FC2ブログ
HOME   »  2019年02月
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 日本男子バスケットボール代表チーム=AKATSKI FIVE(アカツキ ファイブ)に歓喜の瞬間が訪れました。
 
 2月24日、カタールで開催されていた、ワールドカップ・アジア最終2次予選をF組2位で突破して、本大会への出場を決めたのです。

 快挙です。

 FIBA(国際バスケットボール連盟)バスケットボール・ワールドカップは、かつてバスケットボール世界選手権と呼ばれていた、バスケットボール界のナショナルチーム同士による、世界最高の大会。4年に1度の開催です。
 まさに、サッカーのFIFAワールドカップに相当するものです。

 サッカーのワールドカップに日本代表チームが出場することが「至難の技」であった時代が長く続き、現在でも本大会出場は容易なことでは無いのは周知のことですが、1950年に開始されたバスケットボールのワールドカップ出場も、日本代表チームにとって常に「高峰」です。

 最近では2006年大会以来13年振りの出場となりますが、2006年大会は自国開催でしたので「開催国枠」での出場でした。予選を突破しての出場となれば、1998年のギリシャ大会以来21年振りの出場、5度目のワールドカップなのです。

 2019年8月から9月にかけて中国で開催されるワールドカップ2019に向けてのアジア地区予選における日本チームの滑り出しは、とても悪いものでした。フィリピン代表チームやチャイニーズ・タイペイ代表チーム他に負け続け、0勝4敗と追い込まれたのです。

 「今回もワールドカップ出場は難しいか」と感じていましたが、八村塁選手、ファジーカス・ニック選手(日本国籍取得)、渡辺雄太選手らの新たな有力選手をチームに加えて、反攻に出ました。
 新加入のプレーヤー達と比江島慎選手や竹内譲次選手らが見事なコンビネーションを魅せてくれたのです。

[2018年6月29日・アジア最終予選]
日本79-78オーストラリア

 このゲームの勝利が、日本代表チームに大きな勢いを与えたことは間違いありません。
 世界ランキング10位の強豪オーストラリア代表を相手にしての「1点差勝利」でした。

 ここからのAKATSUKI FIVEの進撃は素晴らしいものでした。

[2018年7月2日]
日本108-68チャイニーズ・タイペイ

[2018年9月13日]
日本85-70カザフスタン

[2018年9月17日]
日本70-56イラン

[2018年11月30日]
日本85-47カタール

[2018年12月3日]
日本86-70カザフスタン

[2019年2月21日]
日本97-89イラン

[2019年2月24日]
日本96-48カタール

 最終予選を終えてのF組の順位は、
① オーストラリア 10勝2敗・得失点差328→ワールドカップ出場
② 日本 8勝4敗・同144→ワールドカップ出場
③ イラン 8勝4位・同79
④ フィリピン 7勝5敗・同35
⑤ カザフスタン 4勝8敗・同▲135
⑥ カタール 2勝10敗・同▲295

 2018年6月29日にオーストラリアチームを接戦で下した日本チームにとっての次の難敵は、世界ランキング25位と格上のイランチームでした。
 ワールドカップ出場に向けての「最大の壁」なのです。

 天王山は2月21日の対戦でしょう。
 日本チームはこれを97-89で制して、ワールドカップに大きく前進したのです。

 ご承知のように、サッカーや柔道と並んで、世界で最も競技人口の多い、メジャーなスポーツであるバスケットボールは、世界中に強いナショナルチームが存在します。
 国ごとのGDPや人口に係わらず、強いチームは強いのです。

 いかにも「気候を問わない(屋内競技であり、相当寒いところでも暑いところでも1年中プレーできる)」、そして多くのプレーヤーを要せず(1チーム5名)、簡単な設備でプレーできる、という、バスケットボール競技の特性が表れていると感じます。(バスケットボールが世界で最もメジャーなスポーツのひとつである理由も、ここに有るのでしょう)
 そのワールドカップ出場がいかに難しいことであるかも、容易に想像できます。

 こうした中で、4連敗の後の8連勝という「離れ業」を日本チームは成し遂げたのです。
 見事な粘りと反発力でした。

 「AKATSUKI FIVE」には、ワールドカップ2019中国大会での大活躍が期待されます。
 日本バスケットボール界にとっては「千載一遇」のチャンスが訪れたのです。
 
 この「大活躍」が、東京オリンピック2020への出場権獲得、現在認められていない「開催国枠出場」の復活にも結びつくのでしょう。
 
スポンサーサイト



 チューリップ賞が迫ってくると、3歳牝馬クラシック路線の本格化を感じます。

 また、チューリップ賞ほど位置付けがどんどん重要になるレースも、珍しいでしょう。

 1984年にオープン競走として始まり、1994年にG3重賞となって、2018年からはG2に格上げされました。
 現在では、牡馬の弥生賞、牝馬のチューリップ賞という位置付けなのであろうと思います。

 「弥生賞」も勝ち馬がその後活躍することが多いので、「登竜門」といった趣が有りますが、「チューリップ賞」も牝馬の登竜門という感じがします。(本ブログ2017年3月3日付記事「[競馬コラム183] 「名馬への登竜門」弥生賞」をご参照ください)

 21世紀になってからの勝ち馬を観ても、(カッコ内はチューリップ賞優勝後の優勝重賞)

・2001年 テイエムオーシャン(桜花賞、秋華賞に優勝)
・2003年 オースミハルカ(同、クイーンステークス、府中牝馬ステークス)
・2004年 スイープトウショウ(同、秋華賞、宝塚記念、エリザベス女王杯)
・2006年 アドマイヤキッス(同、ローズステークス、愛知賞、京都牝馬ステークス)
・2007年 ウオッカ(同、日本ダービー、ジャパンカップ、天皇賞(秋)、安田記念 他)
・2009年 ブエナビスタ(同、桜花賞、オークス、ジャパンカップ、天皇賞(秋) 他)
・2010年 ショウリュウムーン(同、京都牝馬ステークス、ポートアイランドステークス、朝日チャレンジカップ)
・2012年 ハナズゴール(同、オールエイジドステークス(豪G1)、京都牝馬ステークス)
・2014年 ハープスター(同、桜花賞、札幌記念)
・2016年 シンハライト(同、オークス、ローズステークス)
・2017年 ソウルスターリング(同、オークス)

 2018年まで18頭の勝ち馬の内11頭が、チューリップ賞後に重賞に勝っています。とても高率だと感じます。
 さらに、2007年のウオッカを始めとして、クラシックレースでの活躍も目立ちます。
 
 3歳になって「本格化の途上にある若駒」が競い合うレースであること、桜花賞に向けて丁度良いローテーションであること、等が「登竜門」たる理由なのでしょうが、このレースの勝ち馬は「故障する馬が少ない」という見方も出来ると思います。
 ハナズゴール全29走、ショウリュウムーン全24走、オースミハルカ全22走と、「無事これ名馬」といったキャリアを示現するサラブレッドも多いのです。オースミハルカの様に骨折した後、長期療養後に重賞を制している馬もいます。

 今や「牝馬の登竜門」となったチューリップ賞、2019年はどのような花を咲かせてくれるのでしょうか。

 ここまで「20世紀の4大ボウルゲーム」を4回に渡って書いてきました。

 ローズボウル、シュガーボウル、オレンジボウル、コットンボウルという4つのボウルゲームを中核として、20世紀アメリカのカレッジフットボール界は動いていたと思います。

 一方でとても興味深いのは、これらの4大ボウルゲームは「全米NO.1決定戦」ではなかったという点でしょう。

 例えばローズボウルなら、ビッグナイン・カンファレンス優勝校とパシフィックエイト・カンファレンス優勝校が対戦していた時期が長かったように、各会場の近隣の対抗戦形式で戦っていたカンファレンスの優勝チームが登場するなど、出場チームは一定の「歴史に裏打ちされた」ルールの下で決められていたのです。
 我が国の関東大学ラグビーにおける「対抗戦グループ」「リーグ戦グループ」をイメージすると分かり易いのかもしれません。

 こうして各カンファレンスでの成績や、各ボウルゲームでの成績を比較して、「全米NO.1」のチームを「相対的な評価」により選定してきた歴史。

 また、4大ボウルゲームには当初は特定の大スポンサーが付いて居なかったと記憶しています。
 言わば、地元のカレッジフットボールファンが中心となって、大イベントを開催し続けていたのでしょう。

 とはいえ、4大ボウルゲームの規模がどんどん大きくなり、全米の注目度がどんどん上がるに至って、20世紀の後半になると「有名企業スポンサー」が名乗りを上げ、そして4大ボウルゲームへの資金提供を開始しました。
 「注目度が極めて高いイベント」となれば、時代の流れの中では逆らえないことだったと感じます。

 加えて、アメリカ中で「絶大な人気」を誇るカレッジフットボールですから、大スポンサー自らが「新しいボウルゲームを立ち上げる」ようになって来たのです。
 20世紀の後半には、4大ボウルゲーム以外にも、数多くのボウルゲームが発足しました。

 一方で、20世紀終盤になり、「直接対決無しで『全米NO.1』を決める」ことへの様々な意見が出されるようになったことも、ある意味では自然なことですし、従来の様な伝統的な「4大ボウルゲーム」の在り様を支持する意見もある中で、「全米ランキング1位のチームと2位のチームの対戦を観てみたい」といった素朴な感情論(人間に備わっている「強弱」をはっきりさせたいという欲求でしょうか)に、商業ベースでは「必ず成功する*」といった視点からの働き掛けもあってか、「全米NO.1」を決める仕組みが待望されるようになりました。(*カレッジフットボールの観客動員力は非常に高く、2012年シーズンには、1試合平均観客動員数10万人以上が4大学チーム、8万人以上が17大学チーム、4万人以上が60大学チームと、NFL並み、あるいはNFLを凌ぐ動員力が有ると報じられています。もちろん、チケット価格水準は考慮しなければなりませんが)

 そして1998年、「ボウル・チャンピオンシップ・シリーズBCS」が立ち上げられました。「全米NO.1」を決める為に、BCSカンファレンスと呼ばれる、全米における実力上位のカンファレンスの優勝チームが、権威のある各ボウルゲームに登場する仕組みです。
 この仕組みに4大ボウルゲームも組み込まれていったのです。
 BCSは、そのルーティンが度々見直されましたが、2013年まで続きました。

 このトライは2014年に、「カレッジフットボール・プレーオフ」に昇華しました。
 ついに「全米ランキング上位校チームによるトーナメント方式の年間王者決定戦」が始まったのです。4チームによって準決勝と決勝が行われる形式です。
 この制度は、2025年まで継続されることが決まっています。

 この制度の準決勝戦に、伝統的なボウルゲームが「持ち回り」で使用されることとなりました。ローズ、シュガー、オレンジ、コットンの「20世紀の4大ボウルゲーム」もその舞台となったのです。

 さて、アメリカンフットボールはその競技の性格上「1週間に1試合しかできない」ので、こうしたトーナメント形式による「NO.1決定戦」実施には長い時間が必要となります。
 NFLポストシーズンは、そうした競技特性を踏まえて整備されてきた仕組みなのでしょう。

 他方、カレッジフットボールについても、長い年月をかけた試行錯誤の結果として、このような「プレーオフ」が導入されるに至ったのでしょう。こうしたやり方の行く末については、ファンとして注目しつづけたいと思います。

 当然ながら「変革」の影には、「古き良きものを失う痛み」が伴います。

 新年を祝うイベントのひとつとして、大好きなカレッジフットボールの好ゲーム・馴染み深いチーム同士が覇を競うゲーム、を家族揃って観戦するという、「4大ボウルゲームの伝統的・地元ファン」にとっては、「これまであまり観たことが無かったチーム」が「我らがボウルゲーム」に登場するという事態になっているのかもしれません。
 また、もともと入手が難しかったチケットが、一層手に入らなくなっている可能性も有ります。

 ローズボウルならば「1世紀を超える歴史と伝統」を誇りますが、そのローズボウルを始めとする「4大ボウルゲーム」の行く末は、地元ファンならずとも、とても気になるところなのです。

 さて、この「全米王者を決める仕組みの構築」には、「20世紀の4大ボウルゲーム」に、別の2つのボウルゲームが加わりました。
 それについては、その6で・・・。
[2月23日・第1節・カシマスタジアム]
大分トリニータ2-1鹿島アントラーズ

 2019年のJ1開幕週の一戦、6シーズン振りに復帰したトリニータが、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)覇者のアントラーズに快勝しました。

 両チームにとっての開幕戦ですから、何が起こるか分からないとはいっても、「番狂わせ」でしょう。
 トリニータとしては、久し振りのトップリーグに登場して、相手のホームでのゲームですから、相当のプレッシャーを感じての試合開始であったろうと思います。

 一方で、試合開始直後からアントラーズの動きは「いまひとつ」でした。
 この「いまひとつ」がトリニータに、J1・アウェイのゲームに入る余裕・慣れる時間を与えたとも考えられます。

 そして、大分に大きな勢いを齎したのは、前半18分の藤本憲明選手の先制点でした。
 素晴らしいシュートでした。
 大分のプレーヤーは「やれる」と感じたことでしょう。

 逆に鹿島のプレーヤーには「焦り」が生じたものと思われます。

 後半3分に、伊藤翔選手の同点ゴールで追い付いたものの、ちぐはぐなプレーが続きました。
 相手チームをゴール前に押し込み、相手守備の隙を突くという、鹿島本来の攻めが上手くいかないのです。パスのテンポも良くありませんでした。
 
 一方、トリニータの藤本選手の動きは見事でした。
 後半25分、素早い動きから2点目をゲット。
 このゴールが決勝点となりました。

 6シーズン振りの大分トリニータにとって、この勝利はとても大きな価値が有るでしょう。
 29歳になってJ1デビューを果たした藤本憲明選手の今後の活躍にも、大きな期待がかかります。

 さて、第1節の2日目となったこの日のゲームでは、昨シーズン上位チームの苦戦が目立ちました。
 川崎フロンターレはFC東京と0-0、サンフレッチェ広島は清水エスパルスと1-1、浦和レッズはベガルタ仙台と0-0、の引分けです。
 スコアはもちろんとして、「試合内容が互角」なのです。

 今季の「混戦」を予感させるに十分な、第1節の結果と観てよいでしょう。

 面白いシーズンになりそうです。
 MLB2019年シーズンの開幕戦は、2012年以来7年振りに日本でのゲームとなりました。

 3月20日・21日、東京ドームでのシアトル・マリナーズとオークランド・アスレチックスの連戦です。(7年前と同じカードです)

 そこで注目されているのが、「イチロー選手がプレーするかどうか」という点なのです。

 そして、アリゾナで行われているマリナーズのスプリングトレーニングから、「イチロー選手の近況」が報じられています。

 報道によれば「好調」とのこと。
 コーチが投げるフリー打撃では、25球中8本の柵越えと「ホームラン性の打球をバンバン飛ばしている」ようです。

 昨2018年5月から球団の会長付特別補佐に就任し、ゲームには出場していないイチロー選手ですが、さすがに「体作りは万全」ということなのでしょう。

 もともと「打球を飛ばす技術」という面では、全盛時にも高く評価されていたイチロー選手、オールスターゲームの「ホームラン競争に出場してみては」という声も何回か出ていたと記憶していますので、外野フェンスを越える打球を狙って打つことについては、メジャーでも屈指の技術を保持していることは間違いないのでしょう。
 45歳になった現在でも、フィジカルに裏打ちされた技術は健在ということです。

 イチロー選手が「開幕ロースター入り」を果たして、3月20日東京ドームのゲームに出場する可能性は、とても高いのでしょう。
 「20世紀の4大ボウルゲーム」の掉尾を飾るのはコットンボウルです。

 コットンボウルはアメリカ合衆国テキサス州で、毎年年末年始に開催されます。
 会場は、1937年から2009年までは、ダラスのコットンボール・スタジアム、2010年以降はアーリントンのAT&Tスタジアムです。

 コットンボウルの名称の由来でもあるコットンボール・スタジアムは、観客92,000人余を収容する大スタジアムです。
 現在のAT&Tスタジアムは、平常時は80,000人、立ち見を加えれば110,000人余が観戦できるとされています。
 両方とも、それぞれの時代を代表するスタジアムなのです。

 記憶に残るコットンボウルの制覇チームは、ノートルダム大学ファイティングアイリッシュとテキサス大学ロングホーンズでしょうか。

 押しも押されもせぬ、全米カレッジフットボールの名門・ノートルダム・ファイティングアイリッシュは、全米チャンピオン13回を数え、何時の時代もカレッジフットボール界を牽引してきた存在だと思います。

 他の有名チームとは異なり、特定のカンファレンスに所属せずインディペンデントとも呼ばれる「ファイティングアイリッシュ」は、コットンボウルのみならず、他のボウルゲームでも優勝を重ねていますが、やはりコットンボウルにおける足跡が大きいのではないでしょうか。1971年から94年の間に5度勝利しています。

 同チーム出身のNFLプレーヤーも数多いのですが、やはり代表格はクオーターバックQBジョー・モンタナ選手です。サンフランシスコ49ersにおけるプレー、スーパーボウル他で魅せてくれた素晴らしいプレーは、「ザ・ドライブ」を始めとして多くの「伝説」さえ生んでいます。

 モンタナ選手は、我が国にNFLの情報が相当量入るようになった時期に、最も活躍していたこともあるのでしょうか、我が国で最も有名なNFLのQBではないかと感じます。
 アメリカンフットボールをあまり見ない人達・知らない人達にも、知られている存在、つまり最もメジャーな存在でしょう。

 ファイティングアイリッシュの「金色のヘルメット」は、全米カレッジフットボールの象徴といっても良いのではないでしょうか。

 コットンボウルでの活躍でもう1チームを挙げるとすれば、テキサス大学ロングホーンズでしょう。
 コットンボウルの地元チームであり、優勝回数も最も多いのではないかと思います。
 1943年の初制覇から2003年の制覇まで、連綿たるコットンボウル勝利の歴史を積み上げてきました。
 全米チャンピオンにも4度輝いています。

 「コットン」は、アメリカ合衆国の南部を代表する産物でしょう。
 コットンボウルは、「大」テキサス州のカレッジフットボールの象徴だったのです。

 さて、ここまで「20世紀の4大ボウルゲーム」を観てきました。

 ローズ、シュガー、オレンジ、コットンの4ボウルは、全米カレッジフットボールの象徴として運営され、繁栄を極めて来たのです。

 しかし、20世紀の末になって、4大ボウルにも変化の時期が訪れました。
 その話は、その5から・・・。
 2月18日に、アリゾナ州テンピで、ロサンゼルス・エンゼルスの野手組がスプリングトレーニングに入ったと報じられました。

 昨2018年10月1日に、右肘のトミージョン手術を受けた大谷翔平選手は、当然ながら別メニューの調整に入ったのですが、いきなりバッティングケージに入って「約20分間の素振り」を行ったと報じられています。
 とても明るい表情であったとも伝えられましたから、術後の経過は順調なのでしょう。

 それにしても「早い」と感じます。

 2018年10月の手術であれば、打者としての復帰は2019年6月頃、投手としての復帰は2020年シーズンの後半と言われていましたので、2019年2月中旬に「バットが振れる」までに回復しているというのは、とても「早い」という印象です。

 球団からは「慎重を期して5月頃からの出場」を検討しているとも発表されています。

 世界中のファンが、打者・大谷選手のプレーを心待ちにしているのは、無理もないところでしょうが、ここは慌てることなく、「打者としての完全回復」を待ってフィールドに戻ってきて欲しいものだと思います。

 今後の長きに渡ってのメジャーリーガー大谷選手の活躍が、何より大事なことなのですから・・・。

 その3はオレンジボウルです。

 アメリカ合衆国フロリダ州マイアミで年頭に開催されるボウルゲームですが、その名の由来は会場がマイアミ・オレンジボール・スタジアムであったことでしょうし、スタジアム名の由来は、名産品のオレンジから来ているのであろうと思います。

 1935年に開始されたオレンジボウルは、1995年までマイアミ・オレンジボールで開催されました。1960年代・70年代には80,000人余を収容していましたし、閉場間際の2007年でも72,000人余を収容する大スタジアムでした。
 1996年以降オレンジボウルはハードロック・スタジアムで開催されています。
 こちらも75,000人余を収容する大スタジアムです。

 ちなみに、1996年のアトランタオリンピックの際に、サッカー日本代表チームがブラジル代表チームを破った「マイアミの奇跡」の舞台が、マイアミ・オレンジボールです。
 とても開放的な造りで、マイアミの青空が良く似合うスタジアムでした。
 
 オレンジボール・スタジアムは2008年に解体され、跡地にMLBマイアミ・マーリンズのホーム、マーリンズパークが建設されました。
 イチロー選手が活躍したマーリンズパークです。

 さて、オレンジボウルで印象的なチームと言えば、オクラホマ大学とフロリダ州立大学でしょうか。
 前篇「シュガーボウル」にも登場したネブラスカ大学コーンハスカーズはオレンジボウルでも強く、1971年から73年の3連覇を始めとして1998年まで数多くの勝利を手にしています。

 一方で1979年から81年まで3連覇したのがオクラホマ大学スーナーズです。
 これまで全米チャンピオンに7度輝いている、大学フットボール界の名門。
 21世紀に入っても、何度かオレンジボウルの舞台に登場していますが、このところはなかなか勝てず、2001年の制覇が最後となっています。

 もうひとつはフロリダ州立大学セミノールズ。
 全米チャンピオンに3度輝く、こちらも名門。
 オレンジボウルでは1977年に初勝利を挙げ、1993年から96年の4年間で3度制覇しています。21世紀に入ってからも2013年と16年に勝利していますので、すっかり常連チームとなりました。

 オクラホマ・スーナーズ出身のNFLプレーヤーとしては、あのエイドリアン・ピーターソン選手が挙げられます。当代屈指の名ランニングバックRBです。

 オハイオステート・セミノールズ出身のNFLプレーヤーとしては、あの「二刀流」ディオン・サンダース選手でしょうか。MLBの名プレーヤーでもあったサンダース選手は、アメリカプロスポーツ界にあって、最強の二刀流プレーヤーのひとりです。

 「スーナーズ」はオクラホマ州の創成期の開拓者の名前に因んだものですし、「セミノールズ」はオハイオ州のネイティブアメリカンの部族名に因んでいると伝えられています。
 アメリカ開拓史を彷彿とさせるチーム名なのです。

 さて、「20世紀の4大ボウルゲーム」のトリはコットンボウルです。
 これは「その4」で・・・。

 今大会、混合団体を除いた個人種目で、唯一の「2冠」を達成したのは、アメリカのシフリン選手でした。

 スーパー大回転やアルペン複合といった種目が加わって、種目数が増えた現代においては、世界選手権大会でも「2冠」あるいは「3冠」といったスキーヤーが登場するのは珍しいことでは無いのですが、今大会はひとりでした。

 さて、ミカエラ・シフリン選手は23歳、アメリカチームの「若手」プレーヤーなのですが、6年前・2013年のシュラートミング世界選手権大会の女子回転で優勝していますし、2014年のソチ・オリンピック女子回転でも金メダルを獲得していますから、10代半ばの頃から、「技術系」の世界トップクラスに居るのです。
 平昌オリンピック2018や世界選手権2015・2017でも回転他で金メダルを獲得しています。

 その「大天才」シフリン選手が23歳になった今大会では、3種目でメダルを獲得し、「2冠」に輝いたことになります。
 得意の回転に加えてスーパー大回転で優勝し、大回転でも3位に入ったのです。

 スーパー大回転は「高速系」種目です。

 ミカエラ・シフリン選手は「活躍する領域」を拡大していると見るのが自然なのでしょう。

 回転種目で1本目3位に付けての2本目の滑りは、とても完成度の高いものでした。
 逆転に向けてのほれぼれとするような滑りには、かつてのインゲマル・ステンマルク選手の様な存在感が感じられたのです。

 アルペンスキー・ワールドカップでも、2016~17年と2017~18年シーズンの2季連続総合優勝していることを考え合わせると、シフリン選手は既に「新女王の戴冠」を済ませているようです。

 その2はシュガーボウルです。

 アメリカ合衆国南部のルイジアナ州ニューオーリンズで年頭に開催されるボウルゲームですが、歴史的にニューオーリンズが綿花と「砂糖」の一大輸出港であったことから「シュガー」ボウルと名付けられたのでしょう。

 1935年開始ですが、1974年まではチュレーン・スタジアムで開催されました。
 80000万人余を収容する大スタジアム。1974年までは、NFLニューオーリンズ・セインツのホームでもあり、スーパーボウルも3度開催されました。

 私には、シュガーボウルといえばチュレーン・スタジアムですが、現在の会場であるルイジアナ・スーパードーム(現、メルセデスベンツ・スーパードーム)に移ったのは1975年ですから、もう40年以上の月日が経っています。意外に古くからスーパードームで行われていたということになります。

 シュガーボウルの勝利チームというと、ネブラスカ大学とアラバマ大学が印象に残っています。(例によって、1970年代・80年代に強かったチームです)

 ネブラスカ州には、NFL、MLB、NBAのチームが有りませんので、スポーツファンの注目はカレッジフットボールに集中します。その1に書いた「カレッジフットボールの人気が高い」要因の典型的なエリアなのでしょう。

 ネブラスカ大学コーンハスカーズ(コーンの皮をむく人という意味で、いかにもコーンの名産地らしい愛称です)は、これまで5度の全米チャンピオンに輝いている名門です。
 ハイズマントロフィー受賞者も3名輩出しています。
 シュガーボウルでも、1974年、85年、87年と勝利しました。
 但し、名伯楽トム・オズボーンが1997年に引退してからは、かつての強さが影を潜めているのはとても残念です。

 一方のアラバマ大学クリムゾンタイドの強さは健在です。
 全米カレッジフットボール界最多17回の全米チャンピオンに輝いており、2019年1月7日の全米王者決定戦でも、惜しくもクレムゾン大学タイガースに敗れたとはいえ、全米トップクラスの実力を維持しているのです。
 全米カレッジフットボールの歴史上、ノートルダム大学ファイティングアイリッシュと並ぶ超名門チームでしょう。

 クリムゾンタイドOBには、NFLの歴史に燦然と輝くプレーヤーが並びます。
 第1回、第2回スーパーボウルMVP・バート・スター選手(グリーンベイ・パッカーズ)、第3回スーパーボウルMVP・ジョー・ネイマス選手(ニューヨーク・ジェッツ)、第11回スーパーボウル優勝QBケン・ステブラー選手(オークランド・レイダーズ)等々、初期のスーパーボウルを彩ったプレーヤーが並んでいます。

 もちろん、シュガーボウルにおけるクリムゾンタイドの活躍は素晴らしいものです。
 1978年から80年の3年連続優勝を始めとして9回の制覇に輝いています。

 続いては、フロリダ州マイアミで開催されるオレンジボウルです。
 これは「その3」で・・・。
 2019年のアルペンスキー世界選手権大会も佳境を迎え、2月15日には男子大回転が行われました。

 この種目は、まさに「3強」の争いとなりました。

 今季ここまでの世界ランキング1~3位の3選手が、今種目の1本目のタイム1~3位を占め、2本目を合わせての成績でも1~3位を占めたのです。
 加えて、この3選手は平昌オリンピックの同種目の1~3位でもありました。

[2月15日・男子大回転・スウェーデン・オーレ]
1位 ヘンリック・クリストファーセン選手(ノルウェー) 2本計 2分20秒24
2位 マルセル・ヒルシャー選手(オーストリア) 同2分20秒44(+0.20秒)
3位 アレクシス・パンチュロー(フランス) 同2分20秒66(+0.42秒)

 1本目の滑走順は、1番クリストファーセン選手、2番パンチュロー選手、5番ヒルシャー選手、1本目の順位は、トップがパンチュロー選手、2番手ヒルシャー選手、3番手クリストファーセン選手でしたから、2本目は1本目の順位の逆に滑りました。

 世界選手権という大舞台で、他にも有力選手が居る中で、「3強」は完全に自分達だけのレースを展開し、「メダルの色を争った」のです。

 「3強」の中で2本目の最初に滑ったクリストファーセン選手は、「優しく長いエッジング」が印象的でした。大きな雪煙を上げることなく、丁寧なエッジングだったのです。
 続くヒルシャー選手は、これはヒルシャー選手の特徴である「短く強いエッジング」でした。パワー十分な滑りを魅せたのです。
 3人目、1回目1位から、優勝を争う上位選手達の最後に滑ったパンチュロー選手は、丁度クリストファーセン選手とヒルシャー選手の中間、回転動作の後半での、やや長いエッジングの滑りでした。

 3選手が、それぞれの持ち味を発揮したトライでしたが、今回は結果として「こういう順位」になった感じがします。

 後半に入った「オーレの世界アルペン」は、気温が高く、雪質がベタついています。
 昼間に行われた1本目では、ゴール地点の気温が6℃と、この時期のオーレとしてはとても暖かい気候でした。
 夜に入って行われた2本目は、この「重い雪面」をおそらくは塩で固めたコースであったと推測しますが、本来気温が低い北欧のコースで、いつもならパウダースノーを固めた雪面を予想していた選手達にとっては、意外な環境だったことでしょう。

 そうした「想定外の事象」に対しても、「3強」はしっかりと対応しました。
 この「対応力」の高さが、3選手の強さの源であろうと思います。
 どんな競技・種目でも共通していますが、本物は「悪コンディションにも強い」のでしょう。

 ちなみに今大会、ヒルシャー選手は回転で、パンチュロー選手はアルペン複合で金メダルに輝きました。「3強」は、金メダルをひとつずつ獲得しています。
 何だか、凄い話です。

 2018年の平昌オリンピック(金:ヒルシャー選手、銀:クリストファーセン選手、銅:パンチュロー選手)と2019年のオーレ世界選手権、この2大会の男子大回転は、「3強による3強のためのレース」でした。

 これ程に他の追随を許さない「明確な3強」というのは、アルペンスキー史上でも滅多に観られないものだと感じます。

 スーパーボウル2019はニューイングランド・ペイトリオッツの6度目の優勝で幕を閉じました。
 アメリカンフットボール競技最高峰のゲーム、アメリカ合衆国最大のスポーツイベントは、今回も数多くのドラマを提供してくれました。

 さて、スーパーボウルが終了して、アメリカンフットボール界は「休息期間」に入りました。

 このオフシーズンを利用して、KaZブログとしてはアメリカの「カレッジフットボール」について書いてみたいと思います。
 前々から書いてみたいと考えていたテーマです。

 不思議なことに、21世紀に入ってから、我が国ではアメリカのカレッジフットボールについての情報やゲームのテレビ放送が減ってきているように感じますので、上手く書けるかどうか自信はありませんが、お楽しみいただければと思います。

-------------------------------

 アメリカ合衆国において、カレッジフットボールの人気は「絶大」です。

 もちろん、プロのフットボール、特にNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の人気の高さは、皆様ご承知の通りですが、感覚的には「NFLに勝るとも劣らない人気」が、カレッジフットボールには有ると思います。

 特に、NFLのチーム(全32チーム)が無い州(全米50州ですから多くの州にNFLのチームが無いのです)においては、最も人気が高いスポーツのひとつとして、存在感が大きく、秋から冬のアメリカ合衆国を彩るビッグイベントとなっています。

 各「州」の独立性が高く、それぞれの州がひとつの独立国といった見方もあったアメリカにおいては、カレッジフットボールにおいても「我らが州の大学チーム」という意識が高く、19世紀以降長い間「全米大学NO.1チームを決める大会・試合」は行われていませんでした。

 そうした状況下で、「我らがチームが、他の州のチームと戦う試合」として、高い地位を誇っていたのが、本編における「20世紀の4大ボウルゲーム」なのです。

 私がアメリカンフットボールを観始めた1970年代、アマチュア最高峰としての「4大ボウルゲーム」の存在感は抜群でした。

 元旦1月1日になると、時には日本においてもゲームのテレビ放送が行われ、いかにもアメリカ合衆国らしい華やかな絵が、日本のお茶の間にも流されたのです。(20世紀の4大ボウルは原則として1月1日に行われたと記憶しています)

 その4大ボウルとは、
① ローズボウル(1902年開始)
② シュガーボウル(1935年開始)
③ オレンジボウル(1935年開始)
④ コットンボウル(1937年開始)
です。

 ローズボウルは、歴史と伝統を誇る4大ボウルの中でも最も古く1902年開始です。
 そして、21世紀の現在でも「アメリカのカレッジフットボールを代表するゲーム」であろうと思います。

 カリフォルニア州バサディナのローズボール・スタジアムを会場として開催されるボウルゲームですが、その収容人員は92000人余という、世界一のスポーツ大国アメリカにおいても、全てのスポーツ競技を通じて最大級のスタジアムなのです。

 これまでに計5回、NFLスーパーボウルの会場ともなっています。(第11回・1977年、第14回・1980年、第17回・1983年、第21回・1987年、第27回・1997年。現在の様に各地に巨大なドームスタジアムが無かった時代には、スーパーボウル会場の選定に当たって当日の天候がとても大事な要素でしたので、「天気の良い日が多い」屋外スタジアムが会場に選ばれることが多かったのです。カリフォルニア州パサディナは「晴れる日」がとても多い地域なのです)
 アメリカンフットボール以外でも、1994年サッカーFIFAワールドカップ・アメリカ大会決勝、ブラジルVSイタリアの試合もローズボール・スタジアムが会場でした。
競技を問わず、世界最高峰の試合が開催される、まさに「アメリカを代表するスタジアム」と言って良いでしょう。

 また、ローズボウル開催に伴って「恒例のパレード」が会場近辺で行われるのですが、このパレードもとても有名です。パレード好きのアメリカの人々からも注目される程の、素晴らしいパレードなのです。

 さて歴代の優勝チームの中では、USC(南カリフォルニア大学)とUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)が印象に残っていますが、これは私がローズボウルに最も興味を持っていた時期が1970年代から80年代であり、その頃この2チームが強かったということなのでしょう。
 ちなみにこの時期(1970年から1989年)、USCトロージャンズは7回ローズボウルで勝利していますし、UCLAブルーインズは4回勝っています。その後もUSCは2017年にも勝つなど、ローズボウルの名門チームとして活躍を続けていますが、一方のUCLAは1986年を最後に勝っていませんし、1999年が最後の登場(この時はウィスコンシンに敗れました)となっていますので、21世紀の両チームは対照的な成績となっているのです。
 それにしても、USCトロージャンズのマーチングバンドは、その軍隊風の装束と言い、演奏の上手さ・華やかさと言い、とてもカッコ良いと思います。

 思い出は尽きませんが、ローズボウルがアメリカを代表するスポーツイベントのひとつであることは、間違いないでしょう。

 続いては、ルイジアナ州ニューオーリンズで開催されるシュガーボウルですが、これは「その2」で・・・。
 とても有名な言葉です。

 1960年代から70年代前半までの時期、昭和35年頃から昭和40年代後半までの時期、日本という国が太平洋戦争からの復興を目指して、経済成長を続けていた時期を象徴する言葉です。

 この時期には、プロ野球において巨人軍=読売ジャイアンツが毎年のように優勝し、大相撲において大鵬関が大関から横綱に昇進し優勝を重ねていました。食卓に並ぶ甘い卵焼きと共に、「子供が好きな3つのもの」として、「巨人・大鵬・卵焼き」と呼ばれたのです。

① 子供向けだけでは無い。

 21世紀の今、当時を思い出すと、「巨人・大鵬・卵焼き」は決して「子供」向けのものでは無かったと思います。

 大人も含めて、「大好きなもの」だったのです。
 1945年の終戦後、食糧難の時期が続きましたが、ようやく「鶏卵」が安定して供給されるようになり、決して安価な食べ物ではありませんでしたが、働いて得た収入により、毎日のように食べることが出来るようになった時期なのでしょう。
 そして、最大の娯楽として、巨人と大鵬への応援が存在したのです。

 戦後日本の「安定化」を象徴する3つ、であったのでしょう。

② テレビジョンの発展と共に。

 大相撲の本場所が行われている時には、夕方になるとテレビ放送が有りました。現在と同じ、NHK総合放送であったと思います。
 昭和30年代、我が家は「白黒テレビ」でしたので、大鵬と柏戸の取組などをテレビにかじりついて白黒映像で視聴しました。

 学校から帰ってきた子供たちと、家に居る親が、テレビの前に並んで大相撲を視聴するのです。
 そして午後7時30分ごろからは、プロ野球中継が始まります。
 この時には父親も帰宅していますから、家族勢揃いでプロ野球放送に見入りました。

 この時代の最大の娯楽は、巨人と大鵬、つまりプロ野球と大相撲でしたが、それは「テレビで放送されるプロ野球と大相撲」でした。
 国技館や後楽園球場での生観戦などというものは「想像もできない」ものであったと思います。

 別の言い方をすれば、この時代の最大の娯楽は「テレビを観ること」だったことになります。

 この時代のテレビ放送は、その受像機の進歩も含めて、「伸び盛り」だったことは間違いありません。
 「テレビというメディアの価値」は年を追うごとにというか、日に日に高まっていったのです。

 そして、「テレビ時代のピーク」は、巨人・大鵬時代の終焉の頃、1970年代の中盤であったように感じます。

③ 「巨人・大鵬」なのか、「プロ野球・大相撲」なのか?

 「巨人・大鵬のテレビ放送」が、この時代の日本人にとっての最大の娯楽であったことは前述のとおりですが、1970年代に入り、2つの娯楽は少し異なる様子を呈したように感じます。

 大相撲は長く続いた「大鵬一強時代」のために、次第に人気が下がりはじめました。
 「また、大鵬の優勝か」といった空気が流れ始めたのです。
 そういう意味からは、「巨人・大鵬・卵焼き」の「大鵬」は「大相撲のこと」だったのかもしれません。

 「大鵬一強時代」により人気が低下した大相撲は、その後、先代の貴ノ花(大関)の登場により一気に人気を回復し、輪湖時代や若貴時代に繋がっていきます。

 一方のプロ野球は、「テレビ放送のプロ野球」という意味では、「巨人・大鵬・卵焼き」時代の「巨人の人気」をピークに長期低落時代に入りました。
 「テレビ放送のプロ野球」という意味では、「巨人」が中心に存在し、極端に言えば「巨人VS他の球団」という図式で、お茶の間の娯楽の王者に君臨したのでしょう。
 そういう意味では、ここは「巨人」であって「プロ野球」ではなかったように感じます。

④ 21世紀を迎えて

 「テレビ番組としてのプロ野球中継」は、相変わらず視聴率を上げることが出来ず、地上波の放送は減少を続けています。
 2017年のクライマックスシリーズの広島カープ戦が、関東では放送されなかったことには、改めて驚かされました。

 では、プロ野球人気そのものが、21世紀に入って下がり続けているのかといえば、観客動員数は増加傾向ですから、一概には言えないのでしょう。
 2017年シーズンのセントラルリーグの観客動員数は1400万人を大きく超えて、史上最多となりましたし、パシフィックリーグも1100万人を超えています。
 例えば、広島カープ戦のチケットは、容易なことでは入手できなくなっているのです。

 「巨人・大鵬・卵焼き」時代の観客動員数を遥かに超える観客が、球場に詰めかけていることになります。
 「プロ野球はボールパークで観戦するもの」に変化したのです。

 そして、かつては「巨人戦だけが観客動員できた」プロスポーツが、12球団のいずれもが観客動員できる時代となっているのですから、この変化はとても大きなもので、大袈裟に言えば「異なるプロスポーツになっている」のかもしれません。
 「野球」というスポーツの懐の深さを感じさせる事実でもあるのでしょう。

 一方大相撲はといえば、様々な事象が発生して生生流転、人気は上がったり下がったりをくり返していますが、日本社会における大相撲の位置付けはあまり変わっていないというか、平均すれば「安定した人気」を維持しているように観えます。
 ファン層の高齢化が指摘されることもありますが、これは日本社会全体の高齢化と歩を共にしている感じで、大相撲ファンのみが突出して高齢化しているのではないと思います。国技館に行ってみると、若いファンや外国人の観客など、観客席の景色は着実に変わっています。
 インターネットが社会の隅々にまで浸透している時代にあっても、日本古来の大相撲が一定の地歩を維持しているというのは、「相撲」というスポーツの奥深さを示していると感じます。

 太平洋戦争後の日本社会の復興は、「巨人・大鵬・卵焼き」と共にありました。
 「巨人・大鵬・卵焼き」が無かったならば、日本の復興があのペースで、世界史に刻まれるような驚異的なスピードで進んだかどうかは、分からないところでしょう。

 もちろん、「巨人・大鵬・卵焼き」が存在しなくとも、日本人は別の娯楽を見出していたという見方もあるのでしょうが、だからといって「巨人・大鵬・卵焼き」の価値が下がることにはなりません。
 どちらかというと、存在感は増すばかりだと感じます。

 「巨人・大鵬・卵焼き」+「テレビジョン」というセットが、日本復興・発展の日々のベース・礎だったのでしょう。

 21世紀の「巨人・大鵬・卵焼き」は登場するのでしょうか。
 NFL2018~19シーズンのポストシーズン、NHK・BS-1放送のワイルドゲーム中継の中で、「NFL2004年ドラフト上位の4プレーヤー」に付いての説明が有りました。

 「データ大好き」のアメリカ合衆国のスポーツにおいては、試合中継の最中でも、とても興味深い情報が提示されます。
 
 この情報は、ボルチモア・レイブンズVSロサンゼルス・チャージャーズのゲームの中で提示されました。チャージャーズのクオーターバックQBフィリップ・リバース選手に関する情報だったのです。

 2004年のドラフトに登場した選手達は、もし2005年シーズンからNFLにデビューしたとすれば既に15年目のベテランプレーヤーです。同期には、引退した選手も多いことでしょう。

 こうした中で、この4プレーヤーはいまだ現役を続けて居るわけですから、「チームにとって大切な選手」であることは、間違いありません。チームにとって不可欠な選手でなければ、これ程長く現役を続けること=これだけ長くチームに必要とされて契約をつづけること、は出来ないことは自明です。

 その4プレーヤーは、以下の通り。

[2004年NFLドラフト]
・1順目・全体1位 イーライ・マニング選手(QB) ニューヨーク・ジャイアンツ
・1順目・全体3位 ラリー・フィッツジェラルド選手(WR) アリゾナ・カージナルス
・1順目・全体4位 フィリップ・リバース選手(QB) ロサンゼルス・チャージャーズ
・1順目・全体11位 ベン・ロスリスバーガー選手(QB) ピッツバーグ・スティーラーズ

 錚々たるというか、NFLを代表するプレーヤーが並んでいます。

 NFLドラフトにおいて「1順目」に指名されるというのは、全米の大学あるいは高校のアメリカンフットボーラーのトップに位置づけられているプレーヤーです。
 アメリカ合衆国で最も人気のあるスポーツのひとつであるアメリカンフットボールの、最高のプロリーグであるNFLは大学・高校他のプレーヤーにとって憧れの的ですから、そのドラフトにおいて「1順目指名」を受けるというのは、大変な名誉ですし、当該プレーヤーの能力の髙さを証明することでもあります。
 ましてや、各チームの「1位指名」ということですから、日本プロ野球NPBのドラフト1位指名選手を見ても、その価値の大きさが分かると思います。

 とはいえ、ドラフト1順目指名を受け入団したプレーヤーと言えども、順調にNFLデビューを飾り、チームの中心選手として活躍するというのは「至難の技」であることも、NPBを観ても容易に想像できることでしょう。
 ドラフト上位でプロのチームに入ったとしても、活躍できずに引退して行くプレーヤーの方がずっと多いのです。

 そうした状況の下で、2004年ドラフトにおける、前述の4プレーヤーの活躍は「見事」の一語でしょう。
 「ドラフトの当たり年」と言っても良いのかもしれません。

 「全体1位」の大看板を背負ったイーライ・マニング選手は、「2度のスーパーボウル制覇」という素晴らしい成績を誇り、現在もジャイアンツの主戦QBです。お兄さんのペイトン・マニング選手と比較されることも多いのですが、こと「スーパーボウルでの成績」となれば、互角、あるいは「お兄さん以上」との声もありそうです。大舞台でミラクルなプレーを披露するタイプのプレーヤーなのです。

 全体3位のワイドレシーバーWRラリー・フィッツジェラルド選手は、押しも押されもしない「カージナルスの大看板」です。信じられないようなパスレシーブと、受け手からの前進力は、いまだ衰えることを知りません。NFLのWRには素晴らしい選手が数多く居ますが、その実績は文句のつけようがないのは当然として、35歳となった現在でも身体能力の髙さは類を観ないレベルでしょう。
 フィッツジェラルド選手は、2008年のスーパーボウルにも出場しています。

 全体11位のQBベン・ロスリスバーガー選手も「スーパーボウル2度制覇」を誇ります。
 前述のフィッツジェラルド選手が出場した、2008年の第43回スーパーボウルでカージナルスと対戦したのがスティーラーズで、このゲームは27-23の接戦となり、スティーラーズが勝ちましたが、この時のQBがロスリスバーガー選手でした。
 NFLにおいても、人気の高いチームであるスティーラーズの主戦QBを、36歳になった今でも務めているというのは、凄いことです。
 「ビッグベン」と称される、NFLを代表するQBなのです。

 そして、全体4位指名を受けたフィリップ・リバース選手も、NFL屈指のQBとして37歳になった現在も、チャージャーズの中心選手として活躍を続けています。
 記録を挙げれば切りが無い程のプレーヤーですが、この試合で採り上げられた理由は、この4プレーヤーの中で「唯一スーパーボウル出場経験が無い」という視点からでした。

 これ程素晴らしいQBでありながら、まだスーパーボウルに出ていないというのは「不思議な話」であり、今季はそのチャンスでもあるという意味なのでしょう。(残念ながら、出場はなりませんでした)

 それにしても、この「2004年ドラフト上位の4プレーヤー」には、全くと言って良いほど「引退」の話がありません。
 これが、何より凄いことなのでしょう。
 
 2月17日、東京競馬場ダート1600mコースで開催される、第36回フェブラリーステークスG1の注目馬検討です。

 JRA2019年シーズン最初のG1レースに、ダートNO.1の座を目指して14頭が出走してきました。

 また、このレースでは7枠11番のコパノキッキングに藤田菜七子騎手が騎乗します。
 JRA史上初の「女性騎手のG1騎乗」が、ついに実現するのです。(本ブログ2018年12月31日付の記事「[競馬コラム225] 藤田菜七子騎手 中央競馬女性騎手記録を更新中」をご参照ください)

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、7枠11番のコパノキッキング。
 2018年10月から4連勝中です。現在最も好調な馬でしょう。中3週というのが少し気になりますが、調子の良さに期待します。
 藤田騎手の騎乗にも注目です。

 第二の注目馬は、3枠3番のゴールドドリーム。
 G1レース4勝、2017年のこのレースの優勝馬でもあります。地力は一番でしょう。
 近時は、盛岡と大井のG1で勝ち切れてはいませんが、「軸馬」はこの馬だと思います。

 第三の注目馬は、8枠14番のオメガパフューム。
 前走、大井の東京大賞典でゴールドドリームを抑えてG1初制覇。この馬も好調です。今後のダート界を牽引する一頭でしょう。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 それにしても、東京競馬場のG1レースに美浦の馬がノンコノユメ一頭というのは、意外な感じがします。
 「美浦のダート馬」の奮起が待たれるところでしょう。
 中日ドラゴンズの松坂大輔投手について、2月11日球団から発表が有りました。

 「松坂投手は、数日前にファンと接触した際に右腕を引かれ、その後右肩に違和感を抱えているためにノースロー」であると。

 他にも「検査の結果、松坂投手の右肩には炎症が有る」との記事もありました。

 沖縄での春季キャンプの練習前後のことなのでしょうか、松坂投手とファンが接する機会が有り、その際に、あるファンが松坂投手の右腕を引っ張ったために、松坂投手は右肩を負傷したということのようです。
 回復に、どれくらいの時間がかかるのかは報じられていませんが、いまだ投球練習を行うことができない状態ですので、開幕に間に合わない可能性も有ります。
 ドラゴンズにとっては「先発ローテーション」に重大な影響が出るかもしれません。

 芸能界でも「身近なスター」が持て囃されるようになって久しく、女性アイドルグループの活動方法がひとつのやり方になって、数多くの「身近なスター」が生まれてきたという側面もあるでしょう。
 一方では、握手会においてアイドルが刃物で傷つけられるとか、自宅を襲われるといった事態も発生しています。

 日本プロ野球NPBにおいても、試合後ファンの中を歩く選手から、タオルが盗まれるといった事態が発生しています。
 
 NPBもファン獲得あるいはファンサービスの一環として、スター選手とファンとの距離を縮めて、時代に即した「身近なスター選手」、会いに行こうと思えば会えるし、話をしようと思えば話が出来るし、握手をしようと思えば握手が出来る、スター選手づくりを進めているのかもしれません。

 そうした「身近なスター」とファンの触れ合いの場で、松坂投手は怪我をしたのです。

 本件が、偶発的に発生した事象なのか、悪意に満ちた事象なのか、詳細は分かりませんけれども、本質的には、どちらでも同じことで、要は「ファンと選手の距離がとても近いことから発生する問題」なのでしょう。

 20世紀においては、スター選手は「ファンから一定の距離を置いて」存在しました。
 憧れの選手は遠くに居て、大袈裟に言えば「仰ぎ見る」ものだったのです。

 例えば、私の友人が、20世紀の後半に後楽園球場(東京ドームの前身)の近くの中華料理店で、長嶋茂雄選手が「ふかひれラーメン」を食べているのを見た、と嬉しそうに話していたことを思い出します。
 同じ中華料理店にたまたま入ったところ、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄選手が店内で食事をしていたというわけです。

 この時、友人は「遠くから長嶋選手を観ていた」のです。
 近付いて行って、サインや握手を求めるといった行動を取っていません。
 その頃でも、サインを求めたら(サイン台紙を持っていたとして)、長嶋選手は気軽に応じてくれたかもしれませんが、「そういうことをしないのが一般的」な時代だったのでしょう。
 スターは、テレビ画面や観客席から見るもので、身近に存在するものでは無かったのです。

 それが21世紀になって、「身近なスターの時代」が到来し、例えばサインでも、サイン台紙をあらかじめ用意して「書いていただく」のではなく、その辺にあるもの、例えばチケット半券の隅に書いてもらったりすることが、「失礼では無く普通」という時代が来たとも言えそうです。

 私達の生活に「喜び・潤い・生きがい」を齎してくれる、本当に大切な存在であった「スター」が、身近で触れ合える存在に変化してきたということなのでしょうか。

 そうした、現代の「ファンとスターの関係」について、良し悪しは一概には言えないと思います。
 様々な考え方、見方があるのでしょう。

 しかし、そうした「ファンとスターの距離が近過ぎる、時には身体が接触する」という状態から、様々な問題が発生していることも事実です。

 2019年シーズンにおける松坂投手の活躍が、どれほど多くのファンに「喜び・潤い・生きがい」を与えてくれる可能性があるのかを考えれば、もしこの事象により開幕に間に合わず、シーズンの投球機会が半減するようなこと、あるいはシーズンを棒に振るようなことがあれば、ひとりのファンが「右腕を引いた」行為が、どれ程多くのファンの失望に繋がるかは、よくよく考える必要があります。

 「身近なスター」という戦略について、今後どのように運営して行くべきかについては、スポーツ界のみならず、全てのエンターティンメント界において十分に検討し、様々な観点から効果的な対応策を実行して行く必要があるのかもしれません。
 Jリーグの2019年シーズンは、2月22日のセレッソ大阪VSヴィッセル神戸(ヤンマースタジアム)で開幕します。
 
 この開幕を前に、2018年シーズンのJ1を振り返っておこうと思います。

[順位]
1位 川崎フロンターレ
2位 サンフレッチェ広島
3位 鹿島アントラーズ
4位 コンサドーレ札幌
5位 浦和レッドダイヤモンズ
   ・
   ・
14位 サガン鳥栖
15位 名古屋グランパスエイト
16位 ジュビロ磐田
17位 柏レイソル
18位 V・ファーレン長崎   (柏レイソルとV・ファーレン長崎はJ2へ降格)

 サンフレッチェが第5節から第27節まで先頭を走ったシーズンでしたが、終盤に失速してしまい、追い上げてきたフロンターレが第28節から首位に立ち、2チームの競り合いとなりましたが、最後はフロンターレが突き放し2連覇を飾りました。

[得点王争い]
1位 ジョー(名古屋グランパスエイト) 24点
2位 パトリック(サンフレッチェ広島) 20点
3位 ファン・ウイジョ(ガンバ大阪) 16点
4位 興梠慎三(浦和レッドダイヤモンズ)、小林悠(川崎フロンターレ) 15点

 元ブラジル代表のジョーが、圧倒的なパフォーマンスで得点王に輝きました。8月5日の対ガンバ戦と8月26日の浦和レッズ戦ではハットトリックも記録しています。

 上位には外国人プレーヤーが並びました。
 近年では、Jリーグにおいてストライカーとしての実績を積むと、欧州他のチームに転出してしまう日本人プレーヤーが多いのも実態なのでしょうが、「伸び盛りの若手日本人プレーヤー」に頑張っていただき、得点王争いに参加してほしいものです。

[観客動員数]
1位 浦和レッドダイヤモンズ 603千人余
2位 FC東京 449千人余
3位 名古屋グランパス 419千人余
4位 ガンバ大阪 399千人余
5位 川崎フロンターレ 394千人余


14位 清水エスパルス 254千人余
15位 サンフレッチェ広島 243千人余
16位 湘南ベルマーレ 206千人余
17位 柏レイソル 193千人余
18位 V・ファーレン長崎 190千人余

 プロスポーツですから観客動員はとても大切な要素です。
 浦和レッズは、「伝統的なサッカーどころの強固なファン層」が常に力を発揮しています。

 観客動員トップの浦和レッズは最下位のV・ファーレン長崎の3倍以上となっています。大都市圏とそうでは無い地域の違いもあるのでしょうが、例えばアメリカンフットボールNFLの人気チーム・グリーンベイ・パッカーズは、人口105千人(2017年)の街・グリーンベイを本拠にしていますが、ホームのランボーフィールド(収容能力80,750人)は常に満員、チケット入手の難しさはNFL屈指です。

 また、パッカーズ・ランボーフィールドの「シーズンチケット」のキャンセル待ちの人数は、スポーツ大国アメリカの全てのプロスポーツの中で最多の65,000人以上と言われていますし、シーズンチケットの権利・相続人を遺言書で指名するファンも珍しくないと報じられています。

 お子さんと老人を含めて人口105千人余のグリーンベイにおいて、80千人収容のスタジアムが常に満員で、当日券・シーズンチケット共にキャンセル待ちが溢れているというのですから、グリーンベイ外のファンも多いことは明白です。

 もちろん、JリーグとNFLを単純に比較できないことは分かりますが、「小さな街だから観客動員数が少ない」という理由だけでは、プロスポーツの運営としては残念なところでしょう。
 逆に言えば、Jリーグには大きな伸びしろが有るということなのかもしれません。

 更に、2018年シーズンは、観客動員数17位・18位と、シーズン成績17位・18位が同じチームでした。

 「弱いから観客が減り、観客が減るから一層弱くなる」という負のスパイラルなのかもしれませんが、ファンならば「チームが苦しい時に一層応援する」のが自然ですし、「チームが好調の時だけスタジアムに足を運ぶ」のでは、いかがなものかとも感じます。
 もちろん、クラブ経営側の責任も大きいと思います。

 「観客動員力が弱い順に降格する、これがプロスポーツの『あるべき姿』」だと、友人は言います。

 この点で、2019年シーズンはどうなるのでしょうか。

 2018年シーズンには、イニエスタ選手やトーレス選手といった「世界的プレーヤー」がJリーグに登場しました。2019年にはビリャ選手もJ入りすると報じられています。

 日本経済の実力もあるのでしょうが、Jリーグが「名プレーヤーの終の棲家」として、世界的に高く評価されていることの証左でもあるのでしょう。

 日本という国家、日本文化の上に構築された「Jリーグという器」が、世界のトッププレーヤーのお眼鏡にかなっているということになります。

 プロスポーツプレーヤーと言っても収入の多寡だけで働く場を決めるのではない(当たり前のことを書き恐縮です)のですから、トッププレーヤーに支持されるリーグであることは、とても大切なことでしょう。
 日本のフィールドで、我が国のファンや子供たちは、素晴らしい選手たちの世界最高水準のプレーを目の当たりにすることができるのですから。
 そのことが、未来のJリーグ、日本サッカーの礎となることは明らかなことです。

 2019年のJリーグにおいても、素晴らしいシーンが沢山観られますように・・・。
 2月10日に行われた女子滑降は、シュトレツ選手が圧勝しました。
 前回の世界選手権大会のこの種目を制しているシュトレツ選手は、世界選手権連覇を成し遂げたのです。

[2月10日・女子滑降・スウェーデン・オーレ]
1位 シュトレツ(スロベニア) 1分1秒74
2位 ズター(スイス) +0.23秒
3位 ボン(アメリカ) +0.49秒

 前日の男子滑降に続いて、霧が発生しコース・雪面が見難い気象状況となりましたので、女子もスタート地点が下げられ、コース距離も大幅に短くなりました。
 全長1,670m、高低差520m、25ゲートです。これは世界選手権のコースとしてはとても短いもので、太腿を始めとする体力面への負担がとても小さいレースとなりましたし、コース形状も比較的直線的で難しいターンも設定されていませんでしたから、「大差が付き難い」レースとなったのです。
 そうした中での「0.23秒差」の優勝ですから、圧勝ということになります。

 レースは3番スタートのリンゼイ・ボン選手がリードしました。
 レースに対して先制パンチを放った形でしょう。
 特に、後半の緩斜面での滑りが秀逸で、タイムを伸ばしてトップに立ちました。

 続く選手がボン選手のタイムに挑みますが、なかなかこれを上回ることが出来ません。

 ノルウェーのモービンケル選手やオーストリアのベニアー選手が迫りますが、ボン選手はトップを守り続けます。
 そしてシュトレツ選手が登場し、コース前半の急斜面でタイムを稼いで、ボン選手を0.49秒上回る滑りを披露したのです。

 シュトレツ選手の後、テレビ中継の音声で、選手が滑る音が大きく聞こえるようになりました。エッジングの音が響くようになったのです。
 「雪面の状態が変化した」と思いました。

 ご存じのように、滑降種目では過度のエッジングは禁物です。可能な限りスピードを維持して、スキー板裏面のなるべく大きな面積を雪面に強く押しつけたまま滑ることで、滑走スピードを上げることが出来るのですが、エッジングの音が大きく聞こえるようになってしまっては、好タイムは望めないと感じました。

 前半の選手からの情報によって、続く自国選手のワックスを調整している訳ですから、続く選手のスキー板には前半の雪面状態に合わせたワックスが塗られているので、変化した雪面には適応し難いものであろうとも思いました。

 案の定、その後の選手のタイムは伸びませんでした。

 現在の世界選手権等の大きな大会では、世界トップ20の選手を、1~10位までを奇数番に、11~20位を偶数番に配して、1~20番のスタート順を設定します。
 従って、スタート順20番までの選手の中から(それも1・3・5・7番・・・といった奇数番号スタートの選手から)優勝者が出る可能性が非常に高いのです。

 18番スタートまでの選手が滑り終わって、トップがシュトルツ選手、2番手がボン選手という順位は変わりませんでした。雪面の変化を考慮しても、このまま終了するかに見えました。

 ところが19番スタート、スイスのズター選手が見事な滑りを魅せてくれたのです。
 スピードとテクニックのバランスが絶妙な滑りでしたから、トップに躍り出るかに見えましたが、惜しくも及びませんでした。
 19番スタートでのズター選手のトライは見事であったと感じます。
 もちろん、スイスチーム全体の高い対応力が発揮されたことは間違いないでしょう。雪面の変化に対するワックスチームの再度の見直しや、コース取りへの再度の検討・実行無くして、こうした素晴らしいスキーイングは観られないと思います。

 銅メダルを獲得したリンゼイ・ボン選手の滑りも見事でした。
 前半の急斜面を慎重に滑り、後半の緩斜面における自在な滑りでタイムを稼いだのです。さすがは「ワールドカップ82勝」、女子選手の歴代一位の記録保持者の実力を発揮してくれました。

 34歳となったボン選手は、今大会を最後に引退すると報じられていました。

 「キャリア最後のレース、それも世界選手権の大舞台」でキッチリとメダルを獲得して行くという、高度な集中力無しでは到底達成できないことをやってのけたのです。女子アルペンスキー史上に燦然と輝く巨星でしょう。

 ゴールイン後には、男子のワールドカップ最多勝・86勝を誇る、インゲマル・ステンマルク氏との2ショットが放送されていました。
 2人合わせて168勝、まさにアルペンスキー史を飾るスーパースターの共演でした。

 前日の男子滑降においても、今大会での引退を表明していた36歳のスピンダル選手が銀メダルを獲得しました。こちらも、狙い澄ましたような銀メダルでした。

 やはり「本物は凄い」のです。

 それにしても、「スロベニア」のシュトレツ選手の連覇には驚かされました。
 当然ながら大会毎にコースが変わり、経験のあるコースでも雪面や天候が千差万別に変化する中にあって、世界一を決める大会で「連覇する」ことの難しさは、筆舌に尽くしがたいものでしょう。
 実力は疑う余地がありません。

 加えて、前々回の世界選手権大会でも、スロベニアのティナ・マゼ選手が滑降種目を制していますから、「スロベニアチームは世界選手権女子滑降3連覇」ということになります。
 高速系種目と言えば「王国オーストリア」という定評でしたが、少なくとも女子においては「新王国スロベニア」と呼んで良い状況でしょう。
 
 28歳のシュトレツ選手は、当分の間、世界大会の女子滑降をリードして行く存在なのであろうと感じます。
 2月5日、スウェーデンのオーレで開幕した2019年のアルペン世界選手権大会も中盤に差し掛かり、9日には男子の滑降が行われました。
 数あるアルペンスキー種目の中でも、滑降・男子は最も好きな種目のひとつです。
 いわゆるアルペンスキーの競技会が始まった頃から存在していた種目でしょうし、何より「真っ直ぐに速く滑り降りる」というのは、スキー競技の本質的な要素だと思うからです。

 なるべくエッジングをせず、なるべくジャンプをせず、雪面に可能な限りスキー板を付けて滑り降りなければならない「滑降」は、体力と知力の限りを尽くさなければ勝利に辿り着くことが出来ない種目ですし、120km/hを超える滑走速度から生まれる圧倒的な迫力から「アルペンの華」とも称されます。

 ところで、近時のアルペンスキー界は、少し世代交代が遅れているかなという感じがしていました。
 かつての強豪選手達が、男女を問わず、相当長く世界の一線級で活躍を続けて居ます。
 そのこと自体には、もちろん何の問題も無いのですが、若手というか次代を担う新星の登場も、5年後のアルペンスキー界を考えると、もう少し有っても良いのではと感じます。

 さて、2年に一度のFIS世界選手権大会の「華」、男子滑降もベテランスキーヤーの活躍の場となりました。

 当日のコースは雪が降り続け、霧も出て、風も有る、という難しいコンディションとなりました。
 結果として、予定していたコースより1kmほど短い2,172mで争われることになったのです。男子スーパー大回転のコースと同じ位置にスタートゲートが設置されました。
 これは少し残念でした。世界大会の男子滑降となれば「3,000m前後」の距離で争われるものですし、その距離と滑る時間に合わせた体力、太腿や体幹の筋力を始めとするフィジカルの勝負が、男子滑降種目の魅力のひとつだからです。
 まあ、天候の為ですから、止むを得ないところなのですけれども・・・。

 当然ながら、雪が降り続くコースとなれば、いつもやり慣れている雪面とは異なりますし、降雪および霧の為にコース・雪面が見難いといった面もあるわけですが、そこは世界トップクラスの強者ぞろいですから、「それなりに」順応して行く能力が高いので、問題は無いでしょう。
 不幸中の幸い?というか、1番スタートから30番スタートまでの優勝を争うであろうスキーヤーが滑った時には、この天候関連のコンディションは殆ど同じでした。
 突然霧が晴れたり、突然雪が止んだりすることが無かったのです。
 比較的「平等に難しいコンディション」であったことになります。

 もちろん、世界一を狙おうというレベルの選手達が、屋外競技終了後に「天候コンディションに恵まれなかったから負けた」などというコメントを残すはずも有りません。
 悪コンディションへの対応力が実力の一部であることは当然のことですし、そもそもそんな考え方のプレーヤーでは、もともと世界大会での好成績は覚束ないのです。

 さて、今大会の男子・滑降は、まずノルウェーのヤンスルード選手(33歳)が1分19秒98という、1分20秒を切る好タイムを叩き出してトップに立ち、後から滑った同じノルウェーのスピンダル選手(36歳)が1分20秒00と0.02秒差で2番手に付け、さらに後から滑ったオーストリアのクリヒマイヤー選手(27歳)が1分20秒31、ヤンスルード選手から0.33秒差で3番手につけました。
 そして、この後の選手達は、この3名を上回ることが出来ず、メダルが確定したのです。

 2位となったスピンダル選手は、今大会を最後に引退すると報じられていました。
 自身にとっての最後の世界選手権で銀メダルを獲得するというのですから、その意気込み・意欲の高さと、冷静なプレー振りは見事の一語でしょう。(コース前半の大きな片斜面前後をもう少し上手く滑っていれば、十分に逆転できた滑走でした)
 今シーズン、本来の滑りが出来ていなかった中で、「本番での強さ」を明示したのです。

 優勝したヤンスルード選手も同様で、今シーズンはここまでパッとしませんでした。
 こちらも「本番での強さ」を示しました。

 このノルウェーの2名のベテランは、昨年の平昌オリンピックにおける男子滑降の1・2位です。(2018年2月18日付の本ブログの記事「[平昌五輪2018アルペンスキー男子滑降] ノルウェー勢が1・2位!」をご参照ください)
 オリンピックの時には、金メダルがスピンダル選手、銀メダルがヤンスルード選手でした。今回は1・2位が逆になった形。
 ノルウェーの2高速系スキーヤーは「大きな大会での勝負強さ」を如何なく発揮しているのです。

 有力視されていたスイスのフォイツ選手(31歳、前回の世界選手権の優勝者)は惜しくも及ばず4位でした。
 どうも、この大会のスイス勢は調子が出ないようです。
 もちろんワックス等の要因もあるのでしょうが。

 また、「高速系種目の王国」オーストリア勢は、3位にクリヒマイヤー選手が食い込み、一矢を報いましたが、やはり全体としてはやや元気が無い印象です。
 前々回の世界選手権優勝者マティアス・マイヤー選手(28歳)は、若くして世界王者に輝いたものの、やや伸び悩んでいるのでしょうか。クリヒマイヤー選手と共に「王国復活」に向けての牽引役が期待されるのでしょう。

 ところで今大会のテレビ中継では、ゴール地点の映像の中に「トップの選手との差」が距離で示されていました。(全ての選手に表示されていた訳ではありません。以前から表示されていたのかもしれませんが、初めて気が付きました)
 スピンダル選手がゴールした時、「+0.54m」と右下に表示されました。
 これはトップのヤンスルード選手と「54cm差」ということを示していたのでしょう。
 0.02秒差=54cm。2,172mを滑っての54cmです。

 2名のベテランの滑りを映像で重ねてみれば、ゴール地点では殆ど重なっているということになります。

 当たり前のことに感心していてはいけないのでしょうが、計測技術の進歩を改めて感じました。
 
 2月10日、ショートプログラムSP4位でフリースケーティングFSに臨んだ宇野昌磨選手が、完成度の高いプレーを魅せて逆転優勝を飾りました。

 総合順位は以下の通り。
1位 宇野昌磨 総合得点289.12 SP91.76・FS197.36
2位 金博洋 同273.51 SP92.17・FS181.34
3位 ヴィンセント・ジョウ 同272.22 SP100.18・FS172.04

 SPで約8点の差を付けられて4位だった宇野選手が、総合では14点以上の差を付けて勝っているのですから、宇野選手のFSの演技が「圧倒的なもの」であったことが良く分かります。
 197点を超えるFSというのは現在の世界最高点ですし、羽生結弦選手の最高点演技を約7点上回る、世界フィギュア史上に刻まれる好プレーでした。

 大会前、右足首の再三の「捻挫」の為に、練習不足が指摘されていた宇野選手は、SPではその不安が表れた形でした。
 軸足、ジャンプ時に着氷する足である右足の足首が故障している状態では、満足な演技が出来ないのは自然なことで、今回は「無理をしないで」欲しいと感じていました。

 しかし、FSの6分間練習に登場した宇野選手の「眦を決した」様子を観た時、「全力を投入」するつもりであることがよく分かりました。3月の世界選手権に向けて治療を優先し「無理をしない」ということではなく、この大会で全ての力を出し尽くす、怪我の悪化リスクを考えない姿勢が、全身から溢れていました。

 そしてそのFSの演技は、本当に素晴らしいものでした。

 3回トライした4回転ジャンプは全て成功、ステップ、スピンのシークエンスも完璧、唯一のミスと言える「3回転+1オイラー+3回転」の最後の3回転ジャンプでしたが、この演目は基礎点が15点を超える難度の高いものであり、この演目の出来栄え点はマイナス1点以上となっていましたので、逆に言えば、この演目を上手く熟すことができればプラス2点以上の出来栄え点を獲得することが十分可能であり、それは「FS200点越え」に結び付くものです。
 新採点基準における「FS200点越え」の可能性を感じさせる演技であったことになります。
 200点越えはもちろん、世界中の誰も達成していない領域・高みです。

 今回の四大陸選手権大会を観ると、「演目の完成度」の重要性が改めて感じられました。

 「単に4回転にトライする」ことが問題なのでは無く、「試合で4回転を完璧に飛ぶ」ことが重要なのです。
 嫌な言い方で恐縮ですが、誤魔化しているような雑な演技なら「やらない方がまし」なのかもしれません。

 「回転不足の連発」、着氷後の「伸び」が無い4回転ジャンプ、というのでは、「4回転を飛んでいる」とは言えないと思います。
 「一か八か」というレベルでは、試合において飛ぶにはまだ早いということなのでしょう。

 その点では、宇野昌磨選手や、前日の女子シングルの紀平梨花選手は、とても完成度の高い技を身に付けています。それは、演技を見れば誰にでも分かることでしょう。

 フィギュアスケート男子日本チームは、羽生選手、宇野選手の「2枚看板」を前面に押し立てて世界選手権に挑みます。
 もともと宇野選手は、羽生選手に勝るとも劣らないレベルに達しているアスリートですから、日本チームとしては最強の布陣でしょう。
 これ程のスケーターを同時期に2名も生み出したことは、日本男子フィギュア界の「大功績」であることも間違いありません。

 一方で、世界トップクラスに居る2人には、連戦・長いキャリアの影響から、常に「故障」のリスクが存在します。
 3月の世界選手権も、2人共欠場の可能性がないとはいえないでしょう。

 日本男子フィギュア史上最強の2人が健在である間に、次代を支えるスケーターの登場が待たれるところです。
 スーパーボウル2019に向けてのポストシーズンゲームは全て記事にしようと考えていました。ひとつだけ残っていましたので、ここで採り上げようと思います。

[1月13日・メルセデスベンツ・スーパードーム]
ニューオーリンズ・セインツ20-14フィラデルフィア・イーグルス

 NFL2017~18シーズンのスーパーボウルを制覇し、2018~19シーズンのワイルドカードも勝ち抜いて、2シーズンに渡り「ポストシーズン負け無し」だったイーグルスに、ついに土が付いたゲームです。

 ミラクルなゲームを続けてきた「ニック・フォールズ劇場」も終演を迎えたのです。

 このゲームの第1クオーターQは、「劇場の継続」を観るようでした。
 クオーターバックQBフォールズ選手のパスと自身のランによって2つのタッチダウンTDを奪い、イーグルスが14-0とリードしたのです。

 QBドリュー・ブリーズ選手を中心とした強力なセインツオフェンスを零封した、イーグルス守備陣も、さらなる勝利に向けて、十分に機能していたのです。

 第2Q以降も、イーグルスディフェンスは良くセインツの攻撃を押さえ続けましたが、一方でイーグルス攻撃陣は、第2Q以降「神通力を失い」ました。
 第1Qの攻防から、セインツ守備陣が適応し、結局第2~4Qにかけて、イーグルスは無得点でした。

 イーグルス守備陣の堅い守りに苦しんだセインツでしたが、さすがに「百戦錬磨」のQBブリーズ選手は、ここぞというパスを決めて、第2Q以降着実に得点を重ね、イーグルスを押し切ったのです。

 苦労しながらとはいえ、2つのTDパスを通したQBドリュー・ブリーズ選手は「さすが」の一語。パスオフェンスの権化のような存在でしょう。

 さて、セインツはチャンピオンシップゲームに駒を進めましたが、ラムズとのオーバータイムOTの激戦の末敗れてしまい、惜しくもスーパーボウルに進出できなかったことは、皆さんご存知の通りです。
 
[2月8日・女子シングル最終日・アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイム]
1位 紀平梨花 総合得点221.99 SP68.85・FS153.14
2位 エリザベート・トゥルシンバエワ 同207.46 SP68.09・FS139.37
3位 三原舞依 同207.12 SP65.15・FS141.97

 ショートプログラムで5位と出遅れた紀平選手が、フリースケーティングFSで圧巻の演技を魅せて逆転勝ちしました。
 結果として2位に13点以上の差を付ける圧勝であったことが、紀平選手のFSの凄さを如実に示しています。

 試合前の練習で、紀平選手が左手薬指の関節を亜脱臼した時には、欠場も予想されました。タイミングがとても大切なフィギュアスケートのジャンプシークエンスにおいては、踏切の際に「普段存在しない痛み」が体に走るのは大きな影響が有るので、試技を行うのは困難に思われたからです。

 話が少し逸れますが、例えば主に上半身でプレーするように見えるテニスや卓球、バドミントン、あるいは野球のバッティングといった競技・プレーにおいて、下半身が極めて重要な事は明らかですし、主に下半身でプレーするように見えるサッカーにおいて、上半身が重要な役割を果たすのは、ご承知の通りです。
 フィギュアスケートにおいても、上半身の怪我の影響はとても大きいものでしょう。

 しかし、紀平選手は敢然と出場して来ました。

 とはいえ、故障が有る中での試合における試技で、当該の怪我がどれくらいの影響が有るかは、やってみないと分からないもの(練習と試合は全く違うものです)ですので、トライしてみたのがSPということでしょう。
 そして、SPにおいてはトリプルアクセルを飛ぶことが出来ませんでした。

 それでも、SPのその後のジャンプは綺麗に決めましたから、SPへのトライによって、薬指の故障下、「痛み」や指が動き難い状況におけるジャンプの飛び方を、概ね身に付けた、ということであろうと思います。

 一度身に付けると、その対応策を試合において高確率で発揮できるところが、紀平選手の凄いところでしょう。
 「順応性」「適応力」が抜群なのです。

 もちろん、今大会のFSは、本来のプレーに比べると、スピード、ジャンプの高さ等がやや見劣りしました。
 当初のトリプルアクセル後のコンビネーションジャンプは、本来トリプルアクセル+3回転のものを、ダブルアクセル+3回転にダウングレードして滑っていました。紀平選手は、故障の下で出来る最善のプレーを冷静に行っていたのでしょう。
 この冷静さと丁寧なプレーも、紀平選手の強みです。

 FS試技終了の瞬間、紀平選手は控えめにガッツポーズを魅せましたが、その際にも左手は太腿の上に置いたまま動かしませんでした。相当痛かったのでしょう。

 3位に食い込んだ三原選手は、「乗った時には、とことん押す」という三原選手の持ち味が良く発揮されていました。
 当初のコンビネーションジャンプを成功させて勢いに乗り、素晴らしい試技を完成させました。
 好成績を挙げた大会における三原選手の滑りには、いつも感心させられます。

 それにしても、FSにおいて紀平選手が履いていたスケート靴のブレードの色が左右で異なりました。右脚がゴールドで左足がシルバーだったのです。
 大会前から「靴の具合が良くない」と報じられていましたので、おそらくは左右別々の靴を履いたのであろうと思います。

 別々の2組の靴から、別々に1つずつ左右の靴を選ぶというのも、なかなかの冒険の様に感じますが、現時点で一番履きやすい靴を選択して大会に臨んだことになります。

 ここにも、紀平選手の「適応力」の高さが表れているのでしょう。
 長い歴史と伝統を誇る、アメリカ合衆国のプロベースボールですが、スプリングトレーニングが開始されたのは1886年と伝えられています。
 開始したチームはシカゴ・ホワイトストッキングス(1889年まで存在しました。現在のシカゴ・カブスの前身です)。
 このホワイトストッキングスのプレーヤー兼監督だったキャップ・アンソンがスプリングトレーニングを始めたのです。

 アンソン監督は、4月のレギュラーシーズン開始に向けて、ある程度前から選手達を集めてトレーニングを積ませたら、シーズンの戦いに向けて大きな効果があるのではないかと考えました。現在なら当然のことでしょうが、当時としては「画期的な考え方」だったのです。(現在では「当たり前」「当然」と思われることでも、最初にそれを考え、アイディアを創出し、実行するというのは大変なことです。そのこと自体が素晴らしい才能であり、実行力であることは間違いありません。どんなことであっても、「当たり前」「当然」と考えるのではなく、常に「疑問」を持ち、様々な角度から物事を考えて行く習慣を身に付けたいものだと、いつも思います。そうした行為、物の捉え方こそが、「進歩を生む」ものなのでしょう)

 さて、この案を球団内に提案したところ、反対が多く出されました。
 各プレーヤーが「この時期は別の仕事をしているから事前トレーニングには参加できない」というのが、その理由でした。
 当時のメジャーリーガーはプロスポーツ選手としての収入が少なかったので、オフシーズンには皆、別の仕事をしていたのです。

 なるほど、と感じさせられる話です。

 21世紀に隆盛を極めているプロスポーツの多くが「19世紀後半に始まっている」のですが、開始当初は、どのスポーツでも十分な収入が得られなかったのでしょう。「お金を払ってスポーツを観る」ということが、時代の最先端のエンターティンメントであった頃です。多額のお金を観戦に支払うということが一般化するのは、もっとずっと後の時代なのでしょう。

 そこでアンソン監督は「スプリングトレーニング中は1日に付き何ドルか支給する」ことを確約し、1886年2月はじめに、アーカンソー州ホットスプリングスの地に全選手を集めたのだそうです。
 
 こうして、史上初のスプリングトレーニングが始まったのですが、その効果は絶大で、このシーズン、ホワイトストッキングスは独走優勝を飾ったのです。

 こうした「良い取組」が他のチームに広がっていくのは自然な流れでしょう。翌年から導入するチームもあって、1890年代に普及し、1910年頃には一般的なものになったそうです。

 スプリングトレーニング実施に向けての最大の障害が「選手達の低収入」にあったというのは、プロスポーツの創成期、そして発展期を考えて行く時、とても興味深いところです。

[2月3日・アトランタ・メルセデスベンツスタジアム]
ニューイングランド・ペイトリオッツ13-3ロサンゼルス・ラムズ

 両チーム合わせて「16得点」という、史上最少得点のロースコアゲームとなった、第53回スーパーボウルでした。
 
 チャンピオンシップゲームから2週間の間、両チームはオフェンスとディフェンスを磨き上げてきたのでしょうが、今回は「スーパーボウルへの準備におけるディフェンス面の準備がオフェンス面を凌駕した」のです。

 ゲーム開始早々、ペイトリオッツ自慢の攻撃陣は、クオーターバックQBトム・ブレイディ選手の下ランプレーを駆使してファーストダウンを重ね、前進しました。オープニングドライブ・タッチダウンTDを目指しての順調な立ち上がりに観えたのです。
 ラン攻撃を繰り返しながら着実に前進した攻撃において、QBブレイディ選手がこのゲームにおける最初のパスを投じた時、ラムズ守備陣がこれをインターセプトしたのです。
 集中力抜群の素晴らしいプレーでした。

 「百戦錬磨」、スーパーボウルにおいてNFL史上最高の実績と経験を誇るトム・ブレイディ選手が、このタイミングでインターセプトを受けるとは「夢にも思わなかった」のではないでしょうか。
 ラムズ守備陣は、ブレイディ選手にとっても衝撃的なプレーを披露したのであろうと思います。

 歓喜に沸いたラムズベンチでしたが、QBジャレット・ゴフ選手と共に、「インターセプトの勢いを乗せての攻撃」に入りましたが、散々の結果でした。
 ペイトリオッツ守備陣はラムズ攻撃陣に何もさせなかったのです。
 準備万端の「計算し尽くされた守備」に観えました。
 
 ペイトリオッツのゲーム前の準備において、ラムズの攻撃が「丸裸」にされていると、ゴフ選手も実感したことでしょう。
 この後、ラムズオフェンスは様々なバリエーションの攻撃を仕掛けますが、少なくとも前半は悉く潰されました。「3アンドアウト」の連続だった印象です。

 ビル・ベリチックHCヘッドコーチを始めとするペイトリオッツスタッフのゲーム前準備の精度・クオリティの高さは定評の有る所ですが、スーパーボウル2019に対する「守備面の準備」は、ベリチックHCの素晴らしいキャリアの中でも屈指のものであったと感じます。
 世界最高レベルのゲームに対して、これ程の準備が出来るものなのだと、改めて感心するばかりでした。

 精緻な研究をベースに、熟考の上で構築された守備プレーを、ラインバッカーLBハイタワー選手やバンノイ選手、ストロングセイフティSSパトリック・チャン選手、フリーセイフティFSデビン・マコーティ選手らが躍動しました。
 ラムズオフェンスに対して「先手を打ち続けた」のです。

 さて、守備面で完璧な対応を魅せたペイトリオッツでしたが、攻撃陣ではラムズ守備陣の「凄まじい抵抗」に遭いました。
 ラムズの守備陣は、スーパーボウルにおいて「史上最高の経験値を誇るペイトリオッツの攻撃」を抑え込み続けたのです。
 こちらの守備は、ペイトリオッツとは異なり、「個々のプレーヤーの気迫と頑張り」をベースとしたものに観えました。これはもう「スーパーボウル制覇に向けての執念」が具現化したようなプレーでした。

 少し種類は異なりますが、両チームのとてもレベルの高い守備プレーによって、ゲームは史上稀に見るロースコアゲームとなったのです。
 「火花が飛び散るような守り合い」でした。

 結果として、両チーム合わせて「14本ものパント」が飛び交うゲームとなりました。
 ペイトリオッツが5本、ラムズが9本でした。

 今季のポストシーズン、チャンピオンシップとディビジョナル計6ゲームの平均パント数は「8.17本」でした。6ゲーム中最もパントが多かったのはディビジョナルプレーオフゲーム、コルツVSチーフス戦で、コルツが7本、チーフスが4本のゲームでしたが、スーパーボウルはこれをも3本上回ったのです。
 2018年のスーパーボウルにおいては、両チーム合わせて「パントが1本」という、これも記録的にパントが少ないゲームだったのですが、それとは好対照のゲームであったことが分かります。

 そして、「個々のプレーヤーの気迫とスピード」をベースにしたラムズの守備に、僅かに疲労が観えた第4Q、ペイトリオッツの攻撃がようやく実り、10点を挙げて勝ち切ったというのが、第53回スーパーボウルだったのでしょう。

 その攻撃とて、QBブレイディ選手からワイドレシーバーWRエデルマン選手やタイトエンドTEグロンコウスキー選手へのパスという、ペイトリオッツにとっての「定番の鉄板プレー」、最も「信頼できるプレー」の積み上げ、それも「伸るか反るか」のギリギリのプレー、インターセプトされても何の不思議もないプレーの連続の中から、このゲーム唯一のTDが生れたのです。

 僅かに疲労が観えたとはいえ、ラムズ守備陣は最後まで機能し、QBトム・ブレイディ選手を中心としたペイトリオッツ攻撃陣は、その「史上最高の勝負強さ」を示したように感じます。

 このゲームの主役であった、ラムズ守備陣の先発ラインアップを記録しておきます。
 スーパーボウルの歴史に刻まれる守備陣です。

陣形の前から
① ノーズタックルNT エンダマカン・スー選手
② ディフェンスタックルDT 左マイケル・ブロッカーズ先選手、右アーロン・ドナルド選手
③ ラインバッカーLB  左アウトサイドラインバッカーOLBダンテ・ファウラー選手、右OLBサムソン・エブーカム選手、左インサイドラインバッカーILBコリー・リトルトン選手、右ILBマーク・バロン選手
④ コーナーバックCB 左マーカス・ピーターズ選手、右アキブ・タリブ選手
⑤ ストロングセイフティSS ジョン・ジョンソン選手
⑥ フリーセイフティFS ラマーカス・ジョイナー選手

 本当に素晴らしいイレブンでした。
 その健闘に、惜しみない賞賛を送りたいと思います。

 それにしても、メルセデスベンツスタジアムはペイトリオッツを応援する観客の方が圧倒的に多かったと感じます。まるでペイトリオッツのホームの様な有様でした。
 ラムズの攻撃の際の「雑音」がもの凄かったのです。

 一方のチームのファンにチケットが偏ることが無い筈の「スーパーボウルのチケット配布方法」なのですが、結果としてはペイトリオッツを応援する観客がとても多いゲームとなったのです。
 最後はこの「応援量の差」が、ペイトリオッツを後押ししたようにも観えました。

 この「応援量の差」を生んだのが「ペイトリオッツ王朝の歴史の積み上げ」であったとすれば、第53回スーパーボウルの勝利は「王朝の遺産」から生まれたものと言えるのかもしれません。
 NPBは、例年通り2月1日にキャンプインしましたが、MLBもキャンプインというかスプリングトレーニングのスタートが近付いてきました。

 アメリカらしい、というか、別に厳密な規則がある訳ではないのでしょうから、各球団が自主的に決めた日にスタートする形ですが、2019年シーズンの開始日は以下のように報じられています。

・ボストン・レッドソックス 2月14日
・ロサンゼルス・ドジャース 2月13日
・ヒューストン・アストロズ 2月13日
・ニューヨーク・ヤンキース 2月13日
・アトランタ・ブレーブス 2月13日
・クリーブランド・インディアンズ 2月14日
・シカゴ・カブス 2月15日
・ロサンゼルス・エンジェルス 2月13日
・シアトル・マリナーズ 2月14日
     ・
     ・
     ・

 現世界チャンピオンのレッドソックスは2月14日スタートですけれども、今季は13日に開始するチームが多いようです。

 この開始日は、ご承知のように「バッテリーのトレーニング開始日」です。
 野手陣は、概ね1週間位後にスタートするのです。

 こちらもご承知のように、スプリングトレーニングの開催場所は「フロリダ」と「アリゾナ」です。日本で言えば、沖縄と宮崎と高知に相当するのでしょう。
 この2箇所に、丁度15チームずつが入るというところも興味深いところです。自主性が尊重されるアメリカ合衆国の事ですから、「偶然」ということなのでしょうか。

 そして、フロリダでトレーニングを行う15チームを「グレープフルーツ・リーグ」と呼び、アリゾナ組を「カクタス・リーグ」と呼びます。
 NPBで言うところのオープン戦、MLBではこのシーズン前のゲームのこともスプリングトレーニングと呼びますから、「狭義のスプリングトレーニング」と言って良いのかもしれません。

 こちらのゲームの方は、2月22日のアスレティックスVSマリナーズの試合によりスタートします。カクタス・リーグの方が1日早くゲームを始めるという形です。グレープフルーツ・リーグの方は、2月23日のレイズとフィリーズの試合でスタートするのです。

 スプリングトレーニングへの注目度は、当然ながらとても高いので、スプリングトレーニングの両リーグの成績も日々報じられます。「MLBでも球春真っ盛り」という様相を呈するのです。
 近時は、日本からの「スプリングトレーニング・ゲーム観戦ツアー」も増えてきました。

 もちろん、レギュラー争いというか、レギュラーシーズン開幕に向けて「ロースターを目指す各プレーヤーの争い」は熾烈を極めます。これはNPBのキャンプと同じです。
 「グレープフルーツ」や「カクタス」から感じられる、ほのぼのとしたムードは、スプリングトレーニングの現場には皆無なのです。

 「メジャーリーガーを目指して」の2019年のスプリングトレーニングが迫りました。

 待ち遠しい春に向けて、2019年の競馬も盛り上がってきましたが、2018年の競馬を振り返って、印象的だったシーンをひとつ。

 アーモンドアイが圧勝したジャパンカップ2018ですが、ゴール直後に電光掲示板を見た時の衝撃は、忘れることが出来ないでしょう。

 「2分20秒6・レコード」。

 異次元のタイムでした。

 後日、世界新記録であると報じられました。

 日本ダービー2018のタイムは2分23秒6(ワグネリアン)。日本ダービーのレコードは2分23秒2(ドゥラメンテ、2015年)。
 同じコース・距離です。

 3歳馬にとって最大のレースである日本ダービーのレコードタイムより、2秒6も速いタイムを、同い年の牝馬が叩き出したのですから、「凄い」の一語。

 もちろん、タイムは馬場状態や展開によって左右されるものです。
 1・3/4馬身差の2着に入ったキセキも、素晴らしいタイムで走破していることは間違いありません。

 とはいえ「絶対値」としての2400m・2分20秒6というのは、日本競馬のレベルを一段上げるものであろうと感じます。

 アーモンドアイのジャパンカップ2018は、「2分20秒6」というタイムと共に長く語り継がれるものとなりました。

 2019年、アーモンドアイはドバイミーティングに挑戦する計画とのこと。

 2018年JRA年度代表馬として、大舞台での活躍が期待されます。
 第53回スーパーボウルは、ペイトリオッツが13-3でラムズを破り優勝しましたが、両チーム合わせて「16得点」は、スーパーボウルの史上最少得点でした。

 2018年、イーグルスがペイトリオッツを41-33で破った第52回が、攻撃面での最高記録ずくめのゲームであったことと対照的に、スーパーボウル2019は「両チームの守備が見事に機能したゲーム」だったのです。

 スーパーボウルにおける「ロースコアゲーム」を観て行きましょう。(第1回から第4回のAFL-NFLチャンピオンシップ時代のゲームは含まれていません)

① 2019年 ペイトリオッツ13-3ラムズ
② 1973年 ドルフィンズ14-7レッドスキンズ
③ 1975年 スティーラーズ16-6バイキングス
④ 1972年 カウボーイズ24-3ドルフィンズ
⑤ 2006年 スティーラーズ21-10シーホークス
  2008年 ジャイアンツ17-14ペイトリオッツ

 総得点の少ないゲーム順に、5位タイまでを挙げました。
 ペイトリオッツとスティーラーズが2回ずつ登場していますので、この両チームはロースコアゲームが得意というか、ロースコアゲームで十分に戦えるチームと言って良いのかもしれません。

 また、直ぐにお気づきのことと思いますが、1970年代にロースコアゲームが数多く記録されています。
 スーパーボウル創生時期の70年代は、スーパーボウルにおいて「失点を最少にした上で勝ち切る」という戦略のチームが多かったとも言えるのでしょう。
 とはいえ、21世紀に入ってからも、点の取り合いというゲームばかりでは無く、しっかりとした守り合いのゲームも存在しています。やはり、両チームのゲームに対する戦略が、結果に大きく反映されているのであろうと感じます。

 それにしても第53回は、前半を終えて「3-0」、第3クオーターQを終えて「3-3」という、「ローエストゲーム」と呼びたくなるほどの「守備が勝った」ゲームでした。

 「第3QまでタッチダウンTDを観ることができなかったスーパーボウル」として、長く語り継がれるゲームだったのでしょう。
[2月3日・アトランタ・メルセデスベンツスタジアム]
ニューイングランド・ペイトリオッツ13-3ロサンゼルス・ラムズ

 ロースコアゲームとなった第53回スーパーボウルは、第4クオーターQに1タッチダウンTD、1フィールドゴールFGを挙げたペイトリオッツがラムズを振り切り勝利しました。

 両チームのディフェンスDFがとても良く機能した試合であろうとは思いますが、忙しさもあって、試合全体の録画映像を観ることができていないので、試合内容へのコメントは「ゆっくりとじっくりと観てから」にしようと思います。(皆様からとても遅れた視聴ですが、本当に楽しみです)

 今回は、ペイトリオッツの「6度目の制覇」についてです。

 スーパーボウルの最多制覇記録は6度です。

 この記録は、ピッツバーグ・スティーラーズとペイトリオッツが保持しています。

 1970年代に、クオーターバックQBテリー・ブラッドショー選手やランニングバックRBフランコ・ハリス選手、ワイドレシーバーWRリン・スワン選手といった錚々たるメンバーを擁し、チャック・ノールHCヘッドコーチのもとで全盛期を迎えたスティーラーズは、2度の連覇で4度のスーパーボウル制覇を成し遂げ、その後21世紀に入って2度の制覇の合計6度の制覇としています。

 一方のペイトリオッツは、20世紀に2度のスーパーボウル出場は果たしましたが、残念ながら制覇はなりませんでした。
 そして2001年、「ペイトリオッツ王朝」が幕を開けます。
 ビル・ベリチックHCとQBトム・ブレイディ選手を中核とした「王朝」は、2001年から2019年に至るまで、NFLの主役として存在し続け、9度のスーパーボウル出場・6度の制覇という、信じられないような成績を残してきたのです。
 「同一王朝」にて6度の制覇というのは、ペイトリオッツ王朝自体が来シーズン以降も記録を積み上げていかない限り、空前絶後の記録であろうと思います。

 そもそも、同じHCとQBのコンビによって18シーズン続けて、ひとつのチームが運営されること自体が滅多に無いことですし、その18シーズンの内9シーズンでスーパーボウルに進出するということは想像を絶する実績ですし、同じHCとQBにより6度のスーパーボウル制覇が成し遂げられるというのも、まさにミラクルなこととしか言いようが有りません。(形容の仕様が無いほどに凄いことです)

 同じコンビによるスーパーボウル制覇という視点で、この実績に比較しうるのは、前述のチャック・ノールHCとQBテリー・ブラッドショー選手のスティーラーズと、ビル・ウォルシュHCとQBジョー・モンタナ選手のサンフランシスコ・フォーティナイナーズ49ers=1980年代の49ersの2チームでしょうが、それとて制覇回数は、ペイトリオッツ6度、スティーラーズと49ersが4度(1989~90年シーズンの49ersはHCが途中で代わりましたので3.5度と言った方が良いかもしれません)と、ペイトリオッツが圧倒しています。

 やはり、このコンビは「空前絶後」なのでしょう。

 さらに驚くべきは、このコンビには「引退」という話が皆無ということでしょう。

 NFL史上に燦然と輝く「ペイトリオッツ王朝」は、まだまだ続きそうです。

 1月22日、今季のMLBベースボール殿堂入りプレーヤーが発表されました。
 オフシーズンの恒例行事です。

 そして、元ニューヨーク・ヤンキース、2013年シーズンを最後に引退したクローザ、マリアノ・リベラ氏が「資格獲得1年目」にして殿堂入りを果たしました。

 リベラ氏が「殿堂入り」するのは、誰もが予想していた通りですが、特筆すべきはその得票率でした。425名の全投票資格保持者が、全員リベラ氏に投票したのです。
 これは、ベースボール殿堂制度史上初めてのことでした。

 「投票資格者」とは、全米ベースボール記者協会に10年以上在籍している記者です。
 この資格自体が、相当に難しいものだと思いますけれども、そうした「ベースボールを知り尽くした記者425名」を相手にしての「満票」というのは、信じられないというか、ある意味では「異常」なことのように感じられます。
 どんなに素晴らしいプレーヤーでも、425名の中には「あまり評価していない記者」が5名や10名いても何の不思議もありませんし、19シーズンに渡ってプレーしたリベラ選手の事を、何らかの出来事・きっかけによって嫌っている記者が居ても、これも何の不思議もないでしょう。ヤンキースの事が大嫌いな記者もいる筈です。
 人間社会において、同業者425名全員が高く評価してくれることなど、本当に有り得るのか、と考えてしまいますが、リベラ氏への投票は、その「異常な事態」を示現して魅せたのです。

 何か、現役時代の「信じられないようなプレー」を観ているようです。

 殿堂への選出ラインは、全投票資格者の75%以上の得票です。
 
 これまでの最高得票率は、2016年のケングリフィー・ジュニア氏の99.23%でした。これとて、信じられないような高率と当時言われました。
 あのベーブルース氏が95.13%(1936年)、カルリプケン・ジュニア氏が98.53%(2007年)であったことを勘案しても、今回のリベラ氏の「100.00%」の凄さが分かります。

① 通算652セーブ

 というMLB最多記録は、もちろんとして

② ポストシーズン通算96試合登板・141イニングを投げて42セーブ、防御率0.70

 という、大舞台での強さは、ズバ抜けて居ます。登板数、セーブ数、防御率は、もちろんMLB最高記録です。

 試合の流れが完全に相手チームに傾いた場面でマウンドに上がり、「何もなかったかのように」抑えるというシーンを、私たちは何度も眼にしました。
 他に類を見ない、文字通りの「火消し」役でした。

 それも、ここぞという投球は「必ずカットボール」なのです。相手打者は、次に必ずカットボールが来ることが分かっているのに打てない、という本当に不思議なシーンが続きました。
 世界最高レベルの打者が揃うMLBのポストシーズンゲームで、来る球が分かっていても打てないというクローザは、「空前絶後」なのかもしれません。

③ ヤンキースにおいて1115試合登板

 同一球団における、史上最多登板記録です。リベラ投手は、最後のシーズン=2013年シーズンにも44セーブを挙げるなどヤンキースにおいて長く好成績を挙げ続け、ヤンキースファンに長く愛され、ヤンキース球団も常に高い評価を与え続けたことが分かります。
 本当に素晴らしい記録だと思います。

 マリアノ・リベラ氏は、ベースボール殿堂入り投票においても、ひと癖もふた癖もある数多くの記者達を相手に、見事な投球を魅せてくれたのでしょう。

 2019年1月場所では、横綱・大関陣の不振が目立ち、新しい大関が待望されている状況でしょう。

 今回は「大関」についての雑感です。

 「大関」は明治時代の中頃までは、大相撲の最高位でした。
 その後「横綱」が設けられたのですが、少なくとも昭和時代の中頃までは「横綱大関」という呼称が広く用いられていたと思います。
 つまり「横綱」というのは、「大関の中で特に選ばれて綱を張ることが許された力士」という扱い、「大関の一種」という扱いだったのでしょう。そういう意味では、その頃まではやはり「大関」が、最高位だったとも言えます。

 いつ頃からは、はっきりしませんが、「横綱大関」という言葉が使われる頻度が下がり、「横綱」と呼称されるようになったと記憶しています。

 さて、近時時々耳にするのは「優勝していない大関」という言葉です。
 「大関という高位に居ながら優勝経験が無い」ことを指して言うのですが、「大関ならば優勝していて当然」といったニュアンス、マイナスイメージも感じられます。

 この言葉が何時ごろから使われるようになったのかは分かりませんが、おそらくはごく最近、2~3年以内の話であろうと思います。

 何故なら、「優勝経験の無い大関」は大相撲の歴史上そう珍しいものでは無く、過去に何人も居ますし、21世紀に入ってからも、優勝するまでに長い時間を要した大関は数多く居るので、「大関ならば優勝していて当然」という見方が、例えば2015年頃までに存在したとは思えないからです。

 例えば、元横綱・稀勢の里が初優勝したのは2017年1月場所で、大関になって31場所目でした。
 大関・豪栄道が初優勝したのは2016年9月場所で、大関になって13場所目、元大関・琴奨菊が初優勝したのは2016年1月場所で、大関になってから26場所目でした。
 少し遡って、元大関・琴欧洲が初優勝絵したのは2008年5月場所で、大関在位15場所目。
 また、初代・貴ノ花が初優勝したのは1975年3月場所で、大関在位15場所目でした。
(以上の5大関は関脇までのキャリアで優勝していませんでした)

 これを現役に当て嵌めてみると、大関・高安は2019年1月場所時点で、大関在位10場所目ですので、たとえ優勝していないとしても「決して遅くは無いし」「不思議なことでも無い」ことは明らかです。

 高安を指して「まだ優勝していない大関」といった非難めいたニュアンスが感じられる評価は、当たらないのでしょう。
 大相撲の事を良く知らない人の言葉であろうと思います。

 現在、大関は豪栄道、高安、栃ノ心の3力士です。
 そして、御嶽海や貴景勝の昇進が期待されているわけですが、この2力士が大関に昇進すると「5人大関体制」となり、多過ぎないかといった懸念を持たれる方も居るかもしれませんが、心配ご無用です。

 過去には「6人大関体制」の場所も存在しました。それも2010年以降という、つい最近の話です。
 2012年5月場所は、日馬富士、鶴竜、稀勢の里、琴奨菊、把瑠都、琴欧洲の6力士が大関でした。この場所後、日馬富士が横綱に昇進して、「6人体制」は崩れたのです。
 
 「5人大関体制」となれば、これは20世紀から何度もありました。
 少し例を挙げましょう。

[1961年7月場所]
北葉山、大鵬、柏戸、若羽黒、琴ヶ濱

[1963年3月場所]
豊山、栃光、栃ノ海、佐田の山、北葉山

[1972年11月場所]
貴ノ花、輪島、大麒麟、清国、琴桜

[1977年3月場所]
若三杉、魁傑、旭国、三重ノ海、貴ノ花

[1983年7月場所]
北天佑、朝潮、若島津、隆の里、琴風

[1987年7月場所]
小錦、大乃国、北天佑、朝潮、若島津

[2000年11月場所]
武双山、魁皇、雅山、出島、千代大海

[2002年9月場所]
朝青龍、栃東、武双山、魁皇、千代大海

[2006年5月場所]
白鵬、琴欧洲、栃東、魁皇、千代大海

[2009年1月場所]
日馬富士、琴光喜、琴欧洲、魁皇、千代大海

[2012年1月場所]
稀勢の里、琴奨菊、把瑠都、日馬富士、琴欧洲

 これらは「5人大関体制の」一部の例です。
 他にも有るのですから、「5人」は珍しいものではありません。

 これらの例を見て共通しているのは、多くの大関が存在する状況においては、「横綱に昇進する力士」がその中に含まれている場合が多いというところです。

 「5人体制」には、ベテラン大関と若手大関が併存し、切磋琢磨して「次代の横綱」が育っているということなのでしょう。

 「雑感」ですから、話があちこちに飛んで恐縮です。

 頭書の話に戻ると、貴景勝や御嶽海がどんどん大関に昇進しても、何ら心配ないということなのでしょうし、大勢の大関の中から横綱が生まれる可能性が高いということなのかもしれません。
 また、関脇までの間に優勝している必要など全く無いので、直近3場所33勝を目指して、他の力士も存分にトライしてほしいものです。
 もちろん、勝ち星の数ばかりが問題では無いのは当然のことで、大切なのは「『大関』に相応しい相撲が取れるかどうか」の一点なのであろうと思います。

 現在の「若手力士」には、大きなチャンスの時期が来ているのでしょう。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
「スポーツを考える-KaZ」ブログへ
ようこそ!
我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

最新記事
最新コメント
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Page Top
CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728