンが、現在のメンバーを観て応援するんだろうか」

 「確かに、2014年ブラジル大会の前に、日本のテレビ取材に応えて、ブラジルのタクシー運転手が「今回のチームには期待していない。勝てるわけがない。これまでブラジルは世界的に有名な選手達でチームを造ってきた。今回は、有名選手といえばネイマールひとり。これで勝てるわけがない」とコメントしていたのを思い出す。ブラジルのサッカーファンは、素晴らしい選手達に恵まれて育っているからね」

S君「厄介なのは、「ビッグネーム」は一朝一夕には生まれないこと。実力ある若手でも、「ビッグネーム」になるには数年かかる。とてもロシア大会には間に合わないし、2022年のカタール大会も難しいかもしれない」

 「僕たちは、史上初めて「ブラジルの居ないワールドカップ」を観ることになるかもしれないね」

 もちろん、ブラジルは現在も世界屈指のサッカー大国であることは間違いありませんが、現在の戦力を観ると、こうした心配も生まれてくるのです。
 1月31日の大阪国際女子マラソンを好タイムで優勝した福士加代子選手が、3月13日の名古屋ウィメンズマラソンにも「一般参加選手」の資格でエントリーしたというニュースが、話題になっています。

 何故、こんなことになっているのか、とても不思議です。

① 短期間にマラソンを2度も走ることの影響

 僅か1か月半の間に、「オリンピック選考会」を兼ねた「極めて厳しい」マラソンを2度も走るというのは、ランナーにとって良くないことは間違いないでしょう。

 マラソンは、全身の筋肉とともに「心肺や肝臓・腎臓」といった内臓機能が重要な役割を果たす競技ですから、負荷の掛け過ぎによって、万一内臓機能に故障が発症すれば、「休息によって回復できない障害」となってしまい、マラソンランナーとしての寿命が終わってしまう可能性もあります。
 過去にも、そうした形で、マラソン競技から去っていったランナーが数多く居ました。

 今夏のリオデジャネイロ・オリンピックのレースに向けて、コンディションを整えるという面からは、最悪の選択だと思います。

② 何故こんな選択をすることとなったのか。

 大阪国際における福士選手の優勝には、2つの大きな価値があります。

 「国際レースでの優勝」
 「好タイムでの優勝」の2つです。

 マラソンのタイムというのは、レースのコンディションに影響を受けます。好天・微風、高くもなく低くもない気温と湿度、といった要素が揃えば、好タイムが期待されるのです。

 一方で、「国際大会での優勝」というのは、実力がなければ達成できないものです。海外のランナーとの相対的な力関係が客観的に証明されるものですから、この「優勝」という結果は、とても価値が高いものなのです。

 例えば、「2時間20分00秒のタイムでのレース4位」の成績と、「2時間22分00秒でのレース1位」を比較するとすれば、もちろん相手ランナーの力量比較が必要なこととはいえ、選考レースは同程度のレベルのレースだから選考レースに設定されているのだという(当たり前の)前提を考慮すれば、「後者の方」の価値が大きいと考えられるでしょう。

 何しろ、求められているのは「オリンピックでのメダル」であって、好タイムでの4位ではないのですから。

 男女を問わず、近時の日本マラソン界は、国際大会で中々優勝できなくなっています。オリンピックの選考基準自体が「日本人トップ」で「設定されたタイムより速いこと」といった形になっています。
 「優勝」ではなく、「日本人トップ」としなければならないことが、日本マラソンの地盤沈下を如実に示しているのです。

 こうした時代に、「優勝」を成し遂げた福士選手の走りは、見事の一語でしょう。

 大阪国際レース後の「代表決まりだべ」というご本人のコメントを待つまでもなく、「内定」を打つべきだったのです。
 たとえ名古屋のレースで、「複数の日本人ランナー」が2時間20分を切るような好タイムを出したとしても、「優勝できるのは1人だけ」なのですから。

 それを、どこの誰かは知りませんが、選考委員と呼ばれる人達の中から、「まだ決まっていない」などという発言が出るにいたっては、選手の側が不信感を持つのはやむを得ないところです。

 いったい、選考の権利を持っている人達は、選手有っての人達であり、少なくとも選考委員であるという理由で「偉い人達」では無いことは、自明の理です。(「偉い」の意味が不明ですが)
 我が国でプレーする数多くの選手と、数多くのファンのために、日本代表ランナーを選出する「縁の下の力持ち」でしょう。それ以上でも、それ以下でもない存在です。

 オリンピックで、期待を背負って、海外の強豪と戦うのは「選手」です。主役は、選手なのです。その選手に、可能な限り気持ち良く、溌剌と戦っていただく環境を整備するのが、「縁の下の力持ち」の仕事であり「義務」でしょう。

 よもや「選手はただ走っていればよい、代表を決めるのは俺たちだ」などという傲慢・不遜な気持ち・態度で、選考作業に臨んでいるわけでは無いのでしょうが、不自然な発言が有ることも否定できません。

 福士選手が名古屋に出る出ないといった「ドタバタ劇」が生じている段階で、既に「オリンピックに向けての順調な調整」を行うことが出来なくなっている、せっかく好成績が期待できる選手が、思うような調整をすることが出来なくなっていることは、明らかです。
 バカバカしい話です。

③ ひとつのレースで決めればよい。

 マラソンのオリンピック代表選考においては、過去にもこうした事象が起きています。

 このような「国民的関心事」は、可能な限り「恣意性」が入り込まない形を取るべきなのでしょう。

 それは「選考レースをひとつに絞る」ことしかないのではないでしょうか。

 「本当は高い実力を有しているのだが、たまたまこのレースでは調子が悪かった選手」が代表から漏れてしまうこと、を恐れて、「ひとつのレースによる選考」を回避しているのかもしれませんが、そもそも「オリンピックのレース」という「一発勝負」のレースにおける好成績を期待するのですから、「勝負強さ」や決まったレースに照準を合わせる「コンディショニングの巧拙」は重要な要素でしょう。

 「選考会をひとつのレースに限定し、そのレースにおける成績上位3名を代表とする」といった、明快な基準が求められていると思います。

 また、冬から初春の走り易い時期に選考レースを開催する必要もないかもしれません。本番で「暑いマラソン」が予想されるのであれば、オリンピック1年前の暑い時期に、選考レースを行えば良いのではないでしょうか。
[2月23日・決勝トーナメント1回戦]
FCバルセロナ2-0アーセナル

 アーセナルの地元で行われたゲームは、攻め合いの様相を呈しましたが、両チームとも中々得点を挙げることが出来ませんでした。

 バルセロナは、メッシ・スアレス・ネイマールのMSNがアーセナルゴールに襲い掛かりましたが、スアレス選手のシュートが珍しく「枠」を外れるなど逸機が続きました。
 一方のアーセナルは、必勝を期してホームゲームに臨み、何度かバルセロナゴールに迫りましたが、ゴールキーパーGKのシュテーデン選手の好守に阻まれました。

 後半半ばを過ぎても0-0の緊迫したゲームが展開されていましたが、ここでMSNがその威力を発揮したのです。

 自陣左サイドでネイマール選手がドリブルを開始、センターライン周辺でスアレス選手にパス、ドリブルで前進したスアレス選手から相手ディフェンダーの股を抜くパスがネイマール選手に返されて、ネイマール選手がドリブルで突進、アーセナルのペナルティエリア左サイドに迫ると、3人のアーセナルディフェンダーが囲みます。
 その時、右サイドを走ってきたメッシ選手にパス。

 メッシ選手がトラップしてシュート。アーセナルゴールに突き刺しました。後半26分の得点でした。

 この後、アーセナルのペナルティエリア内で倒されたメッシ選手が、PKをキッチリと決めて、バルセロナが2-0で勝利しました。
 アウェイでの2-0の勝利は、とても大きなものですから、第2戦を前にFCバルセロナが圧倒的に優位に立った形です。

 このゲームの1点目、N→S→N→Mと繋いでの得点は、見事でした。
 自陣から70~80mのドライブであったと思いますが、そのスピード、パス技術ともに、世界最高峰のカウンターでした。

① 骨身を惜しまぬ全力疾走

 MSNの3人は、本当に良く走りました。
 ネイマール選手がドリブルを始めた瞬間、スアレス選手が並走し、反対サイドをメッシ選手が駆け上がりました。

 「世界最高峰のゴールゲッター」と称される3プレーヤーですが、決して「余裕のプレー」など行わないのです。ほとんど全てのサッカーファン・プレーヤーから尊敬されている3人が、いつも必死のプレーで応えているのです。

 「ちょっと褒められると逆上せ上がる」という概念からは、最も遠いところに位置する3人なのでしょう。

 MSNが世界最高レベルの才能に恵まれていることは間違いないことなのでしょうが、この3人の天才が、他のプレーヤーに最も差を付けているのは、この心持ち、決して余裕満点のプレー、「俺に良いパスを出せよ」といった態度、を示すことが無いところなのかもしれません。

 どんなに実績を積もうと、どんなに数々の賞を受けようと、決して慢心することなく、常に全力のプレーを展開する、その選手が「世界最高のテクニックとフィジカルを具備している」のですから、活躍しない筈がありません。

② パスの精度とパワー

 ネイマール選手とスアレス選手の「大きな三角パス」、ネイマール選手からメッシ選手へのゴール前のパス、どのパスもそのコントロール・強さ共に素晴らしいものでした。

 全力疾走しながら、正確無比で「太い軌道」のパスを通すところは、さすがにMSNというところでしょう。

 ポイントは、そのパスの強さとスピードでしょう。

 世界の一流プレーヤーとなれば、少し緩いパスなら、コントロール良く蹴ることが出来るのは当然のことでしょう。
 大切なのは、相手プレーヤーに奪われることが無いスピード・威力を具備したパスであることです。当たり前のことを書き恐縮ですが、相当のスピードとパワーのパスを正確に蹴ることは、容易なことではありません。

 ましてや、世界最高レベルのゲームで実行するのは、大変なことでしょう。

 MSNは、これをキッチリと実行しました。

 加えて、「仕上げ」となるメッシ選手のシュートも見事。まさに「ゴールに突き刺すシュート」でした。
 「MSNの創り上げたファインドライブ」を締めくくるに相応しいシュートでした。

③ 美しさ

 このカウンタープレーは、何度観ても溜息が出ます。
 本当に「美しい」のです。

 サッカーという競技における最も美しいシーンのひとつでしょう。

 こうしたシーンをファンに提供できるのが、「超一流」プレーヤーであり、まさにプロなのです。

 「お金を払っても眼前で観たいプレー」ですし、「大金を払ったからと言って必ず観られる」レベルのプレーでも無いでしょう。

 こうしたシーンを、相当の頻度でファンに提供できる選手のことを「超一流プレーヤー」と呼ぶのです。

 UEFA-CLの戦いにおいては毎シーズン、こうした「美しいプレー」を観ることが出来ます。

 毎週のように「お互いを知り尽くした同じメンバー」で戦い続けているチームからしか生まれない、「世界最高水準の同じメンバー」からしか生まれないプレーなのでしょう。

 「世界で最も力強いプレー」を観ることが出来るのはワールドカップ、「世界で最も美しいプレー」を観ることが出来るのはUEFAチャンピオンズリーグ、なのであろうと思います。
 例年のことながら、スーパーボウルのLIVE中継を日本のNHK放送で観ていると、現地アメリカでは「CMタイム」であろうと思われる「間」が存在します。

 得点シーンの後や、オフェンスとディフェンスの交替時などに、1分間、あるいは2~3分の間が空くのです。

 アメリカの友人宅で、テレビでスーパーボウルを観戦した時には、そのCMを全て観ることになりました。その多さに驚きました。
 そして、コマーシャルが終った瞬間に、クオーターバックがコールしている姿が画面に映し出されたりするのです。コマーシャルが続いているからといって「油断?」はできません。

 視聴率が40%を優に超え、世界中で1億6千万人以上の人々がLIVEで観戦すると言われるスーパーボウルが、商品などの宣伝に極めて有効であることは間違いありませんし、そのCMからの巨額の収入がNFLにとっても重要なのですから、こうした運用も止むを得ないのでしょう。

 とはいえ、スーパーボウル2016における「CMの間」は、従前以上に長かった様にも感じました。

 例えば、キックオフリターンプレー後にも1分位の間が有りました。
 確かに、キックオフ用の攻守のスペシャルチームから、通常のオフェンス・ディフェンスのチームに交替が行われるのですから、多少の時間はかかりますが、普段のゲームであれば10秒もかかりませんので、プレーヤーにとってはリズムが狂いそうです。

 アメリカの放送でCMが流れている時間帯のフィールド上のシーン、つまりアメリカのテレビでは観ることが出来ないシーンが、日本のNHK・BS-1の中継では映し出されます。
 このゲームで印象的だったのは、パンサーズのクオーターバックQBキャム・ニュートン選手のハドルシーンでした。ニュートン選手が地面近くにしゃがみ込み、チームメイトに次の攻撃内容を説明・指示しているのでしょうが、そのシーンが延々と続きます。

 普段のハドルなら数秒で終わる所を、1分近くかけて行っているのです。

 ゲーム前の打合せにより、十分に記憶・認識しているプレー内容ですから、プレーヤー達は瞬時に理解できる筈ですから、この長い間は、結構堪えるのではないでしょうか。

 スーパーボウル2016は、24-10というロースコアゲームでした。得点シーンが少なかったのです。
 「流さなければならないCM本数」は決まっているのでしょうから、得点シーンが少ないゲームでは「あらゆる機会を捕えてCMを挿入」しなければならなくなります。

 このために、スーパーボウル2016は「一層、CMによる間」が長く感じられたのかもしれません。

 メディア大国アメリカにおいては、試合前、ハーフタイム、試合後といった、広告効果が減るであろう時間帯にCMを集中するといった運用は難しいというか、広告主側からすれば「許されない」ことなのかもしれません。
 今後も、「アメリカ合衆国最大の広告媒体であるスーパーボウル」における「CM挿入技術」は、益々向上?していくのでしょう。

 逆に、この「間」に慣れて、本来のプレーを展開して行く能力・ノウハウを身に付けることが、スーパーボウルを制覇するための条件のひとつなのかもしれません。
 1982年と1983年の中山記念を連覇し、1984年には惜しくも2着に敗れたのが、エイティトウショウでした。

 1936年・昭和11年創設という、我が国の重賞レースの中でも屈指の歴史と伝統を誇り、「1800m・中距離の大レース」として幾多の名馬が覇を競ってきた重賞において、牡馬を相手に互角以上の戦いを演じたのです。
 この時代の牝馬としては、出色の成績でしょう。

 エイティトウショウのデビューは1981年、3歳の2月と遅いものでしたが、3戦目にはフラワーカップを勝ちクラシック路線に名乗りを上げました。そしてオークスに挑み、テンモンの4着と健闘しました。

 そして、「残念ダービー」と呼ばれたラジオ短波賞(現在のラジオNIKKEI賞)に優勝しました。このレースの2着は秋の菊花賞を制したミナガワマンナですから、強豪3歳牡馬を相手にしての勝利であり、エイティトウショウの「牡馬との戦い」の始まりでもありました。

 4歳となった1982年、エイティトウショウは金杯(現在の中山金杯)を3馬身差で圧勝し、中山記念に臨んだのです。モンテプリンスやハワイアンイメージ、リンドブルバンといった強豪牡馬を相手に一番人気となり、レースでもモンテプリンスをハナ差押さえて勝ち切りました。
 大変強い走りであったと思います。

 5歳の1983年、「不良馬場」の中山記念も4馬身差で圧勝し、6歳の1984年3月、エイティトウショウは3連覇に挑みました。
 とても良いレースを魅せましたが、テュディナムキング(4歳牡馬)に1/2馬身及ばす2着に敗れたのです。3着のビンゴカンタを始めとする牡馬一線級との熾烈なレースでした。

 このレースを最後にエイティトウショウは競走馬を引退しました。

 繁殖牝馬となったエイティトウショウの活躍も、見事なものです。
 8頭の産駒の内4頭がオープン馬となりました。特に第5子マザートウショウは重賞3勝を挙げたのです。

 エイティトウショウ号、父ダンディルート、母ソシアルトウショウ、通算成績21戦9勝。480kg前後の牝馬としては雄大で、とても伸びやかな馬体を駆使し、牡馬と互角以上の戦いを演じてくれました。

 それにしても、エイティトウショウを始めとして、天馬トウショウボーイ、桜花賞馬シスタートウショウ、秋華賞・エリザベス女王杯・宝塚記念馬スイープトウショウ、トウショウピット、ラブリートウショウ、トウショウサミット、トウショウファルコ等々、数々の名馬を世に送り続けた名門「トウショウ牧場」(北海道日高)が、昨2015年秋に閉鎖されたのは、とても残念なことでした。

 海老茶と黄色のダイヤモンド模様に紫色の袖、「トウショウの勝負服」は中央競馬を彩る名物のひとつだったのです。
 S君という友人がいます。

 40年来の友人です。時々会って、お酒を飲みながら四方山話をします。

 S君は、政治・経済・文化そしてスポーツと広範囲にわたって識見豊かな人物ですので、会話は多岐に渡りますが、中でもスポーツ、特にサッカーに付いては、その豊富な知識・見識の高さは素晴らしい。

 元サッカープレーヤーとしての経験も踏まえた見解には、私も一目も二目も置いていますし、私とは切り口も違いますから、いつもとても楽しく有意義な会合になるのです。

 今回は、そんなS君との会話からひとつ採り上げましょう。

私「今年はEURO(サッカー欧州選手権)が有るね。やはり、今はドイツチームが強いんだろうか」

S君「本命はドイツだろうね」

 「そういえば、EURO2008とEURO2012を連覇しているスペインチームの3連覇はあるんだろうか。このところ国際試合でスペインはパッとしないね」

S君「チーム力が落ちているから。スペインの優勝は難しいと思うよ。決勝トーナメントに残るのも難しいんじゃないかな」

 「2008年から2012年までのスペインはとても強かったよね。パスサッカーが世界のサッカーをリードした。たまたま、あの時期に良い選手が揃って、全盛期を迎えたということなのかな」

S君「うーん。スペインサッカーを強くしたのは、メッシの存在だと思う」

 「メッシは、アルゼンチンの代表プレーヤーだけど、FCバルセロナの中心選手でもあるが・・・」

S君「そう。そのメッシの高度なプレーを活かしていく為に、バルセロナのスペイン人プレーヤー、シャビやイニエスタは自らをレベルアップし、リーガエスバニョーラの他のチームのプレーヤーは、メッシのスーパープレーに対抗するために自らを磨いたんじゃないかな。結果として、スペインサッカー全体のレベルがアップしたんだと思う」

S君「最強スペインチームは、シャビとイニエスタのチームだと思う」

 「僕もそう思う」

S君「シャビとイニエスタは、メッシと共に最強のFCバルセロナを創っていく過程で、世界最高のサッカーを身に付けていったのだと思う。そして、そのサッカーを代表チームにおいても展開したんだ」

 「メッシは今でもFCバルセロナに居て、バルセロナは今でも世界最強のクラブチームのひとつだけど、一方でスペイン代表チームが弱くなったのは何故なのかな」

S君「バルセロナのメンバー、特に攻撃面のメンバーからスペイン人選手が減ったからではないかな」

 「なるほど、自国リーグのクラブチームがいくら強くなっても、自国出身選手がプレーしていなければ、代表チームの強化には結び付かないという例のひとつになるわけか。丁度、プレミアリーグとイングランド代表の関係に似ているね」

S君「リーガ・エスパニョーラは、何時の時代もレアル・マドリードとFCバルセロナがリードしているリーグ。そのどちらのチームにおいても、スペイン人プレーヤーの比重は下がっていると思う」

 「スペイン代表チーム復活への道は険しいね」

S君「全くだ」

 リオネル・メッシ選手は、アルゼンチン代表としてもワールドカップ2014・ブラジル大会でチームを準優勝に導くなど、それなりの活躍は見せていますが、バロンドール4回受賞といった「世界サッカー史上空前の記録」を保持するプレーヤーとしては、代表プレーヤーとしての成績は物足りない、という見方もあります。

 しかし、もし「最強スペインサッカーを生み出す原動力」であったとすれば、そのバランスも取れるということなのかもしれません。
 久し振りの日本開催となったアルペンスキー・ワールドカップでしたが、NHKテレビ放送の皆川賢太郎氏の解説は、とても解り易いものだったと感じます。

 どんな競技でも、そのプレーを観ながら解説するというのは容易なことではありませんが、アルペンスキーも同様です。

 プレーヤーの体格や筋力の状況、精神的な特徴といったプレーヤーそのものの特性に、雪面の状況や旗門の配置、気象状況といった要因を加味しながらの解説は、極めて難しいものでしょう。

 結果として、ライン取りが膨らんだり、スキーヤーがバランスを崩したりすると、直ぐに「失敗しました」といった解説をしがちです。
 その直後に、良い通過タイムが計時されたりすることが多いのです。

 本ブログではいつも書いていますが、アルペンスキーは走破タイムを競うスポーツですから、全てのプレーが滑るスピードとのバランスの上に検討されるべきものなのです。

 世界トップクラスのスキーヤーが登場する大会なのですから、「(勝敗に関与できるレベルの)望ましいスピードより少し遅い速度で滑っていれば、いつも「綺麗なスラローム」が実現できるのは、当然のことです。
 従って、滑っている姿が綺麗、バランスが良くバタバタした様子が無い、といった滑りでは、勝ち負けを争うタイムを叩き出すことが困難ということなりそうです。

 滑りの過程で、何回か危ないシーンが観られる位のトライでなければ、到底優勝は望めないのでしょう。世界トップクラスのスキーヤーがタイムを縮める為にギリギリの滑りを展開するのが、ワールドカップであると思います。

 例えば、スラロームを観ていて、今時速50kmで滑っているのか、時速51kmで滑っているのかを見極めることは、とても難しいことだと思いますが、時速51kmならメダルを取れるが、時速50kmでは入賞も出来ない、というのがこうした大会でしょうから、大事なのは「速度」であって、フォームやラインでは無いということになります。

 こうした難しい競技の解説では、ピントの外れたコメントも多いのですが、今回の皆川氏の解説は、解り易いものでした。
 いかにも、「世界のトップクラスで戦ってきた」本物のアスリートならではの視点であったと感じます。

① 滑りの「リズム」

 皆川氏は、各選手がスタートした直後の数秒の滑りを観て「良いリズムで滑っています」とか「少し遅れ気味です」といったコメントを披露しました。皆川氏の感性と経験から発せられているコメントなのでしょう。

 この「滑りのリズム」というのが、とても大切であることを示したのです。

 滑り終えての各選手のタイムは、皆川氏の指摘通りになっていることが多かったと感じます。

 個々のスキーヤーにとって、良いリズムなのか悪いリズムなのかが、優勝を争う上でとても重要であるとの解説でした。

② 「スピードを繋げる」こと

 前述のように、ギリギリの滑りを展開している各選手が、ポイントとなる旗門でバランスを崩すことは間々あることなのですが、皆川氏は「スピードを繋げることが出来ているか否か」に注目していました。

 バランスを崩そうが崩すまいが、「スピードを維持できているかどうか」がポイントであると指摘したのです。
 的を得た指摘だと思います。

 スピードを上げる為に、ギリギリの状態で旗門に飛び込んで行くプレーヤーが、そのスピードを継続して行けるかどうかがポイントなのです。

 途中計時のタイムが良いか悪いか、よりも、スピードが維持されているかどうかに注目することは、とても大切な視点だと思います。
 例えば、途中計時が3か所あるとして、その2か所目のタイムが良いとしても、その場所でスピードを失っていれば、3か所目の計時タイムは「一気に悪化する」ことになります。当たり前のことを書き恐縮ですが、肝心なのは2か所目のタイムでは無く、2か所目を滑っている時のスピードなのです。

③ 体の大きさと「溝」

 ワールドカップでは、その時点のシーズン通算成績上位7名が「神セブン」と称され、上位15名が第一シードとなります。
 回転・大回転種目では、1本目でまず「第一シード」の選手達が滑るのです。

 コースというか雪面の状態がとても良い時に、シード選手達はトライすることが出来ることになります。第二シード以下の選手達は16番目以降のトライになるのです。雪面に相当の「溝」が出来た状態での滑りになるわけです。

 そして2本目は、1本目の成績上位30名のスキーヤー達が、30番目の選手から1番目の選手の順に滑ります。
 つまり、優勝を争う選手達は「後から」滑るのです。結果として、1本目トップ10の選手が滑る頃には、コースには前の選手達が残した「溝」が深く・多く残っていることになります。

 皆川氏は「大きな選手の方が溝に合わせて滑ることについては有利」であるとコメントしました。今大会には身長2mを超える選手も出場していましたが、身長の高い選手の方が、一般的には脚が長く、下半身の可動域が大きいので、溝に脚を合わせ易いということなのでしょう。
 だから有利なのかどうかはともかくとして、「溝」への対応については、体格差が影響することを示したのです。

 こうした解説も、とても大切だと感じました。

 アルペンスキーの魅力をテレビの視聴者に伝えていくために、解説はとても大切な仕事になります。
 私の様な素人には分からない視点からの解説が、より深く楽しむために必要なものなのだと改めて感じさせる、皆川氏の素晴らしい解説でした。
 
 スーパーボウル2015はクオーターバックQBトム・ブレイディ選手が率いるニューイングランド・ペイトリオッツが制しました。
 スーパーボウル2016はQBペイトン・マニング選手のデンバー・ブロンコスが優勝しました。

 2015年のペイトリオッツの対戦相手はシアトル・シーホークス、QBラッセル・ウィルソン選手が攻撃陣の中心でした。
 2016年のブロンコスの相手はカロライナ・パンサーズ、QBはキャム・ニュートン選手でした。

 この第49回と50回のスーパーボウルは、新旧のNFLを代表するQBが激突したゲームであり、共に「ベテランQB」が勝利したのです。

 ラッセル・ウィルソン選手とキャム・ニュートン選手は、2人共「モバイルQB」として知られる「走れるQB」なのです。ランニングバックRB顔負けの走力を誇り、NFLの守備ラインプレーヤーやラインバッカーLBでもなかなか捕まえることが出来ません。
 シーホークスやパンサーズの攻撃プレーの強力な切り札となっているのです。

 一方、トム・ブレイディ選手やペイトン・マニング選手は、伝統的なQBタイプです。
 ブレイディ選手は時折自らのランや突進を展開することがありますが、これとて「ここぞ」という局面に限定されていますし、「デザイン」されたプレーとしては、ゴール前インチズのプレー位でしょう。その多くは「緊急発進」であろうと思います。

 ペイトン・マニング選手に至っては、ランプレーは滅多に観られません。
 抜群のパス能力を前提として、ゲームの流れを読みながら、攻撃陣全体をコントロールし、ランニングバックRBやワイドレシーバーWR、タイトエンドTEを自在に使い分け、その能力を最大限引き出すプレーを得意としているのです。

 そして、ペイトン・マニングとトム・ブレイディは、2度のスーパーボウルで、次代のNFLを支えて行くであろうキャム・ニュートンとラッセル・ウィルソンの「前に立ちはだかり」ました。
 「壁」となったのです。

 世代交代に抗ったというよりも、若手トッププレーヤーに「お手本を示した」ゲームであったと感じます。

 ラッセル・ウィルソン選手とキャム・ニュートン選手は、「2人の偉大なQB」を乗り越えて行かなくてはならないのです。
 2月21日、東京競馬場ダートコース1600mで開催される、フェブラリーステークスG1の注目馬検討です。

 2016年最初のG1競走です。

 軸となる強豪馬が何頭か存在していることが多いダート界ですが、現在は世代交代の最中という感じでしょうか。

 また、ダート馬場は開催競馬場によって微妙に固さや足抜けの良し悪しが異なるようですので、東京競馬場コースへの適性も重要な要素となります。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、4枠7番のノンコノユメ。
 トワイニング産駒の4歳牡馬。前走中京のチャンピオンズカップG1はサンビスタの2着でしたが、近時は5戦して4勝と本格化、東京コースでも3勝していますので、実績十分です。
 また、1か月半という十分な間隔を空けてのローテーションと、重馬場への適性を考え合わせても、軸はこの馬だと思います。

 第二の注目馬は、7枠14番のモーニン。
 ここまで6戦5勝・3着1回という好成績を誇ります。前走の根岸ステークスG3も一番人気で勝ち切りました。
 中3週という、やや厳しいローテーションが気になりますが、なんとか凌いでくれるでしょう。

 第三の注目馬は、3枠5番のベストウォーリア。
 3番手を選ぶのが非常に難しいレースですが、距離適性と東京競馬場コースへの適性からこの馬にします。このところの安定した走りを、ここでも見せて欲しいものです。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 ノンコノユメの鞍上はC.ルメール騎手、モーニンはM.デムーロ、昨シーズンから日本競馬を席巻する2人の外国人騎手の手綱捌きにも注目したいと思います。
 2月10日、ノルウェーのトロンハイムで行われた、2015~16年シーズンのスキージャンプ・ワールドカップ・男子個人第16戦で葛西紀明選手が3位に入り、自身の持つ「最年長表彰台記録」を再び更新し、43歳8か月としました。

 1回目127mで10位と出遅れた葛西選手でしたが、2回目に143mの大ジャンプを披露して順位を上げたのです。
 飛距離143mは、この大会のみならず「ワールドカップ大会史上の最長飛距離記録」ですし、ヒルサイズHS140mのジャンプ台で143mを飛んだのですから、さすがに綺麗なテレマーク姿勢は取れませんでしたが、葛西選手らしい豪快な飛行でした。

 1月31日の第15戦、日本の大倉山シャンツェでの大会でも3位入賞を果たしていますから、このところ好調を維持しているということでしょう。

 そして2月12日の第17戦フライングヒルの大会でも3位に入賞しました。

 ところで、第16戦で優勝したのは、スロベニアのぺテル・プレブツ選手(23歳)でした。
 今季のプレブツ選手は「圧倒的な力」を魅せていて、これで9勝目。女子の高梨沙羅選手と共に、シーズン総合優勝は間違いないと見られています。

 それにしても、43歳の葛西選手と23歳のプレブツ選手、年齢差20歳のジャンパー同士が世界一を競っているというのですから、凄いことです。

 「レジェンドはどんどん厚みを増している」のです。
 2016年のクラシックレースを目指す3歳馬による重賞レースが続いています。
 そして、2月に入ってからの重賞で、2頭の若駒がとても強い競馬を魅せました。

 まずは2月7日に行われたきさらぎ賞2016。
 3歳牡馬の争いとなったレースで、サトノダイヤモンドが圧勝しました。
 4番手で4角を回り、残り200m辺りからルメール騎手が追い始めると、あっという間に先行馬を交わし、差を広げました。3と1/2馬身差の勝利でしたが、余力さえ感じさせる圧勝でした。
 これで3戦3勝。ディープインパクト産駒ですが、何か「代表産駒」となる予感さえします。

 今年の3歳牡馬が充実していることは、前にも書きました。朝日杯FS2015の1・2着馬、リオンディーズとエアスピネル(共にキングカメハメハ産駒)も相当強いと思いますが、さらにサトノダイヤモンドが加わりました。「とても強い馬が同世代に揃った」という印象です。

 2016年の皐月賞・日本ダービー・菊花賞は、激しい戦いになることでしょう。

 続いては、2月13日のデイリー杯クイーンカップ2016。
 3歳牝馬メジャーエンブレムが圧勝しました。
 こちらは好スタートから先頭に立ち、そのまま直線に入って、もったままで差を広げ、残り200mからルメール騎手が追い出すと、どんどん差を広げて5馬身差で勝ちました。まさに、圧倒的な強さでした。
 これで5戦4勝・2着1回、阪神JF2015の勝ち馬でもあります。ダイワメジャー産駒ですが、「桜花賞まではこの馬で仕方が無い」という内容のレースでした。
 もっと言えば、落ち着いたレース振りを観ると、オークスでも十分に戦えそうです。

 サトノダイヤモンドとメジャーエンブレムの鞍上は、共にクリストフ・ルメール騎手です。きさらぎ賞とクイーンカップの両レースとも、馬に全く無理をさせていない、理想的な乗り方に観えました。

 2016年のクラシックレースでは「ルメール旋風」が巻き起こるかもしれません。
 ACミランの本田圭佑選手の活躍が続いています。

 今季当初は、先発出場もままならない状況で、移籍さえ囁かれていましたが、2015年12月20日の対フロジノーネ戦で今季初の「先発フル出場」を果たし、そのゲームで同点ゴールをアシストしてから、本田選手の評価はどんどん上がりました。

 その後は先発出場を続け、どのゲームでも「ゲームメイク」という視点から、高い評価を受け続けています。イタリアのサッカー関係者やマスコミの評価は、シーズン当初とは正反対なのです。

 プレー内容から見ると、自身でゴールを狙うことが少なくなり、味方プレーヤーを活かすプレーが増えました。これは、大きな変化です。
 そして、本田選手のアシストプレーやアシストの一歩前のプレーが、ACミランの活性化に大いに役立っています。

 また、守備面でのプレーでも高評価を受けています。相手の攻撃の芽を摘む、効果的なプレーが目立っているのです。

 本田選手が本来身に付けている「ゲームメイク力」が、現在のACミランのプレーヤー構成やプレースタイルの中で発揮されているということなのでしょうが、12月19日以前と20日以降の違いがあまりにも大きいので、不思議な感じがします。
 サッカーという競技の難しさを感じさせる事象なのでしょう。

 様々なインタビューに応じる本田選手の表情にも、明るさが戻ってきました。

 「ビッグマウス」が聞けるのも、時間の問題と言うことなのでしょうか。
 スーパーボウル2016で優勝したデンバー・ブロンコスのクオーターバックQBペイトン・マニング選手は、インディアナポリス・コルツ時代の優勝と合わせて、2度目のスーパーボウル制覇となりました。

 その圧倒的なパフォーマンスから、NFL史上最高のQBのひとりと呼ばれているペイトン・マニング選手ですが、今回の優勝はマニング選手の力より、チームの守備力によるものという評価が多いようです。

 確かに、このゲームの数字、23回パスを投げて14回成功し141ヤードゲイン、タッチダウンTDパスは無く、被インターセプト1回という成績は、決して良いとは言えないものでしょう。パスゲイン141ヤードは、勝ったチームの数字では無いという見方もあります。

 そして、プレーの様子も全盛時とはかけ離れたもの、という評も眼にします。パスのスピード・勢いは、相手チームのQBキャム・ニュートン選手と比較すると、明らかに劣るものでした。
 39歳のペイトン・マニング選手の「肩の力」や「動体視力」「俊敏性」に衰えが感じられることは、間違いないことなのかもしれません。

 一方で、そうした状況下、「デンバーは24得点」を挙げているのです。

 スーパーボウル2016は、現在のNFL1・2を争う、両チームのディフェンスDF陣が話題となりました。共に強力な守備を誇るチーム同士が激突したのです。こうしたDFを相手にしては、40点を超えるような大量得点は難しいと見られていました。
 そこに、QBマニング選手の衰えが加味されて、パンサーズ優勢という予想が多かったのでしょう。

 しかし、24点を挙げて勝ち切ったのはデンバーでした。

 デンバーは、第1クオーターQ、第2Q、第3Qにそれぞれ一本ずつのフィールドゴールFGを挙げています。
 望むべくはTD獲得だったのでしょうが、TDは取れなくともFGで着実に加点し、キッチリと時間を消化したというのは、まさに「ペイトン・マニングのゲームマネジメント」であったと思います。

 眼の覚めるようなプレーは少ないが、しっかりと前進を続け、得点して帰って来るというのは、こうした強力DFを相手にしたQBに課せられる使命なのでしょう。
 そして、ペイトン・マニング選手はこの役割期待に見事に応えました。

 「さすがはペイトン・マニング」と、ゲームを終えて改めて感じます。

 そして何より、フィールドに立つペイトン・マニング選手の映像がテレビに映し出される時の「存在感」は圧倒的でした。NFL最高のQBとして積み上げてきた歴史を全身に纏っていたのです。

 「The QB」。凛とした美しい姿でした。
 前日の大回転種目に続いて、2月14日湯沢苗場スキー場を舞台に開催された男子回転の第8戦も、見所満載でした。

 スタート地点の気温は6℃、ゴール地点が8℃と、前日に続いて暖かい気象条件が続きました。加えて、スタート直前と2本目の途中からは降雨にも見舞われましたから、とても難しいコンディションであったと思います。

 オーストリアのヒルシャー選手が1本目のスタート直後にコースアウトしたのを始めとして、多くの選手が滑り切ることが出来なかったのも、ハードなコンディションの影響でしょうか。

[1本目]

 最初に滑ったドファー選手(ドイツ)の滑りは、とても滑らかで、上半身の無駄な動きが無く、下半身の左右への軽快な動きから最後までスピードが落ちませんでしたから、相当良い順位であろうと感じましたが、結局、最後までトップを譲りませんでした。
 ドファー選手は、前日の大回転に続いて、2戦連続の「1回目トップ」でした。

 続く選手の中では、スウェーデン勢が安定した滑りを展開して、2・3位を占めました。この種目で今季優勝を重ねているクリストファーセン選手は8位と、まずまずの成績でしたけれども、本人が思ったよりはタイムが出なかったという印象でした。

[2本目]
 
 1本目開始時には晴れ間がのぞきましたが、途中から曇天となり、2本目には雨と共に、コース上部地域には霧も出ました。刻一刻と変わるコンディションの中での競技となったのです。

 2本目前半はオーストリアチームの好調な滑りが際立ちました。
 マット選手、フェラー選手が1・2位という中でシュワルツ選手がトップに立ち、ディグルーバー選手も続いて、一時は1~3位を独占しました。
 エース・ヒルシャー選手を欠くオーストリアチームの2本目でしたが、次世代を支える若手選手が頑張ったのです。

 この状況のまま、レースはトップ10のトライに突入しました。そして、1本目8位のクリストファーセン選手も4位に留まりましたから、このままオーストリア勢の独占が続くかと思われました。

 しかし、さすがにワールドカップはそう簡単に問屋は卸さないのです。

 世界トップクラスの選手が集う大会では、当然ながら選手層が極めて厚く、極僅差の戦いが続くのです。全てのスポーツに共通したことでもあります。

 1本目5位のノイロイター選手(ドイツ)がスタート。見事なスラロームを展開しました。多くの選手が失敗した2か所の難しい旗門も綺麗にクリアして、トップタイムでゴール。
 過去ワールドカップ10勝という実績を誇るノイロイター選手ですが、近時は好成績を挙げることが出来ませんでしたので、久し振りの満足できる滑りと言うことになります。

 続いてスウェーデンのミューラール選手が2位に食い込む滑りを魅せました。
 3位には、オーストリアのシュワルツ選手が粘りました。

 最終滑走者となった、1本目トップのドファー選手も意欲的な滑りを展開しましたが、1本目に比べて上半身がバタバタしてしまい、ゴール前の緩斜面でスピードが落ちて4位に留まりました。

 逆転を狙って意欲的に突っ込む選手、落ち着いて入り難しい旗門をクリアした後のスピードアップに賭ける選手、1本目の貯金の使い方も含めて、トップ10の選手達の様々な戦略構築と情報収集・挑戦が、とても印象的な大会でした。

 やはり、FISアルペンスキー・ワールドカップは、とても面白いのです。
 「本物のアルペンスキー」を、眼前で日本のプレーヤーに観て感じてもらうために、高速系種目も含めて、これからも日本で開催していただきたいと思います。

 今季回転種目の第8戦は、父親がクリスチャン・ノイロイター、母親がロジ・ミッターマイヤーという、世界的なスキーヤーであった両親を持つ生粋のスラローマー、フェリックス・ノイロイター選手の復活の舞台となりました。

 今後のノイロイター選手の活躍が注目されるところです。
 まず、10年振りの日本開催という事実に驚きました。

 世界最高峰のアルペンスキーの大会が、10年間も日本で開催されていなかったのです。冬のオリンピックを2度開催し、世界有数のウインタースポーツ国である我が国で、長期間に渡ってワールドカップが開催されていなかったというのは、とても不思議なことだと思います。

 世界のトップスラローマ―が、苗場の雪と戦う姿は、やはり素晴らしいものでした。

① 全体としてスピードが出ていない。

 世界トップクラスの選手達が揃った大会でしたが、「スキーが滑っていない」という印象でした。エッジングの都度、重そうな雪が飛び散ります。

 スタート地点・標高1375mの気温が4℃、ゴール地点・標高925mが8℃と、気温が高い気象状況でしたので、水を多く含んだ雪面となり、3月頃のスキー場で良く見られる「ザラメ雪」状の雪面でした。。
 難しいコンディションと言って良いと思います。

 こうした雪面では、エッジングに大きな力が必要になりますから、1本目・2本目とも、ゴールした選手達には相当の疲労が感じられました。

 久し振りの日本開催大会は、選手達に忘れていた「日本の雪」を思い出させてくれたことでしょう。

② 各国チームの戦い

 勝負を決める2本目、まずイタリアチームが先行しました。一時期は1~3位を占めたのです。イタリアチームの選手達の調子が良いことは勿論として、「ワックスが合っている」印象でした。

 そこに、スイスチームが割り込みました。
 イタリアチームの上位独占を崩したのです。
 上位には、イタリアとスイスのスキーヤーの名前がずらりと並んびました。

 そして、トップ10のトライが始まり、フランスチームが素晴らしいパフォーマンスを示しました。「重いザラメ雪」を相手に、滑らかなスラロームを披露してくれたのです。

 優勝はフランスのパンチェロー選手、2位もフランスのフェーブル選手、3位にはイタリアのブラルドネ選手が入りました。

③ オーストリアチームの不振

 現在、世界のアルペン界をリードしているオーストリアチームは、このレースでは力を発揮できませんでした。ワールドカップ総合5連覇を狙うヒルシャー選手も6位に終りました。

 オーストリアチームのどの選手も、後半の緩斜面でスピードが出なかった感じがします。

 おそらく、ワックスの面でフランスチームやイタリアチームと差が出たのでしょう。
 世界最高のワックスマンが揃うオーストリアチームをもってしても、今回の苗場の雪面は難しいものだったということになります。

 今から40年以上前、1973年にアルペンスキー・ワールドカップ大会が日本にやってきました。会場は今回と同じ苗場スキー場でした。
 ワクワクしながらテレビに噛り付きました。

 ステンマルク選手を始めとする、本当に素晴らしい選手達の滑りに、心が躍ったものです。
 そして、日本には「空前のスキーブーム」がやってきたのです。

 1980年代のスキー場は、どこもかしこも超満員でした。リフト待ちの列が長々と続いたものです。
 バレンタインデイをスキー場で祝った若者が、とても多かったことでしょう。

 しかし、様々な理由が考えられますが、21世紀に入って日本のスキー人気は下火になりました。
 スキー場には、スノーボーダーの姿が目立つようになったのです。

 こうした、日本におけるスキー人気の低迷が、FISワールドカップ開催の障害となってきたとすれば、とても残念なことです。
 
 今回の、久し振りのワールドカップ日本開催が、我が国のアルペンスキー人気復活の起爆剤となってくれれば、嬉しいことなのですが。
 スーパーボウル2016におけるデンバー・ブロンコスの守備は、NFL史上に残る素晴らしいものでした。

 ランニングバックによるラン攻撃、パス攻撃に加えて、クオーターバックQBキャム・ニュートン選手の強力なラン攻撃という、多彩なオフェンスOFを誇るカロライナ・パンサーズを、ゲームを通じて抑え込んだのです。

 今季のデンバーディフェンスDFは、レギュラーシーズンでもリーグ屈指の防御力を示しましたので、このゲームは「カロライナの攻撃対デンバーの守備」という構図が予想され、カロライナの攻撃力が勝るのではないか、と言われていました。

 近時のNFLのゲーム内容を見ても、いかに強いDFでも、自在の攻めの前にはある程度の失点は覚悟しなくてはならないことが多いので、パンサーズ有利という見方が多かったのです。

 ところが、ゲームが始まってみると、デンバー守備陣はQBニュートン選手を概ね抑え込みました。

 もちろん、カロライナの攻撃ラインも強いのです。その強いラインを相手に、デンバーの守備ラインやラインバッカーLB、コーナーバックCBやフリーセイフティFS、ストロングセイフティSSのプレーヤー達は、闘志溢れるプレーで自らの役割を忠実に果たしました。

 例えば、QBニュートン選手がポケットの中でパスを投げる為に与えられている時間が、通常のゲームであれば4秒くらいあったものが、このゲームでは3秒を切っていたといった印象でした。
 カロライナの攻撃ラインを押し、後退させ、押し退けてQBに迫って行く、デンバーの守備プレーヤーのスピードとパワーは凄まじいものだったのです。

 QBニュートン選手がポケットの中でパスレシーバーを探している時、いつもなら4秒位の時間があるものが、このゲームでは2.5秒だとすると、サックされてしまったり、ポケットの外に追い出されてしまう確率が、格段に上がります。

 何度もこうした圧力を受け続けると、QBは自らのタイミングで余裕を持ったプレーができなくなり、パスの投げ急ぎやパスコントロールミスに繋がってしまうのでしょう。

 テレビ画面に、「あっという間に小さくなるカロライナのポケット」の様子や、瞬時にDFプレーヤーを振り切りQBニュートン選手に迫るデンバーのLB陣の様子が続けて映し出されました。
 NFL最強の攻撃陣、機動力十分なQBを相手にした、驚くべきシーンの連続であったと思います。

 そして、見逃してはならないのは「ディフェンスのプレーコール」でしょう。

 このゲームにおけるデンバー守備陣のプレーコールは、良く的中していました。
 デンバーのディフェンス・コーディネーター(守備コーチ)ウェイド・フィリップスの選択が、見事だったのです。

 当然のことながら、守備側のプレーコールは攻撃側のプレーコールを予想して行われます。今季のカロライナ攻撃陣のプレーを研究し、この状況ならこうした攻撃を仕掛けてくる可能性が高いと予想して、守備プレーを展開する訳ですが、これがよく決まりました。

 「8割方当たっていた」という感じではないでしょうか。
 こうしたビッグゲームでは驚異的だと思います。

 カンファレンス・チャンピオンシップゲームにおける、ニューイングランド・ペイトリオッツ戦、QBトム・ブレイディ選手を相手にしての見事な守備と言い、今季のプレーオフにおけるデンバー・ブロンコス守備陣のパフォーマンスは、NFL史上に輝くものであったと思います。
 2月3日に行われた、今季のコッパ・デル・レイ(スペイン国王杯)準決勝ファーストレグ、FCバルセロナとバレンシアのゲームは、7-0でバルセロナが圧勝しました。

 バルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウで行われたゲームは、前半7分のスアレス選手のゴールから動きました。
 ネイマール選手の中央突破からスアレス選手にパス、これをゴール左隅に突き刺しました。世界トップクラスのスピードとシュート力が如何なく発揮されたプレーであったと思います。

 続く前半12分、スアレス選手が2点目を挙げました。
 ブスケツ選手からビダル選手、ワンタッチでスアレス選手がダイレクトシュート。バルセロナらしいパスプレーでした。

 そして前半29分、今度はメッシ選手がゴールを挙げました。
 イニエスタ選手のドリブルからネイマール選手がヒールで流して、スアレス選手がスルー、これをゴール正面に居たメッシ選手が決めました。とても豪華なリレーでした。

 これでバルセロナが3-0とリードを広げましたので、ゲームの勝敗は決しました。

 しかし、後半になってもバルセロナの猛攻が続きました。「やりたい放題」という感じもする攻撃が続き、メッシ選手とスアレス選手が2点ずつを奪って、7-0で試合終了。

 これでも、前半終了間際にネイマール選手がPKを外しているのですから、このゲームはバルサの完勝でしょう。

 国内最高のカップ戦で、ベスト4に進出してきた「強いチーム」を相手にしても、少しでも相手チームの動きが悪かったり、戦術的に優位に立つと、「いくらでも点が取れる」感のあるFCバルセロナの攻撃陣は、単独クラブチームとして、世界サッカー史上でも屈指の破壊力を保持していることは間違いないでしょう。

 それにしても、1ゲームで1点や2点取っても、決して満足することなく3点目・4点目を狙って行く、ルイス・スアレス選手とリオネル・メッシ選手のプレーを観ると、これが「本物のフォワードFWプレーヤー」なのだと感じます。
 1月31日に行われた競泳の北島康介杯・東京都選手権大会の200m平泳ぎで、早稲田大学1年生・18歳の渡辺一平選手が、2分9秒40の好タイムで優勝しました。

 この種目の現在の日本の第一人者である小関也朱篤選手(23歳)が2位、5大会連続のオリンピック出場を狙う北島康介選手が3位でした。

 大分・佐伯鶴城高校出身の渡辺選手は、193cmという長身を利して、近時ユースの世代で実績を積み上げてきていましたが、この大会での優勝で一気にオリンピック代表に名乗りを上げた感があります。

 粗削りながらも大きな泳ぎは、200m平泳ぎにピッタリでしょう。

 オリンピック派遣選考会である4月の日本選手権大会に向けて、日本競泳界の戦いが激しさを増してきました。
 2月7日に行われた東京新聞杯2016は、唯一の牝馬・スマートレイアーの優勝で幕を閉じました。
 現在ではG3に格付けされているレースですが、このレースの初期の歴代優勝馬を観ると、日本競馬を代表する名馬が並んでいて「壮観」です。

 1951年・昭和26年に「東京杯」として始まったレースは、1967年までは2400mで行われ、春の天皇賞(3200m)に挑む有力馬のステップレースでした。
 当時は、重賞レースそのものが少なかったことと相俟って、優勝馬に超一流馬が並ぶこととなったのでしょう。

 少し見てみましょう。

・第1回1951年 トサミドリ
・第2回1952年 ミツハタ
・第4回1954年 ハクリヨウ
・第5回1955年 タカオー
・第6回1956年 オートキツ
・第7回1957年 ハクチカラ
・第10回1960年 コマツヒカリ
・第11回1961年 タカマガハラ
・第16回1966年 コレヒデ

 トサミドリ号は、皐月賞・菊花賞・天皇賞(秋)(当時は3200m)などに優勝し、通算31戦21勝を挙げました。あの初代三冠馬セントライトの弟ということもあり、種牡馬としても素晴らしい成績を残しました。当時全盛を誇った輸入種牡馬ヒンドスタン(シンザンの父)やライジングフレーム(セイユウの父)と伍して、優秀な産駒を世に送り続けたのです。
 JRA顕彰馬に選出されています。

 ミツハタ号は、本ブログでも「トキノミノル・イツセイ・ミツハタ」の記事で登場していますが、無敗の日本ダービー馬トキノミノル亡き後、日本競馬の長距離界を支えた存在で、天皇賞(春)の優勝を含めて、通算36戦16勝の成績を残しました。この時代の2000mを超えるレースでの強さは圧巻でした。

 ハクリヨウ号は、菊花賞と天皇賞(春)の優勝馬であり、通算25戦16勝・2着4回・3着5回と、生涯4着以下は1度もありませんでした。種牡馬としても、シーザーやヤマノオー、シーエースを送り出しています。
 この馬の主戦騎手は、当時のNO.1ジョッキー・保田隆芳でしたが、数え切れないほどの名馬に騎乗した保田騎手が、「強さならハクリヨウが一番だろう。加速する時重心が沈み込み、ロールスロイスに乗っているようだった」とコメントしていたと記憶しています。
 ハクリヨウは「初代の年度代表馬」となっていますが、JRA顕彰馬には選ばれませんでした。不思議なことだと感じます。

 タカオー号は、天皇賞(春)の優勝を含む、通算64戦31勝の成績を残しました。一般的に、現在より出走回数が多い時代とはいえ、月3レースを続けていた時期もあり、そのタフさは驚異的でした。
 スパルタトレーニングで鳴らした飯原牧場の産で、ダイナナホウシユウと共に小さな馬体で戦い続けました。

 オートキツ号は、日本ダービー優勝を含む22戦14勝。父・月友、母トキツカゼ(皐月賞・オークス優勝)という良血馬でした。
 母トキツカゼが惜しくも逃した日本ダービー(トキツカゼという牝馬も凄いサラブレッドです)を「8馬身差」という圧勝で制しました。

 ハクチカラ号は、日本ダービー・天皇賞(秋)・有馬記念を含む49戦21勝。1958年にアメリカに遠征し、ワシントン・バースデー・ハンディキャップ競走に優勝、「日本馬として初の海外重賞競走制覇」を成し遂げました。
 この時代のロジスティックスを考え合わせれば、ハクチカラのアメリカ競馬における重賞制覇は空前のものであったと思います。
 また、ハクチカラの主戦騎手も保田隆芳でしたが、この時の遠征で「モンキー乗り」を習得して帰りました。騎乗技術の近代化にも大きく貢献した、ハクチカラと保田騎手のコンビだったのです。
 JRA顕彰馬に選出されています。

 コマツヒカリ号は、日本ダービー優勝を含む35戦6勝。父は第1回東京杯の優勝馬トサミドリ、母はアイルランドからの輸入馬イサベリーンでした。
 イサベリーンは、もう一頭の日本ダービー馬ヒカルメイジをも産しています。ヒカルメイジとコマツヒカリは「兄弟で日本ダービーに優勝」しているのです。
 
 タカマガハラ号は、天皇賞(秋)の優勝を含む51戦10勝。船橋競馬場や川崎競馬場といった南関東競馬で活躍の後中央競馬に入りました。そして5歳の1962年、アメリカの芝コースレースの最高峰ワシントンDCインターナショナルに挑戦しました。日本馬として、初の出走でした。地方競馬から中央競馬、そしてアメリカ競馬と、タカマガハラの活躍の場は広がって行ったのです。
 また、タカマガハラ・オンスロート・ホマレボシ・シーザーの「4強時代」は、中央競馬が大いに盛り上がりました。競馬ブームの先駆けでもあったと思います。

 コレヒデ号は、天皇賞(秋)と有馬記念優勝を含む29戦14勝。この馬の主戦も保田隆芳騎手でした。クラシックレースでは成績を残せなかったコレヒデが本格化したのは、まさに東京新聞杯に優勝してからでした。
 1966年の年度代表馬です。

 ちなみに、何度も登場する保田隆芳騎手についても少し触れておきたいと思います。

 1920年東京都千代田区生まれ、1936年に騎手デビューすると、名門・尾形藤吉厩舎の主戦ジョッキーとして、幾多の名馬の手綱を取り続けました。
 1963年には「中央競馬史上初の1000勝ジョッキー」となり、1968年には史上初の八大競走(クラシック5レース+天皇賞(春)(秋)+有馬記念)完全制覇を成し遂げるなど、当時の日本競馬を代表する騎手でした。
 前述の「モンキー乗り」を日本競馬に紹介した功績も含めて、偉大なジョッキーと呼ぶにふさわしい存在です。

 引退した時の通算1295勝は「不滅の記録」でした。現在と比べてレース数が少なかったことを勘案すれば、現代においても全く輝きを失わない記録だと思います。

 ちなみに、東京新聞杯でも前述の3勝に加えて、1969年にはタケシバオーで優勝していますから、通算4勝です。

 本稿は、東京新聞杯競走の初期の優勝馬を採り上げました。

 当初2400mコースで行われていた東京新聞杯でしたが、1968年から施行距離が短くなり始め、2200m→2100m(ダートコース)→2000mとなって1984年からは1600mのマイル重賞となりました。
 天皇賞(春)のステップレースから、安田記念のステップレースへと変貌したのです。

 とはいえ、1951年創設の歴史と伝統を誇る重賞レースとしての東京新聞杯の優勝馬には、太平洋戦争終戦後間もない日本競馬を彩った優駿達の名前がずらりと並んでいますし、マイル重賞となった後も、安田記念を目指すマイラー達の大事なレースとなっています。

 東京新聞杯は、これまでもこれからも、日本競馬にとって大切な重賞競走なのでしょう。
[2月8日・第50回スーパーボウル・リーバイススタジアム]
デンバー・ブロンコス24-10カロライナ・パンサーズ

 ゲーム前、その圧倒的な攻撃力から優勢が伝えられたパンサーズでしたが、ブロンコス守備陣の健闘の前に敗れ去りました。

 「走れるクオーターバックQB」としてのキャム・ニュートン選手も、その力を十分に発揮することが出来ませんでした。

 もともとリーグNO.1の守備陣とは言われていましたが、鋭いパスに加えて、強力な自らのランを併用するQBキャム・ニュートン選手を中心とする攻撃を、ブロンコス守備陣がゲームを通じて抑え込むのは、至難の業と見られていました。

 ところが、試合開始早々から、ボン・ミラー選手とデマーカス・ウェア選手の2人のアウトサイド・ラインバッカーOLBを中心としたデンバー守備陣が、ニュートン選手に圧力をかけ続けました。
 特に、外側から襲い掛かるスピードとパワーは凄まじく、QBキャム・ニュートン選手は「7度のサック」を受けたのです。

 そして、デンバー守備陣は「ニュートン選手が走るコース」も巧みに消していたように感じました。ゲーム前の入念な準備が実ったのでしょう。

 さすがのニュートン選手も、この圧力を前にいつものパフォーマンスを魅せることは出来ませんでした。
 多くのファンが期待していた「キャム・ニュートン劇場」は、今回は観られなかったのです。

 試合後のインタビューに姿を見せなかったと伝えられています。
 思ったようなプレーが出来なかったことが相当悔しかったのであろうとも考えられますが、ニュートン選手がNFLを代表するQBに成長していくために「何にも替え難い経験」となったことも、事実であろうと思います。
 1昨年は4位、昨年は2位と、相性の良い大会であったフェニックスオープン大会で、ついに松山英樹選手が優勝を飾りました。PGAツアー2勝目となる見事な勝利でした。

 毎年上位に食い込みながら、最終日で「あと一歩」届かなかった原因であった14番ホール、500ヤードを超える長いパー4は、松山選手にとっては「鬼門」とも言えるホールでした。
 その14番ホールをパーで乗り切って、トップに立つリッキー・ファウラー選手との1打差をキープした時には、優勝のチャンスは十分に有ると思われました。

 ところが続く15番ホール・パー5のティーショットを右のラフに打ち込み、第2打もグリーン左に外して、バンカー越えの難しい第3打を残し、一方のファウラー選手が悠々と2オンした時には、勝敗の帰趨はファウラー選手に傾きました。

 このホール、ファウラー選手はバーディ、松山選手はパーとなって、その差が2打に広がってしまいました。

 続く16番ホール・パー3は共にパー。

 2ホールを残して「2打差」となってしまいましたから、ファウラー選手が絶対的な優位に立ちました。昨シーズン、常に上位に食い込み続けながら、勝利を挙げることが出来なかった松山選手にとっては、「また2位か」というムードでした。

 ところが、1オンも可能な短いパー4ホール(この日は336ヤード)のティーショットを、ファウラー選手は池に入れてしまいボギー。
 バーディを奪った松山選手は一気に追いつきました。

 世界ランキング4位という、現在のゴルフ界を牽引しているファウラー選手にして、この池ポチャです。ゴルフ競技の怖さを感じさせるシーンでした。

 ここからは、松山・ファウラー両選手の粘り合いというゲームになりました。

 18番ホール、松山選手は難しい5mのパットを捻じ込んでバーディ、ファウラー選手も負けじとバーディとして、14アンダーパーで72ホールを終えた2人は、プレーオフに突入しました。

 そしてプレーオフ4ホール目の17番、ファウラー選手は再びティーショットを池に入れてパーセーブ出来ず、キッチリとパーを取った松山選手の優勝が決まったのです。

 「17番ホールにおける2度の池ポチャ」という、リッキー・ファウラー選手にとっては悪夢のような大会となりましたが、強豪選手に圧力をかけ続けた松山選手に勝利の女神が微笑んだということでしょう。

 また、大会前から「調子はいまひとつ」とコメントしていた松山選手にとって、この日のパッティングの良さは、大きな武器となりました。18ホールで26パットという素晴らしい内容だったのです。
 特に、72ホール目・18番ホールのバーディパットは見事でした。まさに「ここぞ」というパッティンクでしたから、このパットがホールに吸い込まれた時、勝てるかもしれないと感じました。

 ザ・メモリアルトーナメントに続いて2勝目を挙げた松山選手ですが、1勝目がメジャートーナメントに続く格の高い大会、2勝目が78回目というPGAツアーの中でも屈指の歴史と伝統を誇る大会という、ともに「高いフィールド」の大会です。
 加えて、2勝ともプレーオフでの勝利です。

 松山英樹選手の根張り強さが、PGAツアー屈指のものであることを証明しています。

 2勝目を挙げた松山選手の、3勝目・4勝目はそう遠い日のことでは無いのではないでしょうか。
 アメリカ合衆国アリゾナ州のTPCスコッツデール・コースで2月4日~7日に開催されている、ウェイストマネジメント・フェニックスオープン・トーナメント2016の、3日目に「新記録」が生まれました。

 この日の観客数が201,003名と、初めて20万人の大台を超えたのです。
 もともと「PGAツアーNO.1の観客動員数」=世界一の観客数を誇るゴルフ大会ですが、ついに1日で20万人を超えたのです。

 この観客数は、日本のゴルフツアーと比較すると驚異的です。
 日本のツアーであれば、1日1万人を超えれば「大観衆」となります。1日1万人という数も、日本ではなかなか眼にすることが出来ない水準なのです。

 フェニックスオープン2016は、初日の観客が10万人、2日目が16万人、3日目が20万人と推移して、最終日・4日目は16~18万人が予想されていますから、4日間通算で50万人を優に超え、60万人に迫ります。

 「このトーナメントを観たい」というファンが多いことはもちろんとして、開催コースであるTPCスコッツデールが、砂漠に造られたコースであり、20万人を超える大観衆が入れるスペースがあるというのも、大きな要因でしょう。
 また、16番パー3ホールには、スタジアムが設けられていて、2~3万人が観戦できる仕組みになっています。1ホールの観客数で、通常のトーナメントの全ホールの観客数を大きく超えるのです。

 この16番ホールは、130ヤード前後の短いパー3ですが、廻りをぐるりと観客席が取り囲んでいますから、大歓声に包まれます。
 その大歓声も計測されて、テレビ画面上に掲出されるというのですから、徹底しています。70~90デシベルという、相当の「騒音」水準です。

 さて、スポーツイベントにおける観客数を、「大観衆」という視点から見てみましょう。

 まず思い浮かぶのは、「マラカナンの悲劇」の時のエスタジオ・ド・マラカナン(マラカナン・スタジアム)です。
 1950年7月16日のことでした。

 サッカーワールドカップ(第4回)が初めてブラジルで開催され、その優勝を争うブラジル対ウルグアイのゲームが、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで行われたのです。
 このゲームで勝利すれば、地元ブラジルが優勝するというので、大観衆が詰めかけました。

 公式の入場者数は199,854人となっています。

 20万人近い、この数字でも驚異的ですが、実際にはもっと多かったと言われています。
 入場した観客が、スタンドの上からスタンドの外にチケットを落とし、それを拾った人が、拾ったチケットを持って入場するという行為が、相当数行われたと伝えられています。
 現在の入場管理方法と比べれば、緩い方法であったことと、椅子席よりも「立見席」の方が多かったので、「相当詰め込むこと」が出来たことが、こうした「追加入場(入場者数にカウントされない入場)」を可能にしたものと思われます。

 そして、最終的には30万人前後の大観衆であったとも言われています。
 その大観衆の眼前で、「ブラジルサッカー史上最悪の悲劇」が起きたのです。

 「マラカナンの悲劇」の時の観客数は、世界中の全てのスポーツイベントを通じて、ワンマッチの最大観客数であろうと思います。

 続いて思い出されるのは、「ハイセイコーのNHK杯」です。
 1973年5月6日のことです。

 地方競馬から中央競馬入りし、無敗の快進撃を続けていたハイセイコーが、初めて府中の東京競馬場に登場するとあって、競馬ファンが押し寄せました。
 日本の競馬史におけるハイセイコーの人気の高さは「空前絶後」のものですが、この日の東京競馬場の入場者数169,174人にも、それが表れています。

 169,174人という入場者数は、もちろん中央競馬史上最高ですが、世界最大級のスタンドを擁する東京競馬場と言えども、殺到するファンのために相当危険な状況であったと伝えられています。

 このレースでハイセイコーは大苦戦しましたが、ゴール寸前に先行馬を「アタマ差」抜き去り優勝、連勝を続けました。
 
 この「ハイセイコーのNHK杯」が、我が国におけるスポーツイベントの最高入場者数であることは、間違いないと思います。

 そして、PGAツアーのフェニックスオープン・トーナメントは、これらのイベントに匹敵する大観衆を、毎年飲み込むのです。
 PGAの凄さを感じさせる事実でしょう。

 ところで、フェニックスオープンの入場者数は、毎年3日目が最多で最終日は減ります。
 その理由は、「NFLスーパーボウル開催日」と重なるためなのです。

 ゴルフのフェニックスオープン・トーナメントは、毎年「スーパーボウル・ウィーク」に開催されているのです。

 昼間PGAツアーの大会をコースで観戦し、夜NFLスーパーボウルをテレビで観れば(スーパーボウルをスタジアムで観るのは至難の業と言われます)良さそうなものですが、アメリカ最大のスポーツイベント・スーパーボウルを観るためには、日中から飲食物などについて万全の準備を整えテレビの前に集まる、あるいは「日中から試合終了まで大騒ぎ」なのかもしれません。

 世界一のスポーツ大国・アメリカのスポーツ文化の懐の深さを示す事象であろうと感じます。
 大相撲1月場所の十両以下各段の優勝力士は、以下の通りです。

・十両 英乃海(東京都出身)
・幕下 栃丸(東京都出身)
・三段目 千代の海(高知県出身)
・序二段 魁渡(新潟県出身)
・序の口 琴鎌谷(千葉県出身)

 1月場所の各段優勝力士は、全て日本出身力士でした。
 そして、幕内最高優勝が琴奨菊でしたから、優勝力士が全て日本出身力士で占められた場所と言うことになります。
 本当に久しぶりのことだったのではないでしょうか。

 少し前までは、十両以下の各段の優勝力士の内、半分前後はモンゴル出身力士であった印象が有ります。

 この結果は、これまでモンゴル出身力士に押されていた日本出身力士の頑張りの成果なのでしょうか。それとも、「モンゴル出身力士数の減少」が主因なのでしょうか。

 私には、大相撲界全体の力士の出身地リストや比率情報が有りませんので、正確なことは判りませんが、どうも「後者」の様な気がします。
 「新弟子」や入門間もないモンゴル出身力士は、減っているのではないでしょうか。

 アメリカ・ハワイ出身の高見山の活躍からスタートした感のある、「力士の国際化」ですが、いくつかの変遷を経てきているように観えます。

① アメリカ・ハワイ出身力士の時代

 高見山や横綱・曙、横綱・武蔵丸、小結・小錦に代表される力士達です。
 大柄な体躯をベースとした相撲が印象的でした。
 第1回東京オリンピックが開催された1964年の高見山の初土俵からスタートした「時代」ですが、2003年に武蔵丸が引退してからは、ハワイ出身力士の活躍を眼にすることは、めっきり少なくなりました。

 おそらく、ハワイ出身力士の数が激減したのでしょう。

② ヨーロッパ出身力士の時代

 大関・把瑠都や大関・琴欧洲、現役の栃ノ心、碧山、阿夢露、臥牙丸に代表される力士達です。
 こちらは、まだ現役の力士が多数存在しますから、活躍中ということになるのですが、十両以下を観ると、減っています。

③ モンゴル出身力士の時代

 現在の三横綱や大関・照ノ富士、逸ノ城、旭秀鵬、玉鷲、貴ノ岩に代表される力士達であり、特に三役における占有率は抜群ですから、現在の土俵は「モンゴル出身力士の全盛期」と言って良いのでしょう。

 他にも、ブラジル出身の魁星やエジプト出身の大砂嵐、中国出身の蒼国来といった外国出身力士が居ます。

 こうして見ると、大相撲における力士の国際化が進んできたことが良く分かりますが、一方で「先細りではないか」という懸念もあります。

 ハワイ出身力士は居なくなってしまったように観えますし、ヨーロッパ出身力士も、現役幕内力士が最後の世代の様に感じられます。
 そして、モンゴル出身力士も、十両以下の各段では好成績を残せなくなっていますから、減っているのでしょう。

 15年後の2031年には、力士のほとんどが日本出身で占められる時代がやってくるのかもしれません。
 大相撲は、高見山が登場する前の時代に戻る可能性があります。

 このことの良し悪しについて、本稿では触れませんが、こうした「変遷」が発生した要因を、少し考えてみようと思います。

A. 海外における積極的な力士発掘活動が減ってきたのか。

 ハワイやヨーロッパ、モンゴルの力士増加の背景に、積極的なスカウト活動が有ったことは間違いないでしょう。

 こうした積極的な外国へのスカウト活動が展開された背景としては、日本人力士の大相撲への入門希望者の減少、新弟子検査への挑戦者減少があったと思われます。

 大相撲人気が復活し、日本人力士の入門希望者が増加するにつれて、こうしたスカウト活動が下火になってきた可能性があります。

B. 外国出身者の受入態勢構築

 上記のスカウト活動減少に伴って、一気に外国出身力士が減少しているとすれば、真の意味での外国出身者の受入態勢が、大相撲界には出来ていなかったとも言えそうです。

 もし、長い時間をかけて「受入態勢」が構築されて来ていれば、スカウトでは無く、「ジャパニーズ・ドリーム」を目指して、自ら大相撲界に飛び込んでくる外国出身者が増えても、不思議はないからです。

 習慣や文化が異なる日本の、それも相撲部屋という、ある意味では「特殊な」世界に飛び込んできた外国出身者は、程度の差こそあれ、その違いに戸惑い、馴染むまでに大変な苦労をしてきています。

 そして、こうした「違い」を克服できた力士のみが、幕内で活躍しているのでしょう。

 しかし、「違い」を克服するためには、「個々の外国出身力士の努力」によるしかない、というのでは、インターナショナルスポーツと呼ぶには不十分なのかもしれません。

 もちろん、サッカーやラグビー、ベースボール、テニス、日本発祥のスポーツでも柔道や剣道のように、世界中の人々が取組み楽しんでいるスポーツと、大相撲は違うのだという見方もあると思います。

 大相撲1月場所で、6人の優勝者全てが日本出身力士によって占められたという事実は、本当に久しぶりのことであり、国技・大相撲としては、とても喜ばしいことなのでしょう。

 しかし一方で、「半世紀・50年以上続いて来た大相撲力士の国際化」の意義・意味について、もう一度しっかり考えてみる時期が来ているような気がします。

 来たる2031年1月場所・桟敷席の光景。

 日本出身力士ばかりになってしまった土俵を観ながら、お父さんがお子様に、「昔は外国人力士が沢山居て、日本人力士がなかなか優勝できない時期が有ったんだよ」と説明します。
 笑顔で声援を送り続けていたお子様は、「えー、お相撲って日本だけのものじゃなかったの」と驚いたように応えています。
 毎年1月に行われる、都道府県対抗「男子」駅伝を観ていて、いつも感じることがあります。
 大学生・社会人ランナーの中で、力を発揮できていないランナーが多いことです。

 全国大会であり、各都道府県を代表するランナー達ですから、我が国の男子長距離競走界を代表するビッグネームがズラリと並ぶのですが、本来の走りがなかなか観られない。

 この理由は明らかでしょう。

 社会人ランナーは元旦に行われるニューイヤー駅伝、大学生ランナーは1月2日・3日に行われる箱根駅伝に出場した後であり、ピークアウトしている場合が多いと思われます。
 
 ニューイヤー駅伝、箱根駅伝、共に日本の男子駅伝を代表するビッグイベントですから、各ランナーはそこにピークを合わせてトレーニングを行います。その集中力は、私達の想像を遥かに超えるものだと思います。

 レース終了後は一気にピークアウトするのです。これは無理も無いことでしょうし、そうしたスケジューリング・コンディショニングが出来ないランナーでは、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝で満足な走りは到底できないとも思います。

 そして、心身ともに疲れ切った状態から、ようやく回復を始めた時期に、都道府県対抗男子駅伝が待ち受けています。
 これでは、いかに一流ランナーでも力を発揮できないということになるのでしょう。

 都道府県対抗駅伝という、我が国最大規模の駅伝大会で、勝負どころのアンカー区間などで、我が国最高レベルの走りが見られないというのは残念な気がしますし、ランナー達にとっても「酷」な感じがします。
 
 難しいことなのでしょうけれども、「男子」については大会開催時期を1か月程度遅らせるのが、良いのではないでしょうか。
 この場所、遠藤は6日目から休場しました。もともと痛めていた膝に加えて、足首の故障が悪化したのでしょう。5日目までの相撲も全く精彩の無いものでしたから、休場も時間の問題であろうと感じていましたし、将来性を考えれば「早く休場した方が良い」のではないかとも思いました。
 
 土俵上の「姿の美しさ」に拘り、故障していてもサポーターやバンデージ類を一切付けないことを身上としていた遠藤にとっても、防護用具を付けて土俵に上がるのは不本意なことだったと思います。

 一方の逸ノ城は「負け続け」ました。4日目からの9連敗を始めとしての3勝12敗という、信じられないような成績でした。

 もともとスピード相撲では無く、土俵際の粘りも不足している相撲でしたが、圧倒的な体躯・腰の重さと、時折見せる器用な取り口で「三役から幕内上位」の番付を維持していましたから、この場所の相撲振りは「何かあったのではないか」と感じさせるものでした。

 遠藤と逸ノ城は「現在の大相撲人気の礎を築いた力士」です。

 ともに高速で番付を駆け上がり、人気低迷に喘いでいた大相撲を支えました。
 古来の相撲を感じさせる密着相撲と粘り強い取り口、そして美しい姿形で角界一の人気者となった遠藤は、まさに大相撲人気を支える存在でしたし、「怪物オーラ」満載で異例の出世を遂げた逸ノ城は、言い方は悪いのですが「ヒール(悪役)」としての存在感が抜群でした。素顔の可愛らしさ?も相俟って、モンゴル出身力士の「次代を支える力士」と感じたファンは多かったことでしょう。

 大相撲界が雌伏の時期であった2013年から2014年の前半、二人の力士は間違いなく大相撲の屋台骨を支えたのです。
 2014年秋からの「大相撲人気復活」の最大の功労者であったと言って良いと思います。

 その遠藤と逸ノ城が、2016年1月場所で「最大の危機」を迎えました。

 遠藤は3月場所で十両に陥落すると思います。逸ノ城も幕ノ内下位に番付を下げることでしょう。

 遠藤関には、しっかりと故障を治していただきたいと思います。慌てることは全くないのです。必要であれば3月場所も休場すべきでしょう。遠藤の地力をもってすれば、十両あるいは幕下に下がったとしても、コンディションが良くなれば、あっという間に幕内に帰って来ることが出来るでしょう。
 何よりも「遠藤の相撲」をファンに魅せることが、求められていると感じます。
 
 逸ノ城関は、体を造り直して本来の相撲が取れる状態に戻していただきたいと思います。「大きくて頑丈な体躯」は逸ノ城の誇るべき特質です。
 筋肉量を増やし、相撲のスピードアップと取り口の拡大を図る、良い機会だと感じます。この力士は、横綱になる潜在能力を秘めていると今でも思います。

 遠藤と逸ノ城には、「本格化へのチャンス」が与えられたのです。
 幸い、大相撲人気は「二人が暫くトレーニングに励んでいても」大丈夫な状況でしょうから、「時間は有る」のです。

 一方で、この2力士の相撲は「是非観てみたい」相撲です。多くのファンに夢と希望を与えることが出来る相撲=まさに大相撲であろうと感じます。

 遠藤と逸ノ城の「復活に向けての取組」が始まりました。
 2月4日、旧・国立競技場のメインスタンドを飾っていた壁画・「野見宿禰」(相撲の神様)と「ギリシャの女神」が、新・国立競技場にも設置されると報じられました。

 高さ約4mの2枚の壁画は、「新・国立競技場の南側入場口の外側に設置したい」と、設計を担う建築家の隈研吾氏が述べたと伝えられています。

 この2枚の壁画は、画家の長谷川路可氏の作品で、「力と美」を表現したものとされており、まさにオリンピックに相応しい姿・精神を表現するものとして、1964年の第1回東京オリンピックのメイン会場であった、旧・国立競技場のメインスタンドに飾られていました。

 高さ約4mと相当大きなものですが、とはいえ国立競技場全体の大きさから見れば、それ程大きなものでは無い筈なのですが、その存在感は圧倒的でした。
 様々なスポーツ観戦の為に、数え切れないほど旧・国立競技場には通いましたが、都度眼に飛び込んできました。「旧・国立を象徴する壁画」であったと感じますし、「オリンピックというイベントに対する、当時の日本人の美意識・感性」を明確に示す物なのでしょう。

 また、50年という月日の評価に耐えた、というのはその作品の出来栄えが素晴らしいものであったことを証明しています。

 そして、この2枚の壁画は新・国立にも使われることとなりました。
 今後の、日本・世界のスポーツイベントの殿堂にも姿を見せることとなったのです。

 100年以上に渡って国立競技場を飾ることになるかもしれない「野見宿禰」と「ギリシャの女神」。
 これからも、我が国のスポーツを見守っていただきたいと思います。
[1月29日・U-23アジア選手権大会・3位決定戦・ドーハ]
イラク2-1カタール(延長戦)

 リオデジャネイロ・オリンピック出場権「アジア地区・残りの1つ」を賭けた、カタール代表チームとイラク代表チームのゲームは、延長にもつれ込む接戦となり、延長後半に追加点を挙げたイラクチームが勝ちました。
 イラクは3大会ぶり5度目のオリンピック出場権を獲得しました。

 「強い世代」言われながら、準決勝で日本に敗れたイラクと、地元開催でありながら韓国に敗れたカタールの、中東勢同士の「残1枠」をめぐる争いは好ゲームとなりました。

 前半開始直後はイラクチームの時間帯でした。
 高い位置でのブレスと、素早い動きから、カタールゴールを襲いました。約4分間の猛攻でした。

 カタールチームがこの猛攻をしのいでからは、一進一退の時間帯が続きました。

 そして前半27分、カタールの10番アフィフ選手がイラクのパスをカットして突進、ゴールキーパーGKと1対1の形を創りました。
 ここで上手かったのはカタールの7番アラディン選手でした。ドリブルで前進するアフィフ選手の左後ろに付いて走ったのです。

 イラクのGKが前に出て、アフィフ選手のシュートコースを狭めた瞬間、アフィフ選手はアラディン選手に横パス、これをアラディン選手が悠々と決めました。
 1対1の形に成ったら「あとは任せた」というのではなく、しっかりとフォローするという、基本に忠実なプレーから生まれた先制点であったと思います。今大会6点目を挙げたアラディン選手は、大会得点王争いのトップに立っています。

 フィールド中盤からのスピード十分なドリブルから、カタールチームはこの後もチャンスメイクしました。特に、前半40分に4対2の形から決定的なチャンスを創りましたが、これを決め切ることが出来ませんでした。
 試合を決めるチャンスであったと感じます。

 前半は、地元カタールが1-0でリードして終わりました。

 後半開始直後もイラクは猛攻で入りました。
 しかし、やはりカタールは守り切り、ゲームは再び一進一退の様相。

 そして後半10分に、カタールチームに2度目の「試合を決めるチャンス」が訪れましたが、イラクGKの好守もあって、得点できませんでした。

 「2度の逸機」が試合結果にどのような影響を与えるかと観ていましたが、後半40分まで1-0カタールのリードが続いたのです。

 このままカタールが押し切るかに見えた後半41分、イラクはロングパスからゴール前に陣取った8番カッラール選手がヘディングシュートを決めました。本当に単純なパワープレーでしたが、フィジカルを活かしたカッラール選手の見事なシュートでした。

 1-1の同点となり、試合は振り出しに戻りましたが、流れと言う意味ではイラクチームが相当優位に立ったと感じました。

 延長前半、カタールチームの選手達に「疲労の色」が濃くなりました。
 両チームとも、今大会6試合目であり、特にカタールチームはほぼ同じメンバーで戦ってきていますから、蓄積された疲労も大きかったのでしょう。ドリブル突破を攻撃の起点とするカタールチームにとって、脚が止まるのは致命的でした。

 一方のイラクチームは、ロングパスからのパワープレーを続けました。

 延長後半4分、ゴール前の混戦からイラクの18番フセイン選手がヘディングシュートを突き刺しました。ゴール向かって左サイドから、ゴール右隅に打ち込む技有りのシュートでした。

 その後カタールチームも死力を尽くしてイラクゴールに迫り、決定的なチャンスも創りましたが、「シュートのタイミングが少し遅くなり」ゴールを抉じ開けることは出来ませんでした。

 試合全体を通しては、カタールチームがやや優勢に進めていたように観えましたが、やはり「2度の逸機」が響きました。追加点を取っていれば、ゲームは全く違う様相を呈していたことでしょう。

 「決定的チャンスの数」では劣位にあったイラクチームでしたが、ここぞという時のシュート、特にヘディングシュートの精度・威力は素晴らしいものでした。やはり、決定力はサッカーの勝敗を左右するのです。

 スピード十分なプレーの応酬、攻守の切り替えの速さ、は見応え十分なゲームであり、カタール・イラク両チームのレベルの高さを存分に感じさせるものでした。

 オリンピック出場枠を賭けた、見事な試合でした。
 
 1月31日に行われた大阪国際女子マラソンで、福士加代子選手(33歳)が圧勝し、リオデジャネイロ・オリンピック出場に大きく前進しました。

 日本女子マラソン歴代7位の2時間22分17秒で走り切った福士選手でしたが、何より「自身が満足できるレース」を展開することが出来たことが、嬉しかったのではないでしょうか。

 もともと、5000m競走、10000m競走といった長距離レースでは、その圧倒的なスピードで日本トップクラスに君臨していた福士選手ですが、これまでマラソンでは思ったような走りを魅せることが出来ませんでした。
 特に、30km以降にスタミナ切れに陥ることが多かったのです。

 何度挑戦してもスタミナ切れが続きましたので、「福士はマラソンには向いていない」との声も出ました。

 しかし、このレースで自身も周りの人々も、福士選手がマラソンでも戦えると感じたことでしょう。

 その理由ですが、「バネを使わない走り」に在るように感じます。

 福士選手の5000m・10000mは、天性の豊かなバネから生まれるギアチェンジを活かした走りが強みです。「バネ」は誰にでも備わっているものでは無く、まさに才能のひとつなのですが、このバネを活かした走りでは42.195kmを走り切ることは難しいのでしょう。

 このレースの福士選手は、スタート直後から、このバネを必要最小限しか使いませんでした。重心を低く抑え、腰の上下動を抑えた「省エネランニング」でトップグループに付いて行き、24km付近からじりじりと前に出て、独走に結び付けました。

 それでも、レース後の本人のコメントにもありましたように、「何時(スタミナ切れ)が来るかと不安で仕様が無かった」のですが、ついにゴールまで自らの走りを続けることが出来たのです。
 快心のマラソンだったことでしょう。

 トレーニング方法もレースに向けての戦略・戦術も成功したのです。

 スピードに定評があるランナーが、42.195kmを走り切る術を身に付けたのですから、これは鬼に金棒でしょう。
 インタビューエリアで月桂冠を被りながら、「リオ、決まりだろう」と満面の笑顔で叫ぶ姿は、まさに「強い時の福士加代子」でした。

 リオデジャネイロ・オリンピックにおける活躍が、とても楽しみです。
[1月31日・ラグビー日本選手権2016・秩父宮ラグビー場]
パナソニック49-15帝京大学

 パナソニックチームのキックオフで始まった試合は、いきなりパナソニックチームのノーホイッスル・トライとなりました。ゴールも決まって、7-0とパナソニックがリード。

 続くプレーは帝京大チームのキックから始まりましたが、これもパナソニックチームのノーホイッスル・トライに結び付きました。ゴールも決まって、パナソニックはリードを14-0と広げたのです。

 これで試合の大勢は決したと感じられました。

 試合開始直後、まだ帝京大チームが落ち着いていない間に、パナソニックが仕掛けた先制攻撃でした。
 この第1プレーと第2プレーが行われていた6分間、帝京大チームは「ボールに一度も触ることが出来なかった」のです。
 滅多に眼にすることが出来ない光景でした。

 この14点のリードで、パナソニックは終始余裕を持った試合運びが出来ました。もともと力量上位のチームに余裕を持ったプレーをされては、勝負にはなりません。

 帝京大学に惜しまれるのは、最初のキックオフ、自軍に向かって蹴られたボールを取ることが出来なかったことでしょう。短いキックでしたから、パナソニックが「あわよくば確保しよう」と狙ってのプレーであったことは明らかで、帝京大としては何としてもこのボールを確保すべきだったのです。

 その後のゲームは、それなりの攻防が展開されました。「試合にならない」程の力の差は感じられませんでしたので、尚更ゲーム開始直後の「2連続ノーホイッスル・トライ」が効いたのです。
 逆に言えば、パナソニックの「巧みな試合運び」だったのでしょう。

 19年振りに、社会人王者と学生王者のワンマッチゲームとなった日本選手権でしたが、例えば1989年の神戸製鋼58-4早稲田大学の試合の様に「どうしようもない」という印象は受けませんでした。

 社会人チームが実力的に上位に在ることは間違いないのでしょうが、ゲーム展開(社会人チームの焦りを誘うような展開)に持ち込むことが出来るようであれば、大学生チームが接戦に持ち込むことは可能であると感じさせる、日本選手権2016であったと思います。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
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