FC2ブログ
HOME   »  2017年08月15日
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 ワールドカップ優勝4回を誇るサッカー大国イタリアにおいても、1934年(第2回大会)と1938年大会(第3回大会)を連覇した時期は、黄金時代でしょう。
 世界のサッカーが「イタリアを中心に回った」時代なのです。

 この頃の、イタリア代表チームのエースストライカーが、ジュゼッペ・メアッツァ選手です。

 1910年にミラノで生まれたジュゼッペ・メアッツァは、17歳でインテルにおいてセリエAにデビューしました。
 インテルでは2度のリーグ優勝、自身は3度のリーグ得点王に輝いています。
 デビュー早々からチームの中心選手だったのです。

 このようなスーパースターは代表デビューも速いものですが、メアッツァ選手も19歳で、アズーリの一員となりました。代表デビュー戦でいきなりゴールを挙げたと伝えられています。

 そして、1934年大会・1938年大会のイタリア連覇の時には、チームのエースストライカーとして活躍しました。
 代表通算53試合で33ゴールという、素晴らしいゴールゲッターだったのです。
 
 1934年、地元開催のワールドカップの準々決勝で、イタリアチームはスペインチームと対戦して、第一戦は延長の末1-1の引分け、この頃はトーナメントの試合での引分けは再試合が行われました。(PK戦という制度が無かった時代)
 この第二戦でメアッツァ選手は前半11分に先制点を挙げて、1-0の勝利に貢献しています。
 この大会でアズーリが最も苦戦した試合でした。

 フランス開催だった1938年大会の準決勝で、イタリア代表はこの頃メキメキと実力を付けて来ていたブラジル代表と激突しました。そして2-1でブラジルを破り、決勝に進出したのです。
 この準決勝で1-1の同点から決勝点を挙げたのがメアッツァ選手でした。PKによる得点でしたが、この局面でPKを任せられるところにメアッツァ選手へのチームの絶対の信頼が感じられます。

 ジュゼッペ・メアッツァ選手は、1924年から1940年までインテルで長く活躍した後、ACミランに移籍し、1942年にはユベントスに移りました。
 第二次世界大戦真っ只中のイタリア・セリエAで、「イタリア3大クラブ」を渡り歩いたのです。

 そもそも、極めてライバル意識が強いチーム同士である、インテル・ACミラン・ユヴェントスの全てでプレーする選手というのも滅多に観られないのですが、それがイタリアサッカー史上最高のプレーヤーのひとりと称されるメアッツァ選手が実現しているのですから、驚きです。

 1979年、メアッツァ氏は68歳で死去しました。

 メアッツァ選手が活躍した時代は、80年程前の遥かなる昔です。
しかし、21世紀となった現在においても、イタリアサッカー界におけるジュゼッペ・メアッツァ選手への敬意はいささかも衰えていない様に感じられます。
 何しろ、現在のインテルとACミランが本拠としている(2チームが共にホームとしています)スタジアムは、「スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ」なのですから。
 
スポンサーサイト



プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
「スポーツを考える-KaZ」ブログへ
ようこそ!
我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

最新記事
最新コメント
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Page Top
CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031