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HOME   »  2020年07月22日
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 7月21日、ビワハヤヒデの死去が報じられました。
 老衰の為、30歳で亡くなったと。まさに大往生でしょう。

 とても強い「芦毛の名馬」でした。

① 勝つ時にはとても強く、負ける時は惜敗

 初のG1制覇であった1993年の菊花賞は2着ステージチャンプに5馬身差、1994年天皇賞(春)は2着のナリタタイシンに1と1/4馬身差、同じ年の宝塚記念は2着のアイルトンシンボリに5馬身差、同じ年の京都記念G2は2着のルーブルアクトに7馬身差と、優勝する時のビワハヤヒデは、圧倒的な強さを魅せてくれました。

 一方で、敗れたレースは、1992年の朝日杯3歳ステークスがエルウェーウィンにハナ差の2着、1993年の皐月賞がナリタタイシンにクビ差の2着、日本ダービーがウイニングチケットに1/2馬身差の2着、同じ年の有馬記念がトウカイテイオーに1/2馬身差の2着と、何か「遠慮したかのような」惜敗が多かったと感じます。

 間違いなく、「高いレベルでの安定した強さ」を具備していたのです。

② 15走連続の連対

 デビューの新馬戦から、15走目の産経賞オールカマーG3まで、15走連続で2着以内を確保しました。
 凄い記録です。
 これは、日本記録であるシンザンの19走連続連対に次ぐ、日本2位の記録なのです。
 この点ならば、シンボリルドルフやディープインパクトをも凌いでいます。

③ ナリタブライアンとの兄弟対決ならず

 これ程強かったビワハヤヒデが、当時あまり目立たなかった理由のひとつとして挙げられるのが、1歳年下の半弟・ナリタブライアンの存在でしょう。
 三冠馬・ナリタブライアンの活躍は、その「勝ちっぷりの豪快さ」も相俟って、この時代を代表するサラブレッドとしての評価が高かったのです。

 1994年の有馬記念において、「兄弟対決」が期待されましたが、ビワハヤヒデは天皇賞(秋)で故障を発症し、初めて5着に敗れて、そのまま引退してしまいました。

 現在でも、ナリタブライアンとビワハヤヒデがあの有馬記念で戦ったら、どちらが強かったか、という話が、競馬仲間内で出ることが有りますが、私はビワハヤヒデが僅かに上だったのではないかと考えています。

④ 30歳という長寿

 競走馬で、30歳以上の長寿を全うする馬は滅多に居ません。
 G1レース3勝、1993年の年度代表馬といった、栄光の道を歩み、長寿を全うしたビワハヤヒデは、素晴らしいサラブレッドだと思います。

 ビワハヤヒデ号、父シャルード(芦毛。フォルティノ系)、母パシフィカス、母の父ノーザンダンサー。通算16戦10勝・2着5回。

 ビワハヤヒデのレースの中では、やはり菊花賞が印象的でした。
 上がり3ハロン・34秒5という、出走馬中最速で走り、ゴールに向かって、どんどん差を広げたのです。

 「強いなぁ」と呟きました。

 ご冥福をお祈り申し上げます。
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