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HOME   »  2020年03月25日
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 JRAホームページの「日本馬海外遠征の記録」の1997年の欄、一番上にホクトベガのドバイワールドカップ挑戦が記されています。
 着順は「中止」。

 「悲劇」が起こったのです。

 皆さんご承知の通り、ホクトベガはこのレースで転倒し左前脚を複雑骨折、予後不良と診断され安楽死処分となりました。
 報じられた直後の衝撃と悲しみを、今でも思い出します。

 1997年のドバイワールドカップは、まだ第2回でした。ドバイワールドカップが世界屈指の競馬ミーティングに成長して行く過程の開催だったのです。
 
 さらに、当初開催予定であった3月29日が、ドバイでは滅多に観られない程の大スコールとなって、4月3日に延期されていました。

 また、ホクトベガの体調についても、ドバイへの長距離輸送の影響で飼葉食いが落ち、馬体重も20kg以上減ってしまいました。もちろん陣営としては懸命にコンディションの回復を図り、何とか出走できる状態にまでには仕上げたと報じられていたのです。
 7歳牝馬には、負担が大きい挑戦だったのかもしれません。

 今となってみれば、「出走回避」できなかったものかと感じますが、詮無いことなのでしょう。

 1996年のホクトベガは、10戦8勝、内G1レースで5勝という素晴らしい成績を残しています。
 6歳であったこの年は、「ダートの鬼」として、地方競馬とのダート交流戦にも挑み続け、勝ち続けたのです。
 1月の川崎記念、2月のフェブラリーステークス、3月のダイオライト記念、6月の帝王賞、12月の浦和記念とダートG1・5勝の戦績は見事なものです。

 そして、1997年2月の川崎記念を連破して、勇躍ドバイに乗り込んだ形です。

 もともと3歳時には、芝のG1・エリザベス女王杯を制していたホクトベガですが、5歳の6月に、川崎のエンプレス杯G1に勝利して、ダート競馬への適性を示し、6歳時の大活躍に繋がりました。
 この走りならドバイでも、と考えたのも止む無しというところでしょうか。

 2014年、オーストラリアのメルボルンカップG1に挑戦し、レース後死亡したアドマイヤラクティとともに、日本馬による海外競馬挑戦における最大の悲劇であろうと思います。

 「中止」は、長い「日本馬海外遠征の記録」における、唯一の記載なのです。

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