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HOME   »  2020年03月31日
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 JRAホームページの「日本馬海外遠征の記録」の2014年の欄、牡6歳のアドマイヤラクティの1行目は、オーストラリア・コーフィールドカップG1・1着とあります。
 見事な豪州G1レースの優勝です。
 そして2行目は、オーストラリア・メルボルンカップG1・22着とあります。
 このレースは最下位でした。
 このレースの直後に「悲劇」が起こったのです。

 10月18日、芝2400mのコーフィールドカップ快勝で勢いに乗ったアドマイヤラクティは、11月4日の芝3200mのメルボルンカップに挑みました。
 長距離に強く、日本国内で唯一の重賞勝ちが2013年のダイヤモンドステークスG3(芝3400m)でしたから、距離が伸びて良いと観られていましたし、前走G1の勝利で、このレースでは一番人気に支持されました。
 しかし、レースでは4角から後退し、最下位の22着に敗れてしまいました。
 意外な負け方でした。

 レース後、滞在している厩舎に帰ったアドマイヤラクティは馬房内で倒れ、そのまま死亡しました。検死の結果、心臓麻痺でした。
 
 レース中に発症していたのではないかと観ています。
 心臓に故障を起こしたアドマイヤラクティは、懸命にゴールまで走ったのでしょう。
 その頑張りには、今でも涙が零れます。

 ハーツクライの仔として2010年にデビューしたアドマイヤラクティは、2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げましたが、その後も500万下や特別レースで健闘するものの、なかなか重賞には縁が有りませんでした。
 重賞初出走も、4歳12月の金鯱賞G2でした。このレースで3着に入着し、その後は重賞レースの常連となりました。
 2013年には前述のダイヤモンドステークスG3の優勝を始め、G2アメリカジョッキークラブカップ3着、天皇賞(春)4着、ジャパンカップ4着、G2アルゼンチン共和国杯と阪神大章典が2着と健闘しましたが、やはり主役にはなり切れなかったと感じます。

 そのアドマイヤラクティが、初めてG1を制したのがオーストラリアでした。
 オーストラリアの競馬が合っていたことは間違いないのでしょう。

 アドマイヤラクティは、大好きであったろう「豪州」の地に埋葬されています。

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