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 新型コロナウイルス禍の中で、世界の主要リーグにおいて最初にリーグ戦を再開した、ドイツ・ブンデスリーガの、再開後第2週の一戦です。
 ホームに、アイントラハト・フランクフルトを迎えたバイエルン・ミュンヘンが、5ゴールを挙げて圧勝しました。

[5月23日・第27節・アリアンツアレーナ]
バイエルン・ミュンヘン5-2アイントラハト・フランクフルト

 再開時点で首位に立っていたバイエルンは、第26節=再開後緒戦でウニオン・ベルリンを2-0で下し、順調なスタートを切りました。
 そして、再開後のホーム緒戦を迎えたのです。

 一方のフランクフルトは、再開後緒戦のボルシア・メンヘングラートバッハ戦を1-3で落とし、このゲームを迎えています。

 ゲームは開始直後からバイエルンの攻勢が上回りました。
 「赤いユニフォーム」が「白いユニフォーム」を押し込むシーンが多かったのですが、バイエルンのシュートがクロスバーを叩いたり、ゴールキーパーGKの正面を突いたりで、なかなか先取点には結びつきませんでした。

 そして前半17分、バイエルンのセンターバックDFダヴィド・アラバ選手が、左サイドに走り込んだFWトーマス・ミュラー選手にパス、ミュラー選手が左サイドを抉りセンタリング、走り込んできたMFレオン・ゴレツカ選手にドンピシャ。ゴレツカ選手はこれを左足でダイレクトシュート。フランクフルトゴール右側に突き刺さりました。
 攻めていたバイエルンが、ついに先制点を挙げたのです。

 フランクフルトは反撃に出ますが、やはりバイエルンのディフェンスDFラインが厚いことと、中盤のボールキープ力でバイエルンが勝っている分、単発の攻撃となりました。

 そして後半41分、バイエルンのフォワードFWアルフォンソ・デイビス選手が中盤でボールを奪い、ゴール前にクロス。走り込んできたトーマス・ミュラー選手がGKケヴィン・トラップ選手と競り合いながらシュートを決めました。
 バイエルンの2点目。
 これでゲームの流れは完全にバイエルン・ミュンヘンのものとなりました。

 バイエルンは、後半開始早々の1分、エースのロベルト・レバンドフスキ選手が3点目を挙げてゲームを決めました。

 フランクフルトもその後、後半7分と10分にDFマルティン・ヒンテレッガー選手が連続ゴールを挙げて反撃に出ましたが、時すでに遅し。
 バイエルンは攻勢を継続し、後半16分にFWデイビス選手が4点目のゴール、後半29分にはオウンゴールも生まれて、大量5得点としたのです。

 「無観客」のゲームを観ていると、技術やパワーの「力通り」というプレーが多いと感じます。
 力量上位のチーム・プレーヤーが、イメージ通りのプレーを展開しゴールする、何か「あっさり」と決まるゴールが多いように感じます。プレー全体に粘りが無い、意外性に欠けるプレーやゲームが多いと思います。
 これが「無観客」の影響によるものなのか、トレーニング不足が響いているのか、は現時点では分かりません。
 これから、この感じがどのように変化して行くのかも楽しみです。

 再開後、「ホームチームの勝率が低い」という指摘もありましたが、バイエルン・ミュンヘンは、ホーム緒戦で大勝しました。
 ホームチームが弱いというよりは、実力上位のチームがアウェイで戦った組合せが多かったのであろうと、考えています。

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 温故知新2020女子テニス編その2です。

 今回採り上げるのは、ビリー・ジーン・キング選手。
 我が国ではキング夫人と呼ばれることが多い選手ですが、オーストラリアのコート夫人共々、この頃は既婚の女子プレーヤーを「夫人」と呼んでいたのかもしれません。

 アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のキング選手は、1960年にデビューし1983年に引退しています。
 デビュー年は、前稿のマーガレット・コート選手と一緒です。
 共に素晴らしいプレーヤーだった2人が「好ライバル」となったのは、自然な成り行きなのでしょう。

 キング選手は、4大大会のシングルスで計12回優勝(全豪1、全仏1、全英6、全米4)し、ダブルスでも16回優勝(全仏1、全英10、全米5)、混合ダブルスでも11回優勝(全豪1、全仏2、全英4、全米4)、計39回優勝という、素晴らしい成績を収めています。
 全体の優勝回数ならば、マーガレット・コート選手に及びませんが、全英・ウィンブルドンのシングルスとダブルスの成績が出色です。
 
 ウィンブルドンにおける活躍が際立つビリー・ジーン・キング選手ですが、特に有名なのは1979年のダブルスでしょう。
 あのマルチナ・ナブラチロバ選手とのペアで優勝しているのです。
 35歳のキング選手が23歳伸び盛りのナブラチロバ選手と組んでの優勝は、ナブラチロバ選手がその後の女子テニス界の「覇権」を握ったことを思うと、まさに世代交代の象徴、「時空を超えたペアリング」という感じがします。

 ビリー・ジーン・キング氏は引退後、フェドカップやオリンピックのアメリカ代表チームの監督を務めるなど、まさにアメリカテニス界を牽引し続けました。

 2006年の全米オープン大会において、ニューヨーク・フラッシングメドウにある大会会場は「USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンター」と名付けられました。
 
 ビリー・ジーン・キングの偉大な功績は、永遠に語り継がれることとなったのです。

 5月31日、東京競馬場芝2,400mコースで開催される、第87回東京優駿競走G1の注目馬検討です。

 「競馬の祭典」日本ダービー。
 
 世界中の競馬において、「ダービーステークス」は常に注目される存在なのですけれども、我が国においては、その重要度・注目度が、他国比一層高いように観えます。
 G1レースも数多くあるのですが、多くのホースマンに「一番勝ちたいレース」を問えば、10人中9人、いや10人中10人が「日本ダービー」と答えるのではないでしょうか。
 本当に特別なレースなのです。

 2020年・第87回のレースにも18頭が出走してきました。フルゲートです。
 
 日本ダービーは「出走するだけでもとても名誉なレース」であることも、よく知られています。
 馬主の方々は、「表彰式のための正装」を準備して東京競馬場に向かうと言われています。
 出走するどの馬にも優勝のチャンスがあることは間違いないのですから・・・。

 過去にも書きましたが、20世紀においても、日本ダービーだけはカップルの観客が多かったと記憶しています。古い言葉で恐縮ですが「彼女を連れて行っても良い」雰囲気のレースだったのです。
 「競馬の祭典」ならではでしょう。(「無観客」は本当に残念です)

 日本ダービーには「好天」が似合います。
 良い天気になりますように。

 さて、注目馬検討です。

 2020年の日本ダービーは「2強対決」となりました。コントレイルとサリオスです。
 それも、その2強の強さは、そうとう抜けています。
 2歳時の2つのG1レースの優勝を分け合い、無敗で皐月賞に臨み、1着コントレイル、2着サリオス、その差は1/2馬身で、3着馬を3馬身以上離しての競り合いでした。
 この結果を観る限り、日本ダービーも「2強対決」と観るのが自然です。
 これを覆す理屈は、皆無でしょう。

 多くの出走馬にとって2,400mは未知の距離です。
 コントレイルもサリオスも「短距離血統」であるという根拠も、いまのところありません。
 そして、他馬との勝負付けは済んでいるのですから、「2強対決」となるのが必然なのです。

 一方で、「皐月賞1・2着」→「日本ダービー1・2着」とスライドしたのは、1983年のミスターシービーとメジロモンスニーまで37年間遡らなくてはなりませんし、「皐月賞1・2着」→「日本ダービー2・1着」を観ても、1995年のジェニュイン・タヤスツヨシ→タヤスツヨシ・ジェニュインまで25年間も遡らなくてはならないのですから、2020年のレースが皐月賞1・2着馬で決まると、簡単に考えることはできません。
 「皐月賞1・2着馬のどちらかが連から外れる」あるいは「皐月賞1・2着馬が共に連から外れる」と観る方が、歴史の流れには沿っている感じがします。
 30年に一度のことが2020年に起こると、考えるかどうか・・・。

 出走馬のレース実績からは「コントレイルとサリオスで鉄板」としか判断できませんが、日本ダービーの歴史からは「コントレイルとサリオスの1・2着」は滅多に起こりえないこととなります。
 
 極めて悩ましいのです。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、2枠3番のワーケア。
 展開等の要素を含めて、2強を破るとすれば、この馬だと考えます。

 第二の注目馬は、6枠11番のガロアクリーク。
 短距離に強かったキンシャサノキセキ産駒ですが、スプリングステークスG2を制しているように距離適性は有りそうです。母系のキングマンボの血に期待しています。

 第三の注目馬は、8枠17番のヴァルコス。
 前走青葉賞G2の2着で府中の2,400mを経験しています。三浦康生騎手の手綱にも期待しています。

 今回は、以上の3頭に注目します。
 
 2強であっさりと決まってしまったとしても、それはそれで「21世紀初の出来事」となります。

 「競馬の祭典」を楽しみましょう。

 温故知新2020の女子テニス編です。

 最初に採り上げるのは、マーガレット・コート選手。
 マーガレット・スミス・コート選手と表記されることも多く、我が国ではコート夫人と呼ばれることが最も多いと思いますが、本ブログでは掲題のようにしたいと思います。(私が当初そのように憶えてしまったためです)

 オーストラリア出身のコート選手は、1960年にデビューし1975年に引退しています。
 その16年間、女子テニス史上空前の成績を残しました。(「絶後」と言ってもよいと感じます)

① 1970年にシングルス年間グランドスラム(4大大会を当該1年の内に制覇)を達成しました。
② 4大大会シングルス通算24回制覇(全豪11、全仏5、全英3、全米5)
→史上2位は、セリーナ・ウィリアムズ選手の23回、史上3位はシュティフィ・グラフ選手の22回です。
③ 4大大会ダブルス通算19回制覇(全豪8、全仏4、全英2、全米5)
④ 4大大会混合ダブルス通算21回制覇(全豪4、全仏4、全英5、全米8)

 なんとも凄まじい実績です。
 「ひとつでも優勝すれば・・・」という4大大会において、計64回チャンピオン*に輝いているのです。(*史上2位は、マルチナ・ナブラチロバ選手の計59回-シングルス18、ダブルス31、混合ダブルス10、です)
 記録は破られるためにある、と言われますが、今後このコート選手の優勝回数記録を破るプレーヤーが登場するのでしょうか。

 1968年の所謂「オープン化」の前後は、オーストラリアのテニス界、プレーヤー達が、男女ともに世界のテニス界をリードしていたのですが、前稿で男子テニス「史上最強」と書いたロッド・レーバー選手とダブルスに強かったジョン・ニューカム選手の2人の実績を合わせても、マーガレット・コート選手の実績に及ばないのですから、何と言って良いのか、表現が出来ない程のプレーヤーなのです。

 2000年の全豪オープン大会開幕セレモニーにおいて、メルボルンのナショナルテニスセンターのセンターコートには「ロッド・レーバー・アリーナ」の名前が付けられ、隣接するNO.1コートは「マーガレット・コート・アリーナ」と名付けられました。
 「オープン化」後の第1回全豪オープン大会におけるシングルス優勝者の功績をたたえての命名でした。
 
 マーガレット・コート選手の名は、女子テニスの歴史に、いつまでも燦然と輝き続けることでしょう。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 今回は、男子テニスその3です。

 前稿でロッド・レーバー選手を採り上げましたが、このレーバー選手と共にオーストラリア男子テニスの黄金時代を創り上げたのが、ジョン・ニューカム選手です。

 1960年(昭和35年)にデビューし、1981年(昭和56年)に引退したニューカム選手は、シングルスにおいて4大大会で7回の優勝を重ねました。全豪2、全英3、全米2の7回です。クレーコートが苦手であったニューカム選手は、全仏だけは優勝できませんでした。

 4大大会シングルスで7回優勝と言う実績だけでも、当然ながら、世界テニス史上屈指のプレーヤーなのですが、ニューカム選手には男子ダブルスにおいても素晴らしい実績があるのです。
 4大大会で計17回優勝しています。
 全豪5、全仏3、全英6、全米3の計17回です。
 素晴らしい記録でしょう。

 この17回の内12回は、トニー・ローチ選手とのペアでした。
 オーストラリア出身のローチ選手はシングルスでも、全仏大会に優勝し、全英・全米で準優勝と言う成績を残していますが、やはりニューマン選手とのペアによるグランドスラムを主体とした、4大大会13回の優勝が燦然と輝きます。

 興味深いのは、右利きで芝コートに強くクレーコートを苦手としたニューマン選手と、左利きでクレーコートに滅法強かったローチ選手のペアという、「絵にかいたような組合せ」から、最強ペアが生まれたという点でしょう。
 外部的な要素という面でとても良く補完し合うプレーヤー同士がペアを組んで、大成功するという例は、実はとても少ないのではないかと考えていますが、ジョン・ニューカム選手とトニー・ローチ選手はペアを組むことで、ニューカム選手は4大大会シングルスで唯一勝てなかった全仏大会を制し、ローチ選手は唯一決勝に進出できなかった全豪大会を制覇しているのです。

 「ジョン・ニューカム+トニー・ローチ」こそが、「ザ・ペア」なのでしょう。

 温故知新2020の陸上競技編その3です。

 今回は長距離種目、男子10,000m競走です。
 トラック種目最長の種目ですが、オリンピックにおいては1912年のストックホルム大会から、5000m種目と共に実施されるようになりました。

 本稿においては、その1・2と同様に、1960年ローマ大会から観て行くことにします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ピョートル・ボロト二コフ選手(ソビエト) 28分32秒2
・東京1964 ビリー・ミルズ選手(アメリカ) 28分24秒4
・メキシコシティ1968 ナフタリ・テル選手(ケニア) 29分27秒4
・ミュンヘン1972 ラッセ・ビレン選手(フィンランド) 27分32秒40
・モントリオール1976 ラッセ・ビレン選手(フィンランド) 27分40秒38
・モスクワ1980 ミルツ・イフター選手(エチオピア) 27分42秒69
・ロサンゼルス1984 アルベルト・コバ選手(イタリア) 27分47秒54
・ソウル1988 ブラヒム・ブタイブ選手(モロッコ) 27分21秒46
・バルセロナ1992 ハリド・スカー選手(モロッコ) 27分46秒70
・アトランタ1996 ハイレ・ゲブレセラシエ選手(エチオピア) 27分07秒34
・シドニー2000 ハイレ・ゲブレセラシエ選手(エチオピア) 27分18秒20
・アテネ2004 ケネニサ・ベケレ選手(エチオピア) 27分05秒10
・北京2008 ケネニサ・ベケレ選手(エチオピア) 27分01秒17
・ロンドン2012 モハメド・ファラー選手(イギリス) 27分32秒42
・リオデジャネイロ2016 モハメド・ファラー選手(イギリス) 27分05秒17

 男子10,000m競走は、前稿の1,500m競走と同じように「駆け引き」があります。
 従って、オリンピックの決勝において必ずしも好タイムが出るものでは無いのですが、1,500m競走と比べれば、良いタイムが出ています。

 ミュンヘン1972のビレン選手は、当時の世界新記録を樹立して優勝していますし、ゲブレセラシエ選手やベケレ選手も大会新記録で金メダルを獲得しています。
 これは「駆け引き」をしていても、高いレベルでの競り合いが続くレース展開となることが多く、結果として好記録が出るという形なのでしょう。

 また、他の種目と比べて「連覇が多い」ことも、目立ちます。
 この15大会において、ビレン選手、ゲブレセラシエ選手、ベケレ選手、ファラー選手の4名のランナーが連覇を達成しています。
 更に、エミール・ザトペック選手(チェコスロバキア)がロンドン1948とヘルシンキ1952を連覇していますから、史上に5名の「連覇プレーヤー」が存在することになります。
 男子10,000m種目の特徴のひとつでしょう。

 ひとりの強力なランナーが登場すると「5~6年は非常に強い」と考えられます。
 これは、スピードと共に勝負強さをも兼ね備えた強さということになるのです。

 オリンピックの男子10,000m競走について観れば、「次の連覇ランナーは誰か?」ということになるのかもしれません。

 温故知新2020の競泳その2です。

 前稿では、オリンピックの男子100m自由形で、日本チームがとても強かった時期のことを書きましたけれども、男子1,500m自由形においても全盛期が存在しました。

 男子1,500mはマラソンレースとも呼ばれる、競泳競技最長のレースです。
 オリンピックでは1908年のロンドン大会から実施されています。
 並外れた持久力が必要な種目であることはもちろんとして、100m毎に「正確なピッチ」を刻むことでタイムを上げていくことができると言われている種目でもあり、近時においては、日本チームはなかなか好成績を残せません。

 しかし、太平洋戦争を挟んだ頃には、日本チームが得意種目としていた時期が有ったのです。

・ロサンゼルス1932 金メダル・北村久寿雄選手、銀メダル・牧野正蔵選手
・ベルリン1936 金メダル・寺田登選手、銅メダル・鵜籐俊平選手
・ヘルシンキ1952 銀メダル・橋爪四郎選手
・メルボルン1956 銀メダル・山中毅選手

 ロス1932とベルリン1936では「連覇」を達成しています。そして、共に2名のメダリストを生んでいます。
 戦後の2大会でも銀メダルを獲得しています。
 素晴らしい成績でしょう。

 北村久寿雄選手は、14歳290日という史上最年少での金メダル獲得でした。この記録は、1988年ソウル大会まで破られていません。
 寺田登選手は、鵜籐選手のペースメーカーのつもりで泳いだら、そのまま勝ってしまったというエピソードが残されています。

 1960年のローマ大会以降、日本選手はこの種目でメダルを獲得していません。

 「伝統種目」での復活を願うのは、私だけではないでしょう。

 温故知新2020の競泳編その1です。

 オリンピックにおける男子100m自由形は、50m自由形がソウル1988から開始されるまでは、最速・最強のスプリンターを決める種目として、長く実施されてきました。
 現在でも、その重みは不変だと感じます。

 そして21世紀においては、日本と世界の力の差が大きい種目、オリンピックでの日本チームのメダル獲得がとても難しい種目として、広く認識されていると思います。
 しかし、太平洋戦争前には「日本チームの黄金時代」と呼んで良い時代が有ったのです。
 今回は、それを観て行こうと思います。

 男子100m自由形における、日本チームのオリンピックにおけるメダル獲得実績です。

・アムステルダム1928 銅メダル・高石勝男選手
・ロサンゼルス1932 金メダル・宮崎康二選手、銀メダル・可石達吾選手
・ベルリン1936 銀メダル・遊佐正憲選手、銅メダル・新井茂雄選手
・ヘルシンキ1952 銀メダル・鈴木弘選手

 戦後のヘルシンキ大会も含めて、4大会で6選手がメダルを獲得しています。
 ロス1932とベルリン1936では2つずつの獲得なのです。
 オリンピックの100m自由形表彰式で2本の日の丸が上がった大会が2度も有ったのです。まさに得意種目であり、「黄金時代」でしょう。
 宮崎康二選手は、58秒2のオリンピック新記録での金メダルでした。

 ちなみに、ヘルシンキ1952の後、メルボルン1956以降現在に至るまで、この種目での日本選手のメダル獲得はありません。

 男子100m自由形における日本チームの劣勢を語る時、「海外スイマーとの体格差」という説明が見られることが有りますが、それが必ずしも主因では無いことは、先達の活躍を観れば分かることでしょう。

 「競泳日本」は、男子100m自由形についての「強者の歴史」を保持しているのです。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はワールドカップ2010南アフリカ大会の準々決勝です。

[2010年7月3日・グリーンポイントスタジアム(ケープタウン・南アフリカ)]
ドイツ4-0アルゼンチン

 決勝トーナメント1回戦、3-1でメキシコチームを破り勝ち上がったアルゼンチンチームと、4-1でイングランドチームを破ったドイツチームが激突したゲームです。

 グループリーグB組を3戦全勝で勝ち上がったアルゼンチンは好調を伝えられていました。何より、リオネル・メッシ選手を始めとしてメンバーが揃って居ました。
 一方のドイツチームも、抜群の得点力が注目されていましたから、好ゲームが期待されたのは当然のことなのでしょう。

[アルゼンチンチームの先発メンバー]
1. GKロメロ選手
2. DFデミチェリス選手
3. ブルディッソ選手
4. エインセ選手
5. オタメンディ選手
6. MFディマリア選手
7. マスケラーノ選手
8. マキシ・ロドリゲス選手
9. FWイグアイン選手
10. メッシ選手
11. テベス選手

[ドイツチームの先発メンバー]
1. GKノイアー選手
2. DFメルテザッカー選手
3. フリードリッヒ選手
4. ラーム選手
5. ジェローム・ボアテング選手
6. MFサミ・ケディラ選手
7. シュバインシュタイガー選手
8. トーマス・ミュラー選手
9. エジル選手
10. ポドルスキー選手
11. FWクローゼ選手

 いつ観ても、この時のアルゼンチン代表は豪華。
 特に、ミッドフィールダーMFにアンヘル・ディマリア選手、ハビエル・マスケラーノ選手、マキシ・ロドリゲス選手を揃え、フォワードFWにゴンサロ・イグアイン選手、カルロス・テベス選手、そしてリオネル・メッシ選手を並べた攻撃陣は、見事なラインナップでしょう。
 アルゼンチンの「伝説」ディエゴ・マラドーナ監督、渾身のチームであったと感じます。

 一方のドイツ代表は、ラウンド16でイングランド代表を4-1で退けたチームです。
 特に、スピード十分なカウンター攻撃は、この大会屈指のものでしょう。
 ヨハヒム・レーヴ監督の戦術理論は、ドイツサッカー、そして世界のサッカーを変える可能性を秘めていました。

 キックオフから僅かに2分、ゲームがいきなり動きました。
 アルゼンチンゴールに向かって左側で、ドイツがフリーキックを得たのです。
 ポドルスキー選手をオタメンディ選手が倒した結果でした。

 蹴るのはバスティアン・シュバインシュタイガー選手。
 右足でゴールに向かって行くボールでした。
 このボールを、走り込んだトーマス・ミュラー選手が頭で合わせてシュート。
 GKセルヒオ・ロメロ選手の右脚に当たってゴールに吸い込まれました。
 イングランド戦の3点目、4点目に続く、チームにおける3連続ゴールというのは、トーマス・ミュラー選手の「得点感覚」の鋭さを明示しています。

 ドイツチームの試合開始早々の先制点でした。

 アルゼンチンチームにとっては、「まだゲームが始まっていない」という時間帯でのゴールであったと感じます。
 逆にドイツチームにとっては、この後のゲームを進めて行く上での「余裕」を生むゴールでした。「若き」ドイツチームは、この後、伸び伸びとプレーを展開することが出来たのです。

 アルゼンチンチームは、メッシ選手を始めとする「世界的なプレーヤー達」が攻撃にかかりますが、ドイツチームの守備が効いていました。メッシ選手には3人がかりでしたし、テベス選手やディマリア選手らへの「寄せ」も極めて素早いものでした。
 結果として、アルゼンチンチームの攻撃プレーヤーは、孤立していることが多かったと感じます。

 ゲームは、ドイツペースで進んだのです。
 ドイツチームは再三アルゼンチンゴールに迫ることが出来ましたが、アルゼンチンチームはなかなかドイツペナルティーエリアに入ることが出来ませんでした。

 前半のアルゼンチンチームのチャンスは、メッシ選手のFKでした。複数回ありました。
 メッシ選手はこれを丁寧に狙いましたが、ゴールを挙げることは出来ませんでした。

 前半は1-0、ドイツのリードで折り返しました。

 後半に入ってもアルゼンチンチームの攻勢が続きますが、ややスピードでドイツチームが勝り、ゴールには結び付きません。

 そして後半23分、ドイツチームの左側からの攻撃。
 ポドルスキー選手が左サイドを抉り、ゴール前のクローゼ選手にセンタリング。
 これがGKとDFの間を抜ける絶妙のパスで、ゴール正面1~2mのところでパスを受けたクローゼ選手が、「ちょこん」とアルゼンチンゴールに押し込みました。
 とてもクローゼ選手らしい、全く無駄の無い、派手さも無い、必要最小限のプレーでした。

 ドイツチームが2-0とリードを広げました。

 このゲーム展開においては、「決定的な2点目」でした。

 後半28分、ドイツチームは左からのコーナーキックCK。ショートコーナーとして、シュバインシュタイガー選手がドリブル。アルゼンチン陣を深く抉って、アルゼンチンゴール左ポストに接近、小さく折り返して、走り込んできたマヌエル・フリードリッヒ選手にパス。フリードリッヒ選手は倒れ込みながら押し込みました。
 DFフリードリッヒ選手も攻撃に参加していたのです。
 「全軍躍動」のドイツチームでした。

 3-0となって、ゲームは決まりました。

 しかし、ドイツチームは攻撃の手を緩めませんでした。

 後半43分、ドイツゴール前のアルゼンチンチームの攻撃から、ボールを奪ったドイツチームのお家芸「カウンター」が炸裂します。
 エジル選手から左サイドのポドルスキー選手にパス。ドリブルで駆け上がるポドルスキー選手の外側をエジル選手が駆け上がり、再びパスを受けます。アルゼンチンのペナルティーエリアに迫り、ゴール真正面に居たクローゼ選手にセンタリング。
 このセンタリングをクローゼ選手はダイレクトシュート。ノートラップでゴール左サイドに叩き込む、何とも「簡単」に観えるハイレベルなプレーでした。
 決定的なチャンスを必ず決める、というのは全てのストライカーにとっての理想でしょう。

 このゲームは、ドイツチームの完勝でした。
 この「豪華」なアルゼンチンチームを零封した守備力が素晴らしく、加えて多彩な攻撃が見事でした。
 そして、前半2分の先制点がゲームの流れを決めたと考えています。

 それにしても、これ程一方的なゲームになると、誰が予想したことでしょうか。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 男子テニス界において、史上最強のシングルスプレーヤーはという問いには、様々な意見があると思いますが、私はロッド・レーバー選手であろうと思います。

 「最強」とは、「その時代時代において他の強豪選手との比較、相対的な強さが頭抜けている存在」という意味、「頭抜け度合い」の比較といっても良いのかもしれません。
 例えば、1960年代のプレーヤーと2010年代のプレーヤーが試合をした結果を予想するのは、使用している道具、テニス競技ならば、木製ラケットとグラスファイバーラケットの違いや、コートのサーフェイスの違い、が大きく、相当難しいと思います。

 その視点からロッド・レーバー選手が史上最強であると、私は考えているのです。

 オーストラリア出身、1956年(昭和31年)にデビューし1978年(昭和53年)に引退したレーバー選手は、1962年と1969年の2シーズンに「年間グランドスラム」を達成しています。
 全豪、全仏、全英、全米の4大大会を制覇することをグランドスラムと呼びますが、これを1年間=1シーズンで達成することを「年間グランドスラム」と呼びます。

 1年間の4大大会シングルスをすべて制することが「至難」の業、ミラクルな成績であることは、レーバー選手が2度目に達成した1969年の翌年1970年以降にこれを達成した男子プレーヤーが皆無であることから、明らかです。
 
 レーバー選手は、4大大会で11勝(全豪3、全仏2、全英4、全米2)を挙げています。
 また、ATPツアーでも通算52勝を挙げて、歴代12位となっています。
 現在より大会数が少なかった時代に、レーバー選手はこれだけの優勝を重ねているのです。

 当時、ロッド・レーバー選手の映像は、ニュースの中の短い時間しか放送されませんでしたが、その短い映像でも、左利きのレーバー選手のとても美しいショットにはいつも「ほれぼれ」させられました。
 木製ラケットを使用し、本当に美しいフォームから、とてもしなやかなショットが生まれていたのです。

 レーバー選手が世界中のテニスプレーヤー、特にアマチュアプレーヤーの「憧れの的」であったことは、自然なことでしょう。
 アディダス社が1970年代に「ロッド・レーバー」モデルのスニーカーを発売したことも、この時代のレーバー人気を如実に表しています。

 私がテニスを始めた時、最初に手にしたラケットはフタバヤのウイニングショットでした。2本目はフタバヤのゴールデンショットでした。共に木製です。
 キチンとしたフォームを作ることが出来なければ、強いボールを打つことが出来なかったラケットですが、キチンとしたフォームが出来た時の「打感」、振り抜きの良さは、木製ラケットならではのものでした。
 私の様なズブの素人でも、良く分かったのです。

 そして、手本となったのが「ロッド・レーバー選手のフォーム」であったことは、言うまでもありません。

 5月24日、東京競馬場芝2,400mコースで開催される、第81回優駿牝馬競走G1の注目馬検討です。

 今年もオークスがやってきました。
 無観客での開催は残念ですけれども、レースを重ねて行くこと、「歴史の積み重ね」が競馬の本質でもあろうと思います。

 今年も18頭のフルゲートとなりました。
 良いメンバーが揃ったと思います。

 4月12日に実施されたクラシック第1弾・桜花賞の結果は、当然ながら重要です。
 このレースを制したデアリングタクトは、2着のレシステンシアに1と1/2馬身、3着のスマイルカナに3馬身以上の差を付けました。
 レシステンシアはNHKマイルカップに出走しましたので、オークスには出てきません。
 そうすると、デアリングタクトはオークスに出走してくる桜花賞組の馬達に、桜花賞において「2馬身以上の差」を付けていることになります。
 大レースにおける「2馬身以上の差」は、勝負付けが付いているという見方が一般的でしょう。

 デアリングタクトは血統的に短距離馬であるとは見られていませんので、オークスにおいて彼女に先着する可能性のある馬を見出していくためには、桜花賞組以外を検討するということになります。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、2枠4番のデアリングタクト。
 桜花賞の末脚は素晴らしいものでした。様々な展開に対応できる脚質でもあります。枠にも恵まれましたから、軸はこの馬でしょう。

 第二の注目馬は、8枠16番のウインマリリン。
 4戦3勝。前走フローラステークスG2はゴール前の接戦を制しました。スクリーンヒーロー産駒ならではの「遅れてきた駿馬」となってほしいものです。

 第三の注目馬は、1枠1番のデゼル。
 前走スイートピーステークスLの上がり32秒5の脚は強烈でした。底を見せていない馬としての活躍が楽しみです。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 安定感十分のクラヴァシュドール、桜花賞3着のスマイルカナの走りも楽しみです。

 「優駿牝馬」の名に相応しい好レースが期待されます。

 温故知新2020の陸上競技編その2です。

 今回は、ヨーロッパで人気がある種目・男子1,500m競走のオリンピック金メダリストの記録を観て行こうと思います。

 100mの時と同様に、ローマオリンピック1960からスタートします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ハーブ・エリオット選手(オーストラリア) 3分35秒6
・東京1964 ピーター・スネル選手(ニュージーランド) 3分38秒1
・メキシコシティ1968 キプチョゲ・ケイノ選手(ケニア) 3分34秒91
・ミュンヘン1972 ペッカ・バサラ選手(フィンランド) 3分36秒3
・モントリオール1976 ジョン・ウォーカー選手(ニュージーランド) 3分39秒17
・モスクワ1980 セバスチャン・コー選手(イギリス) 3分38秒40
・ロサンゼルス1984 セバスチャン・コー選手(イギリス) 3分32秒53
・ソウル1988 ピーター・ロノ選手(ケニア) 3分35秒96
・バルセロナ1992 フェルミン・カチョ選手(スペイン) 3分40秒12
・アトランタ1996 ヌールディン・モルセリ選手(アルジェリア) 3分35秒78
・シドニー2000 ノア・ヌゲニ選手(ケニア) 3分32秒07
・アテネ2004 ヒシャム・エルゲルージ選手(モロッコ) 3分34秒18
・北京2008 アスベル・キプロプ選手(ケニア) 3分33秒11
・ロンドン2012 タウフィク・マフロフィ選手(アルジェリア) 3分34秒08
・リオデジャネイロ2016 マシュー・セントロウィッツ・ジュニア(アメリカ) 3分50秒00

 直近のリオ大会のタイムが、この15回の大会の中で最も遅くなっています。
 その1の100m競走とは異なり、1,500mは時代を追って必ずしもタイムが良くなっているわけでは無い(もちろん世界記録は向上していますが)、レース毎の駆け引きや「格闘技」と呼ばれる競り合いなどの関係で、オリンピックの決勝レースにおいても、大会ごとに千差万別のタイムとなるのです。
 それが「1,500m競走の魅力」のひとつなのでしょう。
 1,500mレースにおいては、タイムはまさに「結果」なのです。

 どんな競技・種目においても「オリンピック連覇」は至難の業ですが、男子1,500mにおいても同様で、この間の連覇は、モスクワとロサンゼルス両大会におけるセバスチャン・コー選手(現、国際陸上競技連盟IAAF会長)しか居ません。
 最速タイムもロス1984でのコー選手の3分32秒53です。
 この間の「最も偉大な中距離ランナー」と言って良いでしょう。

 コー選手の展開に合わせた巧みなレース運びと、ゴール前の粘り強い走りは、どのレースにおいても際立っていました。

 メキシコシティ大会の王者は、キプチョゲ・ケイノ選手ですが、21世紀になって中長距離種目でよく聞くケニアの名前ですけれども、ケニア人ランナーの活躍は決して21世紀になってからのものでは無いことが分かります。ケイノ選手は、現在の中長距離界におけるアフリカ選手の礎となったランナーなのです。
 
 国別では、ローマ1960~モントリオール1976にかけてのニュージーランドとオーストラリアのランナーの活躍が目立ちます。英連邦の国々ですから1,500m種目に対する国内の人気が高いことは分かりますけれども、当時は世界を牽引する存在だったのです。

 また、フィンランドのペッカ・バサラ選手がミュンヘン1972を制していますが、この大会の男子中長距離種目ではフィンランドチームが強さを魅せていて、5,000mと10,000mではラッセ・ビレン選手が優勝しています。もともと長距離種目の伝統を誇るフィンランドに、中距離の名ランナーも現れたという形でしょう。

 オリンピックの各競技・各種目において強さを魅せるアメリカ代表ですが、この期間のこの種目では、リオ2016においてようやくマシュー・セントロウィッツ・ジュニア選手が金メダルを獲得しました。(ちなみにこのレースの2着はタウフィク・マフロティ選手=ロンドン2012の金メダリストでした。マフロティ選手は惜しくも「連覇」を逃したのです)

 スポーツ大国アメリカにとっての苦手種目であった陸上競技中距離においても、強化が進んでいるのでしょう。

 温故知新2020の陸上競技編です。

 今回は、男子100m競走のオリンピック金メダリストの記録を観て行きましょう。

 私の記憶にある最初の大会、ローマオリンピック1960をスタートにします。
 記載は、金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 アルミン・ハリー選手(東西統一ドイツ) 10秒2
・東京1964 ボブ・ヘイズ選手(アメリカ) 10秒0
・メキシコシティ1968 ジム・ハインズ選手(アメリカ) 9秒95
・ミュンヘン1972 ワレリー・ボルゾフ選手(ソビエト) 10秒14
・モントリオール1976 ヘイズリー・クロフォード選手(トリニダードトバゴ) 10秒06
・モスクワ1980 アラン・ウェルズ選手(イギリス) 10秒25
・ロサンゼルス1984 カール・ルイス選手(アメリカ) 9秒99
・ソウル1988 カール・ルイス選手(アメリカ) 9秒92
・バルセロナ1992 リンフォード・クリスティ選手(イギリス) 9秒96
・アトランタ1996 ドノバン・ベイリー選手(カナダ) 9秒84
・シドニー2000 モーリス・グリーン選手(アメリカ) 9秒87
・アテネ2004 ジャスティン・ガトリン選手(アメリカ) 9秒85
・北京2008 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒69
・ロンドン2012 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒63
・リオデジャネイロ2016 ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ) 9秒81

 改めて過去15大会の男子100mを観ると、興味深いものです。

 「10秒0の壁」を強く叩いたアルミン・ハリー選手とボブ・ヘイズ選手が並び、メキシコシティ1968大会でハインズ選手が初めてこの壁を破りましたが、この後もしばらくの間は、「10秒00の壁」が健在であったことが分かります。
 各地の大会などでは時々9秒台が出てきた時期ですが、オリンピック決勝という世界最高の舞台においては、なかなかこの壁を破ることが出来なかったことが、良く分かるのです。

 こうした「壁」を破るためには「天才」が必要であることも事実で、オリンピック決勝において次に9秒台が観られるのは、ロサンゼルス1984のカール・ルイス選手の登場を待たなければなりませんでした。
 この決勝レースのゴール直後、テレビ放送のアナウンサーが「9秒99、9秒99」と連呼していたのは自然なことなのでしょう。ジム・ハインズ選手の記録は「半分手動」であったとも伝えられていますから、このカール・ルイス選手の走りが、私達が史上初めて眼にした、オリンピック決勝レースにおける、電動掲示による9秒台と言って良いのかもしれません。

 「天才」はオリンピックを連覇します。
 カール・ルイス選手は、ソウル1988でも9秒台で金メダルを獲得したのです。

 世界中の、相当多くの人々が「100m競走」を行ったことが有ると思います。
 全てのスポーツ競技・種目の中で、100m競走は「プレーしたことが有る人の数」という点で屈指のものでしょう。
 陸上競技の中でも、最もメジャーな種目でしょうし、「世界で一番速い」というフレーズは、プレーヤーの気持ちを揺さぶるものです。
 結果として、世界中の「いだてん」が強化に取り組み、日々研鑽を続けていることになりますから、その種目でオリンピックの連続金メダルというのは、尋常なプレーヤーでは実現できないと感じます。

 やはり天才、いや大天才にしか出来ないことなのでしょう。

 その快挙を、オリンピック史上初めて成し遂げたのがカール・ルイス選手なのです。
 大袈裟に言えば、「男子100m競走の歴史を変えた」といっても良いのでしょう。

 カール・ルイス選手後、オリンピック決勝においても9秒台が当たり前となり、逆に言えば「9秒台を出さなければメダルは取れない」時代となりました。

 アトランタ1996大会からアテネ2004大会までは、9秒8台で走れるスプリンターの中で、オリンピック決勝にピークを持ってくることが出来た選手が金メダルを獲得していたのでしょう。

 そして2人目の大天才が登場するのです。
 北京2008からロンドン2012を経てリオデジャネイロ2016までの3大会で金メダルを獲得した、ウサイン・ボルト選手です。
 ボルト選手は頭抜けた存在でした。
 ひとりだけ「9秒6の世界」に突入したのです。
 リオ大会における優勝タイム9秒81を観ると、世界トップクラスの水準が、いまだ9秒8前後であることが分かります。
 そうした中で、ボルト選手のみが9秒6前後の世界を知ることが出来たのです。
 本当に素晴らしいことだと感じます。
 「9秒6前後で走った時の体を包み込む感覚」、空間が圧縮される感じや筋肉の動き方、といった事柄を真に知っているのは、いまでも世界中でウサイン・ボルト氏だけなのでしょう。

 今回は、オリンピック男子100m競走の金メダリストを観てきました。
 国別に観ると、アメリカやジャマイカの強さとともに、イギリスが2つの金メダルを獲得しているのが目立ちます。アラン・ウェルズ選手とリンフォード・クリスティ選手ですが、「陸上競技大国」の面目躍如でしょう。

 さて、東京オリンピック2021においては、どのようなシーンが観られるのでしょうか。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はラグビーワールドカップ2011プールAの一戦、日本代表チームの初戦です。

[2011年9月10日・ノースハーバースタジアム(ニュージーランド)]
フランス47-21日本

 2011年大会の初戦となったゲームは、両チームともにベストメンバーに近い選手を揃え、戦いました。

 当時世界ランキング4位という強豪フランス代表チームを相手に、ジョン・カーワンヘッドコーチHC率いる日本体表チームが、どのようなプレーを披露するのかに、日本のラグビーファンの注目が集まりました。

[日本チームの先発メンバー]
1. PR平島久照選手
2. HO堀江翔太選手
3. PR畠山健介選手
4. LOトンプソンルーク選手
5. LO北川俊澄選手
6. FL菊谷崇選手
7. FLマイケル・リーチ選手
8. NO.8ホラニ龍コリニアシ選手
9. SH田中史朗選手
10. SOジェームス・アレジ選手
11. WTB小野澤宏時選手
12. CTBニコラスライアン選手
13. CTB平浩二選手
14. WTB遠藤幸佑選手
15. FBウェブ将武選手

[フランスチームの先発メンバー]
1. PRバルセラ選手
2. HOセルヴァットゥ選手
3. PRニコラ・マス選手
4. LOピエール選手
5. LOリオネル・ナレ選手
6. FLデュソトワール選手
7. FLアリノルドキ選手
8. NO.8ラカフィア選手
9. SHヤシュヴィリ選手
10. SOトランデュク選手
11. WTBメダール選手
12. CTBエステバネズ選手
13. CTBルージュリー選手
14. WTBクレール選手
15. FBエマンス選手

 セカンドジャージ、真っ白な上下に身を固めたフランスチームは、一見すればイングランドチームにも観えましたが。そのフランスが最初から日本陣内に攻め込みました。

 前半1分過ぎ、エステバネズ選手が一気に日本ゴールに迫りましたが、堀江選手が良くタックルし、これを止めました。エステバネズ選手の悔しそうな様子が、フランスチームの気持ちを表していたと思います。

 この後も、フランスのフルスロットルの攻撃が続き、前半4分、最初のトライが生れました。LOピエール選手の左中間へのトライですが、ひとりの選手がゲインラインを突破すると、数多くの選手がフォローし、パスを繋げてトライに結び付けるという、いかにもフランスチームらしい分厚い攻撃でした。

 7-0とフランスが先制しました。

 日本チームが反撃に移り、前半10分、フランスゴール前でペナルティーを獲得、これをSOアレジ選手が狙います。やや右サイドでしたが、それ程難しいPGではなかったと思いますが、これをアレジ選手は左に外しました。
 このゲームのアレジ選手のキックは不調で、この後も外すことが多かったのです。
 やはり、ワールドカップの舞台と言うのは、言葉には表せないプレッシャーを選手に強いるものなのかもしれません。

 ゲーム運びという視点からは、このPG失敗はとても大きかったと思います。

 日本チームのPG失敗直後、前半11分、日本チームのパスをカットしたトランデュク選手が、そのまま右中間にトライ。
 フランスチームが14-0とリードを広げました。

 このまま一方的なゲームになる雰囲気が漂いました。

 しかし、日本チームは良く踏ん張ったのです。

 この後のフランスの猛攻を凌ぐと、前半17分、フランス陣内で再びペナルティーを獲得し、ジェームス・アレジ選手がPGを決めました。
 2011年大会における、日本チームの最初の得点です。

 この後、フランスチームが2PGを決め20-3とリードを広げましたが、日本チームはトライを許さず、一進一退の試合展開に観えました。

 そして前半30分、日本チームに初トライが生れます。
 フランス陣向かって左側から右に展開し、アレジ選手がキックパスを狙ったボールがフランスの選手に当たり、跳ね返ってきたボールを保持したアレジ選手が、そのまま飛び込んだのです。
 軽妙なトライと言って良いと思います

 日本チームは20-8と追い上げます。

 しかし、残念なことに、アレジ選手はこのコンバージョンも外してしまいました。
 日本チームにとっては、とても痛い失敗です。

 追い上げられたフランスチームは直ぐに攻撃に移り、前半34分、右に展開して、切り札のWTBクレール選手が右隅にトライしました。
 さすがにこのコンバージョンは入らず、25-3となりました。

 前半終了間際に、日本チームはアレジ選手がPGを決めて、25-11で折り返すこととなりました。

 さて、後半が始まりました。
 後半開始から25分までが、このゲームにおける日本チームの見せ場でした。

 後半3分前後のフランスチームの猛攻をしのいだ日本チームは、フランスゴール前にボールを運びます。
 後半9分、堀江選手の突進から田中選手アレジ選手と繋いで、アレジ選手がフランス守備陣を切り裂いてポスト下にトライ。
 コンバージョンも決めて、25-18と追い上げます。

 この後は一進一退の攻防が続きましたが、フランスチームにやや疲れが観えて、日本が押し気味でした。
 
 そして後半17分、アレジ選手がPGを決めました。
 ゲームは24-21の「4点差」という接戦になったのです。

 日本の21点は、全てアレジ選手によるものでした。
 キックを外したことは惜しまれますが、アレジ選手のこのゲームでの活躍は、見事なものだったのです。

 後半17分から25分までの8分間、日本チームがゲームを支配しました。
 「逆転」を目指して、攻めに攻めたのです。フランスチームも「たじたじ」の攻めであったと思います。
 しかし、残念ながら追加点を挙げることは出来ませんでした。

 後半25分を過ぎて、フランスチームが日本陣内にボールを運びました。
 そして、後半26分ヤシュヴィリ選手がPGを決めました。
 フランスチームは28-21と7点差としたのです。

 4点差であれば1トライで逆転ですが、7点差でも1トライ+1ゴールで同点と、それ程致命的な失点ではないかと思われたのですけれども、4点差とした後の「攻め疲れ」、心身に及ぶ攻め疲れがでたのか、ゲームはこの後、一方的なものとなってしまいました。

 後半20分のリオネル・ナレ選手の右中間へのトライを皮切りに、次々にトライを重ね、点差を広げました。
 後半40分を経過した後にもトライを重ねて、通算7トライ。

 ゲームは47-21というスコアでノーサイドを迎えました。

 終わってみれば大差のゲームでしたが、日本チームは世界の強豪チーム(この大会の準優勝チーム)であるフランスチームを相手に、65分までは互角の展開を魅せたのです。

 日本ラグビーにとって、「こうすれば戦える」という手応えを、ワールドカップの場で初めて体感した試合だったのではないでしょうか。

 この大健闘が、2015年大会のプール戦3勝、南アフリカチーム撃破に、そして2019年日本大会における決勝トーナメント進出に繋がっているように感じるのです。

 この試合のメンバーには、ワールドカップ2019の代表選手が数多く入っています。
 堀江選手、トンプソンルーク選手、マイケル・リーチ選手、田中史朗選手・・・。
 皆「若き戦士」です。

 ラグビーワールドカップ2011ニュージーランド大会のプールA、日本代表VSフランス代表の一戦は、日本ラグビーが世界に飛躍するきっかけとなったゲームだったのでしょう。
 
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 今回は、1980年代の男子プロテニス界を席巻した、イワン・レンドル選手です。

 チェコスロバキア出身のレンドル選手は、ジミー・コナーズ選手、ビョルン・ボルグ選手、ジョン・マッケンロー選手といった、男子プロテニス史にその名を刻む素晴らしいプレーヤーが大活躍していた時代に、当時の共産主義国家から彗星のように現れ、圧倒的な強さを魅せました。

 1981年の全仏オープン大会決勝(レンドル選手自身の初のグランドスラム決勝進出でした)において、ビョルン・ボルグ選手と戦い、フルセットの末敗れました。
 当時、クレーコートの全仏で圧倒的な強さを魅せていたボルグ選手(この大会を制して「大会4連覇」を達成しています)をあと一歩まで追い詰めたプレー振りは、世界中のテニスファンに強い印象を残しました。

 その後の活躍は凄まじいもので、ATPツアーのシングルス優勝回数94は歴代4位、同シングルスマッチ勝利数1,071は歴代3位と報じられています。
 全盛時には「ほとんど負けなかった」印象が有ります。(1985~87年は、3年連続勝率90%越えというミラクルな成績を残しています)

 もちろんグランドスラムのシングルスにおいても、全米オープン3回、全仏オープン3回、全豪オープン2回の計8回の優勝を誇っています。
 しかし、不思議なことに全英・ウィンブルドンだけは準優勝2回に止まったのです。
 1980年代終盤、「レンドルは全英に勝てないのか」というテーマが話題になったほどです。

 実は、そのATPツアーにおける圧倒的な強さの一方で、グランドスラム大会決勝での勝率の低さ(8勝11敗)から、精神面の弱さが指摘されていたのです。
 これが事実かどうかについては、私には分かりません。個人的な意見ならば、そんなことはなかったのではないかと感じています。

 レンドル選手が登場した時、そのフラットなショット、強烈なストロークが強烈でした。トップスピン球質が全盛を迎えようとしていた時代に、とても新鮮な印象さえ与えたのです。(もちろんレンドル選手もトップスピンを打ちました)
 そして、「片手打ちのバックハンド」も素晴らしい威力でした。「両手打ち」の選手が多かった時代に、フォアもバックも片手で打ち、その威力は両手打ちのプレーヤーに勝るとも劣らなかったのです。
 更には、そのサーブも超弩級でした。

 力みの無い美しいフォームから、あらゆるショットを世界最高レベルで繰り出すことが出来たイワン・レンドル選手が、長く世界NO.1を占めていたのは当然のことなのでしょう。

 11年連続グランドスラム決勝進出、8年連続全米オープン決勝進出といった数々の記録は、レンドル選手の強さと極めて高いレベルでの安定感を如実に示しています。

 男子プロテニス界の巨星イワン・レンドル選手のキャリアに唯一欠けているのは、「ウィンブルドン・男子シングルス優勝」なのです。
 アーモンドアイの快勝でした。

 強い馬が強いレースを魅せて勝利するというのは、多いようで少ないものですが、このレース程「見事な」勝ちっぷりは、滅多に観られないものでしょう。

 とても良いスタートを切りました。
 ゲートの中で落ち着きが無く、決してスタート上手では無いアーモンドアイですが、素晴らしいスタートでした。

 そのまま逃げても良かった位ですが、クリストフ・ルメール騎手は控えました。4~5番手でレースを進めます。

 4コーナー、ゆっくりと馬場の中央に出てきました。
 このシーンが、このレースにおいて最も好きです。
 力強く、悠然と右に動き、前が開けました。
 あとはゴールまで走るだけです。

 持ったまま先頭に立ち、残り250m辺りで、ルメール選手は追い出しましたが、ほんの100mでした。
 素晴らしい手応えに「これで十分」と感じたのでしょう。ルメール騎手は余裕を持って振り返り、他馬との差を確認して、追うのをやめました。

 アーモンドアイは楽走に入り、ゴール前では2度、跳ねるようなランを魅せました。
 「止まるための作業」に入っていたのでしょう。
 ゴール後、アーモンドアイは返し馬の様に動き、直ぐに止まりました。
 ノームコアが追い越して行きました。

 戻ってくるアーモンドアイは、息も乱れておらず、興奮もしていません。
 何もなかったかのようにスタンド前に来たのです。

 鞍上のルメール騎手のとても嬉しそうな様子が印象的でした。
 百戦錬磨の名手であるからこそ、彼女の強さを味わっていたのでしょう。
 本物は本物を知るのです。

 「桁違いのレース」を魅せていただきました。
 新型コロナウイルス禍のために、数多くのスポーツイベントが延期・中止となっている状況では、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いのでしょう。
 今回は、ワールドカップ1986メキシコ大会の決勝です。

[1986年6月29日・アステカスタジアム(メキシコ)]
アルゼンチン3-2西ドイツ

 もともとコロンビアで開催予定であった大会ですが、同国内の経済状況が悪化し1983年に開催権を返上、代わりにメキシコで開催された大会です。
 メキシコ開催は1970年以来のこととなり、決勝も1970年大会と同じエスタディオ・アステカ=アステカスタジアムとなりました。

 アステカスタジアムは、いつの時代も世界屈指の収容能力を誇る巨大なスタジアムですが、この頃は13万人以上を収容できる世界最大級のサッカー場であったと言われています。
 ちなみに、このゲームの観客数は114,580人と公表されました。(この大会では、他にも114,580人という試合がありますから、「満員ならばこの人数表示」ということなのかもしれません)

 1986年大会は、現在に至るまで「マラドーナの大会」と呼ばれています。
 アルゼンチン代表チームの準々決勝イングランド戦、準決勝ベルギー戦で共に2得点を挙げ、特にイングランド戦の「5人抜き」得点シーンは、ワールドカップ1986を象徴する映像として、現在でも時折眼にすることがあります。

 一方で、この決勝戦ではマラドーナ選手は得点を挙げていません。
 これは、少し不思議な感じです。
 
 両チームが死力を尽くした好ゲームを観て行きましょう。

[アルゼンチンチームの先発メンバー]
1. GKプンピード選手
2. DFクラウセン選手
3. ルジェリ選手
4. ブラウン選手
5. オラルティコエチェア選手
6. MFバティスタ選手
7. ジュステイ選手
8. エンリケ選手
9. ブルチャガ選手
10. FWマラドーナ選手
11. バルダーノ選手

[西ドイツチームの先発メンバー]
1. GKシューマッハ選手
2. DFブレーメ選手
3. フェルスター選手
4. ヤコブス選手
5. エデル選手
6. MFベルトルト選手
7. ブリーゲル選手
8. マテウス選手
9. マガト選手
10. FWルンメニゲ選手
11. アロフス選手

 先発メンバーを観ると、「大砲」ディエゴ・マラドーナ選手を中心に、ホルヘ・ブルチャガ選手、ホルヘ・バルダーノ選手という2名の「ホルヘ」に、エクトル・エンリケ選手やリカルド・ジュスティ選手を加えた、アルゼンチンチームの攻撃力が目立ちます。
 得点力ならば、アルゼンチンが一枚上と観るのが妥当でしょう。

 一方の西ドイツチームは、フランツ・ベッケンバウアー監督の指揮下で、この大会では「堅守」をベースに最少得点で勝ち上がってきました。グループリーグGLは3試合で3得点、決勝トーナメントも3試合で3得点、ここまで6試合で6得点しか挙げていないのです。
 ゲーム毎に細かい戦術の変更を加えて、相手チームの得点を抑えてきた形でしょう。
 決勝でも「ベッケンバウアーの采配」が注目されたことは言うまでもありません。

 開始直後は西ドイツチームが攻め、チャンスも有ったのですが得点を挙げることが出来ず、ゲームは次第にアルゼンチンが攻め西ドイツが守るという、戦前の予想通りの展開となりました。
 そして、西ドイツチームは「マラドーナ選手への徹底的なマーク」を実施したのです。
 ローター・マテウス選手を中心としたマークですが、エリアによっては他の選手もアプローチしています。
 マラドーナ選手にボールが渡ったならば、とても近い位置からアタックを掛けます。
 反則すれすれのプレーも観られました。

 さすがのマラドーナ選手も、これだけ「しつこく徹底したマーク」を受けては、なかなか思ったようなプレーはできませんから、アルゼンチンチームとしては、マラドーナ以外の選手による得点が望まれることとなります。

 前半22分、早くもそのシーンがやってきました。
 アルゼンチンチームは西ドイツゴールに向かって右サイド、ペナルティエリアの外の位置でフリーキックFKを得ました。
 蹴るのはブルチャガ選手。
 ブルチャガ選手は西ドイツゴールの反対側に蹴りました。GKシューマッハ選手がこれを弾こうと飛び出しましたが、ボールはシューマッハ選手を越えて飛び、アルゼンチンのDFブラウン選手がヘディングシュート。
 これが見事に決まりました。

 名手シューマッハ選手としては、珍しい「空振り」でしたが、ブルチャガ選手のキック、ブラウン選手のヘッド共に高い精度でした。

 前半はアルゼンチンが1-0とリードして、折り返しました。

 西ドイツチームは、FWのアロフス選手を下げてフェラー選手を入れました。
 「カールハインツ・ルンメニゲ選手+ルディ・フェラー選手」という、この頃の西ドイツチームの看板コンビとなったのです。
 この大会では、特にルンメニゲ選手の不調が伝えられてはいましたけれども、いざとなれば、やはりこのコンビ、精神的な強さが際立つコンビが必要だったのでしょう。

 0-1とリードされている西ドイツは、前半に比して攻勢を強めました。
 当然のことです。
 しかし、アルゼンチンも良く守り、なかなか決定的なチャンスは生まれません。

 そして後半11分、前掛かりになった西ドイツチームからボールを奪ったアルゼンチンチームは、マラドーナ選手からエンリケ選手、バルダーノ選手と繋いで、バルダーノ選手が西ドイツゴール向かって左サイドからシュート。前に出てきたGKシューマッハ選手の右側を突いた、落ち着いたシュートでした。

 これで2-0とアルゼンチンがリード。
 ゲームの帰趨は大きくアルゼンチンチームに傾きました。

 メキシコシティ・アステカスタジアムはアルゼンチンのサポーターが多く、大歓声が響き渡り、「勝った」という雰囲気が漂いました。
 流れに乗ったアルゼンチンチームは、この後も積極的に攻め続けましたが、さすがに西ドイツチームはこれをよく防ぎ、反撃の機を待ちました。

 こうした逆境に、世界で最も強いナショナルチームは、ドイツチーム(この頃は西ドイツ)でしょう。
 大きな大会で、絶体絶命の形から何度も反攻を成功させているのですが、このゲームも「絶対に諦めない」精神力(当時はよくゲルマン魂と呼ばれました)が発揮されたのです。

 後半20分を過ぎて、西ドイツチームが攻勢に出ました。
 アルゼンチンチームとしては「このまま2-0の勝利」で十分と考えていたこともあるでしょうし、前掛かりの西ドイツチームの隙を付いてのカウンターで、これからも得点チャンスが生まれるとも考えていたことでしょう。
 実際のところ、両チームにチャンスが来る展開でした。

 そして後半29分、アルゼンチンゴール向かって左から、西ドイツチームのコーナーキックCK。これをニアサイドに居たフェラー選手がヘディングでゴール前向かって右サイドに落とし、これを飛びこんだルンメニゲ選手が押し込みました。
 スライディングしながらのシュートは、いかにも「ルンメニゲのゴール」でした。

 2-1となって、ゲームの緊張感が一気に高まりました。

 アステカスタジアムには「アルゼンチン頑張れ」の大合唱が響きます。

 マラドーナ選手が左サイドを突進し、フェルスター選手がタックルで止めたシーンなどは、迫力満点、スピード・パワー共、世界最高水準のプレーでした。
 こうした素晴らしい数々のプレーの中から、再び西ドイツチームの得点が生まれるのです。

 ゲームは後半35分を過ぎました。
 アルゼンチンチームにとっては「ワールドカップ獲得まであと10分」となったのです。

 このゲームの見事なところは、この時間帯になっても両チームの運動量があまり落ちなかったことでしょう。
 標高2,000mを越えると言われるアステカスタジアム、空気が薄い中での激闘ですので、そのフィジカルの強さは驚異的です。

 後半36分、西ドイツチームは再びアルゼンチンゴールに向かって左サイドからのCK。
 今度はファーサイドに蹴られたボールを、ゴール前にヘッドで落とし、そこに居たフェラー選手がヘディングシュート。
 これが綺麗に決まりました。

 2-2の同点。
 ゲームは振出しに戻ったのです。

 西ドイツの2ゴールは、共に左CKから、ヘディングでゴール前に運び、これをルンメニゲ選手は足で、フェラー選手は頭で、決めました。
 あらかじめ用意されていたプレーでしょうが、後半の後半になって2度決めるというのは、これがワールドカップの決勝であることを考え合わせると、信じられないような決定力であり、粘りでしょう。

 西ドイツチームは「誰ひとり負けるなどということは考えても居なかった」ことは明白であり、これが「ドイツの伝統」なのです。

 アルゼンチンチームとしては、2-0で後半残り20分を切ったのですから、ほぼ掌中にしていたワールドカップが、するりと掌から滑り落ちた感じでしょうか。これは、1978年の初優勝の時のゲーム展開にも似ています。あの時の相手はオランダチームでしたが・・・。

 これで、俄然ゲームの流れは西ドイツに傾いたかに観えました。
 延長も視野に入ってきたのです。
 
 この流れを一気に変えたのは、ブルチャガ選手のプレーでした。

 後半39分、アルゼンチンゴール前からセンターライン付近でのボールの奪い合い、そこから前線のブルチャガ選手にパスが出ました。
 前掛かりだった西ドイツチームはディフェンダーが居ませんでした。

 ブルチャガ選手はドリブルで突進し、GKシューマッハ選手と1対1。
 スライディングしてくるシューマッハ選手の左側に浮かせたシュートが決まりました。
 とても冷静なシュートでした。

 ブルチャガ選手の持ち味が存分に発揮されたシュートでしたし、キャリア最高のゴールであったことも間違いありません。

 試合時間は残り4分となりました。

 当然ながら西ドイツチームは攻めますが、アルゼンチンチームも攻撃を止めません。

 残り3分、バルダーノ選手が左サイドを駆け上がり、中央に居るマラドーナ選手にパス、マラドーナ選手は西ドイツディフェンダーの間を割って突進、転がるボールに対して、マラドーナが先か、シューマッハが先か、シューマッハ選手の方が僅かに早く、ボールを弾き、そのシューマッハ選手とぶつかったマラドーナ選手がダイブ。
 反則にはなりませんでしたが、この「ダイビング」も、この大会の名シーンのひとつでしょう。

 ゲームは、このまま終了しました。

 アルゼンチン代表は、2度目のワールドカップ優勝を果たしたのです。

 「マラドーナの大会」の決勝戦、アルゼンチンチームはマラドーナ選手以外のプレーヤーの活躍で3点を挙げて、西ドイツチームを振り切りました。
 西ドイツチームは、0-2の劣勢から後半の後半に追い付き、あと一歩というところまで、アルゼンチンチームを追い詰めました。
 好天のアステカスタジアムで繰り広げられた、素晴らしいゲームでした。

 表彰式、重量5㎏のワールドカップは、まずキャプテンのマラドーナ選手に渡されました。
 受け取ったマラドーナ選手は喜びを爆発させました。

 ディエゴ・マラドーナは、ワールドカップの歴史となったのです。
 5月17日、東京競馬場芝1,600mコースで開催される、第15回ヴィクトリアマイル競走G1の注目馬検討です。

 今年も18頭のフルゲート(ディメンシオンが取消して17頭のレースとなりましたが)です。

 そして、アーモンドアイが出走してきました。
 ヴィクトリアマイル2020の最大のポイントでしょう。

 新型コロナウイルス禍の影響でドバイミーティング2020が行われなくなった結果ですが、私達としては日本で久しぶりに彼女の姿を眼にすることが出来るのです。

 有馬記念2019の直線で手応えが無くなり、ずるずると後退したのが、今でも不思議ですが、天皇賞(秋)2019までの走りが出来るならば、大本命であることは間違いないでしょう。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、6枠12番のアーモンドアイ。
 出てくる以上は「大本命」です。

 第二の注目馬は、1枠1番のラブズオンリーユー。
 5戦4勝・3着1回、オークス2019の優勝馬です。前走エリザベス女王杯G1は、ラッキーライラックの「復活」の前に3着に敗れましたが、良く走っていたと感じます。

 第三の注目馬は、3枠5番のプリモシーン。
 三番手は大混戦ですが、「乗れている」ミルコ・デムーロ騎手の手腕に期待します。

 サウンドキアラは「大外枠」を克服できるかどうか・・・。

 それにしても、全18頭の内9頭がディープインパクト産駒とは。
 「死してなお」、本当に凄い種牡馬です。
 5月12日、NPBは12球団代表者会議とJリーグとの対策連絡会議を、5月11日にオンラインで開催し、6月19日の2020年シーズン開幕戦実施に向けて、取組んでいく方針であることが報じられました。

 開幕、ペナントレース実施に向けて不可欠な、各選手の練習は5月中旬から本格化させ、6月上旬から練習試合を開始、最短なら6月19日に開幕するというスケジュールです。
 当面は「無観客」による実施となるのでしょうが、プロ野球ファンとしてはテレビ画面を通じてプレーを楽しむことが出来るようになることは、素晴らしい「朗報」です。

 さらに5月13日には、開幕以降の試合日程についての検討内容も明らかになりました。
 「チームの移動に伴う感染リスクを減らす」ために、セ・リーグは首都圏と首都圏以外のチーム同士の対戦からスタートする形、パ・リーグは「同一カード6連戦」案が検討されているとのこと。
 シーズン試合数は、各チーム最大120試合を計画していると。
 様々なアイディアが健闘されていること自体に、開幕の可能性が高いことが感じられ、嬉しい限りです。

 一方、アメリカ合衆国のMLBにおいても、レギュラーシーズン開幕への動きが報じられました。
 5月12日に、MLBと30球団のオーナーが、「7月4日(アメリカの独立記念日)前後に開幕する案を承認したと報じられました。当面は「無観客」での実行です。
 キャンプは6月中旬に開始、対戦カードは移動による感染リスクを減少させるために、同一リーグの同地区および他リーグの同地区チーム同士の対戦に限定する方針とのことです。
 レギュラーシーズンの試合数は各チーム82試合を想定し、ロースター選手数は準備期間の短さを考慮して30名(今春には26名とされていました)にて検討中とのこと。
 こちらも、具体的なアイディアが検討されていますので、「開幕」に向けての期待が高まります。

 NPB、MLB共に、選手会との協議、細部の詰め、が今後本格化するものと思いますし、この協議は重いもの、合意に向けては紆余曲折が相当あるものと思われます。
 
 サッカー等の他のプロスポーツにおいても同様の問題が存在しますが、例えば「年俸」については、「開催試合数」に比例したものとなる形が考えられます。MLBなら82/162と約半額になる形ですから、選手側の反発が予想される上に、「観客の駐車場利用料金」が見込めない球団オーナー側にとっては、「それでも高すぎる」という考え方がありますので、話し合うポイントは多く、双方の落着点を見出すことは、容易なことではなさそうです。

 また、2か月以上の間ほとんどトレーニングが出来なかった選手達にとっては、とても短い期間の練習で「公式戦」に入ることへの心身の不安があるのでしょうし、増してや新型コロナウイルス感染症への感染についての不安は、一層強いことでしょう。
 この感染症については、その後遺症の程度・内容について分かっていないことばかりですから、こうした形での「やや性急な開幕」によって、感染してしまうかもしれないプレーヤー達が、選手生命を失う、キャリアが短期化されてしまうリスクをどのように捉え、対応していくかは、とても難しい判断が必要となりそうです。

 とはいえ、ファンは開幕を切望しています。

 「ファンあってのNPB・MLB」であることは間違いありませんが、開幕を急ぐあまり、2021年シーズン以降の、将来のNPB・MLBのスタープレーヤーを「感染」により失うことが、「ファンのためにならない」ことも、間違いありません。

 このバランスを取っていく「難しい舵取り」が、NPBとMLBに求められているのです。

 世界中の所謂メジャーなサッカーリーグの中で、ドイツ・ブンデスリーガが再開します。

 新型コロナウイルス禍の中で、先頭を切って再開されるのです。

 ドイツという国家の、感染症拡大への対応力の高さを示していると言って良いと思います。
 特に、医療体制の充実ぶりは他国を圧倒しています。

 5月16日~18日にかけて、第26節の各ゲームが無観客で開催されるのですが、地域的な制限も特に報じられていませんから、3月7日~8日に行われた第25節から連続した、文字通りの「再開」となります。
 ドイツ国家とブンデスリーガの素晴らしい対応力でしょう。

 第25節までの順位をおさらいしておきましょう。
1位 バイエルン・ミュンヘン 17勝4敗4引分 勝点55
2位 ボルシア・ドルトムント 15勝4敗6引分 勝点51
3位 RBライプツィヒ 14勝3敗8引分 勝点50
4位 ボルシア・メンヘングラートバッハ 15勝6敗4引分 勝点49
5位 バイヤー・レバークーゼン 14勝6敗5引分 勝点47
6位 シャルケ04 9勝6敗10引分 勝点37
7位 VfLヴォルフスブルク 9勝7敗9引分 勝点36 得失点差4
8位 SCフライブルク 10勝9敗6引分 勝点36 得失点差-1
9位 ホッフェンハイム 10勝10敗5引分 勝点35
10位 1FCケルン 10勝13敗2引分 勝点32
11位 ウニオン・ベルリン 9勝13敗3引分 勝点30
12位 アイントラハト・フランクフルト 8勝12敗4引分 勝点28
(全18チーム)

 ブンデスリーガは、1位から4位までがUEFAチャンピオンズリーグの出場権を得、5位と6位がUEFAヨーロッパリーグの出場権を得ます。
 4位と5位、メンヘングラートバッハとレバークーゼンの競り合いは、これからも続くことでしょう。

 5位と6位の間には断層がありますので、シャルケからケルンまでの5チームの6位争いも熾烈を極めそうです。

 優勝争いは、バイエルン・ドルトムント・ライプツィヒの三つ巴となりそうです。
 ある意味では「歴史的な」2019~20年シーズンのマイスターシャーレを巡って、激しい戦いが繰り広げられることになります。

 約2ヵ月間の空白の後ですから、第26節のゲームの出来不出来が、今後のリーグ戦に大きな影響を与えそうです。

 さて、「ブンデス」を楽しみましょう。

 2008年の海外遠征については、先の記事でカジノドライブを採り上げた際に少し触れましたが、海外の重賞で勝利したのはカジノドライブ1頭でした。
 それが、アメリカのダート重賞で日本馬が挙げた唯一の勝利でした。

 そして2008年には、ウオッカ(牝4歳)がドバイデューティフリーG1に挑戦しています。結果は4着でしたが、ウオッカにとっては「経験を積む」ための遠征であったようです。

 2009年には、日本牝馬の遠征が続きました。

 まずアースリヴィング(牝3歳)が、UAEのクラシックレースに挑みました。
 UAE1000ギニー(ダート1,600m)で、ソーシャイニーに次いで2着、続くUAEオークス(ダート1,800m)もデヴォティーの2着と、惜しいところで勝ち鞍を挙げることが出来ませんでした。
 アースリヴィングは帰国後、日本で走り、結局重賞を制覇することはできませんでしたけれども、このUAEでの活躍は見事なものです。

 アースリヴィングはブラックエンブレム(牝4歳)と一緒にUAEに渡っています。
 そして、そのブラックエンブレムもバランシーンG3に出走し、9着でした。

 続いては、ウオッカ(牝5歳)の2年連続のドバイミーティング挑戦です。
 まずジュベルハッタG2で走り(5着)、本番のドバイデューティフリーに再挑戦したのです。
 しかし、残念ながら7着に終わりました。
 名牝ウオッカのドバイへの挑戦は、6歳=2010年も続き、G2アル・マクトゥームチャレンジ・ラウンド3に挑みましたが8着に終わっています。
 ウオッカは、ドバイとは相性が悪かったのでしょうか。

 2009年は、もちろん牡馬もシンガポールや香港の競馬に挑戦しましたけれども、残念ながら日本馬は海外重賞で勝利を挙げることはできませんでした。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はワールドカップ2010南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦です。

[2010年6月28日・エリスパークスタジアム(ヨハネスブルグ・南アフリカ)]
ブラジル3-0チリ

 グループリーグG組を1位で突破したブラジル代表チームと、H組を2位で通過したチリ代表チームが、決勝トーナメント1回戦で戦ったゲームです。

 ワールドカップ2002以来6度目の優勝を目指すブラジルに対して、初のベスト8・準々決勝進出を目指すチリという形ですが、南米対決となったゲームを観て行きましょう。

[ブラジルチームの先発メンバー]
1. GKジュリオ・セザール選手
2. DFルシオ選手
3. ファン選手
4. マイコン選手
5. ミシェルバストス選手
6. ダニエウ・アウベス選手
7. MFジウベウト・シウバ選手
8. カカ選手
9. ラミレス選手
10. FWルイス・ファビアーノ選手
11. ロビーニョ選手

[チリチームの先発メンバー]
1. GKブラボ選手
2. DFフェンテス選手
3. イスラ選手
4. コントラレス選手
5. ハラ選手
6. MFカルモナ選手
7. ビダル選手
8. FWサンチェス選手
9. スアソ選手
10. ゴンザレス選手
11. ボセジュール選手

 いつも世界的なプレーヤーが揃うブラジルチームですが、この大会でも、2007年のバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞したカカ選手を始めとして、ロビーニョ選手、ダニエウ・アウベス選手、ジウベウト・シウバ選手、マイコン選手、ルシオ選手と、好プレーヤーが並んでいます。
 ピッチ上のイレブンを一見して、「長身のプレーヤーが多い」と感じました。
 
 セレソンというと、1994年大会のロマーリオ選手やベベト選手の時のチームは、比較的小柄な選手が多いという印象でしたが、2002年大会では相当身長が高い選手が増え、2010年大会は一層その傾向が強いと感じました。
 ドゥンガ監督のチーム創りの結果なのでしょうが、「セレソンの大型化」が進んでいたのかもしれません。

 一方のチリチームは、ブラジルチームと比較すれば小柄なプレーヤーが多いという感じですが、この大会後、FCバルセロナやアーセナル、マンチェスター・ユナイテッドで活躍することとなるアレクシス・サンチェス選手を始めとして、アルトゥーロ・ビダル選手、ジャン・ボーセジュール選手、マルク・ゴンザレス選手といった好プレーヤーを揃えていました。
 短いパスを繋ぎながらチャンスを創造していくという面では、当時のスペインチームにも通じるものがあり、グループリーグGLのH組では、緒戦でスペインチームを破ったスイスチームと、ホンジュラスチームを共に1-0で破り、スペインチームには1-2で敗れましたけれども2位通過。
 チリサッカー史上でも屈指のチームに仕上がっていたと思います。

 ゲームは静かな立ち上がりとなりました。

 ブラジルチームは、長めのパスでサイドをつき、ドリブルで前進する形、チリは細かいパス回しによって前進を図ります。
 目立っていたのは、ブラジルチームのコーナーキックCKが多かったことでしょう。
 ブラジルチームが押し気味にゲームは進みました。

 両チームともに決定的なチャンスが創れずにいた前半34分、ブラジルチームは6本目のCKを得ました。右からのキックでした。
 蹴るのはマイコン選手。

 ボールは左に曲がりながらファーサイドに飛びました、落下点にはブラジルの高身長のプレーヤーが密集していました。その内のひとり、フアン選手がヘディングシュート。当りの良いシュートが、チリゴール左上に飛び込みました。

 このゲームのチリチームには、身長180cmを越えるプレーヤーは一人しか居ませんでしたから、高さではブラジルチームが優位なのです。

 ブラジルが先制しました。
 こうなるとゲームのペースはブラジルチームに傾きます。
 セレソンは伝統的に、先制して余裕が出来ると、とても素晴らしい試合運びを魅せるのです。

 先制点から3分も経たないうちに、再びブラジルチームの攻撃が実りました。
 チリチームの攻撃からのカウンター、ロビーニョ選手が左サイドをドリブルで駆け上がり、中央のカカ選手にパス、カカ選手はこれをダイレクトで前に居るルイス・ファビアーノ選手に流し込みました。
 このタイミングでのパスでなければオフサイドになっていたプレーですが、それはつまり、ルイス・ファビアーノ選手が守備ラインを完全に突破して、GKクラウディオ・ブラボ選手と1対1になったことを示していて、前に出て止めようとするブラボ選手を交わしたルイス・ファビアーノ選手が無人のゴールにボールを流し込みました。

 あっという間の2点目でした。

 後半になっても、試合はブラジルペースでした。

 チリチームはパスを繋いでブラジルゴールを目指しますが、ブラジルチームはペナルティエリア付近で厳しい守備を披露して、そこからの前進を許しません。
 このゲームでは、ブラジルチームの守備テクニックが光りました。

 そして後半13分。
 センターライン付近でボールを得たラミレス選手がドリブルで突進。
 ピッチの中央を40メートル位ドリブルしたでしょうか。
 チリのディフェンダーDFは、これを止めることが出来ません。
 
 ラミレス選手は、ペナルティエリア手前でロビーニョ選手にパス、ロビーニョ選手はこれをダイレクトでシュート。右足から放たれたシュートはチリゴール右端に飛び込みました。
 
 GKブラボ選手が僅かに届かない位置への、巻き込むようなシュートですから、決して易しくないというか、とても高難度なシュートでしょうが、ロビーニョ選手は「簡単にやってのけた」ように観えました。

 3-0となって、ゲームは決しました。

 結果として、ブラジルチームの一方的なゲームとなりました。
 先制して、気持よく戦った時のセレソンの強さを、まざまざと見せつけたゲームなのでしょう。

 南米を代表するナショナルチームによる「貫録の勝利」でした。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はワールドカップ2010南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦です。

[2010年6月29日・ロスタスヴァ―スフェルトスタジアム(プレトリア・南アフリカ)]
パラグアイ0-0日本
(PK戦5-3でパラグアイが準々決勝進出)

 グループリーグGL・F組を1勝2引分の勝点5で1位通過したパラグアイ代表と、D組を2勝1敗の勝点6で2位通過した日本代表が、ベスト8進出をかけて対戦した、決勝トーナメント1回戦です。

 F組において、パラグアイチームは、緒戦のイタリア戦を1-1で引分けに持ち込み、続くスロバキア戦を2-0で勝って、最終のニュージーランド戦を0-0で引分けるという、「計算通り」の突破であったと思います。ちなみに、この大会のイタリアチームは1敗2引分、4位で敗退しています。

 日本チームも、E組緒戦で、圧倒的不利と言われたカメルーン戦を1-0で制して勢いに乗り、第2戦こそオランダチームに0-1で惜敗しましたが、最終のデンマーク戦を3-1で快勝して、決勝トーナメントTに進出しました。
 日本チームにとっては、地元開催であった2002年大会以来2度目の決勝T進出でした。

[パラグアイチームの先発メンバー]
1. GKフスト・ビジャール選手
2. DFパウロ・ダ・シルバ選手
3. アントリン・アルカラス選手
4. カルロス・ボネット選手
5. クラウディオ・モレル選手
6. MFネストル・オルティゴサ選手
7. クリスティアン・リベーロス選手
8. エンリケ・ベラ選手
9. エドガル・ベニテス選手
10. ロケ・サンタ・クルス選手
11. FWルーカス・バリオス選手

[日本チームの先発メンバー]
1. GK川島永嗣選手
2. DF中澤佑二選手
3. 田中マルクス闘莉王選手
4. 駒野友一選手
5. 長友佑都選手
6. MF阿部勇樹選手
7. 長谷部誠選手
8. 遠藤保仁選手
9. 松井大輔選手
10. 大久保嘉人選手
11. FW本田圭佑選手

 ゲームは開始直後から「一進一退」の攻防が続きました。
 共に、豊富な運動量をベースにしたパス主体の攻撃と、高い位置からの守備が持ち味のチームであり、90分間、120分間、その精力的なプレーを継続するフィジカルも持ち合わせるチームだったのです。

 日本チームは、中盤で長谷部選手や遠藤選手がボールを奪うと前線の本田選手にボールを渡し、本田選手がボールを保持している間(時間を稼いでいる間)に、大久保選手や松井選手、長友選手が走り込み、再び本田選手にラストパスを返すという形、この時の日本チームの「決め事」をしっかりと実行・継続していましたが、パラグアイチームの守備が良く、特にペナルティーエリア付近でのボールへのアタックが正確で、決定的なチャンスはなかなか生まれませんでした。

 逆に日本チームも良く守りましたから、ゲームは0-0のまま時を刻みました。

 そして120分を戦い終えて、ペナルティーキックPK戦に突入したのです。

 これは、日本代表チームにとって、ワールドカップの舞台における初めてのPK戦でした。(今に至るまで、唯一のPK戦となっています)

 パラグアイチームが先行のPK戦。
 日本のひとり目は遠藤選手でした。
 遠藤選手はこれを、ゴール右上に突き刺しました。

 日本のふたり目は長谷部選手でした。
 長谷部選手はこれを、ゴール左上に突き刺しました。

 ゴロというか、地を這うようなキックが続くパラグアイチームに対して、日本チームのキックは高い位置に打ち込んでいました。
 パラグアイの3-2となって、日本の三人目は駒野選手でした。

 駒野選手のキックは、真ん中左上に飛び、クロスバーに当たって上に撥ねました。
 とても残念な失敗でした。

 パラグアイの4-2となって、日本の四人目は本田選手でした。
 本田選手は、GKビジャール選手が左に飛んだ後の真ん中に、低いボールを流し込みました。

 そしてパラグアイチームの5人目、カルドソ選手が日本ゴール左隅に蹴り込んだ時、大接戦に終止符が打たれたのです。

 日本チームとしては、120分間で1点を奪うことが出来ず、PK戦においては、パラグアイチームの5人全員が決めたのですから、駒野選手を責めることができないのは、自然な話でしょう。
 このゲームは、僅かながらパラグアイチームが勝っていたのです。

 日本チームにとっては、「悲願のベスト8進出」を逃したゲームとなってしまいましたが、この大会の日本チームが、日本サッカー史上屈指の良いチームであったことは間違いないと考えています。


 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はワールドカップ2010南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦です。

[2010年6月27日・フリーステートスタジアム(ブルームフォンテーヌ・南アフリカ )]
ドイツ4-1イングランド

 グループリーグGLのD組を首位で通過したドイツ代表チームと、C組を2位で突破したイングランド代表チームが対戦しました。

 「ドイツVSイングランド」は、世界のサッカーナショナルチーム同士の対戦における看板カードのひとつです。

 ワールドカップやユーロにおける豊富な優勝経験を誇るドイツチームと、ワールドカップ優勝が1回、ユーロは優勝経験が無いというイングランドチームでは、その実績面では差が有りますけれども、やはり「サッカーの母国」という意味で、イングランドチームには独特かつ唯一のバリューが有って、その対戦が注目されるのは、自然なことなのでしょう。

 更に、この両チームの対戦は、このゲームの前までは常に「大接戦」となってきたのです。
 ワールドカップの舞台で、この両チームが最初にまみえたのは、1966年のイングランド大会決勝戦でした。このゲームは4-2(延長戦2-0)でイングランドが勝利し、初のワールドカップを獲得しています。
 2度目の対戦は、ワールドカップ1970の準々決勝で、これは3-2(延長戦1-0)で西ドイツが勝ちました。
 3度目の対戦は、ワールドカップ1982の2次リーグ・グループBでの対戦で、0-0の引分けでした。
 4度目の対戦は、ワールドカップ1990の準決勝で、1-1の同点からPK戦に入り、西ドイツが4-3でイングランドを破っています。

 ワールドカップの舞台においては、4度戦い西ドイツチームの2勝1敗1引分という対戦成績ですが、「90分間で決着したゲームが皆無」ということですから、常に拮抗した戦いを繰り広げていたことは明白でしょう。

 東西ドイツが統一されて、ドイツ代表となって初めてのイングランド代表とのワールドカップにおける歴史的なゲームが行われたのです。

[ドイツチームの先発メンバー]
1. GKノイアー選手
2. DFアルネ・フリードリッヒ選手
3. ジェローム・ボアテング選手
4. ラーム選手
5. メルテザッカー選手
6. MFサミ・ケディラ選手
7. シュバインシュタイガー選手
8. エジル選手
9. トーマス・ミュラー選手
10. ポドルスキー選手
11. FWクローゼ選手

[イングランドチームの先発メンバー]
1. GKジェームス選手
2. DFアシュリー・コール選手
3. テリー選手
4. ジョンソン選手
5. アップソン選手
6. MFランパード選手
7. ジェラード選手
8. バリー選手
9. ミルナー選手
10. FWルーニー選手
11. デフォー選手

 このゲームは、観ていてとても「華やか」です。
 その理由は、スタープレーヤーが目白押しだからでしょう。

 イングランドチームは、フォワードFWにウェイン・ルーニー選手、ミッドフィールダーMFにフランク・ランパード選手とスティーブン・ジェラード選手、ディフェンスDFにアシュリー・コール選手とジョン・テリー選手と、この時代のイングランドを代表するプレーヤーをずらりと並べ、ジェイムズ・ミルナー選手やギャレス・バリー選手で廻りを固めています。イングランドのオールスターチームと言って良いでしょう。
 ファビオ・カペッロ監督が、組上げた重厚なチームです。

 このチームで唯一気になったのは、ゴールキーパーGKのディビット・ジェームズ選手でしょうか。身長194cmを誇る長身GKであり、高いボールへの強さには定評がありましたが、40歳という年齢も有って、ボールへの反応スピードにはやや心配が有りました。
 常に世界的なGKを輩出するイングランドチームにとっては、珍しい「GK空白の時期」だったのかもしれません。

 一方のドイツチームは、2004年から指揮を執るヨハヒム・レーヴ監督のチーム創りが伸長し、ワールドカップ2014制覇に向けて若く力強いチームが出来上がりつつありました。
 MFにバスティアン・シュバインシュタイガー選手、ルーカス・ポドルスキー選手、メスト・エジル選手、サミ・ケディラ選手、ミュラー選手といった「若手」を並べ、DFにはフィリップ・ラーム選手、ボアテング選手、ペア・メルテザッカー選手を揃え、GKにはマヌエル・ノイアー選手を配し、フォワードFWワントップにはベテランのミロスラフ・クローゼ選手を置くという、運動量十分の、バランスの良い布陣となっています。

 GLの成績を観る限りは、ドイツチームが有利と言う見方が多かったのです。

 さて、ゲームが始まりました。

 中盤でのパス回しから、エジル選手やケディラ選手が自在に走り回ってチャンスを創るドイツチームと、ジェラート選手やランパード選手からのパス出しでチャンスを創るイングランドチームという、対照的なゲーム運びの中で、0-0の展開が続きました。

 そして前半20分。
 ドイツゴール前から、ノイアー選手が大きく前に蹴ります。
 GKのゲーム再開のキックとしては、やや低く飛び出したボールは、一気にイングランドゴール前のクローゼ選手の元へ。
 クローゼ選手は、このボールの転がりに沿って走り、DFマシュー・アップソン選手と競り合い、これを右腕で振り払いながら、GKジェームス選手と1対1。倒れ込みながら右足で、ジェームス選手の右側にシュート。これが綺麗に決まりました。

 GKからの1本の「ラストパス」を、一度もドリブルすることも無く、直接ゴールしたのです。
 滅多に観られないというか、私はワールドカップの舞台において、こうしたゴールを観たのは初めてですし、その後も一度も眼にしていません。

 「決定力ならばクローゼ」と称される、ワールドカップ史上屈指(ワールドカップ通算得点数NO.1)のストライカーですが、そのクローゼ選手の数多いゴールの中でも、屈指のスーパーゴールでしょう。
 何より、「ゴールに向かう集中力」と「体幹の強さ」が際立ちました。

 このドイツの先制点により、ゲームは一気に動きました。

 前半32分、ドイツチームが右サイドから攻めます。
 クローゼ選手からミュラー選手にパス、ミュラー選手がドリブルで駆け上り、左から走り込んできたポドルスキー選手にパス、ポドルスキー選手はイングランド陣深くまでドリブルで走り込み、角度の無いところからシュート。これがGKジェームス選手向かって左側、ポスト寄りを突破して入りました。
 インクランド守備陣をスピードで圧倒したゴールでした。

 0-2とリードを許したイングランドが反撃に移ります。
 ランパード選手を中心とした攻撃は迫力十分。
 後半37分、右からのコーナーキックCK。これをショートコーナーとして、ジェラート選手がゴール前にクロスを上げ、アップソン選手がヘディングシュート。
 GKノイアー選手が僅かに触りましたが、ゴールイン。
 アップソン選手の滞空時間の長い、素晴らしいヘディングでした。

 1-2、イングランドは1点差に追い上げ、攻め続けます。

 そして、あのシーンが訪れるのです。
 
 前半38分、ドイツゴール前のデフォー選手からランパード選手に短いパス。
 これをランパード選手がシュート。これがバーに当たって下に落ちゴールイン。
 ランパード選手は両手を挙げて、喜びを表現しました。

 ところがゲームが止まることは、ありませんでした。

 「ノーゴール」という判定だったのです。

 何度VTRを観ても、ボール3~4個分は入っています。
 「見間違えようがない得点」でした。
 しかし、審判団からは観えなかったのです。

 イングランドチームとランパード選手にとっては、ゴールインしたボールが、直ぐにゴール外に跳ね出たことが、やや不運だったのでしょうか。
 そして、跳ね出たボールを取ったGKノイアー選手は、何事も無かったかのように、ボールを前方のプレーヤーに配したのです。
 
 このゲームは、結果としては4-1という大差でドイツが勝利しましたが、もしこの段階で「2-2の同点」となっていたら、ゲームの帰趨は全く分からなかったと思います。
 やはり、さすがに「伝統の一戦」だったのです。

 そして、ランパード選手の能力の髙さにも驚かされるばかりです。
 中盤からゴール前まで自在に動き、何より「人に強く」パワフル、そして決定力があるのです。
 ゲームメーカーとして、そしてストライカーとして、イングランドサッカー史上屈指のプレーヤーであったことは、間違いないでしょう。

 前半は2-1、ドイツチームがリードして終わりました。

 後半を迎え、イングランドチームの精神面が心配されました。
 完全なゴールが無得点となったショックは、ハーフタイムのベンチの中での打合せの際に、一層強く選手達の心に刻まれた可能性が有ったからです。

 しかし、後半開始直後から、イングランドの選手達は果敢に攻め続けました。
 素晴らしい闘志であったと感じます。

 両チーム一進一退からの後半21分、イングランドがドイツゴール前でフリーキックFKを得ました。蹴るのはランパード選手。キックの破壊力・精度共にチームNO.1のランパード選手のシュートに期待がかかりました。
 しかし、このFKシュートはドイツチームの壁に当たって跳ね返りました。

 そして、ここからドイツチームのカウンター攻撃が始まったのです。
 ドイツゴール前右サイドに居たミュラー選手から、左サイドで走り出していたシュバインシュタイガー選手にパス、シュバインシュタイガー選手はドリブルで駆け上がります。もの凄いスピード。
 イングランドのペナルティエリア前まで走り込んだシュバインシュタイガー選手から、右サイドを走り上がってきたミュラー選手にパス。ミュラー選手は落ち着いて、GKジェームス選手の右側を打ち抜きました。
 ほぼ正面のシュートでしたが、左側に倒れ込みながらの守備であったジェームス選手は、このシュートに反応することが出来ず、僅かに触るのが精一杯でした。
 2点目のポドルスキー選手のシュートと共に、3点目のミュラー選手のシュートも「狭いサイド」に打って行ったものだったのです。とても正確で強いシュートでした。

 3-1とドイツチームが2点をリードしました。
 それも、イングランドチームのドイツゴール前でのチャンスから一転、2人のプレーヤーによるカウンター攻撃によってゴールを許してしてしまったイングランドチームにとっては、本当に痛い失点となりました。

 これで試合の帰趨は、大きくドイツチームに傾いたのです。

 その僅か3分後、再びドイツゴール前でのイングランドチームの攻めから、こぼれたボールが左サイドのエジル選手にパスされました。
 エジル選手が突進します。素晴らしいスピードのドリブル。

 そしてイングランドペナルティーエリア手前で、右サイドから走り込んできたミュラー選手にパス。
 ミュラー選手は右足でシュート。イングランドゴール右サイドに突き刺さりました。

 再びのカウンター攻撃、21歳のエジル選手、20歳のミュラー選手による、見事な得点でした。
 トーマス・ミュラー選手は、変幻自在の位置取りから高い得点力を誇るMFです。
 この大会でも5得点を挙げて、得点王に輝いています。
 得点感覚に極めて秀でたプレーヤーなのです。

 4-1となって、ゲームは決しました。

 「90分間では勝負はつかない」と言われた両チームにとっては、とても意外な結果でした。

 しかし、私はやはり、あのランパード選手のゴールが「認められていれば」、このゲームは大接戦になっていたと考えています。

 1966年のワールドカップ決勝における、ハースト選手の「疑惑のゴール」とは異なり、こちらは明らかなゴールでした。それが、審判から観えなかったという理由、もちろんそれが絶対的な理由、つまり「ゴールとは審判がゴールインを宣した時に成立する」というルールに則った結果であったのです。

 この「事件」が、後のVAR導入に向けての大きな要因になったのではないかと考えています。

 それにしても、いつ観てもとても楽しめる録画です。
 ランパード選手、ジェラート選手、ルーニー選手が動き回り、その間をエジル選手やシュバインシュタイガー選手、ミュラー選手、ケディラ選手らが走り回る「絵」。

 サッカー競技の本質を感じさせる、力強く華やかで、美しいシーンの連続なのです。
 5月5日の子供の日、J1ヴィッセル神戸のイニエスタ選手がオンライントークショーを開催したと報じられました。
 新型コロナウイルス禍の中での取組なのでしょう。

 抽選で当選した子供たちから質問を受け、イニエスタ選手が答える形でした。

 「イニエスタ選手はどうしてパスが上手なのですか?」

 「パスの練習を沢山やったから。それから、簡単なパスでもしっかりやることを心掛けている」

 「試合の間何を考えていますか?」

 「数秒の間にいろいろ考えていかなければならない。集中を保つことを心掛けている」

 「もし生まれ変わったら?」

 「自分はサッカーが好きで仕方がないので、またサッカー選手になりたい。次は、センターバックをやってみたい」

 といったやり取りがありました。

 イニエスタ選手は、子供たちの問いに答えているのですけれども、その言葉はとても深い。
 誰にでも分かることですが、その回答は、高校・大学のプレーヤー、Jリーグのプレーヤー、いや全てのサッカープレーヤーにも通じるものでしょう。

 どんなパスでもしっかり行うことを心掛ける、という言葉は、全てのスポーツに共通する大切な考え方だと感じます。

 素晴らしいイベントをありがとうございました。
 5月10日、東京競馬場芝1,600mコースで開催される、第25回NHKマイルカップ競走G1の注目馬検討です。

 今年も18頭が出走します。
 そして、今年も良いメンバーが揃いました。

 注目されるのは「牝馬陣」でしょう。
 桜花賞2着からオークスに行かずマイル路線を選択したレシステンシア、ファルコンステークスG3で牡馬相手に快勝したシャインガーネット、アーリントンカップG3で2着に食い込んだギルデッドミラー、同じく4着のボンオムトゥックと4頭が挑戦しています。
 とても強力でしょう。

 また、前走を快勝してきたサラブレッドも居ます。
 アーリントンカップを快勝したタイセイビジョン。
 ニュージーランドトロフィーG2を制したルフトシュトローム。
 毎日杯G3の覇者サトノインプレッサ。
 前述のシャインガーネット。

 そして無敗馬も居ます。
 ルフトシュトロームとサトノインプレッサです。

 どの角度からレースを検討するかによって、様々な結論が出てきそうな、とても興味深いレースなのです。

 さて、注目馬です。

 第一の注目馬は、1枠2番のタイセイビジョン。
 ここまで5戦3勝・2着2回。2歳王者決定戦・朝日杯FSで2着、重賞2勝という実績は、ここでも最上位でしょう。前走アーリントンカップも快勝でした。我が国におけるタートルボウルの代表産駒となるかもしれません。

 第二の注目馬は、2枠3番のレシステンシア。
 2歳女王決定戦・阪神JFの走りは圧巻でしたし、レコード勝ちですから当然ですが、時計も優秀でした。桜花賞は「重」が堪えたと観ています。ここでも勝ち負けの競馬を魅せてくれることでしょう。

 第三の注目馬は、7枠14番のルフトシュトローム。
 前走NZTを勝っての3連勝。マイルのスペシャリストとして、早くも地力を示しつつあります。しっかりとした末脚に期待しています。

 今回は、以上の3頭に注目します。

 多士彩々の3歳マイル路線。
 素晴らしいレースを魅せてくれることでしょう。


 5月7日、アメリカ合衆国のスポーツ専門チャンネルESPNが、NBAの新型コロナウイルス関連記事を報じました。

 5月8日に、NBA全選手参加型の全体会議が開催されることが伝えられ、同日から一定の条件を満たした地域での練習施設の使用が再開されるというものです。

 新型コロナウイルス禍のために、練習することがままならない、それも世界最高のプロバスケットボールリーグであるNBAにおいてでさえ、という「悲惨な」状況に対して、NBAとしても一刻も早く、全体の状況を良い方向に向かわせていこうとする動きのひとつなのでしょう。

 その力を持ってすれば、ことバスケットボールに関してならば「出来ないことは無い」筈のNBAをも、これ程に拘束する新しい感染症は、様々な意味でとても怖ろしいものです。

 ちなみに5月8日から個人トレーニングを前提とした施設の利用開始が可能になるのは、ポートランド・トレイルブレイザーズ(オレゴン州)、デンバー・ナゲッツ(コロラド州)、クリーブランド・キャバリアーズ(フロリダ州)の3チーム。
 当初対応可能と見られていたヒューストン・ロケッツ(テキサス州)は、州知事の指示により5月18日までジムなどの使用が認められず、再考となったとのこと。

 全30チームの内の3チームしか利用開始できないにもかかわらず、これ程までに急ぐのは、NBAの「強い危機感」を示しているように感じられます。

 さらに、施設使用再開に向けての「NBA独自の基準」が、凄い内容です。

① 施設などで選手やスタッフが保たなければならないソーシャルディスタンス(社会的距離)は12フィート(3.66m)。これはアメリカ政府が求めている6フィート(1.83m)の2倍です。
 実際のところ、練習場内で他の人と4m近くの距離を保ち続けるのは、相当大変でしょう。

② 本拠地以外の都市圏から戻ってきた選手は自主検疫を行わなくてはならない。
 アメリカでは、個人が医師の指示も無くPCR検査をおこなうことができるのかどうかも知りませんが、都度のことですから、とても大変でしょう。

③ ボールなどの用具は、使用の都度、全て消毒する。
 選手がやるのか、スタッフがやるのか。いずれにしても、使用した道具の全てをアルコールなどで消毒するのは大変でしょう。

④ タオルはシェアせず、サウナ、浴槽、酸素室などの使用は禁止。
⑤ 携帯電話、鍵などのよく触れるものは、施設に入るたびに消毒。
⑥ ウエイト・トレーニング室、練習用コートなどを同時に使用できるのは4人まで。
⑦ チーム練習は、当面不可。
⑧ 個人練習に、監督やコーチの立合いは不可。
⑨ 施設内では、全員マスク着用。(練習の時の選手だけはマスクを外して良い)
⑩ スタッフは、マスクだけでなく手袋も着用。

 等々のルールが「義務付けられて」います。

 ようやく練習ができるようになった3チームの選手達には、これだけの義務が課せられているのです。
 逆に言えば、選手達に、これ程厳しいルールを課しても、NBAは「個人練習を再開したかった」ということになるのでしょうか。
 練習再開に対しての選手達からの要望も、本当に強かったのでしょう。
 NBAの「覚悟」さえ感じさせます。

 新型コロナウイルス感染拡大に対抗して、スポーツを再開して行くことの難易度の高さを明示している、NBAの取組です。
 ワクチンや治療薬が整備されていない段階での、この戦いは、もの凄く難しく、困難なのです。

 我が国の各スポーツの練習等の早期再開に向けても、このレベルの取組実施が必要ということなのかもしれません。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが中止・延期に追い込まれている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回は、ユーロ2012ポーランド・ウクライナ共催大会のグループリーグD組の一戦です。

[2012年6月11日・ドンバスアレナ(ドネツク・ウクライナ)]
イングランド1-1フランス

 共に、ワールドカップ2010で思うような成績を残せなかったイングランド代表チームとフランス代表チームが、ユーロ2012における復活を目指して、グループリーグGLの緒戦で激突したゲームです。

[フランスチームの先発メンバー]
1. GKロリス選手
2. DFメクセス選手
3. ラミ選手
4. エブラ選手
5. ドゥビッシ選手
6. MFディアッラ選手
7. マルダ選手
8. キャバイエ選手
9. リベリ選手
10. ナスリ選手
11. FWベンゼマ選手

[イングランドチームの先発メンバー]
1. GKハート選手
2. DFテリー選手
3. レスコット選手
4. アシュリー・コール選手
5. ジョンソン選手
6. MFジェラード選手
7. パーカー選手
8. チェンバレン選手
9. ミルナー選手
10. FWヤング選手
11. ウェルベック選手

 フランス代表チームを立て直したと言われたローラン・ブラン監督としては、センターバックにアディル・ラミ選手とフィリップ・メクセス選手、中盤にはフランク・リベリ選手、サミル・ナスリ選手、フロラン・マルダ選手らを揃えましたから、満足出来る布陣だったことでしょう。

 一方のイングランド代表チームは、攻撃の核ウェイン・ルーニー選手を出場停止で欠き、22歳のダニー・ウェルベック選手をワントップに据え、中盤左には19歳のアレックス・オクスロイド・チェンバレン選手を配するなど、若手を積極的に起用した、ロイ・ホジソン監督苦心の采配でした。

 結果として、戦前の予想ではフランスチームが有利という見方が多かったと思います。

 0-0で迎えた前半29分、イングランドは右サイドからのフリーキックFKを得ました。
 蹴るのはもちろん、スティーブン・ジェラード選手。

 ゴール前に綺麗な飛行線を描いたボールが飛び、走り込んだレスコット選手がヘディングシュート。これがゴール左側に決まりました。
 イングランドチームの先制ゴール。

 ゴール前での競り合いに勝ったレスコット選手の素晴らしいシュートでした。
 得点力不足と言われていたイングランドにとっては貴重な先制点であったと思います。

 この直後に、今度はフランスチームが左サイドからのFKを得ました。
 蹴るのはナスリ選手。
 こちらはやや低く速いボールとなってゴール正面に居たディアッラ選手がヘディングシュート。強烈なシュートでしたがGKハート選手が弾き、左に飛んだボールをリベリ選手が頭で折り返して、再びディアッラ選手がヘディングシュート。
 このシュートはゴール左外に外れました。

 最初のシュートがGKハート選手の正面に、あまりに正面に飛んでしまったために、ハート選手に反応されたのですが、それにしても強烈なシュートでしたので、ハート選手が良く止めたというところでしょう。

 この後、先制を許したフランスチームの攻勢が続きました。

 そして前半39分、イングランドペナルティエリアを包囲したフランス攻撃陣のパス回しが実りました。
 マルダ選手が左サイドを抉りエブラ選手にパス、エブラ選手からペナルティエリア内のリベリ選手にパス、リベリ選手はペナルティエリア外に居たナスリ選手にパス、ナスリ選手がミドルシュートを放ちました。
 低く強烈なシュートがイングランドゴール左隅を襲い、GKハート選手が横っ飛びを見せましたが届かず、ゴールインしました。
 ナスリ選手の素晴らしいシュートでした。

 フランスチームが1-1の同点に持ち込んだのです。
 イングランドチームの先制点から10分後の同点ショーでした。

 前半は1-1で折り返しました。
 フランスはパス回しから、イングランドはセットプレーから、という共に持ち味を活かした「らしい」ゴールでした。
 
 後半になっても、フランスチームの攻勢が続き、イングランドチームは良く守って、数少ないチャンスに賭ける、という展開が続きましたが、両チームに得点が生れることはありませんでした。

 ゲームは1-1のまま終了。

 試合を支配していた印象のフランスにとっては、勝ち切れなかったゲームでしょうし、イングランドにとっては大切な勝ち点1を確保したゲームとなりました。
 
 共に、大会諸戦としてはまずまずの結果ということになるのでしょう。

 強豪国同士のユーロGL緒戦「らしい」、重厚で丁寧なゲームでした。
 スティッフェリオとフィエールマンの競り合いは、見応え十分でした。

 ゴール前100mでは、「届かない」ように観え、ゴール前30mでもスティッフェリオが明らかにリードしていました。
 ところが、ゴール前10mからフィエールマンがどんどん追込み、ゴール寸前で捉えた形です。

 フィエールマンは、天皇賞(春)2019においてもグローリーヴェイズと追い合って、クビ差先着しています。
 長距離戦におけるゴール前の勝負強さを、2年連続で示してくれたのです。
 
 天皇賞(春)を連破した、史上5頭目(メジロマックイーン、テイエムオペラオー、フェノーメノ、キタサンブラック、フィエールマン)のサラブレッドですけれども、フィエールマン程「僅差」での連覇は、史上初めてでしょう。

 もちろん、この接戦はスティッフェリオの健闘から生まれたことは間違いありません。

 レース後のインタビューで、クリストフ・ルメール騎手は「(4コーナーで)楽勝だと思った」とコメントしました。十分に余力を残して、最後の直線に臨むことが出来たのでしょう。
 私もレースを観ていて、4角から直線にかけて、フィエールマンが前の馬にぶつかりそうになりながら左に交わして、追い出しにかかった時、「フィエールマンの勝ち」に観えました。
 ところが、スティッフェリオがとても良い二の足を使ったのです。
 今後のスティッフェリオのG1路線における活躍が、とても楽しみです。

 クリストフ・ルメール騎手といえば、これで天皇賞4連勝という、こちらも大記録を樹立しました。

① 2018年10月28日 第158回 天皇賞(秋) レイデオロ
② 2019年4月28日 第159回 天皇賞(春) フィエールマン
③ 2019年10月27日 第160回 天皇賞(秋) アーモンドアイ
④ 2020年5月3日 第161回 天皇賞(春) フィエールマン

 の4連勝。
 第158回から161回までの天皇賞の鞍上は、全てC.ルメール騎手なのです。
 空前の大記録。

 第161回天皇賞(春)は、記録ずくめのレースとなりました。

 その記録達成が、ゴール寸前で決まったことが、本当に凄いところなのでしょう。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが中止・延期に追い込まれている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回は、ユーロ2012ポーランド・ウクライナ共催大会のグループリーグB組の一戦です。

[2012年6月13日・ニューリビフスタジアム(ウクライナ)]
ポルトガル3-2デンマーク

 どの大会でも、グループリーグGLにおいて「死の組」と呼ばれるグループが登場するのですが、ユーロ2012においてはB組がそれでした。
 ドイツ、オランダ、ポルトガル、デンマークが同組になってしまったのです。
 もちろん、決勝トーナメントTに進出できるのは2チームだけですから、どのチームにとっても全く気の抜けないゲームが続きました。

 こうした組分けになってしまうと、大会前には、まずデンマークが脱落し、残る3チーム、ドイツ、オランダ、ポルトガルの争いという見方も多かったのですが、当然ながら、ユーロ1992優勝のデンマークチームもとても強く、グループBの混戦に拍車をかけたのです。

[デンマークチームの先発メンバー]
1. GKアンデルセン選手
2. DFアッガー選手
3. ケアー選手
4. シモン・ポウルセン選手
5. ヤコブセン選手
6. MFジムリング選手
7. クビスト選手
8. クローン・デリ選手
9. エリクセン選手
10. ロンメダル選手
11. FWベントナー選手

[ポルトガルチームの先発メンバー]
1. GKパトリシオ選手
2. DFペペ選手
3. ブルノ・アウベス選手
4. コエントラン選手
5. ペレイラ選手
6. MFミゲウ・ベローゾ選手
7. モウチーニョ選手
8. ラウル・メイレレス選手
9. FWクリスティアーノ・ロナウド選手
10. ナニ選手
11. ポスチガ選手

 攻撃力ならば、「大砲」クリスティアーノ・ロナウド選手を擁するポルトガルチームが1枚上と見がちですが、どうしてどうして、デンマークチームのワントップ、ニクラス・ベントナー選手の破壊力は凄まじいものです。

 身長193cmという大型フォワードFWでありながら、技術面、特に球際の競り合いには絶対の強さを持っていますから、ゴール前での得点力は抜群。
 デンマークチームとしては、ポルトガルチームの攻撃を凌ぎながら、「ベントナー選手にボールを集める」というシンプルなプレーで、十分に世界中の強豪チームと戦える力を備えていたことになります。

 ポルトガルの優勢が伝えられていたゲームでしたが、入りは互角であったと思います。
 両チーム共、持ち味を活かしたプレーを披露したのです。

 そして、前半20分を過ぎた頃からポルトガルの攻撃が目立ち始めました。
 フリーキックFKからコーナーキックCKと、セットプレーが続きます。

 前半24分、ポルトガルチーム左サイドからのCK。蹴るのはモウチーニョ選手。
 ニアサイドに速く低いボールが飛び、走り込んできたペペ選手がヘディングシュート。
 角度の無いところからのシュートでしたが、これが見事にゴールに吸い込まれました。

 ペペ選手にとっては快心のシュートだったのでしょう。
 空中で振り返り、ボールの行方を観続け、ゴールインを目に焼き付けていました。

 ポルトガルチームが1-0とリードしたのです。

 ポルトガルチームに一層の勢いが生れたのは、自然なことでしょう。
 攻勢が続きます。

 前半35分、ペナルティエリア直ぐ外のナニ選手から、ゴール前のポスチガ選手にセンタリング。低く正確なセンタリングでした。
 これをポスチガ選手が、ダイレクトシュート。ゴール右上に突き刺さりました。
 ファインゴール。

 このゲームのポスチガ選手は、度々チャンスシーンを創出していましたが、ついに得点を挙げたのです。

 ポルトガルチームが2-0とリードしたのです。

 クリスティアーノ・ロナウド選手に、デンマークディフェンスDFが集まる状況下、ナニ選手やポスチガ選手が縦横無尽に走るプレーが、得点を生んでいるのですから、良い攻撃になるわけです。
 ポルトガルの一方的なゲームになるように観えました。

 ところが、欧州選手権大会のゲームはそう簡単には行かないのです。

 後半40分、デンマークチームのヤコブセン選手が中央に持ち込み、ゴール左側に居たクローン・デリ選手にクロスを挙げます。これをデリ選手がヘディングでゴール前に折返し、走り込んだベントナー選手がヘッドで押し込みました。
 ポルトガルチームのディフェンスを完全に崩してのファインゴール。

 長身のベントナー選手が、頭に当てただけの「簡単に見える」ゴールでした。

 ゲームは俄然「接戦」となったのです。

 前半は、ポルトガルが2-1とリードして折り返しました。

 ポルトガルチームの、コエントラン選手やペペ選手からの配球と、ナニ選手、ポスチガ選手、クリロナ選手の破壊力十分な攻撃と、デンマークチームのベントナー選手を活かすためにしっかり準備された戦法が、印象的な前半でした。

 後半も、ポルトガルチームが攻めデンマークチームが守るシーンが多かったのですが、デンマークはクリスティアーノ・ロナウド選手への徹底マークと、ゴール前の身を挺した守備で、得点を許さず、30分を過ぎました。

 そして後半35分、デンマークチームは右サイドからヤコブセン選手がドリブルで上がり、ゴール前のベントナー選手にクロス。
 ゴール前左サイドに居たベントナー選手は、これをヘディングシュートで決めました。
 「ベントナー選手にボールを集める」戦法は、ポルトガルチームにも解っている筈なのですが、それでもゴールを決めてしまうベントナー選手の得点能力の髙さには、驚かされるばかりです。

 2-2の同点となりました。

 この後もポルトガルチームが攻めに攻めますが、デンマークゴール前でのクリスティアーノ・ロナウド選手へのマークは徹底していて、得点には結びつきません。

 後半も40分を過ぎ、このまま引分けかに見えた42分。
 コエントラン選手が左サイドを駆け上がりセンタリング。これは真ん中にいたクリスティアーノ・ロナウド選手に向けたものであろうと思いますが、ボールは隣にいたバレラ選手に渡りました。一度はタイミングが合わず空振りしたバレラ選手でしたが、振り向きざまに右足でシュート。ゴール右端に叩き込みました。
 デンマークディフェンスの厚い壁を、ついに打ち抜いたのです。

 ゲームはこのまま、3-2でポルトガルチームが制しました。

 「死の組」を戦って行かなければならないポルトガル代表は、貴重な勝点3を得たのです。

 もちろん、デンマーク代表の地力が示されたゲームでもあったと感じます。
 ユーロ優勝経験チームは、やはり強いのです。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
「スポーツを考える-KaZ」ブログへ
ようこそ!
我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

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