FC2ブログ
HOME   »  2020年06月
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 シーズン開幕9試合を終えて、千葉ロッテが走っています。

 オリックスとの6連戦を6連勝としての8連勝、8勝1敗でパ・リーグの首位に立っているのです。

[6月20日・PayPayドーム]
ロッテ3-2ソフトバンク

[6月21日・PayPayドーム]
ロッテ5-1ソフトバンク

[6月23日・ZOZOマリンスタジアム]
ロッテ6-5オリックス

[6月24日・ZOZOマリンスタジアム]
ロッテ6-4オリックス

[6月25日・ZOZOマリンスタジアム]
ロッテ5-0オリックス

[6月26日・ZOZOマリンスタジアム]
ロッテ6-5オリックス

[6月27日・ZOZOマリンスタジアム]
ロッテ2-1オリックス

[6月28日・ZOZOマリンスタジアム]
ロッテ6-5オリックス

 以上が8連勝です。

 ひと目観て「接戦に強い」ことが分かります。
 5試合が1点差ゲームなのです。

 ポイントとなったのは、6月20日の対ソフトバンクの8回表の攻撃ではないでしょうか。
 2アウトランナー1・3塁から、ソフトバンクの松本投手のワイルドピッチで2-1と勝ち越し、続くレアード選手がセンター前にタイムリーヒットを放って3-1とリードを広げました。
 このリードをジャクソン投手→益田投手と繋いで守り切っての、今シーズン初勝利でした。
 この後、ロッテマリーンズの「投打のバランスが絶妙」になったのでしょう。

 6月23日のゲームは、9回裏2点を挙げての逆転サヨナラ勝ち。
 6月24日のゲームは、3回裏に逆転し、小野投手、チェン投手、グァンユウ投手、ハーマン投手→益田投手の完封リレーで勝ち切りました。
 6月26日のゲームは、8回裏にマーティン選手、中村選手、藤岡選手の連続タイムリーで4点を奪っての逆転勝ち。
 6月27日のゲームは、延長10回裏に佐藤選手のタイムリーヒットでサヨナラ勝ち。
 6月28日のゲームは、5-5の同点から8回裏、レアード選手のソロホームランで勝ち越し、ジャクソン投手が反撃を断ちました。レアード選手は、早くも5号です。

 どのゲームも、どちらのチームが勝ってもおかしくない内容であったと思います。
 そうしたゲームを勝ち抜いているところに、今のマリーンズの強さを感じるのです。

 今シーズンは、新型コロナウイルス禍のために、ペナントレースの日程が大きく変更となり、「交流戦」も実施されません。
 その「交流戦」は2005年に開始されましたが、第1回の優勝チームは千葉ロッテマリーンズでした。
 
 「リーグ全チームが挑む6連戦」も今シーズン=歴史的な2020年シーズン独特の取組でしょう。

 ひょっとすると、ロッテマリーンズは「新しい企画に強い」チームなのかもしれないと、感じています。

スポンサーサイト



 第61回宝塚記念は、4歳牝馬クロノジェネシスの圧勝でした。
 2着キセキに「6馬身差」というのは、想像を遥かに超える強さでしょう。

[6月28日・阪神競馬場]
1着 クロノジェネシス 2分13秒5
2着 キセキ 6馬身差
3着 モズペッロ 5馬身差
4着 サートゥルナーリア 1・3/4馬身差
5着 メイショウテンゲン クビ差

 サートゥルナーリアとラッキーライラックの争いが予想されたレースでしたが、クロノジェネシスの人気も高く、締め切り時点では2番人気になっていました。
 
 馬体重は+10kgの464kgとなっていましたけれども、500㎏を超える強力な牡馬陣を相手にしては、やや荷が重いかと思われました。
 しかし、直線に出て、ラッキーライラックと少し競った後は「独走」でした。
 やや重馬場とは思えないような、綺麗なギャロップでした。

 レース前に再び雨が降ったと報じられましたが、思ったより重い馬場だったのでしょうし、各馬の馬場状態への巧拙が、はっきりと出たレースでもあったのでしょう。

 グローリーヴェイズは「行き脚」が悪く、向う正面から追い詰めでした。最後はブービーに終わっています。
 ラッキーライラックも、最後の直線でズルズルと後退してしまいました。
 サートゥルナーリアは、意地を見せましたけれども4着止まりでした。

 このレースの走りを観ると、たとえ良馬場であってもクロノジェネシスは勝ち負けの競馬は出来たであろうと思いますが、馬場状態の為に大きな差が付いたのであろうとも思います。
 2着に入ったキセキも、おそらくは「重巧者」です。3着馬に5馬身差を付けているのですから。

 「重巧者」あるいは「道悪巧者」という言葉は、21世紀になってからは、あまり聞かれなくなりました。
 馬場の芝が良くなったこともあってか、全体として良い馬場での開催機会が増えたのかもしれないと感じます。

 20世紀においては、道悪に滅法強い馬が何時の時代にも居て、各種のレースをとても面白いものにしてくれました。

 直ぐに思い出すのは1980年の天皇賞(秋)です。
 この頃、天皇賞(秋)は3,200mでしたが、このレースではプリティキャストが「大逃げ」を打ち、そのまま逃げ切ったのです。
 少なくとも私が観た八大競走・G1レースにおいて、あれ程の「大逃げ」は空前絶後でした。
 一時は、2番手の馬に100m前後の差を付けていたでしょう。
 
 このレースは重馬場でした。
 そして「重巧者」(私はそう考えています)の5歳牝馬・プリティキャストは、カツラノハイセイコやホウヨウボーイといった強い牡馬を倒したのです。
 一世一代の走りでした。

 もちろん21世紀においても、道悪上手・下手の馬は居るのでしょうから、そうした情報と気象情報を良く突合して、レースを予想することが必要なのでしょう。
 
 「重巧者」という言葉・概念を思い出させてくれた、クロノジェネシスの快走でした。
 温故知新2020の男子水球編です。

 水球競技も、他の多くの競技と同様に、イギリスで生まれました。
 1870年、イングランドのメトロポリタン水泳協会が「水中フットボール」の名でルールを制定したのが水球競技の起源とされ、1888年、アマチュア水泳連盟によって現行に近い水球競技規則が制定されて、イングランドやスコットランドで本格的に行われるようになったと伝えられています。

 どのスポーツにおいても、「19世紀の産業革命による社会全体の生産性向上」と、それに伴って「人々の生活に余裕が生まれた」ことが、各種スポーツの発祥と発展に大きく寄与したことが分かります。

 何より、1896年に近代オリンピック第1回アテネ大会が開催されたことが象徴的な出来事なのでしょう。

 さて、今回も1960年ローマ大会から、各大会のメダル獲得チームを観て行きましょう。

・ローマ1960 金・イタリア、銀・ソビエト、銅・ハンガリー
・東京1964 金・ハンガリー、銀・ユーゴスラビア、銅・ソビエト
・メキシコシティ1968 金・ユーゴスラビア、銀・ソビエト、銅・ハンガリー
・ミュンヘン1972 金・ソビエト、銀・ハンガリー、銅・アメリカ
・モントリオール1976 金・ハンガリー、銀・イタリア、銅・オランダ
・モスクワ1980 金・ソビエト、銀・ユーゴスラビア、銅・ハンガリー
・ロサンゼルス1984 金・ユーゴスラビア、銀・アメリカ、銅・西ドイツ
・ソウル1988 金・ユーゴスラビア、銀・アメリカ、銅・ソビエト
・バルセロナ1992 金・イタリア、銀・スペイン、銅・EUN
・アトランタ1996 金・スペイン、銀・クロアチア、銅・イタリア
・シドニー2000 金・ハンガリー、銀・ロシア、銅・ユーゴスラビア
・アテネ2004 金・ハンガリー、銀・セルビア・モンテネグロ、銅・ロシア
・北京2008 金・ハンガリー、銀・アメリカ、銅・セルビア
・ロンドン2012 金・クロアチア、銀・イタリア、銅・セルビア
・リオデジャネイロ2016 金・セルビア、銀・クロアチア、銅・イタリア

 15回の大会を観てくると、まず、ハンガリーチームの強さが目立ちます。
 メルボルン1956以前の5大会で4度金メダルを獲得しているハンガリーチームですが、ローマ1960以降も強さを示し、シドニー2000から北京2008にかけての3連覇を始めとして、安定した強さを魅せてきました。

 続いては、ユーゴスラビアチーム(セルビア・モンテネグロチームからセルビアチームに至る歴史と伝統があるのでしょう)も、常にオリンピックのメダルを争ってきました。

 さらには、ソビエトチーム→ロシアチームも強さを魅せてきました。

 加えて、イタリアチームもローマ1960で金、モントリオール1976で銀、バルセロナ1992で金、アトランタ1996で銅、ロンドン2012で銀、リオ2016で銅と、「水球強豪国」としての伝統は素晴らしいものです。

 水球競技は、「強い国・チームが継続して強い」傾向がありますので、戦法・戦術や、選手育成方法等についての「ノウハウの蓄積」の影響が、とても大きな種目なのであろうと考えています。
 おそらくは、その「ノウハウの蓄積」は、チーム毎に相当異なるもの、チーム毎の「秘中の秘」なのではないでしょうか。

 ロンドン2012とリオデジャネイロ2016は、クロアチア、セルビア、イタリアの3チームがメダルを分け合いました。
 東京2021においても、この3チームの争いになるのか、他のチームの進出があるのか、興味深いところです。

 「プロ野球の在る日常」が帰ってきて約1週間。
 素晴らしいプレーが随所に観られます。

[6月27日・メットライフスタジアム]
西武8-7ソフトバンク

 パ・リーグの今シーズンの手法である「6連戦」の第5戦。
 近時のパ・リーグを牽引する両チームのゲームは、見所満載でした。

 ソフトバンクが先行し、3回表までに7-2とリードした時には、大勝のムードさえ漂いましたが、その裏西武が3点を返して5-7と迫り、ゲームは一気に接戦となりました。
 「次の1点」が重い試合となったのです。

 そして7回裏、ソフトバンクのマウンドにはセットアッパーの切り札・岩嵜翔投手。
 力の有る球を投ずる好投手です。

 2アウトから、源田壮亮選手と外崎修太選手が連続ヒットでランナー1・3塁。
 迎えるバッターは、大砲・山川穂高選手。
 
 その初球、真ん中やや低めのストレートであったと思いますが、山川選手がこれを思い切り叩きました。
 「ゴツン」という、ロングヒッターならではのインパクトから打球はライナーでバックスクリーン方向に飛び、深々とフェンスを越えて飛び込みました。逆転3ランホームラン。

 岩嵜投手としては、甘いコースに投げ込んだことが悔やまれる一投でしょうが、それを完璧に捕えた山川選手のバッティングを湛えるべきシーンでしょう。
 本当に、凄まじい打球でした。

 西武の背番号「3」・山川穂高の面目躍如たる打撃でした。

 ベンチ前での「どすこい」の格好良いこと・・・。

 今シーズンの第4号です。
 中村剛也選手の今期初ホームランとも飛び出しましたから、西武打線全開というところでしょうか。

 本当に面白い「ルーズベルト・ゲーム」でした。
 好投手が思い切り投げ込み、好打者が思い切り打つ、「野球そのもの」を魅せていただきました。
 温故知新2020競泳編その6です。

 競泳編ではこれまで、太平洋戦争前後の日本男子チームの活躍にスポットライトを当てて、書いてきました。
 一方で、日本女子チームは男子と比べると大活躍とは言えないかもしれません。
 そもそも、1920年代・30年代頃の日本女子の水泳競技人口がどれくらいであったのか、について、私は知りません。おそらくは、現在と比べるととても少なかったのではないかと思っています。

 そうした中で、女子チームとして「伝統」の種目と言えるのが、女子200m平泳ぎなのでしょう。
 「前畑ガンバレ」で有名な前畑秀子選手から始まって、日本チームは活躍を続けてきたのです。

・ロサンゼルス1932 銀メダル・前畑秀子選手
・ベルリン1936 金メダル・前畑秀子選手
・バルセロナ1992 金メダル・岩崎恭子選手
・ロンドン2012 銀メダル・鈴木聡美選手
・リオデジャネイロ2016 金メダル・金籐理絵選手

 この種目における日本チームの活躍で特徴的なのは、「金メダリストが3名」も居ることです。
 もちろん、銀メダルや銅メダルも素晴らしい成績なのですが、「オリンピック・チャンピオン」の価値は、やはりとても高いものでしょう。
 日本女子チームは200m平泳ぎにおいて、3名のオリンピック・チャンピオンを生み出しているのです。

 「金メダリストを生む伝統」を構築していく中では、ベルリン1936からバルセロナ1992と繋いだ56年振りの金メダル、岩崎恭子選手の大活躍が、とても大きかったと感じます。

 いずれにしても、「200m平泳ぎ種目が日本女子に向いている」ことは歴史が証明しているように観えます。

 東京2021における日本チームの活躍が期待されます。

 6月28日、阪神競馬場芝2,200mコースで行われる、第61回宝塚記念競走G1の注目馬検討です。

 夏のグランプリレースに、今年も18頭が出走して来ました。
 とても良いメンバーが揃ったと感じます。

 宝塚記念のポイントのひとつは「2,200m」という距離でしょう。
 マイラーにとっては長いのです。
 かと言って、2,000mを得意とする馬にも、少し長いと感じます。
 とはいえ、ステイヤーには少し短いのでしょう。
 
 こうしたオールスター戦用の「微妙な距離」だと思います。

 さて、注目馬です。

 第1の注目馬は、2枠3番のグローリーヴェイズ。
 前走、香港ヴァーズG1(2,400m)では、ラッキーライラック以下に快勝しました。少し間が空きましたが、出て来る以上はキッチリと仕上げてくれるでしょう。もともと、レース間隔が長いタイプです。

 第2の注目馬は、3枠5番のサートゥルナーリア。
 前走、金鯱賞G2は快勝でした。天才肌のサラブレッドという感じがしますので、今回も、気持ち良く走れるかどうかがポイントでしょう。C.ルメール騎手の手腕に期待します。

 第3の注目馬は、6枠11番のラッキーライラック。
 前走、大阪杯G1は強い勝ち方でした。あまりにも「強い勝ち方過ぎ」という感じさえして、その反動が少し心配です。

 今回は、以上の3頭に期待します。

 多士彩々の良いレースが、とても楽しみです。
 新型コロナウイルス禍の影響で中断していた、イタリア・セリエAが6月20日に再開しました。
 まず、第25節の残りの4ゲームを20日~21日に行い、続いて第27節の全ゲームが22日~24日に行われました。

[6月21日・第25節・グヴィッススタジアム]
アタランタ4-1サッスオロ

[6月21日・第25節・スタディオジュゼッペメアッツァ]
インテル2-1サンプドリア

[6月22日・第27節・スタディオレナトダッラーラ]
ユベントス2-0ボローニャ

[6月24日・第27節・グヴィッススタジアム]
アタランタ3-2ラツィオ

[6月24日・第27節・スタディオオリンピコ]
ASローマ2-1サンプドリア

 リーグ戦上位チームのゲームを並べてみました。

 ユーベはアウェイでラツィオに快勝しました。クリスティアーノ・ロナウド選手の先制、パウロ・ディバラ選手(アルゼンチン)の追加点ゴールと、地に足の着いたゲームであったと感じます。

 2位のラツィオは、アタランタに惜敗しました。2-0とリードしてからの逆転負けでした。

 3位のインテルは、25節ではサンプドリアに競り勝ち、27節ではサッスオロと3-3の引分でした。
 なかなか勢いに乗れないというところでしょうか。

 8連覇中のユベントスが、空前の「9連覇」を目指しているセリエAですが、今シーズンはラツィオが良く食い下がっています。
 現在得点王の、チロ・インモービレ選手の益々の活躍が、大いに期待されるところでしょう。
 新型コロナウイルス禍の影響により中断されていた、2019~20年のイングランド・プレミアリーグが、6月19日に再開しました。
 第30節からの再開です。

 ドイツ・ブンデスリーガ、スペイン・リーガエスパニョーラに続いての再開です。
 前2リーグと同様に「無観客」での実施となっています。

[6月19日・第30節・トッテナムホットスパースタジアム]
トッテナム・ホットスパー1-1マンチェスター・ユナイテッド

[6月20日・第30節・ヴィカレージロードスタジアム]
ワトフォード1-1レスター・シティ

[6月21日・第30節・ヴィラパーク]
チェルシー2-1アストン・ヴィラ

[6月21日・第30節・グッディソンパーク]
エヴァートン0-0リバプール

[6月22日・第30節・エティハドスタジアム]
マンチェスター・シティ5-0バーンリーFC

 3月7日~3月9日に行われた第29節時点の上位チームのゲームを順に追いました。
 
 スパーズとマンUは引分けました。
 スティーブン・ベルフワイン選手(オランダ)のゴールで先制を許したマンUは、後半36分、ブルーノ・フェルナンデス選手(ポルトガル)のゴールで、良く追い付いた形です。

 逆にレスターは、後半45分に先制したものの、インジュリータイム・後半48分に追い付かれ、ドローとなりました。

 チェルシーは、アストン・ヴィラに先制されましたが、後半2ゴールを挙げて逆転勝ちしました。
 チェルシーの1点目は、FWクリスティアン・プリシッチ選手ですが、アメリカ出身です。
 珍しいと言っては、アメリカのサッカーファンに怒られてしまいそうです。

 独走中のリバプールはエヴァートンと0-0で引き分けました。
 南野拓実選手としては、出場ゲームを勝利で飾ることが出来ませんでした。

 シティは完勝でした。
 前半、フィル・フォーデン選手とリヤド・マフレズ選手(アルジェリア)の3得点で優位に立ち、後半もダビド・シルバ選手(スペイン)とフォーデン選手のこの試合2点目で突き離しました。
 「勢い」を感じさせるゲームでしょう。

 再開後最初の第30節を終えて、リバプールが勝点83でトップ、追いかけるシティは勝点63ですから、その差は「20点」もあります。
 ここまで来てしまうと、「リバプールのプレミア初優勝」が何時になるのか、というのが注目されるのでしょう。
[RBCヘリテージ大会・6月18日~21日・ハーバータウンGL(サウスカロライナ州)]
1位 ウェブ・シンプソン選手 262打・22アンダーパー
2位 アブラム・アンセル選手(メキシコ) 21アンダー
3位タイ ティレル・ハットン選手(イングランド) 20アンダー
3位タイ ダニエル・バーガー選手 20アンダー

 PGAツアー再開後の第2戦、RBCヘリテージトーナメントは、アメリカのウェブ・シンプソン選手がサンデーバック9の猛チャージによって逆転勝ちを収めました。
 最終ラウンドの7アンダーも見事ですが、何より、12番・13番・15番・16番・17番と、バック9における5つのバーディーが素晴らしい。
 今季2勝目となるシンプソン選手ですが、34歳と「脂の乗り切ったシーズン」を迎えていますから、今後の活躍が本当に楽しみです。

 林、池というハザードを巧みに配したコース(ピート・ダイ氏の設計)ですから、まずフェアウェイキープが求められる戦いでしたけれども、シンプソン選手の巧みなコースマネジメントが印象的でした。

 そうした中で、ベテランプレーヤーの戦い振りも眼に付きました。

 まずは、ベルンハルト・ランガー選手(ドイツ)です。
 62歳になったランガー選手は、既にPGAグランドチャンピオンズツアーの一員なのですが、一般?のPGAツアーにも敢然と挑戦しています。
 この大会でも、予選を通過し、4日間通算8アンダーの58位タイでホールアウトしました。
 1985年と1993年のマスターズトーナメントを制し、世界中で40勝以上の優勝を飾っている名選手ですが、余程「ゴルフトーナメントが好き」なのでしょうか。60歳を過ぎても、若手のプレーヤー達を相手に、一歩も引かぬプレーを披露しているのです。

 続いては、アーニー・エルス選手(南アフリカ)です。
 50歳になったエルス選手は、PGAチャンピオンズツアーにも参加していますが、やはり一般の?PGAツアーにも挑んでいます。
 この大会でも予選を通過し、4日間通算10アンダー、48位タイでホールアウトしました。
 1994年と1997年の全米オープン、2002年と2012年の全英オープンと、メジャーを4勝している名プレーヤーは、まだまだメジャートーナメントへの夢を持ち続けているように観えます。

 最後は、ビジェイ・シン選手(フィジー)です。
 57歳となったシン選手は、この大会は惜しくも予選落ち(2日間通算1アンダー)でした。
 2000年のマスターズと1998年・2004年の全米プロのメジャー3勝を誇る名ゴルファーです。
 もともと「練習の虫」として知られていますが、その「ゴルフ好き」は不変なのでしょう。
 今後もPGAツアーへの挑戦が続くと思います。

 こうした素晴らしいベテランプレーヤー達が、まだまだ頑張っているのです。

 そして、こうしたベテランプレーヤー達の活躍が、新型コロナウイルス禍からのゴルフ界の復興にとって、とても重要な役割を果たすのではないかと感じています。

 6月19日に開幕した、プロ野球2020年ペナントレースの、最初の3連戦の結果がでました。

[パ・リーグ]
・楽天 2勝1敗
・ロッテ 2勝1敗
・日本ハム 2勝1敗
・西武 1勝2敗
・ソフトバンク 1勝2敗
・オリックス 1勝2敗

[セ・リーグ]
・巨人 3勝
・広島 2勝1敗
・中日 2勝1敗
・DeNA 1勝2敗
・ヤクルト 1勝2敗
・阪神 3敗

 例年とは、何もかも異なる形でのシーズンインでしたから、当初の3連戦は「互角」の戦い、どのチームも2勝1敗か1勝2敗になるのではないかと予想していました。
 「手探り」状態の中で、概ね同じ成績になるのではないかと考えていたのです。

 ところが、巨人VS阪神のカードだけがスイープとなりました。

 この対戦は、緒戦が鍵でした。
 菅野投手と西投手の投手戦から、阪神が先制した時には、このまま阪神が押し切るのではないかと感じましたが、巨人が逆転して、辛くも勝ちました。
 このゲームを阪神が取っていれば、3連戦の様相は全く違うものになっていたのでしょう。
 巨人にとっては、本当に貴重な1勝であったと思います。

 その他のカードは、予想通り「互角」の内容でした。

 もちろん、阪神タイガースも含めて、ペナントレースは「これから」です。

 どの選手にも懸命のプレーを繰り広げていただき、どのゲームも見応え十分でした。

 そうした中ても、特に眼についたプレーヤーが3人居ました。

 第1は、オリックスの山本由伸投手。
 150km台の速球を主体に、相手打者を「押し込む」投球は迫力十分。マウンド上で、とても大きく見えました。2019年シーズンの「防御率王」の今季の活躍が楽しみです。

 第2は、広島の森下暢仁投手。
 ルーキーですが、丁寧で切れ味鋭い投球でした。チームが9回裏逆転を喫して、デビュー初勝利はお預けになってしまいましたが、カットボールやチェンジアップも安定していますから、今後の活躍が十分期待できます。

 第3は、ヤクルトのスコット・マクガフ投手。
 2019年シーズンからヤクルトスワローズのセットアッパーとして活躍していますが、今季も良い仕上がりを魅せました。
 「ベース付近での鋭い変化」が特徴の投手だと観ていますが、開幕戦、第2戦共に、持ち味が生きていました。
 いかにもプロらしい「独特の変化球」は、今シーズンも健在なのです。

 たまたま、投手ばかりになってしまいました。
 もちろん、打者でも、山田哲人選手や坂本勇人選手らが大活躍しましたけれども、これらのプレーヤーは、球団の、球界の、「看板選手」です。
 シーズンを通しての活躍が、期待されている選手達なのでしょう。

 それにしても、今更ながら、プロ野球の「面白さ」を満喫した3連戦でした。

 温故知新2020の陸上競技編その7です。

 円盤投げは、古代オリンピックでも実施されていたと言われている、人類にとって最もベーシックな競技のひとつです。
 古来から「円盤」を投げることが人類において一般的であったのかどうかは分かりませんが、ネアンデルタール人の遺跡においても円盤型の石が残されているとなると、狩りに使用していた可能性もあるのでしょう。

 近代オリンピック女子陸上競技においても、女子の種目として最も早く始められました。
 女子の円盤は1㎏です。

 高校時代に円盤投げを遊びで行っていた経験からすると、投げ出す瞬間の円盤の角度や、体の回転速度といった諸要素がぴったりと合うと、予想以上に飛びます。
 一方で、昨日はあんなに飛んだのに今日は全然上手く行かない、ということもありました。
 素人の遊びのことですが、おそらくは「とてもデリケートな競技」なのでしょう。

 世界トップクラスのプレーヤーとなれば、そうした諸要素も良く管理できているとは思いますが、試合毎に僅かに違う、発射角度が0.5度違うとか、体の回転軸が1度違うとか、回転速度が少し早い・遅いといった違いから、結果が50cm、1m異なるということも、十分に考えられます。

 さて、今回もローマオリンピック1960からスタートします。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ニーナ・ポノマリョワ選手(ソビエト) 55m10cm
・東京1964 タマラ・プレス選手(ソビエト) 57m27cm
・メキシコシティ1968 リア・マノリウ選手(ルーマニア) 58m28cm
・ミュンヘン1972 ファイナ・メルニク選手(ソビエト) 66m62cm
・モントリオール1976 エベリン・ヤール選手(東ドイツ) 69m00cm
・モスクワ1980 エベリン・ヤール選手(東ドイツ) 69m96cm
・ロサンゼルス1984 リア・スタルマン選手(オランダ) 65m36cm
・ソウル1988 マルティナ・ヘルマン選手(東ドイツ) 72m30cm
・バルセロナ1992 マリツァ・マルテン選手(キューバ) 70m06cm
・アトランタ1996 イルケ・ヴィルダ選手(ドイツ) 69m66cm
・シドニー2000 エレーナ・ズベレワ選手(ベラルーシ) 68m40cm
・アテネ2004 ナタリア・サドワ選手(ロシア) 67m02cm
・北京2008 ステファニー・ブラウン・トラフトン選手(アメリカ) 64m74cm
・ロンドン2012 サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア) 69m11cm
・リオデジャネイロ2016 サンドラ・ペルコビッチ(クロアチア) 69m21cm

 投擲種目全般について、東欧諸国が強いのは昔から言われていることですが、特に女子円盤投げについては、その強さが目立ちます。
 色々な要素が考えられますが、直近のオリンピックにおいても強いのですから、やはり「伝統」と観るのが良さそうです。

 この15回の大会において、連覇を果たしている選手が2名います。
 モントリオールとモスクワを制したエベリン・ヤール選手とロンドンとリオを制したサンドラ・ペルコビッチ選手です。
 そして、この両選手の優勝記録は全て69m台なのです。
 もちろん偶然なのでしょうが、高いレベルで安定した投擲を魅せてくれたということになります。
 
 記録の推移を観れば、メキシコシティ1968とミュンヘン1972の比較において、8m以上記録が伸びています。
 そして、ソウル1988で70mを突破しました。
 現在の世界記録も1988年にガブリエレ・ラインシュ選手(東ドイツ)が出した76m80cmですから、この頃、女子円盤投げの記録がひとつのピークを迎えたことになります。

 その後は記録が落ち着き?、21世紀の大会においては、概ね65mから70mの間で、金メダルが争われている形でしょう。

 東京2021大会において「70m越え」の投擲が観られるかどうか、とても楽しみです。

 温故知新2020の競泳編その5です。

 リオデジャネイロ・オリンピック2016の男子4×200mフリーリレーで、日本チームは銅メダルを獲得しました。
 「伝統」のリレー種目で久し振り、東京オリンピック1964以来のメダルを獲得したのです。
 見事な復活であったと感じます。

 男子800メートルリレーは、1908年のロンドン大会から正式種目となっている、オリンピックにおいて最も長い歴史を有する種目です。
 そして日本チームにも、長い歴史がある種目なのです。

・アムステルダム1928 銀メダル・日本チーム(米山弘選手、新井信男選手、佐田徳平選手、高石勝男選手)
・ロサンゼルス1932 金メダル・日本チーム(宮崎康二選手、遊佐正憲選手、横山隆志選手、豊田久吉選手)
・ベルリン1936 金メダル・日本チーム(遊佐正憲選手、杉浦重雄選手、田口正治選手、新井重雄選手)
・ヘルシンキ1952 銀メダル・日本チーム(鈴木弘選手、浜口喜博選手、後藤暢選手、谷川禎次郎選手)
・ローマ1960 銀メダル・日本チーム(福井誠選手、石井宏選手、山中毅選手、藤本達夫選手)
・東京1964 銅メダル・日本チーム(福井誠選手、岩崎邦宏選手、庄司敏夫選手、岡部幸明選手)
・リオデジャネイロ2016 銅メダル・日本チーム(萩野公介選手、江原騎士選手、小堀勇氣選手、松田丈志選手)

 100年近くに及ぶ、日本チームの堂々たる歴史です。
 ロサンゼルス1932とベルリン1936における金メダル獲得は、共に2位・銀メダルがアメリカチームでした。
 いつの時代も、最強を誇るアメリカチームを「2大会連続で破った」のは、この15回の大会では日本チームだけです。
 
 リレー種目は、その国・地域の総合力・選手層の厚さを示すものと言われています。

 1930年代の日本男子競泳陣の選手層は、世界一だったのかもしれません。

 温故知新2020の男子ホッケー編です。

 ホッケー(フィールドホッケー)競技は、他の多くのスポーツと同様に、イギリスが発祥国です。
 1887年に、イギリスに「ホッケー協会」が設立されたのが起源と言われています。
 そして、男子ホッケーは1908年のロンドンオリンピックから正式種目となりました。
 
 近代オリンピックにおけるホッケー競技は、当初イギリスチームが強く、続いては「英領インド」チームが金メダルを連続獲得するようになり、第二次世界大戦後はインドチームがオリンピックチャンピオンを継続しました。(ロンドン1948~メルボルン1956までの3大会連続)
 ホッケー競技が、イギリスおよびインドから世界に一層普及し、各国における本格的な強化が進んで、世界のホッケー地図が変わり始めたのが、1960年のローマ大会頃なのではないかと考えています。

・ローマ1960 金・パキスタン、銀・インド、銅・スペイン
・東京1964 金・インド、銀・パキスタン、銅・オーストラリア
・メキシコシティ1968 金・パキスタン、銀・オーストラリア、銅・インド
・ミュンヘン1972 金・西ドイツ、銀・パキスタン、銅・インド
・モントリオール1976 金・ニュージーランド、銀・オーストラリア、銅・パキスタン
・モスクワ1980 金・インド、銀・スペイン、銅・ソビエト
・ロサンゼルス1984 金・パキスタン、銀・西ドイツ、銅・イギリス
・ソウル1988 金・イギリス、銀・西ドイツ、銅・オランダ
・バルセロナ1992 金・ドイツ、銀・オーストラリア、銅・パキスタン
・アトランタ1996 金・オランダ、銀・スペイン、銅・オーストラリア
・シドニー2000 金・オランダ、銀・韓国、銅・オーストラリア
・アテネ2004 金・オーストラリア、銀・オランダ、銅・ドイツ
・北京2008 金・ドイツ、銀・スペイン、銅・オーストラリア
・ロンドン2012 金・ドイツ、銀・オランダ、銅・オーストラリア
・リオデジャネイロ2016 金・アルゼンチン、銀・ベルギー、銅・ドイツ

 パキスタンとインドの争いに、英連邦のオーストラリアが食い込んできた時代が変化したのは、ミュンヘン1972でした。西ドイツチームが金メダルに輝いたのです。

 また、モスクワ1980では、スペインチームが銀メダルに食い込んでいます。

 伝統的な、イギリス、インド、パキスタンの争いに、オーストラリアとニュージーランドという英連邦の国々のチームが勢力を伸ばし、そこに西ドイツチームとスペインチームが絡んできた時代と観て良いでしょう。

 さらに、ソウル1988ではオランダチームが銅メダルを獲得しました。
 新勢力の台頭と言って良いと思います。
 オランダチームは、アトランタ1996とシドニー2000を制して、一気に世界一の座に就きました。

 21世紀に入ると、これまで登場した国々のチームが激しい競り合いを演じ、北京2008とロンドン2012ではドイツチームが連覇を果たしました。

 そして、リオ2016はアルゼンチンチームが金メダル、ベルギーチームが銀メダルに輝きました。ドイツチームが銅メダルに止まったのです。
 「新顔同士による決勝戦」だったことになります。

 「戦国時代」の様相を呈しているように感じられる、オリンピックの男子ホッケーですが、東京2021では、どのような戦いが観られるのでしょうか。

 プロ野球、2020年のペナントレースが始まりました。

 新型コロナウイルス禍の影響により、例年より2か月以上遅れての開幕です。
 もはや「球春」とは言えない時期ですが、私達の心に「春」を感じさせてくれるところは、同じなのでしょう。

[セントラルリーグ]
広島5-1DeNA
中日9-7ヤクルト
巨人3-2阪神

[パシフィックリーグ]
ソフトバンク2-1ロッテ
楽天9-1オリックス
西武3-0日本ハム

 全6試合が敢行されました。

 梅雨時期でもあり、決して天候に恵まれたわけではありませんが、神宮球場や横浜スタジアムにおいては、そぼ降る雨の中、懸命のプレーが続きました。
 選手達の「何が何でも、やる」という気迫が、強い気迫が感じられました。

 接戦が多かったとも感じます。

 私達の「日常の一部」を占めているプロ野球の開始は、日本社会の新型コロナからの復興を象徴する出来事でしょう。
 例年以上に、「待ちに待った瞬間」なのです。

 巨人-阪神戦の試合前のセレモニーで、原辰徳監督は「・・・戦うことを誓います」と挨拶しました。
 まるで甲子園大会の、選手宣誓のようでした。

 無観客であることは、とても残念ですけれども、「日本の日常」が戻ってきました。

 さて、プロ野球の在る日々を楽しみましょう。
 海外重賞未勝利に終わった2009年に続く2010年も、日本馬にとっては厳しい結果となりました。

 重賞勝ちは、秋華賞馬レッドディザイア(牝4歳)によるG2アル・マクトゥームチャレンジ・ラウンド3のひとつだけでした。
 前稿にも書きましたが、ウオッカがこのレースの8着となっています。
 レッドディザイアは、続いて本番であるドバイワールドカップG1に挑み、こちらは11着でした。

 レッドディザイアはこの年の10~11月にはアメリカにも遠征し、フラワーボウル・インビテーショナルG1を叩いて、ブリダーズカップ・フィリー&メアターフG1に挑みましたが、3着と4着でした。

 2010年の4歳牝馬レッドディザイアによる、ドバイワールドカップとBCフィリー&メアターフへの挑戦は、世界を代表する大レースへの連続挑戦という、素晴らしい「冒険」だったのでしょう。

 なかなか勝てなかった2010年の日本馬ですが、とても惜しいレースもありました。

 まずは、ドバイシーマクラシックG1のブエナビスタ(牝4歳)です。
 2009年の桜花賞とオークスを制したブエナビスタが、4歳時の2戦目として挑んだのがドバイシーマクラシックでした。
 このレースは、最後の直線で英国馬ダーレミと激しい競り合いを演じ、3/4馬身差で惜しくも2着となりました。地力を挙げてきていたブエナビスタを振り切ったのですから、このレースはダーレミの出来がとても良かったのであろうと考えています。
 
 ちなみにこの年、ブエナビスタはヴィクトリアマイルと天皇賞(秋)の2つのG1を制し、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念を2着として、年度代表馬に輝いています。

 続いては、ナカヤマフェスタ(牡4歳)のフランス遠征です。
 宝塚記念2010の優勝を引っ提げて、凱旋門賞のためにフランスに渡ったナカヤマフェスタは、トライアルとしてフォワ賞G2に挑み2着となりました。
 そして本番では、直線でいったん先頭に立ち、追い上げてきた英国ダービー馬ワークフォースとの壮絶な叩き合いを披露しました。
 ゴールでは僅かにアタマ差での2着でした。
 4角で蛯名正義騎手が立ち上がるほどの不利を受けながら、勝ち負けの勝負を魅せたナカヤマフェスタは、直後のワールドサラブレッド・ランキングで127ポンド・5位となっています。
 世界が、その力を高く評価したのです。

 この凱旋門賞2010にはもう一頭、ヴィクトワールピサ(牡3歳)も出走し7着となっています。
 2011年の活躍を予感させる「試走」だったのかもしれません。
 
 また、2010年の秋冬には、トウカイトリック(牡8歳)がオーストラリアに遠征しています。
 コーフィールドカップG1とメルボルンカップG1に出走しましたが、共に12着でした。
 この後12歳まで走るトウカイトリックにとって、最初で最後の海外遠征となりました。

 2010年の日本馬による海外重賞挑戦は、レッドディザイアによるG2レース制覇の1勝に終わりましたけれども、アメリカ、フランス、UAE、オーストラリア、香港、シンガポールという、多彩な舞台における挑戦だったのです。

 温故知新2020女子テニス編その5です。

 1960年代から70年代のマーガレット・コート選手とビリー・ジーン・キング選手を継いだ、クリス・エバート選手とマルチナ・ナブラチロバ選手が1970年代から80年代の世界の女子テニス界をリードしました。

 そして、この「ナブラチロバとエバートの時代」を継いだのが、シュテフィ・グラフ選手でしょう。

 ドイツ(当時は西ドイツ)出身のグラフ選手は、1982年にデビューし1999年に引退しています。

 1969年生まれのグラフ選手ですから、デビューした1982年はまだ13歳ですが、この頃から「神童」として注目されていました。
 そして1986年までは、ナブラチロバ選手やエバート選手に挑戦し、惜しくも敗れるという試合が多かったのです。1986年でも、まだ17歳なのですから、驚かされるばかり。

 そのグラフ選手は、1987年についに「2強の壁」を打ち抜きました。
 この年11の大会で優勝し、4大大会のひとつである全仏オープン・シングルスで優勝しています。初の4大大会制覇でした。
 この年のウィンブルドン大会と全米オープン大会ではナブラチロバ選手に敗れましたが、グラフ選手は初めて世界ランキング1位となっています。

 1987年が、ナブラチロバ・エバート時代からグラフ時代への移行年であったのでしょう。

 翌1988年は、シュテフィ・グラフ選手のキャリアにおける「絶頂期」となりました。
 「年間グランドスラム」という偉業を達成したのです。
 同一年に、4大大会シングルスの全てを制覇するという偉業でした。
 
 かつて、1970年にマーガレット・コート選手が達成していた「年間グランドスラム」をグラフ選手も成し遂げた形ですが、グラフ選手はこの後、コート選手のシングルスの記録更新を目指して、戦い続けることとなりました。

① 1988年「年間グランドスラム」達成
② 4大大会シングルス通算22回優勝(全豪4、全仏6、全英7、全米5。歴代第3位。24勝のマーガレット・コート選手が1位、23勝のセリーナ・ウィリアムズ選手が2位)
③ WTAシングルス世界ランキング1位・377週(歴代1位。2位はマルチナ・ナブラチロバ選手の332週)
④ WTAツアー大会勝利数107(歴代3位。167勝のナブラチロバ選手が1位、157勝のクリス・エバート選手が2位)

 まさにシュテフィ・グラフ選手は、シングルスにおいてコート選手やナブラチロバ選手、セリーナ・ウィリアムズ選手と並ぶ好成績を残しました。

 1990年前後の試合を観ると、その強烈なフォアハンド、フラットなフォアハンドショットの威力・スピードは共に抜群で、第1ゲームを観るだけで「この試合はグラフ選手の勝ち」と感じさせるに十分なものでした。

 一方でグラフ選手は、ダブルスにおいては、その強さを魅せることが出来ませんでした。
 4大大会での優勝は、1988年のウィンブルドン1勝です。
 これは丁度、4大大会ダブルスで2勝のクリス・エバート選手や、男子ですが、4大大会ダブルスでは優勝が無いピート・サンプラス選手に近い感じがします。

 ナブラチロバ・エバート時代を継いで、自身の時代を構築したグラフ選手が、「どこまで記録を伸ばしていくのか」と言われました。
 コート夫人も「もう1・2回は年間グランドスラムを達成するのではないか」とコメントしたと伝えられています。
 最盛期のグラフ選手の強さは、それ程に他を圧していたのです。

 しかし、そのグラフ選手の牙城にも、モニカ・セレシュ選手が迫り、マルチナ・ヒンギス選手が追いかけてきました。
 世界女子テニス界の裾野は、想像以上に広いのでしょう。

 温故知新2020男子テニス編その6です。

 ジミー・コナーズ選手やジョン・マッケンロー選手の活躍により、アメリカ合衆国の男子テニスが世界をリードする時代が訪れましたが、その流れを継続したのがピート・サンプラス選手でしょう。

 1988年にデビューし2003年に引退したサンプラス選手は、その圧倒的なプレー振りと実績により、男子テニス界の20世紀から21世紀の橋渡しをしたと言っても良さそうです。

 史上最高のオールラウンダーと呼ばれるサンプラス選手は、強烈なサーブ、俊敏・多彩なボレー、素晴らしいストロークと、どの技を観ても世界最高水準のプレーヤーでした。

 21世紀を代表するロジャー・フェデラー選手と共に、男子テニス史を飾るオールラウンダーです。
 本稿では「初代のザ・オールラウンダー」と呼びます。

① 4大大会シングルス優勝14回(全豪2、全英7、全米5。当時の歴代1位、現在歴代4位)
② ATPランキング世界1位・286週(歴代2位。1位はロジャー・フェデラー選手の310週)
③ ATPツアー通算64勝(歴代7位タイ)

 とても攻撃的かつ合理的なプレーで、ウィンブルドン大会のシングルスでは7回の優勝(歴代2位タイ)を誇ります。
 一方で、球足が遅く、ショットが拾われてしまう確率が高いクレーコートの全仏大会では、ベスト4が最高成績です。
 とてもハッキリとした、4大大会の成績なのです。

 ATPランキング世界1位の期間がとても長く、ロジャー・フェデラー選手に抜かれるまでは、歴代1位でしたが、これが年間ランキング最終順位となると、サンプラス選手の6年連続が、現在でも歴代1位なのです。
 極めて「安定した強さ」を魅せてくれたことは、間違いありません。
 「ピート・サンプラス=世界1」という式が、私には刻み込まれています。

 ピート・サンプラス選手のプレー振りは「感情を表に出すことなく冷静そのもの」という印象ですが、ポイントを取られようと、トリプルブレイクポイントを迎えようと、セットポイントとなろうと、マッチポイントに追い込まれようと、何もないかのようにプレーし、時には強烈なサービスエースを、時には素晴らしいパッシングショットを、時にはしなやかなボレーを、何度も決めて魅せてくれました。

 本当に「彩り豊か」なテニスだったのです。

 温故知新2020の女子バレーボール編です。

 東京オリンピック1964から正式種目となり、日本代表チームは見事に金メダルを獲得しました。
 ライバルのソビエトチームとの決勝戦は、現在でも時々眼にする、我が国のオリンピック史上「最も有名な映像」のひとつでしょう。

 当時の日本チーム、大松博文獲得のもと、「東洋の魔女」と称された日紡貝塚女子バレーボールチームを主体とした日本チームは、1963年の世界選手権と1964年の東京オリンピックにおいて、まさに圧倒的な強さを示しました。

 各大会のメダル獲得チームを観て行きましょう。

・東京1964 金・日本、銀・ソビエト、銅・ポーランド
・メキシコシティ1968 金・ソビエト、銀・日本、銅・ポーランド
・ミュンヘン1972 金・ソビエト、銀・日本、銅・北朝鮮
・モントリオール1976 金・日本、銀・ソビエト、銅・韓国
・モスクワ1980 金・ソビエト、銀・東ドイツ、銅・ブルガリア
・ロサンゼルス1984 金・中国、銀・アメリカ、銅・日本
・ソウル1988 金・ソビエト、銀・ペルー、銅・日本
・バルセロナ1992 金・キューバ、銀・ロシア(独立国家共同体)、銅・アメリカ
・アトランタ1996 金・キューバ、銀・中国、銅・ブラジル
・シドニー2000 金・キューバ、銀・ロシア、銅・ブラジル
・アテネ2004 金・中国、銀・ロシア、銅・キューバ
・北京2008 金・ブラジル、銀・アメリカ、銅・中国
・ロンドン2012 金・ブラジル、銀・アメリカ、銅・日本
・リオデジャネイロ2016 金・中国、銀・セルビア、銅・アメリカ

 東京1964からモントリオール1976までは、「日本VSソビエト」という構図でした。
 全体としてはソビエトがやや押し気味であったと感じますが、日本チームはオリンピックの舞台で見事な活躍を魅せてくれたのです。
 モントリオール1976の日本チームは、山田重雄監督のもと、セッターの松田紀子選手やアタッカーの白井貴子選手らの活躍でソビエトチームを破り、オリンピックチャンピオンに輝きました。
 「新・東洋の魔女」とも呼ばれました。

 この大会で、とても印象に残っているのは「白井選手の活躍」でした。身長180cmという、当時ならばとても長身だった白井選手は、次々と強烈なスパイクを決めて行ったのです。まさに「金メダルのエンジン」でした。

 さて、日本以外のチームを観て行くと、やはりロシア(旧ソビエト)が安定した力を魅せています。バレーボール競技における「伝統の力」といって良いでしょう。

 続いては、バルセロナ1992からシドニー2000にかけての「キューバチームの3連覇」が目立ちます。史上唯一の3連覇。

 そして21世紀を迎えてからは、ブラジルチームと中国チームが金メダルを争っています。
 キューバチームやアメリカチームも、良く食い下がっているのですが、なかなか2強の壁は抜けないのです。
 日本チームも、ロンドン2012で久しぶりのメダル、ロサンゼルス1984以来の銅メダルに輝きました。
 
 東京1964の決勝「日本VSソビエト」戦の視聴率は「66.8%」でした。
 現在に至るまで、我が国のスポーツ中継における歴代最高の視聴率と言われています。

 この試合のメンバーは、河西昌枝選手、宮本恵美子選手、半田百合子選手、谷田絹子選手、磯部サタ選手、松村好子選手、松村勝美選手、篠崎洋子選手、佐々木節子選手、藤本佑子選手、近藤雅子選手、渋木綾乃選手の12名のヒロインでした。
 この日本女子バレーボールチームは、東京オリンピック1964の全ての日本チームを牽引する存在であり、「大会を象徴する存在」でもあったのでしょう。

 新型コロナウイルス感染症の影響で中断していた、リーガ・エスパニョーラ2019~20年シーズンが、6月11日に再開されました。
 待ちに待った「再開」です。

[6月13日・第28節・エスタディデソンモイクス]
FCバルセロナ4-0 RCDマヨルカ

[6月14日・第28節・エスタディオカンポサンマメス]
アスレティック・ビルバオ1-1アトレティコ・マドリード

[6月14日・第28節・エスタディオアルフレッドディステファノ]
レアル・マドリード3-1エイバル

 所謂「ラリーガ3強」の試合結果です。

 バルサは、開始2分のアルトゥロ・ビダル選手の先制で勢いに乗り、得点を重ねて、終了直前にはリオネル・メッシ選手のゴールで大勝しました。
 先に再開した、ドイツ・ブンデスリーガのゲームにも観られる、「簡単に観える得点」が、このゲームでも観られたと感じます。

 アトレティコは、前半37分にビルバオのイケル・ムニアイン選手の先制ゴールを許しましたが、その2分後、ジエゴ・コスタ選手が同点ゴールを挙げました。
 ゲームは、その後両チームともに得点を上げることが出来ず、引分けました。

 レアルは前半、トニ・クロース選手、セルヒオ・ラモス選手、マルセロ選手という中心選手達が次々と得点を重ね、後半のエイバルの反撃を1点に抑えて快勝しました。

 第28節の結果、首位のバルセロナの勝点は61、2位のレアルは59点となり、2点差のままでした。
 3位のセビージャが50点ですから、今季のラリーガの優勝は、バルサとレアルの争いに絞られたと言って良いでしょう。
 最後まで、眼が離せない戦いが続くと思います。

 さてこれで、ドイツ・ブンデスリーガとスペイン・リーガエスパニョーラが再開しました。
 6月17日には、イングランド・プレミアリーグが、6月20日には、イタリア・セリエAの再開が予定されています。
 「欧州4大リーグ」が揃って再開するのも、もう直ぐです。

 新型コロナウイルス禍の中でのリーグ戦、「無観客」リーグ戦の実施という、おそらくは「世界サッカー史上に永遠に刻まれる『異形』のシーズン」が、本格的に動き始めたのです。
 
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で中断していた、アメリカPGAツアー2019~20年シーズンが、6月11日再開しました。
 待ちに待った「再開」です。
 
[6月11日~14日・チャールズシュワブチャレンジ大会・コロニアルCC(テキサス州)]
1位 ダニエル・バーガー選手(アメリカ) 265打・15アンダーパー
2位 コリン・モリカワ選手(アメリカ) 15アンダー・プレーオフ1ホール目で敗退
3位タイ ザンダー・シャウフェレ選手(アメリカ) 14アンダー
3位タイ ブライソン・デシャンボー選手(アメリカ) 14アンダー
3位タイ ジャスティン・ローズ選手(イングランド) 14アンダー
3位タイ ジェイソン・コクラック選手(アメリカ) 14アンダー

 テキサス州の名門コロニアル・カントリークラブを舞台に行われたトーナメントは、PGAツアーらしい大接戦となりました。
 1打差・2打差に数多くのプレーヤーが犇めき、1ホール毎に一喜一憂する展開が続いたのです。

 そうした中で最も安定したプレーを続けていたザンダー・シャウフェレ選手でしたが、サンデーバック9に入ってから2つのボギーを打ってしまい、コリン・モリカワ選手とダニエル・バーガー選手に逆転を許してしまいます。

 3日目までトーナメントを引っ張った、ジャスティン・ローズ選手やブライソン・デシャンボー選手も、最終日の後半、良く追い上げましたが、惜しくも1打届かなかったのです。

 トーナメントは、再開初戦からプレーオフに入り、1ホール目の17番・パー4でモリカワ選手が1m余のパーパットを外して、バーガー選手の優勝が決まりました。
 PGAツアー3勝目の見事な勝利でした。
 
 「無観客」で行われたトーナメントは、当然ながら、グッドショットに対する大歓声も無く、近隣の住宅地から観えるホールで、小さな歓声が起こるだけの大会となりました。

 アメリカというか、世界ゴルフ史上屈指の名手ベン・ホーガン選手に因んで「ホーガンの庭」と呼ばれた名コースは、容易にスコアを伸ばすことを許さず、特に、最終日はテキサス特有の強風が選手達を悩ませました。

 3ヵ月振り(91日振り)のトーナメントは、プレーの様子、選手たちの様子にも、やはり影響を与えていたようです。
 デシャンボー選手は、随分と立派な体格に変わっていました。とても科学的というか、「ゴルフ競技に科学的に取り組もうとする」プレーヤーですから、この3か月の間に、自らの体躯の弱点を補うトレーニングに勤しんでいたのでしょう。

 全般的なショットについては「飛び過ぎ」が多かったように感じます。
 そして、コロニアルCCは、グリーン奥からの「寄せ」はとても難しいのです。
 多くのプレーヤーの「飛び過ぎ」は、試合から遠ざかっていた期間が長かったことを表しているのでしょう。

 好天に恵まれた大会でした。真っ青な空が広がっていました。
 とても美しい光景です。
 
 将棋の棋聖戦やNHK杯、京都フィルハーモニー室内管弦合奏団の演奏会、各地の遊園地、等々の再開が続いています。

 ようやく、新型コロナウイルス感染が続いている中での、「新しい」日常生活がスタートしつつあるのです。

 PGAツアー再開は、世界ゴルフ界「再スタート」の象徴なのでしょう。

 温故知新2020の陸上競技編その6です。

 今回は男子砲丸投げ種目です。
 男子砲丸投げは、1896年の第1回近代オリンピック・アテネ大会から行われている種目であり、重さ16ポンド(7.260kg-とてつもなく重い)の鉄球を、7フィート(2.135m)の円内から投げた距離を競うという、とてもシンブルな競技です。
 そのシンプルさ、「重いものを遠くに投げる」という人間が競い合いたくなる競技内容に、歴史と伝統を感じますし、この競技を極めることの難易度の高さも感じます。

 今回も1960年のローマオリンピックから観て行きます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ビル・ニーダー選手(アメリカ) 19m68cm
・東京1964 ダラス・ロング選手(アメリカ) 20m33cm
・メキシコシティ1968 ランディ・トマソン選手(アメリカ) 20m54cm
・ミュンヘン1972 ウラディスラフ・コマル選手(ポーランド) 21m18cm
・モントリオール1976 ウド・バイヤー選手(東ドイツ) 21m05cm
・モスクワ1980 ウラジミル・キセリョフ選手(ソビエト) 21m35cm
・ロサンゼルス1984 アレッサンドロ・アンドレイ選手(イタリア) 21m26cm
・ソウル1988 ウルフ・ティンマーマン選手(東ドイツ) 22m47cm
・バルセロナ1992 マイク・スタルス選手(アメリカ) 21m70cm
・アトランタ1996 ランディ・バーンズ選手(アメリカ) 21m62cm
・シドニー2000 アルシ・ハリュ選手(フィンランド) 21m29cm
・アテネ2004 アダム・ネルソン選手(アメリカ) 21m16cm
・北京2008 トマシュ・マエフスキ選手(ポーランド) 21m51cm
・ロンドン2012 トマシュ・マエフスキ選手(ポーランド) 21m89cm
・リオデジャネイロ2016 ライアン・クラウザー選手(アメリカ) 22m52cm

 国別に観ると、アメリカ合衆国が強い種目です。
 第2次世界大戦後のロンドン1948~メキシコシティ1968まで6大会連続でアメリカ選手が優勝していましたから、近時は他国の選手も互角に戦えるようになったと言っても良いかもしれません。

 何しろ、極めてシンプルで歴史と伝統に裏打ちされた種目ですから、記録もおいそれとは伸びません。
 また、腕力で投げる種目では無く、主に下半身のパワーを鉄球に乗せて勝負しますから、とても繊細なバランスが必要な競技ですので、試合毎に各選手には微妙なズレが生じます。結果として、自己ベスト記録の通りに勝敗が決することは、稀です。

 ちなみに、砲丸投げの選手の脚は「とても速い」ことが多いと思います。
 100m走で11秒を切る選手も、珍しくは無いでしょう。
 そうした「俊敏でパワー十分な下半身」が、砲丸投げには不可欠なのです。

 身長2mを越える体躯を備え、精密機械の様なメカニズムをバランスを取りながら動かしていく(現在では主に、回転投法とオブライエン投法の2種類があります)ことが必要な競技ですから、オリンピック連覇は至難の技で、この15回の大会の中でも、トマシュ・マエフスキ選手が唯一達成しています。
 マエフスキ選手は、自己ベストが21m95cmと、ライバル達とは異なって22mを越える投擲をしたことは無いのですが、オリンピックという4年に一度の舞台で、自らの力を最大限発揮する能力に優れていると観るべきなのでしょう。

 21世紀に入ってからは、なかなかオリンピックの舞台で「22m越え」の試技を観ることが出来ませんでしたが、リオ2016でライアン・クラウザー選手がオリンピック新記録の投擲を魅せてくれました。

 東京2021では「23m越え」の投擲を期待されるところです。

 新型コロナウイルス禍の中で、新たなスポーツ大会・イベント・ゲームが、日本国内および世界中で殆ど無い状況下、NHKを始めとする各テレビ局の皆さんが過去の名シーンを採り上げるようになっています。

 今回は、NHK・BS-1で5月6日に放送された「『あの試合をもう一度・スポーツ名勝負』第43回ラグビー日本選手権大会2回戦 早稲田VSトヨタ自動車」を観て行きましょう。

[2006年2月21日・秩父宮ラグビー場(東京)]
早稲田大学28-24トヨタ自動車
(前半21-14、後半7-10)

 日本選手権大会が、社会人の1位と学生の1位のチームがワンマッチで戦っていた時代は、1996~97年シーズンで終了し、1997~98年シーズンには社会人の上位3チームと学生の上位2チームの5チームでの争いになり、その後も出場チーム数が拡大して行きました。

 もともと「社会人チームと学生チームの力量差が広がった」ことが、こうしたレギュレーションの変更に繋がったと言われていますけれども、力量上位の社会人チームの出場チーム数が増加して行ったために、日本選手権の本戦において学生チームが社会人チームに勝つことが難しくなって行きました。
 特に、社会人リーグ、あるいはトップリーグの上位チームは、学生チームにとっては「厚い壁」となったのです。

 そうした中で、大学選手権を制した早稲田大学チームが、トップリーグ2位のトヨタ自動車チームを破ったのが、この試合でした。

 日本選手権において、学生チームが社会人チームのトップクラスを撃破したのは、1988年の早稲田大学チームによる東芝府中チームを破っての優勝以来のことでした。

 このゲームは「18年振りの快挙」と呼ばれたのです。

[早稲田大学チームの先発メンバー]
1. 前田航平選手
2. 青木佑輔選手
3. 畠山健介選手
4. 内藤徹選手
5. 後藤彰友選手
6. 豊田将万選手
7. 松本允選手
8. 佐々木隆道選手
9. 矢富勇殻選手
10. 曽我部佳憲選手
11. 首藤甲子郎選手
12. 池上真介選手
13. 今村雄太選手
14. 菅野朋幸選手
15. 五郎丸歩選手

[トヨタ自動車チームの先発メンバー]
1. 山本正人選手
2. 七戸昌宏選手
3. 豊山昌彦選手
4. 平塚純司選手
5. トロイ・フラベル選手
6. 菅原大志選手
7. 阿部亮太選手
8. フィロ・ティアティア選手
9. 麻田一平選手
10. 廣瀬佳司選手
11. 山本剛選手
12. 難波英樹選手
13. 遠藤幸佑選手
14. 内藤慎平選手
15. 水野弘貴選手

 このゲームは、とても風が強かったのです。
 2万人を超える大観衆で埋め尽くされた、東京・神宮外苑の秩父宮ラグビー場は、正面スタンドから見て左から右、電光掲示板から反対側に向けて、とても強い風が吹いていたのです。キックに大きな影響を与えるレベルの強風でした。

 そして、ゲーム前半は早稲田大学チームが風上となったのです。

 このゲームの全体の流れを決めたのは、「試合開始から7分間の攻防」であったと考えています。

 曽我部選手のキックオフでゲームが始まりました。

 前半1分も経たないうちに早稲田チームのラインアウト、これは綺麗に決まって、早稲田チームが攻めます。

 そして前半2分、今度はトヨタ自動車チームのラインアウト。
 身長190cmを越えるプレーヤーを3名も揃えているトヨタチームが絶対の自信を持っているラインアウトプレーです。
 ところが、このボールに早稲田チームがからみ、ボールを奪いました。
 ボールが投げ込まれる位置を十分に把握したうえでの「奪取」プレーでしたが、見事に決まりました。

 さらに前半3分、再びトヨタボールのラインアウト。
 再び早稲田チームに絡まれましたが、何とかトヨタチームがボールを確保したかに観えました。
 しかし、これが「ノットストレート」の反則となって、ボールは早稲田チームのものとなりました。

 前半4分、前述のプレーで早稲田ボールとなってのスクラム。
 このゲームのファーストスクラムが、ハーフウェイラインからトヨタ陣に少し入った地点で組まれたのです。

 社会人チームが学生チームに対して絶対の自信を持っているのが、スクラムプレーです。
 パワーはもちろんとして、経験により積み重ねられるテクニックも、社会人チームが大きく上回るとされているのです。
 ところが、このファーストスクラムにおいて、トヨタチームは「スクラムを潰した」という反則(コラプシング?)を犯してしまいました。
 早稲田チームにペナルティーキックPKが与えられました。

 このPKから、前半5分、早稲田チームはトヨタ陣右サイド・22mライン内側でラインアウトを得ます。
 このボールをキッチリと確保した早稲田チームが、ドライビングモールで前進を図ったのです。パワーで勝る筈のトヨタチームが押されます。
 早稲田チームは、モールが止まったところで、NO.8佐々木選手がボールを出し、左に展開しました。
 ヤトミ選手や佐々木選手が突進し、ヤトミ選手はトヨタゴールに2m以内まで迫りました。
 早稲田チームの縦の突進を、トヨタチームがなかなか止められないのです。

 ここでトヨタチームに反則が生まれ(オフサイド?)、ゴール正面で早稲田チームのボールとなりました。
 早稲田チームは、チョン蹴りから早いリスタートを行いましたが、レフェリーがこれを認めず、ボールはゴール前に戻されました。

 このペナルティをどうするか。早稲田チームが話し合いを行った末、ペナルティーゴールPGを狙うこととなりました。
 前半7分のことでした。

 狙うのはフルバックFBの五郎丸選手。顎を骨折していましたのでヘッドギアを付けた五郎丸選手の姿も、とても懐かしいものです。
 五郎丸選手にとっては比較的簡単な、正面やや右寄りからの短いキックでしたので、これはしっかりと決まりました。

 早稲田がトヨタを3-0とリードしたのです。

 試合開始からこのPG成功までの7分間に、大袈裟に言えば、「ゲームのエッセンス」が凝縮されていると思います。

① ラインアウトでの優位

 トヨタチームは、2度のラインアウトで一度も成功できませんでした。
 身長差から生まれる筈の優位を生かすことが出来なかったのです。
 これは、早稲田チームによる「事前の研究の賜物」であろうと思います。
 トヨタチームが、ゲーム状況によって「何人目の選手に投げ込むことが多いか」を研究し尽くしたのではないでしょうか。

 一方、早稲田チームは2回のラインアウトを綺麗に成功させています。
 トヨタチームは、競り合うこともしなかったように観えます。
 トヨタチームとしては、「ワセダのラインアウトは好きにやらせておけばよい。ラインアウト後のボールに働きかけよう」という方針だったのかもしれません。
 自らのラインアウトを確保することにも、自信を持っていたのでしょう。

 この試合の前半8分以降も、早稲田チームはトヨタチームのラインアウトに絡み続け、トヨタチームは自慢の高さを生かすことが出来ませんでした。
 
② スクラムでの健闘

 この7分間では、スクラムは1回だけでした。
 1回だけでしたが、この1回目・このゲームのファーストスクラムで、早稲田チームは上手い対応を魅せたのです。
 真っ直ぐ押す力ならば明らかに優位にあるトヨタチームのスクラムに対して、僅かに「ずらしながら」、僅かに「引いた」のでしょう。もちろん、スクラムにおいて意図的に「引く」ことは反則ですが、意図的にやっているように観えない形で、トヨタチームのパワーを分散させた形でしょうか。(このゲーム放送の解説者・砂村氏のコメントを参考にして書きました)

 そして、この後も早稲田チームは「巧みなスクラム」を継続しました。

 スクラムプレーの強化に際して、最も重要なプレーヤーは「第1列」、1~3番の選手達です。早稲田の前田選手、青木選手、畠山選手が、社会人相手に戦って行ける力を身に着けていたのでしょう。特にフッカー青木選手のリーダーシップが発揮されていたのであろうと思っています。

 大学生チームが社会人チームに健闘するゲームにおいては、スクラムでの互角の戦いが重要な要素です。
 例えば、1988年の日本選手権、大学生チームが社会人チームに勝利して「日本一」に輝いた、史上最後のゲームですが、この時の早稲田大学チームのフォワードFW第1列、永田隆憲選手、森島弘光選手、頓所明彦選手の活躍は見事でした。強力な東芝府中チームのFWと互角に渡り合ったのです。「永田・森島・頓所の第1列」は、我が国の大学ラグビー界における「伝説」になっていて長く語り継がれる存在であると、私は考えています。

 また1986年、この早稲田による日本一の2年前に、大学生チームとして日本一に輝いた慶応義塾大学チームも、トヨタ自動車チームを相手に巧みなスクラムを魅せてくれました。
 トヨタゴール前でのスクラムにおいて、トヨタのコラプシングを誘い、以降このゲームで、トヨタチームはスクラムを押すことが出来なくなったと言われています。

 大学生チームが、強い社会人チームと「互角」に渡り合っていく条件のひとつを、このゲームの早稲田チームはしっかりとクリアしていたのでしょう。

③ コンタクトプレーでの互角の戦い

 前半7分までの間に、早稲田チームはトヨタゴール前に再三迫りました。
 矢富選手は、ゴール寸前まで到達したのです。

 「横のワセダ」が展開ラグビー繰り広げ、時に縦に突進してゲインを続けました。
 この「ゲイン」を続けたことがポイントでしょう。

 これらの数分間のプレーで、早稲田チームの選手たちは「やれる」と確信し、トヨタチームの選手たちは「こんな筈では・・・」と感じたのであろうと思います。
 個々のコンタクトプレーにおいて、「やれる」と実感したことが、このゲームにおける早稲田チームの最大の勝因だと思います。
 ラインアウトやスクラムの優位だけでは、強敵を相手にしての勝利は無理でしょう。

 ゲームは前半12分となりました。
 ここまでのボール支配率は、早稲田75%、トヨタ25%でした。風上をも味方にした早稲田チームが明らかにゲームを支配していたのです。

 そして前半14分、早稲田チームはトヨタゴール前正面でペナルティを得て、五郎丸選手が2本目のPGを決めました。
 早稲田チームが6-0とリードしました。

 前半20分を過ぎましたが、ここまでゲームはほぼトヨタ陣内で行われました。
 風上を利しての早稲田チームのエリアマネジメントが、とても上手く行っていたのです。

 そして前半24分、トヨタゴール前の早稲田ボールラインアウトから、早稲田がモールを組み押しました。このモールが動きます。やや左に向かって、トヨタゴールに迫り、このままゴールラインを切って、トライとしました。
 大学生チームが社会人トップクラスのチームを相手に、ドライビングモールからトライを奪ったのです。
 パワー面でも「互角」というのは、凄いことです。

 ゲームは早稲田の11-0となりました。

 「こんな筈では・・・」と感じていたトヨタ自動車チームに、少し焦りが見えたような気がします。

 そして前半29分、トヨタチームに初めてといって良いチャンスが訪れました。
 左サイドをフルバックFB水野選手が突進、中央のフラベル選手にパス、フラベル選手は早稲田のプレーヤーを弾き飛ばしながら走り、トライに結びつけました。
 ニュージーランド出身、身長197cm・体重120㎏という、当時ならば圧倒的な体格(現在でも十分に大きい)のフラベル選手の力が示されたトライでした。
 こんなに「簡単に」トライが取れるということを明示したにも拘わらず、フラベル選手やトヨタチームの選手達に笑顔はありませんでした。
 「何故、こんな苦戦を強いられているのだろう」という思いが引き続き強かったのではないかと考えています。

 トヨタチームに11-7と追い上げられた早稲田チーム、これほどにゲームを支配していても僅かに「4点差」しかなかったわけですが、早稲田チームは、それまで通りのゲームを続けました。

 前半31分、トヨタゴール前10m辺りからの早稲田ボールのラインアウト。
 これをしっかりと保持して、再びドライビングモール。トヨタゴール前5mまで押し込んでSH矢富選手がボールを出し、横のSO曽我部選手にパス、曽我部選手は左に回す動きを見せながら、真っ直ぐ縦に走り込み、そのままトライ。
 トヨタ守備陣の僅かな綻びを突いたプレーでした。

 コンバージョンキックも決まって18-7と、早稲田チームがリードを広げました。

 続く前半35分、再び五郎丸選手のPGが決まって、21-7と早稲田のリードは2トライ・2ゴール差となりました。
 試合の流れが、早稲田チームに傾いたのです。

 前半はこの後も、早稲田チームが攻めましたが、前半終了間際に自陣ゴール前からトヨタチームが右サイドに展開、水野選手がハーフウェイラインを越えて突進し、WTB内藤選手が突進、ティアティア選手にボールが繋がって、そのままトライ。
 1本目のトライ同様の「一気のトライ」は、トヨタチームの底力を感じさせるものでしょう。

 この後、廣瀬選手のコンバージョンキックも決まって、前半は21-14、早稲田チームが7点のリードで終わりました。

 前半終了間際のトヨタ自動車チームのトライは、試合の流れを大きく引き戻したものに感じられました。
 今度は「風上」となるトヨタチームの、後半の反撃が予想されたのです。

 しかし後半10分まで、早稲田チームは得点を許しませんでした。
 風下での懸命のディフェンスが続いたのです。

 そして後半11分、トヨタスタンドオフSO廣瀬選手からのパスを早稲田FW内藤選手がインターセプト、そのまま60m位を走り切り、トライを奪いました。
 とてもロックプレーヤーとは思えない快走でした。

 早稲田が28-14と再びリードを広げます。

 その直後の後半13分、今度は早稲田SO曽我部選手からのパスをトヨタWTB内藤選手が奪って突進、そのままトライしました。

 トヨタが28-21と再び追い縋ります。

 この2つのトライは、共に相手SOのパスを奪ってのトライでした。
 熱戦における、両チームプレーヤーのとても冷静な対応でしょう。

 とはいえ、この展開は「互角」でした。

 そもそも、社会人トップクラスのチームと大学生チームが「互角」のゲームを行うこと自体が「異例」なことでしょうから、ゲームは明らかに早稲田ペースだったと言って良いのでしょう。

 後半20分を過ぎて、トヨタチームが攻め、早稲田チームが守る時間帯が増えました。
 
 そして後半25分、トヨタの廣瀬選手がPGを決めて、28-24と4点差に追い上げました。
 ワントライで逆転可能な点差です。
 トヨタチームとしては「逆転できる」と考えていたことでしょう。

 しかし、ここからも早稲田チームは、守りに入ることなく、良く攻めました。
 矢富選手の突進から、ドライビングモールを多用して「時間を使う」攻めでした。
 まさに、清宮監督が言うところの「相手にボールを渡さなければ失点は防げる」という戦略を、戦術としてゲームで展開したのです。まさに、攻撃は最大の守備なのです。

 後半35分を過ぎて、トヨタの攻勢が続きましたが、ここからは「ワセダ伝統の守り」が観られました。
 自陣22mラインの内側での、必死の守備プレー、早明戦で再三眼にしてきた粘り強い守備が続いたのです。

 後半39分、トヨタが攻めます。早稲田ゴールまで5m。
 早稲田はNO.8佐々木選手を中心として円陣を組み、ロスタイム2分(この頃はロスタイムがありました)の戦いの準備をしました。

 後半41分、早稲田ボールのラインアウト。
 ここでも早稲田はしっかりとボールを確保して、モールプレーで「時間を使い」ます。
 ラインアウトの優位が、最後の最後まで物を言ったのです。

 後半42分を過ぎて、トヨタチームのラストプレーが延々と続きます。
 トヨタチームの意地。逆転への執念。
 しかし後半44分04秒、トヨタチームにノックオンが生まれ、ノーサイド。

 ゲームは28-24で早稲田チームが勝利しました。

 まさに「好ゲーム」でした。

 秩父宮ラグビー場に入場してくる時に、「眦を決していた」早稲田大学チームと、数人が笑みを浮かべていたトヨタ自動車チームの心持ちの違いが、前半のプレーに現れ、前半7分までにペースを掴んだ早稲田チームが、80分間を押し切ったゲームであったと考えています。

 こうしたタイプの接戦は、社会人と学生のトップクラスのチーム同士の対戦において、学生チームの戦前の研究がゲームにおいて実を結んだ時にしか、現出しないものだと感じます。

 さすがに、見応え十分のゲームでした。

 NHKを始めとする各テレビ局には、過去の素晴らしいスポーツ関連コンテンツが、数多く在るのでしょう。
 こうした時期には、それらをどんどん採り上げ、放送していただきたいと思います。

 温故知新2020の競泳編その4です。

 男子200m平泳ぎも1908年のロンドン大会から正式種目となっています。
 ロンドン1908は、競泳競技における各種の泳法種目が一気に正式種目となった大会なのでしょう。

 そして男子200m平泳ぎといえば、21世紀においてはアテネ2004と北京2008における、北島康介選手の「連覇」が直ぐに思い出されます。
 「気持ちいい。超気持ちいい」という、北島選手の叫びと共に、日本のオリンピック史に燦然と輝く快挙でしょう。

 さらには、この男子200m平泳ぎは「日本チームの伝統種目」なのです。
 太平洋戦争以前から、我らが強者は、この種目に足跡を残し続けているのです。

・アムステルダム1928 金メダル・鶴田義行選手
・ロサンゼルス1932 金メダル・鶴田義行選手、銀メダル・小池禮三選手
・ベルリン1936 金メダル・葉室鐵夫選手、銅メダル・鶴田義行選手
・メルボルン1956 金メダル・古川勝選手、銀メダル・吉村昌弘選手
・ローマ1960 銀メダル・大崎剛彦選手
・ミュンヘン1972 銅メダル・田口信教選手
・アテネ2004 金メダル・北島康介選手
・北京2008 金メダル・北島康介選手

 太平洋戦争以前のアムステルダム1928とロス1932において、鶴田選手は連覇を達成しています。北島康介選手の先達が居たのです。
 ちなみに鶴田選手の「連覇」は、日本のオリンピック史上初の快挙でした。

 メルボルン1956のチャンピオン・古川選手は、45mに及ぶ潜水泳法で名を馳せました。
 鶴田選手、古川選手は共に世界記録を樹立しています。

 男子200m平泳ぎは、日本競泳チームの「お家芸」といって良いでしょう。

 東京2021における活躍が、本当に楽しみです。
[5月30日・第29節・アリエンツアレーナ]
バイエルン・ミュンヘン5-0フォルトナ・デュッセルドルフ

[6月6日・第30節・ベイアレーナ]
バイエルン・ミュンヘン4-2バイヤー・レバークーゼン

 第28節、ボルシア・ドルトムントとの1位・2位直接対決を1-0で制したバイエルン・ミュンヘンが、第29節・30節のゲームを圧勝しました。2試合で9点という圧倒的な得点力を示したのです。

 もちろん、ロベルト・レバンドフスキ選手を始めとする豪華なメンバーで構成されていることも有るのですが、中盤から前線にかけての縦横無尽な球出しや、バックスから長い1本のパスなども交えての多彩な攻撃が、相手チームを翻弄している感が有ります。

 特に、ベテランのトーマス・ミュラー選手の活躍が目立っています。

 もともとポジショニングには定評のある選手で、どこからでも登場する印象なのですが、このところは運動量も十分で、効果的なラストパスの配給が続いています。

 これに、中盤のレオン・ゴレツカ選手やヨシュア・キミヒ選手、セルジュ・グナブリー選手、そしてディフェンスのベンジャミン・パヴァール選手達が絡んでいくのですから、相手チームにとっては「守り難いことこの上ない」プレーが連続することとなっているのです。

 第30節を終えて勝点70と首位を走るバイエルン。
 勝点63でドルトムントが追い縋りますが、残り4節となって、バイエルン・ミュンヘンの「空前の8連覇」が見えてきました。

 温故知新2020女子テニス編その4です。

 コート・キング時代の後継者としてクリス・エバート選手が、ビッグトーナメントを勝ち始めようとしていた時期に、そのライバルとなるマルチナ・ナブラチロバ選手が1973年にデビューしたのです。
 ナブラチロバ選手は、シングルスは1994年に、ダブルスは2006年に引退しました。
 21世紀にも及ぶ、とても長いキャリアを誇ったナブラチロバ選手が、女子テニス界にひとつの時代を創り上げたことは、ご承知の通りです。

 ナブラチロバ選手とエバート選手は、様々な大会で凌ぎを削りましたが、ナブラチロバ選手がデビューした頃にはエバート選手が強かったものが、次第にナブラチロバ選手の勝率が上がりました。
 
 「アイス・ドール」と称され、アメリカ合衆国を代表するプレーヤーであったエバート選手(身長168cm)と、チェコスロバキア出身で「男勝りのネットプレー」を得意としたナブラチロバ選手(身長173cm)のライバル関係において、ナブラチロバ選手が「敵役」になってしまったことが多かったのは、仕方がないことだったのでしょうか。

 ナブラチロバ選手の戦績は、世界女子テニス史上屈指のもの、「史上最強」との評も数多くあります。

① 4大大会シングルス18回優勝(全豪3、全仏2、全英9、全米4。クリス・エバート選手と同回数。歴代4位タイ)
② WTAツアー・シングルス167勝(歴代最多。2位はエバート選手の154勝)
③ ウィンブルドン大会シングルス9回優勝(歴代最多)
④ 4大大会ダブルス31回優勝(全豪8、全仏7、全英7、全米9。史上最多)
キャリア初期にはビリー・ジーン・キング選手とのペアがあり、最も優勝を重ねたのはバム・シュライバー選手とのペアで、4大大会20回の優勝を誇ります。
⑤ 4大大会シングルスを「1セットも落とさず」に優勝6回(全英4、全米2。史上最多)

 ストロークも強烈であったナブラチロバ選手が、比類なき「ネットプレー」を具備していたのですから、鬼に金棒。
 特に芝コート、ウィンブルドン大会では1982年から87年までの6連覇を含む9回の優勝を誇ります。歴代最多であり、この記録が今後破られることは無いのではないかと感じます。

 混合ダブルス種目でも4大大会で10回の優勝を誇るナブラチロバ選手ですが、2006年の全米オープン大会において、ボブ・ブライアン選手とのペアで混合ダブルス10回目の優勝を飾りました。
 1956年生まれのマルチナ・ナブラチロバ選手が50歳の2006年、最後の4大大会優勝を飾ったのです。

 本当に凄いプレーヤーです。

 温故知新2020の陸上競技編その5です。

 今回は、女子走り高跳びのオリンピック金メダリストを観て行きましょう。
 女子走り高跳びは1928年アムステルダム大会から実施されています。女子100m競走種目などと共に、女子種目の中で最も早くオリンピックで実施されるようになった「歴史と伝統」を誇る種目なのです。(200m競走がロンドン1948から、400m競走は東京1964から、走り幅跳びはロンドン1948、から開始されています)

 今回もローマ1960から観て行きます。
 金メダリスト名、記録の順です。

・ローマ1960 ヨランダ・バラッシュ選手(ルーマニア) 1m85cm
・東京1964 ヨランダ・バラッシュ選手(ルーマニア) 1m90cm
・メキシコシティ1968 ミロスラバ・レスコバ選手(チェコスロバキア) 1m82cm
・ミュンヘン1972 ウルリケ・マイフェルト選手(西ドイツ) 1m92cm
・モントリオール1976 ローズマリー・アッカーマン(東ドイツ) 1m93cm
・モスクワ1980 サラ・シメオニ選手(イタリア) 1m97cm
・ロサンゼルス1984 ウルリケ・マイファルト選手(西ドイツ) 2m02cm
・ソウル1988 ルイス・リッター選手(アメリカ) 2m03cm
・バルセロナ1992 ハイケ・ヘンケル選手(ドイツ) 2m02cm
・アトランタ1996 ステフカ・コスタディノヴァ選手(ブルガリア) 2m05cm
・シドニー2000 エレーナ・エレシナ選手(ロシア) 2m01cm
・アテネ2004 エレーナ・スレサレンコ選手(ロシア) 2m06cm
・北京2008 ティア・エルボー選手(ベルギー) 2m05cm
・ロンドン2012 アンナ・チチェロワ選手(ロシア) 2m05cm
・リオデジャネイロ2016 ルート・ベイティア選手(スペイン) 1m97cm

 男女を問わず、走り高跳びが非常にデリケートな競技であることは、衆目の一致するところです。
 自己ベスト記録がいかに高くとも、オリンピックの決勝の場で、その力を発揮できるかどうかが鍵となるのです。大きなプレッシャーの中で、長時間にわたる競技を続け、跳んだ本数や自身の体調・筋力等を管理して、他の選手の競技結果も十分に考慮しながら、試技を重ね、栄光を手にするのは容易なことではありません。

 従って、「連覇」の難しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
 この15回の大会で連覇を成し遂げているのは、ローマ1960と東京1964を制したヨランダ・バラッシュ選手唯一人です。
 バラッシュ選手は、おそらくは「史上最強の女性ジャンパー」でしょう。

 まだ、背面飛びの無い時代に、正面飛びで1957年から1967年にかけて「150連勝」を記録し、175cmから195cmまで14回、世界記録を更新しています。
 デリケートな種目における安定した強さは、比類無きものでしょう。
 1961年に樹立した1m91cmの世界記録は、10年間の長寿を誇りました。
 理論的に優れている、新しい跳躍方法が生み出されてくる時期のことですから、驚異的な10年間でしょう。

 もうひとり、オリンピックを2度制覇したジャンパーが居ます。
 ミュンヘン1972とロサンゼルス1984を制したウルリケ・マイフェルト選手です。
 16歳でミュンヘンのチャンピオンになったことも驚きですが、12年後の28歳の時ロス1984で再び王座に就いた、しかも10cmも記録を伸ばして。マイフェルト選手の選手寿命の長さと勝負強さを示しています。

 このマイフェルト選手の最年長優勝記録を破ったのは、アトランタ1996のコスタディノヴァ選手でした。31歳での金メダル獲得でした。
 コスタディノヴァ選手も1980年代から90年代にかけて、女子走り高跳び界を席巻したジャンパーですが、こうして観てくると、女性トップジャンパーは選手寿命が長い傾向がありそうです。
 極めてデリケート、克服しなければならない要素が沢山ある競技ならではの傾向なのかもしれません。

 「2mジャンパー」は、いつの時代も女子走り高跳び選手にとっての尊称です。

 21世紀になり、2mを越えなければ国際大会での優勝は難しい時代となりましたけれども、リオ2016の優勝記録を観ても、まだまだ「2mの壁」は厚いのです。

 温故知新の男子バレーボール編です。

 バレーボール競技は、男女ともに1964年の東京オリンピックから正式種目となりました。
 開催国・日本が強い種目であったことも、正式種目への追加に大きな影響があったと思います。
 
 東京1964からリオデジャネイロ2016までの、金・銀・銅メダル獲得チームを観て行きたいと思います。

・東京1964 金・ソビエト、銀・チェコスロバキア、銅・日本
・メキシコシティ1968 金・ソビエト、銀・日本、銅・チェコスロバキア
・ミュンヘン1972 金・日本、銀・東ドイツ、銅・ソビエト
・モントリオール1976 金・ポーランド、銀・ソビエト、銅・キューバ
・モスクワ1980 金・ソビエト、銀・ブルガリア、銅・ルーマニア
・ロサンゼルス1984 金・アメリカ、銀・ブラジル、銅・イタリア
・ソウル1988 金・アメリカ、銀・ソビエト、銅・アルゼンチン
・バルセロナ1992 金・ブラジル、銀・オランダ、銅・アメリカ
・アトランタ1996 金・オランダ、銀・イタリア、銅・ユーゴスラビア
・シドニー2000 金・ユーゴスラビア、銀・ロシア、銅・イタリア
・アテネ2004 金・ブラジル、銀・イタリア、銅・ロシア
・北京2008 金・アメリカ、銀・ブラジル、銅・ロシア
・ロンドン2012 金・ロシア、銀・ブラジル、銅・イタリア
・リオデジャネイロ2016 金・ブラジル、銀・イタリア、銅・アメリカ

 こうして観てくると、伝統的にロシア(旧ソビエト)チームが強いことが分かります。
 東京1964、メキシコシティ1968を連覇した後、常に上位に顔を出し、ロンドン2012において、久し振りにオリンピックチャンピオンとなりました。

 ロス1984からの、ブラジルチームの強さも際立っています。
 この大会で銀メダルを獲得したブラジルチームは、バルセロナ1992で初めて金メダルに輝き、以降もアテネ2004とリオ2016でオリンピックチャンピオンとなっています。
 他の大会でも、着実に「銀」「銅」を獲得していますから、21世紀最強はブラジルチームと言って良さそうです。

 意外なことは、イタリアチームがまだ金メダルを獲得していないことでしょうか。
 常に、スタープレーヤーによる「華やかなバレーボール」を披露してくれるイタリアですが、アトランタ1996、アテネ2004、リオ2016の銀メダルが最高です。
 こうなると「イタリアチームはオリンピック決勝に弱い」と言われてしまいそうです。

 日本チームは、東京1964で「銅」、メキシコシティ1968で「銀」と来て、ミュンヘン1972で悲願の「金」に輝きました。
 当時、「ミュンヘンへの道」というテレビ番組(アニメ)がTBSから毎週放送され、松平康隆監督のもと、猫田勝敏選手、森田淳悟選手、横田忠義選手、大古誠司選手、南将之選手らの成長と活躍が描き出されていました。
 何か「ミュンヘンで金メダルを取ることが既定路線」であるかのような「創り」でした。
 この番組は、とても人気があり、高視聴率を叩き出していたと思いますが、「こうまでして優勝できなかったら、どうするつもりなのだろう」と余計な心配もしていました。

 しかし、それは「杞憂」でした。

 本当に見事な有言実行だったのです。

 準決勝・ブルガリア戦の大逆転、そして決勝・東ドイツ戦の勝利と、日本のファンは深夜に渡る応援を続け、「男子バレー・金メダル」の話題に酔い痴れました。

 このミュンヘンでの快挙以降、日本チームはオリンピックにおいて好成績を残せずに居ます。

 我が国のバレーボール人気は、その水準の高さにおいて世界屈指でしょう。

 そうした環境下、東京2021における「日本男子バレーの復活」が期待されるところなのです。

 6月6日に行われた、ブンデスリーガ2019~20年シーズン第30節のゲーム、フランクフルトVSマインツ戦に先発出場した長谷部誠選手は、ドイツ・ブンデスリーガ1部のゲームに309試合目の出場となり、これまでのアジア人プレーヤーの記録であった車範根(チャブンクン、韓国)選手の308試合出場を抜いて、最多記録を達成しました。

[6月6日・第30節・コメルツバンクアレーナ]
FSVマインツ05 2-0 アイントラハト・フランクフルト

 長谷部選手にとって記念すべき試合でしたが、残念ながら、フランクフルトはマインツに敗れてしまいました。

 この試合には、もうひとりの日本人プレーヤー鎌田大地選手も先発出場していました。

 長谷部選手が、浦和レッズからブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクに移籍したのは2008年1月1日でした。
 以降2012~13年シーズンまでヴォルフスブルクでプレーし、2013年9月2日1FCニュルンベルクに移籍しました。同じブンデスリーガのチームです。
 そして、2014年6月2日、アイントラハト・フランクフルトと契約を結び、移籍しました。再び、ブンデスリーガのチームでした。

 それから今日に至るまで、長谷部選手はフランクフルトでプレーしてきたのです。

 この間2018年まで日本代表としてもプレーし、2010年5月以降は長くキャプテンの重責を果たしたことは、ご承知の通りです。

 ポジションに対する長谷部選手の拘りが「ボランチ」にあることも、広く知られています。
 ニュルンベルクへの移籍は、まさにボランチをやりたいからこそでした。

 一方で、チームの要請に従って、右サイドバックやセンターバックといった別のポジションにも、十分に対応できるところが、長谷部選手の強みなのでしょう。

 そして何より、冷静かつ骨身を惜しまぬプレー振りが、ブンデスリーガで高く評価されているのです。

 世界屈指のリーグの中で、チームが変わり、同じチームにおいても監督が交替して行く過程で、「出場を続けること」の難しさは、言うまでもないことでしょう。
 世界的なスーパースターが、そうした要因により出場できなくなる例を、私達は数多く観てきています。

 1984年生まれの長谷部選手も36歳になりました。さすがにプライムタイムは過ぎたのです。
 しかし、再開後のゲームにおいても、凄いオーバーラップを魅せてくれています。
 まだまだ走れる、十分な運動量を具備しているのです。

 長谷部選手には天性のリーダーシップが備わっています。
 そのリーダーシップは、「俺が、俺が」と出しゃばってPRするものとは全く異なり、「自然にリーダーになっている」という感じのリーダーシップに観えます。
 かつて、日本代表チームのアルベルト・ザッケローニ監督が「彼以外には居ない」と、最初から長谷部選手をキャプテンに指名したのは、有名な話です。

 長谷部選手は、自然体で自らの思想をプレーに活かしてきていて、ブンデスリーガの同僚プレーヤー達から常に高い評価を受けてきました。
 「生まれながらのリーダー」と呼ぶに相応しい、素晴らしい資質を備えた長谷部誠選手は、どこまで記録を伸ばして行ってくれるのでしょうか。

 温故知新2020の男子テニス編その5です。

 第二次世界大戦前、ビル・チルデン選手を中心として、世界の男子テニスをリードしたアメリカ合衆国ですが、戦後は、フランク・パーカー選手やジャック・クレーマー選手、パンチョ・ゴンザレス選手の活躍はあったものの、1956年のケン・ローズウォール選手から1962年のロッド・レーバー選手まで7年連続で全米オープン・シングルスの優勝をオーストラリア勢に奪われるなど、1967年までアメリカ選手が優勝できないといった、劣勢の時期を迎えてしまいました。

 こうした流れの中で、1968年の所謂「オープン化」後に、男子テニス界における「強いアメリカ」を取り戻したのが、ジミー・コナーズ選手であろうと考えています。

 コナーズ選手は1972年にデビューし1996年に引退していますが、そのキャリア中の「安定した強さ」は抜きん出ていました。
 4大大会の成績ももちろん良いのですが、一般のATPツアーにおける強さが際立っていて、世界ランキング1位の地位を長く保持したのです。

① 4大大会シングルス8回優勝(全豪1、全英2、全米5)
② ATP(男子テニス協会)ツアー・シングルス優勝数109(歴代1位。2位は103勝のロジャー・フェデラー選手)
③ ATPツアー・シングルス勝利試合数1,274(歴代1位。2位は1,242勝のロジャー・フェデラー選手)
④ ATPツアー世界ランキング1位通算268週(歴代5位。ライバルであったジョン・マッケンロー選手の170週、ビョルン・ボルグ選手の109週を大きく凌いでいます)

 コナーズ選手は、1974年に全豪・ウィンブルドン・全米のシングルスを制覇しました。
 そして同年7月に、初めて世界ランキング1位となったのです。圧倒的な強さを示した年でした。
 ところが、翌1975年、同じ全豪・全英・全米のシングルスで決勝に進出しましたが、いずれも敗れ準優勝に終わりました。

 そして、その後、コナーズ選手は「4大大会に出場したりしなかったり」するようになりました。これだけ強い選手、男子テニス界を「牽引」していたプレーヤーとしては、とても珍しいビヘイビアであったと感じます。
 コナーズ選手の全豪出場は、1975年が最後となりました。
 1976年、1977年は、全英と全米にしか出場しませんでした。

 一方で、4大大会以外の大会でのコナーズ選手の強さは別格でした。
 ジミー・コナーズという「稀代」のテニスプレーヤーの、ある意味では「不思議な」出場試合選択であったと思います。

 コナーズ選手のプレーの特徴と言えば、「フラットな強打」でしょう。
 華麗なスライスショットが主流であったテニス競技に、強烈なフラットショットを持込み、その荒々しいプレーが「時代を魅了」したのです。
 そして「バックハンドの両手打ち」も新時代を開くものだったのでしょう。
 これは、ライバルのビョルン・ボルグ選手と共に為されたもので、女子のプレーであった「バックハンド両手打ち」を男子テニス界に持ち込んだパイオニアであったことは、間違いないと思います。

 「野獣」とも称された元気いっぱいのプレーは、とても人気が高く、特にアメリカのテニスファンの絶大な支持を得ていたと感じます。

 ビョルン・ボルグ選手(スウェーデン)、ジョン・マッケンロー選手(アメリカ)と共に、男子テニス界のひとつの全盛期を築いたジミー・コナーズ選手のプレーには、いつも「ワクワク」させられました。

 新型コロナウイルス禍のために、多くのスポーツイベントが延期・中止なっている時期は、撮り貯めた録画を自宅で楽しむのが良いようです。
 今回はユーロ(欧州選手権)2000ベルギー・オランダ共催大会の準決勝です。

[2000年6月28日・ロワボードワンスタジアム(ブラッセル・ベルギー)]
フランス2-1ポルトガル(延長)

 ワールドカップやユーロという大きな大会で、特定の代表チーム同士のカードが数多く組まれる可能性は、当然ながら高くは無いのですが、「組まれてしまえば必ず好勝負」というのが、ポルトガルVSフランスなのでしょう。(本ブログ2020年4月17日付の記事「[UEFA-EURO1984準決勝] フランスチーム ポルトガルチームとの「死闘」を制す」をご参照ください)

 このゲームも大接戦、滅多に観られない好ゲームとなりました。
 小説を書くとしても、このストーリーは難しいかもしれないとさえ感じます。

[フランスチームの先発メンバー]
1. GKバルテズ選手
2. リザラス選手
3. ヴィエラ選手
4. ブラン選手
5. デシャン選手
6. ドゥサイー選手
7. アネルカ選手(21歳)
8. ジダン選手
9. アンリ選手(22歳)
10. テュラム選手
11. プティ選手

[ポルトガルチームの先発メンバー]
1. GKバイーア選手
2. ジョルジュ・コスタ選手
3. ヴィディカル選手
4. フェルナンド・コウト選手
5. フィーゴ選手
6. ルイ・コスタ選手
7. セルジオ・コンセイソン選手
8. ディマス選手
9. シャビエル選手
10. コスティーニヤ選手
11. ヌーノ・ゴメス選手

 フランスチームは、1998年ワールドカップ優勝チームの強力な守備陣に、若いアンリ選手やアネルカ選手が加わって、一層チームのバランスが良くなっています。
 そういう意味では、20世紀から21世紀にかけて、「最強のチーム」に成りつつあったとも言えるでしょう。

 一方のポルトガルチームも、ルイス・フィーゴ選手、ルイ・コスタ選手、フェルナンド・コウト選手らを始めとする所謂「ゴールデンエイジ」が全盛期を迎えていましたから、とても強いチームに仕上がっていたのです。

 ゲームは、個人技で攻めるポルトガルと、組織的に攻撃するフランスの、一進一退の攻防が続きました。とてもハイレベルな攻防です。

 フランスは、22歳のティエリ・アンリ選手と21歳のニコラ・アネルカ選手という「売出し中」の若手フォワードFWとジネディーヌ・ジダン選手がポルトガルゴールを目指して、再三攻撃を仕掛けます。
 ポルトガルは、右サイドからセルジオ・コンセイソン選手、左サイドからルイス・フィーゴ選手が、ドリブルで攻め上がり、センターFWヌーノ・ゴメス選手にボールを供給します。

 これに対して、フランスチームの「鉄壁の守備陣」、マルセル・ドゥサイー選手、ディディエ・デシャン選手、ビセンテ・リザラス選手、ローラン・ブラン選手らが良く守ります。
 この時のフランスのバックスBK陣は、おそらくは世界サッカー史上でも屈指の守備力を誇っていたでしょう。
 この4バックで戦ったゲームは「無敗」であったとも言われています。(1998年ワールドカップと2000年ユーロの連続優勝を成し遂げた原動力です)

 そのフランスチームの堅陣を破ったのは、前半19分の攻撃でした。
 ポルトガルチームが右サイドから攻め上がり、ボールがヌーノ・ゴメス選手に入り、ゴメス選手は左に動きながらシュート。これが、フランスゴール左隅上部に突き刺さりました。
 素晴らしいシュートでした。

 このチームのフランスのゴールキーパーGKファビアン・バルテズ選手も、とても良いGKでしたが、このシュートを止めることは出来ませんでした。
 ゴメス選手のシュートが勝ったのです。

 同点を目指してフランスが攻めかかりますが、ポルトガルはペナルティーエリア付近での強いディフェンスにより、決定的な形を創らせません。
 良く守っていました。

 ゲームはポルトガルが1-0とリードして後半に入りました。

 後半に入ってもフランスの攻撃が続きます。
 
 そして、後半6分、ポルトガルゴール前右側からアネルカ選手が、ゴール前に居たアンリ選手にパス、アンリ選手は反転してシュート、これがポルトガルゴール左隅に突き刺さりました。
 アネルカ選手の正確なパスと、アンリ選手の素早く強いシュート。
 フランスチームの新しい2トップが、その威力を存分に発揮したのです。

 ポルトガルのGKビトール・バイーア選手も、このゲームにおいて好セーブを連発していましたが、このシュートは止められませんでした。
 このゲームが好ゲームとなった大きな要因のひとつは、両GKの好セーブであることも間違いありません。

 さて、ゲームは1-1の同点となって、ゲームは90分を終え、延長に入りました。
 延長に入っても、一進一退の状況は不変でした。
 
 延長も後半となり、「死闘」は続きます。

 そして延長後半10分過ぎ、フランスが攻めます。
 前掛かりとなっていたポルトガル陣へのカウンター。
 シルヴァン・ヴィルトール選手がドリブル突破、ダビッド・トレゼゲ選手にパス、トレゼゲ選手がシュート体勢に入ったところで、トレゼゲ選手の足許に飛び込んだGKバイーア選手が弾き再びボールはピッチに、これをヴィルトール選手が右サイドからシュート、このシュートがポルトガルDFアベル・シャビエル選手の左手に当たりペナルティーキックPKが宣せられました。

 この判定に対して、ポルトガルチームが猛抗議。
 シャビエル選手の「手に当たった」のであって、「手を使ったのではない」という抗議だったのでしょう。

 両チームの選手達がポルトガルゴール前に集まって入り乱れます。
 フランスGKバルテズ選手まで登場しています。

 ヴィルトール選手とシャビエル選手の距離は3~4mで、強烈なシュートでしたから、「手に当たった」と観ることもできますが、シャビエル選手の左手がわずかに上げられているのを観ると「手を上げて止めた」ようにも観えます。
 何度観ても、どちらとも取れるプレーです。

 そして、このシュートはシャビエル選手に当たっていなければ、ゴールインしていたとも思います。角度の無いところからのシュートでしたが、間違いなく「枠」に行っていました。

 もちろん、当たったのであろうが当てたのであろうが、手を使ったことがゲームに影響を与えたのであれば反則である、という見方もあるのでしょう。

 ポルトガルチームの抗議は延々と続きましたが、判定が覆ることはありませんでした。
 
 このPKを蹴るのはジダン選手。
 ロワボードワンスタジアムは、抗議の指笛が響き続けました。
 ベルギーとオランダの共同開催であった大会の、準決勝の舞台には、ポルトガルチームを応援するファンの方が多かったのでしょう。
 世界チャンピオン・フランスチームに対しての「判官贔屓」であったのかもしれません。

 ジダン選手は、長い助走を取り、ゴール左上に突き刺しました。
 どのようにしても、どんなGKでも、止められないであろう強烈なPKでした。
 ジダン選手の強じんな精神力を感じさせるキックでした。

 この大会はゴールデンゴール方式でしたので、これで試合は終了しました。

 2-1、フランスチームが勝ち上がりました。
 ポルトガルチームのユーロ制覇への挑戦、ゴールデンエイジを主体とした強力な代表チームの挑戦は、終わりを告げたのです。

 このゲームは、成長を続ける世界チャンピオン・フランスチームと、完成されたポルトガルチームの激突であったと感じます。
 輪郭のしっかりした数多くのプレーヤーが、ピッチを縦横無尽に動き回った好ゲームでした。

 そして、私にとっては大好きなセルジオ・コンセイソン選手の、最盛期の雄姿を楽しむことが出来る大切な録画なのです。

プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
「スポーツを考える-KaZ」ブログへ
ようこそ!
我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

最新記事
最新コメント
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Page Top
CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930