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 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新しいスポーツイベントの開催数が激減している時期には、「古きを訪ねて新しきを知る」温故知新が大切なのかもしれません。
 私も、様々なスポーツで「復習」してみようと思います。

 今回は、1980年代の男子プロテニス界を席巻した、イワン・レンドル選手です。

 チェコスロバキア出身のレンドル選手は、ジミー・コナーズ選手、ビョルン・ボルグ選手、ジョン・マッケンロー選手といった、男子プロテニス史にその名を刻む素晴らしいプレーヤーが大活躍していた時代に、当時の共産主義国家から彗星のように現れ、圧倒的な強さを魅せました。

 1981年の全仏オープン大会決勝(レンドル選手自身の初のグランドスラム決勝進出でした)において、ビョルン・ボルグ選手と戦い、フルセットの末敗れました。
 当時、クレーコートの全仏で圧倒的な強さを魅せていたボルグ選手(この大会を制して「大会4連覇」を達成しています)をあと一歩まで追い詰めたプレー振りは、世界中のテニスファンに強い印象を残しました。

 その後の活躍は凄まじいもので、ATPツアーのシングルス優勝回数94は歴代4位、同シングルスマッチ勝利数1,071は歴代3位と報じられています。
 全盛時には「ほとんど負けなかった」印象が有ります。(1985~87年は、3年連続勝率90%越えというミラクルな成績を残しています)

 もちろんグランドスラムのシングルスにおいても、全米オープン3回、全仏オープン3回、全豪オープン2回の計8回の優勝を誇っています。
 しかし、不思議なことに全英・ウィンブルドンだけは準優勝2回に止まったのです。
 1980年代終盤、「レンドルは全英に勝てないのか」というテーマが話題になったほどです。

 実は、そのATPツアーにおける圧倒的な強さの一方で、グランドスラム大会決勝での勝率の低さ(8勝11敗)から、精神面の弱さが指摘されていたのです。
 これが事実かどうかについては、私には分かりません。個人的な意見ならば、そんなことはなかったのではないかと感じています。

 レンドル選手が登場した時、そのフラットなショット、強烈なストロークが強烈でした。トップスピン球質が全盛を迎えようとしていた時代に、とても新鮮な印象さえ与えたのです。(もちろんレンドル選手もトップスピンを打ちました)
 そして、「片手打ちのバックハンド」も素晴らしい威力でした。「両手打ち」の選手が多かった時代に、フォアもバックも片手で打ち、その威力は両手打ちのプレーヤーに勝るとも劣らなかったのです。
 更には、そのサーブも超弩級でした。

 力みの無い美しいフォームから、あらゆるショットを世界最高レベルで繰り出すことが出来たイワン・レンドル選手が、長く世界NO.1を占めていたのは当然のことなのでしょう。

 11年連続グランドスラム決勝進出、8年連続全米オープン決勝進出といった数々の記録は、レンドル選手の強さと極めて高いレベルでの安定感を如実に示しています。

 男子プロテニス界の巨星イワン・レンドル選手のキャリアに唯一欠けているのは、「ウィンブルドン・男子シングルス優勝」なのです。
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