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HOME   »  2017年03月29日
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 2017年、産経大阪杯が大阪杯と名前を変えて、G2からG1に昇格しました。

 例年メンバーが揃うことが多く、最もG1に近いG2とか、G1を超えるG2と言われていましたので、「順当な昇格」と見ても良いのかもしれません。
 また、近年は1600mのマイル戦や1200mの短距離戦はレース体系が整備されてきましたが、所謂「中距離戦」とマイル戦の区別が曖昧な感じもしていましたので、「2000m・中距離戦」というジャンルを確立しようとする意図も有るのかもしれません。

 このレースの第33回、1989年に優勝したのがヤエノムテキです。

 ヤエノムテキはその生涯で良馬場の2000mを4度走り、3勝でした。下記がその3走です。
① 1988年 皐月賞
② 1989年 産経大阪杯
③ 1990年 天皇賞(秋)

 皐月賞と天皇賞(秋)はG1ですし、かつての八大競走でもありますから、その戦績はヤエノムテキのキャリアにおける代表的な勝ち鞍と言えるのでしょう。

 1988年の皐月賞は、1番人気がモガミナイン、2番人気サクラチヨノオー、3番人気トウショウマリオと続き、ヤエノムテキは9番人気でした。この年の日本ダービーを制したサクラチヨノオーをマークしてレースを進めたヤエノムテキは、直線で追い上げてくるディクターランドを3/4馬身抑えて優勝しました。

 1989年の産経大阪杯では、ヤエノムテキは1番人気でレースに臨み、2着のランドヒリュウに3・1/2馬身差を付けて快勝しました。3着はゴールドシチーでした。

 1990年の天皇賞(秋)では、オグリキャップ、オサイチジョージに次ぐ3番人気で臨み、メジロアルダンをアタマ差押さえて優勝しました。1分58秒2というレースレコードでの勝利でした。この頃、「地方競馬から14連勝中」で「中央競馬に移籍して重賞6連勝中」という、最も強かった時期のオグリキャップを抑えての、圧巻の勝利でした。

 ヤエノムテキの重賞勝ちは、前述の3鞍に加えて、京都新聞杯(2200m)、鳴尾記念(2500m)となっています。
 鳴尾記念にも勝っていますから、長距離がダメだったということには成りませんが、やはり2000m前後のレースに強かったことが分かりますし、不思議なことに1600mでは勝っていません(1990年の安田記念2着、マイラーズカップ3着)から、やはり「2000mに強かったサラブレッド」ということになるのでしょう。

 また、その2000mでも重馬場の毎日杯で4着、稍重の1990年産経大阪杯で3着でしたから、良馬場の方が力を発揮できたようです。

 良馬場の2000m戦で唯一敗れたのは1989年の天皇賞(秋)、スーパークリークの4着でした。このレースは、スーパークリーク、オグリキャップ、メジロアルダン、ヤエノムテキと入線し、6着にイナリワンという、当時の中央競馬を代表する好メンバーが揃った、とてもフィールドの高いレースでした。
 前述の安田記念2着も、オグリキャップの2着であり、3着がオサイチジョージでしたから、ヤエノムテキがこの頃の中央競馬を代表するサラブレッドの一頭であったことが良く分かります。

 引退後は種牡馬としても活躍しましたが、血統の流行に乗ることが無かったこともあってか、期待されたほどの成績は残せませんでした。

 2014年3月に死去が報じられました。29歳の大往生でした。

 ヤエノムテキ号、父ヤマニンスキー、母ツルミスター、父の父ニジンスキー、母の父イエローゴッド。通算成績23戦8勝、主な勝ち鞍、皐月賞、天皇賞(秋)。

 生産者の皆さんは「あのニジンスキー」の再来を目指したのかもしれませんが、ヤエノムテキはニジンスキーとは異なるタイプに見えました。
 栗毛の四白・大流星。その四白も白い部分が長めでしたから、遠目には「白いソックス」を履いているように観えました。その為もあって、ヤエノムテキのギャロップはとても目立ちました。

 ヤエノムテキは、500kg近い明るい栗毛の馬体が印象的な優駿だったのです。
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