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HOME   »   競馬  »  [競馬コラム26] 阪神ジュベナイルフィリーズとイットー
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 現在我が国において「中央競馬」と呼ばれる競馬事業は、日本中央競馬会により全国10か所の競馬場で開催されている国営競馬のことです。(当たり前のことを書き恐縮です)
 この中央競馬が始まったのは、1954年・昭和29年9月25日、同年7月に施行された日本中央競馬会法に基づき、9月1日に特殊法人としての日本中央競馬会が発足し、それ以前に実施されていた国営競馬を引き継ぐ形で、9月25日に初の開催が東京競馬場と京都競馬場で行われたのです。
 以降、現在に至るまで、中央競馬は、東京を中心とする関東圏と京都・阪神を中心とする近畿圏での開催を主体として運営されています。

 当然ながら、昭和30年代(1955年~)は高速道路網も発達していませんでしたので、競走馬の東西移動も容易なことではなく、大レースを除くレースは、東西別々に行われていたのです。
 本稿で採り上げる、阪神ジュベナイルフィリーズも、その創設は1949年・昭和24年、関西地域の2歳馬(旧3歳馬)のNO.1決定戦として阪神競馬場・芝1200mコースで始められた「阪神3歳ステークス」が前身のレースとなります。(距離は、1960年に1400m、1962年に1600mに延長されています)
 この阪神3歳ステークスと対を成していた関東地区のレースが、朝日杯3歳ステークスでした。1984年のグレード制導入と共に、2つのレース共にG1に格付けされました。

 牝馬限定レースの拡充方針もあったのだろうと思いますが、関西地区の3歳牡馬・牝馬のチャンピオン決定戦であった阪神3歳ステークスは、1991年に全国の3歳牝馬のチャンピオン決定戦に衣替えしました。同時に、関東地区の朝日杯3歳ステークスは、全国の3歳牡馬・牝馬が出走できるレースに衣替えしたのです。
 出走条件をクラシックレースに例えれば、阪神3歳ステークスは旧3歳馬のオークス、朝日杯3歳ステークスは旧3歳馬のダービーという感じです。

 そして2001年馬齢表示の国際基準への変更(旧3歳→2歳)に伴いレース名が「阪神ジュベナイルフィリーズ」に変更になったのです。

 本ブログでも何度か記していますが、昭和20年代に始まったレースは、中央競馬において中核をなすレースです。阪神ジュベナイルフィリーズも、1949年・昭和24年に開始された時から、旧3歳馬最高峰のレースのひとつとして歴史と伝統を誇る大レースでしたので、その勝ち馬・出走馬も名馬・強豪馬・人気馬が目白押しです。
 その数多いる馬たちの中から、本稿では1973年のキタノカチドキが優勝した第25回のレースの2着馬、イットーを採り上げたいと思います。イットーは牝馬です。

 第25回のレースは阪神3歳ステークスの時代で、関西地区のチャンピオン決定戦の時代です。翌1974年の皐月賞と菊花賞の二冠馬となった牡馬キタノカチドキを相手に、2着となったのがイットーでした。

 イットー号、父ヴェンチア、母ミスマルミチ、母の父ネヴァービート。生涯成績15戦7勝です。

 イットーは、誕生の瞬間から好素質馬として評価が高く、生まれた荻伏牧場(北海道浦河町)で所有・育成されたそうです。競馬関係者の誰もが惚れ込む馬だったのです。
 栗東トレセンの田中好雄厩舎に預けられましたが、田中調教師もこの馬の素質に驚嘆し、名前を付けさせてほしいと願い出て、これが了承されると「イットー」と名付けました。これは、田中厩舎と縁が深かった歌舞伎役者・六代目尾上菊五郎が生前、これはという馬に巡り合ったら付けてほしいと話していた馬名で「一刀両断」からの命名だそうです。
 馬名には、それぞれ色々な由来がありますが、イットーにも、活躍を期待する関係者の強い思いが込められていました。短くて、珍しいイントネーションの馬名ですが、一度聴いたら忘れない馬名でもあります。

 1973年11月の新馬戦でデビューし、2着に8馬身差の逃げ切り圧勝。後に名馬になる馬の緒戦では、勝ち切れない馬ももちろん居ますが、私の感じでは5馬身以上の差で勝っていることも多いように思います。
 新馬戦で圧勝する馬には、いつの時代も注目しています。(ひょっとすると名馬への第一歩かもしれませんから)

 2戦目の条件戦も快勝し、次に駒を進めたのが阪神ジュベナイルフィリーズの前身レースであった、阪神3歳ステークスでした。前述の通り、このレースでは、キタノカチドキに3馬身差の2着と完敗しましたが、これはキタノカチドキの能力の高さを示すもので、イットーの評価はいささかも下がることは無く、この年の最優秀3歳牝馬に選出されました。
 そして、その生涯で幾多の一流牡馬との激闘を繰り広げるイットーの運命を、暗示しているようなレースでした。

 年が明けて1974年・旧4歳となると、当然牝馬クラシックレースの最有力候補となります。1月の京都の特別レースを6馬身差で圧勝するに至って、桜花賞の大本命となりましたが、ここで故障(骨膜炎)を発症してしまいます。 長期休養を余儀なくされたイットーは、桜花賞・オークスへの出走を見送ることとなりました。関係者の悔しさは、いか程であったろうかと思います。
 鞍上の高尾騎手は、桜花賞を前に「条件馬の桜花賞など絶対に観ません」と語っていたそうです。

 半年の休養を開けて、8月から復帰したイットーは、初戦の函館のオープン競走をレコードタイムで快勝し、10月の京都牝馬特別に駒を進めます。
 この1974年の京都牝馬特別には、1972年の阪神3歳ステークス優勝馬であった「超快速牝馬」キシュウローレルも出走してきました。イットーの前年の最優秀3歳牝馬でもあったキシュウローレルとの対決は、大きな話題となりましたが、悲劇が待っていました。
 
 あまり筆が進みませんが、キシュウローレルは京都競馬場3コーナーからの下り走路の穴に脚を取られ、左前脚を骨折し転倒、直後に位置していたイットーは、これを避けようとしましたが、右後脚を7針縫う裂傷を負ってしまいます。レースは10着に敗れました。
 キシュウローレルは、骨がむき出しの状態ながら立ち上がり、ゴールに向かって歩き始めました。なんということでしょう。直後に保護され、予後不良で安楽死処分。
 快速馬、特に一世を風靡した快速馬の最後にこうした悲劇が待っていることが少なくないことは、大変悲しいことです。

 思い返してみると、1974年のイットーには、いくつもの不運が待ち受けていました。京都牝馬特別で、初めて着を外したイットーは、その後他馬を怖がるようになりましたので、陣営は1974年の冬~1975年の春にかけて、イットーを休ませました。

 明けて1975年の3月のオープン戦から、イットーは復帰しました。復帰初戦の相手は、あのタニノチカラです。復帰初戦に、前年の最優秀5歳以上牡馬にぶつけることの是非はともかく、このレースでイットーはタニノチカラとの叩き合いを演じて、1/2馬身差で2着になりましたが、復活とイットー強し!を印象付けました。

 続いて4月、イットーはマイラーズカップに出走します。マイラーズカップは現在でもG2のレースですが、この当時も格の高いマイル戦でした。この年のレースにもタニノチカラに加えて、前年の二冠馬にして、阪神3歳ステークスで敗れたキタノカチドキも出走してきました。
 イットーは、キタノカチドキには惜敗しますが、タニノチカラにはハナ差先着。2着を確保しました。

 こうして、牡馬超一流どころとの激戦を続けるイットーでしたが、実はこの段階では重賞勝ちが無いのです。厩舎・馬主の方針も感じますが、タニノチカラやキタノカチドキと互角に渡り合う馬が、特別レースしか勝っていないというのも違和感があります。

 重賞未勝利をも意識したのか、次にイットーが向かったのは、5月の京都競馬場1600mのスワンステークスでした。このレースは現在G2に格付けされていますが、当時は前走のマイルチャンピオンシップに比べれば、相手馬の力量も少し落ちますので、イットーは圧倒的な一番人気になりました。
 このレースを余裕十分で快勝し、10戦目にして初の重賞制覇となりました。デビューしてから重賞初制覇までの、波乱に満ちたキャリアを知ってか、ファンからは万雷の拍手が鳴り止まなかったそうです。

 次走の阪急杯では3着に敗れましたが、6月22日の高松宮杯(当時は2000m)では久々の逃げ切り勝ちを収めました。イットーは、ようやくその力を十分に発揮できるようになったなと感じたことを憶えています。

 夏の休養明けのオープン特別を快勝し、次走の朝日チャレンジカップはロングホークのレコード勝ちの2着と相変わらず牡馬一線級との戦いを続けました。そして10月、再び因縁の京都牝馬特別に出走してきたのです。前年にキシュウローレルの命を奪い、自身を傷つけたレースです。この頃は、牝馬限定の重賞が少なかったこともあるとは思います。
 縁起を担ぐ人であればトライしないレースで、イットーは再び故障しました。そして、これがイットー最後のレースとなり、競走馬を引退しました。
 重賞2勝は挙げましたが、あれだけ期待された素質馬としては、十分とはいえない競走成績だったと思います。
 しかし、彼女にはもうひとつの人生?が待っていたのです。

 競走馬引退後は、生まれ故郷の荻伏牧場で繁殖に入りました。そして荻伏牧場がフランスから輸入した種牡馬サンシーの仔を第一子としてもうけます。これが、ハギノトップレディです。桜花賞やエリザベス女王杯など重賞5勝、生涯成績11戦7勝の名牝です。母の夢であったクラシック制覇を早くも実現しました。
 第二子のニッポーハヤテも7勝しました。
 第三子のハギノカムイオーは、父がテスコボーイです。セリにおける当時の史上最高価格であった1億8500万円で落札された注目馬でしたが、スプリングステークス、神戸新聞杯、京都新聞杯、宝塚記念そして母と同じスワンステークスと高松宮記念の重賞6勝と期待に応えました。

 イットーの繁殖成績はこのように素晴らしいものでしたが、実はイットーはサラブレッド牝系の『華麗なる一族』だったのです。
 『華麗なる一族』とは、山崎豊子の同名小説から、当時関西テレビの競馬解説者だった詩人の志摩直人氏が初めて用いて、後に一般化した呼び方ですが、イットーの母ミスマルミチの母キューピットから繋がる牝系一族の呼称です。現在でも、競馬界で『華麗なる一族』といえば、キューピットの子孫を指します。非常に気性が荒く、素晴らしいスピードに恵まれているのが一族の特徴といえます。

 一族の祖となる牝馬キューピット号は、父ニアルーラ、母マイリー。マイリーのお腹の中にいる時にイギリスから輸入され、マイリーが横浜港で検疫中に生まれました。
 キューピットの競走成績は、35戦9勝でしたが、当時少なかった牝馬限定重賞のひとつ阪神牝馬特別に優勝した一流牝馬でした。繁殖牝馬となって、ヤマピットとミスマルミチを生みました。キューピットの仔は、この2頭の牝馬だけでしたが、その2頭がそれぞれに大活躍したのです。

 ヤマピットは、1966年の最良3歳牝馬(現在の最優秀2歳牝馬、旧齢)、1967年のオークスに勝ち最良4歳牝馬、1968年にも重賞2勝で最良5歳以上牝馬となって、3年連続のチャンピオン馬となりました。牝馬では史上初の快挙でした。
 そして、もう一頭のミスマルミチは、前述の通りイットーの母ですが、他に中距離の鬼ニッポーキング、そしてシルクテンザンオー、サクラアケボノといった牡馬一流馬をも産し、いずれも種牡馬になりました。

 この『華麗なる一族』の中でも、イットーの繁殖牝馬としての活躍には素晴らしいものがあり「中興の祖」ともいわれています。イットーは繁殖牝馬として14頭のサラブレッド牡馬・牝馬の母となり、27歳で他界しました。

 私は、ホワイトフォンテン号の稿にも記した通り、今から30年前に大好きなサラブレッド達に会うために、友人と共に夏休みに北海道を回りました。そして、イットーの居る牧場にも立ち寄りました。イットーが12~13歳の頃だったのでしょう。
 その年生んだ仔馬と、牧場を楽しそうに走り回ったり、じっと一方向を眺めたりしていて、結局私達の近くには来てくれませんでした(大切な子供を連れているのに、普段見かけない人間の傍に来るはずもないのですが)が、現役時代と変わらないスリムで大らかな馬体を維持していて、美人お母さんでした。

 イットーは、もともと黒鹿毛・筋肉質のスマートな馬で、牡馬にも一歩も引けを取らない激しい気性の持ち主でしたが、さすがに我が子と一緒にいる時は、子供に気を使う優しさを見せていました。
 逆光に浮かぶ、イットーと仔馬の直線的なシルエットがとても綺麗でした。

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