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[10月4日・ワイルドカード・チェースフィールド]
アリゾナ・ダイヤモンドバックス11-8コロラド・ロッキーズ

 地区2位と3位の対戦となった、ナショナルリーグNLのワイルドカードは、2位のダイヤモンドバックスが17安打・11得点の猛打で、13安打・8得点のロッキーズを押し切り、地区シリーズ進出を決めました。

 ロッキーズ・グレイ投手、ダイヤモンドバックス・グレインキー投手の先発で始まったゲームでしたが、初回からダイヤモンドバックス打線が火を噴き、1~3回で6点を挙げて一方的な展開になるかと思われました。

 ところが、ダイヤモンドバックスの大エース・グレインキー投手が4回表に掴まり、一挙4失点。ゲームは一気に接戦となったのです。
 
 グレイ投手は1イニングと1/3、グレインキー投手は3イニングと2/3しかマウンドに居られなかったのですから、ポストシーズンゲームというのは怖いものです。

 ロッキーズは7回表に1点を加え5-6と追いすがりましたが、7回裏と8回裏に計5点を挙げたダイヤモンドバックスが勝ち切ったゲームでした。

 さすがに、「大貯金」でゆうゆうと首位を走るロサンゼルス・ドジャーズを横目に、こつこつと?貯金を積み上げてきた両チームの戦いは、一筋縄では行きませんでした。まさに「実力十分なチーム同士」のワンゲームプレーオフだったのでしょう。

 さて、NL勝率トップでポストシーズンに臨むドジャーズの、地区シリーズの相手はダイヤモンドバックスに決まりました。
 
 レギュラーシーズンで104勝(今季MLB最多勝利数)を挙げ、「向かうところ敵無し」といった雰囲気のドジャーズですが、実はダイヤモンドバックスには苦労していたのです。
 その「苦手」が地区シリーズの相手となりました。

 我らがダルビッシュ有投手・前田健太投手にとっても、「相手にとって不足は無い」といったところでしょうか。

 ダルビッシュ投手・前田投手のポストシーズンの戦いが始まります。
[10月3日・ALワイルドカード・ヤンキースタジアム]
ニューヨーク・ヤンキース8-4ミネソタ・ツインズ

 1回表、ヤンキースの先発セベリーノ投手が4安打・1四球で一気に3点を失い、わずか1アウトを取っただけで降板した時には、ヤンキースの前途は真っ暗闇でした。
 1ゲームプレーオフとしては、相当に痛い失点であり、先発投手のノックアウトだったからです。

 しかし、ヤンキース打線は劣勢をものともしませんでした。
 1回裏、グレゴリアス選手の3ランで同点とすると、2回裏にはガードナー選手のソロホームランで勝ち越し、3回裏にはバード選手のタイムリーヒット、4回裏にはジャッジ選手の2ランホームランと畳み掛けて、ゲームを優位に進めました。

 ポストシーズンゲームにおける打線の活躍の重要性が、よく分かる試合になったのです。

 ツインズとしては、ヤンキースのセべリーノ投手ほどではないにしても、先発のサンタナ投手が2イニングしか持たずに降板したのが痛く、不安定さが指摘されていたブルペン陣もヤンキースの攻撃を支えきれませんでした。
 逆にヤンキースは、2番手のグリーン投手、3番手のロバートソン投手、4番手のカンリー投手がよく踏ん張りました。この好調な中継ぎ投手陣は、今後のポストシーズンゲームにおいても、頼もしい存在となることでしょう。

 ヤンキースは地区シリーズに駒を進めました。

 我らが田中将大投手の出番が来たのです。
 アリゾナ・ダイヤモンドバックスの傘下マイナーに所属している中後悠平選手(元ロッテ・マリーンズ)の、今季メジャーリーグへの昇格が無くなり、1995年の野茂英雄投手以来毎年続いていた日本人プレーヤーのメジャーデビューが「22年連続」で途絶えたと報じられました。

 このニュースは「残念なこと」として取り扱われていましたが、逆に、1995年以来毎年、日本人プレーヤーが22年間に渡ってメジャーデビューを続けてきたことに、驚きを感じました。
 日本人プレーヤーは、集中的にメジャーリーグに挑戦したのではなく、継続的に挑戦し続けてきたのです。
 これは凄いことだと思います。

 野茂英雄投手、イチロー選手、松井秀喜選手、黒田博樹投手、上原浩治投手といったプレーヤー達の華やかな活躍は、誰の眼にも留まるものですけれども、当然ながら「デビューは1度」しかありませんから、22年間連続の為には、他の数多くのプレーヤーの挑戦があったのです。

 最初から「メジャー契約」というプレーヤーは多くはありませんから、マイナーからメジャーへの「厚い壁」を突破して、我らが日本人プレーヤーはメジャーにデビューして行ったのでしょう。

 柏田貴史投手(読売→1997年メッツ)、小林雅英投手(ロッテ→2008年インディアンズ)、高橋健投手(広島→2009年メッツ)、多田野数人投手(立教大学→2004年インディアンズ)、建山義紀投手(日本ハム→2011年レンジャーズ)、野村貴仁投手(読売→2002年ブリュワーズ)、福盛和男投手(楽天→2008年レンジャーズ)、薮田安彦投手(ロッテ→2008年ロイヤルズ)、といった選手たちは、メジャーでのプレーの期間は短く、ご本人には不満の残る挑戦だったのでしょうが、何より「メジャーリーガー」となったこと、それ自体がとても大きな勲章なのです。
 何時の時代も、メジャーデビューというのは、ベースボールプレーヤーにとって大きな夢なのですから。
 
 2017年シーズンにメジャーデビューを果たした日本人プレーヤーが居なかったこと自体は、そういう年もあるのであろうと思います。

 一方で、「メジャーリーグへの日本人プレーヤーの挑戦者数が、その絶対数が減ってきている」とすれば、それはとても残念なことだと思うのです。

 「世界最高峰のリーグ」を目指すプレーヤーが減るということは、パフォーマンスと気概・夢の両面から、野球に限らず、その国の当該スポーツのレベルにも影響があるのではないでしょうか。
 1930年代前半、欧州最強のナショナルチームと呼ばれたのがオーストリア代表でした。
 「ヴンダーチーム」(ドイツ語で「奇跡のチーム」という意味)という異名でも呼ばれるほどのチームでした。

 そのヴンダーチームの中心選手が、マティアス・シンデラー選手でした。
 シンデラー選手は、身長179cm・体重63㎏というスリムな体型を活かして、相手ディフェンダーの間を「すり抜けて」ゴールを決めるというプレースタイルから、「紙の男」と呼ばれました。

 「紙の男」という言葉からは、あまり尊敬の念は感じられませんが、驚きの念は強く感じます。当時の関係者の皆さんが、マティアス・シンデラー選手のプレーに対して「信じられない」という印象を強く抱かれたのでしょう。

 1903年生まれのシンデラー選手は、1926年に代表チーム入りして、1931年から34年までの最強のオーストリアチーム=ヴンダーチームのエースとして活躍しました。
 1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会でも優勝候補として準決勝に進出し、地元イタリアとのゲームに臨みました。地元絶対有利の時代でしたから、オーストリアチームは0-1で敗れました。シンデラー選手も危険なタックルに遇って怪我をしたのです。

 シンデラー選手らが出場できなかった3位決定戦でドイツに2-3で敗れてしまいましたが、おそらくはこのチームが、オーストリアサッカー史上最強であったのでしょう。

 オーストリア代表チームは、1938年のワールドカップ・フランス大会も予選を突破し本戦出場を決めていましたが、世界情勢が風雲を告げる中で、オーストリア国自体がナチスドイツに併合されてしまい、国家として消滅してしまいましたから、代表チームも出場できませんでした。(というか、チームも消滅してしまったというのが正しいのかもしれません)

 1939年1月、マティアス・シンデラー選手は自室で死亡しているところを発見されました。
 自殺説、謀略説などが言われてきましたが、いまだに真相は不明です。

 第二次世界大戦直前のヨーロッパにおける最高のサッカープレーヤー・「紙の男」は、35歳で他界したのです。
 10月1日、我孫子ゴルフ倶楽部で行われた最終日、3日目を終了してトップに立っていた畑岡選手が、最終日も7アンダーパーで回り、4日間通算20アンダーという、「女子オープン」史上最少スコアで2位に8打差をつけて、圧勝しました。
 1977年の樋口久子選手以来40年振りの大会連覇でした。

 まだアマチュアであった昨年、この大会を17歳263日で史上最年少優勝し、今年ダンロップ女子オープン大会を18歳254日で制して日本女子プロゴルフツアー史上最年少優勝するなど、憧れの宮里藍選手の記録を次々と破ってきた畑岡選手にとっても、「女子オープン連覇」というのは、まさに偉業と言えるでしょう。

 我が国の女子ゴルファーにとって、「女子オープン」は別格の大会です。
 女子プロの方や、女子プロを目指すゴルファーの方に話を伺っても、異口同音に「女子オープンに勝ちたい」と言います。
 計り知れない重みがあるのでしょう。

 全ての面で完璧であったプレーでした。
 270ヤードに届こうかというドライバーショット、思い切りの良い、方向性抜群のアイアンショット、絶妙のアプローチショット、とても転がりの良いパッティング・・・。

 18歳の、身長158cmの決して大柄とは言えない体躯から、素晴らしいショットが次々と繰り出されるのです。

 安定感とパワーを両立させるゴルフというか、「別次元」のプレーを魅せていただきました。

 次々と新しいプレーヤーが出現する日本女子ゴルフ界ですが、一方で「勝ち続けるプレーヤー」が少ないという印象も有ります。

 2017年は、宮里藍選手が引退し、畑岡奈紗選手がプロ入り初勝利を挙げ、日本女子オープンゴルフ選手権競技を連覇したという年、「日本女子ゴルフの主役」が交替した年なのかもしれません。
 炎鵬は、2017年9月場所の三段目で優勝しました。7戦全勝でした。

 これで炎鵬は、初土俵から序の口→序二段→三段目と「三場所連続優勝」を成し遂げたのです。

 三場所とも7戦全勝でしたから、炎鵬は「初土俵以来不敗の21連勝」なのです。優勝決定戦の勝利を加えれば、連勝はより増えます。

 将棋の藤井四段ではありませんが、「デビューしてからの連勝記録」を伸ばしているのです。

 デビューが遅かったことも有り、既に22歳の炎鵬は、身長167cm・体重93㎏と小兵力士、それも特に小さな力士です。
 しかし、その取り口はスピード十分で、力強さに満ちています。

 11月場所には幕下に昇進するでしょうから、これからはテレビ放送に登場する機会も増えることでしょう。
 
 「今牛若丸」としての炎鵬の今後の活躍から、眼が離せません。
プロフィール

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Author:カエサルjr
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