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HOME   »   競馬  »  [競馬コラム24] 日本最長距離ステークスとホワイトフォンテン
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 今週土曜日12月1日には、第46回ステイヤーズステークスG2が中山競馬場で開催されます。ステイヤーズSは、距離3600mで行われる、現在我が国で実施されている平場競走としては最長のレースです。1967年に重賞に格上げされたステイヤーズSですが、丁度同じ頃、中山競馬場の条件戦として、外回りの芝コースを2周する距離4000mの「日本最長距離ステークス」が行われていました。

 日本最長距離ステークスは、1968年・昭和43年~1975年・昭和50年まで8回行われました。

 昭和40年代までの我が国のレース体系は、大レースといえば日本ダービー2400m、有馬記念2500m、天皇賞3200mと距離の長いレースが多く、1600m~2000mの中距離を得意とする馬にとっては、いわゆるG1級のレースでの活躍の場があまりありませんでした。
 そこで、中央競馬会は1980年代以降中距離の大レースの創設に努めてきたことは、以前の本ブログでも記載の通りです。

 しかし一方で、長距離馬・ステイヤー向けの条件戦も不足していたのです。確かに、太平洋戦争後に再興された日本競馬においては、長距離の大レースは存在していたのですが、条件戦としての長距離レースは少なかったのです。
 中距離、短距離の条件戦は、新馬戦、未勝利戦を始めとして、ある程度存在していたわけですから、その意味からは一流馬ではないステイヤー血統の馬の活躍の場は、元々とても少なかったことになります。そして、その後の中距離血統全盛時代の到来により、一流馬ではないステイヤーが活躍する場は、ますます減ってきているのです。

 さて、日本最長距離ステークスですが、戦前に中山競馬場で実施されていた「中山四千米競走」が再興される形で、戦後1968年に始められたのです。僅か8回で終わってしまった理由は、
① 出走馬数が少なかったこと。
② レース展開によって、毎年の走破タイムの差が大きかったこと。→超スローペースの前半になり、上がり1000mのレースになってしまうことが多かったのです。

 1974年・第七回のレースは、当時のNO.1ジョッキー加賀武見騎乗のキクオーカンが絶妙のペースでリードし、4分15秒6のレコードタイムで勝ちましたが、翌1975年のレースは、まるでキャンターのような前半の展開になり、典型的な上がりのレースになってしまって、勝ちタイムは4分46秒1というものでした。
 私もこのレースを見ていましたが、良馬場のレースであったと思います。馬場状態が悪くない中で、前年の走破タイムより30秒以上遅くなり、まるで調教のようだ、といった批判が出され、この1975年を最後に日本最長距離ステークス4000mは幕を閉じたのです。

 この1975年、最後の日本最長距離ステークス・ウイナーがホワイトフォンテンでした。

 ホワイトフォンテン号、父ノーアリバイ、母レベッカの弐、母の父はダイハード。生涯成績は50戦11勝。葦毛の逃げ馬でした。いつも、3~4馬身位、2番手の馬を離して、淡々と逃げを打ち、勝つ時は最後の直線で再加速して突き放す、というレース振りでした。
 小柄でお世辞にも綺麗とは言えない斑の葦毛馬が、時代時代の一流馬を相手にした重賞競走で、いつ捕まるのかなと思って見ていると、ゴール板まで先頭で走り切るものですから、高配当のレースも多く、人気がありました。「鼠みたいな馬」とも言われましたが、大変人気のある馬であったと思います。

 静かに逃げるレース振りから「白い逃亡者」というニックネームを戴いていました。お父さんの名前がノーアリバイというのですから、これはもう出来過ぎです。
 そのホワイトフォンテンが、オープン馬になるきっかけとなったレースが、1975年3月の日本最長距離ステークスだったのです。このレースも、ホワイトフォンテンが逃げましたが、その後のレースのように2番手の馬に差を付けての逃げではなく、ほんの1馬身差でひたひた逃げたと記憶しています。このペースの遅いことといったら、本当にキャンターのようで、レース前の返し馬より遅い感じ。小頭数の馬が一列になってゆっくりと走っています。2週目の2コーナーあたりから、ようやくスピードが上がり始め、そのままゴールまで緩みの無いペースを保って優勝しました。何か、ほのぼのとした5分弱のレースでした。

 この勝利によりオープン入りしたホワイトフォンテンは、同じ1975年6月の日経賞2500mに挑戦します。日経賞は現在でもG2のレースであり、当代一流の古馬が出走してくるレースですが、グレード制導入以前の1970年代も同様で、この年の日経賞にも、天皇賞馬フジノパーシア、同じく天皇賞馬イチフジイサミ、オークス馬トウコウエルザ、日本短波賞やセントライト記念に勝った実力馬スルガスンプジョウ、NHK杯馬ナスノカゲといった強豪馬が出走してきました。
 ブービー人気だったホワイトフォンテンは、2着のフジノパーシアに2と1/2差をつけて、このレースを逃げきりました。単勝は万馬券だったと思います。この辺りから、一部の熱烈なファンを持つようになりました。

 続いて秋の毎日王冠も、キッチリ逃げ切り勝ち。重賞2勝の実績を引っ提げて、その年の有馬記念に駒を進めます。ホワイトフォンテンは、他の逃げ馬と同様に、ノーマークで逃げた時に粘り脚を披露するのですが、さすがに有馬記念ともなるとノーマークというわけには行かず、緩みの無いペースで逃げさせられ、息を入れる間が無く直線失速、最下位の13着に終わりました。
 このレースの4コーナーを回るホワイトフォンテンの姿が想い出されます。既に一杯の様子で懸命に4コーナーを回る姿です。やはり、注目されるとしんどいな、と感じました。

 この有馬記念の大敗で、注目されなくなったホワイトフォンテンは、翌1976年1月のアメリカジョッキークラブカップに出走します。このレースも、現在G2のレースですが、当時も格の高いレースで、有馬記念を戦った一流馬が、翌年の緒戦とするレースでした。この年のレースにも、前年の有馬記念馬イシノアラシや菊花賞馬コクサイプリンスらの八大競走優勝馬が出走してきました。
 有馬記念で底をみせた?ホワイトフォンテンは、このレースは定位置?のブービー人気。マークもされませんから、こうなると如何なく力を発揮します。キッチリ2400mを逃げきり優勝しました。
 そして、7月の日経賞を連覇しました。歴史と伝統の日経賞を連覇したのは、ホワイトフォンテンが初めてでした。これで重賞4勝目ですから、立派な強豪馬になったと思ったものです。

 さすがに重賞4勝馬ともなると、その後のレースではノーマークというわけには行かず、秋の天皇賞3200mではロングホークに先行を許し、3コーナーから失速して大敗。もはや一流馬の仲間入りをしたホワイトフォンテンは、秘かに逃げることが出来なくなっていたのです。
 1977年のアメリカジョッキークラブカップに連覇を目指して出走してきましたが、レース前に故障を発生し、そのまま引退しました。1972年から1977年まで6年間にわたり50戦に挑んだ、丈夫で長持ちのサラブレッドでした。

 競走馬を引退したホワイトフォンテンは、種牡馬としても長く活躍しました。長距離得意の逃げ馬という、あまり喜ばれない血統でしたし、産駒に重賞勝ち馬も居ないのですが、不思議と人気があり、最晩年まで種付を行っていたようです。
 1996年新冠の隆栄牧場で亡くなりました。27歳で老衰という大往生です。本当に健康な馬だったのだと思いますし、「無事これ名馬」の一頭でしょう。ひょっとすると産駒も丈夫な馬が多く、それが種牡馬としての安定した人気に繋がっていたのではないかとも思います。

 私は今から30年前、大好きなサラブレッド達に会うために、夏休みに友人と北海道を回りました。そして、ホワイトフォンテンの居る牧場も訪問しました。現役時代に比べて、とても白くなっていたホワイトフォンテンは、元気いっぱいでした。
 屑人参(通常、馬に食べさせるのは屑人参です)を掌に載せて食べてもらおうとすると、近くまでは来るのですが、食べようとはしません。牧場の人が「こいつは、人の手からは食べないよ」と。下に落としてあげると、寄ってきて美味しそうに食べます。そしてまた、2m位離れたところで待っています。

 白い逃亡者といわれたホワイトフォンテンは、人懐こいがシャイで慎重な?馬でした。
 好天の夏の北海道。草の上に置かれた人参を食べるために伸ばされた、ホワイトフォンテンの本当に白い首筋が眼に鮮やかでした。

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Comment
14
「白い逃亡者」は確か、寺山修二の命名だったと思うけど、上手い事言ったものだね。レース展開を人生模様になぞらえる寺山の予想は掌編小説の様で外れても面白かった。

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コメント
おっしゃる通り、寺山修司氏の競馬に関する数々のコメントや文章は、さすがに印象的な名品が多いと思います。赤木俊介氏も含めて、競馬界の名物コメンテイターが懐かしいですね。

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