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HOME   »  2016年02月24日
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 1982年と1983年の中山記念を連覇し、1984年には惜しくも2着に敗れたのが、エイティトウショウでした。

 1936年・昭和11年創設という、我が国の重賞レースの中でも屈指の歴史と伝統を誇り、「1800m・中距離の大レース」として幾多の名馬が覇を競ってきた重賞において、牡馬を相手に互角以上の戦いを演じたのです。
 この時代の牝馬としては、出色の成績でしょう。

 エイティトウショウのデビューは1981年、3歳の2月と遅いものでしたが、3戦目にはフラワーカップを勝ちクラシック路線に名乗りを上げました。そしてオークスに挑み、テンモンの4着と健闘しました。

 そして、「残念ダービー」と呼ばれたラジオ短波賞(現在のラジオNIKKEI賞)に優勝しました。このレースの2着は秋の菊花賞を制したミナガワマンナですから、強豪3歳牡馬を相手にしての勝利であり、エイティトウショウの「牡馬との戦い」の始まりでもありました。

 4歳となった1982年、エイティトウショウは金杯(現在の中山金杯)を3馬身差で圧勝し、中山記念に臨んだのです。モンテプリンスやハワイアンイメージ、リンドブルバンといった強豪牡馬を相手に一番人気となり、レースでもモンテプリンスをハナ差押さえて勝ち切りました。
 大変強い走りであったと思います。

 5歳の1983年、「不良馬場」の中山記念も4馬身差で圧勝し、6歳の1984年3月、エイティトウショウは3連覇に挑みました。
 とても良いレースを魅せましたが、テュディナムキング(4歳牡馬)に1/2馬身及ばす2着に敗れたのです。3着のビンゴカンタを始めとする牡馬一線級との熾烈なレースでした。

 このレースを最後にエイティトウショウは競走馬を引退しました。

 繁殖牝馬となったエイティトウショウの活躍も、見事なものです。
 8頭の産駒の内4頭がオープン馬となりました。特に第5子マザートウショウは重賞3勝を挙げたのです。

 エイティトウショウ号、父ダンディルート、母ソシアルトウショウ、通算成績21戦9勝。480kg前後の牝馬としては雄大で、とても伸びやかな馬体を駆使し、牡馬と互角以上の戦いを演じてくれました。

 それにしても、エイティトウショウを始めとして、天馬トウショウボーイ、桜花賞馬シスタートウショウ、秋華賞・エリザベス女王杯・宝塚記念馬スイープトウショウ、トウショウピット、ラブリートウショウ、トウショウサミット、トウショウファルコ等々、数々の名馬を世に送り続けた名門「トウショウ牧場」(北海道日高)が、昨2015年秋に閉鎖されたのは、とても残念なことでした。

 海老茶と黄色のダイヤモンド模様に紫色の袖、「トウショウの勝負服」は中央競馬を彩る名物のひとつだったのです。
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