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 2007年のエポックはアドマイヤムーンのドバイデューティフリーG1制覇でしょう。

 3歳時、皐月賞4着、日本ダービー7着と、同期トップクラスの実力は認められながらも、今ひとつ勝ち切れなかったアドマイヤムーンは、4歳になって本格化、2月の京都記念G2に勝利して、海外遠征に出ました。
 その緒戦のドバイデューティフリー(現、ドバイターフ)を快勝したのです。
 このレースではダイワメジャーも3着に食い込みました。

 アドマイヤムーンは返す刀で香港のクイーンエリザベス2世カップG1にも挑みましたが、これは3着に敗れました。
 この後、宝塚記念とジャパンカップの国内G1を制覇したアドマイヤムーンは、2007年の年度代表馬に選出されました。

 2007年の海外G1制覇は、もうひとつあります。
 シャドウゲイトのシンガポールエアラインズインターナショナルカップ。

 アジアの競馬であれば、香港での活躍が続いていた時期ですが、シンガポール競馬でも活躍が始まったのです。
 実は、このレースでは、2006年にコスモバルクが優勝していました。
 中央競馬からでは無く、ホッカイドウ競馬からの挑戦でしたが、2007年のレースでも2着に食い込んでいます。日本馬の1・2フィニッシュでした。

 また、アメリカのキャッシュコールマイル招待(ロイヤルヒロインマイル)G2に3頭の日本馬が出走しています。
 キストゥヘブンが4着、ディアデラノビアが5着、コイウタが9着でした。

 こうして見て来ると、2007年には「同一レースに複数の日本馬が出走する」ことが多かったようです。

 数多くの日本のホースマン達が、海外挑戦を検討・実行するようになってきたということなのでしょう。
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 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はユーロ(欧州選手権)2012ポーランド・ウクライナ共催大会の準々決勝です。

[2012年6月21日・ワルシャワ国立競技場(ポーランド)]
ポルトガル1-0チェコ

 グループAを1位で通過したチェコと、グループBを2位で通過したポルトガルの、準々決勝での対戦です。
 ポルトガルの攻撃力とチェコの守備力の戦いと言っても良いゲーム。

 圧倒的な破壊力を有する世界屈指のストライカー、クリスティアーノ・ロナウド選手と、当時世界最高と称されたゴールキーパーGKチェフ選手の対決が、最大の見所となりました。

[ポルトガルチームの先発メンバー]
1. GKパトリシオ選手
2. DFブルノ・アウベス選手
3. ペペ選手
4. コエントラン選手
5. ペレイラ選手
6. MFミゲウ・ベレーゾ選手
7. モウチーニョ選手
8. ラウル・メイレレス選手
9. FWクリスティアーノ・ロナウド選手
10. ナニ選手
11. ポスチガ選手

[チェコチームの先発メンバー]
1. GKチェフ選手
2. DFカドレツ選手
3. シボク選手
4. リンベルスキー選手
5. ゲブレ・セラシエ選手
6. MFプラシル選手
7. ヒュブシュマン選手
8. ピラジ選手
9. ダリダ選手
10. イラチェク選手
11. FWバロシュ選手

 チェコ代表チームとしては、絶対的な司令塔・ロシツキー選手を怪我で欠いていたことが惜しまれますが、それだけに一層、堅守からのカウンター攻撃に賭けるゲームとなりました。

 ゲームは、チェコチームの大攻勢で幕を開けました。
 前半10.分までに1点を取り、後は守り切るという戦略であったように観えました。

 しかし、ポルトガル代表チームは良く守って、前半15分過ぎからは、ポルトガルが攻めチェコが守るという、戦前の予想通りの展開となりました。

 ポルトガルチームは、ペペ選手やコエントラン選手、モウチーニョ選手らから配されるボールを、ナニ選手やポスチガ選手がフィニッシュに持って行く形なのですが、何と言っても「大砲」クリロナ選手の存在感は抜群で、クリロナ選手がスピードアップした時の攻撃は、迫力満点でした。

 前半25分、コエントラン選手が持ち上がり、クリスティアーノ・ロナウド選手にパス、ドリブルで突進したロナウド選手からモウチームニョ選手にパス、ロナウド選手はそのまま、チェコゴール向かって右サイドに走り込み、そこにモウチーニョ選手からのパスが通りシュート。
 強烈なシュートでしたが、GKチェフ選手が右に飛びながらこれを弾きました。
 チェフ選手ならではのセーブでしょう。

 続く、前半27分、センターライン付近でボールを取ったモウチーニョ選手がロナウド選手にパス。ロナウド選手はドリブルで突進、コールに向かって正面やや右側への突進でした。
 もの凄い迫力です。
 チェコ守備陣が集まります。そして、ペナルティーエリアに入る寸前に止めました。
 これは、文字通り「止めた」のです。C.ロナウド選手は「壁に当たった」ように倒れています。
 チェコの守備は、4名あるいは5名が集まり、クリスティアーノ・ロナウド選手に立ちはだかった形でした。チェコのこのエリアに居た全選手を持ってしか、この突進は止められないことを、チェコの選手達が最も良く知っていたのでしょう。

 前半33分には、ロナウド選手のオーバーヘッドシュートが観られましたが、これは枠を捕えきれません。

 前半35分には、クリロナ選手のフリーキックFK、約30mのキックでしたが、これはゴール左外に外れました。

 前半インジュリータイムにも、ラウル・メイレレス選手から、ゴールに向かって右側で待ち受けるC.ロナウド選手にパス、ロナウド選手は反転してシュート、これはゴール右ポストに当たって入りませんでした。
 惜しいと言えば惜しいのですが、チェフ選手は「あと10cm内側ならば」届くところに飛んできていました。

 C.ロナウド選手としても、通常レベルのシュート(それでもロナウド選手のシュートですから相当の威力ですが)ではGKチェフ選手に止められてしまうと感じ、より際どいコース、強いシュートを打とうとしていたことは間違いないでしょうし、チェフ選手としては、「世界最強のシュート」を受ける覚悟で、臨んで居たことでしょう。

 前半は0-0でした。
 ポルトガルチームは攻め捲りましたが無得点。
 一方のチェコチームのシュートは1本でした。

 後半に入ってもポルトガルチームは攻め続けました。
 C.ロナウド選手はもとより、ナニ選手やモウリーニョ選手がシュートを打ち続けますが、GKチェフ選手の壁は、とても厚く、なかなか得点できません。

 こうした膠着状態、別の言い方をすれば「チェコペースのゲーム」を打開するのは、やはりスーパースターなのです。

 後半34分、ナニ選手からモウチーニョ選手にパス、モウチーニョ選手が抉ってセンタリーグ、走り込んできたクリスティアーノ・ロナウド選手がダイビングヘッド。
 ピッチに叩きつけられたヘディングシュートは、大きくバウンドしてチェコゴールに飛び込みました。
 さすがのチェフ選手も、ワンバウンドする強烈なシュートは止められませんでした。

 ポルトガルチームはついに1点を挙げ、ゲームはこのまま終了しました。

 このゲームを通じて、チェコチームのシュートは僅かに2本でしたから、大袈裟に言えば、チェコとしては0-0でペナルティーキックPK戦に持ち込むしか、勝つ術はなかったように観えるのですけれども、チェコチームの凄いところは、これ程の攻撃力を誇るポルトガルチームを120分間零封する可能性が有ったことでしょう。
 そして、PK戦となれば、チェコにはチェフ選手が居るのですから。

 これはポルトガルチームとしては、とても怖ろしい戦略ですが、これを打ち破ったのは、エース、クリスティアーノ・ロナウド選手でした。
 既に、リオネル・メッシ選手と並んで、世界最高のFWと呼ばれていたC.ロナウド選手の決定力はさすがでした。

 勝ち上がったポルトガル代表チームは、準決勝でスペイン代表チームに敗れてしまいましたが、この時のチームが「2016年ユーロ優勝チームの骨格」でしょう。
 ポルトガル全盛期に向かってのチーム創りが、着々と進んでいたのです。

 このゲームの観客席には、ポルトガルの英雄、エウゼビオ選手とフィーゴ選手が並んで観戦していました。映像として残されているのです。
 そして、クリスティアーノ・ロナウド選手の決勝ゴールが決まった瞬間には、フィーゴ選手が立ちあがり、両手を挙げて喜びを表現しました。
 エウゼビオ選手は、少し微笑んでいました。

 エウゼビオ選手の元気な様子が印象的でした。
 2006年になると、海外競馬を走る日本馬が本当に多くなりました。
 既に「挑戦」というよりは、馬毎の特性やキャリアに合わせて、走るレースを選ぶ際の選択肢に海外の競馬が含まれるようになったという感じでしょうか。

 春3月には、ドバイミーティングでの活躍が有りました。

 まず、ユートピア(牡6歳)がゴドルフィンマイルG2(ダート1,600m)を制しました。
 ユートピアは、ハーツクライの僚馬としてドバイに行ったのではないかと思いますが、自らのフィールド・ダート競馬で金星を挙げたのです。
 ユートピアは、中央競馬で18走、地方競馬で12走、ドバイで1走、アメリカで3走と、「走る場所を選ばなかった」サラブレッドです。
 ゴドルフィンマイルの時には日本馬でしたが、アメリカでウェストチェスターハンディキャップG3を勝った時には、アラブ首長国連邦のシェイクモハメド殿下が率いるゴドルフィンに移籍していましたから、日本馬では無くなっていたのです。色々な意味で、インターナショナルな存在でした。

 さて、ユートピアと共にドバイミーティングに挑んだハーツクライ(牡5歳)は、ドバイシーマクラシックG1(芝2,400m)を圧勝しました。
 有馬記念2005でディープインパクトに土を付けたハーツクライが、翌年のドバイミーティングでもウィジャボードを始めとする世界の強豪馬を相手に4馬身差を付けての勝利を挙げたのです。
 気分良く走った時のハーツクライの先行力は、世界屈指だったのでしょう。

 ハーツクライは7月、英国のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスG1という欧州屈指の大レースにも挑み、こちらは残念ながら3着に終わりました。
 橋口調教師が「ハーツクライが寂しがっていた」とコメントしていましたから、この時もユートピアを帯同させていれば、結果は違っていたのかもしれません。
 彼には「気分良く走ってもらう」必要があったのでしょう。

 同じ7月、ダンスインザムード(牝5歳)が、アメリカのキャッシュコールマイルG3を制しました。
 3歳時に桜花賞を勝った後、アメリカンオークスG1の2着に食い込んだことは4月14日の記事にも書きましたが、これでアメリカ競馬に慣れていたのでしょうか、5歳になって重賞勝ちを収めました。

 2006年秋のエポックは、10月のデルタブルース(牡5歳)によるメルボルンカップG1(オーストラリア、芝3,200m)制覇でしょう。
 日本で、菊花賞(3,000m)やステイヤーズステークスG2(3,600m)に勝っているように典型的なステイヤーのデルタブルースが、その本領をオーストラリアでも発揮した形です。
 
 このレースにはポップロック(牡5歳)も出走していて、2着に食い込みました。
 日本馬による1・2フィニッシュ。

 日本のサラブレッドにとって、「活躍のフィールドが世界中の競馬場」になったことを象徴するような、メルボルンカップ2006でした。

 新型コロナウイルス禍の影響で、様々なスポーツイベントが延期・中止に追い込まれている中では、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回は、スーペルコパ2020の準決勝です。

 2020年の年頭に行われたゲームですが、バタバタしていて、まだ観ていなかったのです。
 とても楽しみにしていたのですが、こんな形で観ることになろうとは、思いもよりませんでした。

 スーペルコパは、1982年から正式に開始された、前期の「リーガ・エスパニョーラ王者とスペイン国王杯王者の対戦」ですが、2018~19年シーズンまでは、シーズン開幕前のイベントでした。

 それが、2019~20年シーズンからは、
① 1月の開催
② サウジアラビアでの開催
③ 国王杯の優勝・準優勝チームと、それらのチームを除いてリーガ・エスパニョーラの順位上位2チームの計4チームがトーナメント方式対戦

 とレギュレーションが変更になったのです。
 かなり大きな変更ですが、スーペルコパの位置付けが一層高くなったことは、間違いないのでしょう。

 前期の国王杯優勝チームはバレンシアFC、準優勝チームはFCバルセロナ。
 前期のラ・リーガ優勝チームはFCバルセロナ、準優勝チームはアトレティコ・マドリードですので、バルセロナが両方で好成績を収めていますから、今大会にはラ・リーガ3位のレアル・マドリードも出場します。

 準決勝の組合せは、バレンシアVSレアル・マドリード、バルセロナVSアトレティコ・マドリードとなりました。
 本稿では、バルセロナ対アトレティコの準決勝を採り上げます。

[2020年1月9日・キングアブドゥラ―スポーツシティスタジアム(サウジアラビア)]
アトレティコ・マドリード3-2FCバルセロナ

 ラ・リーガ2018~19の優勝チームであり、国王杯でも決勝に進出したバルサとしては、ここはぜひ優勝しておきたいところでしたが、「よもや」の逆転負けを喫してしまいました。

[バルセロナの先発メンバー]
1. GKネト選手
2. DFジョルディ・アルバ選手
3. ウムティティ選手
4. ピケ選手
5. セルジ・ロベルト選手
6. MF デ・ヨング選手
7. セルヒオ・ブスケツ選手
8. ビダル選手
9. FWグリーズマン選手
10. メッシ選手
11. ルイス・スアレス選手

[アトレティコの先発メンバー]
1. GKオブラク選手
2. DFレナン・ロージ選手
3. サヴィッチ選手
4. フェリピ選手
5. トリッピアー選手
6. MFサウール選手
7. トーマス選手
8. エクトル・エレーラ選手
9. アンヘル・コレア選手
10. FWモラタ選手
11. ジョアン・フェリックス選手

 ゲームは、バルサがボールを支配する形で始まりました。
 バルサの前線・中盤のメンバーを観ると、スペイン3強の一角・アトレティコとしても「引き気味」にゲームを進めるのも、やむを得ないとは思いますが、それにしてもバルセロナがボールを支配し、様々な戦術でアトレティコゴールに迫り、アトレティコが守るという時間帯が続きました。(前半のバルサのボール支配率は66%でした)

 バルセロナは、ブスケツ選手からの球出しで動き始め、メッシ選手やグリーズマン選手、スアレス選手がゴール前で動くという、豪華絢爛、迫力満点の攻撃を再三仕掛けましたけれども、アトレティコが良く守り、前半は0-0で折り返しました。

 この守備的なアトレティコが、後半開始早々に攻めました。
 後半から交替で入ったコケ選手が、開始19秒、いきなり得点を挙げたのです。
 あっという間のゴールでした。

 人数をかけてバルサゴール前に殺到したアトレティコは、アンヘル・コレア選手からコケ選手にパス。コケ選手は、ゴールに向かって左側から突進してシュート。バルサゴール左隅に突き刺しました。
 バルセロナとしては「まだ後半は始まっていない」といった風情でした。

 アトレティコの「電撃戦」によって0-1とリードを許したバルセロナですが、前半と同様の攻撃を継続します。
 そして後半5分過ぎ、ゴール前でボールを受けたスアレス選手が走り込んできたメッシ選手にパスというか、ボールを渡し、メッシ選手はアトレティコのディフェンダーの間を割って突進しシュート。
 これがゴール左隅に突き刺さりました。

 あっという間の同点。
 スアレス→メッシという「さすが」のゴールシーンでした。

 1-1となって、ゲームは再び、バルサが攻めアトレティコが守る展開となりました。

 後半14分、アトレティコゴール前の混戦から、ボールがメッシ選手の足下に収まり、これをシュート。ゴール左隅に入りました。メッシ選手の素晴らしいプレーでした。

 しかし、ここでVARが稼働しました。
 メッシ選手の最初のトラップ、足下にボールを収める際のプレーで、ボールが腕に触れていて、これが「ハンド」と判定されたのです。

 惜しいプレーでしたが、バルサは「何事も無かったかのように」攻撃を続けます。

 そして、僅か3分後、自陣からジョルディ・アルバ選手がドリブルで駆け上がり、ゴール前のスアレス選手にクロス、これをスアレス選手が強烈なヘディングシュート。
 GKオブラク選手はこれを良く弾きましたが、ボールはゴール正面に飛び、これをグリーズマン選手が落ち着いて、ヘッドで押し込みました。
 今度は、スアレス→グリーズマンのゴールシーンでした。

 素晴らしい3トップの活躍で、バルセロナが2-1とリードしました。

 さらに後半28分、アトレティコゴール前のフリーキックFKをメッシ選手が蹴ります。
 これをビダル選手が折り返して、ピケ選手がシュートを決めたのです。

 ところが、ここで再びVAR。
 ビダル選手のオフサイドの検証です。
 ギリギリのオフサイドという判定になって、バルセロナの得点は、再び取り消しとなったのです。

 さすがに「2度の取り消し」は・・・。
 
 この後も、バルサの攻撃・アトレティコの守備が続きましたが、後半36分、アトレティコはワンチャンスを活かして、ペナルティーキックPKを得ました。
 乾坤一擲のカウンター攻撃で、バルサのGKネト選手がイエローカードを受けたのです。
 このPKはモラタ選手が落ち着いて決めました。

 2-2の同点。ゲームは振出しに戻ったのです。

 こうなるとゲームの流れがアトレティコに傾くのは、自然なことでしょう。

 後半37分、アトレティコが攻め込みます。
 右サイドをモラタ選手が駆け上がりセンタリング。
 このセンタリングが、ディフェンスDFピケ選手の右手に当たったというか、掠りました。
 ピケ選手はペナルティエリア内に居ましたので、「すわっ、PK」ということになり、ピッチ上では一悶着ありました。
 とことんVARに影響されるゲームだったのです。
 この事象の判定は、結局PKにはなりませんでしたが、アトレティコにとっては不満が残る(シメオネ監督は最後まで抗議していました)結論でしたし、バルサは救われたという感じでしょう。

 その直後、後半40分に、バルセロナはブスケツ選手に替ってラキティッチ選手を投入しました。
 その交替の直後、アトレティコが攻撃に出ました。
 バルセロナの守備陣はこのスピードについて行けませんでした。
 バルセロナゴールに向かって「一直線」に走ったアンヘル・コレア選手が、GKネト選手と1対1となりシュート。ネト選手はボールに触りましたが、ボールの勢いが勝り、そのままゴールインしました。

 3-2。
 アトレティコ・マドリードが、ついに再逆転に成功したのです。

 こうなると、バルセロナに反撃の力は残っていませんでした。

 中盤まで、圧倒的にゲームを支配していたバルセロナにとっては「悪夢」のような敗戦でしょう。
 アトレティコ・マドリードにとっては、「苦手」のバルセロナ相手に、これ以上は無い、鮮やかな勝利を得たのです。

 やはり、2-1とリードしてからの、2つの得点取り消しが、バルサには堪えました。
 これらが認められていれば、ゲームはバルセロナの一方的なものになっていたことでしょう。

 今更ながら、サッカーというのは怖いものです。
 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はユーロ(欧州選手権)2012ポーランド・ウクライナ共催大会の準決勝です。

[2012年6月28日・ワルシャワ国立競技場(ポーランド)]
イタリア2-1ドイツ

 ナショナルチーム同士の、ワールドカップやユーロといった大きな大会で、ドイツ代表とイタリア代表が会い見える機会は、当然ながら、それほど多くはありません。
 グループリーグGLの組分けや、それをベースとした決勝トーナメントの組合せ、そして決勝トーナメントの勝ち上がり、といった諸要素によって、他の強豪国とのバランス等の要因も重なるのですから、何年かに1度、あるいは10年以上ぶりの対戦というのも、このカードに限らず、珍しくは無いのです。

 しかし、ブラジル代表に次いで、共にワールドカップ4度制覇という、ヨーロッパを代表するナショナルチーム同士ですから、決勝トーナメントともなれば、時折は対戦が観られます。

 そしてこの対戦は、断じて「イタリアが強い」のです。

 このゲームが行われる前、ドイツチームは前述のような大舞台ではイタリアチームに一度も勝っていなかったと記憶していますし、このゲームも、やはりイタリアの勝利に終わっています。

 国際大会で安定した強さを誇り、自国開催以外であれば「どこに行ってもアウェイ」という、「強過ぎて憎まれっ子」のドイツチームも、イタリアチームを前にすると、力を発揮できない、逆に言えば、イタリアチームは「ドイツチームとの戦い方を知っている」ということになるのでしょうか。
 ある意味では、不思議な話です。

 ちなみに、ユーロ2012における大会前の予想では、ドイツチームは優勝候補の一角であり、決勝はドイツVSスペインになるであろうと予想されていましたし、実際、ドイツはGLを全チーム中唯一の3戦全勝で勝ち上がり、準々決勝もギリシャチームを4-2で下して、好調が伝えられていました。

 それでも、ドイツチームはイタリアチームに勝てなかったのです。

[イタリアチームの先発メンバー]
1. GKブッフォン選手
2. DFキエッリーニ選手
3. ボヌッチ選手
4. バルザーリ選手
5. バルザレッティ選手
6. MFピルロ選手
7. デ・ロッシ選手
8. モントリーボ選手
9. マルキージオ選手
10. FWカッサーノ選手
11. バロテッリ選手

[ドイツチームの先発メンバー]
1. GKノイアー選手
2. DFラーム選手
3. バドシュトゥバー選手
4. フンメルス選手
5. ボアテング選手
6. MFケディラ選手
7. ジュバインシュタイガー選手
8. ポドルスキー選手
9. エジル選手
10. クロース選手
11. FWゴメス選手

 このゲームは、イタリアのフォワードFWマリオ・バロテッリ選手のゲームとなりました。
 21歳という若さでアズーリのFWを務めたバロテッリ選手ですが、このゲームは、バロテッリ選手の代表キャリアにおいても「ベストゲーム」でしょう。

 悪童と呼ばれましたが、私の妻は「怪獣」と呼びます。
 私は「怪物」と呼んでいます。
 そのプレーの圧倒的な破壊力・爆発力は、なかなか他に類を見ないものでしょう。

 その破壊力がまず示されたのは、前半20分でした。
 アンドレア・ピルロ選手から左サイドのジョルジュ・キエッリーニ選手にパス。キエッリーニ選手が駆け上がり、アントニオ・カッサーノ選手にパス、カッサーノ選手がドリブルで抉ってセンタリング、これをバロテッリ選手がヘディングシュート。身長190cmのバロテッリ選手による強烈なシュートでした。
 ドイツのGKマヌエル・ノイアー選手が全く反応できない程の威力。

 ドイツチームが、この大会で初めて許したリードでした。
 このゲームでも、メスト・エジル選手やサミ・ケディラ選手らが多彩な攻めを展開しました。ポゼッションならば圧倒的にドイツが勝っていたでしょう。
 しかし、なかなか決定的な形を創れずにいました。そうした中での失点は、ドイツチームに衝撃を与えたことでしょう。

 当然ながらドイツチームは反撃に出ますけれども、やはり、イタリアチームの堅陣を崩せずにいました。
 GKジャンルイジ・ブッフォン選手の好守も目立ちます。

 そして前半36分、歴史的なゴールが生まれました。

 イタリアゴール前から、ドリブルで駆け上がったリッカルド・モントリーボ選手から、前線に残っていたバロテッリ選手へのロングパスが綺麗に通って、バロテッリ選手がドリブルで突進。
 ペナルティエリアに入ると同時に右足を振り抜きました。
 ボールは、ドイツゴール右上隅に、文字通り突き刺さりました。
 これも、あのGKノイアー選手が一歩も動けないシュートでした。

 このシュートは、FWバロテッリを代表するゴールであると思いますし、世界サッカー史上においても、その威力という意味ならば、屈指のものでしょう。
 これ程に強烈なシュートは、滅多にというか、まず観られません。

 イタリアチームは、前半で2-0とリードしました。
 バロテッリ選手の2ゴールでした。

 バロテッリ選手は2点目を挙げた直後にユニフォームを脱ぎ、自らの上半身を誇示しました。世界中のサッカーファンに自らの肉体を披露したのです。
 そしてイエローカードを受けています。
 この精神面の不安定さは、この頃は「若さゆえ」と言われていましたが、バロテッリ選手の性格そのものだったのです。
 プレーヤーとしての、この後の成長に悪影響を与えたとも言われています。

 前半は、イタリアが2-0とリードして終了しました。
 ドイツにとっては「まさか」という展開でしょう。

 後半、ドイツチームはFWミロスラフ・クローゼ選手を投入しました。
 「決定力」ならば、と称されるプレーヤーを投入したのです。
 
 そして、再び当然ながら、ドイツは攻めに攻めます。

 しかし、イタリアチームも「伝統の堅守」を魅せました。
 かつての「カテナチオ」とはやや異なり、ペナルティエリア内での堅守と言ったらよいのでしょうか。
 レオナルド・ボヌッチ選手、キエッリーニ選手、アンドレア・バルザーリ選手、ダニエレ・デ・ロッシ選手、そしてピルロ選手らが、ギリギリの素晴らしいディフェンスを展開し、最後はGKブッフォン選手が登場するのです。

 ドイツチームはインジュリータイムに入っての後半47分、エジル選手がペナルティーキックPKを決めて1点を返しましたけれども、反撃もここまでというか、結局、ドイツチームが考えていたようなゲームは、ついに出来なかったという印象です。

 このゲームは、バロテッリ選手のベストゲームであり、「イタリア代表チームのドイツ代表チームに対する強さ」をまざまざと見せつけたゲームでした。

 4月23日、山田敬蔵氏の死去が報じられました。
 4月2日に老衰のため亡くなっていたことが分かったとのこと。92歳でした。

 1945年(昭和20年)の太平洋戦争終戦から、日本の国が復旧・復興して行く過程で、スポーツ界でも様々なプレーヤーが、日本国民を勇気づける活躍を魅せてくれたのですけれども、陸上競技界であれば、1953年(昭和28年)4月の山田敬蔵選手によるボストンマラソン優勝が、大きなエポックでしょう。

 身長157cm、体重43㎏という小柄なランナーが、世界の代表的なマラソンレースのひとつであるボストンマラソンを制覇したのです。2時間18分51秒という走破タイムも、当初は世界最高記録と報じられました(後に、距離不足ということで取り消されたそうです)ので、日本国にとって素晴らしいニュースだったのです。

 そして1954年、山田選手をモデルにした「心臓破りの丘」という映画も制作・公開されました。
 日本のランナーを主役にした映画は、そう多くは無いでしょう。当時の日本国民をどれほど勇気づける存在であったかが、よく分かります。

 秋田県大館市出身の山田選手は、我が国が戦後初めて参加した、1952年のヘルシンキオリンピックにもマラソン代表として出場していますから、まさに太平洋戦争直後の日本マラソン界を牽引した存在だったのです。

 さらに山田選手の凄いところは、その後も長期間に渡って走り続けたことでしょう。
 ボストンマラソンならば、1998年から2001年、70歳以上の部を4連覇していますし、 2009年7月、81歳でマラソンを引退するまでに約340回のマラソンを走ったと伝えられています。
 とてつもない記録です。

 山田敬蔵選手は、本当に「マラソン」を愛していたのでしょうし、「マラソン」も山田選手を愛していた、と感じます。

 ご冥福をお祈り申し上げます。
 2005年に限定しなくとも、イギリスのインターナショナルステークスG1に挑んだゼンノロブロイ(牡5歳)の戦い振りは、日本馬の海外遠征全般を通じて、屈指のものであったと感じます。

 2004年の秋冬、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念を連勝して「年度代表馬」に君臨したゼンノロブロイが、勇躍挑んだのが、英インターナショナルステークスでした。
 結果は2着でした。
 G1の中のG1と書くと、誤解を招いてしまいそうですが、とても格の高いレースでの2着。

 長い日本馬海外遠征の歴史においても、このレースに挑戦したのは、2005年のゼンノロブロイと2019年のシュヴァルグラン(8着)の2頭だけです。

 インターナショナルS2005でゼンノロブロイを破ったのは、エレクトロキューショニストでした。クビ差でした。
 
 ご存知のようにエレクトロキューショニストは、通算12戦8勝、ドバイワールドカップやミラノ大賞も勝っているイタリアの名馬です。21世紀のイタリア最強古馬の一頭でしょう。インターナショナルSを勝ってから、プリンスオブウェールズステークスG1ではウィジャボードの2着、続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスG1ではハリケーンランの2着と、本場の強豪古馬相手に互角の戦いを演じています。

 そのエレクトロキューショニストとゼンノロブロイが、一歩も引かぬ叩き合いを演じたのです。

 これは、凱旋門賞1999のエルコンドルパサーとモンジュー、凱旋門賞2010のナカヤマフェスタとワークフォース、凱旋門賞2012のオルフェーヴルとソレミアに匹敵する接戦では無かったかと思います。
 ゼンノロブロイは、惜しくも大魚を逸したのでしょう。

 さて、2005年の海外での牡馬によるG1勝利は、ハットトリック(4歳)の香港マイルのみです。
 香港競馬において、着々と地歩を固めつつあった日本勢ですが、G1勝利となればやはり容易なことではありません。
 ハットトリックは、大外から豪快な追い込みを決めて、2着のザデュークに1・1/4馬身差を付け快勝しています。
 日本競馬を代表するマイラーとしての素晴らしい勝利でしょう。

 2005年の日本馬の海外遠征には、3歳牝馬シーザリオのアメリカでのG1勝利、4歳牡馬ハットトリックの香港でのG1勝利、そして5歳牡馬ゼンノロブロイの英国G1での大健闘、と素晴らしいドラマが展開されたのです。

 4月18日、MLB公式サイトが2000年から2019年各シーズンの両リーグMVPのランキングを発表しました。
 新型コロナ禍の中で、2020年シーズンの開幕はおろか、シーズンが実施できるかどうかさえ分からないという状況下、MLBからのランキング企画として提供されたものでしょう。

 日本人プレーヤーとして唯一MVPに選出されている、2001年のイチロー選手は22位にランクされています。
 全40名のMVPプレーヤーの中で22位というのですから、とても立派な順位でしょう。

 さて、このランキングでは1位から4位まで同一プレーヤーが選ばれています。
 それは、サンフランシスコ・ジャイアンツ時代のバリー・ボンズ選手です。

・第1位 2001年 73本塁打(歴代1位)、長打率.863(歴代1位)
・第2位 2002年 打率.370(首位打者)、198四球(リーグ1位)、68敬遠(リーグ1位)
・第3位 2004年 OPS1.422(歴代1位)、出塁率.609(歴代1位)、232四球(歴代1位)、120敬遠(歴代1位)、打率.362(リーグ1位)
・第4位 2003年 OPS1.273(リーグ1位)、長打率.749(リーグ1位)

 そもそも2001年から04年まで、「4シーズン連続リーグMVP」ということ自体が素晴らしいというか、MLB史上に刻まれる大変な記録なのですが、その内容も、驚くべきものでしょう。

 2001年の「73本塁打」はMLB史上に輝く不滅の記録ですし、長打率.863というのも信じられないような数値です。
 2004年のOPS1.422、出塁率.609や232四球、120敬遠というのも、あまりに凄くて言葉が無いレベルです。おそらく、2004年シーズンのバリー・ボンズ選手は、相手チームにとって「ノーアウト満塁で打席が回ってきても敬遠する」レベルのプレーヤーだったのでしょう。
 そして、その2004年より2002年の方が順位が上なのですから、「打率.370の首位打者」というのが、極めて高く評価されている、ということになります。

 いずれにしても「異次元の記録」のオンパレードです。
 バリー・ボンズというプレーヤーが、いかに超絶的存在であったかを、改めて認識させられる、今回の企画でしょう。

 21世紀初頭、2001年から2004年のバリー・ボンズ選手は、「空前絶後の打者」だったのかもしれません。

 4月20日、国際スケート連盟は、最新の男女フィギュアスケート競技の世界ランキングを発表しました。
 男子は羽生結弦選手、女子は紀平梨花選手が1位となっています。

[男子ランキング]
① 羽生結弦選手 3,786ポイント
② サマリン選手(ロシア) 3,046
③ アリエフ選手(ロシア) 2,957
④ チェン選手(アメリカ) 2,880
⑤ リッツォ選手(イタリア) 2,859
⑥ ブラウン選手(アメリカ) 2,844
⑦ グラスル選手(イタリア) 2,658
⑧ クヴィテラシビリ(ジョージア) 2,651
⑨ 宇野昌磨選手 2,640
⑩ チャ・ジュンファン選手(韓国) 2,603

[女子ランキング]
① 紀平梨花選手 4,174ポイント
② テネル選手(アメリカ) 3,133
③ シェルバコワ選手(ロシア) 2,841
④ トルソワ選手(ロシア) 2,774
⑤ 坂本花織選手 2,769
⑥ コストルナヤ選手(ロシア) 2,760
⑦ 宮原知子選手 2,693
⑧ ザギトワ選手(ロシア) 2,666
⑨ イム・ウンス選手(韓国) 2,537
⑩ サモ・ドゥルワ(ロシア) 2,414

 羽生選手も紀平選手も、2位の選手に大差を付けての圧倒的なトップでした。
 2019~20年シーズンに出場している大会数が多いということもあるのでしょうが、この2名のプレーヤーが、どの大会でも安定した好成績を残していることを示しているのでしょう。

 一方で、男女のトップ10に入っている人数が、それぞれの国の底力を示していることも、間違いありません。
 
 男子では、アメリカが3名、日本とロシアが2名です。
 マイケル・チェン選手という現世界チャンピオンを擁しているアメリカ合衆国ですが、実際のところ、世界トップクラスの選手層が厚いのです。
 日本チームとしては、新しいプレーヤーの登場が切望されているという形でしょう。

 女子は、ロシアが5名、日本が3名で続いています。
 世界トップ10の半数を占めるというのは凄いことで、現在のロシアチームの圧倒的な地力を明示しています。我が国も、もっともっと新しいプレーヤーの登場が待たれるのでしょう。

 既に4月下旬ですから、フィギュアスケート競技は2020~21年シーズンが待たれることとなります。
 新型コロナウイルス禍の中で、練習もままならない時期ですが、世界フィギュアスケートを牽引する日本チームとしては、その責任をしっかりと果たしていかなければならないのでしょう。


 読売ジャイアンツの菅野投手が4月20日、川崎市のジャイアンツ球場における「個人調整」に参加し、素晴らしい仕上がりを魅せたと報じられました。

 ブルペン捕手の柳桓湊選手は、「今日が試合だったら、完全試合」とまでコメントしています。
 キャッチボールの時から良かったということですから、スピードだけでは無く、ボールの回転・キレ共に抜群であったということなのでしょう。
 菅野投手の新フォームへの挑戦が、とても順調に進んでいるのです。

 新型コロナウイルス禍の中で、アスリートの皆さんは練習さえままならない日々を過ごしておられると思います。
 トレーニング不足からくる肉体面への影響は勿論として、精神的にも追い込まれた状況にあると思います。

 一方で、私は「見えないメリット」も有るのではないかと考えています。
 それは「休息」です。
 通常期であればとても取ることが出来ない「休息」が与えられることによるメリットがあるのではないかと思うのです。

 典型的な例では、大相撲の力士でしょう。
 通常であれば、故障を抱えている力士の皆さんは、なかなか十分な治療を行うことが出来ないのです。
 年6場所、2ヵ月に1度の本場所が行われているだけでもスケジュールは厳しいのですが、場所の間に実施される巡業も盛り沢山。特に、大相撲人気が高くなっている時期には、巡業誘致も殺到しているでしょうから、殆ど休みの無い日程で、各力士は日本中を駆け巡っているのでしょう。
 それが関取となれば、もっと厳しいスケジュールでしょうし、幕内力士、三役力士、大関、横綱と番付が上がれば上がるほど、休みの無い生活が続くものと思われます。

 しかし現在は、稽古さえ出来ない状態ですから、心身の調整を行うには、ある意味では絶好なのです。
 もちろん、日々何もせず、筋力を落とし、体重を増やしているだけでは、この大事な時間を有効に活用しているとは言えないので、よく考えて、日々の取組事項をしっかりと決め、実行して行かなければならないことは、プロフェッショナルプレーヤーとして当然のことなのでしょう。

 また、テニスプレーヤーの皆さんにも、そのキャリアにおける「突然の休息期間」が与えられているのでしょう。
 ご承知のように、世界トップクラスのプロテニスプレーヤーには、通常であれば「1年中殆ど休みが無い」のです。従って、故障個所のメンテナンスがとても難しい。
 ジョコビッチ選手やナダル選手、フェデラー選手の「3強」プレーヤーはベテランですから、こうした「突然の休息期間」を十分に活用しているのではないかと思います。
 我らが錦織選手も、キッチリと活用していることでしょう。

 こうしたことは、サッカーなどの他の競技でも同じことでしょう。

 「いつ終わるか分からない休息時間」という見方もあるのでしょうが、少なくともあと1ヵ月・2ヵ月位は、「大観衆を集める競技」が実施できるようになるとは感じられませんので、多くのアスリート達は、「この2ヵ月をどのように使っていくか」が問われている時期なのでしょう。

 新型コロナウイルス禍による「社会の全停止」は、本当に残念なことですし、100年に一度の異常事態という意見もありますので、「とても不幸な時期」であることは、言うまでもありません。

 とはいえ、嘆いてばかりいても何も生まれません。
 少しでも前向きに捉えて行く努力が必要なのでしょう。

 この「不幸な時期」をどのように活用して行くかが、ウイルス禍が明けた後の、自らのパフォーマンスを左右することも、言うまでもないことなのでしょう。

 個々のプレーヤーが、自らの現状を鑑みて、よく考えて、可能な限り有効に活用することが求められているのです。
 ひたすら心身の静養に努めるもよし、自分が弱いと考えている箇所のパワーアップに努めるもよし、取組んでいるスポーツに関する知識を増やしていくのもよし、様々な方法により精神面の強化を図るのもよし。プレーヤー毎に、取組課題、やり方は千差万別なのでしょう。

 もちろん、感染リスクを最小化しながらの取組が必須であるところが、とても難しいのですけれども。

 4月8日、花巻東高校女子野球部が初練習を行ったと報じられました。
 同校の野球場で、男子野球部の練習後、自分達の練習を行ったのです。

 昨年11月、花巻東高校に「女子」野球部が出来ると報じられていましたが、新型コロナ禍の中でどうなるのだろうと思っていました。それが予定通り、2020年春に始動出来たのです。(岩手県は、現時点でも全国で唯一の感染確認者0都道府県です)

 今春には、もうひとつ、駒大苫小牧高校にも女子野球部が出来たと報じられています。

 全国区の男子野球部が存在する高校に、女子野球部が続々と出来ているのを観ると、女子の硬式野球熱が高まっているということなのでしょう。

 女子高校野球界においては、毎年3月に全国選抜大会、7月に全国選手権大会、8月に全国ユース大会の、3つの全国大会が開催されています。
 2019年には、選抜に26チーム、選手権に32チーム、ユース大会に24チームが参加しています。(2020年の選抜大会は、残念ながら中止となりました)
 現在のところ、全国高等学校女子硬式野球連盟の加盟校が少ないので、各県の予選大会は行われていませんが、連盟の設立が1998年であることを考え合わせても、女子高校野球も着々と歴史を積み重ねているのです。

 2020年春時点の女子高校野球の名門チームを観て行きましょう。

 まず挙げられるのは、埼玉栄高校チームでしょう。
 選手権7回、選抜6回の優勝を誇る、女子高校野球界NO.1の名門でしょう。

 続いては、花咲徳栄高校チーム。
 選手権2回、選抜3回の優勝を誇ります。

 埼玉県が、我が国における女子高校野球の先進県であることは間違いないでしょう。

 さらには、神村学園高校チームは、選手権6回、選抜3回の優勝を誇ります。
 また、福知山成美高校チームは、選手権1回、選抜2回の優勝を誇ります。

 他にも、作新学院高校チームや、履正社高校チームも強く、近年では神戸弘陵高校チームが、創部間もないにも拘わらず6度の全国制覇を重ねています。

 いずれも、男子野球部が全国でも名を知られた名門高校ですので、基本的には「野球が盛んな地域」ということなのでしょう。
 そして、そうした地域では、女子アスリートの中にも「野球をやりたい」という方が多いのでしょう。
 もちろん、女子硬式野球の指導者が居ることも、とても大事なことです。

 神戸弘陵高校チームの例にも観られますように、創部間もないチームでも全国制覇を狙うことが出来ます。
 花巻東高校チームと駒大苫小牧高校チームの、今後の全国大会での活躍が、本当に楽しみです。

 4月18日、豊ノ島の引退が報じられました。

 「ああ、そうか」と思うと共に、「お疲れ様でした」と呟きました。

 大相撲にとって、かけがえのない力士の引退です。

 身長168cmの梶原少年は、当時の新弟子検査の基準に満たない体格でした。
 第2新弟子検査で角界入りし、2002年1場所で初土俵を踏みました。
 序ノ口、序二段を連続優勝し、三段目、幕下では「豊ノ島の相撲」を磨き上げ、2004年5月場所、十両に昇進しました。力士キャリアの中で最も嬉しいと、数多くの力士が語る「関取」に上ったのです。「第2新弟子検査」で角界入りした力士として、史上初めてという快挙でした。

 2005年1月場所には入幕を果たし、2005年9月場所では14勝1敗で十両優勝。
 2007年1月場所は西前頭9枚目で12勝3敗の好成績を残して、初の三賞(敢闘賞と技能賞)を受賞しています。
 そして2008年7月場所、西小結に昇進し10勝5敗の好成績。翌9月場所は西関脇でした。
 
 角界が八百長問題で揺れる時期には、三役と前頭上位で「技士」として素晴らしい相撲を披露し続けました。
 
 その後、故障により幕下まで番付を下げましたけれども見事に復活し、2019年7月場所には再入幕を果たしています。(本ブログの2019年3月2日付記事「[大相撲2019年3月場所] 豊ノ島関 16場所ぶりに幕内へ」をご参照ください)

 18年に渡るキャリアは、栄光と故障の歴史でもありました。

 殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞4回の計10回の三賞受賞は、大相撲史に残る素晴らしい活躍でしょう。

 しかし、豊ノ島を想う時、最も素晴らしいものが「相撲の内容」であることは、周知のことです。
 大柄な強豪力士を相手に、様々な技を繰り出し、しっかりと前に出て勝機を掴む取口、土俵際の見事な粘りと逆転劇は、「本当に面白い相撲」でした。
 大相撲ファンに喜んでもらう、という観点からならば、史上屈指の力士でしょう。
 まさに「プロフェッショナル・プレーヤー」だったのです。

 今後は、親方・井筒を襲名し、後進の指導に当たることとなります。

 相当難しいことでしょうけれども、第2の豊ノ島を育てていただきたいものです。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はユーロ(欧州選手権)2008スイス・オーストリア大会の決勝です。

[2008年6月29日・エルンストハッペルシュタディオン(ウィーン・オーストリア)]
スペイン1-0ドイツ

 前回大会ユーロ2004において、共にグループリーグ敗退という残念な結果に終わった両チームが、4年後の決勝で相まみえたゲームです。

[スペインチームの先発メンバー]
1. GKカシージャス選手
2. DFセルヒオ・ラモス選手
3. マルチェナ選手
4. プジョル選手
5. カプテビラ選手
6. MFマルコス・セナ選手
7. イニエスタ選手
8. シャビ選手
9. セスク・ファブレガス選手
10. ダビド・シルバ選手
11. FWフェルナンド・トーレス選手

[ドイツチームの先発メンバー]
1. GKレーマン選手
2. DFフリードリヒ選手
3. メルテザッカー選手
4. メツェルダー選手
5. フィリップ・ラーム選手
6. MFフリンクス選手
7. ヒツルスベルガー選手
8. シュヴァインシュタイガー選手
9. バラック選手
10. ポドルスキー選手
11. FWクローゼ選手

 ドイツチームは、自国開催であったワールドカップ2006の準決勝で「天敵」イタリアチームに惜敗しましたけれども、若手の台頭もあって、チーム力は上がってきていると評されていました。

 一方のスペインチームは、ワールドカップ2006では決勝トーナメント1回戦・ラウンド16で、フランスチームに完敗していました。
 若いチームが、徐々に力を付けていた時期ということになりますが、この大会に入ると一気に「開花」したのです。
 ルイス・アラゴネス監督の下、20世紀の「堅守・速攻」という地味なチームカラーから、後に世界を席巻する「パスサッカー」への転生を成し遂げつつある時期であり、この大会の間にひとつの形が出来あがった、という印象すらあります。

 このゲームの両チームは、共に1トップでした。
 スペイン代表はフェルナンド・トーレス選手、ドイツ代表はミロスラフ・クローゼ選手でした。
 当然ながら、中盤が厚く、「どこからでも得点できる」という意味では、似たチーム同士だったのでしょう。

 スペインチームのパスサッカーは、後に「ティキタカ」と呼ばれるようになる戦術とはやや異なり、プレーヤー間の距離も長く、パスも長めですし、ダイレクトパスの連続という姿でも無いのですが、それでも、「極めて正確」なパスワークが披露されています。
 とてもバランスの良いプレーでしょう。

 ドイツチームも、後のワールドカップ2014優勝に繋がる、理詰めのシステマティックなサッカーの萌芽が感じられるサッカーとなっています。
 この後、長くドイツチームの指揮を採るヨハヒム・レーヴ監督が、チームを構築していく過程であったのでしょう。

 両チームがピッチ全体を使う「組織的なプレー」を展開し、そこに個々のプレーヤーのキャラクターが輝くというゲームでした。

 前半33分、中盤での球回しからシャビ選手が前方のトーレス選手にスルーパス。
 これは、シャビ選手の得意とするパスであり、この後スペインチームのプレーとして再三目にするものなのですが、このパスはやや短かったのかもしれません。
 ドイツチームのDFラーム選手が抑えたかに観えました。

 ところがトーレス選手は、一度開いてからボールにアクセスして、右サイドからシュートを放ち、これがドイツゴール左隅に決まりました。
 「転がるボールの動きに合わせる」ことがとても上手いフェルナンド・トーレス選手の素晴らしい個人技、面目躍如たるプレーでした。
 ラーム選手にとっては、悪夢のような瞬間だったことでしょう。

 この後も両チームは、攻め続けました。
 ドイツのミヒャエル・バラック選手も再三スペインゴールに迫ります。迫力満点の攻撃。
 スペインのアンドレス・イニエスタ選手も縦横無尽に走り回りました。

 しかし、この後得点が生まれることは無く、ゲームは1-0でスペインチームが勝ちました。

 この録画を観終わった後、冷静になって考えてみると、ドイツチームには決定的なチャンスが殆ど無かったのです。
 一方のスペインチームも、後半、シャビ選手のフリーキックFKからセルヒオ・ラモス選手が飛び込んだヘディングは決定的でしたけれども、やはり、チャンスが多かったとは言えないでしょう。

 両チームともに「シュートが少ないゲーム」だったのです。

 データを観ても、ドイツのシュート総数は4本、スペインは13本、ドイツの枠内シュートは1本(僅かに!)、スペインは7本、でした。
 スペインチームのパスサッカーの「守備力の高さ」が、このゲームにもしっかりと現れていたことになります。

 このゲームは、スペイン代表チームによる1964年大会以来44年振りのユーロ制覇であり、「ユーロ→ワールドカップ→ユーロ」3連覇、つまり「スペイン黄金期」のスタートとなったゲームでした。

 私は、「スペイン黄金期」の中でも、最もバランスが良く、余裕さえ感じさせる美しいプレーが披露されたゲームではなかったかと、今でも感じています。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はユーロ(欧州選手権大会)1976の準決勝です。

[1976年6月16日・準決勝第1試合・マクシミールスタジアム(ザグレブ・ユーゴスラビア)]
チェコスロバキア3-1オランダ

 マクシミールスタジアムには試合開始前から強い雨が降り、試合中も弱まることなく降り続きました。
 ピッチにも水が浮き、ボールが突然止まったり、不規則に滑ったりしていましたし、選手達もとても走り辛そうでした。

 1974年のワールドカップで「トータルフットボール」を呈示し、世界サッカー界に衝撃を与えたオランダ代表チームのプレーは、この大会のチームにも受け継がれていましたが、この豪雨がそのパフォーマンスを減じたことは、間違いないでしょう。

[オランダチームの先発メンバー]
1. GKシュライフェルス選手
2. スールビール選手
3. ライスベルヘン選手
4. ファン・クラーイ選手
5. ルート・クロル選手
6. ニースケンス選手
7. ヤンセン選手
8. ヨニー・レップ選手
9. ヨハン・クライフ選手
10. ファン・デ・ケルクホフ選手
11. ロブ・レンセンブリンク選手

[チェコスロバキアチームの先発メンバー]
1. GKヴィクトル選手
2. ドビアシュ選手
3. チャプコヴィッチ選手
4. オンドルシュ選手
5. ピヴァルニーク選手
6. パネンカ選手
7. モーデル選手
8. ヤロスラフ・ポラーク選手
9. マスニー選手
10. ネホダ選手
11. ゴフ選手

 オランダ代表チームが、この大会の優勝候補であったことは、自然なことでしょう。
 「空飛ぶオランダ人」と呼ばれ、世界サッカー史上屈指のスーパープレーヤーであったヨハン・クライフ選手を中心としたチームは、ワールドカップ準優勝チームの力を十分に保持していると見られていたのです。

 このチームに対抗できるのは、ワールドカップ1974の決勝でオランダチームを破った西ドイツチームだけであろうと観られていましたから、決勝戦は「西ドイツVSオランダ」の再戦が予想されていたのです。

 ところが、準決勝・第1試合が始まると、展開は全く予想外のものでした。
 チェコスロバキア代表チームが、ゲーム序盤からボールを支配し、オランダゴールに迫ったのです。
 前半19分、オンドルシュ選手が先制点を奪いました。

 オランダチームは水が浮いたピッチに足を取られ、得意のパスも通らず、普段のプレーが全くできませんでした。一方のチェコスロバキアチームは、ドリブルを多用したプレーで、荒れたピッチの中でオランダチームを翻弄しました。
 
 一言でいうと、オランダチームは「元気がない」という印象でした。

 後半32分、オランダチームが同点に追い付きましたが、これはオンドルシュ選手のオウンゴールでした。
 先制弾も同点ゴールもオンドルシュ選手のもの、チェコスロバキアチームのひとり相撲に観えるということ自体が、このゲームを支配していたのがチェコスロバキアであったことを示していると感じます。

 1-1の同点となって延長に入ったゲームは、天候と同様に荒れました。
 両チームから退場者が出たのです。
 特にオランダチームには「イラついた様子」が目立ちました。こんな筈では無かったという思いが強かったのでしょうか。

 そしてチェコスロバキアチームは、延長後半9分ネホダ選手、同13分ヴェセリー選手が追加点を挙げ、3-1で勝利しました。

 「雨中の大番狂わせ」でした。

 チェコスロバキアチームは、6月20日の決勝で西ドイツチームにも勝利していますから、とても強いチームであったことは間違いありません。
 ワールドカップ1974の決勝を争った2チームを連覇したのですから、文句のつけようのない優勝でしょう。

 オランダ代表チームにとっては、とても残念な敗戦ですが、私にとっては「ヨハン・クライフとその仲間達」の姿・プレーを観ることが出来る、大切な録画なのです。

 それにしても、「気分屋」と言われるオランダチームにとっては、恨めしい雨だったことでしょう。
 4月19日、中山競馬場芝2,000mコースで開催される、第80回皐月賞競走G1の注目馬検討です。

 1939年、横浜競馬場1,850mコースを舞台に、4歳馬(現在の3歳馬)限定レースの、横浜農林省賞典四歳呼馬(よんさいよびうま)競走として創設されたレースも、第80回を迎えました。
 クラシックレースとして、これからも開催され続けて欲しいものです。

 皐月賞2020はフルゲートの18頭が出走してきました。
 桜花賞と共に、良いメンバーが揃ったと感じます。
 無観客は、とても残念なことですけれども、良いレースを魅せていただきたいものです。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、4枠7番のサリオス。
 3戦3勝。昨年の2歳チャンピオン。その朝日杯フューチュリティ―ステークスG1での強さは、瞼に残っています。2歳時に活躍した馬は、なかなかクラシックでは活躍できないとも言われますが、この馬は違うとも感じます。
 
 第二の注目馬は、3枠5番のサトノフラッグ。
 4戦3勝。前走弥生賞G2は快勝でした。3歳になって、皐月賞と同じコース・距離のレースにおける強さは、本番での力になることでしょう。

 第三の注目馬は、1枠1番のコントレイル。
 3戦3勝。昨年末のホープフルステークスG1は快勝でした。サリオスを相手に「クラシックロードの主役」を決めるレースとなるのでしょうか。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 クリスタルブラックやガロアクリークにとっては、地力が試されるレースとなるのでしょう。

 最後の100mで抜け出してくるのは、どの馬なのでしょうか。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はユーロ(欧州選手権)1984フランス大会の準決勝です。

[1984年6月23日・ヴェロドローム(マルセイユ・フランス)]
フランス3-2ポルトガル(延長)

 フランス代表とポルトガル代表の対戦は大接戦となる、好試合となる、という「定説」がサッカー界にはあると思います。
 その定説のスタートとなったゲームでしょう。

 プラティニ選手、ジレス選手、ティガナ選手の「三銃士」を擁して、最盛期を迎えたフランスチームは、グループリーグから絶好調でしたし、何より「地元」ですから、このゲームも圧倒的に有利であろうと予想されていました。

 一方のポルトガルチームは、得点力不足に悩んでいました。グループリーグも2引分からの第3戦の勝利で、ようやく決勝トーナメントに進んだのです。ポルトガルにとっては難しい準決勝になるものと観られましたが、そこはさすがに「定説の第1ページ」、サッカーの神様?は、このカードを必ず接戦にする、と決めていたようです。

[フランスチームの先発メンバー]
1. GKバツ選手
2. ドメルグ選手
3. ボシス選手
4. バティストン選手
5. フェルナンデス選手
6. プラティニ選手
7. ジレス選手
8. シス選手
9. ティガナ選手
10. ル・ルー選手
11. ラコンブ選手

[ポルトガルチームの先発メンバー]
1. GKベント選手
2. ルイ・ジョルダン選手
3. シャラーナ選手
4. ジョアン・ピント選手
5. リーマ・ペレイラ選手
6. エウリコ・ゴメス選手
7. アントニオ・ソウザ選手
8. フラスコ選手
9. パシェコ選手
10. マガリャンイス選手
11. ディアマンティーノ選手

 ゲームは戦前の予想通りに、フランスチームが攻め、ポルトガルチームが守る展開となりました。
 「三銃士」を中心としたフランスの多彩な攻撃を、しかし、ポルトカルは良く守りました。

 前半24分、「将軍」プラティニ選手が、ポルトガルゴール正面、ペナルティエリアの少し外で倒され、フリーキックFKを得ました。
 ややゴールに近すぎるか、とも思いましたが、フランスチームはFKの準備を進めます。誰が蹴るのか、分からないフォーメーションで起動し、ディフェンスDFのドメルグ選手が打ちました。

 ボールは、ゴールに向かって左のサイドネットに突き刺さりました。強烈なシュートでした。

 マルセイユのヴェロドロームは大歓声に包まれました。

 先制したフランスが、この後も攻めに攻めます。

 1-0で後半に入ってからの20分間、大袈裟に言えば「雨霰」とシュートを浴びせましたけれども、これが入らないのです。
 ポルトガルGKのベント選手の好守も有りました。

 1-0のままゲームは残り20分を切りました。
 このままフランスが押し切るのではないか、という雰囲気が漂い始めた後半25分頃から、ポルトガルの攻撃シーンが増え始めました。
 おそらくは、フランスチームの運動量が落ちて来たのでしょう。

 そして、後半29分、ゴール前での波状攻撃から、ポルトガルDFジョルダン選手のヘディングシュートが決まりました。フランスゴール向かって左隅へのシュートでした。

 ポルトガルチームに喜びがあふれ、「まさか」の同点ゴールに、ヴェロドロームには悲鳴が上がりました。

 決勝点を巡る両チームの、この後の攻防も見所十分でしたが、結局ゴールは生まれず、ゲームは1-1のまま延長戦に入りました。

 延長前半は、ポルトガルが押し気味でした。運動量で勝ったのです。
 この頃は「南米タイプのサッカー」と呼ばれていて、柔らかいボール扱いのテクニックと、ドリブル突破を特徴としていたポルトガルチームが、フランスゴールに迫りました。

 延長前半8分、再びジョルダン選手が左サイドからシュート。
 これが見事にフランスゴールに突き刺さりました。

 ポルトガルチームが2-1とリードし、ゲームを優位に進めます。
 絶対に有利とされていたフランスチームが追い込まれたのです。

 延長も後半に入り、フランスチームの敗色が濃厚となりましたが、やはり「三銃士」は良く攻めます。

 延長後半9分、プラティニ選手がポルトガルゴール前で粘りました。そしてボールがこぼれたところに、ドメルグ選手が走り込みシュート。これが見事に決まりました。
 2-2の同点。
 ヴェロドロームは歓喜の嵐。

 背番号「3」、このゲームはここまで、両チームの「3」番のプレーヤーが2得点ずつを挙げるという、不思議な展開となりました。
 本来DFである「3」番の選手が、こうした大試合で1ゴールでも挙げることは珍しいことでしょう。にもかかわらず、このゲームでは、両チームの「3」番が2ゴールずつを挙げ、それが両チームの全得点なのですから・・・。

 こうした「死闘」に決着を付けるのは、やはりスーパースターなのでしょう。

 終了間近の延長後半14分、プラティニ選手が決勝点を挙げました。ゴール前の混戦からの強烈なシュートでした。

 ポルトガルゴール前に、ポルトガルの選手達が倒れ込みました。
 「死屍累々」といった様相でした。

 「死闘」となった準決勝を制したフランス代表チームが、この勢いのまま決勝も制して、ユーロ初優勝を飾ったことは、皆さんご承知の通りです。

 このゲームは、今日まで続く、「フランス代表とポルトガル代表の因縁の対決」の最初のゲームでした。
 両チームはこの後も、度々好ゲームを披露することとなるのです。
 4月9日、関根順三氏の逝去が報じられました。93歳、老衰と報じられています。

 1927年、東京都渋谷区神宮前(原宿)に生を受けた関根氏は、日大三高(旧制日大三中)で野球を始めました。
 選手時代の体格として、身長173cm・体重65kgと伝えられている関根氏です。これは、現在なら小柄な選手でしょうが、当時でも小柄と見られていたよう(高校時代ですからもっと軽量だったかもしれません)で、はじめは練習にも参加させてもらえなかったそうです。
 それでも2塁手として試合に参加できるようになり、投手にも抜擢されました。

 そして、法政大学に進みエースとして活躍したのですから、野球に対する才能に恵まれていたことは間違いないでしょう。
 1948年・3年生の秋にチームを東京六大学リーグの優勝(戦後初)に導き、翌1949年秋には、通算40勝という大記録を打ち立てています。
 
 選手・関根順三の野球人生には、藤田省三監督が大きな影響を与えています。
 日大三高、法政大学共に、藤田省三監督でした。
 そして、法政大学卒業後、八幡製鉄所で社会人野球をすることになっていた関根氏が、近鉄パールス(後の近鉄バッファローズ)に進むことになったのも、藤田氏が近鉄パールスの監督であったからです。
 関根氏の成長と共に、藤田氏も高校→大学→プロ野球と歩を進めていた訳です。

 投手として通算65勝(8シーズン)、肩を痛めてからは、打者として通算1,137安打(16シーズン)を記録しています。
 投手が主の時期の1952年(昭和27年)には、5勝を挙げる一方で、31安打・1本塁打・打率.313を記録していますから、今風に言えば「二刀流」のプレーヤーということになります。
 1965年(昭和40年)に、巨人の野手としてのプレーを最後に現役引退しました。

 以上のように、プレーヤーとしても相当ハイレベルな実績を残した関根選手ですが、やはり関根氏といえば、監督としての活躍でしょう。

 1982年、55歳の時、大洋ホエールズ(現、横浜DeNAベイスターズ)の監督に就任し、3シーズンを戦いました。
 そして、1987年・60歳の時にヤクルトスワローズの監督に就任し、やはり3シーズン指揮を採っています。
 この6シーズンの成績は、3位が1度、4位が2度、5位が2度、6位が1度と、決して好成績とはいえないのですが、関根監督への評価は、とても高いものがありました。

 知り合いのプロ野球関係者は、「次期監督候補がなかなか見つからない時の『つなぎ役』として、これ程素晴らしい人はいなかった」と話していました。
 代役としてでは無く、「つなぎ役」としてチームが強くなるまでの間を担当する、チームを強くしていく監督というのですから、誰にでもできるというものでは無い、とても難しい仕事を托され、その役割期待に見事に応えたということになります。

 そのプロ野球関係者は、「苦しい時の関根さん」に代わる人は居なかった、とも話していました。素晴らしい能力、監督としての采配能力はもとより、選手とのコミュニケーション能力や若手プレーヤーの育成・抜擢の能力も含めて、得難い人材であったことは、間違いないのでしょう。

 関根順三氏は、2020年4月に亡くなりました。
 新型コロナウイルス禍の真っ只中、プロ野球のシーズン開幕さえ目途が立たない中での旅立ちでした。
 もちろん、偶然なのでしょうけれども、この「逝去」も、日本プロ野球を存続させるための「つなぎ役」の一端を果たしたように感じられるのは、穿ちすぎなのでしょうか。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はワールドカップ1994アメリカ大会の決勝を観ました。

[1994年7月17日・ローズボウル(バサディナ・アメリカ合衆国)
ブラジル0-0イタリア
(PK戦 3-2でブラジルの勝利)

[ブラジルチームの先発メンバー]
1. GKタファレル選手
2. DFジョルジーニョ選手
3. アウダイール選手
4. マルシオ・サントス選手
5. ブランコ選手
6. MFマウロ・シルバ選手
7. ドゥンガ選手
8. マジーニョ選手
9. ジーニョ選手
10. FWロマーリオ選手
11. ベベト選手

[イタリアチームの先発メンバー]
1. GKバリューカ選手
2. DFロベルト・ムッシ選手
3. フランコ・バレージ選手
4. パオロ・マルディーニ選手
5. アントニオ・ベナリーヴォ選手
6. MFニコラ・ベルティ選手
7. ディノ・バッジオ選手
8. デメトリオ・アルベルティーニ選手
9. ロベルト・ドナドーニ選手
10. ロベルト・バッジオ選手
11. ダニエレ・マッサーロ選手

 共に3度の優勝を誇る強豪チームが、ワールドカップ優勝回数の単独トップ「4度目の優勝」を目指し、決勝で相まみえたのが、1994年アメリカ大会でした。
 会場は、カリフォルニア州バサディナのローズボウル。アメリカンフットボールの聖地です。
 ローズボウルは「いつも天気が良い」という印象ですが、この日も好天に恵まれ、気温は28℃と伝えられましたから、少し暑かったのかもしれません。(録画の中では、少し気温が下がり、戦いやすい環境になったとも放送されています)

 ブラジルとイタリア、「攻撃」と「守備」という、「サッカーの性格の強さ」ならば他のどのナショナルチームにも負けないチーム同士の対決は、やはり見所十分でした。

1. 中盤の競り合い

 このゲーム最大の見所でしょう。両チームとも「高い位置」で相手ボールを奪いに行き、それが相当の確率で成功していました。

 これだけ「中盤の競り合い」が続くゲームは、実はあまりないのではないかと思います。
 その奪い合いのテクニックのレベルも非常に高度です。

 相手からボールを奪っても、直ぐに奪い返されるといったシーンも珍しいものではありませんから、結果として両チームとも「ゴール前での決定機」が少なくなったのです。

2. ロマーリオ/ベベトVSバレージ/マルディーニ

 ブラジルチームのフォワードFW2トップ、ロマーリオ選手とベベト選手の攻撃力・破壊力は、この大会NO.1でしょう。

 対するイタリアチームのディフェンスDF、バレージ選手とマルディーニ選手の守備力も、この大会NO.1でしょう。

 その対決が、この試合最大の見所のひとつであったことは、とても自然なことです。

 前述のように「決定的なチャンス」が少なかったゲームですが、ロマーリオ選手とベベト選手は「一瞬にしてチャンスを創る」のです。
 プレーのスピードアップも含めて、あっという間に相手ゴール前に現れシュートする術なら、ロマーリオ選手の右に出るプレーヤーは、とても少ないでしょう。

 そうした変幻自在の攻めに対して、バレージ選手とマルディーニ選手の守備も、本当に素晴らしいものでした。
 この2選手が、長くイタリア代表チームのキャプテンを務めたのです。
 まずバレージ選手が、続いてマルディーニ選手が、代表チームの精神的な支柱であり、戦術的にも大事な役割を果たし続けました。ちなみに、バレージ選手は81試合、マルディーニ選手は126試合、代表に選ばれています。

 特にこのゲームでは、「ザ・センターバック」と呼びたいバレージ選手のプレーが秀逸でした。
 ポジショニングひとつを取っても、局面局面で「1メートル単位の対応」が為されていたと観ますし、それが本当に的確なのです。次の、将来のプレーを予測する能力が極めて高いのでしょう。
 高さやパワーといったセンターバックに求められるスキルよりも前に、センターバックに備わっていたら素晴らしいとされるスキルを、十分に具備していたプレーヤーだと思います。
 プレーを観ていて「にやり」とさせられるシーンが、これ程多いプレーヤーは滅多に居ないでしょう。

 ロマーリオ/ベベトVSバレージ/マルディーニ、を観るだけでも、このゲームの録画をじっくり観る価値があります。

3. ディノ・バッジオ/アルベルティーニVSドゥンガ/マウロ・シルバ

 頭書の通り、このゲームは「中盤の競り合い」が続く展開でした。
 イタリアチームのディノ・バッジオ選手、デメトリオ・アルベルティーニ選手と、ブラジルチームのドゥンガ選手、マウロ・シルバ選手の戦いも、延々と続いたのです。

 フォーメーションの違いから、ディノ・バッジオ選手とアルベルティーニ選手は攻撃の底という位置付けでしたし、ドゥンガ選手とマウロ・シルバ選手はディフェンスの頭といった位置付けであったと観ますが、結果として、ここが「主戦場」となりました。

 4選手共に素晴らしいプレーを魅せてくれましたが、僅かながらブラジルチームの方が優位にあったかなと感じます。ドゥンガ選手がとても好調だったのでしょう。

 このゲームにおいて、ブラジルチームのチャンスの方がイタリアチームより多かったことの、要因のひとつでもあろうと考えます。
 
4. ロベルト・バッジオ選手のPK失敗

 世界で最も有名な?PK失敗のひとつでしょう。
 
 PK戦において、世界のスーパースターが失敗するというシーンは、時折登場するのですが、ワールドカップ大会決勝史上初のPK戦においても現出したのです。

 0-0で120分を戦い終えて、ゲームはPK戦に入りました。
 
 先行のイタリアのひとり目バレージ選手が「ふかして」しまい失敗、ブラジルのひとり目マルシオ・サントス選手のキックはGKタファレル選手がキッチリとセーブしました。両チームのひとり目が共に失敗するという「よもや」というスタートとなりました。
 両チーム共に2人目、3人目が決めた後のイタリアの4人目マッサーロ選手のキックを、今度はGKパリューカ選手が止めたのです。
 そして、ブラジルの4人目ドゥンガ選手はしっかりと決めて、ブラジルが3-2とリード。

 イタリアの5人目ロベルト・バッジオ選手が登場しました。
 これを決めなければ、ブラジルの勝利です。
 そして、バッジオ選手は、これを「ふかして」しまったのです。キックは、ブラジルゴールを越えて行きました。

 当時、「こんなこともあるんだ」と思いました。
 キャプテンのバレージ選手とエースストライカーのロベルト・バッジオ選手が「ふかして」しまっては、敗戦も止む無しなのでしょう。

 意外な、本当に意外な幕切れとなってしまいましたが、随所に世界最高のプレーが散りばめられた、味わい深いゲームであったと思います。

 欧州と南米を代表するナショナルチーム同士の「本気対決」は、いつの時代も極上のエンターティンメントなのです。

 セレソンは、4度目のワールドカップを手にしました。
 JRAのHPにある「日本馬海外遠征の記録」という素晴らしいDB、今回は2004年からの3歳牝馬によるアメリカンオークス挑戦の記録を観てみましょう。

 アメリカンオークスステークスは、2002年に創設された、比較的新しいレースです。
 アメリカのレースとしては珍しく?、芝2,000m(正確には2,012m)で争われるレースであり、2004年からG1になっています。

 2002年から2013年までの間は、ハリウッドパーク競馬場で開催されていましたから、本稿の「日本馬4年連続出走」の舞台は、現在のサンタアニアパーク競馬場では無く、ハリウッドパークでした。

 さて、日本の3歳牝馬が、この創設間もないレースに挑むようになった経緯については分かりませんけれども、「芝コースの大レース」となれば、十分に戦えると日本のホースマン達が考えたことは、自然なことでしょう。

 成績です。
① 2004年 ダンスインザムード 2着
② 2005年 シーザリオ 1着
③ 2006年 アサヒライジング 2着
④ 2007年 ローブデコルテ 5着

 2004年は桜花賞馬の挑戦でした。
 2005年はオークス馬の挑戦でした。
 2006年は、桜花賞4着、オークス3着馬の挑戦でした。
 2007年はオークス馬の挑戦でした。

 この4年間、我らが日本競馬トップクラスの3歳牝馬がアメリカンオークスに出走し、好成績を残したのです。

 特にシーザリオは、スペシャルウィーク産駒として、通算6戦5勝・2着1回(桜花賞でラインクラフトの2着)でした。
 我が国における、21世紀最強牝馬の一頭でしょう。
 アメリカンオークスの勝利は、そのキャリアに燦然と輝く金字塔です。

 近時は、アメリカ合衆国の特にカリフォルニア州における競馬産業の不振のために、このレースの賞金額が激減し、G1格付けからも外れてしまい、海外からの挑戦馬にとっては魅力が減じてしまったと言われています。
 
 2004年から2007年にかけての、日本の3歳牝馬によるアメリカンオークスステークス挑戦は、日本馬による海外遠征のエポックのひとつなのです。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はラグビーワールドカップ2011の準決勝です。

[2011年10月15日・イーデンパーク(ニュージーランド)]
フランス9-8ウェールズ

 2011年のニュージーランド大会準決勝、フランス代表チームが接戦を制して、決勝に駒を進めたゲームです。
 プールAで2勝2敗と苦しみながら決勝トーナメントに進んだフランスが、準々決勝でイングランド、準決勝でウェールズと、世界ランキング上位のチームを連破しての決勝進出でした。

[ウェールズチームの先発メンバー]
1. PRジェンキンズ選手
2. HOヒュー・ベネット選手
3. PRアダム・ジョーンズ選手
4. LOチャータリス選手
5. LOウィン・ジョーンズ選手
6. FLリディエイト選手
7. FLウォーバートン選手
8. NO.8トピー・ファレタウ選手
9. SHマイク・フィリップス選手
10. SOジェームズ・フック選手
11. WTBシェーン・ウィリアムズ選手
12. CTBジェイミー・ロバーツ選手
13. CTBジョナサン・デービス選手
14. WTBジョージ・ノース選手
15. FBハーフペニー選手

[フランスチームの先発メンバー]
1. PRパティストゥ・プクス選手
2. HOセルヴァットゥ選手
3. PRニコラ・マス選手
4. LOパスカル・パペ選手
5. LOリオネル・ナレ選手
6. FLデュソトワール選手
7. FLボネール選手
8. NO.8アリノルドキ選手
9. SHヤシュヴィリ選手
10. SOモルガン・パラ選手
11. WTBパリソン選手
12. CTBメルモズ選手
13. CTBルージュリー選手
14. WTBクレール選手
15. FBメダール選手

 ゲームは前半6分に動きました。
 ウェールズ代表チームのSOフック選手からWTBノース選手にキックパスが通り、ウェールズが左サイドから攻め込みます。
 ちなみに、この時ノース選手は19歳。ワールドカップ準決勝での最年少出場記録を更新していました。

 この後フランスチームがオフサイドの反則を犯し、ジェームズ・フック選手がPKを狙います。難しい角度からでしたが真ん中から決めました。
 ウェールズが3-0と先制します。

 そして前半18分、このゲームを左右するプレーが出ました。
 ラインアウトから攻め込むフランスのWTBクレール選手に、ウェールズのFLウォーバートン選手がタックル、タックルの動きの中でクレール選手を大きく持ち上げ、地面に叩きつけたのです。
 両チームの選手が入り乱れ、一触即発の空気が流れました。
 大柄なウォーバートン選手が小柄なクレール選手を投げ飛ばしたプレーは、明らかに「やり過ぎ」でしょう。
 気合が入り過ぎたウォーバートン選手の、残念なプレーでした。

 ウォーバートン選手はレッドカードを受けて、一発退場となりました。

 キャプテンを失ったことも大きいのですが、ウェールズチームは、この後60分以上をひとり少ない体制で戦わなくてはなりません。

 ゲームは、大きくフランスチームに傾きました。

 前半20分、フランスのパラ選手がPGを決めました。
 3-3の同点です。

 前半33分、パラ選手がPGを決めました。
 6-3とフランスが逆転。

 前半は、このまま終了しました。
 
 後半9分、パラ選手がPGを決めました。この日3本目の成功。
 9-3とフランスがリードを広げました。

 15人対14人と人数で優位にあるフランスチームが、じりじりと差を広げる展開。
 短時間ならともかく、60分以上も一人少ない状況で戦うウェールズチームに、次第に疲労が蓄積するのは止むを得ないと思いましたが、ウェールズの「驚異的な反攻」がここから始まったのです。

 後半18分、右サイドのラインアウトからのウェールズの攻撃、SHフィリップス選手がゲインラインを突き抜けて左中間にトライを決めました。素晴らしいスピードでした。

 しかし、ここでコンバージョンを失敗してしまうのです。
 蹴ったのはCTBジョナサン・デービス選手でした。
 ウェールズチームは「逆転のショット」を、チームの大ベテラン、精神的支柱である、38歳のデービス選手に託したのです。
 キックは向かって左ポストにまっすぐ飛び、左に弾かれました。

 このゲームでは、ウェールズチームのキックの失敗が目立ちました。
 前半には、フック選手が2本のPKを狙い失敗しています。
 このコンバージョンキックも含めて8点が入らなかったことになります。
 入っていれば、その後の展開が違うのですから、「たら」を言っても仕方がないのですが、それでも惜しまれるところです。

 後半残り20分間、ウェールズは攻めに攻めました。
 どちらのチームが14人なのか分からない程の攻撃でしたが、フランスチームは良く守り、ゲームは9-8のまま終了しました。

 ノートライに終わったフランスチームは、本来の出来では無かったとも言われましたが、それは「展開次第」ということではないかと考えます。
 ひとり多くなり、リードしたのですから、慎重な試合運びになるのは自然なことなのでしょう。

 一方のウェールズチームにとっては、やはりキャプテンの退場が響いたということとでしょう。
 そうした逆境にも、全く怯むことなく攻め続けた所に、ウェールズラグビーの誇り、を観た気がします。

 「9-8」、ロースコアの激闘でした。
 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はワールドカップ1978アルゼンチン大会の決勝です。

[1978年6月25日・モヌメンタルスタジアム(ブエノスアイレス)]
アルゼンチン3-1オランダ(延長)

 地元開催で悲願の「初優勝」を狙うアルゼンチン代表チームと、前回1974年に旋風を巻き起こし、新時代のサッカーを世界に呈示した「ヨハン・クライフとその仲間達」から、クライフ選手が抜けはしたものの、その時のチームから9名ものプレーヤーが出場している、強力なオランダ代表チームが、激突したゲームです。

 南米のサッカー強豪国であるアルゼンチンですが、第1回ワールドカップで準優勝はしているものの、それ以降は目立った成績を残すことが出来ませんでした。
 ウルグアイチーム、ブラジルチームに続いて、何としても「ワールドカップ制覇」を成し遂げたかったことでしょう。

[アルゼンチンチームの先発メンバー]
1. GKフィジョール選手
2. DFオルギン選手
3. ガルパン選手
4. パサレラ選手
5. タランティーニ選手
6. MFガジェゴ選手
7. アルディレス選手
8. ケンペス選手
9. FWベルトーニ選手
10. オルティス選手
11. ルーケ選手

[オランダチームの先発メンバー]
1. GKヨングブルート選手
2. DFクロル選手
3. ポールトフリート選手
4. ブランツ選手
5. ヤンセン選手
6. MFニースケンス選手
7. ハーン選手
8. W.ファンデケルクホフ選手
9. FWレンセンブリンク選手
10. レップ選手
11. R.ファンデケルクホフ選手

 ゲームは、とてもスピーディな展開で、両チームにチャンスが生まれました。

 1974年までは、ワールドカップの決勝というと、ややスローな展開が多かったように記憶しています。
 これは、サッカーの戦術の問題もあると思いますが、開催時期である6月が北半球であれば「暑い時期」ですので、90分を戦うことを考慮してのプレーが多かったことも理由のひとつだと思います。
 このゲームが「スピーディな展開」だったのは、6月のアルゼンチンが「冬」で気温が相当低かったこともあるのでしょう。

 いずれにしても、両チームが攻め合いを展開し、決定的なチャンスもあったのですが、共に無得点のまま、ゲームは前半35分を経過しました。
 このまま0-0で後半に入るかに観えた前半38分、ゲームが動きました。

 左サイドからオランダゴールに迫ったアルゼンチンチームは、FWルーケ選手らがダイレクトのパスを繋ぎ、ペナルティエリア直ぐ外に居たマリオ・ケンペス選手にパスを通し、これをケンペス選手が蹴り込みました。
 オランダチームのディフェンダーが止まっているかのように観える、一連のプレーでした。

 決勝における先制点となったゴールですが、このゴールがワールドカップ1978における最も有名なゴールとなりました。
 大会得点王(6ゴール)でありMVPにも輝いたケンペス選手を紹介する映像としても、常に使用されるシーンですし、アルゼンチン大会を紹介する際にも必ずと言って良いほど登場するのです。
 21世紀の今日でも、これからも眼にすることがある映像なのでしょう。

 「闘牛士」と称されたケンペス選手の、最もケンペス選手らしいゴールシーンでした。

 同点を目指すオランダチームは、後半も良く攻めましたが、アルゼンチンチームのGKフィジョール選手の好守もあって、なかなか得点することが出来ませんでした。
 この大会で、超ロングシュート(40m程のシュートを2本)を決めているハーン選手も積極的に打って行きますが、どうしてもゴールを抉じ開けられないのです。

 もちろん「1-0の勝利」で十分なアルゼンチンチームの守備も、とても高度なものだったのです。

 ゲームは、後半35分を過ぎました。

 左サイドから、オランダのDFボールトフリート選手がセンタリング、これを途中交代で入っていたナニンハ選手がヘディングで叩き込みました。
 オランダチームの持ち味であるサイドからの攻撃が実った、同点ゴールでした。

 ゲームは1-1のまま90分を終えました。

 アルゼンチンチームとしては「掌中にしたワールドカップ」がスルリと手からこぼれ落ちた感じだったのでしょうか。

 さすがに後半の30分過ぎからは、両チームともに疲労が観られましたが、延長が始まると「力を振り絞って」の戦いが続きました。
 そして延長前半14分、ペナルティエリア外からケンペス選手の「突進」が始まりました。オランダチームのディフェンダーを次々と交してシュート、これをGKクロル選手が弾き、跳ね返ってきたボールを、ケンペス選手が再び押し込んだのです。
 見事な2点目でした。

 そして延長後半9分にも、フリーキックFKからケンペス選手がボールを持ち、ペナルティエリアに突進、ディフェンダーに弾かれたボールがベルトーニ選手の前に落ちて、これを押し込み、アルゼンチンチームが3点目を挙げ、勝利を決めました。
 このゲームのアルゼンチンの3点は、いずれもケンペス選手から生まれたと言って良いでしょう。
 このゲームは「ケンペス選手のゲーム」だったのです。

 紙吹雪が舞い散り、無数の水色の旗が打ち振られます。
 モヌメンタルスタジアムは「歓喜の嵐」でした。
 
 それにしても、オランダチームとしては、後半45分過ぎのロブ・レンセンブリンク選手のシュート、左サイドを駆け上がり左足で放ったシュートですが、これがポストに当たりピッチに跳ね返ったのです。

 本当に惜しいシュートでした。

 「たら」は無いのですけれども、もしこのシュートが決まっていれば、この大会は「オランダの大会」になっていたでしょうし、レンセンブリンク選手は得点王にも輝き、おそらくはゴールデンボール賞(MVP)にも選ばれたことでしょう。
 そして、その後のワールドカップでも、オランダ代表チームは優勝を重ねていたかもしれません。

 「たら」は無いのですが、オランダチームにとっても、ワールドカップの歴史にとっても、とても大きなシュート不成功であったと感じるのです。
 4月12日、阪神競馬場芝1,600mコースを舞台に開催される、第80回桜花賞競走G1の注目馬検討です。

 2020年もクラシック競走が始まります。

 「無観客」はとても残念ですけれども、2020年の3歳世代に、きちんとした戦いの舞台が用意されたことは、とても素晴らしいことであり、レースの歴史が「競馬の本質」であることを考え合わせれば、関係者の皆様のご努力に頭が下がります。

 2020年の桜花賞は、フルゲートの18頭となりました。
 2歳時から活躍している馬も含めて、良いメンバーが揃ったと思います。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、3枠5番のマルターズディオサ。
 前走チューリップ賞G3の勝ち馬です。近時は、桜花賞に向けてチューリップ賞の位置付けが高くなっていると感じます。クラヴァシュドールとの大接戦でしたが、勝負強さを示したものと捉えています。

 第二の注目馬は、5枠9番のデアリングタクト。
 前走エルフィンステークスは、4馬身差を付けての圧勝でした。2戦2勝馬の潜在能力に期待しています。

 第三の注目馬は、2枠4番のサンクテュエール。
 前走シンザン記念G3は牡馬を相手に勝利しました。ディープインパクト産駒の強さを魅せて欲しいものです。

 2歳女王レシステンシアとフィリーズレビュー勝ち馬エーボスは8枠に入りました。
 上位に食い込む力は十分にあると思いますが、大外はやはり不利でしょう。

 2020年春、桜は早々に開花しましたが、その花は良く持っています。
 桜花賞においては、大歓声の代わりに、桜吹雪が乙女たちを包んでくれることを、祈っています。

 世界規模の新型コロナウイルス感染拡大に伴い、スポーツイベントにも大きな影響が出ていて、毎日のように様々な情報に接します。

 ゴルフの4大メジャートーナメントも、もちろん、例外ではありません。

 現在までの情報では、まず全英オープン大会の中止が決まりました。
 1945年以来75年振りの中止。

 先日のテニス・全英オープン=ウインブルドン大会の中止に続くものです。
 2020年春夏は、イギリスにおいて開催予定であった2つのメジャー大会が、第2次世界大戦以降初めて中止になったのです。
 信じられないような事態です。

 続いては、4月に開催が予定されていたマスターズ大会の延期です。
 「マスターズ」が4月に行われることは、定着していたというか、本格的なゴルフシーズン到来を告げる、季節のイベントとして「固定」されていたものでしょうが、これが11月12日~15日に延期となりました。
 オーガスタナショナルG.C.において、4月ならばアゼリアを始めとする春の花々に囲まれた「華やかなトーナメント」が、2020年秋にはどのような「絵」になるのか、これは、楽しみに待ちたいと思います。

 続いては、5月に開催が予定されていた全米プロ選手権大会が、8月6日~9日に延期となりました。
 もともと、東京オリンピック2020との関係で、開催時期が変更されていたものですが、これが8月に戻ったというか、再変更になったのです。
 初の開催となるTPCハーディングパークでのプレーがとても楽しみですが、8月上旬となると、本当に開催できるのか心配になるのが、本当に残念なところです。

 最後は、6月に開催予定であった全米オープン大会が、9月17日~20日に延期となりました。
 秋の全米オープンというのも、なかなか観られないものです。
 2006年以来6度目の開催となる、名門ウイングドフットG.C.の「伝統のラフ」は、秋になるとどのような威力を発揮するのでしょうか。
 本当に楽しみです。

 こうした「大変更」が4月の上旬に決まったことは、対応のスピードとして、大変素晴らしいことだと感じます。
 関係者各位のご努力に、大きな拍手を送りたいと思います。

 そして、こうした「大変更」が行われた限りは、是非開催していただき、スーパープレーヤー達の世界最高のプレーを魅せていただきたいと思います。

 JRAのHPにある「日本馬海外遠征の記録」という素晴らしいDB、今回は2002年と2003年の記録を観てみましょう。

 2001年の香港競馬におけるG1・3勝やドバイのG2における勝利に比べ、2002年と2003年は、なかなか勝てなかったという印象です。

 この2年間で勝利したのは、2001年の稿にも登場したエイシンプレストンのクイーンエリザベス2世カップ(香港)G1の連勝のみです。
 エイシンプレストンは、「香港競馬における3年連続G1勝利」を成し遂げたのです。

 もちろん、2002~03年の日本馬海外遠征にも「惜しい」レースがいくつかありました。

 2002年では、やはりエアトゥーレ(牝5歳)のモーリスドゲスト賞G1の2着でしょう。
 あのシーキングザパールによる1998年の日本馬史上初の海外G1勝利のレースです。
 この短距離戦(1,300m)にエアトゥーレは勇躍挑戦し、好成績を残したのです。
 メイボールに3/4馬身差の2着でした。

 通算23走、重賞勝ちは阪神牝馬ステークスG2の1勝でしたが、このモーリスドゲスト賞での大健闘は、スプリンターとしての彼女の誇りでしょう。

 2003年では、ローエングリン(牡4歳)のムーランドロンシャン賞G1の2着でしょう。
 4歳となり、勇躍フランス競馬に挑戦したローエングリンは、ネブラスカトルネードに1/2馬身差の2着に食い込んだのです。
 日本においては、マイラーズカップと中山記念というG2レースに、それぞれ2勝ずつの重賞4勝と「マイル戦での強さ」を魅せてくれましたが、やはりマイルのムーランドロンシャン賞においても、その強さを発揮してくれたのです。

 2002年と2003年は、日本馬の海外遠征にとっては「力を蓄える時期」だったと考えた方が良さそうです。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はユーロ(欧州選手権大会)1976の決勝を観ました。

[1976年6月20日・スタディオンツルベナズゥエズダ(ユーゴスラビア)]
チェコスロバキア2-2西ドイツ
(延長でも決着つかず、PK戦5-3でチェコスロバキアの優勝)

 1976年に開催された第5回欧州選手権・ユーゴスラビア大会の決勝は、西ドイツとチェコスロバキアの対戦となり、終始ゲームをリードしたチェコスロバキア代表チームが優勝を飾りました。
 初優勝でした。

 準決勝で、優勝候補筆頭だったオランダ代表チームを3-1で破ったチェコスロバキアと、開催国ユーゴスラビア代表チームを4-2で破った西ドイツの対戦となった決勝ですが、戦前の予想は「西ドイツ有利」でした。

 それは、ごく自然なことで、1972年のユーロと1974年のワールドカップを優勝してきたチームの方が強いと考えられていたのです。
 
[チェコスロバキアチームの先発メンバー]
1. GKヴィクトル選手
2. ドビアッシュ選手
3. チャプコビッチ選手
4. オンドルシュク選手
5. ピヴァルニーク選手
6. パネンカ選手
7. モーデル選手
8. マスニー選手
9. ネホダ選手
10. ゴフ選手
11. シュヴェフリーク選手

[西ドイツチームの先発メンバー]
1. GKマイヤー選手
2. フォクツ選手
3. ディーツ選手
4. シュヴァルツェンベック選手
5. ベッケンバウアー選手
6. ヴィンマー選手
7. ボンホーフ選手
8. ウリ・ヘーネス選手
9. ディーター・ミュラー選手
10. ベーア選手
11. ヘルツェンバイン選手

 「皇帝」ベッケンバウアー選手が健在で、ゴールキーパーGKにマイヤー選手、ディフェンスDFにフォクツ選手やシュヴァルツェンベック選手、ミッドフィールダーMFにヴィンマー選手、ボンホーフ選手、フォワードFWにディーター・ミュラー選手、ヘルツェンパイン選手と並んだ姿は、史上初のユーロ→ワールドカップ→ユーロという変則3連覇を達成するに十分なチームに観えました。

 一方のチェコスロバキアチームは、知名度こそ西ドイツに一歩譲るものの、キャプテンのオンドルシュク選手やFWのゴフ選手、MFのパネンカ選手、マスニー選手と、国際的に高い評価を得ていたプレーヤーが揃って居ました。
 準決勝で、優勝候補のオランダ代表チーム破ったのも、不思議なことではなかったのです。
 
 ゲームが始まると、局面局面でチェコスロバキアチームの動きが勝りました。

 ボールを扱うテクニックが高度な上に、タテに突破するスピードが十分でしたから、「堅守」を誇る西ドイツチームの守備陣が、度々崩されてしまうのです。
 前半8分のシュヴェフリーク選手、前半25分のドビアシュ選手のゴール共に、チェコスロバキアの攻撃に、西ドイツが抗しきれないという展開でした。

 チェコスロバキアチームの「驚くべき攻撃力」が披露されたのです。

 ボール扱いのテクニックは「南米強豪チームレベル」ですが、ブラジルチームなどと比較すれば、柔らかさが不足している一方、スピードでは勝る感じでしょうか。
 結果として、得点力十分なのです。

 まだまだ追加点が入りそうな展開でしたが、そこは「堅守」の西ドイツディフェンスDFが懸命の守りを披露して防ぎました。

 2-0となり、試合の帰趨は大きくチェコスロバキアチームに傾いたのですけれども、そこは「さすがの西ドイツチーム」なのです。
 ゲームを諦めるなどという言葉は、このチームには存在しません。
 いつものように「不屈の闘志」で反撃に出ました。

 前半28分に、フォワードFWのディーター・ミュラー選手が1点を返します。

 この後ゲームは一進一退、どちらにも得点のチャンスが有りましたが決まらず、試合時間は残り5分を切りました。

 このままチェコスロバキアチームが押し切るかに見えた後半44分、西ドイツチームのヘルツェンバイン選手が同点ゴールを挙げたのです。
 西ドイツチーム「伝統の粘り」がここでも発揮されました。
 大きな大会で何度となく目にした粘りです。
 この粘りによって、西ドイツチームは幾度も苦境を脱出してきたのです。

 このまま延長戦に入り、延長戦では両チーム得点を挙げることが出来ずに、PK戦に突入しました。

 こうなればゲームは西ドイツチームが有利、と誰もが考えたことでしょう。
 0-2から追いつき、常に素晴らしいゴールキーパーGKを擁していることから、PK戦に絶対の強さを魅せているからです。

 ところが、PK戦でもチェコスロバキアチームが強さを魅せたのです。
 先行となって、1人目のバネンカ選手に始まり5人目のマスニー選手まで全員が成功しました。西ドイツチームの名GKマイヤー選手を相手にしての、素晴らしいパフォーマンスでした。
 一方の西ドイツチームは、4人目ウリ・ヘーネス選手が失敗してしまいました。

 大きな大会で定評のある「PK戦における西ドイツの強さ」をもってしても、このゲームのチェコスロバキアは止められなかった、ということになります。

 この録画を観る限り、「番狂わせ」ではなく、チェコスロバキア代表チームは「勝つべくして勝った」と感じます。
 それ程に強かったのです。

 それにしても、この大会で第5回を迎えたユーロで、第1回のソビエト連邦、第5回のチェコスロバキアと、共産圏のナショナルチームが2度の優勝を果たしています。
 所謂ステートアマチュアの選手たちによって構成されているチームとはいっても、世界屈指のプロサッカープレーヤーで構成されている、世界最高レベルの各チームに対して、これ程の強さを魅せていたことは、やはり驚くべきことなのでしょう。

 JRAのHPにある「日本馬海外遠征の記録」という素晴らしいDB、今回は2001年の記録を観てみましょう。
 
 2001年は「香港競馬での活躍」が目立った年でしょう。

① ステイゴールド(牡7歳) 香港ヴァーズG1 1着
② アグネスデジタル(牡4歳) 香港カップG1 1着
③ エイシンプレストン(牡4歳) 香港マイルG1 1着

 と、3頭がG1レースに勝っています。
 日本馬の香港競馬挑戦史上でも空前の成績であったと思います。

 ステイゴールドにとっては、自身唯一のG1勝利でした。
 アグネスデジタルにとっては、天皇賞(秋)からの「2,000mG1」連勝となりました。
 エイシンプレストンにとっては、朝日杯3歳ステークスG1以来のG1勝利であり、2002年と2003年のクイーンエリザベス2世カップ(香港)G1連勝に繋がる活躍でしょう。

 いずれも「堂々たる勝利」でした。
 この3頭の活躍によって、香港競馬における日本馬の地位が確立されたと言っても良いのかもしれません。

 ステイゴールドはこの年、ドバイシーマクラシックG2にも挑戦し、優勝しています。
 彼には「海外競馬の方が向いていた」のでしょうか。

 2001年の日本馬の海外挑戦で忘れてはならないのが、ドバイワールドカップG1におけるトゥザビクトリー(牝5歳)の2着入線でしょう。
 キャプテンスティーブの2着でしたが、当時の「牝馬によるドバイワールドカップ史上最高着順」ですから、大健闘です。
 ダートコース直線で、世界の一流牡馬と競り合う姿に、思わず「頑張れー」と声が出ました。

 2001年の日本馬による海外挑戦は、映像を観ていて、「ワクワクする」レースが多かったと感じます。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回は、ワールドカップ1982の準決勝です。

[1982年7月8日・ラモンサンチェスビスフアン(セビージャ・スペイン)]
西ドイツ3-3フランス(延長で決着つかず。PK戦5-4で西ドイツが勝ち上がり)

 ワールドカップの歴史上には、数々の「死闘」があります。
 世界トップクラスの選手達が、その体力と知力の全てを振り絞って戦い、スコアも拮抗した状態で、延々と続くゲーム。
 体力と知力の「最後の一滴まで出し切らなくてはならないゲームが観られるのが、ワールドカップなのかもしれません。

 第12回ワールドカップ・スペイン大会の準決勝、フランスVS西ドイツも「死闘」でした。

[西ドイツチーム先発メンバー]
1. GKシューマッハ選手
2. DF K.フェルスター選手
3. シュティーリケ選手
4. B.フェルスター選手
5. MFカルツ選手
6. ブリーゲル選手
7. ドレムラー選手
8. ブライトナー選手
9. FWマガト選手
10. リトバルスキー選手
11. フィッシャー選手

[フランスチーム先発メンバー]
1. GKエトリ選手
2. DFボッシ選手
3. アモロス選手
4. ジャンビオン選手
5. トレゾール選手
6. MFシャンジニ選手
7. ジレス選手
8. ティガナ選手
9. プラティニ選手
10. FWロシュトー選手
11. シス選手

 両チームともとても良いメンバーです。(当たり前と言われてしまいそうですが)
 特に中盤、ミッドフィールダーMFのメンバーが素晴らしい。
 フランスチームのジャンジニ、ジレス、ティガナそしてプラティニの4名は、当時世界屈指のカルテットでした。
 ドイツチームのブライトナー、ドレムラー、ブリーゲル、カルツもとても優秀です。

 大会前なら、フランスのMFの方が評価が高かったかもしれません。

 このゲームは、全盛期を迎えつつあったフランス代表チーム、「将軍」ミッシェル・プラティニ選手を擁して、初のワールドカップ制覇を目指したフランスチームが、西ドイツ代表チームとの準決勝に臨み、延長前半で2点をリードしながらも勝ち切れなかったゲームです。

 ワールドカップという世界最高の舞台で、そもそも3-3というスコア自体が珍しいものであり、90分・1-1、120分・3-3、PK戦・5-4という試合展開は、まさに「死闘」と呼ぶに相応しいゲームでしょう。
 
 驚くべきスタミナを誇る代表選手達も、さすがに70分を過ぎるころから動きが悪くなりました。
 「十分に90分間戦える」筈の、世界最高の持久力を誇る選手達でも、これだけ「厳しいプレーが続く」と、動けなくなることを認識させられるゲームであり、しかしその状態から延長に入って「再び勢いを取り戻す」スキルの高さに、感服させられるゲームでもありました。

 ゲームは西ドイツチームの先制で始まりました。
 前半17分、ゴール前の波状攻撃から、ペナルティエリアのフランスゴールに向かって右外に弾きだされてきたボールを、リトバルスキー選手が叩き込んだのです。威力・コースとも、素晴らしいシュートでした。
 このシーンは「リトバルスキー選手を紹介する映像」に必ずと言って良いほど登場します。リティのキャリアにおける最高のシーンのひとつなのでしょう。

 「三銃士」を中心に反撃するフランスチームは、前半26分ペナルティーキックを得ます。
 蹴るのはもちろんプラティニ選手です。

 ドイツのゴールキーパーGKは、当時の世界NO.1キーパーと目されていたシューマッハ選手。
 名手同士の対決ですから、蹴る前から様々な細かい動きが観られました。
 そしてプラティニ選手は、ゴール右上に強烈なシュートを放ちました。
 これはシューマッハ選手でも、どうしようもないと言うか、どんなGKでも絶対に止められないシュートであったと思います。プラティニ選手の気迫溢れるプレーでした。

 ゲーム後半に入り、ハイレベルな両チームの攻防が続きました。
 ドリブルのスピード、パスのスピード・精度、ゴール前の瞬発力、得点を取るための戦術、どれをとっても世界最高レベル、当然ながら、21世紀のサッカーと比較しても全く遜色の無いプレーが、延々と繰り広げられたのです。

 80分を過ぎてから、両チームのプレーヤーの運動量が眼に観えて落ちました。
 プラティニ選手は歩いていることが多くなりましたし、リトバルスキー選手もボールの競り合いで後れを取ることが多くなったのです。
 それでも、何とか「得点の形」を作るところはさすがでしたが、得点は遠い印象でした。

 ゲームは1-1のまま延長戦に縺れ込みました。
 このままPK戦に入ってしまうのではないかと考えていました。

 ところが、延長に入ってから、フランスチームの動きが良くなったのです。
 もう一度「エンジンを吹かした」という感じでしょうか。

 延長前半2分、トレゾール選手が勝ち越し点を挙げます。あれだけ堅かったドイツゴールを抉じ開けたのです。
 そして、延長前半8分、ジレス選手が追加点を挙げました。
 これで「3-1」とリードしたのです。
 ワールドカップ準決勝の延長戦における2点差と言うのは、とてつもなく重いものです。
 何より、相手チームから「戦意を奪う」ものなのです。
 
 さすがの西ドイツチームも、これで万事休したと感じました。
 フランスチームにとっての「初の決勝進出」が大きく近づいた瞬間でした。

 しかし、「決して諦めない西ドイツチーム」の伝統が、ここでも生きていたのです。
 西ドイツチームの戦意は、全く衰えていませんでした。

 体調不良で先発メンバーに入っていなかった「エース」、得点力抜群のフォワードFW、カール・ハインツ・ルンメニゲ選手を投入します。
 そして、そのルンメニゲ選手が、いきなり、前半12分にゴールを挙げるのですから、恐れ入ります。
 自身のこのゲーム初シュートであったことは間違いありませんが、ひょっとするとファーストタッチであったかもしれません。
 フランスゴール向かって左サイドで、ディフェンダーDFと競り合い、共に脚を伸ばしてボールにアタックし、僅かにルンメニゲ選手の足がボールにタッチしてのシュートが、フランスゴールに突き刺さりました。
 ルンメニゲ選手の恐ろしさ、ひいては、西ドイツチームの恐ろしさを、これ程感じさせるゴールもないでしょう。

 延長後半3分、ドイツチームのFWフィッシャー選手が追加点を挙げて、ドイツチームはついに同点としました。
 やはり、フランスゴール向かって左サイドからの「振り向きざまのシュート」、いかにもフィッシャー選手らしいゴールでした。

 ルンメニゲ選手といいフィッシャー選手といい、大試合のここぞという場面で「持ち味」を発揮できるところに、世界一流を感じます。

 「まさかの同点」に追い付かれてしまったフランスチームも、しかし、この後良く攻めましたけれども、ゲームは3-3の同点のままPK戦に入りました。

 こうなるとドイツチームが有利と言うのは、ゲームの常識なのでしょうが、フランスチームはここでも頑張りました。
 ドイツの3人目シュティーリケ選手のPKを守護神エトリ選手が止めたのです。
 シュティーリケ選手の落胆ぶりが、延々と映像に映し出されます。

 PK戦3人目を終えて3-2とリードしたフランスチームが、再び優位に立ちました。

 しかし、ここでフランスチームの前に立ちはだかったのは、シューマッハ選手でした。
 フランスの4人目シクス選手を止め、6人目のボッシ選手をも完璧に止めて魅せました。世界NO.1ゴールキーパーの面目躍如でしょう。
 ボッシ選手を止めた直後、右手を挙げ喜びを表現する姿が、シューマッハ選手のキャリアにおける代表的な「絵」のひとつとなりました。大喜びでは無く、静かに右手を挙げる姿に、「男の中の男」を感じます。

 ドイツチームは、4人目のリトバルスキー選手、5人目のルンメニゲ選手、6人目のルベッシュ選手がしっかりと決め、見事に勝利を掴みました。
 
 「死闘」を戦った後でも、「いつものように」勝利を喜ぶドイツチームの様子が、とても印象的でした。

 このゲームは、いかにも「ワールドカップの準決勝」らしいゲームだと思います。
 とても「骨太」。
 「サッカーの最高峰」を眼前に示してくれるゲームなのです。

 フランス代表にとっては「大魚を逸した」ゲームでしたが、このゲームの負けを糧として、1984年の欧州選手権(ユーロ)初優勝に繋がったと考えるのが、良いのでしょう。

 JRAホームページの「日本馬海外遠征の記録」に関連する記事です。

 日本の競走馬による海外重賞挑戦の歴史において、1998年が特別な意味を持つことは、これまでも何度か書いてきました。

 それは、「1998年に日本馬が初めて海外『G1レース』に優勝」したことです。

 前年1997年のホクトベガの悲劇を乗り越えて、日本馬が大輪の花を咲かせてくれたのが、1998年だったのです。

 この年、海外遠征したのは、キョウトシチー、シーキングザパール、タイキシャトル、ロイヤルスズカ、ミッドナイトベットの5頭でした。
 2010年代以降と比べれば、とても少ないのですけれども、その戦いの内容はとても濃かったのです。

 まずシーキングザパールが8月9日、フランスのモーリスドゲスト賞(ドーヴィル競馬場)を勝ちました。鞍上は、武豊騎手でした。
 これが、日本馬による史上初の海外G1制覇でした。
 シーキングザパールの「初の日本馬海外G1制覇」という栄光は未来永劫変わらないのです。(本ブログ2014年11月11日付記事「[競馬コラム127] 日本馬初の欧州G1優勝 シーキングザパール号」、および、2019年4月30日付記事「KaZブログが選ぶ 平成のスポーツ10大ニュース」、をご参照ください)

 続いて翌週の8月16日、タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞G1(ドーヴィル競馬場)を制覇しました。鞍上は、岡部幸雄騎手でした。
 2週連続の、日本馬によるフランスG1制覇でした。(本ブログ2015年11月18日付記事「[競馬コラム156] マイルの鬼 タイキシャトル号」をご参照ください)

 そして12月13日、ミッドナイトベットが香港国際カップG2に優勝しています。
 鞍上は、河内洋騎手でした。
 同レースにおける、1995年のフジヤマケンザン以来2頭目の日本馬の優勝でした。

 1998年に海外遠征を行った5頭の日本馬の内3頭が重賞勝ちを収めたのです。
 内2頭は、日本競馬史にその名を刻むG1勝ちでした。

 残りの2頭はと言えば、キョウトシチーはドバイワールドカップG1で6着、ロイヤルスズカは香港国際ボウルG2で4着と、こちらも健闘しています。

 1998年は、日本馬の海外レース挑戦における「栄光の年」であったと感じます。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのに最適です。
 今回はラグビーワールドカップ2011の準々決勝を観ました。

[2011年10月9日・ウエストバックスタジアム(ニュージーランド)]
オーストラリア11-9南アフリカ

 ワールドカップ2007の優勝チームであり、この大会でも、2007年優勝時のメンバーを多数揃えて優勝候補の一角を占めていた南アフリカ・スプリングボクス(当時世界ランキング2位)を、若手主体のオーストラリア・ワラビーズ(同3位)が破った、当時は「番狂わせ」と言われた一戦です。

 いつの時代も「勝負強く」「試合巧者」と呼ばれるスプリングボクスが、よもやの敗戦を喫したゲームを観て行きましょう。

[南アフリカチームの先発メンバー]
1. PRスティアンカンプ選手
2. HOジョン・スミット選手
3. PRヤニー・デュプレッシー選手
4. LOダニー・ロッソウ選手
5. LOマットフィールド選手
6. FLブルソー選手
7. FLバーガー選手
8. NO.8ピエール・スピース選手
9. SHデュプレア選手
10. SOモルネ・ステイン選手
11. WTBハバナ選手
12. CTBデヴィリアス選手
13. CTBジャック・フーリー選手
14. WTBピーターセン選手
15. FBパトリック・ランビー選手

[オーストラリアチーム先発メンバー]
1. PRケプ選手
2. HOモーア選手
3. PRアレグザンダー選手
4. LOヴィッカーマン選手
5. LOホーウィル選手
6. FLエルソム選手
7. FLポーコック選手
8. NO8ランディケ・サモ選手
9. SHウィル・ゲニア選手
10. SOクーパー選手
11. WTBイオアネ選手
12. CTBマッケイブ選手
13. CTBアシュリークーパー選手
14. WTBオコナー選手
15. FBビール選手

 南アチームを見ると、前回大会優勝メンバーが11名居る、豪華なラインナップです。
 SHのデュプレア選手や前回大会得点王のWTBハバナ選手など、世界屈指のプレーヤーがズラリと並びます。
 このチームの全プレーヤーのキャップ数を合計すると「836」であると報じられました。
 そして、ひとつのチームのキャップ数の世界最高記録であるとも報じられました。
 つまり、この時の南アフリカ代表チームが、ラグビー史上最多のキャップ数を誇るチーム、経験量ならばどんなナショナルチームにも負けないチームだったのです。
 凄いとしか言いようのないチームです。

 一方のワラビーズは、特にバックスに若い選手が並びました。
 ハーフ団はSHゲニア選手とSOクーパー選手の23歳コンビ、この大会ここまで5トライのアシュリークーパー選手、WTBオコナー選手、FBビール選手と、若手が並び、これをベテランのLOヴィッカーマン選手やNO.8サモ選手がどのように牽引して行くのかが、注目されたのです。

 ゲームはスプリングボクスペースで始まりました。

 オーストラリアゴール前に迫り、トライを狙います。余裕さえ感じられるほどの攻撃でした。歴戦の勇者の戦い振りなのでしょう。
 しかしオーストラリアチームはこの攻撃を良く凌ぎました。
 ワラビーズの「前に出るディフェンス」に後退を余儀なくされた南アフリカチームには、「おやっ」という空気が漂いました。

 オーストラリアチームが反撃に出て、南アフリカゴール前に迫ります。
 そして、南アのラインアウトからのゴール前の密集。
 そのラックからボールが飛び出し、これをオーストラリアチームが保持して左に回します。
 そしてLOホーウィル選手が左中間にトライ。
 前半11分、キャプテンの見事な突進でした。

 WTBジェームズ・オコナー選手(21歳)のコンバージョンキックは外れましたけれども、オーストラリアチームが5-0とリードしました。

 南アフリカチームとしては、「やるな」という感じであったと思いますし、自分達のプレーが出来ていないという意識も有ったことでしょう。

 さらに、オーストラリアチームの攻撃が続きました。
 FBビール選手の突進で、大きく前進し、反則を誘って、PGを決めたのです。オコナー選手のキックでした。
 オーストラリアが8-0とリードを広げたのです。

 ビール選手の突進は、グラウンドの「ど真ん中」を突いたものでしたが、このゲームでは、ワラビーズの若手による「縦の突進」が大きくエリアを獲得するシーンが観られました。
 ベテラン揃いのスプリングボクスとしては、「いずれ左右に振るであろう」と観て、対応するディフェンスを張っていたのでしょうが、若きワラビーズは「真っ直ぐに走り込んだ」のです。そのスピードとパワーが、「経験」を上回っていた印象です。

 南アフリカチームは反撃に出て、前半20分にオーストラリアゴール前に迫りました。
 波状攻撃が続き、ゴールまで1mを切った密集の中で、オーストラリアチームがターンオーバー、ピンチを凌ぎました。
 密集の中でのボールの動きを観ると、やや反則に近いかなとも思われましたが、レフェリーからは観えなかったのかもしれません。
 いずれにしても、ワラビーズの密集戦でのボール争奪戦におけるパワー・技術は素晴らしいものでした。この後も、何度もターンオーバーを示現しています。
 当然ながら、密集に集まるスピードが、僅かですがスプリングボクスを上回っていたのでしょう。

 時計が進み、前半も残りわずかとなりました。

 私は、この時期2010年前後は、ラグビー競技において「守備技術が攻撃技術を上回っていた時代」であると考えています。例えば、この大会の決勝は8-7でニュージーランドチームがフランスチームを破って優勝しています。
 つまり「8点差」は、とても大きな差なのです。
 南アフリカチームにとっては、「早いうちに得点を返し、差を詰めておかなければならない」状況でした。
 南アフリカのパワフルで巧みな攻撃が続き、オーストラリア陣内でのプレーが増えてきました。
 そして前半38分、SOモルネ・ステイン選手がPGを決めたのです。
 ゲームは8-3となりました。

 当時、世界屈指のキッカーであったモルネ・ステイン選手は、この前にもハーフウェイライン上からの50ヤードを超えるPGに挑んでいました。これは惜しくも右に外しましたけれども、その素晴らしいパフォーマンス、キックの安定感は「さすが」でした。

 ゲームは8-3で折り返しました。

 後半に入り、南アフリカが攻めオーストラリアが守るというシーンが多くなりました。
 世界チャンピオンとしては「負けられない」ゲームなのです。

 しかし、オーストラリアチームの守備はとても頑強でした。南アフリカチームにトライを許さないのです。
 オーストラリア陣内での、一進一退の攻防が続きました。

 そして後半14分、南アフリカはペナルティーを得、PGをモルネ・ステイン選手がしっかりと決めました。
 8-6となったのです。
 これでゲームは、全く分からなくなりました。

 再び、スプリンクボクスが攻めます。
 様々な技を駆使した多彩な攻め。
 これをワラビーズが懸命に凌ぐというプレーが続きました。

 そして、まさにこの時の南アフリカチームらしい得点が観られたのです。
 後半19分、オーストラリアゴール前でモルネ・ステイン選手がドロップゴールDGを決めたのです。
 高い弾道の「綺麗なDG」でした。
 名手モルネ・ステイン選手の面目躍如でしょう。

 ゲームは、南アフリカチームが9-8と逆転しました。トライが取れないならキックで、という、まさに「試合巧者」のプレーなのです。

 後半20分を過ぎても、南アフリカチームは攻め続けました。
 「攻撃は最大の防御」と言わんばかりの攻撃継続でしたが、一方で、選手達にやや疲労が見え始めました。ベテラン主体のチームの、ひとつの弱点でしょう。膝に両手をあてて、呼吸をしている選手が見え始めたのです。

 後半28分を過ぎて、ゴール前に釘付けと言う印象であったオーストラリアチームが、前進を始めました。
 ゲームは、南アフリカ陣内に移動しました。

 そして後半30分、オーストラリアボールのラインアウトにおいて、南アLOロッソウ選手が引き落としの反則、ワラビーズはペナルティーを得て、これをオコナー選手が慎重に蹴り込みました。
 40ヤード位はあったと思いますが、ゲームを左右する場面における、見事なパフォーマンスでした。

 「勝負強く」「試合巧者」であるスプリングボクスを再逆転したのです。
 若きワラビーズの素晴らしい戦いと言って良いでしょう。

 「負ける訳には行かない」南アフリカチームは、再び攻勢に出ます。
 これをオーストラリアチームが必死に守る、最後の10分間が始まりました。
 相変わらず、ボールへの集散は、オーストラリアが勝りました。
 ボールの争奪戦でもオーストラリアが勝っていたと思います。

 後半40分、通算80分の瞬間、ボールはハーフウェイライン上にありました。
 オーストラリアボールのスクラム、これを蹴り出して、ワラビーズの勝利が決まりました。
 若きワラビーズが、熟練のスプリングボクスを破ったのです。

 オーストラリア代表チームは、「縦への素早くパワフルな突進」とボールへの素早い集散、そして守っては「ゲインライン突破を許さない堅い守備」が印象的でした。
 ディフェンディングチャンピオンをノートライに抑え込んだのです。

 パワー、技術共に世界トップクラスの南アフリカチームを相手に、「ゲインを切らせない」というディフェンスは、丁度、ワールドカップ2019日本大会の準決勝、イングランドVSニュージーランド戦において、イングランドチームがオールブラックスを相手に魅せた「鉄壁の守備」と同じレベルのパフォーマンスに観えました。
 若きワラビーズにとっての、最高のディフェンスプレーだったのではないでしょうか。

 南アフリカ代表チームにとっては「まさか」の敗戦であったかもしれません。
 一度逆転していただけに、とても残念な敗戦でしょう。
 「勝つことに慣れたチーム」に、僅かな油断が有ったのかもしれません。
 ワールドカップ2011ニュージーランド大会で、オールブラックスとの雌雄を決するつもりであったろうスプリングボクスの「連覇への野望」が、準々決勝で潰えたのです。
 
 ハーフウェイラインから始まったゲームが、ハーフウェイラインでノーサイドを迎えたのです。

 素晴らしいゲームでした。

 スーパーボウル2020は、カンザスシティ・チーフスの50年振りの優勝で幕を閉じました。
 クオーターバックQBパトリック・マホームズ選手を中心としたチーフスの攻撃陣が、新たな伝説となったのです。

 さて、2016年から20年の過去5回のスーパーボウルを観ると、新進気鋭のQBが登場し、それぞれのゲームの中心的な役割を果たしていることが分かります。
 どんなプロスポーツにおいても、常に繰り返されている世代交代ですが、直近の5年間は、「新旧QBの対決」という色彩がとても強かったように感じます。

[2016年2月7日・第50回スーパーボウル]
デンバー・ブロンコス24-10カロライナ・パンサーズ
(QBペイトン・マニング選手) (QBキャム・ニュートン選手)

[2017年2月5日・第51回スーパーボウル]
ニューイングランド・ペイトリオッツ34-28アトランタ・ファルコンズ
(トム・ブレイディ選手)         (マット・ライアン選手)

[2018年2月4日・第52回スーパーボウル]
フィラデルフィア・イーグルス41-33ニューイングランド・ペイトリオッツ
(ニック・フォールズ選手)     (トム・ブレイディ選手)
(カーソン・ウェンツ選手)

[2019年2月3日・第53回スーパーボウル]
ニューイングランド・ペイトリオッツ13-3ロサンゼルス・ラムズ
(トム・ブレイディ選手) (ジャレッド・ゴフ選手)

[2020年2月2日・第54回スーパーボウル]
カンザスシティ・チーフス31-20サンフランシスコ49ers
(パトリック・マホームズ選手)  (ジミー・ガロポロ選手)

 こうして観てくると、改めてペイトリオッツの強さというか、スーパーボウルへの出場頻度の高さに驚かされますが、今回は「新進気鋭のQB」がテーマですので、話を戻します。

 スーパーボウル2016は、モバイルQBとして売出し中だったキャム・ニュートン選手が、「偉大なる」ペイトン・マニング選手に挑んだゲームでした。
 戦前の予想では、ニュートン選手率いるパンサーズか有利という見方が、多かったと思います。
 しかし、ブロンコスディフェンスがパンサーズを10点に抑え込むことに成功し、ペイトン・マニング選手率いるブロンコスオフェンスが24点を挙げて、快勝しました。

 カンファレンス・チャンピオンシップゲームまで、自由自在の攻めを魅せたQBキャム・ニュートン選手が、初めて「不発」に終わったのです。
 自信満々でスーパーボウルに臨んだニュートン選手にとっては、「苦い」経験となったことでしょう。

 スーパーボウル2017は、新旧対決という意味であれば象徴的なゲームとなりました。
 QBマット・ライアン選手率いるファルコンズは、前半を21-3とリードして折り返し、第3クオーターQ残り8分半の時点では、そのリードを28-3と広げました。この時点での「25点差」はとてつもなく大きなもので、この段階でファルコンズのオーナーは勝利を確信したと報じられています。

 しかし、ここからペイトリオッツの反撃、絶対に諦めないプレーが続きました。
 そして28-28の同点となって、ゲームはオーバータイムOT延長に入ったのです。
 こうなると「勢い」はペイトリオッツのもの。
 OT最初のドライブでタッチダウンを挙げて、勝利しました。
 信じられないような大逆転勝ちでした。

 所謂ハイパーオフェンスで相手チームを圧倒してきたファルコンズとQBマット・ライアン選手でしたが、「よもや」の逆転を喫したのです。

 21世紀のNFLをリードしてきたペイトリオッツと、その中心選手・大ベテランのQBトム・ブレイディ選手対新鋭マット・ライアン選手の対決は、ブレイディ選手に軍配が上がったのです。

 スーパーボウル2018は、過去5回のゲームの中ではやや毛色の違うものでしょう。
 イーグルスQBニック・フォールズ選手も既にベテランの域にありましたし、迎え撃ったのは、やはりペイトリオッツ・QBトム・ブレイディ選手でした。
 
 ゲームは、イーグルスが先行しペイトリオッツが追いかける展開となり、第3Qを終えて29-26でイーグルスがリードしていましたが、こうした展開はペイトリオッツの得意とすねもの(第4Qに逆転し僅差で勝利するパターン)でしたから、最終Qの戦いが注目されました。
 そして、イーグルスはペイトリオッツに逆転を許さず、逆に差を広げて押し切ったのです。
 見事な勝利でした。

 このゲームは、QBの新旧対決というよりは、ニック・フォールズ選手渾身の一戦、生涯最高のゲームと言うべきものでしょうが、イーグルスのスーパーボウル進出に向けては、主戦QBカーソン・ウェンツ選手の活躍を忘れてはならないでしょう。
 レギュラーシーズン終盤に大怪我(膝の怪我でしたが痛々しい限りの怪我でした)をしてしまい、ポストシーズンはニック・フォールズ選手をQBに立てて戦うこととなりましたが、ウェンツ選手は、その後のシーズンでもイーグルスの主戦QBに居るのです。
 カーソン・ウェンツ選手が、このシーズンの新進気鋭のQBと言っても良いのでしょう。

 スーパーボウル2019では、ラムズのQBジャレッド・ゴフ選手が、トム・ブレイディ選手に挑む、新旧対決でした。
 史上最少スコアのゲームとなって、ペイトリオッツが6度目の栄冠に輝きましたが、ゴフ選手はブレイディ選手と堂々と渡り合ったと感じます。

 そしてスーパーボウル2020は、パトリック・マホームズ選手とジミー・ガロポロ選手がQBを務めました。

 さて、2016年から20年のスーパーボウルには、NFLの次代を担うQBが次々と登場した印象が有ります。
 キャム・ニュートン選手は2011年のドラフト全体1位ですし、ジャレット・ゴフ選手は2016年ドラフト全体1位、カーソン・ウェンツ選手は同じ2016年のドラフト全体2位、パトリック・マホームズ選手はドラフト1巡目全体10位となっています。
 NFLデビュー前から、大いに期待される存在だったのです。
 そして、その期待に応えて活躍も魅せてくれています。

 とはいえ、その活躍を継続できているか、「安定した強さ」を示しているかという点になると、やや物足りない感じがします。(パトリック・マホームズ選手は来シーズン以降を観て行かなければなりませんが)
 ポストシーズンへの進出も、ままならないという状況なのです。

 21世紀のNFLは、ペイトン・マニング選手、トム・ブレイディ選手、ドリュー・ブリーズ選手、アーロン・ロジャース選手、ラッセル・ウィルソン選手、イーライ・マニング選手といった名QBのプレーに支えられてきました。
 これらの名手の中には、まだ現役の方も居ますが、さすがに全盛期は過ぎた感が有ります。

 こうした名手達の後継者として、2016年から20年のスーパーボウルで活躍した「新進気鋭のQB」の皆さんには、「フィールドを常に彩る存在」として、大活躍を続けていただきたいのです。

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