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HOME   »   日本プロ野球  »  [NPB] 野茂 秀雄の『幸運』
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 いきなりクイズです。日本人メジャーリーガーで、初めてホームランをMLBのゲームで打ったのは誰でしょう。

 有名な話ですが、野茂秀雄投手です。1998年4月28日、メジャー4年目のロサンゼルス・ドジャーズ時代、ミルウォーキー・ブルワーズ戦の7回でした。このゲームはNHKのBS放送で観ていました。
 振り切った野茂の打球が、レフトスタンドの観客席と観客席の間の2m程の隙間(通路なのでしょうか)に落ちて行きました。この試合で、野茂はMLB通算45勝目を挙げています。投手にも打席が回ってくるナショナル・リーグNLの球団に所属したので、日本人メジャーリーガーの初ホームランを達成することが出来た訳ですが、野茂秀雄投手の野球人生には、こうした「巧まざる幸運」が鏤められているような気がします。

[ひとつ目の幸運]
 野茂は、1968年・昭和43年に大阪市に生まれました。小学校・中学校と野球をしていましたが無名だったようで、野球どころ大阪の名門高校のセレクションをいくつか受けたのですが不合格になりました。
 これが、ひとつ目の幸運だったと思います。もちろん本人は残念だったのだろうと思いますが、甲子園で名を馳せる名門高校に入学・入部していたら、野茂の個性が抑圧されて、あのトルネード投法も生まれなかったかもしれないからです。それにしても、各名門野球部の名監督達が、ひとりも野茂の才能を見抜けなかったことは意外です。野茂秀雄少年の才能は、海千山千の名監督達の眼力を遥かに超越する程、大きなものだったのかも知れません。
 野茂少年は、この幸運により、自らの才能を自由に伸ばす機会に恵まれた訳です。

[ふたつ目の幸運]
 大阪府立成城工業高校に進んだ野茂は、その才能を徐々に開花させ甲子園大会大阪大会で完全試合を達成するなどの活躍をしました。レベルの高い大阪大会ですから、甲子園に出場することはできませんでしたが、高校時代に既に体を捻じって投げていたそうです。

 高校卒業した野茂は、新日鉄堺に就職し社会人野球で投げることを選びました。高校卒業時に既に近鉄バッファローズから誘いがあったそうですし、各大学野球部に進学することもできたと思うのですが、野茂は社会人野球を目指したのです。おそらく「野球がしたかった」のだろうと思います。一番野球が出来る環境を選択したのではないかと考えます。

 新日鉄堺でフォークボールを習得します。最初スライダーの練習をしたのですが、上手く行かず、フォークに切り替えたのだそうです。
 入部2年目には、フォークを武器にチームを都市対抗野球大会出場に導き、1988年のソウルオリンピックでは日本チームの銀メダル獲得に貢献するなど、社会人野球・アマチュア球界を代表する投手になりました。
 私は、社会人時代の野茂の投球を見ていません。あのフォークが都市対抗野球で見られたのに、それを見に行かなかったことを大変悔みます。

 そして1989年のドラフト会議を迎えます。この会議で、野茂は8球団から指名を受けました。現在でもドラフト史上最多記録である8球団からの指名でしたが、抽選の結果、近鉄バッファローズが交渉権を獲得しました。どの球団から指名されても入団すると言っていた野茂ですので、近鉄でプレーすることになりました。

 これが、ふたつ目の幸運だと思います。阪神タイガースのような人気球団に入ってしまい、ファンやマスコミからの厳しい指摘が続く環境に置かれなかったという意味です。近鉄との契約書に「投球フォームを変更しない」という条項を加えた野茂投手は、引き続き、自由に自らの才能を伸ばす機会に恵まれたのです。

[三つ目の幸運]
 近鉄入団後の1年目から、野茂投手は好成績を残します。29試合に登板し、235イニングを投げ、18勝8敗、287奪三振、防御率2.91という、好成績というよりは驚異的な成績で、とても新人のレベルではなく、いきなり球界を代表する投手に駆け上がったのです。

 結局この年、新人王はもちろんとして、最多勝利・最優秀防御率・最高勝率・最多奪三振の投手部門4冠を独占し、ベストナイン・沢村賞そしてリーグMVPにも輝きました。およそ投手が獲得できる賞の全てを獲得した形ですが、中でも特筆すべきは沢村賞です。沢村賞は1988年までセントラルリーグの投手に限定された賞だったのですが、1989年からパシフィックリーグの投手にも拡大されました。そのパ・リーグで最初に沢村賞を受賞したのです。素晴らしいとしか言いようのない大活躍でした。

 そして2年目から4年目(1991年~1993年)も、野茂投手は活躍を続けました。17勝・18勝・17勝という安定した勝ち星も素晴らしいのですが、毎年200イニング以上(242、216、243)を投げ続けたところが最も評価される点だと思います。こうして日本プロ野球NPBを代表する大投手に成長したのです。

 しかし、近鉄5年目の1994年7月に191球の完投勝ちをしたのが響いたのか、右肩痛を発症し戦線を離脱、このシーズンは114イニングの登板に留まり8勝7敗でした。こうした多投球数の完投は、投手の肩に大きな負担を残します。他の大投手にもみられる現象です。ベンチ・監督の投手起用・采配に問題があると思います。

 一方で近鉄球団は、1993年に鈴木啓示が監督に就任しました。鈴木監督は、もともと317勝の実績を誇る投手出身でしたので、野茂の投球の細かい点について干渉したようです。もともと契約書にも「投球フォームを変更しない」という条項を加えた野茂でしたので、こうした干渉には嫌悪を覚えたことでしょう。

 この右肩痛と鈴木監督との確執が、三つ目の幸運だと思います。右肩痛が、ベンチ・監督の無茶な起用法が原因であったかどうかはともかくとして、監督との確執が続く状況は、近鉄球団における野茂投手の投球意欲の継続に大きな影響を与えました。

 もし、近鉄入団時の監督で野茂のことを良く理解し、調整等も任せてくれた仰木彬監督が1993年以降も続投していたら、野茂の近鉄退団→メジャーリーグ挑戦は実現しなかったことでしょう。野茂は仰木監督を信頼・尊敬していました。
 当時の同僚だった金村義明氏の著書の中で、野茂の言葉として「僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけではない。ただあの監督(鈴木)のもとでは、野球はやれないと思った」と紹介されています。

 加えて、近鉄球団も1994年の契約更改の際に、右肩痛の欠点を前面に立てての契約更改交渉を展開「君はもう近鉄の顔ではない」とか「野茂の要求は年俸つり上げの口実」だと公言するなどしました。「お金の問題ではない」と主張する野茂との話し合いが上手くいかないのは当然のことで、最終段階で近鉄球団はトレードや自由契約とせず、任意引退(野茂選手の保有権が近鉄に残る形)とすることでNPBの他の球団でのプレーが出来ないようにする措置を取るに至りました。

 契約更改の場における球団と選手の鬩ぎあいは、他の選手においても時々耳にしますし、どちらがどうということは、一概には言えないことでしょうが、この野茂選手の場合には近鉄球団が取った対応手法が野茂秀雄という人物を全く理解していなかったという点で極めて粗末であり、間違いであったことが明らかです。
 しかし、その間違いのお蔭で、野茂が大好きな野球を続けるためには、メジャーリーグに行くしかなくなった訳ですから、結果としては良かった?のでしょう。野茂投手は、近鉄球団関係者の狭い視野に入りきらない、大きなプレーヤーだったことになります。

 野茂とは全く合わない監督との出会いと近鉄球団の対応は、当時の野茂には耐えがたい苦痛だったことでしょうが、結果的には野茂本人にも、そして私達野球ファンにも新しい世界、ドリームワールドに導いてくれるキッカケになりました。不幸に見えることが実は幸運であるということが、人生にはあるのでしょう。もちろん、その後の野茂投手の努力・頑張りによって、幸運の扉が開いたことは言うまでもありません。

 NPB5年間の野茂投手の通算成績は、139試合に登板し、1051イニングを投げ、78勝46敗、1204奪三振、防御率3.15という、堂々たるものです。26歳までNPBで投げた訳ですが、もし野茂投手が、前述のような幸運?に恵まれず、NPBで投げ続けていたら、どんな投手になっていたのでしょうか。

 NPBで野球を続けていたとしても、おそらく伝説的な成績を残していたことは間違いないと思いますが、翌1995年からMLBに挑戦したHIDEO NOMO選手も、やはり伝説的な活躍を披露したのです。(→MLB HIDEO NOMO編へ)

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